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私の結婚・2


琴恵と出会ったのが92/3/13で結婚したのが92/7/11
わずか4ヶ月のことでした。
出会いからのエピソードをまとめてみました。

マドラス行き列車

価値観が違う

スリランカにきたけれど

子供ができたとき

キャンセル待ち

G.P.Oなんか嫌いだ



マドラス行き列車

 プリーからマドラスは2泊3日の長距離列車でした。寝台列車は3段ベットで私と琴恵は真ん中と一番下のベットでした。寝台といっても昼間は一般客も乗ってきてベットを座席代わりに座り一番下のベットでは横になることもできませんでした。私と琴恵は交代で真ん中のベットで横になりましたがインドの寝台列車のベットは真ん中と一番上がベターです。

 さて、その列車でちょっとした問題が起こりました。朝、下で寝ていた琴恵が「何するの、この痴漢」と騒ぎ始めたのです。「この人が私の胸を触った」とインド人男性の腕を掴んで叫んでいました。騒ぎを聞きつけ野次馬の乗客が集まってきて周りは人だかりになりました。私も何事かと下に降りて琴恵に事情を聞きました。

 琴恵によると隣の男が寝ている琴恵の服に手を入れてきて胸を触ったとのことで、私も腹を立て男の手を掴みDon't touch my wife!!と言いました。No,No!!と首を振る男にIs it no problem to touch lady in your country?と問いただしました。見物している野次馬に対してもIn India like this no problem?と聞きIn Japan big problem!!と周りのインド人全員に対しても敵対心をあらわにしました。

 騒ぎを聞きつけた男の友人がHe is good man.といって連れていこうとするのでWhy you escape?と追いかけSay to my wife I'm sorry!!と叫び連れ戻しました。

 その頃には琴恵はもう騒ぎは嫌になっており「こんな男の顔は見たくないからどっかにやって」と言いました。周りが全員インド人で喧嘩になったら勝ち目はないのですがインド人は手は出さない、という自信もあり騒ぎ立てることに心配はありませんでした。

 何とか謝らせようとしたのですが、インド人の老人が間に入って事態を収拾しました。その男は別の車両に行き、「思い出したくもないから、もうその話はしないで」と琴恵は言いましたが私はなかなか腹の虫がおさまりませんでした。


マドラス行き列車

価値観が違う

スリランカにきたけれど

子供ができたとき

キャンセル待ち

G.P.Oなんか嫌いだ



価値観が違う

 「君とは価値観が違うから」と琴恵に言ってしまったのは何故だったのでしょう。

 たぶん、マドラス〜コロンボのインデイアン・エアラインがいつものように大幅に遅れたり、楽しみにしていたカジノが全て閉鎖になっていたからか、それとも暑さのせいか、とにかく機嫌が悪かったのでしょう。コロンボに着いた夜のホテルでほんの些細な言い合いから口にでてしまった言葉でした。

 「価値観」という言葉は琴恵にとってはとても重要な意味があります。普段細かいことにはあまり気にしない彼女ですが「君とは価値観が違うから」の一言はショックだったようです。泣き崩れる琴恵を見て、そういうつもりで言ったのではない、と気付きました。

 彼女とは趣味も興味を持つものも全く違いますがこれと「価値観」とは全く別のものです。哲学的になりますが「価値観」とは趣味や考え方といったものではなく、もっと根源的なものだと思います。道徳観や倫理観といった行動や考え方の基準となるものでしょうか。琴恵にとって「価値観が違う」人とは一緒にいれない、から「私とはもう終わり」と思ったそうです。

 スリランカはマドラス〜コロンボ〜トリファンドラム(南インドの街)の2週間のチケットできており、私はカジノに通うつもりだったので別々に行動して出国の前日に落ち合う予定でいましたが、彼女は「別れた後、待ち合わせの場所には行かず、もう会わないつもりだった。」そうです。その時はお互い住所も連絡先も教えておらず別れたらそれっきりになる、と考えたそうです。

 彼女の涙を見て「そういうつもりで言ったんじゃない、価値観ではなく考え方が違うと言いたかったんだ」と懸命に話しました。私はこのままの状態で別行動することが不安になり「スリランカを別行動するのは止めて一緒にいこう。」と言いました。

