M氏をしのぶ会。


ついこないだお見舞いに行ったばかり。闘病生活を送っていたM氏が亡くなられたと、連絡が来た。 ある程度の覚悟はしていたが。現実を突きつけられた衝撃はあった。仙台在住の関係者と連絡を とった。OMさんにも連絡した。


仙台から富山へ朝一番に出かけることにした。仙台駅のホームで、髭魔人氏とSS氏とHHさん と合流した。新幹線を大宮で乗り換えて、越後湯沢へ。そこから特急ハクタカに乗りかえる。乗り継ぎのいい列車を選択して、5時間程度かかる。お昼には富山に到着できる予定。SS氏とHHさんと顔を 会わせるのも久しぶりである。道中、昔話をするが・・・。

富山駅到着。前回は深夜だったが、今度は昼間の景色だ。富山ってこんなところだったんだ。 まだ、会場に行くにはちょっと早いので、早めの昼飯を食べることにした。髭魔人氏から、M氏 が亡くなられる前に、”富山に来たら絶対に白海老丼を食べるように”と言われていたと聞く。 それは遺言のようになってしまったが、M氏の勧めに従い、白海老丼を食べに行った。定食の セットを選択。白海老丼と白海老の刺身までついている。たしかに、うまいですよ!!

しのぶ会の会場に移動。ちょうど、岩手のSG氏が受付で、”なんでこんなことになちゃうの〜”と 大きな声で嘆いていた。みんな同じ思いである。SG氏は私が学生時代に仙台に来ると、M氏の家に 泊まったりしていた。そのとき家が近かった私もよく一緒にM氏宅で一杯やったりしたものです。 当時はSS氏もM氏の近所に住んでいたっけ。ハホ山チームだった。そんなことを思い出した。

控え室で待つ。古い研究室のメンバーもぞくぞくと集合していた。


会場にはM氏が好きだったというマラーの楽曲が流れていた。会が始まった。M氏のゆかりの人たちが大勢あつまっている。K松先生や髭魔人氏、学生時代の友人など のお別れの挨拶が読み上げられた。K松先生もコラエキレズ泣いてしまっていた。

ふと思い出した。あれは山梨に学会で出かけたときだっただろうか。私にとては学会デビューの時 だった。M氏とK松先生と同じ部屋で布団を並べて寝ていた。緊張もありすぐにはネツケヅ布団の中 デ起きていた。M氏にK松先生が話しかけていた。話の全体はもう忘れてしまったが、記憶に残って いるのは、つぎの言葉だ、”・・・M君は論文書くまでは嫁さんはまだだな・・・”。研究者の 厳しさをなんとなく感じた。M氏が結婚したのはそれから、10年後のことか・・・。もちろん論文はとっくに書いてあったです。

会は粛々と進行し、私も祭壇に行き、献花して最後のお別れをした。K松先生とM氏のお母さん が話をしていた、M氏は短い時間の間にするべきことを全部していってしまったのだと。 まるで”吉田松陰”だと・・・。


終了後。会場の前でOBが集結していた。このまま解散というわけにはいかない。OB+有志で 思い出話を語り合うことにした。なつかしい面子ばかりだ。一人づつ挨拶がわりに近況報告を した。みんな?波乱万丈の人生だ。今のこのような我々の状態を誰が予測できたというのか。

OB会のような感じになったことだし、参加者の連絡先やメールアドレスのリストを作った。 K松研ネットワークの整備をし、これにて散会。この時間じゃもう仙台には帰れそうにない。 もともと日帰りか一泊するかは決めてこなかったんで。その場の雰囲気で決めることにしていた。 お見舞いのときに泊まった、ホテルに行ってみた。無事宿泊可能になった。そうゆうことで、 K松先生と残った有志で飲むことにした。

居酒屋で飲んで、何を話したのかもうわからない。その後また、次の店でまた飲んだ。そうとう 酔っていたんだろうが、村民のKP氏と”ヨサコイ祭り”について議論を戦わせたのだけ覚えている。 まあ、毎度毎度のパターンだが。M氏もアキレテイルだろうか。

店を出て。雨が降っていたような記憶がある。最後にカラオケ屋に行った。M氏がいたころのように、 だいたいみんなオナジミの曲を歌った。みんなで歌いまくりました。


ホテルに帰って寝て。翌朝,一人で早めに仙台に出発した。さようなら。仙台に帰ります。 現実世界に戻ります。いっぺんM氏が仙台で住んでいたアパートを見に行かないと、という 気がした。近所なんだから。K松研があった研究所の前を通るとき、5Fのあたり を見てしまう。研究室は変貌してなくなってしまったけど、あの雰囲気は一生忘れないでしょう。

M氏の残された家族が安心して生きていけますように。