現在の北見市内にある省線(後の国鉄⇒JR北海道)石北本線・留辺蘂駅の近くの貯木場を起点とし、無加川を遡っていた路線である。
沿革
全国森林鉄道によれば、以下のとおりである(P.19)。
| 距離 | 留辺蘂−大町(温根湯幹線)36.6km |
| 開始 | 大正10年(1921)10月 |
| 廃止 | 昭和35年(1960)3月 |
一方、鉄道廃線跡を歩く(1)によれば、以下のとおりである(p.162)。
| 森林軌道(鉄道)名 | 級 | km | 開設 | 廃止 |
|---|---|---|---|---|
| 温根湯線 | (1) | 37.6 | 1921(T10)10 | 1960(S35)03 |
さらにからまつトレインさんの復活・温根湯森林鉄道という記事によれば、留辺蘂から36.6kmである大町地区に(も?)当路線の機関庫があったという。
往時の軽便鉄道用蒸気機関車の航続距離を考えれば、起点から35km超の位置にあった"機関庫"とは単なる建物ではなく、検修設備や要員を置いた一大拠点であった筈である。
この観点で旧版地形図を見ると、"36.6km"説の方が正しいと考えられる。
関連地形図・空中写真
この路線の載った1:50000地形図
| 図名 | 発行 | リスト番号 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 留辺蘂 | 昭33 | 34-6-3 | |
| 大和 | 昭33 | 34-10-4 | |
| 常元 | 昭33 | 34-11-4 | |
| 石狩岳 | 昭36 | 34-15-4 |
この路線の沿線を写した空中写真
| 整理番号 | 撮影 | 地形図番号 | 地形図名 | 写真番号 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| CHO-77-23 | 昭和52年度 | NK-54-1-6 | 留辺蘂 | C17-14 | 留辺蘂および周辺 |
| CHO-77-23 | 昭和52年度 | NK-54-1-6 | 留辺蘂 | C17-12 | |
| CHO-77-23 | 昭和52年度 | NK-54-1-6 | 留辺蘂 | C17-10 | |
| CHO-77-23 | 昭和52年度 | NK-54-1-6 | 留辺蘂 | C18-9 | |
| CHO-77-23 | 昭和52年度 | NK-54-1-6 | 留辺蘂 | C18-7 | |
| CHO-77-23 | 昭和52年度 | NK-54-1-6 | 留辺蘂 | C19B-3 | |
| CHO-77-23 | 昭和52年度 | NK-54-1-6 | 留辺蘂 | C19B-1 | |
| CHO-77-23 | 昭和52年度 | NK-54-1-6 | 留辺蘂 | C19A-4 | 温根湯および周辺 |
| CHO-77-23 | 昭和52年度 | NK-54-1-10 | 大和 | C19A-2 | |
| CHO-77-22 | 昭和52年度 | NK-54-1-10 | 大和 | C13-17 | 上下が逆 |
| CHO-77-22 | 昭和52年度 | NK-54-1-10 | 大和 | C14-18 | |
| CHO-77-22 | 昭和52年度 | NK-54-1-10 | 大和 | C14-16 | |
| CHO-77-22 | 昭和52年度 | NK-54-1-10 | 大和 | C14-14 | |
| CHO-77-22 | 昭和52年度 | NK-54-1-10 | 大和 | C15-12 | |
| CHO-77-22 | 昭和52年度 | NK-54-1-10 | 大和 | C15-10 | |
| CHO-77-22 | 昭和52年度 | NK-54-1-10 | 大和 | C16-10 | |
| CHO-77-22 | 昭和52年度 | NK-54-1-10 | 大和 | C16-8 | |
| CHO-77-22 | 昭和52年度 | NK-54-1-10 | 大和 | C17-8 | |
| CHO-77-22 | 昭和52年度 | NK-54-1-10 | 大和 | C17-7 | |
| CHO-77-32 | 昭和52年度 | NK-54-1-11 | 常元 | C1-6 | |
| CHO-77-32 | 昭和52年度 | NK-54-1-11 | 常元 | C1-4 | |
| CHO-77-32 | 昭和52年度 | NK-54-1-15 | 石狩岳 | C8B-15 | |
| CHO-77-32 | 昭和52年度 | NK-54-1-15 | 石狩岳 | C8B-13 | |
| CHO-77-32 | 昭和52年度 | NK-54-1-15 | 石狩岳 | C8B-11 |
研究(笑)報告
この路線に関し、本項の執筆時点でWikipediaにエントリはない。
この路線は全国軽便鉄道に載っていない。
日本の森林鉄道(上)では、当路線について以下のように述べている(p.78)。
温根湯森林鉄道は、北海道庁拓殖部林務課によって、大正9(1920)年10月に着工、大正10(1921)年8月に完成した留辺蘂貯木場・温根湯国有林内間17.3kmを本線とし、同支線軌道6.6kmを…(中略)…その後延長したもの及び新設支線を合せて67.6km
上記の旧版地形図には、以下の"特殊軌道"が載っている。
