☆2005年9月11日衆院選以降の当選者を掲載☆
【索引】
1区/武正公一|2区/新藤義孝|3区/今井宏|4区/早川忠孝|5区/枝野幸男
6区/大島敦|7区/中野清|8区/柴山昌彦|9区/大野松茂|10区/山口泰明
11区/新井悦二|12区/小島敏男|13区/土屋品子|14区/三ッ林隆志|15区/田中良生
1区:
さいたま市 浦和・緑区・見沼・岩槻区
2区:川口市 鳩ヶ谷市
3区:草加市 越谷市
4区:朝霞市 志木市 新座市 和光市
5区:
さいたま市 西・北・大宮・中央区
6区:上尾市 桶川市 鴻巣市 北本市 伊奈町 吹上町
7区:川越市 富士見市 上福岡市
8区:
所沢市 大井町 三芳町
9区:飯能市 狭山市 入間市 日高市 毛呂山町 越生町
10区:
東松山市 坂戸市 鶴ヶ島市 小川町 川島町 吉見町 嵐山町 鳩山町 滑川町 玉川村 都幾川村
11区:
秩父市 本庄市 深谷市 横瀬町 皆野町 長瀞町 小鹿野町 美里町 児玉町 神川町 神泉村 上里町 江南町 岡部町 川本町 花園町 寄居町 両神村 東秩父村
12区:
熊谷市 行田市 加須市 羽生市 妻沼町 大里町 騎西町 北川辺町 大利根町 川里村 南河原村
13区:
春日部市 久喜市 蓮田市 白岡町 宮代町 菖蒲町
14区:
八潮市 三郷市 吉川市 幸手市 栗橋町 鷺宮町 杉戸町 庄和町 松伏町
15区:
さいたま市 南・桜区 戸田市 蕨市
▽選挙区:埼玉1区
武正公一(たけまさこういち) 索引へ
▽生年月日:1961年3月23日
▽出身地:
▽住所:
- 埼玉県浦和市大東3丁目36番14号101(1995/4現在)
- 埼玉県浦和市大東3丁目37番5号202(1999/4現在)
▽学歴:木崎小、木崎中、県立浦和高、慶大法学部政治学科卒。
▽縁戚関係:妻、1男1女(1999/4現在)。
▽職業/職歴:
- 松下政経塾員(5年間在籍し1989年卒塾)。
- コンサルタント会社社長。
▽関連会社等報告書:
- [1996年](有)未来デザイン研究所代表取締役(浦和市北浦和1-2-15森ビル4F)。
- [1997-98年]同上
- [1999年]なし
- [2007年]なし
▽歴任役職:
- [元]埼玉総研客員研究員。
- 浦和で「プロサッカー球団をつくろう会」発起人代表。
- レッドダイヤモンズ後援会運営副委員長、埼玉県ボウラーズ連盟会長。
▽当選回数:3(埼玉県議2期)
▽政党:
- 無所属(1995/4)/連合歩みの会→歩みの会・民主(1999/4)→〈以上、県議時代〉→民主党
▽所属議員団体:
- 見沼田圃土地利用研究議員連盟幹事。サッカー議員連盟幹事。新都心整備促進連盟役員。「七の会」事務局幹事。
▽支持/後援団体:
▽政歴:
- 1984年 松下政経塾入塾
- 日本新党総支部幹事。
- 1991/3埼玉県議選初出馬=落選
- 1995/4埼玉県議初当選(無所属)
- 1999年4月 県議当選(無所属。民主党・連合埼玉推薦)
- 2000年6月 衆院選出馬(民主党公認)のため県議辞職=衆院初当選
- 2003年11月 衆院2期目当選(民主党公認)
- 2005年9月11日 衆院3期目当選(民主党公認)
▽公約/政策:
※[1999年4月県議選挙公報]
- ●3市合併、政令指定都市を実現させよう!−県と政令市の切磋琢磨により埼玉県の全体的なレベルアップを!
- ●2002年ワールドカップ開催を成功させよう!−2002年W杯を契機に国際都市へ転換を図ると共に、W杯後のスタジアムの管理運営は民間主体で!
- 地方自治体(県・市)の財政が厳しい中、スリムな小さな埼玉県に!
- 景気回復の決め手は行政の構造改革から。PFIの手法や規正の見直しを!
- 第三者による事業評価の実施など、自治体運営に経営感覚を!
- ダイオキシン、浮遊微粒子状物質問題は国際基準「ISO 14001」に則り環境に負荷を与える企業には市場原理で対応!
- 見沼田圃の保全と活用を進め、不法投棄対策と歩け歩けブームの振興を!
- リサイクルを推進し、リサイクル製品の流通と市場づくりを進め、ゴミと産業廃棄物の減量化のための技術支援と制度融資の充実を!
- 福祉オンブズマン制度づくりと、福祉作業所などの経営基盤の確立を!
- 介護保険導入を控え企業・団体・個人それぞれを民間サービス提供者として育成・支援!
- 県高度救命救急センターの整備など、救急医療体制の充実を!
▽記 事:
※[2000年6月 衆院選立候補表明]
- 1999年8月6日、武正公一県議は次期衆院選に1区(浦和市、蕨市)から民主党公認で立候補する意思を表明した。
※[初当選時の抱負]
- 「行政主導から民間主導に、国の形を変えるのが私の仕事。規制改革や税制改革など、一点突破で実績を作りたい」。三市合併後にできる新市を、地方分権のモデルケースにするアイデアも。「分権を渋る省庁に対し、平成初の百万都市として働きかけたい。IT産業やベンチャー企業を集めて経済の活性化を」と話す。
「浦和プロサッカー球団をつくろう会」代表として、Jリーグ浦和レッズの招致に尽力した。「日本にスポーツ文化が育たないのは、税制の問題があるから。寄付金控除など、市民活動を認める税制度を構築、百万都市のあちこちに欧州型のスポーツクラブを」。(埼玉2000/7/6)
▽選挙区:埼玉2区
新藤義孝(しんどうよしたか) 索引へ
▽生年月日:1958年1月20日
▽出身地:川口市生まれ
▽住所:埼玉県川口市柳崎1丁目10番30号
▽学歴:明大文学部卒
▽縁戚関係:
- 曾祖父は村会議員。祖父は川口市議会議長と代々の議員一家。母方の祖父は硫黄島最高司令官・陸軍大将の栗林忠道。父は映画監督、母は女優。議員あり、陸軍大将あり、映画監督に女優ありと、多彩な家に育つ。
▽職業/職歴:
▽関連会社等報告:
- [1999-2001年]川口ふたば幼稚園副園長(川口市)。2004年9月1日、園長就任
- [2007年]川口ふたば幼稚園園長(川口市)
▽歴任役職:
▽当選回数:3
▽政党:自民党
▽所属議員団体:
- 【派閥】小渕派(初当選時無派閥→1998/7/22現在→2000/5/14小渕恵三死去)→橋本派→無派閥(2005/9現在)→津島派(2007/5現在)
▽支持/後援団体:
▽政歴:
- 1991年33歳で川口市議初当選1期。
- 1996年10月 埼玉2区から初出馬するも落選、比例区で復活当選。
- 2000年6月 衆院2期目当選(自民党公認)
- 2003年11月 衆院選落選(自民党公認)
- 2005年9月11日 衆院3期目当選(自民党公認)
▽公約/政策:
※1996/10選挙公報
- アチコチ動く政治家が政治混乱を深刻化しています。私は道を変えずに、自民党を改革し、責任ある未来を作ります。私は、『一番柔軟で自由に議論できる政党』『未来に責任ある判断ができる政党』として、自民党を選択し、暮らしに身近な政治を実現します。
- [7つの主張]1.主役は市民です。2.主体は、地域と産業です。3.主義は、暮らし第一主義です。4.主軸は、広域行政です。5.主眼は、景気回復です。6.主役は子供たちです。7.主題は、安全の再構築です。
▽記 事:
※[1996年10月 当選時の抱負]
- 消費税問題は自民が多数を取ったのでどうなるか分からないが、徹底的に議論して「抵抗」したい。行政改革、景気浮揚策についても真剣に取り組んでいきたい。(埼玉1996/10/29)
※[何に最も力を注ぐのか。]
- 「住宅と工業の共存」これが新藤氏の第一のテーマである。地元埼玉県川口市は、中小企業の街であると共に住宅化が進んでおり、既存工業の追い出しが行われており、工場の立地が阻害されているという。「日本の就労者の70%が中小企業の従事者という中で、中小企業がよくならないと、日本の経済がよくならない」というのが持論であることから、「中小企業の活性化のために、住工業がバラバラではなく、共存できるような政策を考える」ということが新藤氏の公約である。「住んでいる人にとっては、工場は臭かったりして困るもの。しかしその工場がなければ街では働く場所がない、という矛盾がある。住宅と工業を共存させるためには、ただお互いが我慢するのではなく、互いが必要なものとして考えることが必要」という。そのためにこれまで取り組んできているのは「特定産業集積活性化法」の成立である。埼玉県および川口市が特定地域として、また特定業種として関連業種が国の指定を受けることができれば、操業環境の恩典や融資、税制などで優遇されることになる。中小企業の活性化、そして住の共存へ、国会議員ができる第一歩である。(1997年6月25日収録)=『1997年版/国会議員の公約と行動』より
※[派閥離脱]
- 自民党橋本派に所属していたが2001年4月の総裁選で「派閥単位の応援は止めようと派閥から離れ、仲間の3人(大村秀章=愛知13、下地幹郎=比・九州、梶山弘志=茨城4)と共に橋本、麻生、亀井の4人の候補者と個別の懇談会を開いて政策を聞き勉強しようと運動した。悪い意味での派閥政治はやめないといけない」。(新藤義孝メールマガジン「週刊新藤」第67号)
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※[2000年6月衆院選]
- 新藤は、前回保守票を激しく奪い合い僅差(610票)で競り負けた石田勝之(改革クラブ、44)との間に、早くもつばぜり合いが始まっている。自民党コソボ難民支援対策本部NGO支援小委員長として、難民キャンプを視察し「国際派」をPRする一方、地元の都市基盤整備自供などに国庫補助金を付けた話を引き合いに出し、「実利」のアピールも忘れない。(朝日1999/8/24)
※[出直しフォーラム]
- 自民党の新藤義孝前衆院議員の「出直し東京フォーラム」が千代田区のホテルで支援者約1200人を集めて開かれ、武部勤幹事長、安部晋三幹事長代理、小池百合子環境相、中川正一経産相らが応援に駆けつけた。(埼玉2005/3/25)
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※[1998年7月自民党総裁選]
- 前回の総選挙で初当選した新藤氏は、テレビ番組に連日出演する小渕氏に秘書のように寄り添っている。番組がコマーシャルで途切れると、「小渕さん、もっと背筋を伸ばした方がいいですよ」と声をかける。新藤氏と山口(泰明)氏は共に小渕派。両氏とも「小渕さんはイメージとはまったく違う人。選挙後、しこりを残さず党をまとめていけるのは小渕さん」と口をそろえる。(朝日西埼玉98/7/23)
- 一回の投票であっさり決まった自民党総裁選。県内の代議士はおおむね派閥の方針に沿った形で3つに割れた。小渕派の一年生議員新藤義孝代議士は、この日も小渕氏にボディガードのように付き添った。五十音順に並んだ両院議員総会の席も特別に入れ替え、小渕氏の隣りに座った。「盾代わりに横にいろ」と指示されたという。小渕氏が最初の投票で過半数を獲得し、「予想以上の結果。人事で締め付けなかっただけに心配したが、良かった」と胸をなで下ろした。(朝日西埼玉1998/7/25)
※[2001年4月自民党総裁選]
- 自民党橋本派若手議員は4月13日午後、新藤義孝、下地幹郎、大村秀章、梶山弘志の4氏が呼びかけて党本部で会合を開き、総裁選の候補者に討論会開催を求める方針を決めた。鈴木宗男・橋本派総務局長から「派閥の結束が乱れる」と説得を受けたが、「(候補者から)直接話を聞きたい」として押し切った。鉄の結束を誇る橋本派の足下の乱れが拡大した形で、総裁選の行方に微妙な影響を与えそうだ。会合には埼玉県からは山口泰明、三ッ林隆志の両衆院議員が参加した。(埼玉2001/4/14)
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※[靖国神社参拝]
- 2001年夏−本人出席
- 2002年8月15日(終戦記念日)−代理出席
※[小泉首相の終戦記念日靖国参拝]
- 新藤「クレームを承知で一度公式参拝してみて、問題があれば、次を考える機会にすべきではないか。毎年同じことの繰り返しをすべきではない」(埼玉2001/8/12)
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※[政治家の株取引]
- 新井将敬代議士の自殺をきっかけに問題になっている政治家の株取引についての意見「権限や地位による不当利益を得ないようルール必要」。(朝日西埼玉98/3/19)
※[コソボ紛争 難民キャンプ視察]
