元議員
| 選挙日 |
氏 名 |
ふりがな |
性別 |
生年月日 |
当選 回数 |
得票数 |
政 党 |
出身地 |
住 所 |
2001年 7月29日 (定数3名) |
佐藤泰三 |
さとう たいぞう |
男 |
1924/4/15 |
3 |
704,496 |
自民党 |
千葉県 |
埼玉県川口市並木1丁目10番18号 |
| 高野博師 |
たかの ひろし |
男 |
1947/3/1 |
2 |
562,370 |
新進党(97/12解党)→黎明クラブ→公明(98/1-)→公明党(98/11結党) |
茨城県 |
埼玉県志木市館1丁目6番13-601号 |
| 山根隆治 |
やまねりゅうじ |
男 |
1948/3/8 |
1 |
419,181 |
民主党 |
東京都豊島区 |
埼玉県川越市大字古市場460番地6 |
2004年
7月11日
(定数3名) |
嶋田智哉子 |
しまだちやこ |
女 |
1962/9/27 |
1 |
824,127 |
民主党 |
福岡県 |
埼玉県川越市宮元町 |
| 関口昌一 |
せきぐちまさかず |
男 |
1953/6/4 |
2 |
718,689 |
自民党 |
埼玉県
皆野町 |
埼玉県秩父郡皆野町大字皆野2,370番地の1 |
| 西田実仁 |
にしだまこと |
男 |
1962/8/27 |
1 |
539,417 |
公明党 |
東京都
田無市 |
埼玉県所沢市本郷 |
| 以下、任期満了改選済み |
1998年 7月12日 (定数3名) |
浜田卓二郎 =辞職 |
はまだたくじろう |
男 |
1941/10/05 |
1 |
637,041 |
自民党→新生党→新進党(97/12解党)→無所属→改革クラブ→無所属 |
鹿児島県 |
埼玉県浦和市根岸3丁目28番7号 |
| 富樫練三 |
とがしれんぞう |
男 |
1943/1/15 |
1 |
561,528 |
共産党 |
秋田県 |
埼玉県浦和市太田窪5丁目26番10号 |
| 藤井俊男 |
ふじいとしお |
男 |
1942/9/28 |
1 |
535,660 |
社会党→社民党→民主党 |
越谷市 |
埼玉県越谷市大字袋山1,708番地 |
| 関口昌一 |
せきぐちまさかず |
男 |
1953/6/4 |
1 |
補選 |
自民党 |
皆野町 |
埼玉県秩父郡皆野町大字皆野2,370番地の1 |
1995年 7月23日 (定数3名) |
高野博師 |
たかの ひろし |
男 |
1947/3/1 |
1 |
715,527 |
新進党(97/12解党)→黎明クラブ→公明(98/1-)→公明党(98/11結党) |
茨城県 |
埼玉県志木市館1丁目6番13-601号 |
| 佐藤泰三 |
さとう たいぞう |
男 |
1924/4/15 |
2 |
401,053 |
自民党 |
千葉県 |
埼玉県川口市並木1丁目10番18号 |
| 阿部幸代 |
あべ さちよ |
女 |
1948/7/28 |
1 |
302,184 |
共産党 |
栃木県 |
埼玉県越谷市大泊990番地7 |
*1992年 7月26日 (定数2名) |
関根則之 |
せきね のりゆき |
男 |
1930/1/13 |
2 |
496,162 |
自民党 |
吉見町 |
埼玉県志木市柏町2丁目25番7号 |
| 瀬谷英行 |
せや ひでゆき |
男 |
1919/2/28 |
6 |
420,722 |
社民党 |
東京都 |
埼玉県熊谷市本石2丁目124番地 |
| 佐藤泰三 |
さとう たいぞう |
男 |
1924/4/15 |
1 |
369,523 |
自民党 |
千葉県 |
埼玉県川口市並木1丁目10番18号 |
[注] *土屋義彦参議院議員の知事選出馬に伴う補欠選挙も同時に行われた。第3位当選者の佐藤議員は補選当選で任期約3年だった。
|
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[記載事項の説明]
- 「住所」 は、原則として前回立候補当時。
- 「歴任役職」 は、政党や職業上の役職を除く役職。
▽前回選挙:2004年7月11日 埼玉地方区
嶋田智哉子(しまだちやこ) 索引へ
- ▽生年月日:1962年9月27日
- ▽出身地:福岡県大牟田市生れ
- ▽住所:川越市宮元町
- ▽学歴:
- 1983年 佐賀女子短期大学卒業
- 1994年 明海大学歯学部卒業(坂戸市)
- ▽縁戚関係:夫、息子2(04/6現在)
- ▽職業/職歴:
- 1983年 NHK福岡放送局ニュース番組担当(アシスタント)、企業のイメージガールなど
- 1994年 歯科医師免許取得
- 1996年 川越に嶋田歯科開設。夫(歯科大教授)と共に経営。
- ▽歴任役職:
- ▽当選回数:1
- ▽政党会派:民主党
- ▽所属議員団体:
- ▽支持/後援団体:
- ▽政歴:
- 2003年10月 参院埼玉補選出馬(民主党公認)=次点落選
- 2004年7月 参院埼玉選挙区立候補(民主党公認)=初当選
- ▽公約/政策:
- ※[2003年10月参院補選選挙公報]
- プロの医療人として現場に即した医療制度改革を実現
- 待機児童がなくなるよう育児私設増設で子育て支援
- 経済政策の大胆な転換で新たな雇用の創出と安定確保...等
- ▽記 事:
- ※[2003年10月 参院埼玉補選]
- 「自分たちの家庭の幸せだけを考えていたのではいけない」と民主党の衆院候補者公募に応募。2002年に合格したが、民主・自由合併による調整で浜田卓二郎議員の知事選出馬に伴う参院補選に鞍替え出馬。得票数635,332票で自民党の関口昌一候補(648,319票)に小差で破れ、落選。
- ※[年金未納問題]
- 7月の参院埼玉選挙区から民主党公認で立候補する予定の嶋田智哉子(41)が20歳から保険料を支払うべき21年1ヶ月のうち、納付したのは32ヶ月だけで18年5ヶ月未納だったと自身のHPで公表した。昨秋の参院補選の時期に未納であることに気づき、2年分を追納し、以降払っているという。島田氏は9日、朝日新聞の取材に「未納はない」と答えていた。民主党県連選対委員長の武正公一衆院議員は「まずは支持者にお詫びすること。参院選への影響は今の時点では何も言えない」と話した。(埼玉、朝日西埼玉2004/5/27)
- 上田清司知事からも年金未納の責任を問われ、収入の2割を3カ月間、国連児童基金(ユニセフ)に寄付することでけじめをつけた。(毎日埼玉2004/6/26)
- ※[]
▽前回選挙:2004年7月11日 埼玉地方区
西田実仁(にしだまこと) 索引へ
- ▽生年月日:1962年8月27日生れ
- ▽出身地:東京都田無市(現・西東京市)生れ
- ▽住所:所沢市本郷
- ▽学歴:慶應義塾高校、慶大経済卒
- ▽縁戚関係:
- 町工場(プラスチック成型加工業)経営の両親の下で育つ。
- 妻、長男、長女、父、母の6人家族(2004/6現在)
- ▽職業/職歴:
- 1986年4月 東洋経済新報社入社。金融や中小企業を専門に記事を書き、2004年4月『週刊東洋経済』副編集長で退社。
- ▽歴任役職:
- ▽当選回数:1
- ▽政党会派:公明党
- ▽所属議員団体:
- ▽支持/後援団体:
- ▽政歴:
- 2004年6月現在、公明党埼玉県本部経済会議議長、幹事長代理、中小企業活性化対策本部事務局次長を兼任。
- 2004年7月 参院埼玉選挙区立候補(公明党公認)=初当選
- ▽公約/政策:
- ※[04/7 参院選候補者アンケート]
- 多国籍軍への参加を含めた自衛隊のイラク派遣の是非は?
