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とんぼ歴史館
| 序章 昔作った模型たち(昭和43年まで)その1 |
| 管理人は、自己紹介でも書きましたが、昭和30年代前半、国産プラモデルの誕生と相前後して生まれ、その発展とともに育ちました。 ですから、物心付いたときは、プラモデル第一次発展期の真っ只中であり、しかも、最初期の作品(キット)もまだ販売されていました。 ただ、プラモデルは、子供には高価なおもちゃでした。感覚とすれば、今のゲームソフトよりも高嶺の花だったと思います。 作り手(メーカー)側も、心得ていたと見え、プラモデルは、高価な、お正月や、クリスマスで無ければ買えない、買ってもらえない豪華キットと、小学生のお小遣い2,3日分で手の届く、駄玩具的なキットに分化していました。 もちろん、大人のマニア向けのキットもあったのですが、今現在そうかと思うだけで、当時の子供は知りません。 お小遣いで買える、30円〜50円位の駄玩キット、これが、中心でした。 子供の手のひらに載るような、ミニ飛行機や戦車も沢山作りましたが、 子供の憧れは、なんと行っても今井科学のキャラクター物でした。第一号は、実写ドラマ版をモデル化した鉄人28号の電動歩行キット(シングルで380円)と言われていますが、もちろんこれは高価な部類です。 管理人が買ったのは、40円くらいのマスコットシリーズが中心になります。これは、鉄人とか、アトムとかのミニ立像で、初期の頃は、台に糸巻き車のようなものが付いていて、直立不動のまま走る(実際すぐ倒れて走らないが)ものでした。不評だったと見え、後にフェライト磁石になりました。 また、同じアイテムが、大(300〜500円)、中(100〜200円)、小(50円前後)と用意されていて、子供の懐具合まで良く考えられて、企画されていました。 さて、この頃、東京オリンピックの開催、新幹線、名神高速道路開業、海外旅行自由化と高度経済成長が始まり、生活に余裕が出来、プラモデルの方も、作れば売れると言うわけには行かなくなりました。 駄玩キットの大手メーカー(変な言い方だ)、三共と三和が相次いで倒産しました。 プラモデルは、今度は、完全スケールもの中心のメーカーと、キャラクター物中心のメーカーに、分化して行ったのです。 前者は、タミヤ、ハセガワ、ニチモ、フジミ、大滝,エルエス等、後者は、マルサン、今井、青島、クラウンなどです。(以下その2へ) いんでっくすに戻る |
| 昔作った模型たち(昭和43年まで)その2 『マルサンと今井』 |
| さて、この中では、キャラクターの2大メーカーについて、回想します。 マルサンは確かに日本のプラモデルを生み出し育てたメーカーでした。しかし大きな問題は、マルサンは、プラモデル専門メーカーではなかったことです。 ご存知とは思いますが、マルサンは、総合玩具メーカーであり、プラモデルは会社の一部門でしかありませんでした。(現在のバンダイを考えると判り易いかと思います。) 対する今井は、静岡を本拠とする、模型専門メーカーでした。 ご存知の方も多いと存じますが、静岡は、製材業の発展した土地でして、その余材で作る、模型(当時は、模型は殆んど木製です)メーカーが、半ば地場産業となっているところでした。 プラモデルの登場以後、これら静岡木工模型メーカーは、こぞってプラモデルに進出しました。 ちなみに、静岡メーカーは、今をときめく世界のタミヤをはじめとして、ハセガワ、アオシマ、フジミ、静岡教材、今井、等そうそうたる顔ぶれです。 静岡勢は、儲かりそうだからやってみようという雨後のたけのこ新生プラモメーカーとは違って、模型メーカーとしての下地は、充分でした。ただ、今までのやり方に拘ったため、プラモデル進出が遅れたのです。 マルサンは、テレビでなんとプラモデル紹介番組を企画するなどして、普及に努め、その地位を確保したかに見えました。 当時、プラモデルといえば、スケールものです。後発メーカーも同様のラインナップでした。ところが、ここに今井と言う模型メーカーが、本格的にキャラクター物のプラモデルを、開発し始めました。当時の漫画ブームに乗って、キャラもの1号とされる、鉄人28号の大型電動歩行モデルを発売したのを皮切りに、マスコットシリーズと呼ばれる、50円内外の、漫画の主人公キャラの立像モデルを発売しました。 これは、それこそ飛ぶように売れたと思います。 私だってむさぼるように買いましたから。 今井は、さすが模型専門メーカーだけあって、設計、仕上げ、説明書等、親切、精密(当時)な作りでした。また、キャラものは、流行り廃りが激しいので、売れる時期が限定され、見極めが大事ですが、当時は、月刊誌主体の時代の流れ、スパンは長く、また、ヒーローの立体化の創成期もあって、管理人をはじめ、当時の少年は、みんな今井ファンでした。(男の子のもらうお小遣いはみんな今井に流れたといっても良いくらい) さて、マルサンですが、発売当初は圧倒的なシェアを誇ったものの、次第に、後発メーカー(特に静岡勢)の蓄積された技術力の前に苦戦を余儀なくされていきます。 そんなマルサンが、目を付けたのが、ゴジラをはじめとする、円谷怪獣でした。 今井の鉄人に少し遅れて発売された『ゴジラ』(同じ電動歩行で、値段も380円と一緒)は、これも大ヒットになりました。 (私見ですが、管理人はどちらのキットも作っています。ただ、鉄人は、完成して動きましたが、ゴジラは、組み立てにくく親の助けを借りても満足に動きませんでした。しかも、マルサンの付属の接着剤はくっつかないのです。今井のは良く付きました。・・・こんな些細なことが、大きな問題となっていきます。) そして、今井はキャラクター物、マルサンは怪獣物と、棲み分けが定着するかに思えました。(以下その3へ) いんでっくすに戻る |
| 昔作った模型たち(昭和43年まで)その3 サンダーバード |
| さて、昭和41年の冬、学校の前の文房具店(当時は、学校前の文具店は、本屋であり、おもちゃ屋であり、場合によっては駄菓子屋であり、子供のコミュニティーの場でした。)の棚に、新しいプラモデルがひとつ置かれていました。今井のサンダーバード2号です。売値は250円、いつものように少年サンデーを買おうと思ってきた私は、その模型に釘付けとなりました。 当然ほかの子たちも同様です。でも一個しかありません(今から思うと,店の奥に何個かあり、売れたら 一個づつ出していたんじゃないかと、今の私だったらそうしますから)少年サンデーは50円です。200円足りません。ここでどうやって金策したか全然記憶に無いのですが、(たぶんクリスマスの先取りであろう)とにかく家に飛んで帰り、百円札3枚を握り締め、まだ売れてなかった(または、店が補充した)その一個を買いました。この模型は、すばらしいものでした。ゼンマイで走り、貨物室(ポッド)は着脱可能、ポッドには、第一話登場の高速エレベーターカー3台が収納されていました。成型色も、緑と赤で、色を塗る必要もありません。(何よりこの模型の優秀さは、最近まで、多少の改良で、現役だったことです) 当時の今井科学の技術、アイデアの力を思い知らされた傑作でした。 ところで、このボックスアート(箱絵)は、小松崎先生のものですが、私の買った初版は、梶田先生のなんだそうです。というのは、小松崎先生の最初のボックスアートの原画は、なんでも電車の中に置き忘れたとか・・・そこで、書き直しが間に合わないため、急遽梶田先生が仕上げたのが、初版に使われたそうです。重版からは、小松崎先生に戻り、そのまま至っているそうです。 このサンダーバードシリーズは、売れに売れ(私も買いに買い)今井をトップメーカーに押し上げました。 ただ、シリーズが増えてくるに連れ、私はある不満を感じてきました。それは、シリーズのスケールがいい加減だということです。 コレクションするとサンダーバードが1号から5号まで並びます。これで、遊ぶわけですが、設定はご存知の通り一番大きいのは、宇宙ステーションの5号、一番小さいのは潜水艇の4号です。特に、行動をいつもともにする1号と2号のアンバランスさ、(設定では1号は2号の数分の一の大きさだが、今井の模型は1号の方が大きい)は、許しがたいものでした。もちろん設定通りにやったのでは、商売にならないのは解っていますが、なんか嫌でした。(この辺に後年のスケールモデラーの萌芽がある?)もう少し、気を使ってくれればなと当時でも考えました。 でも、ジェットモグラの、2段回転ドリルなどアイデアいっぱいのキットたちには、充分楽しませてもらいました。(以下その4へ) いんでっくすに戻る |
| 昔作った模型たち(昭和43年まで)その4 マルサンの終焉 |
| 変わってマルサンですが、キャラクター物としては、円谷プロの怪獣をメインにプラモデルを製造していました。(なお、プラモデルは当時マルサンの登録商標で、他社は使えませんでした) 私は、怪獣も大好き(今でも映画館で見る映画はゴジラです)でしたが、マルサンのプラモデルはあまり買いませんでした。 私が買ったのは、電動のゴジラ、マスコットシリーズのカネゴン、ウルトラマン、ウルトラホーク1号くらいです。 なぜか、それは今井に比べて出来が悪いからです。先ず似てません。おまけにキットの合いが悪く、接着面はでこぼこ、付属の接着剤はまるでくっつかないといった按配でした。おまけに一色成型が多く、色を塗らないと、ただのねずみ色や茶色の塊に見えます。ついでに、他社より高価でした。ブームに乗り遅れないため、粗製濫造があったのではないかと思います。 マルサンは、当時、周辺のマテリアル(プラカラーや別売り接着剤など)にも力を入れ、プラモデルの普及に努力していたのですが、いかんせんちょっと時代を先取りしすぎていたようでした。マテリアルが普及しだしたのは、これから5,6年後あたりからでしたから。 今井、タミヤ、ニチモ等のの精巧なつくり(当時)に比べ、マルサンの技術力が他のメーカーに追い越されたのは、子供も目にも明らかでした。 そして、一回目の怪獣ブームが沈静化に向かう頃、昭和43年の12月初旬マルサンは倒産しました。トイメーカーの老舗、国産プラモデル1号のメーカーのあっけない幕切れでした。過度の設備投資と、ブームの行き先を見誤ったと言われています。 でも、今思うと、不思議な倒産です。だって12月1月は、おもちゃ業界のかきいれ時、一番の売り上げを見込め、融資だって受け易い筈です。 うわさでは、銀行に仕掛けられた企業戦争に敗北したとも言われているようです。 実は、私は、マルサンが倒産したことは、直ぐには知りませんでした。この頃から、スケールモデルにだんだんと移行してきたのです。それから半年ほどたって、プラカラーが手に入り難くなったので、模型屋さんに聞いたら、あそこはつぶれたよ。と教えてくれるまで。 いんでっくすに戻る |
| ちょっと番外 炭酸マグネシウム |
| プラカラーと書いていて、ちょっと思い出しました。 当時は、プラモデルのカラーといえば、国産は、マルサンでした。ピラーカラーというのがあったと聞きますが、私は知りませんでした。 さて、このマルサンプラカラー、みんな原色のつやありです。マルサンのプラモデルや、カタログ、チラシには、配合表が載っていましたが、小学生が、うまくいく筈がありません。水彩絵の具とは違います。殆んど原色で塗ってました。でも、ひとつだけ、いやなことがありました。あまりにもテカテカ過ぎるのです。サンダーバードでも、スケールモデルでも、実物は、しっとりしたつや消しの色合いが多いのです。当時は、フラットベースなんてありません。もしあっても知りません。 そんな時、何かの本に(多分モデルアート)『つやを消すには、塗料(プラカラー)に炭酸マグネシウムを混ぜる』 と書いてありました。(もしモデルアートだとしたら、フラットベースは国産では無かったのかな) 炭酸マグネシウム・・・どこで売ってるんだろう?大体どんなものなんだろう?値段はどのくらいなんだろう?全然解りません。 何か、理科っぽいので、理科の先生に聞いてみました。理科の先生は、何でそんなものを探してるのといいました。さすがにプラカラーをつや消しにするため。とは言い辛いので、忘れましたがテキトーにいいました。 そこで、薬局にあることがわかったのですが、小学生が、薬局に行って、「炭酸マグネシウムの結晶をください。」と言って売ってくれるとも思えません。しかも値段がわからないのですから、とんでもなく高価だったら困ります。 そこで厚かましくも先生に200円分買って来てくれと頼みました。 そんなわけで、手に入れたのですが、実は、安かったのです。200円でほんのちょっとだと思ったのですが、コップ1杯分くらいありました。使う量は、プラカラー一瓶にほんの一つまみくらい・・・。 そのうち、レベルカラーが出て、いつしかフラットベースも発売されました。 そして、そのとき苦労して手に入れた炭酸マグネシウムは殆んど使われないまま、ちょっと黄色くなって、今もあります。もう一生使わないでしょうが。 いんでっくすに戻る |
| 昔作った模型たち(昭和43年まで)その5 タミヤ登場 |
