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2000/6 衆院選挙区 政治資金収支報告書 議員別法案賛否
1996/10 選挙区選出衆院議員個人データ
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1996/10比例区選出議員
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1区:浦和市 蕨市 2区:川口市 鳩ヶ谷市 3区:草加市 越谷市 4区:戸田市 朝霞市 志木市 和光市 新座市
5区:大宮市 与野市 6区:鴻巣市 上尾市 桶川市 北本市 吹上町 伊奈町 7区:川越市 富士見市 上福岡市
8区:所沢市 大井町 三芳町 9区:飯能市 狭山市 入間市 日高市 毛呂山町 越生町 名栗村
10区:東松山市 坂戸市 鶴ヶ島市 小川町 川島町 吉見町 嵐山町 鳩山町 滑川町 玉川村 都幾川村
11区:秩父市 本庄市 深谷市 横瀬町 皆野町 長瀞町 吉田町 小鹿野町 美里町 児玉町 神川町 上里町 江南町 岡部町 川本町 花園町 寄居町 両神村 大滝村 荒川村 東秩父村 神泉村
12区:熊谷市 行田市 加須市 羽生市 妻沼町 騎西町 北川辺町 大利根町 大里村 川里村 南河原村
13区:岩槻市 春日部市 久喜市 蓮田市 白岡町 宮代町 菖蒲町
14区:八潮市 三郷市 吉川市 幸手市 栗橋町 鷺宮町 杉戸町 庄和町 松伏町


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松永光(まつながひかる)

生年月日:1928年11月23日
出身地:長崎県
住所:埼玉県浦和市岸町4丁目2番6号
学歴:  
  • 1949年中大専門学部法科及び1951年早大法学部卒。
  • 縁戚関係:  
  • 故・松永東(弁護士。自民党。1952-60年まで衆院埼玉1区で連続当選。文相)の養子。  
  • 妻1男1女。長男・松永明(1986年通産省入省、通商政策局課長補佐やミャンマー大使館一等書記官など歴任。98/2/27、人事異動で通産省大臣官房秘書課課長補佐から父親の政務担当秘書官に。)
  • 職業/職歴:
  • 1951年 司法試験合格
  • 1954年 福岡地方検察庁検事任官(10ヶ月ほど在職)。
  • 1955年弁護士開業。
  • 歴任役職:
  • 1966年 埼玉弁護士会副会長
  • 日本武道館理事長。全日本剣道連盟会長。中小企業調査会副会長。
  • (1999年現在)日本武道館理事長、全日本剣道道場連盟会長、埼玉県早朝野球連盟会長、埼玉県空手道連盟会長、埼玉県少林寺拳法連盟会長、浦和市ソフトボール連盟会長、浦和市軟式野球連盟会長、2002年ワールドカップ国会議員連盟常任幹事、日本映画海外普及協会会長
  • 当選回数:10
    政党:自民党
    所属議員団体:
  • [派閥]旧渡辺派(1998/7/22現在)→村上・亀井派(1999/3/18結成)。
  • 神道政治連盟国会議員懇談会(2000/5現在)
  • 支持/後援団体:
    政歴:
  • 松永東衆院議員(養父)秘書。
  • 1967/1衆院立候補=落選。
  • 1969年衆院初当選、以後1996/10まで10回連続当選。衆院建設常任委員長。衆院政治改革調査特別委員長。
  • 2000年6月 衆院選落選(自民党公認)
  • 閣僚経験:1984年文相(第二次中曽根内閣)。1989年通産相(海部内閣)。蔵相(98/1/30- 第二次橋本改造内閣)
  • 公約/政策:
    93/7衆院選挙公報  
  • 政治改革の実行(政治腐敗の一掃 --- 政治腐敗防止法の制定、政治家の資産公開を本人だけでなく妻にも適用。政治資金の一層の透明化。--- 政治改革は有権者の側にたった議論が大切。有権者にとって分かりやすい、政治の安定がはかれる制度に。)
  • 96/10衆院選挙公報
  • 思い切った行政改革を断行します。消費税率アップは、抜本的行政改革の道筋を決めてからとします。
  • 政治家や官僚の腐敗を一掃し、公正で、きれいな政治を目指します。
  • 景気回復、教育改革、高齢者福祉、子育て環境の改善など
  • 記 事:
    [当選時の抱負]  
  • 自分は不器用だが、地元のために実績を上げてきた。良識ある浦和、蕨の有権者がそこを評価してくれた。(埼玉96/10/21)
  • [自己評価]
  • 30年前、青年弁護士 松永 光は、亡父 松永 東(文部大臣、衆議院議長)の引退の跡を継いで政界に入ることになった。その際、清廉な政治家と高く評価されていた亡父は、「生活は質素に、人に接するには分け隔てなく、人のために損得を考えずに真心をもって尽くせ」と論したという。これが亡父の遺訓となった。
     松永は、この遺訓を忠実に守ってきた。松永の生活は今でも質素、国会に行くのは電車利用が原則、人の頼みごとは損得を考えずに、誠実をもって対応している。(1999/12/20松永光ホームページより採録)
  • [2000年6月衆院選]
  • 松永光は今月上旬、浦和市内の寺院で、「永年の懸案だった国旗・国家法案が公明党の協力を得て成立した。今後も、協力してくれた政党との関係を深めていきたい」、「立候補は今回限り。最後のご奉公のあとは、通産官僚の息子に譲りたい」と述べた。(朝日1999/8/24)
  • 1区の公明票は2万9千票前後。ただ、公明党、創価学会の松永に対するハードルは高い。理由は前回衆院選の際の「浜田(卓二郎)夫人が創価学会に偽装入信した」との月刊誌上での松永発言と、宗教法人法では厳しい意見を松永が述べたことなど。(埼玉2000/3/6)
  • 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