回答=「賛成」。多国籍軍への参加について、公明党が示した、@日本の指揮での活動、A活動は非戦闘地域に限定、B活動内容はイラク特措法の範囲、C武力行使と一体化しないことなどが担保されることが明確となっており賛成である。(朝日西埼玉2004/7/7)
- ▽記 事:
- ※[]
▽前回選挙:2004年7月11日 埼玉地方区
関口昌一(せきぐちまさかず) 一覧表へ
▽生年月日:1953年6月4日
▽出身地:皆野町
▽住所:埼玉県秩父郡皆野町大字皆野2,370番地の1
▽学歴:城西歯科大(現・明海大学歯学部)卒。
▽縁戚関係:
- 父:関口恵造(故人。参院議員2期12年。県歯科医師会長)
- 母、妻1男1女(1999/7現在)。
▽職業/職歴:
▽関連会社等報告書:なし。
▽歴任役職:
▽当選回数:3(埼玉県議3期)
▽政党:自民党
▽所属議員団体:【派閥】津島派(2007/5現在)
▽支持/後援団体:
▽政歴:
- 1995年4月 県議初当選(自民党公認)
- 2003年4月 県議3期目無投票当選(自民党公認)
- 2003年10月 参院埼玉補選出馬(自民党公認)=参院初当選
- 2004年7月 参院埼玉選挙区(自民党公認)2期目当選。
▽公約/政策:
※
▽記 事:
※[2004年夏 参院選出馬表明]
- 関口昌一県議が来年夏の参院選に埼玉選挙区から出馬することを表明した。(朝日西埼玉2003/7/5)
⇒浜田卓二郎議員の辞職に伴い2003年10月26日に行われる参院補選に鞍替え出馬。
▽前回選挙:2001年7月29日埼玉地方区
佐藤泰三(さとうたいぞう) 一覧表へ
▽生年月日:1924年4月15日
▽出身地:千葉県夷隅郡上野村(現・勝浦市)生まれ
▽住所:埼玉県川口市並木1丁目10番18号
▽学歴:1948年岩手医専(現・岩手医科大学)卒
▽縁戚関係:
- 現在の千葉県勝浦市、当時の千葉県夷隅郡上野村に生まれ、父親は市議、村長。総理府総務長官をつとめた千葉県出身の森清代議士とは遠い縁戚 。同村出身の元参議院議長の長田裕二議員も縁戚で、縁者には政治にかかわった人が多い。(2001/1/31、ホームページより採録)
- 妻:孝子、三男一女、孫が六人(2001/1現在)。大学教授に嫁いだ長女を除いて男子は全部医者。
▽職業/職歴:
- 医師(医学博士)
- 岩手医科大卒業後、1949年7月川口市民センター(現・川口医療センター)産婦人科勤務
- 1957年11月より佐藤産婦人科病院長
- 1987年5月 特別養護老人ホームさざんかの郷理事長
▽関連会社等報告書:
- [1997年]泰仁会理事長(川口市)、埼玉県医師会副会長(浦和市)、岩手医科大学理事(盛岡市)、県済生会理事(川口市)
- [1999年]泰仁会理事長(川口市)、埼玉県医師会顧問(浦和市)、岩手医科大学理事(盛岡市)
- [2000-01年]泰仁会理事長(川口市)、岩手医科大学理事(盛岡市)
▽歴任役職:
- 1976年4月より川口医師会長。1986年より埼玉県医師会副会長。特別養護老人ホーム「さざんかの郷」理事長。日本医師会代議員。
▽当選回数:3
▽政党:自民党
▽所属議員団体:
- [派閥]橋本派→津島派()2007/5現在)
- 神道政治連盟国会議員懇談会(2000/5現在)
▽支持/後援団体:
▽政歴:
- 1971年4月 川口市議初当選1期
- 1975年4月 埼玉県議初当選5期。1990年6月 埼玉県議会議長。
- 1992年7月 参院埼玉選挙区補選初当選
- 2001年7月 埼玉選挙区3期目当選(自民党公認)
▽公約/政策:
※[1992年7月 参院選挙公報]
- 私は埼玉県議会議員5期17年の実績を活かし、県政と国政のパイプ役として、清心・明朗な土屋知事と二人三脚で、二十一世紀をめざす新しい国づくり、埼玉づくりにまい進する決意であります。
- 私の政治目標:下水道・道路・住宅などの整備。生きがいのある高齢社会。サラリーマンの通勤混雑の緩和。女性のための雇用と保育の充実。心身ともに健康な子供たちの育成。福祉の向上、医療の充実。
※[1995年7月 参院選挙公報]
- 豊かな埼玉。住みよい埼玉。高齢者にあたたかみのある埼玉。安心して子育てのできる埼玉。
▽記 事:
※[プロフィル]
- 千葉県夷隅郡上野村(現・勝浦市)生まれ。上野村は無医村で村長の父親が大変苦労していたので、医者になって村で病院を開いてほしい、という母親の希望により医師を志望。岩手県盛岡市にある岩手医学専門学校、通称「岩手医専」、現在の岩手医科大学に入学。
卒業後、現在の「川口医療センター」、当時の「川口市民病院」の産婦人科に就職、その後、川口で佐藤産婦人科病院を開業。
川口医師会の役員をしていた時、労使問題と経営難に悩んでいた川口医師会病院の問題で、当時の大野元美川口市長から市議会議員になって議会に運動したらどうかと勧められ、川口市議選に出馬(当選)したのが政治家になったきっかけ。4年後に埼玉県議会議員になり、県の医療行政とも深い関わりを持ち、埼玉県立がんセンターの設立と運営に関与。
県議を5期17年つとめ、1990年には県議会議長。平成4年に土屋義彦元参議院議長が埼玉県知事になり、その後継者として参議院議員に出馬し当選。(2001/1/31、ホームページより採録)
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※[2001年参院選出馬]
- 来年夏に行われる参院洗脳補者擁立問題を協議していた自民党県議団(堀口新平団長)は、10月12日の団会議で現職の佐藤泰三(76)を公認候補とすることを了承、13日の自民党県連役員会で党本部への申請を決めた。県連は当初から佐藤氏を軸に調整してきたが、高齢であることなどを理由に難色を示す声が強く難航した。公認申請決定後、長沼正吉、多島敏包両県議が「決定に責任を負いきれない」として正副党紀委員長の辞表を提出した。(2000/10/14)
※[小泉人気便乗]
- 共同通信社の参院選候補者アンケートで、派閥を「離脱する」と回答。(埼玉2001/7/4)
- 前衆院議員の松永光は6月初旬の自民党県連の会合で、参院選党公認の佐藤泰三に「マスコミが党内の抵抗勢力を色分けするかもしれん。抵抗勢力ではないことをはっきりさせた方がいい」と派閥離脱を強くすすめた。(朝日西埼玉2001/7/7)
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※[政治家の株取引]
- 新井将敬代議士の自殺をきっかけに問題になっている政治家の株取引についての意見「自民党の決定に従う」。(朝日西埼玉98/3/19)
※[靖国神社集団参拝]
- 1999年4月(春期例大祭)−本人出席
- 1999年8月(終戦記念日)−代理出席
- 2000年4月(春期例大祭)−本人出席
- 2002年8月15日(終戦記念日)−本人出席
※[小泉首相の終戦記念日靖国参拝]
- 佐藤「正々堂々と参拝していただきたい」(埼玉2001/8/12)
▽前回選挙:2001年7月29日埼玉地方区 一覧表へ
高野博師(たかのひろし)
- ▽生年月日:1947年3月1日
- ▽出身地:茨城県久慈郡大子町生まれ
- ▽住所:埼玉県志木市館1丁目6番13-601
- ▽学歴:
- 1960年3月 町立大子小学校、63年3月 町立大子中学校卒業
- 1966年3月 茨城県立水戸第一高等学校卒
- 1972年3月 東京外語大外国学部中国語科卒
- ▽縁戚関係:
- ▽職業/職歴:
