<矛盾>

超光速の矛盾は簡単には行かない謎です。
いろいろ展開して見ましたが
.......
第5章)超光速の矛盾
目次
5−1)「光速以下→超光速」の決着
a)停止している球に球をぶつけることは....
b)色々な衝突
c)結論
5−2)タイムマシ−ンと超光速
a)タイミマシ−ンからの連想思考?
c)タイムマシ−ンは復活する?
5−3)一義性の問題
5−4)擬似科学とは?
5−5)光の新解釈
b)光の質量???
c)粒子としての光(スプリングエイトの考察)
5−6)この章の終りに..と言うより
5−7)計算
5−1)「光速以下→超光速」の決着
はじめに
第4章で光速以下の粒子が衝突しても超光速はできないことになった。書いた我々自身驚いてしまった。そう言う結果になったから仕方ない。だが検討の余地はまだある..とするのは未練だろうか?
まず、この問題から検討してみる。
a)停止している球に球をぶつけることは....
第4章の衝突はいずれも停止している球に等速直線運動する球を衝突させるとして展開している。勿論これは衝突前のエネルギ−や運動量の記述が楽だからだが、もうひとつ理由がある。仮に等速直線運動するふたつの球を考えた時、お馴染みの座標変換、ロ−レンツ変換をうまいこと施せばひとつの球を停止状態における慣性系がかならずある。つまり停止している球に等速直線運動する球を衝突させることは等速直線運動するふたつの球を衝突させることと等価である。
それには第3章の原理が重要である。「超光速は光速以下の相対速度でしかないロ−レンツ変換をいくら施してもやはり超光速でしかない。」と第3章に述べておいた。もし何らかの形で超光速が生まれたのなら、通常のロ−レンツ変換を施した別の慣性系から見ても(あるいは観ても)超光速は生まれなければならない。逆に言えば停止している球に等速直線運動する球を衝突させることで超光速球が生まれないなら等速直線運動するふたつの球を衝突させても超光速は生まれない。
b)色々な衝突
第4章では衝突後の球の速度は同じとした。計算の都合である。だが実際には様々だろう。
ここでは衝突後の球を(光速以下)+(超光速)、(超光速)+(超光速) 両方検討する。
当然計算が非常にややこしくなるから、(光速以下)、(超光速)とも光速に近い場合とする。なぜなら光速に近い場合の方が簡単なのだ!
図で説明しよう。粒子の速度を光速以下から光速に近づけて行くとエネルギ−、運動量とも無限に増えていく。充分に光速に近ければ、E+mC2=PC,と近似できる(図より)
もちろんこの式はあくまで光速以下の場合であって、超光速はE-mC2=PC,である。これも図より読み取れる。
すると最初の球のエネルギ−、運動量をE0、P0 衝突後の球のエネルギ−、運動量を各々E1、P1 E2,P2とするなら次の関係式が成り立つ
(光速以下)+(超光速)になる場合
E0=E1+E2 (1)
E0+mC2=P0C(光速以下) (2)
E1+mC2=P1C(光速以下) (3)
E2-mC2=P2C(超光速) (4)
(2)をE0=P0C-mC2とし(1)に代入し,(3)+(4)からE1+E2を計算し(1)に入れまとめると
P0-mC=P1+P2となる。 つまり P0>P1+P2である。するとP0、P1、P2を辺とする三角形はできない。 要するに衝突で(光速以下)+(超光速)になることはない。
(超光速)+(超光速)になる場合
E0=E1+E2 (1)
E0+mC2=P0C(光速以下) (2)
E1-mC2=P1C(超光速) (3)
E2-mC2=P2C(超光速) (4)
(2)をE0=P0C-mC2とし(1)に代入し,(3)+(4)からE1+E2を計算し(1)に入れまとめると
P0-3mC=P1+P2となる。 つまり P0>P1+P2である。するとP0、P1、P2を辺とする三角形はできない。 要するに衝突で(超光速)+(超光速)になることはない。
おまけ(光速以下)+(光速以下)の場合
E0=E1+E2 (1)
E0+mC2=P0C(光速以下) (2)
E1+mC2=P1C(光速以下) (3)
E2+mC2=P2C(光速以下) (4)
(2)をE0=P0C-mC2とし(1)に代入し,(3)+(4)からE1+E2を計算し(1)に入れまとめると
P0+mC=P1+P2となる。 つまり P0<P1+P2である。するとP0、P1、P2を辺とする三角形はできる。
c)結論
いかなる形であれ、光速以下の衝突から超光速は作れない。光速以下の衝突は光速以下の粒子ができるだけ。
光速以下速度から超光速を作る方法が他にあれば良いのだが、ないとすれば超光速は死滅するしかない。何らかの原因で最初から超光速粒子があったとしても、少し時間が経って光速以下の粒子に衝突すれば光速以下の粒子になる。すると今現在、宇宙の隅々までくまなく捜したとしても超光速粒子はまず見つかるまい。!!
