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 私の結婚・1


琴恵と出会ったのが92/3/13で結婚したのが92/7/11
わずか4ヶ月のことでした。
出会いからのエピソードをまとめてみました。

ぽん引きに連れられて

Hotel Pagoda

ガンガーを泳いだあと

無賃乗車

ファンが止まったとき

自称坊さん



ぽん引きに連れられて

 旅にガイドブックは絶対必要でしょうか。
 アフリカや中近東など良いガイドブック(ロンリープラネットなどの英語のガイドブックが便利と思います)のない地域もありますし、長期の旅になると何冊ものガイドブックを持ち歩く事は不可能です。そうなるとガイドブックは現地調達するか、ガイドブックなしで旅するのも選択肢の一つになります。
 どこの国に行っても旅している人はいますので、その人からガイドブックを見せてもらい、ガイドブックに載っている必要最小限のこと、ビザの取り方や国境の越え方などをメモすれば、最低限の旅はできます。
 ガイドブックなしだと観光地やイベントを見過ごしてしまう事も多々ありますし、効率的にまわるという点では疑問符が付きますが。

 約2年の予定で二度目の旅に出た私は、ガイドブックをどうするか迷いました。
 中国・香港・バンコクは短期間なので不要、ネパールも安宿街があると聞いていたので何とかなる、インドは現地で古本が手に入るであろう、だからメインの南米(地球の歩き方)だけ持って行く事にしました。
 さてネパール。カトマンドゥの空港を降りると客引きに囲まれて勝手にタメル(安宿街)に連れていってくれました。カトマンドゥの古本屋で古本のガイドブックはたくさん売っていましたが、ネパールを旅するのにガイドブックは必要ないのが分かってきましたので買わずにいました。

  そして、ポカラ。ポカラのバスターミナルでは案の定たくさんの客引きが集まってきました。別にホテルを決めているわけじゃないので、バスの屋根から荷物を降ろしてくれた客引きのホテルに行ってみる事にしました。気に入らなければ他をさがせばいいだけのことです。
 そうやって連れて行かれたのがホテル・パゴダです。そのホテルで妻・琴恵に出会ったのです。
 もし私がガイドブックで泊まるホテルを決めていたら他のホテルに泊まっていたでしょうし、もし妻がガイドブックを持っていなかったら他のホテルに泊まっていたかも知れません。人生の出会いなんてこんなものです。
 偶然の積み重ねで機会が生まれ、その機会を生かすかどうかは本人次第なのでしょう。行き当たりばったり、客引きに連れられて、そんな無計画なことがゆるされるのも、無期限の旅の特権かも知れません。

ぽん引きに連れられて

Hotel Pagoda

ガンガーを泳いだあと

無賃乗車

ファンが止まったとき

自称坊さん



Hotel Pagoda

 私の結婚は俗に言う「できちゃった結婚」です。世間と少し違うのは、それが旅の途中で、場所がインドだったということです。

 妻・琴恵と知り合ったのは旅の途中のネパールのポカラです。カトマンドゥからのバスの到着ターミナルでホテルの客引きに声を掛けられ、連れていかれたホテルがホテル・パゴダで琴恵もそのホテルに泊まっていました。

 琴恵はホテルの食堂(レストランとは言いずらい)でインスタントラーメンに具を加えただけのヌードルスープを食べていました。当時のこのホテルのキッチンボーイは料理については全くの素人らしく見よう見まねで料理しており、とんでもない料理を出してくるので他の宿泊客はあまり利用しておらず、琴恵も「ここのメニューで唯一食べられるの」と笑っていました。そのキッチンボーイは数年後材料費を持ったままどこかへ逃げていってしまったそうです。