- 1972外務省入省、外務省職員として22年間外交官を務める。ニューヨーク総領事館、アルゼンチン、メキシコの日本大使館勤務を経て、在コロンビア大使館参事官等を歴任。
- 1994年8月 外務省退官。
- ▽歴任役職:
▽当選回数:2
▽政党:
- 新進党(97/12/31解党)→黎明クラブ(仮結成)→公明(98/1-)→公明党(98/11/7結党)
▽所属議員団体:
▽支持/後援団体:
▽政歴:
- 公明党埼玉県本部役員。新進党埼玉県連常任幹事。
- 1995年7月 参院埼玉選挙区初当選(新進党公認)
- 2001年7月 埼玉選挙区2期目当選(公明党公認)
- 2007年7月 参院選埼玉選挙区単独出馬(公明党公認)=落選
- 2008年1月26日、政界引退を表明。
▽公約/政策:
※95/7参院選挙公報
- 景気を回復し、中小企業と雇用を守ります。政権交代を実現し安全、安心の日本を実現。豊かさを実感できる「生活先進国」をめざす。地方主権で住み良い「彩の国」埼玉をめざす。世界に貢献できる、人間主義の外交を推進。だれもが安心して暮らせる、福祉社会を実現。子供たちの個性を生かす人間教育をめざす。
▽記 事:
※[著書]
※[2008/1/26、政界引退表明]
- 昨年7月の参院選で埼玉選挙区から出馬し、次点で落選した公明党の野博師代表(60)は1月26日、今月いっぱいで政界を引退することを明らかにした。県本部代表を辞任して、2月初めにマサチューセッツ州ボストン市のハーバード大学国際研究所の客員研究員として1年間の予定で国際政治を研究する。(埼玉2008/1/27)
※[政治家の株取引]
- 新井将敬代議士の自殺をきっかけに問題になっている政治家の株取引についての意見「政治家の立場で知りうる情報がある以上、取引禁止」。(朝日西埼玉98/3/19)
▽前回選挙:2001年7月29日埼玉地方区 一覧表へ
山根隆治(やまねりゅうじ)
- ▽生年月日:1948年3月8日
- ▽出身地:東京都豊島区生まれ
- ▽住所:埼玉県川越市大字古市場460番地6
- ▽学歴:
- 1966年 佼成学園高卒
- 1999年 社会人選抜で埼玉大経済学部入学。
- ▽縁戚関係:妻子供2人(96年現在)。
- ▽職業/職歴:
- 1966年 医歯薬出版勤務
- 団体職員
- ▽関連会社等報告書:
- [1996-2000年]なし
- ▽歴任役職:
- 1999年現在:川越市テニス協会顧問。埼玉県クリーニング同業組合顧問。
- ▽当選回数:1(埼玉県議2期、川越市議4期)
- ▽政党:
- [県議時代]連合埼玉/〈会派〉歩みの会(1995/4)→〈会派〉歩みの会・民主(1999/4)
- 民社党→民主党
- ▽所属議員団体:
- ▽支持/後援団体:
- ▽政歴:
- 1970年 衆院議員 西田八郎秘書。
- 1973年 衆院議員 柄谷道一秘書
- 1979年 川越市議初当選4期。
- 1995年 埼玉県議初当選。
- 民主党県幹事長。
- 1999年4月県議選、民主党県幹事長でありながら連合埼玉公認で出馬、当選。
- 2001年6月20日、参院選出馬のため県議辞職
- 2001年7月参院選 埼玉選挙区出馬初当選(民主党公認)
- ▽公約/政策:
- ※1999年4月県議選挙公報
- 環境・福祉・女性・教育・経済問題を重視。
- 大規模の地域問題は党派を超えて協力します。
- ▽記 事:
- ※[プロフィル]
- 出馬動機=労働組合の支援を受けて、政党活動を続ける中から。支持政党=新進党。憲法=今も昔も改正。全面改正。原発=容認。(『団塊の世代議員白書』96/1講談社)。
- 尊敬する人物は昭和天皇。(埼玉1999/7/4)
- ※[2001年参院選出馬]
- 民主党埼玉県連(上田清司代表代行)は2000年10月28日、来年夏の参院選埼玉選挙区の公認候補者として県連幹事長の山根隆治幹事長(52)を擁立する方針を決定。山根県議は11月2日、来年の参院選出馬を正式に表明した。
現職議員一覧へ
【索引】
阿部幸代|関根則之|瀬谷英行|富樫練三|浜田卓二郎|藤井俊男|
富樫練三(とがしれんぞう) 索引へ
▽生年月日:1943年1月15日
▽出身地:秋田市生まれ。
▽住所:埼玉県浦和市太田窪5丁目26番10号
▽学歴:秋田高校を経て日本社会事業大学卒。
▽縁戚関係:妻、2男(98/7現在)。
▽職業/職歴:浦和市職員(浦和市教育委員会)。
▽歴任役職:
▽当選回数:1
▽政党:共産党。
▽所属団体:
▽支持/後援団体:
▽政歴:
-
- 日本共産党入党。学生運動、労働運動に参加。
- 1971年 浦和市議初当選6期24年。
- 浦和市長選立候補=落選。
- 1996年10月衆院選立候補(埼玉1区、共産党公認)=落選。
- 1998年7月12日参院初当選(共産党公認)。
- 病気のため2004年7月の参院選に出馬せず1期で引退。
- ▽公約/政策:
- ※1996年10月衆院選挙公報
- 消費税増税をストップ 廃止を目指します。
- ホームヘルパーを増員 24時間の介護体制に。
- 30人学級の早期実施 いじめをなくす教育に全力。
- 安保、基地をなくし世界の平和に貢献。
- 小選挙区制、政党助成は廃止 企業献金を禁止。
- ※1998年7月参院選挙公報
- 消費税を3%に戻し、所得減税を恒久化。
- 医療費を値上げ前に戻し、年金・介護を充実。
- 貸し渋りを是正。中小企業に官公需を拡大。
- 労働法制の改悪を中止し、雇用をまもる。
- 暴落した米価を補てんし、強制減反を中止。
- わかる・楽しい授業に。30人学級を実施。
- ダイオキシン防止の緊急対策を実施。
- ※1998年7月参院選政策アンケート(朝日98/7/3-5)
- 経済対策−不況打開には消費税を3%に戻し、社会保障の負担増中止、庶民本位の所得減税が欠かせない。
- 行政改革−数合わせでなく浪費の構造に思い切ったメスを入れ、福祉部門の拡充、情報公開、天下り禁止などを推進すべき。
- 地方分権−現在の地方分権推進計画は不十分である。国からの権限と財源の以上は乏しく「市町村合併の推進」が国による中央集権的再編計画となる危険を含む。
- 公共事業−港湾建設については見直すべきである。実態に合わない計画が振興し、船のこない港、壮大な釣り堀ができてしまった。東京湾に新たな橋を造る計画も見直すべき。
- 環境−廃棄物処理施設の設置手続きで、業者に住民同意を義務づけている埼玉県独自の指導要領は、存続すべき。国の制度では実効性に乏しく、県独自の義務づけは存続・強化すべきです。
- 憲法・安保−現行憲法を変える必要はない。米国による紛争への武力介入、核威嚇など、国際平和の推進に向け、憲法の平和条項はますます重要である。(新ガイドライン体制は)米軍が世界各地に出撃する際に日本が自動的に軍事協力する体制で、憲法の平和原則に真っ向から反する。
- 情報公開−政府提出の情報公開法案は、知る権利の明記がなく、特殊法人を除外し、非公開の範囲が広く、裁量に委ねられているなど問題が多い。
- 農業−米の政府買い上げ価格は引き上げるべきだ。このままの生産者米価では、日本の米は滅び去り、自給率向上も不可能。生産意欲を高める価格政策こそ急務。企業による農地保有は好ましくない。家族経営の農家は、資本力を背景に効率第一の企業参画で滅亡し、安全確実な食糧供給が保証されなくなる。
- 教育−政府が決めた(中高一貫教育の)一部導入は、教育の機会均等に反し、受験競争を低年齢化させる。高校希望者全員入学を図るべき。
- ▽記 事:
- ※[1998年7月参院選埼玉地方区立候補]
- 大学卒業後、社会教育活動に一生を捧げようと浦和市職員になった。要請を受けて同市議選に出馬したときも「政治活動は社会教育の1つ」と自分を納得させた。「政治は日常生活の中にある」が持論。「国民の願いが叶う、国民が主人公の政治を実現したい」という強い思いがある。国政選挙は前回の衆院選に続いて2度目。「生活不安と政治不信がますます広がっている。無党派層は無関心ではなく、政治に期待できないだけ」という。6期24年の市議経験を生かし、任期の長い参院で腰を据えて政策を作りたいという。
政策では消費税を3%に戻すことを訴える。そうすれば個人消費が上向き、景気も回復するという。さらに、学校改修や老人ホーム建設などの「生活密着型」の公共事業を導入して、福祉と景気対策を同時に進める考えだ。秋田市の生まれ。父親(故人)は県庁職員で自民党支持者。だが、福祉の「最大の的」である戦争に一貫して反対する姿勢に惹かれ、大学3年で入党した。「今は党として展望が開けている。党員であることに幸せを感じます」。(朝日西埼玉98/6/27「参院選候補者の横顔」)
- 「当選したらまず不況対策に取り組みたい。これを突破しないとますます政治不信が広がってしまう」。「消費税率を3%に戻せ」を党の政策として強く訴え、「まずは景気対策」が訴えの柱になっている。
「福祉は人助けになる」と日本社会事業大学で社会福祉を学ぶ中で、「政治は日常の中にある」と意識するようになった。在学中、様々な政治セクトと接触したが、「反戦で一貫して戦い続けたのは共産党だ」と感じ、入党した。卒業後、浦和市に社会教育の職員として就職した。周囲に推されて浦和市議に出馬する際、社会教育の仕事が楽しくて迷ったが、「政治活動は社会教育活動の1つである」と自分を納得させ、議員生活に入った。24年のキャリアの中では「浦和リクルート事件」で追究の急先鋒に立ち、市、他党の疑惑究明に係わり、その調査能力の高さでマスコミの注目を集めた。(埼玉98/7/2「1998参院選候補紹介」)
- ※[2004年7月、体調不良のため引退]
- 引退の理由は、「3年前に狭心症の発作を起こした。再び選挙に絶えられないと思い、やめることにした。残念といえば残念。だが、28歳の時に政治家になり、ちょうど定年退職を迎える時期だと思う。未練はない」。(埼玉2004/6/18)
藤井俊男(ふじいとしお) 索引へ
▽生年月日:1942年9月28日
▽出身地:埼玉県越谷市生まれ。
▽住所:埼玉県越谷市大字袋山1,708番地
▽学歴:1963年 都立蔵前工業高卒。
▽縁戚関係:農家の3男。
- ▽職業/職歴:
- 中学生の頃父親を亡くし、苦学して東武鉄道へ入社。技術者として電車の検査や試運転を担当した。
- ▽関連会社等報告:
- [2001年]東武鉄道社員(東京都墨田区)
- ▽歴任役職:
▽当選回数:1
▽政党:社会党→社民党→民主党(1996-)
▽所属議員団体:
▽支持/後援団体:
▽政歴:
-
- 30台半ばで労組から越谷市議選出馬を勧められ転身し、1979年 越谷市議初当選2期。
- 1985年 埼玉県議初当選4期。
- 1996年 民主党埼玉準備会会長就任、県組織発足のトップに立つ。
- 1998年7月12日 参院初当選(埼玉地方区、民主党公認)。
- 2004年7月 民主党公認を得られず、参院選不出馬
- ▽公約/政策:
- ※1998年7月参院選挙公報
- ○私は20年近く自治体議員を務め、地方自治がいかに中央省庁によってがんじがらめになっているかを痛感しました。民主党は菅直人代表を先頭に「民」中心の世の中に変えるためがんばっています。政治家も政党も政策決定の仕方も変え、まじめに一生懸命やる人が報われる社会にしましょう。
- 景気回復で元気な国に
- 所得税などを将来にわたって減税すると共に、税の不公平をなくします。
- 公的債権回収機関を設立しバブルの後始末をします。
- 公的機関によって中小企業への貸し渋りをなくします。
- 不安のない福祉・医療・雇用を
- 健康保険制度を抜本的に改革して医療制度のムダをなくします。
- NPOと連携し福祉分野などで新しい雇用の機会を作ります。
- 裁量労働制の歯止めのない拡大などの労働法改正に反対します。
- 市民がコントロールできる政府と地方自治を
- 官僚支配を打ち破るため、国会による行政監視を強め、抜け穴のない情報公開法を早期に制定します。
- 政治家の口利きによるあっせん利得を罰則を設けて禁止し、企業・団体献金を廃止して政治と業界の癒着を断ちます。
- 以下、<環境と人権、教育を優先に。核廃絶にイニシアチブを。美しい自然豊かなふるさと埼玉を>。
- ※1998年7月参院選政策アンケート(朝日98/7/3-5)
- 経済対策−現在の不況を底上げするために最も必要なものは、大型恒久減税。デフレスパイラルを防ぐためには、現在の消費マインドを刺激することが急務である。その上で新たな社会資本形成をすべき。
- 行政改革−行革の本来の趣旨は政府の持っている権限を地方自治や民間に移し、仕事を減らすこと。省庁改革基本法には、そのような視点はない。
- 地方分権−(地方分権推進計画は)権限委譲は評価できる点もあるが、問題は財源だ。地方の歳出に見合った自主財源が伴わないと分権の推進も意義が半減する。
- 公共事業−考え直すべき時期に来ているのは港湾。実需に無関係な港湾建設が進められている。アクセス道路などの未整備も問題だが、それ以上に港の必要性をチェックすべきだ。
- 憲法・平和−憲法9条の理念は平和を願う国民の心に深く根ざしている。国民の1人として9条に誇りを持っている。現行憲法を変える必要はない。
新ガイドラインは評価できない。対米関係のみに偏るべきではない。加えて様々な憲法違反の疑いも強く、国会で承認事項として徹底的に議論すべきだ。
- 情報公開−政府提出の情報公開法案は、知る権利が明記されていない点、非開示情報の範囲が明確でない点など改善すべき点が多い。
- 環境−廃棄物処理施設の設置手続きで、業者に住民同意を義務づけている埼玉県独自の指導要領は、存続すべき。今後の廃棄物処理施設は、近隣住民が受容できる姿に変わっていくべきである。
- 農業−米の買い取り価格は、基本的には市場原理に任せながら、格差の激しい地域については価格政策でなく、所得保障で対応すべきだ。
企業による農地保有は部分的に進めるべきだ。農業も規制緩和の例外とすべきではないし、市場原理に基づいた農業政策も将来的に必要と考えられるから。
- 教育−中高一貫教育の導入は積極的に進めるべき。高校受験と偏差値による輪切り制度をなくす点に意義がある。モデル校のみの実施は新たな格差を作るだけで、全国同時実施を。
- ▽記 事:
- ※[2005年11月越谷市長選出馬]
- 任期満了(11月10日)に伴う越谷市長選に、前参院議員の藤井俊男(62)が立候補を表明した。民主党は今年3月に離党した。
藤井「このままの市政では他市町から立ち後れてしまう。リーダーシップを発揮して、企業経営感覚で市政を運営していきたい」。(埼玉2005/4/16)
- 10月30日投開票の越谷市長選で、現職の板川文夫(59)が自民・公明推薦の元会社員・島村玲郎(45、祖父・父共に市長)などを退け3期目の当選を果たした。元参院議員の藤井俊男は惨敗した。(2005/10/30)
【投票結果】
板川文夫 59(無現) 44,868
島村玲郎 45(無新) 38,037
樫村紀元 60(無新) 9,657
