日本歴史地名事典コンパクト版

吉田茂樹著、平成九年、新人物往來社

平成疑問かなづかひ―假名遣標準化計劃

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 地名は古い言葉の寶庫であり、歴史的假名遣と深くかかはってゐる事に氣づいたのは、實に本書のお蔭である。本書なくして『平成疑問假名遣』は充實しなかった。深く感謝する次第である。


・あい、安威

大阪府茨木いばらき市安威(攝津國島下しましも郡)。『和名抄』に「安威郷」、『延喜式』に「阿爲あゐ神社」で見える。初見は『雄略紀』九年の「藍原」の地で、

・あいこうぐん、愛甲郡

神奈川縣中西部(相模國)にある郡。『類聚國史』大同二年(八〇七)に「愛甲郡」で初見し、『類聚三代格』承和二年(八三五)には「鮎河」とも記してゐるので、古くは「あゆかは」と呼んでゐた。

・あいちぐん、愛知郡

愛知縣中西部(尾張國)の郡。『景行紀』五十一年に「年魚市あゆち郡」、『續紀』和銅二年(七〇九)に「愛知郡」で見え、「あゆち」が原音である。地名の初見は『神代上紀』の「吾湯市あゆち村」である。

・あいみぐん、會見郡

鳥取縣西部(伯耆國)にあった郡。…古くは「あうみ」と稱し、近世以降は「あいみ」と呼んでゐる。

・あいらぐん、姶羅郡

鹿兒島縣南西部(大隅國)にあった郡。……
今の鹿屋かのや市・吾平町・串良町の一帶で、……
後に郡名が桑原郡西部に移轉して「姶良郡」となった。

・あおやま、青山

三重縣西部(伊賀國伊賀郡)の町名。『續紀』天平十二年(七四〇)に「阿保頓宮」、『和名抄』に「阿保郷」とある地域で、後に「あぼ」から「あお」に音轉した。萬葉集にも「阿保之山」として歌はれ、

・あがた、縣

宮崎縣延岡市(日向國臼杵うすき郡の古稱。『和名抄』に「英多あがた郷」で初見し、……
慶長十九年(一六一四)有馬氏が(縣藩)藩主となってより、「延岡」と改名し、

・あぐひ、阿久比

愛知縣阿久比町(尾張國知多郡)。『藤原宮木簡』持統八年(六九四)に「阿具比里」、『和名抄』に「英比あぐひ郷」、

・あじう、味原

大阪市天王寺區味原あぢはら町(攝津國東成郡)の地で、上町臺地の東に位置する。『孝徳紀』白雉元年(六五〇)に「味經あぢふ宮」が見え、天皇が當地(別説では攝津市味生あぢふ)に行幸してゐる。

