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99/3/18公開

旅の雑談その19


神様のいたずら

どこでもドア

窓の処刑台

行ったり来たり

私の女・他人の女

転ばぬ先の杖




神様のいたずら

 インドの人々の大半はヒンドゥー教を信仰しています。ヒンドゥー教はキリスト教やイスラム教のような一神教ではなく、シバやクリシュナやガネーシャのような沢山の神様がおり人それぞれ好きな神様があり信仰しています。
 なかでもシバ神(破壊の神様)は武力や力の象徴として最も人気があります。人気投票ではダントツの一番人気になるでしょう。インド版ブロマイド(色々な神様の画)に牛に乗ったシバ神の画がありますが、 シバ神がいつも乗っている乗り物が「牛」です。シバ神が乗る「牛」は聖なる動物なのです。
 だから、ヒンドゥー教徒は「神様の牛」を食べることはなく、マクドナルドがインドに進出できない原因になっています。もしヒンドゥー教徒が牛肉を好んでいたら、インドは巨大なハンバーガー市場になっていることでしょう。
 でも、ヒンドゥー教徒は「神様の牛」の肉は食べませんが、ミルクや糞(燃料になります)は大いに利用していますし、労働力としても欠かせない存在で、神様として信仰の対象だけではなく、立派に人々の役に立っているのです。

 そんな「神様の牛」を狭い牛舎に閉じこめてしまっては罰が当たる 、と「神様の牛」は野放し(街放し)になっています。もちろん「神様の牛」は野良牛ではなく、飼い主(神の僕)はいるのでしょうが、街中を我が物顔でのし歩く「神様の牛」を見ていると、いち旅行者としては「野良牛」としか見えません。
 渋滞している原因が、道路の真ん中で「神様の牛」が寝そべっていたり、国会の牛歩戦術じゃありませんが「神様の牛」がまさしく牛歩でのし歩いていたりということがよくあります。クラクションを打ち鳴らしてもそんな雑音は「神様の牛」の耳には入らず、苛立つ人々を後目にのんびりあくびをしていたりします。
 交通手段が発達してきた現在では、ニューデリーなどように、都市機能を麻痺させかねない「神様の牛」を閉め出している都市もたくさんあります。

 そんななか、ヒンドゥー教最大の聖地バラナシは「神様の牛」には暮らしやすい都市の一つでしょう。バラナシのメインガート(ガンジス川への入口)へと続くメインバザールでの「神様の牛」とインド人とのやり取りは見ていて飽きませんでした。
 ところ狭しと野菜や果物を並べている露店のオジサンやオバサンは「神様の牛」が歩いてくると少し身構えます。「神様の牛」に商品を食べられないように注意し、近づいてきたら追い払わなければならないからです。隙あらば野菜や果物を食べてやろうとする「神様の牛」と露店の店主との睨み合いが始まります。
 運が良いのか悪いのか客の集まっている露店では、客との値段交渉に気をとられ「神様の牛」の接近に気付かないで、まんまと「神様の牛」に売り物の野菜や果物を食べられてしまいます。
 気が付いて血相を変えて「神様の牛」を追い払おうとするのですが、一度口に入れた物は戻ってこず、「どうせ追い払われるのだから、口に入るだけ入れてやろう」という「神様の牛」は後ずさりしながらも口の動きを止めることはありません。
 「神様の牛」に向かって悪態を付く店主と、「やっぱり人間の食べる野菜はうまいのう」と早くも他の露店を物色する「神様の牛」のやり取りを見ている回りの野次馬はゲラゲラ笑うばかりです。

 「神様の牛」にとって信仰心の厚い年配のヒンドゥー教徒はただただブツブツ言うだけで諦めてくれるのでやりやすいのですが、まだまだ信仰心の薄い新米ヒンドゥー教の少年は少したちが悪いのです。
 いつの時代でもどこの国でも少年は無茶をするもので、「神様の牛」に向かって石を投げつけたり、棒で叩いたり、飛び蹴りをくらわしたりと「罰が当たる」事など考えずに手荒に「神様の牛」を追い払います。「神様の牛」はそんな少年が苦手です。
 恐い物知らずの少年もやがて大人になり分別がつくようになると、「神様の牛」にとってやりやすい存在になるのです。