    [墓地疑惑]
  • 松永光大蔵大臣が、かねて開発経緯が不透明だと指摘されていた浦和聖地霊園に昨年8月、先祖代々の墓を建てていたことが判明した。同霊園の実質的オーナーである浦和学院理事長・高橋康造氏(69)から寄贈されたもので、「墓石だけで1200万円はくだら」ず、永代使用料は800万円という。 記事
  • [選挙制度]  
  • 単純に比例区の定数だけを減らすことは、絶対にしない。少なくとも一票の格差は是正したい。竹下登元首相から借りた本を読むと、戦前の小選挙区制の時代でも、選挙区が最小行政区画を分断しないよう、2人区、3人区の例外はたくさんあったんだ。もう一歩踏み込んで、原則定数3の小型の中選挙区にして、同士討ちを避けるために2人連記制にするという案も、党内にはある。……選挙制度見直しについての朝日新聞のアンケートに答えて(朝日97/2/28)
  • [靖国神社集団参拝]
  • 1999年4月(春期例大祭)−本人出席
  • 1999年8月15日(終戦記念日)−本人出席
  • 2000年4月(春期例大祭)−本人出席
  • [議員世襲]
  • 松永光「立候補は今回(次期衆院選)限り。最後のご奉公のあとは、通産官僚の息子に譲りたい」。(朝日西埼玉1999/8/24)
  • [新聞再販維持]
  • 県新聞販売組合(岩田豊司郎組合長)の浦和地区代表一行は5月16日、松永光代議士を浦和市の代議士事務所に訪ね、新聞の再販制度存廃問題に関し、現状説明と制度維持のための協力要請を行った。
     松永代議士は「新聞は文化の塩。民主主義社会の維持、言論・報道の自由の確保のためにも必要不可欠だ。全国どこでも同一価格で新聞を読めなくするような事態は何としても避けなければならない」と強調し、再販制度維持に前向きに取り組むことを約束した。
     浦和地区代表一行は、田代信次(日経)、馬篭公吉(毎日)、椿年久(読売)、森浩(産経)。(埼玉2000/5/17)
  • 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

    橋本内閣蔵相就任
    [蔵相就任]  
  • 1998年1月30日
     大蔵省金融検査官の汚職事件の監督責任などを問われて辞任した三塚博 前蔵相の後任に決定。候補として梶山静六、森喜朗、亀井静香など派閥ボスの名前も挙がったが、損な役回りを背負わされるのを警戒していずれも後込み、検事経験者という経歴などを買われて急浮上した。当選回数の割りに全国的な知名度は低く、困難な経済情勢の舵取りをしながら大蔵省改革を断行できるか、手腕は未知数。
     首相官邸での記者会見。(大蔵省の不祥事について)「きわめて重大に受けとめている。あやまったことをした人があれば厳正に措置して、国民の信頼を回復することが大事だ」、「不祥事が報道された場合、そのときには、事実はどうなんだということを内部的に調査して、内部的に措置することが大切だ。それを刑事問題になるまで放置しておくと、だんだん習慣的になってしまう恐れがある」。(経済運営について)「財政構造改革は中期的な施策として進めなければならない。しかし、そのときそのときの経済情勢をしっかり見つめて景気対策を採ることは財政構造改革と矛盾しない」。

  • 1998年1月30日
     衆院予算委員会で、新井将敬代議士への日興証券の利益供与問題をめぐって参考人質疑があった。同証券の幹部は「捜査を受けている立場なので答えられない」と繰り返した。すると、委員長席から松永氏の厳しい声が飛んだ。「捜査に関係ない。答えなさい」。この日、委員会が終わって1時間後、松永委員長は蔵相に任命された。