| サンダーバードと怪獣のプラモデルで明け暮れていた、プラモ生活でしたが、 昭和42年にちょっと変化がおきました。隣の一年上の子供が、外で、何か走らせていました。電池で走る戦車のプラモデルでした。でこぼこ道を乗り越えていく姿は、本物そっくりで迫力満点です。(当時は裏道は舗装などされていない)サンダーバードや怪獣のおもちゃ然とした姿とは、まるで違います。 スケールモデルを初めて意識しました。隣の子に聞いてみると、35分の一のタミヤというメーカーのプラモデルで、同じ縮尺でいくつも出ていることが解りました。実物のような存在感もさることながら、あのサンダーバードで不満だったいい加減なスケールではないと言う一点が、とても気に入りました。 早速模型屋さん(専門店ではなく、駄菓子屋兼業のような昔子供の溜まり場だった店)に行って見ると、戦車の模型が幾つか並んでいました。タミヤは、星二つのマークだと教えられていたので、すぐ解りましたが、もちろんほかのメーカーもありました。でもほかのメーカーのは、スケールがまちまち(同一メーカーでも)で、箱スケール(箱の大きさに合わせてキットを開発)まであり、統一が取れていませんそれに比べるとタミヤは・・・大きいものは大きく、小さいものは小さくバランスが取れていました。 そこで、初めて買ったタミヤ製は、M41ブルドッグ軽戦車でした。(もちろんMMシリーズではなく、その前のモーターライズ戦車のシリーズです)キットが300円、モーターが100円電池が60円でした。結構当時の小学生には高い買い物です。憧れの500円札がすっ飛んだのですから。 作ってみて驚きました。すいすい作れて、よく動く、しかも割りと丈夫、リアルな外観といいとこずくめです。 あのマルサンのキットとの大格闘、今井のキットの小格闘など無縁の完成度でした。これをきっかけに、サンダーバードと怪獣ファンは、AFVファンに宗旨替えになりました。作りやすいうえに同じスケールで集められるのですから当然です。 只ひとつ、結構高価なのがネックでした。キットは当時、シングル(モーター電池内臓で、スイッチも車体にあり前後進するだけ)で、200円から500円くらい、リモコン(これもラジコンではなく、いわゆる紐コン)で500円から800円くらい、さらにモーターと電池代がかかります。この頃の小学生のお小遣いは、日給10〜20円が相場、良くて月5〜600円です。お小遣いを全部タミヤのキットに費やしても2ヶ月に1個買えるだけです。もちろんそんなことは出来ませんから年に2〜3個くらいしか買えない計算です。 そこでどうしたか?アルバイトです。今思うと小学生がアルバイトなんて、使うほうもやる方も鷹揚な時代でした。何をやったかと言うと、夕刊の配達でした。よく使ってくれたもんだと思いますが、当時は結構みんなやってたんです。まだ、貧しい家庭が多かったので、許されていたのかもしれません。 それに較べると私の動機は、『プラモデルを買う』と言う、かなり感心できないものでした。よく親が許したものだと思いますが、やはりバイト代の半分は、勉強関連に使うとの条件付でした。でも、毎月1000円が、模型購入に使えることになり、タミヤの戦車は、増えていったのです。このアルバイトは、翌年この地を転校するまで、半年続きました。買った戦車は12両でした。今では、これらは存在しませんが、中のモーターはまだいくつかあって動きます。たまにこのモーターを回してみると、当時をちょっと苦く思い出します。 いんでっくすに戻る |
| 番外2(キット各論1) 大滝の海底軍艦 |
| 時代がちょっと前後しますが、昭和38年12月に東宝映画、海底軍艦がロードショーになりました。(同時上映がクレージーキャッツだぞ) 東宝怪獣映画の一環で、この映画のスーパーメカが、旧日本軍の残党が密かに建造していた万能戦艦轟天でした。 轟天は、小松崎茂画伯のデザインなのは有名な話です。後に出たフジミ製のモデルの表紙は、弟子の高荷義之画伯が描いてます(余談ですが、HPの表紙の轟天は、行きつけの模型屋さんに飾ってもらい、高荷先生に直接見ていただく光栄に接しました・・・高荷先生もこのお店の行きつけ) さて、映画の公開からすぐこの轟天のキットが出ました。ゴム動力で、大きさは20センチくらい、100円で、メーカーは大滝製作所でした。買った当時はメーカーなんか気にしませんでしたから、大滝製と知ったのはずいぶん後です。 この大滝の轟天、何故か箱絵が池松先生でした。(池松先生は、戦記雑誌『丸』などに図面を描いていた方です) そして、値段からいけば仕方が無いのですが、船体が、ドリルごと左右貼りあわせで、子供心に一番楽しみにしていたドリル回転ギミックが無視されていました。今思うに、ドリルが回転出来るように造るとそこから水が入り、走行ギミックが台無しになるからでしょう。(今井なら、ドリルを回転させながら走行するというギミックを付けたと思います。但し250円くらいになったでしょう。) 大滝は、スケールモデルメーカーを目指していたようで、このようなギミックは不慣れだったと思います。後にすばらしいスケールモデルを沢山出してます。 そんなことや、冬に潜水艦のキットを出したこと(船の模型は当時は夏物商品)で、あまり人気にならず、翌年、このキットは、改修されて、空想オリジナル商品『海底戦艦パロン』になってしまいました。 その後、このキットは何回か再版されましたが、私は買う機会が無く、昭和の終わりころ大滝が倒産して、金型は、他メーカーに移譲、少数再版されましたが、いまさらのキットなのでまた買わず、数年前にフジミ製の決定版が出て、(これ、WLモデルと同スケール)ついにドリルの動く(手動ですが)轟天を手に入れたわけです。 でも、子供の夢を最初に売ってくれた(叶えてはくれなかったが)大滝の海底軍艦はやはり印象に残る思い出のキットです。 いんでっくすに戻る |
| 番外3(キット各論2) 今井の鉄人28号 |
| キャラクター物第一号と言われる、今井科学の鉄人28号は、昭和35年発売と伝えられています。今井倒産前に復刻版が出たので、形状についてはご存知とは思いますが、漫画の鉄人とは、似てもにつきません。何故かと言いますと、この模型は、アニメ製作前に公開された実写版の鉄人がモデルなのです。今では、鉄人の実写ドラマがあったなんて、記憶している方もあまりいないと思います。私も、1,2回確かに見た記憶はあるのですが、リアルタイムだったかはうろ覚えです。まあ、小学生でも勝てそうな、情けない鉄人だったように記憶しています。(マスコットシリーズの鉄人は、アニメタイプです) さて、このキットですが、シングルとリモコンの2バージョンがありました。シングル(スタンダード380円、モーター、電池別)は、たぶん最初に発売された方で、背中のスイッチを回すと前進しました。成型色は、私のは茶色でしたが、ダークブルーもあったといいます。足まで一体のボディの中に、ギアボックスを組み込み、前後のボディをはめ合わせれば、ほぼ完成の豪快なモデルでした。 足が固定なのになんで歩くかと言いますと、足から、金属のバーが交互に出るようになっていて、竹馬の要領で体を振って前進します、同時に手も振りました。目が光ったかは、忘れてしまいました。電池(単2が2個)は、足のかかと部分に左右納められ、錘の役目も果たし、倒れないような配慮がありました。(但しすごい不恰好でした) リモコン(デラックスバージョン)は、構造はまったく同じなのですが、スイッチが、別売りのマスコットシリーズの金田正太郎君を利用しており、50センチくらいのリード線の先に、正太郎君が付いていて、右手を上げる(降ろすかもしれない)と鉄人が前進しました。・・・正太郎君を引きずったまま・・・ 成型色は同じですが、デラックスにふさわしくゴールド塗装で、値段は500円だったと思います。 私は、この鉄人を幸運にも2つ共手に入れました。クリスマスだか、お誕生日だかのプレゼントでダブったようです。鉄人のこのモデルを2つ持っている子供は周りにいなかったので、ちょっと自慢でした。 当時は、敵キャラが、モデル化されていませんから、鉄人と偽鉄人として、対決させていました。(何で、ブラックオックスはモデル化しなかったんだろう?) 組み立ては、親の助けを借りたと思いますが、よく動く面白いモデルでした。 そして、いつしか壊れ、お約束のお引越しでスクラップとなりました。 いんでっくすに戻る |
| 番外4(キット各論3) 三共のピーナッツシリーズ |
| キャラクター物ばかりの紹介になってしまいましたので、ちょっと修正・・・ このプラモデルを、リアルタイムで製作した方は、私の世代が最後くらい(つまり半世紀前後は生きてきた方々)だろうと思います。そして、三共の倒産後、再版もされなかったので、若い皆様には、まさに幻のキットと言ってもいいかと思います。とまあ、そんな大げさなものではなく、いわゆる、駄菓子屋に売っているおもちゃの類のものでした。このシリーズは、飛行機のミニプラモデルで、縮尺は、一応150分の一、お値段は、単発機で30円、双発機で40〜60円くらいでした。 内容は、キャラメル箱に、部品が、ランナーなしでごろんと入っていて、菱形のアルミの袋入りの接着剤と、国籍マークのみのデカールが付いていました。インストは、箱の裏に書いてありました。 (この、ランナーの部分は、再生して使用したのだと思います。当時、プラ原料は高価でしたから、エアフィックスのプラモデルは、バージンプラを自慢にしていたほどです) 部品構成はどれもほぼ同じで、(単発機で)むくの胴体に、一体の主翼、差込式の水平尾翼、点付けの主脚とプロペラ、透明ランナーを切ったとしか思えない、むくのキャノピーといったところで、7つくらいでした。 部品精度なんか、ドーでも良いと言った感じで、各パーツには大きな隙間ができ、点付けの主脚は、付くわけ無いから飛行状態で作れ!と言われているような出来でした。 でも、シルエットは、割合それなりで、当時少年漫画雑誌で流行った戦記物の手軽な実物見本として、、また、ガキでも出来る、飛行機コレクションとして、私を始め、当時の少年たちは、集めたものです。 で、どんなアイテムがあったかと言いますと、実は、全部は解らないらしいのです。三共は、倒産してすでに40年、当時のカタログも、販売予定の物も載っていたりして、しかも販売は駄菓子屋、テキヤルートが主力です。どうも50〜60アイテムくらいだったようです。 機種は、零戦(ゼロ戦)を始め、主要な国の戦闘機や爆撃機を網羅していました。 私は、この中で、20機くらいを買ったと思います。三共の当時の広告に、『ぼくの手が飛行場』と言う宣伝がありましたが、まさに子供心を揺さぶったコピーでした。現在、キットはひとつも無いので、お話だけですが、後年のスケールモデルに至る、入門のキットとして、また、手軽なおもちゃとして、忘れられないプラモデルです。 いんでっくすに戻る |
| キット各論4 幻の『忠実なる犬』 |
| マルサンの終焉のコラムで、マルサンのキットは今井に比べて出来が悪いと書きましたが、もちろん全部が全部ではなく、あくまでも、私が興味を持ったキャラクター物の守備範囲での話です。 さて、草創期のプラモデルメーカーは、単なるおもちゃメーカーではなく、プラモデルが社会的に認知されるようことさら『教材』を謳っていました。社名(例、アオシマ文化教材社)や広告にも必ずと言っていいほど、『教材として最適です』のコピーが謳われていました。 そんな中で、まさに教材的だったのが、マルサンのエデュケーショナルシリーズでした。要するに、学校の理科室にある、人体解剖標本模型のプラモデル版です。 まさに教材位にしか使用できないものですが、こわい、でも見たい、欲しいの興味を引くプラモデルでした。(戦艦大和なら、玄関や居間に飾れますが、まさか人体標本を飾る人はいないと思います。) シリーズは、1/5の人体模型『驚異の人体』を始めとして、『乳牛の秘密』『偉大なる頭脳』『栄光の馬』『平和を呼ぶ鳩』『魚の神秘』『昆虫の不思議』そして、『忠実なる犬』と覚えている限り8種類出ていました。 まあえらく大層なネーミングを付けた物です。意気込みが伝わってきますね。 内容は、みんな、骨格や内臓がカラープラで成型され、透明プラの皮がつくというものでした。完成見本はかなりリアルで、こわい、でも見たい、欲しいをクリアーしていました。でもお値段も素晴らしく広告に研究用の教材にとあるように、1200円から3000円も当時でしました。大学卒の初任給が2〜3万円の時代です。子供用のプラモデルではなかったことは確かです。 牛や馬の中身見て何が面白いのかと言われればそれまでですが、私はこの中で、犬に何故か興味を惹かれました。別に犬が好きなわけではないのですが、(今うちにいるダックスフントは子供にせがまれてしょうがなく飼っている) このプラモデルは1/3スケールで、1500円、あまり大きくないので、犬種はテリアのようでした。(もしもっとよく知っている方がいましたら教えてください) デパートの模型売り場(この手のモデルは駄菓子屋には無い)の棚の上の方にこの模型はいつもあり、(と言うことは、売れなかったのだな・・・)子供の私は、指をくわえてみていました。何度かおねだりしてみましたが、親も犬の内臓を見る趣味は無いと見えて、買ってくれませんでした。いつも、遊びに来ては模型を買ってくれる祖父母もこれはノーでした。 この『忠実なる犬』私が、手に入れられなかったモデルのひとつですが、マルサン倒産時にこの金型は処分されたと聞いていますし、いまさら新金型で出るとも思えませんから、永久に幻のアイテムになってしまいました。 ただ、今あっても買わないと思いますが。 なお、驚異の人体だけは、このモデルをもとに、後にブルマアクが、1/6で、新製品を作り、別ブランドですが、今でも入手可能です。(欲しい方は、新宿の東急ハンズにあるよ) 追記 この『忠実なる犬』のモデル犬は、『ボクサー』と判明しました。所有している模型関係の本に出ていました。(今までぜんぜん気付きませんでした・・・汗・・・) 2004・09・07 いんでっくすに戻る |
