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タイな風景


タイの首都バンコク。
旅に出る人、旅を終える人、旅人の行き交う都・バンコク。
最初の旅はバンコクで終えました。
あのジュライ・ホテルの1カ月はいったい何だったのでしょう。
旅の最初でなく、最後でよかった。

バンコク・ジュライホテル

パッポンの美女

これ持っていって

ジプシーキングス

バンコクの注射針



バンコク・ジュライホテル

 この前ネパールを旅行中にジュライホテルが潰れたと聞きました。今回のネパールは子供連れということもあり、関空からダイレクトにネパールに入り、また久しぶりの海外ということもあり、旅のうわさで知りました。永い放浪の旅でバンコクを基点にしている人は多いでしょう。そして、カオサンでもなくマレーシア・ホテルでもなく、チャイナタウンに常宿を持っている人も多いことでしょう。そしてジュライホテルを常宿にしていた人もたくさんいたことでしょう。

 初めてのバンコクは1990年、約1年間、中国・ヨーロッパ・中近東・アフリカをまわって帰国前の最後のリフレッシュにとナイロビからやってきました。「空港から29番のバスに乗ってチャイナタウンに行けばすぐにわかるよ。」とだけ聞いて。チャイナタウンまではすぐに来れました。が、ジュライホテルがわからない。夜も遅く(今思えば全く反対方向、インド人街の方を歩いていて、)結局訳の分からない売春宿に泊まるはめになってしまいました。さっそく「女はいらないか?」と宿の人間が部屋に来ましたが、そんな気にもなれず、翌日日本のガイドブックを探しにデパートまでいってやっと場所を確認して見つけました。私のジュライホテルの最初の思い出はこんな事です。

 そして約1ヶ月ここを基点に行動しました。一度カオサンにも泊まってみましたが薄い板一枚のしきりで隣の物音がまる聞こえの狭い部屋が好きになれず、たまたま泊まったゲストハウスがそうだったのかもしれませんが、以来ジュライホテルが常宿になりました。

 やたらとだだっ広く、薄暗いけど重厚な造りは何故か気に入っていました。そしてこのジュライホテル(チャイナタウン)での1ヶ月は自分の嫌な面・本質みたいな物を教えられ、落ち込み、自己嫌悪、無力感などを感じ、そして最後は開き直り全てを吹っ切ることができた場所でした。具体的にはとても書けませんが、ここに泊まっていた人にはわかってもらえるのではないでしょうか?あの谷恒生の楽宮ホテルのように・・・。私にとってジュライホテルはほろ苦い思い出です。


バンコク・ジュライホテル

パッポンの美女

これ持っていって

ジプシーキングス

バンコクの注射針



パッポンの美女

 最初に断っておきますが、ここに書いてあることは99%人から聞いた話です。

 バンコクの夜はパッポンだと言う人はたくさんいるのではないでしょうか。私が行っていたのは1990年なのでだいぶ様変わりしているかも知れません。ベトナム戦争の米兵の歓楽地として急速に発展したバンコクの風俗界ですが、パッポンはアメリカナイズされており、隣のタニヤ通りが日本人向けの少し高級な店が並んでいました。好き嫌いは別として一見の価値ある所です。ゴーゴーバーからストリップ・おかまショウまでありとあらゆるショウがあります。

 客は西洋人はカップルが多く、日本人はほとんど男性ばかりでした。その時、性の意識は西洋人の方がかなりオープンだなと思いました。

 さて、気に入った子がいれば店から連れ出せるのですが、店に連れ出し料なるものを払わなければなりません。パッポンに通っていた平野氏は連れ出し料はもったいないからと閉店まで粘ってお気に入りの子と帰ることにしました。店で一番綺麗な子で最後まで残っていたのは不思議でしたが、平野氏は本当に嬉しそうな顔をしていました。

 店を出て通りを歩いていると馴染みの客引きが声を掛けてきました。「今日は忙しいから」と言う平野氏に客引きは日本語で「おかま、おかま」と耳打ちしました。驚いた平野氏はまじまじと彼女(彼?)を見て「そういえば声は少しハスキーだし、胸は小さめだった・・・。」とつぶやきました。急速にトーンダウンしていった平野氏は言いました。「教えて貰って良かったのか、知らずに最後まで行った方が良かったのか・・・。」平野氏、痛恨の一夜でした。


バンコク・ジュライホテル

パッポンの美女

これ持っていって

ジプシーキングス

バンコクの注射針



これ持っていって

 私の英会話は身ぶり手振りのボディランゲージを取ってしまうとたぶん小学生レベルでしょう。もともと語学の才能が無いのでしょうが、旅をしていてもその国の言葉を覚えようという努力もせず「ありがとう・こんにちは・いくら」といった程度の言葉を覚えて他は片言の英語で通しました。わざわざ教えて貰うのも億劫だし、なかなか覚えられない自分の馬鹿さかげんに嫌気が差してしまいます。だから、現地語をペラペラしゃべっているツーリストを見るとすごいなと感心してしまいます。

