白州ふるさと文庫・山口素堂資料室

素堂講座 素堂と芭蕉 

二人で築いた俳諧世界
みのむしを中心に

  貞享 4年(1687)

 芭蕉『鹿島詣』 

秋八月、曾良・宗波と常陸鹿島の月見に行く。「鹿島詣」

 八月二十五日『鹿島詣』成る。

洛の貞室須磨の浦にの月見に行てまつかげや月は三五夜中納言と云けん狂夫のむかしもなつかしきまゝに、此秋鹿島の山の月見んと思ひ立事あり。ともなふ人ふたり、浪客の士ひとり、ひとりは水雲の僧。僧は烏のごとくなる墨のころもに、三衣の袋をえりにうちかけ、出山の尊像をづしにあがめ入テうしろに背負、杖ひきならして、無門の関もさハるものなく、あめつちに独歩していでぬ。いまひとりは、僧にもあらず、鳥鼠の間に名をかうぶりの、とりなきしまにもわたりぬべく、門よりふねにのりて、行徳といふところにいたる。ふねをあがれば、馬にものらず、ほそはぎのとからをためさんと、徒歩よりぞゆく。甲斐のくによりある人の得させたる、檜もてつくれる笠を、おのくいたゞきよそひて、やはたといふ里をすぐれば、かまがいの原といふ所、ひろき野あり。秦甸の一千里とかや、めもはるかにみわたさるゝ。つくば山むかふに高く、二峯ならびたてり。かのもろこしに双剣のミねありときこえしは、廬山の一隅也。ゆきは不申先むらさきのつくばかなと詠しは、我門人嵐雪が句也。すべてこの山ハ、やまとだけの尊の言葉つたえて、連哥する人のはじめにも名付たり。和歌なくバあるべからず。句なくばすぐべからず。まことに愛すべき山のすがたなりけらし。萩は錦を地にしけらんやうんにて、ためなかゞ長櫃に折入て、ミやこのつとにもたせけるも、風流にくからず。きちかう・をみなえし・かるかや・尾花ミだれあひて、さをしかのつまこひわたる、いとあハれ也。野の駒、ところえがほにむれありく、またあはれなり。日既に暮かゝるほどに、利根川のほとり、ふさといふ所につく。此川にて鮭の網代といふものをたくみて、武江の市にひさぐもの有。よひのほど、其漁家に入てやすらふ。よるのやどなまぐさし。月くまなくはれけるまゝに夜舟さしくだして鹿島にいたる。ひるより雨しきりにふりて、月見るべくもあらず。ふもとに、根本寺のさきの和尚、今は世をのがれて、此所におはしけるといふを聞て、尋入てふしぬ。すこぶる人をして深省を発せしむと吟じけむ。しばらく清浄の心をうるににたり。あかつきのそら、いさゝかはれけるを、和尚起し驚シ侍れば、人々起出ぬ。月のひかり、雨の音、たゞあハれなるけしきのミむねにみちて、いふべきことの葉もなし。はるばると月ミにきたるかひなきこそほゐなきわざなれ。かの何がしの女すら、郭公の哥、得よまでかへりわづらひしも、我ためにはよき荷担の人ならむかし。

和尚

 おりおりにかはらぬ空の月かげもちゞのながめは雲のまにまにまに

  • 月はやし梢は雨を持ながら    桃青
  • 寺に寐てまこと顔なる月見哉   同
  • 雨に寝て竹起かへるつきミかな  ソラ
  • 月さびし堂の軒端の雨しづく   宗波

  神前

  • 此松の実ばへせし代や神の秋   桃青
  • ねぐはゞや石のおましの苔の露  宗ハ
  • 膝折ルやかしこまり鳴鹿の声   ソラ

  田家

  • かりかけし田づらのつるや里の秋 桃青
  • 夜田かりに我やとはれん里の月  宗波
  • 賤の子やいねすりかけて月をミる 桃青
  • いもの葉や月待里の焼ばたけ   タウセイ