藤井俊男 63(無新) 8,433
- ※[2004年7月参院選埼玉地方区=不出馬]
- 来年度の参院選に向けて、民主党県連(細川律夫代表)は12月9日、さいたま市内で候補者擁立プロジェクトチーム会議を開き、2人の候補者を擁立することを決めた。出馬の意思を示しているのは、改選に当たる藤井俊男氏(61)と10月の参院補選で惜敗した嶋田智哉子氏(41)。同県連は年内に執行役員会を開き、両氏の擁立を正式に決定する。(埼玉2003/12/10)
- 民主党県連は2月6日、都内で候補者擁立プロジェクトチーム会議を開き、7月の参院選に公認候補を2人擁立することを改めて確認した。具体的な候補者名は未定だが、細川代表は「来月の県連大会までには決めたい」とした。
同県連は昨年12月、参院選での2人擁立を確認。だが、支持団体の連合埼玉が難色を示すなど、候補者選びが難航している。(埼玉2004/2/7)
- 7月の参院選で民主党県連は3月10日、都内で候補者擁立プロジェクトチームの会議を開き、現職の藤井俊男(61)の公認申請を見送ることを決定した。しかし、当初からの2人擁立の方針は変えずに同日、昨年の参院補選で敗れた歯科医師・嶋田智哉子(41)の公認を決定。残る一人の公認候補を新たに立てる方針を明らかにした。
会見で山根隆治県連幹事長は「長男の件が一番大きい問題といえる」と述べ、長男の事件が見送りの最大の要因になったことを示した。藤井氏については、県連内部で、公設第一秘書だった藤井氏の長男が平成十四年に大麻取締法違反罪などで実刑判決を受けた点を問題視する声が上がっていたほか、同党の支持母体の連合埼玉(吉沢邦雄会長)も、2人擁立で共倒れになる懸念から、嶋田氏のみの推薦を決めていた。
一方、公認を得られなかった藤井氏は記者団に対し、「故郷の埼玉、県連のために政権交代を目指してきた一人として、公認申請してほしいとお願いしてきた。全く納得していない」と怒りをあらわにした。「現時点で出馬の意思は変わらない。支持者と相談して決めたい」と話し、無所属で出馬する可能性を示唆した。(産経埼玉2004/3/11)
- 民主党県連が今夏の参院選に現職の藤井氏の公認申請見送りという異例の決定に踏み切った背景には、古賀潤一郎衆院議員の学歴詐称問題や佐藤観樹前衆院議員の公設秘書給与詐取事件直後の選挙で、他党からの攻撃材料を摘み取りたいという判断があった。だが、直前までの方針を覆した県連の対応には今後も疑問がくすぶり続ける可能性がある。藤井氏の無所属での出馬による分裂選挙の懸念も残されている。毎日埼玉2004/7/14)
- 民主党の藤井俊男参院議員(61)は6月16日、県庁で会見を開き、参院選出馬を断念すると表明した。無所属での出馬は「(党公認候補と)けんかになるので政党人、議会人としてできない」とした。(埼玉2004/6/18)
- ※[1998年7月参院選埼玉地方区立候補]
- 参院選に出馬を表明している藤井俊男県議(歩みの会)は6月3日、堀口真平県会議長へ辞職願いを提出し、辞職を認められた。(埼玉98/6/4)
- 佐野昭夫選対事務局長は「労組と同等かそれ以上に市民団体を重視する。環境や福祉の問題を生活者の視点で吸い上げる。菅さんと同じ考えだ」とし、従来の「労組の代弁者」から組織の意向に左右されない”市民派”政党への脱皮を打ち出している。(埼玉98/6/11)
- 20年近い(地方)議員生活で常にぶつかったのが省庁の認可の壁だった。県立大を越谷に誘致した際は、科目1つ自由にならない現状を改めて痛感した。「地域に適した政策を自治体が立案しても国が妨げてしまう」。国対地方で2対1になっている財源の比率を逆転させ、権限も地方に移すべきだと訴える。「地方政治に携わった経験を生かし、国政の場で地方分権を進めたい」。(朝日西埼玉98/6/28「参院選候補者の横顔」)
- 地方議員の魅力を「市民の要望を議会に反映させ、結果を市民にフィードバックしたときに市民の喜びが伝わってくるのがうれしい。涙を流されたこともある」と話す。「(参院議員になると)市民から遠ざかるのではと寂しがる支持者もいるが、市民の声を国政に伝えるため、これまでの経験を生かし地方分権の推進に努力することで期待にこたえたい」と語る。(埼玉1998/7/4「参院選立候補者紹介」)
- ※[後援会組織発足]
- 昨年の参院選挙で当選した藤井俊男参院議員の後援組織「彩の会」の発足式が3月9日、浦和市内で行われた。彩の会は、鳩山邦夫民主党副代表が会長に、本県政界に強いパイプを持つ白鳥令 東海大学教授が会長代行に就任した。(埼玉1999/3/10)
浜田卓二郎(はまだたくじろう) 索引へ
- ▽生年月日:1941年10月5日
- ▽出身地:鹿児島県
- ▽住所:埼玉県浦和市根岸3丁目28番7号
- ▽学歴:1965年東大法学部卒。国家公務員上級職、司法試験合格。
- ▽縁戚関係:妻:浜田麻記子(参院議員・植竹春彦の姪)
- ▽職業/職歴:1965年大蔵省入省、三条税務署長などを経て1977年主計局主査で退官。
- ▽関連会社等報告:
- [2001年]不動開発顧問(浦和市)。川口板金顧問(川口市)。本荘倉庫顧問(蕨市)。アクシス顧問(蕨市)。アイダ設計顧問(上尾市)。高砂加工機顧問(鳩ヶ谷市)
- ▽歴任役職:
- ▽当選回数:1(衆院議員4期)
- ▽政党:自民党→新生党→新進党(97/12解党)→無所属→改革クラブ。
- ▽所属議員団体:
- ▽支持/後援団体:卓政会(自民党時代からの後援会)。創価学会埼玉県本部。
▽政歴:
-
- 1980年衆院初当選、以後4期連続当選(自民党公認)
- 外務政務次官。衆院社会労働委員長、厚生委員長、法務委員長。
- 1993年7月衆院選落選(自民党公認)
- 1996年10月衆院選落選(新進党公認)。
- 1998年7月12日参院初当選(埼玉選挙区。無所属−民主、公明、自由、改革クラブ、平和、埼玉民社協会・友愛会推薦)。
- 2003年8月31日投開票の埼玉知事選に無所属で出馬=落選
- 2004年7月11日参院選比例区出馬=落選(自民党公認)
▽公約/政策:
- ※1996年10月衆院選挙公報
- 私は「教育立国」を主張する:軍事力ではなく、「教育」で世界をリードする新しい日本を目指す。
- 消費税率3%を据え置く。
- 政府の赤字体質にメスを:政府は中央・地方ともムダの固まり。組織を減らし、人を削り、補助金をカットし、地方自治体の再編成を進めて、税金を節約する。税金を節約する具体的な計画を組み合わせなければ消費税の税率を上げさせないルールを作る。
- 安心して年を取っていける社会を。
- 女性の権利や生き方を大切にする社会を。
- ※1998年7月参院選挙公報
- 責任ある福祉−自民党政権が続けば、年金は「保険料が上がるか、支給額の大幅カットか、70歳支給になるか」、介護保険は「年金から夫婦月額約6千円の保険料天引き」、医療負担も「さらにアップと、福祉切り捨てか、大幅な国民負担の増大かのいずれかです。責任ある福祉を実現するためには、行政改革を断行して抜本的改革を図るべきです。
- 日本経済の再生−10兆円減税により景気の回復を急ぐとともに、バブルをつぶした後遺症に苦しむ日本経済の建て直しに本格的に取り組まなければなりません。土地の取引の流動化を図り、金融システムの作り直しを急ぎ、規制緩和により新しい産業の成長を促さなければなりません。