・あじむ、安心院

大分縣安心院町(豐後國宇佐郡)。『延喜式』驛家に「安覆あしぶ驛」で初見し、

・あずみぐん、安曇郡

長野縣北西部(信濃國)にあった郡。……
上代に海士あまを統率した阿曇あづみ氏の一族が來往して郡名となった。

・あたごやま、愛宕山

京都市右京區北西部(山城國葛野郡)にある標高九二四メートルの山。『三代』貞觀二年(八六〇)に「愛當護あたご山」で初見し、……
『今昔物語』その他の古典に多出する

・あのう、賀名生

奈良縣西吉野村賀名生(大和國吉野郡)。『吉水神社文書』建武元年(一三三四)に「西穴生あなふ莊」として初見……
現在では「賀名生梅林」の地として有名。

・あのう、穴太

大津市坂本穴太町(近江國滋賀郡)の地。『記成務』に「志賀高穴穗しがたかあなほ宮」で初見し、この地に景行・成務・仲哀三代の宮都があったといふ。

・あまのかぐやま、天香具山

『記神代』に「天香山あまのかぐやま」で初見し、『萬・二』には「天之香具山」で見える。

・いいしぐん、飯石郡

島根縣北東部(出雲國)にある郡。『出雲風土記』に「飯石郡」で初見

・いいのや、井伊谷

靜岡縣引佐いなさ町井伊谷(遠江國引佐郡)。『和名抄』の「渭伊ゐい郷」の地で……
井伊家は近江彦根藩の大名となった。

・いかぐん、伊香郡

滋賀縣北部(近江國)にある郡。……
古くは「いかこ」と呼んだ。

・いこまやま、生駒山

奈良縣(大和國平群郡)と大阪府(河内國河内郡)の境……
『神武即位前紀』に「膽駒いこま山」で初見し、『伊勢物語』には「生駒山」で」見える。

・いさかわ、率川

奈良縣率川(大和國添上郡)の地で、河川名・地域名で見える。『記開化』に「春日伊邪河かすがいさかは宮」、『開化紀』元年に「春日率川宮」とあり、

・いさはや、諫早

長崎縣中南部(肥前國高來郡)の都市。平安末期の『宇佐大鏡』に「伊佐早いさはや村」で初見

・いさわじょう、膽澤城

岩手縣水澤市佐倉河(陸奧國膽澤郡)にあった古代の城跡。『日紀略』延暦二十一年(八〇二)に、坂上田村麻呂を遣はし、「膽澤城」を築いたとある。

・いずしぐん、出石郡

兵庫縣北部(但馬國)にある郡。『垂仁紀』三年に「出石」が見える。

・いすみぐん、夷隅郡

千葉縣南東部(上總國)にある郡。『安閑紀』元年に「伊甚いじみ國造」が見え、

・いたこ、潮來

茨城縣潮來町(常陸國行方郡)。『常陸風土記』に「板來いたく村・板來驛」で初見し、古代東海道の水驛があり、

・いたみ、伊丹

兵庫縣南東部(攝津國河邊郡)にある都市。『山槐記』治承四年(一一八〇)に「伊多美」で初見し、

・いつくしま、嚴島

廣島縣南西部にある島(安藝國佐伯郡)。『日後記』弘仁二年(八一一)に「伊都伎嶋いtきしま社」、

・いといがわ、絲魚川

新潟縣南西部(越後國頸城くびき郡)の都市。『能因歌枕』に「いとひ川」といふ河川名が見え、『本間市川文書』至徳四年(一三八七)に「絲井川」で初見する。戰國期以降、「絲魚川」と書き、

・いとうづのしょう、到津莊

北九州市小倉北區到津(豐前國企救きく郡)の地。『續記』天平十二年(七四〇)の「板櫃いたびつ」が古名で、『延喜式』西海道の「到津驛」があった。

・いとぐん、怡土郡

福岡縣北西部(筑前國)にあった郡。『平城宮木簡』養老七年(七二三)に「怡土郡」で初見するが、『魏志』倭人傳に「伊都國」、『仲哀紀』八年に「伊覩縣いとのあがた」が見える。……
明治二十九年(一八九六)志摩郡と合併して「絲島いとしま郡」となった。

