トマス語録7の conjunctive 2001/7/171999/11/06 付けのコラムで、トマス福音書・語録7の荒井献氏の訳文について私見を述べさせていただきました。うれしいことにそれを読まれた方からメールをいただいき、それが大変興味深い中身でしたので、今回は、今までと少し趣向を変えて、その一部をご紹介させていただくことにしました(書かれたのは、小山さんという方で、エジプト語およびコプト語を学んでいらっしゃるそうです。メール内容のホームページへの転載につき快く許可していただいたこと、感謝いたします)。
<以下は小山氏のメールの主部です。字下げ・改行位置を変えさせていただいたほかは、すべて原文のままです>
ナグ・ハマディ文書 第II巻(岩波書店)の荒井訳では最初の言葉が、
「人間に喰われる獅子は幸いである。そうすれば、獅子が人間になる。」
となっているのですが、ここで「そうすれば、獅子が人間になる。」と訳されている部分は、コプト語原文では conjunctive と呼ばれる文型で記述されているのにふと目が止まりました。
細かな説明は置いておくとして、要するに文法的にはこの部分のみを独立した文で訳すのではなく、前にある文(荒井訳で「人間に喰われる」に相当する部分)とセットにして、名詞文の主部である「獅子」にかけなければならないのではないかと考えたわけです。
もしそうであるならば、原文を直訳すると
「人がそれ(獅子)を喰って、その獅子が人になる獅子は、幸いなものである。」
になるかと思います。
コプト語と日本語の語順や構文の違いで複雑な訳文になってしまいますが、そのあたりを整理して荒井訳に近づけて意訳すれば
「人間に喰われて、人間になる獅子は幸いである。」
となるでしょう。
それに対して、次のセリフに含まれている「獅子が人間になる。」の部分は、原文では Futur I の文型で記述されているため、独立した文として訳すことが可能です。
ちなみにラムディンの英訳は、
Jesus said, "Blessed is the lion which becomes man when consumed by man ; and cursed is the man whom the lion consumes, and the lion becomes man."
となっていて、この両者の訳し分けがなされているものと思います。
<以上、引用終わり>
僕<cherubino>も、初めの「獅子が人間に<なる>」の動詞の形と、2度目の「獅子が人間に<なる>」のそれが違うことは、このサイトの下記のコラムや Coptic Circle でも紹介されている「Introduce Coptic Reader(Lance Eccles, DunwoodyPress, 1991)」というコプト文法の副読本で知っていたのですが、それが小山さんのご指摘のように、文型全体に大きく影響を与えるとまでは、正直考えていませんでした。既存の翻訳などでも、この点をふまえた訳はあまりなく(邦訳・英訳とも)、非常に興味深い新解釈と思い、ご紹介した次第です。
参考までにこの「Introduce Coptic Reader」では、この語録7について次のように書かれています。
初めの「獅子が人間に<なる>」という部分;
「The conjunctive has the sense of and (here it is reinforced by "AUW"), and takes its tence from the preceding verb.」
2度目の部分;
「This time the future is used instead of the conjunctive.」
僕の場合、以上のような解説がなされているのを見て、何となく納得していただけでした。
ちなみに「conjunctive」とは、一般には「接続法」と訳される語法の一種で、例えば新約ギリシア語の文法書などでは、「直接法が、あることを事実として述べるのに対し、未来への予想・意図・期待・可能性などを述べるのに用いられる。」などと解説されることが多いようです(引用は、「聖書ギリシア語入門」野口誠・著、いのちのことば社、1990 から。蛇足ですが、接続法自体は、ドイツ語・フランス語など多くの言語の文法にある概念みたいです)。
