江戸将棋川柳
歴史を調べているうちに古川柳に沢山の将棋に関する句があることが分かりました。
並べて見てなんとも云えぬ、江戸町民の将棋を愛した気持ちが伝わってくるのです、その奥深さを味わって下さい。
川柳の語りの意味もそれほど解るものではありませんが解釈も入れました、誤りがあったら連絡を頂戴したいです。
<宗桂に関するものを集めて見ました>
壱の句■宗桂は梯子のやうな弟子をとり
(拾遺九篇13)
宗桂とは、一世名人の初代、四世名人の五代、八世名人の九代がいる。いずれもその実力は高く評価されている。ここいう宗桂は八世名人を指し、四段、五段という高段の弟子がたくさん居たということを梯子に引っ掛けたもの。
弐の句■宗桂に負けた話も手柄なり
(三十八篇24)
納得のいく句だ。もし俺だって羽生竜王と指せたら勝ち負けを、論じる前に指したこと事態が誇れるもので、指し手なんてどうでも良い感じ。
参の句■
宗桂は二十ならべたことはなし
(万/宝暦13礼1)
宗桂は平手で指した事が無いという名人を讃えた句。誰と指しても常に彼は駒落ちでつまらなかったと思うのですが!
四の句■
珍しい墓を尋ねる上行寺
(俳諧觿/文化四)
大橋家代々の墓がある所(三代目宗桂から十二代宗金まで)、現在は伊勢原市に移って墓碑は駒形をしていて当時の家元の力がうかがえると云う。まだ見ぬ場所ですが生涯に一度は訪れたい場所。
五の句■碁盤より将棋に縁のある二ケ寺
(万/明和六)
二ケ寺とは「上行寺」と「本法寺」のこと。前者は大橋家の墓がある所、後者は伊藤家の墓がある寺。昭和5年に再建された「駒形の墓碑」は戦争で被災し駒形の上部から大きく欠損しているが、その裏には「名人」の二文字が残っていると云う。
<芭蕉の句>
六の句■やま桜将棊の盤も片荷かな
七の句■
夏の夜や下手の将棊の一二番
八の句■棋の工夫二日とぢたる目を明けて
俳人、東藤の「一輪咲し芍薬の花」を受けて詠んだ句。棋の工夫は詰将棋のこと。二日目になってやっと解けた、ということか。
<一茶の句>
天衣無縫な一茶の句にしては説教色が強く偽作といわれている。
九の句■御負なり将棋の駒も駒の内
盤上では、ひとつひとつ格式があるが、駒箱に収めるとみな同じ。と風流の道に入れば世上の格などなくなってしまうとの意。
<曲亭馬琴の句>
川柳というより将棋用語を借りた言葉遊びの狂句。だが参考に!
拾の句■さしかけの将棋ハ崩して月見の船
拾壱の句■片隅に下戸の将棋やとし忘れ
拾弐の句■成駒の壱分をひさぐ師走船
拾参の句■行くとしやさあ是からは歩三兵
<飛車の巻>
拾四の句■
飛車手王手をするときのその早さ
(万/明和七礼4)
今も昔も同じですね!なんとも微笑ましく思ってしまいます。昔は「王手飛車」を「飛車手王手」と云っていたとは川柳のおかげで将棋の歴史の一端を垣間見ることが出来ました。
拾五の句■
江戸っ子の気性に合うは飛車の利き
(百二十一篇7)
川柳は五・七・五の句で構成し、それほど字数にこだわる必要はないのですが、この句はさっぱりとそのまんまです。
拾六の句■欄干へ飛車手王手の首くくり
(万/明五篇3)
橋の欄干よりぶら下がる、縄が切れても川に落ちて溺れ死ね、王手飛車のようなもの。でも、負けを覚悟はするが、何とか頑張ってみる妙手を編み出しなさいとの戒めの句かなあと思っているが。
拾七の句■
飛車角の皆成り込む一の谷
(拾六篇4)
有名な一の谷の合戦の様子の如く、その棋勢を表したもの。それも有段者同士の対局だろう。
拾八の句■ひどい勝ち歩までなり込む一の谷
(五十四篇21)
十七・二十六の句の類句
。
拾九の句■
王より飛車が逃げたい下手将棋
(三十五篇24)
分かる、分かる。王手飛車を食らった時のへぼ将棋の気持ちそのまんま。「王より飛車をかわいがり」はこの句と同工異曲。
弐拾の句■明日にでも剃ってくろと飛車が成り
(五篇37)
床屋に行って順番待ちの間に将棋を指しています、順番が来たのですが、将棋は佳境、勝ちになるか、負けになるか、飛車が成り込んで形勢有利、もう髪結いなどどうでも良い、それどころじゃねえんじゃ、こっちとら!
弐拾壱の句■范増は王手飛車手をかけたがり
(拾五篇21)
范増とは中国、楚の国の項羽に仕えた軍師で奇策を立て戦功を挙げたと言う。とかく将棋は相手をギャフンを云わしたいもの。ところでこの句は王手飛車と云う表現で前句では飛車手王手と表現、王手飛車の語源に妙味を持たされる句です。
弐拾弐の句■
飛車角を勝頼急いてただ取られ
(拾五篇30)
長篠の合戦で武田勝頼は、信長・家康の連合軍と戦い新兵器、鉄砲隊に惨敗し多くの勇将を失うはめに。無理な戦いは大駒を失うことになるとの戒めか!
弐拾参の句■
とらまへた亭主は飛車手王手也
(万/明和三/満2)
川柳はこの手の句が結構多いですよね!えっ何って、間抜けな男と女房の浮気のソレ! これって亭主が運良く?女房の浮気現場に足を踏み入れた句だとか! この句には続きがあるんですが又の機会に!
弐拾四の句■
てうちんを消せといひいひ飛車をなり
(二篇39)
大店の旦那を迎えに行った仕えの者に主人はもうすぐ決着が付くと言いつつも戦局が飛車成と迫って好転、仕えの者は「これでもう一局か」とあきらめ顔。
弐拾五の句■
飯どころか飛車手王手を食っている
(七十七篇12)
夕飯の迎えにハナタレ坊主にいいとこ見せようと、坊主の忠告にも耳を貸さないもんだから、飯を食うどころか王手飛車を食ってしまうのでした。
弐拾六の句■お土産にこれもなさいと飛車を出し
(二十五篇28)
将棋好きな相棒に、飛車を切って勝負を掛けたのです、それだけではないのです、たまにしか指せない見の上だから飛車をお土産にと云う訳です。
弐拾七の句■成った飛車ほど道のある日本橋
(百二十四篇23)
四方八方に道路が開けいづれもが賑わいある町並みが日本橋。
弐拾八の句■
いただいて飛車をとられた口おしさ
(八篇15)
王手飛車を食ってしまった、相手のうれし顔がしゃくだねぇ!