- 新藤義孝衆院議員ら自民党1期生の若手4人が、連休を利用してユーゴスラビア・コソボ紛争の難民キャンプを視察した。新藤議員らが訪れたのはマケドニアのスコピエの難民キャンプ。政府は難民支援のため2億ドルの拠出を決めているが、新藤議員は「現金だけでなく、自衛隊用のトイレ、シャワー設備を空輸したり、日本の運営するキャンプ村を作るなど顔の見える支援を行うべき」と話していた。(埼玉1999/5/8)
※[組織犯罪対策三法]
- 「法案の成立は国際的公約でもあった」と、自民党の新藤義孝代議士は、国際化する組織的なテロ事件や薬物の進入をくい止めるためには、早期の成立が必要だったと力を込める。近年、欧米各国が情報傍受をはじめとする組織犯罪の取り締まりを厳しくした結果、「このままでは、日本が世界の悪の温床になりかねない」との危機感があるという。
法の運用による人権侵害への懸念は、「法の理念を保証しないことがあれば罰せられる。公権力が暴走しないよう、政治家が厳しく監視していく必要がある」と、政治の検察権力などへの監視を強めたいとしている。(埼玉1999/8/13)
▽選挙区:埼玉3区
今井 宏(いまいひろし) 索引へ
- ▽生年月日:1941年7月15日
- ▽出身地:草加市生まれ
- ▽住所:埼玉県草加市高砂2丁目19番7号
- ▽学歴:
- 1954年3月 草加市立草加小学校卒
- 1957年3月 草加市立草加中学校卒
- 1960年3月 埼玉県立春日部高卒
- 1974年3月 早大政経学部中退
- ▽縁戚関係:
▽職業/職歴:
- 1964年イマイ自動車工業創業、のちイマイ自動車(株)
▽関連会社等報告:
- [1997年]イマイ自動車工業取締役(草加市)
- [1999年]なし
- [2007年]なし
▽歴任役職:
- ▽当選回数:3(草加市議2期、草加市長4期)
- ▽政党会派:
日本新党(1993/7衆院選時)→新進党(94/12-97/9/26離党)→自民党(97/12/10-)
- ▽所属議員団体:
- 【派閥】宮沢派(1998/7/22現在)→堀内派
- 憲法制度調査委員会設置推進議員連盟衆議院自民党実行委員。デノミ推進議員懇談会事務局長(2001年1月1日より100分の1のデノミを実施することを目指す超党派の議員連盟)
- ▽支持/後援団体:
- ▽政歴:
- 1970年(29歳)草加市議初当選2期。1976年草加市議長。1977年10月 36歳で草加市長就任4期。
- 1993年7月総選挙で衆院初当選(日本新党公認、52歳)。
- 日本新党政策副委員長。新進党埼玉県連会長(就任2ヶ月後に離党)。
- 1997年12月10日、自民党入党。
- 2000年6月 衆院選落選(自民党公認)
- 2003年11月9日 衆院比例区復活当選(自民党公認)
- 2005年9月11日 衆院埼玉選挙区当選(自民党公認)
▽公約/政策:
- ※93/7衆院選挙公報
- 埼玉県南の活性化(埼玉の21世紀を担う県南6市の道路と鉄道のネットワークを構築し、地域の活性化に全力を尽くします)。
- 政治改革の実現(選挙制度や行財政制度の改革、政治腐敗の根絶など徹底した政治改革を断行し、政治に対する信頼を回復します)。
- 地方分権の推進。政界の再編成を。
- ※96/10衆院選挙公報
- 消費税引き上げ阻止。
- 中央官庁5割削減。
- 国会議員半減による議員立法能力の改善。
- 「快適都市」越谷・熊谷を開く(東武鉄道高架複々線化事業を春日部まで延長)。
- 草加市長時代に全国初の行政改革を断行し、13年間で295億円を節減した。
▽記 事:
- ※[著書]
- 『知水のすすめ−水を知って水を治める』(ぎょうせい。1985/2発行)−草加市長就任以来、水問題をまちづくりの根幹にすえて積極的に取り組んできたその経緯と内容を紹介し、地域と河川のかかわり方等を専門家との対談も交えながら解説。
- 『自治体の首長−21世紀の地方自治体戦略』(ぎょうせい)
- 『地方自治体21世紀に向けて』(日本労働研究所)
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- ※[政党遍歴]
- 日本新党
- 壮大なドラマが繰り広げられています。日本の変革というドラマが。社会全体が制度疲労に陥ろうとしているとき、政治はリーダーシップを発揮せずに、深刻な病気にかかっています。腐敗・無責任病という大病に。まず、ここからメスを入れなければなりません。政治改革というメスを。国民の意志で政権を変える大手術が必要です。それができるのは、あなたと私たち日本新党です。21世紀の日本のために、この選挙から始めましょう。確かな日本の変革の第一歩を。(93/7衆院選挙公報)
- 既成政党の枠組みと、自民党の一党支配を打破し、政権交代が可能な政界の再編成を断行します。(93/7衆院選挙公報)
- (93/7の朝日新聞埼玉版候補者アンケートで)今井宏候補(日本新党)「自民党は、一党単独長期政権のゆがみ、弊害で活力がなくなっている。宮沢喜一さんに政権交代しろといえなかった既成野党もまたしかりだが。55年体制の終焉だ。新体制を作っていかなくてはならない」(朝日97/8/28西埼玉)
- 新進党
- 新進党離党の意思を表明、新進党埼玉県連会長就任から2ヶ月余りだった。今井代議士 「党は選挙互助会となり、政治改革は選挙制度改革に終わった」、「二大グループの実現をめざす努力をしていくべきだと、離党の決意を固めました」、「当面は無所属だが、無所属では選挙は戦えない。非自民は時代遅れだと思う」。(朝日97/8/22西埼玉)
- 増田敏男代議士と共に新進党本部に離党届提出。「非自民は死語。改革に与党も野党もない」 と語り自民党入りを示唆。(朝日97/8/27西埼玉)
- 今井宏代議士が自民党入りを示唆したことについて、自民党草加、越谷支部は27日までに、松永光県連会長に「政治不信の元凶である政治家の変節、言行不一致、理念なき豹変行動に断じて反対する」との決議文を支部長名で送った。草加支部では「近日中に、橋本龍太郎総裁にも同じ内容のものを送付したい」としている。(朝日97/8/28西埼玉)
- 97/9/26、新進党は現職の県連会長だった立場を重視して、離党届を出していた今井宏代議士を除名処分にした。新進党を除名処分になった今井氏は(増田敏男代議士と同様に)、自民党入りに強い意欲を示した。今井代議士 「私は保守主義者。自民党入りは否定しない」 と話した。(朝日97/9/27西埼玉)
- 自民党入党
- 1997年12月10日、自由民主党は今井宏代議士の入党を認めた。
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- ※[2000年6月衆院選]
- 前回選挙では新進党公認候補として、自民党公認の野口卓爾と激しく争って当選。その翌年、自民党に入党した。自民党越谷支部は、党本部の決定に「地元を無視した横暴だ」と反発し続けている。自民党のある県議は、いきなり落下傘みたいに降りてきて、協力してくれっていわれてもねえ。そう簡単に気持ちは動かない」と話す。(朝日1999/8/25)
- 自民党に入党後、同党の草加、越谷支部は今井の支部入りに難色を示し、谷古宇勘司県議(49)の擁立を画策。谷古宇も出馬に意欲を示していたが、党中央の裁定で今井を3区支部長に決定。その後も谷古宇との間で公認争いの末、次期選挙は今井で一本化された。
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- ※[地方分権]
- やはり心配しておりますのは、都道府県に分権されてしまって、今の国と地方との関係が小さくなって、今度は都道府県知事と基礎自治体と同じような関係になってしまう。これを私は一番恐れているわけでございまして、これは分権にならぬわけで、都道府県はむしろ大臣もいいましたように支援する、サポートする役、市町村ができないものを手助けしていく、こういう形に変わっていかないと、かなり強烈な権限を持った知事が出現しますと、分権はわが方だということで違った方向に行ってしまうという恐れをすごく感じている1人でございますので、どうぞご指導をお願い申しあげたいと思います。…(1997年2月25日、地方行政委員会での発言)
- ※[政治家の株取引]
- 新井将敬代議士の自殺をきっかけに問題になっている政治家の株取引についての意見「規制うんぬんより、公開する方が意味がある」。(朝日西埼玉98/3/19)
- ※[1998年7月自民党総裁選]
- 「日本の次期総理はだれが一番ふさわしいかご意見をお寄せ下さい」。今井代議士は23日未明、総裁選についてのアンケートを支持者3千人にファックスで送る。梶山、小渕、小泉3氏の名前を記し、○印をつけて事務所にファックスで返答してもらう。その結果を踏まえて、投票する候補者を決めるつもりだ。
今井氏は1996年の総選挙で新進党候補として当選、昨年暮れに自民党に移った。迎え入れてくれた宮沢派の幹部は小渕氏支持を打ち出した。一方、「くら替え」を認めた支持者が口にするのは、梶山、小泉両氏の名ばかり。「苦しい選択になるが、国民にメッセージを送れる人に投票するだろう」(今井氏の秘書の話)という。(朝日西埼玉98/7/23)
- ※[靖国神社集団参拝]
- 1999年8月15日(終戦記念日)−本人出席
▽選挙区:埼玉4区
早川忠孝(はやかわちゅうこう) 索引へ
▽生年月日:1945年9月4日
▽出身地:長崎県
▽住所:埼玉県朝霞市岡2丁目12番41号
▽学歴:都立西高。東大紛争のため1969年6月 東大法学部卒
▽縁戚関係:妻・3男2女(2003/11現在)
▽職業/職歴:
- 1969年7月 自治省入省
- 1973年2月 富山県庁地方課・商工振興課・自治省行政局等に勤務の後、自治省退官
- 1968年 司法試験・国家公務員試験合格
- 1975年4月 弁護士登録(東京弁護士会所属)
- コスモ法律事務所所長
- 2003年4月 東京弁護士会副会長就任
▽関連会社等報告:
▽歴任役職:
▽当選回数:2
▽政党会派:自民党
▽所属議員団体:【派閥】森派→町村派
▽支持/後援団体:
▽政歴:
- 1996年10月 衆院選出馬(自民党公認)=落選
- 2000年6月 衆院選出馬(自民党公認)=落選
- 2001年7月 参院選出馬(無所属)=落選
- 2003年11月 衆院初当選(自民党公認)=比例区復活当選
▽公約/政策:
▽事件:
- [所得報告書を訂正]
7月3日から閲覧が始まった国会議員の所得公開で、自民党の早川忠孝衆院議員は7月13日、所得報告書の訂正を衆院議長に届け出た。弁護士報酬の583万円を事業所得として新たに掲載した。早川事務所によると誤って報告書に記載し忘れたという。(朝日2006/7/14)
▽記事:
※[著書]
- 『時代に合った新しい憲法を創る』(早川忠孝著、1999.09.13 かんき出版):「創国・創憲」を提唱
※[2001/7参院選挙公報記載ミス]
- 2001年7月に行われた参院選で、早川忠孝候補の選挙公報に誤記があった。届け出ミスによる。
【誤】2001/7参院選挙公報プロフィル欄
昭和50年 自治省入省
平成 8年 弁護士登録
【正】2000年(および1996年)衆院選挙公報
昭和44年 自治省入省
昭和50年 弁護士登録
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※[自民党耐震偽装問題対策検討ワーキングチーム座長]
- 早川忠孝議員は標記チームの座長として休日を返上して活躍している。同チームは耐震偽装マンションなどの被害住民の公的支援のあり方や真相の徹底糾明、関係法改正を含む再発防止策を提言に取りまとめ、来年1月開催の通常国会提案のたたき台とするのが狙い。
党副幹事長で自治省在職と弁護士の経験が買われて座長に就任した。チームには柴山昌彦衆院議員と牧原秀樹衆院議員の本県出身議員がいるのも心強い。(埼玉2005/12/28)
- $表向きはこの記事の通りだが、耐震偽装問題には自民・公明所属議員の関与が囁かれており、「同チームの役割は“疑惑隠し”にあるのでは」との憶測が絶えない。12月22日昼、TBSテレビに出演した早川議員の態度は、そうした憶測を裏付けるものだった。この日、早川議員は終始にやつきながら、証人喚問の実施を回避して早期の幕引きをはかる自民党の正当性を強弁し、党益優先で見識のない俗物ぶりを国民に印象づける結果となった。
▽選挙区:埼玉5区
枝野幸男(えだのゆきお) 索引へ
- ▽生年月日:1964年5月31日
- ▽出身地:栃木県
- ▽住所:
- 埼玉県大宮市宮町2丁目108番地の1
- 埼玉県大宮市東町1丁目26番地(2000/6現在)
- 埼玉県さいたま市大宮区東町2丁目114番地(2003/11衆院選時)
- ▽学歴:
- 1983年 栃木県立宇都宮高、87年東北大法学部卒
- ▽縁戚関係:
▽職業/職歴:
- 1988年(24歳)司法試験合格
- 1991年(26歳)弁護士登録、高山総合法律事務所所属
▽関連会社等報告:
▽歴任役職:
- ▽当選回数:5
- ▽政党:
- 日本新党(1994/5/20離党)→[民主の風](1994/5-)→さきがけ(1994/7-)→民主党(1996/9結成)
- ▽所属議員団体:
- ▽支持/後援団体:
- ▽政歴:
- 1993年日本新党の候補者公募試験に合格し、93/7旧埼玉5区から衆議院議員に初当選。
- 1996年10月埼玉5区から出馬(民主党公認)するも落選、比例区で当選。
- 1997年民主党政策調査会長。98年(民主党拡大に伴い)民主党政策調査会筆頭副会長。
- 2000年6月 衆院3期目当選(民主党公認)
- 2003年1月 民主党政策調査会長就任(38歳)
- 2003年11月 衆院4期目当選(民主党公認)
- 2004年11月 民主党県連代表決定(無投票。任期:2005/3から2年間)
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- 2005年9月11日 衆院5期目当選(民主党公認)
- ▽公約/政策:
- ※93/7選挙公報
- 基本政策
- 1.多額の資金や大きな組織に頼らない、ボランティアによる政治の実践。
- 2.誰もが積極的に参加できる市民の常識があたりまえに通用する本当の民主主義の実現。
- 3.弁護士としての知識と経験を生かした、消費者・生活者の視点に基づく立法政策の推進。
- 4.徹底した地方分権による利益誘導型政治の排除。
- ※96/10選挙公報
- 薬害エイズ追究の経験を基に、抽象論や夢物語としての行政改革ではなく、具体的な根拠と手順を示します。
- 憲法の平和主義を守る非軍事の国際貢献。
- 女性の選択肢を増やす民法改正。
- 高齢化社会に対応する介護保険の実現。
- 画一的な教育から個性重視への転換。裁判の迅速化など司法改革。
- ※2000/6選挙公報
- 諫早湾干拓や吉野川過度関などムダな公共事業を3割削減
- 老人ホームやホームヘルパーの不足を最優先で解消
- 看護婦・介護士の倍増で医療事故を防止
- 公的資金を受けた銀行幹部の責任をきちんと追及
- 警察にも外部チェックを導入し、盗聴法は廃止
- ゆとりある暮らしを実現する連続休暇2週間の制度化
- 癒着の温床となる幹部官僚の天下りを全面的に禁止
- 子どもや保護者の選択肢を広げる学区制の柔軟化
- 違法な廃棄物処理などを許さない環境Gメンを設置
- 多様なライフスタイルを可能にする民法改正の実現
- ▽記 事:
- ※[著書]
- 『それでも政治は変えられる』(1998年刊。政界入りのきっかけや活動紹介、提言など。マネジメント社)
- 『小沢一郎「日本改造計画」への挑戦状!』(共著・平成6年、マネジメント社 )
- 『さきがけの行政改革』(共著・平成7年、新党さきがけ「政策ブックレット1」 )
- 『オウム事件は終わらない・カルト宗教と日本社会』(編著・平成8年、立風書房 )
- 『ゴルフ事業・ゴルフ会員権の法律実務』(共著)
- 『借地借家契約の文書文例165選』(共著)
- その他法律関係の著書多数。
- ※[何に最も力を注ぐのか]
- 枝野幸男氏は、「大上段に構えれば、この国を本当の民主主義・法治国家にしたい。この国は今はそのどちらでもない。」とし、国民がコントロールできる「政治が物事を決め」「行政よりも政治が力を持っている」システムを作る必要がある、と説く。そのためには情報が力となる現代において、「情報公開が全てであり、それがなきゃ何もできない。逆に情報公開がしっかりできれば行革は半分済んだも同然」と情報公開の必要性を強調する。その情報公開のための法案自体を行政改革のマターと位置づける氏は、自身が事務局長を務める民主党の行政改革本部の中に、情報公開法のプロジェクトを作り、政府からの法案をにらみながら、必要に応じては議員立法の準備をしている。「行政には国民がコントロールする権利はないが、政治家なら国民は辞めさせることができる。それで民主主義的な制度が成り立つのであり、そのために行政が持つ情報は政治が全てもつ、政治はさらにそれ以上の情報をもつ必要がある」と明快に主張する。(1996年12月12日収録)=『97年版/国会議員の公約と行動』より。
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- ※[政党遍歴]
- 1994年、日本新党を離党し新党さきがけ入党 ――日本新党は、「理想」主義を掲げながら、金権体質である小沢一郎氏の「現実」に妥協しました。日本新党の旗を守っているのは、私たちであると確信しています。組織・資金で選挙に有利な小沢氏や旧公明党に頼ることを潔しとせず、選挙には不利でも、初心を貫くために、あえて困難な道を選んだことをご理解下さい。(97/10ホームページより採録)
- ※[2000年6月衆院選]
- 埼玉5区の民主党公認をめぐり、枝野幸男代議士と金子善治郎氏が争っていた問題で、同党本部が枝野氏を5区の公認候補に、金子氏を比例区北関東ブロックの公認候補にそれぞれあてる方針を固め、両氏に打診していることが分かった。枝野、金子両氏とも了承し、来週の常任委員会で正式に決まる見通し。
前回の衆院選では、枝野氏が民主党から、自治官僚出身で元県部長の金子氏が旧新進党から立候補。自民党の福永信彦氏と激しく争ったものの、共に破れた。枝野氏は票数で金子氏に及ばなかったものの、比例区で復活当選した。その後、金子氏が新進党解党後の昨年9月に民主党に入党したことから、次期総選挙での公認をめぐり調整が続けられていた。(朝日西埼玉1999/12/23)
- 3期目を目指す枝野は、6年続ける週1回の早朝駅頭宣伝や10万枚におよぶ国政報告ビラの全戸配布などで「知名度は格段に上がった。現職を破る絶好の時」と自信を見せ、「勝敗ラインは7万票」と読む。ボランティアによる手作り選挙だが、民主党候補一本化により中道、一部保守層にどこまで浸透できるかがカギ。(埼玉2000/1/6)
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- ※[国会討論]
- 行政監察批判
- お金の管理がずさんになっている問題を抱えた社会福祉法人はどうしているのか。何のために行政監察をしているのかといえば、具体的にあがってきたような不当な事実があるから、それを直すために行政勧告をしている。その過程現状においては、総務庁の現場の人たちのところには改善されたという情報はいかない仕組みである。個別事業でおかしいことが出てきても、きちんと対応できるという仕組みを作らなければ、行政監査の意味がないのではないか。総務庁や内閣の下にどんな組織を作っても、今の憲法体系と法制局の憲法解釈を前提にしたら、その観察機関が内閣の行政各部に対して、指揮命令することはできない。
公益法人などにも問題があるのではないか。行政監察をもっとしっかりすればいろいろなところに無駄な金が浮いてくるのではないかというようなところを考えていくと、まだまだ今年の予算案の中の歳出は削れるのではないかということで、まずは公共事業費のコストが1割削減できるだろうコストを1割削減すると、国費ベースで1兆872億円の削減になる。(1997年2月18日、予算委員会での発言)
- 医療保健法改正 質疑全文
- 「小泉さん、離党して私たちと行動しよう」。民主党の枝野幸男政調会長代理が、8日の衆院本会議で医療保険改革関連法案の反対討論に立ち、小泉純一郎厚相に自民党からの離党を呼びかけた。
枝野氏は「薬害エイズで製薬企業との癒着を指摘された元厚生相薬務局長を現職議員に抱え、党首(総裁)自身が製薬企業との関係を取りざたされる政党が、一部の利権団体の利害に左右されず改革を進めるのは困難だ」と述べ、「厚生族のドン」といわれる橋本龍太郎首相(自民党総裁)や日本医師会の意向で法案内容を後退させた自民党を皮肉った。
さらに小泉氏を「与党の良識派」と持ち上げ、「医療の抜本改革に向け内側から足を引っ張られるなら、勇気を持って利権癒着の体制を飛び出し、共に改革の扉を開けよう」と訴えた。
政策実現のため与党とも協議する「建設的野党」を標榜する民主党だが、最近は「自民党が衆院で事実上の過半数を押さえ、簡単に妥協しなくなった」(幹部)。「政策実現の実を取るには、やはり自民党が割れないと無理」といい、これが過激な発言の背景にあるようだ。(毎日1997/5/9)
- 私学助成は違法(2005/2/17 憲法調査会) 質疑全文
- 私は、あの八十九条の文言をどう読んでも、現行の私学助成は違憲としか読めないと思っております。私が不思議でありますのは、憲法の文言を狭く厳格に解釈する立場から憲法九条で自衛隊が違憲という主張をされるのであれば、より一層、八十九条と私学助成の関係は違憲だという主張にならないと、どう考えても筋は通らないと思います。
- こうした意見に対しては、憲法の二十六条との兼ね合いを主張される方がおられますが、私はここは簡単な話だと思っておりまして、私学に助成をすることは憲法八十九条で禁止をされている、私立学校に通っている子供あるいはその保護者に対して助成を行えばいい。
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-
※個人情報保護法案について
- 私が、現在、直接担当している案件に個人情報保護法案があります。コンピューター社会にあって顧客情報や信用情報などの流出を防ぎプライバシーを守ろうという法案でその趣旨は大賛成です。
しかしこの法案は名簿流出など日々問題になっているプライバシー侵害に対する抑制措置が不充分なのに、報道などに対する行政介入の余地を設けるという「あべこべ」の中身になっています。
マスコミの過剰な取材などに対して個人のプライバシーを守る必要は否定しません。しかし、「何が過剰か」という判断を公権力に委ねてしまったら、報道が権力におもねる結果となり、本来の役割を果たせなくなります。
民間に対する個人情報保護法案と当時に、行政機関等の有する個人情報の保護法案も提出されていますが、民間に対しては罰則付きで規制しているのに、行政に対しては罰則がない上に、収集した個人情報の目的外使用について広範にこれを認めています。民間は悪いことをするけれども官は間違いを犯さないという時代遅れの官尊民卑思想に基づいています。
プライバシー保護を大義名分としながら実態は「行政のための個人情報管理法」になっているのです。 表現の自由という民主主義の基本に関わる重要問題です。政治倫理に関わる様々な問題もマスコミ報道がその糸口を作っています。一部に行きすぎがあったとしても公権力がこれを規制することは何としても阻止しなければならないと思います。(2002/4/26ホームページより採録)
- ※[薬害エイズ]
- 薬害エイズ問題追及の先頭に立ち、菅厚相就任後は大臣と被害者、弁護団のパイプ役として和解成立に尽力した。(97/10、ホームページ自己紹介 http://www.edano.gr.jp)
- 政府は1998年7月14日、薬害エイズ事件の公判で厚生省エイズ研究班第1回会合の模様を録音したテープの存在が明らかになった問題に関連して、枝野幸男代議士(民主)から出された質問主意書に対する答弁書を閣議決定した。この中で、1996年以降に11人の厚生省OBが医薬品関係の団体に再就職していることが明らかにされた。
枝野氏は、厚生省が製薬企業への再就職を自粛する措置を決めた96年以降に製薬企業や医薬品業界団体に再就職した厚生省の幹部職員を示すよう求めていた。答弁書によると、課長補佐以上を務めた同省のOB職員で医薬品の業界団体や特殊法人、公益法人に再就職したのは11人。製薬企業そのものへの再就職はなく「96年5月に厚生省が発表した企業への再就職の自粛措置に反していない」としている。
また、96年の東京地検による厚生省の家宅捜査で押収されたとされるテープについて、枝野氏が「厚生省はテープの存在を認識していたか」とただしたのに対し、答弁書は「(2年前の)省内調査ではテープの存在を認識していない。現在、エイズ研究班の議事の記録等に関して改めて調査している」としている。(朝日夕1998/7/14)
○民主党の枝野幸男・政調筆頭副会長と家西悟衆院議員は98年6月18記者会見し、前日の裁判で薬害エイズに関する新証拠が出現したことを受け、薬害エイズ真相究明特別本部を設置したと発表した。
枝野議員は「昨日の松村元生物製剤課長の公判で、厚生省エイズ研究班の録音テープの存在が明らかになった。今までなぜ出てこなかったのか、厚生省の証拠隠し、郡司元生物製剤課長の国会での偽証の疑いがある」と指摘した。
