旅立ち






天を仰ぎ、祈りを捧げる。龍神は、愛しき『巫子』に深い深い情を注ぐ。

龍神に愛される『巫子』を皆が、守り、育み愛した、崇めた。

そして・・・縋った。



――田畑が枯れてしまう。雨を、雨を降らせて下せえ・・・っっ!!

――安心しなさい、大丈夫。雨は、必ず降りますから。

『巫子』の柔らかな笑顔と優しい口調に荒れた心は、とても癒され和んだ。そして、言葉のとおりに雨が、降った。十日ぶりの雨。

龍神に愛される『巫子』を己の命に代えても守らなければ―――。

・・・守らなければ・・・。

守って行かなければ、ならない。

――どんなことが起きようとも、『巫子』を守り続けなければ・・・。





 1





全身が、痛覚を無くし麻痺しているようで、自身が鉛のように重く感じられる。灯り一つ無い深い深い闇の中をただひたすらに在るものを目差して駆け抜ける。十数人を一度に相手にした割には、怪我は少ない方だと思う。執拗に追い縋って来る黒装束の男たちは、容赦無く白刃を四方八方から閃かせ急所を確実に突いてくる。

『殺せ』と、ただそれだけ。

自分としては、容易に殺されてやる義理はない。そのつもりで向かって来るというのなら、それなりの覚悟をしてもらいたいもの。

在る人から頼まれていることだから。こんな処でなんて、死ぬわけにはいかない。

――守り抜かなければならないものが、自分には在るのだから。

息が上がる。失血している所為で目の前が、大きく弛む。足元がおぼつかない。意識を手放してしまいそうになる。

「――確か、あの木の根元に・・・っ」

黒装束と遣り合っているうちに随分遠くまで行ってしまったらしい。

気持ちが、急く。

心細く独りで自分の帰りを待っているに違いない。

『光』の無い世界で独り・・・震えているに違いない。

そして――ようやく辿り着いて、絶句する。――いない、などと・・・。

「―――っ」

名前を呼ぶ訳にはいかない。何処に奴等が、潜んでいるのか解らないから。独りで動けるはずがない。

――探さなければ。

心臓が、ギリギリと軋むようで、全身が悲鳴を上げているけれど――けれど、駆け回るしかなかった・・・。







昼間から何もしないで縁側で独り、きせるを燻らせる男に、ぬいは、小さく息を吐いた。男は、自分の兄である
犬田小文吾梯順の友人で犬飼現八信道という。早くに両親を亡くし、親しいものがいなかった彼を我が子同然に自分たちの親は、育てた。見目の良い容姿は、とても人目を惹くけれど本人は、全くという程そんなことには興味もなく、きせるを燻らせて庭先を眺める怠惰な毎日を過ごしていた。こんな穏やかな姿しか目にしない自分にとっては、兄の科白は少々信じられないものがある。兄と一緒に彼は、街の道場に通っていた頃、彼の腕っぷしの強さに右に出る者がいなかったという。剣の腕前は、天下一品だと、兄が我がことのように自慢していたのだった。


「――現八さん、ゴロゴロしてないの。カビが生えるわよ?」

「ハイハイ。それより、あの別嬪さんは、目を覚ましたのか?」

紫煙を立ち昇らせて現八が、尋ねた。問われたぬいは、手にしていたたらいを持ち直し、首を振った。

「・・・そうか・・・」

再びきせるを口に咥え、庭先に視線を戻した。ぬいは、何も言わずに目の前の部屋の戸を引き、中に入って行った。陽光を適度に抑えてうすぼんやりとした部屋に死んだように眠る一人の少女が、いた。
黒い鴉の濡れ羽のような艶やかな長い髪に、紅をひいたような紅い口唇に、白皙の面に、細く華奢な肢体に――。少女は、昨日の夕方から丸半日眠り続けている。ぬいは、固く絞った手ぬぐいで少女の顔を丁寧に拭いていく。その時、微かに目蓋が、動いたような気がした。少女の顔を覗くと―――。

