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〜メッセージ・その1〜

おかあさん 
  はんせいしてます

こうもり騒動

カナブンのメッセージ

家庭内別居

道に落ちている物

名付け親は電話帳



おかあさん はんせいしてます

 小学校に入学して間もない長女・エミは最近少し難しいです。
 エミは長男長女によくあるタイプの少し神経質なところがあります。弟のヒロシと生まれたばかりの次男・タカフミに手が掛かりなかなかエミに対してゆとりを持って接してあげられません。
 そしてエミは甘え下手な子供でもあります。弟のヒロシが知らないうちに膝の上に乗っているような子供なのですが、エミの場合甘え方もぎこちない、素直に甘えられない感じなのです。「お姉ちゃんだから」と言われて育ってきたからなのでしょうか。
 どうしても、親の目を引きたいのか、怒られるのが分かっていながら「やったらダメ」と言われることをします。

 ある日妻が「エミちゃん、何度言ったら分かるの」とエミを叱っていました。
 エミは叱られて黙って自分の勉強机の方に行きました。
 「ホントにもう」とぶつぶつ言いながら家事をする妻にヘラヘラと笑いながらエミが近づいて来て、「これ学校の大事なお知らせ」と妻にお知らせの紙を手渡しました。
 「分かった、後で読んでおくから」という妻はそこに何か書いてあるのを見ました。思わずエミの目線までしゃがみ込んでエミの顔を見ました。
 そして「エミちゃん、おかあさんもおこりんぼでゴメンネ。」というと娘は「おかあさん、ごめんなさい、わぁーっ」とこらえきれず泣き出しました。エミが手渡したお知らせの紙の隅っこに、習いたてのたどたどしいひらがなで書いていました。
 「おかあさんはんせいしています。」

1999/4/30




こうもり騒動

 夏のある日の朝、こうもりの赤ちゃんが家の壁にへばりついていました。
 妻が洗濯しているときに見付けました。最初ゴキブリか何かと思ったようですが、良く見るとこうもりの赤ちゃんでした。多分、巣から落ちたのでしょう。
 妻から聞いた私は「このまま放っておけば、間違いなく死んでしまうだろう」と思い、こうもりは人間と同じほ乳類だし、知らん顔しているのも可哀想かなと捕まえました。

 「ほ乳類だから母親のオッパイを飲んでいるはずだから、牛乳をあげよう」と綿棒に牛乳を浸して与えました。最初は動き回って嫌がりますが、上手く口に入ると口をパクパクさせて飲んでいました。
 いろいろインターネットでこうもりについて調べましたが、赤ちゃんこうもりの飼い方は分かりませんでした。よく観察すると小さな目も付いていますし手にもきちんと指が付いています。触ると心臓の鼓動も感じます。体重を量ると1.5Kでした。箱に入れているとちゃんと逆さになっていたりして、赤ちゃんでも立派なこうもりなのだと思いました。

 しばらく飼っていると愛情もわいてきて、これからどうしようか悩みました。
 知人が「こうもりの赤ちゃんは飛ぶときも母親にしがみついていて、巣から落ちたのじゃなく母親が飛んでいるときに落ちてしまったのだろう。」と調べてきました。
 母親にしがみついている姿を想像するとこの子が不憫に思えました。飛んでるときに落ちたのなら巣は見つかりっこないし、母親にしがみついて成長するこうもりの赤ちゃんを飼育するのは無理だと思いました。
 「もしかしたら、今の状態はこの子にとって生き地獄かもしれない。」と思うと「死ぬのはこの子の運命だから仕方がない。」「自然界では母親からはぐれてしまった時点で死を意味するのだ。」「それを人間の手で何日か生きながらえさせたところで、どうしようもない。」と妻と話し、夜に最初にいたように壁にへばりつかせ、逃がしてやりました。
 正確にいうと「逃がした」ではなく「見捨てた」ですが。すごく悪いことをした気分で憂鬱でした。ほんの数日間のことでしたが、私にはペットは飼えないと思いました。
                             
1999/7/19




カナブンのメッセージ

 ある夏の日、子供達を連れて近くの川(石川)の河川敷にあるちょっとした林にクワガタ虫を捕りにいきました。残念ながらクワガタ虫はいませんでしたが、カナブンを3匹捕まえました。
 私が子供の頃、カナブンに糸を付けて飛ばして遊んだ事(カナブンに糸を付けると凧のようにグルグル回って飛びます)を思い出し、子供達に教えてやろうと思いました。カナブンにとって残酷ですが、子供が自然に興味を持ってもらうには、いい方法だと思います。今思えば残酷なことですが、私の子供の頃はそういった遊びをよくしていて今の子供よりは自然の中で遊ぶことが多かったと思います。