小山さんからいただいた情報によれば、『conjunctive という文型の性質は、実はコプト語のみならず、その祖先であるエジプト語についても、ようやく最近になって明らかになってきたというのが現実です。
ですから、今回の私のコメントも別に「新解釈」というものではなく、新しい考えを取り入れて訳出してみたというだけのことなのです。』とのことです。
トマスには、語録7意外にも、この conjunctive は使われていますし、これらの事項に関してご意見・情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、お気軽にメールあるいは掲示板でもお知らせいただければ幸いです。
ナグ・ハマディ文書の批判完全版 The Coptic Gnostic Library 2001/7/15やや旧聞に属する話かもしれませんが、コプト語版「トマス福音書」を含むナグ・ハマディ文書のコンプリート・エディションが、5巻本のPaperback で reprint されています。
このセットは、当ページでも何度も紹介させていただいた荒井献氏らよる「ナグ・ハマディ文書(岩波書店)」全4巻でも、「原則として翻訳の定本としている(同シリーズ第II巻, p.326, 荒井氏)」とされる「Nag Hammadi Studies」シリーズ14 volumes をコンパクトにまとめたもの。
ちらしによれば、「This complete set in paperback costs US$ 495.- 」であり、もとの版に較べ「A saving of US$ 1.500.-!」と大変リーズナブルな値段設定であることをうたっています(ただしこれは、2000/9/1までの Special introductory offer となっていますので、ご注意!今日現在の「アマゾン価格」は、US$ 495 以下でした。念のため)。いずれにせよ、ナグ・ハマディ文書の全容を知るには必携と思われる双書ですので、ボーナス時の今、興味のある方は注文されてみたらいかがでしょうか?宣伝するわけではありませんが、Amazon.co.jp なら日本語注文可能だし、多分、2週間程度で送ってくれます。
トマス福音書についていえば、荒井氏の最新訳の載せられた「ナグ・ハマディ文書II(岩波書店、1998)」でも、ギョーモン等による校訂本(下記のコラム参照)を底本にしながら、今回はこの「Nag Hammadi Studies」シリーズを「十分に検討の上、私訳を作製した(前掲書、同ページ)」そうです。ちなみに、このなかでトマスのコプト語本文の校訂は、Bebtley Layton、英訳は、Thomas O. Lambdin、解説は、日本でも有名な新約学者・Helmut Koester が担当しています。
僕がこれを手に入れてうれしかったのは、トマス福音書のギリシャ語バージョン断片である「オクシリンコス・パピルス1, 654, 655 」のギリシャ語批判本文(Harold W. Attrige 校訂)が参照できるようになったことです。邦訳としては、次の2種、
「聖書外典偽書6 新約外典I」(松永希久夫・訳、教文館、1976)
「Q資料・トマス福音書」(新免貢・訳、日本基督教団出版局、1996)
がありましたが、もともとのギリシャ語本文自体が「虫食い」部分が多く、翻訳ではコプト語バージョンとの比較などとても望めない状況でした(とはいえ、今までもインターネットでは、オクシリンコス・パピルスのギリシャ語本文を参照できたといえばできたのですが・・・)。
本格的な本文脚注に加え、語句索引なども充実しているこの双書。もちろんトマス福音書研究以外にも、コプト語の一大文献集としても役立つと思います。あと、ナグ・ハマディ写本のファクシミリ版が安く簡単に手に入れば・・・最高なんですけど、それはまたのお楽しみにとっておくことにします。
オックスフォードのコプト語辞書リプリント 2001/6/23「Coptic circle」のサイトを紹介させていただいたついでといっては何ですが、コプト語関係の小さな Good News をひとつ追加します。
