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99/7/5公開

旅の雑談その23


世界三大商人

苦しい言い訳

トレッキングの距離感

ビシュヌが走った

ビシュヌの宝くじ

ゴミ問題と貧乏旅行




世界三大商人

 「世界三大××」というと色々ありますが、世界三大商人というとどうなるのでしょう。確か華僑・インド商人・ユダヤ商人が世界三大商人だったと思いますが違っていたら教えて下さい。
 まず中国商人(華僑を含む)についてですが、中国を旅していたときは客を客とも思わない「汎有・メイヨー」攻撃でとても中国人が商売上手には見えなかったのですが、香港やバンコクのチャイナタウンや、アフリカの奥地にまで進出している華僑パワーを見ると「さすが華僑」と感心していました。中国国内の中国人は共産主義(現在は開放政策でほとんど資本主義経済と変わらなくなっているようです)によってその商才を押さえ付けられているのでしょう。
 インド商人の取れるところから取ってやろうというパワーは凄いですし、ケニヤ・ナイロビなんかではインド商人が力を持っているみたいでした。
 国家を持たないユダヤ人はその商才故に人々から嫌われ、ついにヒトラーのホロコーストという最悪の悲劇が起こりました。アメリカ・ヘッジファンドのジョージ・ソロスもユダヤ人ですし、アメリカの金融界を操っているのもユダヤ人というのもうなずけます。

 さてある人から聞いた話でなるほどと思ったことがあります。この三つの商人に共通点は何だと思いますか。
 それは宗教です。中国人は仏教を広めましたし、インド人はヒンドゥー教、そしてユダヤ教。つまり宗教を創り出した(中国人は広めた)人々です。
 商売の基本は「物を作って売る」ですが、物を作るにはコストがかかります。でも「無」から「有(神)それも無限」を創り出す宗教はコストもかからないし、こんな儲かる話は他にありません。「無」から「有(神)」を創り出す宗教はお金だけでなく、命までも捧げられるだけの商品力が有るのです。そんな商品(神)はどんなに一流企業が集まっても創り出すことはできないでしょう、宗教を除いては。そんな万能の商品を考え出した人々にとてつもない商才があるのは当然でしょう。
 旅して感じたのは、中国は良くわかりませんが、インド人もユダヤ人も宗教を非常に大切にしているということです。宗教と商才とは一見関係なさそうに見えますがそんな話を聞いて変に納得してしまいました。
 そして、切り貼りだらけ(私だったら全ての宗教のいいとこどりをして表現を変えて教典なりを作るでしょう)の新興宗教が後を絶たないのも、それが一番儲かる商売だからだと思います。
 詐偽と宗教は元手が要らないのだから。ちなみに私は無宗教の人間です。

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苦しい言い訳

 「そんなウソをついてもすぐに分かるぞ」と子供を叱っているとき思うのは、何故子供はあんな見え見えのウソをつくのだろう、という事です。「ホントに子供って奴は」とぶつぶついってしまいます。でも見え見えのウソというのは子供に限ったことではありません。選挙前後の政治家を見ていてもそうだし、ワイドショウの記者会見なんかもそうでしょう。
 子供の場合、叱られるのが怖くてとっさにつくウソなので可愛げがありますが、大人のそれも権力を持った人間のつく見え透いたウソはたちが悪いです。子供達がテレビなどを通して大人のウソを見てしまうからです。子供は敏感ですから大人のウソの影響は大きいでしょう。えらそうにいっている自分がウソをつかないか?というと、「はい」とはとても言えません。例えば・・・。

 税関で「それでは荷物を開けて下さい」と荷物を調べられるのは、やましいことがなくても気持ちの良いものではありません。「開けて下さい」というのは警察の任意同行と同じようなもので法的な強制力があるのかないのか知りませんが、「開けて下さい」と言われて「嫌です」とはなかなか言えません。
 「どこの国に行って来ましたか?」「アフリカとタイです」「ややこしい国に行って来ましたね」と旅行してきた国で疑いの目をかけるというのは税関員の偏見で、肌の色や国籍で疑いをかけるのと同じでその国の人にとっては気分の良いものではありません。
 さて「成田の別室」でのこと。私の荷物にタバコを巻く為のペーパーが入っていました。タバコを巻くペーパーは時に別のものを巻くのに使われるので、ペーパーが出てからの税関の人の目は一層厳しくなりました。タバコ以外のものを吸いたいとき、タバコと混ぜたりするのですがペーパーを使うとロングサイズのものや太いものが作れますので、タバコ以外のものを吸いたい人の必需品です。
 「どうしてこんなもの(ペーパー)を持っているのですか」
 「タバコを吸うためです」
 「タバコなんかいくらでも売っているでしょう」
 「いや、タバコ代が高いので自分で巻いていたのです」
 「本当にそれだけですか」
 「はい・・・」子供のつくウソのようなものでバレバレなのですが確実な証拠が出てこなければそれ以上の追求はありません。
 「国外でのことは日本の法律では処分されない」と税関員が言っているので白を切ることもないのでしょうが、後ろめたいといけません。ペーパーを「タバコを吸うため」だけに持っているなんて、苦しい言い訳ですね。 「旅の雑談その1・成田の別室」の余談ですが、税関での会話で思い出した事を記しました。
 親として子供に「ウソをついてはいけない」と教えなければならない立場ですが、堂々と胸を張って言えるほど私は「ウソをつかない」潔癖な人間ではありません。

