| 選挙区 |
氏 名 |
ふりがな |
性別 |
生年月日 |
当選回数 |
政 党 |
出身地 |
住 所 |
| 埼玉8区 |
塩川鉄也 |
しおかわ てつや |
男 |
1961.12.18 |
4 |
共産党 |
日高市 |
埼玉県所沢市下富1157番地の55 |
| 埼玉8区 |
柴山昌彦 |
しばやま まさひこ |
男 |
1965.12.05 |
3 |
自民党 |
愛知県 |
埼玉県所沢市小手指町2丁目3番地の24 |
| 埼玉2区 |
新藤義孝 |
しんどう よしたか |
男 |
1958.01.20 |
4 |
自民党 |
川口市 |
埼玉県川口市柳崎1丁目10番30号 |
| 比例単独 |
野木実 |
のぎ みのる |
男 |
1941.09.20 |
1 |
民主党 |
東京都 |
埼玉県和光市西大和団地1番3号502 |
野木実(のぎみのる) 索引へ
▽
生年月日:1941年9月20日
▽
出身地:東京都中野区生まれ。
▽
住所:埼玉県和光市西大和団地1番3号502
▽
学歴:
- 新宿区立淀橋第一小学校、中野区立中野第九中学校、都立桜水商業高校を経て1965年早稲田大学法学部卒。
▽
縁戚関係:
▽
職業/職歴:
▽
関連会社等報告書:
▽
歴任役職:
- 和光市ミニバスケットボール連盟会長 。朝霞四市ミニバスケットボール指導者協議会会長 。
▽
当選回数:1(埼玉県議2期、和光市長2期)
▽
政党/会派:
- [県議時代]連合埼玉/歩みの会→歩みの会・民主→無所属(2001/5市長選出馬のため離党)
- 民主党(2009/8衆院選時)
▽
所属議員団体:
▽
支持/後援団体:
▽
政歴:
- 30歳で民社党入党
- 1975年 和光市議初当選以後4期、1990年議長
- 1995年4月 埼玉県議初当選(連合埼玉公認)
- 民社協会埼玉県連副会長
- 民主党県連書記
- 1999年4月 県議選2期目当選(連合埼玉公認)
- 2001年4月5日 和光市長選(5月13日投開票)出馬のため辞職(民主、連合埼玉推薦)=当選
- 2005年5月8日 和光市長選2期目無投票当選(無所属、自民・民主・公明推薦)
- 2009年5月 和光市長選出馬(無所属)=落選
- 2009年8月 衆院選比例区北関東単独立候補(民主党公認)=当選
▽
公約/政策:
▽
記 事:
※[2001年5月和光市長選出馬]
- 野木実県議(民主党)は2001年1月20日に和光市内で開いた県政報告会で、5月6日告示、同13日投開票の和光市議選に出馬することを表明した。市長選には離党のうえ無所属で立候補するという。
※[2009年8月衆院選、比例区立候補]
- 民主県連は、前和光市長の野木実(67)を衆院選比例区北関東の公認候補として党本部に推薦した。県連幹部によると、県連側から出馬を打診。野木氏も国政に意欲を見せ、8月6日に県連に申請書を提出した。(埼玉2009/8/11)
▽立候補形態:埼玉2区(落選)+比例区北関東
新藤義孝(しんどうよしたか) 索引へ
▽
生年月日:1958年1月20日
▽
出身地:川口市生まれ
▽
住所:埼玉県川口市柳崎1丁目10番30号
▽
学歴:明大文学部卒
▽縁戚関係:
- 曾祖父は村会議員。祖父は川口市議会議長と代々の議員一家。母方の祖父は硫黄島最高司令官・陸軍大将の栗林忠道。父は映画監督、母は女優。議員あり、陸軍大将あり、映画監督に女優ありと、多彩な家に育つ。
▽職業/職歴:
▽関連会社等報告:
- [1999-2001年]川口ふたば幼稚園副園長(川口市)。2004年9月1日、園長就任
- [2007年]川口ふたば幼稚園園長(川口市)
▽歴任役職:
▽当選回数:4
▽政党:自民党
▽所属議員団体:
- 【派閥】小渕派(初当選時無派閥→1998/7/22現在→2000/5/14小渕恵三死去)→橋本派→無派閥(2005/9現在)→津島派(2007/5現在)
▽支持/後援団体:
▽政歴:
- 1991年33歳で川口市議初当選1期。
- 1996年10月 埼玉2区から初出馬するも落選、比例区で復活当選。
- 2000年6月 衆院2期目当選(自民党公認)