 色々と話をし納得すると琴恵はケロッとしたものでした。かくも男は女の涙には弱く、女の涙には謎がいっぱいです。この夜が私と琴恵の最大の危機でした。


マドラス行き列車

価値観が違う

スリランカにきたけれど

子供ができたとき

キャンセル待ち

G.P.Oなんか嫌いだ



スリランカにきたけれど

 放浪が長くなる要因に「女・麻薬・ギャンブル」とよくいわれます。ギャンブルの場合、旅が短くなる可能性もありますが。真面目に旅している人もたくさんいますが、なかにはこれらにのめり込んで動けなくなっている旅人もよくいます。私の場合、のめり込めるほど強くもなく、一線を画くすほど真面目でもなく中途半端なものでした。前2つに関しては家庭もあるので「私は白」ということでギャンブルについて少々。

 競馬・パチンコ・麻雀・・・と日本にもたくさんのギャンブルがありますが、外国ではカジノです。

 初めて行ったのはケニヤ・ナイロビです。主にブラックジャックとポンツーンで勝負していました。カジノにはスーツやネクタイなど不要で貧乏旅行者でも入れ(モナコなどではスーツにネクタイがいるみたいです)何よりもミニマムレートが1US$と安いのが魅力でした。なけなしの50ドル、100ドルを握りしめ「明日は久しぶりに豪遊だ」などと淡い夢をみながら通っていました。ナイロビでは昼はゴルフかホテルのプール(もちろんビジターで)夜はカジノかディスコという生活でした。カジノ側としては1ドル2ドルで熱くなっている私のような客は迷惑だったでしょうが・・・。

 夜遅くまで最後には帰りのタクシー代まですってしまい、夜道(日本と違って怖いものですが一文無しになってしまった後は「どうにでもなれ」とやけくそでした。強盗もカジノから歩いて帰るような人を襲ったりはしないでしょうが。)をテクテク歩いて帰ったこともしばしばでした。「1ドル2ドルで熱くなっている」なんてせこい人間だ、という人もおられるかと思いますが旅の途中の1ドル2ドルは非常に大きい意味があるのです、一日5ドル10ドルで暮らしている旅人にとっては・・・。だからこそ1ドル2ドルで熱くなれるのでしょうが。

 再びでた旅は大阪から鑑真号で中国・上海〜広州〜マカオと行き、「ナイロビの借りはマカオで返す」と2度目の勝負。オールナイトでホテル代を浮かし、香港〜バンコクのチケット代くらいは稼ごうとホテル・リスボアへ。結果、ホテル代と香港〜バンコクのチケット代プラスα、「この借りはスリランカで返すぞ。」とマカオを後にしました。誤算はミニマムレートが100香港ドル(当時で1,800円)だったことです。

 さて、その後香港〜バンコク〜ネパール〜インド〜スリランカとやってきました。スリランカ・コロンボに着いた晩、宿のオーナーに「カジノに行きたいのだがどこがいい?」と聞くと「カジノは二年前から全て閉鎖になった」と言いました。「???」。政権が変わり政策が変わったとのことでこの時のショックはパチンコ屋が閉まっていた、とかの比ではありません。わざわざ飛行機に乗って国を越えてまでやってきたのに。開いた口がふさがりませんでした。

 まぁ考えようによっては「旅が短くならずに済んで良かった」と思えばいいのですが。でもこの後「琴恵と結婚する」という人生最大のギャンブルが待っていました。そしてその賭けの結果「旅は大幅に短縮」されました。私の勝負運は弱いのですが「琴恵と結婚」という賭けの結果はどうなのでしょう。今のところ「勝った」と思っていますがこればかりは死ぬときまで結果はわかりませんね。


マドラス行き列車

価値観が違う

スリランカにきたけれど

子供ができたとき

キャンセル待ち

G.P.Oなんか嫌いだ



子供ができたとき

 スリランカはコロンボ〜キャンディ〜ヌワラエリヤ〜マタラ〜コロンボとまわりました。

 琴恵の調子が悪くなってきたのはヌワラエリヤでした。スリランカの高原地帯にあるこの街は「アジア最古のゴルフ場」があるというのでゴルフをするために行きました。熱帯のスリランカですが山の方は涼しくコロンボに較べ気温はかなり低く、その気温差の為に琴恵は調子を崩したのだと思っていました。ベットに横になる琴恵をおいていそいそとゴルフに出かけました。安くプレイできるのでスリランカにいく方は行ってみて下さい。

