2005年3月28日・3月31日

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青森県 五所川原市+金木町+市浦村=五所川原市 (新設合併、05年3月28日)

津軽半島の付け根にある五所川原市、金木町と、半島の北西部にある市浦村の3町村が飛び地合併し、1つの市になりました。
人口は、五所川原市が約48700人、金木町が約10600人、市浦村が約2700人です。
02年4月、金木町・中里町・小泊村・市浦村は任意協議会を設置しました。03年2月には法定協議会に移行します。
新町の名称については、「奧津軽」「北津軽」「あすなろ」「十三湖」「北の(町)」「美郷」「津軽」「太宰」から、「十三湖町」を選定。新町役場の
位置を金木町役場とするなど、協議が進んでいました。
しかし、市浦村が職員不足を理由に、合併を控えた時期になって職員の新規採用を打ち出したことに、金木町が反発。03年12月、金木町は、この枠組み
殻の離脱を表明しました。04年1月、4町村の法定協議会は解散します。
市浦村は、4町村の法定協議会でも五所川原市を枠組みに加えるよう求めていました。04年3月、市浦村は五所川原市に合併協議を申し入れます。
一方、金木町は小泊村から中里・金木の3町村での法定協議会設置を求められ、五所川原市との枠組みとの選択で揺れ動きます。金木町は住民アンケート
を実施。「五所川原市などとの合併」が46%を占め、「金木・中里・小泊との合併(30%)」「合併しない(18%)」を大きく上回りました。その結果を受け、
金木町も五所川原市を含む枠組みに方針転換。中里町にも参加を呼びかけ、飛び地合併を解消しようとしました。
しかし、中里町で04年4月に実施された住民アンケートの結果、「小泊村などとの小規模合併(金木町などを含む)」が59%となり、「五所川原市などとの
合併」の41%を上回ったため、中里町は五所川原市を含む枠組みを拒否。小泊村との2町村での合併をめざすことになります(次項参照)。
以上の結果、五所川原市・金木町・市浦村の3市町村の枠組みが固まり、04年7月、法定協議会を設置します。
合併の方式については、特に異論無く新設合併に決まりました。
新市の名称については、小委員会で議論された結果、五所川原市を提案した上で、賛否や別の名称を問う住民意向調査を実施することになりました。
<住民意向調査結果>
「五所川原市」に賛成 1733       別の名称を希望 66
以上の結果を踏まえ、「五所川原市」とすることを提案。協議会でも異論無く承認されました。
新市役所の位置についても、小委員会で議論されました。本庁舎を五所川原市役所とすることでは、特に異論はありませんでしたが、分庁方式と
するか総合支所方式とするかは、意見が分かれました。小委員会では決着がつかず、3首長の協議に委ねることになりました。協議の結果、総合支所
方式をベースとし、一部分庁方式も採用することにし、協議会に提案されました。協議会では異論無く承認されました。
なお、その後の調整で、金木町に教育委員会を置くことが決まりました。
議員の任期の扱いについても、小委員会で議論されました。在任特例を適用することは決まりましたが、在任期間は2年(五所川原市など)とすべきとする
意見と、1年8ヶ月程度(市浦村)とする意見が分かれました。また選挙区設置についても五所川原市が反対するなど意見が分かれました。
小委員会は、以下の内容でいったん意見集約しました。
・07年2月15日までの約1年10ヵ月半の在任特例。
・特例終了後の定数は30(法定上限)。
・初回の選挙に限り、旧市町村単位で選挙区を設け、五所川原20、金木7、市浦3とする。
定数配分は以前から市浦村が主張してきた案であり、かなり2町村に厚い配分です。
しかし、協議会に差し戻され、いったんこの合意事項を白紙に戻し、再審議することになりました。
五所川原市は、選挙区は設置すべきでないと考えるが、仮に選挙区を設置するのであれば、1票の格差が2倍を超えない範囲として、五所川原21、
金木7、市浦2とすべきという案を提示しました。金木町は賛同しましたが、市浦村は拒否し、もしその定数配分にするのであれば、選挙区を設置しないほうが
よいと主張しました。それを受けて金木町も選挙区設置しないのもやむなし、といった判断に傾きました。
最終的に、選挙区の設置については、在任特例期間中に決定することとし、問題を先送りすることで3市町村が合意しました。また在任期間中の報酬につい
ても合併前の水準を維持することで合意しました。
以上の調整の結果、以下の内容で協議会に提案され、承認されました。
07年2月15日までの約1年10ヵ月半の在任特例
特例終了後の定数は30(法定上限)。
04年10月、全ての協議が終了し、合併協定書に調印しました。

青森県 中里町+小泊村=中泊町 (新設合併、05年3月28日)

津軽半島の中部にある中里町が、半島の北西端にある小泊村と、飛び地合併しました。
人口は、中里町が約10500人、小泊村が約4000人です。
前項(五所川原市などの合併)に述べた経緯を経て、04年1月、金木町・市浦村との法定協議会は解散されます。小泊村は04年2月に住民アンケートを
実施。村の示した「金木・中里・小泊」の枠組みに、65%の賛成を得ました。中里町の住民アンケートでも、前項に述べたとおり、小泊村などとの小規模合併
が多数を占め、2町村の枠組みが動き出します。
04年6月、2町村は法定協議会を設置しました。
新町の名称については、全国公募を行いました。その結果を踏まえ、小委員会は以下の5候補を協議会に提案しました。
「美里」「みちのく」「小里」「稲海」「中泊」
協議会では委員による投票を行い、「美里」「稲海」「中泊」の3点に絞りました。この3点から住民に葉書で投票してもらい、最多となった名称に決める
ことになりました。
<住民投票結果>
1位 中泊 1168件      2位 美里 713件      3位 稲海 292件
以上により、「中泊町」に決定しました。
新町役場の位置については、中里町役場に決まりました。
議員の任期の扱いについては、小委員会で議論されました。両町村議会の意見を集約した結果、以下の通りとなり、そのまま協議会に提案されました。
07年1月15日まで在任特例を適用
特例終了後の定数は20(法定上限は22)
・最初の選挙に限り選挙区を設け、中里13、小泊7とする。(人口比より小泊に厚く配分)
協議会では小委員会の報告の通り承認されました。
04年10月、全ての協議が終了し、合併協定書に調印しました。

青森県 蟹田町+平舘村+三厩村=外ヶ浜町 (新設合併、05年3月28日)

津軽半島北東部の3町村が合併して1つの町になりました。蟹田・平舘と三厩の間に挟まっている今別町は、この合併に参加しないため、三厩は飛び地と
なってしまいました。
人口は、蟹田町が約3800人、三厩村が約2400人、平舘村が約2300人です。
02年7月、3町村と今別町・蓬田村の5町村は、任意協議会を設置。合併に向けた検討を進めましたが、03年3月にこの枠組みは崩壊してしまいます。
3町村は今別町を含めた合併を望みましたが、今別町は三厩村との2町村での合併を志向していたため、話し合いが付かず、結局、3町村で「飛び地合併」
を強いられることになりました。04年8月、3町村は法定協議会を設置します。
新町役場の位置については、蟹田町役場とすることで特に異論は無く、承認されました。
議員の任期の扱いについては、各議会の意見が分かれました。蟹田町議会は「06年11月までの在任特例、特例終了後の定数は18(法定上限)とし、
選挙区を設け、人口比例配分で蟹田8、平舘5、三厩5」、平舘村議会は「07年3月までの在任特例、特例終了後の定数と選挙区ごとの配分は、
(1)蟹田7、平舘5、三厩5の17、(2)蟹田7、平舘5、三厩6の18、の2案」、三厩村議会は在任特例適用と特例不適用で意見が分かれました。一方、
民間委員からは、「特例を適用せず、定数16とし選挙区設置、人口割で配分」という案も出ました。
結局、「2年間の在任特例、特例終了後の定数は14とし、初回選挙のみ選挙区を設置(蟹田6、平舘4、三厩4)」とする、在任特例を適用する
代わりに、定数を大幅削減した案が提出され、承認されました。
新町の名称
は、全国公募を行いました。旧3町村の名称は候補から除外しています。
小委員会は、公募結果から以下の5点を選定し、住民アンケートを実施しました。
「海峡町」「海幸町」「風の(風野)町」「外ヶ浜町」「龍飛(竜飛)町」
結果は以下の通り。
1位 竜飛(龍飛) 345件     2位 海峡 260件      3位 外ヶ浜 192件      4位 風の(風野) 178件     5位 海幸 129件
小委員会はこの結果を踏まえ、協議会に「竜飛町」を提案しますが、協議会では、平舘村が「竜飛は一地域の名称に過ぎず、3町村に共通する名称にすべき」
と主張し反対。一方、蟹田・三厩の両町村は「竜飛」を推したため、議論は平行線をたどり、なかなか決着は付きませんでした。
そこで小委員会は、「竜飛」の提案をいったん取り下げ、再度「海峡」「外ヶ浜」「竜飛」の3点を提案。3町村長に一任することになり、3町村長の協議の結果、
3町村に共通する名称として「外ヶ浜町」を提案、全会一致で承認されました。「外ヶ浜」は津軽半島の東海岸を示す古くからの呼称です。
04年11月、新町の名称を最後に全ての協議が終了。合併協定書に調印しました。

青森県 藤崎町+常盤村=藤崎町 (新設合併、05年3月28日)

弘前市街地の北東に位置する2町村が合併して1つの町になりました。
人口は、藤崎町が約10000人、常盤村が約6600人です。
この2町は、当初は弘前市を中心とした広域合併を目指しており、03年11月、弘前市・黒石市など12市町村で法定協議会を設置しました。この協議会は
合併の方式を「新設合併」、新市の名称を「弘前市」、新市役所の位置を「弘前市役所」などと決めていましたが、議員の任期の扱いで協議が暗礁に乗り上げ
ました。弘前市以外の11市町村が在任特例適用(議員数201人)を求め、在任特例適用に難色を示す弘前市との間で対立が解けなかったのです。また
枠組みに財政状況が困難な市町村が含まれていたことから、合併しても財政状況が好転しないことも、合併協議を消極的にさせました。
04年7月、弘前市など12市町村の法定協議会は解散してしまいます。
藤崎町は、2町村を含む南津軽郡の7町村での枠組みを提唱しましたが、財政状況が厳しい大鰐町を除外すべきだとする意見や、2町での合併を志向する
平賀・尾上両町などの動きもあって、9月にこの枠組みでの合併を断念。
04年10月、2町村で法定協議会を設置しました。
合併の方式は新設合併とし、新町役場の位置藤崎町役場とすることにしました。
新町の名称は、公募を行い、小委員会が以下の5候補を選定し、協議会に報告しました。
「藤常盤(ふじときわ)」「藤盤(ふじわ)」「安東」「藤崎」「ふじ米(まい)」
ちなみに、藤崎町はりんご「ふじ」の発祥の地として知られています。
協議会では、常盤村の委員から、「村議会の特別委員会などで協議したところ、大方の同意が得られた」として藤崎町を推す意見が述べられ、
特に異論は無く、「藤崎町」に決定しました。
議員の任期の扱いについては、常盤村が在任特例の適用を主張。1年4ヶ月の在任特例を適用した上で、特例終了後の定数は18(法定上限は22)と
すること、議員報酬は月額で5000円安い常盤村の水準に合わせることで両議会が一致し、協議会に提案されました。協議会でも原案通り承認されました。
04年12月に全ての協議を終了。05年1月15日に合併協定書に調印しました。その後1月17日に2町村議会で議決、2月23日に県議会で議決、
3月14日に官報告示と、非常に短期間で合併にこぎつけました。

茨城県 下館市+関城町+明野町+協和町=筑西市<ちくせいし> (新設合併、05年3月28日)

茨城県南西部の下館市と、東から南に隣接する3町が合併して、新しい市になりました。
人口は、下館市が約64000人、明野町が17000人強、協和町が17000人弱、関城町が16000人弱です。
この地域も合併の枠組みをめぐり、二転三転しました。
01年5月、協和町は東に隣接する岩瀬町・真壁町・大和村と任意協議会を設置します。
しかし02年6月になって、4町村の任意協議会は解散し、結城市・下館市・関城町・明野町を加えた8市町村で研究会が設置されます。
03年3月、下館市・関城町・明野町・協和町の4市町の枠組みで準備会を設置。4月に法定協議会設置議案が4市町の議会に提案されますが、
3市町は可決したものの、協和町が否決しました。
03年6月、協和町を除く3市町で法定協議会が設置されます。
03年7月、協和町は合併に関する住民アンケートを実施、「下館市・関城町・明野町との4市町」が53%を占め、「岩瀬町・真壁町・大和村との4町村」の38%を大きく
上回りました(残りの約10%は「合併に反対」)。これを受けて、協和町も下館市などの法定協議会に参加する意向を固め、03年8月に法定協議会へ協和町が
加入。4市町の枠組みが固まりました。
新市役所の位置は、異論なく下館市役所に決まりました。各町役場の支所機能については、事務局は、支所の窓口機能を充実させた本庁方式(総合支所方式と
本庁方式の中間ぐらいのイメージ)を提案しました。それに対し、明野町などは当面は総合支所方式としてほしいと要望。協和町は分庁方式を主張しました。
明野町と関城町はその後原案支持に転換したものの、協和町は最後まで抵抗しました。しかし、最終的には協和町も原案でやむなしと折れ、原案通り承認されました。
新市の名称については、4市町の名称は除外した上で全国公募することになりました。既存の名称の除外については、各市町とも異論はありませんでした。
結果は以下の通り。
<公募上位>
1位 北つくば 203件     2位 しあわせ 193件     3位 筑西 173件    4位 小貝 82件    5位 西茨城 69件    6位 北筑波 53件
小委員会は、以下の10点を候補として協議会に報告しました。
「北つくば」「筑西」「小貝」「筑波野」「にいばり」「あけぼの」「波山」「常陸野」「新茨城」「平成」
協議会では、まず10候補から、委員が1人5候補ずつ投票し、5つに絞ることになりました。
<第1回投票結果>(以下白票略)
筑西 33   北つくば 19   筑波野 18    小貝 14    にいばり 13    あけぼの 11    波山 7   常陸野 5   新茨城 3   平成 0
これで、「筑西」「北つくば」「筑波野」「小貝」「にいばり」の5候補になりました。
さらに5候補から、委員が1人3候補ずつ投票し、3つに絞ることになりました。
<第2回投票結果>
筑西 31   筑波野 17   北つくば 12   小貝 11   にいばり 11
これで、「筑西」「筑波野」「北つくば」の3つになりました。
3候補から1人1点を選ぶ最終選考の投票が行われました。
筑西 25   筑波野 14   北つくば 3
投票の過半数を占めた「筑西市」に決定しました。
議員の任期の扱いについては、4市町の議会で議論した結果、いずれの議会も「在任特例2年適用、特例終了後の定数は法定上限の34」を主張しました。
民間委員も、下館市の一部委員が特例終了後の定数を30とすべきという意見を述べたものの、大勢は議会の主張を支持。「在任特例2年適用、特例終了後の
定数は34」で承認されました。
04年5月に全ての協議を終了し、合併協定書に調印しました。

茨城県 取手市+藤代町=取手市 (編入合併、05年3月28日)

茨城県南部の取手市が、北東に隣接する藤代町を編入しました。人口は、取手市が約80000人、藤代町が約33000人です。
この合併は、96年10月に藤代町で取手市との法定協議会設置を求める住民発議が行われたことに端を発しています。しかし取手市は、このときは法定協議会
設置議案を議会に付議せず、代わりに任意協議会の設置に同意しました。96年11月、任意協議会が設置され、合併協議がスタートします。
97年12月、藤代町議会は法定協議会設置議案を可決しますが、取手市は応じませんでした。00年3月にも藤代町議会は設置議案を可決しましたが、またもや
法定協議会は設置されませんでした。これに前後して、取手市議会でも法定協議会設置を求める陳情が採択されていましたが、両市町の間で、なかなか合意が
成立しなかったのです。
01年3月になってようやく法定協議会設置案が両議会に提出され、可決。01年4月に法定協議会が設置されます。
協議会は、まず合併の方式や新市の名称、新市役所の位置などから議論に入りました。
合併の方式については、藤代町側は、一部に編入合併を容認する意見があるものの、大勢としては対等合併(新設合併)を主張。取手市側はそれに慎重な姿勢を
示しました。
取手市議会内は編入合併と新設合併で意見が分かれたものの、大勢は編入合併でした。新設合併とし在任特例を適用すると、議員の任期を延ばすために新設
合併を選択したと非難されかねないというのです。取手市民は、もともと藤代が頼んできた合併だととらえており、新設合併にする必要はないという認識でした。
一方、藤代町の委員は、過去の任意協議会や取手市議会で取手市長が「新設合併やむなし」と発言したことから、新設合併となるものだと期待して、法定協議会に
入っているのだから、急に方針変更されても困ると主張。議論は平行線をたどりました。
徐々に藤代町内にも、編入合併に理解を示す意見が出てきてはいたのですが、町長はあくまで対等合併を強く主張していました。
この間、新市建設計画のもととなる「新市まちづくり計画」が、両市町の住民で構成される市民会議により作成され、協議会に報告されました。
02年5月の第7回協議会で、いったん合併の方式を棚上げして、事務的な細かい項目から議論に入るよう仕切り直しをして、地方税の扱いなど2項目については
承認されました。しかし、あくまで合併の方式を先に決めるべきだとして、冷却期間を置いて住民の声を聞くべきとの意見が出ました。
この協議会から1年間、協議会は休止状態に陥ります。
03年3月になって、両市町議会が合併協議再開の陳情を採択、03年4月の統一地方選で取手市長が交替、などの経過があって、03年5月、法定協議会が
再開されます。
4月に就任した取手市長が藤代町長と協議して、合併の方式について、「対等合併・編入方式」とする調整案をまとめ、協議会に提案しました。法的な方式と
しては編入合併とするが、協議を進めるにあたっては対等の立場で行う、とするものです。急転直下、両市町の対立が収まった背景には、前取手市長と
藤代町長との間のわだかまりが、市長交替によって無くなったことも背景にあるようです。
協議会では、共産党の市議・町議出身委員2名が反対意見を述べたものの、他の委員は異論は無く、採決の結果賛成多数で承認されました。
新市の名称については、「とりで市」を主張する委員もいましたが、採決の結果、29名中26名の賛成で「取手市」に決定しました。
新市役所の位置については「現在の取手市役所」が提案されました。一部の委員からは手狭であることを理由に、他の場所に移った方がよいのではないか、
などとする意見も出ましたが、採決の結果30名中27名の賛成で承認されました。なお、藤代町役場は分庁舎として、農業委員会・教育委員会が置かれること
になりました。
議員の任期の扱いについては、藤代町議会としては、在任特例を適用してほしいという意向でした。民間委員からは、在任特例を適用しつつ、特例終了後の
選挙では定数を30程度に抑制するという案が出ました。
在任特例を適用すると、取手市議の任期満了である08年2月まで、藤代町議18人全員が取手市議になることになります。一方、定数特例の場合は、増員
選挙の定数は11人となります。ちなみに新・取手市の法定上限は34ですが、在任特例では定数44、定数特例では定数37となります。
取手市議会は、以上の議論を踏まえ、「在任特例を適用する。特例終了後の選挙(08年)の定数を28とする」ことで意見集約。藤代町議会も同意し、
協議会に提案、27名中24名の賛成で承認されました。
在任特例期間中の報酬については、法定協議会が第三者機関を設けて審議しました。答申は「旧市町の報酬のままとする」というものでしたが、藤代町議会
の議長は「1国2制度は認められない」と激しく反発しました。しかし、他の藤代町議は不満ながらも答申尊重やむなしという姿勢でした。採決時に藤代町議の
2名が離席し、27名中25名の賛成で答申通り承認されました。
04年6月に全ての協議が終了、住民説明会を経て、10月に合併協定書に調印しました。

