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体験談B-30 頚椎、頚椎後縦靭帯骨化症50代女性 |
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患者 50歳代
女性 診断 頚椎後縦靭帯骨化症 住所 東京 仕事 会社員 経過 現在東京で会社員をしております。体調に異常を感じたのは平成17年9月に左上腕に耐え難い痛みを感じたのが始めです。幼い頃の私はというと、小学生の頃から走るのが速く、中学生の頃には陸上部の三種競技を専門とし、オリンピック代表選手を目指していました。特待生として東京の高校に入学、実家から一人離れ、慣れない環境の中、厳しい寮生活と陸上競技を持ち前の負けん気で踏ん張り、乗り越えました。部活中は、水一滴飲んではいけないと言われる時代でしたので、今考えると、よくやりきったものだと思います。その後、会社員となった私は、夏は水泳、冬はスキーへとなんらかの形でスポーツをし、趣味としておりました。30歳を過ぎた頃からでしょうか、頭痛や肩こりに悩まされる日々が続くようになり、『運動不足なのだろうか?』『家庭の事、仕事の事、様々な悩みが原因なのだろうか?』などと考え、運動や針灸マッサージと、いろいろ試してみましたが、一向に良くなりません。そして、平成17年のあの耐え難い痛みが起きるのでした。最初かかった病院では頚椎ヘルニアと診断され、ベッドで首を牽引したまま10日間を過ごしました。その後も平成19年まで通院を続けましたが、症状は一向に快方へ向かうことはなく、それどころか悪化しているように感じました。ちょうどその頃にはインターネットが発達しており、自分の病気に疑問を持った私は、毎日症状の特徴や以前かかりつけの医師から見せていただいたレントゲン写真等と照らし合わせて自分の病気を調べました。すると、『後縦靭帯骨化症』という病気にとても症状が似ていることに気づきました。しかし、それを専門にしている医師はなかなかおらず、やっとのことで東京の有名な先生に見ていただいたところ、やはり『後縦靭帯骨化症』との診断が下りました。とてもショックな出来事ではありましたが、手術に関するお話も伺い、一度これからのことを自分なりに冷静に考えてみました。その中で、強く気持ちの中であったのは『一生がかかっていることなので信頼でき、安心して診ていただける先生にかかりたい』ということでした。そこで、後縦靭帯骨化症についてより深く調べていたところ、後縦靭帯骨化症で苦しんでいた方々の声が多く寄せられているホームページや井須先生編著の【これが私の手術法 脊椎脊髄手術 基本的手術手技からオリジナル手術まで】に巡り合いました。すると、ホームページでは井須先生に診ていただいた方々の喜びの声が多く、とても信頼を寄せていることを文章から感じ取ることが出来ました。また、本からは、腸骨を採取せず傷が1箇所で済む、自家椎体使用による頚椎前方除圧固定術を先生が採用されており、一番に患者の事を考え、より患者にとって浸襲の少ない術法を実践されてきたことを知りました。そこで、是非私も一度、井須先生に診ていただきたい!と強く思い、釧路労災病院へ検査しにいく決心をしたのでした。自分でも不思議な程、井須先生に診ていただきに、東京から遠く離れた北海道に向かうことには何の迷いもありませんでした。約2週間検査入院し、今までの事を全て先生にお話し、手術が必要かどうか真剣に話し合いました。万が一の場合は、後遺症が残ってしまうかもしれない大手術です。井須先生は手術を勧めませんでしたが、先生は真摯に相談にのってくれ、納得いくまで話をしてくださり、結果、手術実施を希望いたしました。一度東京へ帰り1ヶ月半後に手術日が決まり再度入院しました。手術後、目が覚めたとき手足の痺れがなく、その上、手術した日に自分ひとり歩くことが出来、トイレに行ける、食事が出来る・・・手術を受けた方々の話やホームページでの文章で、以前から術後すぐに動けるとは知ってはおりましたが、とても信じられませんでした。また、休職して手術を受けていたため、社会復帰できるようリハビリにも真剣に取り組みました。釧路労災病院ではリハビリのカリキュラムが非常に充実しており、職場復帰するために十分な内容で、不安な気持ちが払拭されました。 現在では、無事職場に復帰し、薬を一切服用せず、仕事ができる喜びを噛み締めております。私が、同症状の方々に声を大にしてお伝えしたいことは、『本当に信頼できる先生に出会うことが一番大切である。』ということです。この病気は、肉体的苦痛はもちろん、その苦痛による精神的な影響が大きいです。また、幸か不幸か、外傷が見られないため、他人には辛さが伝わりづらいという特徴があります。本当に自分の辛さ、症状に耳を傾けて聞いてくださる先生に巡り合うことが重要となってきます。井須先生は、現在の手術法を確立するために血のにじむような努力をされ、技術を常に工夫改良していくことに取り組んでいく自信と勇気があると手術書で紹介されていました。実際にお会いして、熱心な対応や真摯な姿勢からその通りであると共感し、井須先生にお願いしたいと考えるようになりました。当時は藁をもすがる思いで先生にお会いしたのですが、今考えると本当に素晴らしい先生に巡り合え、自分は運が良かったのだなと感じております。 毎日楽しく健康に暮らすことが、私のできる唯一の井須先生への恩返しだと考え、日々過ごしております。感謝してもしきれないほどです。本当にありがとうございました。
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体験談B-29 頚椎OPLL、61歳、男性 |
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患者 男性 61歳
診断 頚椎後縦靭帯骨化症
手術 頚椎後方除圧術
住所 埼玉県
経過
軽い右手のしびれ発生、数日でしびれなくなる。平成15年56才。今にして思うこと、はじめての出来事。右手のしびれ、大きく発生、別に頭痛も激しく発生。平成17年10月24日。自分では頭の中に何かがおきたと考えた。市内の病院にて、M・R・I検査。靭帯骨化症と分かる。手術以外、治らないのと、完治しない病気と説明される。
埼玉医大の紹介状を書くので、早めに検査に行くように言われる。自分でもまだ納得ができず、他によい病院がないものかと、インターネットでさがす。(セカンド・オピニオン)
釧路労災病院が見つかり症状を労災病院にネットにて紹介した所、その夜に返事があり。
病気本人にとって本当に助かることです。検査入院の方法を聞き、釧路労災病院に、とるものもとりあえず検査入院する。これほど自分の病気と健康に自信がなくなるのは人生初めてでした。家内と二人(付き添いということで)近くのホテル等のこともよく教えてもらいました。釧路労災病院入院、平成17年11月7日〜平成17年11月14日、他に2名同じ病気にて入院あり、1週間後、2名後日、手術の日程決まる。自分1人だけ手術ができなかった。今にして見れば、はやる心だけ(手術及びその後のケアー、受け入れる心。何もできていなかったのかな)。井須先生に関東での大学病院を紹介してもらい通院しながら、症状を見てもらう事となった。日課として、ウォーキングを毎日1時間(5q位)始める。
日本医大千葉北総病院、平成17年12月5日、初診。2〜3ヶ月に1度埼玉より千葉迄通院。
1年6ヶ月たったころ、手のしびれ及び足の動き悪くなり、歩道でも足のつまずき等発生。
ネスークアイ発見。平成19年6月11日、日本医大病院より井須先生に症状を連絡してもらい、労災病院で検査してもらう事に。平成19年7月6日、井須先生に検査してもらい、スネークアイの症状が、手術のできる最後の信号ということを説明うける。手術予定がきまる。(平成19年8月14日、手術予定)一度家に戻り、特定疾患医療給付新規申請書を埼玉県保険所に申請。近所、身内等、留守にするむね連絡・雑務におわれる。学校が夏休みの為、飛行機の予約で苦労する。平成19年8月8日入院。あっという間の1週間(前の入院とは違い、手術日が決まっていたので、心の安心がありました。)手術当日、なんの心配もなく、手術にのぞめました。病院側の説明等よく理解できていたので。平成19年8月14日、手術→平成19年9月22日退院(病室内での患者同士のコミュニケーション最高でした。今もお付き合いしています)。先生の病室での検診、楽しみでもありました。リハビリ等、毎日よくなるのが自分でもよくわかりました。退院後の肩こり、きつく(9月23日、24日、25日)病院と同じような、リハビリをしなかったせいかな?話で聞いていた以上の体験でした。30分位、新聞、テレビ観賞後の肩こり非常に強く、気持ち悪くなるほどです。
考えた末、労災病院内でのリハビリで行っていた内容と同じような道具を作り、家庭内でも、リハビリを始める。平成19年11月9日 労災病院にて3ヶ月検診、異常ないとの事でひと安心。平成19年11月10日 釧路市民健康フォーラム2007(健康相談、患者体験談、3先生の貴重な話)出席してよかったなと夫婦ともども。平成20年3月15日 日本医大千葉北総病院(定期健診)平成20年7月14日 1年後の釧路労災病院にて(定期健診)平成21年7月、2年後の検診予定平成19年9月退院して今月で1年、日課のウォーキング、病院内で練習したリハビリ、同じように毎日つづけられることが幸せだと感じる日です。(手術前、手術、手術後)健康のありがたさ。
井須先生に手術してもらってよかったな、そう思う今日です。有難うございました。
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体験談B-28 後縦靱帯骨化症 男性 60歳 |
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・60才(現在)
・男
・会社員
・手術日:平成11年4月
・釧路市
T身体に異変
(1)右手先端にしびれ
(2)ゴルフを楽しんでいるときに、痺れが右手の手のひら全体へ。字が思うように書けなくなった。 (3)症状が段々進行し、痺れが肘まで感じるようになった。
(4)階段で歩く時、つまづくようになった。
(5)手のむくみ、握力の低下も徐々に進行していった。
U一度目の病院
(1)釧路市内の某脳神経外科を受診
(2)CTを取り、医師に説明受けたが、詳細な話もなく手術を勧められた。費用は掛からないと言われ、手術手続き書類の作成を始めたため、私は疑問を感じた。
(3)この時点で説明の矛盾も有り、この病院を信用できなくなったため、この病院での治療を断念した。
V井須先生との出会い
(1)一度目の病院では、病名すらわからなかったので会社へ相談し、北大付属病院を紹介してもらった。
(2)北大付属病院ではMRIによる検査を受け、病名が後縦靱帯骨化症と判明。首の3番、4番、5番、6番に骨化症があり、3番、4番が痛みの原因とわかった。
(3)症状が進行しており、手術も難しく、細かい手先の作業はできなくなるような後遺症が残る可能性もあると説明を受けた。
(4)当時私は札幌勤務だったが、実家の釧路で良い医師がいるのであれば、釧路で手術を受けたいと相談した。
(5)釧路労災病院に井須先生という名医がいるとの話をもらい、紹介状を書いてもらい、井須先生を訪ねた。
(6)これが井須先生とのはじめての出会いであった。
W手術まで
(1)井須先生へ今までの経緯を説明し、再度MRIにて確認
(2)先生の説明によると、3番4番が神経に触れており、最悪の状況であった。
(3)まだ50代前半だったので、リスクは大きいが前方除圧術での治療を行って頂けることになった。
(4)家族全員へ手術内容の説明をして頂き、その時の「最悪車いす生活になることもある」という言葉は、今でも忘れられない。
(5)この場で家族全員が内容に納得し、手術を決断しお願いすることとした。
X手術
(1)入院後、身体の細かい検査を一通り行った。
(2)症状が良くなかったので、手術を一日でも早く行う必要があり、通常よりも早く手術できるよう配慮して頂いた。
(3)手術にあたり、日本に数台しかない高速ドリルを取り寄せ、『白い巨塔』のように何度もイメージトレーニングをしたと聞いた。
(4)通常は、2〜3時間程度の手術時間が、私の手術は6時間以上を要した。
(5)手術終了後、麻酔で寝ていた私は病室で目を覚ました。
(6)起きた時点で先生に体各部の動きを確認して頂き、『手術は成功した』と言わた。
(7)『手術は成功した』との先生の言葉に、私は心から安堵し、感謝した。
Y術後
(1)1週間:頭がやんだり、目まいがし、食事の時は30秒くらいしか続けて身体を起こしていられなかった。睡眠の際は、上腕の痛みで、熟睡できなかった。
(2)CTで手術した部分が順調であることは確認できたが、腕のしびれは完全にはとれずリハビリすることとなった。
(3)リハビリは、一日2回、1.5ヶ月間続けた。それにより、ある程度の握力は戻ったが、力仕事をすると、腕がつった。
(4)腕がつるのは、徐々に治していくしかないということで退院となった。
Z検査通院 年1回CT検査などを受け先生に確認して頂いている。
[今では年1度の通院になってから、魚釣りをしたり、ゴルフができるまで回復し、現在も健康に生活している。このような生活が送れるようになったのは、井須先生が熱意を持って挑んで頂いたおかげであり、生涯感謝の気持ちを持ち長生きさせていただきたいと思っております。
本当にありがとうございました。
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B-27 頚椎症 76歳 女性 |
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1 年齢: 76歳
2 性別: 女性
3 住所: 釧路市
4 病名: 頚椎症
5 手術: 頚椎前方除圧固定術
CT脊髄造影 MRI

後方骨棘により脊髄、神経根が圧迫されている
(C5/6レベル)
術後CT 術後XP

アパセラムを併用したWilliams-Isu法を用いて前方除圧固定術を施行
6 経過
2006年11月5日、突然の激痛で目が覚めました。時計は午前3時、とにかく落ち着こうと、座薬を注し、痛み止めの薬を飲みました。その後、湿布薬(インドメタシン)をたくさん塗りました。それでも痛みは治まらず、暖めたら良いかもしれないとお風呂を沸かして入りました。どうしても痛みは治まることはなく、只々夜明けを待ちました。(痛みの予兆はありました、1ヶ月程前、首に違和感を覚え、按摩や整体師を尋ねていました。按摩や整体師に行くと少し良くなったような気がしていました。そのときは、「寝違えたのかな。」と思っていました。)夜が明け、近所の整形外科に行きました、そこの医師は、レントゲン写真を見て、肩に注射をして、首には牽引の処置を行っていただきました。
翌日も同じ治療を行ったのですが、あまりの痛さに耐え切れず、その足でN総合病院に行きました。11月8日にMRIやレントゲン検査により、頚椎症という病気で「手術すれば直る。」との話でした。あまりの痛さにすぐにでも手術して欲しいと話ましたが、「暫く様子を見ましょう。」と言って、痛み止めの薬をたくさんもらいました。薬については、説明によると、治療の為の薬というよりは、当面痛みを抑える薬ばかりでした。薬が効いている間でも、大変痛く、また、薬が切れるのか、夜中の2時から3時頃になると激痛に襲われ寝れない日々が続きました。横になれない(痛くて横になることができない。)、夜中に激痛が走るということで、夜が来るのが怖かったです。そのことをN総合病院の医師に相談すると、「もう少し強い薬を出そうか。」と言っていましたが、この痛みが長引くことはもう限界でした。リスクがあっても根本的な治療をして欲しいという強い願いをかなえてもらいたいと思っていました。
その後、労災病院の井須先生に腰の手術を受けた友人が、「素晴らしい先生だから、是非井須先生にお願いしたらどうか。」とアドバイスをくれました。その後、有名な先生だと、色々な人から聞き、勉強不足であった自分の不明を悔やみながらも、11月29日に決意を持って朝一番に労災病院を訪ねました。当日、井須先生にお会いすることが出来、今までのいきさつを話すと、前の病院の紹介状も持って来ず、その医師に話もしないで来たことにお叱りを受けましたが、レントゲン写真を取っていただき、「次回に検査の結果について話をするから、家族を連れてきてください。」とのことでした。現在、主人と二人暮しですが、長男がタイのバンコクに、次男が横浜に住んでおり、検査結果については、次男に来てもらうことにしました。(井須先生のことを、次男はインターネット等で調べており、実績のある名医だから、是非井須先生に手術してもらうべきだと言っていました。)検査結果の説明については、井須先生により、患者の状況、手術のリスク、等を十分に説明していただきました。ただ、今の痛みを抱えたまま生活をすることは考えられませんでした。難しい手術でリスクはあっても必ず手術していただきたいとその場で即答しました。1月15日から18日まで検査入院し、手術前の説明には、長男がタイから戻り手術日が決まりました。
手術の日には、家族が集まり、井須先生を信頼し、何の不安もなく手を振って手術室に行きました。3時間半の井須先生の手術は、私にはマジックのように感じました。手術中は麻酔で憶えていませんが、初めて目覚めたときどこもつらくも痛くもありませんでした。すぐにトイレに歩いて行けました。あの激痛はうそのように消えていたのです。手術の次の日、井須先生の回診のときに、「どうですか。」と聞かれ、「先生120%大成功です。こんな嬉しいことはありません。」と言いました。手術後1週間で退院しました。現在手術後1ヶ月が経過しました。井須先生は、「何をしても良いよ。」とおっしゃってくださっています。
まだ、多少手に力が入りませんが、日に日に快方に向かっています。50代から始めた卓球は、20年以上やっています。先生は「リハビリに卓球やっても良いよ。その歳で卓球とは精力的だね。」と言っていました。患者に優しく接していただき感謝しております。体調は良くなってきていますので、いつか卓球が出来る希望が出てきました。井須先生本当にありがとうございました。
老骨に鞭打って痛みの無い生活を頑張りたいと思います。 |
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体験談26 頚椎症 64歳 男性 |
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1 名前: N.M.
