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ヨーロッパな風景・1


外国に行こうと思ったのは「シベリア鉄道」という言葉に惹かれてでした。
北京からシベリア鉄道でヨーロッパへ、
東西合わせて2カ月半の旅でした。

さらばシベリア鉄道

ロシア経済危機

アウトバーン

司馬遼太郎のオランダ



さらばシベリア鉄道

 10年前まだソ連が崩壊する前の話のため参考になるかどうか分かりませんが陸路ヨーロッパへ抜ける方法の一つにシベリア鉄道があります。

 私の場合、全て北京で手配しました。チケットは当時ハンガリーやポーランド人が往復チケットで中国に来て、復路のチケットを闇で売っているのでそれを買って行くという方法でベルリンまで当時で2万円程で行けました。だいたい中国旅行社CITSのオフィスの前でそれらしい白人に声を掛けると手に入りました。予約を入れさせOKが出た時点でお金を払いました。ビザは全てトランジットビザでポーランド・モンゴルは2〜3日、ソ連が10日程かかりました。旧東ドイツは国境でビザがもらえました。

 モンゴル経由でモスクワまで4〜5日、満州経由で6〜7日です。当時ソ連ルーブルの闇レートは正規レートの20倍位あり50ドルも闇両替すれば充分で、ソ連入国時に車内でできました。鉄道での食事はうわさ通り日が経つに連れメニューが貧弱になっていきました。キャビアも初日(ソ連入国後の)に食べそびれたためついに口にできませんでした。

 モスクワ〜ベルリンはモスクワで予約しました。モスクワでは到着駅と出発駅が違うため、また予約も駅ではなく別のオフィスのため注意が必要で、私の場合同じコンパートメントのオランダ人に助けてもらいました。モスクワで一泊しましたが当時正規にホテルに泊まると1泊1〜2万円もするため駅で客引きしていたロシア人のアパートに泊まりました。ヨーロッパのツーリストが10数人泊まっており雑魚寝で10ドル位でした。

 ビザ等については英語のガイドブックShoestringかSurvival Kitに詳しく載っていました。


さらばシベリア鉄道

ロシア経済危機

アウトバーン

司馬遼太郎のオランダ



ロシア経済危機

 ロシアがまだソビエト連邦だった1989年、シベリア鉄道でソ連を通過した際のこと。
 私は列車内で闇両替(ブラックマーケット)をしました。当時ソ連通貨のルーブルは銀行レートと闇レートが20倍(列車内でのことで町に出ればもっといい交換レートだったかも知れません)もあり、真面目に銀行で両替するような人はあまりいませんでした。勿論、ホテルの宿泊や航空券を買うのにはバンクレシートが要るので銀行に行く人もいましたが、トランジットでソ連を通過するだけの私には闇両替で充分でした。
 計画経済と実体経済のあまりにもかけ離れた状態には、経済に素人の旅人にもソ連の先行きに不安を感じたものでした。その後しばらくしてソ連は崩壊、ロシアに生まれ変わりましたが、不思議でもなんでもありませんでした。

 そして、1998年、ロシア経済危機が起こりました。
 私はロシア経済危機の原因を聞いたとき思わず吹き出してきました。
 社会主義から資本主義へと変貌したロシア経済ですが、資金を集めるためにとった手段が国債の安売りでした。年利50%という高利回りをうたい文句に世界中から資金をかき集めていきました。年利50%という高利回りの金融商品など他にあるはずもなく、しかもロシアという大国の保証する国債に投資家が群がるのも無理のない話です。こんなおいしい話はどこを見てもありません。
 ところが、集めるだけ集めて「破産しましたので、お金は返せません。」と言ったのがロシアです。アメリカのヘッジファンドの資金がロシアの国債を買いあさっていたのが、ロシア国債が一夜にして紙切れ同然になってしまったのだから、売り逃げできなかった投資家は痛い目にあいました。
 ロシアの国内でもある市が高利回りで市債を発行し市民から資金を集め、これまた「破産しましたので、お金は返せません。」と集められたお金は一部役人の懐に納まったのでした。
 まるで取込詐偽を国や市が公然と行っていたようなものです。いかにもロシア的で共産主義から資本主義に変わってもやっていることは変わらないのだなと、おかしくておかしくて仕方なかったのです。
 子供っぽい政治体制と素朴なひとのよい人々、軍事大国と貧しい暮らし、色々な意味でロシアは面白い国です、住みたくはありませんが。