また、国会開会中にしか提出できない質問主意書を、会期末のこの日に急遽、枝野議員名で提出した。(1998/7/17、枝野幸男ホームページより採録)
主意書での主な質問事項
- 薬害エイズ訴訟和解の前提でもあった「薬害根絶誓いの碑」建立について、厚生官僚が「根絶」の文字を刻まないなどの提案を繰り返しているが、和解合意に携わった小泉厚相はどう考えるのか。
- 98年6月17の公判で存在が明らかになったテープを、検察庁はどこから押収したのか、また、厚生省はテープの存在を認識していたか。
- 薬務官僚の製薬業界への天下りが相変わらず行われているが、厚生省は96年9月の自粛措置を継続しているのか。
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- ※[政治家の株取引]
- 新井将敬代議士の自殺をきっかけに問題になっている政治家の株取引についての意見「法規制で全面公開し、取引は自制すべきだ」。(朝日西埼玉98/3/19)
- ※[サッカーくじ法案]
- サッカーくじ法案については、ファン層の中心が未成年であり、青少年への影響が否定できないこと、採算性にも疑問があり、赤字になる可能性も大きいこと、そして、文部省の利権づくりという側面が否定できないことなどから、反対をしました。スポーツ振興のための資金作りという目的はわかりますが、それならば、諫早湾干拓や整備新幹線に代表される不要な公共事業を削減して、その予算を充てるべきではないでしょうか。(ホームページ「えだの幸男国会通信vol.15」より採録)
- ※[選択的夫婦別姓制度]
- 選択的夫婦別姓のほうは、まだ実現していませんが、引き続き取り組んでいます。民法が改正され、夫婦別姓が認められるようになっても、夫婦同姓がいいという人たちはこれまでどおり同姓になるわけで、別姓を強制しようというものではありません。しかし、現状は、同姓を強制しているわけです。そのため、名字が変わるのがいやで結婚に踏み切れない人や、仕事上不便なので、戸籍上は夫の姓なのに、普段は旧姓を使っている女性もたくさんいます。すべてを別姓にしようというのではなく、そういう人たちのために、部分的に別姓も認めようというものなのに、どうして反対する人がいるのか、私には理解できません。(『それでも政治は変えられる』1998年5月刊、p111)
- ※[少年法改正]2000年
- まずは、少年法改正について話をさせていただきます。少年法改正には、大きく2つのポイントがあります。1つは刑の厳罰化、もう1つは少年審判への検察官の導入です。
▼ @ 刑の厳罰化
<< 少年法を厳しくしても、犯罪は減らない。 >>
- 近年、少年による理解不能と思われるような殺人が多発しており、これにどう対応するかというのが大きな問題となっています。議論の中の一つに、「少年法が甘すぎるから犯罪が起こる。厳しくすれば犯罪が減る」という主張があります。この国会に提出されている与党案もこの主張に基いています。
しかし、この主張は大きな間違いです。刑罰を厳しくした効果として犯罪が減ったということは、今だかつて客観的なデータとして実証されたことはありません。それに、そもそも少年犯罪が増えているというのも間違っています。統計を見ると、昭和30年代くらいから少年犯罪は減少しているのです。
<< 被害者の人権という観点からの厳罰化 >>
- そのことを踏まえた上で、私は刑罰を厳しくすることには、賛成です。その理由は、犯罪を抑制するためではなく、被害者やその家族の人権という観点からです。保護観察や少年院送致は、少年の更正を目的としたもので、ペナルティーではありません。 少年の更正は少年法の大事な理念ですが、殺された被害者の人権と比較衡量すると、ペナルティーをつけることはやむを得ないのではないでしょうか。
では、その上で、与党案と、民主党の修正案を見てみたいと思います。
まず、従来ですと、14-15才であれば刑事裁判にかかる可能性はなく、全て少年法の保護の下、家庭裁判所で少年審判が開かれます。16-17才の場合は少年審判か刑事裁判かを家裁が判断するようになっています。
与党案と民主党修正案は、重大犯罪に限って、14-15才でも刑罰を科すことを可能にし、また、16-19才では、刑事裁判を原則としています。 ではどこに違いがあるのかというと、刑事罰を課す範囲にあります。与党案ですと 「故意の犯罪で人が死んだとき」に刑事裁判かけるようになっています。一方、民主党案では、 「殺人の故意で人が死んだとき」に刑事裁判にかけるようになっています。
与党案では、殺人の意図が無い場合まで含んでしまいますが、民主党修正案では、殺人の意志があったかどうかが境目になっています。ここでの判断基準になるのは「人を殺してはいけないというのは14、5才になれば分かるだろう」ということです。ですから、殺人の意図があって人を殺した場合には原則的に刑事裁判にかけることにします。なお、いずれにしても、やむにやまれぬ事情など、特に同情の余地がある場合には家裁に回すことがあっていいと思います。
▼ A検察官の導入
- 次の改正のポイントは、少年審判に検察官を入れるということです。これは与党案は入っていますが、私たちは強く反対しています。私はここが、少年法改正の一番大きなポイントになると考えています。
まず、従来の審判の方法を説明します。刑事裁判ですと、検察官と弁護士が対等の立場から事実認定や証拠について争った後、第三者である裁判官が判決を下します。しかし、少年審判では、まず最初に、警察の資料がそのまま裁判官に渡され、それに基き裁判官が少年に質問をしたり、少年が反論を行なったりします。これは、事実の認定という側面から見ると少年にアンフェアですが、少年法の理念として、犯罪の白黒をつけることよりも少年の更正を目的にしており、裁判官と少年が話し合うことに主眼を置いているので、このような制度になっています。
それなのに審判に検察官を導入するという与党案は、事実認定におけるアンフェアをより一層広げることになります。私は、この点は絶対に許してはいけないと思っています。少年が否認するときには、刑事裁判と同様に、弁護士、検察官が犯罪事実について争い、事実認定を別の裁判官が判断した後に、本来の少年審判の手続きにもどし、裁判官が少年と話し合い、結論を出すようにするべきです。(2000/10/31ホームページより採録)
- ※[永住外国人参政権]
- 次のテーマとして、永住外国人の参政権があります。この問題は、国政の参政権でしたら、日本国籍を持つ者に限るということでいいのですが、地方自治体であったら、そこの地域に暮らしている外国人に参政権を与えてもいいのではないかというものです。
特に日本では、戦前に強制に近い形で連れてこられた在日韓国朝鮮の人達がおり、歴史的な経緯からも、与えた方が良いのではないかという声があります。
▼ 地方自治という観点
- 私は、この問題で言われていることは、賛成にしろ反対にしろ大きな間違いを犯していると思っています。それは、どちらの論者にしても、地方自治という観点が全く無いからです。
地方の選挙制度をどうするか、ということを何故国会で決めるのでしょうか。その町々の意志決定はその町で決めるべきではないでしょうか。今は地方自治法で全国一律で選挙のやり方が決まっていますが、私は、市町村長選や市町村議会選のやり方を市町村独自で決めても良いと思っています。
ですから、永住外国人に選挙権を与えるかどうかは、本来ならばその自治体ごとで決めればいいことです。永住外国人参政権の議論で、よく「国益」という言葉が出てきますが、そもそも地方自治体の選挙で外国人に参政権を与えたからといって国益に影響が出る、今のシステムがおかしいのだと思っています。(2000/10/31ホームページより採録)
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- ※[永田町の常識]
- 私は、五年前の七月、衆議院議員に初当選しましたが、そのわずか五ヶ月前まで、国会議員はおろか、その秘書や政党関係者、政治部記者等を含めて、いわゆる永田町の住人には一人の知り合いもいませんでした。私の政治への接点はただ一つ、当時の日本新党が実施した、候補者公募試験に合格したことだけだったのです。そんな立場からみると、政策や政治姿勢等はもちろんのこと、日常的なことでも、永田町の常識に疑問を感じることが少なくありません。
その一つが、自分の党の先輩議員等に対する敬称です。一般には、社長であれ専務であれ、自分の社内の人間について社外の人に話すときは、敬称を付けないのが常識です。こうした視点からすれば、党外の人に対して自分の属している党の幹部や先輩議員について話すときも、当然のことながら敬称を付けるべきではないと思います。しかし、永田町では、あたりまえのように「先生」という最大級の?敬称が付けられています。私が他党の方に「代表の菅が」とか「鳩山が」などというと、こいつは礼儀知らずの人間ではないか、という目で見られることすらあります。
この極端な例は、秘書さんが自分の付いている議員のことを「うちの先生が」などというケースでしょう。自分のいわば身内のような立場の人間が、外の人に向かって自分のことを先生と言っていることについて、それをあたりまえだと思ってしまう神経は、私には理解できません。
そもそも、議員のことを「先生」と呼ぶこと自体、いまだに違和感があります。一般に「先生」は人にものを教える立場の人に付く呼称でしょう。医者や弁護士までは何とか理解できますが、政治家は、人々に政策を訴えることはあっても、ものを教えるのとは違います。可能な限り「先生と呼ばないで下さい」とお願いしていますが、はじめて会った人の八割方からは「先生」と呼ばれますし、役所の皆さんに至っては、何度お願いしても「枝野さん」とは呼んでくれません。どうやら「先生」と呼ばないと機嫌の悪い議員も少なくないようで、多くの議員と接触がある役所の人に、「先生」と呼ばなければならない議員と、呼んではいけない議員とを区別しろというのは、酷なことのようです。(尾崎行雄記念財団発行「世界と議会」98年6月号 「議員の声」掲載。1998/10/19、HPより採録。)
- ※[政党は政治家や有権者の「道具」]
- (民主党政策調査副会長として金融再生関連法の審議を終えて)民主党で活動されて制約はありませんか。――枝野「中身については完全にまかせてもらった。テーマごとにわかっている人間が担当しないと、縦割りで専門家が大勢いる官僚システムに勝てるはずがない。政党は政治家や有権者にとって道具です。今回の経験で、民主党も使い勝手がいいと思いました」。(朝日1998/10/21)
- ※[労組の組織内候補の擁立]
- 民主党の玄葉光一郎や枝野幸男ら当選3回の代議士5人は8月8日、国政選挙の比例区で労組の組織内候補を公認すべきでないなどとした党改革案を鳩山代表に申し入れた。「比例区の労組出身者は既得権益擁護に回らざるを得ない立場に追い込まれる」としている。(朝日2001/8/10)
▽選挙区:埼玉6区
大島敦(おおしまあつし) 索引へ
- ▽生年月日:1956年12月21日
- ▽出身地:北本市生まれ
- ▽住所:埼玉県上尾市本町3丁目7番3号岡村ビル3F13号(2000/6現在)
- ▽学歴:私立京華高卒(東京都文京区)。2浪後早大法入学、1981年卒業
- ▽縁戚関係:
- 父:[元]北本市議(自民系)
▽職業/職歴:
- 1981年 日本鋼管入社
- 1995年 ソニー生命保険入社
- 武蔵学園きたもと幼稚園理事長(家業)
▽関連会社等報告:
▽歴任役職:
- ▽当選回数:3
- ▽政党:
- 民主党
- ▽所属議員団体:
- 民主党政権を目指す同志の会
- ▽支持/後援団体:
-
- ▽政歴:
- 1999年5月 民主党衆院小選挙区候補者公募に合格
- 2000年6月 衆院初当選(民主党公認)
- 2003年11月9日 衆院2期目当選(民主党公認)
- 2005年9月11日 衆院3期目当選(民主党公認)
- ▽公約/政策:
- ※[2000年6月衆院選挙公報]
- 人間の幸福のためだと称して1人ひとりに依存心を埋め込んでいく社会や仕組みを改めなくてはいけません。それがお上であり、官主導であっても、あるいは、どんな形であれ、「依存」の構造は人間から「誇り」や「自尊心」「気概」を奪い取ります。もうそろそろ、私たちは、依存の構造、依存心を植え付けるシステムから自由にならなくてはいけないのではないでしょうか。
- ▽記 事:
- ※[2000年6月衆院選]