| 昔作った模型たち(昭和50年まで)その1 さらば今井科学 |
| サンダーバードの大成功で、トップメーカーに躍り出た今井科学でしたが、思わぬ落とし穴にはまってしまいました。マルサンの轍を踏んだのです。 プラモデルと言うのは、基本的に息の長い商品です。高価な金型を作り、その金型で作った製品で減価償却をします。金型は丈夫で、メンテナンスが良ければ100万個は抜けるそうですが、損益分岐点は、現在5000〜1万個内外だそうです。 当時は、プラモデルは、子供(男)のおもちゃのトップ玩具でしたから、この分岐点ももっと多かった(つまり金型償却のための値付けが低かった)と思います。多分2〜3万個くらいの設定ではないでしょうか。 スケールモデルであれば、ひとつの金型で、何十年も作って売ることが出来ます。現に、今も30年前の(金型の)プラモデルが平気で新品で売られています。同時期に売っていた電化製品なんかは、骨董屋さんにあります。 こんな商品は、工業製品では他にありません。(強いて似たようなものは、書籍くらいでしょうか?) しかし今井の主力はキャラクター商品でした。流行り廃りが著しい商品です。 管理人は、スケールモデルとキャラクターは、同一メーカーでは両立しないと思っています。技術力ではなく、企画力と金型製作のスピード(生産力)の問題です。 基本的に、プラモデルメーカーは、小企業です。タミヤだって、企業の規模から言えば、そんなに大きくありません。 現代のスケールモデルメーカーをご覧になればお判りの通り、新製品の発売日が、平気で半年、一年と延びます。理由はよりよいモールドを追求しただの新資料が見つかっただの言うものですが、流行り廃りが無いので出来る技でしょう。(金型屋が遅れたとはいえない)そして、その甘えは、技術力をも向上させるというメリットも無いとは言えません。 しかし キャラクターモデルはこれは通用しません。しかも版権を押える必要がある為、流行するかどうかわからない前に先行投資(マーチャンダイジング料、金型費用、宣伝費用)が必要です。おまけに流行に当たれば生産力を超えた量産が必要です。新規工場の投資が出てきます。しかもブームは短期間です。 マルサンは、これに失敗して流行にひとつ後れた製品を半端なクオリティで供給し、銀行の信頼を失い自滅しました。 今井もこれは充分に承知していたと思います。でも、サンダーバードは売れました。たぶん笑いが止まらないくらい・・・しかも、技術力ははるかにマルサンを凌駕しています。そして、マルサンの不振の遠因のスロットレーシングの損失はありません。 そして・・・ サンダーバードの次は何か?キャプテンスカーレットとマイティジャックです。 確かに今井の技術は一級でした。しかしそれはキャラクターモデルのレベルであって、スケールモデルのそれではありませんでした。詳しくは、次のコラムに書きますが、サンダーバードの大成功で、今井はひとつの先行投資をしました。清水工場の新設です。 ご存知と思いますが、キャプテンスカーレットはサンダーバードと同じプロダクションの後番組、マイティジャックは、円谷プロの特撮番組(マルサンが倒産したため、版権が今井に移ったのでしょう)で、あたる要素は充分にありました。 しかし、これが裏目に出ました。 キャプテンスカーレット自体は、よく出来たドラマでしたが、ちょっと視聴ターゲットがキャラクターモデルの購買層と一致しませんでした。 テーマが多分キリスト教の原罪であろうと推測でき、(ミステロンを誤攻撃した地球人類が、その負い目を自覚しながらも防衛戦争を行わざるを得ない自己矛盾)子供(特に非キリスト教徒)には、理解し難い哲学的要素があり、人気は今ひとつでした。 マイティジャックにいたっては、大人のドラマに子供のメカといった感じで、放送打ち切りの悲哀にあっています。 当然製品は売れず、莫大な投資は回収できずに、マルサン倒産のわずか1年後の昭和44年7月今井は一回目の倒産をしました。 但しマルサンと違って、会社更生法の申請だったため、会社消滅は免れましたが、主要金型と新工場は、バンダイに譲渡、今井自体は、2社に分裂と往年の輝きは、70年代のロボダッチの一瞬の輝きをを除いて、二度と今井の前には現れませんでした。 最終的に2002年2月、今井科学は3回目の倒産をして、ついにその歴史を閉じました。 管理人をプラモデルに導いてくれた、大好きなメーカーだけに、すごく残念でした。 いんでっくすに戻る |
| 昔作った模型たち(昭和50年まで)その2 モノグラム&ハンブロールシンドロームその1 (ご機嫌・最高・モノグラム) |
| なぜ、昔作った模型たちその1が、昭和43年までかと言いますと、管理人が、翌年から中学生になったからです。そして、モデルアートを定期購読したのが昭和44年からなのです。つまり、キャラクターモデルから、スケールモデルに本格的に移行した年が昭和44年なのです。 さて、アルバイトでタミヤの戦車を買っていた地(東北の中小都市)から、札幌に転居しました。名古屋以来の、街にテレビ塔のある都市(当時の管理人の認識では大都市と同義語)です。 当時はアーケード街が全盛で、都市では必ずといっていいほど、盛り場はアーケード街でした。 札幌のそれは『狸小路(たぬきこうじ)』で、8丁目までありました。中心は、3〜4丁目で、だんだん端のほうは寂れていくと言う感じでした。(札幌には30年行っていませんので、当時の記憶で書いてます。現在とは違うと思います) その4〜5丁目あたりに模型専門店がありました。(名前は忘れました) このお店に入ったとき、すごい衝撃を受けました。今まで今井かマルサン、タミヤ位しか知らず、また通っているお店もそんな程度の取り扱いだったのですが、ここは違っていました。モデルアートで紹介されていた(管理人にとっては)幻のアイテムが、目の前に山積みされていました。エアフィックスが、フロッグが、オーロラが、パイロが、リンドバーグが、そして、あのモノグラムが目の前に存在していました。 同世代の方はお判りでしょうが、プラモデルメーカーのモノグラム(アメリカ製)は当時の世界のプラモデルメーカーのお手本的な存在で、目標だったメーカーです。 ブランドで言えば、プラモデル界のグッチやルイビトン、マイセンやウエッジウッドみたいなものです。当然お値段もそれなりで、当時、1ドルが360円だったこともあって、国産では100円くらいの大きさ(1/72)の飛行機で600〜1000円くらいしました。でも、モノグラム=世界一と頭に刷り込まれていた管理人は、思いきって買ったのです。(1/72)F8Fグラマンベアキャット艦上戦闘機でした。 インストは全部英語ですが、図解が分りやすく、確かにかっちりと組みあがります。昔のモデルアートに、モノグラムのキットは合わせ目を修正する必要が無いと書かれていましたが、さすがにそれはうそで、段差はありましたが、本当に目立たない程度でした。何より透明部品のきれいさは、国産のすりガラスキャノピーには無いすばらしさでこれは感動しました。すっかりモノグラム党になった管理人ですが、高価格には如何ともし難く、あまり買えませんでした。 そして、この間に国産キットの大躍進とドルの切り下げが行われます。(その2へ続く) いんでっくすに戻る |
| 昔作った模型たち(昭和43年まで)その6 ニチモ回顧録 |
| ちょっとコラムが前後しますが、プラモデル黎明期の重要なメーカーとして、外す事の出来ない『ニチモ』こと『日本模型』について回想します。 ご存知のように、ニチモは最初期のプラモデルメーカーであり、一般に知られる国産オリジナルプラモデルでは、第一号と思われるメーカーです。 また、会社が北関東(栃木県)にあり、あの会社ロゴの赤いペナンとマークはなんとなく親近感を感じます。 さて、その第一号とは、ゴム動力のイ号潜水艦で、昭和34年2月発売と伝えられています。マルサンのレベルコピーのノーチラスに遅れること2ヶ月です。 ノーチラスはディスプレーモデルでしたが、こちらは、自動浮沈機構つきのアクションモデルでした。誠に日本プラモデルオリジナルといった製品です。最も製品は、ブリキ玩具の一部をプラに置き換えたといった感じで、一般工作部品の金属スクリューや、鉛の船外バラストなどが使われていました。また、ゴム動力ですから、航続距離は数メートルで、この間に自動浮沈したかはちょっと疑問です。 実は、管理人は、この模型で遊んだことがあります。年代が年代ですから、親が買って作って与えてくれたのだと思いますが、ビニールプールでこれを浮かべて遊んだ記憶があります。本当は忘れていたのですが、さる本にこの模型の写真が載り、あの特徴的な、ぶら下がった錘を見た途端ぱぱっと記憶がよみがえりました。ゴムを船外に引っ掛ける機構も記憶どおりでした。 ニチモに限っては、管理人は前身をよく知らないのですが、東京浅草勢や、静岡勢とは違ったユニークなメーカーでした。このメーカーもご多分に漏れず、あらゆるジャンルのキットを開発しますが、特に艦船模型の出来がよく、いつしか船のニチモと呼ばれるようになりました。 特に(1/500)の日本海軍艦艇シリーズ、また、各種スケールの戦艦大和軍団は、憧れのアイテムだったのです。特に大和第一作(約1/750)は、あのタミヤとの競合に勝ち、タミヤを倒産寸前まで追い詰めた実績があります。(もしあの時タミヤが無くなっていたら、今のプラモデル界はどうなっていたのでしょうね) そして、ニチモの真価は、(1/200)の自衛艦模型、そして、現在でも世界最大のプラモデルである(1/200)の戦艦大和で極限に達します。まさにマニア好みのメーカーでした。そして、昭和40年代後半まで、そのクオリティは持続しました。 ところが、この頃、社内の事情により、ニチモは新製品の開発能力が無くなってしまいます。現在は、当時開発したキットの再版と、倒産メーカーから譲り受けた金型を使った再版専門のメーカーになってしまいました。 つまり最新のキットでも30年近くたっています。それでも、艦船、オリジナル航空機、戦車の出来は今見てもすばらしいものです。 あの頃開発能力を放棄しなければと思うのは、管理人だけではないでしょう。金型も劣化してきています。ポリバケツを作っているなんてうわさも聞きます。本当にかつての名門メーカーだけに残念です。 管理人は、ニチモの(1/500)空母シリーズが大好きです。(赤城、飛龍、翔鶴、瑞鶴)赤いペナントの復活はあるのでしょうか? いんでっくすに戻る |
| モデルアート雑感(番外6) |
| 昨年秋、文春ネスコ社から、『日本プラモデル興亡史(私の模型人生)』と言う本が出ました。著者は井田博氏、ご存知の通りプラモデル専門誌『モデルアート』の社長さんです。(この本、興はありますがまだ亡は無いようです) 井田氏は、北九州の方で、戦前より模型店を経営しており、特に航空機模型では第一人者の方です。プラモデルが発売された際もいち早くお店に導入しまた、模型普及に精力的に活動されました。その一環として、専門誌モデルアートを企画発行しました。管理人は、モデルアートの発行者が、模型屋の親父だと知ったのはずいぶん後からでしたが、好きなことにとことん動くバイタリティに感心したことを覚えています。 モデルアートは、昭和41年日本初のプラモデル専門誌として発刊されました。以来約38年にわたって、硬派のスケールモデル専門誌として、モデラーに支持され今も健在です。 現在、プラモデルをメインに扱っている専門誌は、定期刊行のもので、4誌あります。モデルアートの次に歴史があるのはホビージャパン誌ですが、最初はモデルアート型の雑誌でしたが、だんだんキャラクター系に特化が進み現在はその方面の権威誌になっています。そして、同誌から分かれたとも言える、モデルグラフィックス誌はキャラクターをメインにしながらもスケールモデルを割合掘り下げた特集も充実し、一部スケールモデラーにも支持されています(管理人含む)。もう一つの電撃ホビー・・・(だったと思う)は残念ながら見ていないので分りません。 昔から変わらないのはモデルアートのみです(この本にたま〜にスケールモデル以外の記事が載ると一部マニアから抗議が来るそうです。管理人などはコーヒーブレイク的で賛成ですし、またプラモデル界全体を見た場合あまり偏狭な考えは、業界自体を衰退させると思います) さて、管理人がモデルアートを知ったのは、創刊時ですが、模型屋さんの棚にある大人向きの本と言った感じで、(だってサンダーバードが載ってないんだもん・・・)存在のみ認知と言った感じでした。 そして、上のコラムにも書きましたが、昭和44年から購読を始めました。と言ってもモデルアートは月刊で200円の結構高価な本でした。中学生の小遣いは500〜1000円くらいですから、モデルアートを買うとプラモデルが買えなくなると言う大矛盾が発生しこの頃の少年スケールモデラーの悩みでした。 それでも、モデルアートの特集で買う模型を選ぶと言うパターンが出来上がり、コンテストなんかも盛んになり、また、グンゼ産業がレベルを取り扱いレベル製の模型が安価に販売されるようになったりと、プラモデルの黄金時代を担った本でした。 その後、プラモデルも少年の趣味のトップから滑り落ち、特にスケールモデルはどちらかと言うと大人の趣味になった感じで、1980年代のプラモデル冬の時代(結構老舗メーカーが世界的に姿を消しました)も何とか生き残り、(ここで先のホビージャパンはキャラクター中心にシフトしました)90年代の出戻りモデラーブーム(管理人を含む)による見かけ上のプラモデル界復活で、また元気になっています。 モデルアートの良いところは、超絶作例モデラーをライターに使わないことです。意図したことかは分りませんが、ちょっと頑張れば読者にも出来ると言うレベルの作例で、これが結果として、読者を引きとめ、且つプラモデルの売り上げにも貢献していると思います。管理人の前からの主張ですが、超絶作例は、確かに素晴らしいのですが、モデラーが制作意欲をなくす点で、模型紹介誌にはそぐわないようです。工作参考書に名人芸はいらないと言ったところでしょうか。 もちろん超絶作例を発表する場はあっていいと思います。(たとえばモデルグラフィックス誌の単行本の写真集のように) 今、若い人たちも小数ですがこの趣味に入ってきているようです。こういったインターネットのページの普及も大きいようですが、やはり、趣味は自分で調べ、構築していくのが一番です。モデルアートのような専門誌(現在980円)が長く続いていって欲しいものです。(2004・8・15) いんでっくすに戻る |