「――現八さん!!目を覚ましました、起きましたよ!父さま、兄さま、来て下さい!!大八、二人を呼んで来て頂戴っっ」

「――大丈夫なのか?」

戸を開き、開口一番に現八は、眠りから覚めた少女に尋ねていた。その後に続いてドタドタという床を踏み締める音が届いた。








 2







輝きの無い鉛のような暗い双眸が、自分たちに注がれる。その瞳は、何ものも映してはいない。ただ、暗闇が在るばかりで、『光』を失った双眸は、何も無い空を彷徨うだけ。その瞳だけが、少女の艶やかな容姿と遠く掛け離れた印象を与えた。大勢の気配と注がれる視線を強く感じ、少女は、微かに身体を震わせて肩を竦めた。小さな身体が、より一層小さく目に映る。

「――娘さん、安心しなせぇ。わし等は、何もしやしませんよ。森の中で独りで倒れているのをわしの娘と孫が、見付けて、わし等でここに運んだのですよ。なかなか目を覚まさねぇので、とても心配しましたよ、いや全く」

小文吾とぬいの父親――古那屋文五兵衛が、やんわりと事の次第を語って聞かせた。少女は、声の主の方に視線を投げると小さく頷いた。同時に長い黒髪が一房サラリと顔に零れた。

「ぬい、何か身体にいいものを作ってきてくれ」

「はい、兄さま。大八、大八は、大人しくしているのよ」

幼い息子にそう釘を刺して、ぬいは、台所へと姿を消して行く。残った男たちは、所在なげに身体を起こしている少女に再び視線を戻した。身なりの小奇麗さや質の良い羽織、大事に育てられたと思われる傷一つ無い綺麗な手、そして――少女と共に在った剣。

名など知りようもないが、それが、名匠が鍛えた名刀の一つであろうことは一目見て、断言できる程、素晴らしいものだった。
そんな何処かの姫かもしれないこの少女が、何故に暗い森の中に倒れていたというのか。捨てられた訳ではあるまい。それは、はっきりと違うと言い切れる。何故なら、少女と共に在った剣は、抜き身で地面に突き立てられていた。まるで少女を守るように――実際にそうであったのだが。
森に小枝を拾いに行ったぬいと大八。大八が、木の根元に人が倒れていると指差した。ぬいには、何も見えず、木の根が人の形に見えたのかと笑った。しかし、大八は、「ちがう」と言い切り、母の手を引いてその場所まで連れて行き、指を差した。それでもぬいには、何も見えず、木の根が在るのみ。痺れを切らした幼子は、何かに手を掛けた。その瞬間――何も無かったはずの処に一人の少女が、横たわっていたのだ。驚いて口をあんぐりと開けているぬいは、息子が、抜き身の剣を握っている姿に更に驚きの声を上げたのだった。



『――この剣は、この娘さんを守る
〈護り刀〉なんだ。人目から娘さんを避ける為に結界を張るとは・・・』
文五兵衛は、この世には、まだまだ不思議なことが在るものだと感心していた。

「娘さん、あんたさんの名前は?わしは、古名屋文五兵衛。村の庄屋をしているものです」

「・・・」

少女からの返答は無い。じっと声がした方を見つめるのみ。一つの気配が、動いたことに少女は、身体を強ばらせた。

「・・・現八さん――?」

彼の動きを目で追っていた小文吾は、目を瞠るばかり。現八は、身体をカタカタと振るわせる少女を後ろから抱くように両腕を廻して、少女の右手を取った。色白の綺麗な小さな手だ。

「親父さんは、こう書くんだ。そして、今の声が、『小文吾』。俺が、『現八』で、『大八』だろう。あと、出て行ったのが『ぬい』さんと。――お前は?お前の名前は、どう書く?」

一人一人の名前を右手のひらに指で書き綴る。低く優しい声音に少女は、ほんの少し身体の力を抜いた。

『信乃』

彼の手を探って、自分の名前を指で書いてみせた。

「――そうか、『信乃』か。いい名前だ。お前に良く似合う名前だ」

穏やかにそう言うと、誰もが見惚れてしまいそうな微笑みを浮かべて見せた。しかし、少女には、彼がどんな表情をしたのかなんて解りはしない。

ただ――その声の穏やかさだけは、しっかりと伝わったようだった。









 3









「――愛の力は、偉大だわ!!」

「――は?ぬい、何言ってんだ?」

洗濯物を干しながら、独り言を呟く妹に手伝いをしながら兄は、怪訝そうに聞き返した。

「兄さま、〃あの〃煙草大好き人間の現八さんが、ぱったりと煙草を止めたのよ!!それも、信乃さんの為に!」

大八のふんどしを握り締めて力説する妹をやや呆れた表情で小文吾は、眺めた。

「・・・仕方ないだろう?信乃さん、身体弱そうだし。そんな人の近くでプカプカ、煙草を吸う方が可笑しいだろうが・・・。フツウに考えても・・・」

「そうだけど!!現八さん、いつもと違うし〜。女の勘よ、勘」

相変わらず縁側に陣取っている現八は、少し起きられるようになった少女を膝に抱えて何かを話して聞かせていた。彼の話に時折、笑みを浮かべる少女。その表情・仕草の一つ一つの愛らしさに現八ならずとも心動かされることは必至。それは、それは大事に大事にされてきたはずだ。

