■文献では将棋の記録は平安時代頃より見られるがどのような将棋であったか今は謎である。もしタイムマシンが存在したとして未来と過去へ自由にタイムトラベル出来るとしたら「スタートレック」に見られるSF宇宙の探検も興味があるが、今は迷い無く過去の時代に遡り「将棋誕生の起源」を訊ね将棋に興ずる人々と一戦を交えたい。その想いを胸中に留め、わずかな出土品から日本将棋の起源を推測してみるのもまた楽し、現在までの考古学者、歴史研究家等の資料を元に出土駒を整理して見た。
現在までに、全国で106遺跡で494枚の駒が出土している、その遺跡と出土駒を想う度に将棋のルーツにこころ惹かれる日々の毎日である。その一部を掲載して見る。
あなた自身の「日本将棋の起源」はどの様なものであるだろうか? |
| 出土年 |
遺跡名 |
推定年代 |
| 最新の出土駒 |
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| 鷺山駒<仮称> |
| 2004年3月2日発表 |
岐阜県鷺山遺跡群 |
1510年頃 |
| 出土内容 |
王将の駒、一枚 |
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戦国時代の屋敷の周囲を区画する構内から出土。
鷺山遺跡群には美濃の守護土岐氏の居館であった福光城があったとされ、その周囲には城下町が形成されていたと考えられる。出土した王将は現在の物とほぼ同程度。厚みは2〜5_と薄め。木の種類は今後の分析を待つしかない。 (岐阜県教育委員会と岐阜県教育文化振興事業団の記者会見による) |
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| 推定年代順 |
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| 酒田駒 |
| 1979年(昭和54年) |
城輪柵跡 |
1000年前後平安時代後期 |
| 出土内容 |
兵の駒一枚 |
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山形県酒田市街地。平安末期の出羽国府跡と推定される場所。
現在のところこれがわが国の最古の駒と推定される。表が「兵」、裏が「今(と)」の一文字墨書き。種類不明の駒一枚も出土。五角形が既に形造られていた。 |
| 興福寺駒 |
| 1993年(平成5年) |
興福寺旧境内 |
木簡に天喜六年が見られ西暦1058年のもので特定できる最古の駒。 |
| 出土内容 |
玉将三枚、金将四枚、銀将一枚、桂馬一枚、歩兵六枚、不明一枚の十六枚。他に木簡 |
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奈良県立橿原考古学研究所が発表した興福寺旧境内の井戸状遺構から出土した駒は、文化史研究者にとって一大衝撃の発掘となった。「酔像」という駒があったと推定されたからだ。出土の木簡は手のひらほどの大きさの木片で全体にゆるやかな湾曲があるので桶などの木の一部の再利用と見られる。その中に「酔像」の練習文字があった。
興福寺は奈良時代より藤原氏の氏寺として栄え、出土した場所は中心伽藍の北方に当り、興福寺の正倉が置かれた付近である。
<出土駒から推論>
@11世紀の中頃に将棋が僧侶達に愛好されその現物が示されたこと。
A現在の将棋駒が既に完成の域にあったこと。五角形で二字の表記。
B出土駒の種類は僅か5種類。駒の少ない簡素化された将棋の可能性が大。
C駒の数に完全な1組セットで発掘されず、表裏ともに玉将(王将は無かった)、歩兵があり不良品を廃棄した場所であり、複数の駒の書き手が居たことが知れ小規模の工房跡の可能性がある。 |
| 大宰府の木簡 |
| 1996年(平成8年) |
大宰府の役所に通じる大路に沿った町並み跡 |
11世紀末と推定 |
| 出土内容 |
桂馬、香車、歩兵が書かれた木簡 |
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木簡はごみを捨てたと見なれる大きな穴の中より発見。異なる筆使いで2〜3回墨書きされたもの。使用済みの木簡を文字の練習に使ったと思われ、桂馬の文字の上から銀将と書かれた可能性もある。興福寺には無かった香車の文字がある。 |
| 日高駒 |
| 1986年(昭和61年) |
日高遺跡 |
1094〜96頃と推定 |
| 出土内容 |
歩兵一枚 |
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兵庫県城崎郡日高町の但馬国府推定地から出土。大宰府の木簡と同時期の駒。表は歩兵だが裏は判読不明。
この時期の出土駒の特徴として「飛車」「角行」「酔像」の駒を成したものは発見されないことである。興福寺の駒が発見されるまでは年代が確定できる最古の駒。 |
| 玉津田中駒 |
| 1985年(昭和60年) |
玉津田中遺跡 |
12〜13世紀始め平安末期から鎌倉時代 |
