現在の足寄郡足寄町内にあった省線(後の国鉄)池北線・足寄駅の近くの貯木場を起点とし、足寄川を遡っていた路線である。
沿革
全国森林鉄道の付表(等)によれば、以下のようになる。
| 距離 | 足寄−(幹線の終点) 37.7km |
| 開始 | 大正11年(1922) |
| 廃止 | 昭和34年(1959)8月 |
上記の"幹線の終点"とは、足寄川本流と同川の支流であるフウタツアショロ川および白水川が合流する地点である。
おそらく鳥取地区の一角であると推定できるものの正確な地名は不明である。
一方、鉄道廃線跡を歩く(1)によれば、以下のとおりである(p.162)。
| 森林軌道(鉄道)名 | 級 | km | 開設 | 廃止 |
|---|---|---|---|---|
| 足寄(幹線) | (1) | 37.7 | 1922(T11) | 1959(S34)08 |
関連地形図・空中写真
この路線の載った1:50000地形図
| 図名 | 発行 | リスト番号 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 足寄太 | 昭32 | 35-5-4 | |
| ウコタキヌプリ | 昭30 | 35-1-5 | |
| 上足寄 | 昭32 | 34-4-5 |
この路線の沿線を写した空中写真
足寄幹線
| 整理番号 | 撮影 | 地形図番号 | 地形図名 | 写真番号 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| CHO-77-43 | 昭和52年度 | NK-54-2-5 | 足寄太 | C7B-26 | 足寄および周辺 |
| CHO-77-43 | 昭和52年度 | NK-54-2-5 | 足寄太 | C6-38 | |
| CHO-77-43 | 昭和52年度 | NK-54-2-5 | 足寄太 | C6-40 | |
| CHO-77-43 | 昭和52年度 | NK-54-2-5 | 足寄太 | C5B-33 | |
| CHO-77-43 | 昭和52年度 | NK-54-2-5 | 足寄太 | C5B-35 | |
| CHO-77-43 | 昭和52年度 | NK-54-2-5 | 足寄太 | C4C-18 | 中足寄 |
| CHO-77-43 | 昭和52年度 | NK-54-2-5 | 足寄太 | C3-5 | |
| CHO-77-43 | 昭和52年度 | NK-54-2-5 | 足寄太 | C3-7 | |
| CHO-77-43 | 昭和52年度 | NK-54-2-5 | 足寄太 | C2A-8 | 螺湾本町 |
| CHO-77-43 | 昭和52年度 | NK-54-2-5 | 足寄太 | C1A-11 | |
| CHO-77-33 | 昭和52年度 | NK-54-1-4 | 上足寄 | C17-18 | |
| CHO-77-33 | 昭和52年度 | NK-54-1-4 | 上足寄 | C16-21 | 上足寄本町 |
| CHO-77-33 | 昭和52年度 | NK-54-1-4 | 上足寄 | C15-22 | |
| CHO-77-33 | 昭和52年度 | NK-54-1-4 | 上足寄 | C14-23 | |
| CHO-77-33 | 昭和52年度 | NK-54-1-4 | 上足寄 | C13-25 | |
| CHO-77-33 | 昭和52年度 | NK-54-1-4 | 上足寄 | C12-26 | 幹線の終点 |
シイアショロ支線および三十九線支線
| 整理番号 | 撮影 | 地形図番号 | 地形図名 | 写真番号 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| CHO-77-33 | 昭和52年度 | NK-54-1-4 | 上足寄 | C12-26 | 幹線の終点 |
| CHO-77-33 | 昭和52年度 | NK-54-1-4 | 上足寄 | C12-28 | |
| CHO-77-33 | 昭和52年度 | NK-54-1-4 | 上足寄 | C12-30 | |
| CHO-77-33 | 昭和52年度 | NK-54-1-4 | 上足寄 | C11-29 |
風達支線
| 整理番号 | 撮影 | 地形図番号 | 地形図名 | 写真番号 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| CHO-77-33 | 昭和52年度 | NK-54-1-4 | 上足寄 | C12-26 | |
| CHO-77-33 | 昭和52年度 | NK-54-1-4 | 上足寄 | C11-26 | |
| CHO-77-33 | 昭和52年度 | NK-54-1-4 | 上足寄 | C10-28 |
研究(笑)報告
この路線に関し、本項の執筆時点でWikipediaにエントリはない。
この路線は全国軽便鉄道に載っていない。
日本の森林鉄道(上)は、当路線について以下のように述べている(p.86)。
足寄森林鉄道は、北海道庁拓殖部林務課によって、大正11(1922)年8月に着工、大正12(1923)年に完成した、足寄貯木場・足寄国有林内間、35.3kmとその後の延長及び支線を合わせて66.4km…
上記の旧版地形図には、以下の"特殊軌道"が載っている。
- 足寄市街を起点とし、足寄川本流を遡る約45km
- 足寄市街から約36kmの地点で分岐し、足寄川の支流であるフウタツアショロ川を遡る約8km
- 足寄市街から約36kmの地点で分岐し、足寄川の支流である白水川を遡る約8km
旧版地形図に載っているルートを電子国土ポータル機能で表現したものがこちらである(注:JavaScriptが動作できる環境が必要です)。
