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国境を越えるときはいつも多少の緊張を伴います。でもたいていの場合問題なく出入国できました。イラク・ヨルダンの国境を除いては・・・。1989年〜1990年の年越しの話です。湾岸戦争の半年前、トルコで「いまならイラクに入れる」という話を聞き、イラン〜パキスタン〜インドの予定を急遽イラク〜ヨルダン〜イスラエル〜エジプト〜ケニヤへ方向転換しました。
イスタンプールでヨルダン・イラク(イラク大使館では館内に入れてもらえず寒空のなか何時間も待たされました)のビザを取り無事トルコ・イラク国境を越えバクダットへ。イラクもその頃の闇レートは正規の10倍くらいでよかったのですがヒルトンホテルに泊まるにはバンクレシートが要りイラン(闇レートが正規の20倍くらいありホテルもバンクレシート不要で薄汚い格好のバックパッカーが大挙してヒルトンホテルに押し寄せたという話。たった5ドルで5つ星ホテルに泊まれるのだから。)のような豪遊はできませんでした。
ビザを取りに行ったバクダットのエジプト大使館でトルコで会った細川氏と佐藤氏に再会。その頃いっしょに旅していた渡辺氏と4人でヨルダンに向かうことになりました。出発は大晦日。当時ヨルダンへの陸路入国は難しいとは聞いていました。ただシリアからは難しいがイラクからは問題ないとも聞いていました。ヨルダン・アンマン行きののバスはヨルダン人か出稼ぎ労働のエジプト人の里帰りの人ばかりで外国人は我々日本人4人だけでした。イラクは何の問題もなく出国、ヨルダン側のイミグレーションまで砂漠をバスで1〜2時間、ヨルダンのイミグレーションにつきました。
バスを降り入国審査へ。ヨルダン人・エジプト人はほとんどノーチェックでパスポートにスタンプを押してもらっていましたが我々にはなかなかOKが出ません。コンピューターでなにやらチェックを続けており、気がつけばヨルダン人・エジプト人は皆入国しバスに乗り込んでおり残すは我々4人だけで、バスの運転手もイライラした様子で何度も「まだかまだか」と聞きに来ました。結局「バクダットへ帰れ」と入国拒否。呆然とする我々をしりめにバスの運転手はいそいそと我々の荷物を降ろし「Good-Luck!」と言い残してバスを出発させました。乗客は可哀想にという目とやっと出発だという喜びで我々に手を振ってくれました。
こんな所に取り残されてどうしたらいいのか?と呆然としているとイミグレーションの人間があのバスに乗っていけ、とバクダット行きの回送バスを教えてくれました。そのバスの運転手はめんどくさそうでしたがイミグレーションの人が話を付けてくれ乗せてもらうことになり再びバクダットへ。イラク側イミグレーションで出国スタンプをキャンセルしてもらい、再入国。我々4人を乗せたバスはテレビ付の豪華バスでその車中で年を越しました。最悪の年のスタートでした。
このころのヨルダンでは日本赤軍(私の世代にはピンときませんが)の活動が活発化して?またフセイン国王の訪欧などで日本人に対するチェックが厳しくなっていたみたいです。想像すると我々4人の名前の中に日本赤軍メンバーの名前が重なっていたのでしょう。佐藤・細川・渡辺とよくある名前ですから。結局空路ヨルダン・アンマンへ、この時はノーチェックでした。いったいどうなっていたのでしょうか。
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