 「神様の牛」が露店の野菜や果物を食べたりするのはシバ神のいたずらで、まだまだ信仰が足りない人々を試しているのかも知れませんね。

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どこでもドア

 重いバックパックを担いで旅していると、たまにドラえもんの「どこでもドア」があったら楽なのになぁと思うことがあります。

 長距離バスの狭い座席に座ってうとうととしている時など、「どこでもドア」とは言わないから、せめて次に目が覚めたときには着いていて欲しいと夢見心地で思うのですが、現実は甘くなく、目が覚めたときはほんの数分しか経っていないなんてことはよくありました。
 長い時間寿司詰めのバスに揺られることもなく、列車のチケットを買いにあちこち走り回ったりせずに旅ができたらどんなに楽なことでしょう。
 「どこでもドア」を開けるともう次の目的地、なんてことができたら、世界一周なんて一週間もあればできることでしょう。「どこでもドア」があれば旅費の大半を占める移動費・交通費が要らないので、貧乏旅行者には夢のようなことです。

 夢のような「どこでもドア」ですが、本当に「どこでもドア」があったら旅はどうなるのでしょう。確かに便利で楽で経済的でいうことがないみたいですが、旅の楽しさは半減してしまいそうな気がします。
 長い時間寿司詰めのバスに揺られたり、チケットを買いに予約しに走り回ったり、そんな日常あまり味わえない苦労もひっくるめて旅なのです。何日もかかって目的地にたどりついた感動や、やっとの思いでチケットを手に入れた喜びなどは「どこでもドア」では味わえません。
 多くの旅人が物価は安いけどとても不便な途上国を目指すのは、便利さを求めるのではなく、もしかしてあえて不便さを味わいたくての事かもしれません。
 そんなことを考えながらも、バックパックの代わりに「ドラえもんのポケット」があればいいのになぁと思う軟弱者の私です。

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窓の処刑台

 北京の安宿・北京南駅近くの倭園飯店の4階の窓から下の前庭を眺めながら、朝の歯ブラシをするのが私の日課になっていました。
 朝食に出かける旅行者、観光に出かける旅行者、ホテルから出ていく旅行者や、ホテルにやってくる旅行者、そういった旅行者相手に何やら売ろうとする売人、そしてそういう人々に何か食べ物をねだるように付いていく野良犬。そんな光景を見ながら歯を磨かないと私の一日は始まりませんでした。

 ある朝、いつものように歯を磨いていると「キャイン、キャイン」と犬の鳴き叫ぶ声と、ざわざわとした中国人のかけ声が聞こえてきました。
 見ると数人の男が犬の首にロープを巻き付け、嫌がる犬を引きずってきました。その犬はこのホテル周辺を縄張りにするいつもの野良犬でした。
 何か悪いことをしたのでしょうか。男たちはワイワイ言いながら、犬を一本の木の下に連れてきました。
 「あの木に繋げておくんだな」と思いました。
 1人の男が木の枝に登りました。
 別の男が犬の首に巻き付けたロープの端を木の枝の男に渡しました。
 木の枝の男はロープを枝に掛け、下の男にロープの端を渡しました。
 下の男はロープを引っぱり出しました。
 それまで犬の身体を押さえていた別の男たちもロープを引っ張るのを手伝いだしました。
 もう、犬は鳴き声をあげることもできず宙に浮いていきました。少しもがいていた犬もやがて動かなくなりました。
 1人の男が犬の身体を調べ確認してから、犬を下に降ろしました。
 4人の男たちが1人一本の足を持って、動かなくなった犬をどこかに運んでいきました。

 いつも「シッシッ」と追い払うだけでしたが、何か食べ物でもあげたら良かったかなと、どこかに運ばれていく野良犬を見て少し不憫に思えました。そして中国人は4本足のもので食べないのは机だけ、という言葉を思い出しました。そして「今日は近くの食堂で食事をするのはやめておこう」と心に決めました。

