藤、白藤、赤藤、黄藤 6月の花
5,6月は藤の美しい季節である。あの落ち着いた、渋いと言っていい「藤色」を、日本人は昔から愛してやまなかったようである。その証拠に、藤という名前を使った苗字は、ほぼ、無限といっていいほどある。恐らく日本で最も多くの苗字に使われているのではあるまいか。藤、藤井、藤田、藤川、藤本、藤村、藤野、etc.,etc.、伊藤、江藤、加藤、後藤、佐藤、斉藤、進藤、権藤、etc.,etc.。
赤藤?とキングサリ(黄色い藤に似るが別種)
クサフジと黄くさふじ?
日本では、花の色を色の名前に使っているのが実に多い。それほど、日本人の美意識は繊細で多様なのであろう。以下、色という接尾語を除いて示す:浅葱(light yellow)、あやめ(菖蒲)、杏(あんず)、柿(yellowish brown)、桔梗、柑子(みかん:mandarin)、小麦(light-brown, or corn-colored)、桜(pink)、蘇芳(すおう:dark red)、菫(violet)、橙(orange)、躑躅(つつじ)、木賊(とくさ)、薔薇(rose pink))、向日葵、檜皮(ひわだ)、藤(mauve)、牡丹、蜜柑、萌黄(もえぎ:light green)、山吹、ラベンダー、山葵(わさび)等々、英訳の出来ない色が多い。翻訳家はどう言い換えているか興味の湧くところである。
英語では藤色をmauveという。これは、ラテン語のmalvaに語源をもつmallow、即ち、アオイ科の花の色から来ていて、赤みを帯びた紫色のことで、日本人のいう藤色とは少し違う。フジは日本固有種であり、色の微妙な違いは、翻訳し難いように思われる。パソコンのディスプレイで何千万色とその性能を誇るやり方があるが、ある意味では無意味な表現である。ハンガリー出身の天才数学者、フォン・ノイマンが考えた2進数のコンピュータは「1か0」、即ち、「yesかnoか」で全てを処理する。例えば、この地球の無数といっていい「もの」を2進数指定するには次のような方法を用いる。"生きているか"「yes」:"動くか"「no」:"有機物か"「yes」:"呼吸をしているか"「yes」、"草か"「no」:このやり方で「木」を指定するには、「yes」を「1」、「no」を「0」とすると、上から並べて、「10110」(2進数が5桁並んでいるので5ビット)となる。これでは今想定している「藤という木」に行き着くには延々と「問いかけ」が続くことになる。この「1か0か」を記憶する必要があるが、多くは磁気装置(フロッピーディスクやハードディスク装置がこれである)の「N:北を指す、これを例えば"1"とする」か「S:南を指す、例えば"0"とする」かで表現する(因みに、CDやDVDは「光を反射する」か、「しないか」で判別する)。最初は、8ビット(通常これが1バイト、英語ではオクテットと言うことが多い)単位でシステムが構築されていた。8桁の「1」か「0」かは、28(2を8回掛けること)=256通りの識別が可能になる。これでは数字やアルファベット、カタカナは識別できる(半角表示がこれである)が、漢字はとても表現しきれない。そこでその倍の2バイト、即ち、216=65536(これを略称するとき64kという)通り(倍角表示)を使う。文字は「1」か「0」かが、16桁並んでいる65536通りの中の一つに「藤」を割り当てる。例えば、16個が全て「1」である場合を「藤」としても、約束事として皆に分かれば良いことになる。このようなコード化の代表がアスキーコードである。
一方、「藤色」は紫色であるが、同じ「紫」でも赤みがかった紫もあれば、青みがかった紫もある。その「混ぜ具合」が鍵となる。紫は「赤:R」と「青:B」の混色であるので、Rの比率が高ければ赤みがかった紫になる。2進数では次のような手法を取る。
1枚の紙があるとして、まず2等分すると、同じ大きさの紙2枚ができる。その一方に0.5と書く。残りの片割れをまた2等分する。その一つに0.25と書く。これと同じ大きさの片割れをまた2等分する。一方は0.125で、残りの片割れはこれと同じ大きさだが、次の2等分に備える白紙である。2等分を3回行うと、0.5、0.25、0.125と書いた3枚の紙と、0.125と書いたものと同じ大きさの白紙ができる。数字を書いた3枚を全部「拾い」集めると、0.875となり、元の紙の大きさの87.5%になる。「拾う場合を"1"、拾わない場合を"0"とすると、3枚とも「拾う」と(111)、一番大きい紙だけ「拾う」と(100)となる。数字のついた紙を「拾う」方法は、(111)、(110)、(101)、(100)、(011)、(010)、(001)、(000)の8通り(23=8)となる。「拾った」紙の面積は、元の紙の面積のそれぞれ(0.875)、(0.75)、(0.625)、(0.500)、(0.375)、(0.25)、(0.125)、(0.00)となる。3枚とも拾っても、元の紙の87.5%にしかならない。3ビット表現では精度が悪いので、それを改善するには、2等分の分割の数を多くすればよい。8回分割すると(8ビット)、(11111111)から(00000000)までの256通りになる。全部「拾う」(11111111)は元の紙の面積の0.9961となりかなり精度が良くなる。12回分割する方法(12ビット)ではこれが、0.999756となり限りなく1に近づく。色の3原色R,G,Bの強さをそれぞれ8ビットで表現すると、それぞれの強さが256(28)通りずつあるから、総計1677万色となる。これがテレビの色の美しさを宣伝する際に使われる数値の由来である。全てを10ビットで表現すれば、1024(210)を3回掛けて、10億7千万色となる。
