みたびの放浪みたびの放浪


一人の旅から家族の旅へ
        
〜6年振りのネパール〜

 「自分たちが決めたことだから親の私達がとやかく言うことはない。そりゃ、しばらく孫の顔を見れなくなるのは寂しいけど、もう決めてしまったことだから、ねぇお父さん。」
 「ああ、そうだナ。」
 「いまさら何を言ってもしかたないし、・・・。でも、子供達の事だけは十分気を付けてネ。」
 今回のネパール行きを私の両親に話すことは私にとってとてもつらく、切り出しにくい事だった。長いフリーターと旅の生活でさんざん心配を掛けて、やっと結婚して子供も二人できて、やっと落ち着いてくれた。と思っていた両親にとってまたまた心配の種を作ってしまう。日課のようになっていた夜の孫とのふれあいもしばらくお預けになる。
 強く反対される事はないとは思っていたが、「あなた達の家庭のことだから・・・」とあっさり理解を示してくれ、わざわざ空港まで見送りに来てくれた両親に感謝します。

 何故、四歳の娘(笑生・えみ)と三歳の息子(洋志・ひろし)という幼い二人を連れて四〜五ヶ月もネパールへ行こうというのか?
 それは五年前にさかのぼります。
 五年前、私はこれで旅に一区切りしよう。と約二年間のつもりで日本を脱出しました。「脱出」という言葉が適切かどうかは分かりませんが、日本社会からか、旅の生活からか抜け出したかった、ある意味で中途半端な時期でした。
 旅の途中、ネパールのポカラという街で妻・琴恵に出会いました。カトマンドゥからのバスの到着ターミナルでホテルの客引きに声を掛けられ、連れていかれたホテルがホテル・パゴダで彼女もそのホテルに泊まっていました。彼女も一人で旅をしておりネパール・インドを旅するとのことでした。結局その後彼女と結婚することになるのですが、最初の頃はお互い旅仲間という感じでしかなく、勿論ヒマラヤのトレッキングも別々に行きました。

 ヒマラヤ・アンナプルナ山域のトレッキングでゴレパニ峠を超えたところで、ある西洋人が幼い子供をポニーに乗せてトレッキングしている光景に出くわしました。
 家族でトレッキングしている!!
 それもあんな幼い子供を連れて、しかもポニーに乗せて・・・。
 正直言って日本人が家族でああいった感じの旅をしているのを見たことがなかった私にとってカルチャーショックでした。
 一人旅の日本人は世界中どこへ行っても見ることができますが、そして個性的な旅人にも沢山出会いましたが、家族で旅をしているのは見たことがなく、西洋人のゆとりというか余裕というか、すごく羨ましく思ったものでした。まだまだ、日本の社会ではああいった旅は出来ないであろうと。
 あの西洋人の子供連れの事はその後ずっと頭から離れませんでした。旅は一人でするもの、ましてやその頃の私は独身主義とのたまっており結婚や子供を持つことなど考えられなかったし、もし日本の会社組織に組み込まれたとしたら長期の旅などゆるされないだろう等と、自由に旅しているつもりでいたくせに変な固定観念にとらわれて自由人気取りで旅していた私にとってカルチャーショックでもあり、美しいヒマラヤの山々よりも印象に残る光景でした。

 十日間のトレッキングを終えホテルで琴恵と再会、その後インドのヒンドゥー教の聖地バラナシへ一緒に旅することになりました。
 暑い暑いバラナシで、ある日ガンジス川を泳いで対岸まで往復した後、急に調子がおかしくなり高熱におかされました。冷房設備などない安宿のベットに横たわり、唯一の頼みのつなであるクルクルと天井で力無く回るファンが停電で止まったのを見た瞬間、「あぁもうダメだ」と意識が遠のいていきました。朦朧とする意識の中で、「あぁこんなところで死んでしまうのか」「親不孝な息子だナ」「独り病気になるってこんなに辛いものか」等と思っていました。
 ベットの中でもがき苦しんでいたとき手をさすったりして親身に看病してくれていたのが琴恵でした。本当は別の人の方が一生懸命看病してくれていたみたいですが、その時の私には琴恵が看病してくれていた、と思い込んでいました。病気の時、手を握ってもらったり、さすってもらったりするとすごく安心でき苦痛も和らぐ事をその時初めて知りました。そして自分の周りに誰かがいてくれるということがどんなにありがたく、どんなに幸せなことかを知りました。そしてその時から琴恵を女性として意識し始めたのでした。
 幸い病気の熱は数時間で下がりましたが今度は琴恵への熱が上がっていきました。

