▼19世紀までのチェコ人

 おもに「中世」のころか。けっこう複雑だよね、●●●家とか出てきてさ。。。>

<うむ。チェコも王家あったしね。でも多少はしょって大きな流れだけでも。。。

 

大モラビア帝国
世界最初のスラブ人の国。830年ごろできたといわれている。モラビアというと現在のチェコの南半分。

863年
キリルとメトジェイ(キュリロス・メトディウス兄弟)がギリシャからキリスト教を伝えに来て、チェコ語の親にあたる古代スラブ語を文字に残す。

ボヘミア王国(プシェミスル朝)
プシェミスル家の聖バーツラフ2世がボヘミア王国を立てる。プシェミスル家はチェコ最初の王家なわけですね。

1037年
スロバキア、ハンガリーの支配下に入る。チェコとスロバキアは20世紀に入っていっしょに国を作るが、それまではけっこう別々。
スロバキアがいちばん影響をうけたのはハンガリーかもしれない。

ボヘミア王国(ルクセンブルク朝)
プシェミスル家のバーツラフ3世が暗殺され、1346年にはドイツ系のルクセンブルク家のカレル1世(有名な神聖ローマ皇帝カレル4世ですよ)が王となる。

1348年
カレル1世(ローマ皇帝カレル4世)がプラハにカレル大学を作る。中欧では最古の大学(世界で一番古いのはローマ、サレルノ、パリですね)。
その他、カレル4世のもとでは、ボヘミアに文化の花がたくさん開く。
カレル橋しかり、カルロビバリしかり。

1402年
ヤン・フスがカレル大学の学長に就任。

1415年
ヤン・フスがコンスタンツの公会議で火あぶりの刑にされる。なぜって宗教改革をとなえたから、カトリックに目をつけられた。
1419年、フス戦争が始まる。 (〜1436年)

オーストリア・ハプスブルク家の支配
ハプスブルク家(神聖ローマ帝国)のフェルディナント1世が、1526年にボヘミア国王になる。
ハプスブルク家が王になるかわりにフス派やチェコの議会を認めるように、ってことだったのに、
守られなかったため1618年にチェコ人は暴動を起こす。以来三十年戦争。
1583〜1612年にかけてはルドルフ2世による芸術豊かな時代もあった。

1618年
三十年戦争が始まる。1620年ビーラー・ホラ(白山)の戦いで敗北。
ハプスブルク家はチェコ貴族を追放したり処刑したりして、チェコをがんがん支配。

1867年
オーストリア=ハンガリー二重帝国ができる。
オーストリアは、チェコ・ハンガリーはじめ中欧を手中におさめ、多民族国家になってましたが、
民族独立運動がはげしくなってきて、おさえるためにハンガリーだけ優遇。

1880年
「ターフェの言語令」が出る。ボヘミア・モラビアに住む人たちにもドイツ語をしゃべるようにとおふれがでる。
おかげでチェコ語は家庭で使う言葉とされ、日陰のみちを歩む。

 

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