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御差将棊 << 十代将軍、徳川家治の将棋 >>                        

    ■紹介する対局目録は棋譜集【御差将棊】(写本)を参考にしました。
    【写本】には、九十六番が記録されています。
      今回、公開するのは他の棋譜集から二局を追加し九十八局で、うち右香落ちは三十八局と
       三分の一を占めています。

      ■棋譜を観るまでもなく将軍の将棋好きは大変なものです。どうぞじっくりとご鑑賞下さい。


【人物像の紹介】
 第八代将軍であった祖父吉宗に寵愛されて育てられ、文武の教育に力を入れた。家治は学芸の才能に恵まれ書画を得意とし、1760年に将軍職を継承し、父の家重の遺言に従い田沼意次を側用人に重用し、老中の松平武元らと共に政治に励んでいたが、意次が老中になると、その27年間は、田沼意次が実権を握った田沼時代といわれ、賄賂が横行し、政治に対する信用が欠落した。その反面、将棋に関しては図式集「御撰象棊攻格図式」、いろは棋譜記号の採用と将棋の歴史に一石を投じるなどその功績も非凡なることが判る。
 
・1779年(安永8)、家治の世子家基が19歳で急死したため、1781年に一橋家当主徳川治済の長男豊千代(後の第11代将軍家斉)を自らの養子とした。

・1783年(天明3)に浅間山の大噴火が起こったり、大紀が飢餓があったりして、物価も高騰し、百姓一揆、打ち壊しなどが頻発した。

・1786年のその死は反田沼派によって直ちには公表されず、田沼が失脚した後の9月8日(新暦9月29日)になって発葬されており、また、家治は意次の差し出した薬を飲んだ直後、危篤に陥り死去した為、意次が毒を盛ったのではないかという説も流されており、反田沼派の策謀で田沼失脚、田沼派一掃のために利用されたとも考えられている。
 
●業績
 ・聡明とうたわれた割には、全てを田沼意次に丸投げし、田沼意次を決して罷免せず、 彼の思うように経済政策をとらせたことは業績といえるかもしれない。(もっとも、次第に仲が悪くなったと言われているが)
 
●エピソード1
 剣術を柳生久寿に学び、槍術は小南三十郎に学び、更に鉄砲も百発百中と、多少誇張はあるだろうが、かなりの腕前であったようである。さらに、絵や囲碁・将棋も堪能で、まさに文武両道であった。そのため、徳川吉宗から大いに期待されていた。
・将棋が非常に強く、棋譜集「御差将棋」が現存し、図式「象棋考格」を晩年に著す。
・他にも家治は棋譜表記を新しい「いろは棋譜記号」を考案。
 好んで使用したと云う。棋譜集「御差将棋」はすべてこの表記である。
 
 
【いろは棋譜記号】

9

8

7

6

5

4

3

2

1

 

●エピソード2
 将軍の起床は6時となっていたが、家治も50歳近くなり早く目が覚めることが多くなった。
 そんな時は、座敷の中を音を立てないよう行ったり来たりして6時になるのをひたすら待っていた。
 厠に行く時も当番の御小納戸役を起こさないように抜き足差し足で廊下を歩いたという。
 
●エピソード3
 家治は、祖父である吉宗のように名君たらんと、いつも意識し、食べ物にしても変わったものが出ると「これは先々代 様も食べられたものか。」と確認するほどだったという。
 
●エピソード4
 ある激しい雨の日、家治は、ひとりの近習が空を見上げため息をついているのを目にした。
 別の者にため息のわけを聞いたところ、「あの者は貧しく、家が朽ちて雨漏りがしており、今ごろ親が苦心していることを思っているのでしょう。」と答えた。
 更に家治はいくらあれば直せるのか聞くと「百両もあれば直せると思います。」と答えた。
 家治はひそかに、ため息をついていた近習を呼ぶと「孝を尽くせ。」と百両を渡したという。



