人間機械論に基づく
数理心理学の建設を目指し思索しています
その詳細が「
数理心理学」に,
手懸り語が下にあります
要約に代えて
「数理心理学」序説よりの抜粋を掲載します(07年5月時のもの)
数学基礎論になぞらえて見た数理心理学
数理心理学の研究は多面に亘るが,ここでは,それら多面の中で最も基本的で重要な一面を,数学基礎論になぞらえて説明する.
いつの頃か数学者の中に,数学者の思考そのものを数学的に研究しようと志す人たちが現れた.こういう人たちを仮に「数学思考学者」と呼ぼう.数学思考学者は,当然のことながら,まず数学者の行動を観察した.数学者の行動とはすなわち,既成の定理の証明文を読んでそれを理解したり,新たな定理を証明してその証明文を書いたりする行動である.つまり数学者の行動は,定理の証明文の中に端的に反映されている.そこで数学思考学者はまず,数学の定理の証明文を観察し,それらに共通する本質は何であるかを考え,その本質をやはり数学的に表現しようと試みた.試行錯誤の末に得られたのは,述語言語という形式言語である.つまり数学の定理の証明文は,正しかろうが間違いであろうが,述語言語の文で表現することができる.逆に述語言語文は,何らかの定理の証明文(それも正しかったり間違いであったりする)に書き直される.言い換えれば,証明文と述語言語文との間に対応関係がある.
ただし証明文と述語言語文とのこの対応は,一対一の対応ではなく,それ故に曖昧な対応である.一つの述語言語文であっても,それに対応する証明文は一つとは限らない.なぜなら証明文というのは,記号交じりの自然言語文であるから,同じ意味であっても語順や言葉遣いなどが人や状況によって変わり得るからである.証明文と述語言語文との対応には別の曖昧性もある.数学思考学者は,数学の定理の証明文がすべて述語言語文で表現できると証明したわけではなく,経験上は証明文はすべて述語言語文で表現できるというに過ぎないからである.この意味で,数学思考学者が述語言語に導かれるまでに行なったのは経験論である.ただし経験論とは,実際に経験して知り得る個別的・具象的な事実から帰納的に一般的・抽象的結論を導く論を言う.これに対し,前提から厳密な論証によって演繹的に結論を導く論を合理論と呼ぶ.
数理科学は一般に経験論と合理論の混成物であり,経験論部分には曖昧性がある.たとえばメンデル遺伝学やニュートン力学においては,遺伝の法則や運動方程式は経験論により得られ,そこには「遺伝子とは何か」「力とは何か」などについての曖昧性がある.しかし,一旦そういう法則・方程式が得られれば,それを基に厳密な論証によって遺伝や運動を予測する合理論が行なわれる.一般化すれば,第1章の冒頭に書いた通り,数理科学者はまず現象を観察し,次いでその現象を抽象して数理模型を作り,さらにその模型についての数学理論を追究することにより,現実の自然界についての理解を深め発展させようとする.数理科学者が現象の数理模型を作るまでに行なうのは経験論であり,そこには何かしら曖昧性があるが,一旦数理模型が作られれば,それをもとに数学という合理論を行なって様々な現象を予測することができる.そして,その予測の正しさが数理模型の妥当性の証となる.図1は数理科学のこういう性格を図解したものである.
図1:数理科学研究
| 現象 | 曖昧な対応 <−−−−−−> 経験論 |
数理模型 | 数学理論 −−−−−−> 合理論 | 現象予測 |
経験論によって述語言語という場を得た数学思考学者は次に,述語言語文化された証明文を観察し,数学者が証明を考える筋道に共通する本質が何であるかを考え,それを数学的に表現しようと試みた.そして数学思考学者がやはり経験的に知ったのは,数学者は公理や前提に幾つかの簡単な型の論法を繰り返し施すことによって結論を導き出しているということであった.論法というのは,述語言語文の組みを述語言語文に変換する様式であり,典型的なものは,述語言語文 x と「x ならば y」を意味する述語言語文 x ⇒ y の任意の組み(x,x ⇒ y)を述語言語文 y に変換するいわゆるmodus ponens(mode that affirms)である.こうして,述語言語上の論理学として,述語論理学が建設された.
一たび述語論理学が出来上がると,数学思考学者はいよいよ,数学者の思考の研究を数学的に行なうことができるようになった.つまり述語言語文の全体を A で表せば,まず,数学者が用いる論理的公理系と数学者が研究の対象とする数学理論の公理系は,A の部分集合 D と X と捉えられる.次に,数学者が使う論法の全体は,A の元の変換から成る集合 R と捉えられる(R は厳密には A
*, A 間の関係である).そして,X と D に R の中の変換を繰り返し施すことによって得られる述語言語文の全体を [X∪D]
R で表せば,これがすなわち,その理論において証明可能な命題の全体に当たり,従って数学者には, [X∪D]
R の中の命題を X から R,D によって証明する潜在能力があることになる(その能力が顕在化しないことが多いが).従って,R,D,X を様々に選んだときに [X∪D]
R がどういう集合になるかを研究することは,つまり R,D,X と [X∪D]
R の対応関係を研究することは,数学者の思考の潜在能力や限界を研究することに当たる.そしてそういう研究から,ゲーデルの不完全性定理や完全性定理が得られた.たとえば完全性定理によれば,R,D としてある具体記述可能のものをとれば,任意の公理系 X に対して,X の下で真の命題はすべて [X∪D]
R に属す.つまり,この命題を X から R,D によって導く証明が存在する.R,D のこの性質を完全性と言う.