  野

  • もゝひきや一花摺の萩ごろも   ソラ
  • はなの秋草に喰あく野馬哉    同
  • 萩原や一よはやどせ山のいぬ   桃青

  帰路自準に宿ス

  • 塒せよわらほす宿の友すゞめ   主人
  • あきをこめたるくねの指杉    客
  • 月見んと汐引のぼる船とめて   ソラ  

 貞享丁卯仲秋末五日

素堂、芭蕉「蓑虫」の遣り取り

芭蕉… 帰庵。

素堂… 秋、芭蕉の帰庵の月、素堂亭に招く。

  此月、予が園にともなひけるに、
  又竹の小枝にさがりけるを

  • みの虫にふたゝびあひぬ何の日ぞ    素堂

  しばらくして芭蕉の方より
  草の戸ぼそに住みわびて秋
  風のかなしげなる夕暮、
  友達のかたへ言ひ遣はし侍る

  • みの虫の音を聞きに来よ草の庵    芭蕉

素堂、「蓑虫説」

子光編『素堂家集』

  はせを老人行脚かへりの頃

簑むしやおもひし程の庇より    

  この日予が園へともなひけるに

蓑虫の音ぞきこへぬ露の底  

  また竹の小枝にさがりけるを

みの虫にふたゝび逢ぬ何の日ぞ    

  しばらくして芭蕉の方より

みの虫の音を聞きに来よ草の庵  

素堂 これに答え『蓑虫説』を草す。

嵐雪… 「蓑虫を聞きに行く辞」を綴り、一句を送る。

 何も音もなし稲うち喰うて螽哉

芭蕉『蓑虫説』跋を書す。

素堂 さらに『蓑虫賛』を著す。

素堂『蓑虫記』(◎印、俳文学館蔵素堂自筆による)   

まねきに應じて、むしのねをたつねしころ  素堂主人

 みのむしみのむし、聲のおぼつかなきをあはれぶ。ちゝよちゝよとなくは孝にもつはらなるものか。いかに傳へて鬼の子なるらん。清女が筆のさがなしや。よし鬼の子なりとも、瞽叟を父として舜あり。なむじはむしの舜ならんか。みのむしみのむし、聲のおぼつかなくて、かつ無能なるをあはれぶ。松むしは聲の美なるがために籠中に花野をしたひ、桑子はいとをはくにより、からうじて賎の手に死す。みのむしみのむし、静なるをあはれぶ。胡蝶ハ花にいそがしく、蜂はみつをいとなむにより、往来をだやかならず。誰が為にこれをあまくするや。みのむしみのむし、かたちのすこし奇なるをあはれぶ。わずか一葉をうれば、其身をかくし、一滴をうれば、其身をうるほす。龍蛇のいきほひあるも、おほくは人のために身をそこなふ。しかじ汝はすこしきなるには。みのむしみのむし、漁父のいとをたれたるに似たり。漁父は魚をわすれず。太公すら文王を釣そしりをまぬかれず。白頭の冠はむかし一蓑の風流に及ばじ。  みのむしみのむし、たま虫ゆへに袖ぬらしけむ。田蓑のゝ島の名にかくれずや。いけるもの、たれか此まどひなからん。遍昭が簑をしぼりも、ふる妻を猶わすれぬ成べし。みのむしみのむし、春は柳につきそめしより、桜が枝にうつり、秋は荻ふく風に音をそへて、寂家の心を起し。寂蓮をなかしむ。木枯の後はうつ蝉に身を習ふや。からも身もともにすつるや。

又 、蓑虫々々 偶逢園中 従容侵雨 瓢然乗風 笑蟷斧怒
無蛛糸工 白露甘口 青苔粧躬 天許作隠
我隣称翁 栖鴉莫啄 家童禁叢 脱蓑衣去 誰知其終

  葛村隠士 素堂 書


簑虫説跋(芭蕉)

 草の戸さしこめて、ものゝ侘しき折しも、偶簑蟲の一句をいふ、我友素翁、はなはだ哀がりて、詩を題し文をつらぬ。其詩や綿をぬひ物にし、其文や玉をまろばすがごとし。つらつらみれバ、離騒のたくみ有にゝたり。又、蘇新黄奇あり。はじめに虞舜・曾参の孝をいへるは、人におしへをとれと也。其無能不才を感る事ハ、ふたゝび南花の心を見よとなり終に玉むしのたはれハ、色をいさむとならし。翁にあらずば誰か此むしの心をしらん。静にみれば物皆自得すといへり。此人によりてこの句をしる。むかしより筆をもてあそぶ人の、おほくは花にふけりて實をそこなひ、みを好て風流をしる。此文やはた其花を愛すべし、其實、猶くらひつべし。こゝに何がし朝湖と云有。この事を傳へきゝてこれを畫。まことに丹青淡して情こまやか也。こゝろをとゞむれバ蟲うごくがとごとく、黄葉落るかとうたがふ。みゞをたれて是を聴けば、其むし聲をなして、秋のかぜそよそよと寒し。猶閑窓に閑を得て、両士の幸に預る事、簑むしのめいぼくあるにゝたり。