「――信乃?」

胸に寄り掛かり静かな寝息を立てる少女に現八は、小さな笑みを零す。

自分を信頼してくれているのか、とても安らかな寝顔に現八は、あたたかな気持ちになる。身体を冷やすことの無いようにと、自分が羽織っていた着物でそっと包んでやった。
起きられるようになったと言っても、一日のほとんどを少女は、眠って過ごしている。食も細く、これでは身体も弱いままで、容易く折れてしまいそうな細い肢体は、変わらない。

何かしてやりたい。

しかし、自分なんかに何が出来るというのか。出来る何かが、在るだろうか。

「おじさ〜ん、こぶんごのおじさ〜ん、じ〜じがよんでるよ〜!!」

「――親父殿が?解った、今行く。大八ありがとう」

「――うん!!」

大きな手が、大八の小さな頭を力強く撫でて行った。小文吾は、洗濯の済んだ籠を小脇に抱えて、屋敷の方へと戻って行く。ぬいは、大八の手を引いて、縁側の方へやって来た。興味深げに大八は、眠ってしまった少女を覗き込んだ。

「また、ねんねしてるの?」

「あぁ、さっきまでは、起きてたんだけどな」

「でも、いっぱいねんねしてるから、ぼくみたいにおおきくなるね!!」

「まぁ、大八ったらっっ」

「――ははは。そうかもな。それより、親父さんは、小文吾に何の用なんだ?大八、知ってるかい?」

大八の科白に声を低くして笑った後、現八は、幼子に尋ねた。

「あのね、じ〜じのところにむらのひとがきてね。『おじさんといっしょにきてほしい』っていってたよ」

村の庄屋の処に村人が来たということは、何か揉め事でも起こったのか。

「兄さまにも来て欲しいなんて・・・また、喧嘩の仲裁かしら・・・?」

ぬいは、これで何度目になるのだろうかと、深く溜息を吐いた。そんなぬいに現八は、

「まぁまぁ、仕方ないだろう?何故か知らんが、この村の連中は、血気盛んな奴等ばかりだからな〜」

と、殊更明るく言ってのける。

 昼食の支度を終えて、父と兄の帰りを待っていたぬいは、戸口を潜った二人の剣幕に臆した。

「――ぬい!!早く、湯を沸かせ!あと新しくてきれいな布きれも出しておけ!薬もいるな、在るもの全部、部屋に掻き集めて来い!?」

「――は、はいっっ」

縺れる足でドタバタとぬいは、駆け出して行った。大八は、そんな肉親の様子を口を開けてポカンと見ていた。

「――親父さん、小文吾どうしたんだ。大きな声を出して―――」

信乃を床に寝かせて現八は、顔を覗かせた。目に映ったものに対して一瞬、顔を背ける。

――これは一体、何だというのか?

全身が黒ずんだ・・・おそらく自身より流れ出た血であろうものと、泥や汗に塗れ汚れた男は、ぐったりとして意識を失い、辛うじて息をしている。生きているのが不思議な程、酷い有り様に言葉も出ない。男を静かに床に横たえ、身に着けているボロボロになった着物を剥いだ。傷の無い処を探す方が難しいと思える程、全身に刀傷が有り、血はもうすでに止まってはいたものの、膿んで腫れ上がっていた。