弐拾九の句■
なる場所でならぬも飛車の一器量
(拾遺九篇12)
成れる所で成らぬとは、あまりにも舐められてしまったね。手合違いだったのだ。
弱い相手だったら試したい、その心地よさ! でも友達なくすかも!
参拾の句 ■
下手将棋打った飛車からゆけが立
(百二十七篇75)
手にした大駒もすでに将棋は敗勢、やけのヤンパチ、最後のチャンスで飛車を打ったけど飛車から煙たち。白熱の下手将棋もまた楽し。
参拾壱の句■
飛車を取られて涙ぐむ嫁
姑に意見できずじっと耐える嫁の心を支えるのは亭主のはずが、その亭主も頼りない。
参拾弐の句■へぼ将棋王より飛車をかわいがり
あまりにも有名な句なのだが、その出典は不明、落語に出てくる名句。
参拾参の句■
ろくな用じゃア有るまいと飛車をなり
(三十一篇27)
床屋で将棋を指す息子を小僧が大旦那が御用と呼びに来た、すぐには立たず一手指す。
参拾四の句■待ってくれへぼ相待つと飛車を逃げ
(七拾篇12)
へぼ将棋の特徴として、指し違えを頻繁に行う。駒でも取られたら「待った」で元の手に戻りさっさと駒を逃げる、互いにやることだから腹を立てることも無し。
参拾五の句■へぼ将棋おそれいったら待ってやる
(百四十二篇10)
三十四の句の類句。
参拾六の句■
そう御座ろふと、存だと飛車を逃げ
(二十六篇23)
相手がこの手はどうだとばかりに、ぴしゃりと駒を進める。それを見て「そう攻めて来ると、予想どおりでこちらにも考えがある」と落着いて飛車をすっとにげる。
参拾七の句■面黒くなりはなったと飛車を行
(拾遺二十篇6)
面黒いは面白いということを逆に表す戯れ語。
参拾八の句■中飛車は王のあたまへ尻をのせ
(百三十八篇3)
振り飛車戦法。
参拾九の句■
こりゃこりゃとおうばはづした飛車をかり
(二十三篇20)
四拾の句 ■
高飛車で石田を崩す御手強さ
(万/天明2/義1)
高飛車の用語は江戸時代後期には日常語に転化している。
四拾壱の句■
ふきからを飛車でおさへる玄関番
煙草のふきがらを飛車でおさえる意。今では煙管も見られない。
四拾弐の句■
御和睦に王手飛車手の御難題
(六十四篇14)
徳川家康が関ヶ原合戦後、秀頼に対し無理難題の条件を出し外堀、やがて内堀をも埋めて自害への道を選ばせた、それを王手飛車に掛けたという。
四拾参の句■角道も飛車道もある女医者
(五十三篇25)
ここで云う女医者は婦人科の医者を指す、堕胎専門の医者で江戸時代はこの手の医者はすべて女であったらしい。手腕が縦横無尽を指す。
<
王の巻
>
四拾四の句■
詰めた王一ト手のことでつんにがし
(九十七篇13)
詰んでいた敵王を一手の間違えで逃がしてしまった、ヘボだからしょうがない。
四拾五の句■
入王と聞いて火を引く料理人
(初篇28・拾9篇16)
料理が出るまでと指し始めた将棋が入玉になった。膳の用意ができたが、対局者は見向きもしない。何だせっかく腕によりを掛けて造ったのに自慢の料理なのに。と愚痴っている、将棋好きに料理は出来ない、するもんじゃないと。
四拾六の句■入王になると魚屋助言する
(十三篇6)
中国の春秋時代、越王の勾践が呉王の夫差に会稽山の戦いで敗れ獄中に。肴屋に身をやつした勾践の家臣の苑蠡(はんれい)が獄に近づいて励まし、後に呉を滅ぼす故事を下敷きにしたもの。
四拾七の句■入王になって桂馬の持ちぐさり
(俳諧けい・享保年中)
相手の玉が自分の陣地まで入ったら桂馬では王手も出来ず、宝の持ちぐさり。
四拾八の句■入王の討手のこらずあとじさり
(百六十七篇13)
四拾九の句■入王は前九年ほど手間がとれ
(拾十篇20)
前九年の役は朝廷の命で源頼義・義家父子が奥州の安倍頼時と、その子の貞任・宗任を討った戦役、九年の年月を費やした。入玉には手間がかかること必然。
五拾の句 ■入王になって女房はえんをきり
(拾七篇20)
亭主は女房そっちのけで、将棋指してばっかりで、とうとう頭にきたと言う訳、女性にとって浮気同様のこと。女房以外に夢中になるものがあると~。何事もほどほどに。
五拾壱の句■路地のかぎかりてさか馬さしている
(九篇10)
入玉になってしまい、勝負が長引くので路地の鍵を借りて続きを指している。 江戸長屋の路地には木戸があり夜間は錠を掛けた。
五拾弐の句■入王になって返事を書きかかり
(十二篇22)
五拾参の句■逆カ王を貰ひに出たる料理人
(初篇6)
料理が出るまでと指し始めた将棋が入玉になった。膳の用意ができたが、対局者は見向きもしない。困り果てた主人の料理人が揉み手で現われて「この勝負は、預かりということで・・」と頭を下げているのです。
五拾四の句■入王のやうによしのは堀へつけ
(拾四篇19)
よしのはその時代の一番大きい屋台船の名、堀は山谷堀のことで吉原から隅田川にかけての古い地名。吉原通いを山谷通いともいった。屋台船をその堀につける情景を表現。
五拾五の句■はだか王らしく引ヶ四ツ迄すわり
(万/明和八・9篇18)
遊女、見世の太夫格ともなれば簡単に客が付かず閉店時刻の四ツ(午後十時)より遅い引ケ四ツ(午後十二時)まで見世に座っていただろう。ひとりぼっちになった裸王のようにみえるという意。
五拾六の句■はだか王らしく毛氈うれのこり
(拾七篇12)
吉原の遊女に客がつかないでいる様子。上げ代が高いのか、美形にほど遠いか?
