アヤメ、カキツバタ 


  
                               アヤメ、カキツバタ                                                                           


アヤメ、カキツバタ                                                5月の花

「いずれがアヤメかカキツバタ」と人口に膾炙される言葉は、「甲乙つけ難い女性の美しさ」を表現する。南北朝時代中期の『源平盛衰記』に由来があり、源三位頼政が、美しい女官の中から伴侶を選ぶ際に困りはてて詠んだ「五月雨に沢辺のまこも水越えていずれあやめと引きぞわずらふ」にあるという。男はとかく女性の品定めが好きである。それも、「一に容貌、二に容貌、三、四がなくて、五に容貌」だから、本人の責任ではないのに、「美しくなく」生れた女性は気の毒である。美しく生れたら生れたで、妍を競うために日夜の努力が欠かせない。眉を描いてアヤメたらんと欲し、アイシャドウを塗ってカキツバタたらんと願う。源氏物語の「雨夜の品定め」と言えば、上中下に分けた中ぐらいの女の品定めで、「ちちのとしおい、ものむつかしげにふとりすぎ、せうと(兄)のかほにくげに…」であっても、あの兄にしてどうしてあんな妹がという会話のある箒木の一節である。ここでも、美しい女性への賛歌である。しかし、女性の本当の美しさは、歳をとってからではないか、というのが翁の実感である。「男は40過ぎたら自分の顔に責任を持て」と言い始めたのはリンカーンで、日本では鴎外がそれを言いつのったが、女性も「50過ぎたら自分の顔に責任を持つ」べきかもしれない。欧米を旅する楽しみの一つは、上品に歳をとった年配の女性をあちこちで見かけることが出来ることである。日本ではその実感が乏しいのは、この翁の偏見であろうか。しかし、一度だけ、こんなに魅力的な女性がこの世にいるのかと思った体験がある。妻には内緒で、声を潜めて告白すれば、今から20年近く昔の、今でいうJR黒崎駅で降りた女性である。美しいだけでなく、気品があって、しかも、威厳があるのである。「歳の頃なら46,8(7は先月流したという落語の世界)」、後を若い男が3〜4人、王女さまに従う風に降りていったので、多分、それなりに社会で活躍している女性だったのであろう。その方も今は「いずれがオウナかゴルゴタ(ヘブル語で髑髏)か」なのかもしれない。歳をとることの残酷さは、オキナとオウナにしか分からない。しかし、最近は日本の女性も上品に歳をとられるようになったと思う。文化の成熟とはそのようなものであろう。世界で最も影響力のある女性と言われる「いずれがアヤメかカキツバタ」のライス国務長官と呉副首相にはそんな戯言はまったく通じない迫力がある。こうなると、「勝手にやってくれ、願い下げだ」となるから、男も根性がない。