2 年齢:64歳
3 性別男性
4 病名:頚椎症
5 手術法: 頚椎前方固定術
6 手術日: 平成18年8月22日
この度は大変有難うございます。手術後は毎日が充実した日に変わり、ウオーキングや腕の上下や振り等のリハビリに専念しております。
退職後旅行や囲碁等の趣味に物足りず、体育館を覗いた時から卓球に取り付かれ、この一年間は毎日練習や大会などに汗を流し、7キロも減量し、ここ地良い場所を見つけたところでした。そんな矢先に、いま振りかって考えますと疲労、ストレス、年齢的などで発症の数日前に、頭から右腕全体に激痛が走り10数分で収まりましたが、しかし、数年前から横になった姿勢で頭を左右に曲げると右頭部がピリッと感じておりました。5月13日(土曜日)午後2時ころ、横になり悪い姿勢でパソコン(囲碁対局中)を使用中突然右肩腕が麻痺状態になり、医師会病院で診察を受けました、脳梗塞の心配はないので、(当該病院には整形外科は無い)整形外科に行くよう進められました。小生は自宅に近いこともあり、総合病院の整形外科で治療を受け(クスリ治療)ました。しかし、指のしびれや肩の状態は正常に回復せず。先生にも尋ねましたが、私は整形が専門とのお話でした。小生も納得せず、総合案内で労災病院に脳神経科の専門の先生がいらっしゃると聞き、7月14日井須先生の診察を受けことになりました。一言が最良の出会いになりました。頚椎症と診断され待合室のHPを開き、先生の医療に対する取り組みや長年の研究結果や実績データ・・・人柄、はっきり確信を持って患者に状態を伝える等不安を取り除いて頂きました。安心してお願い出来ると確信し、苦悩、苦痛からの快方を願い手術の決断をしました。(この期間帯状疱疹後遺症に悩まされる)
治療の実績データは患者を一番安心・勇気ずけさせて頂いております。(一度の手術で95%、二度で99%回復)また、井須先生のHPは、患者にとつて医療の知識・治療方法・実績データや研究経緯の提供などオープンに素晴らしい発想と敬服いたしております。病名が確定し術前の先生から十分なインフォームコンセントのなかで、手術しても必ず改善されると一言も話されませんでした、最悪の状態にもなる可能性を話されました。当然車椅子、歩行困難や腕が使えなくなることを想定しますと確かに動揺はありました。 また、命に影響はないので、このままの状態で日常生活を送れればと・・・手術は絶対ではなく本人が決めること、家族の同意も当然必要です。しかし、自分の体でありながら、取り付けた様な腕の状態や指の感覚には対きれず、HPを何度も読み返し決断しました。また、入院中に同じ治療を受けて生き生きと明るく振舞う姿に勇気ずけられました。この様なことは、腰痛等の患者さんも同様でした。
手術後は部屋に戻った時から、腕の関節と指は自分の体に戻っていました。翌日早速息子達に手紙を書くことがきました。発症する前と同じく書くことが出来ました。手術室で削ったよ、後はリハビリだよと言われたことを鮮明に記憶しております。腕の上げる力は徐々に回復した経緯もあり、そんなに心配はしませんでした。術後徐々に力がつき、垂直に上げるようになり、9日目からは腕を水平に支えるように、退院後は軽くバット、クラブ(パーク)のスイング、腕の素振り(上げ、回し、伸ばす)ウオーキングなどで体力強化に専念しております。肩こりもありましたが徐々に解消しつつあります。不安がなくなり、前向きに物事を考えられるようになり、ぐっすり睡眠も取れるようになりました。
どの世界にも、心の狭い人間の妬みや嫌がらせはあるのですね?公務員OBですが立身出世には皆さん敏感でした。市民の公僕の精神は薄いようです。最後は教育委員会が長く青少年関係を担当し、希薄な家族関係、学校、地域、社会、行政(国)など大人たちの犠牲に子ども達がさらされていると考えております。オンブズマン的なシステムがどの様な世界にも浸透することを願います。正しい事はいつの時代も変わらないと信じています。
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体験談25 頚椎症 男性 63歳 |
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1 頚椎症
2 男性 63歳
3 頚椎前方除圧術(他院で頚椎後方除圧術を施行)
(平成18年5月16日)
2007年7月31日追加報告文
昨年、井須先生に頚椎の手術をしていただきました。
手術から約1年経ちました。思い起こせば一昨年、自転車の事故で頚椎を損傷し、近所の病院で安易に手術を受けてしまい、その結果、右上肢が全く動かなくなり、途方に暮れていた時に井須先生に巡り会えたのは、本当にラッキーでした。井須先生のお陰で徐々にではありますが、右上肢が事故前の状態に戻りつつあります。まだ、術後1年ですが、6月13日より約4週間スイスへトレッキングに行ってまいりました。
術後の海外旅行は、初めてでしたので少々不安はありましたが、毎日の様にトレッキングを楽しむ事ができました。
今年のスイスは、連日寒く吹雪きに遭った日もありました。しかし、何回行ってもスイスの自然の美しさには、感動します。この様な感動を又味わえたのは、井須先生に巡り会えたからだと、感謝してます。スイスの牧歌的な美しい風景を添付します。


MRIでは異常は見られませんでした。

CT脊髄造影にて、C5/6レベル右外側(矢印)で陰影欠損が見られる。
C6神経根障害と診断された。
主人が昨年の11月に自転車同士の事故に遭いました。自転車から放り出され、頭からコンクリートに激しくぶつかり、頭部に13針も縫う大怪我を負いました。
救急車で運ばれた病院でのMRI検査の結果、頚椎が損傷していることが分かりました。その時は様子を見るということで、頚椎は何の処置もせずに二週間程の入院で自宅に帰ってきましたが、徐じょに首の痛みと手の痺れが酷くなり、入院をしていた病院に相談したところ、「比較的簡単な手術をすれば治りますよ」と言われ、私も主人も熟慮せずに手術をうけました。ところが、オペ室から帰ってきた主人を見て驚いてしまいました。主人の両手が全く動かなくなっていたのでした。手術前には痛みと痺れはありましたが、普通に一人でなんでも出来ていました。しかし手術後は、食事も一人では食べることが出来ず、誰かに食べさせてもらわなければなりませんでした。洗面も、入浴も、トイレも、着替えも、一人では何も出来なくなってしまったのです。手術直後、主治医には、「日数が経てば動く様になりますよ」と言われました。左手は確かに一ヶ月程で少しずつ動くようになりましたが、右手は全く動かす事が出来ませんでした。なかなか良くならない病状に、心配になった私は主治医に「右手が動かないのはなぜですか?」とお聞きしましたが、「おかしいですね」と首を傾げるばかりでした。何も分からないまま、退院させられ、先行きの見えない不安に、ただどうしたら良いのかと悩む毎日でした。
しかし、このままではいけない、少しでも主人に良くなってもらいたいと思い、インターネットで色々なホームページを探しました。そこである日、井須先生の事が書き込まれたホームページを見つけ、先生の手術に対するお考えや思いに共感し、主人の手を治してくれるのはこの先生しかないと確信しました。
不躾とは思いましたが、井須先生に病状のメールを送らせて頂きました。
何度かメールのやり取りをさせて頂いた後、検査入院をさせて頂ける事になり、4月初旬に釧路労災病院に伺いました。
井須先生のして下さった検査は、造影剤の検査でした。前の病院では、MRI検査のみで造影剤の検査はしませんでした。MRIでは見つけられない頚椎の異常が、造影剤の検査で発見されました。検査後、検査結果と手術に対するリスクとメリットについて先生からお話を伺いました。そのお話を伺って、家族で話し合い、井須先生に手術をして頂こうと決心しました。手術当日は、右手が本当に良くなるのかと少し不安でしたが、手術が終了して、先生の第一声が「少しだけど右手が動きますよ」と言われたときは、姉と手を取り合って泣いてしまいました。しかも、手術後3時間でトイレに1人で歩いて行くのを見たときには本当にびっくりしました。前回の手術では、ベットから出ることは勿論、上半身を起き上がらせることも、首を横に向ける事も出来ない程ひどく、3,4日なにも動かすことすら出来なかったからです。井須先生の手術を受けた後、直ぐに左手の痺れと両手の痛みはとれました。今では左手は完全に近い状態になりつつあります。右手も少しづつではありますが動くようになりました。
先生がおっしゃるには、月単位、年単位で徐じょに治っていくとの事です。回復に希望が見えてきました。
今回の事で、私が感じたことは、どの様な手術でも本人や家族が良く主治医と話し合う事が重要だという事と、決して諦めてはいけないという事です。
最後になりましたが、井須先生には心から感謝しております。
ありがとうございました。
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体験談24 頚椎後縦靭帯骨化症 男性 41歳 |
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1 病名 頚椎後縦靭帯骨化症
2 男性 41歳
3 頚椎前方除圧固定術(平成18年4月11日施行)
4 獣医師

平成18年7月15日中標津町の医療講演会で体験談を話しました
私は、牛や馬の診療を行なう獣医師をしております。初めて自分の体調の異常に気が付いたのは…実のところは忘れてしまうくらい前なのです。そもそも、小学生の高学年の頃から器械体操を始め、真剣にオリンピックを目指していた為に、頸椎の捻挫など、普通の人には考えられないぐらいの負荷を身体に掛けていました。残念ながら、右膝に二度メスを入れ、現役生活からは退きましたが、その後はモータースポーツにのめり込み、数々の事故に巻き込まれるなど、自分でも恐ろしくなるぐらい、身体に負担を掛けてきたものです。また、日常の仕事も、体重500Kg〜1,000kgの大動物を相手に奮闘し、常に体力には自身を持っていました。しかし、常に異常な肩凝りに悩まされ、ひどい時には激しい頭痛で倒れる事ありました。これも、若気の至りで、身体を酷使し過ぎたせいだと、自分で勝手に納得し、マッサージや温泉につかって凝りを癒していましたが、平成18年の年明け頃から、牛の手術中にピンセットを落としたり、左手で行なう検査などをしている時に、指先の感覚が無くなったりと、実に不快な症状が出始めました。同時に、左腕が焼けるように痛み、肩から背中にかけての感覚がなくなる事もしばしばありました。さすがにこれはおかしい、頚椎のヘルニアあたりになっているのだろうと、自分で勝手に診断し首のストレッチを行なったり、マッサージをしたりしていましたが、一向に症状は改善せず、だんだんと両肩を締め付けられるような感覚に襲われ始めました。さすがに、これは異常であると思い、一度脳の検査を受けてみようと、近所の脳神経外科に足を運びました(MRIの検査が即日出来るのでその病院を選びました)。幸い、脳も血管系も異常は無く、血管年齢に至っては20代後半という診断結果に内心ほくそえんだものです…しかし、同時に受診した脊椎の検査で、頚椎ヘルニアではなく脊椎後靭帯骨化症!?であると診断されました。その時のやり取りは、「国の難病に指定されている頸椎後靭帯骨化症ですね。今日は専門の先生が居ないので、また来て下さい。」「え?こうじんたいこつかしょう???」「はい、C4〜C5、C5〜C6で脊髄の圧迫がありますね、肩凝りや傷みはそのせいですよ。今後の事については脊椎を手術する先生と話して下さい。」…と言われて帰されてしまいました。
私自身、難病という言葉に焦りを感じ、すぐさまインターネットや専門書で後靭帯骨化症の事について調べました。幸か不幸か、専門書に書かれている内容も、インターネットで報告されている内容もほぼ正確に理解出来る職業である為に、今、自分が置かれている立場を十分に理解できました。その時、とある体験談を辿って行った先で、偶然井須先生のホームページにたどり着き、直感的にこの先生に手術をお願いしようと思い、翌日には駆け込みで井須先生の診療待ちをしていました。2時間程の待ち時間の後、診察室で初めて井須先生と対面した時に、私はいきなり頸椎後靭帯骨化症です、手術して下さいと言っていました…大変失礼を致しました…今思えば、難病と言う言葉と、脊髄が切れるかも知れないと言う思い、仕事の事、家庭の事…色々な事でかなり焦っていたのだと思います。しかし、井須先生から帰ってきたお言葉は、手術は大変難しい事、焦って決める事では無い事、十分な検査をしてからでないと手術は出来ない事など、検査をする前に病気の事について、満足の行く説明をして頂きました。これまで、話だけにこれだけの時間を費やして下さる先生は、生まれて初めての経験でした。同時に、病気と向き合い、焦らず冷静にならないといけないと諭され、検査の予約をしてその日は病院を後にしました。正直、ちょっと腰砕けのような感じでしたが、先生と一度お話した事で、少し冷静になり、もう一度井須先生のホームページを隅々まで読み返し、遠方の家族に今の現状を話しました。私自身は、病名が判った当日に自分の状況を把握した為に、即日手術を決断しており、どこで手術をすべきなのか岩見沢で保健婦をしていた義母に問い合わせた所、美唄労災病院の元看護師長さんや札幌市立病院の元の院長先生よりお答え頂いたのは、「釧路には井須先生が居るじゃないか」でした。驚きでした!私も、義母に実は井須先生に手術してもらいたい旨を伝え、改めて、初めに受診した脳神経外科に出向き、井須先生に診て貰いたい旨を伝え、MRI、CTの画像を頂き井須先生の所に改めてお願いに行きました(この間わずか1週間)。先生もこの強引さに負けたのかどうかはわかりませんが(笑)、その場で1週間後の検査入院を決めて頂き、検査入院当日には、おおよその手術日程も決めていて下さいました。
検査入院のまま手術をして頂きましたので、自分の病名を知ってから、わずか1ヵ月後には手術が終わっていた事になります。この体験談を読まれた方は、ビックリするかも知れませんが、私自身は、手術は薬を飲むのと同じ事だと考えています。治療というものは、様々なアプローチがあり、その一つの方法として手術があると考えます。もちろん、手術は最終的な手段であると思いますが、薬を飲む事でも重大な副作用やアレルギー反応が出る場合もある以上、手術だけが危険で、それだけは避けなければならない事ではないと思います。もちろん、手術には様々な危険が伴い、不幸にして悲惨な結果になる事もあるかもしれません。しかし、自分自身の意思で必要と思うならば、積極的に手術を受けるべきではないでしょうか?その時に、手術によって得られる結果に十分な理解をする事が一番大事だと思います。1年も2年もほっておいた症状が、手術をした翌日に魔法が解けた様に改善する事など稀ではないでしょうか?これまでに腰の手術を経験した数人の方とお話しする機会がありましたが、「手術したのに良くならなかった」と言う方は、手術さえすればその症状が出る前以上の状態に戻ると考えている方が大半だと思います。つまり、手術する事によって、超人に生まれ変われると思っている方が多いと言う事ですね!突然の痛みに襲われて手術をした方は、痛みから開放された事によって100%に戻ったと思うでしょうが、徐々に状態が悪化し、しかもその症状をだましだまし過ごして来た様な方が、自分のイメージする状態まで戻るのに、いったいどれだけの時間が必要でしょうか?もしかしたらもう元には戻らないかも知れません。これはあくまでも個人の感覚、感性の問題であり、本人が現状を十分に把握しておらず、術後の状態に過度の期待・つまり現状を40%程度に見積もり、術後を100%としてしまう考え方だと思います。手術する事により病状の進行が止まり、その不安から開放される事が成功であるにも関わらず、自分の勝手なイメージ=“体調が悪くなる前は100mを13秒で走れたから、術後は12秒で走れるはず”と、あるわけの無い自分を思い描く事は、術後の失望につながるのではないでしょうか?13秒で走れた人が、術前は痛みを堪えて17秒掛かった、でも術後は17秒で楽に走れる…これは、100%直ったと思うのは私だけでしょうか?私自身は、過去の手術において、現役の選手生活を送れない事で、完治しなかったと考えた事もありますが、日常生活を障害無く過ごし、子供と普通に遊べる事はやはり完治していたんだと実感しています。今回も、手術をして頂き、目が覚めた時、指も足も動く、手術当日、自分の足で歩いてトイレに行ける、自分で食事が出来る…これだけでも私は驚きました。そして、完全な形ではないにせよ、1ヶ月で仕事に復帰する事が出来た、肩は凝るけど、もしも○○したら…と言う不安から開放されている事が喜びであります。でも、もうバク転をしようとか、ムーンサルトを決めようとは思いません。それは、はるか昔の事…手術前には出来なかった事で、この先も、もう出来ない事だと知っているからです。普通に生活できる事は、本当に幸せですね。その幸せを与えてくださった井須先生に心より感謝致します。
井須先生は手術を勧めません!でも、私は井須先生に手術をして頂く事をお勧めします。現在では、様々な方面の病院や先生方のホームページが見る事が出来、比較する事が出来ます。手術症例数や治癒率、合併症の発生状況等は報告されていますが、合併症発生時の処置やその後の改善状況まで明示している先生は井須先生しか居ない事を皆さんはご存知ですか?これらのホームページを見る時や手術を勧める先生方は手術の利点や安全性について大きく取り上げています。しかし、井須先生の実績報告には、必ず合併症の予後について書かれています。そして、井須先生は必ずその5%の話からされるのです…これは本当に素晴らしい事で、とても信頼出来る行為だと思います。あなたの病気は手術が必要だ、その成功率は95%と聞いた時、ほとんどの人は自分が95%に入ると思う事でしょう。しかし、本当に必要なのは、5%になった時にどうしようか十分に考え、自分を取り巻くすべての人たちの理解と協力を得て、病気と戦う環境を作り上げる事が重要だと思います。そして、その病魔と闘う為に、心から信頼出来る医師を、ご自分の足で、意思で選ぶべきです。あなたの足はまだ動きますか?もし手術を決意したならば、迷わず井須先生の元を尋ねて下さい。そして、納得いくまで先生とお話してみてください。実は、納得いくまで診察室で会話出来る事自体がすごい事だと思います!さらに、もしも手術を受ける事が決まったら、手術前日、病室に回診に来られた井須先生は、「いよいよ明日ですね、よろしくお願いします」と言って頭を下げられます…感動しますよ!
