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| 人は誰しも自分の人生の方向を決めるようなモノが少年期から思春期の頃にあるのではないでしょうか。ある人ではそれが一冊の本であったり、あるいは人との出会いであったり、体験であったりします。別にその時にはただの出来事でも心の奥底に沈み込み、人生の岐路に立ったとき、自分の決断の元となるようなモノが。 私の場合、それが一冊の本とかだとかっこいいのですが、恥ずかしながら小学生の時に見たテレビ番組「俺たちの旅」でした。中村雅俊演じる主人公「カースケ」と彼の生き方に憧れる「オメダ(だめおを反対から読む)」(田中健)、「カースケ」の先輩でぐずでのろまな「ぐず六」(秋野太作)の三人のおりなす青春ドラマでした。「カースケ」は常々「人間なんていつ死ぬか分からない、交通事故で明日死ぬかも分からない、だから今という時間を精一杯楽しんで生きていたい。今急に死んでも悔いの残らない人生をおくりたい。」と言い、大学を卒業後、就職もせずアルバイト、今でいうフリーターの道を選んで自分の道を懸命に摸索していきます。「オメダ」はそんな「カースケ」の生き様に憧れますが「カースケ」のように行動する勇気もなく、したいことも見つからず、また世間体などを気にして心の葛藤に苦しみます。「ぐず六」は「カースケ」の先輩として「カースケ」の生き方には理解を示すものの、「世の中そんなに甘くない」と言いますが、「ぐず六」に対しても世間(会社)は甘くありません。そんな三人がおりなすドラマに当時小学五年生の私は引き込まれました。私も「オメダ」と同じく「カースケ」に憧れましたが、自分は「オメダ」のタイプだなとも思っていました。 私は小学生の頃はもちろん大学を卒業するまで、どちらかというと真面目で消極的で自分に自信のない、積極的というには程遠い性格でした。今も基本的には変わっていませんが・・・。心の奥底で「カースケ」みたいになりたいと思いながらも、流されながら自分の進路も見つからず、適当に勉強して適当に進学し、俗に言う「レールに乗った人生」を歩んでいましたし、周りもそう見ていたことでしょう。 人間誰しも「安定した生活」(レールに乗った人生?)を求めますし「自分の好きなことをしていきたい」とも考えます。「好きなこと」と「安定した生活」とが一致できればこんな幸せな事はないのですが、私の場合「好きなこと」も見つからず「安定した生活」だけで生きていくことに疑問を持ち続けていました。そんなときに「旅」に出会いました。夏休みに九州を旅し、その時から旅の虜になっていきました。旅では色々な人と出会い、色々な話をし、色々な人生観を聞きました。そして自分だけでなく多くの人が同じ様な悩みを持っていることを知りました。そして自分だけでなく人間誰もが心の弱い生き物だということも知りました。 「好きなこと」が分からないなら「好きなこと」を探してみよう。そう考えだしたのは大学も卒業間近(就職も決まっていた)の頃だったと思います。そして大学を卒業するときが決断をする「最後のチャンス」だと思っていました。そのまま就職すればそのまま流されて人生を送って行くだろうし、「安定した生活」にどっぷり浸かって動けなくなってしまうと思っていました。でも、私には勇気がありませんでした。 そして、最後の春休みそんな悩みを抱えたまま、北海道に旅立ちました。この時の北海道の旅ほど辛い旅はありませんでした。旅はしていましたがほとんどの時間を「帰って就職するべきか、このまま北海道にいつづけて新たな道を探すべきか」と自問自答していました。もしこのまま北海道にいつづけたら親はどんなに悲しみ辛い思いをするだろうとも考えました。そして結論が出ないまま帰らなければならない日が近づいてきました。その時は旅で知り合った札幌の友人のアパートに転がり込んでいました。同い年の彼はすでに卒業後もプータロー(フリーター)をすると決めていました。そんな彼の答はもちろん「君もプータローをしたらいい」でした。 あの時の私は卑怯だったと思います。もう飛行機で帰るしかないという日まで結論は出ず、荷物をまとめて札幌駅に行きました。千歳空港行きに乗ったら帰って就職する、富良野行きに乗ったらプータロー。千歳空港行きか富良野行きか、結論のでないまま改札に入り、「富良野行きまもなく発車します。」のアナウンスを聞いた瞬間、駆け出し、気が付いたら列車に飛び乗っていました。結局自分では決断できず駅のアナウンスが条件反射のように私を走らせました。 列車の扉が閉まった瞬間、いまのいままでつかえていた心の葛藤が嘘のように消え、気持ちが軽くなっていきました。賽は投げられた、つかえていたものがなくなり「これで全てが終わって、これから全てが始まる」と晴れやかな気分でした。 富良野に着いた私は真っ白な雪原に足跡で「プータロー」と書き新たな旅立ちの儀式としました。就職先に就職辞退の手紙を送り、両親にしばらくの間北海道にいる旨手紙を書きました。両親特に母親は私の行動にショックを受けしばらく寝込んでしまったそうです。北海道には約二年いたのですが、この時までの北海道とこの時からの北海道とは全く別の印象です。色に例えると以前が冬の日本海の灰色のイメージで、以後は晴れの日の雪原の青色と白色のイメージです。良くも悪くもこの時が私の人生の岐路となった時で、その後の旅と人生につながっていく私の人生の節目です。 全てを投げ捨てた私は人生ってこんなに気楽なものだったんだ、と気が付きました。見栄を張ったり、しがらみとか世間体とか他人の目を気にすることが実はあまり意味のない事で、行動の基準を主体的に変えることで随分楽になれます。人間守るものが多ければ多いほど動きが取れなくなってしまうものですが、その守るものとは世間体とか他人の評価ではないのです。自分の価値観や道徳心、プライド、家族、友人などは守らなければならないものですがそれ以外のもの、例えば必要以上に豊かな生活や見栄などは、自己を殺してまで守らなければならないものでしょうか。 私は北海道で自分の殻を一つ破ることができたと思っています。自分の殻の中だけでの思考には限度がありますし、ちっぽけなものです。でも一つ殻を破ることで一気に世界が広がりました。「自分の殻を破る」事はしてしまえば簡単なことなのですが「自分の殻を破る」か否かの差ははかり知れず大きいものです。 何とかなるさ、プータロー。 北海道の地で「カースケ」に憧れていた私は「カースケ」ではない自分なりの生き方を摸索し始めたのでした。それは周りから見れば大きな回り道かもしれませんし、無駄なことに思うかも知れません。でもそれはあくまで他人の目であって、私には関係ありません。自分の人生はあくまで自分の人生なのだから。 私は旅をするようになってからテレビドラマというものをほとんど見ません。別にテレビが嫌いとかではなく、むしろテレビは大好きなのですが、「俺たちの旅」で受けた影響で旅をするようになった私には「俺たちの旅」以上のテレビドラマは存在しないし存在し得ないのです。「俺たちの旅」で受けた影響は私の生き方を左右し、今も心の奥底に沈み込んでいます。そういうテレビドラマがある以上、使い捨てのトレンディードラマなど見る気もしないのです。そして旅をするようになって、自分にとって自分の体験したこと以上のドラマは存在しない事を知りました。どんな素晴らしいドラマでも自分の些細な体験にはかないません。どんなに美しい女優よりも出来の悪い自分の子供が可愛いように。 |
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