- 1999年春の民主党候補者募集に応募し、5月に資格者として合格。2000年1月29日に公募候補者の県内第1号に決まった。大島は「われわれ40代は、こんなに働いたのにどうしてくれるんだ、と一番頭に来ている世代」とし、雇用問題を中心に訴えていくとしている。(埼玉2000/2/1)
▽選挙区:埼玉7区
中野清(なかのきよし) 索引へ
▽生年月日:1936年1月1日
▽出身地:川越市
▽住所:埼玉県川越市久保町5番地3
▽学歴:川越一小、川越1中。川越高校。明大政経卒
▽縁戚関係:
- 4代続く菓子会社の経営者。7歳のときに父幸平戦死。
- 星野謹吾・元埼玉県議(富士見市選出、自民党)の義弟。
▽職業/職歴:
- くらづくり本舗(菓子会社)社長
- くらづくり本舗(菓子会社)会長(2000/6現在)
▽関連会社等報告:
- [1999年]くらづくり本舗会長(川越市)
- [2000-01年]くらづくり本舗代表取締役会長(川越市)
- [2007年]くらづくり本舗代表取締役会長(川越市)
▽歴任役職:
▽当選回数:4(埼玉県議3期、川越市議2期)
▽政党会派:
- 自民(県議時代)→新進(96/10衆院選時。97/12/31解党)→改革クラブ(98/1結成)→自民党(1999/12/16入党)
▽所属議員団体:
- 【派閥】江藤・亀井派=志帥会(1999/12)→無派閥(2005/9現在)→伊吹派(2007/5現在)
▽支持/後援団体:
- 資金管理団体「埼玉新時代フォーラム」。
- 後援会(富士見市会長・田中伊佐雄、上福岡市会長・近藤末廣、川越市会長・岩上甲子郎)(『中野きよしニュース/第2号』98/1発行)
▽政歴:
- 1971年 35歳川越市議初当選、2期。
- 1983年 埼玉県議初当選、3期。
- 1993年 川越市長選出馬=398票差で落選。
- 1996年10月 衆院初当選(埼玉7区、新進党公認)。
- 1997年 新進党埼玉県連会長。
- 2000年6月 衆院2期目当選(自民党公認)
- 2003年11月 衆院3期目当選(自民党公認)=比例区復活当選
- 2005年9月11日 衆院4期目当選(自民党公認)
▽公約/政策:
※96/10衆院選挙公報
- 所得税・住民税を半額に。
- 法人関係税は現在の50から40%に削減。
- 地価税の廃止。
- 消費税は3%に据え置き。
- 川越・上福岡・富士見三市連環都市構想。
※2000/6衆院選挙公報
○「本物」だから政策実現
- 新河岸川激甚被害-173億円の予算獲得
- JR荒川橋梁の防風工事が完成
- [中核市]の指定条件緩和を実現
- 蔵づくりの町並み保存に奔走
- 圏央道の早期供用開始へ前進
- 中小企業・貸し渋りに110番設置
- 少子化対策など福祉の充実へ
▽記 事:
※[何に最も力を注ぐのか]
- 中野氏は「37年間商売をやってきた」、商人出身の政治家である。よって氏は「中小企業の問題を国政の場では扱っていきたいと考えている。そんな氏が、今「一番大きな問題」ととらえていて、その解決に「一生懸命努力している」ことが、「郊外などへの大型店の進出と、それに対しての街の中心市街地・商店街の空洞化の問題」である。市は「大店法はすでに骨抜きになってしまっている」とし、「規制を強化するだけでは商店街はもとに戻らない」と述べる。したがって氏は「規制強化というだけではなくて、街づくりという立場から、中心市街地の環境を整備すること」で、そうした問題に対処していきたいという。具体的には「商店街の人間にいくらやる気があっても、自分たちだけではやろうと思ってもできない」交通手段や住宅などの環境整備に、党の部会や委員会を通じて力を注ぎたいとし、中心市街地・商店街活性化への思いを語るのであった(1997年7月2日収録)=『97年版/国会議員の公約と行動』より。
※[ペルー日本大使館占拠事件]
- 佐々木洋平、松波健四郎、並木正芳(いずれも新進党の当選1回議員)と共に人質の身代わりになるためペルー入りを計画。西岡武夫幹事長ら幹部に諭されて計画を断念。(朝日1997/3/15)
※[政党遍歴]
自民党
- 県議時代は自民党所属で、故・小宮山重四郎衆院議員の直系。
新進党
- 新年明けましておめでとうございます。暮れの12月28日、政界はもちろん国民注視の新進党党首選挙は小沢一郎党首が当選しました。私は県連会長として、「再選された場合、党内融和を最優先すること」など5項目の要望書を、有志議員と共に党本部に提出しました。小沢党首とも30分以上にわたって話し合った結果、要望に沿った明快な回答を得ましたので、埼玉県連の総意も小沢一郎氏と決定しました。(『中野きよしニュース/第2号』98/1発行)
改革クラブ結成
- 石田勝之氏ら埼玉県選出の新進党代議士グループは、新党結成を決意し、29日に海部俊樹元首相を訪ね党首就任を打診した。しかし、海部氏は固持。そのかわり、党首候補として党長老の小沢辰男元厚相を紹介、「フロンティアネット(仮称。後に正式党名「改革クラブ」)」結成が決まった。(朝日97/12/31)
- 私は、昨年十二月新進党党首選挙において、埼玉県連会長として、県連有志と共に小沢一郎党首に対して、離党者が相次ぐ事態を共に反省し「党内融和を第一に、公平な人事を行い、分党や離党や純化路線はつつしむ様」にと申し入れをし、直接面談し、納得の回答をいただき、小沢党首再選を支持し、実現しました。
しかるに「公明」が参議院選挙を独自路線で戦うことを決めたこととして、いわゆる純化路線を推進し、新進党解党への動きに直進した小沢党首の行動に納得できず、新たなる動きとして、新党結成に踏み切りました。
私たち3名の埼玉県選出衆議院議員が中心となり、元厚生大臣小沢辰夫先生を代表に、衆議院9名、参議院3名の12名で改革クラブを結成しました。
その後、通常国会に臨むに当たり、9名の衆議院議員では、委員会数だけでも20もあり、その情報や交代による発言の機会が得られないとの事情もあり、数あわせでなく、これまでの理念や、信頼関係に基づき、衆議院院内会派として「平和・改革」を結成いたしました。(『中野きよしニュース/第3号』98/4発行)
- (1998年度改革クラブ党大会での小沢辰男代表の演説)「自民党は完全に統治能力も管理能力もない。野党は小異を捨てて大同について政権を取ってもらいたい。公明党中心でもいい。同じ政治姿勢なんだから菅さんが中心になってもいい」。
自民党復党へ
- 衆院で自民党と統一会派を組む改革クラブは、離党表明者が相次ぐなか、12月8日夜の両院議員総会で存続の是非を含めて今後の対応を協議した。離党を検討しているのは衆院9人、参院2人の所属議員のうち衆院議員の木村太郎(青森2区)、中野清(埼玉7区)、富沢篤紘(神奈川13区)と山崎力参院議員(青森)の4人。さらに同調者が出る可能性もある。
こうした背景には、@「非自民、非共産勢力の再結集による政権奪取」という結党時の目的が自由・公明両党の与党入りで現実味がなくなった、A早期の衆院解散・総選挙が取りざたされる中、与党内では選挙協力の展望が開けないため、民主党などに移籍するにはこの時期しかない、等の事情がある。(埼玉1999/12/9)
- 中野清代議士が所属する改革クラブから離党することが決定的になった。12月8日の両院議員総会の後、中野氏は報道陣に対し「離党の考えに変わりはない。考えを全て述べた」と話した。
中野氏は元自民党県議で、前回は旧新進党公認で初当選。改革クラブの結成に参加したが、8月末に後援会が「自民復党」の方針で固まっていた。自身も「新進党時代に自民に出戻りした人たちとは事情が違う。私は、自民と公明が組むまで待った」とし、改革クラブからの離党や自民入りに支障はない、との見方を示していた。
中野氏の選挙区である7区では、前回自民党公認で立候補した小宮山徹氏が次期総選挙に自民党から立候補する意向を示しており、公認調整は難航すると見られる。(朝日西埼玉1999/12/9)
- 中野清代議士が自民党に入党する意思を見せたことに対し、前回総選挙に自民公認で出馬した小宮山徹氏の妹の小宮山泰子県議(自民、川越市)は、「現時点では中野さんを認めることはできない」「県連では中野氏(の入党)を認めない方向で動いてもらっている。中野さんは小渕政権の人気が高まった8月頃から入党するという話をしていたらしいので、どうせまたどこか別の党へ動いてしまうだろう」と反発している。(埼玉1999/12/16)
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※[国会討論]
商法改正=持株会社解禁
- 私は、中小企業の立場でもってこの独禁法の問題、本法案を考えてみました。
特に、この持株会社の解禁に対しましては中小企業の中では強い懸念がありまして、現実の問題として、大企業と中小企業という二重構造とか経済の場におきます強者、弱者、これは事実あるわけですね。そういう前提でもって、過日も本委員会に日商の小柳中小企業委員会委員長代理が参考人として発言したことがございまして、配慮を求められておりましたから、これについて何点かお伺いいたします。
まず第一に、大企業が、その優越的な地位を利用して持株会社以外のグループの中小企業を、その会社の意向に反して無理矢理傘下におさめようとする行動を取らないようにしてもらいたいということを言われ、心配しております。そのためにも、企業買収なりに一定の歯止めが必要と考えられますが、公正取引委員会が事業支配力を強度に集中させたグループの行動を絶えずチェックできるように、事前届け出、事後報告についてこれからどのように考えていくか、その必要性を私は痛感しておりますけれども、お伺いしたいと思います。持株会社の企業買収についての不正な動きがないか、特に中小企業の、弱い立場でのこれに対する懸念について、監視の必要があると思いますが、まず第一点としてお伺いをしたいと思うのです。(1997年5月13日、商工委員会での発言)。
商店街の再生を
- 中野清衆院議員は1998年4月16日の衆院本会議で平和・改革クラブの代表質問に立ち、橋本首相に要旨次のように質した。
「今日、わが国には1万9千近くの商店街がある。平成3年に約160万だった商店数は、平成9年には143万店に激減。空き店舗が増加している商店街も半数近くある。さらに平成の大不況下で多くの商店が後継者難、売り上げ減と希望のない疲弊感に覆われているのが現状。その最大の理由は、政府の今日までの『街づくり』に対する関心の低さ、都市政策における理念の欠如にあると思うがどうか。かつて通産大臣として大店法の運用に携わった橋本総理の、総合的な観点からの見解を伺いたい」。(『中野きよしニュース/第4号』1998/6発行) 質疑全文
- 「中心市街地の空洞化に歯止めをかけ、商店街の再活性化をはかろう」と取り組んでいる中野清衆院議員は、このほど大店法廃止に対応して施行される「街づくり三法」といわれる大店立地法、中心市街地活性化法、都市計画法一部改正案が政府提出されたのを受けて、衆院商工委員会で橋本総理に対して質問した。
中野氏は長年、川越市商店街連合会長として大店法問題にかかわってきたが、中心市街地の空洞化を避けるため大型店の郊外進出に反対しており、質問でも「商店街の疲弊をもたらしたのは、政府のまちづくりに対する関心の低さと都市政策の理念の欠如、大型店対策・商業対策の貧困さにある」と指摘し、「今回の三法で果たしてうまくいくのか」とただした。橋本総理は「商店主が将来への希望を持って望ましいまちづくりに貢献できるよう支援していきたい」とそつのない答弁をしていたが、中野氏は「総理の答弁には具体性かなく、本気でやる気があるのか疑わしい」と感想を一言。最近は「一年生議員ながら、中小企業問題の専門家」との評価を受けているが、「大型店問題を解決しなければ街が寂れるばかり。今後も開始を続けていく」と決意を新たにしていた。(埼玉1998/5/10)
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※[郵政民営化法案]
- 中野議員は民営化に反対する自民党亀井派に所属していたが、衆院本会議で賛成票を投じ亀井静香と決別した。
※[政治家の株取引]
- 新井将敬代議士の自殺をきっかけに問題になっている政治家の株取引についての意見「株取引は正しい経済行為、公開で不正を防止する」。(朝日西埼玉98/3/19)
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※[靖国神社参拝]
※[小泉首相の終戦記念日靖国参拝]
- 中野「総理が国民の素朴な心情に従って参拝するのは結構なこと。ただ近隣諸国の関係も考慮し、声明を出して、真意を内外に明らかにして欲しい」(埼玉2001/8/12)
▽選挙区:埼玉8区
柴山昌彦(しばやままさひこ) 索引へ
▽生年月日:1965年12月5日生まれ