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体験談23 頚椎症 女性、38歳 |
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1 名前 S
2 年齢 38歳
3 性別 女性
4 病名 頚椎症/頚椎前方除圧術
ある日、突然右手の親指と人差し指に痺れを感じてそれが右手全体にそして 左手まで痺れを感じて字を書くのにも日常の細かな動きにも辛さを感じて、
某整形外科にて検査を受けました。結果告げられたのは、首のヘルニアで 3ヶ所あること、このままでは病状が進行すること、首に強い衝撃を受け たりした場合体が動かなくなることもあること、治すためには手術するこ
とでした。
今まで病気なんてしたことがなかった私は、本当に大袈裟かも知れませんがとてもショックを受けそれと同時に現実を受け止めることができませんでした、しかし現実にはゆっくりと病状が進んでいることは自分が一番感 じていました。でも、何故か、かかっている整形外科では手術をするということに不安を感じていました。
『手術をすれば治りますか?』との私の問いに『ほぼ治ります』と答える先生、本当はたくさん質問したいことがあったのです が、色々聞いても短く淡々と答える先生、5〜6回その先生に診て頂き話
は毎回5分から長くても15分程度でした、多分私の中で信頼が生まれ ていなかったのだと思います。主人に相談し数年前に主人の母が偶然にも井須先生に腰の手術をして頂いたこととすごくいい先生だという話しを聞き、井須先生に診てい頂こうと思い井須先生の元を訪れました。
その頃の私の不安は限界でした、先生はまず今までの経緯を聞いてくださり、そして『はっきり言って難しい手術です、簡単に勧めることはできませんね』と仰いました。そしてこの病気のことを私にも分かるようにゆっくり説明して下さいました。手術の危険度そして利点、今の私が選べる選択肢までも、まっすぐ私の目を見て、そのとき私は、この病気になって初めてボロボロ泣いてしまいました。しかも初対面の人の前で、止めようと思っても止まらなかった、先生の口からは、まるで私の気持ちが分かるかのように私が質問もしていないのに今まで聞きたかったことが次々と出てくるのです。
先生はちょっと(本当はかなり?)驚いて、そして笑顔で『でもこの病気は死ぬような病気ではないからゆっくり考えましょう、次回はご主人も連れてきてください』と又、『病気には家族の理解と協力が必要ですから』と仰いました。もうこの時すでに、私の心は井須先生に手術をお願いしようと決めていました。
以前に、診ていただいた先生には生まれなかった信頼がたった一度お会いした井須先生には生まれていました、何の迷いも違和感もありませんでした。その1ヶ月半後検査入院を経て3ヶ所ある部分の1ヶ所だけの手術を井須先生にして頂きました、今必要の無いところまで手術はしないほうが良いとの先生の判断にも納得できました。
手術直後から左手の痺れは無くなり、次第に右手の痺れも弱くなり術後11日で退院することができました。4ヶ月経った今は右手の痺れもほとんど感じなくなりました。
大成功です!! 私は偶然にも体験談C−3の方と同じ時期に入院していてご主人とお話を する機会があり、お嬢さんが井須先生に手術をお願いしたかったが出来な
かった事、そして悲しい結果になってしまった事、そして今度は奥様が病 気になり井須先生にお願いしたこと伺いました、その話を聞いたとき私は 、とても切なくなりました。井須先生はセカンドオピニオンを積極的に薦めていらっしゃいます。もしも、その方のお嬢さんの先生もセカンドオピニオンを薦めていたら、もしかして違った結果になったのかも、と思ってしまいます。セカンドオピニオンを分かっていても今診ていただいている医師に失礼ではないかと思い患者からは、中々言い出しにくいものだと思うからです。
私も結局は以前の先生には相談できないまま井須先生のところに行きました。セカンド オピニオンを医師の方から薦めても断って『是非、先生にお願いします』
と言う患者はまさに、その医師を信頼し希望をかけている患者だと思います。 私は、手の痺れを感じてから5ヶ月と言う速さで信頼できる医師に出会 うことが出来たこと、井須先生に出会えたことに感謝します。
私と同じように悩んでいる方、是非一度井須先生に相談してみてはい かがですか?
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体験談22 頚椎症と頚椎後縦靱帯骨化症、男性、63歳 |
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1 氏名:体験談B-21のY.T.さんのご主人
2 年齢:63歳
3 性別:男性
4 職業: 41年間技術研究開発関係に従事
(小さな社会福祉法人の理事長(無給)
1.はじめに
本体験談では、夫も家族を代表して体験談を投稿させていただきます。
2005年8月12日、水戸の総合病院の整形外科でMRI検査を受けた妻が帰宅し、頚椎後縦靱帯骨化症と診断されたと告げた。難病指定の病気との説明があったが私にははじめて聞く病名でどのような病気なのか全く理解できなかった。しかし30年連れ添って山も谷も一緒に生きてきた2人、結婚のとき“幸せにする”と誓った言葉が昨日のように思い出された。なんとしても治したい、娘と二人でインターネットで調査した。頚椎後縦靱帯骨化症は顕在化した人も顕在化していない人も含めると相当な有病率と認識している。住友信託銀行企画で日本放送出版協会発行の「60歳のラブレターC」でも九州大牟田の方が靱帯骨化症で悩まれている。井須先生のお蔭をもちまして、妻のやり残した夢をあきらめることなく少しずつ実現に向かって前進していきたいと思っています。家族、そして運営してきた施設利用者や仲間などの心からの支援に深く感謝しております。
2.同じような悩みをお持ちの方々へ
同じような悩みを持った人々に私どもの経験は何らかのお役に立つのではないかと思いました。是非、先生のHPに妻と2人での体験談を投稿させていただきたいと考えました。また先生も同様のお考えでした。私は、この病気に対する無知、驚き、絶望、不安、短期間の調査結果の不完全さへの心配、リスクへの恐怖、妻子の不憫さ等々、この後の体験談に書きましたとおり弱い人間です。それが井須先生−患者である妻−家族の信頼関係でこの困難を乗り越えられたことを神に感謝しております。一時は神を凄く恨みもしたのですが今は他者のために精一杯生きてきた妻を神も見放させなかったと考えております。同じような悩みをお持ちの方々、医師−患者−家族の信頼関係を確立して、可能性を信じ何としても困難を乗り越えていただきたいと願っております。チャレンジせずに何も得られないのではないでしょうか。乗り越えようとすることが幸せに繋がるのではないかと思っています。井須先生との出会いに感謝!
3.手術に至る経緯
1)H17.8.12 水戸の総合病院整形外科で頚椎後縦靱帯骨化症と診断された。
2)H17.8.12〜 どう対応するかの検討
3)H17.8.22 水戸の総合病院整形外科で神経関係の機能検査を受ける。
4)H17.8.23 井須先生に29日外来で受診する旨ご連絡。
5)H17.8.26 水戸の総合病院でMRI検査の結果借用、井須先生への紹介状を書いていただく。苫小牧港に向けて大洗港を出発。
6)H17.8.29 釧路労災病院の脳神経外科で井須先生の診察を受ける。
7)H17.9.9〜.9.16 釧路労災病院に検査入院
8)H17.9.22 手術のため入院
9)H17.9.27 手術
10)H17.10.15 退院
11)H17.12.12 検査のため釧路労災病院受診(日帰)
12)H18.6 検査のため釧路労災病院で受診予定
4.調査範囲及び結果(主要なもの)
4.1 調査範囲
1) 日本脊椎脊髄病学会ホームページ
・主な症状
・主な疾患
・主な治療法
主な保存療法
主な手術療法
一般的には薬物療法や理学療法などの保存療法を十分に行い、それらの効果が見られない症例に対して手術を行うのが原則です。しかし、重大な神経麻痺が生じたり、腫瘍の進展が早い場合などは緊急に手術を行うこともあります。
・全国指導医マップ(茨城県と北海道の指導医名を個々にチェック)
・研究成果報告(必要に応じて)
2) 難病の指針 茨城県医師会勤務医師会 「後縦靱帯骨化症」
3) 頚椎後縦靱帯骨化症 「患者の立場からの頚椎後縦靱帯骨化症−1、2,3
4) 県西部浜松医療センターホームページ
5) 静岡新聞 頚椎後縦靱帯骨化症手術について 新聞連載記事が本になったとの記事(県西部浜松医療センター・整形外科)
6) 後縦靱帯骨化症を考える
国立大阪病院整形外科紹介 疾患別の手術実績を紹介
7) 脊椎脊髄疾患 釧路労災病院脳神経外科部長 井須豊彦先生HP
8) 釧路労災病院ホームページ
9) 日本医科大学付属千葉北総病院HP
10) 整形外科 Aizawa Hospital
11) 近畿大学医学部脳神経外科学教室HP 当院における脊髄・脊椎疾患についての治療方針
12) たはら整形外科HP 頚椎後縦靱帯骨化症(OPLL)
13) 藤枝 平成記念病院科HP
14) 県南病院 HP
15) 難病情報センター
16) 北海道後縦靱帯骨化症友の会
4.2 調査結果
・後縦靱帯骨化症は進行性の病気である。手術以外に抜本的に症状の進行を遅らせたり改善したりできる可能性は期待しがたい。「爆弾」を抱えているということであり除去できる方法は手術しかない。
・悪化してから手術しても良くなる確率は当然低下していく。特に大きな衝撃を受けてからでは良くなる期待は持てない。
・井須先生の手術方法は、手術箇所が首1箇所だけであり、一般的な手術方法と比較して患者の負担が少なく早い回復が期待できる(4.調査範囲の3)参照)。
・極めて難しい手術のため頚椎・脊椎等の手術では井須先生でもリスクが10%程度存在する。早急にお伺いしてリスクの詳細内容をご教示いただいた上で、最終的に判断したい。30年間一緒に暮らし数々の困難を共に一緒に乗り越えてきた、今回も乗り越えよう、何があっても生涯一緒に生きよう。妻にはなすべきことがある。最初に授かった長男が知的障害を持って生まれたため、地域境福祉の向上のため血のにじむような努力を30年近く続けている。その結果、小型とはいえ社会福祉法人の認可を受け施設運営の実質的責任者をつとめている。安全第一に暮らせといっても納得がいかないのは当然。また安全第一に暮らしても本当に生きているとは言えないし実際上このような生活は不可能である。安全である保証は無い。爆弾はいつ破裂するかわからない。
5.医者−患者−家族の関係
医学ばかりでなくいかなる領域においても100%成功することは不可能と考えます。井須先生も如何に努力しても100パーセント成功させたいとの願いは叶わないとおっしゃいます。このような手術は、極めて優れた技術と知識そして十分な経験をお持ちの信頼できる先生がリスクを承知で決意され、患者本人が本心から決意し、場合によっては手術の結果が今後の人生に重大な影響を与えることになる「配偶者、子供達、親、兄弟」皆が一緒になって心を一つにできるトライアングルが成立か否かが成功の鍵を握ると考えます。契約で成立つものではなく信頼で成り立つものと考える。
・ 医者は患者・家族を信頼できるか:
通常先生は多忙で医者と患者・家族が話合える機会は少ない。特に遠距離の場合は少なくなりがちである。何を根拠に医者は患者・家族を信頼するか。同意書ではないと思う。患者・家族が持っている人間性ではないかと考えている。
・患者・家族は医者を信頼できるか
何を根拠に信頼するか。実績(腕)・手術方法・実績の公開のレベル・患者の評判・論文発表等の実績・手術方法・現在に至る経緯などは判断材料になると考えるがそれだけでは不十分で、その先生が持っている人間性ではないかと考えている。
・患者は家族を信頼できるか
私たち夫婦にはお互いを信頼してきた長い生活があり、私を信頼もらえるものと思っていた。しかし井須先生の手術に関する説明にありましたが、患者はつらいことが沢山あるので当たるところが必要です。しかし、技術系で目的追求型の私には妻の愚痴を長期間上手に聞き(流し)少しでもストレスを少なくできるかは必ずしも自信は無い。30年前に結婚する時「幸せにする」と誓った初心に帰って最善を尽くすのみである。
6.井須先生の診察
6.1 初診
井須先生の診断結果は頚椎症と頚椎後縦靱帯骨化症であった。頚椎後縦靱帯骨化症に関しては水戸の総合病院と同様である。説明の要旨は検査入院の説明と同様であり、先生は現時点では手術を勧められなかった。先生との連絡手段もあるのでもう少し様子を見ながら手術時期を判断してはどうかとのご意見であった。
私と妻は、以下の理由によりできる限り早い手術を希望した。
・薬物や温熱療法、牽引療法など一般的治療方法では完治しない。
・進行性の病気であり、進行速度については個人差が大きいようであるが「手術」以外では、進行を止めることはできない。
・悪化してから手術しても良くなる確率は低下して回復は期待できない。現在より悪化させずに手術に望みたい。
・転倒や追突等頭部に大きな衝撃を受けると急速に症状が悪化する。手術の最大の目的は、“症状の悪化を止め”て“爆弾を除去”することにあり、9月8日に検査入院して症状を詳細に調べた後、9月末に手術する方向で先生のご了解が得られた。
6.2 検査入院
検査入院の最後日の9月16日に手術説明がありました。ご説明は要旨以下のとおりです。
主たる項目
1)病名・病状
2)手術名とその内容(手術予定日)
3)麻酔の方法・内容
4)手術の必要性と手術をしない時の経過予想
5)他の治療方法との比較、その利点と危険性
6)手術自体の危険性及び考えられる合併症
7)予後(経過予想)及び考えられる後遺症
8)通常は発生しないが起こりえる重大な危険性
説明要旨
1) 頚椎後縦靱帯骨化症及び頚椎症(上下肢痺れ、痛み、運動麻痺)
2) 前方除圧固定術(C5/6,6/7)
自家椎体を用いた前方固定術(吸収性スクリュー使用)。神経を直接圧迫している骨化巣を除去する手術法と脊柱管を拡大する手術方(後方除圧術)があるが初回の手術は前方除圧手術を選択し、減圧が不十分の場合には後方除圧術を追加施行する。
3) 全身麻酔
4, 5) 保存療法としてはコルセット装着、鎮痛剤等による薬物療法、安静療法がありますが根治療法を望む場合には手術が必要です。手術は非常に難しく高度な技術を必要とし、術後に症状が悪くなる可能性が高い手術であるため(症状が悪化し最悪の場合は寝たきりの生活)、手術をするかどうか手術の時期については本人並びに家族の方が決めるべきです。通常は歩行が困難となり手術が行われることが多いです。現在、歩行が可能ですのですぐに手術をする必要はありません。手術をしない選択、他の病院で手術をする選択もあります。入院期間が3か月位になる可能性があるため、家族が頻回に釧路に来なければなりません(介護が必要な場合に備えて長期間介護できる方を決めておく必要があります)。そのため近くの専門病院で手術をすることが良いです。
6) MRIでは、神経に対する圧迫が強いため、手術後、神経が損傷され症状が悪化する可能性が通常の手術より高い手術です。最も多い合併症は上肢挙上困難(C5麻痺、頻度約10%)であり、回復には数か月以上を要します。症状が悪化し歩行できなくなれば、通常数か月のリハビリが必要です。症状が重篤な場合には、症状は回復せず車椅子生活、寝たきり生活になることもなることもあります(排尿排便障害も合併)。また、手、足のしびれ、痛みが強くなれば辛いことになります。また、傷の感染、髄液漏、髄膜炎を合併した場合には術後1週間、脊椎硬膜内ドレナージ(ベット上安静)が必要です。
前方手術では、術後、のどの痛み、声のかすれ(反回神経麻痺)、のどのつかえ等が起きますが通常数か月で消失する。1%ぐらいは症状が残ります。
7) 通常、術翌日より離床する。術後、症状が悪化、出現した場合、改善しない場合には再手術にて病変を摘出する手術が必要となることがある。再手術の原因は1)術後感染・出血 2)神経の減圧不十分 3)脊椎不安定性の出現等が考えられます。通常手術しても痛み、しびれ、運動麻痺は後遺症として残存します。症状の悪化を止める手術と思ってください。また、手術隣接椎間または手術部位の病変が悪化進行(骨化巣の増大)してきた場合には、再び手術が必要になる。
8,9) 上記合併症に加え、手術した疾患と直接関係がない疾患(心筋梗塞、肺炎)、肺梗塞エコノミー症候群、脳卒中)が併発し重篤な状態となることもある。そのため、多くの方と相談してよく考えてから手術をするかどうか決めてください。
6.3 手術のための入院
手術に当たり受けた説明、受領した説明書、提出した同意書等は以下のとおり。
1) 特定生物由来製品使用説明書
2) 釧路労災病院輸血療法説明書
3) 輸血同意書
4) 麻酔説明書、麻酔同意書
5) 手術説明・同意書
7.私の付添い心得
1) 付添う時期
検査入院の時には社会福祉法人の運営上、妻と私の両方が不在となる期間を少しでも短くしようとして、私は4日遅れて出発しました。退院するまでの4日間、手術を受けられる同室の患者さんの心の葛藤と覚悟、揺れ動く心の中を毎日何もしてあげることもできずみ見ていて本当に心苦しく感じました。結果として手術時の入院では「手術前が大事」と強く感じ、手術時は一緒に入院して一緒に退院すると心に決めました。
2) 息子
先にご紹介いたしましたように、私ども夫婦には子供が二人おりまして29歳の息子(付き添中に誕生日を迎えた)は一人では生活が困難です。娘は父母が不在となるため、福祉施設を守るため過重労働となっており息子の面倒を頼むわけにはいかない。そのため初診で釧路労災病院を訪れた時も含めて、息子は常に私と一緒に行動しました。
3)洗濯
9階にコインランドリーが有り、安価であるが多少込んでいるので好いている時間帯を知ることが肝要。
4) 宿泊施設
自家用車などに泊られて頑張っておられる方もおられ頭の下がる思いでした。私はビジネスホテルと民宿を利用した。
@ビジネスホテル
検査入院時にはビジネスホテルに泊まりました。話題のホテルを含めてJR釧路駅近くには数多くのビジネスホテルが存在する。しかしながら労災病院周辺には少ないようで、タクシーで通う必要がある。ホテルによってはウイクリーマンションのような契約も可能のようである。
A民宿
検査入院時にホテル予約に苦労したので、病院周辺に民宿があると先生から教えていただきました。手術時の入院では病院前の民宿に泊りました。料金的にはビジネスホテルより多少負担が少なくて済みます。希望すれば朝・夕食も用意していただけます。井須先生の患者さんで東京から来られた方も泊られていたとのこと。
5) 食事どころ
朝:民宿にお世話になった。
昼:労災病院の食堂を主に息子が飽きないよう近所の食堂を利用。
夜:外食。これが結構大変。徒歩15分程度のところに種々のお店があります。
8.退院後の状況.
