みたびの放浪みたびの放浪


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ネパールな風景


世界の屋根ヒマラヤのふもと、ネパール。
美しい山々と信仰深い温和な人々。
そんなネパールの旅は私の人生の節目となりました。

NOVAと槻木君

ぬるいコーラ

お金がすべて

若者たち

ODA



NOVAと槻木君

 「旅の雑談」 に槻木君の事をよく書いていますが彼とは1992年バンコクからカトマンドゥの飛行機で知り合ってからの付き合いです。
 そして彼とはカトマンドゥで一人のネパール人・Novaに振り回された事があり、忘れられない思い出です。

 カトマンドゥに着いて間もないある日、私と槻木君はタメル(カトマンドゥの安宿街)からダルバール広場へ歩いていく途中にNovaと出会いました。
 Novaは綺麗なネパール美人の妻と二人連れで、道に不慣れな我々にとても親切にしてくれました。道を尋ねるとそこまで連れていってくれたりして、しまいには彼の家にまで招待されました。
 Novaの家は工場になっており絨毯をつくる為の糸を作っており、2階の一室を工場にして数人の婦人が糸を紡いでいました。
 初対面の外国人にここまで親切にしてくれるなんてなんと親切な国民なのだ、ネパール人は、と感心したものでした。「ありがとう」と言うと「フレンドシップ、フレンドシップ」と笑って答えました。

 彼の"Friendship""Kindly""my friend"は最初のうちは有り難かったのですが、それも数日続くとだんだん重荷になってきて、毎日のように家に招待されて、そしてホテルに迎えに来るようになると、こちらとしてもうっとうしくなってきて、何かと口実をつけてはNovaを避けようとするようになっていきました。

 槻木君曰く「彼はただ暇なだけではないか」。
 彼の兄はミスター・ネパーリを目指して日夜ボディビルで身体を鍛えているみたいでしたが、いつ行っても家にいてベットに横になっており、もしかして我々は彼らの暇つぶしに付き合わされているのでは、とさえ思いました。
 暇そうに見えるかも知れないが、実際忙しくは無いのですが、我々だって忙しいんだ、ボケーッとしているのもそれはそれで楽しいんだ、と心の中で思っていました。
 一度、槻木君が病気で寝ているときもやってきて、Novaなりに色々気をつかうのですが、こちらとしては、ただそっとして置いて欲しいだけで「もうほっといてくれ」という感じで以後少しづつ彼を避けるようになっていきました。

 彼にしてみれば、なんとか日本人(外国人)と友達になり、あわよくば日本(外国)へ働きに出て一財産稼ごうという事なのでしょうが「君が思っているように日本が幸せな国ではないよ、仕事仕事で体をこわし過労死する人もいるんだ。決してパラダイスではないし、例え君が日本に行けたとしても仕事があるとは限らないし、失敗すれば莫大な借金を抱えることになる。」といくら説明しても理解できるはずもなく、彼には我々はお金持ちにしか見えないのでしょう。
 ネパールを出ることのできない彼にしてみれば、外国を旅していること自体金持ちの証拠であり、いくらビンボー旅行といっても通じません。日本のビザ(現在はネパール人の観光ビザの取得は不可能に近い、参考までに
「国際結婚について」もご覧下さい)を取るには日本人の紹介状か身元引受人が必要なのですが、私にはそんな力もないし、する気もないので、Novaの「フレンドリー」という態度の中にそういった事がチラチラと見えだしてからは彼とは少し距離を置いて付き合うべきだと思うようになりました。

 そしてNovaがだんだん我々が彼を避けていることを察し始めると今度は「俺の友達は日本人からウォークマンをプレゼントして貰った。」などと言い始めたので私も槻木君も完全に切れてしまい「結局本音はそれか、もうこれまでにしよう。」と彼とは会わないことにしました。
 最後に彼が訪ねてきて「フレンドリー」の証としてネパール帽をプレゼントしてくれたのには胸が痛みましたが、仕方ありません。
 Novaのことはいま思えば途上国と日本の関係を目の当たりにして考えさせられた出来事でした。そして親切も度が過ぎると迷惑でしかない事を学びました。

