気無智電脳句集『木偶』
『白露』所収(廣瀬直人選)
平成10年
初夢やわれは木偶なり踊るなり
自堕落に生くや真つ赤な初日影
ビルひとつ初東雲のさ中なり
地を這つて風吹いてくる梅見茶屋
蜷獲つて来て雄鶏につつかれし
じわじわと蜷つるみをる街はづれ
ミモザ咲き危き恋はあやふきまま
牛の尾をとろりと煮込む花の昼
鳥啼いて落花はげしきひととところ
人の世のひとの温みと桜の実
新宿に人の溢るる立夏かな
郭公や土蔵に掛かる鞍ひとつ
梅雨寒や伊豆も三浦も茫々と
荒壁に縄浮いてをる木下闇
人間の端くれに居て冷し瓜
青嵐いのちと言ふは生臭し
夕焼や色鯉が川溯り
雨もまた一興のうち破れ傘
線香花火ぽとりと恋に似て哀し
かたまつて夜の白百合のおそろしき
秋の薔薇降り出して雨匂ふなり
海猫かへる方より風の吹き来る
玉葱や十勝平野に陽が落ちて
蝦夷菊に夕日もっとも濃かりけり
夢を見て夢の真中に烏瓜
極月や猫の足裏のほかほかと
鴨浮きて白鷺佇ちて昼の川
一本の包丁研ぎて年用意
山茶花や陽だまりにゐて独りぼち
平成11年
笹鳴きや天城源流手に掬び
注連古りて千年の楠芽立前
暁の富士に雪雲風の雲
一列に並ぶ惑星雛まつり
春筍を飄々と食ふ妻の留守
大公孫樹芽立ち前なり黙すなり
のほほんとむかし村道杜若
犬連れし妊婦立ち寄る夕牡丹
代掻いて鴨の番を浮かべたる
引越の荷が陽炎の橋渡る
境界の査定十人汗臭し
荒梅雨や鯉にそっぽを向かれけり
日照雨また夾竹桃をぬらすほど
夕焼けの水面より出て鯉の口
鰯雲孫に頒けたる血を濃しと
秋の田の端に昼火事ありにけり
玄関に蓑虫が来てぶらさがる
目の粗き笊に真つ赤な唐辛子
黒々と樹の盛り上がる十三夜
竜胆の開かぬ紺の濡れてをり
雨上がるとき柊の花匂ふ
うつすらと冬の川ある夜明け前
平成12年
水引きを輪結びにして鳥総松
探梅の道や古墳につきあたり
根深汁太きねぶかを噛みきれず
衣擦れの音して春の立ちにけり
寒牡丹に屈みしひとの髪匂ふ
蓮枯れて薄氷のほか何もなし
雨匂ふ雲が真つ黒彼岸西風
菜の花の畑一枚が暮れのこり
思ひきり腹式呼吸松の花
揉み抜いてどっと神輿がなだれ込む
石竹の夜をさり気なくひと匂ふ
血圧を計って貰ふ梅雨の前
滝殿の天狗の下駄の一枚歯
荒梅雨や護摩のけむりの低く這ひ
夜蝉聞く湯舟の縁に顎のせて
冷房を出でて大暑の眩しさよ
山の端の老人ホーム秋灯す
水辺まで幾たび転ぶ葛の原
名月の晧々とある潦
大雨の一夜明けたる貴船菊
負荷やところどころに陽のあたり
鯉の髭しかと二本や冬温し
前を行くあの綿虫を追ひ越せぬ
風邪の子の眼の奥のがらんどう
平成13年
鼻頭温し初日を賜はれば
昼寝より覚めて二日の夕ごころ
雪空へ深く大きく息をせり
水洟や唸りあげたる削岩機
外に出でて沈丁の香につきあたる
暗闇の氷湖を渡る火のまつり
水仙や頚に残れる風邪心地
いつの間に歩幅の揃ふ春の雨
風湧いてひときは強し河鹿笛
杉菜よりぬつと顕ちしは花菖蒲
躑躅陽に透けて血脈在るごとし
手に馴染む柘植の判子の梅雨湿り
香水を選ぶにしどろもどろかな
星今宵川に漣ありにけり
天辺は拳骨に似て夏の雲
からっぽの心草矢を空に放ち
露の世に曳きずってゐる親の罪
仰向いて栗の木の栗見てゐたり
殿をゆく鯉小さし秋の暮
目眩して金木犀の香の中に
秋雨に樟脳匂ふ通夜の客
蜜柑剥いて爪の匂へる午後三時
象の背の骨盛り上がる冬紅葉
巫女過ぎりほのと匂へる七五三
平成14年
人心地ついてこの世の葛湯吹く
蒼穹を鳴らして箱根颪かな
中天に月あり風邪の目に潤み
春の蚊に昼寝の手首刺されけり
焼香の客にほろほろ春燈
啓蟄や一陣の風われを過ぎ
こんなにも深き青空花辛夷
神嶺につづく田んぼの花薺
窓開く欅若葉の真下にて
蒲公英の絮に躓く夕明り
十薬の十字明るきまま暮るる
鳶の輪の真下さみしき栗の花
髪刈つて象を見にゆく木下闇
深緑のマロニエ通り少女来る
金色の鯉の鱗も晩夏なり
雷落ちていま七生のどまんなか
蟋蟀の土着の眼おそろしき
俗名を曳きずってこの残暑かな
死ぬのならこんな日も佳し涼新た
曖昧に生きて九月を飽食す
白菊に埋もれし婆を送りけり
神妙な顔して十一月の猫
晩秋の入り日大きな虹顕ちて
凩や明けの明星大豆ほど
咲きすぎて山茶花の木の真っ赤なり
(畢)