| 昔作った模型たち(昭和50年まで)その3 モノグラム&ハンブロールシンドローム(その2) |
| 模型とはちょっと違いますが、マテリアルの塗料についてのお話です。 管理人が、初めて出会った塗料は、マルサンプラカラーですが、(他に、ピラーカラー、イサムカラーがあったと聞きますが当時は現物を含め知りませんでした) 昭和44年にレベルカラー(全30色)が発売され、マルサンの穴が埋まりました。管理人も何種類か買い込みました。マルサンとは違い特色主体でつや消しもあり、例の炭酸マグネシウムも不要となりました。只、頭の中に離れない言葉がありました。エナメル系塗料です。エナメル系塗料は、顔料をワニスで溶かした、いわゆる油絵の具と同じものですが、国産では当時は無く、アメリカのパクトラとイギリスのハンブロールが知られていました。ものの本(モデルアート)によると、発色が綺麗で、伸びがよく、筆むらもない、また金属色は本物そっくりと言う聞いた限りでは夢のような塗料でした。但し1ドル360円時代の舶来ものですから一つが国産の3倍くらいしました。おまけに取扱店が限られており、夢の塗料でした。(当時は乾燥時間が死ぬほど長いとは思いませんでした) で、その塗料は狸小路の模型店にありました。ハンブロールでした。1缶(缶入りです)120円。レベルカラーが50円ですからとても高価です。シンナーも違いますから、これもまた高い・・・(油絵の具のペトロールを使えばよいとは当時知りませんでした。実は油絵をやっていたのですが・・・) でもつや消しが素晴らしいとの評判を聞いて、タミヤが出し始めたMMシリーズの人形用として、何色か購入しました。なるほど、噂に違わず見事なつや消しで、また乾燥後にこするとちょっと角にテカリが出て、汚れた服地そっくりになりました。また金属色はアクリル系とは比較にならない輝きで(当時)キンキラフィギアなんかも作ってしまいました。(但し何日も乾かなかった) この乾かないと言う特性は、エナメル塗料が普及しているヨーロッパではクレームにならないところを見ると、日本の高温多湿(特に多湿)が影響しているようです。単に高温ならば、アクリル系(油性)のようにすぐ乾くのですが、湿度がエナメルの乾きを遅くしているようです。したがって、買ったらすぐ作り遊びたいと言う当時の模型少年にとってはこの乾きの遅さは致命的であったらしく、管理人すら一時は夢中になったもののもてあまし気味でした。 そして、昭和46年タミヤからエナメル系の塗料(パクトラタミヤ)が出るに及んで、(パクトラ社の塗料は乾燥がエナメル系にしては早い)ハンブロールシンドロームは終わりをつげました。 なお、パクトラタミヤは現在のタミヤカラーエナメルとして、ハンブロールも、プラモデルメーカーのエアフィックスとエレールを傘下におさめ、健在です。 管理人も、エナメル系のシンナーは現在もハンブロールを愛用しています。タミヤに比べて少し強いので、溶解、拭き取りが楽です。しかも1ユーロ130円ですからお値段も当時のままです。 また、蛇足ですが、ハンブロールの接着剤は絶品です。リキッドポリはよくくっつくし、クリアフィックスは曇らないので透明部品の接着、小窓のガラスやレンズ表現に愛用してます。(2004・8・29) |
| 昔作った模型たち(昭和50年まで)その4 ウォーターライン登場その1−それ以前− |
| さて、艦船模型ですが、ウォーターライン以前のそれは、プラモデルのものは、ほぼ100%モーターライズ、つまり水に浮かべて動かして遊ぶ夏物玩具の位置づけでした。精密模型は、艦船模型クラブなどのソリッドが主流で、一般のものとは言いがたく、ちょっと入りにくい独特な世界でした。(同じ模型ファンでも、一般のプラモファンと、鉄道、RCファンとの違いのようなものと考えて頂くといいかと思います・・・尚、鉄道、RCが入りにくい世界と言うわけではありません) したがって、各社スケールもばらばら、種類も、それこそ戦艦大和一色といった感じでコレクション性には乏しいものでした。 比較的揃っていたのは、ニチモの1/500シリーズでしたが、模型で全長40〜50センチのフルハル(艦底付)は価格、大きさともにコレクションアイテムとはちょっと大きく、しかもモーターライズの1軸推進でしたから(本物は2〜4軸推進)展示模型としてはちょっと不正確でした。手ごろな大きさとしては、エアフィックスの1/600シリーズがありましたが、これも輸入品のため高価で供給不安定、おまけに当然と言えばそうですが、イギリス艦ばっかりでこれも今ひとつでした。他社に至っては、ハセガワ1/450、タミヤ1/800〜300、エレール1/400、レベル、モノグラムは箱スケール、国産各社も箱スケールといった按配で、コレクション出来るもんならやってみろコノヤローと言われているような乱立振りでした。 例外的に渥美産業(ASK)の1/1000のウォーターラインモデルがありましたが、やはり、流通量が少ない、種類が無い、出来がいまいち、メーカー名が有名でない、で今ひとつ人気がありませんでした。(1社で連合艦隊全部はは無理みたいでした) したがって艦艇のプラモデルは、単艦で楽しむことが多く船は大好きなものの、『タミヤの戦車』みたいに同一縮尺で並べて楽しむと言う遊び『コレクション』は、プラモデルでは望むべきも無かったのです。 そんな中で、管理人は、やはりニチモの艦船を多く楽しみました。 時期は、『タミヤの戦車』にちょっと飽きてきた中学時代ですが、この頃はニチモもまだ元気で、艦船のニチモといわれていた時代です。その頃のニチモの主力設計士の森恒英氏設計のあの世界最大のプラモデル1/200の大和を筆頭に、同じく1/200の自衛艦シリーズ、1/500の連合艦隊(戦艦、空母、重巡)シリーズ、また箱スケールシリーズなど、日本の艦船模型をしょって立っていたような感じでした。 管理人は、やはり小さめの1/500の大和、日向、高雄、瑞鶴、グラフ・シュペー等を作りましたが、やはり40〜50センチの船体は、置き場所に悩み、高価なこともあり、沢山は集められませんでした。(船は細かくてとんがった部品が沢山あるので、毎日親の掃除機空襲攻撃で、損傷していた) ソリッド模型マニアの世界には踏み切れない管理人にとって、艦船模型コレクションは、望み難い夢だったのです。 ところが、昭和46年五月、デパートの模型売り場で、思わぬものを見つけます(自己紹介に模型屋とありますが、記憶によればデパートもしくは総合スーパーが正しいようです) その2につづく いんでっくすに戻る |
| 昔作った模型たち(昭和50年まで)その5 ウォーターライン登場その2−リアルタイムコレクション |
| いつものようにごそごそとプラモデルを漁っていた管理人は、船のコーナーで、割合小さい箱の新製品を見つけました。日本海軍の重巡洋艦が4種類、ウォーターラインシリーズと書いてあります。それはいいのですが、同じような装丁なのに、メーカーが違うのです。しかもシリーズ名は同じです。偶然にしては出来すぎた話なので、おかしいなと思ってひとつのキットの箱を開けると、静岡模型教材協同組合企画の新シリーズで、日本海軍の艦艇を全部モデル化する予定の様な艦艇がずらりと並んだチラシが入っていました。参加メーカーは、タミヤ・ハセガワ・アオシマ・フジミで、毎月4点を発売すると言うものでした。 そして、ウォーターラインとは、海面下に隠れる部分を省略した所謂洋上モデルとのことでした。艦底が無いのがちょっと気になりましたが、言われてみれば、肉眼で見える船は、水面より上の部分です。もちろん水面に浮かべられませんし、走りません。純然たる『置物』です。ちょっと迷いましたが、もう動かして遊ぶよりも、リアルなスケールモデルに片足を踏み入れていた管理人は、ちょうど小遣いを貰ったばかりでもあり、この4隻を一度に買いました。1隻250円ですから1000円でした(当時は消費税はありません)からかなりの出費でした(モデルアートが250円、国鉄の初乗り運賃が20〜30円の時代です) 内容は、鈴谷(タミヤ)・妙高(ハセガワ)・利根(フジミ)・高雄(アオシマ)でした。もちろんストレートで一気に組んだのですが、細部ディティールよりも、同じ大きさでコレクションできるという楽しみのほうが大きく、満足しました。 最も、やはり各社の技術差は中学生にも解り、何で好きなこの船がこの会社なんだと言う不満は少なからずありました。 ・・・高雄も飛龍も雪風も長門も何でみんなアオシマなんだよ・・・と誰もが思ったことでしょう・・・でもよく見ると、シルエットや基本設計が一番よいのはアオシマなんですが・・・当時明らかに他の3社よりスケールモデルの技術は劣りましたがアオシマは本当に熱心に一生懸命作っていたようです。 それが今の高品質になって花が咲いています。 さて、そこで管理人がコレクションできたかと言うと、駄目でした。原因は、シリーズの早すぎる新製品の発売速度です。中学生の小遣いが続くわけがありません。毎月1社1点ですから4点が発売になり、お値段は駆逐艦・潜水艦100円、巡洋艦250円、戦艦・空母が400〜500円で、4隻単位ですから駆逐艦の月はいいとしても戦艦の月はお手上げになります。小遣い全部つぎ込んでも無理です。仕方が無いので好きな船から集めますが、これがまた『アオシマばっかリ』・・・ なんだかんだで高校入試になり結局集められたのは20隻くらいでした。その後はちょっと趣味の主軸が模型から離れたこともあり、ストレート組みのリアルタイムコレクションは40隻位で幕を引いたのでした。(2004・11・13) いんでっくすに戻る |
| プラモデル、冬の時代(番外7の1) 状況説明 |
| プラモデルが、少年の趣味の王者の地位から滑り落ちて30年以上たちました。こう書くと、プラモデル全盛期には、1億総モデラーだったみたいですが、実際には、プラモデルのファン層は、今と同じく意外に狭かったのではないかとも思われます。 国産プラモデルが発売されたのは昭和33年、よく売れ出したのが3年後くらい、主力購買層は10歳前後の男子です。そしてプラモデルが、子供の玩具だった時期(現在のように、スケールモデル・ガンプラなどいう棲み分けが無い時代、つまりプラモデルそのものであればよかった時代です)は昭和50年前後までと考えられますから、コアなファン層は昭和20年代後半から40年代前半に生まれた男子で、せいぜい15年の世代差しかありません。(大人のソリッドモデラー転向組もあるとは思いますが、やはりこのブームの中心ではないでしょう) 所謂団塊の世代は、この層よりやや早く生まれ戦後の物不足で生活に精一杯、生活が落ち着いて、プラモデルが出てきたときはすでに青年で政治活動、(プラモデルが売れ出したのと、60年安保は時期が重なる)反戦活動、またそれにつながる反戦歌から発した、体制批判の音楽(ロック・フォークなど)活動に比重があったでしょうし、また 昭和40年代以降の出生の世代は、日本の高度成長期であり、他の娯楽(アニメ・電子ゲーム・楽器等)も沢山あり、選択肢が多様になっていましたから、少年=プラモデルを作る、の図式はなくなっていきました。 そう考えると、プラモデル、特にスケールモデルはこの昭和30年代生まれを中心とした前後15年の世代が支えているわけで、しかも当時の刷り込みで、プラモデルは子供のおもちゃという観念がありますから、スケールモデルに移行しなかった大多数の模型小僧たちは三角ベースの野球やベーゴマ、メンコと同じくプラモデルも忘却のかなたになってしまい、今もこの趣味に残っているのは本当にごく僅かな人たちということになります。 幸い、この年代層は現在比較的資力がありますから、昔買えなかった反動でせっせと買っていますので、見かけ上模型は売れていると思われています。 さて、表題ですが、昭和の終わりの10年間程は模型ファンにこう呼ばれています。 理由は先ほど述べたことで大体お判りと思いますが趣味の多様化で、新世代の子供がプラモデルを買わなくなり、今までのファン層も子供で無くなり作らなくなる。また、決定的な追い討ちは、第一次石油ショックによる原油価格の急上昇で、石油製品であるプラスティック原料の高沸で(トイレットペーパ不足はいまだに不明だが)プラモデル製品の急激な値上がりでした。 