- 留辺蘂市街を起点とし、無加川を遡って分水嶺を越え、石狩川の現流域に達する約49km
- 厚和地区で"1."から分岐し、無加川の支流である枇杷牛沢を遡る約4km
- 同じく厚和地区で"1."から分岐し、無加川の支流であるケショマップ川を遡る約8km
旧版地形図に載っているルートを電子国土ポータル機能で表現したものがこちらである(注:JavaScriptが動作できる環境が必要です)。
なお、留辺蘂市街から約17kmというのは現在の温根湯温泉の(ほぼ)中心にあたる。
「全国森林鉄道」の付表には、当路線の支線区間として以下が載っている。
| 級 | km | |
|---|---|---|
| 37号支線 | (1) | 11.1 |
| 56号支線 | (1) | 2.5 |
| 52号支線 | (1) | 2.4 |
細かいことだが"37号"、"56号"および"52号"は固有地名であるから、各々"三十七号"、"五十六号"および"五十二号"と書くのが適切であると(少なくとも筆者は)考える。
一方、北海道の森林鉄道史に関する研究によれば、当路線は以下で構成されていた。
- 大正10年に最初の16.83kmが建設されて以来、延長を繰り返して昭和35年まで運行された幹線
- 大正10〜13?年に運行された、約6.6kmの十六号支線
- 大正13〜昭和4年に運行された、約3.27kmの二十号支線
- 大正13〜(不明)に運行された、約1.17kmの三十四号支線
- 大正13年に最初の2.01kmが建設されて以来、延長が繰り返された三十八号支線
- 大正14〜(不明)に運行された、約2.99kmのヌプリオマナイ支線
- 昭和4〜(不明)に運行された、約1.87kmの湯の沢支線
- 昭和6〜(不明)に運行された、約0.8kmの五十二号支線
- 昭和11〜(不明)に運行された、約2kmのニセイケショマップ支線
ただし筆者は同論文を閲覧&メモしたのみであり、コピーを入手した訳ではない。
このため、上記のリストが誤っていた場合の第一義的な責任は筆者にある。
"1."が旧版地形図に載っている留辺蘂市街〜石狩川源流部へと続く路線であることは(ほぼ)間違いない。
地名としての"十六号"は、現在の温根湯温泉の中心部に相当する。
このため、"2."は同地で幹線から分岐し、無加川の支流であるパンケビバウシ川を遡っていた路線であると推定できる。
ちなみに「日本の森林鉄道(上)にある"同支線軌道6.6km"を当路線に比定することも可能であるが、典拠はない。
地名としての"二十号"は、現在の平里地区(注:温根湯温泉の西)に相当する。
このことから、"3.は、同地で幹線から分岐し、無加川の支流であるペンゲビバウシ川を辿っていた路線であると推定できる。
地名としての"三十四号"は、現在の厚和地区の一角である。
このことから、"4."は、同地で幹線から分岐し、無加川の支流である枇杷牛沢を辿っていた路線、すなわち旧版地形図に載っている路線であると推定できる。
地名としての"三十七号"(および"三十八号")も、現在の厚和地区の一角である。
このことから、"5."が『三十七号支線』の誤記であった場合には同地で幹線から分岐し、ケショマップ川を遡っていた路線、すなわち旧版地形図に載っていた路線であると推定できる。
"6."については不明である。
筆者が転記する際に路線名を誤った可能性はあるものの、同名の路線は「復活・温根湯森林鉄道」にも見出せるため、無加川の支流のいずれかを遡っていた路線であると考えられる。
後述する。
"7."についても不明である。
こちらも筆者が転記する際に路線名を誤った可能性もある。
後述する。
無加川にカワバタ川と言う名の支流があり、同川は"五十二号"相当の富士見地区で本流に合流している。
このカワバタ川に沿って"52号林道"が現存するため、"8."は同地で幹線から分岐してカワバタ川を遡っていた路線であると推定できる。
無加川に"ニセイケショマップ川"と言う名の支流があり、同川は富士見地区で本流に合流している。
このため、"9".は合流点付近で幹線から分岐して同川を辿る路線であると推定できる。
さて、「北海道の森林鉄道史に関する研究」においては、所在地の推定が可能な支線は留辺蘂市街からの距離に応じた順序で記述されていた。
この点を考えれば、現時点で所在が特定できていない"ヌプリオマナイ支線"および"湯の沢支線"は三十七号と五十二号の間、具体的には
- ケナシベツ川
- 小山川
- パオマナイ川
あたりを遡っていた可能性が高い。
「全国森林鉄道」だけに存在が示されている五十六号支線は、無加川の支流である上富士見川と本流との合流点付近で幹線から分岐し、同川を遡っていた路線であると推定している。
注:
上富士見川に沿って"56号林道"が現存し、同川と(無加川)本流との合流地点が"五十六号"相当であるため
「復活・温根湯森林鉄道」には"シケレベツ支線"および"イトムカ鉱業所線"(引込線)の存在が示されている。
注:
さらに言えば同サイトは上記の三十七号支線 vs 三十八号支線の問題に関して"三十八号"説を採っている。
大和地区からは無加川の支流である士気連別川を遡り、旭峠を経て丸瀬布へと通じるシケレベツ林道が現存する。
このため、シケレベツ支線は大和地区で幹線から分岐し、同川を遡っていたものと推定できる。
イトムカ鉱業所線は(同鉱業所が幹線の傍らにあるため)特に検討を要する点はない。