 家に帰ってカナブンに糸を付けようとすると、動きはおかしくないのですが、体つきがおかしいことに気が付きました。異様な形の首をしているのです。
 普通体は左右対称のはずですが、そのカナブンは片側の部分だけが異常に変形していたのです。「はっ」と思い別の2匹を見てみると一匹はまともでしたが、もう一匹は同じように奇形になっていました。
 最近環境破壊や環境ホルモンの話題が後を絶ちませんが、このカナブンの奇形も環境ホルモンの影響なのでしょうか。もしそうだと仮定すると、河川敷の土の中で育ったカナブンが環境ホルモンの影響を受けているように、土壌の汚染物質が流れ出している川を水源にしている人間に影響がないはずがありません。
 私はマスメディアで取り上げられる環境ホルモンの話に関心を持っていて憂いていたのですが、実際に身近にその現実を目の当たりにしたのは恐怖に似た感覚を覚えました。

 カナブンを飛ばして無邪気に喜んでいる子供達を見ながら、子供達の未来の環境を思うとゾッとし憂鬱で仕方ありませんでした。確実に自然は減少していて、残った自然も確実に汚染されているのだから。
                          
1999/7/19



家庭内別居
 春のある日、妻と寝室を別にするという家庭内別居の状態になりました。狭い我が家に寝室なんていうものは存在しないのですが、2つある部屋に別々にねることになりました。というのも、妻のいびきがうるさくて眠れないなんて些細なことではありません(もともと旅しているときは、大抵の環境には順応して寝ることができたので、少々うるさい妻のいびきも寝てしまえば気になりません)。

 別にけんかをしたわけでもなく、原因は花粉症です。毎年この季節花粉症に悩まされるので、今年は空気清浄機を購入して少し快適になりました。が、寝るときがいけません。寝るときの布団に花粉が付いているのでしょう。布団にもぐり込むと、目が痒くて痒くて、無意識に掻き巻くって、朝起きると真っ赤なウサギの目になっています。ある日「これは布団がいけないのだ」とシュラフ(寝袋)で寝ることを思いつきました。ちょうど季節も春になって春夏用のシュラフでも寒くはないだろうと、別の部屋で一人シュラフで寝ることにしました。枕元に空気清浄機を置いて、万全の体制で寝ると、これがなかなか快適に寝ることができました。

 以前から来客に「うちに泊まるなら、シュラフで寝てね」と冗談で言っていましたが、考えてみれば自分がシュラフで寝て、客人に布団で寝てもらうのが、正しいもてなし方と言えるでしょう。

 さて、花粉症の季節が終わったとき、この家庭内別居はどうなるのでしょう。お互い別々が気楽とそのままシュラフの生活が続くのでしょうか。そうなったら部屋の中にテントを貼って家庭内キャンプ生活を楽しもうかと、今からわくわくしています。
                            
2000/4/7



道に落ちている物
 先日、娘がなぞなぞをだしました。
 「家の中には落ちていないけど、道にたくさん落ちている物、何だ?」
 「ゴミ」
 「うーん、それもあるけど正解はタ・バ・コ」といいました。
 小学1年生の娘が「道にはタバコは落ちているのが当たり前」と思っていることに大人として情けない気持ちになりました。子供は大人のすることを良く見ているので、タバコのポイ捨てが当たり前と思って育っていくと思うと将来が不安です。

 昨年の国会で「タバコ税を引き上げる云々」の議案がありましたが、業界や愛煙家の反対は相当なものですね。「ただでさえ、半分以上税金で税金を吸っているようなものなのに、その上にまだ課税するのか」という事ですが、嫌煙家にすればタバコ税率引き上げは賛成でしょう。町は少しは綺麗になるし(清掃にかかる費用は税金です)、肺癌でかかる医療費も健康保険から出る(タバコを吸わない人も公平に負担している)など、愛煙家が負担するタバコ税よりも高いコストを愛煙家以外が負担していると考えると、タバコ税引き上げもやむなしという気もします。

 「今も昔も大人は悪い事をするが、昔の大人は子供の前では悪い事はしなかった。」と言われることのないように、せめて子供の前ではまともな行動を取らねばと思いました。
                           
2000/4/7



名付け親は電話帳
 次男の名前を考えるのは苦労?しました。
 なかなか、気に入った名前は思い浮かばないし、信心深くない私は運勢やら名前の画数など全く信じていないので、そういう類の本を参考にしようという気などなく、「男の子です」と病院で言われてから悩んでいました。
 「親(私)の名前の一字をとって」などと言うほど私は立派ではありませんし、今風のはやりの名前も付けたくありませんでした。

 そこで、思いついたのが電話帳でした。「電話帳ならたくさん名前が載っているので、気に入った名前が見つかるだろう」とさっそくペラペラと電話帳をめくりは始めました。でも、なかなか「これっ」といった名前はありませんね。名字が珍しいので、名前は普通にしょう、そして知り合い・親類に同じ名前がないことなどを条件に見つけたのが、次男の名前でした。他の人はどうやって名付けているのでしょうね。

 ちなみに娘の名前は妻が高校生時代に授業中、窓から校庭の体育の授業を見ていて思いついたそうで、「女の子が産まれたらこの名前」と決めていたそうです。そして長男の名前は私が考え(ひらめき)ました。
 そして私の名前は、生まれた頃、父親が感じのいい子を知っていて、その子の名前をそのまま私に付けたそうです。
                           2000/4/7



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