- ヒューマニズムの政治−国民が不況にあえいでいるにもかかわらず、政治家は汚職にまみれ、官僚は業界からの接待漬け。「一人一人の人間の利益と幸せ」を基本に据えた「改革」を断行しなければこの国の将来はありません。今こそ、官僚をリードして、小さな政府、地方分権、規制緩和を強力に推し進める政治を実現します。
- ※1998年7月参院選政策アンケート(朝日98/7/3-5)
- 経済対策−現在の不況を底上げするために最も必要なものは、大型恒久減税。企業や家計に将来明るい見通しを持ってもらってもっとお金を使ってもらうことが必要だから。
- 行政改革−省庁改革基本法は、数合わせで行政のスリム化に結びつかない。税金の節約につながらない官庁再編成は、単なる数合わせとしかいえない。縦割り行政を打破することが必要である。
- 地方分権−地方分権推進計画はまだ不十分である。権限と財源をセットで地方に移譲すべきであり、補助金制度も撤廃しなければ、真の地方分権にならない。
- 公共事業−考え直すべき時期に来ていると思われる国の公共事業は、なし。各省庁の既得権になっている公共事業全般を、国民のニーズや投資効率の面から吟味すべきときにきている。
- 憲法・安保−自主憲法を制定する時期に来ている。第9条の平和条項としての意味の明確化、国連を通じての平和貢献の範囲の明確化等整理する必要があると思う。
新ガイドラインは評価できない。日米防衛協力問題は憲法解釈や安全保障構想と密接にかかわる問題であり、閣議了承ですまされるべき問題ではない。
- 情報公開−政府提出の情報公開法案は評価できない。行政側が情報を積極的に公開し、広く国民の論議に委ねることは民主主義の基本、官僚のさじ加減で制限されてはたまらない。
- 環境−廃棄物処理施設の設置手続きで、業者に住民同意を義務づけている埼玉県独自の指導要領は、存続すべき。何よりも身近な環境問題には、住民の意向が反映されて当然と考えている。
- 農業−米の政府買い取り価格は市場原理に任せるべき。減反政策をやめコメ作りに関わる諸規制を緩和・撤廃し、市場原理に任せるべきと考える。
企業による農地保有は部分的に進めるべき。農業も規制緩和の例外とすべきでないし、市場原理に基づいた農業政策も将来的に必要と考えられるから。
- 教育−中高一貫教育の導入は、積極的に進めるべき。中学から高校の6年間を一環教育とすることで、高校受験の負担をなくし、連続したカリキュラムを組めるなどメリットが多い。
- ▽記 事:
- ※[著書]
- 『日本は蘇る』、『ハマタク、東大生と激論す!』
- ※[政党遍歴]
- 自民党離党→新進党入党
- 1980年から自民党公認で衆院連続4期当選。1993年7月の衆院挙で落選し、94年に自民党を離党。新生党を経て、1996年10月の衆院選に新進党公認で出馬し落選。新進党が解党したため1998年の参院選に無所属(公明党推薦)で出馬して当選、その後99年12月に改革クラブに所属。
- 自民党復党願い
- [2000年9月]1993年7月の参院選後、自民党を離党していた浜田卓二郎 参院議員(58)から自民党に復党願いが出されていたことが、9月18日分かった。自民党県連の穂坂邦夫幹事長が同日の県議団会議で報告した。
浜田参院議員「改革クラブが6月の総選挙の結果、解党したことで、自民党復党の道を選んだ。復党の見通しが立った段階で、復党の理由や背景をきちんと説明したい」。(埼玉、朝日西埼玉2000/9/19)
- 浜田卓二郎参院議員が自民党県連に提出していた「復党願」を取り下げていたことが、9月29日分かった。浜田市の復党願については、埼玉県選出の国会議員団が今週始めに「時期尚早」として認めない方針を決めており、浜田氏側が受け入れられるのは困難と判断したと見られる。(朝日西埼玉2000/9/30)
- [2001年8月]自民党県連は01年10月1日総務会を開き、浜田卓二郎議員から8月9日に文書で提出されていた入党届を返却することを決めた。「入党届を認めると浜田氏が(3年後の)参院選の公認候補と決まってしまう」「自民党の独自候補を建てるべきだ」等の意見がでてまとまらなかったためという。浜田氏は98年の参院選で自民党公認の関根、栗原候補を破って当選しており、復党が認められない背景には両候補に対する配慮もある。
浜田氏は、保守2大政党を想定して自民を離党したが、現在は新進党も解党して保守合同勢力対民主など革新勢力の構図になっており、保守の立場で活動してきた私の自民党復党は自然の流れだ、と述べた。(朝日西埼玉2001/10/2、埼玉10/3)
- [2001年12月]無所属の浜田卓二郎参院議員が自民党への復党願いを党県連会長の増田敏男代議士に提出していたことが分かった。浜田氏は、今年8月と昨年9月にも入党願いを提出し、拒否されている。今回は亀井静香・前党政調会長を紹介人としている。(朝日西埼玉2001/12/6)
- 自民党県連(増田敏男会長)は、12月27日までに、浜田卓二郎参院議員から出されていた入党願いを本人に返却することを決めた。関係者によると、役員会の意見がまとまらないまま増田会長と秋山清幹事長に対応を一任し、受理しないまま本人に返却することになった。(埼玉2001/12/28)
- 自民党復党
- 自民党は2月3日の選挙対策小委員会で、浜田卓二郎を夏の参院選で比例代表候補として公認することを内定した。
浜田「二大政党勢力の激突する状況に入り、無所属でいることは意味がなく、選挙も戦い難いことを痛感してきた。わが国は激変期にあり、日本の進むべき展望を示す責任がこれ以上政治に求められている時もない。十年ぶりに本来の姿で政治に取り組める喜びを感じている」。(埼玉、朝日西埼玉2004/2/4)
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- ※[選挙遍歴]
- 2004/7参院選比例区出馬、惨敗
- 昨年8月、参議院議員から知事選に出馬して惨敗、今年2月に自民党公認となり「ようやく古巣に戻れた。比例だが、選挙区候補の気持ちで」と、県内を軸に臨んだ。しかし、得票わずか4万1519票。(中略)
東大法卒。在学中に司法試験、上級国家公務員試験をパスし、旧大蔵省に入省。1980年の衆院選で初当選し連続4期。政策通として鳴らした。
しかし、93年総選挙での落選が転機となる。自民党を離党し新進党へ。小選挙区制の下で復活できず、98年、公明党の支援を受け参院選埼玉選挙区で当選。昨年、知事選に出馬したが、21万票で落選。この間、一大勢力を誇った「卓政会」も高齢化が進み、支持者離れも加速した。
敗戦の弁を語った後、若い運動員の労をねぎらった。「今後の進退はゆっくり考えたい」。そう言い残して事務所を後にした。(埼玉2004/7/13)
- 衆院選出馬せず
- 浜田卓二郎前参院議員は10月21日、報道各社に当てた文書で11月9日投開票の衆院選に出馬しないことを明らかにした。今後は来年の参院選を視野に準備を進めるという。(埼玉2003/10/22)
- 2003年9月 次期衆院選出馬に意欲
- 前参院議員の浜田卓二郎氏(61)は9月10日、次期総選挙に埼玉
15区(さいたま市南区、同桜区、蕨市、戸田市)から出馬する意向を固めた。
知事選で浜田氏は「政治生命をかける」と、落選した場合は政治家を引退するとも取れる発言を繰り返した。しかし、10日に開かれた後援会役員会では、出席した役員全員から「(知事選で得た)尊い21万票を無駄にはできない」などと、次期総選挙で再起を図るべきだとする意見が出された。これに対し、浜田氏は引退を否定し、総選挙へ出馬する考えを示した。(読売埼玉2003/9/11)