  • 1998年2月2日
     松永蔵相は2日午前、就任の挨拶で大蔵省職員に「全ての責任を取って大物蔵相が辞めるというのは重い結果。後のこまごましたことは大方(の処理)は済んだ、といえばマスコミは怒るかもしれないし、国会でもいわれるかもしれないが…」などと話した。「政官民」の癒着の中心にいたと見られる大蔵省への批判が強まる中、「緊張を欠いた、余りにも内輪向けの発言」との批判も出そうだ。(朝日夕98/2/2)

  • 1998年2月3日
     松永蔵相は参院予算委で、佐藤道夫議員(二院クラブ、元札幌高検検事長)がプロ野球選手の脱税問題と比較して質問したのに対して、「法の下の平等に反している」と、再調査を約束した。

    佐藤議員中島元主計局次長は告発されず、修正申告で済んでいるのに、プロ野球選手は千2、3百万円程度の脱税容疑で遠慮会釈なく告発して、刑罰を科している。処分のバランスが全然とれていないのではないか。
    松永蔵相法の下の平等に反していると思いますし、きわめて不適切な措置であった、こういうように思います。
    佐藤議員心強い答弁でした。なぜ中島氏が告発されなかったのか、再調査を命じていただきたい。
    松永蔵相身内に甘いというようなことは、ご指摘の通りの結果になっておると思います。よく調べさせたいと思います

  • 1998年2月6日
     閣議後の記者会見で、「事務当局に聞いてみたところ、身内だから処分を軽くしたという点は認められなかった。税務当局は適正に処置したと理解している」と、「再調査」発言を撤回

    中島義雄元主計局次長の行状:
     1995年7月に退職後、現役時代に知人からの約6千万円の贈与や1億円を超える低利融資を税務申告していなかったことが発覚。その後の税務調査で約5900万円の申告漏れも指摘され、翌年2月、2400万円を追徴課税された。このとき中島氏は、税務局長を経験しているにもかかわらず「税務知識がなかった」と強弁した。その他、数々の過剰接待が報道されている。
     中島氏の名前が初めてマスコミに報じられたのは、1995年3月。「イ・アイ・イ・グループ」元代表の高橋治則被告から過剰な接待を受けていたことが明らかになった。このとき小村武官房長は当初、武村正義蔵相に、「節度を超える交際はない」と報告していた。ところが、マスコミのスクープで一転、訓告処分に踏み切った。中島氏は97年暮れ、京セラに再就職した。

  • 1998年2月27日
     2月27日、通産省課長補佐である自分の長男(松永明)を蔵相秘書官とする異例の人事が発令された。長男は、いずれは後継者として政界を目指す、とも言われている。(朝日夕98/2/28)

  • 1998年2月28日
     松永蔵相は27日、本人と婦人の土地・建物、預貯金などの資産を公開した。本人所有は@浦和市の自宅の土地・建物8047万円(課税標準額)A預貯金・有価証券(額面)2266万円。合計1億313万円。有価証券は株式で、松東ビル14000株、高砂香料工業1100株、NEC2000株など計5社分で、この他ゴルフ会員権3口、自動車を1台保有、借入金はなかった。恵子夫人名義の資産は、預貯金2427万円、有価証券3085万円と、預貯金・有価証券だけでは松永氏本人を上回っている(朝日98/2/28)

  • 1998年3月10日
     閣議後の記者会見で、9日の衆院予算委員会で取り上げられた長野厖士証券局長と涌井洋治主計局長の接待問題について、「(大蔵省が進めている接待問題に関する)内部調査の対象になっている」と述べた。榊原英資財務官も対象であることを明らかにした。長野局長は金融機関幹部との会食の事実を認め、涌井局長は、脱税などで起訴された石油卸商から絵画を送られていた。涌井氏はこの石油卸商が脱税で告発される段階で返したが、その後、捜査当局が押収した。(朝日夕98/3/10)