コプト語に限らず語学を学ぶには辞書が必要ですが、コプト語に関してはさすがにそれほど多くの選択肢がないようです。以前、Richard Smith 編の「A Concise Coptic-English Lexicon」の第2版が出たときに、別な場所でこれを紹介した記憶があります(「A Concise Coptic-English Lexicon Second Edition : SBL Resources for Biblical Study 35 (Scholar Press,1999)」)。
ただそのときも第1に選ばれるべき辞書としては、W. E. Crum 編による上記オクスフォードの辞書の名前をあげておきました。ただし、この辞書は長らく品切れで、入手困難という状態が続いていました。
ところが、最近、銀座の教文館が出している「KYOBUNKWAN Religion & Philosophy Book News」の 2001 Apr. No.1120 号のなかに、この「Coptic Dictionary」が Sandpiper からレプリントされるという情報がクレジットされているのを見つけました。
早速電話で注文を入れましたが、海外発注扱いになったので、残念ながら実物はまだ手にしていません。担当の方に「確実に手に入りますか?」と念をおしてみましたら、「だいじょうぶです」とのお答えでしたので、ここで紹介しておきます(ちなみに、教文館・洋書部の電話番号を記しておきます>03-3561-8449)。
コプト語関係の日本語サイト、発見! 2001/6/20ここ数年来、ずっと待ちかねていたサイトを見つけました。
これは、個人の方が、『コプト語・およびその周辺の文化を愛好する「奇特な」メンバーの交流の場』として立ち上げたサイトで、コプト語やコプト協会、コプト美術などについて、かなりコアな情報交換が行われています。その名も「Coptic Circle」。
僕はときどき、Yahoo などのサーチ・エンジンで「コプト」という語で検索をかけることがあるのですが、ひとつも引っかからないのが常でした。が、つい数日前に偶然試してみたところ、たまたまこのサイトを見つけて、あまりにうれしかったので、思わず同サイトの掲示板でこの The Text of the Gospels のページからのリンクをお願いしてしまいました(リンクの許可、ありがとうございました)。
ここで「Coptic Circle」のコンテンツを紹介させていただくと、
お知らせ/コプト語について/コプト文字と発音/コプト語文法入門(Sahidic)/コプト協会について(工事中)/コプト語文法参考文献/コプト語テキスト/コプト掲示板/リンク
となっており、日本語でこのような情報にアクセスできるのは、書籍等も含めほとんどここだけと思われます。
コプト語というのは、古代エジプト語の最終の形で(コプト語についての詳しい説明は、このサイトをのぞいていただくとして)、新約聖書関係で言えば、何をさしおいても「トマス福音書」が書かれた言語ということで有名です。
個人的な話ですが、僕はここ数年、トマス福音書に入れ込んでいて、これを原語で読むためにコプト語の辞書やコプト語の文法書(いずれも英語圏のもの)を片手に、いろいろ悪戦苦闘を続けてきました。Nifty のフォーラムなどでも、コプト語の専門家にはお目にかかれませんでしたし、まさに独学の日々・・・それだけに「Coptic Circle」の情報はありがたく、さっそくコプト語の文法入門を印刷してしまいました。
トマス語録7の荒井訳 1999/11/06「トマス福音書」における本文校訂上の問題で、以前からちょっと気になっていた点があり、追加で書かせていただきます。
それは、日本のトマス研究の第一人者である荒井献氏の語録7の訳文の件です。
イエスが言った、「人間に喰われる獅子は幸いである。そうすれば、獅子が人間になる。そして、獅子に喰われる人間は忌わしい。そうすれば、人間が獅子になるであろう」。
実はこの語録の最後は、トマスの原写本(コプト語)では、まったく逆で「獅子が人間になるであろう」になっているのです。わかりやすいように全体を書けば、つまり下記のとおりです。
イエスが言った、「人間に喰われる獅子は幸いである。そうすれば、獅子が人間になる。そして、獅子に喰われる人間は忌わしい。そうすれば、獅子が人間になるであろう」。
ちなみに荒井訳の底本は、ギョーモン等の校訂本(直前のコラム参照)ですが、これを見ると、語録7は「獅子が人間になる」を本文に採用し、脚注の方で「人間が獅子になる」の読みの方が正しいであろうことを示唆しています。