- 2003年11月 衆院選落選(自民党公認)
- 2005年9月11日 衆院3期目当選(自民党公認)
- 2009年8月30日 衆院埼玉2区重複立候補(自民党公認)=比例復活当選
▽公約/政策:
※1996/10選挙公報
- アチコチ動く政治家が政治混乱を深刻化しています。私は道を変えずに、自民党を改革し、責任ある未来を作ります。私は、『一番柔軟で自由に議論できる政党』『未来に責任ある判断ができる政党』として、自民党を選択し、暮らしに身近な政治を実現します。
- [7つの主張]1.主役は市民です。2.主体は、地域と産業です。3.主義は、暮らし第一主義です。4.主軸は、広域行政です。5.主眼は、景気回復です。6.主役は子供たちです。7.主題は、安全の再構築です。
▽記 事:
※[1996年10月 当選時の抱負]
- 消費税問題は自民が多数を取ったのでどうなるか分からないが、徹底的に議論して「抵抗」したい。行政改革、景気浮揚策についても真剣に取り組んでいきたい。(埼玉1996/10/29)
※[何に最も力を注ぐのか。]
- 「住宅と工業の共存」これが新藤氏の第一のテーマである。地元埼玉県川口市は、中小企業の街であると共に住宅化が進んでおり、既存工業の追い出しが行われており、工場の立地が阻害されているという。「日本の就労者の70%が中小企業の従事者という中で、中小企業がよくならないと、日本の経済がよくならない」というのが持論であることから、「中小企業の活性化のために、住工業がバラバラではなく、共存できるような政策を考える」ということが新藤氏の公約である。「住んでいる人にとっては、工場は臭かったりして困るもの。しかしその工場がなければ街では働く場所がない、という矛盾がある。住宅と工業を共存させるためには、ただお互いが我慢するのではなく、互いが必要なものとして考えることが必要」という。そのためにこれまで取り組んできているのは「特定産業集積活性化法」の成立である。埼玉県および川口市が特定地域として、また特定業種として関連業種が国の指定を受けることができれば、操業環境の恩典や融資、税制などで優遇されることになる。中小企業の活性化、そして住の共存へ、国会議員ができる第一歩である。(1997年6月25日収録)=『1997年版/国会議員の公約と行動』より
※[派閥離脱]
- 自民党橋本派に所属していたが2001年4月の総裁選で「派閥単位の応援は止めようと派閥から離れ、仲間の3人(大村秀章=愛知13、下地幹郎=比・九州、梶山弘志=茨城4)と共に橋本、麻生、亀井の4人の候補者と個別の懇談会を開いて政策を聞き勉強しようと運動した。悪い意味での派閥政治はやめないといけない」。(新藤義孝メールマガジン「週刊新藤」第67号)
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※[2000年6月衆院選]
- 新藤は、前回保守票を激しく奪い合い僅差(610票)で競り負けた石田勝之(改革クラブ、44)との間に、早くもつばぜり合いが始まっている。自民党コソボ難民支援対策本部ngo支援小委員長として、難民キャンプを視察し「国際派」をprする一方、地元の都市基盤整備自供などに国庫補助金を付けた話を引き合いに出し、「実利」のアピールも忘れない。(朝日1999/8/24)
※[出直しフォーラム]
- 自民党の新藤義孝前衆院議員の「出直し東京フォーラム」が千代田区のホテルで支援者約1200人を集めて開かれ、武部勤幹事長、安部晋三幹事長代理、小池百合子環境相、中川正一経産相らが応援に駆けつけた。(埼玉2005/3/25)
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※[1998年7月自民党総裁選]
- 前回の総選挙で初当選した新藤氏は、テレビ番組に連日出演する小渕氏に秘書のように寄り添っている。番組がコマーシャルで途切れると、「小渕さん、もっと背筋を伸ばした方がいいですよ」と声をかける。新藤氏と山口(泰明)氏は共に小渕派。両氏とも「小渕さんはイメージとはまったく違う人。選挙後、しこりを残さず党をまとめていけるのは小渕さん」と口をそろえる。(朝日西埼玉98/7/23)
