ホッと珈琲には書けなくて・・・。 2011/3/11 以降 我が家の震災体験記(3月)

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2011/3/11(金) 曇りのち雪  地震発生                                   4月はこちら
                                                       書きはじめ 2011/4/19(日)
 pm2.46 マグニチュード9の地震が東北〜茨城沖で起きた。 私の住む宮城県泉区は震度6強。
 3月末に娘の結婚をひかえ、宅急便の荷物の集配を頼んでいて、ちょうど電話をおいた途端に、ぐらぐらっと揺れて、
 おっ大きい!と急いでTVを押さえて(以前の地震でTVが倒れたので)、その時はすぐにおさまると思った、でも
 おさまるどころか更に横に大きく、今度は縦にごんごんと揺れ、又横にぐらぐらと揺れ続け、いつまで続くのおおおおと
 叫んでいた!
 TVの横の棚からお雛様のガラスケースがガチャンと落ちて、ガラスが目の前で飛び散った、すぐ横の本棚から本が
 ぼんぼん飛び出す、台所から瀬戸物が落ちる音ががちゃがちゃと聞こえてた、バチッと音がして電気が切れて、
 ピーーーっと何かの音がしてから消えた。 携帯もあっというまに送受信できなくなった。
 3分位の揺れだったと思うけど、おさまったなと思って家中を見てまわったら、全部の部屋の棚やテーブルから物が
 落ちて足の踏み場がないほど散乱していた。 青麻神社の水を汲み置いたポリ缶が倒れて床が水浸しになってた。
 この時は写真を撮っておこうなんて考えはぜんぜん浮かばなくて、なにから片づけようか? まず水だ、水水水・・・、
 ポリ缶を起こしてバスタオル数枚で床をふいて、それから・・・、そうだ歩くとこ確保だ、ガラスガラス・・・、それから
 プリンターやパソコンを起こして、本をCDを食器をとりあえず脇に寄せて歩くとこ確保、・・・とそんなことをしている間も
 また揺れる、さっきよりは小さいから大丈夫と自分に言い聞かせながら、そうだラジオ、と車に入れてある携帯ラジオを
 とってきてスイッチを入れると、「津波が来ています、橋を走っている車の方がいます、すぐに高台に避難してください!」
 と、ラジオが叫んでいた。 はじめてここで震えが身体を走った。
 家族は大丈夫だろうか? 外を走る車が見えたので、夫を駅近くまで迎えに行かなくちゃと、車を出してみたけど、5分と
 走らないうちに渋滞で動かなくなってしまったので、駅までは行けないと判断し、交差点まで車が動いた時に曲がって
 家に戻ってきた。 途中揺れを感じてハザードを付けて2回止まった。 その後、雪になった。
 2時間位たってようやく夫が帰ってきた。 途中までバスが出てその後1時間歩いてきたって。 車で送っていたので
 コートを来てなくて持っていたバスタオルを肩に巻いてきたという。 高速の上、橋になってる両側で段差があったって。
 もう一人の家族、娘は夜10時頃に1度だけメールが通じ、五橋中学校に避難していると。 真っ暗の中、ほっとした瞬間
 だった。 
 水道は半日後、ガスは夕方には使えなくなって、ライフラインが全部ストップ。 
 カセットコンロに土鍋をかけて、蝋燭をつけて、闇鍋のような食事をした。 懐中電灯を一人一本それぞれ持って、台所
 やトイレに行く。 トイレがすんだら次の人のためにバケツに風呂水を汲んでおく。 染物用の大きなボールで食器類を
 洗う。 これって最近やったような・・・、そうだリフォームの時にやった・・・、なんて、考えながら、次の日にはなんとか
 解決している?と思ったけど、とんでもなかった。
 ラジオはNHKをずっとつけてたけど、大津波がきたらしい、荒浜のあたりで数百人の人が亡くなってるらしい、蒲生の
 中野小学校の屋上に・・・、石巻のイオンで・・・、この夜はこういうニュースが流れていたのを覚えてる。
 何度も揺れるけど真っ暗だし寝るしかない夜。 あとは明日。 
 我が家付近は被災地じゃないって、次の日に思い知らされた。 津波は10mをはるかに超える大津波だった。