・いなさぐん、引佐郡

靜岡縣西部(遠江國)の郡。『萬・三四二九』に「引佐郡」で初見し、

・いなばのくに、因幡國

『記神代』に「稻羽國」で初見し、

・いなべぐん、員辨郡

三重縣北部(伊勢國)にある郡。……
『延喜式』に「猪名部ゐなべ神社」があり、

・いなみの、印南野

兵庫縣南部の加古川市南部(播磨國加古郡)より明石市西部(明石郡)にかけて分布する洪積臺地の原野であった所。萬葉集に「稻日野・印南野・印南國原」で多出し、

・いびのしょう、揖斐莊

岐阜縣揖斐川町揖斐(美濃國大野郡)が遺稱地。『和名抄』に「楢斐郷」とある地域で、『東大寺文書』天暦四年(九五〇)には「伊備郷」とある。

・いぶすきぐん、指宿郡

鹿兒島縣南西部(薩摩國)の郡で、『和名抄』に「揖宿郡」で初見する。

・うじ、宇治

京都府南東部(山城國宇治郡・久世郡)の都市。『神功攝政』元年に「菟道うぢ」で初見

・うすいとうげ、碓氷峠

群馬縣松井田町と長野縣輕井澤町の間にある峠。『景行紀』四十年に「碓日坂うすひのさか」で初見し、『萬・四四〇七』にも「宇須比の坂」で見える。

・うずまさ、太秦

京都市右京區太秦(山城國葛野かどの郡)。『雄略紀』十五年に、渡來人はた氏が蠶養こかひと絹織の功により「禹豆麻佐うづまさ」の姓を賜ったとある。

・うなて、雲梯

奈良縣橿原市雲梯(大和國高市郡)。『萬・一三四四』に「卯名手うなての社」が見え、

・うべ、宇部

山口縣南西部(長戸國厚狹あさ郡の都市。十一世紀末の『散木奇歌集』に「むべ」で初見。

・うんぜんだけ、雲仙岳

長崎縣島原半島の中央(肥前國高來たかく郡)にある……
古くは「温泉山」と記し、明治以後「雲仙岳」を用ゐる。

・えいぐん、頴娃群

鹿兒島縣南西部(薩摩國)にあった郡。『續紀』文武四年(七〇〇)に「衣評えのこほり」で初見し、

・えが、惠我

大阪府中東部(河内國志紀郡・丹北郡)にあった古代地名。『記仲哀』に「惠賀」で初見し、一帶には仲哀・應神・允恭の御陵がある。『顯宗即位前紀』には「餌香市ゑがのいち」(今の藤井寺市附近)があって、奈良時代を代表する市場であった。平安期には「會賀ゑが莊」(羽曳野市附近)が見え、

・おいそのもり、老蘇の森

滋賀縣安土町老蘇(近江國蒲生郡)。……
『延喜式』の「奧石おいそ神社」が鎭坐する。

・おうぐん、意宇郡

島根縣北東部(出雲國)にあった郡。『齊明紀』五年(六五九)に「於友おう郡で初見し、

・おうみぐん、邑美郡

鳥取縣東部(因幡國)にあった郡。『正倉院文書』神龜三年(七二六)の「海郡」が古稱とみられ、

・おえぐん、麻植郡

徳島縣中央部(阿波國)にある郡。『正倉院御物』天平四年(七三二)に「麻殖をゑ郡」で初見し、

・おお、多

奈良縣田原本町多(大和國十市郡)。『記神武』の「意富おふ臣」、『天武紀』元年(六七二)の「多臣」の本據地で

・おおいがわ、大堰川

京都市右京區から南區を流れる川で、上流を保津川、下流は桂川と稱して淀川に合流する。『日後記』延暦十八年(七九九)に「大堰川」で初見し、『古今集』は「大井河」と記す。

・おおいぐん、大飯郡

福井縣南西部(若狹國)にある郡。

・おおえやま、大江山

京都市西京區(山城國乙訓おとくに郡)と龜岡市(丹波國桑田郡)の境にあるおいの坂(大江の坂)一帶の名。……
『延喜式』の「大枝おほえ驛があった。

・おおちぐん、大内郡

香川縣東部(讚岐國)にあった郡。……
『和名抄』には「おふち」の訓注が見える。

・おおみわじんじゃ、大神神社

奈良縣櫻井市三輪みわ……
『記崇神』に「意富美和おふみわ之大神」で初見し、

・おかのみなと、岡水門

福岡縣蘆屋町蘆屋(筑前國遠賀をんが郡の遠賀川河口付近にあった古代の港。『神武即位前記』に「崗水門」で初見し、神武天皇が東征の途上、この港に立ち寄ったと記される。『筑前國風土記逸文』には「塢舸をか水門」とあり、

・おきなが、息長

滋賀縣近江市東部(近江國坂田郡)を中心とした古代・中世の地域名。……
『仲哀紀』の「氣長足姫おきながたらしひめ尊(神功皇后)」

・おきなわ、沖繩

『唐大和上東征傳』天平勝寶五年(七五三)に「阿兒奈波嶋」で初見

・おぐらのいけ、巨椋池

京都盆地南部の宇治川下流の低濕地(山城國久世郡・宇治郡・紀伊郡)にあった湖沼で

・おこうじょう、岡豐城

高知縣南國市岡豐(土佐國長岡郡)の岡豐山にあった長曾我部ちゃぅそかべ氏の居城。

・おさか、忍坂

奈良縣櫻井市忍坂(大和國城上郡)。『隅田すだ八幡宮銘文』癸未(五〇三)に「意紫沙加おしさか宮」で初見し、『神武即位前記』には「忍坂」で見える。……
用明二年に「押坂部おさかべ」が見える。