五拾七の句■さていきやくいたしたなどと王を逃げ
(十篇4)
いきやくとは意却のことで、こまった、弱ったの意。
五拾八の句■あと王らしく次信討死し
(拾5篇17)
次信とは源義経の家臣で佐藤継信のこと、屋島の合戦で能登守教経が矢をつがえるのを見て義経の前に立ちふさがり身代わり戦死した。
五拾九の句■大晦日すかさず王手王手と来
(拾初篇25)
晦日になれば借金取りは大忙し、これが済まずば正月はなし。
六拾の句 ■大三十日ここを仕切ってこうせめて
五拾九の句の類句。
六拾壱の句■気のつきなよしやれと王をかくす也
(七篇15)
会合で早く着いた者同士が将棋を始めた、いつの間にかこの将棋が長引く、いい加減にしろと主人が王を隠してしまう。
六拾弐の句■きき納琴をと王の一ツ手すき
(六篇22)
平家物語をふまえた句。荊軻は始皇帝暗殺の際、剣を隠し持っていることを悟られ始皇帝が逃げようとするがとっさに剣を胸に当てる、逃げられぬと見た始皇帝は「皇后の琴が今一度聞かん」といい、荊軻も許すが琴の名手、花陽夫人の音色に殺意を忘れてしまう、もう一曲と曲に合わせて始皇帝は運良くなんを逃れた。
六拾参の句■返事書ク筆のじくにて王をにげ
(拾十篇13)
暇な遊女が男に手紙を書きながら禿と将棋を指していて指を使わず筆で駒を動かしている様子。
六拾四の句■物申にどうれどうれと王を逃げ
(五篇2)
御用聞きの声に救われた、今相手はいないから予想指し手を盤上で模擬練習、これで逃げることが出来る。わっはっは!
六拾五の句■ふんどしをはづして裸で王は逃げ
(宝暦八・63編23)
桂馬の両取りを掻い潜り飛を犠牲に王は逃げ切る。
六拾六の句■うしろから王手王手と一の谷
(万/宝八宮)
寿永三年(1184)二月の一の谷合戦。源義経の奇襲を詠んだ句。
六拾七の句■入王を子にくづさせて夜食にし
(拾九篇28)
無勝負になり夕飯を食ってから決着を付けようと子供に駒を並べさせている。
六拾八の句■入王になると見物碁にたかり
(五篇4)
入玉になり勝負は決まった、興味も薄れ隣りの碁の見物へ。
六拾九の句■碁に見物の移る入王
(武十八篇32)
六拾八の句の類句。
七拾の句 ■
その王を卍巴に追い廻わし
(百三十七篇11)
長手数になり、双方入玉模様、王を追うように互いに迫っているのですが。
七拾壱の句■初ッ王手目の薬だと差して居る
(五十六篇25)
ご存知、初王手!初王手!これは目の薬と発言したのだ。
七拾弐の句■
何の眼の薬になるか初王手
(新三十二2)
七拾壱の句の類句
七拾参の句■本能寺すつてんぺんから王手と来
(万/明和七/鱗舎評)
光秀に無防備にひとしい本能寺を強襲されたことを詠んだ句。
七拾四の句■駒組もせぬに王手は本能寺
(三十九篇30)
七拾参の類句
七拾五の句■さあ、王を取るが取るがと下手将棋
(三十九篇24)
下手な指し手の場合、「王手」と言われるのが一番嫌なこと。そこで相手の焦りを誘うのは「さあ、王を取るぞ、取るぞ」と迫るのが効果的。迫る方も大した上手ではない。
<その他>
七拾六の句■いろは茶屋金より銀のきく所
(五篇)
谷中茶屋町にある岡場所にいろは茶屋があった、揚代四十八匁であった。吉原では一分、二分と金を勘定の目安にしたが、いろは茶屋では一匁、二匁と銀を勘定の目安にした、吉原で遊べない者がここでは女性と遊べた。
七拾七の句■金や角座敷へまいて仲違い
(傍初篇49安永九)
なぜ金と角か不明ですが、へぼ将棋同士相手が待った、待たないなどと言い争っている様を詠んだもの。角は角が立つことに引っ掛けているのでしょうか。
七拾八の句■金銀の義士に一兵歩が交じり
(六十四篇20)
忠臣蔵を題材とし、足軽の寺坂吉右衛門一人が生き残り四十六義士の遺族の面倒と討ち入りの顛末を後世に伝える役目を負った。「金銀」を武士に例え「歩」を足軽の寺坂に見立てた。
七拾九の句■金銀を置いて桂馬を関羽とり
(十三篇24)
曹操は関羽を味方につけようと金銀、美女を贈るが、一向にこころを動かさない。ある日、一日に千里を走るという名馬・赤兎馬を見せると初めて受け取った。後に関羽は曹操の元を去るが金銀は封じて庫の中に残してあった。
八拾の句 ■金銀をとられた跡の歩あしらひ
(三十五篇31)
歩あしらひとは、サ-ビスの悪いこと。
八拾壱の句■手を開けば金銀山の如くなり
(三十八篇3)
相手にどんな指し手があるのか気になって、一手指すごとに持ち駒を聞く、金銀が沢山あってはもう駄目。
八拾弐の句■あたまからサア一升と金を打ち
(六十九篇23)
まとまった金がはいったら今日こそ賭博でいままでの負けを取り返そうと粋がるが。結果は哀れ、負けが込む。
八拾参の句■なでまわし五一の金を指し始め
(川傍柳三篇・傍2篇12)
座頭が大事そうに金を撫で回しながら五一の高利貸しをはじめたよ、ってこと。五一の金=五両に月一分の利息。
八拾四の句■
まけたやつそっちへけぶをふけという
(万/明和7/宮2)
将棋で勝った者が胸をそらせ、うまそうにたばこをのむのが不愉快だ、煙が顔にかかる。
八拾五の句■
無いはずの歩だとけんぎょう腹を立て
(明和六/智1)
将棋を指す盲人は少なくなかったようで名手もいた。盤面は頭の中で覚えているのだ。そんなところに歩は無いと相手の指し手をとがめている、目が見えないと思ってごまかすものではない。
