2005年11月〜12月

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岩手県 湯田町+沢内村=西和賀町 (新設合併、05年11月1日)

岩手県西部・北上市の西にある2町村が合併して1つの町になりました。
人口は両町村とも3700人強で拮抗しています。
2町村は02年11月頃から合併に向けた検討を開始し、03年3月に任意協議会を設置します。
任意協議会では将来構想の策定や行政制度の調整などが進められました。
任意協議会での協議結果を踏まえ、03年12月に合併に関する住民アンケートが両町村で実施されました。その結果、「さらに具体的な協議を行う必要がある」
とする回答が両町村とも60%を超えました(「どちらかといえば必要」を含めると75%を超える)。
04年1月、2町村は法定協議会を設置します。
合併の方式については、異論なく新設合併に決まりました。
新町の名称については、小委員会で「新自治体は町制とすること」、「全国公募を行うこと」、「2町村の名称は候補から除外すること」などが決まり、協議会に
報告されました。
町制とする点については、小委員会でも議論になりました。当時の岩手県条例では、町制をとるには人口が1万人必要と定められており、2町村が新設合併
した場合、合併後は町制をとれない(村になる)ことになっていました。この点については両首長が県知事に条例改正を要望しています。また湯田町においては
「町」から「村」に変わるのについて抵抗感もありました。
以上の議論を踏まえ、当時の条例では町制とすることはできなかったのですが、あえて条例改正を見越して町制とすること決めています。
ここで、条例改正前に「新町名」として公募することが問題が無いのか、という疑問が呈され、小委員会で再審議されました。小委員会の意見は両論に分かれた
ままで協議会に報告されましたが、協議会で県から派遣された委員が、条例が改正されればという条件を付せば問題ないとの見解を示したため、条例改正を
待たずに新町名として公募することが決まりました。
公募結果を踏まえ、以下の9候補が小委員会で選定され、協議会に報告されました。
「美雪」「西和賀」「西和」「奥羽」「美山」「和賀川」「湯里」「女神」「美和」
「西和賀」はこの地域(和賀郡西部)の名称として既に定着しており農協や高校の名称に使われていることから選定されました。「女神」は町村境にある女神山に
由来しています。なお、公募1位は「西和賀」でした。
協議会ではまず9候補から1人3点以内を選ぶ投票が行われました。これで上位3点に絞ることになります。
<第1回投票結果>
西和賀 16   西和 8    女神 8    美雪 7   美和 7    奥羽 5   美山 5   湯里 5   和賀川 3
以上により、「西和賀」「西和」「女神」の3点に絞られました。
次の協議会で、この3点から1人1点を選ぶ投票が行われました。結果は以下の通り。
<最終投票結果>
西和賀 16   女神 6    西和 2
1位の西和賀が過半数を占めたため、「西和賀町」に決定しました。
なお旧沢内村域については大字名として「沢内」を残すことになりました。
新町役場の位置についても、小委員会で議論されました。両町村の綱引きになるのを避けるため、新庁舎を建設すべきではないか、との意見もありましたが、
厳しい財政状況を踏まえ、新庁舎は当面は建設しないことが決まりました。庁舎の方式については、分庁方式としつつ、総合支所的な機能も確保するよう努める
こととしました。条例上の本庁舎の位置については、延床面積・建築年数・交通事情などから湯田町役場とすることに、あまり異論なく決まりました。将来的な
新庁舎の建設については、合併後に、住民サービスや組織機構のあり方などを含め、方針を検討することとしました。
なお、この結論に至るまでの間に、「当面は執行部を湯田に置き、議会等を沢内に置く。いずれ沢内村の大野地区(湯田町との境界付近)に新庁舎を建設する」
という議論がありました。
協議会に上記の内容が報告されましたが、沢内村の委員から「いずれ新庁舎の建設が必要になるのだから、建設計画に盛り込んだり、位置について協議会で
議論したりすべきではないか」との意見が出されました。沢内村側には(沢内村に近い位置での)新庁舎の建設を明確にしておきたい、という意図がありました。
一方の湯田町側は合併時の本庁舎が湯田町役場となったこともあり、新庁舎の建設には否定的でした。
継続審議となった次回の協議会でも、沢内村の委員が修正を求めたのに対し、逆に湯田町の委員は「将来的な新庁舎建設」に言及した部分の削除を求めま
した。協議会では折衷案として、「条例上の本庁舎の位置(新自治体の事務所の位置)は、当面、湯田町役場とする」と「当面」の字句を加え、将来的な新庁舎の
建設に関して、「住民サービスや組織機構のあり方」に加え「位置」についても方針を検討する、と修正することが提案されたりもしましたが、結局、議論はまと
まりませんでした。
議員の任期の扱いについても、小委員会で議論されました。「特例を適用しない代わりに、旧町村ごとに選挙区を設ける」ことを主張する委員もいましたが、
最終的に、「在任特例を2年間適用する。特例終了後の定数は16(法定上限は18)とし、選挙区は設けない」ことで意見集約し、協議会に報告されました。
協議会では「在任特例を適用せず選挙区を設けるべき」とする意見が再度出て、原案支持と両論に分かれました。
なお、沢内村には60歳以上の高齢者の医療費の自己負担を0にする制度がありましたが、合併後は対象年齢を65歳に引き上げるとともに本人負担を
導入する(ただし3年以内に内容を再検討)ことが提案されました、対象医療機関を新自治体内の医療機関に限定したことが、他市町村の医療機関に受診する
ケースが多い湯田町側にとって不公平だとの意見が出て、この協議も暗礁に乗り上げました。
04年8月から12月まで、協議会を休止し、財政計画を先行して策定することになりました。財政計画がはっきりしないと、新町役場の位置や高齢者医療費助成
制度などの議論が進められないとの判断によるものです。
04年12月に協議が再開され、合併の期日が当初予定の05年3月31日以前から11月1日に延期されました。
新町役場の位置については、協議会休止前の議論が繰り返されましたが、「当面」を「新庁舎建設までの間」とした方が、湯田町にとっては「当面」が短期を意味
するかもという不安が無いのでは、との提案が沢内村からあるなど、やや動きが見え出しました。
最終的に、もともとの提案に対し解釈を付した形で、以下の内容が修正提案され、承認されました。
1. 財政事情を考慮し、当面は新庁舎の建設は行わないこととし、現在の両町村の庁舎を活用することとする。
  (1)「当面」の解釈は、以下の理由によりおおむね10年間とする。
      ア 財政計画から見て、10年以内の建設は困難であること。
      イ 新自治体建設計画が10年間を想定しているものであること。
2.現在の湯田町役場を湯田庁舎、沢内村役場を沢内庁舎とする「分庁方式」とするが、住民サービスの急激な低下を防ぐために、総合支所的な機能を確保する
  よう調整に努める。
  (1) 「分庁方式」は、使用する事務所と職員数の関係や両町村のバランス等を考慮したものである。
  (2) 総合支所的な機能は、窓口業務を中心に現在より住民サービスが低下しないよう配慮するものである。
3.新自治体の事務所の位置は、和賀郡湯田町川尻40地割40番地71(現在の湯田町役場)とする。
  (1) 地方自治法の定めにより、地方自治体は事務所の位置を条例で定めなければならないことから、建物の建築年次や面積等の状況を判断し、現湯田町
     役場に事務所の位置を定めるものである。
  (2) 現湯田町役場を事務所の位置とするのは、新庁舎建設までの間とする。
4.将来的な新庁舎の建設については、新自治体において、住民サービスや組織機構のあり方などを含め、その方針を検討する。
  (1) 新庁舎の建設方針については、新自治体において、住民サービスや組織機構のあり方、人口や地理的条件などを考慮して定める。
10年間は現在の湯田町役場を条例上の「事務所の位置」とすることを保証して湯田町の不安を払拭しつつ、新庁舎建設に前向きな姿勢を示すことで沢内村の
顔を立てたものと言えましょう。
高齢者医療費助成については、議論があったものの、原案通りで承認されました。
最後までもめたのは議員の任期の扱いでした。協議会で再度議論されましたがまとまらず、会長・副会長の調整に委ねることになりました。会長・副会長は
07年4月30日までの在任特例(約1年6ヶ月)、特例終了後の定数は16、選挙区は設けない」という修正案を提案しましたが、これに対しても異論が
出て、05年3月2日の第15回合併協議会まで結論が持ち越されました。この協議会で協議に先立ち、会長・副会長・議会議長・民間委員2名による意見交換が
行われ、その結果を受けて、修正案通りで承認されました。
これによりすべての協議が終了し、3月8日に合併協定書に調印。3月29日に両町村議会が合併議案を可決し、何とか期限内に間に合わせました。
なお、各庁舎の機能配分については、以下の通り決定しました。
湯田庁舎:町長・総務課・行革推進室・企画課・生活環境課・観光商工課・建設課・総合サービス課
沢内庁舎:議会・農業委員会・教育委員会・町民課・税務課・農林課・保健福祉課

