コブシ 


  
                                  コブシ               

コブシ                                           3月の花      

                                                        

                                                

若葉が芽吹く前の3月は、山も里もモノトーンの世界で、静かではあるが何となく物足りない。「梅は咲いたが桜はまだかいな」と粋な都々逸(度々逸)に歌われる、春までのほんの束の間の空間がそこにある。そんなとき、他に先駆けて爛漫の春の到来を告げるのが、白いコブシ(辛夷)の花である。乙女の恥じらいにも似た白い蕾の可憐さは、春を待ちわびる人々への天からの贈物である。その役割は梅も果すが、コブシとは少し違う。それも日本列島の南に位置する所に住む人々の春への実感である。北国では、梅も辛夷も桜もいちどきに咲く。北海道では梅より桜が先に咲くところもある。所かわれば品かわる。梅が里の花で上品な香りを運んでくれるのに対して、コブシは高さが2〜30メートルに達する本来的には山の花である。遠望すると雪と見まがうほどである。「Flowers that look as if they were snowflakes」という英語表現がぴったりの花である。
 そんな春の先駆けがあわただしく散ったあと、ふくよかに上品に春を表現するのが、シモクレンの赤紫の花である。
 これらの花は日本人の生活に密着した、日本人の独特の情感を養うには無くてはならない花であるが、欧米ではMagnoliaファミリーと、コブシもシモクレンもハクモクレンもタムシバもシデコブシもタイサンボクもみんな十把一絡げである。しかもMagnoliaとは、Montpellier(フランス)植物園のディレクターであったフランス人Pierre Magnol(1683-1751)に由来する名前である。これらの花々を愛する日本人なら「ちょっと待ってよ〜」と言いたくなるような事柄である。15世紀に端を発する大航海時代を経て、文物が世界各地から集まるようになった。植物も例外ではない。新大陸の産物、ジャガイモトマト、タバコ等がヨーロッパにもたらされなければ、ヨーロッパの食生活も貧しいものであったであろうことは容易に想像がつく。丁度そんな時代に、分類学の祖リンネ(1707-78)が生きた。動物も植物も生き物は皆、属名と種小名で表すという「二名法」を提案した。人類はHomo sapiens(「等しく賢い」という意味のラテン語。学名はイタリック表記)である。旧人たるネアンデルタール人まで、この分類に入る。コブシはMagnolia praccocissima quinquepeta で、シモクレンは Magnolia quinquepeta である。

