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ワールドカップ・フランス大会でルーマニア代表が全員金髪で試合に出てきたのには少し気味の悪い驚きを感じました。社会主義崩壊後もまだ共産主義の名残で「全員金髪」と強制されたのかなとも思い無気味な光景に見えたのは私だけでしょうか。
さて1997年ネパールで思ったこと。日本で茶髪が流行っていますが、ネパールに来る人の茶髪の多いこと。それが流行なのかも知れませんが茶髪日本人が集団で歩いている光景は無気味でした。まだカメラをぶら下げた団体(別に日本人の団体旅行客だけでなくどこの国でも団体客は良く似たものです)の方が受け入れられます。
日本人の習性か知りませんが茶髪が流行ると猫も杓子も茶髪になりたがります。本人は茶髪になって「自分は個性的」と思っているようですがはたから見るとただ流行を追っているだけで(流行に乗り遅れるのを恐れているようで)ネパール人や他の国のツーリストからは「似合いもしないのに」と冷ややかな目で見られていました。日本人の黒髪に憧れる西洋人は多いのですが、何人かの西洋人ツーリストはわざわざ茶髪にする日本人を見て不思議に思っていました。私は日本人の黒髪は自慢に思っているのですが、日本人は金髪にコンプレックスがあるのでしょうか。
私は流行を追う人間ではないので流行を追う人の気持ちは分かりませんが、「流行など一部の人間が金儲けの為に創り出すもの」と思っているので、そんなことに踊らされる自分を想像すると自分が嫌になってしまいます。私は最新の流行のファッションをしている人を見ても高級車に乗っている人を見ても「所詮、着飾っているだけ」ととても個性的とは思えないのです。むしろ中身のない内面を外見でごまかそうとしているようにも見えます。
流行とは例えば阿波踊りの「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損損」といったものでしょうか。
私は個性というのは内面であって外見ではないと思っています。人の真似や流行に乗り遅れないこと、着飾る事などと個性とは別のものです。茶髪を流行らせた人から見ると「流行を追う人」がいないと商売にならないのだから今の茶髪ブームには笑いが止まらないことでしょう。同じするなら「流行を追う人」より「流行を創る人」になりたいものです。だから私は「流行のかたまりみたいな人」とはあまりあいません。でも、世の中に「流行を追う人」がたくさんいてお金を使わなければ日本経済も活気づきませんが・・・。
日本人が戦時中に軍国主義に洗脳されたように現在は流行に洗脳されやすいというのは日本人の特徴なのでしょうか。不景気で可処分所得も減っている今、流行ではなく本当に自分がしたいことにお金をかけたいものだと茶髪日本人を見て改めて思ったものでした。そして本当の美人は素顔のままで美しいように、茶髪の似合う人は茶髪でなくてもかっこいい(美しい)であろう人でした。
最後に茶髪批判みたいな文になってしまい、気を悪くされた人もおられるかと思いますがあくまで個人的な(流行を追うセンスもお金もない人間の)意見なのでお許し下さい。
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