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トレッキングの距離感

 1月14(金)、私はかねてから思っていたことを実行にうつしました。「20才代もあとわずかになり、20才代最後の記念に会社から歩いて家に帰ろう」という馬鹿げた計画です。
 私が何故会社から歩いて帰ろうと思ったのか。それは旅行中、トレッキングなどで何日も歩いているのに、日本の生活では電車や車が当たり前で、電車や車の距離感は分かるのですが、自分の足の距離感というのが分からなかったからです。
 「トレッキングで8時間10時間歩いたあの距離は家からだとどこまで行けるのか」といった疑問を常々持っていたのです。「トレッキングで歩けて普段歩けないわけがない」「家から1週間歩いたらどこまで行けるかな」などトレッキングの距離感と自分の足の距離感を重ね合わせてみたかったのです。

 家から会社まで電車を乗り継ぎ約1時間の道のりで、会社から家まで地図上約25キロメートルといったところでした。1時間5キロメートル歩くとして、計算上5〜6時間で帰れます。馬鹿げた計画でしたが後輩にこの話をすると「私も一緒に歩いて帰ります」と話に乗ってきて途中まで一緒に歩きました。寒いのが少し辛かったのですが、午後7時前に会社を出て深夜12時前には家に帰り着きました。
 普段電車や車でしか行ったことのない距離ですが、実際歩いてみると「なんだ、歩けるじゃないか」と拍子抜けのような気分でした。そして「終電に乗り遅れて一文無しでも、歩けば朝までに帰れる」というのは、不思議な感覚でした。ヒマラヤのトレッキングで一日に歩いた距離は家から会社まで位のものだったのです。

 私が何故1月14(金)という正確な日時を覚えているかというと、そんなことをした3日後(正確に言うと2日と5時間後)、1月17日(月)未明にあの阪神大震災が起こったからです。
 私の住む大阪府羽曳野市もかなり揺れたのですが、テレビの情報で被災地の様子が映し出されるにつれてその災害の大きさを実感していきました。電車はストップ、車は大渋滞の中、自転車とか歩きが力を発揮したようです。
 つい3日前に会社から歩いて帰った私は、ただ避難する事だけを考えれば歩くのも一つの方法だと思いました。現代人はちょっとした距離なら車か電車と考えがちですが、いざというときには自分の足が頼りで、自分の足の距離感を知っておくのはあながち無駄じゃないと思いました。
 でも私が会社から歩いて帰った事を聞いた妻の友人は「お願いだから、そんな恥ずかしいことは止めて」と言いました。やっぱり、会社から5時間もかけて歩いて帰るなんて馬鹿げた恥ずかしい事なのでしょうか。

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ビシュヌが走った

 ネパールのポカラにオアシス・トラベルという旅行代理店がありました。旅行代理店といっても机とイスと約2カ月間故障したままの電話が一台あるだけでしたが。行き付けのレストランの隣にあったこの旅行代理店を私はよく利用していました。
 たまにしかお客が来ないので従業員のビシュヌはいつも暇そうでした。そしてたまに来る客も国際電話(電話がまだまだ普及していないので電話を持っている店は1分160Rs前後=320円で電話を貸していました)をかけに来る旅行客で、故障した電話ではどうしようもなく他の店へ行ってしまうのでした。
 そして希に航空チケットの注文などの仕事が入るとよそに電話を借りに走ります。「走ります」といっても実際はゆっくり歩いて行くのですが。ビシュヌに限らずネパールの人達はのんびりしていて、急ぐという事がありません。急いでいるのか知りませんが、端から見ているととても急いでる風には見えませんでした。

 一度だけ、後にも先にも本当に一度だけ、そんなビシュヌが走っているのを見てびっくりしたことがありました。やってくる野良牛が走ってくるビシュヌに驚いて向きを変えて逃げ出したくらいの勢いでした。野良牛も少々の事では驚いたり、道を譲ろうとはしないのですが、それくらいネパール人が走っている姿は珍しいのです。
 たぶん何か仕事のトラブルでボスに叱られたのでしょう。客のクレームには「No Problem」とのんびり構えるビシュヌ(ネパール人)ですが、さすがにボスの一言には慌ててしまったのでしょう。ビシュヌの走る姿を見て、普段からこれくらい懸命に働けばもう少し豊かになれるのに!?、と思いました。