 そんな事があってから私はあくまで「自分は通りすがりの旅人」というスタンスであまり現地の人と深入りしないように旅するようになりましたが、槻木君の偉いところはその後もできるだけ現地の人にとけ込んでいこうというスタイルを続けていったことです。そして現地の人々から何かを感じ取ろうとしていました。
 そんな槻木君とは旅を終えてからも良き友人です、彼がどう思っているかは知りませんが。


NOVAと槻木君

ぬるいコーラ

お金がすべて

若者たち

ODA



ぬるいコーラ

 ネパールを一人で旅していた1992年の話です。ポカラから少し行ったところに日帰りで行けるトレッキング・コースでサランコットという丘があります。サランコットはアンナプルナ峰やマチャプチャレ峰が間近に見える展望台として有名です。そのサランコットに行った人が見た話を聞いた私は非常に腹を立てた覚えがあります。

 名前は忘れたので仮に「ケンちゃん」とします。ケンちゃんという小学生を連れた日本人がサランコットに登ってきました。喉の乾いたケンちゃんは「コーラが飲みたい」と父親に言いました。父親は「そうか、そうか」とコーラを買ってやりました。山の上の売店で、電気もきていないので冷えたコーラは売っていません。コーラを口にしたケンちゃんは「こんなのぬるくて飲めない」とわがままを言いコーラを父親に渡しました。父親は「ぬるいのなら仕方ない」と皆が見ている前でドボドボとコーラを捨てました。

 私は幼児がわがままを言うのは当然なので小学生のケンちゃんのわがままは許しましょう。でも父親のとった行為は許せません。日本の高級ホテルで生温いコーラが出てきたら文句を言って当然ですが、ネパールの山の上で冷たいコーラを要求するのはどうでしょう。誰だって汗をかいた後に冷たい飲み物を飲みたいですが、そのコーラがどうやって運ばれてきたかを少しでも考えられないのでしょうか。

 ネパールではポーターが日給2ドル3ドルの賃金で辛い思いをして運んでくるのです。私はツーリストがコーラを飲むことを反対しているのではありません。むしろどんどんお金を使ってあげることが観光収入が国を支えているネパールにとっていいことだと思っています。でも一人のポーターが何時間もかかけて担いできたコーラをただぬるいからと皆が見ている前で捨ててしまうとは信じられません。それを見ていた別の日本人ツーリストが父親に「あなたのしたことは少しおかしいのではありませんか。」と聞くと「私がお金を払ったのだからそれをどうしようと私のかってだろ。」と言い返されたそうです。父親がいくらでそのコーラを買ったのかは知りません。1ドルで買ったのか100ドルで買ったのか、そんな事は些細なことです。その日本人ツーリストはカッときて父親に突っかかっていきましたが、回りの人に止められたそうです。ケンちゃんの父親の話はツーリストの間で非難ごうごうでした。

 父親の行為を見ていたネパール人たちはどう思ったのでしょう。ケンちゃんと同年代のネパールの子供達もたくさん見ていたそうです。コーラなど滅多に飲めないのに冷えてないからというだけで捨ててしまう金持ち日本人を。

 「旅の恥はかき捨て」といいますが道徳心や倫理観まで捨ててしまっては、それはもはや「旅の恥」とは言えません。その人個人の恥です。そして同じ日本人として恥ずかしいことです。

 日本人は経済的に成功してお金持ちになりましたが、お金の使い方をもっと勉強する必要がありそうです。ケンちゃんの父親はお金持ちかどこかの偉いさんかは知りません。でも、彼がいかにお金を稼いだか、彼がどのようにお金を使ったのか、評価するのは彼ではなく周りがしてくれることでしょう。

 1997年、私は二人の子供を連れてネパールを旅しました。今度は二人の子供の父親として旅しました、ケンちゃんの父親みたいな親にだけはなるまいと肝に銘じて・・・。


NOVAと槻木君

ぬるいコーラ

お金がすべて

若者たち

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お金がすべて

 ネパール・ポカラに懇意になったSame Same But Different Restaurantという名前のレストランがありました。
 ある晩、そのレストランのオーナーAsok Gurngが警官とおぼしき人間と何やら口論をしており、何かを手渡していました。
 遠目に見ていた私は翌日その事をオーナーに聞きました。
 「昨晩、何かあったのか?」
 「ネパールの役人は腐っている。」とオーナーは少し不快な顔をして言いました。