櫻とコブシ


  シモクレンとシデコブシ


  タイサンボクとオオヤマレンゲ

 誰も相手にしないような、いわゆる「名もなき」道端の雑草に、その発見者が自分の名前を冠するのならまだしも、ヨーロッパに劣らぬ歴史と文明をもつ国の人々が我が子のように大事に慈しみ育ててきた植物を移入していながら、それを人の名前でお茶を濁すとは「何事だ」という思いにかられる。
 人間も所詮は生き物の一つで、決して特別な存在ではないことを知って、「汝自身を知れ」と説いたリンネがそれを率先した。インカ帝国を滅ぼしてその財宝をことごとく自国に持ち帰ったスペイン人が、ついでに持ち帰ったダリアやルドベキアには、自分の教え子(Dahl)と恩師(Rudbeck)の名前をつけた(Dahlia<Dahl:リンネの教え子、Rudbeckia<Rudbeck::リンネの恩師)。ドイツ人Saint Paul-Illaireが自分の元に送ってきたアフリカの珍しい花には、「うい奴じゃ」とセントポーリアと名づけた。さすがに自分の名前は付けなかったが、他の人がスイカズラ科のある花に付けた。リンネソウがそれである。「新種を発見すれば自分の名前を後世に残せる」と男達の功名心をそそって、植物学を興隆させようとしたリンネの遠謀であったのであろう。植物学の発展に貢献した人々の名前が花の名前に残された。ガザニア(Gazania<Gaza:アリストテレスの弟子Theophrastusが書いたギリシャ語の『植物誌』をラテン語に翻訳)、ガーベラ(Gerbera<Gerber:ドイツの植物学者)、ベゴニア(Begonia<Begon:フランス領カナダの知事で、植物のパトロン)がそれである。アメリカの初代駐メキシコ大使が持ち帰った花を、その名を冠してポインセチアと呼ぶことになったが、本人は嫌がったという。まっとうな感覚であろう。今となっては健康被害の最大のものとなったある物質にその名を残すことになった気の毒なフランス人がいる。フランスの駐スペイン大使であったNicotianaがスペインからフランスにタバコを持ち込んだためにニコチンの名が後世に残ることになった。これらは全て新大陸絡みの話である。アフリカやアマゾンのような未開の土地の開発が進み、人類の貴重な財産である種の絶滅が危惧されている。「作用と反作用」、物理学の原理は生物学にも適用できる。ある地域で発生した病原菌のウィルスバスターは、その地域にあるはずであるが、それが破壊されようとしている。リンネが目指した植物学の更なる興隆が、最も望まれる時代になったと言える。
 植物の名前で、「イア」という語尾で終わるものの殆どは人名由来である。ダリアを筆頭として、ポインセチア、ゴデチア、ボロニア、カメリア、トレニア、サラセニア、ジニア、ツルバキア、ストケシア、プルメリア等、数え上げると数百に達する(A, W. Smith, Plant Names Dover Publishing, Inc. Mineola, New York, 1997)。その多くは、リンネの時代に新大陸や東洋からもたらされた花々か、その後、アフリカやオーストラリアなど、ヨーロッパから離れた土地からもたらされた花々である。
 いずれにしろ、時の流れと共に、これらの花の名前が人名に由来することを知っている人はほとんどいなくなる。「はるかな昔に去りし人の歌が、歌詞も名前も忘れられて、メロディーだけがただ、ララララーラ、ラーラ、と今日も街に流れる」という『詩人の魂』(シャンソン)の世界である。欧米の各地で例えば“Magnolia Avenue”と名づけられた道路が散見されるが、誰もこれが人名に由来するとは気付かない。しかし、“ハイネ通り”や“リンカーン・ブールバード”等と同格で、“マグノリア・アヴェニュー”があるのはMagnolにとっては名誉な話である。もっとも、フランクシナトラ通り(Las Vegas、ネバダ)やムハマドアリ・ブールバード(Louisville、ケンタッキー)もあるから、こうなったら、お互い“My Way”をかけて“殴りあう”しかない。人の名を冠した道路で、世界でもっとも多いのは、紛れもなく、Martin Luther King Jr,であろう。アメリカ中の道路にこの名がある。黒人、今のアメリカ社会での呼び名、アフリカ系アメリカ人の人権確立に生涯を捧げた人物の名である。若い女性が、黒人奴隷の前では、たとえ相手が男であっても平気で裸になれたという挿話は、猫や犬と同じペット並の感覚で、人権という意味での深刻さは想像を超える。そして、黒人男性の自制心、自己抑制の見事さは、チラチラされただけでもクラクラする我ら凡夫はおろか、洗濯中の女性の太腿を垣間見ただけで仙術をなくして雲からずっこけた“久米の仙人”を凌ぐ。この挿話は、人間の本能に近いと思われる“感情”でさえも、その時代の価値観、倫理や道徳に無縁でないことを如実に物語っている。そんな相克を超えて、軋轢の中から磨きあげた“珠玉”のような社会の基本理念が「人種平等である」。南北戦争時代の1863年にリンカンが出した「奴隷解放宣言」から丁度100年後の1963年、キング牧師が主導するワシントン大行進が契機となって“公民権法”が成立し、名実ともに人種平等が実現した。“公正(Fairness)と多様性(Diversity)”を存立基盤とするアメリカ社会が20世紀に到達した崇高な理念には、ただ生きているだけでしかない凡人は、ただただ頭をさげるしかない術がない。 
 物理学や化学では、貢献者達の名を単位の名で残してその功績を称えている。しかも、それは自分たちでつけたのではなく、後生がつけたのものである。ニュートン(N:力の単位)、パスカル(Pa:圧力の単位)、ジュール(J)、ボルト(V)、アンペア(A)、ワット(W)、クーロン(C)、ファラデー(F)、ヘンリー(H)、テスラ(T:磁場の単位)、
 丁度ここまで書き進んだ2005年4月7日、偶然としか言いようのない形で見つけた本(Diana Wells, 100 Flowers and How They Got Their Names, Algonquin Books of Chapel Hill, 1997.)にMagnolia の名前の由来が詳しく書かれている。スペインのPhilipU世の侍医であったFrancisco Hernandezによれば、ヨーロッパに最初にもたらされたMagnoliaは1570年代にメキシコから持ち込まれたものであるという。一方、生きたMagnoliaは、バージニアに派遣された若き聖職者John Banisterが1688年にヨーロッパに送ってきたVirginia Magnoliaが最初である。いずれも新大陸絡みで、「聖なる木に人の名前をつけるとは何事か」と日本人が怒る話ではない。そして、アメリカ産とは比較にならない強烈な印象をヨーロッパの人々に与えたのが、1780年にSir Joseph BanksがKew に送ってきた中国産Magnoliaである。なお、彼の名前はオーストラリアを代表するヤマモガシ科バンクシア属の学名Banksiaに残されている。いずれにしろ、Linnaeus(Carl von Linneはラテン語を使って自分をこう号した)かCharles Plumierかが、ルイ14世の侍医でMontpellier大学の植物学の教授であったPierre Magnolの名前を、日本でいうモクレン科の樹木の名前に借用した。Magnolは「植物を科(Family)に分類すべきである」ことを最初に提案した人であるという。そしてMagnoliaの科名はMagnoliaceaeである。
 特筆すべきは、モクレン科は昆虫による受粉によって実を稔らせ、種を残す方法を地球で最初に見出した植物であるという(Magnolias were among the first plants on earth to reproduce using flowers pollinated by insects:同著より)。カンザス州で白亜期の“下側の地層”から葉の化石が見つかっている。被子植物は白亜期の中頃から多くなるので、その最初期にあたることを意味している(Oxford-”Dictionary of Plant Sciences”, Michael Allaby, ed. Oxford Press, 1992)。


(2005年5月8日アップロード)



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野上 暁一

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