何せ、今まで500円くらいだった戦車が3倍くらいに値上がりしました。これではコアなファンも離れていきます。 結果として、ますますプラモデルは新製品への投資もできず、既製品は大幅な値上げを余儀なくされ、売れない悪循環に入っていきます。 しかも、塗料に使うシンナーが青少年のシンナー遊びとして社会問題化し、モデラー=シンナー中毒者みたいなキャンペーンに近い一部マスコミによる非難もあり、モデラーの肩身はますます狭くなったのでした。(大体高価なシンナーを吸ってなくすなんて、モデラーはもったいなくて出来ないではないか) これは、プラモデル創成期に起こった駄目メーカーの淘汰とは違い、業界不況の本質的なものでした。世界的にも名声を博していたメーカーが相次いで倒産したのです。 海外では、プラモデル生みの親のフロッグ社やオーロラ・パイロ・エッシーなどが姿を消し、老舗のエアフィックス・モノグラムなども他の企業の傘下に入りその独自性を消していき、また貴重な名作金型が散逸しました。 国内でも大滝・日東・エルエス等のメーカーが姿を消し、存在は出来たものの製品開発は放棄するメーカーも出ました。 あのタミヤですら、新製品が殆んど無い年もあり、ファンは逆に買いたい製品はもう売っていないという羽目になってしまいますます売り上げは小さくなっていったのです。 管理人ご愛用のWLシリーズも10年間新製品がなくなりました。 バンダイのみが、ヤマトからガンダムへと新しい流れを作り、違ったファン層を獲得しましたが、そのバンダイにしてもスケールモデルからは撤退、カラーなどのマテリアルは販売中止と旧来のモデラーは切り捨てています。 つまり、プラモデルは、コアなファンの次の層が育たなかったのです。 そして、大人の趣味となった今もあまり新規ファンが居ないということは、この冬の時代のプラモデル購買層の断絶が親子や兄弟間のプラモデルの作り方の伝承(大げさですが)がなされない結果になり、製作そのものが出来ない世代、また製作しようとすると独力しかないという、趣味への入り難さがあると思います。 そして、突如この冬の時代は意外な形で見かけ上終わりを告げます。 その2へ続く(2005・2・4) いんでっくすに戻る |
| プラモデル、冬の時代2(番外7の2) ガレージキットと出戻親父(1) |
| プラモデル衰退の原因は、極端なマニア化もあったようです。模型と言うのは、スケールモデルといえど、各社のテイストが異なり、多少のデフォルメがなされて、それが、メーカーのセンスであり、粋なところになっています。そして、100%再現はスケール上無理ですから、省略の度合いもまたメーカーの腕の見せ所です。 また、モーターライズなどの動力を組み込んだ模型は、モーター、ギアボックス、電池などの形態で形(寸法)や部品強度の制約を受けます。模型としては(特に大衆相手のプラモデルとしては)当たり前の話です。 しかし一部マニアはこの禁断の聖域に土足で上がりこんでしまったのです。 定規と図面(これだって公式図ではなく、後でマニアが描いた物が多いのに)を持ち出し、ここが何ミリ違うとか、リベットの数が違うとか、マストのトラスが違うとかを言い出しました。一時はその指摘(いいががりに近い)をするのがモデラーのステイタス見たいな雰囲気になり、どう見ても名作としか思えないキット(タミヤの4号戦車など)が槍玉に上がり、その指摘を鵜呑みにしたり、また嫌気のさしたりした一般の愛好者はますます離れていきました。 プラモデルは、高価な金型を使って大量生産し、多売により原価を償却する、工業生産品です。マニアはプラモデルはソリッドの素材として受け止め、黙って改造して満足すればいいのです。その改造記を発表するのは少しも悪いことではありません。しかし、元キットが欠陥品だというような決め付けの記事が、模型誌でも主流になったこともあったのです。 結果、只でさえ趣味の多様化でプラモデル離れが起こっていたのに、マニア自身が足を引っ張り、新製品は出ず、メーカーは倒産し、新しい少年ファンは付かず、欲しいキットが店頭から消えるという事態になったのです。 マニアの一部はさすがにプラモデルの本質を見誤ったと反省したようですが、後の祭りでした。 (異論・反論を承知で、書きますが、このマニア化は、タミヤの写真コンテスト・・通称『パチッ』 ・・も原因がありそうです。この企画は多くの優秀なモデラーを生み出したのですが、ジオラマ=動かない正確な模型を要求するようになり、結果として・・時代の流れにせよ・・タミヤの主力商品の動く戦車を駆逐してしまいました。模型はマニアのためのものという流れを作ってしまったのではないでしょうか?ファンサービスがファンを減らす企画に一時なってしまったのです。もちろん企画自体は常連さんで盛況でしたが、敷居が高そうで管理人は参加しようとは思いませんでした) そして、文句どころかキットまで奪われたマニアたちに福音が降りて来ました。手作り少量生産の改造サポートキットやフルキット、所謂ガレージキットと呼ばれるキット群です。 これらのキットは、殆んど個人の事業主が、家内制手工業で生産するもので、シリコンゴムや、金属レジンなどの簡易な型で、レジンやメタルのパーツを少数作るものです。また、バキュームフォームといって、プラ板を型にはめ真空成型でキットにする(最中の皮みたいなやつ)方法もありました。 細部部品は、フォトエッチングという形で、パーツ化しました。 当然値段はとても高価ですが、マニアは手を出しますし、製作も難しいので技量はますますアップします。そして、このガレージキットはマニアの心を捉え、一時かなりそれなりに隆盛になりました。 こう書くと模型はますますマニア化して、氷河期どころか地球最後の日みたいになってしまうと思われましたが、ここで、エポックメイキングなプラモデルが出たのです。タミヤでした。 管理人は、先ほどタミヤも衰退に力を貸したような言い方をしましたが、タミヤだって気付いているはずですから、挽回の路線を模索していたと思います。 そのひとつの回答が、子供路線回帰用の漫画タイアップの『ミニ四駆』であり、 もうひとつが、ガレージキットを徹底研究し、精密に、なおかつ作りやすく、安価な新世代のスケールモデルを80年代も終わろうという頃に送り出しました。 AFVの『タイガー1型戦車』を代表とする新キット群でした。 マニアのためのガレージキットは作りやすく精密な新世代のスケールモデル製品の下敷きに役立ったのです。そしてこれをきっかけに新たな動きが始まりました。 その3へ続く(2005・2・11) いんでっくすに戻る |
| プラモデル、冬の時代3(番外7の3) ガレージキットと出戻親父(2) |
| 念のため書きますが、このコラムはガンプラは対象にしていません。理由は管理人がよく解らないからです。あくまで、スケールモデルの歴史とお考えください。 さて、キットの方に新しい流れが見えてきた頃、お客の方にもちょっと変化がありました。かつての模型少年が、親になり、子供が自分が模型を作っていたのと同年代になってきたのです。もちろんプラモデルは今の少年の趣味の中心ではありませんが、」ミニ四駆のブームやゲームソフトの購入で、子供と模型店やおもちゃ屋さんにいっしょに来たかつての模型少年が、ふと棚を見ると昔欲しかった模型が並んでいます。(模型はスパンの長い商品ですから、当時と全く同じキットもあり、また同じモデルの新製品もあります) 経済的にも余裕がありますから昔取った杵柄で一つ作って見ようなんて動機で、久しぶりにキットを買ってみます。 模型店でもこの親父はは久々の制作だなと思いますから、新製品のタミヤの戦車なんかを薦めます。また、親父から思い入れのあるキット名を聞いてそれを売ります。 買って帰って作った親父は、昔の出来事が昨日のように甦り、子供時代より財力がありますから、欲しいキットをどんどん買って作っていきます。出戻りモデラーの完成です。この出戻りモデラーは、昔の欲しいキットを探しますが、前述のように、メーカーは沢山無くなってます。そこで、インターネットのオークションなんかを始め、模型関係のHPを発見したりして、どんどんのめりこみます。 こんな連中が増えてきて、模型が少し売れ始め、メーカーも新製品の制作費が出来、ハイクオリティの新作が出ます。すると待ってましたと出戻りモデラーが買い、同じ客層ながら製品は回転しだし、メーカーは一息つきます。 そして、もうひとつの要因は、旧東欧や中国のメーカーのプラモデル進出です。なんといっても、これらの国は人件費が安いので、プラモデルの金型が安く仕上げられます。また、かつての日本のティントイがそうだった様に、オモチャは外貨獲得の手段になります。技術的にはまだまだでしたがとにかく安価で数が沢山しかも珍しいアイテムで輸入されてきました。この雨後のたけのこみたいなメーカーは泡のように淘汰されましたが、残ったメーカーは技術も向上し、ひとつの新興勢力となりました。出戻りモデラーの選択肢も増えていったのです。 そして、財力のある昔の少年は、製作能力を超える在庫を抱えることになります。(管理人のその一人です・・・) メーカーとしては、キットを作ってくれなくてもキットが売れればいいとは思ってはいないでしょうが、実際はそうなります。と、いうことで”見かけ上終わりを告げた”と管理人がその1のコラムで表現したのです。 その4に続く(2005・2・11) いんでっくすに戻る |
| プラモデル、冬の時代(番外7の4) 雪解けとWLの復活 |
| 見かけ上にせよ、出戻り中年パワーのおかげで、プラモデルは売り上げが増え、新製品も出ました。尤もいくらスパンの長い商品とはいえ、20〜30年も延々と同じものを売っていたわけですから、リニューアルは当然なのですが、その力も無かった位でしたから、この雪解けは喜ばしいことでした。その間、世間は技術革新が進み、設計も金型もコンピューターで、出来るようになり、新製品は、素晴らしいものになっています。(値段も素晴らしいけど) もう少し、若いファンが育ってくれれば、プラモデルは大人の趣味として、生き延びられると期待しています。 さて、この流れの中に、艦船モデルにひとつの事件がありました。 1992年、WLシリーズの一角を占めていたフジミ模型が、静岡模型協同組合を脱退し、この組合の企画事業のWLからも脱退、自社製品をシーウェイシリーズとして独立させました。WL崩壊かと思われたのですが、残りの3社は、フジミ製品の穴埋めを決意し新製品の開発に乗り出しました。 思いがけず、WLはちょっと不本意な形でしたが、10年ぶりに新製品を送り出したのです。 WLは、シリーズの性格上、絶版商品が無いのが売りですから、この措置は賢明でした。しかもタイミング的にも冬の時代が終わりかかっていて、また、次のコラムで書きますが、WLを、支えた第三勢力のピットロード社の頑張りもあリ、且つ、旧製品のリニューアルの時期ともぶつかっていたという好条件が重なり、この新製品はファンに受け入れられました。特に、アオシマの頑張りは、失礼ながら、目を疑うような、素晴らしい出来で、その将来に期待を抱かせました。(逆に、タミヤは何かやっつけ仕事みたいで、せっかくの新製品なのに、明らかに20年前より劣るような製品を出してがっかりしましたが) そして始めはフジミの穴埋めだった製品開発も、自社旧作のリニューアル、IJN艦艇の完全新開発、自衛艦シリーズの開発と進み、アオシマはもとより、タミヤ、ハセガワもやっと本気を出して力の入った新製品を出し始め、艦船ファンには待ち焦がれた時代がやってきました。いまや、艦船モデルは一見わが世の春ですが、100%素直に喜べない点もあります。 次のコラムに続く(2005・2・13) いんでっくすに戻る |
| ピットロード私感(番外8の1) 賛美と疑問幾つか・・・その1・・・ |
| さて、WLの休眠期(80年代)に同じ縮尺でウォーターラインのモデルを積極的に開発したメーカーがありました。 鉄道模型のグレーンマックス社です。同社はWLに無い艦艇をニッチ的に開発し、また、鉄道模型メーカーらしく同縮尺で、周辺マテリアル(工場・ブンカーなド)や航空機・AFVなども開発し、その繊細なメリハリのあるモールドで人気がありました。しかしやはり冬の時代だったせいか、ヒットとまでは行かず、数年で撤退してしまいました。 そこに登場したのがグリーンマックスから分かれたともいえる『ピットロード東名』というメーカーでした。このメーカーは、初めは車関係の仕事をしていたらしいのですが、(名前からしてそうですよね)グリーンマックスの金型を譲り受け、 艦船プラモデルを再版すると同時にソ連(当時)現用艦を世に出し、グリーンマックス譲りのモールドでファンを喜ばせました。 しかしこのメーカーの何よりの功績は、『艦船装備セット』の開発です。 ご存知のように軍艦は兵器のプラットホームですから、搭載している兵器は同一国の海軍であれば、ほぼ共通です。WLシリーズは各社の開発に任せたため、結構ばらばらの企画で同じ兵器とは思えないような部品もあり、コレクションの統一性がとれないというネックがありました。 ピットロードはこれに目を付け、製品開発の際、部品割を船体と共通装備に分け、開発費の節約を図るとともに、且つ共通装備を別売りのアイテムとすることによって、」開発費の回収を図りました。 これはファンにとっても搭載装備の統一化が図れることになり、またピットロードもWLシリーズ用の装備セットを開発したこともあって、結果としてファンのWLの作り直しにつながり、WLシリーズが継続できる一因にもなったのです。 また、WLの主力艦中心のラインナップに対し、各国の海防艦・護衛駆逐艦・護衛空母・現代フリゲートなどちょっとマニア心をくすぐるラインナップで、人気を獲得しました。 そのころ、WLの再構成が始まり、ピットロードは重要な冬の時代を乗り切る陰日向の役割を果たしました。 もちろん、企画だけではなく、内容もよくなければこのような役目は果たせません。ピットロードはこの点でもメリハリのあるしっかりしたモールドで、若干の組み難さはありましたがおおむね好評でした。ただ、価格が高いのがネック(WLの倍くらい)で、最初から少年ファンは切り捨て、ターゲットは大人に絞ったようでそれはそれでよいのですが、ニッチビジネスから抜け出るような企画ではありませんでした。さて、この艦船装備セットの企画は、本家WLも注目し、新たに装備セットの金型を開発し、旧製品に封入し且つ単品売りをすることによって、フジミの穴埋め新製品とともにシリーズの活性化を図ったのです。ピットロードのベンチャービジネスにもちょっと影がさしてきます。 そして、ピットロードは次の手(企画)を開始します。 その2に続く(2005・2・13) いんでっくすに戻る |