 その後インドをブッダ・ガヤ〜プリー〜マドラスと旅し、琴恵のお腹の中に子供ができたと知ったのがスリランカでした。それまで、インドに戻ってインドを旅した後は再び一人で旅を続けるつもりでしたが、子供ができたと知った瞬間日本に帰って結婚すると決めました。それまで独身主義などとのたまっていたのが180度方向転換してしまいました。自分の価値観がこうもあっさり変わってしまうものかと呆れ不思議に思った瞬間でした。

 自分の旅は結婚ということで幕を閉じましたが、逆に自分に子供ができるということであのトレッキングで見た西洋人家族のことが頭から離れなくなりました。
 その事を琴恵に話すと「我々も子供を連れてネパールを旅しましょう。」と逆に琴恵の方が積極的に考えるようになっていきました。
 子供が小学校に入ったら長期の休みを取るのはかわいそうだから小学校に入る前に行こう。と決めたのは結婚当初だったと思います。

 あれから五年、半分夢物語で実現できるかどうか自信はなかったのですが、やはり実現できる事ならやってみよう、いまこの機会を逃すと「あの時行っておけば・・・」と一生後悔するだろう、また夫婦の共有する夢を実現できないとなると夫としての自分を妻はどう思うだろう、と考えました。
 会社を退職して、貯蓄を食いつぶし、約半年旅をする事はリスクも大きいが、失うものより得るものの方が大きい、と最終的には「何とかなるさ」精神で、ネパール行きを決意しました。

 出国の日を九七年十月二六日に決め準備を進めていきましたが一番気掛かりだったのが私の親への切り出しでした。商売人で仕事一筋に生きてきた両親には自分のような生き方は理解できないであろうし、受け入れがたい事と思います。
 でも、苦労して生きてきた両親だけに逆に子供には自由にしたいことをさせてくれました。あまり前もって親に相談することもなく、たまに話があるというと事後相談でもう決めてしまっている事で、言いたいこともたくさんあるだろうにそれでも小言を言うわけでもなく許してくれていました。でも今回はもう独身でもなく家族もある状態で反対されると思っていました。
 それが「自分たちが決めたことだから」「あなた達の家族のことだから」「何をいっても聞かないし、ただ、悪いことだけはしてくれるなよ。」と認めてくれました。
 この時改めて親の気持ちの大きさや強さを感じました。はたして自分が娘・息子に対してこれだけ寛容になれるだろうか?

 関西国際空港からロイヤルネパール航空・カトマンドゥ行きに搭乗したとき、「これで旅の目的の半分は達成したナ。」と思いました。四歳の娘と三歳の息子を連れての旅は「子供が病気になったらすぐに帰国する」つもりでいたので、もしかすると数日間で帰国することになる可能性も十分考えられ、でもそれはそれで「夢を実現する為に一歩踏み出した結果だから仕方がない。」と思っていました。
 後で振り返って「あの時しておけば」と後悔するよりも行動して失敗する方がいい。 「やらずに後悔するよりやって後悔する方がいい。」
 これはもともと私が旅を始めたとき、「就職するか」「したい旅をするか」で悩んでいたとき悩み抜いた結論でした。だから「子供を連れてネパールに行く」という夢を実行に移せたことで旅の目的の半分は達成した気分になっていました。