茨城県 霞ヶ浦町+千代田町=かすみがうら市 (新設合併、05年3月28日)

土浦市と石岡市に挟まれた位置にある2町が合併して、新しい市になりました。
人口は、千代田町が約27000人、霞ヶ浦町が約18000人です。
03年2月、2町と土浦市・新治村は4市町村での合併をめざし、合併準備会を設置。5月には任意協議会となります。しかし、03年8月、4市町村の任意協議会は
解散してしまいます。2町は住民懇談会などを経て、2町での合併をめざし、動き始めます。
03年12月、2町で法定協議会を設置します。
新市役所の位置については、庁舎が比較的新しく(それでも1974年竣工)、かつ延床面積も広く、利便性も高い千代田町役場とすることが提案され、異論無く
承認されました。
新市の名称については、両町の名称も除外せず、全国公募を行いました。公募結果を踏まえ、小委員会が以下の10候補を選定し、協議会に報告されました。
「かすみ」「かすみがうら」「かすみが浦」「霞ヶ浦」「千代ヶ浦」「ちよだ」「千代田」「にいはり」「新治」「東つくば」
新治(にいはり)は2町の属する郡名です。
2町で2候補ずつ選んで、持ち寄ることになりました。
霞ヶ浦町は、「霞ヶ浦」と「かすみがうら」を推し、一方千代田町は「にいはり」と「かすみがうら」を推しました。千代田町が「霞ヶ浦」を回避したのは、旧町名と同一
であるべきではない、との見解と思われます。
両町の町長・議会議長・議会特別委委員長・住民代表1名の計8名で代表者会議が組織され、審議されました。
その結果、「かすみがうら市」でまとまり、異論無く承認されました。
議員の任期の扱いについては、まず両町議会で意見集約を行うことにしました。千代田町議会では、特例不適用や在任期間短縮の意見はあったものの、在任
特例2年が多数を占めました。特例終了後の定数についても法定上限の26が多数を占めました。一方、霞ヶ浦町議会でも、在任特例が多数を占めましたが、
在任期間は早い方の千代田町議会の任期満了に合わせて1年10ヶ月でよい、との意見でした。なお特例終了後の定数は同じく26としました。
民間委員からは、特例終了後初回の選挙は26でもよいが、次の選挙では削減することを盛り込んで欲しい、という要望が出ました。
まず、在任期間の差異については、霞ヶ浦町議会の結論をとり、1年10ヶ月とすることで、千代田町議会も合意。「1年10ヶ月の在任特例、特例終了後の定数は
26」で承認されました。ただし、特例終了後2回目以降の定数については、削減する方向で検討することを付記しています。
04年10月に全ての協議が終了、合併協定書に調印しました。

栃木県 氏家町+喜連川町=さくら市 (新設合併、05年3月28日)

栃木県中部、宇都宮市の北東にある2町が合併して、新しい市になりました。人口は、氏家町が約30000人、喜連川町が約11000人です。
2町は当初、矢板市・塩谷町・高根沢町を含む5市町の枠組みで合併を検討してきました。しかし03年3月、高根沢町は宇都宮市などとの合併をめざし、4月に
設置予定だった研究会に不参加を表明。この枠組みから離脱します。
03年4月、残された4市町で研究会を設置します。しかし氏家町は、高根沢町が抜けた枠組みには余り乗り気でなく、6月には離脱を宣言します。この動きに
喜連川町も呼応し、2町での合併に向けた動きが始まります。6月から7月にかけて、両町は住民アンケートを実施し、2町合併への町民の支持を確認。
03年8月に法定協議会を設置しました。
新市役所の位置については、「氏家町の方が人口が多く、今後も人口差は拡大が見込まれること」、「駅や他の官公署に近く利便性が高いこと」などを理由に
氏家町役場を当面の本庁舎とすることを提案し、承認されました。新庁舎の建設については、再度の合併の可能性もあることから、合併後に建設の是非を
検討することとし、当面は氏家町役場の改修で対応することにしています。
なおその後の協議で、一部分庁方式を併用し、教育委員会については喜連川支所(喜連川町役場)に置くことが決まっています。
新市の名称については、まず2町の名称を使わず、新たな名称とすることを決めました。その上で全国公募を実施しました。結果は以下の通り。
<公募上位>
1位 氏川   2位 氏喜(うじき)   3位 さくら   4位 桜   5位 みどり
上位2点は、両町の名称から1字ずつ取ってつなげたものです。また、勝山城址・鬼怒川堤防・お丸山公園など、2町には桜の名所が多いことから、桜にちなむ
名称も上位に入っています。
幹事会は、上記の公募上位5点と以下の7点の計12候補を協議会に提案しました。
「南塩谷」「八汐」「桜城(さくらぎ)」「塩野谷」「新氏喜(にしき)」「氏喜(うき)」「氏喜川」
協議会では、3回の投票(予備選定)で、「氏喜(うじき)」「さくら」「塩野谷」の3候補に絞られました。
この3候補で投票による本選定が行われ、以下の結果となりました。
<投票結果>
さくら 17     氏喜(うじき) 1     塩野谷 1
以上により、「さくら市」に決定しました。
議員の任期の扱いについては、両町議会と両町の住民団体に意見を求めたところ、いずれも在任特例適用が妥当との判断でした。また在任期間と特例終了後の
定数については、住民団体は議会の調整に委ねるとの意見でした。
そこで協議会は、まず在任特例を適用することを決め、在任期間と特例終了後の定数については、両町議会で調整することになりました。
まず、特例終了後の定数は24(法定上限は26)に決まりました。しかし在任期間については、住民感情を考慮し短縮を求める意見が出され、協議が難航しました。
地域審議会との関係も議論されましたが、最終的に05年度の決算を見届けることが出来る期間として、06年11月30日まで(約1年8ヶ月)とすることを決め、地域
審議会は設置しないこととしました。
04年5月に全ての協議を終了、7月に合併協定書に調印しました。

群馬県 太田市+尾島町+新田町+藪塚本町=太田市 (新設合併、05年3月28日)

群馬県南東部の太田市が西に接する3町と合併して、1つの市になりました。
人口は、太田市が約15万2千人、新田町が約2万9千人、薮塚本町が約1万9千人、尾島町が約1万4千人です。
00年以降、桐生市と太田市は、それぞれ周辺の町村と合併に向けた検討を進めていました。
02年5月、太田市・尾島町・新田町・薮塚本町・千代田町・大泉町の6市町は任意協議会を設置しました。
02年9月、大泉町は邑楽郡3町での合併をめざし、千代田町・邑楽町に合併協議を呼び掛けます。しばらくは6市町と3町の枠組みが並行しましたが、
02年12月、大泉町と千代田町は相次ぎ任意協議会を離脱。枠組みは4市町になります(邑楽郡3町の合併は結局協議が中断し、特例法期限内は断念)。
03年2月には、合併の方式を新設合併、新市役所の位置を太田市役所とすることを決定しています。
03年5月、桐生市と笠懸町が加わり、枠組みは再び6市町になります。桐生・太田の群馬県南東部の2都市が、とうとう手を結んだのです。
しかし、法定協議会に移行する段になって、まず笠懸町が法定協議会への不参加を決めました。町議会で反対派が10、賛成派が6となり、法定協議会設置議案が
可決できない見通しとなったためです。一方、薮塚本町も「薮塚本町・大間々町・笠懸町」という3町の枠組みを支持する意見もあり(03年8月、3町で任意協議会を
設置)、法定協議会への参加を留保しました。
03年9月、太田市・尾島町・新田町・桐生市の4市町で法定協議会が設置されました。
桐生市との合併も視野に検討していた、新里村と黒保根村は、03年9月に東村との任意協議会を休止し、4市町の法定協議会に参加する意向を表明しました。
同月には薮塚本町で住民投票が行われ、「太田市・桐生市・尾島町・新田町との5市町での合併」が86%を占め、「大間々・笠懸との3町での合併」の14%を大きく
上回りました。
03年10月薮塚本町も4市町の法定協議会に参加する意向を表明、東村も同調しました。笠懸町や大間々町も参加に向けて住民投票を準備していました。
桐生市は新里村・黒保根村・薮塚本町・東村・笠懸町・大間々町を含む10市町村での法定協議会設置に前向きでした。
しかし、太田市議会は競艇問題などを理由に、4市町の枠組みを広げるのには慎重な姿勢を示しました。競艇問題とは、当時桐生市と阿左美水園競艇組合(笠懸・
大間々・薮塚本町の3町で構成)とが施行していた「桐生競艇」が赤字に陥っていた問題です。桐生市は03年度末をもって競艇事業から撤退することを決めましたが、
3町は競艇事業からの撤退で運営会社から多額の補償金を要求される恐れがあり、撤退することができるか微妙な立場でした。太田市議会はこの「負の遺産」を
新市に持ち込むことには反対だったのです。尾島町議会や新田町議会も同意見でした。また他町村を引き込もうとする桐生市の姿勢にも、強引だとする批判があがり
ました。
03年11月、4市町の首長・議会議長による合同会議で、ひとまず4市町の法定協議会は休止し、太田市・桐生市がそれぞれ別の枠組みで法定協議会を設置し、
合併を目指すことで合意しました。12月をもって4市町の法定協議会は休止されます。
03年12月、太田市・尾島町・新田町は3市町で法定協議会を設置しました。
新市役所は太田市役所で異論無く承認されました。その後の協議で、旧町役場については総合支所となることが決まっています。
続いて、薮塚本町の加入問題が俎上に上がりました。薮塚本町は競艇事業を行っている阿左美水園競艇組合に対し離脱を通告しました(この前の11月に笠懸町で
行われた住民投票で、競艇事業の廃止が反対多数となったため、競艇組合自体は存続が決まっていました)。笠懸・大間々両町側は離脱に難色を示したため、
即座には結論は出ませんでしたが、3市町は薮塚本町を加入させることで合意。04年2月に薮塚本町が加入し、4市町の枠組みとなりました。
新市の名称については、住民を対象に公募を実施しました。現在の4市町の名称も候補から除外しませんでした。結果は以下の通り。
<公募上位>
1位 太田 7422件     2位 新田 920件     3位 おおた 239件    4位 新太田 196件    5位 東毛 132件    6位 にった 60件
新田町では「新田市」が1位で「太田市」は2位でしたが、他の3市町では「太田市」が1位を占めました。
小委員会は、「太田市」「新田市」の2候補に絞り、協議会に報告しました。
新田町の委員は「新田市」を強く推しましたが、太田市などの委員は「太田市」を推し、決着がつかないため、投票に持ち込まれました。
<投票結果>
太田 23     新田 9
以上により、「太田市」に決定しました。なお、旧新田町域は、町名に「新田」を冠する(例:太田市新田金井町)ことにしました。
議員の任期の扱いについては、各議会で調整が行われました。
太田・尾島・薮塚本町の3市町は2年の在任特例適用を希望。新田町議会は05年1月に合併する予定であるのに対し、新田町議会の任期満了は05年2月15日で
あることから、2年の在任特例適用は住民の理解が得られないとして1年以内の在任特例を主張していました。
調整の結果、合併期日を05年3月(新田町議会選挙後)に変更することを前提に、「2年の在任特例適用、特例終了後の定数は38(法定上限)、在任期間中の
報酬は旧太田市議と旧3町議で2段階とする」案で合意。協議会に提出されました。まず、合併期日の変更は異論無く承認されました。
議員の扱いについても、新田町の民間委員から「本来は特例不適用とすべき、少なくとも在任期間の2年は長すぎる」とする異論が出されたものの、賛成多数で
原案通り承認されました。
04年4月に全ての協議が終了。6月に合併協定書に調印しました。

千葉県 柏市+沼南町=柏市 (編入合併、05年3月28日)

千葉県柏市が、東に隣接する沼南町を編入しました。
人口は、柏市が約33万4千人、沼南町が約4万7千人です。
02年4月、2市町は我孫子市を加えた3市町の枠組みでの合併を目指し、研究会を設置します。しかし03年2月までに我孫子市は合併協議から離脱します。
03年2月、2市町で合併検討会を設置。3月に結果が取りまとめられ、両市町は合併に向けた協議を進める方針を固めました。
03年7月、法定協議会を設置します。
合併の方式については、第1回協議会で、議論の予定にはなかったのですが、沼南町議会の委員から編入合併が提案されました。沼南町長も同意見でした。
一部の委員からは町民は新設合併を望んでいるとの指摘がありましたが、規模の差が大きいのは拭えず、第2回協議会で全会一致で「編入合併」に決まり
ました。
新市の名称については、異論無く「柏市」に決まりました。
新市役所の位置については、「本庁舎は柏市役所とし、沼南町役場は分庁機能を備えた支所とする」ことが提案されました。協議会では、分庁方式は効率が
悪いのではないかと指摘されましたが、財政的に新庁舎をすぐに建設できる状況ではなく、既存の柏市役所に支所機能に従事する職員を除いた旧沼南町職員
の全てを収容できないと説明され、全会一致で承認されました。
その後の調整の結果、分庁として、教育委員会が沼南町に置かれています。
議員の任期の扱いについては、在任特例を適用し、柏市議の任期満了日である07年8月31日まで、合併前の柏市議36人に加え、旧沼南町議18人も在任
することが提案されました。なお、次回選挙の定数は、40人を基本に在任期間中に調整(法定上限は46)することとし、報酬は柏市議の水準に合わせることと
しています。協議会委員からは、報酬を削減すべきではないかなどの意見が出ましたが、全会一致で原案通り承認されました。
04年5月に全ての協議が終了、7月に合併協定書に調印しました。

岐阜県 海津町+平田町+南濃町=海津市 (新設合併、05年3月28日)

岐阜県の南西部にある海津郡の3町が合併して、新しい市になりました。
人口は、南濃町が約17000人、海津町が約15000人、平田町が約8000人となっています。
この地域は、当初大垣市を中心とする広域合併を目指していましたが、02年2月に3町で検討会を設置。3町合併に舵を切ります。
02年10月、3町は法定協議会を設置します。
新市役所の位置については、小委員会で議論されました。
3町の庁舎で最も延床面積が広いのは海津町役場でした。また、3町の地理的中心という利点もあります。築年数については、いずれの庁舎も本館は古い
のですが、74年に竣工した海津町役場が比較的新しいということになります。しかし、人口は南濃町が最多です。
小委員会は、以下の通り意見集約し、協議会に報告しました。
・当分の間、現3町の庁舎を海津庁舎、平田庁舎及び南濃庁舎とし、分庁方式を採用した上で、各庁舎に総合支所的な機能を持たせる。
この間の事務所の位置(本庁舎)は、海津庁舎とする。
・統合庁舎(新庁舎)については、新市において検討する。
協議会では、大きな異論は無く、承認されました。
議員の任期の扱いについては、まず在任特例を適用することを承認。在任期間と特例終了後の定数については、議会の意見を聞いて決めることに
しました。3町の議会は、いずれも在任特例支持が多かったものの、平田町議会や南濃町議会には特例不適用という意見も多くありました。なお、
期間については南濃町議会は1年未満、平田町議会は1年半から2年を求めました。特例終了後の定数については、法定上限は26ですが、海津町議会は
20〜24、平田町議会は26と22が多く、南濃町議会は20が最も多い、といった状況でした。
その上で別室に民間委員を集め、議論したところ、在任期間は1年〜1年1ヶ月、特例終了後の定数は20という意見集約がなされました。
海津町・南濃町の議会はこの案で了解しましたが、平田町議会はあくまで在任特例2年、特例終了後の定数は26を主張しました。
しかし、平田町議会出身委員も、最後には主張を取り下げ、「1年1ヶ月の在任特例、特例終了後の定数は20」で承認されました。
合併の期日は、合併した場合3万人以上であれば「市」になれる特例が、04年3月末で切れることを前提に、04年3月29日を提案し、承認されました。
新市の名称が、最大の問題となりました。
まず全国公募が行われました。結果は以下の通り。
<公募上位>
1位 海津(かいづ、かいず) 677件    2位 三川(さんせん) 143件    3位 かいづ 125件   4位 南濃 103件  5位 木曽三川 57件
5位 治水 57件    6位 濃尾 40件    7位 輪中 38件    8位 水郷 26件    9位 西南 20件
小委員会は、以下の8候補を協議会に報告しました。
「かいづ」「海津」「木曽三川」「三川」「治水」「なんのう」「ひらた」「ひらなみ」
「ひらなみ」は応募件数が2件しかありません(漢字表記の「平南海」は16件)が、3町の頭文字をとったとして、候補に挙がりました。
協議会では、各委員が推薦する名称を述べ合いました。平田町は「ひらなみ」と「海津」を推す声が多く、海津町は「海津」が圧倒的で一部に「かいづ」、南濃
町は「なんのう」が多く、「ひらなみ」などもあるといった状況でした。
協議会は投票で決定することにしました。
<投票結果>
ひらなみ 13     海津 12     かいづ 1   無効 2   (その他の名称は0)
僅差でしたが、「ひらなみ市」に決定しました。なお、この時点では、旧3町の名称は、新市の町名としても残らないことになっていました。
03年6月、いったん全ての協議項目が承認されます。
しかし、南濃町と海津町で、新市の名称に反対する署名活動が始まりました。一方、平田町では大垣市などの法定協議会への加入を求める住民発議が
なされ、住民投票に持ち込まれる事態になりました。事態は一転して流動化します。
平田町の住民投票は、03年9月に実施され、法定協議会の加入に賛成が40%、反対が60%となり、この動きは収まります。なお南濃町でも同様の住民発議
がありましたが、こちらは安八町が議会に付議しなかったため、住民投票にまでは至りませんでした。
一方、新市の名称に反対する請願は、南濃町と海津町議会に提出され、南濃町議会は否決しましたが、海津町議会は可決してしまいます。請願に添えられた
署名数が、南濃町では約4400人でしたが、海津町では約9600人と人口の6割以上に達したことが影響したものと思われます。
この事態を受けて、03年7月、協議会は合併協定書の調印を延期することを決めます。海津町は町長・議会とも、新市の名称の再検討を協議会に要望
します。
03年10月、協議会は、新市の名称の変更や、それに伴う新市における町名の扱いの変更、合併期日の延期に伴う議員の任期の扱いなどを検討する小委員会を
設置します。
合併の期日については、再協議に時間がかかることから、05年3月末までに合併すれば3万人以上で「市」になれる、という改正法が施行されたことを踏まえ、
延期することを提案、承認されました。この時点での目途は04年10月1日でした。
小委員会は、新市の名称の再協議について検討しましたが、2案に分かれ意見集約できなかったため、両論併記で協議会に報告しました。
<案1>
 新市名の再考は行わないが、新市名の下に、旧3町の名称を付ける。「ひらなみ市 海津町」、「ひらなみ市 平田町」、「ひらなみ市 南濃町」。
<案2>
 新市名について、「ひらなみ市」と「海津市」のいずれに賛同するかについて住民アンケートを実施する。結果を各町ごとに集計し、2以上の町で賛同が多かった
 方を、新市の名称とする。
案2を採用すると、「海津市」になる可能性が強くなります。
各議会の意見は、海津町議会は全会一致で案2、平田町議会は案2が多く、南濃町議会は案1が多数を占めました。そもそも案1は平田町サイドからの提案
だったのですが、議会は異なる結論を出しています。
小委員会は、3町の民間委員の意見を聞きましたが、結局意見集約には至りませんでした。協議会は3町長に調整を委ねることにしました。
3町長の協議の結果、以下の内容で住民意識調査をすることが提案されました。
・小委員会の選定した8候補のう ち、平仮名の「かいづ市」を除いた7候補のうち、適当な名称を選択。
・3町全体で最多数となったものを新市の名称とする。
・新市の町名に旧3町名を残すか否かも、同時に調査を実施。
南濃町議会は、新市の名称と旧3町名については、町長などの協議で決めるべきとの見解でしたが、最終的には調整案通り全会一致で承認されました。
04年5月、住民意識調査が実施されました。結果は以下の通り。
<新市の名称>
海津 20383   ひらなみ 2924   なんのう 736   木曽三川 382   三川 186   治水 166   ひらた 151
<新市の町名>
旧3町名を付ける(○○市南濃町など) 13519     旧三町名を付けない 11057
以上により、新市の名称は「海津市」に決定。旧3町の名称は、新市の町名として残ることになりました。
新市役所の位置については、統合庁舎の位置の選定についての記述を加えることが提案されました。
提案内容は、「地理的条件、災害対策等様々な観点に基づいて、かつ、住民意識調査の 結果等を踏まえて選定する」というものでした。
南濃町は、統合庁舎の建設位置は南濃町と明記すべきと主張しました。理由としては、地盤が強固であることとそれに伴い建設費が安いこと、鉄道や道路などの
利便性、人口が多いことなどを挙げました。平田町・海津町は、趣旨は理解するものの、状況は合併後変化する可能性もあり、今の時点で庁舎の位置を特定
するのには、反対するという意見を述べました。南濃町の委員は、町長を残して退席しました。
次回の協議会では、南濃町の委員は協議に復帰。しかし再び同じ主張を繰り返したため、議論は平行線でした。さらには平田町も対抗して、新幹線の駅や高速
道路のICとの近接性、高校跡地の広大な敷地、商業の中心であることなどを理由に、自町への新庁舎建設をアピール。海津町も地理的中心であること、名古屋
市に近いこと、などから自町が有利と表明。しかし海津町は、統合庁舎の位置はあくまで合併後に決めるべき、というスタンスでした。
結局、収拾が付かないため、3町がそれぞれ説明した自町の優位性を並べて、統合庁舎決定時の基準としてまとめる、という形で調整が図られました。
以下のような長い文章になりました。
「統合庁舎については、新市において検討する。この場合において、統合庁舎の位置(新たな事務所の位置)については、安全性(地盤の強固さ、自然災害被害
 の危険度の低さ)を第一義として、利便性(鉄道、高速道路、国道、その他主要道路へのアクセス、付近への人口の集中度、他の公共機関利用への利便)、
 経済性(建設経費、管理経費)等 を必須条件とし、住民の意向も含め、客観的、専門的に最適地を選定する」
提出された形としては、あくまで3町のいずれかは特定せず、3町の主張した優位性を並べているということでしたが、安全性を第一義に置くなど、限りなく南濃町
役場を意識した表現になっています。しかし合併前に南濃町と特定することは、他の2町にとっては出来ない相談なので、他の2町はあくまで「決まっていない」と
いうスタンスを取り続けることが可能な言い回しになっています。
苦心の作ですが、南濃町は最後まで、南濃町に建設することの明記を求めて抵抗しました。結局折れた町議会議長がこの案を持ち帰ると、町内からは激しい袋
叩きに遭いました。南濃町内には合併に反対する意見や、合併を見送る意見なども出ました。見送るべきとする意見の申入書に区長会の副会長である協議会
委員が署名したいたことから、他町は協議会で激しく批判。本人が釈明するなどの事態まで生じました。
この混乱のさなか、南濃町内で住民説明会が開催されました。3会場のうち1会場では統合庁舎についての意見が出ましたが、2会場では出ませんでした。統合
庁舎は南濃町と明記すべきとする「民意」は一部のものだったことが示された格好です。しかし、あくまで町議会の多数は、「南濃町に置くことの明記」「住民の
意向を含め」の文字を削除(新市名称を住民の意向で変更させられたという経緯から)することにこだわったため、協議会に修正案が出されました。南濃町の
協議会委員も、この時点では調整案通りでやむなし、といった空気でしたが、一応出したといった感じでした。
修正案は採決され、賛成少数で否決。続いて調整案が採決され、賛成多数で承認されました。
新市役所の位置の協議がまとまったことを受けて、合併の期日を05年3月28日に確定。
残る議員の任期の扱いの再協議に移りました。
平田・海津町の両議会は、もともとの案通り1年1ヶ月の在任特例を支持する意見が多数を占め、南濃町議会は、半年とする意見が大半でした。民間委員からも
在任期間短縮を求める意見が出ました。民間委員全員で別室で協議することになり(議会出身委員各町1名もオブザーバーで参加)、その結果、6ヶ月の在任
特例に変更することを協議会に提案。各町議会も了承し、承認されました。
04年8月、議員の任期の取り扱いの再協議をもって、全ての協議を終了。9月に合併協定書に調印しました。