| ピットロード私感(番外8の2) 賛美と疑問幾つか・・・その2・・・ |
| 次の手は何か?それはWLシリーズへの挑戦でした。今までは同じアイテムを避けてきた同社でしたが、WLで評判の低い製品を開発し、正面からバッティングを仕掛けました。 先ずターゲットとされたのは、アオシマとハセガワの駆逐艦です。確かにこれらは細部部品がとほほだったり、プロポーションがちょっとという感じの製品でした。これらの新製品はマニアにはおおむね好評で、管理人も購入しました。 只、何故かタミヤの製品とはバッティングが無く、(もちろんタミヤにもちょっとの製品はあるのですが)何か、いやな感じの開発方法だなと思いました。(管理人がアオシマファンなので余計に思ったのかも) そしてこの頃、同社の金型が一部社外に流出します。これらは別に不要な金型ではなくどちらかというと貴重なアイテムでした。不思議だったのですが、聞くところによると、ピットロード社は、金型を所有しているのではなく、リース使用だったそうで、ピットロードの意向とは違ったようです。それにしても自社の中心製品が流出などという製品管理は、ちょっとメーカーとして甘いなという感じがしました。流出製品は主要製品はドラゴン・レベルあたりに流れ、これらのメーカー名で再版されましたが、継続生産品にはならず品切れ状態です。幸いタミヤに流れた一部はWLとして復活しましたが、疑問の残る管理でした。 そうこうしているうちに、本家のWLは金型が疲弊した自社製品のリニューアルを開始します。 一番熱心なのは、どう見てもアオシマでしたピットロードから仕掛けられた企業戦争を受けてたったようです。アオシマは、フジミの穴埋め製品の重巡『利根』を1993年にリニューアルしましたが、これがよく出来ていて、今後の製品に期待がかかりました。 そして、金型の疲弊状態から見て、次は戦艦『長門』・重巡『高雄』・駆逐艦『雪風』・空母『飛龍』と想像がつきました。 特に、雪風は、ピットロードにバッティングをかけられた製品でしたから、研究の余地があったのか、最初のリニューアルは『長門』でした。 このキットは、これまでのアオシマの評価を一気に変えるほどの出来で、評価は上場でした。よく見ると、ピットロードのレジンキットを徹底的に研究した感じで、まさにしてやったりのキットでした。 そしてアオシマは次に、すでにピットロードからアナウンスがあったものの開発が遅れている『高雄』のリニューアルを発表します。 ピットロードの『高雄』はこれよりかなり前にアナウンスされ、ファンの期待を一身に集めていたキットでした。しかし、『長門』のキット以降明らかにちょっと風向きが変わってきました。あのクォリティで、『高雄』が出るならどうせ価格も安い筈だしアオシマを待っても良いな。と思うファンが出てきました。 これより少し前に出たハセガワの『妙高』(高雄の準同型艦)が1800円で素晴らしい出来だったのでなおさらです。(ピットの予価は3000円) そして、待ちに待ったピットの『高雄』は、モールドこそメリハリがありましたが、全体のバランス・シルエットは今三つくらいで、細部表現も形状の違いが多くとても傑作キットとはいえない出来でした。そして、数ヶ月遅れて出たアオシマの『高雄』はモールドこそおとなしいものの組みやすさやシルエットは数段上で、しかも価格は三分の二でした。ピット信者は別として、一般ファンには勝負ありという感じでした。(この時、細密と正確は違うんだなあと感じました) 実は、ピットの『高雄』のアナウンスは発売の5年くらい前からあり、その当時はアオシマもリニューアルに手をつけていないと思われます。 戦略的に、アオシマの上記のアイテムは再開発が予想されますから開発を迅速に行えば、青島のリニューアルの3年位前に発売が可能であり、そうすれば、『アオシマの逆襲』も小さい影響ですんだと思われます。実際アオシマはピットの開発アナウンスを畏れていたと思われ心中穏やかでなかったと思います。 ピットの開発の遅れは、『長門』の成功の自信により青島に余裕を与えたと思います。その余裕は昨年の『雪風』の肩の抜けた自然な製品になって現れています。 さて、ピットロードの戦略への賛美と疑問はまだ続きます。 その3に続く(2005・2・13) いんでっくすに戻る |
| ピットロード私感(番外8の3) 賛美と疑問幾つか・・・その3・・・ |
| ピットロードの製品群は、近年二つの流れになりました。ひとつは、以前からの国内金型のもの、そして、もうひとつは中国金型(トランペッタ−社委託)のものです。 以前、ピットロードの社長が、模型誌のインタビューで当社の金型委託工場は、30センチまでの金型しか作れないとおっしゃっていたので、大型のモデルの開発は、他の委託業者を開発する以外には無いとは解っていました。その提携先が、トランペッターだったわけです。そして、大型艦は、この路線での開発となりました。 具体的には、アイオワ級・雲龍級・キーロフ級がこのラインナップになります。そして、このモデルは、ピットロードのブランドでは、日本国内のみになり、他ではトランペッターのブランドで売られるようです。この戦略、なんか管理人には庇を貸して母屋をとられるような気がしてならないのですが。杞憂であればよいと思います。また、あの人件費のかからない中国金型製品の割には高価なのも気にかかります。 肝心のキットは、プラの質や離型剤の問題は差し引いても、そこそこの出来なのですが。 もうひとつの国内金型ですが、これは、以前からメリハリのあるモールドで、ピットロードスタンダードを形成している定評のあるものです。人によっては、下品だという意見もありますが、管理人は割合好きです。 ただ、この設計手法は、以前から全く変わっていません。スライド金型を使わないので、箱組みになるのはいいとして、トラスの前後方向や、垂直面の支柱が省略され、自作を余儀なくさせられます。また、船体前後の旗竿の取り付け基部のガイドが馬鹿でかく、削ると、その付近のモールドがつぶれます。 これらの処理は10年1日で、最新作の橘やはるなでも変わっていません。 WLシリーズが、この点では、ピットロードを超えたと思われるモールドや部品割なので、余計に策の無さが目立ちます。この修正はそう難しくないと思いますので、ぜひ、考えて欲しいところです。 色々勝手なことを書きましたが、艦船装備セットや、護衛艦など、モデラーの心をくすぐるヒットを出してきたピットロードですから、今の試行錯誤期を抜ければ、また素晴らしい企画でモデラーに応えてくれると期待します。 また、WLの存続に大きな力となってくれた同社に感謝いたします。 (2005・2・24) いんでっくすに戻る |
| 昔作った模型たち(昭和43年まで)その7 オオタキの『ケネディ』 |
| なんだろうと思われる方がいると思いますが、もちろんケネディ大統領のフィギアではなく、当時オオタキが発売していた、1/50のモーターライズ戦車シリーズです。モーター付で、250円くらいだったと記憶しています。何でこんな模型を覚えているかといえば、管理人が最初に買って(自分で)作った最初のモーターライズの戦車でした。幾つかシリーズで出ていたと思いますが、他はよく解りませんが、他にあまり無い車種が多かったようです。 ところで、この『ケネディ』というのは、オオタキが独自に付けたニックネームです。この当時は、各メーカーとも、正式名称では売れないと判断したのか、メーカー独自のニックネームを製品に名づけていました。(一番有名なのはタミヤが付けた、『ロンメル』ですね。管理人の世代は、この『ヤクトパンター』をいまだロンメルと言ってしまいます) この『ケネディ』は正式名称は『M103重戦車』ニックネームはファイティングモンスターのことです。『M26パーシング重戦車』の後継で、120ミリ砲を搭載する怪物です。但し開発経緯は結構安易で、『M48パットン中戦車』の拡大型として、朝鮮戦争に間に合うように(実際は間に合わなかった)特急で採用されました。 しかし、強力だが重くて動きの鈍い重戦車という車種自体が、軍の実態に合わなくなり(戦艦みたいなものですね)200両程度の生産で終了し、配備も短期間で、軽快で強力な傑作戦車の『M48』系列に統合され、『M60』『M1』となっていったのは、戦車ファンの方のほうが詳しいと思います。 さて、『M103』が無名のため、いやに実車説明が長くなりましたが、この戦車にキットは、管理人の知る限り、スケール表示をしたモデルは、このオオタキのキットだけです。 以前このコーナーで、タミヤの戦車のことを書きましたが、このキットはモーター付250円につられて買ったものです。組み立てはそんなに難しくは無かったのですが、全金属製のいやに重々しいギアボックスと、不釣合いなほど力の弱いモーターで、子供がそのまま作ってキャタピラをはめると車輪が回転しないという欠点があり、(親がグリスをそこらじゅうにさしたり、転輪のはめあわせを調節したら動いた・・オオタキの名誉のために申し上げます) 以後、タミヤの戦車の存在を教えられ、オオタキの戦車には手を出さなかったのですが、結構マニアックな車種選定で、あのままオオタキも戦車モデルを発展させてくれれば面白かったかなと思いました。(2005・3・19) いんでっくすに戻る |
| 番外9(出戻りモデラー(40代)の欠点) |
| 子供の頃(中学くらいまで)模型少年で、その後、しばらくブランクがあり、中年になってからまたプラモデルを始めた方々を『出戻りモデラー』といいます。 原因は趣味の多様化など色々ありますが、ロック音楽の進展や、現実に即した生活、家族もちなど時間のかかるプラモデルになんか構っていられないので、自然消滅というのが殆んどと思います。そして管理人を含むこの年代が購買層の中心でしたから、模型メーカーも沢山なくなり、たまに欲しいなという模型は入手困難となり、ますます廃れていったわけです。 これが1980年代の現実です。そしてこの80年代は、『ガンダム』というアイテムがヒットし、模型化され、ヒットしました。 そして90年代、子育てもひと段落して、経済的にも余裕の出来た昔の模型少年が、模型屋さんに言ってみると、ガンダムに混じって昔買いたくても買えなかった模型が並んでいます。そして、いつの間にか、精度も上がっています。ではというのでひとつかってつくってみると・・・もう止まりません。何しろ子供の頃よりは経済力がありますから、次から次へになり、買う数>作る数(何しろ仕事に家族サービス、付き合いに自治会の仕事、親の世話と独身で家に帰れば模型を作っていればいいという環境ではないのですから)になり、はからずももコレクターの烙印を押されてしまいます。 しかしそこは模型少年、詳しいことは詳しく、昔とった何とかである程度のレベルで製作は出来ます。 しかし問題は、1980年代の空白です。つまり、がんプラをまるで知らないのです。管理人はそれでも、漫画アニメ関連の仕事を当時してましたので、知識はゼロではないので何をやっていたかも解りますが、はっきり言って一年戦争以後は殆んどわかりません。模型やさんも言ってましたが、ガンプラモデラーはプラモデルか好きなのではなく、ガンダムが好きなのだ。だから、スケールモデルや他の模型には見向きもしない。 つまり同じようにプラモデルを作っていても接点はないというわけです。管理人が、今井のマスコットシリーズからスケールモデルに移行したというような流れはないようです。 管理人はプラモデルというアイテム自体が好きです。でも、話が通じるのは、スケールモデラーばかり、完全に空白の10年が出来ているのです。 スケールモデラーがガンダムを作れとか、ガンプラモデラーが、スケールモデルを作れとかは言いませんが。管理人も、ヤマトの次はエバなので、どっちもどっちですが、『出戻り親父はガンダムに弱い』ということをちょっと理解してください。(2005・6・25) いんでっくすに戻る |
| 番外10(管理人の持っている一番古い未開封の模型) |