  芭蕉庵桃青

 語訳

草庵の戸をとざして、ひとりこもっていて、ものわびしい折ふし、ふと、

  蓑虫の音を聞に来よ草の庵

と一句を詠んだ。わが友山口素堂翁は、この句をたいへん興がって、詩を作り、文章を書いてくれた。その詩は、錦を刺繍したように美しく、その文章は玉をころがすような響きがする。しかも、よくよく味わってみると、屈原の悲痛な詩編「離騒」のようなうまさがある。また蘇東坡の新しさ、黄山谷の奇抜さもある。文のはじめに、父に憎まれても、かえって孝を尽くした虞の舜のことや、孔子の弟子で親に孝行して有名な曾子のことをいっているのは、人々にこのような虫からでも教訓をくみとれというのであろう。また、蓑虫がなんの能もなく才もないところに感心しているのは、人知の小を説き、無為自然を尊ぶ荘子の心を、も一度よく考えてみよと人々にいうのであろう。最後に、蓑虫が玉虫に恋したことをいうのは、人々に色欲を戒めようとするのであろう。素堂翁でなかったならば、だれがこれほどまでに、この虫の心を知ることができようか、できはすまい。「万物静観すれば皆自得す」という句がある。万物は、心を静めてよく見れば、みな天理を内に蔵し、悟りを得ているという、この句の真意を、自分はいま、素堂翁によって、はじめて知ることができた。昔から詩や文を書く人の多くは、言葉の花を飾って内容の実が貧弱であったり、あるいは内容にのみとらわれて言葉の詩的な美しさを失ったりする。しかるに、この素堂翁の文章は、言葉の花も、また美しく、内容である実もまた、十分食べ得るほど充実している。ここに朝湖という絵師があって、この蓑虫の句や、素堂の文章の事を伝え聞いて、蓑虫を絵に描いてくれた。実に、色彩はあっさりとしていて、心持は深くこまやかである。心をとどめて見ていると、なんだか蓑虫が動くようであり、枝の黄色い葉は、いまにも落ちるのではないかと思われる。耳を傾けて聞いていると、画中の蓑虫が声を出して鳴いており、秋風が絵の中からそよそよと吹き出して肌に寒く感じる。この静かな窓辺で、静かな時を得て、こうして、文人素堂と画家朝湖の二人の好意をこうむることは、蓑虫の面目この上もないことと感謝する次第である。

 (語訳は全て小学館『松尾芭蕉集 』村松友次氏による)  

 簑虫賛(素堂)

延喜のみこ兼明親王、小倉におはせし頃、ある人雨に逢いて簑をかけられけるに、山吹の枝をたおりてあたへ玉ふ。

  • 七重八重花は咲ども山吹のみのひとつだになきぞかなしき

との御こゝろぞへにて、かし給はざりしとかや。又、小泉式部いなり山にて雨に逢ひ、田夫に簑をかりけるに、あをといふものをかしてよめるとなん。   

  時雨するいなりの山のもみぢ葉は

   あをかりしより思ひそめてき

あをは簑のたぐひなるよし。客濡るに簑をからん時、山吹の心をとらんや、いなり山の歌によらんや。

 嵐雪  簑虫をきゝにゆく辭

 いで聞きにまからん。行程二十町をぞや、かの虫なきやすべき、よしや虫まつ  ともあらじ、またるべきに身にもあらず、面白や橋はふた國にまたがり、入江  の釣舟は、まさ横さまに打こぞりぬ。鷺眠り鴎流れつ、駿河の山はいつこゝら  来つらん。川隈におほふ程ちかし、致景興をふるひ、あかむともなきに、柴門  の雫、衣の襟にひやこく、草の露わら履につめたし。あるじなくてやありけん、  とがめもたまはず、さし入て見れば簑虫の聲鳴すましてつくりと居給ふ、おと