▽出身地:愛知県。高校2年の時、所沢に移住。
▽住所:所沢市小手指町4丁目
▽学歴:東大法学部卒
▽縁戚関係:
▽職業/職歴:
- 1990年に大学卒業後、住友不動産に1年半勤務。
- その後弁護士を志し、1998年、司法試験合格。弁護士(虎門中央法律事務所勤務。東京弁護士会所属)
▽関連会社等報告:
▽歴任役職:
▽当選回数:2
▽政党会派:自民党
▽所属議員団体:
▽支持/後援団体:
▽政歴:
- 2004年3月 自民党の衆院埼玉8区補選候補者一般公募に応募し合格。
- 2004年4月25日 新井正則衆院議員の辞職に伴う衆院埼玉8区補選に出馬(自民党公認)=初当選
- 2005年9月11日 衆院2期目当選(自民党公認)
▽公約/政策:
※
▽事 件:
※
※
▽記 事:
※[2004/4/25 衆院埼玉8区補選]
- 2004年1月19日、新井正則衆院議員(自民党、埼玉8区)が公選法違反により辞職。
- 2004年2月、衆院埼玉8区の補選候補者を公募する自民党の新聞広告を見て「雷に打たれるような衝撃を覚え」て応募、60人以上の応募者から候補者に選ばれる。
- 都内の私立中学・高校の同級生評は、「思いこんだらとことんやる。まじめで一本気」。選挙戦では「しがらみや因習を改革して正直者が報われる社会をつくります」「自民党を変える、この埼玉8区から日本を変えるという強い信念を持って、全力を尽くすことを約束します」「自民党の旧来の体質がいいと思っている人はほとんどいない。だからこそ、自分のような素人が、内側から変えていかねば」等と訴えた。(朝日西埼玉2004/4/15、埼玉4/14、4/20)
- 3月25日、元衆院議員の並木正芳(54)が衆院埼玉8区補選不出馬を表明。3月23日に所沢入りした安倍幹事長に「自民党に入って協力して欲しい」といわれ、今後の国政選挙への立候補を念頭に「私を生かすことがあればお願いする」と要望したことを明かす。並木氏は以前から自民党への復党を望んでおり、大野松茂議員は「手続が済み次第復党してもらい、選対の一翼を担ってもらう」と述べた。(埼玉2004/3/25)
並木正芳元衆院議員が柴山支持に回ったことに伴い、公明党が柴山候補の推薦を決定。
- 柴山昌彦が、民主党・木下厚に約5,600票の差をつけて初当選。補選特有の低投票率(35.22%)のため(昨年11月総選挙時の同区投票率は54.96%)、公明党が柴山支持に回ったことが勝敗を左右する決定的な要素になった。
- 「私は公募で選ばれた。しがらみをなくす」と訴えてきた柴山氏。当選から一夜明けた4月26日の会見では斎藤所沢市長や地元県議らの名を1人ずつ挙げ、感謝の言葉を述べた。言い忘れた人物は丁寧に付け加えた。その中には、かつて新井前議員の選対本部長を務めた県議の名もあった。(朝日西埼玉2004/4/28)
※[2005/9 衆院選]
- 柴山「自前の組織が不十分な中で、地元の市長や議員、公明党などに格段の支えをもらった」。(埼玉2005/9/27)
▽選挙区:埼玉9区
大野松茂(おおのまつしげ) 索引へ
▽生年月日:1936年1月15日
▽出身地:狭山市入間川生まれ
▽住所:埼玉県狭山市入間川2丁目14番14号
▽学歴:
- 入間川小学校、入間川中学校卒
- 1954年 川越農高(現・川越総合高校)卒
▽縁戚関係:7人兄弟の長男。
▽職業/職歴:1974年 狭山市立中央公民館長。
▽関連会社等報告:
- [1999年]入間農業共済組合組合長(川越市)。県農業共済組合連合会理事(大宮市)
- [2000年]同上
▽歴任役職:
- 1959年狭山市連合青年団長。1977年 狭山市PTA連合会長。
- 1980年 狭山市ソフトボール協会会長。
- 1993年 不老川土地改良区理事長。1996年 埼玉県農業共済組合連合会理事。入間農業共済副組合長。
▽当選回数:4(狭山市長2期、埼玉県議2期)
▽政党:自民党
▽所属議員団体:
- 【派閥】三塚派(1998/7/22現在)→森派(2000/6現在)→町村派(2007/5現在)
- 神道政治連盟国会議員懇談会(2000/5現在)
▽支持/後援団体:
▽政歴:
- 1979年 埼玉県議初当選2期。
- 1986年 狭山市長初当選2期(1994年市長選で町田潤一氏に敗れて落選)。
- 1996年10月 衆院初当選。
- 2000年6月 衆院2期目当選(自民党公認)
- 2003年11月 衆院3期目当選(自民党公認)
- 2005年9月11日 衆院4期目当選(自民党公認)
▽公約/政策:
※96/10衆院選挙公報
- 「まず地域・まず暮らし」これが私の政治の原点です。家族のしあわせ、地方自治の振興がなければ、国の繁栄はあり得ません。
- 私のめざす国の姿は「共生できる社会」「安心して暮らせる社会」「活力あふれる社会」です。
- 政策8つの柱−景気対策。行政改革。環境保全。高齢者福祉。教育。広域行政。男女平等。平和日本。
▽記 事:
※[著書]
- 『歴史教科書の疑問』(共著:展転社、1997/12発行)−教科書に端を発した従軍慰安婦問題などをめぐり、河野元官房長官や石原前官房副長官、外政審議室室長や教科書課長など、民間では招き難い講師も招聘して開いた若手議員の「勉強会」の模様を、緊迫した質疑応答も含めて初公開。「近隣諸国条項」や「河野談話」などの資料も収載。
- 『日本人の使命』(2002/10発行)− 日本再生の具体的提言。
※[プロフィル]
- 狭山市の専業農家の長男として生まれる。都市農業・酪農。施設園芸などに取り組みつつ、青少年活動のリーダーとして活躍。38歳で市立中央公民館館長、後に狭山市PTA連合会会長を経て、県議会議員(2期)、狭山市長(2期)をつとめる。平成12年6月衆議院議員再選。(2001年2月ホームページより採録)
※[何に最も力を注ぐのか]
- 県議、狭山市長を経て国政の舞台に立った氏の政治姿勢の原点は、「地域、暮らしの重視」にある。地域重視とは地域への利益誘導型の政治をいうのではなく、地域の人たちの願い事に耳を傾け、国政の場で実現していくことを指す。「これまでの社会の仕組みは人生50年を想定してのものだった。今こそ人生80年を送れ、長生きして良かったと思える仕組みを作らねばならない。去年、日本では老年人口が幼年人口を上回り、25年後には老年人口が倍、50年後には3倍と長寿国になるスピードは世界一速い。現在の状況を継続するだけでは安定した福祉を将来的に望めないのである」と語る。(1997年6月13日収録)=『97年版/国会議員の公約と行動』より。
※[メッセージ]
- 「まず地域・まず暮らし」家族が集まって自治体をつくり、自治体が集まって国をつくる。家族のしあわせ、地方自治の振興なくして、国の繁栄はありえません。原点は「政治は母と子のために」あります。地域発展の夢や課題を解決するのは政治であり、毎日の暮らしにかかわる願いを実現するのも政治です。そして何よりも国民の政治への信頼回復です。行政改革は「小さな政府」を、政治改革は「わかりやすい清潔な政治」を実現することです。(自民党ホームページより1998年3月採録)
※[2008年9月、引退表明]
- 自民党の大野松茂衆院議員(72)が、次期衆院選には出馬せず、政界から引退する意向であることが、9月9日、分かった。 10日にも支持者に正式に発表する予定という。関係者の1人は「県議、市町、衆院議員とやってきた疲労が蓄積して引退を決意したようだ」と話す。(朝日西埼玉2008/9/9)
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※[佐藤孝行代議士の入閣問題]
- 19日に加藤紘一幹事長に厳正な対応を申し入れた同党の1年生議員の有志の1人、大野松茂衆院議員は、地元を車で移動中にラジオで首相会見を聞いた。「佐藤氏の力量を高く評価したのは理解できなくもないが、それは国民感情からすると常識外の話。問題は派閥中心の内閣人事がいまだにまかり通っていること。派閥を旧態依然とした閣僚ポストを奪うための集団ととらえている人がいるのは寂しい」。大野氏は嘆いた。(毎日97/9/23)
※[政治家の株取引]
- 新井将敬代議士の自殺をきっかけに問題になっている政治家の株取引についての意見「情報が集まる党役員などに限って、取引禁止」。(朝日西埼玉98/3/19)
- 三塚派の大野松茂と三ッ林弥太郎の両代議士は小泉氏を推す。大野氏は推薦人にもなった。1996年に初当選した三塚派の13人を代表した形だが、「派閥によるトップダウンではない。決断力があり、清新な人として選んだ」という。
参院選の敗北を受けた総裁選で、支持者からは「党が生き残るかどうかの大事な選挙」といわれる。22日には、東京都のホテルで開かれる小泉氏の総決起大会に、大野氏は地元の狭山市などから支持者約150人を動員した。(朝日西埼玉98/7/23)
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※[君が代・日の丸]――『歴史教科書への疑問』(展転社。編集・発行:日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会)p455
- 「余りにも異常な事態」
(前略)同じ学校ではないが、今年の入学式に招待された。「国歌斉唱、全員起立」。「校歌斉唱、職員生徒起立」。来賓である私も起立して斉唱に加わったのはもちろんのこと、校庭には国旗、校旗が掲揚されて、ようやくにして正常な入学式に出会った気がした。
違う観点から、形こそ改まったが、国旗掲揚、降納についても一言したい。
国旗をきちんとたたみ、ささげ運ぶことさえ現在は皆知らない。ロープに結ぶ時、ロープから外す時に、国旗を土の上に落として平気でいる。国旗を土につけることは、国旗に対する、又、国家に対する侮辱であると私たちは教えられた。しかし今、国旗掲揚にあれほど抵抗を示しながら、運動会では校庭狭しと万国旗を張り巡らし、その上風で飛ばされた国旗は拾おうともせず、それを踏みつけて平気で走り回る。それを注意する者もいない。国旗に対する世界の常識も、わが国では通用しないというのが現状なのである。(略)
戦後五十年、教育の現状はどうであったのか。悉く、対立の関係に終始していたと言える。
ここ数年にして、ようやく正常化の歩み寄りが始まった中での「歴史教科書」問題であるが、自らの誇り、文化や伝統を否定して何の得があるのだろう。正に自虐史観に基づく歴史教科書の記述は、余りにも異常な事態だ。世界各国の歴史教科書と比較してもまさに異常といえ、歴史は民族の尊厳にかかわることであることを認識するべきであろう。
「歴史」教科書だけではない。所謂「国語」の教科書の中にも、詩や文章に正常さを欠いていると思われる作品が、茶飯事的にもっともらしく取り上げられているのである。(略)
※[靖国神社集団参拝]
- 1999年4月(春期例大祭)−本人出席
- 1999年8月15日(終戦記念日)−本人出席
- 2000年4月(春期例大祭)−欠席
- 2001年夏−本人出席
- 2002年8月15日(終戦記念日)−本人出席
※[小泉首相の終戦記念日靖国参拝]
- 大野「めい福を祈り、平和の決意を新たにするのは意義のあること」(埼玉2001/8/12)
▽選挙区:埼玉10区
山口泰明(やまぐちたいめい) 索引へ
▽生年月日:1948年11月10日
▽出身地:比企郡川島町
▽住所:埼玉県比企郡川島町大字正直714番地
▽学歴:1973年日大法学部政治経済学科卒
▽縁戚関係:
- 原宏 武州ガス会長(2003/10現在)は叔父(母親が原氏の実姉)。
▽職業/職歴:
- 旭川ガス勤務(労働組合青年婦人部長)
- 1996年現在――坂戸ガス(株)取締役、武州ガス(株)取締役、埼玉医大顧問、社会福祉法人敬寿会相談役。
- 2000年現在――坂戸ガス・武州ガス取締役、埼玉医大顧問。
▽関連会社等報告:
- [1999-2000年]坂戸ガス取締役(坂戸市)。武州瓦斯取締役(川越市)。武州産業顧問(川越市)。ビージー取締役(川越市)。
- [2001年]坂戸ガス取締役(坂戸市)。武州瓦斯取締役(川越市)。武州産業取締役(川越市)。ビージー取締役(川越市)。
- [2007年]坂戸ガス取締役(坂戸市)
▽歴任役職:
▽当選回数:4
▽政党:自民党
▽所属議員団体:
- 【派閥】小渕派(1998/7/22現在)→橋本派→津島派(2007/5現在)
- 神道政治連盟国会議員懇談会(2000/5現在)
▽支持/後援団体:
▽政歴:
- 参院議員秘書。
- 1996年10月 衆院初当選(自民党公認)
- 2000年6月 衆院2期目当選(自民党公認)
- 2003年11月 衆院3期目当選(自民党公認)
- 2005年9月11日 衆院4期目当選(自民党公認)
