第3章 お互いの時計が遅れることを図示する
質量が増大する話の裏話に行く
<<お詫び と 改造>>
この章の「3−1) ホ−ムペ−ジの憂鬱」は我々のスタンツに違反し、かつ読者に不愉快な思いをさせる表現があるので、全面的に取り消させていただきます。変わりに同時性の相対性と長さが縮むことと、裏でつながっていることを載せます。
当時(平成11年4月頃)既成の相対論に絶望しながらも一矢を報いるべくHPを立ち上げました。相対論に疑問を持つ人はかならず居り、さかんにHPを作っているはずだからリンクを頼もうと熱望していました。その検索結果がわずか5件、しかも既成のHP版でしかない。本当に深く絶望しました。しかし恥ずかしながら実は検索と言うほどではなかったのです。イエロ−ブックに載っているHPを見ただけのこと。まだナビを使いこなせない時のドジだったのです。
例えて言えば 甘党の店で辛いカレ−を注文するようなもの、イエロ−ブックの何かは知らないけど載せて良いなとする規準で相対論は疑問だとするHPは載らない確率が高いわけですから既成の相対論のHP版だらけになるのは当然です。そのためひどい文章を書いてしまい、不愉快な思いをさせて申し訳ありません。お詫びします。
なお 「ホ−ムペ−ジの憂鬱」を取り消すことで関連するちょっと一服の「ワンパタ−ンの巻」も一部修正し、「ワンパタ−ンの巻VER2」にいたします。
ちょっと一服は第3章より本文に密着した話題が多くなりますので、これにて「ちょっと一服VER2」は終了いたします。
例によって数式はイヤダ、苦手だ、分からないと言う方はちょっと一服「ワンパタ−ンの巻VER2」からお読み下さい。
目次
3 お互いの時計が遅れることを図示する
3−1) 同時性の相対性 他
A)同時性の相対性と言うこと
B)長さが縮むということ
C)同時性の相対性と長さが縮むことはリンクしている。
3−2)「お互いの時計が遅れると言うこと」
A)混乱
B)数学上の解決
D)観るということ
3−3)双子のパラドックス
A)若いのは兄だ & 意見募集
D)速度変更の回数を増やし、1回あたりの速度変化分を減らしてゆく。
3−5)光速度に近い速さでの旅行の考察
a)地獄に落ちる話 b)1年間落ち続けると c)落ちるのではなく
d)我々が光速度に近い
3−6)この章の終わりに
通して呼んでいただきたいのですが、各項目へジャンプも出来ます
(番外)ちょっと一服 少し疲れたらお読みください
3−1) 同時性の相対性 他
A)同時性の相対性と言うこと
「同時性の相対性」は神秘性があり語呂が良いので人気がある(?)言葉である。だがその実体は至ってシンプルなものである。ここは第2章に説明した「変換とは座標の網を被せなおすこと」をそのまま実行している。左の図では慣性系で事象Aと事象Bが同時に起きたことを示す。それを座標の網を被せ直して基準系にしたのが右の図だ。これだけのことでしかない。
ここで注意するのが同時とは「同時に見ることでなく、同時に観る(ミル)こと」である。観ると言う概念はこの章の3−2)のD 観ると言うことに詳しく載せたが要するに数学的には座標に添って値を読み取ること、物理的には情報を所要時間なしで受け取ることである。
同時性の相対性、長さが縮む、時間が遅れる、お互いの時計が遅れる、双子のパラドックス等、特殊相対性理論のハイライト(?)を理解するには観ると言う概念を使うと非常に都合が良い。もちろん このHPは個人の信条や思想の変更を迫るものではないから、理解したからと言って賛成を強要しないしする必要もない。仮定の話として遊んでもらえばそれで良い。 さて観てみよう!