退院後の状況については妻の体験談をご覧下さい。検査入院の項に記載しました手術に当たっての説明内容にほぼ近い状況でした。しばらくは我慢の日々でしたがずいぶん元気になりました。
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体験談21 頚椎後縦靱帯骨化症、女性、51歳 |
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体験談
1 名前 Y.T
2 年齢 51歳
3 性別 女性
4 職業 知的障害者福祉作業所職員
5 病気 頚椎後縦靱帯骨化症
6 手術日 平成17年9月27日
7 住所 茨城県水戸市
8 一言・体験談
はじめに
私は、頚椎後縦靱帯骨化症・頚椎症という病にかかりました。頚椎後縦靱帯骨化症は難病と言う事ですが、井須先生との出会いにより、私は難病患者では無くなりました。
この病気は、命を奪う病ではありませんが、人が人として送ろうとする人生を大きく変える病であり、一番大事に思っている家族の人生をも巻き添えにする恐ろしい病だと思います。この病気と向かい合った患者の一人として、井須先生に助けていただいた患者の一人として、また、主人は患者の家族の立場から共に投稿させていただきます。
1) 自覚症状が出てから病名が判るまで
平成12年1月にちょっとした片づけ物をしていた時に突然手が動かなくなり、自分に何が起こったのかなと思いながら、すぐに治ったので様子を見ていた。
その後も、首のだるさ、腕の痛み、手の指の痺れ、体中あちらこちらでぴくぴくと痙攣と色々な症状が出たが、24時間、何時もではない事と、症状がいつも同じでないこと、また、年齢的に更年期の時期でもあり、どこの病院に行ったらよいのかも判らなかった。
とりあえず何軒かの整形外科に行ったが、痺れにはビタミン剤、痛みには痛み止め、湿布薬という具合で、自分が感じている辛さ、違和感が医師に伝わったとは思えず、改善もされなかった。
突然、一時的に眼が見えなくなったり、耳鳴りがひどくなったり、左半身(顔も含め)に痺れを感じた時には不安になり、眼科、耳鼻科、神経内科に行きはしたが、他人には理解してもらいにくい症状は続き、主人の理解と協力は得ていたものの大きなストレスになっていた。
仕事が忙しかった時期でもあり、疲労とストレスで精神的なものではないかと心療内科にもかかった。
平成17年8月12日までこんな状態で、右腕のだるさ、痛みがますますひどくなり、字を書くことも困難になり仕事にも家事にも支障が出、総合病院の整形外科を訪ねた。
唯、症状を言い並べても今までの繰返しと思い、医師に開口一番、腕を手術してほしいと言いました。症状を説明しているうちに先生は、腕ではなく首かもと言われ、その日のうちにMRIを行い、病名を初めて知ることになった。
頚椎後縦靱帯骨化症という診断結果で難病の手続きをした方がいいと言われた。手術の必要はとお尋ねすると今の状態ではありませんという返事だった。私は、やっと体調が悪い原因がわかったという安堵感と難病という言葉への複雑な気持ちで帰宅した。
2) 難病患者脱却決断までの道程
@ 情報入手方法:私の病名を知った家族は即、頚椎後縦靱帯骨化症という病気についてインターネットで色々調べ情報を集めてくれた。(8月12日)
A 病気の認識:神経の圧迫により、痺れや痛みなどの症状が見られる病気であること。発病原因が不明、放置していては治らず進行する。手術以外の方法で進行を防ぐことは望めない。進行してからでは手術をしても回復の可能性は低くなる。
B 治療方法の情報:かなり症状が重くならないと一般的には手術はせず、温存的治療方法が主流であるが、根治療法 (手術)を行っている病院がいくつかある。その中でも患者に与える負担がもっとも軽く、入院期間も短い手術技術を持っている井須先生が釧路労災病院にいらっしゃることを知る。
C 井須先生の診断を受ける:井須先生の診断結果も水戸の総合病院での診断結果と同じものでした。大きく違っていたのは、リスクはあるものの根治療法(手術)あるという説明を伺うことができたことです。
手術を望んでいることをお話したところ、先ずは検査入院をし、結果を見たうえで一緒に考えていきましょうということでした。12日後に1週間程の検査入院をしました。
その後、手術を前提にリスクの説明を受けました。根治治療を望むには手術以外には無く、手術は大変高度な技術を必要とし、術後に現状より悪くなる可能性も有り、最悪は寝たきりの生活もあるので、手術の判断は家族と相談の上、本人が決めるべきということでした。
D 手術を決心:井須先生は、時間をかけて、率直なご説明をしてくださいました。ご信頼できる技術と実績をお持ちと確信しました。何より先生が目指されている医療のあり方が患者に向いていることに共感し、手術は先生にお願いしたいと心から思いました。
でも、手術を決心することは簡単なことではありませんでした。知人に同じ病気の方がおり、その方はご自分の病気を知らずに転んだ衝撃で動けない状態になり、手術はしたもの寝たきりの生活になりました。この病気の恐ろしさと看病をする方の大変さを目の当たりにしました。
手術をしなければ、転ばないようにとか、人にぶつからないようにとか気をつけなくてはと思うストレス、痺れや痛みに日々耐え、自分が思い描いた今後の人生も余儀なく変更しなくてはならない。
そう考えると手術しかないと強く思い、もし、手術の結果が悪ければ、重度の知的障害を持つ息子を見ながら、私の介護をする主人の姿を想像し、来年結婚を決めている娘の気持ちを思うと切なく、手術の選択の時期は今でいいのかなどと尽きることの無い悩みでした。
家族や兄弟は早々と覚悟を決め、励まし、温かく包んでくれました。私は家族の強い思いを背に手術を決心しました。手術当日は悩ましかった日々がうそのように、ちょっと弾んだ気分で、手術室はどんな所かな?などと好奇心いっぱいでした。先生と家族を信頼していた証拠だと思います。
3) 手術から1ヶ月まで:
手術室はきれいで、スタッフの皆さんの気遣いで不安を感じることもなく、温かい毛布に包まれ、あっという間に眠りに入りました。手術室で眼が覚め、手足が動き、声が出ることを確認出来た時にはやはり、ほっとしました。
・ 手術当日で、夕食にはおかゆが出た。一口食べましたが、夜吐き気に襲われ、食べたことを後悔。
・ 2日目、起してもらえれば自力でトイレに行けるようになる。
・ 3日目、自力で起き上がれるようになる。
・ 5日目、階段の上り下りなどの運動を始める。
・ 7日目、入浴の許可出る。
・ 18日目、退院
右腕に力が入らない、首から肩、腕、手の先に稲妻のように走る痛みに悩まされました。特に寝ている状態時が辛かった。声が出しにくく、大きな声は出ず、喉が腫れている感じで、喉が痞える気がする症状がしばらく続いた。術前に痺れを感じていた左半身の痺れが消えた。
4) 手術から2ヶ月まで
・術後1ヶ月後には徐々に職場復帰
・2ヶ月目にはいると首もしっかり座った感じ。
・首の回り方も160度くらい回るようになる。
・下を向くのが辛かったのが少し楽になる。上を向くのはまだ辛い。
・首から肩、腕、手の先に稲妻のように走る痛みが和らいできた。
・張り切りすぎか、ひざに無理がかかり水がたまるというアクシデント(先生からは、首は動かしても心配が無いというお話だったので、手術や、入院期間中に体力がかなり落ちていることにあまり配慮せず、1日も早く体調を整えたいと焦って動きすぎたことが裏目に出、ひざや腕などが痛み、回復している実感は足踏み状態だった)
5) 手術後5ヶ月に入って
・ 今も多少体調の悪さを感じている。
この痛みは術後のせいか、いずれ治まるものか、続くものなのか等と神経質になった時期もあったが、手術の第一目的であった、取り返しの付かないダメージになるかもしれない、骨化した部分は取り除いていただき、日常生活ができるようになっただけで、十分満足な結果であると自然と思うようになって来た。
・ 手術をしたことで全てが解決する病気ではなく、神経の損傷に応じて回復にも時間がかかるものもあるはずだから、これからは、ゆったりした気持ちで自分の体と上手に付き合いたいと思っている。現在、職場と主婦業共に50パーセント復帰。
6) 手術をして得たもの
・家族を自分の介護で束縛しなくて済んだ喜び。
・もし転んだら、もし○○という恐怖からの開放。
・痺れや痛みが弱くなったことでライフワークと思っていた福祉活動が続けられること。
・強くて優しい家族を再認識できたこと。
7) 井須先生の手術を経験して
・ 手術箇所が一箇所で済むこと、傷口が小さいこと、首の固定期間がほとんど無いこと、翌日からトイレにいけることなどで、行動制限のストレスがないこと、入院期間が短いことが特徴だと感じた。
・ 信頼できる医師を自分が選択したという気持ちが一番大事であることはもちろんであるが、医師に信頼してもらえる患者(家族含む)になることも同じくらい大事なことだと思う。
患者のリスクは医師のリスクでもあるわけで、前を向いて歩む両者の気持ちが一つになってこそ結果が付いてくるのでは。
私たち家族は井須先生を信頼し、先生も私たち家族を患者として合格点を付けて下さったのだと勝手に思っている。
8) 病院の印象:
子供が病弱で色々な病院の病棟を見てきたが、釧路労災病院の脳外科は、とてもカジュアルな感じで、仰々しさが無く、心地よさを感じた。患者さんと交わす看護婦さんの方言での会話に温かさを感じた。9階の展望風呂とカフェは毎日の楽しみだった。
9) 頚椎後縦靱帯骨化症患者になって思うこと:
私は水戸という遠地に住んでいるにもかかわらず、幸いにも井須先生の存在を知ることができました。
家族にも恵まれ、経済的にも耐えることができる範囲でありましたので、釧路まで行き、井須先生の手術を受けることができたわけです。
この病気の多くの方は、井須先生の存在も手術方法も知らず、進行していく病に不安と苦痛を背負いながら暮らしていらっしゃるのではないでしょうか。
せめて全ての患者に平等に治療方法の情報が提供されることを願わずに入られません。そして何時かは、各県にお一人ぐらい第2第3の井須先生が誕生する日が来ることを心から望でおります。
茨城県でも難病の会が発足するらしいので、私も体験談をお話させていただくような形の参加をして、この病気にも選択肢があることを、一人でも多くの方に伝えていきたいと思っています。
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体験談20 頚椎症、頚椎前方固定術後(チタンケージ、前方プレート使用例),女性,44歳 |
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1 名前:T.N.
2 年齢:44歳
3 性別:女性 4 職業: 主婦
5 病名 頚椎症、頚椎前方固定術後(チタンケージ、前方プレート使用例)
7 住所:根室市
8 体験談
私は平成17年3月下旬頃より左肩が凝るようになり、徐々に腕・指先まで痺れるので5月に病院を受診しました。こう言うのは整形なんだろうと言う思い込みで何の疑いも無く受診したのです。頚椎症性神経根症と診断され、牽引治療が良いとの事で入院しました。2週間の予定でしたが改善が見られず後は手術しかないとの事で、痛みが軽減するのであればと思い手術することにしました。6月22日痛みから解放されることだけを願って手術を受けました。予定通り終わり麻酔から覚めたら今まで味わったことの無い痛みが体中に走り、特に両腕が動かすことも出来ず、触られることはもってのほか風が吹いても痛いという状態でした。変に思った主人が医師に聞いた所解らないと言われ愕然としたそうです。痛み止めの注射はほとんど効かない状態で、このまま死ぬんじゃないかと思ったほどでした。それでも注射をし続け翌日MRI等の検査をした所、前日の手術で神経を圧迫させていた事が解り、その日の夕方緊急手術となりました。手術が終わった頃やっと主人も駆けつけましたが、状態は前日と変わらずひたすら痛さに耐えるしかありませんでした。痛み止めの注射も二時間ともたず、天使のはずの看護師さんが悪魔に見えました。4日目位にやっと少し注射を使う間隔も空けれる位になりました。その間幻覚を見たり誰も居ないのに叩かれて起こされたりと何だか気味の悪い体験もしてしまいました。一週間を過ぎる頃には大分落ち着き色々考える事も出来るようになり、医師が言うには痺れと痛みは神経が憶えているためで後は自然に抜けていくのを待つしかないと言われ、はぁ〜?って思いそれはいつなんだと聞いたら何時か解らないと言われ頭の中が真っ白になり、その後泣き続ける毎日で仕事に復帰できるんだろうか…家の事出来るんだろうか…両手に力が入らず物が持てず食べさせてもらうと言う情けない状態でした。とにかく立てるようになりたい、歩けるようになりたい一心でベッドから起きれるように頑張り6月に入ってから室内のトイレまで行けるようになったけど後始末が出来ずその度看護師さんを呼ぶ始末…リハビリして下さいという事で最初はルームリハビリをし、起きれるようになって車椅子でリハビリ室まで行くようになりました。その後何とか歩いて行けるようにまでなりましたが、すぐに体がばててしまいとにかくしんどかったです。
7月も終わりになりこのまま居ても仕方が無いし、申し訳ないと謝るだけの医師も信用できないし、退院し自力で少しずつですが仕事に復帰したい一心で何とか日常生活が出来るまでにしました。入院前よりひどくされ、沢山の医療費を取られ踏んだり蹴ったりで、どこにこの思いをぶつけたらいいんだろうと思いました。手術なんかしなければ良かったと後悔しましたがあとの祭りです。9月から何とか仕事に復帰しいろんな話をあちこちから聞かされ、「何で脳神経外科に行かなかったの?井須先生と言う良い医師が居るのに…」と聞き驚きと勉強不足にガックリしました。仕事に復帰したのはいいがそれが精一杯で家事等は主人や子供達がやってくれ本当に家族に感謝です。体調は良くなく、両手と左半身が痺れて痛く散歩も出来ない状態でしたので、何とか軽減できない物かと思ってたら、知人が駄目もとで一度井須先生に診てもらったら?と言われ藁をもすがる思いで先生を訪ねて事情と体調をお話しした所、検査してみましょうと言ってくれ、いつも泣いてた自分が前向きに一歩踏み出せたように思いました。先生の丁寧な説明や手術の怖さを言われ主人と何度も話し合いをし、前回の手術の怖さが頭の中にありましたが、井須先生に賭けてみようと思いお願いしました。
年明け早々入院、10日に手術を受けました。とにかく目覚めは痛くないようにと祈りながら…手術は無事終わり目覚めは爽やか?でした。あぁ何とも無い…足も動くし手も動く…取りあえず大丈夫だよ!と心配そうに覗き込んでいた主人に言いました。後はどこまで回復してくれるんだろうって思ってました。状態は手術前とあまり変わらない感じでしたが(先生は神様じゃないから、完璧を望んではいけないと思いました)、握力が少し回復したのと、歩いていて痛くて休みたいと思わなくなったかな(これだけでも充分です)…一週間後に抜糸2週間後に退院出来ました。両手の痺れと左半身の痺れは軽減してませんが、何か心の拠り所が出来たと思うと安心したと言うか、上手く言えませんが前向きに生活出来るようになりました。(先生に感謝感謝)現在の状態は 疲れやすくちょっと細かい作業をすると首から肩にかけて痛むことがあるかな…マッサージをしてもらい生活しています。次回は4月に検診です。井須先生に会えるのを楽しみにしています。今回の経験で思ったことは、手術とは大変な事で、回りの体験談や病院・信頼出来る医師を探す(これはとっても難しい事です)、手術は絶対焦らず最後の手段なんだなぁって思いました。手術した医師は井須先生の事は充分解ってたはず、手術前に相談するとか、そちらも受診してみませんか?って紹介してくれても良かったのに……私にしてみれば同じ病気を治すお医者さんなら良い所を吸収するように勉強して欲しいものです。
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体験談19 キヤリー奇形、脊髄空洞症、空洞くも膜下腔交通術後、 女性、31歳 |
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1. S.C.