鳥取県 大山町+名和町+中山町=大山町 (新設合併、05年3月28日)

鳥取県西部・米子市の東、大山の北麓に広がる3町が合併して、1つの町になりました。
人口は、名和町が約7300人、大山町が約6600人、中山町が約5000人です。
この地域では、当初、日吉津村や淀江町を含む5町村での合併も検討してきましたが、淀江町が米子市との合併に舵を切ったこともあり、3町の枠組みに
収斂されてきました。02年11月、3町と各議会は3町での合併の方針を固め、03年1月、法定協議会を設置しました。
新町の名称については、住民を対象に公募を実施しました。旧3町の名称も公募対象としています。結果は以下の通り。
<公募上位>
1位 大山 379件    2位 だいせん 71件     3位 新大山 13件     4位 汗入 11件   5位 名和 10件   5位 伯耆 10件  5位 名山 10件
小委員会は、以下の3候補を協議会に報告しました。「汗入」は江戸時代から明治初期までの郡名です。
「大山」「汗入」「東大山」
協議会では「大山町」以外を支持する意見は無く、採決をとったところ、全員賛成で「大山町」に決まりました。
新町役場の位置については、小委員会で議論されました。まず本庁方式を採用することが決まり、3町の役場を「位置的要素」「施設的要素」「その他」の3点から
評価(配点は、位置:施設:他=6:3:1)。その結果、名和町役場を最適とする意見が5人、大山町役場が最適が3人、中山町役場が最適が1人と分かれました。
そこで、小委員会はあえて結論を出さず、協議会の決定に委ねました。なお、新庁舎は建設しないことを前提としていますが、老朽化が進む大山町役場について
は、本庁舎か支所かに関わらず建てかえることを求めました。
協議会では地理的中心となる名和町役場を推す意見や、米子市に近いことを理由に大山町役場を推す意見などがありました。また新庁舎建設の是非も蒸し
返されました。どうせ新庁舎を建設するなら、建替えの必要な大山町に持ってくればよい、という考えだと思われます。
議論はなかなか尽きませんでしたが、現在の庁舎の規模を考えた場合は、本庁方式といっても、当面は限りなく総合支所方式に近い形態にならざるを得ない、
と事務局が発言。これを受けて投票で決めることになりました。
<投票結果>
名和町役場 18      中山町役場 3      大山町役場 2
以上により、「名和町役場」に決まりました。
議員の任期の扱いについても、小委員会で議論されました。当初から特例不適用を主張する意見があり、その中でも選挙区設置の是非で意見が分かれました。
在任特例を求める声もありました。名和町と中山町の議会は1年以内の在任特例を主張し、大山町議会は特例不適用で選挙区設置を主張しました。
意見はまとまらず、2案併記で協議会に報告されました。
<案1>06年10月31日までの約1年7ヵ月の在任特例、特例終了後の定数は法定上限の22とし、選挙区は設けない。
<案2>特例を適用せず、合併時に選挙を行う。定数は21。初回の選挙のみ選挙区を設け、各選挙区の定数は名和8、大山7、中山6とする。
案2の定数配分は人口比例です。
なお、小委員会委員9名の中では、案2支持が5、案1支持が3、残り1名は特例不適用で定数18、選挙区設置せず(=案3)でした。
名和町と中山町の議会が中心となって、第4案も提出されました。案1と案2の折衷案です。
<案4>05年11月30日までの約8ヵ月の在任特例、特例終了後の定数は21とし、選挙区は設けない。
案3と案4はいずれも協議会に追加議案として提出されたものの、協議会委員の半数以上の賛成を得られず、協議会の議論に載せることはできませんでした。
最終的に案1と案2で投票にかけ、決定することになりました。
<投票結果>
案2(特例不適用) 19         案1(在任特例) 7
以上により、「特例を適用せず、合併時に定数21で選挙を行う。初回の選挙のみ選挙区を設け、各選挙区の定数は名和8、大山7、中山6とする」ことが
決まりました。
なお、協議のさなかに、大山町役場の建替え計画が報道されました。この規模が大きすぎ、慎重の財政に負担を与えるとして、他町から異議が出ました。
大山町はあくまで新町の支所として建てるものであり、かつ以前から計画していたもので、新町役場の位置を決める際にも、庁舎建設は理解を得ているとして、
駆け込み事業ではないと説明しました。3町で調整した結果、当初予定から規模を縮小することで合意しました。
04年9月に全ての協議を終了、10月に合併協定書に調印しました。

広島県 尾道市+御調町+向島町=尾道市 (編入合併、05年3月28日)

広島県東部の尾道市が、瀬戸内海に浮かぶ向島町と、北に隣接する御調町を編入しました。
人口は、尾道市が約92000人、向島町が約16000人、御調町が約8000人です。
02年3月、3市町は任意協議会を設置します。
合併の方式については、向島町議会には一部に新設合併を望む意見があったものの、2町とも編入合併の方向で調整を進めることに同意しました。
新市の名称については「尾道市」の方向、新市役所の位置については「尾道市役所」の方向で、いずれも調整を進めることについては、異論無く了承されました。
03年3月、法定協議会に移行します。
合併の方式(編入合併)・新市の名称(尾道市)・新市役所の位置(尾道市役所、旧町役場は支所)については、異論無く承認されました。
残る議題が「合併期日」「議員の任期の扱い」「地域審議会の扱い」だけになった04年4月の協議会で、向島町の委員が町長を除き全員欠席するという事態が
発生します。向島町長は住民から環境整備の要望が出ているとして、「合併協議会をいったん休会すること」「(合併までに環境整備を進めるため)合併期日を
1年延期(06年に)すること」を求め、退席してしまいます。尾道市長は、「突然の申し出であり、住民不在の議論だ」としてこれに反発。向島町抜きで、「合併期日」・
「議員の任期の扱い」・「地域審議会の扱い」の3項目を提案します。
議員の任期の扱いについては、在任特例・定数特例を適用せず、合併と同時に法定上限定数の34に定数を増やし、増員分の8人については、旧町
単位に選挙区を設けて増員選挙を行うこととし、定数は向島5、御調3とすることが提案されました。新定数34を人口比例配分した上で端数を四捨五入すると、
尾道27、向島5、御調2となるのですが、御調町の端数を切り上げるかわりに尾道市の増員を行わないことで、上記の定数としています。
なお、定数特例を採用すると、向島5、御調2の増員選挙を行うことになる(総定数33)ので、定数特例よりも御調町に配慮した提案と言えます。
もともと、尾道市は定数特例を主張し、2町は在任特例を主張していました。議員の任期の扱いについては、尾道市の主張をベースに少しだけ配慮を行うこととし、
一方で後述する「地域振興推進委員」を置くことで2町を納得させた、いわば妥協の産物なのです。
協議会は、向島町抜きで本件については承認しました。
地域審議会については、地域審議会は設置しないが、失職する2町の議員が就任する「地域振興推進委員」を置くことが提案されました。
しかし、この協議会の2日後、向島町長の説明を受けた県は、発言を取り消して05年3月までに合併するよう求めました。これを受けて向島町内で検討した結果、
翌日に方針転換を決定。その5日後(協議会の8日後)に、向島町長は尾道市長・御調町長に発言の撤回を申し入れ、認められました。
04年5月、最後の協議会で、向島町が協議に復帰し、事態は正常化しました。合併期日は05年3月28日で確認され、地域審議会についても提案通り承認され
ました。
これにて全ての協議が終了、合併協定書に調印しました。
なお尾道市は、06年1月10日に、さらに因島市と瀬戸田町の2市町を編入する予定です。

愛媛県 八幡浜市+保内町=八幡浜市 (新設合併、05年3月28日)

愛媛県西部の八幡浜市と、北に隣接する保内町が合併して1つの市になりました。
人口は、八幡浜市が約31000人、保内町が約11000人です。
01年5月から、2市町は、伊方町・瀬戸町・三崎町・旧三瓶町との6市町で合併に向けた検討を行ってきました。
しかし、02年3月、旧三瓶町は、東宇和郡4町との合併を選択し、この枠組みからは離脱します(04年4月1日、西予市に)。
これで5市町となりましたが、保内町は、1市4町の枠組みと八幡浜市との1市1町の枠組みの間で揺れ動きます。02年6月に保内町はいったん1市4町の
枠組みでの合併推進を表明しますが、7月には一転して1市1町の枠組みで先行合併に向けた協議を進める意向を表明。八幡浜市も応じ、9月に任意協議会を
設置。02年10月、法定協議会に移行します。
合併の方式は、特に異論無く新設合併に決まりました。
新市役所の位置については、まず分庁方式を採用することが決まりました。
議員の任期の扱いについては、まず両市町議会で意見集約を図ることになりました。
しかし、保内町は新市役所・議員の任期のいずれも、新市の名称が決着してから議論すべきと主張し、議論は凍結されてしまいます。
新市の名称については、全国公募を行うことが提案されましたが、問題は「八幡浜」「保内」を対象とするかどうかでした。小委員会は採決で公募対象から除外
することを決めましたが、協議会で反対意見が続出しました。一方、保内町は、新しい名前になる(要は「八幡浜」にはならない)ことを前提に、住民に説明して
合併協議に臨んでいるだけに、簡単には譲れませんでした。結局、公募段階では除外した上で、公募から選定した3候補と「八幡浜」「保内」の2点の計5候補
で協議会に提案するという折衷案が出されました。公募数が多いことを理由に「八幡浜」で押し切ることはできない点で、保内に配慮していると言えましょう。
しかし保内町議会は強硬で、公募で3候補を選定した上で、その時点で必要があれば「八幡浜」「保内」を加えるかどうか議論する、というところまでしか譲歩
しない姿勢を示しました。折衷案をさらに「公募で3候補を選定し、八幡浜・保内を加えるかは小委員会で協議の上、提案する」とまとめ、公募が行われました。
公募結果から、小委員会は04年1月に「橘」「八保」「八西」の3点を選定しました。「八西」は、八幡浜市と西宇和郡の地域の総称として既に使われています。
「橘」は「みかん」の古名であり、みかんの一大産地であることから来ています。「八保」は両市町の頭文字をつなげたものです。ここで、八幡浜・保内の2つの
名称を加えるかどうかが議論されましたが、平行線をたどり、04年3月をもって小委員会の活動は休止されてしまいます。
04年7月、ようやく小委員会の活動が再開されましたが、保内町議会は「八幡浜・保内は加えるべきでない」として議論は再び平行線でした。そこで、やむなく
採決に入り、加えるとする意見が4名、加えないとする意見が3名、白票1名となり、「橘」「八保」「八西」「八幡浜」「保内」の5点を協議会に報告しました。
協議会は5候補を投票にかけました。
<投票結果>
八幡浜 17     八保 8
以上により、「八幡浜市」に決定しました。
新市役所の位置については、八幡浜市役所と保内町役場を同格の庁舎と位置づけつつ、規模が大きく主要官公署にも近い八幡浜市役所を条例上の
本庁舎
(事務所の位置)とすることで意見集約。協議会に提案され、特に異論なく承認されました。
なお分庁の具体的内容としては、教育関係と上下水道、建設、人権関係の部署が保内町に配分されています。
議員の任期の扱いは、新市名の候補決定を受けて、議論が再開。八幡浜市議会は特例不適用で意見集約しましたが、保内町議会には、今までの協議
内容が不満として協議会を離脱すべきではないか、との意見が出て意見集約に入れませんでした。この時点での保内町議会は、協議会離脱に賛成する意見と、
離脱には賛成できないものの、協議を白紙に戻すことは必要ではないかとする意見の2つを合わせると、半数以上になる、といった状況でした。
しかし、ここは何とか踏ん張り、保内町議会として意見集約した結果、「2年の在任特例、特例終了後の定数は法定上限の26、特例期間中の報酬は各々合併前の
水準を据え置く」とまとまりました。
民間委員は、両市町とも、在任特例はやむを得ないが、在任期間2年は長いので短縮すべき、特例終了後の定数26も削減すべき、との意見でした。
ここで協議会会長と副会長が協議し、協議会の案として、以下の内容を提案しました。
・1年7ヶ月の在任特例
・特例終了後の定数は22(選挙区は設けない)
・特例期間中の報酬は合併前の水準を据え置く(1市2制度)
これに対し八幡浜市議会は、在任特例についてはやむを得ないと譲歩。しかし、「在任特例7ヶ月、特例終了後の定数は24」という案を逆提案しました。
保内町議会は会長・副会長案に賛成するという意見でした。
両市町議会の間では、協議会以外でも調整が続けられましたが、合意には至らず、上記のような結果となりました。しかし、両市町議会とも、協議会に出席して
いる委員に結論を一任していました。
協議会会長は再度副会長と協議、さらに民間委員の意見も踏まえて、以下の内容で修正提案しました。
06年4月30日までの約1年1ヶ月の在任特例
特例終了後の定数は23(選挙区は設けない)
・特例期間中の報酬は合併前の水準を据え置く(1市2制度)
協議会では、この案には特に反対意見は無く、承認されました。
04年9月に、この議員の任期の扱いを最後に、全ての協議が終了。11月に合併協定書に調印しました。
04年11月、合併議案の採決が行われ、八幡浜市議会は全議案を可決しましたが、保内町議会は、廃置分合・財産処分・地域審議会設置の3議案は可決した
ものの、議員と農業委員の在任特例案と新市の議員定数案は否決しました。
04年12月、保内町では議会議長などが辞任により交替し、議員の任期の扱いについて、保内町議会から新たに以下の内容が提案されました。
・在任特例は適用しない。
・定数は法定上限の26
・旧市町単位で選挙区を設置
しかし、八幡浜市議会にしてみれば、「何をいまさら」といった感が強く、保内町議会の提案に対しても、既に可決しているものであるから、合併議案の修正は受け
入れられないという姿勢でした。結局、保内町議会は修正案を取り下げ、05年1月18日、保内町議会は前回と同内容の2議案を可決
1月31日に愛媛県議会で可決し、2月24日に官報で告示され、合併にこぎつけました。

福岡県 宗像市+大島村=宗像市 (編入合併、05年3月28日)