八拾六の句■どりゃ教えよかと箱へ二枚入れ
(安四智5・2篇39)
腕前に格段の差があるので二枚落ちで指す、始める前に飛車と角を駒箱へしまう。駒落ちで指すときも、盤上に駒を全部並べてから取り去るのが将棋作法。
八拾七の句■お手合いはおせきなさるな二枚落ち
(万/天明二)
八拾八の句■
貸本や将棋さすうちただ読まれ
(二十九篇オ桜・70篇27)
貸本やが、お客の集まる床屋などに行って商売するのだが、根が将棋好きなものだから、つい将棋に夢中になり、その間に子供や大人まで本を読まれてしまう始末。
八拾九の句■
かの後家へ和尚桂馬と打たれたり
(拾二篇13)
後家さんがご主人の供養に寺にきた。前から目を付けていた和尚さん、他にも好きになった女性がいたのだが、その後家さんにも攻勢に出た。二股を掛けてどちらかはものにできると。桂馬の両取りに掛けた句、いいねえ和尚さん。
九拾の句 ■姉妹に桂馬と打った中納言
(福寿草・天明三)
八拾九の句の類句。
ここで云う中納言とは平安初期の歌人、在原業平のことだそうで、好色の典型的美男子との伝説化されている人物を指している。その彼が姉妹両方に手を出したという句です。
九拾壱の句■
尻から金とうたれで石田負け
(三十四篇31)
関が原の役に金吾中納言小早川秀秋は初め石田三成と協力を約したが、寝返ったため石田勢は敗れた、将棋の石田組みを掛けている。
九拾弐の句■
石田崩されて雪隠詰めとなり
(万/安永4/亀7)
九拾参の句■もうこまをおなげなさいと左近いい
(筥柳3篇10)
関ヶ原合戦、西軍の敗色が明らかになった折、島左近は「もう、おなげなさい」と三成に進言した。
九拾四の句■
雪隠で味方まけるといし田きき
一説では、三成は合戦の最中下痢していたという。
九拾五の句■小姓あがりを雪隠へほつ詰る
(傍2篇22)
九拾六の句■茶坊主の頃から石田駒上り
(四十九篇39)
九拾七の句■
ゑげい僧石田にくんで都づめ
(五十五篇29)
安国寺え恵は臨済宗の名僧で、関ヶ原合戦で西軍に投じ、捕らえられて京都の六条河原で斬首にさらされている。
九拾八の句■助言ならいやよと内儀駒を出し
(九篇34)
嫁入り道具に碁、将棋盤もあったというが、将棋を指せる女性は珍しかったろう。内儀を誘ったのは男だろうが助言無用を言うところみると、内儀は腕に覚えがありそう、父に教わったのか勝気な性分に違いない。
九拾九の句■助言無用と雪隠にいてどなり
(百五十九篇16)
ちょっと厠に行っているうちに、仲間が相手の味方になって助言する、そういうことが無いように、ジャ-ジャ-しながら大声をあげて助言を牽制している訳ですネ。
百の句 ■助言して頼政王をうごかせる
(四十八篇36)
源頼政は頼光の孫に当る、彼は平家討伐の挙兵に当り三井寺の同心をとりつけた。当時の寺は宗教の一拠点ではなく多くの兵を抱える武装集団であった。保元、平治の乱で功績があったが何故か不遇、出世の知らせがないので、その心境を歌に詠んでくさっていたが天皇の耳に入り三位の位を与えられた。歌が助言のようだというわけです。
百壱の句 ■しばられていて助言するふといやつ
(十二篇12)
側で眺めていた罪人もよほど碁将棋が好きなのでしょう、つい身の程も考えず助言。
百弐の句 ■
ゆめを見た内へとん死は入れて置き
(十三篇22)
とん死を食らったことなど誰にも言えない秘密、あれは夢だったのだと自分に言い聞かせる。
百参の句 ■雨やどり助言をいっておん出され
(万/明四宮4)
にわか雨にちょっと軒先を借りたら家の中から、将棋を指している声がする。おっちょうどいい見せてもらおう、見るだけのつもりが「そこは歩をと」何回かやっちまったから「馬鹿、だまってやがれ」と追ん出されたとさ!
百四の句 ■そっと膝突かれて角を成る王手
(万/元禄六/二息)
隣りで見ているものから膝を突付かれて「合図」を頂いている助言の句。
百五の句 ■下馬札を桂馬と読んだ将棋好き
出典先不明句、将棋好きはそこが将棋の指せる所と見たのか。なんでも将棋に語呂合わせしてしまう。まア、こうゆう男が将棋を現在まで運んでくれたのかも。
百六の句 ■六つかしい恋と欲とに打つ桂馬
(三国力こぶ/文政三)
最近はやりの美人画絵草子を売りに行ったのですが気に入って貰い無い、目当ては娘にあったのですがこちらもうまく気を惹きそうも無い、両取り不発どちらも逃げられた。
百七の句 ■とんで来て動きのとれぬ桂馬詰め
(両国舟/元禄十五)
百八の句 ■十三日明智桂馬の高上がり
(千代見草/元禄七)
信長を倒して十三日の天下を風刺した句。
百九の句 ■ほしいこと桂馬があれば都詰
(小倉山/享保八)
5五の地点で王を詰ませることはめったに無いこと。ここで詰ますことが出来れば、出来れば飛車角金銀ではなく、桂馬で詰ましたいという将棋指し願望の句。
百拾の句 ■手にあらば桂馬うちたき姉妹
(拾遺三篇9)
姉妹どちらも美形、どっちでもいい我が手中にとれるなら、だが残念桂馬は無し。
百拾壱の句■若殿の遣ふ桂馬ハ鼻が利き
(拾八篇27)
気に入った娘たちを手に入れるとき使う桂馬の威力のように、その目的を果たす。
百拾弐の句■左馬のかみ桂馬のところで歩の餌食
(三十五篇1)