2. 年齢 31歳
3. 性別 女性
4. 職業 主婦
5. 病名 キヤリー奇形、脊髄空洞症、空洞くも膜下腔交通術後 6. 住所 厚岸町
7. 体験談

私の病気は『脊髄空洞症』といいます。今から約8年前に発症しました。なかなか症例も少ないので聞きなれない病気だと当時の主治医に言われて、以来3回の手術を受けました。症状としては個々に違うのですが、私の場合「手の痺れ」「温痛覚障害」が主でした。痺れというよりは「痺れ痛い」というほうが感覚的にわかりやすいかと思います。ある日突然その症状に襲われました。(しかも新婚旅行中に・・・)冬なのに窓に手をつけても冷たさを感じない、お湯の温かさがわからない、一日中手の中に虫が這いずり回っているような痺れ痛さ、トイレに行っても行っても残尿感と激痛が残る。遂には体中が痛くて転げまわっている状態でした。帰国してすぐ診察を受けました。最初は整形外科に受診し入院。その後の検査で「脳神経外科へ転院してください。」とのこと。(え??脳?)その頃まだ23歳の私には「脳神経=脳の病気」としか考えられず、脊髄や神経のことまでは頭にありませんでした。
転院先での主治医からの病名は『脊髄空洞症』、聞いた事もない名前でした。「小さい頃、交通事故など何かしら体に衝撃をうけたことないかい?」「ありません。」「お母さん、娘さんが産まれたときは、どんな感じでしたか?」そんなやりとりが続き、『突発性原因不明脊髄空洞症』となりました。どんな病気かというと、脊髄の中に突如水のような袋ができ、髄液の流れる道を狭めてしまうという病気と言えばわかりやすいでしょうか。1・2回目の手術はその個所にシャントチューブを入れ、空洞を小さくするというものでした。思っていたより回復は早かったのですが、後遺症が残りました。神経を傷つける手術だったので、もちろん後遺症が残ることもわかっていたのですが2回目の手術を受けた後になかなか痺れ痛さがとれず「これも後遺症なのかな・・・?」と思っていたところ、「空洞が小さくなっていない。」と言われ、転院を勧められました。転院先で紹介いただいたのが、井須先生でした。前の主治医から「脊椎脊髄の専門医で、おもしろい手術法を持っている。そうだなあ・・・井須式だね。あの先生なら安心してお願いできる。行きなさい。」と言われ、ドキドキしながら診察室に入ったのを覚えています。
「痛い?」いきなり聞かれました。「・・・痛いです。」「痺れてる?」「・・はい」「で、どうしたい?うーん○×□△○×□△?」「・・・へ?」き、聞き取れない・・・頭の中で前主治医の(ちょっと早口かな)という言葉が思い出されました。でも「聞き取れません。」なんて言えないし・・・と思っているうちに診察終了。「はあ〜・・・なんて言ったんだ??何話したんだっけ?」井須先生への第1印象は「権威のある先生って聞いてたけど、全然威張らない先生だなあ。」でした。そして、何回かの受診後手術をお願いし入院。(これくらいには早口も慣れてきました)入院後は手術に向けて体調管理を整えました。井須先生は、夕方必ず回診に来てくれ、世間話もしながら徐々に近づく手術の緊張感をほぐしてくれました。井須先生だけではありません。菅原先生や丸一先生、師長さん、看護師さんがとても明るく、手術前にナーバスになることはなかったと思います。手術前日、後頭部の下から半分の髪をきれいに剃りました。通称『ワカメちゃんカット』だそうです。なるほど・・・と思いました。私は髪の毛が肩くらいまであったので、剃った個所は隠れるのですが、これがなかなかスースーとして背筋がゾワ〜っとしました。(ショートカットじゃなくてよかったかも・・・)と実感。しかし、看護師さんたちの「おおー、大丈夫大丈夫、ぜーんぜん剃ったとこわかんないじゃーん!!」と軽いノリに、「・・・そう?アハハ・・・」と笑うしかなく・・・。結構内心複雑だったんですけどね。一応女性ですので。そんなこんなで当日、午後からの手術でした。前夜はきちんと眠れたので、気持ち的に楽に当日を迎えることができました。手術の準備を済ませ、いざ手術室へ・・・。
「大丈夫そうだから、手術室は歩いて行ってね。」
「え!!ストレッチャーじゃないの?」
「うん。」
「えー?一応病人だからさ、ストレッチャーにしてよ〜。」と看護師さんに甘え、師長さんが、「ストレッチャーにしましたよ。」というわけで無事ストレッチャーで病人気分を満喫しつつ、手術室へ入りました。麻酔科の先生が「そろそろ寝ますか。」という言葉。そんな8文字の短い言葉を最後まで聞くか聞かないかで私は眠ってしまい・・・気づくと病室のベッドの上でした。
手術時間は・・・覚えてません。でも、目が覚めていつもなら話もできないくらい痛くて苦しいのが、ないです。(管を抜いたばかりなので吐き気はありましたが)主人と普通に会話していたのを覚えています。あんなに痛くて、毎日痛み止めを1日5回とか飲んでいた自分が嘘のように、手術直後から傷の痛みだけで、痺れ痛いなんてどこへいったの?という感じでした。
今回の手術は、井須先生がこの病気の原因である小脳の落ち込みを見つけてくれて、脊椎など神経系には触らずに、小脳の外側の骨を削り3枚目の硬膜はそのままで、その外側に1枚人工硬膜を貼り付け、減圧をするという手術法だったと思います。ちょっと難しすぎてよく理解できなかったのですが、『先生に全てお任せすれば大丈夫!!』という自信があったし、もうここまで何度と手術を受けてきたのだから、何があったって自分は乗り越えられるという気持ちで井須先生にお願いしました。術後先生から思いがけない一言をいただきました。
「もう、これから手術をすることはないと思うよ。」
嬉しかったです。(私は死ぬまであと何回手術を受けなければいけないのだろう・・・)そう思いながら毎日過ごしていました。それがもうこの手術で最後だと聞いて、主人と子ども達と4人で心から喜びました。井須先生は自分で「僕は変わってるんだ。」そうおっしゃっていました。そうですね、先生変わってますよ。だって先生、休む暇なく常に頭の中に患者さんと手術法が入っているんですから。「君の手術もね、次の空洞症の手術はこうやってみたらいいんじゃないか?って思ったときに君の話が来たんだよね。」とおっしゃっていました。今は薬も1日1回になり、疲れが出ない限りは痛みもなくなりました。井須式手術法、体験できたことに感謝致します。楽しく辛くなく入院生活を送らせていただいたこと、そして何よりも先生、手術してくれてありがとうございました。いつもいつも敬語も使わず失礼なことばかり言ってすみません。これからもよろしくお願いします。
井須先生、お体に気をつけて!! 益々のご活躍をご祈念致します。
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体験談18 頚髄AVM、男性、50歳 |
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1名前 E.N
2年齢 50歳
3性別 男性
4職業 公務員
5病名 脊椎動静脈奇形
6住所 釧路市
7体験談
平成17年8月27日(土曜日)弟子屈町にて医療講演会報告
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私の病名は「脊椎動静脈奇形」です。
頚椎疾患の方もあまり聞きなれない病名だと思います。病気の発病から今日に至るまでを語るにはあまりにも長すぎて全てを語ることはできませんので一部省略させていただきます。この病気の発病と言いますか、発見は平成元年です。
そして、井須先生との出会いもこの頃です。 井須先生が北海道大学医学部脳神経外科に勤務されている時期です。 ですから、もう17年間お世話になっています。
井須先生とはじめて会話したのは、私が北大病院に入院したその夜に、岩崎助教授(現教授)をはじめ医局員7名?くらいが病室にきて私は医師に囲まれてしまいました。そのとき井須先生に「歩いてごらん・立ってごらん」等と質問されたのを記憶しております。
さて、私の病気の症状や経過、治療法について簡単に述べます。 症状がはっきり出たのは、文頭にも述べましたとおり平成元年です。それ以前も症状がありましたが、それは省略します。
その当時は、右足が痺れてどうしょうもなかったのです。 その症状と言うのは、足を砂の中に入れたような感じ、さらには足を動かすたびに「バりッ」という音と言いますか、そんな気持ち悪さとでも言いますか足の膝下まで麻痺状態が出たと言うものでした。そして、釧路市内の総合病院に入院して検査を受けたのですが、原因が判明しなかったのです。当時市内の病院などには、MRIの診断装置がないため、札幌の病院を紹介しますと言われ釧路市内の病院はとりあえず退院したのです。
そこで紹介されたのが「札幌麻布脳神経外科病院」でした。 この頃から私は、「なにかまずいのかなあ」と考える日々が続きました。そしてこの病院に入院して初めてMRIと言うものにお目にかかったのです。
今でこそ釧路でもMRI検査を皆さん受けておられますが、当時は札幌にしかこの機械はなかったのです。そして、このMRI検査の結果、すぐに「脊椎動静脈奇形」であることが判明したのです。その状況というものは、頚椎内の血管が奇形を起こし、蛇みたいにとぐろをまいている状態のものでした。
この血管が出血すればとんでもないことが起きるのです。
そして、検査は引き続き行われ脊髄造影、血管造影が行われたのです。 この検査も今思えば首の検査でしたから大変でした。以上の検査が全て終了し病院の先生に病名を告げられ手術したら「こうなる・どうなる」と聞かされ私はあまりにもショックで病室のベットで大声をだして泣いたのを覚えています。
入院していた麻布脳神経外科病院の先生は北大出身の先生であり、北大病院で協議の結果、北大病院に転院することになったのです。当時の北大病院の建物は古くちょっと不安になったものです。
でも医局その他の先生を見る限り皆さんバリバリで少しは勇気づけられました。
また、医師も朝早くから出勤してきて夜遅くまで勤務し、いつ自宅に帰るのだろうと関心させられました。
さて、ここでの治療方針は「塞栓術」と言うもので放射線科の宮坂先生(現北大病院院長)に塞栓手術をしていただきました。塞栓手術と言うのは皆さんご存知だと思いますが、カテーテル手術のことです。この治療の結果、まさしく今まであった右足の痺れはなくなり、北大病院を退院したのです。
その後、私は釧路から旭川に転勤になり、再度足に痺れが出たのです。 その症状が出たときちょうど釧路の実家に遊びに来ていた時だったのです。
それで、私は井須先生が釧路労災病院で勤務されているのを知っていましたので 先生のところで受診したのです。そのときに先生から、脊椎に放射線をかける治療があることの説明をうけたのです。
この脊椎放射線治療はたしか、日本で私が初めてのはずです。 (先生との話し合い省略) この話しを聞いて私はどうか治ってもらいたいとの一念でこの治療を選択したのです。この治療の結果、動静脈の奇形も小さくなり、足のしびれも無く今現在では良好を保っています。自分では、ほぼ完治したと思っています。
でも病気を甘く見てはいけないので、今は年1回井須先生に受診しているのです。
この画期的な治療で、今生活できている事に大変感謝しております。 最後に井須先生、北大病院放射線科の白土先生とは白髪が生えるまでお付き合いさせていただこうと思っています。
でも井須先生はいつまでも若いので白髪も見えません・・・ |
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体験談17 頚椎後縦靭帯骨化症、男性、72歳 |
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最新体験談 平成18年2月17日掲載→<退院半年後>へ
1 名前:T.N.
2 年齢:72歳
3 性別:男性
4 職業:団体勤務
5 病名:頚椎後縦靭帯骨化症
6 手術日:2005.6.21
7 住所:東京都 国分寺市
8 一言・体験談
〈はじめに〉
2005年6月15日に手術入院、21日手術、1ヶ月の入院期間を経て7月15日退院。井須先生のお蔭をもちまして、いま少し世の中のお役に立てそうな目鼻もつき、自宅でリハビリを継続しながら、9月までには、中央線のラッシュアワーの通勤も可能になるよう頑張っている72歳です。
〈経過〉
若いときから病気とはほとんど縁がなく、70過ぎても体の無理は平気と言った生活でした。ところが、2005年の2月末頃、足の動きが悪いので、無理な筋トレをやり、結果が一層悪くなりました。それでも痛さが無いので、運動をしていれば治るだろうとゴルフをやっておりました。3月末の土日続けてゴルフをやりましたら、2日目に右足を完全に引きずる様になり、しかも、ロッカールームで右足がヘタって転倒、仲間を車に乗せて帰ってはきましたが、それ以降、常に右足を「棒」にしなければ歩けなくなりました。それでも相変わらず痛さが無いので、電車で通勤しておりましたが、近所の指圧の先生に、頻繁な腱反射が脳梗塞の後遺症に似ていると言われ、都内の総合病院で、頭のCT、頸椎のMRIと順に調べてもらった結果、4月の28日、頚椎後縦靭帯骨化症と診断されました。
頚椎の6・7番では神経は押しつぶされてブーメランのようになっており、もうすでに神経はかなり死んでいますし、手術でさらに神経がやられることが考えられるので、手術はかなり危険なものであると言われ、「放っておいたらどうなりますか」と伺いましたら、「当面は今程度の歩行は可能でしょうが、症状は進行するだけで良くはなりません。」「転倒等で、頸にショックを与えると、車椅子の可能性が高いですね」とのことでした。
いろいろ考えた結果、いずれ車椅子なら、手術をして車椅子になっても似たようなもの。改善の可能性がある程度あるなら、やはり手術を選択しようと決めました。
問題は何処で手術を受けるかでした。同じ病気で千代田区の九段坂病院で手術を受けた岩城宏之氏の『九段坂日記』を読んだり、全国の名医紹介の本を見たり、インターネットでいろいろ検索したりしているうちに、釧路労災病院の脳神経外科部長、井須先生のホーム・ページを拝見することになりました。
最初に読んだのは、体験談のページでしたが、井須先生ご自身の考え方を述べられているページや、技術的な問題、手術についての各種のデータなどを拝見しているうちに、こんなに率直に、何も飾らず、まさに普段着の感じで、しかも真剣に、患者に語りかける先生が居られるということに驚いたというのが偽らざる気持ちでした。
体験談では、患者の井須先生への強い信頼感が印象的でしたし、手術についての技術上の説明「私の手術方法」では極めて高度なことを誰にも解りやすく説明しておられ、「手術件数」ではその数の大きさに驚きました。技術の高さ、正確さ、平たい言葉で言えば「腕の確かさ」が、これは私の個人的な感じかもしれませんが、ホーム・ページからにじみ出ているような感じを受けました。
もちろん、東京から北海道の釧路まで手術を受けに行くことについては、いろいろ家族の中での論議もありました。しかし、家内も子供たちも井須先生のホーム・ページを拝見し、結局、まずは、井須先生に一度診ていただこうということで意見が一致しました。そこで早速、井須先生のホーム・ページの感想欄に、「感想ではありませんが」とおことわりした上で、診断のお願いを書き込みました。
井須先生からはすぐにお返事があり、MRIがあれば、外来でも診断可能だし、精査を希望なら、一週間ほどの検査入院が必要なので、家族の同意をとった上で、検査入院希望日をメールしてくださいとのこと、迅速なご対応にも驚かされました。
最初の診断を頂いた、東京の総合病院でも、「主治医はご自分で決めるものです」と快くMRIやX線写真のコピーを貸してくれましたので、5月24日羽田から釧路に行き、5月25日外来で受診し、家内とともに直接井須先生から病状の説明をお聞きした結果、そのまま検査入院を決めました。
一週間の入院で、MRI,CT,脊髄の造影を含む一切の検査を受けましたが、ショックだったことは、造影剤が、頚椎の7番で止まってしまい、それより上には行かないというところまで狭窄が進んでいるということでした。
検査後の井須先生の説明は、本当に懇切丁寧で、手術をするかしないかの選択をする場合参考になる解説や事例、何処で手術をするかは自分で決めてほしいこと、ご自分が手術をする場合の考え方や方法、配偶者だけでなく親、兄弟、子供、すべての同意が望ましいこと、などなど、私の考えるべきことのすべてを網羅した説明でした。
検査入院を終えて、「前方からの手術は、ここまで頚椎と神経が密着していては危険です。後方からの除圧手術で神経の圧迫を開放し、それで経過がよければ1ヶ月程度の入院、さらに前方からの手術が必要になれば、リハビリも含めて3ヶ月」という説明を反芻しながら、東京へ帰るときには、やはり井須先生に手術をお願いしようと決めていました。
一緒に井須先生の説明を聞いた家内は、すぐに、釧路労災病院のすぐ前の民宿に予約できることを確認、週末に集まった子供たちは良く理解してくれ、手術前の井須先生からのご説明に同席する準備に入りました。
〈手術とリハビリテーション〉
6月15日手術入院、21日手術と決まりましたが、その間も井須先生には順回してくださって、「どれだけ神経が生き残っているかが勝負ですよ」といった親身なお話を頂きました。
手術前日の20日には、インフォームド・コンセントにサインした子供たちも入れて、井須先生から、詳細かつ丁寧な説明を受け、子供たちも井須先生に強い信頼感を持ち、同時に父親の病気がどのようなものか十分理解したようでした。
そして21日9時、手術室へ。前日、麻酔についても十分な説明を受けており、「後は麻酔のさめたとき、どこまで体が動くかだ、」と覚悟を決めました。ここからは井須先生にお任せです。大変なのは井須先生、患者は前後不覚です。
「目を開けてください」という声が聞こえ目を開けてみると、そこはもう病室、続いて「手を上げてみてください」「足を上げて見てください」の声。まだ焦点の合わない目と不確かな意識の中で、指示に従って動かしてみました、手も足も動きました。しかも手術は終わっている。こんなにうまく行っていいのか、というのが最初の意識でした。
頚椎の3番から7番まで後方除圧術という大手術でしたが、12時半過ぎには病室に帰ってきていたわけですから、正味3時間ほどが手術時間ということです。
その夜考えたことは、結果的にベストの選択が出来たこと、それも井須先生のホーム・ページにめぐりあえたお蔭だということ、ああしたホーム・ページを井須先生が出されたことが、私にとっての幸運の始まりだったなとの感慨、などなどでした。運命の女神と井須先生の手腕に感謝しなければならないとつくづく感じながら、手術当日の夜は浅い眠りでした。
翌22日には、驚くことに「少し歩いてみてください、どうですか前と比べて」ということになります。もちろんまだうまくは歩けませんが、気のせいか何か少し楽になったような気がしました。井須先生はよく「低侵襲」という言葉を使われますが、まさに私の体に最低限のマイナスの影響しか与えていないのです。
右足の筋力低下はそのままですが、左足先から、左胸まで来ていた皮膚感覚の麻痺は、胸の部分は消え、腹から下が残っている感じでした。導尿管は除去、トイレは自分で歩いていける状態。
頚椎の5番の手術の際往々見られるという腕の痛みも術後2−4日目に時々あった程度で、うつむくと手術部の痛さはありますが、鎮痛剤で抑えて、ベッドを起こせば、ゆっくりなら自分で食事も摂れるといった状態です。
手術前には、ますますひどくなっていた両足の痙攣(腱反射?:静かにしている時足の筋肉が間歇的に緊張して、足がひくひく、時にはバタバタと無意識に動く)は相変わらずあるものの、寝られないほどではなくなって来ました。
手術後6日目には、早くもリハビリ開始。理学療法のほうは、首の周りの柔軟性と筋肉のトレーニング、右足の内足広筋を主とした筋力アップ、作業療法のほうはいろいろな大きさや形状のものを、箱の中で整理する作業で午前と午後それぞれ4−50分ですが、作業療法のほうは、最初の作業で合格してしまったので(ただしその後、術後の機能低下で、握力の低下、右手の中指、薬指が伸びないなどの症状が発生まだ続いています)、その後は午前も午後も、頸と足腰の筋力トレーニングになりました。