  • 1998年3月24日
     松永蔵相は24日閣議後の会見で、郵便貯金や簡易保険資金などを株式市場に投入して株を買い支える「PKO」について、「郵政相との協議に前向きに望みたい」と、基本的に容認する意向を示した。近日中に蔵相と郵政相の諮問機関である資金運用審議会を開き、承認される見通しだ。PKOは、簡易保健福祉事業団を通じ、郵貯・簡保資金を使って1兆円規模の追加運用をすることなどが事務レベルで検討されているが、政府による市場介入には批判が根強い。(朝日夕98/3/24)
  •  自見庄三郎郵政相は3月27日の閣議後の記者会見で、週明けにも株式市場に郵便貯金と簡易保険の自主運用資金約1兆円を投入して株価を買い支える「PKO」を実施する方針を正式に表明した。郵貯・簡保の資金運用を簡易保健福祉事業財団を通じて信託銀行に委託する「単独運用指定金銭信託」(指定単)の方式をとる。投入額は簡保から中小企業金融公庫などへの貸付金の不要額を中心に8300億円程度、また郵貯からは約1400億円になると見られる。(朝日夕98/3/27)

     注目されていた3月31日の東京証券取引所第1部の平均株価は、1万6500円台に留まり、公的資金による株価維持策(PKO)は「下値の買い支え」に終わった。「いくらPKOが目的の資金といっても、信託銀行の運用担当者は成績を問われる。売り手が大勢控えている中で、1人買い上げるのは無理だ」。日興証券のある幹部は、この日のPKOが今ひとつ迫力不足に終わったのは当然、と説明する。
     高橋乗宣・三菱総研研究理事の話「PKOなど金輪際、やるべきではない。政府の相場操縦に他ならず、自由競争による金融証券市場の活性化を狙う日本版ビッグバンに逆行する。民間企業に補助金を出すのと同じだ」。(朝日98/4/1)

  • 1998年4月27日
     大蔵省は27日、民間金融機関からの接待に関する内部調査の結果を公表すると共に、杉井孝銀行局担当審議官を停職、長野厖士証券局長ら17人を減給とするなど計112人に対する処分を行った。杉井、長野両氏は辞表を提出し同日付けで辞職した。両氏に退職金を支払うかどうかについては、結論が出ていない。調査によると杉井審議官は過去5年間に民間金融機関から56回の会食と11回のゴルフ接待を受けた。1992年6月から95年6月まで秘書課長を務め、綱紀保持の通達の徹底を図る立場にあった。長野局長は会食など計127回の接待を受けた。大蔵省は過去5年間に金融部局に在籍した職員1500人を対象に、接待の回数や金額などを調べた。調査は金融部局に限定され、さらに接待が深いとされる主計局の長い職員は事実上、対象外とされた。(朝日98/4/28)
     「(辞職者への)退職金はどうするつもりか?」「それはその…。決めてません。退職する人の気持ちを聞いて判断する」。大蔵省の記者会見室で27日夕、それまで滑らかに答えていた松永光蔵相は急に歯切れが悪くなった。(朝日98/4/28)

  • 1998年5月7日
     「重大な疑惑があるという具体的な指摘がないのに、大事なポストにあるものの身辺をさらに調べ上げるのはいかがか」。大蔵官僚の金融機関からの過剰接待問題に関する7日の参院予算委員会集中審議で、松永蔵相が涌井洋治主計局長をこう評した。涌井氏は脱税事件で起訴された泉井純一被告から絵画を送られた問題で厳重注意を受けたものの、省内ではなお次期次官候補と目されている。(朝日98/5/8)

  • 1998年5月26日
     松永光蔵相は5月26日の会見で、金融機関からの過剰接待問題で辞職した大蔵省の長野厖士・前証券局長と杉井孝・元銀行局審議官から、退職金をそれぞれ3割、2割返上するとの申し出を受け、了承したことを明らかにした。大蔵幹部の不祥事では、東京都内の2信組からの接待問題などで辞職した中島義雄・元主計局次長が退職金を全額返上した例がある。
     蔵相は「法律上は全額支払う規定だが大蔵省を取り巻く環境は厳しく、本人の気持ちで考えてくれればありがたいと思った。大蔵省関係者がまったく助言しなかったとは言い切れない」と述べ、同省として返上を促したことを事実上認めた。処分が重かった杉井氏の返上割合が低い理由について蔵相は、杉井氏が病気の家族や家のローンを抱えていることを挙げ、減額幅をめぐり本人と大蔵省の間で事前調整したことを示唆した。(埼玉98/5/27)

  • 1998年6月6日
     松永蔵相が6日、自身が会長を務める浦和市軟式野球連盟主催の県選抜ヤクルト杯少年野球大会の開会式(戸田市営球場)に出席した。公務多忙の中、松永首相が出席したこと自体、参加チームの父母を驚かせていたが、もっと驚かせたのが物々しい警備体制。蔵相の前後にはSPが影のように張り付き、球場を囲むように私服警官が要所を占めていた。(埼玉98/6/6)