 ろへくらべれは、霜にいまだ壯(さかん) なりしが如く、力を論ずれば風流猶ゆよし、ふむ所座する所音なし、かみ子のふるければなり、ゆえによりこの聲は聞きしか、性のさはがしきにはなに戀しともきこえず、聞く事にもあらじ、見ることにもなけん、かれが情と人間の閑と、猶閑人のすぐれたるなるべし虫よ翁のかしましからむ、鳴きぞ。   

  • 何の音もなし稲うち喰ふて螽かな  嵐雪

(『俳諧三十六歌選』所収 津田房之助著)

 「蓑虫説」

(略)芭蕉が自ら『荘子』を読んで「無才」「無能」の意味を晩年に悟った可 能性も考えられるが、「無才」「無能」を早くも貞享四年に唱えたのは、「蓑 虫説」をめぐる交流を通した素堂であった。その素堂の提唱を通して、芭蕉は 『荘子』の「無才」「無能」思想を学び始めたのである。それは、芭蕉自ら「 蓑虫説」にて、(略)「翁(素堂)にあらずは此むしの心をしらん」(略)

「蓑虫説」が詠まれる以前には、芭蕉が「無才」「無能」の『荘子』思想を悟 らなかったとしか考えられないのである。(略)芭蕉は「蓑虫説」をめぐる素 堂との交流を通して、『荘子』の核心思想であると言える「無才」「無能」で あるゆえに「造化」に順応することを素堂から学んだのであった。 (筑波大学、黄東遠氏「山口素堂の研究」より)   

 

『春鳥集』序文、蒲原有明著。

思ふに俳文の上乗なるものうちには却てこの散文詩に値するものありて、か の素堂の蓑蟲の説の体、葢しこれなるべし。云々

 蓑虫…… 詠まれた句

  • 蓑虫にそむきも果てずけふの菊    支考(『蓮二集』)
  • みのむしとしれつる梅のさかりかな  蕉笠 (『曠野』)
  • 蓑虫の出方にひらく桜かな      卓袋(『続猿蓑』)
  • みのむしや常のなりにて涅槃像    野水(『猿蓑』)
  • みの蟲や形に似合ひし声悲し     杜若(『猿蓑』)
  • 蓑むしを聞かぬぞけふの命かな    桃隣(『故五百』)
  • みのむしの茶の花ゆゑに折られける  猿雖 (『猿蓑』)
  • みのむしのさがりはじめつ藤の花   去来 (『北の山』)
  • 蓑むしも木に離れたる落葉哉     残香(『枯尾花』)

 筆者註……この素堂の『簑虫説』の主要本は全部で十一本あるという。

  •   一、 「簑虫記」 天理図書館蔵本   素堂自筆本
  •   二、 「簑虫辞」 国文学資料館蔵本   素堂自筆本
  •   三、 『素堂家集』所収本の一(旧松宇文庫本、『俳諧集覧』六所収 子光編 享保六年序 
  •   四、 『素堂家集』所収本の二(旧松宇文庫本、『俳諧集覧』六所収 子光編 享保六年序 
  •   五、 『風俗文選犬注解』所収の「簑虫説」(介我著、嘉永三年/1850成)
  •   六、 『浜田岡堂蕉門俳諧資料』(鈴木勝忠編、昭和五十一年刊。明治書院)
  •   七、 『蕉影餘韻』所収の「みのむし巻」 素堂自筆、巻子本。
  •   八、 『素堂家集』(写本、国立国会図書館蔵本)
  •   九、 『蕉影餘韻』所収の「簑虫説」(蚊足清書、貞享四年/1687秋)
  •   十、 『風俗文選』所収の「簑虫説」(許六編、宝永三年/1707)
  •   十一、『芭蕉文考』(板坂元氏蔵本、享和元年/1801跋)  (筑波大学、黄東遠氏(『山口素堂の研究』)
  •   ◎  『蓑虫説』 素堂自筆 俳句文学館蔵    

 《筆註》 

 私には素堂や芭蕉の深層の流れる思想や俳諧理論は理解できないが、素堂が芭蕉に与えた大きな影響については理解できる。素堂と芭蕉の交遊関係は、

  • 一、素堂が芭蕉を指導する。
  • 二、素堂と芭蕉が対等の立場。
  • 三、お互いに独立。

 のようになると思われる。芭蕉優位の書ではそれ以外に、 四、芭蕉に従属する素堂。

  素堂を芭蕉の下の立場に捉える書も見える。無理もない話で「俳聖芭蕉」にとって師や強い影響を与えた人物は抹消することが「俳聖芭蕉」を創作する近道である。   当時の俳壇で芭蕉個人が全ての俳論に先行したのではなく、多くの人々の努力が芭蕉俳諧を作り上げたとする顕著な姿勢も必要だと思われる。