福岡県北部・福岡市と北九州市のほぼ中間にある宗像市が、離島の大島村を編入しました。
人口は、宗像市が約93200人、大島村は約900人です。
00年5月、当時合併に向けた協議を行っていた、宗像市と旧玄海町は、大島村に協議への参加を働きかけましたが、大島村は参加しませんでした。
しかし02年7月、大島村の執行部と議会は、2市町に合併協議を申し入れます。10月に3市町村で準備会が設置され、03年2月、3市町村は2市町の合併
(03年4月1日)後に、新・宗像市と大島村で法定協議会を設置することで合意します。
03年7月、法定協議会を設置しました。
第1回協議会で、編入合併を想定して協議を進めることで合意しています。
新市役所の位置は、宗像市役所とし、当分の間、大島村役場を大島支所とすることを提案、承認されました。
議員の任期の扱いについては、在任特例や定数特例は用いず、大島村の議員は全員失職することが提案され、承認されました。人口差が約100倍と
極めて大きいとはいえ、全国でも非常に珍しいケースです
対立したのは、「沖ノ島」の扱いでした。「沖ノ島」は大島村に属する玄界灘の孤島で、常時住んでいる人はいません。島全体が宗像大社の沖津宮として聖域になって
います。大和朝廷が祭祀をしていた遺跡があって、国宝や重要文化財が多く出土しています。
宗像市では、「沖ノ島」を世界遺産として登録しようという運動が行われており、宗像市側は「宗像市大字沖ノ島」を設置したいという意向でした(沖ノ島以外の旧大島
村域は「宗像市大字大島」)。しかし、大島村側は、沖ノ島は大島の一部であるとして、分離されることに反発しました。結局、大島村の意向を受け入れ、沖ノ島を
含む旧大島村域は、すべて「宗像市大字大島」となることが決まりました。
また、旧大島村域に地域審議会を設置することになりましたが、通例では10年程度の設置期間が、わずか4年でした。大島村から異論が出されましたが、宗像市
には4年後までに「コミュニティ」を設置する計画があり、「権限を委譲するため、むしろ地域審議会よりも分権的な体制になる可能性がある」「機能の重複を省くため
地域審議会を廃止する」と宗像市は説明。大島村も了承し、承認されました。
協議の終盤で、合併の方式を編入合併とすることを正式に承認。新市の名称も宗像市に決まりました。
04年6月、全ての協議が終了。7月に合併協定書に調印しました。

福岡県 小石原村+宝珠山村=東峰村<とうほうむら> (新設合併、05年3月28日)

福岡県の南部、甘木市の東にある2村が合併して新しい村になりました。
人口は、宝珠山村が約1600人、小石原村は約1200人で、両村合わせても、わずか約2800人と、極めて小規模な合併です。
2村は、01年4月に甘木市・杷木町・朝倉町・旧夜須町・旧三輪町と7市町村で研究会を設置。02年8月には任意協議会に移行しました。
しかし03年2月から3月にかけて、甘木市などとの法定協議会には参加しないとして、旧夜須町・旧三輪町は相次いで合併協議から離脱。
03年4月、甘木市・杷木町・朝倉町との5市町村で法定協議会を設置します(旧夜須町・旧三輪町は05年3月22日に合併し、筑前町に)。
新市の名称については、全国公募を行い、最終的に「朝倉」「甘木」「あさくら」「あまぎ」「筑前朝倉」の5候補に絞られました。
しかし、03年12月に甘木市議会が、未解決の問題が山積したまま合併協議が行われているなどとして、「合併協議会の推進に一時考慮期間を求める決議」を
可決。協議の行方に暗雲が立ち込めます。
04年2月、甘木市は、今後の合併協議に臨む方針として以下の6項目を提示しました。
1.庁舎配置方式・・・(現町村役場は)合併当初から支所とする「支所方式」へ移行。
2.固定資産税の税率・・・固定資産税の税率は1・55%とする(4町村は現行1.4%)。不均一課税は行わない。
3.新市の名称・・・「甘木市」とする。
4.議会議員の定数および任期・・・「在任特例は適用しない」「選挙区は設けない」「定数は26人」
5.新市の財政計画・・・新市建設計画の協議段階で、十分な議論を尽くす必要がある。
6.公共施設の管理運営・・・既存施設及び今後計画の施設を含めて、新市の財政計画に及ぼす影響を十分に見極めた上で、財政計画を策定すべき。
これに対し、4町村は再考を求めました。甘木市側は、新市の名称と、議会議員の「選挙区は設けない」という点については考慮の余地ありと回答しますが、
他は譲らない意向でした。
一方4町村は、固定資産税の段階的引き上げ(不均一課税)を、庁舎配置についても当面は総合支所方式を求め、議論は平行線をたどります。
首長会議に判断が委ねられましたが、ここでも合意には至りませんでした。
04年4月、5市町村は合併協議会を廃止することで合意。4月末に正式に廃止されます。
04年6月、2村は法定協議会を設置します(他の3市町は04年10月に法定協議会を設置。06年3月20日に「朝倉市」として合併予定)。
新村の名称については、住民を対象に公募を行いました。
公募上位の2点と、公募結果から協議会委員が3点を選定し、以下の5候補が決まりました。
「東峰」「宝石」「陶宝」「小宝」「宝珠小石原」
さらに協議で2点に絞られ、投票の結果、公募1位の「東峰村」に決まりました。
新村役場の位置については、宝珠山村役場に決まりました。ただし、総合支所方式と分庁方式を併用することにしました。
宝珠山庁舎には総務・農林建設の両課と議会が置かれ、小石原庁舎には企画振興・住民福祉・教育の3課が置かれました。
議員の任期の扱いについては、以下の通り決まりました。
06年4月30日までの在任特例を適用
定数は10とするが、特例終了後最初の選挙に限り12とし、旧村単位で選挙区を設ける。各選挙区の定数は、小石原・宝珠山とも6とする。
04年10月に合併協定書に調印しました。

青森県 八戸市+南郷村=八戸市 (編入合併、05年3月31日)

八戸市が南に接する南郷村を編入しました。
人口は、八戸市が約24万1千人、南郷村が約6千人です。
八戸市の合併の取り組みは、00年に遡ります。
00年12月、階上町で八戸市との法定協議会設置を求める住民発議が行われました。01年2月、八戸市議会は設置案を可決しますが、3月に階上町議会は
否決。この時点での法定協議会設置はなりませんでした。
しかし、01年7月、八戸市は階上町・福地村・南郷村と任意協議会を設置します。ここで、八戸市と南郷村は初めて協議のテーブルにつくことになります。
02年4月、田子町・名川町・南部町の3町が任意協議会に参加。さらに03年2月、法定協議会には新郷村も加わることが決まり、03年4月、八戸市は
田子町・名川町・南部町・階上町・
南郷村・福地村・新郷村と8市町村で法定協議会を設置しました。
まず合併の方式が問題になりました。八戸市は対等に協議するが、方針は編入を主張。階上・福地・田子の3町村は新設合併を希望しましたが、結局
大勢に従うとして、編入合併に合意。
議員の任期の扱いについては、合併時の在任特例については福地村を除き異論は無く、任期満了時の定数特例適用については、田子町のみ要望しましたが、
他市町村からの要望はなかったため、合併時のみ在任特例を適用することで承認されました。
新市の名称についても、南部町から「奥州南部市」または「南部市」の要望があったものの、他市町村は「八戸市」を支持したため、「八戸市」で承認されました。
新市役所の位置については、八戸市庁で異論無く決まりました。
しかし、階上町では合併反対派の住民運動が盛んになってきました。04年4月には、協議会からの離脱を求める要望書が、5927筆の署名を添えて提出され
ました。一方、推進派も協議継続を求める陳情書を出しています。
町内の意見が二分する中、04年4月13日、町長は町議会に「合併することに同意を求める議案」を提出。町議会はこれを否決したため、町長は協議継続を
断念。法定協議会に離脱を申し入れました。
八戸市議会は、階上町が離脱した形で協議を継続するか、一旦協議会を解散するかで議論しましたが、田子町や新郷村の水道施設の改修に巨額の費用が
かかることが協議の途中で判明したこと、未合意事項の協議が難航していることなどを理由に解散の方針を決めました。八戸市執行部もこの方針を追認し、
他の町村からは異論はあったものの、最終的には全市町村で解散やむなしの結論になり、04年6月に法定協議会は解散します。
04年8月、八戸市議会は、飛び地合併を避けることや水道施設改修問題を理由に、田子・新郷の両町村を除く、5市町村(八戸・名川・南部・南郷・福地)での
合併が妥当と意見集約しました。八戸市執行部もこの方針を追認し、4町村に合併協議を呼び掛けました。
04年9月、名川・南部・福地の3町村は、協議に応じないと回答。南郷村のみ協議に応じると回答したため、2市村の枠組みになりました。
(3町村は04年10月に法定協議会を設置。06年1月1日に「南部町」として合併予定)
04年9月、八戸市と南郷村は法定協議会を設置します。
合併の方式(編入合併)、新市の名称(八戸市)、新市役所の位置(八戸市庁)については異論無く承認されました。
議員の任期の扱いについては、合併時のみ在任特例を適用し、在任期間中の報酬は1市2制度(合併前の八戸市議と南郷村議で報酬に差をつける)
とすることを提案、特に異論無く承認されました。
なお、旧南郷村域には合併特例法に基づく地域自治区を10年間(2015年3月末まで)設置することになり、「南郷区」と称することにしました。合併前の
南郷村役場は南郷区役所となります。また設置から2年間は、特別職の「区長」を置きます。
04年10月、全ての協議が終了し、合併協定書に調印しました。法定協議会設置から合併協定書調印まで、約1ヵ月という早業でした。

青森県 深浦町+岩崎村=深浦町 (新設合併、05年3月31日)

青森県の西端にある2町村が合併して1つの町になりました。
人口は、深浦町が約8400人、岩崎村が約2700人です。
両町は02年5月、鯵ヶ沢町を含む3町村で研究会を設置。その後、現在のつがる市を含む枠組みも一時検討されましたが、02年11月に3町村で任意協議会を
設置します。岩崎村にはもともと秋田県側との越県合併を望む声が強くありましたが、この頃には青森県内での合併に的が絞られつつありました。03年1月、
岩崎村長は能代市などが設置する予定だった任意協議会に参加しない意向を表明します。
03年5月から7月にかけて、3町村の任意協議会は、合併の方式を新設合併とすること、新町役場は鯵ヶ沢町役場とし、庁舎の方式は総合支所方式と分庁方式の
混合とすること、などを決め、審議を終了しました。
しかし、03年9月、鯵ヶ沢町議会が「3町村での合併を基本とするが、弘前市との合併も検討すべき」と町長に要請したころから雲行きが怪しくなってきます。
鯵ヶ沢町にとっては、3町村での合併では財政的に厳しく、展望が開けないという思いがありました。これを受けて、鯵ヶ沢町長は2町村に「3町村一体で弘前市との
合併を考えてはどうか」と提案。しかし、深浦町と岩崎村はこの提案を拒否。いったん弘前市との合併案は白紙に戻ります。03年11月、鯵ヶ沢町と深浦町は
3町村での合併の方針を固めますが、04年1月、岩崎村は3町村の協議から離脱し、単独行政を維持する方針を決めます。3町村では財政的にメリットが少ない
こと、過疎化に拍車がかかる懸念があることなどを理由としています。3町村の任意協議会は同月解散してしまいます。
04年2月、鯵ヶ沢町は広域合併を目指す方針を発表。深浦町は広域合併には慎重な姿勢を示し、鯵ヶ沢町との枠組みを避け、岩崎村との2町村の合併を模索し
ます。一方岩崎村も、任意協議会からの離脱以降、村民から単独行政への不安の声が高まっていたため、深浦町との合併をめざす方針を固めました。
04年4月、2町村は任意協議会を設置。合併の方式は新設合併とすること、新町役場の位置は深浦町役場とし、岩崎村役場は支所とすることなどを決めま
した。
04年6月、法定協議会に移行します。法定協議会では、任意協議会での結論を追認しています。
新町の名称は、住民を対象に公募を実施しました。結果は以下の通り。
<公募上位>
1位 深浦町 40件    2位 白神町(しらかみまち) 25件        3位 白神町(しらかみちょう) 6件
小委員会は以下の5候補を選定し、協議会に報告しました。
「深浦」「岩崎」「白神」「西浜」「夕陽(ゆうひ)」
このタイミングで、隣接する秋田県の能代市などの合併協議会(後に解散)が、新市の名称を「白神市」に決めています。白神山地の世界遺産に登録されている
地域は、青森県側が広いこと(秋田県側も全域が藤里町域であり、能代市などの法定協議会に藤里町は参加せず)などから、2町村はこれに反発しました。
青森市のNPO「白神山地を守る会」は、「白神市」の名称決定に反対し、秋田・青森両県庁などに陳情するなどの動きをとり、その一方で2町村にも「白神町」は使わ
ないよう要望しました。
協議会では、「白神町とすべきでない」とする意見が多数を占め、「深浦町」を推す意見も出ましたが、2町村長に一任することになりました。
2町村長が調整し、「深浦町」とすることを協議会に提案、承認されました。
議員の任期の扱いについては、両議会で調整が行われた結果、2年間の在任特例を適用し、特例終了後の定数は20(法定上限は22)とし、最初の選挙に限り
旧町村単位で選挙区を設け、定数は深浦15・
岩崎5(人口比例配分)とすることを提案、承認されました。
庁舎方式については、一部分庁方式を採用。教育委員会は岩崎支所に置いています。
04年11月、すべての協議を終了し、合併協定書に調印しました。

青森県 七戸町+天間林村=七戸町 (新設合併、05年3月31日)

十和田市の北にある2町村が合併して、1つの町になりました。七戸町には東北新幹線の駅が開設される予定になっています。
人口は、七戸町が約10100人、天間林村が約8400人です。
この地域では、もともと次項の上北町・東北町を加えた4町村での合併協議が行われていました。
02年3月、4町村は任意協議会を設置し、02年7月には法定協議会に移行します。平成の大合併では、青森県で初めての法定合併協議会でした。
しかし、公立七戸病院の改修費用に合併特例債を充当できないことが判明するなど、当初の目論見が崩れ始めます。その中で新市建設計画(合併後の
事業計画)や、それを裏付ける財政見通しの議論が進まない状況に陥りました。
新市の名称については、住民などを対象に公募を行いました。公募1位は「八甲田」でした。小委員会は、「みちのく」「南部」「東八甲田」「八甲田」「東雲(しの
のめ)」の5候補に絞込み、協議会に提案しました。
新市役所の位置については、当分の間は旧七戸保健所とし、天間林村に新庁舎を建設することとしました。
03年1月になってようやく新市建設計画の議論に入りましたが、財政見通しの議論は棚上げされたままでした。町村間で算定基準に対する考え方に差異が
あったためです。上北町は、「他の3町村の財政推計方法は、収支がマイナスにならないよう調整するもの」として批判しました。03年2月、協議は一旦
中断します。
03年4月、4町村はようやく財政推計の基本方針で合意。5月に協議を再開しました。しかし6月、地方交付税の見通しについて、上北町が厳しい見通しを
示したのに対し、3町村が比較的緩やかな見通しを掲げて対立。3町村は上北町の反対を押し切り、緩やかな見通しで財政推計の作業を進めることに
なりました。7月に財政推計がようやくまとまりましたが、上北町は納得しませんでした。
同月に上北町長は、町議会で離脱の可能性を示唆。町民説明会でも離脱の意向を示しました。上北町議会は、当初は離脱に消極的でしたが、最終的には
町長の判断を容認。
03年8月、上北町は離脱の意向を正式に表明し、町議会は離脱案を可決しました。これを受けて、03年9月、法定協議会は解散してしまいます。
七戸・天間林・東北の3町村は、00年国勢調査人口では、合計してかろうじて3万人を上回ることから、引き続き新市発足に向けて協議していくことで
合意し、10月に法定協議会を設置すべく、準備を進めることになりました。
しかし、七戸・天間林の両議会ではこの方針が了承されたものの、東北町議会では3町村合併に慎重論が出ました。七戸町議会で、「新市名は七戸市、
新市役所は天間林村、東北町に大規模農業施設を建設」で3町が合意した旨が報告されたというのです。町長や町議会議長は、「持ち帰って協議することに
なっているだけで、合意したわけではない」と釈明しましたが、議員は反発。3町村の枠組みを白紙に戻すことで意見集約されました。
03年11月、東北町議会は、3町村の枠組みを白紙に戻す方針を正式に決定。12月に3町村の枠組みは正式に消滅します。
七戸町は天間林村と2町村での合併協議を進める方針を決定。03年12月に2町村の法定協議会を設置します。
新町名称と新町役場の位置については、3町村の枠組みで素案となっていた「名称は七戸、役所は天間林」に2町村の委員とも異論は無く、「七戸町」
役場は天間林村役場に決まりました。
議員の任期の扱いについては、事務局から「在任特例適用、特例終了後の定数は18(法定上限は22)、特例終了後の最初の選挙に限り、旧町村
単位の選挙区を設け、定数は七戸9、天間林9とする」と提案されました。人口比例配分では、七戸10、天間林8となりますが、天間林側に配慮した提案
です。協議会では特に反対意見は無く、承認されました。その後、在任期間は2年と提案され、これも異論無く承認されました。
04年8月に全ての協議が終了しました。
しかし、合併協定書調印目前になって、天間林村にイオンの出店計画があることが明らかになりました。七戸に既にあるジャスコの去就や地元商店街への
影響などで、七戸町議会の議論は紛糾しました。新町建設計画の練り直しも必要だとの意見が続出しました。協議会は、新町建設計画を修正せず承認した
ものの、調印式を10月下旬に延期しましたが、七戸町内で商店街振興策が話し合われた結果、七戸町議会も了承。10月16日に合併協定書に調印しました。

青森県 上北町+東北町=東北町 (新設合併、05年3月31日)