 ネパールでの四ヶ月半はあっという間でした。心配していた子供の病気も旅につきものの下痢以外は無く、便秘がちだった娘も快便になり、日本にいるより元気に暮らしていました。
 六年前妻と知り合ったホテル・パゴダのオーナーは我々のことを憶えていてくれ、昔の宿帳を見せてもらうと妻は九二年三月九日、私が九二年三月十三日から泊まっていました。新しく宿帳に九七年十一月十日と書きながら「この子供達が大人になったとき、訪れるかも知れないので、その時にはこの宿帳を見せてやって下さい。」とオーナーに頼むと「勿論、見せてあげますよ。」と快く応えてくれました。子供達も将来、一人でこの地を訪れるのでしょうか。ポカラではそのパゴダ・ホテルに滞在しました。
 ネパールのほとんどをポカラで過ごしたのですが子供連れということで、動きが取りにくい等の不便さはありましたが、それ以上に地元の人達とのふれあいがあり良かったと思います。どこの国でも子供は可愛いもので、うちの子も「エミー」「ヒロシー」とホテルや地元の人に可愛がってもらいました。
 ただ、少し残念だったのは最初の頃ネパールの子供達と遊んでいたのですが、宗教上の問題かその子供達の親から「あの日本人の子供とはあまり遊んではいけない。」と言われたらしく、子供達同士は遊びたそうにしていましたが、一緒に遊ぶ機会が減ってしまったことです。
 旅の間、自分がいくら贅沢はしていない。と思っていても貧しい暮らしの人々には贅沢しているように見える事でしょう。少し考えたのが食事の事で、無理に現地の人と同じ食事をしよう等とは思いませんでしたが子供が「美味しくないから」と現地の子供達にとってはご馳走の食事を残して欲しく無かったし、食べることさえ事欠く子供達を見て食べれる事の有り難さを感じて欲しかったものです。だから「ネパールの子供達は食べるものもなくてガリガリに痩せているけど、お前はいっぱい好きなものを食べれてプクプク太って・・・、別に食べられないものを食べろと言っているんじゃない。あれ嫌、これ嫌と好き嫌いするんじゃない。」と食事でわがままを言うと叱っていました。子供達には日本みたいに飢えの無い国の有り難さや幸せを知って欲しいと願います。
 子供達はテレビの無い生活にもすぐに慣れて、外で蝶を追いかけたり、道行く牛に餌をやったり、言葉の通じないホテルの使用人と遊んだりと、日本ではテレビやおもちゃ等与えられる遊びだったのが、ネパールでは自分で創り出す遊びをしていました。ホテルの使用人のナルンは十五歳の少年でしたが親元を離れ住み込みで働いていました。子供達はナルンにはよくなついていて本当に良く遊んでいました。
 そして何よりもネパールでの収穫は私が子供達とふれあう時間がたくさん出来たことです。普段あまり子供と接する時間が無かったのですが、一生のうちにこういう時期があって良かった思います。

 ポカラにも慣れてきた頃、いよいよポニートレッキングに出発することにしました。アンナプルナ山域のダンプス〜ランドルン〜ガンドルン〜タダパニ〜ゴレパニ〜ビレンタティ〜チァンドラコットのコースの7日間のトレッキングでした。ポニーを二頭とポニーガイドを二人、ポーターを一人雇ってのトレッキングで、カレー(ポニーの名前)に妻と洋志、シェテ(ポニーの名前)に私と笑生が乗り、二日目からは笑生一人で乗りました。
 途中泊まる宿はポニー中心でポニーの寝床である馬小屋か牛舎または雨風をしのげる屋根があるロッジに泊まりました。夜には虎が出没する事もあるらしくポニーガイドの二人は交代で見回りに行っていました。途中の村々は電気の来ていない村もあり夜はロウソクで、また暖は厨房の薪でとったりしまた。
 ポニーに乗るのは登りは楽なのですが下りは危険で急な場所は降りて歩きました。特に急勾配のランドルン〜ガンドルンはほとんど歩きで、またタダパニ〜ゴレパニは急な上所々雪やアイスバーンでポニーも滑ってしまうほどでほとんど歩きました。子供達はポーターに背負われたり、自分で歩いたりしていました。