2011/3/12(土) 晴れ  娘無事帰る

 ラジオが、171伝言ダイヤルを言うけど、電話も携帯もかからない。 公衆電話が無料でかけられると言うので集会所
 の前に公衆電話があったなと思い、自転車で行って並んで、娘、娘の会社、山形の実家とかけてみたけど、どこにも
 かからなかった。 早くもスーパーや薬局に並ぶ人の列が見えた。 
 幸い、我が家は普段から鍋物用にカセットボンベはストックしておいたし、紙類も買い置きがあったので、急いで並ぶ
 必要はないけど、あの列は並ばないといけない・・・っていう危機感をあおる感じがする。
 午後になって、バス通りを自転車で走り、バスが来るたびに乗客の中に娘を探したけど、バスはがらがらで乗っていな
 かった。 ガソリンスタンドに並ぶ車の列にバスがはまっているようだった。 ちっとも動かず。
 いつも買い物するCOOPの店に行列ができていたので、バスを待つついでに並んでみたら、店頭で緊急物資や果物を
 売っていて、客一人に、店の人・一人がついて、計算機を使って販売するという方法だった。
 午後3時頃、娘が帰ってきた。 地下鉄が不通で代替えバスに乗って仙台−泉、それからタクシーで帰ってきたという。
 昨夜は、五橋中学校で真っ暗な教室で、知らない人たちと、持っていたお菓子などを分け合って食べて夜を過ごし、朝
 になって、炊き出しのワカメごはんを10時頃に食べ、誰かのラジオで代替えバスが出てると知って、なんとか帰って
 来れたと聞いた。 近所のスーパーでアイスを配ってたり、コンビニでラップを配ってたりしてるのを、もらってきた。
 夕食は冷凍室のものでなんとか作った。 でも娘、あったか〜い、嬉しいぃと、昨夜のことを思い出して泣きそう。 
 昨夜いっしょになった人たちはどうしただろうかと案じてた。
  灯りはろうそくと懐中電灯で。
  暖は、反射式の石油ストーブが1台、
  まだ処分してなくてよかった。 鍋や
  ヤカンものせられる。 でも、雪の夜は
  かなり寒いので、ひと部屋でなるべく
  みんなで過ごすようにして、部屋の中
  でも、ダウンを着たままの夜。

  でもこんなことは我慢できる。
  ラジオから聞こえてくる沿岸部の人達は
  避難できた人でも着のみ着のままだと
  いうし、どこどこの屋上に取り残されて
  いるなどと聞くと、お布団で寝られるのが
  申し訳ないようにさえ思う。
  まだこの時点では、万を超える人々が
  津波に飲み込まれ、どのくらいの被害か
  ということはまだわからなかった。


2011/3/13(日) 晴れ  行列

 震災後3日目、まだガソリンが2/3ほど入ってたので、大型ホームセンターへ出かけた。 予想どおり長い行列ができて
 いた。 ここも店内には入れず、店頭に品物をだしての販売。 店頭にないものでもスタッフの人に聞けば、懐中電灯を
 持って探してきてくれるというので、猫用の餌とトイレ砂を買うことができた。 念のためガスボンベやトイレットペーパー
 も買ってきた。 この日は一時間並んで順番がきたけど帰り道が渋滞していた。  
 並びながら、前後の人たちと色々な情報交換ができた。 
 引っ越し費用として銀行からおろしていたので、幾分現金が手元にあって、助かった。
 日に何度も揺れる。 上空をヘリが何機も飛ぶ。 そのたびに又揺れる感じがして気持ちが悪い。