山形県 酒田市+八幡町+松山町+平田町=酒田市 (新設合併、05年11月1日)

山形県庄内地方の北部にある酒田市と市域の東にある3町が合併し、1つの市になりました。
人口は酒田市が約10万人、八幡町と平田町が約7000人、松山町が約5500人です。
もともと、庄内地方の市町村は大同合併をめざしていました。01年8月、鶴岡市・酒田市と飽海郡・東田川郡・西田川郡の計14市町村(当時)は「庄内地域市町村
合併研究会」を設置しますが、02年3月に酒田市グループと鶴岡市グループに分かれて特例法期限内の合併をめざすことになりました。両グループの境界に
位置する旧立川・旧余目の両町は、大同合併を視野に入れつつ、南北両方の協議に参加する姿勢をとりました。
02年4月、酒田市は八幡・松山・平田・遊佐・旧立川・旧余目の6町と研究会を設置しました。
02年8月、7市町は任意協議会を設置します。
任意協議会は、出だしからつまづきました。合併の方式について「対等な立場での合併という理念を基本」としつつ、編入とするか新設とするかは法定協議会で
定めるとした提案に対し、平田・遊佐・八幡の各町は新設合併が前提であるとして反発しました。結局、「新設合併」を明記することで承認されました。
また新庁舎についても「当面建設しない」としていた原案を修正し、「建設しない」と言い切りました。
02年12月、旧立川・旧余目の2町は2町での合併協議を優先させるとして協議からの離脱を表明しました(旧立川・旧余目の2町は05年7月1日に合併し
庄内町」に)。枠組みはこの時点で5市町に縮小しました。
03年2月、酒田・八幡・松山・平田・遊佐の5市町は法定協議会を設置します。
合併の方式については、異論なく新設合併に決定しました。
新市の名称については、小委員会で議論されることになりました。名称を公募することには異論はありませんでした。全国公募とするか、住民公募とするかは
意見が分かれましたが、全国公募に落ち着きました。5市町の名称を除外するかについては、平田町議会出身の委員から5市町の名称は使うべきでないとする
意見が出されたものの、除外しないことにしました(ただし、八幡・平田・松山は既存の他の市の名称なので、公募では除外しませんでしたが、選定対象には
ならないことになりました)。結果は以下の通り。
<公募結果上位> 
1位 酒田 2572件    2位 鳥海 305件    3位 北庄内 210件    4位 さかた 180件    5位 庄内 170件    6位 新酒田 52件
小委員会では、各委員が5点以内を選定する第1次選定で全員が「酒田」を推し、異論は無かったのですが、「鳥海」「北庄内」「庄内」についても候補として
協議会に報告されました。
協議会でも、「酒田」を推す意見が出され、異論なく「酒田市」に決定しました。
新市役所の位置については、新庁舎は建設しないこととし、現庁舎の中から決定する」ことが承認され、選定は小委員会に委ねられました。小委員会では
本庁舎については酒田市役所とすることで概ね異論はありませんでした。庁舎の方式については、あくまで本庁方式を目指すべきとする意見と、将来はともかく
合併当初は総合支所方式とすべきという意見に分かれましたが、酒田市の現在の庁舎は狭隘であり、本庁方式を採用して各役場から多数の職員を異動させる
のは物理的に無理なのではないかという発言もあり、合併当初は総合支所方式とせざるを得ないという認識が大勢を占めました。
小委員会の議論の中で、遊佐町はやや他市町とスタンスが異なり、「総合支所方式採用は当然だが、『暫定』とすると、将来本庁方式に移行することを現時点で
決めていることになりおかしい。『暫定』を外し、将来の判断に委ねるべき」「支所の機能や地域自治を明確に決めた上で、本庁舎の位置を決めるべき」などと
主張しました。
議員の任期の扱いについても、小委員会で議論されました。小委員会では、民間委員は特例不適用を主張。議会側は、酒田市・八幡町・松山町が特例不適用
の意見が多く、平田町が在任特例を主張。遊佐町は「法人格をもった地域自治組織(合併特例区)」・「総合支所方式」が実現できれば特例不適用でよいと主張
しました。03年11月、一時は特例不適用でまとまるかに見えた小委員会は、地域自治や支所の機能が見えない時点での判断は困難として、いったん休眠します。
以上のような経過の中で、地域自治組織をどうするかが、議論の焦点になってきました。市長・町長の会議で協議した結果、「現時点では、法人格を有する地域
自治組織(合併特例区)を採用することは困難と考える。ただし、法改正の動向などを踏まえて、必要な研究・検討は加えることとする。」と意見集約されました。
新市役所の位置については、上記の意見集約がなされたことと、合併時の支所の機能が総合支所方式である程度細部まで詰められたことから、遊佐町の委員
も納得し、小委員会で酒田市役所とすることが決定され、協議会に提案されました。協議会では異論なく承認されました。
議員の任期の扱いについては、遊佐町も地域自治組織については市長・町長の会議の協議結果を尊重するとして、特例不適用の方針を固めました。平田町
議会も、地域自治組織が確立されるという条件をつけるべきという意見はあるものの、特例不適用支持が過半数を占めました。
小委員会は、「特例を適用せず、定数34(法定上限)で合併時に選挙を行う。選挙区は設けない」ことで意見集約。協議会に報告されました。協議会でも
異論なく承認されました。
地域自治組織については、酒田市と松山町が主張する地域審議会、八幡町と平田町が主張する一般制度の地域自治区、遊佐町が主張する合併特例法の地域
自治区の3案で、事務方の調整が続けられましたが、なかなか結論に至りませんでした。酒田市は既にコミュニティ組織があり、一般制度の地域自治区を選択
すると、旧酒田市域にも設置する必要があって、屋上屋を重ねることになるという問題もありました。酒田市の助役から「4町に地方自治法の付属機関としての
地域協議会を条例で設置する(酒田市には設置しない)」という調整案が出され、酒田市・松山町・八幡町はこの調整案で同意しました。しかし、平田町は一般
制度の地域自治区をあくまで主張。遊佐町は合併特例法の地域自治区が無理なら、一般制度の地域自治区までは譲歩可能というスタンスになりました。
事務方での審議状況は小委員会にも報告されましたが、小委員会でも結論が出ず、市町長の協議に委ねることにしました。
最後に暗礁に乗り上げたのが、水道事業の扱いでした。合併前までに各市町の財政状態を揃えることを基本方針としてきましたが、遊佐町の水道事業の財政
状態が悪いことが問題になりました。遊佐町は91年度から水道事業が赤字に転落。料金改定を繰り返し、一時的に黒字に戻った時期もありましたが、現時点
でも単年度赤字で、約2億7千万の累積赤字が積み上がっていました。遊佐町議会は資本剰余金を取り崩すことで合併前に累積赤字を解消することを決め
ました。本来は料金値上げで対処すべきところを剰余金の取り崩しで処理したのですが、遊佐町は剰余金が他市町より多いことを理由に処理は妥当と主張しま
した。しかし、遊佐町は石綿を使った水道管が残っており、その取替のための費用が将来に多く発生することもあり、これだけでは合併後に他の市町に並ぶ
財政状態にはならないということで、他市町は料金の引き上げを求めました。遊佐町は10%の引き上げ案、その後に15%の引き上げ案を提出しましたが、
これでも他市町の財政状態の水準を維持するためには、酒田市と平田町が約10%の料金引き上げが必要となるため、受け入れられませんでした。
04年10月、協議がここまで進んだ段階で、遊佐町が合併協議からの離脱を表明しました。水道事業や地域自治組織の問題で遊佐町と他市町の対立が
顕著となったのが理由でした。これを受けて5市町の法定協議会は休止されます。
04年11月、遊佐町を除く4市町で法定協議会が設置されました。
合併の方式(新設合併)・新市の名称(酒田市)・新市役所の位置(酒田市役所)については異論なく承認されました。
議員の任期の扱いについては、小委員会で再審議された結果、5市町の法定協議会の結論を継承し、「特例を適用せず、定数34(法定上限)で合併時に
選挙を行う。選挙区は設けない」という案で一致。協議会に報告され、承認されました。
地域自治組織については、酒田市助役の調整案をベースとして、「改正地方自治法・合併特例法の趣旨にのっとり、3町に地方自治法の付属機関としての
地域
協議会を条例で設置する」と小委員会に提案されました。改正地域自治法の地域自治区(一般制度)・合併特例法の地域審議会の機能を包含することを
明文化しています。これも特に異論は無く、原案のまま協議会に報告され、承認されました。
水道事業についても、遊佐町の離脱により大きな問題は無くなりました。
04年12月にすべての協議が終了し、05年2月に合併協定書に調印しました。