「――ひでぇことを・・・っっ。ぬい、湯と薬、布切れ置いたら、大八連れて向こう行ってろっっ」

「――は、はい・・・っっ、兄さま。大八、こっち来なさいっっ。早くっっ」

床に横たわる男を一瞥するとぬいは、ぎゅっと目を瞑った。大八を抱え込むようにして部屋を足早に出て行く。

「親父さん、布これだけで足りるか?村中から、ちょっと集めて来るよ」

言うか早いか、現八は、外へ駆け出して行く。

何度湯を取り替えたことか。

何度真新しい布で傷口を拭い、薬を塗ったことか。

時間はあっという間に過ぎ、夜の遅くにようやく落ち着けた。ぬいの横で寝息を立てる大八を起こさないように男たちは、静かにやっとありつけた食事を摂っていた。

「村の者が、森の外れで倒れているあの人を見付けたらしく、あんな有り様だから、誰も近寄らねぇで・・・」

「だから、親父さんの処に村人が来たって訳だ?」

文五兵衛は、酒を飲み干しながら、深く頷いた。そして、妙に静かな息子に視線を投げる。

「・・・小文吾?どうした、やけに静かだな?」

現八も不思議に思い、声を掛ける。








「――ひでぇ有り様だからって・・・親父殿や俺が行くまでほったらかしっていうのが、気に食わないんだ!!」

「小文吾・・・」

組んだ膝の上で拳を握り締める。

昔から、小さな者や力の弱い者に対して、とにかく身体を張って自分の手で守って来た心優しい幼馴染みの大きな背中を現八は、軽く叩いた。
どんな有り様だろうと、怪我人を放って置いていいはずがない。人として、心の有る人間としてそれは、当然のことではないのか―――?

「・・・小文吾・・・村の者をあまり責めるな。皆が皆・・・寛容である訳がないからのう。知らせてくれただけいいじゃないか?」

「親父さんやお前がいたから、あの男は、助かったんだ――な、小文吾?」

荒れた心を鎮めるかのように涼しい風が、一陣、屋敷の中を駆け抜けて行った。








 4








――いい?お前は、随人としてあの方を守らなければならないのよ?自分の命を捨ててでもあの方を守り通すのよ、いい?それが、お前の役目なのよ、解った?

――はい。承知しています。何が遭ってもあの方を守って見せます。

――なら、強くなりなさい。弱さで自分が泣くことのないように、ね?

――はい、浜路さま。



「・・・は、い・・・じ、さま・・・」

自分の声に目を覚ます。全身がとにかく重く、苦しい。生きているだけまだ、ましなのかもしれないが・・・。
自分が今居る場所を確認しようにも身体が言うことを聞かない。ただ、目に映る天井ばかりを仰いだ。控えめに戸の開く音に全神経を集中させた。近付いて来る人影に対して祈るような気持ちだった。

「――あっ。目を覚まされたんですね?良かった!父さま、兄さま、現八さん、目を覚まされましたよ!!」

ぬいは、前回と同様に屋敷の住人を呼び寄せた。若い女の声に引かれて数人の気配が近付いて来るのが、知れた。皆一様に自分の姿を見て、安心したような表情を見せた。自分の身を安じてくれていることが、言外に知れた。

「――助けて下さったのですね?ありがとうございます。私は、犬川荘助義任という者です」

寝たままで申し訳ないと、付け加えた。

「とんでもねぇ。早く、怪我を治して下せぇ。俺は、犬田小文吾です。親父殿に妹のぬい。そして――」

「犬飼現八だ。よろしくな、犬川さん?」

「こちらこそ」

ほんの少し口元に笑みが宿る。自分たちより年若い男は、笑うと余計幼い印象が強くなる。黒目がちな大きな双眸や丸みがかった顎の線が、そう見せるのか。しかし、真新しい傷の間に剣術や体術の鍛錬で出来たと思われる古傷やたこが、外見の幼さとは裏腹で長年の努力を感じさせる。その為なのか、あんなに無数の傷を負っても生きていられたのは。

「げんぱちのおじさ〜ん!!し〜ちゃんがね、ねんねから、おきたよ〜っ」

自分も一緒になって昼寝をしていた大八は、先に目覚めてきょろきょろと、辺りを窺っていた信乃に気付き、飛び起きた。その勢いのままに現八の居る部屋に駆け込んで来たのだ。息子の腕白ぶりに母親としてぬいは、人知れず溜息を零した。