源頼朝の父、左馬頭義朝は平治の戦いに敗れ関東に落ちゆくとき、長田忠致の家で入浴中に殺された。歩のえじきというより香車(雪隠)の隣が桂馬(湯殿)に目を向ける句である。
百拾参の句■めっかちの蛙桂馬にとんで行き
この句は
初代柄井川柳
の作と伝えられる。
百拾四の句■
へぼ将棋もう湯殿だに御手はなに
(百二十二篇3)
湯殿は便所の隣りにあることが多い。雪隠詰めの直前だが下手だけあって諦められずに指している。
百拾五の句■負け将棋逃げるたんびに御手はなに
(拾遺九編24)
百拾四の句の類句
百拾六の句■大事はここ手をなんべんも聞きかえし
(玉の光/弘化元)
ヘボ将棋なればこそ相手の駒が気に掛る、昔は駒台など無く手で握って持っていたからついつい聞き返してしまう。
百拾七の句■
詰んでるに肺肝くだく下手将棋
(四十一篇14)
「肺肝くだく」とはこころをつくして考える意、しっかり読んで見なさいと戒めの句。
百拾八の句■
負けて腹立つへぼ将棋ばか
式亭三馬の滑稽本にある句。
百拾九の句■
下手将棋袖を引かれてねめまわし
(六篇10)
袖の脇にち~とは出来る先生が付いて将棋を指すことに。と袖を引く先生何か好手があると盤を舐めるように懸命に考えるのですが解らない、周りではヘボと言う声がする。
百弐拾の句■
下手将棋
湯殿でもまだまけにせず
(万/明和三義7)
湯殿では裸になる、つまり裸王になってもなかなか投げないへぼの句。
百弐拾壱の句■下手将棋王をなり込むせいたやつ
(三十二篇31)
負けないように入玉をめざすへぼ、単身で急ぐから詰まされてしまう。
百弐拾弐の句■
下手将棋時がすぎてから二歩がしれ
(四十九篇37)
へぼ将棋にはよくあること。人の振り見て我が振り見さずにならぬ様、自戒、自戒。
百弐拾参の句■見物の下知にしたがう下手将棋
(三十五篇25)
見物人の助言のまま指す下手将棋。
百弐拾四の句■ちと教えようかと代る下手将棋
(二十五篇29)
へぼに教えるへぼ。
百弐拾五の句■下手ばかり寄ると下手でも目に立たず
(宝永11/天)
説明するまでも無いでしょう。
百弐拾六の句■晩あたりちっと来給へどれも下手
(三篇20)
友達とは良いもの。
百弐拾七の句■下手なら下手ですむことを下手っくそ
(天保五/智)
下手だけで済むものをくそを付けると余計に強調される。
百弐拾八の句■半分は口で指してる下手将棋
(百四十三篇32・28篇)
しゃれ、冗談をとばして将棋を指している。
百弐拾九の句■けふもよくふるハと入ル下手将棋
(十七篇35)
外で仕事を持ってる職人さんでしょうか、雨で仕事が出来ず将棋会所に足を運ぶ様を詠んだ句、会所には同じ仲間がやっぱりきているわ。と将棋を指す。
百参拾の句 ■将棋ばんさし上げて居てこれ乳母よ
(五篇2)
来客と指していると赤児が来て邪魔になるの意。
百参拾壱の句■
賽日に将棋をさすが店を持ち
(四篇10)
賽日とは正月16日と7月16日で閻魔堂にまいる日で、奉公人は薮入りの日。賽日に遊びにもいかず、店に居て近所の仲間を相手に将棋を指しているようなしまり屋は小金を貯めて、こういう奴こそが店をもつ、独立するにはそれだけのがめつさが必要だ。と。
百参拾弐の句■
へぼ助言けつから金をくらはせろ
(四十七篇2)
将棋好きな男にとっては、下手な手を張っている対局を見ると、助言を言いたくなるものである。ついに堪え切れずに助言する。
百参拾参の句■
たれに出た跡でこの金取れと言い
(万/天明五信5)
「たれる」とは「小便をしにいく」のこと。対局者の一方がトイレに出たところで見物人が助言した。
百参拾四の句■せき将棋先へ喰らってしまいおれ
(万/明和三/仁7)
攻め合い将棋の緊迫した油断ならない局面か? 相手の一か八かの手で攻めてきた駒を思い切って取る。その時に自分に言い聞かせるに「先に取ってしまおう」とつぶやいたのだった。
百参拾五の句■せきしやうぎ手を切ツたりとははけひる也
(十八篇4)
けひるとは下品にみえること。
百参拾六の句■喧嘩かと思や手見禁待ってくれ
(五十四篇36)
「手見禁」とは待ったなしを約束した対局のこと。約束して指したが「待ってくれ」と「いや待たぬ」「頼む」「いやならぬ」と大声に言い争ってしまう。貴方はどっち!
百参拾七の句■千両をかけて手見禁で座頭さし
(十九篇18)
盲人にも位があり、座頭が最下位の位、この官位も賄賂で売買されていたとか、千両もあれば最上位の検校も夢で無かったと思う。
百参拾八の句■さそいては手見禁などと側でいい
(七十篇21・桜6篇)
ヘボは嵌め手を使いたがるがそうは問屋が卸さないもの、ヘボが強がりを言っているだけ。
百参拾九の句■いのまたも手みきんなれば株仕舞い
(拾五篇24)
いのまたは、猪俣小平則綱で、平家の侍大将、越中前司盛俊を騙し討ちにした。株仕舞いは一巻の終わりを指す。その故事を手見禁に掛けた。
百四拾の句 ■お廻りを気をつけやれと角をなり
(十篇29)
お廻りとは同心や目明かしの巡視である。今の警官。掛け将棋はご法度なのに隠れてこっそり声を潜めながら将棋をやっているのである。
百四拾壱の句■刻限を聞き聞き角行のみちをつき
(拾九篇30)
刻限の時間には木戸が閉まってしまうので長引く勝負にやきもきやきもき。
百四拾弐の句■将棋好き内儀の二歩に気がつかず
(百二十一篇乙)
将棋ばっかりしていると、女房の浮気に気が付かないですぞ!