福島県 会津若松市+河東町=会津若松市 (編入合併、05年11月1日)

福島県の会津若松市が、04年11月の旧北会津村に続き、市域の北に接する河東町を編入しました。
人口は会津若松市が約12万4000人、河東町が約9000人です。
02年6月、会津若松市は旧北会津村との間で、事務レベルで合併に向けた検討を開始し、02年12月に旧北会津村は、会津若松市と合併する方針を固めます。
その後03年8月に会津若松市と旧北会津村は法定協議会を設置し、04年11月1日に会津若松市が旧北会津村を編入します。
02年12月、河東町は、無作為抽出した一部住民を対象に合併に関するアンケートを実施します。その結果、合併賛成40.3%・合併反対42.9%と賛否は
拮抗したものの、合併相手(複数回答可)については、会津若松市が69.1%、磐梯町が25.2%、湯川村が19.4%などとなりました。同月、河東町は会津
若松市に対し、合併調査会への参加を表明します。
03年1月には湯川村も合併調査会への参加を表明し、03年2月、会津若松市と河東町・湯川村の3市町村は合併調査会を設置します。
03年2月、湯川村で合併の是非と枠組みを問う住民アンケートが実施され、合併賛成が65.6%を占め、合併反対の16.7%を大きく上回りました。合併相手
(複数回答不可)については、会津若松市が61.5%、会津坂下町12.3%、塩川町3.9%、河東町2.9%、柳津町0.3%、その他19.1%となっています。
03年8月に、3市町村は任意協議会を設置します。
03年11月の任意協議会で、合併の方式を編入合併とすること、新市の名称を会津若松市とすること、新市役所の位置は会津若松市役所とし、2町
村の庁舎を有効活用することなどが事務局から提案されました。提案の根拠としては、合併調査会の結果として「編入合併の形を基本とし、協議は対等の関係で
進める」ことを各首長に報告し、それを前提に任意協議会が設置されていること、会津若松市と旧北会津村の法定協議会で既にこの方針が承認されていること、
が説明されました。
河東町や湯川村には、編入合併や新市の名称を会津若松市とすることに異論もありました。任意協議会でも、河東町の委員から、「新設合併・新市の名称は
会津市とすべき」という意見が出され、河東町長も「任意協議会の中で議論を尽くす」という姿勢で、必ずしも編入合併を前提としているようではありませんで
した。
しかし03年12月の任意協議会までに両町村内で調整が行われ、結局提案通りで確認されました。なお湯川村からは地域審議会の設置や湯川庁舎に地域
振興局の機能を持たせることなどが要望として出されました。
任意協議会では新市合併ビジョンの策定なども行われました。
04年4月、3市町村は法定協議会を設置します。
合併の方式(編入合併)・新市の名称(会津若松市)・新市役所の位置(会津若松市役所)は、任意協議会の決定通り、異論なく承認されました。
支所の機能については、「地域振興局的な機能として活用し、窓口業務のほかに住民生活に密着した業務及び地域独自の業務を行う」ことが提案され、承認
されました。
議員の任期の扱いについては、既に会津若松市と旧北会津村との合併では、在任特例を適用し、在任期間の報酬は合併前の報酬を引き継ぐことで承認
されていました(04年4月までに両市村議会で議案を可決済み)。事務局は小委員会を設置し協議することを提案しました。
また、合併の期日についても、05年3月までを目途とすることが同時に提案されました。
これに対し、会津若松市議会から合併特例法の改正を踏まえ、合併期日の決定を先送りするよう求める意見が出されました。旧北会津村を編入する前の
会津若松市議会の定数は30でしたが、旧北会津村の村議16名が04年11月に加わり、46名となることは既に決まっています。旧北会津村と同じように
2町村についても在任特例を適用するとなると、河東町18名・湯川村14名がさらに加わり、78名となることになります。もともとの会津若松市議は合併後の
議会のわずか38%しか占めることができないことになり、そのような期間は短縮したい、というのが会津若松市議会の考えでした。会津若松市議の任期満了は
07年4月29日ですので、仮に05年3月に合併すると、このような状態が約2年間続くことになります。一方、改正された合併特例法の期限ぎりぎりまで合併を
延期すれば、約1年間に短縮できます。
2町村側は会津若松市議会の意見に反発し、あくまで05年3月末の合併を主張。継続協議となり、次回の協議会で会津若松市議会側が、合併の期日につい
ては原案通り05年3月までを目途とすることに合意することを表明し、承認されました。
議員の任期の扱いについては、小委員会の場に議論が移りました。会津若松市議会には、マンモス議会になることや、河東町や湯川村の議員は、現在の任期
は05年4月〜5月までであり、在任特例を適用すると任期が6年近くになることへの違和感から、在任特例に否定的な意見がありました。一方、2町村の議会は
在任特例支持でまとまっていました。
小委員会は、在任特例を適用し、在任期間の報酬は合併前の報酬を引き継ぐ方針(旧北会津村と同じ扱い)を決めましたが、一部には在任特例の適用を前提
にしつつも、「河東町・湯川村議会は、合併前に議員定数を減少させて選挙をすべき」・「合併後、任期満了前に解散して、在任期間を短縮すべき」などの意見も
出ていました。
3市町村の首長・議会議長が集まり、いったんは「05年3月に合併し、在任特例を適用する。任期満了時の選挙は、選挙区を設けず定数は30(旧北会津村の
合併前の会津若松市議会と同数、法定上限は34)とする。合併後の任期の短縮は、合併後の新議会で検討する」という案で調整を図りましたが、河東町・湯川
村の両議会は同意したものの、会津若松市議会は「06年3月に合併し、約1年の在任特例」にこだわり、収拾がつきませんでした。
そこで協議会会長(会津若松市長)が調整案として、「05年10月に合併し、約1年半の在任特例とする。(任期満了時の定数や選挙区などは合併後の議会で
検討)」との内容を提案しました。しかし、会津若松市議会は会長調整案に同意したものの、2町村の議会は会長調整案には反対しました。
そこで小委員会は、元の案である「05年3月に合併し、在任特例を適用する。任期満了時の選挙は、選挙区を設けず定数は30とする。合併後の任期の
短縮は、合併後の新議会で検討する。(在任期間の報酬は合併前の報酬を引き継ぐ)」という内容で協議会に報告。会長の調整案も加えて協議会で議論される
ことになりました。
会津若松市議会側は、会長調整案に賛成する立場から、「河東町や湯川村の議員の任期が4年を超えるのは問題である」と指摘しました。
両案が採決にかけられ、会長調整案に賛成が8名、小委員会報告案に賛成が28名となり、小委員会報告通り承認されました。
なお、合併の具体的期日については、05年4月1日とすることが提案されました。
しかし、04年10月、湯川村が法定協議会からの離脱を表明します。住民説明会や各種団体との懇談会、議会の全員協議会などで、合併に反対する意見
や時期尚早とする意見が多く出たことを理由としています。協議会は湯川村の離脱を承認し、会津若松市と河東町の2市町で合併協議を継続することを
決めました(湯川村の正式な離脱は04年12月)。
04年12月の協議会で、すべての協議項目について再提案が行われました。
合併の方式・新市の名称・新市役所の位置・支所の機能については、既に承認した内容の通りで変更はありませんでした。
合併の期日については「05年11月1日以降とする」ことが提案されました。会津若松市議会はこの提案を了承しましたが、河東町議会は早期の合併が必要
として「05年11月1日とする」と修正することを求めました。協議会は河東町の修正案通り、11月1日と期日を確定して承認しました。
議員の任期の扱いについては、再度両市町の議会議長に調整を委ねることになりました。
調整の結果、既に3市町のときに承認していた内容とほぼ同じく、「合併時は在任特例を適用する。任期満了時の選挙は、選挙区を設けず定数は30
する。(在任期間の報酬は合併前の報酬を引き継ぐ)」という内容で再提案されました。合併期日の延期により、05年4月に河東町議会の選挙が行われることに
なったことや在任期間が短縮されたことなどを踏まえ、「合併後の任期の短縮を新市議会で検討」の文言は削除しています。協議会では異論なく提案通りで承認
されました。
05年1月にすべての協議を終了し、2月に合併協定書に調印しました。
なお、会津若松市議会の構成は、辞職などもあって、05年12月時点では合併前の会津若松市域30、旧河東町域17、旧北会津村域13の計60となっています。