なお残る問題として、三十四号支線および三十七号支線が「北海道の森林鉄道史に関する研究」に載っているキロ数に比べて旧版地形図から読み取れるキロ数の方が遥かに長い、という点がある。
注:
森林鉄道における支線や作業線は(仮設物であるため)地形図に載らなかった場合が多く、文献に載っているキロ数の方が(地形図に載っているキロ数より)長いのが通例である。
これらの路線の流域の広さを考えれば、大正末期の開通から地形図の作成に至る30年以上にわたって(ずっと)運行が続けられたとは考えにくい。
したがって、これらの路線は一旦は廃止されたものの、後に再建された…と考えた方が無理は少ない。
北見営林局事業統計書には、当路線に関して以下が記録されている。
| 年度 | 経営区 | 現況 | 新設 | 改良 | 修繕 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 個所 | 延長 | 個所 | 延長 | 個所 | 延長 | 個所 | 延長 | ||
| 昭和24 | 温根湯 | 7 | 58110m | 1 | 3560m | - | - | 7 | 56528m |
| 昭和25 | 温根湯 | 7 | 56526m | 1 | 1280m | - | - | ? | 58240m |
| 昭和26 | 温根湯 | 6? | 59103m? | 2 | 6180m | - | - | ? | 56526m |
| 昭和27 | 温根湯 | 6 | 65154m | 3 | 8370m | 1 | 30m | 1 | 52603m |
| 昭和28 | 温根湯 | 6 | 74km | 3 | 8.9km | - | - | 2 | 64.4km |
| 昭和29 | 温根湯 | 7 | 81km | 2 | 7.1km | 1 | 4.2km | 3 | 69.9km |
| 昭和30 | 温根湯 | 4 | 69km | 1 | 0.8km | - | - | 3 | 81.2km |
| 昭和31 | 温根湯 | 5 | 73km | 1 | 1.4km | - | - | 4 | 68.6km |
| 昭和32 | 温根湯 | 5 | 73km | - | - | - | - | 4 | 70.0km |
| 昭和33 | 温根湯 | 4 | 69km | - | - | - | - | - | 72.8km |
| 昭和34 | 温根湯 | 2 | 36km | - | - | - | - | - | - |
| 昭和35 | 温根湯 | 2 | 36km | - | - | - | - | - | 36.1km |
| 昭和36 | 留辺蕊 | - | - | - | - | - | - | ? | 40.4km |
これでは判りにくいため、
現況 = 前年度の現況 + 新設分 + 増減
と考えて纏めなおすと以下のようになる。
| 年度 | 現況 | 新設 | 増減 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 個所 | 延長 | 個所 | 延長 | 個所 | 延長 | |
| 昭和24 | 7 | 58110m | 1 | 3560m | ? | ? |
| 昭和25 | 7 | 56526m | 1 | 1280m | ? | 2864m廃止 |
| 昭和26 | 6? | 59103m? | 2 | 6180m | ? | 3603m廃止 |
| 昭和27 | 6 | 65154m | 3 | 8370m | ? | 2319m廃止 |
| 昭和28 | 6 | 74km | 3 | 8.9km | - | 0 |
| 昭和29 | 7 | 81km | 2 | 7.1km | - | 0 |
| 昭和30 | 4 | 69km | 1 | 0.8km | 3 | 12.8km廃止 |
| 昭和31 | 5 | 73km | 1 | 1.4km | ? | 2.6km復活 |
| 昭和32 | 5 | 73km | - | - | - | 0 |
| 昭和33 | 4 | 69km | - | - | 1 | 4km廃止 |
| 昭和34 | 2 | 36km | - | - | 2 | 33km廃止 |
| 昭和35 | 2 | 36km | - | - | - | 0 |
| 昭和36 | - | - | - | - | 2 | 36km廃止 |
ちなみに上記の"増減"とは当該年度における廃止分と復活分を累計したものであり、増減がゼロであることは当該年度に廃止も復活もなかったことを意味しない。
具体的には(道外ではあるが)筆者は
(レールを買う)予算がつかないので、(当該地域での伐採が終わって)不要になった支線や作業線が出ると直ちにレールを撤去し、(そのレールで)新たな支線や作業線を作った
という話を聞き込んでいる。 前記の「廃止したキロ数だけ建設」という方式の場合、完全な新設であれば事業統計書に現れるものの、廃止された支線や作業線の復活では(おそらく)"修繕"名目となって「ずっと運行されていた路線」の補修と区別ができなくなる。
注:
豪雨や融雪期の洪水で同じ場所が何度も被害を受ける可能性があるため、統計上の修繕キロ数(累計)は運行キロ数と対比させることは難しい。
やはり、最終的には各年度の林道台帳と施業図を閲覧しない限り最終的な判断は出来ない。