手術後一週間、6月28日抜糸。抜糸のあとに大きな防水シートを張って、「今日からシャワーはOKですよ。明日からはお風呂も結構です」とのことでした。
リハビリの目標は、「左右の足がバランスよく歩けること、階段の上り下りの力がついて、東京のJR、地下鉄で通勤可能になること」において、理学療法士の今井幸子先生の指導に従って、枕つぶし、ニー・ベント・ウォーク、階段昇降、自転車漕ぎなどのメニューをこなし、汗をかき、9階の風呂に入る毎日でした。
手術後18日目の7月8日、MRIをとり、7月13日に結果の詳しい説明を井須先生に頂きました。「可能性の中で最もうまくいっている状態」と先生もいわれるほどで、髄膜に包まれた神経は丸みを回復し、骨化した靭帯の後方にはっきり写っていました。
後はリハビリを続けて時間をかけて更なる回復を目指すということで、7月15日退院。丁度1ヶ月でした。
〈現況〉
退院から2週間、地元でよいリハビリ病院を探しつつ、釧路労災病院の理学療法士の今井先生に書いていただいた自宅リハビリのメニューをこなしています。
昔のようにトレーニングをすれば、すぐにそれだけよくなるという具合にはいきませんが、徐々に回復しています。現状は:
・ 手術の痕は改善、ただし肩凝りが起こりやすい。
・ 右足の力は回復不十分。内足広筋の力が未だ足りない。
・ 左足の皮膚感覚麻痺は残っており、その関連か左足の内足広筋などに負荷時痛みが走る。
・ 右手の人差し指、薬指がまっすぐ伸びず、パソコン操作に不便。
・ リラックス時、就寝時の足の痙攣が未だ少し残っている。
・ 少し動くと疲れやすい。
といった程度、自宅の階段は、登りはほぼ足のみ、降りは軽く手摺を使う程度。夕方3000歩程度の散歩、右足の膝が疲れればそこで止めています。自転車は平地であれば問題ありません。車も運転できると思いますが、自重しています。
この調子で行けば、9月には、JR電車での通勤も可能かと期待しているところです。ここまでこられたのも、井須先生を信頼してお願いした結果です。井須先生、本当に有難うございました。9月中旬、検診でお伺いするのを楽しみにしています。
〈手術をお考えの方に〉
頸でも腰でも神経にかかわる手術は大変な手術です。受ける側もそうですが、手術をされる先生にとってはさらにそうではないかなどと思ってしまいます。
であれば、何よりも、直接に先生から病気や手術のお話をよく聞き、質問をし、お互いに気持ちが通じ、信頼感が湧いてくるような先生にお願いすべきでしょう。
わたくしの場合も、「どれだけ神経が生き残っているかは、手術の結果を見なければわからない」と井須先生は正直にいわれました。さらに、どんな名医でも、手術は100パーセント成功するものではないといわれます。それでも私は井須先生にお任せしようというと決めました。たとえ結果はどうあろうと、「お任せしよう」と覚悟が決められる先生が居られて、はじめて手術を受けようという意思決定が出来るのではないでしょうか。
そして、この意思決定は、患者本人だけの問題ではありません。あなたの手術の結果が影響を与えることになるご家族、「配偶者、親、兄弟、子供たち」みんなが患者本人のその気持ちを解り合っていなければならないと思います。
井須先生は「家族全員の同意を取ってください」といわれます。家族がみな本人と同じ気持ちになることが、こうした難しい手術の場合は本当に大事だと思います。そしてそれは、思いがけない効果として、家族の絆を改めて確認しあうという効果を持つと思います。私の場合もそうでした。
病気は不幸なことです。しかし、対応の仕方によっては、それが家族の絆の再認識といった、ささやかな良い結果をもたらすこともあります。こんな話は入院中めぐり合った何人かの井須先生の患者さんからもお聞きしました。
〈今後もご報告します〉
頚椎後縦靭帯骨化症は、私の運動神経を、半分ぐらい(素人判断)に減らしてしまったようです。それでも、通勤を含め日常生活にはそう支障が無く、それなりのレジャー活動も楽しめるような状態への回復を目指してリハビリを続けています。今後もその成果をお知らせしたいと思います。
(以上)
最新体験談 平成18年2月17日掲載
<退院半年後>
退院後半年がたちました。近況をご報告させていただきます。
9月から週3日、国分寺−神田/東京の通勤を開始しました。ラッシュアワーははずしての通勤から始め、最近ではラッシュアワーのつり革40−50分でも、何とか通勤可能です。国内出張は問題なく、次は海外出張に挑戦のつもりです。
車の運転は、手術前と変わらなく可能です。あまりスピードは出さないようにしていますが。というのも、腕のほうは、回復が極めて順調で、腕立ての回数や握力は手術前の8割程度まで回復し、実生活上ほとんど問題がない状態になっているからです。
それに比べると脚の方は、着々改善していますが、筋力低下の著しかった右脚は足首がまだ敏速には動かず、膝の筋力も不十分で、駆け足は室内で真似事程度です。現在1万歩の連続歩行を目指してリハビリを続けています。
歩き方はかなり正常に近づいてきて、私の足の異常に気がつかない人も多くなり優先席でも若い人が席を譲ってくれません(喜ぶべきでしょうか)。暖かくなって、1万歩が楽になったらゴルフの復活という目標です。
皮膚感覚麻痺のあった左足は、いまだ、常に外側が熱く感じ(冬はありがたい)軽度の感覚麻痺も残っている状態で、いつも筋肉(筋)に沿って違和感があり時に軽い痛みになることもありますが、筋力は以前と変わらず、左足ならば片足跳びが可能です。右足の筋力がもう少しつけば、軽い駆け足程度は可能かと思っています。
椎弓を3番から7番まで切除した頸は、井須先生の「頸を回しなさい」という指示と、OPの今井先生の頸を支える筋肉のトレーニングのメニューを続けているせいか、特に問題はなく、車のバックのとき多少体を余計ひねる程度です。
こんなところで、手術後はまったく違った生活になるのかなと思っていたわりには、お蔭様であまり違ったことにもならず。最後のサラリーマン人生を続けられています。
井須先生には、手術して1年ぐらいは、良くなっていきますからと言われておりますが、丁度その半分ほど過ぎました。私の年齢からして、ラッシュアワーの通勤も含め、日常生活には、そう不自由なく適応できる状態になってきたことは本当にありがたいことだと思っています。
以上、井須先生にお礼の意もこめて現状報告させていただきます。◇
最新体験談 平成18年9月29日掲載
<術後1年3ヶ月のご報告>
井須先生に頚椎後縦靭帯骨化症の後方開放手術をやっていただいてから1年余がたちました。7月はじめに術後1年の検査で釧路に行きましたが、前々日の便で釧路に入り、空港前でレンタカー、女房殿を乗せて霧多布観光に出かけました。ワタスゲやアヤメも素晴らしいものでしたが、霧多布で泊まった宿のご主人が、やっぱり井須先生のお世話になった仲間だったなどという出会いも楽しみました。前日は釧路駅前で一泊、ちょうど73歳の誕生日に釧路労災病院に伺い井須先生にお世話になり、「特に異常はないので、リハビリを頑張って下さい。良くなるのは大体1年ですが、2年ぐらいまでは、まだいくらか良くなる可能性があります。」というお話を聞いて、さてもう少しがんばろうと帰ってきました。
その後も、PTの今井先生に教わった内足広筋強化の枕つぶしの励行や、歩くとき出来るだけつま先に力を入れて足を送るなどで歩き方はさらに少しよくなったのではないかと思っています。<BR>
週3日の通勤も何とかこなす日常で、駅の階段の降りもあまり手すりに掴まらなくても何とか下りられるようになり、昇りのほうは東京駅の中央線の長いエスカレーターも、時には右側を歩いて上るようになりました。
車の運転はまったく不自由ないので、夏休みは蓼科に夫婦で出かけ、ホテルのコースで「グラウンド ゴルフ」というのを8ホール×3コースで、約1時間、2日連荘でやりました。それで多少自信もついて、涼しくなったら先ずハーフラウンドのゴルフ復活を目指しています。
筋力低下した右足の筋力もついてきて、けんけんが10回くらい可能になっています。しかし寝入りばなの腱反射が結構しつこくて困っていましたが、レンドルミンという導眠剤半錠を就寝前服用でうまく切り抜けています。
左足のほうは、筋力低下はなく、けんけん60回は平気ですが、皮膚感覚異常で何に触っても熱く感じるのは結構しつこく、磁石を貼ったりシップを貼ったりです。皮膚をつまむと痛みもあり、押すと筋肉に痛みもありますが、起きて動いているときはあまり気になりません。<BR>
そのほか異常を感じるのは、あごを下に曲げるのに限界があり、あごの下に物を挟もうとしても落ちてしまうのがいささか不都合です。これは椎体を5つとってしまっているのだから仕方ないでしょう。のどの奥に何か引っかかったような感じがあることと、時に声がかすれること(咽喉科で診てもらっても何も異常はない)も、首の骨の関係かなと思っています。いずれにしても実生活には特に不都合はありません。<BR>
全体的にみて、かなり進んでしまった難病、大手術の割には、十分な社会復帰が出来たと思っています。これも、井須先生のホームページにめぐり合うことが出来、メールでの診療のお願いに親切にお答えいただいたこと、そして何よりも懇切丁寧なアドバイスと、最終的にはベストの手術をしていただいたことの賜物と改めて実感しています。
来年の夏には、2年目の検診で、釧路労災病院に井須先生をお尋ねする予約をいただいてきましたが、そのときには、「やはり2年目までは良くなりますね。」といわれるようにならなければと思っています。◇ |
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体験談16 頚椎症、男性、34歳 |
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1名前 M.I.
2年齢 34歳
3性別 男性
4職業 サービス業
5手術 頚椎前方除圧術
6 住所 森町
私が、『釧路労災病院 井須豊彦先生』に手術をしていただいてから4年とちょっとが過ぎました。度重なる交通事故(全て貰い事故)により、約10年間辛い生活をしていました。 症状としては、痛み、脱力感、倦怠感、しびれ、めまい・・・などがありました。数年間は、様々な治療に通いながらなんとか仕事や生活を頑張っていましたが、最後の2年間は仕事も出来ず、日常生活もままならない状態でした。椅子に10分も座っていられない、風呂にも一人で入れない、手がしびれるので箸が上手に使えない、食欲も無い・・・など、ほとんど寝たきりの毎日でした。薬も効かない、保存療法も効果が無い。そんな状態を見かねて、通院していた『函館新都市病院 伊藤丈雄院長』が、井須先生を紹介してくださりました。紹介状を持ってまずは検査入院。初めての診察で井須先生はこう言われました。「検査結果によっては手術はしませんから。」一瞬、「えっ?」と思いましたが当然のことです。その理由についても詳しく説明していただきました。検査結果により「頚椎症」と診断されました。手術により回復が望めると井須先生からのお話があり、手術をお願いすることに決定しました。手術についての説明は、どのような術法を用いるのか、改善されるであろう症状、伴う危険、考えられる後遺症についてなど非常に分かり易く親切なものでした。そして、インフォームドコンセントチョイスに基づき、患者である私の意思を尊重し、お忙しい中にあっても熱心に耳を傾けてくださりました。・・・手術が終わりストレッチャーに乗せられ病室に向かう途中で意識がはっきりしてきました。なんと、つい数時間まで感じていた脱力感、痛み、しびれがありませんっ! 全く別の体になったようです。しかも、翌日から食事、トイレも普通に行うことができました。順調に回復し退院、そして数ヵ月後に職場に復帰することが出来ました。
その後の定期検査の結果も良好でしたが、手術から1年が経過した頃に肩の痛みが強くなってきました。1年半が過ぎた頃には痛みが増し仕事や日常生活に支障が出てきました。考えられる後遺症と割り切り、ストレッチなどでしのいでいましたが、ついに耐えられなくなり井須先生に相談することにしました。井須先生からの解答は、「神経的な症状は出ていないので、度重なる事故によって筋肉組織の損傷が多過ぎることが原因として考えられる。」というものでした。確かに、今回は手術前のような沢山の症状は出ておらず、痛みだけなので私も納得できる解答でした。井須先生から出た言葉は、「○○さん、鍼治療を受けてみませんか?」というものでした。そして、紹介していただいたのが、札幌市の『しらかば鍼灸整骨院院長 佐藤雅美先生』です。私は、手術前には様々な治療を受け、その中には鍼治療もありましたが、効果が認められず気分も悪くなったので自分には合わないと思っていましたが、佐藤先生は今までの私の概念を覆す先生でした。初めて診察していただいたときに、「症状が慢性化しているから改善に時間がかかると思う。」と言われましたが、2週に1度の治療(1度の治療は2日間)を半年ほど受けたところ改善の兆しが見えてきました。 現在は治療を受けてから1年ほどになりますが、着実に良い方向に向かっています。佐藤先生が治療に使用する鍼は、『1本1本がパックされている使い捨て』のもので、衛生面で非常に大きな安心感があります。また治療方針に関しても、MRIやレントゲン写真などを見た上で判断していくという点も見逃すことはできません。
こうして、私は井須先生と出会うことにより、失った10年間を取り戻しつつあります。この場をお借りして関係する全ての方に感謝の言葉を述べさせていただきたいと思います。
本当にありがとうございました。 これからも宜しくお願い致します。
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体験談15 頚椎症、女性、54歳 |
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1 名前 M.H.
2 年齢 54歳
3 性別 女性
4 病名 頚椎症
5 手術 平成16年
6 住所 釧路市
経過
私は昨年頚椎症で井須先生の手術を受けました。先生との出会いがなければ今、家で家事をすることも出来なかっただろうと思います。退院し、先生のホームページを見て驚きました。これほど、せきららに医師としての医療に対する考えを述べ、患者にも苦言を呈し、これまでの手術件数や手術方法など、自らの履歴を患者に情報として公開する、その姿勢に心を打たれました。何て素晴らしい先生なんだろうと改めて思いました。私は人づてに先生の評判を聞き訪ねたのですが、手術をするまでには、何度も夫と共に、先生とのインフオームドコンセントを重ねました。検査入院の後、再度手術をお願いしますと言っても、中々すぐは承諾してもらえず、夫も、私も、必死になって自分達の思いを伝えました。簡単に考えた結果ではなく、術後が、どうあろうと、家族の一人一人が術後の全てを受け止めて生きていく覚悟であることを話しました。先生との話しの中で印象に残った言葉があります。それは、「患者さんが手術という大変な決断をするのと同じ様に、私も、医師として手術にこれまで築き上げてきた、全人生をかけていますから・・・・。」この言葉を、夫も私も重く受け止めました。そして本当に信頼に値する医師に出会えたと思いました。
手術の日の朝、家族に感謝の言葉をメモし、神に全てをあなたに委ねさせて下さいと祈り、手術室へ・・・・・。そして、今があります。今の私は、痺れも痛みもなく、薬も飲んでいません。頚椎症という大変な病を経験したことで今までよりも尚、家族一人一人の人生を大切に思う様になりました。これからの人生も、もっと辛い病との出会いがあるかもしれない、でも生きているということは、そういうことなんだと思い一つ一つ受け止めて手術が出来ても出来なくても命があることに感謝して生きていきたいと思います。私と同じ様な病で悩んでいる方へ、是非一度釧路労災病院脳外科外来井須豊彦先生を訪ねられることをお薦めします。先生のことを、もっと、もっと、多くの人に知らせてあげたいと思っています。先生本当に有難う御座いました。
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| 体験談14 頚椎後縦靭帯骨化症、男性、56歳 (手術時49歳) |
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1 名前 Y・O
2 年齢 56歳 (手術時49歳)
3 性別 男性
4 職業 会社員(営業)
5 病名 頚椎後縦靭帯骨化症
6 手術日 平成9年9月
7 住所 札幌市 厚別区
早いもので平成9年9月に手術してから7年が経過しました、手術前の握力は10s程度が今は55s程に回復しました。畑の草取りのように長時間にわたって下を向くと首がだるくなる、また車でバックする時が十分首が廻らないためチョット辛い、また手足の指先に弱冠のシビレはあるが日常生活は病気前と何ら変わりはありません。ゴルフのスコアも病気前にもどりました。発病、経過、症状については一般的で皆さんと似たようなものなので7年前の入院時に感じたことを述べてみたいと思います。
当時を振り返って見ると、医療の最先端は札幌が一番、いや日本で一番、何と言っても日本で唯一30数年も前に心臓移植をしている。義父が札幌医大に勤めていたこともあり、手術は札幌以外は考えられなかった、7月頃、妻が個人病院から医療関係の新聞(井須 先生の診察室前に掲示してある)を持ってきたのが、井須 先生を知ったきっかけとなりました。それまでは個人専門病院、官庁の総合病院、大学病院で診察を受け、何処の病院で手術をしようかと迷い、過去の実績、知名度、手術経験者の話,噂等を聞き込んで悩んだ末、北大病院の整形外科に良い医者がいると言う事を知り、6カ月通院し手術の機会を伺っていました。
何処の病院も頚椎を削り、骨化した靭帯を除去し、腰の骨で埋め戻しチタンを張る方法ですが、井須 先生は新聞記事でも紹介しているように、頚椎を切り取り、骨化した靭帯を除去し、切り取った頚椎を戻す手術方法なのです、何も悪くない腰に傷をつけることはないのです。
早速7月下旬に診察して頂き、8月に検査入院、(偶然にも隣の部屋に北海道新聞に度々掲載されていた井須 先生の記事を手に同じ札幌から来ていた患者もいた、ビックリしたことに同じ厚別区からだった、根室、帯広、旭川方面から新聞記事を読んだ患者も数人いました) 病棟の先生の部屋で夜遅くまで、私は好奇心が旺盛なため、色々とくだらない質問を数多くしたが、模型等を使って納得するまで説明して頂いたからです。今までこんなに長時間に亘って病状、手術方法等を膝を交えて話しをした事は、私にとって今までに無いことで感激をしました。と同時にこの時“手術は釧路労災病院に”と決心しまた。
入院中に感じた事は“どうしてこの手術方法が札幌でできないのか”ということです、札幌の人はどうして釧路で手術するの? また釧路の人は札幌には有名な病院があるのにどうして釧路なの?周りの人からよく言われました、患者が手術方法を選択できないということが問題なのです、井須 先生の手術方法は札幌ではできないのです。
毎年、日本の何処かで医学関係の学会が開かれていると思いますが、何故普及しないのか、もし不具合?があるとしたら、新聞(私の知っている限りでは北海道新聞に3回掲載されている)にも掲載されないし、患者も来ないと思います。
先日、1978年に放映された田宮二郎主演、また2004年唐沢寿明主演の“白い巨塔”を見て感じた事は、ドラマだから現実とは異なると思いますが、医局の体制?病院の組織体制?それに学閥等の複雑さが、井須
先生の手術方法を押さえ込んでいるように思うのは私だけではないと思います。
早く患者が病院や医者、手術方法を自由に選べる時代が来る事を強く希望しています。
最後に一つお願いがあります、井須 先生100歳まで現役でいて下さい、私の首は井須 先生しかメンテナンスできないのですから。(笑)
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| 体験談13 頚椎症、45歳、男性 |
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1 名前 S.K.