富山県 高岡市+福岡町=高岡市 (新設合併、05年11月1日)

富山県西部の高岡市と、市域の南西に接する福岡町とが合併して1つの市になりました。
人口は高岡市が約16万9000人、福岡町が約1万4000人です。
この合併も枠組みがなかなか定まりませんでした。
当初は福岡町は「高岡市・氷見市・小矢部市・新湊市・射水郡4町村」と「砺波市・小矢部市・東礪波郡8町村・福光町(当時)」の2つの枠組みで両にらみの姿勢を
取り続けました。
02年8月、福岡町で合併の是非と枠組みを問う住民アンケートが実施されました。合併賛成が53%を占め、枠組みについては、「高岡市を含む枠組み」が「砺波市
を含む枠組み」を上回りました。
この結果を踏まえ、福岡町は高岡市を含む枠組みに方針を定めます。この時点で、新湊市と射水郡4町村は既に合併に向けた枠組みを固めつつあり(次項参照)、
高岡市・小矢部市・福岡町の3市町での合併を模索します。
02年12月、小矢部市は福岡町との2市町での合併協議を申し入れます。一方高岡市は、氷見市・小矢部市・新湊市・福岡町の5市町での枠組みを提唱し、
合併協議を申し入れますが、新湊市は射水郡4町村との合併を進める意向で、これを拒否します。
02年12月、高岡市・氷見市・小矢部市・福岡町の4市町は、合併問題を話し合う首長会議を設置しますが、小矢部市は高岡市との合併には消極的で、この
枠組みは03年3月に崩壊。氷見市は単独市制維持に転じ、高岡市は福岡町に2市町での合併協議を申し入れます。
福岡町執行部は、「高岡市または小矢部市との2市町での合併」か「単独町制維持」の2つの選択肢を町議会に提示しますが、町議会はあくまで、高岡市・
小矢部市・福岡町の3市町の枠組みを主張します。これを受けて福岡町は2市に対し3市町での合併を再考できないか、と申し入れます。
しかし、03年5月、高岡市と小矢部市は、それぞれ福岡町に対し2市町での合併協議を申し入れます。
03年8月、高岡市と福岡町は小矢部市と協議し、3市町での合併の可能性を検討しますが、小矢部市の意志は固く、結局3市町での合併を断念します。
03年9月に高岡市は福岡町に任意協議会の設置を申し入れ、小矢部市も福岡町に合併の基本的事項につき、具体的内容を提案します。
03年10月、福岡町は高岡市との合併を選択。小矢部市は福岡町との合併を断念し、ようやく2市町の枠組みが固まります。
福岡町は協議開始にあたり、「事前協議項目」として以下の6項目を高岡市に申し入れました。
1. 分庁舎の設置(総合行政センター他、例えば、土木・農林等の2部を福岡庁舎に置く。)
2. 福岡町担当の副市長か助役を置く。
3. 法定の地域審議会の設置。
4. 合併特例債は折半する。
5. 任意協議会設立の時期については、今回の基本事項の合意と国の三位一体改革の方向性が出た段階で協議して決める。
6. 議員特例(在任特例・中選挙区制)については、両議会の協議を踏まえて、改めて協議したい
03年11月、高岡市はこれに対し、以下のように回答しました。
1.福岡庁舎を分庁舎として活用する。総合窓口としての「地域行政センター(仮称)」を設置し、それを含め2部を置く。
2.助役を2人体制とし、うち1人を福岡庁舎を統括する副市長または助役とする。
3.福岡地域に合併特例法の地域審議会を設置する。
4.合併特例債は折半を原則とする。
5.任意協議会は本市の回答内容を十分検討いただき、国の三位一体改革に関する動向をも踏まえながら、両市町が共通の基盤・認識に立って、できる
  だけ早く設立できるよう提案する。
6.議員の定数や特例の扱いは、まず両議会の間で協議することが重要
以上のように、高岡市の回答は、ほぼ福岡町の意向を受け入れるものでした。また福岡町が要望していた旧町名「福岡町」の地名としての存続も表明しました。
これを受けて、04年1月、高岡市と福岡町は任意協議会を設置します。
任意協議会では、合併の方式を新設合併とすること、新市役所の位置を高岡市役所とすることなどが提案されました。
特に議論となったのは、支所の機能でした。当初福岡町は2部の設置を望んでいましたが、これについては高岡市の意向を受け、地域行政センターの充実を
条件に、1部と地域行政センターの設置で合意した経緯があります。福岡町はたとえば15年など設置期間を明記してほしいと希望しましたが、高岡市側は15年
は長すぎると反論し、期間を明記しないことを提案し、折り合いがつきませんでした。高岡市議会では福岡町の主張に反発する意見も出ましたが、結局、
高岡市は設置期間15年を明記することを受け入れることにしました。
最終的に、以下の内容が高岡市長・福岡町長・両議会議長の覚書として締結されました。
1.福岡町の分庁舎には、1部を置く。地域行政センターは、4課1分室(分室は教育委員会)体制とし、15年経過後に再協議する。
2.福岡町担当助役を配置する。
3.福岡町域に地域審議会を設置する。
4.合併特例債は折半とする。具体的な活用については法定協議会で検討する。
5.これまでの福岡町の要望事項や高岡市の考え方、任意協議会での協議事項などについては、両市町はその経緯を尊重し、実現を目指して、十分誠意を
  もって法定協議会で協議し、取り組む。
04年5月、高岡市と福岡町は法定協議会を設置します。
合併の方式(新設合併)・新市役所の位置(高岡市役所とし、福岡町役場は分庁舎とする)については、異論なく承認されました。
新市の名称については、「高岡市」とすることで概ね合意する雰囲気ではありましたが、福岡町内の調整を待つことになり、04年9月の第5回協議会で、
福岡町側が「高岡市」でまとまったことを報告。異論なく承認されました。
なお、旧福岡町域については、「福岡町」を大字名に冠することが決まっています。
福岡分庁舎の扱いについては、本庁機能としての建設部と、福岡地域行政センター(仮称)を置くことが提案され、承認されました。
議員の任期の扱いについては、福岡町内にも特例不適用の意見と在任特例の意見が交錯しており、両議会の調整は難航しました。
福岡町議会は、いったん「1年の在任特例、特例終了後の定数は33(法定上限は34)」で意見集約し、高岡市議会内部での検討が始まりましたが、福岡町の
住民からこれに反対する意見が出て、いったん撤回されます。
高岡市議会は独自に検討し、「6ヶ月の在任特例、特例終了後の定数は30。(選挙区設置には含みを残す)」という案を福岡町議会に提案しました。しかし、
福岡町の住民は在任特例に強く反対し、この案も実りませんでした。福岡町内には、在任特例よりも、「人口に比例しない選挙区設置(在任特例との重複適用は
困難)」を望む意見が多くあったのです。
最終的に、以下の内容でまとまり、協議会に提案されました。
在任特例を適用せず、合併時に選挙を行う。
定数は31とする。
合併時の選挙は、旧市町単位の選挙区を設け、定数は旧高岡市27、旧福岡町4とする。
・次回の選挙では選挙区を廃止する。
・報酬等は両市町の首長が別に協議して定める。
定数配分は、単純な人口比例では高岡29・福岡2となるので、かなり福岡町に配慮した配分となっています。
協議会では異論なく承認されました。
05年2月19日、この議員の任期の扱いなどをもって、すべての協議を終了。同月に合併協定書に調印しました。

