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飛行機への想いと理解 (幸運な世界とは)
 
私達の、フリーフライト機以上に、飛行における自立安定をシビアに求める物は無いと考えられます。 それは、実機の世界は勿論のこと、模型飛行機界の全てを含めても言えることになります。操縦やコントロールを放棄した私達にとって、自立安定は死活問題となるわけですから、当然の事と言えるのかも知れません。
更には、飛行生物の世界にまで、この話しを広げてみても、まさに命がけの生活をしている中で、固定翼のまま飛行しきる、などという、命知らずな種族がいるとは考え難い事になります。
となると、私達は地球上で最も、自立安定という見え難いものをシビアに追い求めている という事になります。
如何ですか、私達は知らぬ間に、 奇跡的に幸運な世界 に身を投じていると思えないでしょうか。私達の誰にでも、自分の飛行機という教材を基に、自立安定という世界の最深部を学ぶ事ができ、更には、その創造者となるチャンスさえもを与えられています。
 
さて、本題の話しに戻ります。
自立安定の原理は、航空工学が教えてくれております。これで納得をするのもよいと思います。
但し、野外競技で、結果を求めようとする競技者であるならば話しは別になります。
自分以外の飛行機も含め、形態と飛行の関係 、整理された状態で記憶する必要があります。 更に、 自らの経験則も 並行して積み重ねて行かなければなりません。
その様にしてようやく、良い選択が出来るようになるものだと、私は考えます。
 
飛行機の自立安定は、製作者が意志を持って作り上げていくものです。
偶然的に、適度なものになり得たとしても、本人が気づけなければ力の蓄積にはなりません。
そして、 飛行機は製作者の入力に忠実な飛行結果という出力 します。
飛びを観る眼と、この関係を理解していさえすれば、トライアンドエラーの積み重ねにより、改善を確実に進めることが出来る筈です。
尚、製作者の意志というものは、「飛びを観る眼」 から生まれてくるものです。
飛びを観る眼とは、観察をする眼に映る事象と、整理された経験的記憶とが織成す比較判断能力 とでもいえる様なものだと思います。
ありとあらゆる、飛行機の形態と飛行の関係を、研ぎ澄ました眼で観察することにより養われる能力であると思います。
 
私の過去のキャリアを思い起こしてみると、前半の5年間は、飛行効率の追求を8割、自立安定配慮を2割 というような、努力配分であったように思えます。
当時を振り返ると、出来る限りの努力を払い、飛行効率の追求をしていた事が思い出されます。
多くの人がそうであるように、沈下率・揚抗比・翼面荷重などを、どのように良い値にしようかと躍起になっていたことを思い出します。
また、そのような考えを基に最善を尽くした飛行機で多くの期間、競技会に挑んでは一喜一憂を繰り返していた という事になります。
 
その、憂うつな方の結果に終わってしまった時に、考えていた事があります。
それは、「こんなに風が強くては競技にならないよ、今日の条件ではしょうがない」 などという、ぼやきや諦めです。 また、「あそこで落とされるなんて信じられないよ、今日も運がなかった」などと、不運を嘆いていた事もあります。
大凡、条件の厳しさや運の巡り合わせの悪さを理由にした、言い訳めいたものであったと思います。 当時としては、不測の事態として捕らえることでしか、己を納得させる事が出来なかったのかもしれません。
様々な出来事は、己の未熟さを教えてくれるものだと、あらためて学ばせてくれたところです。
 
私の飛行機開発に於いて、何処にターニングポイントがあったのかは、思い起こしてみても定かではありません。 しかし、現在の飛行機開発に於ける努力配分は、5年前とは全く反転をしております。 どこかの時点で、野外飛行の厳しさを痛感し、自立安定の世界の方向に眼を向けたのだと思います。
例え話しにすれば、F1マシンを作ろうとしていた男が、そのF1マシンでダートコースを走らせようとしていた愚かさにようやく気づき、それからというもの、ラリー車の開発にのめり込んで行ったというような事かもしれません。
 
次回は、自立安定の効果の度合いの話しです。
 

2005.May.10



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