山梨文学講座 山口素堂と小林一茶(2)小林一茶は寛政七年四国で素堂の句に出会った。
1、『末若葉』うらわかば 発句一入集。其角編。 青海や太鼓ゆるまぬ春の聲 素堂
註1 肅山より、探雪の絵に讃を望まれし折の吟、芭蕉の琴、其角の笙の讃句と連ね出せり (『元禄名家句集』) 註2 この句は、探雪の絵に、素堂「太鼓」、芭蕉の「琴」、其角「笙」との三幅一軸がある。小林一茶も四国でこの軸を見ている。
2、 参考資料 『芭蕉発句説業大全』葛飾素丸著。明和七年(1771)刊。 ちるはなや鳥もおとろく琴の塵 芭蕉
(前文略)然るに、往し年明和戌(三年/1766)秋、二六庵竹阿、四国九州の行脚終わりて、帰郷せるに、此説の検校せよとものせしに、一閲し、はたと手をうつて曰、此事實に的中せり。 我四国の漂泊の比、伊餘松山にて何某の家に傳へし三幅對の軸物あり、此句を中にして右は其角、左は素堂也と。予左右の句問に覚えずと云。 こゝにおいて(明和四年/1767)春すみやかに信をもとめ、かの松山何某の許へ言ひ送るに、卯月の末やうやき其報来る、是を見るに
楽器三幅對 畫 探雪筆 左 太鼓 青海や太鼓ゆるみて春の聲 素堂 中 琴 ちる花や鳥も驚く琴の塵 芭蕉 右 笙 けしからぬ桐の落葉や笙の聲 其角
こゝにおいて予始めて歓喜す。所持の人名いさゝか故障あれば略しくれよとの義により て出さず。手簡予が方にあり、疑ふ人は来りて見よかし。
3、 参考資料 勝峰晋風氏著「小林一茶の研究」。『日本文学講座』巻三所収。
(前文略)遺稿の寛政紀行では翌七年の歳旦は讃岐の観音寺で迎へてゐる。そこの浄土宗専念寺の僧五梅は竹阿の門人なので、一茶は別して昵懇して九州へ落ちる前にも寄宿したと見えて、紀行に「已四とせの昵近とは也けらし」と記している。竹阿の供養塔もこの寺に建立されて居た。「塚の花にぬかづけば古郷なつかしや」は塔前低徊の吟である。宗艦の一夜庵を杖をとめて師馬光の十三囘忌を遙拝し、琴弾山の麓十三堂の境内に芭蕉の早 苗塚を建立した際の「二つ笠」の序文を書いたりしてゐる。一茶はさだめし懐舊の泪をすゝったであろう。伊餘の勝山には曉臺門の樗堂がその庵を構へて居た。紀行に「十五日松山二疊庵に到る」とあるだけだが、樗堂の事は又あとで書く。この松山に竹阿の友の春に出詠して一茶より先輩格の魚文が住居した。一茶は魚文亭で素堂、芭蕉・其角の三幅對を鑑賞している。これは其角著の「うら若葉」に提出あるもので松山藩の家老久松肅山の需によって狩野探雪筆の太鼓と琴と笙との畫讃に、三人がそれぐその句を題したのだ。 青海や太鼓ゆるみて春の聲 素堂 ちる花や鳥も驚く琴の塵 芭蕉 遂鳳凰 けしからぬ桐の落葉や笙の聲 其角
といふので、大阪の素風家土居 吉郎氏の所蔵する逸品である。一茶の鑑定書とも見るべき考証の禮讃の句を書添へて、それが二枚の紙に別々に認めてある。紀行には前文を逸するのでここに紹介しょう。 玉櫛笥二名の島に住ませる六々亭は、亡師も休もりたまはりし家にしあれば、やつがれもこたびはた筑紫のかへるさ訪ひ侍りきに、こや鳥が鳴吾妻ゆもきゝつたひたる三軸のありて、とみにおろがみたいまつるに、あが、ねぎごとのとゝなへる日にぞありける。
正風の三尊見たり梅の宿
とあるが、うら若葉には芭蕉の句を前に掲げて前文あり、左素堂、右、其角の断り書が附いてゐる。一茶は別紙に、「是は三幅對の配り違アリ」と注意したのは、うら若葉を参照してこれを真蹟と見たる証左である。云々
筆註 … この「三幅對畫讃」について、その真蹟が『日本文学講座』「巻三」の巻頭にその写 真が掲載されている。 |
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