 琴恵とは同じ大阪ということで話は弾みましたが最初の頃は旅の仲間くらいの感じでした。琴恵も一人旅でネパール・インドを旅するとのことでした。

 ヒマラヤ・アンナプルナのトレッキングは私は一人で琴恵は日本からのトレッキングツアーに参加してきた琴恵の母のグループに合流して行きました。ホテルに要らない荷物を預かってもらって、予定も聞かず「それじゃ、またどこかで。」と出かけました。私がトレッキングから帰ってきた日、汚れた服を洗濯していると、そこに琴恵が通りかかり「今から明日のバラナシ行きのバスのチケットを買いに行くの」と言いました。

 私は「別に急いで行かなくてもいいやん」と、これは下心等ではなくほんの社交辞令みたいな感じで「女一人でインドを旅するのも大変だから一緒に行こうヨ。」と引き止めました。琴恵も「それならチケットを止めて、ビザの延長に行ってくる」とあっさりインド行きを延ばしました。

 もし、あと一日ポカラに帰ってくる日が延びていたら琴恵はインドに行っており、私と琴恵が再会することもなく、一緒に旅することもなく、そして勿論結婚することもなかったでしょう。Hotel Pagodaは私と琴恵の出会った場所で、その後一緒に旅するキッカケを与えてくれたところです。


ぽん引きに連れられて

Hotel Pagoda

ガンガーを泳いだあと

無賃乗車

ファンが止まったとき

自称坊さん



ガンガーを泳いだあと

 インド・バラナシには約3週間程滞在していました。ビシュヌ・ゲストハウスというところでガンガー(ガンジス川)に面した寺院を改装したようなゲストハウスでした。ヒンドゥー教の聖地バラナシ・ガンガーは街が広がる市街地側と反対側は不毛の地で建物一つない荒れ地が広がっています。とても不思議な光景です。

 私のいたのは4月で乾期にあたりガンガーの水量も少なく流れも緩く、一度泳いで対岸まで行かなければ、と思っていました。宿のベランダから見る対岸はボートの船着き場辺りには人が群がっており、打ち上げられた人か動物の死体には野良犬や禿げ鷹が群がっていました。生と死が混在するガンガーでは不思議と死に対する違和感がありませんでした。

 ある朝「泳ごう」と決め(昼間は暑くてとても動く気にならない)、もしもの為のボート代くらいのお金をポケットに入れ、泳ぎました。岸からしばらく行くと急に水が冷たくなるのは海と同じで「どうか死体だけは流れてこないで。」とだけ祈りながら泳ぎました。水を飲まないよう注意しながら、ほんの数百メートルの対岸まで無事泳ぎ着き、帰りも問題なく帰ってきました。「べつにたいしたことないな」と部屋に戻りベッドに横になると少し体のだるさを感じました。


ぽん引きに連れられて

Hotel Pagoda

ガンガーを泳いだあと

無賃乗車

ファンが止まったとき

自称坊さん



無賃乗車

 ガンガーを泳いだあと、部屋で横になっていると「どうも調子がおかしい」と感じ脱水症状ではないかと考えていました。塩分と水分をとって、「朝もほとんど食べてないし、少しでもお腹に入れておこう」と同室の槻木君と歩いて10分程のバザールへ食事に出かけました。

 レストランでもだんだん調子が悪くなってきて、ほとんど何も口には入らず「調子が悪いから早く帰ろう」と美味しそうに食事する槻木君をせかし帰ることに。レストランを出たときにはもう暑い中歩いて帰る気力はなくリキシャ(人力車)に乗って帰ることしました。

 その頃にはインドのリキシャの料金交渉にも慣れてはいましたが、この時だけは「少々高くてもいいから早く帰りたい」と思いました。「お前はビシュヌ・ゲストハウスを知っているか?」「勿論知っている。××ルピーだ。」「OK行ってくれ」と乗り込むと「ちょっと待っていろ、場所を聞いてくる。」ときたのでむかつきながら「お前知ってるって言ったじゃないか、馬鹿にすんな、他を捜す」とリキシャを降り、別をあたることに。

