M氏のお見舞い。


富山のM氏が入院したので、K松先生がお見舞いに行ってきたという話を聞いたのは年明けすぐだっただろうか。数年前に大病をしたというのは聞いていたが、その後お会いすることは 一度もなかった。K松先生からM氏をみんなで励まそうというコメントもあり、徳島のS氏と 申し合わせてお見舞いに行くことにした。

正直いって具合がよいわけではないというので、 私なんかが会いに行って迷惑なんじゃないかと思っていましたが、事情を母親に相談したところ、会えないまま再会するくらいなら、会いに行くべきと助言されて、お見舞いに行く決心 をした。手土産とかも悩んだんだが、母親から病人を看護する側の気持ちを説明され、結局は 現金が一番役に立つということになった。


お見舞いの前の日に富山入りして、同じホテルでS氏と合流することになった。前日、仕事の後夕方の新幹線で仙台を出発することにした。職場の同僚に仙台駅まで車で送ってもらった。 車内で同僚に携帯のメールアドレスを連絡先として教えた。このときに結構電車時間がギリギリで焦っていた。なんとか新幹線の時間に間に合い、ホットしたのもつかの間。携帯電話がないおとに気がついた。どこかで落としたらしい。これじゃ、富山でのS氏との連絡が難しい。 前途多難が旅の始まりだ。

まあ、なんとかあるだろう、同じホテルに泊まるのだから。新幹線を大宮で乗り換えて、越後湯沢へ。そこから特急ハクタカに乗りかえる。順調にいけば12時くらいにはつく予定だった。 しかし、そう簡単にはいかなかった。越後湯沢駅に降りると、ものすごい大雪だったのだ。 電車のダイアが乱れてしまっている。これは、S氏に事情を連絡しないとまずいかなあ・・・ と思いはじめた。しかし、ホテルの電話番号もわからない・・・。自宅に電話して、母親に 自分の机の中を捜してもらったが、有効な情報はみつからない。とりあえず、妹の携帯番号 を聞いて、あとはホテルから妹に頼むことにした。

不安な気持ちでようやく富山駅についた。すごい雪だ。さあ、ホテルを探さないと。駅の そばに宿を決めておいてよかった。なんとかチェックインできた。さて、ホテルのヒトに徳島のS氏の部屋電話を教えてほしいと聞くと、なんとまだ到着してない・・・。彼も雪か・・・。彼が着たら、自分の部屋に電話くれるように伝言を頼んでおいた。とにかく、部屋で一息ついて、落ち着こう。それにしても、携帯ないとヤバイことになるね。

しばらくして、S氏から電話が入った。私の部屋で軽く一杯やりながら、明日の打ち合わせを した。まあ、なにか明るい話題を・・・ということで。


駅前からバスにのり病院まで移動。雪景色がつづく。どんな顔で面会したらいいか考えて いるうちに、病院に到着。大きな病院なので、結構歩く。ナースセンターで面会を申し込んで しばらく待っていると、M氏の奥様が迎えにきてくださった。現状をいろいろと説明して もらった。面会に来たひとにみんなにこのような説明をするのは大変だろう。かなりお疲れの 様子であった。

病室に入ると、細くなりすぎたM氏が出迎えてくれた。自分の名を名乗り挨拶すると、 認識してもらえたようだ。言葉を発するのも結構大変なようすで、奥様を通じた言葉の やり取りを少しした。聞くほうは問題ないそうなので、M氏のご両親に挨拶して、いろいろと 話をした。M氏のご両親は、仙台の郵便局員の息子、ってことで私を認識してくれたようだ。 大分前に、徳島の学会まで仙台から車でM氏とS氏と一緒に行った帰りに、M氏の実家に 一泊させていただいたことがあった。そのときのことを思い出してくれたようだ。 あのときは突然の訪問にもかかわらず、よくしていただいてありがとうございました。

近況の中でも明るい?話題を話した。あまり長居するとM氏も疲れるだろうから、そろそろ 失礼することにした。午後は、金沢のS氏らもお見舞いにくる予定なのだから。それにしても、M氏のご両親は大変驚いておられた、”K松研ってのはいったいどうなっているのか? こんなにみんな連絡を取り合って、全国からお見舞いにきてくれるなんて・・・”と。 そうゆうK松研の雰囲気を作り出していたのもM氏の人柄あってのことだろう。

帰りのバスの中でこれからの闘病を思った。駅で別のS氏とT氏と合流。昼飯を食いながら 情報を伝えた。午後は彼らがお見舞いにいく。お互いが合うのも久しぶりなので、近況に ついて話をした。みんながんばっているみたいだ。食事をスマセテ、病院行きのバス停まで 同行すると、金沢のS氏とUW先生もいた。あとは、よろしくお願いします。

徳島のS氏とも別れて、また一路仙台へもどる旅だ。帰り道のことはほとんど思い出せない。 M氏の回復を祈りながら、自分の今後についてでも考えていたんだろう。 まあ、長旅で眠っていたことは確かだろう。