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コロンボで琴恵の妊娠を知ってからの二人の行動は今思えば無謀なものでした。知らないものの強みでした。妊娠初期は流産の危険性がありすぐにでも帰国するべきところを「インド・トリファンドラムまでのチケットがあるし」とか「ニューデリーに友達からの手紙が届いてるはずだから」とか「インドの最南端には行っておきたい」とかの理由で、コロンボから日本ではなくトリファンドラムへ飛んだのでした。
飛行機でトリファンドラム〜ボンベイ〜ニューデリー〜日本と飛べば2〜3日で帰れると思っていました。トリファンドラムへついた翌日さっそくニューデリー行きのチケットを取りにインディアン・エアラインのオフィスに向かいました。"we
want to go to Delhi"と言うと"I'm sorry,we have no ticket
to Delhi,after 2weeks all seat are full."と言われました。
よく聞くとデリーまではダイレクト便はなく、一度ボンベイまで行って乗り換えなければならないのですが、そのボンベイ行きの便が1日1便しかなく2週間予約が一杯だとのことでした。ではどうすればいいのか聞くと「ボンベイまで列車で行きなさい。そしてボンベイからデリーまで飛びなさい。ボンベイ〜デリーはいつでも予約できるから。」と言われ考えた末そうすることに。コロンボに戻ることも考えましたがこちらも予約一杯でいつ飛べるかわかりませんでした。
列車のチケットを買いに駅に行きましたが「ここじゃない、別のオフィスに行け。」とかいつものように(外国での列車のチケットの買い方はとても難しいのです)あっちに行ったりこっちに行ったりしてやっとチケットを手に入れました。琴恵への負担を少しでも減らそうとファーストクラスの寝台チケットで貧乏旅行ではあまり利用しないような贅沢なものでした。チケットは2日後のケープ・コモリン(トリファンドラムから100キロ程のインド最南端のコモリン岬)発にしました。
我々はケープ・コモリンまでタクシーで行き、私はこのヒンドゥー教の聖地で「無事帰国し元気な子供が産まれますように」と海で沐浴しました。
再びつわりで苦しみだした琴恵はほとんど何も食べられず、唯一食べれそうなパイナップルを買い求め、というのもパイナップルはジュース用に置いてあるだけでなかなか単品では売ってくれず事情を説明してやっと売ってもらいました。
そうして列車の出発の朝、駅に行きました。ホームでボンベイ行きの列車を捜しましたがなかなか見つからず、乗客らしき人の姿もまばらで「もしかしたら時間を間違えたのか」とか「もう出てしまったのか」とか思い駅長室へ走りました。
「ボンベイ行きの列車はどれだ」と聞くとcancelとかbig accidentとかfireとか言いました。何のことか分からずよく聞くと「途中で列車事故があって不通になっている」とのことで「いつ復旧するんだ」と聞くと「分からない」「私はどうすればいいんだ」と聞くと「分からない」そういう押し問答をしていると駅長が現れ"I
have one idea."と言いました。さすが駅長、と思って聞いていると「事故のあったのは×××だから×××まで鈍行で行って、事故のあったところはバスで行き、○○○まで鈍行で行きそこからボンベイまでは特急が出ている。」と説明し「その方法で行くと何日ぐらいでボンベイに着くのか」と聞くと「分からない」と答ました。駅長の登場に一瞬喜びましたが喜びも束の間がっかりしました。その時の琴恵の状態ではとてもそんな行程は無理でした。
そして考えました。「最後の手段、空港でキャンセル待ちをしよう」と再びトリファンドラムへタクシーを飛ばし、列車のチケットの払い戻しをして空港に行きました。ボンベイまでのチケットを買い、ウェイティングリストに載せてもらいました。確か50番目位だったと思います。結局その日は乗れませんでしたがリストも10番目くらいになっており、翌日には無事乗ることができました。
その日は近くのコーチンという海辺の街に泊まったのですが雨期で波は高く雨も降っており「ベットのシーツの匂いが臭くて眠れない」琴恵にとっては拷問のような一日だったようです。ボンベイ行きの飛行機に乗ったとき彼女は「あそこに戻らなくて済んで良かった」とホッとしていました。「キャンセル待ち」と言う言葉にあの時の思い出がよみがえります。
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