・おたぎぐん、愛宕郡

京都市北部(山城國)にあった郡。

・おにゅうぐん、遠敷郡

福井縣南西部(若狹國)にある郡。『藤原宮木簡』文武元年(六九七)に「小丹生評をにふのこほり」で初見し、

・おびはん、飫肥藩

日向國宮崎郡の飫肥(日南市)を藩廳とした藩。『和名抄』の「飯(飫か)肥郷」の地で、

・おんがぐん、遠賀郡

福岡縣北部(筑前國)にある郡。『續紀』天平十二年(七四〇)に「遠珂をか郡」で初見し、……
『神武即位前紀』には「崗水門をかのみなと」が見える。

・かいで、鷄冠井

京都府向日むかう市鷄冠井(山城國乙訓おとくに郡。長岡京大内裏跡。

・かがと、香登

岡山縣備前市香登(備前國和氣郡)。……
『和名抄』に「香止郷」がある。

・かなさなじんじゃ、金讚神社

埼玉縣神川村二宮(武藏國兒玉郡)に鎭坐。『三代』貞觀四年(八六二)に「金佐奈神」で初見し

・かみぐん、香美郡

高知縣東部(土佐國)にある郡。『日後記』延暦二十四年(八〇五)に「香美郡」で初見し、明治の初めまでは「かがみぐん」と呼んでゐた。

・かめいど、龜戸

東京都江東區龜戸(下總國葛飾郡)。『田園簿』慶安二年(一六四九)に「龜戸村」で初見し、

・かわしぐん、合志郡

熊本縣北部(肥後國)にあった郡。『持統紀』十年(六九六)に「皮石かはし郡」で初見し、『和名抄』には「合志郡」とある。「こうしぐん」ともいふ。

・きいのくに、紀伊國

古事記には「木國きのくに紀國きのくに」で見え、

・きいれぐん、給黎郡

鹿兒島縣南西部(薩摩國)にあった郡。……
明治三十年(一八九七)喜入きいれ村は揖宿いぶすき郡、

・きこうぐん、城飼郡

靜岡縣中南部(遠江國)にあった郡。『藤原宮木簡』に「紀甲きかふ郡」で初見し、

・きさいはん、私市藩

武藏國埼玉郡の騎西きさい(埼玉縣)を藩廳とした藩。……
「騎西じま」の綿織物で知られた。

・きぬがわ、鬼怒川

『常陸風土記』筑波郡の條に「毛野けの川」で初見し、平安時代には「きぬ川」となり、江戸時代に至って「鬼怒川」と表記された。

・くさつおんせん、草津温泉

群馬縣草津町草津(上野國吾妻郡)。硫黄泉で臭氣が漂ひ、臭水くさうづが草津になったといはれ、『北國紀行』文明十八年(一四八六)に「草津」で初見する。

・くずは、楠葉

大阪府枚方市楠葉(河内國交野かたの郡)。『記崇神』に「久須婆くすばわたり」で初見し、

・くずりゅうがわ、九頭龍川

福井縣北東部の越美ゑつみ山地に發し、三國町より日本海に注ぐ川で、……
室町期に「崩川くづれがは」で初見し、

・くまそのくに、熊襲國

『筑前國風土記逸文』は「球磨囎唹くまそ」で表現し、これは肥後國球磨郡の地と大隅國囎唹郡の地を示してゐる。

・くらきぐん、久良郡

神奈川縣南東部(武藏國)にあった郡。『續記』神護景雲二年(七六八)に「久良郡」で初見

・ぐんまぐん、群馬郡

群馬縣中南部(上野かうづけ國)にある郡。『藤原宮木簡』に「車評くるまのこほり」で初見し、

・こうかぐん、甲賀郡

滋賀縣南部(近江國)にある郡。……