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行ったり来たり

 私は最初の旅の終わり、バンコクから帰国の際に、バンコク・東京の一年オープンの往復チケットを買って帰りました。
 チケットを購入する際には色々悩んだのですが、片道チケットも往復チケットも大して値段も変わらないですし、一年もあれば再び海外に出れるかも知れないという思い・願望もあり、片道チケットを無駄にする気で往復チケットを買いました。
 一年あまりの旅で、旅に対するいい加減さ・身軽さだけは身につけていた私は、バンコクならすぐに帰ってこれると思っていました。
 頭の中では、年に一度くらいバンコクに行ってリフレッシュするのも良いかなと。それならばチケットの安いバンコクを基点にチケットを購入しておけばいい。チケットの有効期限が切れるから、というのもバンコクに行く理由になるし・・・。等々、帰国後の旅の生活を思い描いていました。

 実際何年も旅をしている旅人には、バンコクを基点にして世界中を放浪しながら、お金を稼ぐために日本に帰国し、期間工などで短期間にお金を稼ぎ再びバンコクに舞い戻ってくるといった生活を送っている人はたくさんいました。
 そういう人の中にはバンコク・東京ではなく、バンコク・東京・ロサンゼルスあるいはニューヨーク迄の一年オープンの往復チケット(アメリカに片道チケットで入国するのは難しく、出国チケットが必要)を買っていく人もよく見かけました。そういう人にとって東京はあくまでストップオーバーをする為の都市であって、終着点ではないのです。
 あくまで次の旅を始めやすいように、チケットの安いバンコクやロサンゼルス・ニューヨークなどが終着点になるようにチケットを購入するのです。

 黄金の国ジパングでお金を稼ぎ、バンコクを基点に旅をする。そういった、ある意味何年も放浪を続けている旅人の典型を見ながら、自分の将来の姿にダブらせていたのでした。
 そしてそんなことを考えながら買ったチケットが生かされたかというと、結局は無駄になってしまいました。仕事をしながら年に一度は海外旅行をする、といった器用な生き方は私には不可能な事でした。また、これから先ずっと旅を続けていく勇気も根性もありませんでした。そして二度目の旅に出たのはチケットの有効期限の切れた半年後の事でした。

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私の女・他人の女

 外国を旅する日本人女性は増えてきていますが、女性の1人旅はまだまだ少なく、男性8に対して女性2くらいの割合なのではないでしょうか。
 そんな数少ない1人旅の女性をいつまでも一人で旅させるなんて、1人旅の男性は許しません。
 そしてその女性が美しいか可愛い女性なら、飛行機を降りた瞬間から「君、1人旅?」と何人もの1人旅の男性から声を掛けられることでしょう。
 1人旅の女性を遠くで指をくわえて見ているような野暮な男性旅行者ばかりではありません。下心をひた隠し、親切そうな顔をして近づいてきます。
 もちろん、声を掛けてくるのは日本人の1人旅男性ばかりではなく、西欧人のバックパッカーもいるでしょうし、その国の若者もいるでしょう。大和撫子は無条件にもてるのです。
 日本でもてる女性は1人旅では更にもてますし、日本ではあまりもてない女性も1人旅ではそれなりにもててしまいます。
 そうして、数少ない1人旅の女性をめぐる国際的な争奪戦が始まるのです。

 日本人のメリットは言葉が通じること、西洋人は英語を話せる(話せない人もたくさんいます)、そして現地の若者はなんといっても地の利でしょう。
 そうやって色々な国の若者にちやほやされることは、1人旅の女性にとってまさに逆ハーレム状態です。異性にちやほやされて嬉しくない人はいないでしょうし、私も女性にちやほやされれば鼻の下を延ばしてしまいます。未だかつてそういう嬉しい目にあったことはありませんが。
 こうしてたくさんの男性に言い寄られる1人旅の女性は自分の好みに合った男性を選ぶことができ、めでたくカップルの誕生となります。