素堂講座  芭蕉と素堂の世界

   『句餞別』

 素堂等、故郷の伊賀に帰る芭蕉に餞別吟を贈る。
  〔風交諸士から贈られた餞別雅章の手記を自筆のまま翻刻したもの。 自在庵祇徳編。寛保四年(1744)刊〕

句餞別掲載……  

  • 山口素堂詩三絶 外一絶
  • 友松二四六八十言鄙詞
  • 嵐蘭聯句
  • 遊園堂露沾公和歌一首
  • 安適和歌二首
  • 素堂・不卜二唱 惣餞別二十六句
  • 其角・嵐雪二唱
  • 歌仙一巻
  • 芭蕉翁師家の系
  • 芭蕉老人有故赴郷園 老人常謂他郷則吾郷
  • 今猶莫作戯斯語 吾何不信斯語乎 
  • 因綴卑語三絶以投頭陀
  • 初冬念五

其一   素 堂 山 子

  君去蕉庵莫止郷 故人多処則成郷
  風餐露宿豈労意 胸次素無何有郷

其二

  弱笠痩 寄一身 離筵回首脳吟味
  河辺楊柳無由折 早動翠条迎老身

其三

  陰月稱陽又小春 小春又那似陽春
  挙盃皮裏陽春在 為唱陽関一曲春

小春念五

  桐 山 正 堅(素堂の友人)

  東西両地學参商 獨向北風伴雁行
  汲汲浮生如一夢 皈郷來日報平康

貞享四丁卯歳十月廿五日

翁の故郷に帰給ふを送りたてまつる

  • 我ちから裳しほらん雪の道     嵐蘭

餞 別  遊薗

 くさまくらねざめぐのつもりてや

  伊勢までとをく雪にたどらん

同  安適

 たちかへる浪をこゝろにわするなよ世を海しらぬ國にゆくとも芭蕉庵主しばらく故園にかえりなんとす。とめる人はたからを送り、才ある人はことばを送るべきに、我此二ツあづからず。むかし、もろこしのさかひにかよひけるころ、一ツの烏巾を得たり。これをあたへてたからと才にかふるものならし。

素堂山子

  • もろこしのよしのゝ奥の頭巾かな

 〔素堂所見〕

 芭蕉一派が老荘思想に溺れた年代は明確には認め難いが、恐らく延宝の中年  以降であろう。そしてその指導者といふべきものは恐らく山口素堂であったら  う。素堂は芭蕉一派の中では最も漢学に造詣が深く、詩学にも通じてゐたので、 自然この人によって老荘学は芭蕉及びその門下等に傳はったのであろう。素堂     は指導者というほどではなかったとしても、漢学に於ては芭蕉等の先進であっ たことは明らかである。(『俳聖芭蕉』野田別天氏著。昭和十九年刊)

  (前略)芭蕉没後、素堂は芭蕉を追懐して定林院の境域に桃青堂を建設し、  芭蕉遺愛の頓阿作西行像及び破笠刻の芭蕉木像を祀った。これに依って延享二  年(1745)九月定林院を改めて芭蕉山桃青寺と称するに至った。   (『俳聖芭蕉』野田別天氏著。昭和十九年刊)

素堂講座 誤伝、不易流行

不易流行説は素堂が先行していた。

  素堂、「不易流行」を唱える

  素堂、十一月、其角の『続虚栗』に序文を与える。(発句五、入集)

 風月の吟たえずして、しかもゝとの趣向にあらず。たれかいふ、風とるべく影をひろふべくば、道に入るべしと。此詞いたり過て、心わきがたし。ある人来りて、今やうの狂句をかたり出しに、風雲の物のかたちあるがごとく、水月の又のかげをなすに似たり。あるは上代めきてやすく、すなほなるもあれと、たゞにけしきのみをいひなして惜なきをや。古人のいへる事あり。景のうちに情けをふくむと、から歌にていはゞ、