 【 番号をクリックすると棋譜を再現 】                                  修整更新:2006.9.24.
御差将棊 和暦(西暦) 手合い 先手(下手) 後手(上手) 備考
◎はコメント付
1番 安永4年(1775)3月16日 平手 ● 御 二代伊藤看寿
2番  4月10日 平手 ● 御 二代伊藤看寿
3番  4月10日 平手 二代伊藤看寿  御
4番   4月23日 左香落 ● 御 五代伊藤宗印
5番  5月6日 右香落  御 五代伊藤宗印
6番  5月16日 平手 ● 御 二代伊藤看寿
7番 5月16日 角落 ● 御 五代伊藤宗印
8番 8月16日 平手 二代伊藤看寿 ● 御
9番 8月19日 平手  御 二代伊藤看寿
10番 8月27日 右香落  御 五代伊藤宗印
11番 同日   左香落 ● 御 五代伊藤宗印
12番 9月6日 平手 ● 御 二代伊藤看寿
13番 10月6日 右香落  御 五代伊藤宗印
14番 10月19日 角落 ● 御 五代伊藤宗印
15番 10月29日 平手  御 二代伊藤看寿
16番 11月3日 右香落 津軽意伯 ● 御
17番 同日   平手 二代伊藤看寿 ● 御
18番 安永5年(1776)1月9日 平手 二代伊藤看寿 ● 御
19番 1月19日 平手 ● 御 鈴木弾正少弼
20番 1月27日 右香落  御 五代伊藤宗印
21番 2月19日 右香落 ● 御 五代伊藤宗印
22番 3月13日 平手 二代伊藤看寿 ● 御
23番 5月3日 右香落 ● 御 五代伊藤宗印
24番 8月23日 右香落 ● 御 五代伊藤宗印
25番 同日   平手 二代伊藤看寿  御
26番 9月6日 平手 ● 御 二代伊藤看寿
27番 9月19日 角落 ● 御 五代伊藤宗印
28番 9月27日 左香落  御 五代伊藤宗印
29番 10月9日 右香落 神丹後守 ● 御
30番 10月19日 右香落  御 五代伊藤宗印
31番 10月27日 平手 ● 御 二代伊藤看寿
32番 安永6年(1777)1月27日 角落 ● 御 五代伊藤宗印
33番 同日   平手 ● 御 二代伊藤看寿
34番 2月19日 左香落 ● 御 五代伊藤宗印
35番 3月27日 左香落  御 五代伊藤宗印
36番 同日   平手 ● 御 二代伊藤看寿
37番 4月6日 左香落  御 五代伊藤宗印
38番 5月3日 平手 二代伊藤看寿 ● 御
39番 5月6日 右香落 千賀道隆 ● 御
40番 同日   角落 ● 御 五代伊藤宗印
41番 8月27日 平手 ● 御 二代伊藤看寿
42番 9月3日 平手 二代伊藤看寿 ● 御
43番 9月6日 左香落  御 五代伊藤宗印
44番 9月23日 平手 ● 御 二代伊藤看寿
45番 9月27日 右香落 ● 御 五代伊藤宗印
46番 10月6日 左香落  御 五代伊藤宗印
47番 11月14日 右香落 ● 御 五代伊藤宗印
48番 11月19日 左香落 ● 御 五代伊藤宗印
49番 11月23日 右香落 二代伊藤看寿  御
50番 安永7年(1778)1月9日 左香落 ● 御 五代伊藤宗印
51番 1月23日 右香落 二代伊藤看寿  御
52番 2月6日 左香落 ● 御 五代伊藤宗印
53番 同日   右香落 二代伊藤看寿 ● 御
54番 2月27日 左香落  御 五代伊藤宗印
55番 同日   左香落  御 五代伊藤宗印
56番 3月?日 左香落 ● 御 五代伊藤宗印
57番 8月19日 右香落 大岡兵部少輔 ● 御
58番 同日   右香落  御 五代伊藤宗印
59番 10月19日 右香落 ● 御 五代伊藤宗印
60番 10月23日 平手 二代伊藤看寿 ● 御
61番 11月9日 左香落 ● 御 五代伊藤宗印
62番 11月19日 左香落 ● 御 五代伊藤宗印
63番 安永8年(1779)1月9日 左香落 二代伊藤看寿 ● 御
64番 同日   右香落 ● 御 五代伊藤宗印
65番 1月19日 右香落 五代伊藤宗印
66番 1月25日 左香落 ● 御 五代伊藤宗印
67番 1月27日 右香落 大岡兵部少輔 ● 御
68番  2月3日 右香落 二代伊藤看寿
69番 2月6日 左香落 大岡兵部少輔 ● 御
70番 3月23日 平手 二代伊藤看寿 ● 御
71番 4月6日 平手 二代伊藤看寿 ● 御
72番 4月27日 右香落 ● 御 五代伊藤宗印
73番 8月19日 右香落 五代伊藤宗印
番外1 安永9年(1780) 平手 二代伊藤看寿 ● 御
74番 1月9日 右香落 ● 御 五代伊藤宗印
75番 2月6日 右香落 ● 御 五代伊藤宗印
76番 2月9日 右香落 ● 御 五代伊藤宗印
77番 2月23日 平手 二代伊藤看寿 ● 御
78番 同日   右香落 大岡兵部少輔 ● 御
79番 同日   角落 熊倉斧右衛門  御
80番 3月9日 右香落 大岡兵部少輔 ● 御
81番 同日   平手 ● 御 五代伊藤宗印
82番 3月23日 右香落 二代伊藤看寿 ● 御
83番 3月27日 左香落 二代伊藤看寿  御
84番 4月9日 右香落 鈴木弾正少弼 ● 御
85番 同日   右香落  御 五代伊藤宗印
86番 5月3日 右香落 二代伊藤看寿  御
87番 同日   右香落 大岡兵部少輔 ● 御
88番 5月9日 右香落  御 五代伊藤宗印
89番 8月23日 左香落 二代伊藤看寿 ● 御
90番 9月3日 左香落 二代伊藤看寿 ● 御
91番 9月6日 平手 ● 御 五代伊藤宗印
92番 9月7日 平手 ● 御 五代伊藤宗印
93番 10月6日 平手 ● 御 五代伊藤宗印
94番 10月9日 平手  御 五代伊藤宗印
95番 10月19日 右香落 ● 御 五代伊藤宗印
96番 11月6日 右香落 二代伊藤看寿  御
番外2 天明2年(1782)10月6日 平手 ● 御 九代大橋宗桂 93番と同一局
編集後記:
・将軍の勝局を中心に編集した手合集とはいえ、98局のうち69勝と7割の勝率である。
 内平手 32戦27勝。
  香落 22戦14勝。
  角落   6戦5勝。
  右香落38戦23勝ある。
・伊藤宗印との対局は全49戦31勝すべて下手で右香落ちが22戦12勝であり、看寿との対戦も36戦26勝と際だっている。近習との対戦は12戦して只2局負けただけである。
数字だけ観るとお殿様に勝ちを譲ったとも思えるが、終盤の寄せは随所にその鋭さが窺える。
ましてや、武士魂の潔さを思うにお殿様に手加減はあるまい。
いやはや、将棋の極めて強いお殿様であった。

※注※
【御差将棊】には棋譜に番号はありません。棋譜順に管理人が番号を付記したものです。
 一部、名前が読めない文字があり ○とした箇所があります。対局譜は年代順にしました。

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