もっとも衝突をエネルギ−と運動量が保存された状態でのイベントと見るのを放棄すればまだ可能かもしれない。これはストレ−トに「タイムマシ−ン」の可能性に影響する。どう影響するかを次に扱ってみる。
5−2)タイムマシ−ンと超光速
a)タイミマシ−ンからの連想思考?
タイムマシ−ンの話題はもっぱら因果律が大半なのだが「タイムマシ−ンが可能だとすれば、物質を過去に送ることが可能、未来から物質を受け取ることが可能」と言うことでもある。物質を質量と言いかえればこれは「質量保存の法則」に真っ向から違反する行為である。
同じように情報を過去に送る、未来から情報を受け取ることもエネルギ−を過去に送り、エネルギ−を未来から受け取る行為なのだ。これも「エネルギ−保存の法則」に真っ向から違反する行為である。
第1部で紹介してように恐ろしげな顔をしている(?)特殊相対性理論も一皮むけばニュ−トン物理学を借用している。その成立過程(仮定?)をそのまま借用したのが第2部なのである。(早い話、それほど頭が良いわけではない! 純粋蛇足?)
このHPで「タイムマシ−ン」の可能性を否定したのは上記の保存則を否定しなければ「超光速の物理学」そのものが矛盾を起こすと思われたからである。暗黙にニュ−トン力学の「エネルギ−保存の法則、質量保存の法則」を超光速まで拡大しようとした。衝突現象を解明する指導原理が「エネルギ−保存の法則」なのだから。。(TT)。。
もし「超光速の物理学」が否定されるなら「タイムマシ−ン」の可能性は復活するかもしれないが、その場合超光速以外の手段で「タイムマシ−ン」を構築しなければならなくなる。それが可能か否か?
それとも「超光速の物理学」は別の形を取り、「超光速の物理学」と「タイムマシ−ン」は共存可能なのか?
残念ながら???
だが3章あたりで出てきた矛盾、「超光速物体はロ−レンツ変換によっては過去に飛ぶ」ことは単にタイムマシ−ンの可能性を否定しただけでは「質量保存の法則」、「エネルギ−保存の法則」にまだまだ違反する。
なぜなら「過去に飛ぶこと」はその系から観れば質量とエネルギ−と運動量の消滅である。実際には質量とエネルギ−と運動量の消滅でなく、他の時間への移動なのだ。他の系から観れば質量とエネルギ−と運動量を持つ粒子が発生したのではなく、ただ超光速の粒子がそのまま存在しているだけである。
よって質量とエネルギ−と運動量の消滅である「過去に飛ぶ話」は「タイムマシ−ン」とは似て異なる矛盾を含むことになる。タイムマシ−ンは出来ないはずと一応決めたものの、完璧に出来ないと言いきれない理由はここにある。
さて上記a)のややこしい話に関係するかもしれないし、違うかもしれないが、結論から言えば「エネルギ−保存の法則」は徹頭徹尾、ひとつの基準系でしか成立しない。これはこれで独立したナゾナゾとして扱った方が良いかもしれない。少し頭を休めて、ガリレオ変換とニュ−トン力学の我々が体験可能な話として読んで欲しい。

「球が斜面を滑り落ちる図」では最初球は位置エネルギ−
E=mGhをもっており
球がゴロニャン(?)と滑り落ちると運動エネルギ−
E=(1/2)mV2に変わる。
よってV=√(2Gh)になる。まぁ それはそれで良い。
ところでこのゴロニャンを速度Vで走る車から見るとどうなるか? 球でなくジェットコ−スタ−に置換えたらあり得る光景だろう!