2011/3/14(月) 晴れ   電気復旧  

 震災後ずっと晴れ。 あの時の雪は震災と関係あるのだろうか。
 震災後4日目、食料が買えそうなCOOPに行ってみる。 やはり行列。 この日は3時間並んで野菜があった、嬉しいぃ。
 肉類や魚類はまだ無く、缶詰類も限られていた。 買えるだけ有難いという思いでいっぱい。
 並びながら遠く海の方角で黒い煙が見えていたのは、多賀城の石油タンクが燃えていたものと後でわかった。
 ずっと圏外だった携帯が何度も着信して、この辺は圏内とわかった。 友人知人の安否確認や今は年賀状のみの昔の
 友からも留守電が入っていたりして、たくさんの人が心配してくれていて胸が熱くなった。
 こちらからの電話は発信制限がかかっていて声が聞けなかったので、メールで無事ですと、いくつも返信しながら、列も
 少しづつ前へ。 家に帰ると又圏外に。
 信号は、行きはついてなくて、気をつけながら、互い違いに車が行き交っていて、我先にという車は見なかった。帰りに
 所々信号がついていて、もしかして電気が着いた? 家に帰って、ブレーカーをあげたら、う〜〜と冷蔵庫が唸りだした! 
 つい嬉しくて気がゆるみ、気を付けてた水の流し方に油断が・・・、いけないいけない。 
 TVをつけると、青森から千葉付近まで海側の津波の映像が。 声が出ない、いつも鳥見に歩いていた鳥の海や蒲生も
 壊滅状態、いつも寄ってたコンビニ付近の家々はどうしただろうか。仙台空港も津波にやられたという、頭の中の映像と
 TVの中の映像が結びつかない。


2011/3/15(火) 曇りのち夜小雪  水道復旧

 水道はまだ復旧していなかったので
 店で並びながら聞いた場所へ行って
 みると、給水所でない場所2か所で、
 水を分けてくれていたので汲ませて
 もらった。 ありがとうございます。


 ←焼酎の空きペットボトルに、水。
 
 ホームセンターで買った、赤ちゃんの
 お尻ふきで鍋や皿の汚れをふき取って
 から洗うと少ない水で洗えた。
 下水処理施設が被害を受けてるので
 洗いものに使った水は庭に。

 その日の午後、我が家の水道が復旧。 はじめちょろちょろだったけど、風呂に溜めた水がだいぶ減っていたので、
 ほーっとした。 又止まるかもと聞いたので、又溜めておいた。
 電気と水があれば、ということで、電気ポットで湯をわかして、大きな寸胴鍋に溜めて、風呂場で5日ぶりにシャンプー
 をした。 寒かったけど、頭がすっきりして気持ちよかった。
 娘、この日まで会社へ行きあとは退社の日(4/10)まで有給休暇のはずだったけど、こんな時だから会社へ通うという。
 地下鉄が動かないので代替バスで出社。 普段の何倍も時間がかかり体力が消耗すると話してた。
 同僚の実家が気仙沼で津波に流されたという。 家族は無事だというけれど、悲惨な状況で慰めようがないです。
 娘の会社は街中にあるので、色々な商店が炊き出しやお弁当など店頭販売して、泉付近には無いおかずを買って
 きてくれた。 


2011/3/16(水) 〜 3月末    ガス復旧は3/27(日)

 3/16(水)小雪 地震翌日から行列生活になっている。 
 店によって仕入れ先に違いがあるようだけど、食品や日用品はどうにか手に入った。 待ち時間は2〜3時間。 
 お一人さま10点です、という所は、2日後には15点になり、そのうちいくらでもOKです、と変わっていった。 品薄の
 ものは1家族1点です、というものも。
 (下)ヤブカンゾウを採ってきて野菜のかわりにおひたしにした。
   同じ日、夫が風呂はいりに山形へ高速バスで行く、と
 言い出し喧嘩になる。 仙台−山形間のバスが動いて
 いるのはわかっているけど、混んでるバスに乗ってまで
 行きたくないと思ったから。 でも結局、その山形へ
 行ってもスーパー銭湯はやっていないとわかって、
 それじゃあ温泉に行くと言う。その温泉も入るだけなら
 OKだけど、シャンプーはできないそうだよ、と山形の
 実家の妹が聞いてくれて、ようやくあきらめた。 
 ガソリンが少ないから実家へ行こうということにはなら
 なかった。 そんなことがあって暖かい日だもの、
 シャンプーと同じように、お湯をいっぱい沸かして、
 手短かに身体を洗おうよ・・・。 やってみると、
 寒かったけどなんとか洗えた。