荒井せんせは、これまで、
1) 「聖書の世界」第5巻新約1、講談社、1970
2) 「隠されたイエス---トマスによる福音書」福音書のイエス・キリスト第5巻、講談社、1984
3) 「トマスによる福音書」講談社学術文庫1149、1994
4) 「ナグ・ハマディ文書II」岩波書店、1998
の4種類のトマス全訳を公開していますが、1)のときから、一貫して「人間が獅子になる」を採用しています。
邦訳でいえば、「イエスについての聖書外資料」(F.F.ブルース著、教文館、1981)の川島貞雄訳(これには荒井先生の教示によって、川島氏が書いた批判的訳注付き)が、やはり「人間が獅子になる」。ということは、「Q資料・トマス福音書」(日本基督教団出版局、1996)の新免貢訳(こちらは「獅子が人間になる」)が出るまでは、原文とは逆の読みの方しか紹介されてこなかったことになります。
もちろん、語録7をストレートに読めば、初めの文ときれいに対句をなす荒井式の校訂本文の方が意味がとおりやすいのでしょう。
アーラントの最新版の「シノプシス」(英訳がついてない方のやつ)の付録に、新しいトマスのコプト語の校訂本文がついていて、これの脚注にあるように、「コピイストのエラー」である可能性は十分あります。
しかし、荒井せんせの訳の問題に限っていえば、1)〜3)はともかく、4)では他の語録についてかなり詳しい校訂報告があることを見ても、ひとことコプト語原本では、「獅子が人間になる」でありそれを「人間が獅子になる」と校訂した旨のクレジットがあるべきだと思います。
まあ、トマス好きの方の話の種にでもなれば、幸いです。
Coptic-English Lexicon 1999/10/31「トマス福音書」に代表されるナグ・ハマディ文書は、古代末期のエジプト語で あるコプト語で書かれています。これらのテキストを読む際に、コプト語の辞書が 手もとにあると便利です。
OEDなどの辞書出版で有名なオックスフォード大学出版局から出されていた大 冊、
1)「A Coptic Dictionary (W.E.Crum; Oxford, 1939 - many time reprinted)」
と、その名のとおり、より簡便な
2)「A Concice Coptic-English Lexicon (Richard Smith; W.B.Eerdmans, 1983) 」
の2冊が有名でしたが、残念ながらこれら2冊とも、手に入りにくい状態が続いて いました。
僕も春くらいから、少しトマスの原テキストを読んでいたのですが、肝心の辞書 がないので苦労するところがあり、東京に出張した折などに、銀座の聖書図書館で 2)の「コンサイス・コプティック」を見つけて、少し見せてもらったりしていたのです。
ところが、今年7月になって、「コンサイス・コプティック」の 2nd edition が 出たと知り注文をかけたところ、今週ようやく届きましたのでご紹介します。
ちなみに僕が船便で注文した値段は、6800円ほど。確かかの amazon.com では、 $36.00 だったと思います(8月頃のはなし)。 コンサイスと名乗っているだけあって、語釈の付け方は非常に簡便です(全体で 60ページくらい)。例文や、文法説明などもついていないため、Oxford の「学習英英辞書」やそれに強い影響を受けた日本の英和辞典を見慣れた目から見ると、えらい簡単なつくりやな、という気もしないでもないけれど、それだけに逆にすぐに目的の言葉を探しだせるなど、使いやすいのも事実です。
この手の本はいつまた品切れ状態になるかもしれませんし、もしいつかは「トマ ス」などナグ・ハマディ文書を原語で読んでみたいという人がいたら、今、手に入 れておくべきかもしれません。
※上記1) の Crum さんの辞書の方も、ようやく最新版のリプリントが出たようです。詳細は、このページの 2001/6/23 付けの記事「オックスフォードのコプト語辞書リプリント」を参照。