 さて、バンコクの東京銀行でのこと。窓口で並んでいると「すみません、ここに書いてある人に国際電話をして貰えないでしょうか」と一人の日本人に声を掛けられました。

 事情を聞くと、その人は警察(もしくは犯罪組織)に捕まってしまいある所に監禁されており、お金を渡せば釈放してくれるので、日本の友人に送金して貰いたいとのことでした。その時も監視されているみたいでしたが、送金して貰わないとお金がないので銀行には来させて貰えたそうですが、友人にはなかなか連絡がつかずもう戻らないといけないので連絡して欲しいとのことでした。逃げようにもパスポートなど全て押さえられており逃げ出せないみたいです。それ以上に捕まった理由がコカイン所持の現行犯だったから、下手に逃げられない事情があったのです。

 事のいきさつは、単純な方法なのですが彼が道を歩いているとあるタイ人に「この包みをあそこのかどの店に持っていってくれないか」とタイ語で頼まれたそうです。たまたま彼はタイに長期で滞在しておりタイ語も少し喋れたみたいでそのタイ人の言ったことを理解できたのです。彼の心の中に「俺はタイ語が喋れるんだぞ」という自己顕示欲が芽生えたのでしょう。これが日本語や英語で話しかけられたのなら、これは怪しいと断っているところだったのが、なまじっかタイ語を理解できてしまったので怪しいと思うよりも「俺はタイ語が喋れるんだぞ」ということの方が先に立ってしまったそうです。

 包みを持っていった彼を待っていたのは、警察だと名乗るタイ人のグループで、包みを開けると白い粉が・・・。後は有無を言わさず連行され監禁され「我々も人の子、タイで服役なんて可哀想だから何とかしてやりたいんだが、そうするには裏に回ってお金で解決しなければならないから、それだけのお金を渡せば秘密裏に釈放してあげよう。」とこれまたおきまりのパターンで、その手続きで来た東京銀行で私に会ったのでした。彼に頼まれた電話はしてあげたのですがその後彼がどうなったかは知りません。

 教訓、能ある鷹は爪を隠す。付け焼き刃の知識はときとして墓穴を掘ることになります。


バンコク・ジュライホテル

パッポンの美女

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ジプシーキングス

バンコクの注射針



ジプシーキングス

 旅の思い出はたくさんありますが、旅の途中で出会った音楽で一番思い出に残っているのが「ジプシーキングス」です。1989年ヨーロッパを旅していた頃よくかかっていたのですが、曲名も歌手も知らずに「いい音楽だなぁ」と思っていました。
 旅も終盤に差し掛かった頃、タイ・バンコクのカオサン・ロードをブラブラ歩いていると海賊版テープの露天商の店からジプシーキングスの曲が流れていました。私は思わず立ち止まり「この曲はどのテープだ?」と聞き、買いました。以後バンコク滞在中ずっと聴いていました。バンコクでのあのやるせない日々と旅の終わりへの感傷とにマッチしたジプシーキングスの音楽にひたっていました。
 日本でもコマーシャルでよく使われていますが、外出先でジプシーキングスの曲を聴くと思考があの頃の旅に飛んでしまい困ってしまうことがよくあります。思い出の音楽というのは誰にでもあるものですが、旅の体験と音楽が重なったとき、旅の思い出の音楽はあの頃へとフラッシュバックさせる力があるみたいです。

バンコク・ジュライホテル

パッポンの美女

これ持っていって

ジプシーキングス

バンコクの注射針



バンコクの注射針

 1992年2度目のバンコクに入るとき、私はある一つのウワサに少し怯えながら入国しました。
 バンコクにはパッポンは勿論、チャイナタウン他ピンからキリまで色々な形の風俗産業がありました。アメリカの影響と後に日本の商社マン向けや売春ツアー向けに発展していったバンコクの風俗産業は、タイ国家としては頭の痛い問題であり、しかし外貨獲得の為には欠かせない重要な産業でもありました。そんなバンコクに沈没してしまう男性旅行者が多いのも不思議ではありません。
 真面目に観光する人が多い学生さんには比較的少ないのですが、無職の長期旅行の旅人にとって「旅=女&ドラッグ」=バンコクみたいな方程式ができあがっている旅人はたくさんいました。
 インドやアフリカの旅で疲れていたり、ヨーロッパやアメリカやオーストラリアなどで孤独に淋しく旅していた人にとって、バンコクは心休まる地だったことでしょう。

 そんなバンコクに入る前に聞いたウワサは、私の気持ちを萎えさせました。
 「エイズに感染した売春婦が注射針を持って歩いていて、エイズに感染した腹いせに、バスなどの人混みの中で一度自分の体にさした注射針を外国の旅行者にさして回る。人混みでは注射針を持ち歩くエイズ感染者に気を付けろ。」というものです。
 ちょうどエイズ患者が急増していた頃で、「そんなことあるわけない」と言いつつ、内心怯えていました。幸い私の身には何も起こらなかったのですが、あの「バンコクの注射針」は単なるウワサ話だったのでしょうか。

バンコク・ジュライホテル

パッポンの美女

これ持っていって

ジプシーキングス

バンコクの注射針



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