定型随想(01/7/15)
「粛々」という言葉先の衆院選挙で文教族の大物が何人も落選した。 「これは文教行政への国民の批判の現れではないか」と記者に問われたある文部官僚が、「そうとは思いません。私どもは計画を粛々と進めるだけです」と答えていた。 「計画」は国立大学の独立行政法人化を指す。辞典によれば、「粛々と」という言葉は「ひっそりと静かに」「厳かでひきしまって」「謹んで」等を意味する。 私は頼山陽が「鞭声粛々夜河を渡る」と吟ずる川中島の戦いの故事を真っ先に思い出す 。 本来は悪いイメージの言葉ではない。 しかしこれを官僚が先のように使うと不快な意味合いを帯びる。 「隠密に」「批判に耳を貸さずに」「命じられたままに」等を意味するように聞こえるのである。 先日、ある同僚と話をしていて、この言葉を再び聴いた。 「国立大学の独立行政法人化の先行きはどうなるだろうか」という私の問に対して、この同僚が「粛々と独法化されるだろう」と答えたのである。 先のような経緯があるので、私はいささか驚き、かつ不快であった。 しかし、この同僚が大学運営の中枢に関わり文科省とも接触のありそうな人なので、色々な疑念が私の頭の中を瞬時に駆け巡って、この「粛々」の真意はついに聞きそびれてしまった。 |