マンズ ゴロニャン前は位置エネルギ−+運動エネルギ−でmGh+(1/2)mV2を持っていると観測される。そしてそしてゴロニャン後では位置エネルギ−も運動エネルギ−も0!?!? オイオイ位置エネルギ−+運動エネルギ−はどこに消えた??????
ちょっと詳しくやれば
mGh=(1/2)mV2に変わるのみ
とはっきり言いきれるのは車の速度0の時のみ、止まっている時だけである。要するに「エネルギ−保存の法則」はガリレオ変換による違った慣性系では成り立たない。
この後は連想であるが、「ある系からみて等速直線運動をしている超高速粒子を別の系からみて消滅すること」はことエネルギ−に関してはなんら矛盾しないカモ.....しれない!
c)タイムマシ−ンは復活する?
上記のゴロニャンはどう言う意味を持つのか?少なくとも衝突実験において衝突する前の慣性系(または基準系)と衝突後の慣性系(または基準系)は同じでなければならない。その条件では光速以下の衝突は記述可能である。
ところで結果として超光速が生まれる衝突になぜ「エネルギ−保存の法則」が要るのか? 実際のところそうしないと結論である超光速のエネルギ−を確定する手段がないだけなのだ。「エネルギ−保存の法則」が成り立たなくとも良いならタイムマシ−ンは復活する余地が増える。
オウムの自作自演めいてくる、自分の説を自分で否定する結果になるかもしれない。とフツフツした時にアイデアが浮かんだ。「一義性」と呼んでおく。ひょっとして「超光速の物理」は修正するだけですむ.....かなぁ〜
5−3)一義性の問題
これはかなり後で気がついた。第2部を書く前だったら第2部が完成しなかっただろう。「一義」は「一義的に決まっている。」と言うように使われる。例えば
「古典力学ではある立方体に入っている気体の分子の位置と運動量が全てわかっているとするなら、その後の分子の位置と運動量は完全な計算さえできれば一義的に決まると思われていた」というように
このHPの第1部第1章の「質量が増大しないこと」では逆説的に質量が増大するなら月が地球に落ちる話をした。みんなおかしいと思っただろう。ではなぜおかしいのか? それが一義性である。
少なくとも我々が住んでいる系(まぁ 基準系としよう)ではどう見ても月が地球に落ちる様子がない。逆に年々2.8cm遠ざかっているくらいだ。それを地球や月に細工をしないでただ見る方法を変えただけで落ちるはずがない。これが一義性なのだ。落ちるならどこでどんな見方をしようと落ちなければならないのだ。!
これをもう少し定理らしく表現しよう。「ある系で事象(できごと)が観測されるなら どの系でも事象が観測されなければならない」 もちろん相対論であるから事象が起きる時間や場所は慣性系によってコロコロ変わるだろう。だけど事象が起きるか否か、YesかNoかでは起きるなら起きる、起きないなら起きない、あるものはある、ないものはない...としなればならない。
簡単に言えば「一義性」とは{あるものはある。ないものはない。}となる。これはいろいろ応用が効く。相対論が間違いだと言う主張は一義性の誤解だと言えるものを多く含んでいる。(カモしれない)。
それでは早速「超光速物体はロ−レンツ変換によっては過去に飛ぶ」ことに当てはめてみる。ただ超光速物体が飛んでいるだけでは事象がない。そこで飛んで行って(〇)に当たり、変形して(〇)を(∞)に変えたとしよう。
少なくともある系では超光速物体で〇が∞になると言う事象があることになる。それを超光速物体が過去に飛ぶ慣性系から見ると超光速物体は「消滅」する。 すると∞ができる事象はできない。それは「一義性」に反する。
「一義性」を守るためには過去に飛んだ粒子は消滅して事象を一切起こせない存在になってはダメで、〇を∞にする仕事をしなければならない。 つまり「過去に飛ぶこと」=「消滅」ではダメである。
すると「過去に飛ぶ粒子は運動量とエネルギ−を持っており出会った粒子と騒動を巻き起こす存在である。」ことになる。ダンダン「タイムマシ−ン」に近くなってしまう。
この「一義性」は充分な考察をしていない。予感として超光速、タイムマシ−ン両方にとって係わり合いがあるだろう。そして気付いておられるかもしれないが、「一義性」そのものの天敵は量子力学である。例の不確定性原理である。
となれば超光速、タイムマシ−ンとも量子力学を抜きにしては語れないのではなかろうか?
5−4)擬似科学とは?