- 一回の投票であっさり決まった自民党総裁選。県内の代議士はおおむね派閥の方針に沿った形で3つに割れた。小渕派の一年生議員新藤義孝代議士は、この日も小渕氏にボディガードのように付き添った。五十音順に並んだ両院議員総会の席も特別に入れ替え、小渕氏の隣りに座った。「盾代わりに横にいろ」と指示されたという。小渕氏が最初の投票で過半数を獲得し、「予想以上の結果。人事で締め付けなかっただけに心配したが、良かった」と胸をなで下ろした。(朝日西埼玉1998/7/25)
※[2001年4月自民党総裁選]
- 自民党橋本派若手議員は4月13日午後、新藤義孝、下地幹郎、大村秀章、梶山弘志の4氏が呼びかけて党本部で会合を開き、総裁選の候補者に討論会開催を求める方針を決めた。鈴木宗男・橋本派総務局長から「派閥の結束が乱れる」と説得を受けたが、「(候補者から)直接話を聞きたい」として押し切った。鉄の結束を誇る橋本派の足下の乱れが拡大した形で、総裁選の行方に微妙な影響を与えそうだ。会合には埼玉県からは山口泰明、三ッ林隆志の両衆院議員が参加した。(埼玉2001/4/14)
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※[靖国神社参拝]
- 2001年夏−本人出席
- 2002年8月15日(終戦記念日)−代理出席
※[小泉首相の終戦記念日靖国参拝]
- 新藤「クレームを承知で一度公式参拝してみて、問題があれば、次を考える機会にすべきではないか。毎年同じことの繰り返しをすべきではない」(埼玉2001/8/12)
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※[政治家の株取引]
- 新井将敬代議士の自殺をきっかけに問題になっている政治家の株取引についての意見「権限や地位による不当利益を得ないようルール必要」。(朝日西埼玉98/3/19)
※[コソボ紛争 難民キャンプ視察]
- 新藤義孝衆院議員ら自民党1期生の若手4人が、連休を利用してユーゴスラビア・コソボ紛争の難民キャンプを視察した。新藤議員らが訪れたのはマケドニアのスコピエの難民キャンプ。政府は難民支援のため2億ドルの拠出を決めているが、新藤議員は「現金だけでなく、自衛隊用のトイレ、シャワー設備を空輸したり、日本の運営するキャンプ村を作るなど顔の見える支援を行うべき」と話していた。(埼玉1999/5/8)
※[組織犯罪対策三法]
- 「法案の成立は国際的公約でもあった」と、自民党の新藤義孝代議士は、国際化する組織的なテロ事件や薬物の進入をくい止めるためには、早期の成立が必要だったと力を込める。近年、欧米各国が情報傍受をはじめとする組織犯罪の取り締まりを厳しくした結果、「このままでは、日本が世界の悪の温床になりかねない」との危機感があるという。
法の運用による人権侵害への懸念は、「法の理念を保証しないことがあれば罰せられる。公権力が暴走しないよう、政治家が厳しく監視していく必要がある」と、政治の検察権力などへの監視を強めたいとしている。(埼玉1999/8/13)
▽立候補形態:重複=埼玉8区(落選)+比例区北関東
塩川鉄也(しおかわてつや) 名簿へ
▽生年月日:1961年12月18日
▽出身地:日高市生まれ
▽住所:
- 埼玉県日高市大字下大谷沢407番地1(1996/10衆院選時)
- 埼玉県所沢市下富1157番地の55(2000/6衆院選時)
▽学歴:県立川越高、都立大人文学部卒(学生自治会委員長)
▽縁戚関係:
▽職業/職歴:
▽歴任役職:
▽当選回数:4
▽政党会派:共産党
▽所属議員団体:
▽支持/後援団体:
▽政歴:
- 民青地区委員長
- 1996年10月 衆院選出馬落選(共産党公認)
- 2000年6月 衆院初当選(共産党公認)=比例区北関東復活当選
- 2003年11月 衆院2期目当選(共産党公認)=比例区北関東復活当選
- 2005年9月11日 衆院3期目当選(共産党公認)=比例復活