| 出土内容 |
桂馬の駒一枚 |
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神戸市西区玉津町の弥生時代から中世にかけての複合遺跡。桂馬としては日本最古。 |
| 砂山中道下駒 |
| 不詳 |
砂山中道下遺跡 |
中世・室町時代頃 |
| 出土内容 |
銀将の駒一枚 |
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新潟県北蒲原郡加治川村。出土の駒は一部剥落があるが裏が不明瞭ながら「金」と考えられる文字が黒い顔料で記している。 |
| 柳之御所駒 |
| 不詳 |
岩手県柳之御所跡 |
平安〜鎌倉時代 |
| 出土内容 |
歩兵一枚 |
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岩手県平泉町、奥州藤原氏の居館跡で秀衡、泰衡時代のものと考えられる。池から種類不明の駒も出土。12世紀後半。 |
| 上清滝駒 |
| 不詳 |
大阪府上清滝遺跡 |
1184頃と推定 |
| 出土内容 |
玉将一枚 |
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大阪市四条畷市旧河川の埋土から。寿永三年の木簡が伴出。 |
| 今小路駒 |
| 不詳 |
神奈川県今小路周辺遺跡 |
13世紀前半頃 |
| 出土内容 |
金将一枚 |
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| 千葉地駒 |
| 不詳 |
神奈川県千葉地遺跡 |
13世紀前半頃 |
| 出土内容 |
金□(将カ)、裏面「と」の一枚ずつ |
| 手取清水駒 |
| 不詳 |
秋田県手取清水遺跡 |
13世紀中頃 |
| 出土内容 |
桂馬一枚 |
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| 鎌倉駒 |
| 1980年(昭和55年) |
鶴岡八幡宮境内 |
13世紀〜14世紀
(鎌倉時代から南北朝時代と推定) |
| 出土内容 |
鳳凰、香車、歩兵など計五枚 |
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鎌倉市。鳳凰の裏は「奔王」材質は檜、駒の銘は墨書きで上辺に朱で駒の動き方をを示す。香車の裏は不鮮明、歩兵は「今(と)」、同時に出た板碑の地層で見つかる。時代的に見て中将棋と推定されている。 |
| その他の13世紀頃の遺跡 |
| 不詳 |
滋賀県滋賀里遺跡 |
13世紀中頃からそれ以降 |
| 出土内容 |
王将の一枚 |
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| 不詳 |
山形県大盾遺跡 |
13世紀中頃からそれ以降 |
| 出土内容 |
桂馬の一枚 |
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| 不詳 |
徳島県中島田遺跡 |
13世紀後半から14世紀前半 |
| 出土内容 |
歩兵一枚 |
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| 1973年〜90年 |
草戸千軒町遺跡 |
13世紀から15世紀後半 |
| 出土内容 |
大振の駒二枚と菱形板状のもの、駒銘不詳。 |
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広島県福山市芦田川河口で出土遺物の量は膨大で木簡も多数出土。 |
| 不詳 |
博多遺跡群 |
鎌倉時代から南北朝時代と推定 |
| 出土内容 |
玉将・香の二枚 |
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| 上久世駒 |
| 1976年(昭和51年) |
上久世城ノ内遺跡 |
1350年前後南北朝時代 |
| 出土内容 |
酔象の駒一枚 |
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京都市南区久世上久世町城ノ内から出土。材質は杉の手作り駒。 |
| 新安沖駒 |
| 1976年(昭和51年) |
朝鮮新安沖の沈没船 |
14世紀前半頃と推定 |
| 出土内容 |
桂馬等11枚ほか将棋盤が発見される。飛車角行の大駒は無し。 |
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韓国の木浦近くの新安沖沈没船から出土。14世紀初め頃、中国の寧波あたりを船出して、日本に向かう途中沈没した船で、古瀬戸の瓶子や将棋の駒、日本刀の鍔なども見つかっているため日本人の船員も乗っていたようで、1981年に日本船であったという説が出され、木簡の記載から京都東福寺のチャーター船だったと推定されています。 |
| 鳥羽離宮駒 |