『敏達紀』十三年(五八四)に、この地域の豪族「鹿深かふか臣」が見える。

・こうのす、鴻巣

埼玉縣中東部(武藏國足立郡)の都市。『武州古文書』應永二十二年(一四一五)に「かうのす」で初見し、

・こしぐん、古志郡

新潟縣中央部(越後國)にある郡。『舊事本紀』に「高志國造」が見え、古志・三島兩郡を含む地域であったとみられる。

・こやのいけ、崑陽池

兵庫縣伊丹市(攝津國川邊郡)にある池で、現在は昆陽池と書く。……
天平三年に昆陽院こやゐん(後の昆陽こんやう寺)を建立し、

・ころも、擧母

愛知縣豐田市(三河國賀茂郡)の舊名。『和名抄』の「擧母郷」の地で、中世には「ころも郷・衣の里」で見える。

・さいか、雜賀

和歌山市雜賀および雜賀崎(紀伊國海部あま郡の地。『萬・九一七』に「左日鹿野さひかの」で初見し、

・さいき、佐伯

大分縣南東部(豐後國海部あま郡)の都市。

・さえき、佐伯郡

廣島縣南西部(安藝國)にある郡。

・さがみのくに、相模國

神奈川縣の大半を占めた東海道の一國。『記景行』に「相武さがむ國」とあるが、

・さがらはん、相良藩

遠江國榛原はいばら郡の相良(靜岡縣)を藩廳とした藩。

・さよ、佐用

兵庫縣佐用さよう佐用さよ(播磨國佐用郡)。『播磨國風土記』に「讚容さよ里」で初見し、……
昭和三十年(一九五五)より、町名を「さよ」から「さよう」と變更した。

・さよぐん、佐用郡

兵庫縣西部(播磨國)にある郡。『天智即位前紀』の「狹夜さよ郡」が初見と見られ、

・さららぐん、讚良郡

大阪府北東部(河内國)にあった郡。『欽明紀』二十三年に「更荒さらら郡」で初見し、

・さわらぐん、早良郡

福岡縣北西部(筑前國)にあった郡。

・しがらきのみや、紫香樂宮

滋賀縣信樂しがらき町(近江國甲賀郡)にあった聖武天皇の皇宮

・しそうぐん、宍粟郡

兵庫縣中西部(播磨國)にある郡。『藤原宮木簡』に「宍粟評しさはのこほり」で初見し、

・しどりじんじゃ、倭文神社

鳥取縣東郷町宮内(伯耆國河村郡)に鎭坐。

・しのぶぐん、信夫郡

福島縣北部(陸奧國)にあった郡。

・すえぐん、周淮郡

千葉縣南西部(上總國)にあった郡。『舊事本紀』に「須惠國造」が見え、

・すくも、宿毛

高知縣南西部(土佐國幡多はた郡)の都市。

・すわこ、諏訪湖

『記神代』に「洲羽海すはのうみ」で初見し、

・せんじゅ、千住

東京都足立區千住(武藏國足立郡)。『足立區史』弘安二年(一二七九)に「千住せんじゅで初見し、江戸初期には「千住村」で見える。

・そうさぐん、匝瑳郡

千葉縣北東部(下總國)にある。

・そうまぐん、相馬郡

茨城縣南西部から千葉縣北西部(下總國)にあった郡。『正倉院文書』養老五年(七二一)戸籍に「倉麻さうま郡」で初見し、

・そおぐん、囎唹郡

『續紀』和銅六年(七一三)に日向國四郡を割いて大隅國を置くとあり、この中で「贈於そお郡」として初見する。『景行紀』十二年で「襲國そのくに熊襲くまそ」と呼ばれた地域で、……
明治三十年には南諸縣郡と東囎唹郡が合併して、全く新しい別の「囎唹郡」が成立してゐる。