この図をちょっと変更して事象A,Bを電車の中に置きA、Bとすると有名な(?)「電車の光による同時性の相対性」になる。つまり電車の前後から乗客から観て同時に光を出し、電車の中央(C)で同時に光を受けるとする。光であるから慣性系、基準系によらず速度は一定である。つまり図では45°の角度で書くしかない。すると慣性系では同時に光が出るのだが、基準系ではA点が先に光が出て、次にB点が発光し、最後にC点に同時に光が届く。
気をつけないといけない。C点で同時に光を受け取るのは慣性系であろうと基準系であろうと同じである。これを誤解すると思考地獄(?)に落ちる。
B)長さが縮むということ
第2章「中学生が解くロ−レンツ変換」で我々は図6-1の左側、すなわち横軸が時間Tを使用した。
これも「中学生が解くロ−レンツ変換」で説明したが横軸に距離X/Cを使用しても差し支えない。
ロ−レンツ変換はX/CとTを等価に扱える。
これは便利(?)であるがこと長さに関する限り以外と面倒な関係になる。
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時間について言えば単位時間(T=1)が光速に近づくにつれ伸びる様子を双曲線として描くことができ
る。ところがX/CとTは等価であれば光速に近づくにつれ単位長さ(X/C=1)も伸びなければならない。
では光速に近づくと長さは縮むのは間違いで本当は伸びるのだろうか?
命題から言えば「長さは縮まなければならない」どの本でも光速に近づくと「長さが縮み、時間は伸びる」ことになっている。だが 言葉の上でも{「時間が伸びる」かつ「長さが縮む」}ことは時間と長さを入れ替えても成立しなければならないはずなのだが{「長さが伸びる」かつ「時間が縮む」}と言うまったく正反対の結論になるではないか????? まぁ こんな時代もあった。
タネあかしをすれば「時間が伸びる」ことと「長さが縮む」ことは同じシステムでは説明できないだけのこと、時間は対象となる1点を系の違いを考慮して追いかければ良いだけだが、長さは2点間を考慮しなければならない。

単位長さの電車を用意する。乗客から見れば頭と尻尾は同時刻だから電車はX'/Cの線に水平になる。
乗客にとって長さは単位長さである。それは双曲線(青線)からみればむしろ伸びる。
走っている電車を乗客(慣性系)でなく外側(基準系)からみると電車の頭だけしか見えない..はずはない。基準系からでも頭と尻尾は同時に見るわけだが、頭の方が尻尾より常に時間が遅れている。(もし頭と尻尾に時計をつけたとすれば、そう見える)
ここまでくれば基準系からみた電車の映像は過去と現在(準過去?)の映像の合成であることがわかる。この合成による縮小が結果として図の赤い平行線2本になるわけだがその結果 単位長さはやはり縮む ノダ!(正確には単位長さをみていないわけだ)
上記と同じ図であるがもう少し説明しよう。電車の頭と尻尾に時計を置く。乗客から観ればどちらの時計も同じ時刻である。さて電車が進むと時間も進む。だから図のようになる。これを座標の網を被せなおして基準系から観れば、当然電車の頭と尻尾を同時に観るわけだが、頭の時計と尻尾の時計は異なって観える。当然と言えば当然 散々説明した同時性の相対性というわけだが、ちょっと待って欲しい。
頭の方が尻尾より過去の姿を観ていることになっているのに気付くだろう。簡単かつ極端に言えば運動している物体の頭と尻尾は別の時刻を同時に観せながら運動するわけである。基準系から観れば頭と尻尾を違う時刻で写した写真をモンタ−ジュして観ているようなものだ。そうするとその物体の長さは観かけ上(?)縮んでしまうことになる。
なぜならマンガに示すように電車の長さが背景の山より少しだけ長く頭も尻尾も出るとするならノロノロ運転では電車の頭と尻尾が少し出るはずだが、高速運転では頭が出ない。尻尾と、頭では時刻が違うために尻尾が少し残っているトキではまだ頭を出さない時刻であるから!