| 1980年(昭和55年) |
鳥羽離宮跡 |
金将は鎌倉時代末期から南北朝時代、銀将は南北朝から室町時代初期と推定。 |
| 出土内容 |
金将、銀将の駒一枚ずつ、後に歩兵も一枚 |
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京都市伏見区竹田内畑町から出土。平安後期の溝から。白河、鳥羽上皇の離宮跡。銀将の裏は「今(と)」、この時代「金」ではなく「今」が使われている。 |
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第135次調査で1203年頃の王将一枚出土。 |
| 朝倉駒 |
| 1973年(昭和48年) |
一乗谷朝倉氏遺跡 |
1560年頃の戦国時代 |
| 出土内容 |
酔象一枚を含む174枚の駒 |
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福井市木戸の内町遺跡本館跡北側外堀より出土。174枚の駒のうち、判読可能な駒139枚は王将4、玉将2、酔象1、飛車6、角行12、金将10、銀将11、桂馬15、香車16、歩兵62、香車と歩兵は細長い、材質は檜。昭和59年には武家屋敷跡から新たに歩兵4枚が出土、漆文字として初めての発掘駒。「酔象」駒は表裏とも駒の動き方を墨書きで示す、裏の文字は「〇子」で一字不明だが「太子」と思われる。「角行」の裏は「龍馬」、香車、歩兵にも動きを示す墨書きがあった。陣中で武士達が有り合わせの曲げもので作ってあり1枚の歩兵には裏に下級武士「和田」の名がある。
特徴として
@ほとんどの駒が非常に薄く、集団で生活していた下級武士が使用と推定。
A駒の名称とともに駒の進む方向が図示、印が付く。初心者が使用と推定。
B駒の文字は墨書で書体は楷書、草書に分かれ彫り駒も19枚あり、
C駒の多さに較べ盤が全く発見されず。 |
| 焼津駒 |
| 1983年(昭和58年) |
小川城遺跡 |
16世紀の駒と推定 |
| 出土内容 |
盲虎、龍王の二枚 |
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静岡県焼津市。盲虎の裏は「飛鹿」。龍王の裏は判読不能。
中将棋の駒であることが駒の文字から推測される。 |
| 塩田駒 |
| 1978年(昭和53年) |
塩田城跡 |
朝倉駒と同時代の1500年前後 |
| 出土内容 |
角行の一枚 |
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長野県上田市の村上氏遺跡から。裏の「龍馬」は墨書きで動き方を示す。 |
| 観音寺駒 |
| 1996年(平成8年) |
観音寺城下町遺跡 |
16世紀以降 |
| 出土内容 |
王将等13枚 |
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観音寺城跡が所在する繖山南山麓に展開する城下町遺跡。 |
| 弓庄城駒 |
| 不詳 |
上市町の弓庄城跡 |
16世紀以降 |
| 出土内容 |
銀将の一枚 |
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上市町弓庄城跡。土肥氏が拠点とした城跡。城郭の規模は、南北約600mと細長くのび、本丸、二の丸、三の丸が堀によって区画され、発掘によって甲冑などさまざまな遺物と数多くの掘立柱建物が出土。 |
| 尼子駒 |
| 1979年(昭和54年) |
富田(月山)城跡 |
朝倉駒と同時代の1500年前後 |
| 出土内容 |
玉将の一枚 |
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島根県安来市富田城跡 |
| 葛西駒 |
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| 不詳 |
葛西城跡 |
江戸初期と推定 |
| 出土内容 |
金将と銀将の二枚 |
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東京都江戸川区青戸から。 |
| 御土居駒 |
| 不詳 |
御土居の外濠より |
1650〜70年頃と推定 |
| 出土内容 |
王将と銀将と歩兵の二枚、計四枚 |
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京都市南区西九条春日町。材質は王将が黄楊、金将が榧。
朝倉氏遺跡出土の「歩兵」と同じ漆駒。 |
| その他の出土遺跡 |
| 壱. |
兵庫県御着城跡 |
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| 出土内容 |
龍王で進み方の印あり |
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裏は不鮮明ながら上が「飛」下が右にはねる字で「鷲」と推定中将棋と考えられる。 |