前項の2町村の東にある2町が合併して、1つの町になりました。
人口は、東北町が約10300人、上北町が約9800人です。
前項に記した経緯を経て、03年12月、東北町は上北町との2町での合併を目指すことになりました。しかし直後に、東北町長が辞職し、協議はなかなか開始され
ませんでした。04年2月に新・東北町長は改めて2町合併の方針を決定。しかし、新・東北町長は、事前協議に時間をかけるべきとして、法定協議会の早期設置
には応じませんでした。しかし、財政見通しのすりあわせが進んだことから、東北町長も法定協議会の設置を決断。
04年4月、2町は法定協議会を設置します。
新町の名称については、公募を実施せず、協議会委員が候補を出して、協議会で決定する方式が提案されました。
新町役場の位置については、両庁舎いずれかを本庁舎とすることになりましたが、いずれの庁舎も物理的に全ての本庁機能を集約することは出来ないので、
総合支所方式か分庁方式をとることになります。2庁舎を比較すると、延床面積では上北町の方が広く、竣工もやや新しく(それでも1975年)なっています。
名称と役場の位置は一括で審議に掛けられました。
東北町は、名称は「上北町」か「おがわらこ町」、役場は東北町役場を要望しました。野辺地と八戸を結ぶ県道上での、新町域の中間地点からは、東北町役場
の方が近い、という主張です。上北町は、名称は「おがわらこ町」、役場は上北町役場を推す声が大半でした。2町の見解が分かれたわけですが、ともに、
「庁舎を取った町は、名称にはこだわらない」ことでは暗黙の了解が出来ていました。
そこで、各町から議会議長など6人ずつが出て、調整案を協議することになりました。
6者協議の結果、「新町名称は東北町、新町役場の本庁舎は上北町役場、東北町役場は分庁舎とし分庁方式を採用」が協議会に提案され、異論無く
承認されました。
なお、本庁には総務・財政・企画・商工観光・会計の各課と議会、東北分庁舎には建設・農林水産・町民・税務・福祉・下水道の各課と農業委員会が置かれました。
議員の任期の扱いが難航しました。上北町議会は「2年の在任特例適用、特例終了後の定数は16(法定上限は26)とし、旧町単位に選挙区を設け、定数は
8ずつ」という意見でした。東北町議会は、在任特例を適用すると、現員数が上北18 東北16のため負けてしまう、といった意見もあり、なかなかまとまりません
でした。東北町の推進会議(民間委員主導)は、「特例不適用、定数は16、選挙区なし」という案をまとめました。ただし、在任特例については1年程度であれば、
と幅を持たせました。これに上北町議会出身委員が、東北町も議会の意見をまず出すべきだと反発。これに対し東北町議会は、推進会議の意見が通るならば、
議会側も同意する用意があるという見解を示しました。上北町と東北町の溝は埋まらず、平行線をたどりました。協議会会長(上北町長)は収拾に動こうとしますが、
議論は紛糾し、なかなかまとまりません。結局、議会議員側と民間委員側で2つの小委員会を設置し議論することになりました。
議会議員の小委員会は、特例終了後の定数は16で一致したものの、在任期間は上北が2年、東北が1年を主張し、選挙区は上北が設置、東北が設置せずを
主張。溝は埋まりませんでした。一方、民間委員の小委員会は、「在任特例1年、特例終了後の定数は16、選挙区は設置しない」で意見集約されました。
協議会で議論されましたが、やはり平行線のままでした。
民間委員の小委員会は、最終的に、議会議員の小委員会に結論を委ねました。しかし、議会議員の小委員会は意見集約に至りませんでした。
協議会では、もはや両町長に収拾案の作成を委ねるしかない、との意見が出て、両町長も2人で決めた結論に議会が異議を唱えないことを条件に受諾。
両議会はその方向で意見集約してくることになりました。
しかし、両町議会とも、両町長への白紙一任はできないとの結論に至りました。東北町は在任特例は1年〜2年と幅を持たせましたが、選挙区の設置は認め
ませんでした。上北町は従前の姿勢を崩しませんでした。協議会でそれが報告されると、民間委員からは再調整を求める声があがりました。町長と議会議長などで
別室で話し合いましたが、協議会は廃止やむなしとの結論に至りました。別室での協議で、選挙区の設置は合併後に議論を先送りすることになりましたが、
在任期間が、1年半と2年で互いに譲らず、どうしても溝が埋まりませんでした。協議会会長は、2年にしたうえで報酬を削減して財政への影響を1年半並みとする
腹案も持っていましたが、収拾には至りませんでした。その後、両町長と民間委員の協議も行われましたが、結論は変わりませんでした。
この協議会(04年10月25日)で、いったん協議会廃止の決定が下されます。
ところが10月27日になって、一転して両町の議会が歩み寄り、「在任特例を1年6ヶ月(06年9月30日まで)適用、特例終了後の定数は16、最初の選挙
に限り選挙区を設置し、東北・上北とも定数8
」とする案で合意します。東北町議会が、合併を壊したとする住民の批判に耐え切れず、上北町に譲歩しての決着
でした。東北町は民間委員にこの合意について説明。民間委員は異論はあったものの、結局合併を優先するとして受諾しました。10月30日に開催された協議会
でも全会一致で承認されました。
これにて全ての協議が終了。翌日に合併協定書に調印しました。

福井県 三方町+上中町=若狭町 (新設合併、05年3月31日)

若狭地方・小浜市の東にある2町が合併して新しい町になりました。
人口は、三方町が約9000人、上中町が約8300人です。
03年8月、上中町は小浜市・三方町・名田庄村の3市町村に合併協議を呼び掛け、首長間で協議が始まります。一方、03年9月、上中・三方両町の議会は2町
での合併推進を決議。03年11月に、4市町村長の協議は合意に至らず、この枠組みは崩壊します。直後に両町の町長は、2町での合併協議に入ることで合意
します。04年1月には準備室を設置。1月29日に小浜市議会が上中町議会に合併協議を申し入れますが、時既に遅く、04年2月、両町は法定協議会を設置
します。
新町の名称については、全国公募を行いました。結果は以下の通り。
<公募上位>
1位 若狭 155件     2位 三上 110件     3位 わかさ 103件     4位 みかた 57件     5位 三方 53件
小委員会は以下の3候補を協議会に提案しました。
「三上」「わかさ」「若狭」
協議会では投票で決めることになり、3候補で投票したところ、全ての委員が「若狭町」に投票し、決定しました。
新町役場の位置については、小委員会で議論されました。まず新庁舎は建設せず、既存の庁舎を有効活用する方針を決めました。その上で両町の均衡など
を踏まえ、以下の通り協議会に提案しました。
・新庁舎は建設しない。
・庁舎の方式は、分庁方式。現在の上中町住民センター(上中町役場)を上中庁舎、三方町役場を三方庁舎と呼称。
 三方に総務・企画情報・住民・税務・生活環境・観光水産の各課を置き、上中に福祉・産業・建設・上下水道の各課などを置く。
新町事務所の位置(条例上の本庁舎)は、三方町役場
議会・教育委員会は上中町に置く。
協議会では大きな異論は無かったものの、一部に上中町役場を本庁舎とすべきだという声もあったため、投票にかけられ、賛成多数で承認されました。
議員の任期の扱いについても、小委員会で議論されました。まず定数特例については、行財政改革の観点から採用しないことを決め、在任特例の適用是非
について議論を進めました。そして、現下の社会情勢(在任特例への批判)や行財政への影響、町長と同時選挙にならないことによる選挙費用の増加などを
踏まえ、在任特例は適用しないことに決めました。定数は20(法定上限は22)、最初の選挙に限り選挙区を設け、三方10、上中10とすることとし、協議会に
提案されました。定数配分は人口(00年国勢調査)比例にすると、三方11、上中9となりますが、両町の均衡を考慮し、同数としています。
上中町議会は全会一致でこの案に賛成でしたが、三方町議会の委員から異論が出ました。「在任特例を活用すべき」「人口に対する定数の不均衡が発生する
ので、選挙区設置は行わない方がよい」といった意見で、小委員会に再検討を求めました。しかし、三方町議会はそもそも合併直後に任期4年を迎えるため、
在任特例適用の主張には、あまり説得力はありませんでした。
小委員会は、再検討の結果、「在任特例・定数特例は適用しない。定数は18。選挙区は設置しない」という内容で再提案しました。
協議会では異論なく修正案通り承認されました。
法定協議会での協議の進捗と並行して、上中町では小浜市との法定協議会設置を求める住民発議の手続が進められていました。小浜市議会は可決し、
上中町議会は否決したため、住民投票の実施が請求されました。協議が終盤に入った04年9月、上中町で法定協議会の設置是非を問う住民投票が行われ、
賛成33%、反対67%で、設置されないことになりました。これで上中町と三方町の合併が最終的に固まりました。
04年10月、全ての協議を終了し、合併協定書に調印しました。

鳥取県 米子市+淀江町=米子市 (新設合併、05年3月31日)

鳥取県西部の米子市が、東に隣接する淀江町と合併し、1つの市になりました。
人口は、米子市が約14万1千人、淀江町が約9千人です。
米子市は、当初境港市を含む広域合併を指向し、一方の淀江町は、日吉津村や旧大山町・旧名和町・旧中山町(3町は05年3月28日に合併し「大山町」に)
などとの合併を指向していました。しかし、旧大山・旧名和・旧中山の3町が米子市との合併に消極的な一方で、02年10月、淀江町は米子市を含む枠組みでの
合併が必要との見解を示し、3町と距離を置き始めます。この3町は11月に、3町の枠組みで合併する意向を固め、03年1月に法定協議会を設置します。
03年2月、淀江町は米子市に合併協議会設置を申し入れ、03年4月、2市町は法定協議会を設置します。
なお、境港市では03年7月に米子市との法定協議会設置の是非を問う住民投票が行われ、賛成が41%・反対が59%となり、日吉津村では03年11月に
合併の是非を問う住民投票が行われ、米子市・淀江町との合併に賛成が36%・合併せず単独が64%となり、いずれも合併しない道を選択することになりました。
合併の方式については、人口差は大きいのですが、米子市側も異論なく、新設合併に決まりました。
新市の名称については、全国公募を行いました。結果は以下の通り。
<公募上位>
1位 米子 1304件    2位 よなご 121件     3位 伯耆 65件      4位 新米子 36件      5位 米江 23件     6位 美保 20件
小委員会は、以下の4候補を選定し、協議会に報告しました。
「伯州」「美保」「米子」「よなご」
協議会では、「米子市」を推す意見が相次ぎ述べられ、特に反対も無かったことから、「米子市」に決まりました。
新市役所の位置米子市役所とし、淀江町役場は支所とすることが提案されました。合併時の本庁舎を米子市役所とすることは異論はありませんでしたが、
淀江町は一部分庁方式の採用を要望しました。本庁方式では、いずれ支所も無くなってしまうのではないかという不安が背景にありました。また現在の米子市役所が
借地上にあることから、淀江町側から、未来永劫この場所とするのには抵抗があるとの意向も示されました。
事務局は、庁舎の方式と将来の市役所の位置のあり方については別途協議すると説明し、市役所の位置については原案通りで承認されました。
その後、将来のあり方については、新市建設計画(合併後の事業計画)に、「本庁舎敷地の特殊性に鑑み、新市の庁舎の位置とそのあり方については、新市発足後、
速やかに審議組織を設置し検討を行うものとする」という文言を入れることで決着。分庁方式については結局その後は議論はされないまま、採用しないことになりま
した。
最ももめたのは、議員の任期の扱いでした。
民間委員は、当初は特例不適用から在任特例まで様々な意見があったものの、徐々に定数特例を採用した上で旧市町単位の選挙区を設ける意見に集約されて
きました。両議会の意見はなかなかまとまりませんでしたが、まず淀江町議会が僅差で在任特例支持の方針を決めました。米子市では住民団体から市長や議会に
「特例不適用か法定定数に近い定数での定数特例」を求める要望が出されましたが、結局米子市議会も同じく僅差ながら在任特例支持の方針を決めました。こうして、
民間と議会の意見が対立する構図になりました。
議会側からは「在任期間1年半、報酬は合併前の2市町の額を維持」とする案や、民間委員からは「定数特例で36(法定上限は34)とし、米子32・淀江4」などの
意見も出ましたが、議論は平行線をたどったまま、時が過ぎていきました。
最終的に淀江町議会が「1年6ヶ月の在任特例、特例終了後の定数は32、報酬は合併前の2市町の額を据え置き」という案を出し、米子市議会も「最長1年6ヶ月、
特例終了後の定数は32を限度」という、淀江町議会に同調する結論を出しました。民間委員からは「定数特例を適用し定数34、旧市町単位に選挙区を設け、
米子29・淀江7(均等割25%、人口比50%、面積比25%)とする。報酬は旧米子市議と旧淀江町議の報酬額を29:7で加重平均した額に統一」という案が出され
ました。しかし、民間委員にも、徐々に在任期間と特例終了後の定数によっては在任特例を容認するという見解も出始め、「在任期間1年、特例終了後の定数30」
という具体的な案も出ました。
これらを踏まえ、両議会で再検討した結果、「1年3ヶ月の在任特例、特例終了後の定数は32」という譲歩案がまとまりました。これにも民間委員から批判の声が
上がりましたが、合併期日に向けたスケジュールが厳しくなっていたこともあり、「1年3ヶ月の在任特例」についてはやむを得ないという雰囲気が大勢を占めました。
問題は特例終了後の定数に集中しました。そこで、この場ではいったん32と決めるものの、合併後に再検討をする旨の但し書きを付けて収拾することになりました。
但し書きの文面ももめましたが、「新市の議会の議員の定数については、・・・・32人とする。ただし、在任特例期間中に合併の意義及び合併協議会での意見を
尊重し、新市の議会において公聴会等を開催のうえ、さらに検討し、結論を出すものとする。」とする案を決定。在任期間1年3ヶ月とセットで採決にかけ、
18人中15人の賛成で承認しました。
04年7月に全ての協議が終了、9月に合併協定書に調印しました。

鳥取県 郡家町+船岡町+八東町=八頭町 (新設合併、05年3月31日)

鳥取市の南東に位置する3町が合併して1つの町になりました。
人口は、郡家町が約10100人、八東町が約5200人、船岡町が約4300人です。
01年5月、鳥取県東部の15市町村(鳥取市・岩美町・郡家町・船岡町・八東町・若桜町・智頭町・旧国府町・旧福部村・旧河原町・旧気高町・旧鹿野町・旧用瀬
町・旧青谷町・旧佐治村)は「鳥取県東部地域における市町村合併に係る研究会」を設置しました。この研究会は02年2月に最終報告をまとめ、合併を推進する
方針を示します。その後住民説明会などを経て、02年5月、「東部地域市町村合併世話人会」が発足。6月に、鳥取市が関わる法定協議会は郡単位で設置し、
合併の方式は編入合併とすることを決めました。6月から10月にかけて、郡家・船岡・八東・若桜の各町では住民意向調査が行われ、郡家・八東・若桜の3町
では、八頭郡東部(4町)の枠組み支持が最多となりました(船岡町も八頭郡内の合併が1位、僅差で八頭郡東部が続く)。これを受けて、10月から11月に
かけて、郡家・船岡・八東・若桜の各町は相次いで4町での合併を進めることを表明、03年1月に任意協議会を設置しました(鳥取市は02年11月に5市
町村で法定協議会を設置、03年1月には4町村が加わり、以後複雑な経緯を経て04年11月に8町村が鳥取市に編入)。
03年3月には4町で法定協議会を設置します。
新町の名称については、小委員会で、「一般公募を行って候補を選定し、住民アンケートを実施。その結果を参考に協議会で決定」することを決めました。
全国公募の結果を踏まえ、小委員会は25候補を選定し、協議会に報告。協議会委員が各自5点ずつ選び、票数の多かった5候補を以下の通り選定しました。
「因幡」「扇野」「須賀野」「八頭」「八頭東」
「扇野」は新町域の北東にある山「扇ノ山」から来ており、「須賀野」は新町域の東にある氷ノ山の旧名「須賀ノ山」に由来します。
5候補を住民アンケートにかけることになりました。結果は以下の通り。
<住民アンケート結果>
1位 八頭 2468件      2位 因幡 985件     3位 扇野 493件     4位 八頭東 429件    5位 須賀野 275件
1位の八頭が53%を占めて圧倒的多数となったため、小委員会は、「八頭町」に絞って協議会に提案。異論無く承認されました。
議員の任期の扱いについては、小委員会で議論されました。まず在任特例の適用是非をめぐって、意見が分かれました。特に住民の間には在任特例適用に
否定的な意見が強くありました。小委員会は「特例不適用、最初の選挙に限り選挙区設置、定数は法定上限の26以下で別途検討」と意見集約しました。
特例適用は住民の理解が得られないこと、各町議会の意向も「特例不適用」支持が多かったことが背景にあります。協議会では、郡家町議会から選挙区設置に
反対する意見が出ました。郡家町は過去の合併時に、選挙区を最初の選挙だけ設けることで合意していたにもかかわらず、2度やることになった経緯があり、
選挙区設置に慎重な姿勢を示したのです。小委員会は再検討しましたが、結論は変えませんでした。小委員会はさらに定数について議論。大勢は26となった
ため、「初回の選挙は総定数26、人口比例配分で郡家10、八東6、船岡5、若桜5。2回目以降は削減に努める」と協議会に提案しました。郡家町はここでも
定数22を強硬に主張。小委員会に差し戻され、「定数は22とするが、初回の選挙に限り総定数を26とし、人口比例配分で郡家10、八東6、船岡5、若桜5と
する」と修正され、再提案されました。今度は船岡町が、2回目は24までは容認するも22は削減しすぎであると主張。一方若桜町は、初回の選挙は公選法
施行令の特例を使って、人口に比例しない配分を求めました。その後八東町でも2回目の定数は決めるべきではない、という意見が出ました。
小委員会で再検討がなされましたが、2回目の定数を22とすることは最終的に4町議会が合意。初回選挙の定数配分については、若桜町議会に異論を残した
まま、人口比例とする原案を維持することにしました。その結果が協議会に報告されましたが、傍聴席から「船岡町議会は2回目の定数に同意していない」
というヤジが飛び、いったん各町が持ち帰ることになりました。
新町役場の位置についても、小委員会で議論されました。小委員会ではまず、異論はあったものの、行政の効率性や住民の利便性当を考慮し、新庁舎建設が
必要だと判断。「合併後10年以内に新庁舎を建設する。新庁舎の位置は協議会で決定する」方針を決めました。しかし、協議会では若桜町の委員から「新庁舎
建設の是非や位置は合併後に検討すべき。今の段階で決定するのは時期尚早」との反論がなされました。特に若桜町長は「新庁舎の建設は不要」と断定的に
述べました。船岡町も、財政上、新庁舎を建設することが可能な見通しはあるのか、と異論を挟みました。一方、八東町は過去に役場の位置を決定できず、旧町村
持ち回りにした経験があり、合併前にきちんと定めることを要望しました。4町の間の溝は深まる一方でした。協議会会長(郡家町長)は小委員会に再検討を
求めました。
小委員会は、いったんこの問題を棚上げして、当面の庁舎の方式を議論しました。住民サービスの低下や合併時の混乱を避けるなどを理由に、「総合支所方式を
取りつつ、統合できるものは出来る限り統合する」ことで小委員会は意見集約、協議会に報告しました。なお、農業委員会や教育委員会は本庁舎以外に置く、
一部分庁方式も加味した想定となっています。しかし、本庁舎の位置の選定で小委員会は行き詰りました。小委員会の委員による無記名のアンケートを実施する
などしましたが、なかなか集約できませんでした。小委員会は、まず2つに候補を絞りました。「交通の利便性や他の官公署との関係から、郡家町役場」とする
案と、「庁舎の新しさや広さ、駐車場の確保状況などから、船岡町役場」とする案です。この2案の対立が継続し、打開の糸口が見えなくなったのです。
ここまで協議が進んで、後一歩となっていた04年3月に、若桜町長が、町議会の定例会で、突然協議会離脱の意向を表明します。若桜町は新町の周辺部と
なるが、協議の経過を見るに均衡ある合併となるか不安を持っているとし、あえて判断するならば、単独行政をめざした方がいいと発言したのです。
3月に開かれた協議会は、この問題を集中審議しました。若桜町長の決意は固かったのですが、若桜町議会は住民の意向を踏まえた上で結論を出すべきとして、
態度を保留しました。その上で若桜町議会は、3町での法定協議会設置など早まった行動は取らないでほしいと要望しました。
結局、若桜町の判断を待つとして、4町の協議会は3月の協議会をもって一時中断しました。しかし再開されることはなく、04年8月末で4町の法定協議会は
解散
します。
04年3月末から4月にかけて、3町は住民説明会を開催。3町での合併協議を進めることを決め、04年5月、3町の法定協議会を設置します。
新町の名称は、4町の協議を引き継ぎ「八頭町」を提案。各町とも支持する意見が大勢を占め、承認されました。
議員の任期の扱いについては、「特例不適用で定数21(法定上限26)、最初の選挙に限り選挙区を設置し、定数は人口比例で郡家10、八東6、船岡5
と提案されました。4町での協議で初回の選挙の定数として決まっていた26から、若桜の5を引いた格好です。
協議会では、郡家町の委員から、2回目以降の選挙の定数は、もともと22に減らすことが決まっていたが、提案に反映されていない、と異論が出ました。初回から
18にすべきという具体的な数字も出ました。一方、船岡・八東の両町は、定数は原案のままで良いという姿勢でした。郡家町の議会議長も原案を容認しました。
定数について採決をとり、賛成多数で原案の定数21を承認しました。
続いて、選挙区設置の是非についても採決をとり、賛成多数で、原案通り承認されました。
新町役場の位置については、本庁舎としない庁舎は総合支所とし、行政委員会などを本庁舎以外に置く一部分庁方式を加味することが提案されました。
協議会では、新庁舎の建設是非は早く結論を出すべき、などの意見が出ました。一方で、合併後に考えればよい、という意見も根強くありました。本庁舎の位置
については、相変わらず船岡町は庁舎の新しさから船岡町役場にすべきと主張、船岡町役場を改修すれば新庁舎の建設も不要、とする意見もありました。
一方郡家町などの委員からは、利便性や観光所との関係で郡家町役場にすべきとする意見が出て、4町の協議の繰り返しになりました。話し合いでは決着が
つかないため、投票に持ち込まれました。
<第1回投票結果>
郡家町役場 10      船岡町役場 10     八東町役場 3
上位2点で決選投票が行われました。
<決選投票結果>
郡家町役場 13      船岡町役場 10
以上より、郡家町役場に決定しました。
なお、新庁舎の建設の是非については、合併後に先送りされています。なお一部分庁については、議会と地籍調査課を船岡町に、教育委員会と農業委員会を
八東町に、それぞれ置くことになりました。
04年9月、全ての協議が終了、合併協定書に調印しました。