▽公約/政策:
※1996年10月 衆院選挙公報
- 教育−中高一貫教育の推進と教育費削減。35人学級の実現。
- 福祉−がん早期発見、治療体制の充実。
- 基本的人権−思想・信条・信教を尊重する社会。
- 行財政改革−政官馴れ合いの「看板行革」では、国民の政治不信はさらに高まります。
- 消費税は行革への血の出る努力をした後での引き上げなら賛成しますが、現状での対策なき引き上げを認めるわけにはいきません。
※2000年6月 衆院選挙公報
- 安心して夢をもって暮らせる国家
- 心の豊かな美しい国家
- 世界から信頼される国家
▽記 事:
※[プロフィル]
- 96年10月の衆院選に埼玉10区から自民無派閥で出馬して初当選。土屋義彦知事のお声掛かりで小渕派(現橋本派)入りし、6月の衆院選で2期目の当選を果たした。土屋知事とは学生(日大)時代に知り合った。県議で埼玉医科大理事長の丸木清浩氏は政治面の後見役。
県公安委員長で、武州ガス会長の原宏氏は叔父に当たる。卒業後、修業のため北海道の旭川ガスを経て、系列の坂戸ガスに入社、経済界での活躍が長かった。(埼玉2000/12/26)
※[メッセージ]
- 私は、この変革の時代に、新鮮な目で政治を見つめ直し、新しい発想と行動力で、安心して暮らせる豊かな社会の実現を目指してまいります。最近「政治不信」「政治離れ」が叫ばれておりますが、これは多くの政治家が本分を忘れ、激動する時代の潮流に乗り遅れてしまっているからではないでしょうか。私は今日まで公益事業に携わってまいりました経験を存分に生かし、国民の皆さまの切実な声を国政に反映させ、皆さまと共に悩み・考え・喜び・前進する事を信条に全力を傾ける決意でおります。(自民党ホームページより1998年3月採録)
※[政治資金・支持基盤]
- 山口氏は二世でも官僚出身でもない。政治資金は、親族が社長で自分も勤めていたガス会社の関連企業からの献金を中心に「昨年は1億5千万円程度は集められた」。
急ぐべきは集票のための地盤固めだ。首長や地元議員とのつながりを深めようと、各市町村の予算獲得の手助けに力を入れてきた。首長等を自分で案内したり、紹介したりした陳情先は、建設省道路局、農水相構造改善局長ら70人を超える。会費6千円の国会見学バスツアーは、今年に入ってからだけで76台、3千人を超える。年間で20件ほど、後援者から企業への就職の世話を頼まれる。お礼に商品券を持ってくる人もいるが、必ず断る。
選挙区はかつて、山口敏男元労相の地盤だった。「地域の代表」が、別の「山口」に変わったことを浸透させる仕事は結構忙しい。初当選の仲間も大体同じようなものだろうと思う。(朝日1998/5/9)
※[2000年6月衆院選]
- 今春以降、選挙区内のあちこちで「山口泰明を囲む会」を開き、統一地方選で当選した保守系議員の取り込みに懸命。今月には東松山で公明党の市議も交えて懇談会を開いた。出席率は軒並み各議会の定数の6-8割。山口議員は「地元議員の結束の堅さは、他の代議士にうらやまれるよ」と自信をのぞかせる。(朝日1999/9/2)
※[2005年9月11日衆院選]
- 《骨折》2005年8月11日午後1時頃、国会議事堂付近の坂道で転倒、左足首を骨折。全治3週間。(埼玉2005/8/12)
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※[宗教法改正]
- もとよりオウムのような反社会的な悪質行為により国民生活の安全・秩序を乱す宗教団体には、既存の法律で毅然として対処しなければなりません。しかし、新しく法律を制定して宗教を統制しようとする動きには、憲法の精神に照らして反対します。(96/10衆院選挙公報)
※[政治家の株取引]
- 新井将敬代議士の自殺をきっかけに問題になっている政治家の株取引についての意見「株取引は経済行為。堂々と公開すべき」。(朝日西埼玉98/3/19)
※[靖国神社集団参拝]
- 1999年4月(春期例大祭)−本人出席
- 1999年8月15日(終戦記念日)−本人出席
- 2000年4月(春期例大祭)−本人出席
※[国会改革:一院政支持]
- テーマは安心。治安はもちろん、経済や社会保障など、国民生活を総合的に守るための政策を展開するという。一方で、「衆参で同じことをやっている。一院政にして効率化を図った方がいい」と国会改革の必要性も説く。(埼玉2003/11/1『衆院選小選挙区立候補者の横顔』)
▽選挙区:埼玉11区
新井悦二(あらいえつじ) 索引へ
▽生年月日:1957年9月4日
▽出身地:深谷市
▽住所:深谷市常盤町70番地23(03/4現在)
▽学歴:神奈川歯科大卒
▽縁戚関係:
▽職業/職歴:
▽関連会社等報告:
- [2004年]深谷中央病院副院長(深谷市原郷500)
- [2005年]学校法人葵学園 埼玉県医療福祉専門学校理事長(埼玉県上尾市井戸木2-2-1)
- [2007年]葵学園埼玉医療福祉専門学校理事長(深谷市)、深谷中央病院副院長(深谷市)
▽歴任役職:
▽当選回数:1(埼玉県議1)
▽政党/会派:
- 無所属(03/4県議選立候補時)→自民党(03/5)
▽所属団体:【派閥】町村派(2007/5現在)
▽支持/後援団体:
▽政歴:
▽公約/政策:
※
▽記 事:
※[2005/9衆院選]
- 《自民党、11区に新井県議擁立》
自民党が埼玉11区(深谷市など)で新井悦二県議(47)を擁立する見通しとなった。関係者によると8月13日午後、大野松茂県連会長と新井県議が党本部で、武部勲幹事長から11区出馬を打診された。新井県議は「首相の改革の熱意に胸を打たれた。前向きに検討する」「地元の支持者と相談してから態度を決めたい」などと答えたという。後援会幹部は衆議院への鞍替えに難色を示している。
自民党は郵政民営化法案に反対した同党議員の全選挙区に対立候補を立てる方針で、県内では唯一反対票を投じた11区の小泉龍司前衆院議員(52)への対立候補を模索していた。(埼玉、朝日西埼玉2005/8/14)
▽選挙区:埼玉12区
小島敏男(こじまとしお) 索引へ
▽生年月日:1939年11月11日
▽出身地:埼玉県熊谷市生まれ
▽住所:埼玉県熊谷市大字佐谷田324番地
▽学歴:
▽縁戚関係:妻1男2女
▽職業/職歴:
▽関連会社等報告:
- [1996年](有)三朝かまぶろ温泉代表取締役(熊谷市大字佐谷田349)。(有)三朝取締役(熊谷市本町1-142)
- [2001年]井ノ瀬運送非常勤取締役(熊谷市)
- [2007年]なし
▽歴任役職:
▽当選回数:4(熊谷市議3、埼玉県議4)
▽政党/会派:自民党
▽所属議員団体:
- 【派閥】中曽根派→村上・亀井派(1999/3/18結成)→亀井派(2003/11現在)
- 道州制を実現する会(2000/3発足)
▽支持/後援団体:
▽政歴:
- 1971年5月 熊谷市議初当選3期
- 1980年7月 市議会議長。
- 1983年4月 埼玉県議初当選4期
- 1996年3月 埼玉県議会議長(衆院選出馬のため任期中に辞職)。
- 1996年10月 衆院選に埼玉12区から重複立候補(自民公認)=落選。
- 1999年1月20日 中島洋次郎代議士の議員辞職に伴い繰り上げ当選決定。
- 2000年6月 衆院2期目当選(自民党公認)=増田敏男代議士とコスタリカ方式での立候補に合意。今回は選挙区単独立候補。
- 2003年11月 衆院3期目当選=今回は比例区単独立候補
- 2005年9月11日 衆院4期目当選(自民党公認)=増田の引退により重複立候補
▽公約/政策:
※[2000年6月衆院選挙公報]
- 地域社会の再生・活性化について――自然環境豊かな埼玉県北部は、利根川、荒川水系の恩恵にあずかり肥沃な土地に恵まれています。こうした地域の特性を活かしながら、首都圏農業の活性化をはかります。また中小企業の経営不振から脱皮して農工商一体型の均衡のとれた「まちづくり」を目指します。
▽記 事:
※[政治倫理]
- 1996年3月末、埼玉県議会議長就任後6日目に暴力団幹部の親族の結婚式に増田敏男代議士(新進)、笠原英俊県議と共に出席して問題になる。後援会幹部を務める新郎の父から頼まれて媒酌人を引き受け、後で新婦の父が暴力団幹部と知ったという。小島県議の話「後援会には、行くべきでないとの声もあったが、断ったら若い二人を傷つけると考えた」(朝日西埼玉1996/4/27)
※[衆院繰り上げ当選−1999/1/20正式決定]
- 公選法違反容疑で逮捕された中島洋次郎代議士の辞任表明に伴い、比例代表北関東ブロックの自民党名簿登載者で次点だった小島敏男氏(59)が繰り上げ当選することになる。
小島元県議は、現職の増田敏男(69)=新進・当時=に対抗できる候補として区内自民県議らの強い要請を受け、現職県議会議長のポストから前回の衆院選に出馬。選挙戦では知名度に勝る増田氏と互角の戦いを演じ、行田市、加須市、羽生市など北埼玉郡では増田氏を上回る票を得たが、約3千票の小差で落選した。
地元熊谷市では市議会の主流派は増田氏を推したものの、小林市長は小島側にまわり、政治構造のねじれが生じた。また区内の基盤産業である農業団体は、現職の増田氏を推し、自民党県議全員が推した小島氏と各地域で政治的な対立を生み出した。さらに1昨年8月、増田氏が新進党(当時)を離脱、自民党に復党したことから、地元の混乱はさらに拡大していた。
増田氏の自民党復党は、地元12区支部と自民党県連では審議されず、党本部の決定となったため、地元の自民党支部は強く反発。「復党は拒まないが、小選挙区からの出馬は認めない」との姿勢を強めていた。
今回小島氏が繰り上げ当選となると「現職」となり、前回自民党公認候補として出馬した小島氏の方が、政治的に有利になるとの見方が強い。しかし増田氏側は、比例区単独候補より小選挙区からの出馬を強く要望しており、コスタリカ方式による小選挙区からの出馬の道などが、今後の検討テーマに浮上してくる可能性もある。(埼玉1999/1/8)
※[2000年6月衆院選]
- 自民党現職同士の増田敏男(70)と小島敏男(59)が共に小選挙区での立候補を譲らず、激しいつばぜり合いをしている。どちらも「地元でより支持者を集めた方が公認を得られる」という思惑があるからだ。(朝日1999/9/2)
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※[靖国神社集団参拝]
- 1999年8月15日(終戦記念日)−本人出席
- 2001年夏−本人出席
- 2002年8月15日(終戦記念日)−本人出席
※[小泉首相の終戦記念日靖国参拝]
- 小島「参院選前の公約でもあり、粛々と行き、英霊に総理の思いを捧げて欲しい」(埼玉2001/8/12)
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※[道州制推進]
- (道州制とは)「都道府県の代わりに7-11の『道州』を設置して、地方行政を広域化し、地域のことは地域で責任を持って決断・実行する。国は外交、防衛、教育などに限定し、スリム化する。まさに廃藩置県で、地方分権の決定打です」。「現在の国・都道府県・市町村の3層構造は無駄も多く国民負担が絶大になっている。市町村合併を促進して、全国を500-700の『市』(人口30万-40万人)に再編し、都道府県の権限を合併後の『市』に移譲。『道州』は国から大幅に移譲を受ける事務・『市』間などを一元的に処理することで事実上の2層制にし、行政コストの大幅削減(10兆-15兆円)が可能となります。」(埼玉2000/11/16)
※[村上正邦参院議員辞職について]
- 小島議員「小山氏に続いての辞職でびっくりしている。村上氏は長い間、参議院をリードしてきた方だけに誠に残念。大変な思いだったろうが、自ら政治家としてけじめを付けたのだろう」。(埼玉2001/2/23)
▽選挙区:埼玉13区
土屋品子(つちやしなこ) 索引へ
▽生年月日:1952年2月9日
▽出身地:東京都
▽住所:埼玉県春日部市大字八丁目325番地
▽学歴:
- 粕壁小・浦和岸中・共立女子高校を経て聖心女子大学文学部歴史社会学科卒。
▽縁戚関係:
- 土屋義彦・現埼玉県知事の次女。
- 「ちなみに私は一回も結婚してませんが、決して子供が欲しくないのではなく、なかなかチャンスがなかったものですから」(『サンデー毎日』97/12/28号「ウォルフレン対談」)
▽職業/職歴:
- 香川栄養専門学校研修生修了後、フランス・アメリカ・中国で料理と フラワーアレンジメントを研究。日本とヨーロッパの技法を取り入れた「モダンフラワーアレンジメント」を創設し、独自の視点で生活の中でのより良い環境づくりを提案。