富山県 新湊市+小杉町+大門町+下村+大島町=射水市 (新設合併、05年11月1日)

富山県中部・富山市と高岡市に挟まれた格好の、新湊市と射水郡4町村が合併して、1つの市になりました。
人口は新湊市が約37000人、小杉町が約33000人、大門町が約12000人、大島町が約10000人、下村が約2000人です。
01年11月、5市町村は合併に向けた研究会を設置します。
その後も「新湊市を除く4町村」・「高岡市・氷見市・小矢部市・福岡町を含む9市町村」などの枠組みも並行して検討されていました。
02年8月、小杉町で実施された住民アンケートでは、合併賛成が68.4%となったものの、枠組みについては「新湊市を除く射水郡4町村」が57.4%、「新湊市
を含む5市町村」が25.7%となりました。小杉町はこれを受けて、新湊市を除く4町村での枠組みを進めようと動きます。
しかし02年11月から5市町村において、5市町村での法定協議会設置を求める住民発議(同一請求)の動きが始まりました。
小杉町は2つの法定協議会(4町村と5市町村)を並立させることも視野に入れましたが、他市町村の理解は得られませんでした。
結局小杉町は住民投票を実施することを決め、03年2月に実施します。結果は5市町村での合併協議に賛成が51.4%、反対が48.6%と、わずかに賛成が
反対を上回りました。
03年3月、5市町村議会は法定協議会設置議案を可決。03年5月に5市町村は法定協議会を設置します。
合併の方式については、異論なく新設合併に決まりました。
新市の名称については、富山県民を対象に公募を行いました。全国にある市町村名と同じもの(5市町村の名称を除く)は候補から除外しています。
<公募結果上位>
1位 射水 581件    2位 いみず 255件    3位 新射水 112件    4位 いみず野 78件    5位 射水野 59件   6位 三島野 26件
郡名の射水(いみず)にちなむ名称が圧倒的多数となりました。
小委員会は、まず「射水」「いみず」「射水野」「いみず野」「新射水」の5点に絞り、さらに「射水」を最有力候補として協議会に報告しました。
協議会では、「射水市」とすることにつき賛否が問われ、異論は出なかったため、「射水市」で承認されました。
議員の任期の扱いについては、小委員会で議論されました。
小委員会は、当初、在任特例を適用せず、選挙区については設置する方向、定数特例については適用是非を検討、という形でまとまるかに見えました。
各議会に持ち帰ったところ、新湊市議会は在任特例適用を求める意見が多数となったことが報告されました。しかし、小杉町・大島町・下村の各議会は在任
特例不適用の意見が強く、民間委員も在任特例には反対したため、とりあえず在任特例は適用しないことで意見集約し、協議会に報告しました。
次回の小委員会では、今度は大門町議会で在任特例適用が多数となったことが報告されましたが、既に在任特例不適用は確認済みとして、大門町議会の
理解を求めることにしました。また前回の小委員会内容を協議会に報告した際に、「報酬総額が合併前を上回らなければ、在任特例適用も可能ではないか」、
「首長と議員の同時選挙は避けるべき」などの意見が出たことについても審議されましたが、議場確保や事務経費・選挙費用といったコスト面や、同時選挙の
方が住民の利便性も高く、投票率向上が期待できるなどの理由で、結論は変えませんでした。
しかしこれが協議会に報告されると、新湊市・大門町の委員から、改めて在任特例につき再検討を求める意見が出されました。しかも、前回の協議会で、「在任
特例は適用しない」という小委員会の報告を了承した際に、「小委員会段階での結論として報告したことを了承した」のか「小委員会の結論を協議会として承認
した」のかがあいまいであったことも指摘されました(事務局は在任特例不適用は協議会でも確認済みという姿勢だったが、異論が噴出)。
そこで、在任特例の適用是非については、いったん小委員会に再検討を求めることとしました。
また選挙区設置については、下村に配慮して設置すべきという意見が、小委員会でも大勢を占めていましたが、小杉町議会は設置に反対する意見が多数で
した。
差し戻された形で開催された小委員会では、改めて「在任特例を適用しない」ことを賛成多数で確認。また選挙区設置についても、「合併時の選挙に限り下村に
配慮した形で選挙区を設ける」ことを確認し、協議会に報告しました。
協議会はまず「在任特例を適用しない」ことにつき、賛成多数を拍手で確認し、決定しました。
続いて小委員会では「定数を30(法定上限)とし、定数特例を適用しないこと」、「下村に最低1名の議員を置く中選挙区制とすること」、を決定し、協議会に報告
しました。この時点では、「下村とそれ以外」の2選挙区とするのか、旧市町村単位にするのかは決まっていません。
ここでも小杉町議会は「選挙区は不公平になるから設置すべきでない。下村にとって有利か不利かは選挙をしないと分からない」という持論を繰り返しました。
しかし民間委員の意見を確認したところ、小杉町の委員も含めて「下村に配慮して選挙区を設けるべき」という意見で一致していました。
これを受けて小杉町議会も選挙区設置に合意。「合併時の選挙は中選挙区制とし、次の選挙からは選挙区を廃止する」ことが承認されました。
新市役所の位置については、事務局から、合併後に新庁舎の建設を検討すること、庁舎の方式は分庁方式を採用するとともに、各庁舎に窓口機能としての
行政センターを置くこと、射水上下水道企業団・射水広域圏事務組合の庁舎も活用すること、などが提案されました。
最大の新湊市でも新市の4割弱の人口しかなく、各庁舎とも本庁機能のすべてを収容するのは不可能であり、また地理的にもそんなに広くないことから、分庁
方式を採用することは、当然の帰結でした。分庁のパターンとしては、以下の4つが想定されました。
(1)小杉町役場に三役・議会・企画総務関係部門を置き、新湊市役所に産業環境関係部門・建設関係部門、大門町役場に福祉関係部門、大島町役場に市民
   関係部門、下村役場に教育委員会、射水上下水道企業団・射水広域圏事務組合に上下水道関係部門を置く。
(2)新湊市役所に三役・議会・企画総務関係部門を置き、小杉町役場に市民関係部門・福祉関係部門、大門町役場に建設関係部門、大島町役場に教育
   委員会、下村役場に産業環境関係部門、射水上下水道企業団・射水広域圏事務組合に上下水道関係部門を置く。
(3)射水上下水道企業団・射水広域圏事務組合の庁舎に三役・企画総務関係部門を置き、新湊市役所に議会・産業環境関係部門・建設関係部門、小杉町
   役場に上下水道関係部門、大門町役場に福祉関係部門、大島町役場に市民関係部門、下村役場に教育委員会を置く。
(4)射水上下水道企業団・射水広域圏事務組合の庁舎に三役・企画総務関係部門を置き、小杉町役場に議会・市民関係部門・上下水道関係部門の一部、
   新湊市役所に福祉関係部門・上下水道関係部門の一部、大門町役場に建設関係部門、大島町役場に教育委員会、下村役場に産業環境関係部門を置く。
大きく分けると、(1)・(2)は三役と議会を旧市町役場のいずれかに置き、現業部門は分散するという考え方、(3)・(4)は三役は既存の市町村役場でないところ
に置き議会は別の庁舎にする、という考え方です。
また(1)・(2)・(3)はいずれも住民の利便性を考慮し、市民関係部門と福祉関係部門を小杉・大門・大島といった地理的中心に近い位置に持ってきています。
産業環境関係部門や建設関係部門は、工業地帯のある新湊市や、国関係の工事がある大門町に置くのが妥当ではないか、という点も考慮されています。
協議会では、新庁舎の建設位置については、新市建設計画と一緒に、協議会で議論しなければいけないのではないかとの意見が出されましたが、新庁舎の