「そうか。知らせてくれてありがとう、大八」

ポンポンと軽く小さな頭を叩いた。ぬいの膝の上を陣取り、大八は、得意げに笑う。立ち上がりながら、現八は、

「ちょっと、信乃の様子を見て来るよ」

と。それに対してぬいが、応じる。

「はい。『少し早いですが、夕食にしますか?』って、ついでに聞いて来て下さいな、現八さん」

あぁ、解ったと、頷こうと口を開きかけたその科白は、急に割り込んだ男の科白に遮られ飲み込まれた。

「あ、あの!!今何とおっしゃいましたか?どなたかの名前を口になさいましたよね!?」

言葉の勢いのままに身体毎乗り出そうとしている男を小文吾が、彼の肩を軽く押さえて押し留める。

「ちょっと落ち着いて下せぇっっ」

「犬川さん、『信乃』っていう名前に覚えがあるのかい?」

探るような視線に荘助は、深く頷いた。あれだけ探し回って見付けることが叶わなかったのだから、藁をも掴む思いだが、少しでも手懸りを掴みたかった。早く、探し出して傍にいて守らなければ――。

「私は、その方と一緒に旅の途中で・・・森の中で逸れてしまって。お一人では、動けぬはずなのです・・・その、目が不自由な方ですので・・・」

「―――っ!!」

荘助以外の者の目が、大きく見開かれた。視線を交わし合い年長者の文五兵衛が、口火を切った。

「犬川さん、貴方様が探しておられる方なら、我が家で休んで居りますよ。先日、森の中に倒れているのを娘と孫が見付けまして、お連れ致しました。お身体には変わりございませんよ」

それを聞いて荘助は、心底ほっとしたのか、黒目がちな双眸を微かに潤め、一度、強く目を閉じた。そして――。

「お二人のどちらの方が、見付けられたのですか?」

視線を上げ、問い掛ける。父の代わりに今度は、小文吾が、応じた。

「甥っ子の大八です。大八が、木の根元に人が倒れているのを見付けたんです。ぬいは、さっぱり解らんようでした」

ぬいは、苦笑し、大八は、「えっへん」と胸を張った。

「――そうですか。あの、信乃さまを連れて来て頂けませんか?そろそろ・・・札の効力が切れる頃なんです。お願いします」









「――あ、あぁ。解った。・・・詳しい話は、聞かせて貰えるのかな?」

荘助の顔を見下ろしながら現八は、尋ねる。男は、静かに目を閉じて頷いた。その表情は、先刻までの幼いと思っていたそれとは、全く別のもの。

とても、とても大人びていて――。








 5









現八に抱きかかえられる形で信乃は、部屋にやって来た。普段よりも青白い表情が、とても気に懸かる。小文吾の手を借りて上体を起こした荘助は、少女の姿を見るなり、厳しい顔付きになった。

「――信乃さま、苦痛でしょうが、もうしばらくお待ち下さい。すぐに用意を致しますのでっっ」

次第に呼吸の乱れが生じ始めた信乃の白く細い手を握り締める。抱きかかえている現八も何事なのかと、信乃を見つめ、うろたえた。

「犬川さん!!信乃は、信乃はどうしたんだっっ!?」

「――詳細は、後ほどに。とにかく、信乃さまのこの苦痛を鎮めなければならないので!!火と、何か小鉢を用意して下さい。急ぎでお願いします」

「は、はいっっ」

ぬいは、バタバタと部屋を出て行く。今から何が、起きようとしているのか。妙に静まり返った部屋の中に、信乃の乱れた息遣いだけが、響き渡る。時折、苦痛に顔を歪める少女を現八は、ただただ・・・強く抱き締めることしか出来ない。気持ちだけが、とても急いていた。
身体の痛みに耐えながら荘助は、自分の荷物より朱色の札を取り出した。目にも鮮やかな朱色のその札には、見たこともない文字が一面に綴られていた。何かの呪いに使われているものなのか。荘助は、火の燈る蝋燭に札の角を近付け、それに火を点ける。火は、あっという間に全体に燃え広がり、朱色の札を真っ黒な灰に変えた。舞い上がった灰を手で受け取ると小鉢に取って、白湯を注いだ。灰が混ざった濁り水を荘助は、少女の前に差し出した。

「――犬飼さん、この水を信乃さまに飲ませて差し上げて下さい。そうすれば、今のこの症状は、次第に落ち着きますので」

「・・・解った・・・」

荘助から小鉢を受け取り、現八は、それをしばし見つめた。そして、自身でその濁り水を煽り、変わらずに苦痛に苛まれている信乃の口を自分のそれで塞いだ。喉元が、ゆっくりと上下する。嚥下を確認してからそっと口を放し、現八は、不安げに自身の腕の中に居る少女を見つめた。先刻より幾分か、呼吸がましになったように思われる。顔にも若干、赤味が差して来たようだ。