  • 1998年7月12日 参院選
     「橋本首相の恒久減税をめぐる発言が節目だったな」。12日深夜、浦和市の自民党県連事務所。新顔で元県議会議長の栗原稔氏と3選を目指した関根則之氏の2人の落選が濃厚になると、松永会長が居合わせた県議らに向かって説明した。7月中旬に橋本首相がいったんは恒久減税を公約しながら、その後、発言が二転三転したことで自民党が信頼を失ったと松永会長は強調した。(朝日西埼玉98/7/14)

  • 1998年7月21日
     自民党埼玉県連(松永光会長)は21日までに、浦和市内の県連事務所で役員会を開き、松永会長ら県連幹部が参院選での惨敗の責任を取って辞任することを確認した。新体制については来月8日に党大会に代わる議員総会を開催し、その場で選定される予定。役員会終了後の記者会見で松永会長は「情勢分析の甘さがあった。反自民の空気が台風となっての敗戦だった。来春の統一地方選挙、次期衆院選挙に備えて組織の再点検と活性化、拡充に取り組んでいかないといけない」などと述べ、会長職を辞任することを正式に表明した。(埼玉98/7/22)

  • 1998年7月23日[自民党総裁選]
     県連会長を辞任した松永光代議士(現橋本内閣蔵相)は梶山氏支持だ。小渕、小泉両氏には「財政構造改革法を制定した閣僚で、橋本首相と共同責任を取るべきだ」と手厳しい。若手とベテランが対立する旧渡辺派に属するが、「組閣は派閥の論理ではいかん。私は無派閥になろうと思っている」とも話している。(朝日西埼玉98/7/23)

  • 1998年7月28日[橋本内閣閣僚通信簿]
     説明事項を確実に消化する能力に官僚の評価は高い。国会の合間を縫い、ときには高熱を出しながら海外出張をこなした。「日本の税制をルービン財務長官に詳しく説明したら米国も口を出さなくなった」が本人の自慢だ。
     ただ、不良債権処理など重要問題をめぐっては「党の方針は」「総理のお考えは」を繰り返すばかりで、存在感が薄かった。検察OBとして期待された不祥事の後始末でも主導権を取った跡は見えず、結果的に組織防衛に手を貸しただけの感はぬぐえない。(朝日98/7/28『橋本内閣「3学期」の閣僚通信簿』村上太輝夫)

  • 1998年7月30日[内閣総辞職]
     参院選での自民党惨敗にともない7月30日午前、橋本内閣総辞職。小渕後継内閣の最重要ポストとされる大蔵大臣に松永氏の再任を求める声は皆無だった。

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  • 選挙区:埼玉2区 索引へ

    石田勝之(いしだかつゆき)

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    選挙区:埼玉3区 索引へ

    今井宏(いまいひろし)

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    選挙区:埼玉4区 索引へ

    上田清司(うえだきよし)

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    福永信彦(ふくながのぶひこ)

    生年月日:1944年2月22日
    出身地:埼玉県大宮市
    住所:埼玉県大宮市吉敷町3丁目124番地
    学歴:1962年県立大宮高卒。1966年中大法学部政治学科卒。
    縁戚関係:  
  • 故・福永健司(49/1-72/12まで衆院埼玉1区で連続当選)の息子。約20年間、父の秘書を務める。
  • 職業/職歴:84年 埼玉医大理事。
    関連会社等報告:
  • [1997年]三輪精機顧問(与野市)
  • [1999年]同上
  • [2000年]同上
  • 歴任役職:84年 埼玉県生態系保護協会顧問。91年 県野球連盟会長
  • 当選回数:
    政党:自民党
    所属議員団体:派閥=宮沢派(1998/7/22現在)。
    支持/後援団体:
    政歴:
  • 1974年厚生大臣秘書官。77年運輸大臣秘書官。83年衆院議長秘書。
  • 1990年 衆院初当選(自民党公認)
  • 2000年6月 衆院選落選(自民党公認)
  • 2001年4月9日、政界引退を表明
  • 公約/政策:
    93/7衆院選挙公報  
  • 抜本的政治改革の推進。選挙制度改革-即政治改革という短絡的思考だけでは真の政治改革はできません。政治倫理の確立、政治資金規正の強化、国の許認可事項を大幅に削減する地方分権等を含めた抜本的政治改革の早期実現に懸命の努力をします。
  • 96/10衆院選挙公報  
  • 行財政改革の推進。  
  • 経済の安定成長と減税。  
  • 安心して老後が送れる社会の実現。  
  • 環境保全の推進と教育改革。  
  • 住みよい大宮・与野の建設。
  • 記 事:
    [当選時の抱負]  
  • 新しい日本には自民党しかない。大宮・与野の発展のために全力を挙げる。(埼玉1996/10/21)
  • [2000年6月衆院選]
  • 福永は自自公政権に批判的な加藤紘一派にいるため、公明票の行方に気を揉む。前回、公明の全面支援を受け旧新進党から出馬した金子善次郎が民主入りし、党本部の決定を受け比例に回ったことから、公明票が枝野陣営に流れる可能性もある。(埼玉2000/3/8)
  • [政界引退]
  • 昨年6月の衆院埼玉5区で枝野幸男議員に敗れて落選した福永信彦元衆院議員が4月9日、政界引退を発表した。昨年6月の落選で引退の意思をほぼ固めていたが、自民党宏池会(現加藤派)による後継候補者の決定を待っていたという。公募により宏池会の候補者に決まったのは、大宮市内の市立病院副院長で整形外科医の日下部伸三氏(43)。
  • [政治家の株取引]  
  • 新井将敬代議士の自殺をきっかけに問題になっている政治家の株取引についての意見「いらざる誤解が生じないように、在職中は取引禁止」。(朝日西埼玉98/3/19)
  • [靖国神社集団参拝]
  • 1999年8月15日(終戦記念日)−代理出席