- 2003年8月 土屋知事の引責辞任に伴う知事選出馬
- 2003年7月23日、公式に立候補表明。来年夏に予定されている参院選に向けて準備を進めていたが、ダスキン事件や自己の資金管理団体に絡む疑惑による土屋知事の辞職を受け、「県民の誇りが傷つき、政治への信頼が失われた。ホームグラウンドの危機を見過ごせない」として急遽立候補を表明。辞職願は提出せず、8月14日の立候補届出によって自動失職する考えを明らかにした。
- 1998年7月参院選
- 創価学会県本部は今夏の参院選で浜田卓二郎元代議士を支持することを決めた。浜田氏はすでに、公明、新党平和、改革クラブが推薦している。(朝日西埼玉98/1/30)
- 民主党は6月3日の常任幹事会で、参院埼玉選挙区の浜田卓二郎氏(無所属)の推薦を決めた。同党では既に埼玉選挙区で藤井俊男氏の公認を決めている。民主党埼玉代表の細川律夫衆院議員は、党本部が浜田氏に推薦を出したことについて「党本部が決めたことで、正式にはまだ聞いていない。私たちは従来どおり公認候補である藤井さんで全力をつくす。(浜田氏を応援する)余裕はない」と話した。浜田氏は旧新進党の候補予定者だった。同党の解体後、民主党結成に参加した県民社協会や県友愛会などは、同氏を引き続き推しており、民主党本部にも推薦を求めていた。(埼玉、朝日西埼玉98/6/4)
- 「元自民党の保守政治家だが、人間中心の政治の理念に基づき、公明と一緒に行動する」。参院埼玉選挙区から国会への復帰を目指す元衆院議員・浜田卓二郎は5月27日午前、公明埼玉の女性集会が開かれた大宮市で約2500人を前に支援を訴えた。
今年2月には、公明埼玉代表の井上正則と浜田との間で「当選後、埼玉選挙区の公明参院議員、高野博師の所属する会派に入る」との協定を結んだ。(埼玉1998/6/6「揺れる集票マシン」)
- 5月中旬、大宮市内で開かれた「公明時局講演会」で、参院選予定者として紹介された浜田卓二郎は約2千人を前に誓った。「離党者続出が引き金となり新進党は昨年末に解散。でも私は迷わなかった。公明と共に行動する。もう一度公明の勢力を中心とした野党の大同盟を目指す」。続いて浜四津敏子公明代表が登壇し、浜田と公明の関係に太鼓判を押した。「浜田さんは人を裏切らない。人の真心を知り、信義を大切にする人。公明は『選挙区浜田』で、総力を挙げて戦う」。(埼玉1998/6/17)
- 政治家を志し、大蔵省を辞したのは21年前。高度成長期が終わった頃だ。「変化の時代に官僚では対応できないと、役所を飛び出した。その思いは今も変わらない」。自民党代議士時代は独自の政策集団を結成、若手の論客としてならした。
保守と公明系。2つの支持基盤の上に乗る。古株の後援会員に「『比例区は公明』というチラシは配れない」との声がある一方、公明支持者には「当選後自民に戻らないか」と疑う人も。浜田氏は「自民党離党以後、私はずっと公明と行動を共にしてきた。支持者もご存知のはずだ」と言い切る。
「経済の浜田」を売り文句にする。大蔵省時代に「将来、税収は落ち込み、赤字国債は百兆円になる」と予測したとおり、経済は下降線をたどった。「いよいよ自分の出番だ」と臨んだ衆院選で2度、苦杯をなめた。「早朝の駅頭でしか訴えることのできない自分がふがいなかった」。「一刻も早く国会で仕事がしたい」と参院選に転じ、5年ぶりの国会返り咲きを狙う。「古くからの同士」という妻麻記子さん、それに長男直人氏も県内を駆け回る。(朝日西埼玉98/6/28「参院選候補者の横顔」)
- 大蔵官僚時代、高齢化社会の到来や、税収の伸び悩みを予測し財政に大きな危機感を抱いた。「行政の仕組みを変え、財政改革を進めなければ」と感じたが、行政をチェックするはずの政治家は国会で官僚の用意した作文を読むありさま。自ら改革の旗手になるべく21年前、35歳で政治家を志した。
自民党から衆院選に立候補し38歳で初当選。以後4期連続当選したが、自民党への世間の強い批判と新党ブームで5期目に落選。「党内では『改革派』を自認していても外から見れば同じ穴のむじな」と痛感し、離党して新進党で再度衆院選に挑戦したが落選。「最後の挑戦」として今参院選に挑む。当選後は「公明を軸に野党を再結集し、政権交代できる勢力を作る」。その日まで無所属を通す。(埼玉1998/7/3「参院選候補者紹介」)
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- ※[リクルート事件]
- リクルート事件で未公開株 30,000株(本人名義)の譲渡を受ける。
阿部幸代(あべさちよ) 索引へ
- ▽生年月日:1948年7月28日
- ▽出身地:栃木県小山市
- ▽住所:埼玉県越谷市大泊990番地7
- ▽学歴:宇都宮女子高、1972年お茶の水女子大文教育学部哲学科卒。
- ▽縁戚関係:夫、1女(92/7現在)。
- ▽職業/職歴:
- 1972年市立駒込高教員。同校退職後、通信教育で免許を取得して1978年越谷市立蒲生小学校教員。
- ▽歴任役職:
- ▽当選回数:1
- ▽政党:共産党
- ▽所属議員団体:
- ▽支持/後援団体:
- ▽政歴:
- お茶の水女子大4年のとき日本共産党に入党。
- 1983年越谷市議初当選。党県委員会文教部長。
- 86年7月、90年2月衆院埼玉4区立候補=落選。
- 92年7月参院埼玉地方区立候補=落選。
- 1990年共産党准中央委員に選出。
- 1995年7月 参院埼玉地方区初当選。文教委員、環境特別委員、宗教問題特別委員。
- 2001年7月 参院埼玉地方区落選(共産党公認)
- 2004年7月 富樫練三議員が体調不良のため参院埼玉地方区交替出馬
- ▽公約/政策:
- ※92/7参院選挙公報
- 憲法を踏みにじる自民党政治。もう我慢できません。海外派兵ノー、軍事費削って「福祉の日本」を。労働基準法の抜本改正で「家族そろって夕食を」。政治をカネでゆがめる企業団体献金の禁止を。通勤難解消、緑と清流、「豊かで、住みよい埼玉に」。
- ※95/7参院選挙公報
- 消費税増税ストップ、コメ自由化をくい止めます。異常円高を是正し、労働者、パート、青年の雇用を守ります。軍事大国より福祉の日本へ、豊かな長寿社会をつくります。人間尊重の教育で「いじめ」の克服へ全力をつくします。通勤難の解決。緑と防災、住みよい埼玉をつくります。憲法の平和、民主が花開く日本と埼玉に。
- ▽記事:
- ※[抱負−1998年]
- 1996年総選挙の726万余票に込められた期待と責任の重さをひしひしと感じています。民主主義的な改革の党の議員として一層頑張ります。
私は、よく命の洗濯とよりよい議員活動のために、映画や美術展を観に出かけます。そしていつも残念に思うことは、日本の文化行政がまだまだ貧困であることです。
著作権法の審議でもとりあげましたが、たとえ現役の写真家の作品であっても1956年以前のものには著作権がないのです。劇場用映画がどんなにビデオ化されても、テレビ放映されても、俳優さんに1円の報酬も支払われないばかりか、芸能関係者には仕事が原因で死んでも、寝たきりになるような重傷を負っても、労災保険が適用されないのです。私は、著作権法の更なる改正と芸能関係者の権利確立のために、奮闘を続ける決意です。
労働法制における女子保護規定撤廃の動きといい、大学教員任期制導入の動きといい、これ以上、日本と日本の国民を経済効率の犠牲にさせるわけにはまいりません。
“ルールなき資本主義にルールの確立を!”“厚生省汚職の究明と消費税増税阻止を!”と、国会にどんどん声をお寄せ下さい。(1998/7共産党ホームページより採録)