 スリランカの最南端マタラへ行っても調子は悪く、もしかしたら妊娠?と思い、急ぎ(といってもサファリには出かけましたが)コロンボに戻りました。「そういえば生理が遅れている」という彼女と妊娠について色々話しました。お互い詳しいことは知らなかったので想像の話ばかりでしたが。

 とにかく病院へ行って調べてもらおう、ということになり安心できる病院はどこか調べましたがガイドブックに産婦人科のある病院のことなど載っているわけもなく、日本大使館に聞きに行くことにしました。大使館で事情を説明しある病院を紹介してもらいました。その時の大使館員の言ったことは忘れられません。「暑い国って子供ができやすいんですよネ。」

 そして紹介された病院に行き検査してもらいました。医者は年季の入った老医師で杖をつき「私は今まで何万人もの患者を診てきたぞ」っていう感じで貫禄十分でした。内診が終わり琴恵とでてきた老医師は「私の長年の経験からして彼女は妊娠していないと思う。」と言い「一応念のため尿検査をしておくから明日結果を聞きに来なさい。」と言いました。

 私も琴恵もホッとし、「ちょっと体調を崩しただけだ。旅を続けよう。」とそれまであまり食欲のなかった琴恵も夕食はピザをペロリと平らげ、今までがウソみたいに調子が良くなりました。

 次の日再び病院に行き琴恵と病室に入りました。振り向いた老医師は"Congratulations! She have baby."と言いました。何のことかわからずボケーッとしていた私は"Are you happy?"と聞かれ、琴恵に手をつつかれ慌てて"Of course"と答えました。"You must go back to Japan as soon as possible."と言う老医師に"Yes."と答え訳も分からず病院を後にしました。

 ホテル(Y.M.C.A)に帰り落ち着いて考えると「ああ、もう旅も終わりだナ」と思いましたが「子供ができたし琴恵と結婚しよう。」と決心しました。それまでインドで琴恵と別れてからも旅を続けるつもりだったし、自分は独身主義で結婚など考えても見なかったのがウソみたいにあっさりと「結婚」を決意しました。

 「子供ができたとき」は自分の考えのあさはかさが吹き飛んだときでした。


マドラス行き列車

価値観が違う

スリランカにきたけれど

子供ができたとき

キャンセル待ち

G.P.Oなんか嫌いだ



キャンセル待ち

 コロンボで琴恵の妊娠を知ってからの二人の行動は今思えば無謀なものでした。知らないものの強みでした。妊娠初期は流産の危険性がありすぐにでも帰国するべきところを「インド・トリファンドラムまでのチケットがあるし」とか「ニューデリーに友達からの手紙が届いてるはずだから」とか「インドの最南端には行っておきたい」とかの理由で、コロンボから日本ではなくトリファンドラムへ飛んだのでした。

 飛行機でトリファンドラム〜ボンベイ〜ニューデリー〜日本と飛べば2〜3日で帰れると思っていました。トリファンドラムへついた翌日さっそくニューデリー行きのチケットを取りにインディアン・エアラインのオフィスに向かいました。"we want to go to Delhi"と言うと"I'm sorry,we have no ticket to Delhi,after 2weeks all seat are full."と言われました。

 よく聞くとデリーまではダイレクト便はなく、一度ボンベイまで行って乗り換えなければならないのですが、そのボンベイ行きの便が1日1便しかなく2週間予約が一杯だとのことでした。ではどうすればいいのか聞くと「ボンベイまで列車で行きなさい。そしてボンベイからデリーまで飛びなさい。ボンベイ〜デリーはいつでも予約できるから。」と言われ考えた末そうすることに。コロンボに戻ることも考えましたがこちらも予約一杯でいつ飛べるかわかりませんでした。

 列車のチケットを買いに駅に行きましたが「ここじゃない、別のオフィスに行け。」とかいつものように(外国での列車のチケットの買い方はとても難しいのです)あっちに行ったりこっちに行ったりしてやっとチケットを手に入れました。琴恵への負担を少しでも減らそうとファーストクラスの寝台チケットで貧乏旅行ではあまり利用しないような贅沢なものでした。チケットは2日後のケープ・コモリン(トリファンドラムから100キロ程のインド最南端のコモリン岬)発にしました。