 別のリキシャマンに「俺は病気でしんどいんだ。早くホテルに帰って横になりたいから、正直に言ってくれ。お前はビシュヌ・ゲストハウスを知っているか?」「勿論でさ旦那さん、たった××ルピーですわ」「OK、頼むから真っ直ぐに行ってくれ」と少し気の良さそうなリキシャに乗り込みました。するとやはりこのリキシャマンも道行く人に「ビシュヌ・ゲストハウスはどこだ」と聞きながら走り始めました。少しむかつきながら「俺は病気でしんどいから、頼むから真っ直ぐ行ってくれ」と言うと、「わかりました旦那さん、でも旦那さんいいところがあるんでさぁ、ゴールデン・テンプルにはもう行きましたか?」ときたので「黙って走れ」と怒鳴りつけました。

 するとさすがに黙って走りましたが「やっと着いた。あのかどを曲がったらすぐだ。」と思っていると、リキシャは曲がり角を通り過ぎました。「ストッープ、ホテルはあっちだろ!!」と叫ぶと「?」という顔で振り向き「でも旦那さん、ゴールデン・テンプルはグッド・プレイスですぜ」と言ったので、プチッと切れリキシャマンの胸ぐらを掴み「俺はしんどいんじゃー、なめんなよ、あほんだらー」とここだけは関西弁で怒鳴りつけ、それでも「××ルピー」と言うリキシャマンに「No money」と言い残して立ち去りました。調子が悪い中、このリキシャマンとのやり取りの間だけ調子の悪いのも忘れるぐらいカッカしており、いっしょにいた槻木君も圧倒されていました。

 そして部屋に戻るとリキシャマンとのやり取りに力を使い果たしたのかベッドにへたり込みました。私にとって後にも先にも「ただ乗り」したのはこのリキシャだけです。


ぽん引きに連れられて

Hotel Pagoda

ガンガーを泳いだあと

無賃乗車

ファンが止まったとき

自称坊さん



ファンが止まったとき

 タイやインドなどの安宿では扇風機代わりに天井にプロペラみたいな大きなファンがついてあり、クルクル・クルクルといかにも重たそうに力無くまわり、少しの涼を与えてくれます。あまり効き目がなさそうですが、水シャワーを浴びてベットに横たわるとその風でも結構涼しく「君頑張ってるネ」と褒めてやりたくなります。クーラーのある部屋になど泊まれない貧乏旅行者にとって団扇とこのファンが暑さをしのぐ唯一の手段です。

 さて先程のインドのバラナシでのこと。リキシャマンと一悶着あった後ホテルにたどり着いた私は「苦しぃー、暑いー」とベットに横たわり苦しんでいました。その時の私にとって天井でまわるファンだけが頼りでした。その時腹痛にもおそわれ、トイレに行って戻ってきてベットに横たわり天井を見上げると「ファンが止まってる・・・」。電気事情の悪いバラナシでは停電はよくあることですが、よりによってこんな時に・・・。

 ファンが止まっていることを知ったときかろうじて踏みとどまっていた意識が遠のいていきました。私は普段あまり病気などしない方ですが一度病気になるといけません。「あぁここで死ぬんだ・・・。」「親より先に死ぬのは親不孝なんだよな・・・。」などと覚悟を決めました。

 いっしょに泊まっていた旅行者が様子がおかしいと気付いてくれ、皆が看病してくれたおかげで、数時間もすると回復しました。後で聞いた話では、口から泡を吹いていて、手足は痙攣していたとのことで相当ひどかったみたいです。

 かすかな意識の中で今の妻・琴恵が私の手を懸命にさすってくれているのが分かりました。苦しんでいるとき近くに誰かがいてくれる有り難さを感じました。その時まで「気ままな独りがいい」と思っていましたが「誰かと一緒というのもいいナ」と初めて思いました。そしてこの時初めて琴恵を女性として意識し始めました。

 これも後から聞いた話ですが「琴恵が私の手をさすってくれていて、懸命に看病してくれていた」というのは私の思い込みで、実際は他の人(次の話の「坊さん」)だったそうです。恋愛には偶然と思い込みが必要です。