C)同時性の相対性と長さが縮むことはリンクしている。
ここまで来ればお分かりだろう。最後のマンガを除いて全部の命題の説明は第2章でロ−レンツ変換とはただそれだけに過ぎない。!と宣言した図しか使っていない。同時性の相対性と長さが縮むことは同じことの裏表でしかない。リンクしているのだ。このHPは理解できたからと言って信じなければならないことはないが、だからと言って同時性の相対性は信じないが長さが縮むことは信じると言ったワガママは通用しない。信じないのはかまわないが信じないならリンクしている全部を否定しなければならない。
この原則はお互いの時計が遅れることにも当てはまる。
3−2)「お互いの時計が遅れる」と言うこと
A)混乱
この点についての”ノウハウ本”は不親切すぎる。通常数式を使わず言葉のみで,高速度になると時間が遅くなると主張する。認めたく無くとも先に進めないのでシブシブ認めようとすると,相対性根本原理(?)から,高速度になる相手から見ると我々(基準系)の時間も遅くなる。つまりお互いに遅くなると拷問?をかけてくる。
いきなり数学的世界から哲学的な命題へ飛んでいかないとついて行けない。ついて行ったら相手の術中にはまる。ついて行かないなら何が何やらわからない。
ひとつ間違えばT=T'/√(1-V2/C2)を否定する論理,その元である”光速度不変の原理”がおかしいとなる危険がある。
残念ながらこの程度では”光速度不変の原理”を否定する事はできない。
言葉のみから理解しようとすると「お互いの時計が遅れる」の混乱は「遅れているはずの相手から見て進んでいるはずの自分の時計が遅れる?」と言う言葉のマジックにはまり、合わせ鏡のような思考の無限発散を起こす。t'<t と t<t’を同時に成立させようとするからだが、これを「合わせ鏡の混乱」と呼ぼう。合わせ鏡の混乱はどう考えたら避けられるだろうか?それにはまずロ−レンツ変換の四つの式を数理物理的に見直すことから始める。平たく言えば何をどう考えるのかを扱うことだ。
B)数学上の解決
全体から捕らえるとロ−レンツ変換は次の4ヶの式のペアである。
T'=(T-XV/C2)/√(1-V2/C2) -(1)
X'=(X-VT)/√(1-V2/C2) -(2)
T=(T'+X'V/C2)/√(1-V2/C2) -(3)
X=(X'+VT')/√(1-V2/C2) -(4)
当たり前のことを記述する。「お互いの時計が遅れる」と言うからには時計は2個なければならないし観測者も2人要る。各々の観測者は各々基準系と慣性系に属する。系の相対速度はVである。
本来ロ−レンツ変換は同じタ−ゲットを異なる系で測定したときの関係の記述である。この場合は特殊な関係、各々の時計がタ−ゲットである。
さてまず基準系から眺める。「お互いの時計が遅れる」ことを確認するためには2つの時計を同時に見なければならない。基準系で同時とは図では青線の関係にある。なお矢印は情報T’の流れを示す。
計算式は式(1)(2)(3)(4)にX'=0を代入したものになる。X'がない(1)を除いて(2)(3)(4)は
0=X-VT -(2A)
T=T'/√(1-V2/C2) -(3A)
X=VT'/√(1-V2/C2) -(4A)
となる。式(2A)は元式(2)をX'=0の条件で出した式と言う意味とする。この式はX'=0 つまりタ−ゲットが慣性系に張り付いている時の基準系から見たタ−ゲットの運動と理解できる。この場合X=VTと理解しても良いだろう。(4A)は2つの時計を同時に見た時の時計間の距離である。そして(3A)は2つの時計を同時に見た時のTとT'の関係式である。なぜなら(2A)と(4A)から(3A)が導ける。この(2A)(3A)(4A)間には矛盾はない。
次に慣性系系から眺める。「お互いの時計が遅れる」ことを確認するためにはやはり2つの時計を同時に見なければならない。慣性系系で同時とは図では赤線の関係にある。なお矢印は情報Tの流れを示す。
計算式は式(1)(2)(3)(4)にX=0を代入したものになる。Xがない(3)を除いて(1)(2)(4)は
T'=T/√(1-V2/C2) -(1B)
X'=-VT/√(1-V2/C2) -(2B)
X'=-VT' -(4B)