 トレッキングも終わりの頃、ゴレパニの宿でポニーガイドのメイクさんと話していると我々の行って来たコースはポニートレッキングには向いておらず初めてだったみたいです。そして、無事に行って来れたのは非常にラッキーだったとのことです。一月二月三月は雪でとても行けないみたいです。私の場合、ポカラの旅行代理店で話を決めたのですが、代理店の人間もポニートレッキングの会社のオーナーも私の希望したコースの実態を把握しておらずお金になるからと気軽にOKしたそうですが、メイクさんに言わせると「ポニーには可哀想なコースで自分だったら違うコースを勧めていただろう。」との事でした。「ポニーも可哀想だしメイクさんも大変ですね。」と聞くと「これが自分の仕事だから。」と笑っていました。
 そして五年前にゴレパニ峠で私の見た西洋人のポニートレッキングは多分メイクさんの知り合いがガイドしたそうです。アンナプルナ山域でのポニートレッキング自体年に数回あるかないかだそうでメイクさんの記憶に残っていたみたいです。その一年に数回あるかないかのポニートレッキングを偶然見たことが今回の旅につながっているのは不思議な縁だと思いました。もしあの光景を見ていなかったらこうして子供を連れて旅をしていたかどうか分かりません。旅も人生も偶然の積み重ねですね。

 子供達が将来大人になった時、ネパールで五歳になった笑生はこの旅のことを多少は憶えていると思いますが三歳の洋志は憶えていないかも知れません。でもこれから写真を見せたり話を聞かせたりしていきたいと思います。子供達が大人になったときに「世間の目などに縛られず自分の好きなことをすればいい。お父さんとお母さんもそう思って君たちをネパールに連れていったんだよ。」と話そうと思います。
 子供に教えられることはあまりないですが、子供が好きな道を選びやすい環境を作ってやりたい、固定観念にとらわれずに自由に生きていって欲しいと思い、今回の旅を通じて何か感じとってくれればと思います。たまたま私と妻は旅だったのですが、別に旅に関わらず自分の興味のある道を進んで欲しいものです。「流行っているから」とか「皆がしているから」というのではなく「自分がしたい」事をするという価値観はもって欲しいものです。生きて行くにあたって自分にとって何が必要で何が不必要かを自分で判断できる人間になって欲しいものです。

 私と私の両親との生き方は全く違っていますが「人を騙すとか物を盗むとか人の道を外れることさえしなければ好きなことをすればいい。」という両親の教えは私の子供にも教えていきたいと思います。この旅を通して、この事を少しでも子供に伝えられればこの旅は私にとっても家族にとっても素晴らしい体験になったことと思います。そしてこの旅の思い出は家族の大切な宝物になることでしょう。
 私の旅は人から見れば回り道に見えるかも知れませんが、私にとって旅とはかけがえのないものです。旅の体験や旅で学んだことは私の人生観には欠かすことのできないものです。

 旅をしていて自分が日本人に生まれて、自由に外国を旅できる時代に生まれて、そして自分の両親の子供に産まれて本当に幸せだ、と思いました。海外を旅して外から日本という国を見て初めて日本人に生まれたことを誇りに思いました。そしてそのことを実感できたのもそういう風に育ててくれた両親のおかげで感謝しています。
 昔旅していたとき出会った恩人が「親が僕にしてくれたことは親に返すことはできない。だから親から学んだことを自分の子供に教え伝えることが親孝行になるんだ。」と言っていました。その人の子供への教育の基本は「親から受けた恩は親にではなく子供に返す。」とのことで私も同感です。
 実際自分にできる親孝行は親に孫の顔を見せることぐらいで、親もそれ以上のことは望んでいないと思います。だから私の両親が私にしてくれたように、自分の子供にもそういう環境を作っていきたいと思います。

 私のわがままを許してくれた両親に感謝します。

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