トマス福音書の古典的校訂本、復刊 1999/4/15日本語で読める「トマス福音書」といえば、荒井献先生の書かれた講談社文庫版「トマスによる福音書」所収のトマス邦訳(のち、岩波版「ナグ・ハマディ文書II」で一部改訂)がありますが、この訳の底本として使われているコプト語校訂本文を収めた古典的な文献が復刊(リプリント)されています。元本は、1959年刊というかなり以前のものであり、その後、レイトン(1989)、フィガー(1991)、マイヤー(1992)などの新しい校訂版が出ており、今ではこの本だけあればすべてOK、とまでは言えないでしょうが、トマスのコプト語本文を知る上での標準本であることは間違いないと思います(英訳もついてます)。
それが、今回のリプリントで、だれでも、しかも非常に安価(3,000円強)に手に入れることができるようになり、ずっと以前からこの版を探していた僕のようなものには、まさに「Good News」でした(実際の発行は去年でしたが、最近やっと手に入れることができたので・・・)。ちなみに、「トマス福音書」の全文は、ナグ・ハマディ文書として発掘されたたった1冊のコプト語写本が知られるのみ(ギリシア語版のごく一部は、オクシリコンス・パピルスとして出土)で、写本のいたみによって文字が欠けている部分や誤記(かもしれない部分)の復元など、本文校訂上の問題が一部あるようです(たとえば、語録33、65、103など)。複数の校訂本の比較は、それはそれでまだまだヴィヴィッドな課題なわけです。
また、荒井先生の複数の日本語訳の比較なども、もちろんけっこうベンキョーになります。弟子の大貫隆さんの書評(「新約学研究」第14号、1986=これはこれで非常に本格的なものです)で突っ込まれた部分の訳文を変えたり、また戻したりとか、そういうこともやはりある・・・
正典福音書などとは違って、まだまだ発展途上というか、画期的な新解釈が生まれる可能性も十分あるというか、そこがトマス研究のおもしろさと言えるかもしれません。
「トマス福音書」のコンコーダンス 1998/08/24 というわけで、例によって本の紹介です。
今回は、この「トマス福音書」のコンコーダンス(コプト語テキスト版)です。
これは、「コンピュータ・ジェネレーテッド・コンコーダンス」あるいは「コンピュータ・バイブル」と呼ばれるシリーズの1冊で、もちろんトマス以外にもあって、教文館の7階でも、新約の書簡など他にも何冊か並んでいるのを見たことがあります。
シリーズ名でもわかるように、語の集計処理にコンピュータを使っています。
現在、私たちが手にすることができる完本の「トマス福音書」は、コプト語のバージョンなのですが、コプト語の表記で使われている文字のうち、英語のアルファベットで代用できない数種の特殊文字については、「T+?」などのようにアルファベットに記号を付したもので代用し、表示しています(しかし、「ノーミナ・サクラ」の上付き線などはついてます)。
項目は、単語単位で、
1)コプト語の単語
2)グリークから借りた単語
3)固有名詞
の3つのセクションに別れて表示されます。
その語を含む語録番号、ナグ・ハマディ文書(第II写本)のページ、および行数のほかに、語の前後にあたる文章もあわせて表示していますので、なかなか便利です。
(すべての語について確かめたわけではないんですが)いちおう冠詞などの機能語も項目にあがっているので、学問的にも信頼できるものと思います。 インクリボンでドット打ちしたもののコピーかなにかを印刷したものらしく、ちょっと印字がかすれ気味で読みにくいのが残念といえば残念ですが、トマス・フアンなら、持っておいて損はないと思います。
トマス情報続き 1998/08/24 翻訳書を紹介したので、ここからちょっと芋づる式に、トマス関係の情報を書いておきます。
■荒井献先生のおかげで、「トマス福音書」の日本語版は簡単に参照できます(文庫本も!)。でも、肝心のトマスのコプト語本文がなければ、トマスを読むことの楽しみも半減してしまいます。
幸い、2年程前に、日本基督教団出版局から、トマスのコプト語本文と、英訳(マルヴィン・マイヤー訳)からの日本語訳(新免貢訳)とを並べて、対訳版として出た、「Q資料・トマス福音書(1996)」という本があります。(原書は「Q-Thmas Reader」PolebridgePress, 1990)。