前編は「とらまへたていしゅは飛車手王手なり」
でした。
百四拾参の句■居候はさみ将棋で日をくらし
(万/宝暦十一/智3)
親の脛をかじっている男は特にすることもなく、それじゃと大家の子供相手に挟み将棋をしているのです、本人はこりごりなんですが居候なばかりにそれも云えず。
百四拾四の句■
はさみ将棋に眼の動くごぜ
(武十八篇20)
ごぜは盲の三味線等を引いた女芸人のこと。将棋も芸の一つ。
百四拾五の句■挟み将棋の強くなり乳母
(武六篇10)
昔は裕福な家では必ず乳母がいたもの、いわば子供の教育掛り、何から何まで躾けて居たのです、そんな乳母の躾けはというと?陰では結構、遊び上手だったのです。
百四拾六の句■あてがありはさみ将棋にきてはまけ
(若木賊・寛政二)
目当ては後家さんか娘さん、その家の子供に挟み将棋を教えようとするのですが勝ってばかりでは、子供に嫌われるという訳で、負けて気を引こうとしているのです。
百四拾七の句■おちゃっぴい挟み将棋が達者なり
(拾十篇18・明和2/橘中仙続編)
大店の娘はわがまま娘!好き勝手させるものだからイケメン男を引っ張り込んで何してばっかり、すっかりその道の達人になってしまったとさ!こんな句があるから面白い!はさみ将棋とはあのことだったんですね、いや~奥が深い。
百四拾八の句■鐘の音持にして崩す逆将棋
(さかえぼし/元禄10)
江戸の町々には木戸があって、午後六時になると鐘が鳴って木戸が閉まった。木戸が閉まってしまうと家に帰れなくなってしまう。将棋も入玉になって勝負が長引きそう、そんな時、鐘がなった、この将棋引分けにして終わろう、となる。
百四拾九の句■角道をつくとうちから呼び来
(拾六篇15)
商取引も済んで楽しみしてた将棋を指し始めたら丁稚が呼びにきて帰宅することに。
百五拾の句 ■本能寺はしの歩をつくひまはなし
(三篇25)
信長の呆気ない死に様を風刺した句だが、端の歩には、のちに別の意味にも使われているがここでは謎とする。
百五拾壱の句■とんだ時二歩をみつける下手将棋
(万/明六松3)
ヘボなればこそ二歩に、いつ打ったか気が付かず。下手将棋はへたとも呼ぶがここは「へぼ」と読みましょう。
百五拾弐の句■はしの歩は手のない奴に突き出され
(六十四編6)
手のない時端の歩を突けというが、ここには謎の言葉がある。
百五拾参の句■すがる子は夫婦げんかに歩の間駒
(百八篇36)
子はかすがいと云います。歩の合い駒のように無くてはならない存在なのです。
百五拾四の句■友達を母ハ歩などであいしらい
(拾十篇24)
百五拾五の句■なぶりもの来い来い酒代三兵
(続王粕/延亨元)
百五拾六の句■楠に歩三兵にてなぶられる
(拾五篇27)
千早城合戦における、楠正成の軍略にちなんだ句。
百五拾七の句■直にきいすと待ち駒を打って置き
(九十九篇19)
花魁言葉、何人もの客が付いているから甘い言葉を残して部屋を出て行く。待ち駒をしているみたいだと。
百五拾八の句■打ち払う駒に無念や一手透き
(万/中菊犬)
百五拾九の句■端の歩がすむと双方一っぷくし
(拾十篇13)
この句、謎かけ句です。「端の歩」が何なのです、160の句が大ヒント。考えすぎかな?
百六拾の句 ■端の歩ばかりついている初の客
(三十三篇2)
遊郭での将棋?を一局指す?
百六拾壱の句■先づ端の歩をついて置くけちな客
(四十四篇33)
上記の三句の端の歩とは、遊里を題材にしたもの、将棋と掛け合わせていますがボキャブラリ-豊富な貴方はお分かりでしょう。
百六拾弐の句■
つき出した香車うけとめて御手は何
(三十二篇33)
ヘボだから相手の駒を見ていない。江戸時代駒台は無かった。
百六拾参の句■伝右衛門の香車ばかりは後に利き
(百五十九篇17)
武田信玄の家来初鹿野伝右衛門は白地に香車の二字の指物を風になびかせ出陣し、大役を果たした、後に江戸の庶民は伝右衛門の香車は直進するばかりでないと詠んだ。
百六拾四の句■吹けば飛ぶような将棋に付木の歩
(三十六篇36)
歩を無くしたのであろう、昔マッチが発明される前の杉など薄くスライスした一端に硫黄を付けた木片。
百六拾五の句■悶象戯ぐれんかへして歩を尋ね
もつれた将棋になって、しまいには歩があったはずなどと争って将棋盤をひっくり返すこと。
百六拾六の句■髪そよそよと凄い山伏
直接的な将棋の用語はないが、もつれた将棋に双方熱中して目をぎらぎらさせ、髪も乱れてすごい面相となっている。
百六拾七の句■香車先つくやうに出す柳橋
(拾八篇3)
昔、柳橋のあたりは船宿が多く、岸にはたくさん船がつないであった。その中を巧みに勢いよく船をこぎ出す、行き先は遊里、吉原であった。
百六拾八の句■細見でみても香車の場所は鑓
(二十七篇7)
細見は遊女の名などを記した吉原の案内書、鑓は香車のことで花柳界では「やり手」をさし細見では下段の左隅に名を載せてある。、
百六拾九の句■歩と香車座頭の方は付木でし
(初篇12)
付木とは火を移したり、火が保つために杉やヒノキの薄く削った木片に硫黄を塗った物、縁台将棋では不足した歩の代用にされていた。盲人には駒より判り易かったかも。
百七拾の句 ■歩一つに二人三人立ちさわぎ
(二十八篇33)
縁台将棋で歩が有った、いや無かったと見物人も巻き添えにするへぼ将棋好き。
百七拾壱の句■
そばの客将棋の駒で数をとり
(三篇12)
赤穂浪士がそば屋に集まったその様子の句。浪士は皆同じ格好でそばを注文するので何杯注文したか分からなくたってしまうから将棋の駒で数を勘定していたと。実際には亀田屋という茶屋に十人前後が立寄りそば切りを注文したと、寺坂日記にある様です。
百七拾弐の句■かけ将棋まけさうにしてよしにする
(十八篇37)
百七拾参の句■将棋をば二番負けては金を借り
(十二篇20)
金を借りにいく、その辛い気持ちも将棋を指して負けてから借りるとしめっぽさ、惨めさが吹き飛ぶのですネ。大家を相手に負けてやるずるさも伝わってきます。
百七拾四の句■小売はいたしませぬとさしている
(二十五篇4)
大店は格式ぶって小売りはしないと言いのが、江戸っ子はシャクに触って、その心情を皮肉ったもの。または紀国文左衛門が吉原を買い切って大盤振る舞いをしている句とも、さすとは「閉している」の意を表す。
百七拾五の句■碁に更けて勝ってはしょうぎ倒し也
(四十八篇34)
大店の旦那集が集まって奥座敷で碁を打っている。もうすっかり日は暮れて奉公人は寝るに寝られず、帰るに帰られず、勝手口に丁稚どんが何人もゴロゴロしている様子。
百七拾六の句■碁将棋があって死に目につい合はず
(七十八篇18・九十二篇34)
お城将棋の対局から出た言葉と言われます。将軍の御前で指すから家元の親が亡くなっても家に帰ること叶わず!