「これで暫くは、大丈夫です。ありがとうございました、本当に助かりました。改めて御礼を申し上げます」

荘助は、深々と頭を下げ、謝意を述べた。









新たなお茶が用意され、それを片手に荘助は、自分たちの身元を男たちに詳しく語った。

信乃―が、『龍神の巫子』であり、その身体の内に龍神を宿していること。

その龍神を抑制する為に必要な『神眼』と『言霊』を何者かに奪われ、今の――盲目、口の利けない状態になったこと。

『龍神の巫子』を守る者たちが、荘助自身を除いて全て殺されてしまったこと。

荘助は、信乃を連れて追手より逃れて今から占師の婆の処に行く予定であったこと。

安定した呼吸を繰り返す信乃を床に横たえて、皆は、静かに守り人の話を聞いていた。

「――先日も追手の気配を感じたものですから・・・信乃さまを結界内に残して。振り切って戻ってみたら、信乃さまが居なかったので・・・正直、とても焦りました」

小さく笑った。安心から出る笑みだった。

「『結界』と言ったが、やはりあの剣の力なのか?」

現八は、大八に持って来させた剣を指差して尋ねた。荘助は、深く頷きながら剣を受け取った。剣の柄を握り、それをスラリと抜いて見せた。水滴が迸るような研ぎ澄まされた白刃が、鋭利に光りを帯びた。

「・・・これは、『村雨丸』といって、代々巫子を守って来た名刀です。この剣の持つ力で巫子を守る結界を張るのです。この中に居ると巫子の姿は、外界より見えなくなります。常人には、決して見えるはずのない力で護られている訳ですが・・・」

一度話を区切ると荘助は、大八を見据えた。当の本人は、何事だときょとんとしている。

「――巫子の守護者・・・『随人』に撰ばれた者たちは、結界の力を察することは出来ますが、はっきりと、その存在を見える者は居ません。私も見えますが・・・大八君は、もしかしたら、私と同じ――『楔』なのかもしれません・・・」

「―――『楔』っっ!!」

驚愕が生まれる。その中で一番、驚いているのは少年の母親であるぬいだ。確かに、自分の息子は常々、不思議な子供だと感じていたのだ。

「・・・あの、あのぅ・・・『楔』とは何なのでしょうか?大八は、大八は、何か大それた力を持っているのでしょうかっっ」

幼い我が子の身を安じ、ぬいは、荘助に詰め寄った。誰もが母親としてのぬいの気持ちを痛い程に理解出来た。

「・・・大八君にどれだけの力が備わっているのかは・・・私には解りません。でも、『楔』になれる者は、この世に数人だけだと聞いています。その力は、計り知れない・・・とも・・・。それは、荒ぶる神と化してしまった龍神を・・・巫子を殺す為に必要な力だからでしょうが・・・」

言葉が、掻き消えるように空に溶けて行く。黒目がちの大きな双眸が、哀しげに伏せられた。

『随人』――は、龍神の巫子を守り、支えていく者。

『楔』―――は、荒ぶる神と化してしまった龍神を、神を宿す器である巫子を殺す者。

その相反する役目を負う彼の心は、一体、どんなものだろうか。いつも、いつも・・・ずっとずっとその痛みを抱えて行くのだろうか。

「――それは・・・『楔』であるか否かは、それだけで解るものなのか?」

現八の言葉に荘助は、村雨丸を鞘に戻しながら、それを目の前に差し出した。

「『楔』は、この村雨丸を容易に抜ける者です。巫子を守り、殺す剣を扱える者です」

「―――っ」

皆が、瞠目する。

村雨丸の柄を右手で握り締める。そして、のろのろと左手を鞘に掛けた。

――村雨丸・・・龍神の巫子を守る剣。そして、龍神の巫子を殺める剣。

信乃を殺す・・・剣・・・。

大切に大切に守っていきたい愛しい人を――殺める・・・殺める剣を扱える者が、『楔』―――。

「――現八さんっっ!!」

――信乃・・・これから先、『生』も『死』も一緒のようだよ・・・?