そう言うわけで超光速の物理学は存亡の危機にある。「超光速物体は追いかければ逆に加速して逃げて行く。さらに追いかけると過去に飛んで消滅する」と言う定理(?)が破けない。誰が言い出したかと言えば....私だ!。(引きつった笑い?) (^u^)チガウナァ
それで擬似科学としよう(オイオイ!)
擬似科学を擬似科学と断定するのにはどうする?。多数決? とんでもない!。多数決なら、かのガリレオ裁判ではガリレオは絶望的に負けてしまい、地動説は擬似科学になる。
理論的に合わない観測結果をつきつける。一理ある。でもちょっと待て!。それで実際に超光速を観測したらアンタの理論と違うと言うつもり?。超光速現象は公式にはどこも確認してないのだが?
超光速が観測されてないことこそ「超光速の物理学」が間違っている証拠? それこそ見解の相違だろう。
もっと確実な方法はないのか? 仮定で良い。オマエの説を仮に正しいとする。それを展開するとコウなるはずだし、アアなるはずだと言う結論を導き検討する。このHPのやり方だ。思い出した!この超光速の理論そのものは相対性理論が正しいと仮定してその原理を拡大したものだった!
どんな仮説でも複数の結論を得られる。逆に結論が得られない仮説は科学ではない。いや擬似科学にすらならない。信じたい人は信じなさいとでも言うしかない。あるんだよ これが!光の質量参照!
擬似科学ではあっても是は是、非は非と言えるものである。中にはほとんど非でしかないものもある。だがそれを擬似科学だと断定する手続き自体が科学的でなければならない。そうでなければ擬似科学だと攻撃する方がより擬似科学に近くなる。「目くそ鼻くそを笑う」ことになる。多いんだよこれが!!!!
恐ろしいのは擬似科学と断定されると読む価値がない、検討する価値がないとされる「焚書坑儒(フンショコウジュ)」的傾向にあることだ。「擬似科学は親の敵(カタキ)で御座る」、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」人が多すぎる。擬似科学に愛の手を...なんて言えないが葬るならまともに葬ろうではないか!。
我が「超光速の物理学」も葬るならせめて我が手で...と思うのだができないのだ。愛着はあるが溺愛しているつもりはない。だけど「相対速度が超光速な慣性系は概念として存在できるか?」と問われたら絶対にできないとアナタは断言できますか?。そういう概念は価値がないとか、物理的に無意味ではなく、概念としての存在まで抹殺できるかと問われたらできない。そしてその相対速度が超光速な慣性系から観れば(見れば?)この世はメチャクチャな世界であるとは思えない。現実のこの世が物理法則の基で理路整然としたシステムに組み込まれている以上、相対速度が超光速な慣性系から観ても何らかの形で反映されるべきで奇妙に写るかも知れないが物理法則はやはりあるとするほうが自然ではなかろうか?
まぁ お遊びだ。私の説を信じる必要はない。無視するのはかまわない。ここが変だと反論する、なお結構!
愚痴が長くなった。「超光速の物理学」は間違っている可能性は認めるとしても存在そのものを抹殺する根拠はないとして(自己満足して(^0^)ホッ)もう少し論を進める。
是は是、非は非として対処しよう。まずは我田引水、自画自賛、独断&偏見の是から述べる。題して「光の新解釈」
5−5)光の新解釈

ちょっと「量子力学」の本(朝倉書房、朝倉物理学講座13)からアインシュタインの方程式をつまみ食いする。光の式は
E=hν、P=h/λ、C=νλ ν;周波数、λ;波長、C:光速度
これから簡単にE=PCとなる。光のエネルギ−Eと運動量Pの関係式である。
これを我々が今まで使っていたEとPの図に当てはめるとこうなる。光は超光速まで考慮しても光速度しか取れない。なぜか? 光の質量は0だから!
逆に言えば光速度以下、超光速どちらも可能なのは質量が0でない粒子のみである。簡単に言うけどこれはスゴイことなのだ!。
b)光の質量???
擬似科学に「光の質量」があった。E=M0C2から{エネルギ−Eの光の質量はM0=E/C2である}とするものである。これはどこがおかしいのか? もし「光は停止することができないから静止質量を求めることはおかしい」とするなら不充分である。多分こう反発する。{光は質量が軽いのでちょっとした電界や磁界で簡単に光速度まで加速するだけである。停止した光子は理想状態ではあるのだ。}それじゃぁ「電界や磁界で光が曲がらないのは?」それは{光の質量が増大するからだ} あぁ そぅ!!