 さて、1人旅の女性があれだけもてていたのが、カップルの成立と共に「1人旅の女性」でなくなると、めっきり男性旅行者の視界から消えてしまいます。
 今までちやほやされていたのが「他人の女」になったときから、「1人旅の女性」というブランド品ではなくなり「ただの女性」の立場に逆戻りとなります。
 つまり長くこの逆ハーレム状態を続けたいのなら、「1人旅の女性」のブランドを守るためにひたすら八方美人であり続けなければならなく、一途になってはいけません。
 私の妻も1人旅をしていたので、こういう逆ハーレム状態を味わったことがあるかと思いますが、運悪く私につかまってから「1人旅の女性」のブランドイメージは消え「ただの女性」に成り下がってしまいました。「私の女」は他人から見れば「他人の女」で、他の男性旅行者からは異性の対象から外れてしまいがちです。

 こういったことは日本の日常でもごく自然な事なのですが、旅という特殊な状況の中でのことなので特に目立ちますし、非常に分かりやすいものです。
 「1人旅の女性」のブランドイメージを守るかどうかは女性の問題です。そして「1人旅の女性」のブランドにこだわるかどうかは男性の問題です。たとえ「他人の女」でも「私の女」にできる可能性は充分にあるのだから。

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転ばぬ先の杖

 旅の出費の主な項目に宿泊費があります。途上国なら安宿はたくさんあり驚くほど安くて、宿代を心配する事も少ないのですが、ヨーロッパなどの先進国ではユースホステル以外にはなかなか安く泊まれる宿は見つかりません。
 そんな中、知り合った人の家に泊めて貰うというのは宿代は勿論、食事までご馳走になったりして経済的に助かりますし、また旅の思い出としても有り難いことです。
 少し気を使ったり、また身の危険(見ず知らずの人に泊めて貰うのも、見ず知らずの人を泊める方も)がないでもないのですが。
 ヨーロッパを旅していたころ私が憧れていたのは、現地で恋人をつくり、その恋人の家に転がり込む事でした。しかし悲しいかな日本でも女性に相手にされることのなかった私を相手にしてくれるような慈悲深い女性に巡り合うこともなく、私の旅は何のドラマチックな展開もなく淡々と進んでいったのでした。

 同じ様なことが、日本を旅したい西洋人バックパッカーにもいえます。
 日本を旅するということはお金がいくらあっても足りません。自転車にテントの生活ならかなり安上がりに旅できますが、まともに列車を使って移動し、食事は外食で、まともなベッドに寝ようというのならそれなりの出費は覚悟しなければなりません。
 そこで彼らの考えるのが日本での「転がり込み先」を見付けることです。
 幸い海外を旅する1人旅の女性も増えてきているので、そういう女性を口説き落とせばいいのです。運良くその女性が東京や大阪などの大都市で一人暮らしをしてようものなら、宿代はタダ、食事も作ってくれ、観光ガイドも務めてくれ、仕事も見付けやすく、そしてなんと言っても親密な国際交流もできるのです。
 バブルの頃は日本人女性の恋人をつくって、英会話教師をして旅費を稼ぐというのが日本を目指す西洋人バックパッカーのステイタスになっていました。
 英語を話せるというだけで高給が約束され、恋人からは日本語を教えてもらう。適当に持ち上げてあげて、ちやほやしてあげればいい。結婚を迫られたり、嫌になったら姿をくらませたらいいし、後腐れなしで泣き寝入りしてくれるから日本人女性はやりやすい。
 そういった良い思いをした西洋人バックパッカーがどれくらいいるのかは知りませんが、そんな話を聞いて、おしとやかな大和撫子との生活を夢みる西洋人バックパッカーは後を絶ちません。

 日本を旅した「日本人女性を落とすのなんか簡単さ。」というプレイボーイ風の西洋人バックパッカーの話を鵜呑みにして、おしとやかな大和撫子との生活を夢みるどう見てもむさ苦しく野暮ったい西洋人バックパッカーが、一度会っただけで無理矢理教えて貰った本当かウソか分からない名前と住所だけを頼りに日本に行こうとする姿は不思議でした。
 彼らはよっぽど自信があるのか、よっぽど図々しいのか、よっぽど楽観的なのか、日本人女性の謎の微笑みに参ってしまったのか。そして彼らはうまく日本人女性のところに転がり込めたのでしょうか。

 もし私にも彼らぐらいの自信と図々しさが備わっていたら、今頃青い目の子供達に囲まれた生活を送っていたかも知れません。

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旅の雑談・目次

旅の雑談その18

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