となる。式(1B)は元式(1)をX=0の条件で出した式と言う意味とする。速度変換でも説明したが止まっている車(基準系)から見て動いている車(慣性系)が前方に遠ざかるなら、動いている車(慣性系)から見れば止まっている車(基準系)は後方に遠ざかることになる。(2B)は2つの時計を同時に見た時の時計間の距離である。そして(1B)は2つの時計を同時に見た時のT'とTの関係式である。なぜなら(2B)と(4B)から(1B)が導ける。この(2A)(3A)(4A)間には矛盾はない。
時間に関する式(3A) T=T'/√(1-V2/C2) は基準系で同時条件の時成り立つ。
時間に関する式(1B) T'=T/√(1-V2/C2) は慣性系で同時条件の時成り立つ。
「同時性の相対性」により片方の系での同時はもう一方の系の同時ではない。また2つの系が同時性を同時に持つことはありえない。
ここまで来れば合わせ鏡の混乱は何かわかるだろう。T←T'/√(1-V2/C2) -(3A)は図の青線を示し、T'←T/√(1-V2/C2) -(1B)は図の赤線を示す。よってT'<TとT<T'が同時に成立するのは矛盾ではなく当然なのである。これはまた「お互いの時計が遅れる」ことが「同時性の相対性」と深くつながっていることも分かった。これはまたまた「お互いの時計が遅れることを図示」していることでもある。しかしこれではまだ何かモヤモヤする。そう哲学的考察がまだ足りない!。
「お互いの時計が遅れること」は絶対にあり得ないと主張する人の思考方法を検討しよう。こちらSの時計をT、相手S’の時計をT’としよう。まずこちらがT>T’であることを見つける。これが最初のSによる確認である。SはS’に注意する。S’は念のためにとこちらの時計Tと自分の時計T’を見比べる。これが2回目のS’による確認である。2つの確認は確認する人がまず違う。すると確認する人が属するの系が違う。この辺を理解できないから最初T’<Tで合ったら2回目の確認もT’<Tでなければならないと言う呪縛から逃れられない。逆に言えば確認者が2人とも同じ系であれば「お互いの時計が遅れること」は絶対にあり得ない。あり得ないと主張する人の思考はここで終わる。だが我々はここで終わってはいけない!。このことを図で表すにはどうするか考えよう。
最初の確認では相手の時計T’の情報をこちらSに持ってこないといけない。その時情報をこちらに持ってくるのに使える系はSに属する系のみである。図では基準系の直行座標の網で持ってくる。(青い矢印)相手の時計がどの系に属していようとSが基準系にいる限りは使えるのは直行座標の網のみである。
すると図では青い矢印、赤い矢印とも逆方向の矢印は許されないことになる。
相手がこちらのT’の情報を得る場合、相手S’が使えるのはS’がいる斜交座標(慣性系)の網だけである。青い矢印の向きを逆にしてTの情報をS’に届けたら良さそうだがそれは出来ない。S’が慣性系にいる限りできない。もしできるならS’にとってそれは未来からの通信を意味する。
一般的に物体が運動の変化を起こす時変化を促す因子は物体の系を通してしか作用できない。これを場の理論と言う。
D)観るということ
これでようやく安心して左の図を書けると言いたいがまだだめだ。今まで単に”見る”と言っていたが、これは正しくない。感覚的に肉眼で見るような錯覚になる。ここで扱っているのは”座標の網を張り、座標に添って値を読み取ることである。”見る”と言う概念とはおよそかけ離れている。
言葉のニュアンスから言えば「お互いの時計が遅れる」と言うより「お互いの過去しか見えない」と言いなおしたほうが良いかもしれない。いややはり見ると言うことは肉眼で見ることの延長、望遠鏡や、電波を受け取ることまでは使えても、距離のある点からの情報を所要時間なしで受け取る(図からの意味ではそうなる。)ことには無理がある。
そこで数学的には座標に添って値を読み取ること、物理的には情報を所要時間なしで受け取ることを”観る”と呼ぼう。
観ることは物理的には不可能だが概念としては存在可能である。申し遅れたが左上の図は”お互いに時計が遅れること”を図示しなおしたものである。と言うより「お互いの過去を見ている」と言い直そうか?