 穿レ花 蝶深深見 點レ水蜻〓飛

 これこてふとかげろふは、所を得たれども、老杜は他の國にありてやすからぬ心と也。まことに景のの中に情をふくむものかな。やまとうたかくぞあるべき。又きゝしことあり、詩や哥や心の繪なりと、野渡無人船 月おちかゝるあはぢ嶋山などのたぐひ成べし。猶心をゑがくものは、もろこしの地を縮め、吉野をこしのしらねにうつして、方寸を千々にくだくものなり。あるはかたちなき美女を笑はしめ、色なき花をにほはしむ。

 花に時の花有、つゐの花あり。時の花は一夜妻たはぶるゝに同じ、終の花は、我宿の妻となさんの心ならし。人みな時の花にはうつりやすく、終の花にはなほざりになりやすし。人の師たるものも、此心わきまへながら、他のこのむ所にしたがひて、色をよくし、ことをよくするならん。

 来る人のいへるは、我も又さる翁のかたりけることあり、鳰の浮巣の時にうき時にしづみて、風波にもまれざるがごとく、内にこゝろざしをたつべしとなり。余笑ひて之をうけがふ。いひつゞくれば、ものさだめに似たれど、屈原楚國をわすれずとかや、われ若かりし頃、狂句をこのみて、今猶折にふれて、わすれぬものゆへ、そゝろに辨をつゐやす。君みずや漆園の書、いふものはしらずと、我しらざるによりいふならし。

 こゝに其角みなし栗の續をゑらびて、序あらんことをもとむ。そもみなし粟とはいかにひろひのこせる秋やへぬらんのこゝろばへなりとや。おふのうらなしならば、なりもならずもいひもこそせめ、といひつれと、こまの爪のとなりかくなりと猶いひやます。よって右のそゞるごとを、序なりとも何となりとも名づくべしと、あたへければうなづきてさりぬ。

江上隠士 素 堂 書

入集句(抜粋)

 改 正

  • 新年の御慶とは申けり八十年    釋 任口
  • 誰やらが形に似たりけさの春    芭蕉
  • 桑さして榮行畑や老の春      杉風
  • 元日や家にゆづりの太刀帯ン    去来
  • 鶯や雑煮過たる里つゞき      尚白
  • おもしろの春有かたき日和哉    千春
  • 日の春をさすがに鶴の歩哉     其角
  • 年の花富士はつぼめるすがたかな  麋塒 

  (高山伝右衛門)

 遊大音寺

  • 梅が香や乞食の家ものぞかるゝ   同
  • 梅の花義経になりし姿かな     曲水

 老 慵

  • 蠣よりは海苔をば老の賣もせで   芭蕉
  • 蕗のとうほうけて人の詠かな    嵐雪
  • 路くは束ねてもちる杉菜かな    沾徳

 旅 行

  • くりかへし麥のうねぬふ小蝶哉   曾良
  • 青柳にいよく睡るこてふ哉     嵐蘭

 草 庵

  • 花の雲鐘は上野か浅草か      芭蕉
  • 木の間より花のものいふいんこ哉  風虎

 詠二唯一心一

  • 妻にもと幾人おもふ花見哉     破笠
  • 我年の花にはこりぬ小袖かな    蚊足

 春 興

  • 川盡て 流るゝさくら哉( =カジカ) 露沾
      

 甲斐山中

  • 山賤のおとがい閉るむぐらかな   芭蕉

 草庵の月見

  • 名月や池をめぐつて夜もすがら   同

 聴 閑

  • 簑虫の音を聞に来よ艸の庵     同

 聞にゆきて

  • 何の音もなし稲うちくふて螽哉   嵐雪

 十月十一日餞別會

  • 旅人と我名よばれん初霽(霽=シグレ)  芭蕉

 秋山二句

  • 甲斐がねや見直す秋の夕哉     露沾

 甲斐山中にさまよひ

  ける夜、宿かりぬべき

   かたもなくて

  • 刀さげてあやしき霜の地蔵哉    破笠
  • 春もはや山吹しろく苣苦し     素堂

 烏山を送る

  • もろこしのよしのゝ奥の頭巾哉   同
  • 芭蕉いづれ根笹に霜の花盛     同
  • 市に人てしばし心を師走哉     同

 閑

  • 年の一夜王子の狐見にゆかん    素堂
  • 晦日くや五念の入て大晦日     蚊足
  • 月雪とのさばりけらしとしの昏   芭蕉

不易流行についての書文献

 素堂の序は、景の流行に対し情の重要さを説き、時の花(流行)のみでなく、終りの花(不易)の涵養の大切さをいう、特に師たるものにとってはというのは、宗匠になった其角へのはなむけの言葉と聞こえる。 (『俳文学大辞典』石川八郎氏)
 素堂の序に「風月の吟たえずして、しかももとの趣向にあらず」とあるのは、俳諧の推移を説いたものであり、「景の中に情をふくむ」というのは、本質論としても注目される。 (『俳諧大辞典』)