百七拾七の句■盤側に急用と書いた状
(五十一篇9)
前句の類句、使いの者が親が危篤になったことを書いた手紙を持って来たのですが、勝負はこれから負ける訳にはいかない一番。手紙を見ずに盤の脇に置いて指し続ける親不孝者という訳です。
百七拾八の句■どん尻に焼香したのは碁の相手
(生籬/宝永元)
前句の対句。親の死に目に会わせなかったのは遊び相手にも理由があると親族の怒りも当然、そのことを申し訳無いと思っているから焼香も最後になる。
百七拾九の句■かち将棋いかにいかにとならして居
(拾十篇18)
いかにいかにというのは、勝ちになったとうれしさの表現、はやる心をあらわす。
百八拾の句 ■友達は将棋のことで二日来ず
(四篇41)
将棋のつまらないことで喧嘩、毎日のように来ていたのに2日も来ない、強がりを言っているが実は寂しい。明日は来るかとひそかに期待しているのだ。
百八拾壱の句■うろたえて並べる将棋負けた奴
(二十八篇6)
百八拾弐の句■さかやきとひげを撫でると勝負知れ
(万/明和六)
さかやきとはちょんまげの両脇の半月形に剃ったところ。形勢が不利になると出るんだよねいろんな癖が。
百八拾参の句■
逃げしなにおぼえてゐろは負けたやつ
(三篇32)
将棋に負けて口惜しくてたまらない、帰り際に覚えてろ。
百八拾四の句■煙の出ぬ葉を吸ツて居ル負け将棋
百八拾五の句■鼻うたも小耳にかかるまけ将棋
(宝暦十三宮2)
くそ~、形勢不利だからこそ気になるあいつの鼻歌。集中できゃしない!
百八拾六の句■詰み際になって髪結いせつくなり
(万/安永元)
待合場で髪結いの番を待つ間、将棋を指し始めたら運良くめったに勝ったことが無い相手に勝てそう、髪結い職人が次の方と来たもんだから忙しい。髪結い職人も後が詰まるので、早く早くと忙しいのです。
百八拾七の句■横好きの今朝から将棋さしむかい
(火燵びらき/天文三)
百八拾八の句■下手将棋湯殿あたりで駒を投げ
(六十二篇10)
香の場所が雪隠で、隣にあるのが湯殿、桂の場所という訳。
百八拾九の句■あれにこうこれにこうと負けた奴
(十八篇28)
助言は名人。批評は得意、将棋勝負はいつも負け。
百九拾の句 ■お預かり申して置くと勝った奴
(六篇6)
将棋などの賭け事で勝って、相手が払ってくれるまで着物をお預かりします。
百九拾壱の句■振袖を将棋頭にむごいこと
(傍四篇24・川/4篇24)
亡くなった娘の供養の句。将棋頭とは天蓋のことで、仏像の上に飾る屋根の部分。将棋の駒の上部に見えると云っています。亡くなった娘さんの着物を仕立て直し奉納した、その様が、大変、かわいそうだと云っています。合掌。
百九拾弐の句■お妾の成り歩は盤をくるわせる
(四十七篇26)
古川柳で妾に御の敬称がつくと大名か旗本の妾のこと、男も頭の上らぬ威勢を感じてしまう。
百九拾参の句■雪の日は助言の増える自身番
(万/宝暦九/靏)
江戸では各町内に地主や家主が交代で警備をする番所があり、雪が降るともう寒くってすることも無く町内から人々が集まって「一番する」てことになり、助言も色々活発になるのです、指している本人も楽しくやっていますから問題なし。
百九拾四の句■碁将棋でくらすはかたい川つかへ
(二十篇35)
川つかは川止めと同語。川止めで渡ることができずついつい手前の宿場で博打に興じてしまう、懐がすっからかんにされてしまうという訳ですが、こんなとき将棋で時間つぶしさえすればそんなことも無いと、将棋を奨励しているのです。
百九拾五の句■碁将棋好き苗字は平手名は対馬
(百二十四篇81)
百九拾六の句■将棋にはさしかまい無杣仲間
(百四十七篇24)
杣とはきこりのこと、さいかまいは不都合だからだめよの意。中国の故事「欄柯」を題材にした句。将棋は面白いから指してはならないときこり仲間の教訓句。
百九拾七の句■その後の
杣は
将碁も見ぬ気なり
上句と類句。木こりが森に入ったとき、そこで四人の子供が碁を打っているのを見て時が立つのを忘れ、帰宅すると当時の人は誰もいなかった。というもので木こりの戒めの句。将碁を書いて将棋と詠ませている。もちろん碁でも、造語と捉えても良い。
百九拾八の句■碁将棋なき杣村の掟め書き
(百二十五篇7)
続いて杣の句。とうとう、木こりの村では将棋はやってはいけないとの戒めが掟にまでなったのです。それだけ面白い知能ゲ-ムと云う事でしょうか。
百九拾九の句■怪我負けをしたなどと先生二番負け
(万/明和四/天1)
その道の達人先生が将棋をして負けるはずの無い勝負に二番も負けて言い訳をしているので、脇で見ている者がくすくす笑っているのです。自慢したがり先生なんですね!