島根県 松江市+鹿島町+島根町+美保関町+八雲村+玉湯町+宍道町+八束町=松江市
                                                
(新設合併、05年3月31日)

松江市が周辺に位置する7町村と合併し、1つの市になりました。
人口は、松江市が約15万2400人、宍道町が約9400人、鹿島町が約8000人、八雲村が約7000人、美保関町が約6400人、玉湯町が約6200人、八束町が
約4400人、島根町が約4200人です。
02年5月、東出雲町を含む9市町村は、任意協議会を設置しました。しかし、法定協議会に移行する直前の10月になって、東出雲町長が町議会で法定協議会に
参加しない方針を突然表明。町議会もこの方針を支持し、合併協議から離脱しました。もともと東出雲町は合併に慎重な意見を町内に抱えていました。松江の市民
税が町民税より割高であること、下水道普及率も松江市より高く、合併に伴う基盤整備のメリットが薄いこと、なども慎重派を増やす原因になったようです。
なお、合併推進派の住民は、8市町村の法定協議会に参加を求める住民発議を実施。合併特例法に基づく住民投票に持ち込みましたが、03年7月に実施された
投票の結果は、賛成45%・反対55%となり、結局東出雲町は当面単独行政を維持することになりました。
02年11月、東出雲町を除く8市町村は法定協議会を設置しました。
まず、合併の方式が問題になりました。
新設合併を支持する意見は「(町村の)住民の理解が得やすい」「行政制度をゼロから作り上げるので、抵抗が少なく、円滑に協議が進む」「新設合併でも松江市
の名称を残すことは可能」などを根拠に挙げる一方、編入合併を主張する意見は、「人口差も大きく、新設では松江市民の理解を得るのは困難」「行政制度も
松江市をベースにするので、迅速に協議が進む」「松江市の名称はブランドとして維持すべき」「松江市を国際文化観光都市としている個別法(憲法95条に基づく
住民投票を経て制定)が新設合併では失効する恐れがある」などを根拠に挙げました。町村側は新設合併を主張し、松江市は編入合併を主張する、といった構図
でした。
協議会では意見の応酬となってしまい決着が付かないため、市町村長と共通委員(各市町村を代表しない民間委員)で小委員会を設置して検討を進める
ことになりました。この小委員会には、新市の名称・新市役所の位置・議員の任期の扱いも付託されました。
その後合併の方式については、「松江国際文化観光都市建設法は、(法形式上は従来の松江市を廃止することになる)新設合併でも失効しない」との国の見解が
示され、これを受けて松江市も新設合併を容認する方針を決め、03年5月、以下の内容の中間報告を協議会に行いました。
合併の方式・・・新設合併
新市の名称・・・松江市
新市役所の位置・・・松江市役所とし、旧町村役場を支所とする。
議員の任期の扱い・・・定数特例を適用し、合併時の選挙に限り定数を45か48にする。各市町村ごとに選挙区を設け、松江34、鹿島・美保関・宍道・八雲を各2、
              島根・玉湯・八束を各1か2にする。
              特例適用後の定数は法定上限の34とする。
議員の任期の扱いについては、町村側から在任特例を要望する意見も出ましたが、在任特例を適用すると135人もの議会になるため、在任特例の採用は見
送られ、焦点は定数特例の適用可否に絞られました。仮に編入合併で定数特例を適用すると、松江市議の合併時の定数が34で、鹿島・美保関・宍道・八雲が
各2、島根・玉湯・八束が各1の11人の増員選挙を行うことになり、総定数は45となります。45人とする案は、新設合併としつつ、編入合併の定数特例に近い
(旧松江市域で合併時に選挙を行うことと、任期が合併後4年になることの2つだけ異なる)結論を得ようとしたものです。一方、1人区は避けて欲しいという要望も
あり、両論併記のような格好になっています。ただし、松江市議会は選挙区を設けるべきでないと主張していました。
小委員会は、議員の任期の扱いについて、更に協議を重ね、最終的に「定数特例を適用し、合併時の選挙に限り定数を48にする。各市町村ごとに選挙区を
設け、松江34、7町村は各2とする。特例適用後の定数は法定上限の34
とする。」という案をまとめました。松江市議会も苦渋の選択としてこれを容認しま
したが、鹿島町や宍道町の議会は、「なぜ人口の多少にかかわらず定数が2なのか」と主張し反発しました。
市町村長・市町村議会議長・共通委員が集まって協議した結果、鹿島町以外はこの調整案に同意しましたが、鹿島町議会は調整に時間がかかるとして、結論
を先送りすることを求めました。1週間後に再度臨時の協議会を開催し、それまでに鹿島町内で調整する方向を打ち出しましたが、今度は松江市議会が「本日
結論を出す前提で調整した。先送りされると収拾が付かなくなる」と反発しました。鹿島町議会議長が、この調整案通りで合意できるよう、最大限努力すると
釈明し、この場はなんとか収まりました。
約1週間後の臨時協議会で、鹿島町議会も議員の任期の扱いの調整案に同意することを表明。これらの項目が全て承認されました。
なおその後の協議で、
・旧町村役場の支所については総合支所とすること
・合併特例法の地域審議会の機能に、地域独自の事業やまちづくりなどについての提言を支所に行う機能を加えた、「地域協議会」を地方自治法上の付属機関
 として旧7町村の地域に設置すること
などが決まりました。
協議が終盤に入っていた04年2月に、宍道町で合併の是非を問う住民投票が実施されましたが、賛成が69%を占めたため、合併に向けた協議は予定通り進め
られました。
04年2月に全ての協議が終了、3月に合併協定書に調印しました。

島根県 仁多町+横田町=奥出雲町 (新設合併、05年3月31日)

島根県南東部の仁多郡に属する2町が合併して、1つの町になりました。
人口は、仁多町が約8400人、横田町が約7700人です。
2町は02年11月、任意協議会の設立準備会を設置。本格的な協議を開始しました。03年1月には任意協議会を設置します。
任意協議会では、合併の方式を新設合併に決めたほか、住民説明会などを実施しました。
03年4月、2町は法定協議会を設置します。
議員の任期の扱いについては、議員を中心に協議した結果、「特例を適用せず、定数は22(法定上限)とする。最初の選挙に限り、旧町単位に選挙区を
設け、定数は両町とも11とする」ことを提案しました。特例適用は住民の理解が得られないと判断したのです。
協議会では、住民説明会で、一部住民から「選挙区を設けないほうが良い」という意見が出たことから、この点のみ議論されました。しかし、原案は両町議会の
了承を得ていることや、異論は住民の一部に過ぎず大方は原案に理解が得られていること、などを踏まえ、協議会は全会一致で原案通り承認しました。
この合併で最後までもめたのは、新町の名称と新町役場の位置でした。ともに小委員会に付託されました。
新町の名称については全国公募を行いました。なお、2町の町名も除外しませんでした。結果は以下の通り。
<公募上位>
1位 仁多 593件     2位 奥出雲 374件      3位 仁田 118件       4位 にた 35件      5位 おろち 32件
小委員会は、以下の4候補を選定し、協議会に報告しました。
「奥出雲」「仁多」「仁田」「横田」
新町役場の位置についても、小委員会で議論されました。仁多町の委員は仁多町役場を推し、横田町の委員は横田町役場を推し、議論は平行線をたどりました。
両町の主張は以下の通り。
【仁多町役場を推す理由】
 以下の理由により、仁多町役場を本庁舎としつつ、現在の仁多町役場の位置に合併特例債を活用して新庁舎を建設すべき。
 ・以前から06年を目途として現庁舎隣接地の用地取得などを進めてきた。現庁舎を有効活用しながら、新庁舎の建設が可能。駐車場も十分確保できる。
 ・松江や県の出先機関がある木次への交通の利便性が高い。
 ・国道やJR木次線の駅もあり、交通事情は問題ない。
 ・警察署や消防署の分署など他の官公署もある。
 ・住民の役場位置までの移動距離の点からも優位
 ・冬季の積雪量が少ない。
 ・病院や福祉施設が町内に充実
【横田町役場を推す理由】
 深刻な財政事情を考慮して、新庁舎建設は慎むべき。当面は、現庁舎を最大限有効活用し、改修費も最小限にとどめるべき。この観点から、横田町役場に
 管理部門、仁多町役場に事業部門を置く分庁方式とすべきである。
 ・建物面積も広く、構造上、容易に事務室のスペースを拡大することが出来る。
 ・同一敷地内に他の公共施設があり、庁舎の一部への転用も可能。
 ・庁舎敷地内の駐車場(100台以上)が広く、職員駐車場も確保されている。
 ・議場には傍聴席が多く確保されており、議員席の増設も可能。
 ・JR出雲横田駅やバスターミナルに近い。
 ・バリアフリー対応が進んでいる。耐震性も十分。
 ・庁舎のデザインは歴史に由来するものであり、新町の顔としての風格を備えている。
 ・県も出先を引き上げる意向(既に一部実施予定)にあること、交通通信網の発達などにより、県の出先機関等との地理的距離は重要性を失いつつある。
 ・広島県、鳥取県との広域行政や道州制、さらには山陽、京阪神方面に目を向ける必要があり、島根県内の地理的関係の議論は避けるべき。
04年2月頃から、新町の名称・新町役場の位置とも協議が停滞します。新町の名称は庁舎位置とリンクするとして、一緒に保留されたのです。他の
大半の協議項目は決着が付く中で、新町役場の位置が最大の難関となりました。
04年4月以降、協議会は正式会合の開催を見合わせ、断続的に全員協議会を開きながら、新町役場の位置を集中して審議しました。各町内でも自治会長会
や議会の全員協議会などが開かれました。しかし、解決の糸口は見つかりませんでした。仁多町は住民アンケートでの決定を提案しますが、横田町は人口差
があるとして、この提案を拒否しました。住民からは、「何年かおきに本庁舎を移動すればよいのではないか」などというアイデアも出ましたが、行政側は
庁舎の位置変更には議会の2/3の同意が必要となり、簡単には移動できないとして否定しました。「県の裁定を求めてはどうか」という意見まで出ました。
04年9月、5ヶ月ぶりに協議会が開催され、新町役場の位置を選定してきた小委員会のメンバーに、両町長・両町議会議長・県議・郡外の学識経験者・県職員
を加えて構成する「庁舎位置選定検討会」を設置することが決まりました。小委員会は「選定検討会」の意見を参考にして新町役場の位置の案を決定し、
協議会はそれを最大限尊重することが決まりました。
「庁舎位置選定検討会」では、小委員会委員長から、第三者委員(両町関係者以外)に一定の結論を出して欲しい旨の要望が出ました。04年10月25日、
第三者委員は「本庁は仁多庁舎に置き、議会は横田庁舎に置く」などとした調整案を小委員会に提示しました。小委員会では異論があったものの、最大限
これを尊重することで意見集約しました。事務局は小委員会に対し、「選定検討会」の意見をベースにした協議会への小委員会報告案を提示しましたが、
横田町は反発し、大幅な修正を求めました。その後も、「選定検討会」の結論を小委員会の結論とは出来ない、とする横田町と、「選定検討会」の結論を支持
する仁多町との間の溝は埋まりませんでした。結局、04年12月、小委員会は「結論を出すに至らなかった」と協議会に報告しました。
協議会でも、引き続き横田町と仁多町の対立が繰り返されるだけで、なかなか決着はつきません。
一方、新町の名称については、小委員会で1点に絞り、庁舎位置の審議経過を踏まえ、タイミングを見計らって提案することになりました。
新町役場の位置については、最終的に両町長の話し合いに委ねられることになりました。
05年2月、ようやく以下の内容で両町が合意。協議会に提案され、承認されました。
・新町の庁舎は、現有の仁多町役場、横田町役場を有効に利用し、その名称は、仁多庁舎、横田庁舎とする。
・新町において、新町建設計画期間は、厳しい財政状況で庁舎建設の余力はなく、庁舎の建設及び庁舎建坪を拡張するような改造はしない。
 併せてこれらに関連する新たな土地の取得は行わない。
新町事務所の位置は、仁多庁舎、横田庁舎とし、暫定措置として住所は、現在の仁多郡仁多町大字三成358番地1(仁多町役場)とする。
・主として当面管理部門は仁多庁舎、事業部門は横田庁舎に置き、窓口部門は両庁舎に配置。町長室は両庁舎に置き、議会は横田庁舎に置く
新町の名称については、庁舎位置決定後に小委員会で議論されました。応募数を理由に「仁多」を推す声もありましたが、庁舎位置とのバランスから、
横田町では「町名は横田に」という声もあり、結局「奥出雲町」で全員の意見が一致。協議会に提案され、全会一致で承認されました。
合併の期日については、仁多町が05年3月31日の合併を主張したのに対し、横田町は住民の理解を得たいとして、3月末までに県に申請するものの、
合併期日は05年度としてほしいと要望しました。しかし、仁多町は05年度の合併では国の補助金1.8億が無くなってしまうとして年度内合併にこだわり
ました。両町長の調整に委ねられましたが、なかなか結論が出ず、05年3月までもつれこみました。3月5日の協議会で両町長と両議会議長が別室で協議し
3月31日とすることで合意。承認されました。
これで全ての協議が終了。まず3月6日に両町議会が合併議案を議決。翌7日に合併協定書に調印。8日には島根県議会が議決し、25日に官報告示。
31日の合併にこぎつけました。最後は超特急での合併となりました。

岡山県 新見市+大佐町+神郷町+哲多町+哲西町=新見市 (新設合併、05年3月31日)

岡山県北西部の新見市と阿哲郡4町が合併し、1つの市になりました。
人口は、新見市が約23500人、哲多町と大佐町が約3900人、哲西町約3100人、神郷町が約2500人です。
この地域では01年9月から合併に向けた研究等が行われていましたが、02年10月、5市町は任意協議会を設置します。任意協議会では合併後の将来構想や
行政制度の調整などについて話し合われました。
03年4月、法定協議会を設置します。
合併の方式を新設合併とすること、新市役所の位置を新見市役所とし、各町役場を支局とする(新見支局は本庁舎に併設)ことは、異論無く承認されました。
支局の機能は、総合支所的なものになります。
なお、旧市町単位の支局に予算や基金(合併特例債が元手)を配分したうえで、旧市町単位に、合併特例法ではなく条例に基づく地域審議会(設置期間定めず)を
置いて、支局の予算編成や基金の活用方法等について意見を述べることができるようにするなど、分権的な合併になっています。
新市の名称については、全国公募を実施しました。結果は以下の通り。
<公募上位>
1位 新見 2972件     2位 阿新(あしん) 201件      3位 にいみ 87件     4位 備北 36件      5位 阿哲 34件
小委員会は以下の3候補を選定し、協議会に報告しました。
「新見」「阿新」「阿哲」
協議会では、知名度、公募件数や名称変更にかかるコストなどを踏まえ「新見市」を推す意見と、吸収合併の色彩を和らげるため「阿新市」を推す意見が
対立。無記名投票で2/3を得た名称があれば、それに決めることにしました。
<投票結果>
新見 24      阿新 13       阿哲 0
2/3である25票に達する候補がなかったため、さらに協議を続けることになりましたが、決着が付かないため、首長・議会議長で話し合い、1候補に絞る
ことになりました。話し合いの結果全員一致で「新見市」が選定され、挙手採決で35名の賛成を得たため、「新見市」に決定しました。
議員の任期の扱いについては、任意協議会段階では旧町単位に選挙区を設置する方向で考えられていました。各議会の意見は、新見市は「定数26(法定上限)
で選挙区設置しない」、大佐町は「特例不適用、選挙区を設置」、神郷町は「定数特例で26から30、選挙区設置」といったところでした。民間委員は選挙区を設ける
べきとする意見が大勢でした。
そこで、「特例を適用せず、選挙区も設置しない」「特例を適用せず、選挙区は設置」「定数特例を適用し、選挙区設置」の3案を基本に、議員と民間委員からなる
小委員会で議論することになりました。
小委員会では、条例に定める定数(2回目以降の選挙の定数)は法定上限の26とすることで合意しましたが、選挙区設置不要とする新見市と、設置必要とする
4町の意見が対立しました。ここは新見市側が譲歩し、合併時の選挙に限り、旧市町単位の選挙区を設けることになりました。
合併時の選挙の定数については、26とすべきとする意見と、定数特例を適用すべきとする意見に分かれ、また配分方法についても、人口比例とすべきとする意見
と均等割を求める意見に分かれました。まず、定数特例を適用せず、定数を26とすることは合意できましたが、配分については調整が難航しました。
各委員に案の作成を依頼したところ、
「定数26を人口比例配分・・・新見16、大佐3、哲多3、神郷2、哲西2」、「1人を均等配分し、残りを人口比例配分・・・新見14、大佐3、哲多3、神郷3、哲西3」、
「2人を均等配分し、残りを人口比例配分・・・新見12、大佐4、哲多4、神郷3、哲西3」、「3人を均等配分し、残りを人口比例配分・・・新見10、大佐4、哲多4、
神郷4、哲西4」、「定数を24にしたうえで1人を均等配分し、残りを人口により配分しつつ、4町が同数となるよう調整・・・新見12、大佐3、哲多3、神郷3、哲西3」
の5案となり、意見集約が図れないまま、協議会に報告されました。
なお、既に定数26で合意していたのに、ここで定数24の案が急に出てきたのは、財政の現状を考えると定数を削減したほうがよいという考えから、小委員会の
民間委員の多数意見として出された意見だったためです。なお、定数24で1人を均等配分し、残りを人口比例配分すると、新見13、神郷2となりますが、
新見から神郷に定数1を移して、4町を同数にしています。
協議会でも、4町側の議員は「2人を均等配分し、残りを人口比例配分」という意見が多く、新見市議会は「定数26を人口比例配分」とする意見、民間委員からは
「定数24」の意見が多く出され、なかなか収拾がつきませんでした。そこで投票に持ち込まれることになりました。
<投票結果>
「定数24」 16    「定数26で人口比例配分」 8     「定数26で1人均等配分」 7    「定数26で2人均等配分」 6   「定数26で3人均等配分」 0
いずれも2/3に達しないため、上位3案で再投票を行うことになりました。
<再投票結果>
「定数24」 22    「定数26で人口比例配分」 11     「定数26で1人均等配分」 4
さらに上位2点で決選投票が行われました。
<決選投票結果>
「定数24」 26    「定数26で人口比例配分」 11 
26票は2/3を上回っているため、以下の通り決定しました。

「定数は24」「在任特例は適用せず、合併時に選挙」「合併時の選挙は旧市町単位に選挙区を設け、新見12、大佐3、哲多3、神郷3、哲西3」
議員の任期の扱いを最後に、04年6月、全ての協議が終了。7月に合併協定書に調印しました。