 3/17(木)雪 なんと大雪! 福島原発 いよいよ難しい状態になってる。 
 娘の会社の東京本社から、社員に緊急物資が届いた。 夜中に大型トラックで運んできてくれんだって。 
 ガスボンベ 電池 懐中電灯 お餅 カップラーメン パックのごはん スープ さつまいも 生理用品 粉ミルク・・・・、
 等々。 すごい! 並ぶのに疲れはじめてたのでとても有難かった。 それを交通の便の悪いなか、運んできてくれた
 娘にも感謝! 粉ミルクは赤ちゃんがいる友人にあげて喜ばれたって、よかったね。

 3/20(日)曇 重油がある間だけお風呂にはいれるとTVで見た近所の施設へ行ってみた。 行列が長すぎ駄目。
 別の小さな温泉施設(自転車で20分位)、駄目もとで行ってみたらやはり行列してたけど、なんとかはいれそう。
 ちょっとぬるかったけど、久しぶりに温まった。 いっぱい待ってる人がいるので、手早くさささっと洗った。
 外で待つ間、前後の人と話をしてて、その人は甲子園へ出発する東北高校のナインを給水所で見送ったって。

 3/22(火)晴れ いつまでも開かない近所の店は、内部に損傷があって修理がすむまで青空市をやりますと、チラシが
 入ったので行ってみると、ご近所さん達の長い長い列になっていた。 毎日開催というので1時間並んだけど買わずに
 帰った。

 ガソリンを入れたのは、3/27(日) 前々日にいつも入れてるスタンドに電話で聞いたら、日曜にタンクローリーが来る
 と教えてもらったので、おにぎりとお茶持参で8時頃に出発。 またこれが長い長い列で、最後尾を見つけて並ぶ・・・。
 10時頃にようやく動き出し、そろそろ動いては止まるを繰り返した。 途中ケンタッキーの店が開いていたので娘を
 買いに走らせ、鳥から揚げのおかずゲット! その間も車はじりじりと少しづつ進む。 結局ガソリンを入れられたのは
 午後1時を過ぎていた。 4000円分、26.6リットル。 地震だけでなくリビア情勢のせいもあるかな、値上がりしてる。
 
 ガソリンをいれて帰ると、広島ガスの方が復旧工事をしてくれていた。 我が家には午後4時頃にピンポンが鳴って
 わあい嬉しいぃ。 1か月とか3か月とか言われていたガスが、17日目に復旧しました。 感謝でいっぱい。
 ありがとうございます。 新潟からのパイプラインがつながって供給してくださるとのこと、有難いです。
 この辺(寺岡)は去年春からずっとガス管入れ替え工事をしていたので、ガス管の損傷はなかったようです。 
 お隣の高森は大阪ガスが作業されてましたが、もっと日数がかかっていました。

 ガソリンがはいったので、娘を泉中央ではなく、北仙台に送ることにする。 毎日泉中央からの地下鉄代替えバスは
 乗るまでに1時間以上も待つので辛そうだったから。 地下鉄は台原までしか動いていない。 4月末復旧の見通し。

 自転車生活が続いている。 3/28(月)歯科へ行った。 玄関の引き戸のあたりに段差ができていた。
 荷物(娘の)はどうしますか?と、地震当日運ぶ予定だった宅急便やさんから電話があった。 4月末に延期に。
 娘の予定も全部延期になった。 島嶼の挙式、友人家族を呼んでの披露宴、入籍、すべて。 彼はこっちにおいでよ
 と言ってくれるけど、新幹線も動いてないし、辛い生活をしている人たちを見て見ぬふりをして自分だけ行ってしまう
 ことは出来ないと娘は言う。 高速バスや山形空港からでも行こうと思えば行けるのに。 
 
 まだまだ揺れる。 いつ又大きな揺れがと思うと、落ち着かない日々が続く。 原発がおさまるのに数か月?数年? 
 連日TVで見る被災地の光景は本当に辛い。 ボランティアも考えたけど、術後半年の身では自信がなくて行けない。
 申し訳ない気持ちでいっぱい。 できることをやろうとTVが呼びかけるから、それしかないかなと考えて、水や電気の
 節約、震災時お世話になったお店で買い物をしたら募金箱にいくらか入れてくる、そんなことをしています。
 
 4/7(金)pm11.32、最大の余震がおきた。 マグニチュード7.1 震度6弱。                    メール