 話によると、昨晩口論していたのはやはり警官で酔っぱらってビールやお金をせびりにきていたのでした。
 「ビールかお金を渡さないと何をするか分からない」というオーナーは悔しそうでした。
 彼は一度警官の要求を断ったことがあり、その時はレストランの窓は割るはテーブルをひっくり返すはでさんざん暴れていったそうです。
 以来、悔しくても仕方なくいくらかのお金かビールを渡すようになったみたいです。それが悪循環の原因でもあるのですが、警官自体がどうしようもないので我慢するしか方法はないのです。

 そのレストランのオーナーは、まだ若く経営も苦しく四苦八苦していたのですが「もし自分にお金があったら」といつも話していました。
 「もしお金に余裕があり警察のトップに賄賂を渡せばこんな嫌がらせは受けない。」
 「賄賂を渡さない、渡す余裕のない店が下っ端の警官に狙われる。」
 「警官が酔っぱらって暴れるのは、災難と思って諦めるしかない。」
 盗人にも一部の理といいますが悪徳警官にも一部の理があるのでしょうか。「薄給で働いているのだから賄賂でも貰ってないとやってられない」といったところでしょうか。それにしてもひどい話です。

 最近日本の役人の不正がよくニュースになっていますが、どこの国でも程度の差はあれど権力には不正はつきものですね。
 「日本人はネパールにたくさんのお金を援助してくれているけど、ほとんどが一部のトップの人間の懐に入っているんだ。だから日本が援助をすればするほど奴等の懐が肥えるだけで、ますます力を持ってしまう。本当はネパールは一度政治も経済も全て滅茶苦茶になってしまった方がいい。滅茶苦茶になって困るのは一部のトップの人間だけで一般庶民は困らない。でないと今の状態でいくら援助して貰ったってこの国は良くならない。」と言うオーナーは全てお金で解決できるネパールという国のシステムに不満と自分ではどうしようもない無力感を感じていました。

 例えば、役所にしてもお金を渡せばすぐに出来ることも、お金を渡さないと何時間も待たされる。当然貧しい国だから賄賂も渡さずに手続きに並んでいる人がほとんどで何時間も待たされるのですが、金持ちはお金を持って列の先頭に割って入ればものの数分で手続きは終了します。

 また、例えば交通事故を起こし人を殺してしまったとしてもお金さえ持っていれば、役人に手を回して無罪放免ということも当然の事のように行われています。全てお金が解決してくれるのです。
 法律よりお金が優先する社会です。

 オーナーは「一部の役人(オーナーはグルン族でしたが、グルン族のような少数派が役人になることはできない)や、運良く外国に行くことが出来て外国でお金を稼いできた人間だけが良い思いをし、自国内で懸命に働く人間が日の目を見ないネパールは大嫌いだ。」と言っていました。

 そして「君たち家族が滞在している間はやめない。」といってくれていたオーナーも私が帰国して数カ月後にはレストランを他の人に売り払い、田舎に戻ったそうです。
 汚職と貧困と宗教・民族対立と色々問題を抱えるネパールが発展して行くにはまだまだ時間がかかりそうです。


NOVAと槻木君

ぬるいコーラ

お金がすべて

若者たち

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若者たち

 自分のことは棚に上げてお話しします。

 ポカラはグルン族の多い街です。
 グルン族というとゴルカアーミーで知られており、イギリスやインド、香港などに行って活躍しており、その勇敢さで重宝されているようです。そして、イギリスに雇われるので給料や退役年金などで比較的裕福に暮らしています。
 例えば子供を香港で生んだとすると子供は香港のID(身分証明)をとれるので、結婚すれば妻を赴任先に連れていきそこで子供を生んで子供がその国のIDを取得するようにします。もし香港のIDがあれば自由に香港に行って働くことができ有利です。
 だから子供が外国のIDを持っていて出稼ぎに行っている家はホテルやレストランを経営していたりして裕福に暮らしています。そういった退役軍人などのグルン族が多く住むポカラはネパール人にとって日本でいう芦屋のような金持ちの街です。