| 弐. |
京都府平安京跡 |
16世紀末頃から17世紀初と推定、裏は龍馬。 |
| 出土内容 |
角行一枚 |
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| 参. |
京都府隼上り遺跡 |
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| 出土内容 |
不詳 |
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| 四. |
岩手県高水寺城跡 |
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| 出土内容 |
不詳 |
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| 五. |
島根県新宮党館跡 |
16世紀中頃かその少し前と推定 |
| 出土内容 |
玉将一枚 |
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| 六. |
富山県中新川郡弓庄城跡 |
室町時代末期から戦国時代頃 |
| 出土内容 |
銀将一枚 |
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| 七. |
京都の御土居跡 |
将棋の駒の泥めんこが多数出土。 |
| 出土内容 |
不詳 |
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| 八. |
大阪府大阪市難波宮跡 |
江戸時代前期頃 |
| 出土内容 |
王将一枚 |
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| 九. |
東京大学構内遺跡 |
17世紀後半 |
| 出土内容 |
王将一枚 |
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| 十. |
池之端七軒町遺跡 |
17世紀後半から18世紀 |
| 出土内容 |
埋葬品から将棋駒一組 |
| 十一. |
仙台城本丸跡 |
江戸時代初期 |
| 出土内容 |
歩一枚 |
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2期石垣構築時の盛土から出土し、「慶長十二年」(1607)銘木簡と同じ土層からの出土。 |
| 十二. |
兼六園遺跡 |
江戸時代初期以降 |
| 出土内容 |
桂馬一枚 |
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金沢市兼六町。慶長六年(1601)前田利常に輿入れした珠姫の付き人が住んでいた「江戸町」にあたる所から出土。裏に「金」が書かれおり、大きさは現在の駒とほぼ同じ。 |
| 十三. |
大阪城三の丸跡 |
江戸時代 |
| 出土内容 |
玉将・王将等の駒計28枚 |
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1999年度に実施した大阪府警新庁舎建設に伴う調査で屋敷跡を発掘。佐竹氏の家紋瓦や金箔瓦、各種陶磁器、漆器椀、硯、犬形土製品や人形、羽子板などの玩具、大量の銭貨、刀の柄に用いられた飾り付の目貫、鎧の小札、碁石と将棋の駒など武家屋敷の生活を彷彿させる品々を数多く出土した。 |
| 十四. |
下草古城跡 |
江戸時代初期以降 |
| 出土内容 |
不詳 |
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伊達政宗の三男宗清が慶長15年(1610年)から元和2年(1616年)まで住んだとされている城跡。調査期間:平成10年(1998年)8月〜10月。 |
| 十五. |
三社町遺跡 |
江戸時代初期以降 |
| 出土内容 |
玉将・不明駒の二枚 |
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金沢市三社町、金沢駅の南、城下町の周辺部。人口が増え、城下町が拡大するにしたがい、村から町へと変化した遺跡。平成2年度発掘調査 |
| 十六. |
高槻城跡 |
江戸時代初期以降 |
| 出土内容 |
横行・堅行・麒麟を含む四十四枚.。 |
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出土駒の多さに較べ情報は少ない |
| 十七. |
松岡屋敷跡 |
江戸時代 |
| 出土内容 |
飛車一枚、陶器製 |
調査期間 平成5年4月〜平成6年3月 |
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JR鹿児島本線肥後高田駅の裏手にある遺跡 |
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