我々の説はこうなる。E=M0C2はポンと出現したわけでなくもとの式は
E=M0C2/√(1-V2/C2)−M0C2 である。
詳しくは第1部第4章 高校生が解くE=M0C2参照
この式の左辺のEはVが充分小さければ(1/2)M0V2になる。このことよりこのEは測定可能なエネルギ−である。そしてアインシュタインはM0C2/√(1-V2/C2)をその粒子の全エネルギ−とした。すなわち(測定可能なエネルギ−)=(全エネルギ−)−M0C2である。そうするとM0C2は測定不可能な物質に秘められたエネルギ−なのである。そしてV=0で(測定可能なエネルギ−)は0になるが物質はまだM0C2 のエネルギ−を秘しているとされたのである。
さて擬似科学の「エネルギ−Eの光」のEは明らかに測定可能なエネルギ−である。よってこれから質量を求めるのは間違いなのである。.....
我々の説のほうが擬似科学じみている?? かもしれない。ただ仮定として光に質量があるとすれば、それがどう展開されどんな結論を導くか? 今まで説明が出来なかったものが説明できるのか、そして新しい概念まで高めることが出来、科学史にそれなりの1歩を刻むことができるか?......なにもないのだ これが!!
どうも擬似科学者ではなく、擬似科学を攻撃する方(つまり自己申告ではもとまな科学者)にも質量がなければ超光速は可能と信じておられる人もいるとか! 末世ですなぁ〜!
c)粒子としての光(スプリングエイトの考察)
重要なことは光もエネルギ−と運動量を持つことだ。このエネルギ−は速度に依存するものではない。だがエネルギ−と運動量を持つことは粒子として扱うに充分な資格である。そうすると粒子の衝突で光と粒子が衝突することも考えてよいし、充分なエネルギ−をもつ粒子が光と粒子に分離することもあろう。そこで思いつくのがスプリングエイトだ。
スプリングエイト! 競馬の話ではない。兵庫県佐用郡三日月町の「大型放射光施設」のことである。このスプリングエイトは「8の字」と言うより「gの字」に近い。姿から言えば「太った孔雀?」だろう。孔雀のくちばしの先にあるのが電子銃、くちばしは線形加速器、頭はシンクロトロン、胴体が蓄積リンク、尻尾(複数)が300m,1,000mの長いビ−ムライン、尻尾の先が放射光を使う様々な実験施設である。
尻尾は短いものを入れると大小60くらいあり、各々の実験施設で日々先端技術開発や基礎研究が行われている。なかには「毒物カレ−事件」で事件の亜ヒ酸と応収した亜ヒ酸が同じだと証明したものもある。
それで放射光の発生原理は? どうも「光速に近い電子を磁力で曲げると発生する」以上のことは書かれていないらしい。(HP上)
何かは忘れたがマンガのような解説を見たことがある。蓄積リンクの中で8GeV(ギガエレクトロンボルト)まで加速された電子は光を纏う(ヨソウ)あるいはオンブする形になる。そこで磁界をかけると電子は曲がり光は直進することにより分離する..と言うわけ....
だけど「光を纏う」のは賛成し難い。光を纏った電子では光速に近いと言っても光速以下だから、光を纏えない速度になる慣性系にロ−レンツ変換できる。見方により光を纏ったり纏わなかったりする。すなわち「一義性」に反する。蓄積リンク内の電子は速いだけのただの電子だろう。
ただ8GeV(ギガエレクトロンボルト)まで加速された電子の速度は半端ではない。私の計算が正しければ光速の99.9999998%にあたる。(ナインエイト!つまり9が8個並ぶ ほぼナインナイン! 計算参照!)
こんな速度の電子を曲げるには相当強烈な磁場が要る。また加速するにも強力な磁場が要る。そして加速のエネルギ−と運動量の増加分は凾d=凾oCの関係になる。減速はこの逆である。(図)
それでゆっくり減速すればこうはならないだろうが、スプリングエイトのように強力な磁界の壁にぶつかる急激な減速ではいきなりエネルギ−と運動量が凾d=凾oCの関係でもぎ取られて単独の光となるのではなかろうか?