以上は,数学基礎論という数学の一分野でヒルベルトらが形式主義の下で「超数学」すなわち証明論として実際に行なったことの一部を脚色した物語であり,図2はこの物語を図解したものである(図1参照).
図2:数学者の思考の研究
| 証明文 | 曖昧な対応 <−−−−−−> 経験論 |
述語言語文 | 述語論理学 −−−−−−> 合理論 | (不)完全性定理等 |
「脚色した」と言うのは,超数学者は恐らく自身の研究を数学者の思考の研究とは捉えていなかったからである.数学基礎論は事実,カントルの始めた集合論が有用でありながら逆理を発生させることを切っ掛けに,数学を反省吟味して逆理を解消し数学の基礎を確立する目的で始められ,ヒルベルトはその目的を,数学の各理論を公理論化しその公理系の無矛盾性を証明することで達成しようとした.しかしそれはまさに,数学者の思考の潜在能力と限界を研究することと,つまり上記のような R,D,X と [X∪D]
R の対応関係を研究することと捉えられる.なぜなら,ある数学理論の公理系 X の無矛盾性を示すことは,ある述語言語文 y とその否定 ¬y の両方が [X∪D]
R に属すことがないことを示すことに当たり,それは R,D が完全の場合には,[X∪D]
R≠A を示すことに当たるからである.
図2が図1の特殊化であることは明らかであろう.
この意味で,超数学は数理科学の典型である.
世間一般が超数学を科学ではなく数学と捉えているとしても,
それは図2の経験論部分を知らぬか忘れたに過ぎない.
さてそこで,図2の標題を「人間の思考の研究」と変えたら図はどう変えるべきかを考えてみよう.つまり,人間一般の思考を数学的に研究しようと志した数理心理学者は,どういう図式を描くべきだろうか.図3はこの問への答を示唆するものである.
図3:人間の思考の研究
| 自然言語文 | 曖昧な対応 <−−−−−−> 経験論 | 何らかの形式言語文 | 何らかの論理学 −−−−−−−−−> 合理論 | 何らかの定理 |
超数学者はまず,数学者の思考の現れである証明文を観察した.それに倣うなら数理心理学者は,人間の思考の顕著な現れである自然言語文をまず第一に観察すべきであろう.情動など他に観察すべきものがあるとしても,それは,数理心理学を始めるに当たっては二の次としてよかろう.そうと決まれば数理心理学者は,再び超数学者に倣って,自然言語文に共通する本質が何であるかを調べ,その本質を何らかの形式言語文によって表すことを試みるべきであろう.そしてその形式言語は,述語言語が超数学者にとっての研究の場になったと同様,数理心理学者にとっての研究の場となるであろう.超数学者が証明文と述語言語文との対応を経験的に作り上げ,その対応に多少の曖昧性が許容されるのと同様,自然言語文と形式言語文との対応は経験的に作り上げればよく,その対応に多少の曖昧性は許容されるであろう.
数理心理学者が次にすべきことは,再び超数学者に倣うなら,形式言語文化された自然言語文を観察して,人間が考える筋道に共通する本質が何であるかを考え,それをやはり数学的に表現しようと試みることであろう.それは超数学者がしたと同様に経験的にすればよく,その目標は,人間が使う基本的な論法と論理的公理の表を作り上げることである.数学者の思考も人間の思考の一部であるから,たとえば前述のmodus ponensもその表に含まれなければならない.
こうやって図3に書き入れるべき未知の形式言語と論理学を確定することができれば,超数学者が述語論理学によって数学者の思考の潜在能力や限界について数学的に研究したと同様,数理心理学者はその論理学によって,人間の思考の潜在能力や限界について数学的に研究することができるであろう.その論理学で,たとえば完全性定理や不完全性定理は成り立つだろうか? これは有意義な問いかけに違いない.
以上,数理心理学の最も基本的で重要な一面を数学基礎論になぞらえて説明した.つまりこの一面での数理心理学の方法は,超数学の方法を,従って数理科学一般の方法を踏襲している.そして数理心理学は今,図3の未知の論理学を確定するための経験論を試行錯誤している段階にあるのである.ただし,以上の説明はあくまでも「なぞらえ」での説明であり,数理心理学者の考え方の正確な説明ではない.数理心理学者は実は,図3の未知の形式言語(それを仮に A で表す)は自然言語の数理模型ではなく,脳内にあって人間の認識を司るはずの生理的実体の数理模型なのだと考える.また,そういう実体が自然言語として変形表出すると考え,それゆえ,A の構造を探るために自然言語を観察する.数理心理学者はさらに,人間の認識の対象世界およびそれと A の対応関係ならびに人間の考える仕組みの数理模型を作り,それによって人間の言語行動を説明しようとする.従って数理心理学者は実際は,図3とは違う図式を描く.
なお私は数理心理学の上記の方法を,超数学の方法を踏襲しているからという理由で正当化する積もりはない.それをするなら,ヒルベルトら超数学の先達の権威を振りかざすことになり,権威にすがって価値を判断しようという権威主義者を納得させることはできても,自らの頭で考えて価値を判断しようという人々を納得させることはできない.それゆえ私は次節以降で,数理心理学のこういう方法の価値と正当性を,基礎に立ち返って説明しようと思う.
人間機械論
思考機械 人工知能工学・数理工学・数理科学・応用数学・数学
代数系 普遍代数・論理代数学・代数論理学・数学基礎論・数理論理学
論理 論理哲学・言語哲学
言語 自然言語・形式言語・モデル論的意味論・国文法論