管理人の模型が溜まり始めたのは、ここ20年ほどで、それまでは買ってきてはすぐ作り、いつのまにが壊れて捨ててしまうという普通の模型少年でした。 しかも我が家は転勤族で、2〜3年に1度は全国行脚していましたから、壊れやすいプラモデルなんかもっていけませんでした。おまけに親が『ステルノスキー将軍』だったので、思い出のおもちゃも本も知らない間になくなっていました。 未組み立てのプラモデル・・マニアホビーやモノグラム、オーロラ、パイロの製品まで・・・大學で下宿している間に、旧GIジョーとともに・・・とほほ・・・したがって管理人の話は文面が多く、昔の画像をあまり載せられないのです そんな中で奇跡的に残っていたのがこのタミヤの1/50の雷電です。昭和43年頃買ったので、35年以上前になります。残っていた理由は二つ。先ず珍しく2個買ったことです。1個はすぐ作りましたが、もう1個は稲妻マークにしようと思って作る機会がなくしかも、下宿先に持っていったので、『ステルノスキー将軍』の略奪を免れたのです。そんな中で、新製品が出たり、漫画に夢中になったりして、(勉強はどうした?)作る機会を逃し続け、ついにお宝の部類に昇格してしまったわけです。 模型はしまうものではなく作るものですから自慢にはなりませんが、今の収集癖のトラウマになっているのかもしれません。管理人の数少ない歴史の遺物なので、大切にとっておこうかとも(といっても他の模型と一緒に区別なしに積んでありますが)思っています。(2005・7・9)(なお、ステルノスキーの名前はモデルアートの編集後記の某氏に無断で拝借しました、あまりにもはまっているので・・・。 いんでっくすに戻る |
| 番外11(WL1/700)艦船模型の私感 2005・8・15 |
| 以前のおさらいみたいになるのですが、WLシリーズは1971年5月、静岡模型協同組合の企画として登場しました。各社スケールがばらばらで、集めにくかった艦船模型が、統一で集められ、しかもダブらないという利点は、艦船モデラーの支持を集め、ヒット商品になりました。企画者が言っている通り、この大きさは、シルエットと数コレクション性を狙ったもので、各社の技術力には目を瞑ったという企画ではありました。この中には当然艦船のニチモを駆逐するという野望もあったはずです。(実際に駆逐されてしまいました。残念です) モールド、技術は当然タミヤ社が上回っていましたが、それより何より連合艦隊を揃えられるという誘惑の方がかなり上でした。但し、月に4点というすごいスピードで発売されたので、中学生程度ではとても全部は無理でした。 そして、当時かなりのファンが危惧したであろうアオシマ社の製品が、細部部品はともかく、シルエットとしては、一番正確であり、如何にこのメーカーが苦労したかわかるファンにはわかっていました。 しかし各社ばらばらに開発したため、同じ部品(船の機銃などの兵装はみんな同じです)とは思えないような違いも出てきて、一部のファンから、権利を払ってもタミヤにライセンスさせろなどと負う暴言も聞かれ始めました。 そして、80年代にこのシリーズも新開発が止まり、90年前半にはフジミ社が離脱するという危機を迎えたのです。 この危機を救ったのは、WLシリーズに属さないピットロードという会社でした。WLで出していない穴埋めモデルを出したばかりか、兵器セットを開発し、機銃などの統一がとれるようになったのです。またこの時代、エッチングパーツが登場し小スケールゆえムクの成型だったトラスやカタパルトが、リアルに再現できるようになりました。(ただ、ピット社はこの時点でマルチマテリアルをちょっとやりすぎた感がありそれが今に引きずっています。 タミヤ社長の本心はは少なくともWLをはじめたときは安い価格でシルエットモデルを提供しようと考えたはずです。 本家のWL3社もフジミの穴埋めや、新キット、また武装セットなどを出し、出戻りモデラーも加わって700分の1は充実していきました。これが1995年頃のことです。 こららの製品を使った素組みにちょっと手を加えたシルエットモデルは、コラクションに最適で、管理人もで戻ってから一番作った時期でした。 ところが人間は恐れを知りません。スロットカーや、ミニ4駆よろしく、マルチマテリアルの波がこのWLにも押し寄せてきました。キットよりはるかに高いパーツが次々に売り出され、模型誌も素組み紹介では記事にならないので、こららのパーツをふんだんに使った記事が大勢を占め、ついにははソリッドモデラーまがいの方の登場とどんどんエスカレート。 10年前には簡単に作れたところ(艦橋窓・煙突の中・大砲の砲身など)が全部別売りパーツでの作例紹介になってしまいました。(ライターの方は好みで変えたなんていってますが、うそに決まってます。(というか在庫を貰ってるんでしょう・・間違ってたら御免なさい)そのクオリティでコレクションしたら金が続くわけがありません。(これ、貧乏人の僻み) そうすると、一般ファンには、キット+何倍もする価格のマテリアルパーツを買わないとプラモはできないという変な観念が生まれ、初心者は引いてしまい、またプラモ冬の時代に入ってしまいます。(食玩が売れてるのもよ〜く解ります) もちろん、模型屋さんに相談すれば、素組みでも立派に仕上がるものも沢山あるのです。(タミヤのニュージャージーや、アオシマの長門、ハセガワのこんごうなどた〜くさん) おまけにまだ懲りないと見えて、今度はリギングまでたくさん張った作例が登場する始末・・・・。 模型誌さんもスーパーディティール作例ばかりではなく素組みのちょっとした改造でこんなに良くなるなんて特集をお願いしたいものです。 超絶作品は作品集の別巻で出してください。それにファンはこのごろ老眼です。そこのところもちょっと考えてね(笑) 初心者の方は、初めからあんなの作れるわけはありませんから、素組みで丁寧に作り、そして次に進んでください。親子で並んで作れるように・・・。 プラモデルの長寿繁栄を祈ってます。くしくも今日は連合艦隊の滅びた日です。 模型で雄姿を再現し、また、二度とあんな兵器は使わないような世界が来ることを祈りましょう。 いんでっくすに戻る |
| 昔作った模型たち(昭和60年まで)その1 (管理人の模型暗黒時代2005・2・18) |
| さて、管理人の模型離れが始まります。 ご存知の通り、高校時代、管理人は漫画製作に染まります。高校生になったらじっくり作るんだという決意はどこへやら、ニッパーと接着剤は、紙とペンに変わります。 どちらも時間がかかることなので、両方は出来なくなってきます。しかし、キットはぽつぽつと作っていました。もちろん、中学のとき無理して買ったエアブラシをチョコチョコと駆使して・・・。この時期に作ったものは、一切残っていませんが、(ステルノスキー将軍の勝ち)モノグラムのフォッケウルフや、F8F、レベルの100円飛行機、WLを素組みで、ぽつぽつと作っていました。 この中で、印象に残っているのは、マニアホビーの飛行機シリーズです。(マニアは、1970年代に2〜3年しか活動できなかったマックス模型同様『早すぎたメーカー』ですが、国産ながら、価格はモノグラム並み、出来は、当時としては画期的でした。スジボリのモールド、透明なキャノピーなど、どれをとっても他のメーカーとは、一味違っていました。(なお現物は、現在ハセガワからスポットで生産されています。97司偵・97戦闘機・97艦攻などです。いまだに充分に通用します。) 昭和50年代には、なくなってしまったメーカーですが、少し買い溜めていたので、しばらくは楽しみました。 中でも97司偵の試作2号機である、『神風』仕様機は、管理人が初めて、本格的な銀塗装をした作品で、(プラシャインーマルサンの磨き銀や、ハンブロール銀などを使って仕上げ、ブルーもハンブロールという豪華仕様だった。)当時の管理人としては、納得できる出来でした。また、48モノのフォッケウルフも始めてスポット塗装をした機体でした。 後は、エアフィックスのTBDディバステーターを、イエローウイングにしたのが印象に残ってます。(このモデル、再版全然しません実は、探してます。) そして、大学となり、上京したのですが、ここで運命的な模型との分かれになってしまいました。入った愛好会に偶然、模型ファンならご存知の『カンプグルッぺジーベン』のメンバーの方の一人と知り合い、模型復活かと思われたのですが、何故か管理人が引いてしまい、(原因は今も不明・・たぶん上京の一人暮らしでナイーブになっていたかも) その後、高校時代の知り合いが、ジャンプにデビューするに及び、そのお手伝いさんになってしまい、しばらく、本格的モデリングから遠ざかる事になってしまいました。 今もちょっと悔やまれる出来事です。(漫画の立体化の素材には模型がぴったりだったのに・・・) いんでっくすに戻る |
| 番外12(エアフィックスの思い出) 2006・5・1 |
| 思い出なんて書きますと、過去のメーカーみたいですが、エアフィックスは、現存で、新規製品も出している、メーカーです。但し、老舗のエアフィックス自体は、1970年代に倒産し、現在は、塗料メーカーのハンブロールの一部門として、フランスのエレールと同じ傘下に入っています。イギリスの老舗が、箱を見るとメイドインフランスになっている理由です。 さて、エアフィックスは、飛行機モデルメーカーとして有名で、特に、72のパイロットフィギアは、各国模型メーカーのコピーとなったほどですが、艦船もお国のイギリス艦を中心に、600分の1でかなりのラインナップを有していました。尤も新製品はこの20年来ついぞなく、最新が1980年代のキングジョージ五世型ですが、それ以前は,ユニークな艦を出していました。殆どは定期再版していますので、ご参考になれば。また、600という艦船初の統一スケールシリーズは、根拠はわかりませんが、独自のもので、72を世界に広めた同社としては、追随するメーカーがないのも不思議です。(ちなみに今や兄弟メーカーのエレールの400は欧州大陸の一応統一スケールになっていました。これも現在は日本スケールの700と350に代わられようとしています) このエアフィックスの艦船モデルですが、アイテムは実に貴重で、何でWLに無いんだろうというものが口惜しくも揃っています。 筆頭は、空母アークロイアルU、巡洋戦艦リパルス、巡洋艦サフォークにエイジャックス、戦艦アイアンデューク、ウオースパイト、ビスマルク、シュペーなどなど現用艦も70年代頃までのタイガーや、ソ連のモスクワなどマニアをくすぐるラインナップでした。(つまり、テーマがあったわけで、ビスマルク追撃戦とラプラタ沖海戦を主題にしたようです) WLシリーズが600を選ばなかったのは、戦艦級が大きくなりすぎるのと、ニチモとの競争力と思いますが、実に惜しいラインでした。もちろん、フルハルモデルで、船体は左右分割なので、WLにするには大変ですが。 管理人は、このシリーズが好きで、殆どを再版があるたびに求めてほぼラインナップをそろえましたが、幾つか手に入らないものもあります。 出来はといえば、まあ60〜70年代のそれなりのレベルで、普通ですが、昔のアオシマと同じで、シルエットはさすがで手の入れ甲斐のあるモデルです。 (もちろん700のエッチングはほぼ使えますし) コレクション派には1社しかありませんが、テーマは揃いますし、ぽつぽつと再版もしていますので、作りこみに良いかと思います。 得意の飛行機でさえ数年に一作というメーカーにいまさら600の新製品の艦船を出せというのもきついのですが、艦船も復活して欲しい(700でもいい)メーカーです。 いんでっくすに戻る |
| 番外13(もう出戻りじゃ無い?) (2006・5・27) |
| さて、自己紹介でも触れましたが、管理人がプラモデルを再び趣味の中心においたのは、1990年頃からです。GWにどこにも出かけない年があり、タミヤの350分の1の武蔵を素組みで作っていました。それからまた模型屋さんを見るうちに、おかしいことに気付いたのです。WLのフジミ担当だった軽巡洋艦が、タミヤのレッテルで出ていました。当時はパソコンもなかったので、ひとづてに聞いてみるとフジミが、静岡模型協同組合を脱退した為、WLは3社体制になり、フジミの分を作り直しているとのことでした。フジミはフジミで旧製品をそのままシリーズ名を替えて発売していたので、ダブりが出るものも出てきました。 しかし、WLシリーズは、事実上開発の止まっていたシリーズなので、この当時でも過去のものという認識がありましたが、怪我の功名で、新開発品が出てきました。四半世紀の空白の後の新製品ですから、出来は良く、(お値段も良い)特に、アオシマの「利根」型は、素晴らしいものでした。これが、日本艦買いなおしのきっかけを作ったのです。(外国艦は結構以前でもよかったのですが) 1992年前後のことです。 と言っても、工具や塗料は処分して大分たっていますし、唯一のエアブラシも、コンプレッサーが無いという有様で、使えず、素組みの水性塗料からの出発でした。 (軍艦は、最初は、ねずみ色とダークレッドと木目色くらいなので、わりと安くつきますが。) で、3年くらいであっという間に60隻くらい作り、その間に、エッチングなどのディティールアップ品や、ピットロードの部品セットを知るようになります。知れば、使いたくなるのは当然で、ますますエスカレート、パソコンも普及してインターネット環境も整い模型のHPも知るようになります。 ( ただし、インターネットのHPに入るきっかけは、友人の漫画HPでしたが) また、フネだけではなく、買えなかった旧キットを買っていくと、飛行機も溜まってきて、飛行機は72コレクターと化してしまいましたが・・・。 さて、その間に、WL3社、フジミ、ピットロード、ドラゴン等の新規開発が進み、超絶作例も出て、WLは全く新しく(一部古いのもある)なりました。 初めの頃のフジミ代替品には若干の不満もありましたが、最大のイベントは、「大和」「長門」のリニューアルと、「信濃」に始まる新設計でしょう。 さて、今年は2006年です、出戻ってから15年以上も超過していますので、いまさら出戻りの初心者というわけにも行かず、(考えてみると子供の頃プラモデルを作っていた時期より長いのです)さりとて、超絶モデラーでもないのですが、少し、歴史を振り返ろうと思い2年前にこのHPを立ち上げたわけです。 幸い訪れていただける方もあり、在庫の山さえ見なければ結構幸せな、モデリング環境です。 そろそろ出戻り(事実ですが)の名称は外そうかと思います。上手い下手は別として・・・。 いんでっくすに戻る |