・たいま、當麻

奈良縣當麻町當麻(大和國葛下郡)。『記開化』に「當麻勾君たぎまのまがりのきみ」で初見し、……
『記履中』に「當岐麻たぎま道」があって、

・たけふ、武生

福井縣中央部(越前國敦賀郡)の都市。

・たじひぐん、丹比郡

大阪府中西部(河内國)にあった郡。

・たじまのくに、但馬國

兵庫縣北部にあった山陰道の一國。『記垂仁』に「多遲麻たぢま國」

・ちりゅう、知立

愛知縣中南部(三河國碧海郡)の都市。……
平安末期には「池鯉付ちりふ社」と書かれ、近世には東海道の宿場として「池鯉鮒」の地名が一般化した。

・つうぐん、都宇郡

岡山縣南部(備中國)にあった郡。『正倉院文書』天平十一年(七三九)に「都宇郡」で初見し、

・とうがね、東金

千葉縣中東部(上總國山邊郡)の都市。……
酒井氏が「ときみね」に城を築いて東金城としたのに始まる。

・とうしぐん、答志郡

三重縣南東部(志摩國)にあった郡。

・とうのみね、多武峰

『齊明紀』二年(六五六)に「田身嶺たむのみね」で初見し、

・とめぐん、登米郡

宮城縣北東部(陸奧むつ國)にある郡。『續紀』寶龜五年(七七四)に「遠山村」で初見し、……
この遠山とほやま村が登米とよま郡として成立してゐる。

・にいぐん、新居郡

愛媛縣東部(伊豫國)にあった郡。『日紀略』大同四年(八〇九)に「神野郡を新居にひゐ郡に改める」とある。

・ねいぐん、婦負郡

富山縣中央部(越中國)にある郡。『萬・四〇二二』天平二十年(七四八)に「婦負郡」で初見し、

・ねずがせき、念珠關

山形縣温海あつみ鼠ヶ關ねずがせき(出羽國田川郡)にあった古代以來の關所。『吾妻鏡』文治五年(一一八九)には「念種關」とあり、

・のうがた、直方

福岡縣北東部(筑前國鞍手郡)の都市。延寶三年(一六七五)「直方」と改名。

・のせぐん、能勢郡

大阪府北部(攝津國)にあった郡。『續紀』和銅六年(七一三)に「河邊郡玖左佐くささ村をいて能勢郡を置く」とある。

・のとのくに、能登國

石川縣の北部を占めてゐた北陸道の一國。『續記』養老二年(七一八)越前國四郡を割いて能登國が建置され、

・はいばらぐん、榛原郡

靜岡縣中央部(遠江國)にある郡。『續紀』天平五年(七三三)に「蓁原はいばら郡」で初見し、

・はがぐん、芳賀郡

栃木縣南東部(下野國)にある郡。『藤原宮木簡』に「芳宜評はがのこほり」で初見し、

・ははそのもり、柞ノ杜

京都府精華町祝園はふその(山城國相樂そうらくぐん郡)の祝園神社境内の森をいふ。『崇神紀』十年に武埴安彦たけはにやすひこが謀反し、彦國葺ひこくにふくが迎撃した地で、「羽振苑はふりその」と呼んだといふ。これが「ははそ」と轉化し、古來、木津川を通航する船から、この森が際立ってよく見え、秋の紅葉でも名所となっゐた。

・はんざわぐん、榛澤郡

埼玉縣北部(武藏國)にあった郡。

・ひえぬきぐん、稗貫郡

岩手縣中央部(陸奧むつ國)にある郡。……
『吾妻鏡』文治五年(一一八九)には「部貫へぬき郡」と記したが、

・ひこさん、英彦山

福岡縣添田そへだ町(豐前國田河郡)と大分縣山國町(同國下毛しもげ郡)の境にある安山岩の山で……
平安初期の『長寛勘文』に「日子山」で初見し、……
享保十四年(一七二九)「英彦山」と稱し、

・ふげしぐん、鳳至郡

石川縣北部(能登國)にある郡。『續記』養老二年(七一八)に「鳳至郡」で初見し、

・ふさのくに、總國

千葉縣と茨城縣の一部を占めてゐた國郡制施行以前の國。『記・紀』には國名が見えないが、『古語拾遺』大同二年(八〇七)に「總國」とあり、

・ふじさん、富士山

靜岡(駿河國)・山梨(甲斐國)縣境にそびえる成層火山の代表で……
『常陸風土記』筑波郡の條に「福慈岳ふじのたけ」で初見し、萬葉集には「不盡能高嶺ふじのたかね・不盡山」で多出する。『竹取物語』には「ふじの山」とあって、山頂でかぐや姫が殘した不死の靈藥を燒いたので、今でも煙が絶えないと語ってゐる。