 我々はケープ・コモリンまでタクシーで行き、私はこのヒンドゥー教の聖地で「無事帰国し元気な子供が産まれますように」と海で沐浴しました。

 再びつわりで苦しみだした琴恵はほとんど何も食べられず、唯一食べれそうなパイナップルを買い求め、というのもパイナップルはジュース用に置いてあるだけでなかなか単品では売ってくれず事情を説明してやっと売ってもらいました。

 そうして列車の出発の朝、駅に行きました。ホームでボンベイ行きの列車を捜しましたがなかなか見つからず、乗客らしき人の姿もまばらで「もしかしたら時間を間違えたのか」とか「もう出てしまったのか」とか思い駅長室へ走りました。

 「ボンベイ行きの列車はどれだ」と聞くとcancelとかbig accidentとかfireとか言いました。何のことか分からずよく聞くと「途中で列車事故があって不通になっている」とのことで「いつ復旧するんだ」と聞くと「分からない」「私はどうすればいいんだ」と聞くと「分からない」そういう押し問答をしていると駅長が現れ"I have one idea."と言いました。さすが駅長、と思って聞いていると「事故のあったのは×××だから×××まで鈍行で行って、事故のあったところはバスで行き、○○○まで鈍行で行きそこからボンベイまでは特急が出ている。」と説明し「その方法で行くと何日ぐらいでボンベイに着くのか」と聞くと「分からない」と答ました。駅長の登場に一瞬喜びましたが喜びも束の間がっかりしました。その時の琴恵の状態ではとてもそんな行程は無理でした。

 そして考えました。「最後の手段、空港でキャンセル待ちをしよう」と再びトリファンドラムへタクシーを飛ばし、列車のチケットの払い戻しをして空港に行きました。ボンベイまでのチケットを買い、ウェイティングリストに載せてもらいました。確か50番目位だったと思います。結局その日は乗れませんでしたがリストも10番目くらいになっており、翌日には無事乗ることができました。

 その日は近くのコーチンという海辺の街に泊まったのですが雨期で波は高く雨も降っており「ベットのシーツの匂いが臭くて眠れない」琴恵にとっては拷問のような一日だったようです。ボンベイ行きの飛行機に乗ったとき彼女は「あそこに戻らなくて済んで良かった」とホッとしていました。「キャンセル待ち」と言う言葉にあの時の思い出がよみがえります。


マドラス行き列車

価値観が違う

スリランカにきたけれど

子供ができたとき

キャンセル待ち

G.P.Oなんか嫌いだ



G.P.Oなんか嫌いだ

 旅の途中で友達から送られてきた手紙を受け取ることはとても嬉しいものです。手紙を受け取れるところは大使館だったりホテルだったりしますが、一番便利なのがG.P.O(中央郵便局)です。

 旅先から「いついつどこどこへ行くから手紙をくれ、」と友達に絵はがきでも送っていれば気の利いた友達は送ってくれます。G.P.Oへ手紙を受け取りに行く道中は手紙が来ているかどうか期待でワクワクします。

 琴恵と「最後にニューデリーで手紙を受け取っていこう。」と帰国前、ニューデリーに行きました。手紙はニューデリーでは大使館、G.P.O、日本情報センターなどで受け取れます。「誰々は送ってくれてるはずだから最低5通はきてるはず。」などと琴恵とどちらが多いか賭けながら、G.P.O、大使館、日本情報センターの順で行きましたがどこにもあるはずの手紙がありませんでした。「おかしい、絶対おかしい」と落胆する琴恵に「所詮友達なんてそんなもんよ」と言いました。

 そして気付きました。デリーはニューデリーとオールドデリーとに分かれていることに。そしてオールドデリーのG.P.Oへ行きました。すると、何通かの手紙が届いていました、琴恵だけに。そして私には一通も届いていませんでした。喜ぶ琴恵に「僕がオールドデリーに気が付いたおかげだよ」と悔し紛れに恩着せがましく言いながら内心「G.P.Oなんか嫌いだ」と思っていました。もし知り合いが旅にでていたら手紙のいやハガキの一通でも送ってやって下さい、とても嬉しいものですから。


マドラス行き列車

価値観が違う

スリランカにきたけれど

子供ができたとき

キャンセル待ち

G.P.Oなんか嫌いだ



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旅の雑談・目次

私の結婚・1

エミとヒロシのネパール

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