| 番外14(オーロラとリンドバーグ) (2006.6.10) |
| アメリカのはっきり言って2流メーカーです。 リンドバーグ社は現在も存在し、オモチャ的な(日本的な)楽しい動力モデルを作っています。近作は、リモコンポップアップカーや巨大な魚雷艇「ケネディ」がありました。 もちろんスケールモデルも手がけていて、管理人は、同社のハインケル100なんかを作った思い出があります。とにかく舶来といえば、それだけで尊敬された時代でしたから、モデルの出来など(飛燕に見える)どうでもよかった頃でした。 スケールではなく、模型をおもちゃ・教材と見ている外国では少ないメーカーです。(この会社の初期の物は、モーターまでエナメル線を巻いて作らされました。今はさすがにマブチモーターです。 さて、オーロラ社はもう存在しません。ここのスケールモデルは実におおらかで、バートルタンデムローターヘリなどは、窓ガラスをはめ込んで、左右をくっつけ、ポーターをつけるともう完成というものでした。(つまり中味ががらんどう) 形は比較的いい味を出してましたが。そして、1ドル360円ですから高い!と言う事で、オーロラのプラモデルはあまり作ってません。 でも、このメーカーの真骨頂は、スケールモデルではなく、キャラクターにありました。しかも、「フランケンシュタインのモンスター」「半漁人」「ミイラ男」「サイクロプス」など,怪奇ものキャラクターでした。(最近復刻が出たのでご存知の方もいるかもしれません) これらは、あの実質部品4つのヘリコプターと同じ会社かしらと思うほど、小道具が徹底して、フランケンにはお墓、ミイラ男にはコブラ、バンパイアにはこうもりといった感じで、ベースも実に凝っていました。暗い部屋に飾っておくと怖いくらいでした(人体模型に通じるところがある) 居間の飾りにはなり難いので、お勧め・・・というわけには行きませんが、実にエンスートリックな選択で、こういう遊び心のあるメーカーも残って欲しかったと思いますが、時代が要求しなかったのでしょうから、仕方ありません。 以前はこれらかなりのプレミアムがついていたそうです。復刻後はちょっとこなれたようです。 いんでっくすに戻る |
| 特別番外(北海道国鉄全盛期) 2006・7・27 |
| 急に鉄ちゃんになりました。管理人が北海道にいた当時の、本州からの旅客輸送力は、国鉄90%飛行機その他10%で圧倒的に天下でした。輸送手段も、8200総トン級、速力18ノットの新鋭津軽丸型(定員1286人)7隻が、30から、1時間間隔で往復していました。 所要時間は、上野から特急はつかりで青森まで6時間半、函館で空母天城改造の浮き桟橋をわたって、連絡線で、3時間50分、海線周りの特急北斗で、4時間半の旅でした。対する飛行機は、B727 (120人乗り)とYS11(60人乗り)が、1−2時間間隔ですから、それこそ比較になりませんでした。所要時間は、727で羽田まで1,2時間と圧倒的に早いのですが。 逆転したのは、昭和50年の国労の遵法闘争闘争で約1週間国鉄が止まったのがきっかけのひとつです。これがが国鉄崩壊のすべてとは言いませんが、旅客の不信感を増やしたのは事実で、尾を引いたと思います。お客をないがしろにしたつけは重かったようです。今までの支持者も離れて行き、結局自分たちの要求で自分の首を絞めたわけです。 さて、内部抗争のお話は、関係ないので、進みます。 このころの青森駅と函館駅は壮観なものでした。夕方のの寝台特急で、上野からたつと、夜明け前に連絡線に接続、函館で夜明けを迎え、行き先別にずらりと並んだ、特急群に旅客は散っていきます。室蘭線周りの札幌行き北斗、小樽周りのどう、北海、網走行きのおおとり、釧路行きのおおぞら、補完として、特急なみの速さを持つ、急行宗谷稚内行き、小樽周りのニセコ、室蘭周りの汎用急行のすずらん札幌行きが、どれかは常時2−3本とまっていました。 管理人は車両ファンではなかったので、あれがキハ182とか、560系とかは良くわかりませんが、今に比べ重々しく、なんか特別急行の風格があった様です。 今はこれらの列車群、名前も変わって、札幌を中心地に運用になり、飛行機と鉄道の比率は、9対1近くまで落ち込んでます。(カーフェリーは含まず) そして1988年春、青函連絡船は、トンネルの開通とともに廃止されました。 我が乗船機会の多かった摩周丸は、函館で保存され、国内には4隻ほど残っていますが、維持費が大変なようです。売却されて、地中海を走っているのもあります。船としてはこちらのほうが幸せかも。国内クルーズ船かなんかに改造できないものでしょうか。(耐用年数でだめか) また、蒸気機関車に最後に乗ったのも、函館本線札幌発長万部行きの普通でした。(確か昭和47年)塩谷に遊びに行くとき別に選んだわけではなく偶然でしたが、まさかこれが最後とは思いませんでした。(帰りはディーゼルカーでした)のろい、煙い、うるさいの3拍子そろった蒸気機関車ですが、 今思うとこれも情緒でしょうか。 いんでっくすに戻る |
| リニューアル前のWLの出来栄え (2007・1・28) |
| WLも日本の主力戦闘艦はほとんどリニューアルされました。そこで、寿命に近い船を記念に羅列してみました。つまり全部リニューアル前です。(マニアになる以前ですので、出来はご勘弁を、ほとんど、考証なしの素組みですが、改造(スクラッチの実験もあります) こうしてみると当時としては傑作だったのではないでしょうか? 表紙にも利用したアオシマの陸奥新旧です。手前が、新作ですが、旧作のシルエットには全く破綻がありません。バラ状態では、バリが多く、ブルワークが太いので敬遠されたということですが、シルエットモデルとしては、問題なさそうです。旧作の改造点は、主砲、機銃をピットに変え、トラスにエッチングを使ったくらいで、ほとんど素組みです。はっきりいって素晴らしい。(なお旧作は陸奥、新作は長門の図面を基準にしているようです) 同じくアオシマの山城です。これは残念ながら謎キットでバルジの形は何とかなるとしても、3・4番主砲がはまりません。したがって前楼、後楼、煙突基部を全部改造しなければなりませんでした。また、甲板が扶桑の戦前用なので、航空機エレベーターの切り取りに手間がかかりました。その他は定番の、主砲交換とエッチングトラスの取り付けのみです。」(旧作も山城の図面を利用すればこれほどの破綻はなかったと思うのですが。) で、その扶桑ですが、前楼が全く似てないので、当時の腕で精一杯作り直し(スクラッチ)したんですが、載せてびっくり!3番主砲がはまらない・・・。泣く泣く正確に作った部分を削った思いがあります。しかしこの前楼を作り直したら立派な扶桑になりました。お次は航空戦艦の伊勢です。戦艦日向とのコンパチといっても言いのですが当時は航空戦艦を作るには伊勢2隻戦艦を作るには日向2隻を買う仕組みでし。したがって艦の前半が日向、後半は伊勢というまあ無理したキットでした。 最大の欠点は、航空戦艦のカタパルトの基部がぜんぜん違うことで、(もちろんカタパルトも呉式2号5型が入っている)ニチモの30センチシリーズを買って、参考にしながら大改造しました。また、航空機軌条が凸モールドで、新キットに期待したんですが、やはり凸でした。(異まリニューアルだったらはせがわさんぜったい凹モールドにすると思いますが5年早かった・・・) ミッドウェイ悲劇の4空母です。ハセガワの赤城、加賀は、加賀の右舷と赤城・加賀の艦橋自作を除いて、ほとんど素組みなんですが、アオシマの飛龍と蒼龍は、船体の修正から、艦橋の作り直しスポンソンの位置がえまでなど、(自作)かなりの工作量でした。飛龍は図面が残っているので比較的アオシマらしくシルエットは正確ですが、(艦橋が大きすぎる以外)蒼龍ときたら、資料もないので当時は仕方ないのですが、)こちらももあきらめて、先に行った以外は素組みにしました。再販が一番望まれる日本空母です。![]() これは最後の主力空母陣 大鳳、飛鷹,翔鶴です。マリアナ沖海戦で3隻とも戦没したので、並べてみました。翔鶴のみ、タミヤのリニューアルですが出来はそう変わりません。 まあ、さすがタミヤ製なので、飛鷹を隼鷹から、1944年版にした程度なので、すらすら組めました。が、大鳳がちょっと新資料が出てきたので、リニューアルして欲しいですね。 ![]() 間に合わなかった主力空母葛城です。改飛龍型なので、飛龍からも改造できるのですが、せっかく出してくれているので。このキットの最大の欠点は、艦橋下がすかすかで、支えもないことです。 数年前、天城を出した小改造のときにここを埋めるパーツをつけてくれればよかったのですが。(プラバン貼ればそれなりなので見られますが) これだけは、ピットの雲龍にはかないませんね。あるうちにピットの雲龍型は購入をお勧めします。(トラペ製ですからいつなくなるか・・・、値段が値段だけど) 軽空母4隻です。左の龍穣のリニューアルが待たれるところです。船体は新造時、後半は最終時ですから。 ねずみ色の甲板は雲鷹、木甲板は大鷹です。出ただけでも凄いので、感謝ですね。大鷹は、1941年完成ですから、ラテックスでは(少なくとも最初は)ないと思います。 右が鳳翔新造時、出たときは度肝をを抜かれましたが、(値段2800円にしかもスライド金型ではない)今は1800円に値下げになって、WW2の状態に改装するにも買いやすくなってます ![]() 最後に旧式戦艦大集合ということで。さすがにコンセプトが古いなあと思う反面十分では?とも思いますね。(全部旧キット・金剛型を除く、なお武蔵はニチモ) 押入れで寝ている旧キット、リサーチして、現代の部品を使って仕上げれば、結構様になりますよ。 なお、写真が暗いのは、半分失敗ですが、あらを隠そうという意図もあります(苦笑)見難い方は完成品ギャラリーでどうぞ いんでっくすに戻る |
| 長門八景 (2007・2.1) |
さて、管理人は、現在未組の長門が4隻あります。1隻はニチモの500なので、700は、3隻となります。このうち、1隻は、ピットロードのハイモールドシリーズ、2隻はアオシマの、WLとフルハルです。(遠景の完成艦は、アオシマの新金型の陸奥です) 出来は3隻とも拮抗していますから、どれを選んでもあまり差はありません。(但しレジンキットはもう店頭在庫のみです)また、たまたまでしょうが、管理人のレジンキットは、WL長が、30.7センチで、700倍すると214,9メートルです。アオシマは両艦とも31センチでWL長は221,9メートルになります。実艦は、WL221,7メートル(改装後)なので、やはりレジンの収縮が気になるところです。細かく計った結果、1ミリのプラ板を、10〜8箇所に分けてつなげばいいのですが、写真のように見た感じはほとんど変わりませんから、ソリッドモデラーを自負する方以外は、そのまま作ったほうが、健康的です。材質のレジンは質も良く、入手してから10年はたつのですが、反りもほとんど出ません。青島の長門がでた以上、過去のキットですが、名キットと言えるでしょう。(アオシマがこのキットを十分に参考にしたことは考えられます)どうしても全長が気になる方は、アオシマのWLの船体を使って2個一で作ると完璧です。(持っているからいえることですが・・。) さて、長門フルハルですが、大方の予想を裏切って、船体自体が、新開発です。普通はハルのバーツの付加なのに、よくやってくれました。しかも、700じゃいらないんじゃないの?と密かに(凝り性の方すみません)思っていた、船体の継ぎ目が表現されていないことです。『これが700分の1だ』と言う主張が伝わります。つけたい方は、持ち前のテクでつければいいのですから。 ちょっと文句をつけますと、フルハルの1枚最上甲板、WLのものより優れています。管理人は、フルハルをがりがり削ってWLにして、作りたくなりました。 または、この最上甲板のみ取り寄せて、WLキットに貼り付けたい心境です。 旧作の長門は、新作の陸奥の為、エッチングを流用したので、今ありません。 どういう組み合わせで作ろうか楽しみです。 いんでっくすに戻る |
| それ行けエアフィックス (2007・3・11) |
親会社のごたごたから消滅かと思われたイギリスプラモメーカーの老舗『エアフィックス』何とか存続が決まりそうです。感激記念に、管理人エアフィックスコレクションどうぞ。(あえて解説はつけませんので、画像をお楽しみください。なお、あまりに倉庫の奥にあり取り出せなかったものも多数あります。)老舗の意地をどうぞ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() いんでっくすに戻る |
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