- (株)フラワーメモリー代表取締役(生花販売会社)。料理研究家。フラワーアーチスト。国際学院短期大学客員教授。
▽関連会社等報告:
- [1999-2001年]マヤマ商会顧問(浦和市)。ピックルスコーポレーション顧問(所沢市)
- [2007年]なし
▽歴任役職:
- ▽当選回数:4
- ▽政党:無所属(96/10選挙時)→[21世紀]→無所属→無所属の会(1999/12結党)→自民党入党(2001/9/26)
- ▽所属議員団体:【派閥】無(02/10現在)
- ▽支持/後援団体:
- ▽政歴:
- 1996年10月 衆院初当選(無所属)
- 2000年6月 衆院2期目当選(無所属の会公認)
- 2001年9月 自民党入党
- 2003年11月 衆院3期目当選(自民党公認)
- 2005年9月11日 衆院4期目当選(自民党公認)
- ▽公約/政策:
- ※[1996年10月衆院選挙公報]
- 教育の抜本的改革(教育インターン制度の推進、ボランティアや奉仕活動のカリキュラム化、学校施設と授業の地域社会への開放、思いやりを育むための幼児教育の充実)。
- 高齢化社会への対応。生態系保護(ビオトープ事業)の推進。
- 国際理解の推進(ODAを見直してより本当に必要とするものについて無条件で援助する。NGO等の平和的国際協力の積極的推進)。
- 行財政の抜本的改革。
- 農業構造の改革(食糧自給率の向上、食料生産を第三セクターとして企業化する)。
- 地域活性化の基礎づくり(地下鉄7号線の岩槻以北延伸の早期実現、圏央道の早期着工)。
- ※[2000年6月衆院選挙公報]
- 子供の元気を取り戻そう――知識偏重教育から体験型教育へ。子供の社会性と公共心を育む教育改革を推進し、児童虐待、麻薬、非行対策を積極的に行います。
- 女性の元気を取り戻そう
- 高齢者の元気を取り戻そう
- 地域の元気を取り戻そう――圏央道や地下鉄7号線の早期開設による交通体系の整備、災害時に柔軟に対応できる防災ネットワークの充実を図ります。
- 地球の元気を取り戻そう
- ▽記 事:
- ※[著書]
- 『ブルーミング・フォーシーズンズ』
- ※[2003年7月 次期衆院選出馬表明]
- 土屋品子衆院議員は、父の知事辞任を受けて7月末、自身のホームページに「土屋義彦埼玉県知事の辞職に伴うコメント」を発表した。同議員はその中で、姉の不祥事や父の辞任で皆様に迷惑をかけたことを詫びる一方、「選挙区では、次期衆議院選挙に出馬しないという噂も流れているようですが、土屋品子は出馬いたしますので、これまで通り変わらぬご支援、ご声援をよろしくお願いいたします」と、事実上、次期衆院選への出馬表明をしている。
- ※[2000年6月衆院選]
- 前回選挙当選後、自民党から入党の誘いがかかる。「政界再編をにらみつつ、どこに籍を置くか。タイミングをはかっている。対象は自民党に限らない」というが、次はまた無所属で立候補する。自民は土屋の入党に期待、小選挙区での公認候補擁立を見送る構えだ。(朝日西埼玉1999/9/3)
- ※[無所属の会入党]
- 参院会派「参院の会」の椎名素夫代表など参院議員6人と、衆院埼玉13区の土屋品子などいずれも無所属の衆院議員6人の計10人は12月16日、新党「無所属の会」を結成した。代表には椎名氏が就任、「党議拘束は全くかけず既存政党には是々非々の立場で臨む」としている。椎名代表は、次期総選挙を控え、無所属では政党の候補者と比べ、政見放送ができずポスターの掲示など選挙運動上の制約があることから、選挙対策が新党結成の大きな要因であることを認めている。
土屋氏は実父の土屋知事への配慮もあってこれまで無所属を通しており、「新党は互助会みたいなもの。精神的には『無所属』のまま何も変わらない。支持者の理解も得られると思う」と話した。(埼玉、朝日1999/12/17)
無所属の会参加議員
【衆院】
粟谷敏信、笹木竜三、土屋品子、中田宏
【参院】
椎名素夫、岩本荘太、田名部匡省
堂本暁子、松岡満寿男、水野誠一
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- 土屋義彦知事は12月20日の定例記者会見で「一日も早く自民党に入ってもらいたい、というのが私の念願。政権与党で思う存分活躍してもらいたい」と語った。(朝日西埼玉1999/12/21)
- 土屋品子談「(無所属の会については)"一匹オオカミ"では宣伝カーや政見放送などで不利が多い。同じ議員で不公平なのはおかしい、という抗議の意味も込めて同志が集まった」「(2000年の衆院選で)当選したら結果を見て自分の活動と合致する党に所属する。無所属のままいる気はない」。(埼玉2000/3/15)
- ※[自民党入党]
- 土屋品子衆院議員は2001年9月25日、自民党埼玉県連に入党手続きを済ませ26日に党本部で入党を了承された。
- 土屋代議士「初当選以来、自民党に改革を訴えてきた。今年の総裁選などから、党が変革しつつあると感じられたので入党を決意した」。土屋知事談話「政府与党の立場で活躍して欲しいという気持ちはあったが、1人の国会議員として自ら判断したことだと思う」。(朝日西埼玉2001/9/26)
- 土屋代議士「小泉政権になって、方向性が見え、ぜひ参加したいと思うようになった。与党の中でしっかりやりたい。当面、無派閥でいきたいと思っている」。土屋知事談話「これからも信念を持って行動し、地元と国政をつなぐパイプ役として活躍してくれることを期待している」。(埼玉2001/9/26)
(2002/1、ホームページより転載)
平成13年9月25日
各位様
自由民主党への入党ご報告
衆議院議員 土屋品子
この度、私、土屋品子は、今臨時国会の召集前に自由民主党に入党し、今後は、与党の
一員として議員活動を行っていくことに致しましたので、ご報告をさせて頂きます。
平成8年10月の衆議院選挙に無所属で出馬し、初当選をさせていただいて以来、選挙
区の皆様との公約を守り、無所属議員として政治活動を行ってまいりました。しかしな
がら、一方で現在の議院内閣制のもとでは、自らの訴えを政策に反映する限界も感じて
いたところです。そして、昨年6月に行われた衆議院選挙におきまして、2期目の任期
中には、与党の最大政党に所属することを公約に、選挙戦を戦い当選させていただきま
した。
初当選以来、自由民主党に対しては、改革の必要性があると訴えてきましたが、今年
の総裁選挙や内閣の言動を見ていると、自由民主党という組織が自ら変革しつつあると
感じられ、今回の入党を決意した次第です。
景気や安全保障問題など課題山積の臨時国会となりますが、与党の一員として今後と
も頑張ってまいりますので、引き続きご指導、ご支援をお願い申し上げます。
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- ※[国会討論]
- 衆院予算委員会の総括質疑は全く緊張感がなかった。最後の質問者、土屋品子氏に至っては、メモを棒読みするだけ。閣僚席もすっかりリラックスし、さながら打ち上げ式のようだった。(朝日97/2/15)
- ※[ウォルフレン対談]
| ウォルフレン | 財政、金融改革の問題に関する情報はどこから手に入れていますか。 |
| 土屋 | 私は現場主義ですので、できる限り現場を訪ねたり、関係者と会ったりして、いろいろな情報をもらっています。 |
| ウォルフレン | それは結構ですが、例えば、私は消費税増税は不要だと思った。国中が橋やハイウエーなどでカバーされるような公共支出はいらないと思うからです。 |
| 土屋 | 消費税導入のとき、私はまだ議員ではなくて、マスコミなど一般的な情報が多かった。その中で、赤字を少しでも削減するためには、まず消費税を上げ、その後使い道をチェックする。内閣はこれから行財政改革をするといっていましたので、それをある程度信じて、5%はやむを得ないと思っていました。 |
| (『サンデー毎日』1997/12/28号「ウォルフレン対談」) |
- ※[政治家の株取引]
- 新井将敬代議士の自殺をきっかけに問題になっている政治家の株取引についての意見「取引額が一定額を超えたら、公開する仕組み必要」。(朝日西埼玉98/3/19)
- ※[靖国神社集団参拝]
- 1999年8月15日(終戦記念日)−代理出席
- 2001年夏−代理出席
- 2002年8月15日(終戦記念日)−代理出席
▽選挙区:埼玉14区
三ッ林隆志(みつばやしたかし) 索引へ
▽生年月日:1953年7月05日
▽出身地:埼玉県幸手市
▽住所:埼玉県幸手市大字千塚490番地(2000/6現在)
▽学歴:
- 1972年3月県立不動岡高、1978年3月埼玉医科大学卒業。1982年3月埼玉医科大学大学院修了。
▽縁戚関係:
- 祖父:[故]三ッ林幸三(幸手市長。衆院議員1期−1946/4埼玉全県区から自民党公認で初当選、以後2回落選)。三ッ林弥太郎(衆院当選10回)の次男、父の引退後地盤を引き継いで当選。
▽職業/職歴:
- 医師。埼玉医大理事。
- 1982年4月 埼玉医科大学附属病院勤務
- 1982年9月 所沢市立市民医療センター小児科勤務
- 1988年3月 厚生連幸手総合病院小児科勤務
- 1993年6月 埼玉医科大学勤務 講師
- 2000年2月 さって西クリニック開設
▽関連会社等報告:
- [2007年]葛西用水路土地改良区理事(幸手市)、庄内古川悪水路土地改良区理事(杉戸町)、埼玉東部農業共済組合理事(行田市)
▽歴任役職:
▽当選回数:3
▽政党:自民党
▽所属議員団体:
▽支持/後援団体:
▽政歴:
- 2000年6月 衆院初当選(自民党公認)=父・弥太郎の後継者として地盤を引き継ぐ。
- 2003年11月 衆院2期目当選(自民党公認)
- 2005年9月11日 衆院3期目当選(自民党公認)
▽公約/政策:
▽記事:
※[氏名表記]
- 媒体により「三ツ林」と「三ッ林」の表記が混在している。三ッ林隆志事務所に問い合わせたところ、「正式には“三ッ林”」との回答を得たので、本サイトでは「三ッ林」と表記する。
※[2000年6月衆院選出馬]
- 三ッ林弥太郎代議士は11月初旬、引退の意向を固め、すでに複数の自民党県連関係者に伝えている。三ッ林氏は、足がやや不自由なうえ、高齢であることも加わり、次期総選挙に向けた去就が注目されてい。
党本部選対によると、同氏が所属する森派側から引退を打診され、後継者として次男の隆志氏を中心に後援会との調整が進んでいる。後援会としては、組織が比較的安定しているうちに、バトンタッチを決断した方が得策、との判断もあると見られる。(朝日西埼玉1999/12/23)
- 引退を表明した三ッ林弥太郎代議士(81)の後継を次男で医師の隆志氏(46)とすることが6日、春日部市内で開かれた自民党14区支部役員総会で了承され、決定した。一方、支部役員で14区から立候補の意向を示している福野幸央県議(57)は総会を欠席した。
後継の承認を受けた隆志氏は「政治の経験はなくとも、その任にあってどう積み重ねていくかが大事。父は農政一筋だったが、私は医療・福祉に力を入れたい」と語った。(朝日西埼玉2000/2/11)
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※[靖国神社参拝]
※[小泉首相の終戦記念日靖国参拝]
- 三ッ林「公約したことで行くべきだ」(埼玉2001/8/12)
▽選挙区:埼玉15区
田中良生(たなかりょうせい) 索引へ
▽生年月日:1963年11月11日
▽出身地:蕨市
▽住所:蕨市中央
▽学歴:立教大経済学部経済学科卒
▽縁戚関係:田中啓一蕨市長(1975-2005/10現在8期)の息子。
▽職業/職歴:
- 1986/4 株式会社カインドウエア入社、1987/9同社退社。
- 1987/10 富士興業株式会社入社
- 1991/06 ケイ・アール・ベンチャー株式会社設立、代表取締役社長
- 1991/12 蕨ケーブルビジョン株式会社設立、専務取締役 就任
- 2003/06 同社代表取締役社長就任
▽関連会社等報告:
▽歴任役職:
▽当選回数:1
▽政党会派:自民党
▽所属議員団体:
▽支持/後援団体:
▽政歴:
- 2005年8月15日 自民党衆院選候補者公募合格。衆院選埼玉15区出馬表明(自民党公認)
- 2005年9月11日 衆院選埼玉15区重複立候補(自民党公認)=初当選
▽公約/政策:
※
▽記 事:
※[05/8立候補時の抱負]
- 「郵政民営化は改革の突破口。民間のリストラが公的部門にも必要だ」

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Last Modified : September 9, 2008