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ビシュヌの宝くじ

 ジャンボ宝くじの当選金額が前後賞あわせて最大3億円になりました。「もし当たればインドやネパールだったら300年くらい旅行できるナ」と妻と話しながら、かすりもしないのに夢を膨らませています。
 さて、ビシュヌ。
 ネパール人の食事は朝10時頃と夜9時頃の2回で、間に間食でスナックなどを軽く食べるのが一般的です。ビシュヌも毎日夕方になるとお腹を空かして何か買って食べたいのですが、財布にはほとんどお金が入っていません。給料前にお金のやりくりに苦労しているのは日本のサラリーマンだけではありません。
 ビシュヌの場合、給料も決まった日に入ってくるのではなく、働いている旅行代理店に収入があったとき貰えるので、客の少ないオフシーズンは給料も遅れがちです。お金がなくても「No Problem」と言うビシュヌはいつも誰かにお金を借りて、あるいは店のツケで空腹を満たしていました。

 そんなビシュヌのやりくりを見て、興味半分に彼の財布を見せてもらいました。やはりお金はお札一枚も入っておらず、その代わり何かの書類のようなものが入っていました。
 聞くと「これはアメリカのグリーンカードの応募用紙だ」ということでした。
 アメリカは毎年国ごとに決まった人数を割り当てしてグリーンカード(アメリカ市民権でアメリカで暮らすことができる)を交付しています。多民族国家アメリカならではの制度ですが、途上国の人々には大変人気があり応募も多数にのぼります。最後は抽選で当たるかどうか分からないのは宝くじのようなものです。でもいつかは当たる、とビシュヌは毎年応募しているようでした。
 グリーンカードに応募するのには70米ドルが必要です。70米ドルというと彼のいつ貰えるか分からない2カ月分の給料に相当します。いつも空っぽの財布を持ち歩いているビシュヌは応募費用の70米ドルをどうやって手に入れるのでしょう。
 「グリーンカードが当たったら、アメリカに行ってどんな辛い仕事でもしてお金を稼ぐんだ」というビシュヌはグリーンカードに自分の未来を賭けているようでした。私の宝くじほど現実離れした夢物語ではなさそうですが、ビシュヌのグリーンカードは当たるのでしょうか。

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ゴミ問題と貧乏旅行

 20世紀も終わりに近づき、20世紀を振り返る話題があちこちで聞かれます。その中で人類の発展の影の部分・負の遺産についても語られることが多く、環境問題や地域紛争など明るい未来に展望の開けない事柄が多すぎます。もはや後戻りできない事ばかりで、結局は「なるようになるさ」というしかなく、21世紀がどうなるかなんて誰にも分かりません。
 そんな中で「ゴミ問題」というのは大量生産大量消費という消費生活の負の遺産であります。焼却すればダイオキシン、埋め立て地は満杯、産廃の不法投棄などなど。問題山積みです。例えば今ある建造物の大部分は50年も経てば立て替えで、そうなると廃材は全てゴミになってしまいます。人間はゴミを作るために生きているようなものです。

 そんなごみ問題を解決するヒントが貧乏旅行にあります。「ゴミ問題」の基本は「ゴミを出す」ことです。「ゴミを出す」生活をしなければ「ゴミ問題」は起こりません。貧乏旅行をしていると基本的に贅沢はできませんし、不必要な物は買いませんし、それで困ることはありません。だから出すゴミの量はしれています。
 また移動は自分の足か公共機関なので、自分の車で排気ガスを撒き散らし走り回ることを考えるとはるかに環境に優しいです。「環境に優しい」車を売り物に自動車メーカーは車を売っていますが、あれは「環境に優しい」ではなく「今までの車より少しはマシだけど環境を破壊することに違いなく、でも環境に優しい車を売りにしないと生き残れない」メーカーの都合が見え隠れしています。有害物質を半分にしても車の台数が倍になればプラスマイナスゼロなのだから。
 結局は石油資源が枯渇するまで排気ガスの問題は解決しないのでしょう。そして石油資源が枯渇すれば何億台という無用の長物と化したガソリン車が世界中にゴミの山として取り残されることでしょう。

 物の豊かさを求めるということはその負の遺産も抱えなければならないという事です。物の豊かさを求める生活から一歩はずれて貧乏旅行をしてみると、人間本当に必要な物はしれていることに気が付きます。ある程度の「物の豊かさ」は人間を幸せにすることに間違いはないでしょう。テレビや電話があって、風呂に入れて食事に困らない生活は幸せそのものです。でも、ある程度以上の「物の豊かさ」がそれ以上に人間を幸せにするかは疑問です。
 物の豊かな日本を離れて、わざわざ貧乏旅行に出かける日本人が多いことを見ても「物の豊かさ」の限界を感じます。経済活動にほとんど貢献しない貧乏旅行という生活は「物の豊かさ」とは正反対のものですが、それだけに環境問題の解決のヒントにはならないでしょうか。

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