図から想像するに、この現象を起こした分離後の電子の速度は光速の99.999999%以上(ナインエイト)あるだろうか?。(アテズッポウ デス!)
分離後の電子は文字通り「身軽になって」磁界にそってキュッと曲がるわけだ。(光速度に近いと慣性質量は重くなるのを逆に解釈すると...)
すると放射光を出す最低条件としてこれ以上速度を上げるとエネルギ−と運動量の増加分がほぼ凾d=凾oCの関係になる速度まで電子が加速されなければならない。ブラウン管程度では放射光は出ない。 (^0^)ヨカッタ
d)光速度とは?
ただ数学的に純粋に考えればこれ以上速度を上げるとエネルギ−と運動量の増加分が凾d=凾oCの関係になる速度は存在しない。光速以下ならかならず凾d<凾oCの関係にしかならない。だから放射光は出ないことになる。
光速度は現在どこまで確定されているか正確には知らないが、普通2.997929×1010cm/sあたりだろう。光速の99.9999999%(ナインナイン)は光速を3×1010cm/sとすれば光速との差は30cm程度となる。スプリングエイト内の電子は測定上は光速そのものだろう。ダカラと言ってちょっと融通して....となるのか?
図のCはロ−レンツ変換の式に出てくるCである。それに対し仮にC'を作る。C'は実際の光速度としよう。もしこの関係なら放射光を矛盾なく送り出せる。粒子の持っているエネルギ−と運動量の一部をそのまま送り出せば放射光になる。また放射光を出せる速度も求められる。
ところがC>C'の関係にあると、結果として光が質量を持つことになる(証明略)。むしろ光は平均速度CでC'も取り得るとした方が良い。早い話 光速度=C±僂のバラツキがありC-僂(=C')の時放射光を出すとした方が良い。
つまり光はC±僂の速度を持ち、言わばプニュプニュしながら飛んでいる!(^&^)?
量子力学の「不確定性原理」をつまみ食いする。不確定性原理は儕儿>hである。この儿は光が在る位置のバラツキである。これを時刻0で出発した光が1秒あとに在るバラツキと解釈すると僂=儿である。だから不確定性原理を儕僂>hと読みなおす。この後で出てくる数式は単位系としてみると合わない。あらかじめ断っておく。
そうするとエネルギ−は不変であるから E=PC=(P+儕)(C−僂)でなければならない。よって儕C−P僂−儕僂=0である。儕もT=1の時のバラツキである。つまりC→C−僂になるのならそれに合わせてP→P+儕になる。ここで面倒なので儕僂=hとすると儕C−P僂−h=0になり、まとめると僂/C=−h/(PC)+儕/Pとなる。ここでPは充分に大きいとして儕/P=0とすれば
僂/C=−h/(PC)=−h/Eになる。<>を考慮すれば
僂/C<|h/E|だろう。
P=h/λ、C=νλを考慮すれば凾b<|λ| λ:波長である。つまり光速度はその光子の波長以下までは特定されない。測定精度がどんなに上がってもC±(波長以下)の速度しか測定されない。
これは予言なのだ! そしてこの程度の差だと相対論は矛盾が露呈することはまずない!。
ただ白状すればこれだけで可視光やX線などの放射光を説明することはできない。計算が狂いすぎる。実際は儕/Pが大きく関与しており、周波数の低い放射光が作られるに従い儕が減少し僂も減少ことで周波数の高い放射光が出てくるとしなければなるまい。今までの計算では8GeVの電子から放出される電波は1GHzあたりだろうと推測できるぐらいだ!
電子は加速すれば電波を出すのだが、放射光はより光になりやすいシステムだろう。このシステムはおそらく陽子でも成り立つだろうが質量が大きい分、効率的に光を出すには電子の500倍近いエネルギ−と磁界を要するに違いない。
5−6)この章の終りに..と言うより
この章の終りに..と言うより第2部全体の総括です。
スプリングエイトの話は超光速にあまり関係がなかった。ものすごい我田引水、自画自賛、独断&偏見かもしれない。ただどうしても書きたかった。相対論はキレイ過ぎる。だからウサンクサク思える。
「光速度は一定である。なぜなら....だから」と言う論理体型ではない。「光速度は一定である。と仮定するとこうなる。」それを検証した証拠はこれがあり、あれがある。「だから光速度は一定であるはずだ」と言う論理体型である。瓢箪から出た駒、ウソから出たマコト!!!!