 そして、裕福に育った二代目はどうかというと、仕事もせずたむろして、真っ昼間から酒を飲んだり一日中ふらふらしています。
 観光以外にあまり産業のないポカラで観光客も減ってきて仕事にあふれた若者たちは、かといってお金に困っているようでもなくのんびりと日々を送っています。
 酒を飲んで暴れるのもそういった若者たちに多く、手が付けられないようです。若者がナイフを持って人を殺すというのは日本やアメリカに限ったことではありません。表だって騒がないだけです。
 だから彼らが暴れ出して歯止めのきかなくなる夜には地元の商店やレストラン(暴力が弱者に向かうように零細な店が狙われる)は早目に店じまいして自衛しているようです。
 ネパールは比較的暴力沙汰の少ないお国柄ですが、酔っぱらった若者たち(近年特に増えてきている)には気を付けた方が良いと思います。

 1997年から1998年にかけて私が滞在していた頃はアジア経済危機のあおりで不況になり仕事にあぶれた出稼ぎの若者たちが香港や韓国などから続々とネパールに帰ってきていました。
 彼らは外国のIDを持っているため景気が良くなって出稼ぎに行けるようになったら、またその時稼げばいいという感じで帰国してもあまり働こうとしません。
 出稼ぎで短期間でネパールで働く何年分も稼いできた人間にとっては、ネパールで安い給料でちんたら働こうという気になりません。人間一度良い思いをするとなかなか忘れられませんし、楽してお金を稼いでしまったらなかなか辛い思いをして働こうという気になりません。
 商売気のある人は稼いだ外貨でホテルやレストランを経営したりしてビジネスを始めますが、そういう人はあまり多くありません。

 お金がなくなったら出稼ぎにいってお金が貯まったらポカラに帰ってきてのんびりする。まるで日本と外国を行ったりきたりして、お金がなくなったら日本に帰って働き、お金を貯めて再び旅にでるといった、日本社会に適応せずに旅の生活から抜けられない旅人みたいなものですね。
 そしてどの国でもぼんぼん育ちの二代目は"ぼんぼん"ですね。

NOVAと槻木君

ぬるいコーラ

お金がすべて

若者たち

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ODA

 1998年1月、約6年振りにネパールのタトパニ温泉へのトレッキングにでかけました。6年前は工事中で所々ダートだったポカラからマヤドゥンガまでは立派な道路が完成していて、歩いて4時間程掛かったマヤドゥンガからベニはダートでしたが道路を作っている最中で、一応車が通れるようになってました。6年振りのネパールで少しづつ道路も整備されつつあるんだなと思いました。本当に少しづつですが。

 これらの道路網の整備や学校・病院などの公共施設は日本などの先進国の援助で建設されているところが多いということです。そして最大の援助国が日本です。国のODA(政府開発援助)は勿論、民間のボランティア等多額の援助金が送られています。それはそれで素晴らしいことなんだろうけど、そのお金の使われ方に多少疑問が残ります。

 あるネパール人が言っていたことで、国レベルの援助はほとんど一般市民には還元されておらず、例えば道路工事など途中で放ったらかしになっているところがたくさんありますが、予算が無くなったのではなく役人が援助国の視察が来なくなる数年が過ぎると援助に使われるべきお金を私用に流用してしまうのだそうです。日本にも無駄な開発はたくさんありますが、人の善意を踏みにじるような一部役人・権力者には腹が立ちます。

 また、例えば病院などすごく立派な(日本の企業、例えば医療器具関係、の利益になるような)設備のものを建築しますが、設備は立派でもそれを使いこなせる人材もおらず、薬や備品など消耗品の補給もできず、無用の長物になってしまっているみたいです。停電ばかりで電力事情の安定していない所に最新のコンピューターシステムを導入しても上手くいくはずがありません。

 独りよがりの自己満足の援助のような気がしてなりません。そして援助の名を受けた国と一部企業との癒着を勘ぐりたくもなります、日本で最近まで福祉事業が聖域とされていたように。

 あるネパール人はさらに言いました。この国は選挙で政府が変わらなければいっこうに良くならない、腐敗しきっている、と。一部大金を持った人達はお金を自分の事だけに使い、国のためには何もしない。そんな人間が権力を持っても国は良くならない、だから国も経済も一度滅茶苦茶になって落ちるところまで落ちた方がこの国にとっては良いことだ、と。

 そのネパール人の言うことにも一理あるなとは思いましたが、いずれにせよばらまき財政と同じでODAのし方にも一考の余地がありそうです。与える(援助する)ことが本当にその国にとって良いことなのかを。


NOVAと槻木君

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