一方、「全国森林鉄道」の付表には当路線に関する以下のデータが載っている(順不同)。
| 級 | キロ数 | 開通 | 廃止 | |
|---|---|---|---|---|
| 足寄(幹線) | 1 | 37.7 | 1922(T11) | 1959(S34)08 |
| 稲牛支線 | 13.3 | 1923(T12) | 1940(S15) | |
| 39線支線 | 13 | 1935(S10) | 1959(S34) | |
| シーアショロ支線 | 12.1 | 1943(S18) | 1959(S34) | |
| 風達支線 | 1 | 9.7 | 1940(S15) | 1958(S33) |
| 35線沢支線 | 9.2 | 1929(S04) | 1934(S09) | |
| 21線支線 | 4.1 | 1942(S17) | 1946(S21) | |
| 三林理支線 | 3.1 | 1925(T14) | 1935(S10) | |
| ポン稲牛支線 | 1.3 | 1930(S05) | 1936(S11) |
「足寄(幹線)」が旧版地形図に載っている足寄市街を起点とし、足寄川本流を遡る路線であることは(おそらく)疑問の余地はない。
中足寄地区で足寄川本流に合流する同川の支流に稲牛川がある。
このため「稲牛支線」および「ポン稲牛支線」は中足寄地区で本線から分岐し、稲牛川を遡っていた路線であると推定できる。
昭和34年発行の北見図(1:200000)において、現在のホルンアショロ川に"三十五線川"という名が付されている。
この点から考えれば、同川が足寄川(本流)に合流する地点が(鳥取)三十五線であり、そこから約2km上流で足寄川(本流)に合流する(現在の)白水川の合流点が(鳥取)三十九線である可能性が高い。
以上の点から考えると白水川の旧名が三十九線川であった可能性は高く、39線支線は白水川を辿っていた可能性は高い。
すなわち、旧版地形図に載っている白水川を遡る路線であった可能性が高い。
「シーアショロ支線」については、"シー"をアイヌ語地名において『本物の』を意味する接頭語の"シイ"であると考えれば、足寄川本流を遡る路線であると推定できる。
一方、旧版地形図に載っている足寄川(本流)沿いの特殊軌道は足寄市街から終点まで約45kmあるが、足寄市街からフウタツアショロ川や白水川との合流点に達するまでの約36kmは(比較的)平坦であるのに対し、そこから上流部は急峻である。
以上のことから、旧版地形宇に載っている足寄川本流を遡るルート(約45km)の内で下流側の約36kmが足寄(幹線)であり、上流側の約9kmは「シーアショロ支線」であると推定することができる。
「風達支線」は、地名との類似から上足寄で分岐してフウタツアショロ川を遡っていた可能性が高い。
注:
上記の推定は、旧版地形図が作成された時点まで存続したのが足寄(幹線)、三十九線支線、シーアショロ支線ならびに風達支線の4路線である点とも符合する。
なお、旧版地形図に載っているキロ数の方が短いのは、路線の末端にあたる支線や作業線が(仮設物であるため)地形図に載らなかったためであると推定している。
「35線沢支線」は上記の理由によりホルンアショロ川を遡っていた可能性が高い。
「21線支線」は上足寄本町の北で足寄川本流に合流する同川の支流に二十一線沢川があるため、同川を遡っていた路線であると推定できる。
「三林理支線」については現時点で手がかりがない。
一方、北海道の森林鉄道史に関する研究には以下のデータが載っている(順不同)。
- 大正12年に10507mが建設され、昭和34年まで運行された幹線
- 大正12年に13274mが建設され、昭和15年まで運行された稲牛支線
- 昭和18年に4610mが建設され、昭和34年まで運行されたシーアショロ支線
- 昭和15年に1484mが建設され、昭和33年まで運行された風達支線
- 昭和4〜9年に運行された6790mの35線沢支線
- 昭和17年に4100mが建設され、昭和21年まで運行された21線支線
- 昭和5〜11年に運行された3218mのポン稲牛支線
- 昭和25年に1500mが建設され、昭和34年まで運行された39線支線
- 昭和10年に4000mが建設され、昭和16年まで運行された39線支線
- 大正14〜昭和10年に運行された3105mの三林班支線
- 昭和2〜4年に運行された4232mの31線沢支線
- 大正13〜15年に運行された1255mの稲牛作業線
- 昭和4〜18年に運行された965mの螺湾支線
なお、筆者は同論文を閲覧&メモしたのみであり、コピーを入手した訳ではない。
したがって筆者の理解が誤っている可能性はある。
"1.〜"7."が「全国森林鉄道」に載っている足寄(幹線)、稲牛支線、シーアショロ支線、風達支線、35線沢支線、21線支線およびポン稲牛支線であることは(ほぼ)議論の余地はない。
「全国森林鉄道」において稲牛支線は1935〜1959年に(一貫して)運行されたように見えるが、"8."および"9."から考えると1941年に廃止され、1950年になって約3割のキロ数になって復活した…と考えることができる。
"10."は「三林理支線」の誤記である可能性が高い。
ホルンアショロ川の旧名が三十五線川であったとすると、三十一線川は現在の六百三十七点沢川に相当する。
このため"11."は六百三十七点沢川を遡っていた路線であると推定できる。
"12."は稲牛支線(またはポン稲牛支線)に付帯する路線であった可能性が極めて高いものの、詳細は不明である。
"13."は螺湾本町で幹線から分岐して螺湾川を遡っていた路線であると推定できる。
ただし、長大な螺湾川に対して1km弱の支線というのは些かバランスを欠く感があり、キロ数を誤った可能性もある。