妙なのは「光速度は一定ではない。」とするとロ−レンツ変換は間違っている、ガリレオ変換が正しい、絶対基準系はあるのだになってしまうらしい。オイオイそれはないだろう!。
世の中にはロ−レンツ変換とガリレオ変換しかないのか? ガリレオ変換と絶対基準系はなぜ結びつかなければならない。
光速度はロ−レンツ変換の式で出るCとなぜ同じなのだ。..まぁこの事情はわかる。ロ−レンツ変換は光速度不変を指導原理として導いているから...。その結果Cは単に光速度以上の意味を持った。そこで改めてCを特異速度として、「光速度はなぜ特異速度と一致するのか?」の逆提案がなぜできないのか?
相対性理論は理論がないと説明できない現象や実験を説明できるだけでなく、一見無関係に見える様々な現象を統一的に説明できる統一理論としての性格も持っている。時間が遅れるだの、長さが縮むだの、重さが重くなるだののトピックスは一見バラバラに見えて、数式や計算できるレベルまで掘り下げると同じ式と概念の裏表でしかない。だから相対論を否定するなら、ひとつひとつのトピックスを覆すだけでは足りない。正しいとされる証拠を矛盾なく説明する別の逆理論を提出しなければならないのはもちろんだが、それらの逆理論自体が統一的でなければならない。
ところが相対論を振り返ると光速度不変の原理は無条件で与えられる。なぜ光速度は不変なのかは置いておかれて光速度は不変であると観測されている、多くの証拠がある、だから不変なのである。それを指導原理にすると特殊相対性理論が構築される。
光と8GeVの速度が判別できる精度の測定器があるとする。それで測った地上の(真空内での)光速度と月の上で測った光速度と火星(真空内)で測った光速度は同じだろうか? つまり重力の差で違いはあるのか? 多分一般相対性理論から違うとされるのではなかろうか?
ではあらためて問う! ロ−レンツ変換の式で示されているCとはどの光速度か? 無重力状態での高真空での光速度? それとも?
となると超光速とは言うけれど超えるべき光速とは何か? そしてロ−レンツ変換の式で示されているCが無重力状態での高真空での光速度と一致するのか 否か?..
第2部は全体として「超光速」の理論で、相対論の延長で組み立てたつもりだが結果は矛盾する。矛盾するから「超光速はない」? 一見それらしい解答ではある。だけど科学雑誌の中に「ビックバン直後のインフレ−ションは空間の超光速膨張だから相対論とは矛盾しない」とするものがあった。空間の膨張は物体を含まないし、因果律が適用される因果そのものがないから超光速はあり得る? ウソかマコトか? 擬似科学か本来の科学か?
少なくとも空間の超光速膨張論は基準系に対して超光速の慣性系は成り立つことになる。我々の世界も見る立場からは超光速の世界になる。我々の世界での物体の運動はガッチリした理論に従って運動するから超光速の慣性系から我々の世界を見ても何らかの理論に従って運動するはずろう。
まぁ 頭を冷やして!(〜;〜)
放射光の考察から30GHz(3×1010Hz)の電波は(3×1010+1)cm/sまでの速度は許されるし、(3×1010−1)cm/sまで下回ることも許されるとしよう。超光速変換から(3×1010−1)cm/sから(3×1010)cm/sまでは禁止帯、つまり慣性系の相対速度では許されない範囲とすると、因果律の矛盾や一義性の矛盾はなくなる。
禁止帯の領域では30GHzの電波は電波として存在し難い領域であり、よって慣性系の相対速度では光そのものが収拾つかない状態になる。よってその状態までロ−レンツ変換を適用できない。
一方(3×1010)cm/sから(3×1010+1)cm/sまでの速度では超変換が適用できる。
頭は少しも冷えない?(^ヘ^)
要するにCと簡単に言うけれど、ロ−レンツ変換のCは厳密に決まったガチガチの値ではなく光または電波の波長分の帯がある。ロ−レンツ変換が完全に適用可能なのは帯のした(ヘソの下?コラ!)までであり、ごくごくわずかではあるが超変換の余地がある。..........わけなんです。
今は7月 真夏の世の夢 如何でしたか?
わからない? 本人もわかりません。!
一種の夢遊病状態で、自分で書いた文章を見て驚いているのですから
H12.7.11
5−7)計算