さらばシベリア鉄道

ロシア経済危機

アウトバーン

司馬遼太郎のオランダ



アウトバーン

 1989年まだドイツが東西に分かれていた頃の事です。シベリア鉄道でベルリンに入った私はベルリンが東と西に分かれていることは知っていましたが、ベルリンが東ドイツ内にあって西ベルリンが西ドイツからみれば陸の孤島のようになっているとは知りませんでした。てっきり東西ドイツの国境に位置してその国境で分断されているのだと思っていました。西ベルリンに入ってやっと共産圏を脱出だ、と思っていたら西側に行くにはまた東ドイツを通らなければならないことを知りました。

 私はヨーロッパの周遊券・ユーレイルパスを持っていましたが使えるのは西側諸国だけで、西ドイツに入るまで使えません。切符代を節約するために考えたのがアウトバーンのヒッチハイクです。地図をみるとアウトバーンはベルリンから西ドイツにもつながっているので西ドイツ人は使っているはずです。ということでアウトバーンの乗り口に行ってヒッチハイクをすることに。行くとヨーロッパのツーリストの先客がおり、聞くと彼らもヒッチハイクで西ドイツに行くとのこと。考えに間違いがないと知ってヒッチハイク開始。するとすぐに車が止まってくれ「ハノーバー迄ならいいよ」ということであっさり成功。車に乗りすぐに国境に着きました。

 出国手続きで車は渋滞(歩くより遅いぐらいで)していましたが、この時感心したことがありました。渋滞中運転手はエンジンを切って車を降り、ドアとハンドルをもって車を押して歩くのです。周りの人全てがエンジンを切って車を押しているのです。渋滞中少しでも排気ガスを出さないよう、皆が心がけているのです。ヨーロッパの旅で最も印象に残っているシーンです。

 それを思うと最近日本でも環境問題が取りざたされていますが、個々人の意識は10年も20年も遅れている気がします。アウトバーンも東ドイツ内はガタガタでしたが西ドイツに入るときれいで東西ドイツの差を感じました。そんなドイツも私がヨーロッパを抜けた頃にはベルリンの壁が壊されドイツ統一の道を歩み始めました。


さらばシベリア鉄道

ロシア経済危機

アウトバーン

司馬遼太郎のオランダ



司馬遼太郎のオランダ

 一度旅した事のある国についての情報には興味がわきますし、頭に入ってきやすいものです。司馬遼太郎の紀行文「街道をゆく」のオランダは大変面白く、オランダに行く前に一度よんでいくことをお勧めします。
 オランダを旅した当時の私のオランダについての知識は風車とチューリップとアンネの日記と飾り窓くらいのもので、シベリア鉄道でお世話になったオランダ人に会いに行くのが目的でした。オランダでマリファナが公認されていて、タバコ屋で買えることを知ったのもこの時でした。

 もう10年も前のことですが、もし司馬遼太郎の「街道をゆく」を読んでいればもっと違った旅になっていたんじゃないかと思います。
 「自由の国」といってまず思い浮かべるのはアメリカかと思いますが、実はオランダが世界で初めて「市民」という階級の国民が生まれた国です。
 また、日本が土地バブル崩壊で苦しんでいますが、オランダは17世紀に「チューリップ・バブル」で同様の事を経験済みです。
 オランダの石畳の道はアルプスやシナ・中国などから輸入された石を使っており何世紀にもわたってコツコツと埋め込まれたものです。そして、オランダ人にとって土地は過去何世紀にもわたって埋め立てしてつくってきたことから、個人が「所有するもの」ではなく「先代から子孫に受け継いでいくもの」という考えで、土地を所有するという考えは希薄です。ある日本人学校の地代(日本の小学校の標準的な広さ)は一年でわずか1ギルダー・約70円だそうです。オランダでは土地は金儲けの手段ではないのです。
 司馬遼太郎は常々土地問題が日本を駄目にすると警告し続けていて、地価高騰を憂いていました。図らずもバブル崩壊で司馬遼太郎の警告が現実のものとなってしまいました。優れた歴史の観察者は未来をも見ることができるのですね。

 司馬遼太郎は言います、「明治維新後、日本はイギリス、フランス、アメリカからばかり学ぼうとしてきたが、オランダという日本にとって歴史の中に忘れ去られたような国からも教えられることはたくさんあるのではないか」と。
 「オランダでは土地は子孫に受け継いでいくもの」ですが、「人類が子孫に受け継いでいくべきものは経済などという目先のことではなく、地球環境という人類や他の生物の存続にかかわるもの」で、今の経済不況など環境問題に比べてちっぽけな問題ではないかと思います。

さらばシベリア鉄道

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