弐百の句 ■宇治川のやうに乗り越す飛び将棋
(万/天明二)
木曾義仲が義経を防いだ宇治川の合戦で義経側の佐々木高綱と梶原景季が先陣の功を立てようと、われ先と争った、飛び将棋に掛けた句。
弐百壱の句■掛合にうは言をいふ将棋さし
(拾九篇24)
訳のわからぬことをいって将棋を指している意。
弐百弐の句■かけ合いにうは言をいふ将棋すき
弐百壱の句の類句。
弐百参の句■どこえやらはじき将棋に歩をなくし
(俳諧觿/寛政元)
こどもは何でも遊びにしてしまいます、兄貴から歩が無いとゲンコツが飛んできて、泣きじゃくっています。将棋の駒での遊びにはいろんなものがあったのですね昔から。
弐百四の句■椎の木の陰へ待ち駒張って置き
(拾遺五篇17)
曽我物語の工藤祐経の命令を受けた郎党、大見の小藤太と八幡の三郎の二人は赤沢山のふもとの八幡山の境にある切所を尋ねて、椎の木三本を小盾にとって川津三郎を討ち取った。
弐百五の句■はんかいがあればと思う一手すき
(紀玉川/文政2)
中国の項羽と劉邦が会見した世に言う鴻門の会で項羽が劉邦を亡き者にしようと図るのですが劉邦もこれに気づき、はんかいを伴って逃げるのです。という訳ではんかいはそのときに機転を利かせて功績を残す事になります。ここではこの局面ではんかいがいてくれたらとなります。
弐百六の句■詰み手考へずに勝頼駒を立て
(万/安永七/松3)
武田勝頼は父信玄の志をついで出兵したが長篠の合戦で信長・家康連合軍に大敗、鉄砲隊の威力を計算出来なかった。
弐百七の句■はんれいが出やむと将棋負けになり
(三十八篇32)
中国の春秋時代、会稽山の戦いで敗れた越の国の勾践は獄中で肴屋に身をやつした家臣はんれいに励まされ、その後みごと呉の国、夫差を滅ぼし、汚名を注いだ。いいうなればはんれいは助け船、将棋でいえば助言者というわけでその人が居ないといつも負けてしまうのです。
弐百八の句■琴爪ではしの歩をつく始皇帝
(拾十篇22)
弐百九の句■裾ふんで将棊だおしの相馬公家
(万・宝暦九)
平将門は下総の国に宮殿を建てて内裏と称した、その相馬内裏で将門から官位を授かった公家を相馬公家という、将門が倒れて将棋倒しのように崩れてしまった。
弐百拾の句■どやどやと将棋に付いて座替する
(八篇26)
弐百拾壱の句■おどり子が来るとしゃうぎをやめにする
(二十一篇11)
詠んだ通り、将棋は時間つぶし。
弐百拾弐の句■詰将棋工夫が出来てどれ退きやれ
詰将棋を解いたとの言葉で、脇の男も解いたようで俺が先に解いたと横槍を入れた情景を詠んだ句。いるよねこういう男。
弐百拾参の句■手ぬぐいをぬらしてはいる詰将棋
(拾十篇8)
風呂の中で詰み将棋を考え、詰み手順を発見、濡らした手拭を持って出て盤に向かう。
弐百拾四の句■屋形船歩づめのように取りまかれ
(万/明和年中)
風流人がのんびりときれいどころに囲まれて舟遊び、夕闇迫り雪見障子を開けて外を眺めれば、屋形船一面の景色が目に入る。屋形船が歩の駒のよう。
弐百拾五の句■詰ぎわになって髪結せつく成り
(万/安永元)
髪結の順番待ち。そんな時、髪結の番が来た局面はもう終わりそうだが終わりそうもない、まだでしょうか早く終わらしておくんなさいましと。
弐百拾六の句■きわが立つ万兵衛に聞て来たつめて
(宝暦3/三尺の鞭)
上方の民間棋客の福島万兵衛は1768年「象戯珍手選」などの著作があり当時の愛棋家にとって教祖的存在だった。
弐百拾七の句■せいた奴歩でかき立ててしかられる
(二十六篇10)
弐百拾八の句■噺方将棋倒しにけつまつき
(万/宝11)
一人がしくじったので他の連中も巻き込まれてしまう、その連鎖を将棋倒しと掛けた。
弐百拾九の句■盤をふきながらお久しぶりと言ひ
(安九礼5)
弐百弐拾の句■先ず盤の足をねぢこむ下手将棋
(四篇13・拾10篇15)
有段者なれば盤も駒も大切に扱い、決して粗末には扱いません。子供の頃、家に盤があったのですが、ガタガタと足が定まりませんでした、当然、足の調節をすることになります。なにしろ手作り将棋盤ですから。脚付き将棋盤なんてとても高価で買うこと出来ません、でも脚付きで指すと強そうに見てもらえるようでした。でも今もって私の将棋はヘボ将棋。
弐百弐拾壱の句■将棋好キ向ふの駒も並べたり
(万/明和年間)
3度の飯より将棋好き何度でも指したい、負けた時ほど今度は勝ちたい気持ちでつい気が焦る。
弐百弐拾弐の句■玄関番おれが番だときめて立ち
(八篇22)
江戸城では慶長十年に殿中規則をつくり、殿中での将棋を禁じた、それでも大名や旗本の屋敷では、玄関番は退屈しのぎに将棋を指せことがあった。大目に見られていたらしい。
弐百弐拾参の句■とこ店の将棊は一人リ腰をかけ
(二篇13)
とこ店は、床見世で建物の一部を借りて商品を少し置くだけの店。または屋台店。店に奥ゆきがないから将棋指すにも一人は腰を掛けることは出来ない。
弐百弐拾四の句■すミつこで将棊国元忌中也
弐百弐拾五の句■通りもの将棊をさすもあハれ也
(二篇1)
通りものとは、粋な人とか通人を指すが、川柳では遊び人、ばくち打ちの意で用いる。ここでは遊び人がばくちに負け元手を無くし将棋を指しているの意。
弐百弐拾六の句■将棋ばかりはゆるす番頭
(玉十七篇14)
他人には厳しい番頭でも、将棋のことになると多めに見てしまう。相当、将棋が好きだったのでしょう。
弐百弐拾七の句■稽古所の休みを湯屋でうめている
(百二十五篇9)
江戸の社交場といえば、髪結床と銭湯。将棋も盛んに指していたでしょう。それが目当ての町人もいたかも。
弐百弐拾八の句■はておかし神田にだけは負けが込み
この句。昭和十年頃の句だとのことですが、気に入っているので掲載します。木村義雄と神田辰之助の対戦を詠んだもの、木村は並み居る強豪に連戦連勝、負け越しはただ一人、神田辰之助の五勝四敗です。我輩、木村はあまり好きではないのは何故だろう。
<宗桂に関する句>最後までご覧になられた方へのおまけ
■宗桂は御大名でも落す駒
(百五十一篇23)
・宗桂は強い人の代名詞。将軍家治ですら将棋家の者に教わる時は駒落とされだった。
将棋に関する古川柳は800から900句あると言われていますが、代表的なものは以上でしょう。 ご覧になられた方で他にも発見したらご連絡ください。
更新04.04.08.
最終更新04.07.08.
修整更新06.11.30.
[PR]
結婚式