- ※[政治家の株取引]
- 新井将敬代議士の自殺をきっかけに問題になっている政治家の株取引についての意見「政治家の言動が株価に影響を与える以上、取引禁止」。(朝日西埼玉98/3/19)
- ※[セーフガード]
- 野菜価格の低迷問題で深谷市で話を聞き「農家は決して甘えていない」と確信。農水省を追いつめ、セーフガード発動のきっかけを作った。(埼玉2001/7/17)
関根則之(せきねのりゆき) 索引へ
- ▽生年月日:1930年1月13日
- ▽出身地:比企郡吉見町
- ▽住所:埼玉県志木市柏町2丁目25番7号
- ▽学歴:松山中学、海軍兵学校、旧制浦和高。1953年東大法卒。マンハッタン大学留学。
- ▽縁戚関係:
- ▽職業/職歴:
- 1953年自治省入省。
- 1968年三重県企業庁長。1970年三重県総務部長。1971年三重県教育長。
- 1973年自治省大臣官房参事官財政局指導課長。1978年自治省大臣官房審議官。
- 1979年静岡県副知事。1981年自治省税務局長。1984年消防庁長官。1987年9月退官。
- ▽歴任役職:
- ▽当選回数:2
- ▽政党:自民党
- ▽所属議員団体:
- ▽支持/後援団体:
- ▽政歴:
- 1988年6月埼玉県知事選立候補(自民推薦)=落選。
- 1991年補欠選挙で参院初当選(埼玉地方区、自民党公認)。97年再選(自民党公認)。
- 1998年7月12日参院選立候補(自民党公認)=落選。
- ▽公約/政策:
- ※1992年7月参院選挙公報
- 関根則之は、政治家としての基本姿勢を「心にやさしいエコロジー」におき、水と緑と人の心を大切にする政治を、地元埼玉のみなさまに公約いたします。
- 地球の緑を守り、自然が豊かで災害に強い街づくりを推進します。
- 日本型福祉社会をめざし、人にやさしい福祉と健康医療を充実します。
- 子供の個性を尊重し、一人ひとりの素質を伸ばす教育を確立します。
- 地方自治を尊重し、土地・建物・住宅、道路・通勤対策を総合的に推進します。関根則之は地方自治40年、日本各地で地方自治のメカニズムを勉強してきました。
- ※1998年7月参院選挙公報
- ○関根則之8つの重点政策
- 経済対策
- 公共事業の追加、土地の流動化、減税等の思い切った景気浮揚対策を実施します。
- 日本の産業を世界最先端のハイテク産業に再構築し科学技術立国を実現します。
- 環境対策
- ダイオキシン、環境ホルモン、地球温暖化などの環境問題やエネルギー対策に全力をつくします。
- 以下、<教育改革、医療・福祉、地方分権・行政改革、農業・中小企業、災害対策、女性の参加>を列挙。
▽記 事:
- ※[著書]
- 『時代の裂け目に』
- ※政治家の株取引
- 新井将敬代議士の自殺をきっかけに問題になっている政治家の株取引についての意見「インサイダー取引の有無が分かるよう、公開するべき」。(朝日西埼玉98/3/19)
- ※参院選落選
- 1998年7月12日の参院選埼玉選挙区で落選した自民党の関根則之氏が7月16日、同党県議団の団会議であいさつし、陳謝した。2期、参院議員を務めた関根氏は「捲土重来を期したい」と述べ、今後も政治活動を続けることを明らかにした。関根氏は「逆風の中で40万票を得た。私の持っている票が出た。これからも政治の場で国民の利益のために尽くしたい」と話した。(朝日西埼玉98/7/17)
瀬谷英行(せやひでゆき) =引退。 索引へ
▽生年月日:1919年2月28日
▽出身地:東京都文京区
▽住所:埼玉県熊谷市本石2丁目124番地
▽学歴:1931年中央大学法学部。
▽縁戚関係:
▽職業/職歴:国鉄。(国労の結成に参加)国鉄労組役員および埼玉県評議長歴任。
▽歴任役職:
▽当選回数:6
▽政党:社会党(92/7参院選時)→社民党(党名変更)
▽所属議員団体:
▽支持/後援団体:
▽政歴:
-
- 1962年参院初当選(社会党公認)。
- 1986年参院副議長。社会党議員会長。社会党県連会長。
- 1998年7月12日参院選に出馬せず引退。
▽公約/政策:
- ※92/7参院選挙公報
- 自衛隊の海外派兵は憲法違反=今回の参議院選挙の最大の焦点は、PKO法案が国民によって認知されるかどうかです。この法案の表看板は国連協力と国際貢献ですが、審議の過程で明らかになった実態は、武装した自衛隊の海外派兵です。政府答弁は派兵ではなく派遣であると強調しておりますが、派遣だからビジネスマンの出張と同じだとはだれも思いません。武装した自衛隊の海外派兵は、どんな名目を付けても、諸外国にとっては日本軍の海外派兵です。憲法に違反するだけではなく、「自衛隊の海外出動を為さざることに関する参議院決議」を破棄することにもなります。
- 民意を国民投票で=国の方針を大きく変える法案(PKO法案)については、国民投票を行うべきです。それが無理なら、衆議院の解散総選挙で民意を問うのは当然です。
- 自衛隊を政治の道具にするな=軍隊が武器を持って外国でトラブルに巻き込まれたら、シビリアンコントロールなど消し飛んで軍が暴走することを、私たちは過去の苦い経験として知っています。自衛隊を将棋の駒のように考え、政治の道具として扱う安易な考え方を許してはなりません。
- ※92/7参院選挙公報
- 早急に政治改革を=定数是正・選挙制度改正等、政治改革は一向に進みません。解散総選挙となれば、またまた自民党は金に物をいわせるつもりでしょうか。しかし、政治改革に名を借りて、小選挙区制を導入することは絶対に認めてはなりません。区割り一つを考えてみても、だれが公正な区割りを決められるでしょうか。市長選よりも小さな選挙区がたくさんでき、金がますます力を持つことは目に見えています。選挙制度は現行の中選挙区制を軸に、一選挙区の定数を四ないし五名とすれば、有権者の選択の幅も広がり、少数党も生き残ることができ、民主的な結果となりましょう。連記制の採用、テレビ討論の活用等も考慮すべきだと思います。
- ▽記 事:
- ※[著書]
- 『ガダルカナルの詩集より』
- ※[政治家の株取引]
- 新井将敬代議士の自殺をきっかけに問題になっている政治家の株取引についての意見「議員は倫理性を求められる。公開と取引自粛が適当」。(朝日西埼玉98/3/19)
- ※[改正PKO法案]
- 1998年6月5日の参院本会議における改正PKO法案の採決に際し、瀬谷英行議員は社民党の方針に反して賛成に回った。92/7参院選挙公報の公約とは正反対の判断を示したことになる。
- ※[1998年秋の叙勲−勲一等旭日大綬章受賞]
- 今年1月に議員を引退するまで社会党(社民党)参院議員を6期36年、その間副議長も務めた。「(叙勲は)制度としてあるわけで、断る理由はない。せっかくだからありがたくちょうだいするまで」と淡々と語った。「長い議員生活を大過なくすごしてきたことは運が良かったと思っている」といたってクールだ。
自社さ連立政権時代には、党内でも再軍備問題が浮上。そのときも「日本のためにならない。意味のないこと」と「自信を持って主張してきた」という。今も「自衛力に膨大な金を使うことに何の意味があるのか。不況の中、民心の安定のために使うべきだ」と、信念は変わらない。(埼玉1998/11/3)

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Last Modified : February 4, 2008