解釈本の中には見るとか観測するとかは光を使うものと決め付けて物理的手段の曖昧さから読者を混乱させ本質的な議論から逃避しているものもあるから注意されたい。
参考資料?;「ちょっと一服」の第2幕 クリック ここ
3−3)双子のパラドックス
「お互いの時計が遅れる」ことは謎に満ちた言いまわしのため絶対に矛盾すると信じた人々がおり、矛盾する具体例として考え出されたのが双子のパラドックスである。釈迦に説法かもしれないが概略を言うと
(1)まったく同じ双子が地球上で出会う
(2)兄は宇宙に飛び出し弟は地球に残る(逆かもしれないがまぁ良い)
(3)旅行中に兄弟とも年を取る。この時お互い相手のほうが若いという矛盾があるはずだ
(4)さて兄が地球に戻って再び出会う。その時若いのはどっちだ。兄なら根拠を示せ、弟でも根拠を示せ、どうだどうだオラオラ! と言うわけだ。
解約本では矛盾はない、矛盾はないのだと強調する変なものがあった。また割合良心的なものでも若いのは兄である。ナゼならこの旅行は行って戻るためにはUタ−ンしなければならない。Uタ−ンすることは加速度運動をすることだ。その時時間の流れが変わるため結局兄のほうが若くなる。 そうだ! ご丁寧にこの問題は特殊相対性理論では解けないと注意してある。完全に解くには重力理論である一般相対性理論が要る そうだ。!
だが3−2)「お互いの時計が遅れる」と言うことの図を見られた読者にとっては何でもないはずだ。
A)若いのは兄だ & 意見募集
「お互いの時計が遅れること」を図示した図をアレンジして書き直すと左図になる。
青い線を辿ると一目瞭然であるが地球に帰ってきた時、兄は9歳弟は10歳歳を取る。
一方兄から観ると、地球を出発して4.5年経ったとき弟は4年しか年を取らない。赤い線、矢印は省略している。本来は下からうえにつく。
だが4.5年を少し過ぎると弟はいきなり2年歳を取る。、、、ことになる。?
意見募集
この図は我々のオリジナルである。今までこんな説明を読んだり見たりした読者はおるまい。もちろん相対性理論に賛成、反対を問わず賛同は受けていない。さてさてこの図をどう思うか? 何がしかの真理を含んでいるのか、単に馬鹿馬鹿しいだけなのか、印象だけでも良いから返事が欲しい。第1章で「安易な賛成よりも理路整然とした反対意見のほうが良い」なんて言ったがそんな面倒なものは要らない。「オレは信じないゾ」だけでも良い。できれば「面白そうだから続けてくれ」のほうが良いことは良いのだが!!
思い返せば「双子のパラドックス」は結論のみ問題にしていた。 歳をより多く取るのは兄か弟か、その検証はいかに、ソモサンセッパ ばかりを問題にしていたような気がする。旅行中に兄と弟が交信するなんて言う設定を我々は知らない。まぁ誰かがそんな質問をしたところで、光速度でしかない電波を使った交信で説明すると異常にややこしくなるから煙に巻かれるだけだろう。解釈本の本音は触れたくないのではなかろうか?どうも知っていて知らないふりまたは回避しようと苦戦している本もあれば、気づいたがために間違って「ここで兄は失われた時間を稼ぐので再び出会ったときは歳の差はなくなる。」というのもある。
幸いなことに、あるいは不幸なことに”観る”と言う概念を使って図にしたため今までぼんやりしていたものがはっきり”観えてきた”らしい。ある程度真理を含むとする。そうしないと先に進まないから。しかし丸飲みにするにはちょっと荷が重い。お互いの時計の遅れが1割と言う設定は相対速度が光速度の約4割に該当する。旅行に行く時、帰る時光速度の4割で飛ぶとして、Uタ−ンを一瞬で済ますと弟はいきなり2年歳を取る。だが兄貴の方も無事ではない。”ロケットは粉々に砕け、骨も残らない”ような甘いものではない。おそらく素粒子レベルまで崩壊する。!