2 年齢 41歳
3 性別 男性
4 職業 会社員
5 診断 頚椎症
6 手術日 平成14年11月
7 住所 札幌市
8 体験談
井須先生との出会い
手足のしびれや腰痛に苦しむ人が、周りにも多く、加齢による金属疲労とあきらめる人が多く、私もそんな人達の苦しむ声を他人事の様に聞き流していました。そんな私が、厄年の41歳の春頃、首から肩にかけて寝違いのような鈍痛が続きました。寝違いだから、数日もすれば直るだろうと湿布していたが、一週間以上も症状が回復されず、そのうち右上腕が外部から押しつけられる様な痛みになり、指先もしびれ、麻痺するようになりました。たまたま人間ドックの受診で、ある総合病院にてCT検査を受けました。診断では筋萎縮性側索硬化症の疑いがあり、そうであれば難病で特別な治療は無いとの診断でした。たまたま、娘が釧路労災病院の脳神経外科の井須先生にお世話になる機会があり、井須先生の画期的な手術方法を掲載した新聞の切り抜きが目に触れ、まさに自分の今の症状と合致しており、相談してみました。先生の見立てと精密検査から頚椎の圧迫によるものと原因が究明され、処置方法も提示されました。当初は、妻からはリスクのある手術だから、しばらく様子をみて判断したらと言われ、思案している間に痛みも薄れていた事もあり、先延ばししていました。しかし、数か月後に痛みが再発、足にもしびれが出てきたため、手術に踏み切る事にしました。この期間に多方面から井須先生は道内のみならず道外からも患者さんが訪れるほど信頼できる先生であるとの情報を得ていたので迷いはありませんでした。検査入院、手術、リハビリと計画に沿って入院するため、個人差はあるにせよ病院生活は長期に渡り、仕事や家庭に影響を及ぼすため、手術に踏み切れずに飲薬による鎮痛剤や湿布、はり、整体治療など様々な治療法で痛みを解消する人がほとんどです。しかし、一時的に症状が軽くなっても根本的な解決はしていないため、再発や悪化して遠回りして、井須先生のところに辿り着いたと嘆いている人にもまた多く出会いました。私の場合は回り道する事無く、井須先生という存在を知る機会がありました。この様な情報は一部の新聞や雑誌以外は、主に口コミでしか広まらず、今後はホームページなどで広く知れ渡る機会があれば、井須先生に救われる人も一層多くなることと思います。井須先生は検査から診断、今後の対応策、処置について親切に本人が納得するまで質問を聞いてくれ、常に本人が納得した段階で次の展開に進めます。高い評価と数多くの実績を残す先生だから、半強制的に医師の方針に沿って治療を進めるのかと勝手に予測していたので、井須先生の対応は意外でした。
手術から社会復帰
脳神経外科病棟に入院していて、同じ症状に悩む人の多いことに驚きました。その共通した痛みや不便な生活をする者同士との寝起きにより、一人自宅で悩んでいるのに比べ、共に励まし合ったり、先行して手術を終え、日に日に元気になっていく先輩患者を見ていると、もう少しすれば自分もあのように元気になれると前向きに毎日が過ごせました。手術は長時間にわたり行われ、術後の回復も個人差があり社会生活に即復帰とはいきませんが、手術前の苦痛の日々や手術を受けず最悪な場合の事を想定したら、迷うことなく井須先生の手術をお勧めします。検査入院、手術待ち、手術と術後のリハビリと決して短期間とは言えませんが、あせらず確実にいい結果を残すには、信頼出来るスケジュールといえます。入院生活は、先にも記しましたが、病棟内では、互いの病状について会話から家庭、仕事のことなど、貴重な出会いがありました。また、病院施設も喫茶店や売店と整っており、特に毎日皆が楽しみにしていたのは、9階大展望浴場からの阿寒連山と釧路湿原に沈む夕焼けの景観は退院後、また、入浴に訪れたいねと真顔で会話するほどのお勧めものです。各夕食も献立、味も評価高く、快適な入院生活の楽しみでした。
その後の生活
どんな病気にも個人差があり、この病気にも回復への経過や回復時間に個人差があると思います。少なくとも私の場合は、再手術や痛みの再発は起きておらず、大変感謝しています。手術部位の観察として、原則的に年一回検査に井須先生の診断を受ける必要があります。私の場合、年に一度、井須先生に近況報告を兼ねて通っています。
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| 体験談12 頚椎症、49歳、男性 |
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1 名前 Y.H.
2 年齢 49歳 S30年生まれ
3 性別 男性
4 職業 会社員
5 病名 頸椎症
6 主な症状 右肩から右手の甲までのシビレと極度な痛み
7 手術日 平成10年4月14日
8 入院期間 手術日から退院まで、2週間
9 所在地 北海道標津郡中標津町
10 趣味 仕事・ヨサコイ・ゴルフ・純米酒
11 体験談
発病は、東方沖地震が起きた平成6年です、最初は肩からヒジにかけてのシビレが突然発生してきました。チリチリとゆうかジリジリとゆうかそんなシビレでした、そしてしだいに痛みも出てきて、最悪です。24時間苦痛です!仕事柄、災害復旧の仕事をしていて辛かった事を覚えています。一番つらいのが、寝る事です。布団に入ってからが恐怖です、日中は仕事の忙しさで、断続的にシビレと痛みをまぎれる事が有りますが、布団の中では寝ようとするのですが、眠気よりシビレと痛みがひどく寝付くことが出来ません。一日じゅう腕の置き場が、無いんです。痛みの程度はと聞かれたら、虫歯の痛みで泣きそうなぐらい、虫歯をペンチか糸をかけて抜きたくなるぐらい。 子供のころ虫歯でした この時は、何が原因なのか分かりませんでしたが、とにかく痛みを取る為に市販の鎮痛剤と、強い座薬を使いましたが効きが少なかったので、寝る為に使用する事が多くなっていました。日々多くて3時間から4時間の睡眠しか出来ません、しかも苦痛で何度も目を覚まします、何度も起き上がり肩・腕を抱え込んだり・腕を回したり、じっとしていられず、痛くて、本当に泣きそうです。睡魔が襲っているのに熟睡が不可能なのです。ところが一番の救いが、お風呂で首まで湯につかっている時だけ、ウソのように痛みやシビレがスーと無くなるのです。この状態が、一ヶ月半ほど続き自然にシビレ痛みが無くなっていくのです。その後、一年間に一度はこの症状が発生していました。整体・ハリ・マッサージなど色々やってみましたが、効果がありませんでした。発病から3年目の3回目は病院に行き、レントゲン撮影で頸椎の軟骨が神経を圧迫によるものではないかとの診断を受けました。首の牽引などの治療を受け、やはり一ヶ月半ほどで苦痛は無くなります。そして平成9年の4回目が終わって2ヶ月後ぐらいで5回目が発病しました、発病の周期が早まってきたのです、もうダメだ!牽引治療・注射・鎮静剤・座薬、何をやっても何度も繰り返す。4回目にはどこか良い病院が無いかナーと思ってはいましたが、治療する病院は分かりません。そんな時、妻が井須先生のことを教えてくれたのです。頸椎・脊髄の専門職で手術しても2週間で退院みたいだから行ってみたら・・・。そんなやさきに5回目の発病、病院にいくなら症状が出ている今しかないと思い休暇を取り病院に行くことを決めました。でも井須先生に行く前に、ちがう病院にも行って、検査をしてもらいました。診断結果で自己判断したかったからです。井須先生には悪い印象を与えるかもしれませんが、今では外の病院に行って良かったと思っています。それは、患者の身になっての診断説明では無かったからです。その病院は行ったその日に、MRI撮影が行われ、院長が写真を見ながら、『この軟骨が神経を圧迫している、手術するしかない。手術するかしないか決めてまた来い』で終わってしまいました。そして次の週に、妻の情報をもとに井須先生に、診察をしてもらいました。井須先生のブース前に、新聞記事が拡大され手術方法など記載されていました。記事を何度も読みながら、自分もこうなんだナーと思いながら順番待ちをしていると『Y.H.さん〜』と呼ぶ声が。初対面!問診の後、寝台に寝かされ身体を触り、しまいに習字の筆みたいな物で身体の一部分をコチョコチョしたり、感じますか〜なんて言うんです。ヤバー。その日は、レントゲンを見ながら、説明を受けました。詳しくはCT撮影などをしないとならないが予約制で一ヶ月待ちですとのこと、先生はレントゲン写真と頸椎の模型を出し、こんこんと説明し始めました。頸椎の基礎知識・手術方法・手術の難易度が高い事・手術の成功率・手術の成果 シビレ、痛みがどれだけ無くなるか ・マイナス面でのリスクなどなど・・・・。ケツが痛くなるくらいの時間をついやし診断説明を受けました。このままでは、仕事に支障が出る、これ以上苦痛に耐えられない、手術失敗したら仕事にならない失業だ・・・・。先生は、CT・MRI・最後は造影剤撮影をして原因を調べてからでないと治療は出来ない、CT造影剤撮影をしてから手術をするか、しないかを患者さんが決めればいいのだからと言われました。私は、この段階で井須先生に手術をしてもらおうと決断しました。井須先生が手術してダメなら、どこの病院にいっても結果はダメだろう、シビレや痛みが少し残っても夜、眠れるようになれば良しとしようと考えました。お互いにリスクを理解し、結果を求めるのでは無く、身体の状態を自分が理解し苦痛は生きている証として捉え先生を信頼し、身をゆだねるしかないのです。一日も早く造影検査をするためには、ベットが空きしだい入院をしてキャンセル待ちの状態で待機しているしか有りません。検査入院が平成10年4月6日、その後造影検査で手術を決定、4月14日の午前中に手術、退院が5月1日でした。手術後、麻酔がさめかけの状態で病室のベットに乗せてくれる先生をうつろに覚えています。労災病院は完全看護ですので手術当日の付き添いもいりませんでしたし、夜の担当看護婦さんが寝返りなどを全てしてくれます。天使に思いましたヨ。次の日に、車いすでレントゲン室に行き撮影後、先生の診断を受けて異常なしで病室には歩いて帰されました。シビレ・痛みも無くルンルンでした。この頃は、首にコルセットを付けていましたが、今は装着しないとの事、進化したんですね。井須先生の情報が無ければ、最初の病院で手術をしていたでしょう。又、整形外科で手術した場合は2ヶ月以上かかるとも友人から聞いていましたから手術後2週間で退院はスゴイと思います。井須先生が行う手術の方法は、同じ脳神経外科でも先生特有の技法で特殊に思います。どこの整形外科でも、どこの脳神経外科ともちがう技法なのです。本来、脳神経外科は脳卒中とか交通事故などの頭部損傷とかで行く所としか思っていませんでした。妻の情報が無ければ今頃、手術の後遺症に悩まされていたかもしれません。私のように何年も、我慢して辛い思いをしている人がいるのではないでしょうか。普通は整形外科に行くでしょうし2ヶ月入院と診断されれば、苦痛を我慢する方を多くの人は選択するでしょう。ひどくなると、手遅れとゆうことも有ると先生は言っています又、傷ついた神経は回復しない事も有ると。早いうちにカウンセリングを受ける事がいいと思います。同じような症状の人が、私の体験談が少しでも参考になれば幸いです。
追伸
釧路労災病院の磯部先生(脳卒中の専門家)と井須先生が中標津町に来られ医療講演会を年1回、行っています。お近くの方は、是非来て下さい。今年度は平成16年6月12日 土曜日に開催しました 場所 中標津町総合文化会館 コミュニティホール主催 なかしべつYOSAKOI実行委員会なかしべつYOSAKOI実行委員会が、地域活動の一環として医療講演会を行っています。医療知識の向上を目的とし情報を提供しています。※手配りの広報活動しか行っていません、知人・友人にお伝え願えれば幸いです。
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| 体験談11 頚椎症、52歳、男性 |
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1 名前 E.K.
2 年齢 52歳
3 性別 男性
4 職業 旅館業
5 診断 頚椎症
6 手術 平成9年10月9日
7 住所 弟子屈町川湯温泉1−5−10 川湯ホテルプラザ内
8 体験談
私の場合、第4、第5頚椎損傷による左手の指先のしびれから始まり、首や背中の重苦しい痛みへと拡がりました。10年以上も我慢したこともあって瀬戸際まできていたと思います。労災病院の井須先生の存在は知人から聞き知っていたので迷わず(ほんとうは迷いました。というのも井須先生の手術は従来の整形外科の手術とは違う新しい内容のものだったからです)、何度か通った整形外科から井須先生の方を選択し診察していただきました。その時にはすでに左手に持ったはずのゴルフのクラブをぽとりと落としてしまう程握力を失っていました。藁をもすがる想いで相談させてもらいましたが、先生のこれ以上悪くならないための手術である由の説明を聞き自分の置かれた状況をとても良く理解できました。今は握力も90%もどり、痛みもなく(しびれだけは極くたまにありますが昔程強いしびれではありません)、井須先生の診察もほとんど必要ないようですが、年に一度は先生の顔を拝顔がてらお伺いしています。また、商売が温泉旅館のおかげで、温泉に入浴する機会が多いため術後の回復には川湯の温泉もそれなりに効果があったように思います。先生の序文にあるようにほんとうに患者が病院や医者を選ぶ時代だと思います。それが自己責任なのだと思います。
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体験談10 頚椎椎間板ヘルニア、腰部脊柱管狭窄症、41歳、男性
2005年4月21日に下記の二章を追加してます
第2章 楽しい楽しい入院生活編
第3章 やっぱり腰かよ二度目の入院編 |
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1 名前 T.S.
2 年齢 41歳
3 性別 男性
4 職業 地方公務員
5 病名 @頸部椎間板ヘルニア,A腰部脊柱管狭窄症
6 手術日 @平成6年2月,A平成15年1月
7 住所 釧路市
8 体験談@
若い頃から腰痛持ちの私は、いつか手術が必要になるだろうと思いながら、だましだまし生活していた30歳の頃、ある日背中の激痛で仕事もままならず、とある個人病院を訪ねました。
診断は首のヘルニア「とりあえず痛み止めの注射をするけど、10日立っても改善しないようなら入院だね」とこともなげにおっしゃいました。おそるおそる「それって、手術が必要ということですか?」と訪ねると「そう」。と、これまたあっさりおっしゃいました。
レントゲンと頭をつかんでグリグリと回しただけで確定診断できるほどの典型的な症状だとのことでしたが、いまいち信用できない私は、とある総合病院で診察を受けMRI撮影などにより間違いないことを知らされました。
腰じゃなくて首が先かよ!と思いつつ、どうせ切らなきゃ行けないなら信用のおけるところで手術を受けたいと思い、医療器具の販売会社に勤める兄に相談して脊椎のスペシャリストのいる病院を探してもらいました。
その結果札幌、函館、釧路に名医がいると言うことで、手術するともなれば後々長いつきあいになるのだし、地元にも良い先生がいるのなら釧路にしようと、さして深く考えもせず安直に決めてしまいました。
入院してからこうゆう考えは間違っているのだと気が付きました、なぜなら全道各地から患者さんが来ており、地理的条件よりもまず医者と病院がどうなのか?を優先するべきだと思うからです(私の場合結果オーライでしたが)
そういうわけで井須先生に出会うわけですが、いざ手術の内容やリスクについて詳しい説明を受けると真剣に悩み、決断するまでに少し時間がかかりました。
特に5%のリスクがあることについては、100人の内5人はうまくいかないかもしれないと思うと、手術することを決めた後も不安でいっぱいでした。
当時独身だった私はうまくいかなくて、首から下が全部麻痺したりしたらどうしよう、♡も出来なくなってしまう。などと不埒なことも含め悩み続けましたが、これから人生長いんだし、神経にいつ傷が入るかわからないという不安を抱えたまま、ビクビクしながら生活するのはいやだという気持ちが勝り腹をくくることとしました。
結果全てうまくいき、現在も元気に仕事もスポーツも楽しむ毎日を過ごしています。
次回予告
@楽しい楽しい入院生活編
A「やっぱり腰かよ!」2度目の入院編
2005.3.31
第2章 楽しい楽しい入院生活編
平成6年2月。いよいよ入院。
当時の労災病院は建替え直前で、古くてあまり綺麗ではない病院でありました。
まだ6人部屋だったような、4人部屋だったような、う〜んどうだったかな〜。
ただしこれだけはよく覚えている、看護婦さんが綺麗!可愛い!若い!レベル高い!
そんなこんなで、手術に対する不安も何処へやら、すっかり喜んでいるあほな私でありました。
手術前の検査一式といえば、今も昔もあまり変わってませんが、採血、採尿、心電図、肺活量、レントゲン撮影、脊椎造影剤検査、CT、MRI、などなど。
あとは術後に首に装着する装具の採寸くらいでしょうか?
こうして書くと、とても大変なことのように思でしょうが、造影剤の検査を除けばあっという間に終わってしまい、暇つぶしにもならないくらいです。
検査が終わると、これといってする事も無く、何かに付けては喫煙室に集まり、その他の患者さんと朝に昼に晩にと歓談するのでありました。
こんなところからも、普段の生活ではなかなか接点のない人と新しい人間関係が生まれたりもして、10年以上たった現在でも年賀状のやりとりをしている人もいます。
さて、手術も無事終わり、翌日からすぐ動けるようになります(たいていの人は)。当然手術後は痛い事や辛い事も有りますが、1日1日と経過するごとに、確実に楽になっていきます。
ここからが外科手術のいいところで、病気の原因を取り除いてしまえば、後は傷が治るのを待つだけの気楽な入院生活が始まります。
ある程度良くなってくると集中的な看護も必要なくなるのか、ナースステーションから離れた比較的症状の軽い人ばかりの部屋に移動になりました。(皆が必ずそうとは限らない)
私の場合、普段忙しくてなかなか出来ない読書をたっぷりして、眠くなったら好きなときに寝て、タバコを吸いたくなったら点滴つけたまま、喫煙室に行き井戸端会議をし、取りあえず仕事の事は忘れちゃえるし、ごろごろしながらテレビ見て、外は冬なのに病院の中は暖かいし、看護婦さんは綺麗でやさしいし、もう最高〜\(^o^)/
忘れてはいけないのが食事、基本的に普通食なので、手術の直後以外は何でも食べられます、釧路市内の、その他の総合病院に比べると労災病院は旨いほうです。
痛いことや辛い事や、ほかの患者さんの大変そうな状況や、入院する事による仕事への悪影響や、経済的なことなど、現実は問題が山積しています。
でも皆さん、悪い事だけを考えて悩んでいませんか?入院する事は良いこともたくさんあります、色んな人と出会えます、何より病気が治ります、正直、人生観が変わります。
悩んでいないで、一度井須先生を訪ねてみてください。
しつこいようですが、労災病院のナースは、綺麗又は可愛い人多いです。(^_^)v
第3章 やっぱり腰かよ二度目の入院編へ続く
2005.3.31
第3章 やっぱり腰かよ二度目の入院編
平成14年3月。なじみのある感覚が・・・
前回は左肩から左肘に掛けてだったが、今回は左腰から左膝に掛けてである。
痺れと鈍痛、いわゆる腰痛とは全く別物の感覚である、ついに来たか『腰部椎間板ヘルニア』よ!