『三冊子』

 師の風雅に萬代不易あり、一時の変化あり。この二つに究まり、その本 一なり。その一といふは、風雅の誠なり。不易をしらざれば實に知れるに あらず。不易といふは、新古によらず変化流行にもかゝわらず、誠によく 立ちたる姿なり。代々の歌人を見るに、代々その変化あり、また新古にも わたらず、今見る所むかし見しにかはらず。あはれなる歌多し。これまづ 不易と心得べし。また千變萬化するものは自然の理なり。變化にうつらざ れば風あらたまらず。ここに押し移らずといふは、一端の流行に口質(く

ちつき)時を得たるばかりにて、その誠をせめざる故なり。  

せめず心をこらざるもの、誠の變化を知るとばかりいふ事なし。たゞ人に あやかりて行ふのみなり。せむるものはその地を足をすゑばたく、一歩自然に進む理なり。行末いく千變萬化するとも、誠の變化は皆師の俳諧なり。かりにも古人の涎をなむる事なかれ、四時の押し移るごとく物あらたまる、皆かくのごとしとともいへり。    …

筑波大学、黄東遠氏著『山口素堂の研究』

 (略)『続虚栗』(貞享四年)の時期に、其度は蕉門の誰よりも早く「姿 情論」に当たる俳論を唱えていたのである。(略)芭蕉が『奥の細道』の行

脚を終え、京都の落柿舎等で弟子に語り、後年、去来・土芳等の蕉門の門人 によって論議された「不易流行」が、初めて、素堂によって提唱されたので ある。「まことに景の中に情けをふくむものかな」のような景を重んじる素 堂の詩観、また「不易流行」に当たる理論は、芭蕉をはじめ、蕉門の人々に 大きな影響を及ぼしたものと考えられる。

  『俳聖芭蕉』野田要吉(別天)氏著 

 (略)『続虚栗』は其角が、前に敢行した『虚栗』の續篇として撰集したもので、(略)この集の序文は山口素堂が筆を執っている。

 續虚栗の発刊が、芭蕉の『笈の小文』の旅の出発後であったから、芭蕉に代わって素堂が書いたのであろう。   

 あるは上代めきてやすく、すなほなるもあれど、たゞにけしきのみをいひてなして情なきをや。古人のいへる事あり、景のうちに情けをふくむと。(中略)又きゝしことあり、詩や哥や心の繪なりと、野渡無人船自横、月おちかゝるあはぢ嶋山などのたぐひ成べし。云々

 と云ってゐるのは景情備はるの句を佳しとする素堂の意見にして、又當時の芭蕉発句の傾向を窺ひ見るべきものと思はれる。げに、これを虚栗の佶屈な調に比すれば大體に於て句調穩雅和平にして、内容的にも藝術味の饒かなものが重きをなしている。古池の句に依り開かれた芭蕉の俳諧精神が、暫くの間にかくも感化の及んだことは、當時の俳人の努力の然らしめる所であろう。  

  『百花譜』森川許六著  

  當世の人の花過、古人の實過ぎたる、いづれの時か花實兼備の世あらん。或人問云く、

  當時人情の花にうつり、鳥に心を動かし易きは、ことぐく此文章につい 

  きて、始めは人の耳目を動かし侍る。今先生が歎くところの俳諧の實はいかなることをいふにかあらん。おぼつかなし、はやくこれを明にし、俳諧の大道に悟入させよ。  

   答へて曰く、

  それ實のかたちいはむ、茄子の顔のぶつくとしたる、實性の人の髭元よりくるしく、もしあつき題の歌よまむと思はゞ、はやく此もとに立ちよるべし。へめ姫瓜の丸顔はごんちゃ風の俤あり、ひさごの青ざめたる、熟柿   のあから顔、下戸上戸はふるくして、今様は是をとらず、日焼けの梨のじゃくれたる座當のあたまこそ、俳諧の實には窮り侍る。    

コンテンツ


明徴探題



アクセスカウンタ

この個人サイトの著作権は、特に断りのない限り清水三郎にあります。©1999-2005