建設位置は議会の同意を得るべき重要な問題であることから、新市の市長・市議会・市民の意見を踏まえて十分に議論すべきとの説明が事務局からあり、
協議会としては議論しないことになりました。
合併時の庁舎の扱いについては、全委員に発言してもらうべきだとして、すべての小委員会で意見交換が行われることになりました。
その結果大きく分けて、案(1)を推すグループと、案(3)・(4)を推すグループの2つに分かれ、両者は拮抗しました。
各議会の意見は、小杉町・大門町議会が案(1)、新湊市議会は案(2)、大島町議会は案(3)・(4)でかつ議会も広域圏事務組合庁舎に置く、下村議会は
案(4)といったところでした。新湊市議会は、小杉町は合併の是非を判断していない以上、現時点で小杉町に庁舎を置くという議論は成り立たない、という姿勢
でした。
このままでは決着が付かないため、「協議会でさらに協議を継続する」「専門委員会を設置し、施設・設備・経費面から専門的に協議」「5首長に一任」の3つの
選択肢で、今後の進め方を議論することになりました。
しかし、大門町議会・下村議会・大島町議会は「首長に一任」を主張。小杉町議会は「協議会で継続協議」、その他の委員の意見も「専門的に協議」を含めて
バラバラで、協議の進め方すらも合意できない状態になってしまいました。
ここまで協議が進んだ04年1月、小杉町議会の特別委員会で合併の枠組みについて議論が行われました。委員長を除く16名の意見を確認したところ、
8名が新湊市を除く4町村での合併を再度模索することを主張。6人は5市町村の枠組み継続を支持。1名が2つの枠組みを比較して再検討すべきと述べ、
残り1名は単独町制維持を主張しました。
小杉町議会の過半数が見直しを主張したため、04年2月の協議会は中止され、小杉町の態度決定を待つことになりました。小杉町は3町村に「新湊市を
除く4町村」での合併協議を打診しますが、3町村は難色を示します。
また1月の小杉町議会特別委員会で町議が「新湊市は高岡市と合併したほうが良い」と述べたことに対して、新湊市議会が抗議を申し入れ、それに小杉町議会
が反発するなど、外野での争いも泥沼化していました。
このような情勢の中で、04年3月、小杉町長は「枠組みを白紙に戻し、冷却期間を置く」として5市町村の合併協議からの離脱を表明し、4町村での合併
をめざす姿勢を明らかにしました。小杉町議会も合併協議会から離脱する議案を可決しました。
04年3月、合併協議会は休止状態になります。
この休止の間、小杉町では5市町村合併を求める住民が、町長のリコールを求める運動を起こしました。町執行部はリコールを回避するため、5市町村での
合併の是非を問う住民投票の実施を決定します。
04年8月に行われた住民投票の結果、5市町村の合併に賛成が52.1%、反対が47.9%と、再び僅差ながら賛成が過半数を占めました。
町執行部は再び5市町村の枠組みに復帰する意向を表明し、04年10月、小杉町議会も復帰に同意する議案を可決しました。
04年10月、合併協議会は約7ヶ月ぶりに再開されます。
議員の任期の扱いについては、小委員会が再開され、合併時の選挙の「中選挙区制」については、旧市町単位に選挙区を設置することでまとまりました。
合併時の選挙の定数と各市町村への配分は、以下の4案に集約されました。
<案1>総定数を30(法定上限)とする。下村の定数を1とし、他の4市町は人口比例配分・・・・新湊12・小杉10・大門4・大島3・下1
<案2>総定数を30(法定上限)とする。大門町・大島町・下村に厚く配分・・・・・・・・・・・・・・・・・・新湊10・小杉9・大門5・大島4・下2
<案3>定数特例を適用し、総定数を33とする。案1に大門町・大島町・下村に1人ずつ加算・・新湊12・小杉10・大門5・大島4・下2
<案4>定数特例を適用し、総定数を35とする。案1に各市町村に1人ずつ加算・・・・・・・・・・・・新湊13・小杉11・大門5・大島4・下2
さらに小委員会で議論を進めた結果、定数特例を適用すべきとする意見が多数となりました。小杉町議会は定数特例採用に難色を示しましたが、最終的には
妥協しました。各選挙区ごとの定数については、案4(総定数35)が大勢を占めました。ここでも、小杉町議会は35人では多すぎるとして定数31(新湊12・小杉
10・大門4・大島3・下2)を主張し反対しましたが、多数決で案4に決定しました。
また、2回目以降の選挙の定数(条例定数)については、法定上限の30とすることでまとまりました。
以上の経過を経て、小委員会は協議会に以下の内容で提案しました。
在任特例は適用しない。合併時の選挙は定数特例を適用し、総定数を35とする。旧市町村単位に選挙区を設け、各選挙区の定数は新湊13・
小杉11・大門5・大島4・下2
とする。定数特例期間中の議員報酬は、定数特例を適用することを考慮して定める。その後の選挙は選挙区を設けず、定数
は新市議会で改めて決定されることを考慮しつつ、法定上限の30とする」
協議会でも採決となり、原案賛成が2/3を超えたため、小委員会の提案通りで承認されました。
新市役所の位置に関しては、まず新庁舎建設の是非から議論されました。分庁方式をいずれ解消しなければならないことには異論はありませんでしたが、
小杉町議会は、新たな場所に新庁舎を建設するのではなく、既存庁舎の増改築で対応し、合併特例債の使用を最小限とすべきという姿勢を示しました。一方
他の委員からは、「新市建設計画に盛り込み、合併後10年以内に新庁舎に建設すべき」、「新たな場所に建設するか、既存の場所で増改築するかは合併後に
検討するとして、新市建設計画上で予算は最大限確保すべき」などの意見が出されました。
結局、新市建設計画上は、「新庁舎の建設を進める」としていた原案を、「庁舎を整備する」と修正することで、既存庁舎の活用の余地を残すことでまとめました。
合併時の庁舎の位置についても、決定方法が議論されましたが、「協議会で議論を尽くすべき」・「首長に一任」と見解が分かれ、なかなかまとまりませんでした。
新湊市役所・小杉町役場・射水広域圏事務組合の3候補で意見が分かれている状況も変わりませんでした。
議論が膠着する中、民間委員の総意として「首長・議会議長の10人で案を決めてもらいたい」との提案がなされました。4市町村の議会はこれに賛同しました
が、小杉町議会は「議会議長が入ると議会の意見をそのつど集約することになってしまう」として、首長同士で案を決めるべき、との意見でした。
協議会は小杉町議会議長に調整案策定への参加を求めましたが、小杉町議会は再び不参加を決定しました。
そこで首長どうしで調整案を策定することになりましたが、「市長・議会とも小杉町役場に置くべき」とする小杉町案と、「市長は小杉町役場、議会は新湊市役所」
とする折衷案の両論に分かれ、決着が付きませんでした。
もはや残り時間も少なくなっていることから、会長(新湊市長)の責任で、以下の内容が協議会に提案されました。
新市の事務所の位置は当分の間、小杉町役場内に置く。新市の議会の位置は当分の間、新湊市役所内に置く。なお、合併後、改めて新しい事務所
 の位置を決定し、庁舎の整備を図る。」
民間委員は、この案に賛同する姿勢を示しました。しかし、小杉町議会は依然として「市長・議会とも小杉町役場に」と主張し、新湊市議会も異論を述べました。
しかし、最終的に両議会もこの案に賛成することで意見集約がなされ、協議会で承認されました。
各庁舎への機能の配置は以下の通り決定されました。なお、布目庁舎を除く5庁舎には総合窓口としての行政センターも配置しています。
小杉庁舎:三役・市長公室・企画総務部・会計課
新湊庁舎:議会・福祉保健部・産業経済部・農業委員会
大門庁舎:都市整備部
大島庁舎:市民環境部
下庁舎:教育委員会
布目庁舎(射水上下水道企業団・射水広域圏事務組合の庁舎):上下水道部
05年2月、新市役所の位置の協議を最後に、すべての協議を終了し、合併協定書に調印しました。