思い起こせば23歳の頃、生まれて初めてぎっくり腰をやらかして以来、腰痛に苦しめられる事十数年、これが原因で最初の会社を辞めるはめになったのを皮切りに、その後の私の人生に暗い影を落とし続けてきたこいつ。
待ってたぜ、お前と決着をつける日が来る事を。(-。-)y-゚゚゚
長い間、腰痛と闘って来た私としては、整体、カイロプラティック(未だにその違いがわからないが)、針灸、牽引等々は一時的には何らかの効果はあるものの、それは長続きせず、下手をすると症状を悪化させうるものであることを知っていた、しかも多額の治療費を要するものであることも(殆どが保険がきかないのだ)。
それではどうするか?他力本願ではなく自分で治す、そのためには腹筋・背筋はもちろんのこと、全身の筋肉を万遍無く鍛えることだった。
スポーツジムに通い、毎日のように走り、泳ぎ、ウエイトトレーニングに励んだ・・・2ヶ月くらい経過したころから、いつのまにか腰痛は無くなっていた。
勝った!遂に自分で克服した!調子に乗っていた私をどん底に叩き落したのは、それから半年ほどしたある日、腰は何とも無いのだが、左肩甲骨のあたりに激痛・・・そう、初めて井須先生にお世話になることとなった『頚部椎間板ヘルニア』の兆候であった。(ここから先の話は第1章、第2章のとおり)
さて、冒頭の腰から膝にかけての痛みや痺れが、脊椎の神経に何かあって出たものである事を確信していた私、当時39歳。迷わず釧路労災病院脳神経外科で受診したのであった。
なぜ腰で?脳神経外科はないだろう、ふつう整形外科にかかるべきではないのか?そう思う方のほうが圧倒的に多いのではないだろうか、でも私には自信があった、なぜなら近年、井須先生が首だけではなく腰にも手を出し始めたらしい、という情報を入手していたからである、どうせやる手術なら井須先生に・・・。
MRIの結果、病名は「○×チュウ△☆キョウ■◎症です。」、「はあ?」、「セキチュウカンキョウサク症」、漢字で書くと “脊柱管狭窄症”となるのだそうだ。てっきりヘルニアだと思っていた私は意表をつかれて思わず「なんですかそれ?・・・」と呟いていた。
簡単に言うと、背骨の一部が変形して神経を圧迫するのが脊柱管狭窄であると、そう言う事らしい。
「それじゃあ神経を圧迫している部分の骨を削っちゃえばいいんですね?」、「そう。で、いつやる手術?」、「冬にお願いします」、「それじゃ1月くらいにベッド開けておくわ」、「御意!」このように、全く無駄の無い見事な会話により、説明責任は果たされたのであった。
【筆者注:これらの会話はフィクションです。
筆者の個人的な心象風景を面白おかしく表現したものであって、事実ではありません。
実際は、井須部長より適正かつ、詳細なインフォームドコンセントが行われ、その内容を十分理解し、また、起こりうるリスクについても十分納得した上で、筆者の意思及び家族の同意により手術を決断するに至ったものであり、こんないいかげんな方法で入院や手術が決められているわけでは無いのでご安心を (-_-;) 】
そんなわけで、新築された、綺麗な病院での入院生活を満喫したのでした。
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| 体験談9 頚椎症、腰部脊柱管狭窄症、49歳、男性 |
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1 名前 M.S.
2 年齢 49歳
3 性別 男性
4 職業 会社員(事務管理)
5 病名 頚椎症・腰部脊柱管狭窄症
6 手術日 平成14年
7 住所 札幌市
8 体験談
私は、朝の洗顔中突然首に強い痛みを感じ動かす事すら出来ない状態となりました。釧路へは管理者として赴任直後であり、当初周囲には、借金で首が回らなくなったなどと冗談を言いながら市内の個人病院にて数ヶ月間治療を行っておりましたが、首の痛み、腰の痛み、手足のしびれの改善がみられず、大きな病院の整形に受診を考えておりましたところ、私の母より労災の先生に診てもらったらと話があり、思い返すと、母も、十数年前に井須先生に手術治療を行って頂いた事を思い出し思い切って受診(親子でお世話になるとは!笑)する。先生より、根本治療を行わなければ、症状の改善は無いとの話しで手術を決意する。当初、骨の手術は整形外科と思い込んでおりましたが、先生の自信溢れる説明に安心感が広がり家族と相談をし、頚椎、腰椎の2つの大きな手術を無事終える事が出来ました。現在は、術後の経過も順調で先生はじめスタッフ皆さんに感謝しております。
骨、神経に起因する症状改善は、整形外科だけではありません。井須先生の手術法を多くの方々に実体験をもとに、お知らせしていければと思っております。今後とも患者の立場に立った医療技術の向上と先生のご活躍を期待しております。
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| 体験談8 頚椎椎間板ヘルニア、50歳、女性 |
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1 氏 名 M
2 年 齢 50歳
3 性 別 女性
4 職 業 看護師
5 病 名 頚椎椎間板ヘルニア
6 手術日 平成12年12月
7 住 所 釧路市
8 .体験談
私は今から3年前に井須先生に頚椎椎間板ヘルニアの手術をして頂ました。手術前の激痛は今思い出しましてもゾットします.私はお産も経験していますが、痛みに関しては、お産と比べようにならない位辛いものでした。お産は何日も激痛と言うことは殆どの方は経験ないと思います。発病は平成12年11月20日夜寝ている時におきました。突然の激痛に目が覚めました。最初は寝違いかと思いましたが朝まで一睡も出来ませんでした。それからというもの激痛との闘いでした。普段病気と言うのは風邪をひくくらいでしたので、非常にショックでした。入院してからは痛みのため殆ど歩く事が出来ませんでした。痛み止めの注射もして頂きましたが、殆ど効き目がありませんでした。3週間位たっても殆ど回復の兆しが見えませんでした。このままでは職場の皆に迷惑ばかりかけるので、井須先生に手術して頂き早く職場復帰しなければと思いました。手術は午前中に1時間ほどで終わり病室に戻る事が出来ました。麻酔が12時頃に覚めてからは、トイレにも自力で歩いて行く事ができました。手術前の痛みが麻酔から覚めた時、魔法のように無くなっていました。これで、職場にも戻れると、実感しました。翌日からは、嬉しくて階段を1階から9階まで歩いて心臓がどきどきしてベッドに横たわった日の事が、懐かしく思います。入院中は、毎日柔軟体操、階段の昇降とリハビリを退院する日まで、欠かしませんでした。手術後10日で退院した日に職場復帰できました。それから3年今も元気で働いていられるのも井須先生のお陰と家族共々感謝しております。
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| 体験談7 頚椎症、腰部脊柱管狭窄症、45歳、男性 |
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1 名前 S.K.
2 年齢 45歳
3 性別 男性
4 職業 炉ばた
5 診断 頚椎症、腰部脊柱管狭窄症
6 体験談
平成11年から腕がむくみ、握力がなくなってきたのでいろいろな病院を回りましたが全くわからず、そのうち、右の腕や足が動かなくなり歩けなくなってきました。私は自分で炉ばたをしているのですが、もう仕事はできないのかとあきらめていました。その時、井須先生の話を聞き、すぐ井須先生の元に行き検査をしてもらうとすぐ原因がわかりました。すぐに手術をしてもらうと、あきらめていた腕や足がみるみる動きだし、夢でも見ているかのようでした。本当に感謝しかありません。これからも、仕事をバリバリしたいと思います。有難うございました。
*当店オリジナル料理や珍しい料理もあり、それで、ポケットマネーでOK、一度御来店ください。
住所 釧路市栄町2−1(ホテルパコ向い)0154−22−6211
炉ばた助ちゃん
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| 体験談6 頚椎後縦靭帯骨化症、51歳、男性 |
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1 名前 T.S.
2 年齢 51歳
3 性別 男性
4 職業 検査技師
5 病名 頚椎後縦靭帯骨化症
6 手術日 平成14年6月
7 住所 中標津町
8 体験談
2年前の2月頃に左の指がしびれ、肩こりにしては少し変と思い、整形外科を受診して首の精密検査(MRI)を受けた。結果はなんと、頚椎後縦靭帯骨化症で、4箇所矯正しなければなりませんでした。このままにしておくと、転倒や事故等にて神経が切断されて全身不随になりますよと言われ、目の前が真っ暗になりました。3か月程度3箇所の病院を受診しましたが同じことを言われてもう手術しかないと思いました。その年に釧路労災病院脳神経外科の井須先生による講演があり迷わず長い経験と実績は言うまでもなくその上に特殊技術を身につけている井須先生に私の手術をお願いしました。早いもので、術後2年経過していますが、手のしびれもなく毎日、仕事も元気でやっています。井須先生には大変感謝しています。
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| 体験談5 頚椎後縦靭帯骨化症、70歳、男性 |
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1. 名前 K.T.
2. 年齢 70歳
3. 性別 男性
4. 職業 会社役員
5. 病名 後縦靭帯骨化症
6. 手術日 H.13.8
7. 住所 東京都
8. 一言,体験談
H.13.5頃から手足が痺れ、6月頃からは立ち上る事も出来なくなりました。当時通院していた病院では痛みと痺れの薬だけの処方で日一日、徐々に足に力が入らず病状は悪化し抱きかかえられての場所の移動(家の中・トイレ等)生活になってしまいました。そんな折、井須先生を紹介され藁おも掴む気持ちで釧路労災病院に赴きました。そして先生より初めて自分の病名を告げられ、手術しかない!と言われました。私の友人で同じ様な病名の手術をし、“20日以上も手術後頭を動かさないよう固定され気が狂いそうだった”という話を思い出し、先生に話した処、「私の術式では頭を固定する事は無く麻酔から醒めた後、頭を左右に動かす事が出来ますよ!」と言われ、即手術をお願いしました。実際、手術後麻酔から醒め、頭を動かす事が出来たんです!ビックリしました。今まで私が聞いてきた話とは全く違い本当に有難く、先生には感謝の気持ちで一杯です。今では週2回リハビリに通い、出来る限り毎日散歩をし、会社にも毎日出勤しております。また、年に1度定期健診を兼ね、釧路労災病院を訪れる事が楽しみであり1つの目標とし、毎日のリハビリに励んでおります。
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| 体験談4 頚椎後縦靭帯骨化症、55歳、女性 |
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1 名前 M.温子
2 年齢 55歳
3 性別 女性
4 職業 主婦
5 病名 頚椎後縦靭帯骨化症
6 手術日 平成12年7月11日
7 住所 釧路管内
8 体験談
私は平成9年、岩見沢の病院で難病である頚椎後縦靭帯骨化症と診断されました。その2年後、夫の転勤でS町へ来て知人から釧路労災病院の井須先生を紹介され軽い気持ちで受診したところ診断は本人が思っているより病気が進んでいるとの説明を受けショックを受けたのを覚えています。最初、先生からはこの病気は個人差があり一人ひとり症状が違うとのこと、又、手術の可能性等についてお話があり特に手術をすすめることもありませんでした。そして何回か先生との面談を重ねるうち私はこのままほっておいて病気が悪化するよりも手術をして少しでもこの病気の進行をくい止めようと手術をする決心をしたのです。と同時に体にも悪い症状が出てきたからです。そして、平成12年6月自分から先生に手術をお願いし7月手術をしていただきました。首の手術は危険を伴う手術なので大変な心のかっとうがありましたが先生を信頼し手術当日は安心して先生におまかせすることが出来ました。病気の治療特に手術は先生と患者との信頼関係がとても大切なことです。そのためには患者側が納得の行くまで十分医師と話し合うことがとても重要なことだと思います。術後は順調に回復し4年経過した現在もこの病気の特徴である手のしびれ、冷え、腕の痛み等はうそのように改善されました。手術をしていただいた井須先生との出会いに心から感謝し健康のありがたみを痛感しています。最後に難病であることは不運であっても不幸ではありません。なぜならこの病気の早期発見とそれに伴う信頼出来る先生の手術、治療を受けることによって自分の可能性を広げ新しい生き方を見つけることが出来るからです。
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| 体験談3 頚椎後縦靭帯骨化症、黄色靭帯骨化症、66歳、男性 |
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1 名前 O.K.
2 年齢 66歳
3 性別 男性
4 職業 税理士
5 病名 頚椎後縦靭帯骨化症、黄色靭帯骨化症
6 手術日 平成13年10月28日
7 一言 退院後通常通り仕事に従事しています
8 住所 釧路市
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| 体験談2 頚椎椎間板ヘルニア、39歳、男性 |
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1 名前 Y.T.
2 年齢 39歳
3 性別 男性
4 職業 酪農業
5 病名 首の椎間板ヘルニア
6 手術日 平成14年12月26日
8 住所 北海道野付郡別海町
9 その他 HP http://www3.ocn.ne.jp/~cyomo/
10 一言、体験談
私は、腕の痺れと肩こりそれと寝違えたときのような、首の痛みが数年悩まされていました。整体に通ったり、整骨院に行ったりと、いろいろな病院に行っても一向に治ることなく過ごしていました。 ある時、知人に相談したところ釧路の労災に専門の先生がいるとのこと。その方こそが、井須先生なのです。先生に診断してもらい、首の椎間板ヘルニアと判明したのです。 それまで、いろんな病院に行っても分からなかったのに。井須先生は、親切に説明してくださり安心と、信用が持てました。 その後、検査入院で同じ患者さんがいて、いろいろな話を聞きますます、勇気と安心がついてきました。そして、手術をし3週間で退院でき一ヶ月で、もう農家の仕事が出来るまでの回復、三ヶ月でゴルフやバレーなどのスポーツができるようになりました。 あれから、一年がたちますが痛みは、まったくなく手術前のように健康で、元気に過ごしています。 ほんとうに、手術を井須先生にしていただいて感謝しています。 ありがとうございました。今後とも、お付き合いお願いします。死ぬまで、先生にくっついて行きますのでよろしくおねがいします。
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| 体験談1 頚椎後縦靱帯骨化症、男性、56歳 |
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1 名前 O.K.
2 年齢 56才
3 性別 男性
4 職業 公務員
5 病気 頚椎後縦靱帯骨化症
6 手術日 平成15年12月18日
8 住所 帯広市
9 一言、体験談
20代より腰痛に悩まされ、H10年椎間板ヘルニアの手術を受けましたが経過が予想したより思わしくなく過ごしていた所でした。H15年偶然お会いした今田師長に腰の話等をお話したところ、原因はヘルニア以外の可能性が考えられるので一度詳しい検査をした方がよいことと、ヘルニアの手術に於いても目視での手術では完全に患部を除去できない等初めて聞く内容でした。
私の年齢も55歳になっており今後の加齢に伴う諸症状を考えますと現時点での詳しい状態を確認し今後に対応する情報を把握しようと考えました。
1)検査結果は、[頚椎後縦靭帯骨化症」異常箇所4カ所、5番・6番・7番の神経狭窄有り。但し詳細は造影剤による検査が必要。[腰椎]4番5番(H10年3月手術)、3番4番、2番3番の「腰部脊柱管狭窄症」有り。
2]治療方法
「後縦靭帯骨化症」「腰部脊柱管狭窄症」の同時手術は頚の絶対安静が必要となり不可能。最初に「後縦靭帯骨化症」の手術を行い影響のない状態を確認後「腰部脊柱管狭窄症」の手術となる。入院期間は約3ケ月必要となる。
別々に手術を行う方法として、将来生活に重要な影響を与える病気は「後縦靭帯骨化症」であり骨化が70%を超えると手術不可能となり車いす生活となる確率が高い。よって腰椎よりも重要な為今回は頸椎の手術を選択する。別々に手術する場合、頚椎は約3週間、腰椎は約2週間の入院予定となる。頚椎の手術予定時期は、正月をはさんだ期間を計画する。
3)手術まで
インターネットで「後縦靭帯骨化症」について色々調べましたが
1.原因不明の難病であり放置しても回復せず症状は進む。
2.追突されたり転倒した拍子に寝たきり状態になることがある。
3.麻痺が起こってからの治療は回復の可能性が低い。
等々が判明し手術しかないと決断しました。
入院後、H15/12/15 家族説明があり手術についての詳細な説明がありました。
手術に対して最終結論を出し同意書に署名。
H15/12/17 麻酔科の医師より麻酔方法の説明を受け麻酔から手術時間、そし て麻酔から覚醒する時間の説明を受ける。
H15/12/18 手術当日 AM 6:00 浣腸を受けAM 9:00 手術室へ
PM 12:50 手術終了し病室へ戻る。経過時間は3時間50分
4)術後の経過
手術当日・・・右肩の強烈な痛み!
術後 1日・・・導尿管除去。首にあったドレーンを除去。傷口良好。
術後 2日・・・右手甲及び、右腕付け根、肘の痛み改善。
(右手の甲に軽い痺れ)
夜中、右腕全体(付け根+肘+手の甲)が痛く寝ていられなくベットに座る。
術後 3日・・・右手甲及び、右腕付け根、肘の痛み。
術後 4〜9日・・・右手甲及び、右腕付け根、肘の痛み多少有るも我慢できるようになる。
術後 10〜11日・・体力回復に向けてリハビリ開始。廊下と階段を歩く。
術後12日・・・H15/12/30 2泊3日の外泊許可。
術後 13〜14日・・・自宅
術後 15日・・・リハビリ再開 万歩計で計測開始 3,420歩、非常階段 2往復
術後 16〜17日・・・リハビリ 4,300歩、非常階段 2往復
術後 18日・・・回診時退院の許可が出る!H15/1/7(水)
術後 20日・・・退院。入院日 H15/12/8(月)、手術日 H15/12/18(木)
術後4ヶ月・・・現在H16/4/11現在、20歳頃からの肩こりが解消して順調な状態。
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