ところで、理論的にはR:Bを50%ずつにすれば「真正の紫色」になるはずであるが、人間の目の感度(視感度)は、色によって明るく感じる程度が異なる。虹の色でいう「赤、橙、黄、緑、青、藍、紫」の「橙色」に近い550nm(昔の表記で0.55μm)付近で最も明るく感じ、その両側で急激に感度が低くなる。「赤」の方が「青」より視感度が高いので、両者を50%ずつ混ぜても、赤みの強い紫色に感じる可能性がある。まことに「色の道は険しい」ものがある。英語の「モーブ:mauve」を「藤色」と翻訳するのは、必ずしも、正しいとは限らないのではなかろうか。ひょっとしたら、目の視感度が、「黒目」の東洋人と「青目」の西洋人では違う可能性すらある。
人々は自然の色にあこがれて、様々な染料を開発してきた。その原料は、「草木染め」「茜染め」「藍染め」という言葉にあるように、植物が中心であった。ヨーロッパでは、毛織物産業の発達と共に、マメ科の低木インジゴから取れる「藍」(日本で「藍染め」に使うのはタデ科の草本アイである。そのため、インジゴからとれる藍を「木藍」という)の需要が高まり、その原料をインドに求めた。そのため、藍は胡椒や絹、綿布と並んでムガール朝の主要な輸出産品であった。16、7世紀のことである。18世紀に入ると、1760年代に始まるイギリス産業革命の中心の一つ、繊維工業が発達し、繊維を漂白する方法が模索された。その中で、ソーダと硫酸が大量に作られる無機化学工業が発達したのである。産業革命の深化と共に、鉄の大量消費が始まるが、その需要に応じるために、より効率的な製鉄法としてコークスの使用が始まった。コークスは石炭を乾留して得るが、廃棄物として処理に困るコールタールが副生する。その有効利用をはかる研究から、有機化学工業の発展に道を開いた芳香族炭化水素であるベンゼンが発見された。有機化学工業発展の端緒となったのが、ロンドンのAugust Wilhelm von Hofmann's laboratoryでキニーネ(キニン)の合成実験をしていた18歳の化学科の学生William H. Perkinで、アニリン(別名アミノベンゼン)にニクロム酸塩を加えたら偶然にも美しい紫色の染料となることを発見し、合成色素工業発展の基礎を作った。有機化学工業はその延長上にある。現在、少なく見積もっても7,500の合成染料が発見され、2週間に一つは新しい染料発見の報告がなされているというが、その端緒となったのは、一見無用の長物と思われていたコールタールという廃棄物の有効利用の研究からである(Compton's Concise:コンプトン・コンサイス百科事典と文献[3]より)。
このように「藤」は洋の内外で、人と深くかかわりつつ生き続けている。桜を見て春を、藤棚の下で初夏を、月を見上げて中秋を、炬燵の中から雪を見て冬を、謳歌する日本人の風習の何と優雅なことであることか。
フジの花の色は、「藤色」という紫と白が普通である。ところが、世界は広く、黄色の藤(正確には和名は「キングサリ(Laburnum:金鎖)」で、フジとは属が異なる)の花が存在する。カナダかオーストラリアの観光宣伝で、黄色の藤が印象的に使われているのをご覧になった方もおられるであろう。フジはアカシアと同じマメ科に属し、アカシアの花はほとんど黄色で、稀に白色がある。エンジュやニセアカシアと呼ばれるハリエンジュも花は白い。花が赤いマメ科の木には萩、ハナズオウ、コマツナギ等がある。写真の赤い花を藤の一種と見て良いかどうかは疑問の余地があるが、パリの街では普通に見られるマメ科の街路樹である。写真の奥の方に「白い藤」が写っているが、どちらも「つる性」ではない。従って、「アカシア」の一種であろうと推定される。
マメ科にはクローバーを代表とする草本も多い。その中で印象的なのがクサフジである。つる性の草で、5月頃から8月の終わりにかけてかなり頻繁に目にすることのできる雑草である。日本では「藤色」の紫色の花をつけるが、外国では「黄色」のクサフジが存在する、と思われる。外国の植物図鑑にも「赤藤」と「黄色いクサフジ」は掲載されていないので、断定するには至っていないが…。
フジの学名はWisteria floribunda DC、英名はJapanese wisteriaである。学名で-iaという接尾語で終わるのは、人名由来を暗示するが、Wisteriaはペンシルバニア大学の解剖学教授で、フィラデルフィアのVernon Parkのオーナーの一人であったCasper Wistar(1716-1818)から来ている。WistarをWisteriaと誤記されたものが現在も通用している。種小名floribundusは「花の多い」「花期が長い」の意味で、藤はそれほど花期は長くないので、前者の意味を採用したものであろう。
(2005年10月15日アップロード)
野上 暁一