ぽん引きに連れられて

Hotel Pagoda

ガンガーを泳いだあと

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ファンが止まったとき

自称坊さん



自称坊さん

 私の旅で印象に残っている人に坊さんがいます。インド・バラナシのビシュヌ・ゲストハウスに自称「坊さん」の日本人ツーリストが泊まっていました。誰も本名を知らず坊さんとだけ呼んでいました。彼は自分で袈裟を作り着ており、頭も丸めていました。彼の荷物は小さなDパック一つで中には「オーストリアでオーケストラを聴くのに必要だった。」と革靴とよれよれのスーツだけが入っていました。彼は毎朝ガンガー(ガンジス川)で沐浴しており、けっして上手くない横笛を吹いて独り悦に入っていました。

 バラナシはヒンドゥー教最大の聖地で多くの巡礼者がやって来てガンガーで沐浴していきます。そんなガンガーの水は「聖なる水」であると同時にバラナシに暮らす人々の生活水でもあります。沐浴している人々の横で歯磨きや頭を洗ったり、洗濯をしていたり、近くのガートでは火葬が行われていてその灰を流したり(ヒンドゥー教徒にとって死後自分の遺骨をガンガーに流すことは最高の幸せです )しています。聖なる水といっても私にはただ濁った水にしか見えませんでしたが・・・。

 坊さんは言っていました。「ガンガーの水は確かに岸の近くは汚れているけど、10メートルも岸から離れるときれいですよ。だから、毎日しばらく泳いで聖なる水を飲んできて、体も快調です。」確かに他の旅人が暑くてダラッとしている中、坊さんだけ元気に動いていましたが、とても彼の真似をする気にはなりませんでした。

 そんな一見無謀にも見える坊さんですが慎重なところもありました。泊まっていた部屋はドミトリー(10人ぐらいの相部屋)のため貴重品は必ず肌身に付けていました。勿論、沐浴で川に入る時もで、貴重品をチャックのついたビニールに入れて「これなら水に入っても大丈夫。」と自慢していました。ある朝沐浴から帰ってきた坊さんは「ビニールがきっちり閉まってなくって・・」とお金やパスポートをベッドに広げだしました。ビショビショになったパスポートのビザ欄はインクがにじんで入国スタンプや有効期限が分からなくなっていました。

 私が坊さんの事で非常に驚いたことがあります。ある日昼食を食べに行ったときの事。「今日はデザートにアイスクリームを食べよう」とインドならではの着色料バリバリのアイスクリームを食べました。坊さんはアイスクリームを食べた後、私の残したカレーも食べてくれました。「私は自然の物ならなんでも食べるんですが、保存料や人工着色料の入った物は胃が受け付けないんです。」と火葬を見ながら言いました。そして、「やっぱり、さっきのアイスクリームがいけなかったみたいです。ちょっともどします。」と嘔吐しました。「あぁすっきりした」と言った坊さんの物を見ると、みごとにアイスクリームだけもどしていました。後から食べたカレーなどはしっかり胃に収まっていました。恐るべし坊さん。

 そんな坊さんは私が熱を出したとき一番熱心に看病してくれ、またはっぴ(私も新撰組の誠のはっぴを作りました)の作り方を教えてくれました。結構真面目に見えた坊さんも「鼻水の彼(いずれ彼の話もします)」の登場後は「鼻水の彼」の部屋で「これも修行のうち」とガンジャを吸うようになっていき、それまでの坊さんと人格も変わっていきました。私がバラナシをはなれる頃には坊さんの目は宙をさまよい視点が定まらなくなっていましたがその後彼はどうなったのでしょう?名前も住所も知らないので捜しようがないですが、もしそれらしき人物を見つけたら教えて下さい。


ぽん引きに連れられて

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ガンガーを泳いだあと

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ファンが止まったとき

自称坊さん



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