 アヤメもカキツバタも良く似ていて区別がつけ難い。おおまかに言えば、乾燥地に咲く花がアヤメ、水辺に咲く花がカキツバタである。カキツバタは英語で、Japanese Water Irisと呼ばれ、水辺に咲くアイリスなのである。万葉の昔から歌に歌われ愛された花である。この花の汁で衣を染めたので、カキツケバナとよばれ、それが転じてカキツバタになったという。平安前期の歌物語『伊勢物語』で、在原業平が「かきつはた」を詠みこんだ歌
    「からころもきつつなれにしつましあればはるばるきぬるたびをしぞおもふ」が有名である。
 そのアイリスは、欧米でも歴史上、有名な挿話に事欠かない。
ギリシャ神話で、「現世と彼岸をつなぐ虹と神の使徒」とされたアイリスに名前の由来をもつアイリスは、古代ギリシャに先立つ古代エジプトの昔から人々に愛されてきた花である。カルナック(Karnak)神殿にはアイリスが彫刻され、庭園を、墓を、そしてエジプトの神々のひたいを飾ってきた。白いアイリスは喪を表す色としてイスラム教徒の墓に植えられていた。花びらが3枚であることから、「父なる神と、子なる神と精霊」の三位一体(trinity)の象徴として、特に、処女マリアに捧げる花としてキリスト教では重要な花になっている。剣のような葉の一端はキリストの苦難に対するマリアの苦しみの鋭さ、そして、もう一端は悪魔に対するマリアの研ぎ澄まされた身構えを表すものとされる。キリスト教の旗の下にフランク王国を拡大していったクロービス(Clovis:466?-511)の命を救った花としても有名である。彼は、ゴート軍に追い詰められてライン川を背にして絶体絶命の窮地に陥ったが、アイリス(flag iris)が生い茂っていて渡渉できたために一命を取り止めたという。彼はこの花を自分のエムブレムとし、フランス王の紋章とした。そしてそれをはるかに下ること1147年、ルイ7世は、第二回フランス十字軍で、アイリスを旗に描かせ”fleur de Louis(ルイ家の花)”と呼ばせた。これが”fleur-de-lis”(フランス王家のイチハツ紋[ユリ紋章])の端緒となった。太陽王と呼ばれたルイ14世の紋章は「ヒマワリ」であった。
 キリスト教徒は何でもイエスとマリアに関係づけてしまう。ベロニカという名前は、園芸に趣味のある方なら、その花姿をすぐに連想できると思われるが、オオイヌノフグリ(Veronica persica)の仲間である。ベロニカとはエルサレムの伝説的聖女の名で、キリスト教圏では特別の意味をもっている。磔を受ける場所ゴルゴタまで十字架を背負って歩く(十字架の道行き)キリストの血と汗を拭ったベロニカのスカーフ(kerchief)にはキリストの顔が残ったという。ベロニカとはこの聖女の名であると同時に、スカーフに残ったイエスの肖像をも意味する。そして、スカーフにイエスの「真の顔」が写ったように、ベロニカという花は、「真の青」を写し取ったものとして、その名をもらっている。既にご紹介したアメリカハナミズキは、4枚の花弁をもつが、花が開く前は4つが合着していて、開くと「糊しろ」のような4つの赤い斑点が残る。それを十字架(花弁が4枚で十字架状)に掛けられて血を流すキリストに譬える。しかし、この木は新大陸のアメリカを原産地とし、中東には無い木である。いわゆるscholar(キリスト教学者)が説明に困るような話が一杯であるが、それでも彼らは詭弁で乗り越える。中世の宗教画では、全ての動物が色とりどりの花に囲まれて仲良く暮らすエデンの庭を描出しているが、その中に「聖なる鳩」の名前を持ったオダマキが描かれている。「殺生のない天国」への夢が、「ライオンはこの花を好んで食べる」という「お伽話」を生んでいるのである。アネモネの赤い花は、キリストの流した血から咲いたと信じている。こういう荒唐無稽な話を拾い上げると一つの論文が出来上がること請け合いであるが、人が信じているものを暴くのは、「自分の顔に責任を持つ」べき翁やオウナのやるべきことではあるまいと思われる。
 ところで、アイリスとは目の虹彩(iris)も意味する。虹彩(アイリス)について世界で初めて詳述したのは、32歳の若さで死んだゲッチンゲン大学の医学部教授Johann Gottfried Zinn(1727-59)である。彼は目の解剖についての本を出版し、虹彩(アイリス)について世界で初めて詳述した。その正確さは現代でも通用するという。彼はまた、身長にかかわらず、男性の眼球が女性のそれより大きいことを発見している。目の毛様小体は彼を記念して”Zinn's zonule”と呼ばれている。リンネは彼の功績を称えて、キク科の美しい花、日本で言う「ヒャクニチソウ」にZinnia(ジニア)という名をつけた。この花の花粉が小さくて目に悪いかららしい。原産地のメキシコでは、スペイン語で目に悪いという意味の「mal de ojos」と呼ばれていたからでもある。その目に良いのは「目に青葉、山ホトトギス、初鰹」である。5月から6,7月、更には秋、冬にかけて、主に球根をもって世代を継ぐ、アヤメ科、ユリ科、ヒガンバナ科等、単子葉植物の出番である。「蓄えのある人は強い」。根に精魂を蓄えた木々が、美しく花開くのも初夏である。ここでは、英語で「silver bell」と呼ばれる「エゴノキ」(写真左)、「tulip tree」と呼ばれる「ユリノキ」(写真右)をご紹介します。





(2005年8月3日アップロード)


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