Uタ−ンを一瞬で済まさないでいったん止まり、1年経ったら帰るとしよう。すると左の図になる。兄が帰ってきた時兄は10年、弟は11年歳を取る。Uタ−ンで兄貴の受けるショックは2回に増えるとしてもかなり減る。
さらに兄貴のショックを減らすには図の台形の部分に盛り土をしてなだらなか、なだらかな山にすれば良い。
D)速度変更の回数を増やし、1回あたりの速度変化分を減らしてゆく。
するとなだらかな山頂を持った山が出来あがる。兄貴は約1年かけて(丸い分だけ時間が変わる)ゆっくりUタ−ンする。この数値、1年でUタ−ンは非常に現実的な値である。
兄貴から観れば弟は 最初はゆっくり、次に3倍速でそしてまたゆっくり動き回り、自分より歳を早く取ってしまう変な奴である。
双子のパラドックス終わり
3−5)光速度に近い速さでの旅行の考察
a)地獄に落ちる話
いろんな宗教が地獄を想定している。地獄はこの世のすぐ近くにあると言うのもあるがものすごく遠いところにあるというものもある。その中で最も遠い地獄説は地表にあいた穴に落ちること約1年でようやく地獄につく。(多分ギリシャ神話だったと思うが確信はない。)
b)一年間落ち続けると
一年間365.25日、31、557、600秒落ち続けるとする。ニュ−トン力学では加速度は9.8m/secであるから一年間落ち続けると309、264、480m/secになり光速度を3%超えることになる。1月1日午前0時0分0秒に落ち始めると12月20日午前7時24分5秒で光速度に達する。 あくまでニュ−トン力学での計算では!
c)落ちるのではなく
地球の半径は1万kmもないから地球の中心まで穴を掘って落ちて行っても1年間落ち続けることはできない。落ちるのではなく宇宙空間に出たロケットが1年間9.8m/sec2で加速し続けるとしよう。ニュ−トン力学では光速度を超えるが相対性理論では超えない。では光速度の何%になるのだろうか?
W=(U+V)/(1+UV/C2) でU=αdT、W=V+dV とすると V+dV=(V+αdT)/(1+αdTV/C2)
よってdV=(V+αdT)/(1+αdTV/C2)−V=(1−V2/C2)αdT/(1+αdTV/C2)
αdTV/C2=0 と置けるので dV=(C2−V2)(α/C2)dT
よって解くべき微分方程式はdV/(C2−V2)=(α/C2)dT
これを解き、T=0でV=0(初期条件)を入れると
V=C{(exp((2α/C)T−1)/(exp((2α/C)T+1)}となる。
まともに計算すると大変だがニュ−トン力学では大体1年で光速度Cになるとすると(3%無視!)(α/C)Y=1ただしY;Year(年)となるので
V=C{(exp((2Y)−1)/(exp((2Y)+1)}となる。計算では半年(Y=0.5)でV=0.46C、1年でV=0.76C、2年でV=0.96C、3年でV=0.99Cになる。
D)我々が光速度に近い
我々が光速度に近い速度、光速度の80%前後の速度を得ようとするには地球時間で約1年弱我慢しなければならない。我慢と言っても乗組員は加速度9.8m/sec2の環境におかれるのでかえって快適だろう。双子のパラドックスで兄は光速度の40%の速度を約半年かけて0にし、半年かけて逆方向に光速度の40%まで加速するわけだが、その間兄の体にかかる負担は9.8m/sec2弱の加速度であるから極めて健康的である。もとい、現実的である。技術さえあれば!!
3−6)この章の終わりに
ともかく「お互いの時計が遅れること」の解明に全力を上げた。この章のメインは「お互いの時計が遅れる」ことである。「双子のパラドックス」は時計が遅れることが理解できれば何でもない。ただし単なる解釈本には書かれてない事も次々と登場する。最後の「光速度に近い速さでの旅行」は相対論が正しかろうが間違っていようが所詮絵空事と思っていた読者にはかなり現実的に思えてくるのではなかろうか? そう自負したい!
このHPのスタンスは「相対性理論が正しいと仮定」することであり、さらに「相対性理論が正しいと仮定した時どこまで追求できるかの実験」である。今のところ間違いであることを指摘することはできない。
このHPを書いていて再認識したことは全てのトピックス、時間が伸びるだの、長さが縮むだの、お互いの時計が遅れるだのと云った事柄は裏で全部つながっていることである。実際これはウソだと思って証明しようとすると正しいとしておいたものまで否定しなければならなくなる。それは時間が伸びることは認めても長さが縮むことは認めないと言ったワガママは通用しないことである。認めないなら全部否定しなければならない。
それにしても相対性理論は正しいと確信するには謎が多すぎる。なにしろ次の章では「敗北宣言」をしなければならない。E=mC2を出すのはできるがそれまでであり、原子力として働く理由を見出すことはできない。