- 2009年8月30日 衆院埼玉3区重複立候補(共産党公認)=比例区北関東復活当選
- ▽公約/政策:
- ※[2000年6月衆院選挙公報]
○予算の主役を福祉・くらし・教育に
- 公共事業に50兆円・社会保障に20兆円という税金の使い方は、欧米諸国に比べてまったく「逆立ち」しています。ムダな公共事業を削れば、介護・医療・子育て支援も充実させながら国の財政立て直しができます。
- ○雇用とくらし・環境守るルールの確立を
- ○基地撤去、憲法まもり、社会のゆがみをただす
- ▽記 事:
- ※
▽
立候補形態:埼玉8区(落選)+比例区北関東
柴山昌彦(しばやままさひこ) 索引へ
▽
生年月日:1965年12月5日生まれ
▽
出身地:愛知県。高校2年の時、所沢に移住。
▽
住所:
- 所沢市小手指町4丁目
- 埼玉県所沢市小手指町2丁目3番地の24(2009/8衆院選時)
▽
学歴:東大法学部卒
▽
縁戚関係:
▽
職業/職歴:
- 1990年に大学卒業後、住友不動産に1年半勤務。
- その後弁護士を志し、1998年、司法試験合格。弁護士(虎門中央法律事務所勤務。東京弁護士会所属)
▽
関連会社等報告:
▽
歴任役職:
▽
当選回数:3
▽
政党会派:自民党
▽
所属議員団体:
▽
支持/後援団体:
▽
政歴:
- 2004年3月 自民党の衆院埼玉8区補選候補者一般公募に応募し合格。
- 2004年4月25日 新井正則衆院議員の辞職に伴う衆院埼玉8区補選に出馬(自民党公認)=初当選
- 2005年9月11日 衆院2期目当選(自民党公認)
- 2009年8月30日 衆院3期目当選(自民党公認)=比例北関東復活当選
▽
公約/政策:
※
▽
事 件:
※
※
▽
記 事:
※[2004/4/25 衆院埼玉8区補選]
- 2004年1月19日、新井正則衆院議員(自民党、埼玉8区)が公選法違反により辞職。
- 2004年2月、衆院埼玉8区の補選候補者を公募する自民党の新聞広告を見て「雷に打たれるような衝撃を覚え」て応募、60人以上の応募者から候補者に選ばれる。
- 都内の私立中学・高校の同級生評は、「思いこんだらとことんやる。まじめで一本気」。選挙戦では「しがらみや因習を改革して正直者が報われる社会をつくります」「自民党を変える、この埼玉8区から日本を変えるという強い信念を持って、全力を尽くすことを約束します」「自民党の旧来の体質がいいと思っている人はほとんどいない。だからこそ、自分のような素人が、内側から変えていかねば」等と訴えた。(朝日西埼玉2004/4/15、埼玉4/14、4/20)
- 3月25日、元衆院議員の並木正芳(54)が衆院埼玉8区補選不出馬を表明。3月23日に所沢入りした安倍幹事長に「自民党に入って協力して欲しい」といわれ、今後の国政選挙への立候補を念頭に「私を生かすことがあればお願いする」と要望したことを明かす。並木氏は以前から自民党への復党を望んでおり、大野松茂議員は「手続が済み次第復党してもらい、選対の一翼を担ってもらう」と述べた。(埼玉2004/3/25)
並木正芳元衆院議員が柴山支持に回ったことに伴い、公明党が柴山候補の推薦を決定。
- 柴山昌彦が、民主党・木下厚に約5,600票の差をつけて初当選。補選特有の低投票率(35.22%)のため(昨年11月総選挙時の同区投票率は54.96%)、公明党が柴山支持に回ったことが勝敗を左右する決定的な要素になった。
- 「私は公募で選ばれた。しがらみをなくす」と訴えてきた柴山氏。当選から一夜明けた4月26日の会見では斎藤所沢市長や地元県議らの名を1人ずつ挙げ、感謝の言葉を述べた。言い忘れた人物は丁寧に付け加えた。その中には、かつて新井前議員の選対本部長を務めた県議の名もあった。(朝日西埼玉2004/4/28)
※[2005/9 衆院選]
- 柴山「自前の組織が不十分な中で、地元の市長や議員、公明党などに格段の支えをもらった」。(埼玉2005/9/27)
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Last Modified : October 14, 2005