岡山県 勝山町+落合町+湯原町+久世町+美甘村+川上村+八束村+中和村+北房町=真庭市
                                             
(新設合併、05年3月31日)

岡山県北部の真庭郡9町村のうち新庄村を除く8町村と、上房郡北房町が合併して新しい市になりました。
人口は、落合町が約15600人、久世町が約11400人、勝山町が約8900人、北房町が約6100人、湯原町が約3300人の順で、残りの3村は3000人を
割っています。
1996年9月、川上村と八束村は2村で法定協議会を設置します。しかし2村合わせても5000人余りと小規模であることもあり、98年に実施された住民
アンケートの結果、川上村では反対が過半数を占めてしまい、この動きは頓挫します(正式解散は03年12月)。その後中和村を含めた枠組みなどを検討
しますが、なかなか進まない状況にありました。
一方、北房町は高梁市などとの合併をめざし、01年9月に1市6町(高梁市・旧有漢町・旧成羽町・旧川上町・旧備中町・旧賀陽町・旧北房町)で研究会を
設置。02年6月には任意協議会に改組しましたが、旧賀陽町(現在の吉備中央町の西部)が離脱。北房町も法定協議会に移行する際に、真庭地域での
枠組みを望む声も強くあったため、枠組みを問う住民投票を実施することになりました。03年4月に実施された結果は、真庭地域57%、高梁地域43%
となり、北房町は高梁地域の法定協議会には加入せず、真庭地域での合併を目指すことになりました(高梁市の合併の経緯は、こちらを参照)
落合町は、当初、真庭郡内ではなく南方の町村との合併をめざしていましたが、これも頓挫し、行き詰っていました。
このような状況の中で、03年4月、勝山・落合・久世・北房・旭・美甘の6町村は任意協議会を設置します。しかし、湯原町の加入をめぐり、郡内の広域合併を
めざす勝山・久世・美甘の3町村と、6町村の枠組みにこだわる落合・北房・旭の3町が対立。5月に任意協議会は休止に追い込まれます。
同月、勝山・湯原・久世・美甘の4町村は、真庭郡全体での合併をめざすことで合意。川上・八束・中和・新庄の4村に参加を呼びかけ、落合・北房・旭の3町にも
この動きの趣旨を伝えました。新庄村は早々に不参加を決め、川上・八束・中和の3村は参加の意向を表明。
03年6月、7町村は研究会を設置しました。研究会では、合併の方式を新設合併とすること、北部に分庁舎を設けること、新庁舎の建設は合併後に検討する
こと、機能分散型の合併をめざすこと、などを確認しました。
03年8月、7町村は法定協議会を設置します。
協議会設置直後(8月)に、落合町と北房町は協議会への参加を申し入れました。協議会は2町に対し、加入前に決定した協議項目については全て承認すること
を認めさせました。その上で、7町村議会で加入の是非について議論した結果、一部に異論はあったものの、10月までに各町村議会とも参加を認めることを決め、
03年11月に、落合町と北房町も法定協議会に加入しました。
新市役所の位置については、小委員会で議論されました。
当初は7町村の体制であったため、小委員会は中間報告として「当分の間の本庁舎は人口集積などを考慮し勝山町役場か久世町役場、新庁舎を建設する場合は
勝山町内か久世町内、北部分庁舎については八束村に設置する」ことを取りまとめ、協議会(7町村)でも合意しました。
その後、更に小委員会で議論が進められ、「本庁舎は新庁舎建設までの間勝山町役場とし、新庁舎は久世町内に建設」「北部分庁舎は合併後すみやかに
八束村内に建設する。建設までの間は八束村役場と川上村役場に分庁舎機能を分散して配置する」ことを協議会(7町村)に報告し承認されました。
人口最多の落合町が加入する前に急いで決定した感があります。
なおその後の協議で、庁舎の配置については、分庁方式をとり、勝山町役場に総務部・企画振興部・公営企業部、久世町役場に市民生活部・産業建設部、落合町
役場に健康福祉部・教育委員会を置くことになりました。なお、北部分庁舎については、所管区域を川上村・八束村・中和村とし、本庁の各部の出先機関を置くことで、
北部地域の特性を踏まえた行政を行うための拠点とする予定です。
新市の名称については、2町加入後に住民を対象に公募を実施しました。9町村の名称は候補から除外しています。結果は以下の通り。
<公募上位>
1位 真庭 511件    2位 まにわ 390件    3位 新真庭 37件     4位 北岡山 36件     5位 岡北 28件    6位 みどり 16件
小委員会は、「真庭」「まにわ」の2点を候補として協議会に報告しました。
協議会では、この2点で投票が行われました。
<投票結果>
真庭 57      まにわ 7
以上により、「真庭市」に決定しました。
なお、市名の次に来る町・字名にも、旧町村名は残されないことになりました(川上・八束・中和の3村は現在の地名の前に「蒜山」を付すなど、一部地域は改名)。
議員の任期の扱いについても、小委員会で議論されました。
2町の加入により、法定上限は30となっていました。小委員会では在任特例や特例不適用を求める意見もあったものの、定数特例支持が大勢を占め、合併時の
最初の選挙に限り定数を40とし、旧町村単位で選挙区を設けることで意見集約しました。各選挙区への定数配分は、9町村に2名ずつ均等配分した上で、
残りの22名を人口比例配分することとし、落合町8、久世町7、勝山町6、北房町5、湯原町3、美甘村3、川上村3、八束村3、中和村2、とまとめました。
均等配分を2人にしたのは、中和村は人口比例配分ではゼロとなり均等配分のみしか割り当てがないことから、1人区となるのを防ぐためです。
以上がまず協議会に報告されました。協議会では久世町の委員から定数特例を使わず合併時から法定上限の30で選挙区を設けないことにすべきという意見が
出され、落合町からも、人口当たりの議員数の格差を理由に同様の意見が出ました。
協議会は最終的に採決をとり、賛成51、反対13で賛成が2/3以上となったため、小委員会報告通り承認しました。
特例終了後の選挙についても、小委員会で議論が戦わされました。小委員会は、定数を26(現時点での法定上限は30)とし、選挙区は設けないことで意見集約し、
協議会に報告。協議会は委員会報告通り承認しました。
04年8月に全ての協議が終了し、合併協定書に調印しました。

岡山県 勝田町+大原町+東粟倉村+美作町+作東町+英田町=美作市 (新設合併、05年3月31日)

岡山県北東部にある、勝田郡勝田町と、英田郡のうち西粟倉村を除く5町村が合併して、新しい市になりました。
人口は、美作町が約12900人、作東町が約7500人、大原町が約4600人、勝田町と英田町が約3600人、東粟倉村が約1400人です。
02年12月、勝田町・勝央町・大原町・東粟倉村・西粟倉村・美作町・作東町・英田町・旧柵原町の9町村は任意協議会を設置します。しかし、03年3月に
勝央町の離脱を受けて、この任意協議会は解散してしまいます。
03年10月、勝田町・勝央町・旧勝北町・美作町・英田町・旧柵原町の6町で任意協議会が設置されますが、旧勝北町は津山市との合併をめざし、この
枠組みからは離脱します。03年12月、勝田町・勝央町・美作町・英田町・旧柵原町の5町は法定協議会を設置します。
一方、03年12月、大原町・東粟倉村・西粟倉村・美作町・作東町の、英田町を除く英田郡5町村も、任意協議会を設置します。
04年1月、5町村の任意協議会は、5町の法定協議会に合流を申し入れますが、2月に5町の法定協議会は拒否。この方針を不満として、両方の協議会に
参加していた美作町は離脱を表明。続いて旧柵原町・勝田町も離脱し、5町の法定協議会は、04年3月29日に、勝央・英田の2町の法定協議会に縮小します。
勝央町・英田町の2町は飛び地となったこともあり、県に合併重点支援地域の指定を拒否されました。2町の協議会は旧柵原町にも参加を呼び掛けましたが、
断られました。2町の協議会は新町の名称の全国公募や、新町役場は総合支所方式とすること、議員の任期の扱いは特例を適用せず、定数を16とし、合併
時の選挙については、勝央11、英田5の選挙区を設けることなどの方針を小委員会で決めましたが、04年6月、英田町は勝央町との飛び地合併を断念し、
2町の法定協議会は解散してしまいます。
一方、04年3月、任意協議会を構成していた5町村は、勝田町を加えた6町村で法定協議会を設置します。そして、04年6月、英田町は6町村の
法定協議会に加入を申し入れ、認められます。
この時点で枠組みは7町村になりました。なお、この加入に際しては、大原町や作東町の一部から、一度
5町村の任意協議会の加入を拒否しておきながら、今になって加入申し入れを行うという英田町の姿勢に批判が出ました。
なお、法定協議会は勝央町にも参加を呼び掛けましたが、勝央町は04年7月に合併の枠組みと是非を問う住民アンケートを実施。「美作町などの法定協議会
に合流」が38%、「当面静観する」が34%、「合併しない」が28%となり、意見は三分されました。これを受けて、勝央町は法定協議会への加入を見送り、
当分単独行政を維持する方針を決めました。
新市の名称については、全国公募を実施しました。結果は以下の通り。
<公募上位>
1位 美作 577件    2位 勝英 292件      3位 みまさか 244件     4位 作州 136件    5位 東美作 89件
旧国名の美作にちなむもの、勝田郡・英田郡の郡名にちなむものが上位に来ています。
小委員会は、以下の5点を候補として協議会に報告しました。
「美作」「勝英」「作州」「東美作」「みまさか」
協議会は、投票で決することにしました。
<投票結果>
美作 29    勝英 10     東美作 1    みまさか 1     作州 0
以上により、「美作市」に決定しました。
新市役所の位置については、小委員会で議論されました。まず新庁舎は建設せず、現在の庁舎を有効活用する方針が決まりました。
そして、住民の利便性、交通事情、他の官公署との関係などを踏まえ、美作町役場を本庁舎とし、総合支所方式を採用することを決め、協議会に提案
しました。
協議会では、作東町から、美作町役場は借地であり不安があるとの意見が出され、美作町議会からは本庁方式から急に総合支所方式にした点に異議が
唱えられました。借地であるが契約は庁舎が存在する限り継続すること、総合支所方式といっても本庁には総合支所を設けておらず、支所の機能を充実
させた本庁方式ともいいうる、などと説明がなされましたが、全会一致とはならず、継続審議になりました。
議員の任期の扱いについても、小委員会で議論されました。各町村で意見集約した結果、「特例を適用せず、定数26(法定上限)で合併時に選挙。選挙区は
設置しない」とする案、「1年以内の在任特例を適用し、特例終了後の定数は26とし、選挙区を設置」とする案、「定数特例を適用し、定数26に各町村1ずつ
加算して、選挙区を設ける」とする案の3案が出ました。まず条例定数(原則となる定数)は法定上限の26とすること、選挙区を設けることが決まりましたが、
在任特例の適用可否・各選挙区の定数配分などは協議が難航しました。小委員会は調整案として「定数特例を適用し、選挙区を設け、特例定数は29」と
の案を出して、各町村の意見を求めました。
合併の期日については、「05年3月31日とする。ただし、国及び県の市町村合併支援プランに基づく財政支援の適用が延長された場合は05年4月1日と
する」と提案されました。国の特別交付税や補助金、県の交付金が04年度末までの合併を対象としていたことから、このような表記になっています。
これに対し東粟倉村は、合併後に先送りする問題が多すぎるとして、05年度への期日の延期を求めました。
協議がここまで進んだ04年8月、西粟倉村で合併の是非を問う住民アンケートが実施されました。結果は合併に反対が58%を占め、賛成の41%を大きく
上回りました。これを受けて西粟倉村は合併協議からの離脱を表明し、04年9月に離脱します。
一方、04年9月には東粟倉村で合併の是非を問う住民投票が行われ、「合併する」が44%「やむを得ず合併する」が7%と、僅差ながら合併支持が50%を
超え、「合併しない」の36%、「出来れば合併しない」の12%を上回りました。これを受けて、東粟倉村は、この枠組みに残ることになりました。
また04年10月には英田町でも合併の是非を問う住民アンケートが実施されましたが、こちらは賛成が56%を占めています。
新市役所の位置については、結局2/3の賛成多数で原案通り承認されました。
合併の期日についても、原案通りで承認されました。なお、その後に3月31日に確定させています。
議員の任期の扱いについては、その後の小委員会の調整で、定数特例も採用せず、定数を26とすることで合意しました。さらに、各選挙区の定数配分が
議論されましたが、人口比例で配分すると、東粟倉村は選挙区が定数1になるため、調整が難航しました。結局、「人口比例配分」とする案と、「各町村1ずつ
配分後、人口比例で配分」の2案が小委員会で投票に掛けられました。後者が19票、前者が4票となり、後者の方針が決まりました。
以上の経緯を経て、以下の内容を協議会に提案しました。
・定数特例、在任特例はいずれも適用せず、合併時に定数26で選挙を行う。
合併時の選挙に限り、旧町村単位に選挙区を設け、各選挙区の定数は、美作9、作東5、大原4、勝田3、英田3、東粟倉2とする。
作東町内には異論がありましたが、全会一致で承認されました。
04年9月に全ての協議を終了、10月に合併協定書に調印しました。

広島県 庄原市+総領町+西城町+東城町+口和町+高野町+比和町=庄原市 (新設合併、05年3月31日)

広島県北東部の庄原市が、甲奴郡総領町、比婆郡の5町と合併し、1つの市になりました。
人口は、庄原市が約20800人、東城町が約9900人、西城町が約4600人、口和町が約2500人、高野町が約2300人、比和町が約1900人、総領町が約
1800人です。
01年4月、総領町を除く6市町は、法定協議会の設置を目指すことに合意。6月には総領町が加入し、7市町の枠組みがいったん出来上がりました。
しかし02年3月、法定協議会設置の直前に、庄原市に次ぐ人口の東城町が合併協議から離脱。東城町を除く6市町は、02年4月、法定協議会を設置します。
合併の方式は新設合併とし、新市役所の位置は当面、庄原市役所とすることが決まりました。
新市の名称については、住民などを対象に公募を行いました。公募1位は庄原でした。
<公募上位>
1位 庄原    2位 備北    3位 比婆     4位 美北    5位 比婆庄原
協議会では、公募作品から1人3票ずつ投票し、1票以上を獲得した24候補を選定し、小委員会に絞込みを依頼しました。
<第1回投票上位>
1位 備北 22票     2位 庄原 21票    3位 美北 17票    4位 比婆庄原 10票    5位 里山 4票
小委員会は「庄原」「美北」「備北」の3候補を協議会に報告しました。
協議会では3候補から投票で選ぶことになりました。
<最終投票結果>
庄原 35     備北 9     美北 4
以上により、「庄原市」に決定しました。
議員の任期の扱いについては、定数特例を採用した上で旧市町単位に選挙区を設けることが提案されました。なお、各選挙区への定数配分は、人口比例を
基本としつつ、1人区とならないよう配慮することとしました。
6市町が協議を続けている間、東城町では合併賛成派と反対派のせめぎ合いが続いていました。
02年9月、東城町で合併推進派の住民が、7市町での法定協議会設置を求める住民発議を行いました。03年1月、東城町はこの法定協議会設置議案を可決
します。東城町議会は、元々合併慎重派が多かったのですが、直前に町長選が行われ、合併推進派の現職が反対派の新人を破ったことから、反対派だった
議員の一部が賛成に回り、特別委員会では可否同数となり委員長採決で可決しました(本会議では賛成12、反対3)。他の5町も03年2月までに可決ましたが、
この議案を庄原市は否決してしまいます。
続いて行政主導の7市町での法定協議会設置議案が各議会に上程されます。こちらは03年3月に1市5町が可決したものの、今度は東城町議会が否決して
しまいます。1月に賛成に回った元反対派の1名が反対派に戻り、1票差で反対派が勝ったのです。
しかし、混乱を見つめる住民の目は厳しいものがありました。法定協議会設置案を否決した東城町議会の対応を批判し、議会リコールの動きが始まります。
03年8月、東城町議会の解散を求める住民投票が実施され、賛成が6割となり、リコールが成立します。
03年9月、6市町の首長は、東城町からの合併協議申し入れを受諾。6市町の法定協議会を休止します。
そして03年10月、7市町は法定協議会設置議案を各議会で提案。今度は全議会で可決され、同じ10月に7市町の法定協議会が設置されます。
合併の方式は、6市町の協議会と同じく、新設合併としました。
新市の名称は、6市町の協議会で決定していた「庄原市」が提案されました。一委員から、「東城町加入前の6市町では、(旧)庄原市民が新市の過半数を
占めるが、7市町では過半数には至らないといった状況の変化がある。住所が変わる郡部について、費用の補助を再検討すべきではないか」との意見が
出ましたが、却下されました。賛成多数で「庄原市」と決定しました。
新市役所の位置については、「当面、現在の庄原市役所とする。旧町役場は支所とする。新庁舎を建設する場合の位置は旧庄原市内とする」ことが
提案されました。「庄原市にも支所を置いておけば、いずれ新庁舎(本庁舎)を建設する際に、規模が縮小されコストが削減できる」とする対案が出され
ましたが、賛成少数で否決され、原案通り承認されました。なお合併前の庄原市役所は市内5箇所の建物に分かれていましたが、合併後の市役所は旧庄原
市内の10箇所の建物に機能が分散することになります。
議員の任期の扱いについては、「条例上の定数は26(法定上限)とする。合併時の選挙に限り、定数特例を適用定数を33とした上で、旧市町単位に
選挙区を設ける。各選挙区の定数は、庄原13、東城7、西城4、口和3、高野2、比和2、総領2とする」と提案されました。合併時の各選挙区の定数は、
まず26を人口比例配分し、各市町に1ずつ加算することにより1人区を解消したものです。事務局は、人口比例では1人区となる高野・比和・総領の3町を
複数区にする方法として、他に「3町に2ずつ加算し、口和にも1加算することにより最低定数を3人とする案(総定数33)」「3町に1ずつ加算する案(総定数29)
を検討しましたが、1票の格差が最も小さくなる案を提案したのです。提案内容を各小委員会で審議した結果、いずれの小委員会でも、合併時の選挙の定数や
各選挙区への配分については一部に異論があったものの、大勢は原案を承認するということになりました。
協議会では、1人の委員から「合併時の選挙は定数38とし、庄原12、東城6、西城5、口和4、高野3、比和3、総領3とする」対案が出されました。原案に比し、
さらに5町に1ずつ配分する案です。両案が採決され、原案通り承認されました。なお合併後2回目以降の選挙で選挙区を設置するか否かは、法的には新市
議会の判断に委ねられることになりますが、2回目以降も旧市町単位に選挙をするとなると、1人区は避けられません。そこで高野・比和・総領の各町などに
配慮し、協議会の今回の決定は、「2回目以降の選挙では選挙区を設けない」趣旨であることを明確にしました。
04年2月に全ての協議を終了、3月に合併協定書に調印しました。

大分県 豊後高田市+真玉町+香々地町=豊後高田市 (新設合併、05年3月31日)