山梨県 塩山市+勝沼町+大和村=甲州市 (新設合併、05年11月1日)

山梨県東部・山梨市の東に広がる3市町村が合併して、1つの市になりました。
人口は塩山市が約25500人、勝沼町が約9000人、大和村が約1500人です。
00年12月、旧山梨市・旧牧丘町・旧三富村・旧春日居町を含む7市町村で任意協議会が設置されました。02年3月に、旧春日居町は旧石和町など東八代郡の
5町村との合併を目指し、合併協議から離脱(04年10月、旧春日居町は笛吹市に)。6市町村の枠組みになりました。また、勝沼町は合併に慎重な姿勢を示し、
なかなか法定協議会に移行できませんでした。03年2月に勝沼町が正式に合併協議に参画する意思を表明。03年3月に再度6市町村で仕切り直し、改めて任意
協議会を設置し、03年11月に法定協議会に移行しました。03年12月までに行政制度の細かい部分は概ね調整が終了。残るのは、「新市の名称」「新市役所
の位置」「議員の任期の扱い」ぐらいになりました。
04年2月に6市町村の住民に意向調査が実施され、各市町村とも、「賛成」「どちらかといえば賛成」が過半数を占めました。ただし旧山梨市が最も賛成が少なく、
「どちらかといえば賛成」を加えても50%をわずかに上回る程度でした。
しかし、新市の名称について、議論が紛糾しました。小委員会では、「全国公募とすること」「公募上位5点程度と有識者の考案した名称3点の計8点から選定し、
協議会に報告すること」などが決まり、公募の要項を検討しましたが、現行の市町村名を含めて公募するか否かで意見が対立。小委員会で採決しましたが、
「現行の市町村名を含めない」意見が11人、「含める」意見が6人となり、集約できないとして、協議会の判断に委ねることになりました。
04年7月の協議会で投票が行われ、「現行の市町村名を含めない」が29票、「含める」が15票となり、現行の市町村名を公募対象から除外することに決まりました。
住民から「山梨市」の存続を強く要望されていた山梨市議会は、この結論を不服として、協議会からの離脱を求めました。市の執行部もやむなしと判断し、離脱
議案を議会に提出、7月28日に可決されました。旧山梨市の離脱を受けて、6市町村の法定協議会は中止状態になりました。
04年8月には旧牧丘町も、6市町村の枠組みから離脱し、旧山梨市との合併を進める意向を表明。04年9月に三富村で合併の枠組みについての住民意向調査が
実施され、「山梨市、牧丘町との合併」が610票となり、「塩山市、勝沼町、大和村との合併」の380票を上回りました。これを受けて旧三富村も旧山梨市などとの
合併を進めることになりました(旧山梨市・旧牧丘町・旧三富村は04年10月に法定協議会を設置、05年3月22日に合併し、山梨市になりました)。
04年11月、残った塩山市・勝沼町・大和村の3市町村は、合併協議を再開
しました。
直前の10月末に3町村の協議結果として、主要項目の協議方針が合意されていました。新市役所の位置は当面塩山市役所とすること、新市の名称は既存の
3市町村の名称を除外して公募すること、議員の任期の扱いは法定定数26人以下で定数を定めること、地域自治組織を設置すること、などです。
合併の方式については、異論なく新設合併で決まりました。
議員の任期の扱いについては、3市町村議会で検討し、市町村長・議会議長などで調整した結果、「特例は適用せず、定数20で合併時に選挙を行う。
合併時の選挙については、旧市町村単位に選挙区を設け、定数は山梨12・勝沼6・大和2とする」ことが提案されました。山梨市などの合併新市が、
塩山市など3市町村をやや上回る規模なのに定数20としたことが背景にあります。また選挙区の定数配分は、人口比例配分では山梨14・勝沼5・大和1となり
ますが、1票の格差を3倍以内にしつつ町村部に配慮した結果となっています。協議会では特に反対する意見はなく、提案通り承認されました。
新市の名称については、事前の合意通り、既存の3市町村の名称を除外して県内を対象に公募が行われました。結果は以下の通り。
<公募結果上位>
1位 甲州 1388件    2位 武田 514件    3位 峡東 196件    4位 東山梨 167件    5位 フルーツ 121件   6位 大菩薩 56件
協議会は、まず上位5点に絞りました。甲州市を推す意見が相次いだため、協議会会長が「甲州市」を提案、拍手で承認され、決定しました。
なお、塩山・勝沼・大和については、新市の町・字名として残ることになりました。
新市役所の位置については、事前の合意を踏まえ、「本庁舎は塩山市役所とする。3市町村の役所(役場)に地域総合局(仮称)を置く」ことが提案されました。
地域総合局(仮称)については、窓口業務に加え、地域振興・福祉・教育の業務も扱うこととしており、総合支所方式に近いものと考えられます。なお、地域総合局
の長には事務吏員を置き、特別職の配置は想定していません。
また地域自治については、地域自治組織を設け、地域協議会(仮称)を設置することが提案されました。
協議会では、新市役所の位置・地域自治とも異論なく承認されました。
05年2月にすべての協議が終了、合併協定書に調印しました。
その後の調整で、地域自治組織は地方自治法の地域自治区とすること、地域協議会・地域総合局を正式名称とすること、本庁機能の産業建設部のうち果樹
農林課・農業委員会を勝沼庁舎に、観光商工課を大和庁舎に置くこと、などが決まっています。

長野県 木曽福島町+日義村+開田村+三岳村=木曽町 (新設合併、05年11月1日)