 6








古那屋文五兵衛は、渋面を作り、事の次第を見守っていた。現八を初め、息子の小文吾に孫の大八まで、皆が皆、容易に村雨丸を抜刀して見せた。自分や娘は、全く歯が立たなかったというのに。この世に数人しか存在しないはずの『楔』が、この場所に四人も集まっていた。

「――これは、業なのかのう・・・。こうなる宿命だったのか・・・」

「・・・父さま・・・」

力無くぬいは、父親に縋った。

その夜は、長く重たい静か過ぎる程の沈黙の闇の世界だった。柱に上体を預け、現八は、何も無い闇夜を仰いだ。今の心の中のようだと、独り言ちる。

「・・・信乃・・・お前が、そんな大それた存在だなんて・・・考えもしなかったよ。・・・それに、自分が、お前を殺す数少ない存在なんてさ。なんとも、可笑しな巡り合わせだな」

自嘲ぎみに口元を歪めて小さく笑う。目の端に動くものを捉えて現八は、ゆっくりと振り返った。

「――それが、巫子である存在の証なのかい?」

灯り一つ無い暗闇の中にほの白く輝きを帯びる信乃を現八は、畏敬と感嘆の目をして見据えた。信乃は、声のした方に両腕を伸ばした。

――それは、現八を・・・自分を包むぬくもりを求めるかのようにしっかりと伸ばされた。

応じる腕に信乃は、安堵の笑みを浮かべる。その微笑みに現八は、抱き締める力の強さを増した。

「――信乃・・・俺は、お前を殺す存在らしい・・・。それでも俺に微笑んでくれるのか・・・?」

男の物悲しい囁きに信乃は、頭を振った。そして、現八の右手を取ると、

『信乃は現八のことが心の底から大好きです。ずっと傍にいたいです』

綴り、艶やかな一輪の花のように微笑んで見せる。

「ありがとう、信乃。俺もお前のことが、とても大切だ。だから、殺すんじゃなくて、ずっと守ってやる存在になるよ」

ほの白い小さな輝きが、大きな影に覆われた。それは、まるで満月の白い光が欠けて行く月蝕のようで、重なり合う二つの影は、密やかに闇夜に堕ちて行った―――。

神域を犯すことに何の躊躇いも後悔もなかった。

ただ――。

愛しい人の肌に触れて、愛しい人の全てを手に入れたかっただけ。

その強い願いだけだ。

泣き濡れる愛しい人の名前を呼んで、人肌のぬくもりを感じて、お互いを深く求めたかった・・・ただ、ただ・・・、求めたかった―――。

細く白い肢体を胸に抱きながら、乱れた黒い艶やかな長い髪を指で梳いて行く。

「・・・信乃、俺も一緒に占師のお婆さまの処へ行くよ。ずっとずっと、お前の手の届く・・・触れられる処に居るから」

濡れた光の届かない双眸を微かに揺らして信乃は、自分を愛して求めてくれる男に深く頷き返した。

――これから先・・・何が起ころうとも、起きようとも・・・生きて、愛していきたいだけ。







旅立ちの朝――。

赤く腫れた目を隠しながらぬいは、五人分の弁当を兄に手渡した。荘助の怪我が癒えて、ようやくの出発である。あれだけの怪我を負っていながら数週間で治癒してしまっているのは、荘助の術者としての血の所為なのか。それでも、荘助は、

「私は、まだまだ半人前の『札使い』です。信乃さまに使ったこの前の札も私が作ったものではないんですから」

と、苦笑していた。

現八が、荘助に同行を申し出た翌日に、小文吾も共に行くことを願い出た。大八も、「ぼくも、し〜ちゃんとおじさんたちといっしょにいくよ!!」と、大騒ぎになり、母親と祖父の大反対を押し切って、とうとう大八も一緒に行くことになったのだった。

「大八、いい?小文吾伯父さんや現八小父さんたちの言うことをきちんと聞くのよ?あっちこっち歩き回っちゃダメよ?変なものを拾ってはダメよ?それを口にしてもダメよ?いい、ちゃんとちゃんと身体に気をつけるのよ?」

目をうるうるさせて、ぬいは、大八を抱き締める。

「だいじょ〜ぶだよ、おか〜さん。しんぱいしないでよ」

少年は、快活に笑うとポンポンと母親の背中を叩いた。

栗毛の駒に大八と信乃を乗せ、静かに馬を引きながら、『楔』という業を負った若人たちが、一路、占師の婆の住む庚申山へ向かった―――。

新たな『楔』との出会い。

これから先の未来。

それら全てを知る占師の言の葉。

庚申山で自分たちを待っている――。







――君を守るか・・・それとも、

狂った君を殺すか・・・。









     続。




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