・へいぐん、閉伊郡

岩手縣中東部(陸奧國)にあった郡。『續紀』靈龜元年(七一五)に「村」と見える地域で、

・へきかいぐん、碧海郡

愛知縣中南部(三河國)にあった郡。『正倉院文書』天平勝寶五年(七五三)頃に「碧海郡」で初見し、當初は「あをみ」と讀んだ。

・へぐりぐん、平群郡

奈良縣北西部(大和國)にあった郡。『正倉院文書』天平二年(七三〇)に「平群郡」で初見するが、『景行紀』十七年に「へぐりの山」が見える。

・ほいぐん、寶飯郡

愛知縣南東部(三河國)にある郡。『平城京木簡』天平十八年(七四六)に「寶飫ほい郡」で初見するが、『舊事くじ本紀』には「穗國造ほのくにのみやつこ」が見え、大化前代は「」と呼ばれてゐた。

・まんだぐん、茨田郡

大阪府北部(河内國)にあった郡。『宣化紀』元年及び『播磨國風土記』揖保いぼ郡の條に「茨田郡」で初見し、」古くは「まむた」といひ、

・まんのういけ、滿濃池

香川縣滿濃町南西部(讚岐國那珂郡)にある池。……
少くとも八世紀には造營された日本最古の灌漑用溜池の一つで、……
「萬農池」とも書き、古くは「まのいけ」といった。

・みずまぐん、三瀦郡

福岡縣南西部(筑後國)にある郡。『延喜式』」に「三瀦郡」で初見するが、『景行紀』十八年に「水沼縣主あがたぬし」が見え、古くは「みぬま」と稱した。

・みつかいどう、水海道

茨城縣南西部(下總國豐田郡)の都市。中世に「水かへと」、『相馬日記』に「御津海道」、『元祿郷帳』に「水海道」で見える。

・みぬまのしょう、水沼莊

滋賀縣多賀町敏滿寺びんまんし(近江國犬上郡)付近にあった莊園。

・みのうぐん、美嚢郡

兵庫縣中東部(播磨國)にある郡。『播磨風土記』に「美嚢郡」で初見し、古くは「みなぎ」と讀み、中世以降、「三木郡」と記し、

・みのお、箕面

大阪府北部(攝津せっつ豐島てしま郡)の都市。『扶桑略記』應和二年(九六二)に「蓑尾みのを山」で初見し、……
『今昔物語』には「箕面瀧」が見え、

・むこう、向日

京都府南部(山城國乙訓おとくに郡)の都市。『三代』貞觀じゃうぐわん元年(八五九)に「向神」、

・むこうじま、向島

東京都墨田區向島(下總國葛飾かつしか郡)。隅田川東岸の地域で、

・むろぐん、牟婁郡

和歌山縣南部と三重縣南部(紀伊國)にあった郡。『持統紀』六年(六九二)に「牟婁郡」で初見し、……
『齊明紀』三年(六五七)に「牟婁温泉」で初見し、

・もうだぐん、望陀郡

千葉縣西部(上總國)にあった郡。『萬・四三五一』天平勝寶七年(七五五)に「望陀郡」で初見するが、『舊事くじ本紀』の「馬來田うまくた國造」の地とみられる。

・もうつうじ、毛越寺

岩手縣平泉町平泉(陸奧國磐井郡)にある天台宗別格本山。『吾妻鏡』文治五年(一一八九)に「毛越寺」で初見し、

・もおか、眞岡

栃木縣南東部(下野しもつけ國芳賀郡)の都市。『專修寺文書』文和四年(一三五五)に「まほか」で初見し、

・やぎゅう、柳生

奈良市柳生(大和國添上そへかみ郡)。『文徳』嘉祥三年(八五〇)の「夜岐布やぎふ山口神」の神名が初見で、『和名抄』に「楊生郷」とある。

・よろきぐん、餘綾郡

神奈川縣中南部(相模國)にあった郡。『正倉院文書』天平七年(七三五)に「餘綾よろき郡」で初見し、

・りゅうきゅう、琉球

沖繩の古稱で、中國の史書による呼稱であった。『隋書』東夷傳に「流求國」で初見し、以後、唐・宋・元の時代に「流求・琉球・瑠求」」で見える。