  • 選挙区:埼玉6区 索引へ

    若松謙維(わかまつかねしげ)

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    選挙区:埼玉7区 索引へ

    中野清(なかのきよし)

    データ移行済



    選挙区:埼玉8区 索引へ

    並木正芳(なみきまさよし) データ移行済み

    データ移行済



    選挙区:埼玉9区 索引へ

    大野松茂(おおのまつしげ)

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    選挙区:埼玉10区 索引へ

    山口泰明(やまぐちたいめい)

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    選挙区:埼玉11区 索引へ

    加藤卓二(かとうたくじ)

    生年月日:1926年9月19日
    出身地:小鹿野町
    住所:埼玉県秩父市本町3番1号
    学歴:1951年明大専門部法科卒
    縁戚関係:
    職業/職歴:
  • 1955年 常盤屋商店設立
  • 1963年 常盤観光設立
  • 1967年 トキワ設立
  • 1969年 常盤本社設立
  • 1983年 レジャートキワ設立
  • 1982年加藤近代美術館開設、館主。トキワグループ会長(業種:不動産、流通、観光など)
  • 関連会社等報告:
  • [1997年]なし
  • [1999年]常盤本社顧問(東京都豊島区)
  • [2000年]なし
  • 歴任役職:
  • 当選回数:
    政党:自民
    所属議員団体:派閥=三塚派(1998/7/22現在)。
    支持/後援団体:
    政歴:
  • 1983年 荒船清十郎代議士の後継者として衆院初当選(埼玉3区、自民党)
  • 衆院法務委員長。党総務。
  • 2000年6月 衆院選落選(埼玉11区、自民党公認)
  • 公約/政策:
    93/7衆院選挙公報
  • 国民に分かりやすい政治・行政改革の断行。
  • 大型景気対策による日本経済の再建。
  • 国際社会に期待される日本型・国際貢献の実行。
  • 地球環境の保護と自然の保全。
  • 高齢者、生活者主体の日本型福祉・教育社会の充実。
  • 事 件:
  • 1994年3月:政治資金――4千万円の環流寄付
  • 2001年1月:公選法違反(買収)で連座制適用――立候補禁止。
  • 2001年11月:親族企業が融資を受けた県中小企業高度化資金、約23億円を滞納。
  • 記 事:
    [著書]
  • 『地に足がついた、わがリゾート論』(講談社)
  • 『地に足がついた、わが体験的経済論』(講談社)
  • 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