■ちなみにいくら対訳になっているからといって、さすがに「Q資料・トマス福音書」を見ているだけでは、コプト語を理解できません。というわけで、参考書がほしいところですが、以前、トマスの40語録分について、コプト語本文に英語の逐語訳と詳しい文法説明がついた「Introduce Coptic Reader(Lance Eccles, DunwoodyPress, 1991)」という本が出ていましたが、これは今でも手に入るのでしょうか。もし手に入るなら、絶対買いです。
■また、上記のマイヤーは、米HarperSanFranciscoから、やはりコプト語の新校訂本文と、自身の英訳を対訳した本(「The Gospel of Thomas」1992、2色刷りのきれいな本です)を別に出していますし、英訳はインターネットのトマス福音書専門のHomePageでも公開されています(こちらは、ステファン・パターソンとの共訳と、クレジットされてます)。
ここには、有名なトーマス・ラムディンさん訳のものをはじめ、他の有名な英訳も、複数登録されてます。
■しかも、驚くべきことに、コプト語と英語による「インターライナー」(逐語訳)へも、ここからたどれます(The Codex II Student Resource Center)。 これらは、コプト語用の特殊フォントがなくても閲覧できるように、おおよそ40ほどのGIF画像として登録されています。
■ちなみにこの「Coptic Fonts」、 The Yamada Language Center, Univ of Oregon のサイトから、Windows用がダウンロードできます。
僕は Macintosh なので普通には利用できないのが残念ですが、写本の手書き文字風の、大変、雰囲気のあるフォントです。
※上記のインターライナーは、当初「トマス福音書」のコプト語写本の文字割りを再現した「pages-by-pages」の形のみでしたが、その後、語録ごとにまとめた「saying-by-saying」の形も加わっています。簡単な辞書、コンコ−ダンスなども着き、非常に使いやすくなりました。
トマス福音書の翻訳 1998/01/17まず我が国のトマス資料について、まとめておきます。
とりあえずトマス本文の翻訳(原文はコプト語)ですが、これは何といっても荒井献先生の新旧3種の翻訳が光ってます。
1) 「聖書の世界」第5巻新約1、講談社、1970
2) 「隠されたイエス---トマスによる福音書」福音書のイエス・キリスト第5巻、講談社、1984
3) 「トマスによる福音書」講談社学術文庫1149、1994
ところが最近、発刊された岩波書店のシリーズ「ナグ・ハマディ文書」の第2巻目が確か「福音書」の巻なので、これにおそらく荒井せんせのトマス新訳が載ってるんじゃないかと思ってるんですが、これは未確認です、残念ながら(このシリーズ、昨年末に地元の書店に全巻予約入れてるんですが、まだ原物が来ません!!!)
荒井先生のトマス評価(主として上記 3の文庫本と、「原始キリスト教とグノーシス主義(岩波書店, 1971)」を参照)については、近年のトマス再評価とは相容れない部分もあって、このあたり個人的・心情的にはちょっと複雑なんですが、それでも現在、良質な日本語訳で気軽にトマスが読めるのは、何をおいても荒井せんせのおかげ。僕などは、3の文庫本を2冊買った上に、1冊は保存版にして、もう1冊を仕事かばんに入れっぱなしにして持ち歩いているくらいで、「学術をポケットに」(講談社学術文庫のモットー)ならぬ「トマスをポケットに」というくらいです。
あと、山本書店から出ている「原典新約時代史」の中に、荒井先生による抄訳(114語録中30語録分)が載ってます。
それから英語からの重訳になりますが、これは2種。
「イエスについての聖書外資料」(F.F.ブルース著、教文館、1981)の川島貞雄訳がひとつ(これには荒井先生の教示によって、川島氏が書いた批判的訳注付き)。
それから、トマスの原文=コプト語本文と、英訳(マルヴィン・マイヤー訳)からの日本語訳(新免貢・訳)とを並べて、対訳版として出たのが、「Q資料・トマス福音書」(日本基督教団出版局、1996)です。ちなみに、これは、いわゆる「第3の探求」陣営の成果です(原書は「Q-Thmas Reader」PolebridgePress, 1990)。
※これを書いた直後、上記、岩波版の「ナグ・ハマディ文書」第2巻に載せられたのは、やはり荒井献氏の訳とわかりました。巻末の荒井氏自身の「解説」によれば、3の文庫バージョンの「改訂版」とのことです。