国東半島の西部にあたる1市2町が合併して1つの市になりました。人口は、豊後高田市が約18100人、真玉町が約3700人、香々地町が約3600人です。
01年6月、大田村を含む4市町村は合併に向けた研究会を設置しました。01年11月になって、大田村は杵築市などとの合併を目指すことになり、4市町村の
枠組みから離脱します。これにより3市町の枠組みが固まり、02年3月、任意協議会を設置します。
03年1月、法定協議会に移行します。
新市の名称については、全国公募を行いました。結果は以下の通り。
<公募上位>
1位 豊後高田 565件    2位 西高 230件    3位 豊後 167件   4位 西国東 145件    5位 国東 109件   6位 豊後西高 61件
1位の豊後高田が2位以下を引き離しました。
小委員会は、「国東」は近隣に国東町があることから除外し、公募上位5点に委員推薦の5点を加え、以下の10点を協議会に報告しました。
「豊後高田」「西高」「豊後」「西国東」「豊後西高」「豊国」「にしたか」「豊里」「豊郷」「みさと」
一時、真玉町が難色を示したものの、最終的に3市町が「豊後高田市」で合意、決定しました。
新市役所の位置については、まず以下の通り提案されました。
「新市の事務所の位置は、現在の豊後高田市役所の位置とする」
「現在の豊後高田市役所を高田庁舎、真玉町役場を真玉庁舎、香々地町役場を香々地庁舎と呼称する」
「新市において新庁舎を建設する場合には、その位置は、国道213号沿線を基準に検討する」
合併時は現在の豊後高田市役所とすることに異論はありませんでしたが、新庁舎の建設については議論が白熱。新庁舎の建設是非を先送りしたい豊後高田市
と、新庁舎の建設を特に強く求める香々地町が鋭く対立しましたが、「新市の事務所の位置は、新庁舎を建設するまでの間、現在の豊後高田市役所の位置
とする」という表現に修正することで合意しました。さらに真玉町と香々地町は新庁舎建設場所を明確にし、用地確保が必要であると主張しましたが、豊後高田市は
難色を示し、結局新庁舎の建設位置については原案通りの表現で決着しています。
庁舎の方式については、分庁方式を一部採用。教育関係を真玉庁舎に、農業委員会を香々地庁舎に置いています。
議員の任期の扱いについては、豊後高田市と真玉町が、「07年2月28日までの約1年11ヵ月の在任特例を採用、特例終了後の定数は22(法定上限は26)」
で一致。香々地町は「特例終了後の定数は24とし、最初の選挙に限り選挙区を設けるべき」と反対意見を述べましたが、2市町の支持する案で承認されました。
ただし、旧市町単位の選挙区の設置是非については意見がまとまらず、結論を保留しました。合併協定書調印後に、この点の議論が行われました。豊後高田市と
真玉町は設置不要という立場でしたが、香々地町は設置を強く求めました。合併直前まで議論はもつれましたが、最終的に選挙区を設置しないことで合意しています。
03年12月、全ての協議が終了。04年2月に合併協定書に調印しました。

大分県 宇佐市+院内町+安心院町=宇佐市 (新設合併、05年3月31日)

大分県北部の宇佐市と、南に隣接する2町が合併して、1つの市になりました。
人口は、宇佐市が約49000人、安心院町が約7800人、院内町が約4800人です。
3市町は、02年3月に任意協議会を設置し、合併の方式(新設合併)、新市役所の位置(宇佐市役所)などを決め、03年4月に法定協議会に移行しました。
合併の方式については、任意協議会での結論通り、異論無く新設合併とすることで決まりました。
新市役所の位置についても、任意協議会の結論通り、「本庁舎は宇佐市役所とし、各町役場は支所とする」旨提案されましたが、安心院町などから、「新庁舎の
建設は無いのか。建設するとすれば、なるべく2町に近い位置とすべきであり、建設しないとすれば、分庁方式の採用などはできないか」との要望が出ました。この
意見を踏まえて、「ただし、将来事務所(本庁舎)の位置は、合併時の3市町の住民の意思を尊重し、先人の歴史に誇りを持ち、新市にふさわしい場所を選ぶ。」という
但し書きを付けて再提案されました。安心院町の委員からは、新庁舎は国道10号線の南(現在の庁舎よりやや2町寄り)に建設することを明記して欲しい、という
要望が出ましたが、まだ建設時期も明確でない(合併特例債での建設は予定せず)新庁舎について建設場所を縛るでない、との意見も出され、結局修正案通り承認
されました。支所の機能については、総合支所方式を採用しました。
新市の名称については、全国公募を実施しました。結果は以下の通り。
<公募上位>
1位 宇佐 587件   2位 宇佐院 116件    3位 うさ 97件    4位 宇佐八幡 73件    5位 新宇佐 70件    6位 宇佐両院 68件
小委員会での選定でも「宇佐市」が1位を占め、「宇佐市」に絞って協議会に提案しても良いのではないか、との意見も出ましたが、協議会で決定するのが筋で
あるとして、以下の3候補を選定し、協議会に報告しました。
「宇佐」「うさ」「宇佐両院」
協議会では特に意見は出ず、公募結果や小委員会の意向を踏まえ、「宇佐市」を協議会長が提案。そのまま承認されました。
議員の任期の扱いについては、小委員会で議論されました。
まず「在任特例を2年間適用すること、特例終了後の定数は法定上限の30人とすること」で3市町の意見が一致しました。しかし、特例終了後の選挙区の設置
是非(及び定数配分)については、3市町の見解が一致せず、とりあえず前段の部分のみ協議会に報告されました。
後段の部分(特例終了後の選挙区の設置)については、合併後に決めてもいい事項であるため、合併後に先送りするという意見も出ましたが、これに反対する意見
も出たため、とりあえず前段の部分のみ承認した上で、後段の部分については協議会で継続審議することになりました。
その後の協議で、合併後最初の選挙(在任特例終了時の選挙)のみ選挙区を設置し、各選挙区の定数は「宇佐21、安心院5、院内4」とすることが決まりました。
人口比例では、宇佐23.7、安心院3.9、院内2.4となるのですが、2町に人口比よりも厚く配分しています。
また、在任特例期間中の報酬は、現在の3市町議会の報酬を維持することに決まっています。
03年11月に全ての協議を終了し、04年1月に合併協定書に調印しました。

大分県 三重町+清川村+緒方町+朝地町+大野町+千歳村+犬飼町=豊後大野市 (新設合併、05年3月31日)

大分市から豊肥本線沿いに内陸に入ったところにある大野郡の7町村(合併時)が合併して、新しい市になりました。
人口は、三重町が約18200人、緒方町が約6300人、大野町が約5200人、犬飼町が約4300人、朝地町が約3200人、清川村と千歳村が約2400人です。
02年4月、旧野津町を含む大野郡の8町村は任意協議会を設置しました。しかし、旧野津町は臼杵市との合併協議も並行して進め、02年7月、2市町で任意
協議会を設置。この時点で旧野津町は両にらみの態勢をとることになりました。02年12月、大野郡の任意協議会は、野津町に8町村での合併を選択するよう
要請しましたが、03年2月、旧野津町は臼杵市との合併を選択し、大野郡の任意協議会を離脱しました(臼杵市と旧野津町は05年1月に合併し「臼杵市」に)。
03年3月、旧野津町を除く7町村は法定協議会を設置します。
しかし、朝地町は竹田市などとの枠組みも検討しており、犬飼町は大分市との合併も検討していました。
新市役所の位置については、「三重町におき、当面は現在の三重町役場とする。庁舎の方式は本庁方式とするが、新庁舎建設までの合併後5年間は
暫定的な本庁方式(実質的には総合支所方式)とする。新庁舎の建設候補地は協議会で決定する」ことが提案されました。一方分庁方式の可能性も合わせて
検討することとしています。朝地町や大野町からは、将来の庁舎方式(本庁方式)を現時点で決める必要が無いのではないか、とか分庁方式や総合支所方式の
方が妥当ではないか、などの意見が出ました。協議会ではいったん継続協議となりました。
この時点の03年5月、朝地町と犬飼町で合併の枠組みを問う住民投票が実施されました。朝地町では「大野郡7町村の合併」が56.5%と過半数を占め、
「竹田市など4市町との合併」43.5%を上回り、大野郡での合併協議が信任されました。しかし犬飼町では「大分市との合併」が57%となり、「大野郡7町村の
合併」43%を上回ってしまいます。02年11月の時点で、大分市は、犬飼町との合併特例法期限内の合併は困難と回答していたのですが、住民は大分市との
合併を望んだのです。
この事態を踏まえ、7町村は協議の結果、犬飼町が大分市に合併協議の申し入れを行うことを承認。しかし、次回の協議会(6月26日開催予定)まで犬飼町の
離脱については判断を留保することで合意しました。大分市との合併が無理と判断したら、戻ってきてもよいという姿勢です。
犬飼町は大分市に合併協議を申し入れましたが、大分市は「まず犬飼町が7町村の枠組みから離脱し、姿勢を明らかにすべき」「事務レベルの協議には応じるが、
特例法期限内の合併は約束できない」との姿勢でした。犬飼町議会内は、7町村の枠組みを進めるか、大分市との合併協議に進むか、意見が二分されました。
7月2日、犬飼町執行部は、町議会に7町村の法定協議会から離脱する案を提案しました。町議会では賛否同数となり、議長裁決で否決されました。これを
受けて犬飼町町は辞職。犬飼町は7町村の枠組みに残る方向になりました。
6月26日開催予定だった協議会は、遅れて7月4日に開催されました。緒方・朝地・大野・清川・千歳の5町村は、7町村での合併協議継続を求めましたが、
三重町は、新町長が選出されるまで犬飼町の方針は確定し得ないこと、住民の意向と議会の議決がねじれている状況は解消されていないこと、などを理由に、
このままでは合併特例法期限内の合併は困難として、7町村の協議会の廃止を求めました。5町村は犬飼町の結論が出るまで、いったん協議を中止しては
どうかと主張しましたが、三重町は7町村とも財政状態が悪い中の合併なので、各町村の財政状況を公開して欲しいと要求しているのに、いまだ結論が出て
いないことも廃止を求める理由と説明。協議会廃止の同意が得られないのなら、三重町は離脱すると表明しました。混乱の中、協議会はいったん中断。
しばらく協議会を再開できない状態が続きます。
03年11月、犬飼町を除く6町村は、「情報開示・合併前の財政健全化・駆け込み事業の防止・職員採用の自粛」など財政に配慮することを定めた「申し合わせ
事項」に調印。この中では「緒方病院の総合的な検討」も含まれていました。緒方町国保総合病院が近年赤字決算になっていることを問題にしたのです。
病院問題が俎上に上ったことについて異論が噴出した緒方町も含め、6町村議会は調印内容を了承しました。これで三重町復帰の流れが固まりました。
11月末の犬飼町長選で7町村合併を支持する候補が当選。犬飼町も「申し合わせ事項」に調印しました。これを受けて三重町議会は協議再開案を可決
既に可決していた離脱議案を失効)、7町村が元の鞘に納まりました。
03年12月、7月4日に開催され、中断していた第5回協議会が再開されました。
新市役所の位置については、支所機能の充実という文言を追加修正することで折り合いがつき、以下の原案通り、承認されました。
「三重町におき、当面は現在の三重町役場とする。庁舎の方式は本庁方式とするが、新庁舎建設までの合併後5年間は暫定的な本庁方式(実質的には
総合支所方式
)とする。新庁舎の建設候補地は協議会で決定する」
しかし、建設時期や規模が確定していないこと、建設候補地の決定はまちづくりに大きな影響を及ぼすことから、合併後の市長・市議会の意思に委ねるべき
として、協議会は具体的な候補地の特定は行わないことにし、合併後に検討委員会を設置して検討していくことになりました。
議員の任期の扱いについては、議会議長と民間委員の各町村1名ずつによる小委員会で議論することになりました。なお、各町村の意向は概ね定数特例採用
でまとまっていました。
小委員会は、「定数特例を採用、合併時のみ旧町村単位に選挙区設置、2回目以降の選挙の定数は26(法定上限)」という点では合意が出来ましたが、
初回選挙の定数で意見が分かれました。
三重町は、法定上限26人を人口比例で配分し四捨五入した総定数27(三重11、緒方4、大野3、犬飼3、朝地2、清川2、千歳2)の案を主張。一方、他の
6町村は、法定上限26人を人口比例で配分し小数点以下を切上げた計29に、各町村1ずつの平等割を加えた総定数36(三重12、緒方5、大野5、犬飼4、
朝地4、清川3、千歳3)の案を提示しました。三重町は財政負担を考慮し、議員数は少なくすべきという意見で小委員会設置時から定数増には慎重でした。
議論は平行線をたどり、三重町は一時は総定数34(27の案に平等割1ずつ加算)の妥協案を示しましたが、町内の理解が得られず撤回しました。
その後、6町村のうち大野町と朝地町が妥協案として自らの定数を削減し、総定数34(三重12、緒方5、大野4、犬飼4、朝地3、清川3、千歳3=三重町が
一時示した妥協案と同じ)とする案を出し、6町村はまとまりましたが、三重町は同意しませんでした。結局、7町村の折り合いは付かず、6町村側も総定数36の
当初案に逆戻りしました。小委員会は両論併記で協議会に報告しました。
協議会は、まず「定数特例採用、合併時のみ選挙区設置、2回目以降の定数は26(法定上限)」とすることを承認。問題の合併時の選挙の定数に移り
ました。
緒方・大野・犬飼・朝地・千歳の5町村は、定数36とした上で、報酬を類似の市より安くして財政負担を軽減することを提案。清川村は定数29とする案(三重
11、緒方4、大野4、犬飼3、朝地3、清川2、千歳2=26を人口配分して切り上げ)を提案。一方、三重町は定数を27にした上で、報酬は類似の市並とする
ことを提案しました。
議論はまとまらず、各町村長が集まって調整案を作成することになりました。
各町村長の調整案は、総定数31(三重11、緒方4、大野4、犬飼3、朝地3、清川3、千歳3)というものでした。26を人口比例配分して小数点以下を切り
上げた29をベースに、定数2となる清川・千歳に1ずつ加えるというものでした。なお報酬については現行の報酬や近隣の市の報酬を参考に、類似団体よりも
抑えることが前提とされました。
この案に対し、緒方町議会が反発しました。1票の格差があまりに大きすぎるというのです。計算上、三重町よりも議員1人あたりの有権者数が多いことが問題に
なったのです。しかし、町議会で説得を重ねた結果、最終的に緒方町議会も調整案に同意。全会一致で承認されました。
報酬については、類似団体より安く、さらに近隣の市で最も安い竹田市を下回る水準で設定されました。
新市の名称については全国公募を実施しました。結果は以下の通り。
<公募上位>
1位 大野川 263件      2位 豊後大野 262件       3位 ぶんご大野 84件     4位 豊肥 78件     5位 七重 76件
小委員会は、以下の3候補を選定し、協議会に報告しました。
「大野川」「豊野」「豊後大野」
各町村は持ち帰り、それぞれ希望順位を付けて持ち寄りました。
三重町は「大野川」「豊野」。清川村は「大野川」「豊後大野」。緒方町・犬飼町・千歳村は「豊後大野」「大野川」。朝地町は「豊後大野」「豊野」。大野町は「豊後
大野」一本でした。
さらに持ち帰り、各町村が1候補ずつ絞った結果、三重町と清川村が「大野川」。他の5町村が「豊後大野」となりました。三重町と清川村も、最後には折れて
「豊後大野」に同意。「豊後大野市」に決定しました。
財産の取り扱いも、議論になりました。三重町や犬飼町などは、持ち寄る基金の数値目標を定めるべきだと主張しました。合併前に各町村が勝手に使えないよう
にしたいという意図でした。これについては、各町村が無理のない範囲で無駄を省けばよいのであって、数値目標はなじまないのではないかとの異論もありましたが、
結局数値目標を設定することになりました。数値自体は三重町の希望よりも低い水準にとどまりましたが、承認されました。
おがた総合病院(旧緒方町国保総合病院)の問題については、専門委員会で議論され、以下の内容で報告されました。
・引き続き地域医療の充実に努める。
・地方公営企業法全部適用(以下「全適」と表記)を新市発足より2年半以内に実施。全適実施後2年以内に経営が好転しない場合は独立行政法人、公設
 民営等さらに独立性を高めた経営形態を再検討。
・職員給与の見直し等で人件費削減。設備投資も収益性を考慮し、経営上過大な負担にならないよう努める。
・一般会計からの繰出しは現在の基準ないしはそれ以下
・減価償却費などによる内部留保金は、可能な限り繰上げ償還に利用
・外部監査制度の導入、病院事業管理者の公募、新会計基準の導入を検討
三重町は、このうち経営に関する部分(最初の項目を除いた部分)を協議書として各町村長が調印することを求めました。一方緒方町は、「繰上げ償還は地方交付税
の減額を招きかえって不利」、「一般会計からの繰り出しは赤字の補填ではなく、性質上そもそも病院会計でまかなうのが妥当ではない費用であり、頭打ちは問題」
などとして、この報告内容そのものに疑問を挟みました。また赤字であるのは施設が新しく減価償却費が大きいためであって、資金繰りに行き詰っているわけでは
ない、とも主張しました。協議は長引きましたが、最終的に各町村長で、報告書をベースにした協議書(合併協定書とは別)に調印することで合意しました。
04年10月、全ての協議を終了し、11月前半に合併議案を各町村議会が可決。その後に合併協定書に調印しました。

鹿児島県 根占町+佐多町=南大隅町 (新設合併、05年3月31日)

大隅半島の先端にある2町が合併して、1つの町になりました。
人口は、根占町が約6700人、佐多町が約3400人です。
03年1月、旧大根占・旧田代の両町を含む4町で任意協議会が設置されました。新庁舎の位置などをめぐり対立が続きましたが、新町役場の位置を大根占町
役場とすることで合意。03年6月に法定協議会が設置されました。
新町の名称については、全国公募が行われ、以下の通りの結果となりました。
1位 きもつき    2位 錦江    3位 黒潮    4位 南隅    5位なんぐう     6位南州    7位 南陽     8位 南大隅
この結果を踏まえ、「南州」「なんぐう」「南大隅」の3点が候補となりました。
しかし、04年6月、旧大根占町は住民説明会で2町合併の意見が強かったことなどを踏まえ、合併協議からの離脱を表明、7月に4町の法定協議会は休止
してしまいます。旧大根占町と旧田代町は、04年8月に2町で法定協議会を設置します(両町は05年3月22日に錦江町として合併)。
04年9月、根占・佐多両町は、2町で法定協議会を設置します。
新町役場の位置については、「根占町役場を本庁舎とし、佐多町役場を総合支所とする」「佐多町役場を本庁舎とし、根占町役場を総合支所とする」の
2案が提示されましたが、佐多町の委員から根占町役場を本庁舎とすべきという意見が出て、「根占町役場を本庁舎とし、佐多町役場を総合支所とする」
ことが承認されました。
議員の任期の扱いについては、両町とも4町合併の協議のときから「特例不適用」を求める意見が多数であったことを踏まえつつ、各議会に調整案の作成
を委ねました。その結果、以下の調整案が協議会に提案されました。、
在任特例、定数特例は適用せず、合併時に定数18で選挙を行う。
初回の選挙に限り、旧町単位に選挙区を設置し、各選挙区の定数は根占12、佐多6とする。
定数については、両町の合併後の人口は00年国勢調査ベースで1万人をかろうじて上回っていますが、5千人以上1万人未満の法定上限18に合わせて、
定めています。なお、各選挙区の定数配分は人口比例です。
協議会では、特に反対の意見は無く、承認されました。
新町の名称については、住民を対象に公募を行いました。結果は以下の通り。
<公募上位>
1位 南大隅 457件    2位 南隅 107件    3位 なんぐう 23件    4位 みさき 21件   5位 南海 19件
小委員会は公募結果を踏まえ、以下の3候補を協議会に報告しました。
「南大隅」「南隅」「南州」
協議会では挙手で採決をとることになり、全員が「南大隅町」に挙手したため、決定しました。
04年10月に全ての協議が終了、11月に合併協定書に調印しました。

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