    [2000年7月 死去]
  • 元自民党衆院議員の加藤卓二氏(77)が7月22日、敗血症のため東京都内の病院で死去した。
  • [2000年6月衆院選]
  • 「日ごろから私ほど豆に有権者と接している政治家はいないはず。6選を目指す加藤卓二(72)は自信を見せる。週末には決まって選挙区に戻り、地元の行事や冠婚葬祭への出席、支持者周りに精を出す。後援会主催のバス旅行には、5千人からの支持者が参加、動員力を見せつける。(朝日1999/9/2)
  • [新生党批判]
  • 今回の自民党の分裂騒動は、政界に混乱を起こし、国民の皆様に大変ご迷惑をかける結果になり、深くお詫び申し上げます。しかし、幸いにも、自民党内で利権をむさぼり、権力の横暴をほしいままにした金丸信前副総裁グループが離党して新生党を結成したおかげで、自民党の腐敗した患部の大部分が除去されました。これを好機として、国民の皆様のご批判とご叱正を肝に銘じ、自民党の再生と本当の政治改革に精進し、国民の信頼を回復する決意です。金権腐敗政治の元凶・金丸信グループ新生党が、自らの恥部を隠すために掲げた偽りの「改革」論は、国民の批判が収まれば「紙のパンツ」のように使い捨てされるでしよう。(93/7衆院選挙公報)
  • [メッセージ]
  • 日本は21世紀を指呼の間に迎え、より高度な資本社会、より自由な競争社会、より充実した福祉社会を目指しています。しかし、私はこれらの目標が万能だとは思いません。なぜなら、自由社会も福祉社会も、度を超すと住みにくくなり、弱者や地方や民主主義などが犠牲になる恐れがあるからです。そこで、行政改革の推進とともに強まる自由社会・競争社会・福祉社会も度を超さず、バランスのとれた均衡社会となるよう、弱者と地方と民主主義の視点を堅持していかなければならないと考えています。(自民党ホームページより1998年3月採録)
  • [活動報告]
  • 自由民主党の安定した政権の下に、本格的な「行政改革」がいよいよスタートしました。行革は古くて新しいテーマですが、今回こそは、小手先の手直しだけでお茶を濁すことは許されないでしょう。もちろん、私は、行革だけでなく、これに経済構造、金融システム、財政構造、社会保証の各改革を加えた「5つの改革」を強力に推進しなくてはならないとの姿勢でおります。なお、これらを進めるにあたっては、これらと表裏一体の関係にある
    1. 規制緩和
    2. 情報公開
    3. 特殊法人の整理・統合
    4. 地方分権
    5. 行政機構の簡素化
    6. 公務員人事定員の抑制
    なども並行して推進させ、これまでの「官主導に終止符」を目指し、行革を完結させるべく活動をしていきたい。(自民党ホームページより1998年3月採録)

    [株主代表訴訟]
  • 自民党の加藤卓二副幹事長は7日、経団連の豊田正一郎会長ら幹部と懇談し、現在の株主代表訴訟に関して、「会社の出来事で家族にまで責任がおよぶのはおかしい。中小企業での訴訟のケースも多く、今の制度は問題だ」と述べ、制度を見直すべきだとの考えを明らかにした。(読売97/5/8)
  • [政治家の株取引]
  • 新井将敬代議士の自殺をきっかけに問題になっている政治家の株取引についての意見「国民の意見が大きければ、取引を禁止しても良い」。(朝日西埼玉98/3/19)
  • [政治スタイル]
  • 「日ごろから私ほどまめに有権者と接している政治家は、いないはず。選挙向けの特別の活動なんていらないよ」。6選を目指す加藤卓二(72)=自民=は、自信を見せる。週末には決まって選挙区に戻り、地元の行事や冠婚葬祭への出席、支持者まわりに精を出す。後援会主催のバス旅行には、5千人からの支持者が参加、動員力を見せつける。(朝日西埼玉1999/9/2)


  • 選挙区:埼玉12区 索引へ

    増田敏男(ますだとしお)

    データ移行済



    選挙区:埼玉13区 索引へ

    土屋品子(つちやしなこ)

