歴史の函館

 

 

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 碧血碑(へっけつひ)

 

函館戦争(明治一〜二年)のさい官軍との交戦で倒れれた新撰組の土方歳三ら旧幕府軍の戦死者約800人の霊がまつられています
建立 明治8年(1875年)
碑の台座裏に、碑設立の由来を示す16文字の漢字が刻まれているが、その表現から旧幕府脱走軍の霊を公然と弔うには支障があったことが推測される。
なお、碧血とは「義に殉じて流した武人の血は3年たつと碧色になる」という、中国の故事によるものである。

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 土方歳三と新撰組隊士の供養碑

 

船見町(外人墓地方面)の弥名寺にあります
ほかに、高田屋嘉兵衛一族の墓、河野加賀守政通の供養碑があります。
土方歳三(新撰組副長)は、榎本軍に加わり、函館で戦死した。その場所は一本木(若松町)、鶴岡町、栄国橋(十字街)など諸説があるが、土方ゆかりの東京都日野市金剛寺の過去帳には、函館弥名寺に供養碑を建てた、と記している。弥名寺は、明治期の大火で3回も続けて碑は現存しないため、昭和48年有志が現在の碑を建立した。他の4名は新撰組隊士で、弥名寺墓地に墓碑があったが、昭和29年の台風で壊されたため、この碑に名を刻んだ。

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 土方歳三最期の地

 

明治二年五月十一日、ついに函館も政府軍の手に落ちた。土方は函館奪回を目指し、五十名の兵を率いて一本木(現若松町)の関門を出て函館の市内に向かい敢然と切り込んでいったが銃弾に当たって倒れ波乱に満ちた生涯を閉じた。時に三十五歳であった。

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 四稜郭

 

明治二年(1869)春、五稜郭にたてこもる旧幕府脱走軍は新政府軍の攻撃に備えて各地に防御陣地を築いたが、五稜郭の背後を固めるため、その北方約3キロの緩斜面台地にも洋式の台場を急造した。<<地図>>

 

 

 函館奉行所跡

 

元町公園内にあります。

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 リンク集

 

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