    データ移行済



    選挙区:埼玉14区 索引へ

    三ッ林弥太郎(みつばやしやたろう) =2003年8月18日死去

    生年月日:1918年11月22日
    出身地:埼玉県幸手市
    住所:埼玉県幸手市大字千塚490番地
    学歴:埼玉青年師範(現・埼玉大教育学部)卒
    縁戚関係:  
  • [故]三ッ林幸三(幸手市長。衆院議員1期−1946/4埼玉全県区から自民党公認で初当選、以後2回落選)の長男。
  • 職業/職歴:  
  • 農業。団体役員。埼玉県指導農協連経営課長。  
  • 県土地改良事業団体連合会長。
  • 関連会社等報告:
  • [1997年]埼玉県土地改良事業団体連合会会長(浦和市)。葛西用水路地土地改良区理事長(春日部市)。庄内古川悪水路土地土地改良区理事長(杉戸町)。埼玉県農業会議議員(浦和市)。埼玉県農業共済組合連合会理事(大宮市)
  • [1999年]同上
  • [2000年]同上
  • 歴任役職:
  • 利根川治水同盟会長。埼玉県治水協会長。利根中央事業促進協議会長。1979年埼玉バレーボール協会長。
  • 当選回数:10
    政党:自民
    所属議員団体:派閥=清和政策研究会(福田派→阿倍派→三塚派→森派)
    支持/後援団体:
    政歴:
  • 埼玉県議4期。1984年埼玉県会議長。
  • 1967年衆院初当選(埼玉4区、自民党)。
  • 1976年衆院選落選。
  • 1972年自治政務次官。1973年郵政政務次官。1975年衆院文教委員長。1981年自民党副幹事長。1984年衆院運輸委員長。1990年衆院災害対策特別委員会委員長。
  • [閣僚経験]:1986年科学技術庁長官(第3次中曽根内閣)。
  • 公約/政策:
    93/7衆院選挙公報  
  • 都市基盤の確立と住み良い環境づくり。  
  • 税制の見直し(私は税制調査会副会長として、不公平税制と減税に取り組んで参りました。今後は相続税を始め、土地税制、固定資産税の抜本的見直しを痛感しています)。  
  • 教育は国の基本です(心豊かな教育実施。スポーツの振興)。心で結ぶ福祉の充実。  
  • 商業および中小企業の振興。農業の活性化。  
  • 環境対策(環境基本法の制定に努力いたします)。
  • 96/10衆院選挙公報  
  • 教育・福祉・産業振興。  
  • 農業の活性化。  
  • 環境対策。
  • 記 事:
    [議員活動]  
  • 国対畑が長く、もっぱら舞台裏での野党との根回しに従事。
  • [政治家の株取引]
  • 新井将敬代議士の自殺をきっかけに問題になっている政治家の株取引についての意見「現行の規制で十分で、違法行為は政治家の良識の問題」。(朝日西埼玉98/3/19)
  • [政治資金源]
  • 農業系政治資金団体は、自民党族議員の集金マシーンでもある。平成8年、埼玉県土地改良事業者団体連合会長を務める三ッ林弥太郎衆院議員は、埼玉県土地改良区連合会とそこにある土地改良区2カ所から合計849万円の報酬を受け取っている。これは正当な報酬であると言うかもしれない。しかし、その報酬は元をただせば、農業関係の補助金なのだ。
     (『文芸春秋』99/8月号。石井紘基;私が見た「族議員」利権システム)
  • 土地改良区

     戦後史と共に始まり、農村を自民党の票田に変えてしまった曰く付きの事業。土地改良区を作れば、農業に必要な農地の整備と水の手当は、公共事業として農水省と都道府県が金を出す仕組み。営農地区に15人以上の農業従事者がいれば、誰でも申請するだけで簡単に補助金を受けられる。昭和30年代の最も多い時期で1万3千、平成10年現在でも7千3百ある。
     土地改良区が補助金を申請し、農水省と都道府県から補助金を受ける。土地改良区の申請を受け付けた市町村は、その仕事を「都道府県土地改良区連合会」(通称、土地連または土改連)に独占的に業務委託する。土地連は土地改良区を会員とする上部団体で、主な仕事は土地改良区のコンサルタント。土地連が請け負った事業は、土木建設業者に丸投げ発注される。ただし、その90%以上は「土地改良建設協会」加盟業者が受注している。これは一種の談合の構図で、業者は請負額の約1%を何らかの形で土地連などに上納する。

    [靖国神社集団参拝]
  • 1999年8月15日−本人出席
  • [引退]
  • 三ッ林弥太郎代議士は11月初旬、引退の意向を固め、すでに複数の自民党県連関係者に伝えている。三ッ林氏は、足がやや不自由なうえ、高齢であることも加わり、次期総選挙に向けた去就が注目されてい。
     党本部選対によると、同氏が所属する森派側から引退を打診され、後継者として次男の隆志氏を中心に後援会との調整が進んでいる。後援会としては、組織が比較的安定しているうちに、バトンタッチを決断した方が得策、との判断もあると見られる。(朝日西埼玉1999/12/23)
  • 引退を表明した三ッ林弥太郎代議士(81)の後継を次男で医師の隆志氏(46)とすることが6日、春日部市内で開かれた自民党14区支部役員総会で了承され、決定した。一方、支部役員で14区から立候補の意向を示している福野幸央県議(57)は総会を欠席した。
     後継の承認を受けた隆志氏は「政治の経験はなくとも、その任にあってどう積み重ねていくかが大事。父は農政一筋だったが、私は医療・福祉に力を入れたい」と語った。(朝日西埼玉2000/2/11)
  • [引退後]
  • 引退した三ッ林弥太郎氏は県土地改良事業団体連合会の会長など5団体の役員や議員を務めている。歳費以外の給与所得額は約9百40万円。埼玉14区の地盤は次男の隆志氏に譲った弥太郎氏は「当選前から農地の改良や保全にたずさわってきた。隆志は分野が違う。代議士は辞めても、こちらはまだ現役だ」と意気盛んだ(朝日西埼玉2000/7/4)。
  • [死去]
  • 前衆院議員の三ッ林弥太郎氏は2003年8月18日、心不全のため済生会栗橋病院で死去した。
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    Last Modified : August 6, 2004