長野県南西部・木曽地方の中心である木曽福島町と周辺の3村が合併して、1つの町になりました。
人口は木曽福島町が約7800人、日義村が約2700人、開田村が約2000人、三岳村が約1900人です。
02年1月、木曽郡の11町村(当時)は「木曽市」実現に向け、研究会を設置します。しかしまず旧山口村が岐阜県中津川市との合併をめざし、この枠組みから
離れます。7月までに南木曽町と大桑村も任意協議会への不参加を決め、旧楢川村も塩尻市との合併に舵を切りました。
02年8月、4町村と上松町・木祖村・王滝村の7町村は任意協議会を設置します。この時点で市制の施行は不可能な状況になっていました。
任意協議会では、庁舎の方式を総合支所方式とすることなどを決めました。
03年5月、7町村は法定協議会を設置します。ただし、上松町では南木曽町や大桑村との合併協議会設置を求める住民発議が出される(南木曽町・上松町の
両議会が否決し不成立)など、依然枠組みは流動的な情勢でした。
新町の名称については、「木曽町を推奨する」という文言を付したアンケートを全世帯に実施しました。結果は以下の通り。
<アンケート結果上位>
1位 木曽 4438件    2位 きそ 40件   3位 御岳 34件   4位 木曽新 31件   5位 木曽御岳 29件
協議会は、圧倒的多数の支持を得た「木曽町」に異論なく決定しました。
新町役場の位置については、「将来的に本庁舎の建設は必要」としつつも、「合併後に本庁舎の建設位置を含め規模等の検討を行い決定する」とし、建設までの
仮事務所として、木曽福島会館(木曽福島町)を主体とした一部分庁方式を採用することを決定しました。
議員の任期の扱いについては、特例を適用せず、定数26(法定上限)で合併時に選挙を行う。合併時の選挙は旧町村単位に選挙区を設ける
ことが決まりました。選挙区ごとの定数配分は継続審議となりました。
04年6月、木祖村で合併の是非を問う住民意向調査が実施されました。その結果、反対が67.1%と賛成の32.9%を大きく上回り、木祖村は合併協議
からの
離脱を決定しました。一方、04年8月に開田村で実施された合併の是非を問う住民投票は、賛成が74.7%という結果となり、開田村は引き続き広域
合併を進めることになりました。
04年7月に7町村の法定協議会は解散されますが、8月に4町村と上松町・王滝村の6町村は研究会を設置します。
04年9月に、合併の是非を問う住民投票が木曽福島町で、住民意向調査が上松町・日義村・三岳村・王滝村で行われました。結果は以下の通り。
<木曽福島町> 賛成 79.6%    反対 20.4%
<上松町>    賛成 38.7%    反対 61.3%
<日義村>    賛成 74.6%    反対 25.4%
<三岳村>    賛成 87.2%    反対 12.8%
<王滝村>    賛成 85.9%    反対 14.1%
上松町では合併反対が多数となり、合併協議から離脱。研究会も解散してしまいます。
残る5町村は合併に向けた話し合いを始めますが、ここで王滝村営スキー場の多額債務が問題になりました。以前の7町村の法定協議会でも問題になって
いたのですが、王滝村のスキー場関連の長期債務は22億円にのぼり、村は元金返済すら滞納している状態でした。村の基金を取り崩しても、滞納分の
解消で精一杯で、約16億円の長期債務は新町に持ち込まれることになります。他町村はこれに難色を示し、長期債務の大幅縮減・スキー場の民営化・
村役場職員の半減(半減については、後に木曽福島町が数字は確定していないと説明)を協議参加の条件として求めましたが、王滝村はどれも実現できる
状況には無いとして、合併を断念することを決定しました。
いわば王滝村を追い出した格好となった木曽福島・開田・日義・三岳の4町村は、04年11月に任意協議会を設置します。
合併の方式は任意協議会設置にあたり、新設合併とすることで合意しており、そのまま承認されました。
新町の名称は、7町村の法定協議会の結論を引き継ぎ、「木曽町」と決まりました。
議員の任期の扱いについては、「特例を適用せず、定数18(法定上限は22)で合併時に選挙を行う。選挙区は設置しない」と提案され、原案通り承認
されました。
スキー場の扱いについては、「リース物件を除く財産・債務は新町に引き継ぐ」「運営は合併までに民営化し(第3セクターは民営に含まない)、民営化後の運営
資金・施設更新費用は新町から支出しない(特別目的基金による施設更新を除く)」の2原則に基づく公設民営方式が提案され、承認されました。公設公営の
木曽福島町のスキー場は、町が出資しない民間会社に運営を移管することになり、村が98%出資する第3セクターが運営していた開田村のスキー場は、
第3セクターから村が資本を引き上げることになり、村が1/3を出資する御岳ロープウエイ株式会社が設置・運営していた三岳村のスキー場は、資産を
村に移した上で、運営する御岳ロープウエイから村が資本を引き上げることになります。
支所の機能については、旧4町村の役場を支所とし、総合支所方式を採用することが決まりました。
地域自治については、条例に基づく地域自治組織を恒常的組織として設置し、地域自治組織の長は非常勤の特別職(支所長は事務吏員)とすることなどが
決まりました。
新町役場の位置については、7町村の協議会の結論通り、新庁舎については「合併後に庁舎位置・規模等の検討を行い決定する」とし、建設までの仮事務所
として、木曽福島会館(木曽福島町)を主体とした一部分庁方式を採用することを提案しましたが、継続審議となりました。
05年2月、法定協議会に移行しました。
法定協議会では、任意協議会での結論を追認したほか、残る項目について協議が行われました。
新町役場の位置については、方針をj変更し、仮事務所を木曽福島町内の大同キャスティングス工場跡地内の旧管理事務所とすることを提案し、承認され
ました。建物は木曽福島町に無償譲渡され、用地については、会社が町に支払う固定資産税分を相殺する形で賃借することになりました。
なおその後の調整で、一部分庁方式を採用し、教育委員会は木曽福島町役場に、上下水道課は木曽福島町の現上下水道課事務所に、保健福祉課は木曽福島
町の現高齢者保健福祉センターに置くことが決まりました。
05年2月にすべての協議を終了、3月に合併協定書に調印しました。

三重県 伊勢市+小俣町+二見町+御薗村=伊勢市 (新設合併、05年11月1日)

三重県中部・志摩半島の付け根にある伊勢市と周辺の3町村が合併して、1つの市になりました。
人口は伊勢市が約98000人、小俣町が約19000人、二見町と御薗村が約9000人です。
02年5月、4市町村は度会町を含む5市町村で任意協議会設立に向けた準備会を設置し、02年8月には4市町村で任意協議会を設置します。
旧南勢町は4市町村に合併協議を申し入れましたが、結局4市町村側に拒否されています(旧南勢町は旧南島町と05年10月1日に合併し、南伊勢町に)。
任意協議会では、新市建設計画の骨子となる「新市将来構想」の策定のほか、以下の事項につき協議が行われました。
合併の方式については、異論なく新設合併を基本とすることでまとまりました。
新市役所の位置については、まず新庁舎を建設せず、現庁舎を有効活用する方針が決まりました。これを踏まえて事務局で議論した結果、以下のように
案を取りまとめました。
・新市役所の位置(本庁舎)は伊勢市役所とする。
・4町村の庁舎は総合支所とする。概ね3年間は管理機能以外の機能は存置。その後は段階的に本庁に一部機能を集約。
・総合支所に一部の本庁機能を分散する。
 当面は、上下水道部の技術部門を二見総合支所に、上下水道部の管理部門を御薗総合支所に、教育委員会を小俣総合支所に置く。
 将来的には、教育委員会と産業部観光課を二見総合支所に、福祉健康部と総務部の課税課・収税課を御薗総合支所に、生活環境部(一部除く)と水道部・
 下水道部を小俣総合支所に置く。
ここまで協議が進んだ段階で、03年9月に各市町村議会に法定協議会設置議案が提出されます。3市町村議会は可決しましたが、小俣町議会は賛成8・
反対11で
否決しました。小俣町長はこれを受けて辞職しました。
伊勢市議会は「二見・御薗の両町村と共同歩調を取るが、小俣町を除く3市町村の枠組みも視野に入れるべき」と述べ、二見町議会も「いったん4市町村の枠
組みは白紙に戻すべき」と述べましたが、御薗村議会は「小俣町長選まで待って欲しいとする小俣町の意向を尊重すべき」との姿勢でした。また御薗村長も
3市町村の枠組みには消極的でした。
03年11月、小俣町では出直し町長選が行われ、合併推進派で法定協議会設置議案の否決を受け辞職した前町長が、返り咲きました。
03年12月、小俣町議会も法定協議会規約の早期制定に関する決議を可決。4市町村での合併に前向きな姿勢を示しました。
二見町には、小俣町に不信を持つ意見もありましたが、4市町村で再度法定協議会設置をめざすことにしました。
04年3月、4市町村は法定協議会を設置します。
合併の方式は、異論なく新設合併で決定しました。
新市役所の位置については、まず「伊勢市役所を本庁舎とし、3町村の役場を総合支所とし、一部分庁方式を採用する」ことが提案されました。任意協議会
での議論を受けたものですが、伊勢市議会からは「分庁方式は早期の見直しが必要」、小俣町議会からも「分庁方式は無意味」との意見が出されました。
協議会会長(伊勢市長)の判断により、いったん事務レベルで再調整することが決まりました。
再度調整が行われた結果、「3町村の役場は当分の間、総合支所として活用する。ただし、新市の行財政改革の進捗にあわせ、随時見直しを行う。」と修正
され、分庁方式の文言は削除されました。
協議会では、異論なく、修正案通りで承認されました。
新市の名称については、4市町村の住民を対象に公募を実施することにしました。4市町村の名称も候補から除外していません。
<公募結果上位>
1位 伊勢 328件     2位 いせ 38件    3位 新伊勢 25件    4位 伊勢神宮 14件    5位 神宮 11件    6位 神都 9件
4市町村別で見ても、いずれも「伊勢」が1位でした。
この結果を踏まえ、事務局から「伊勢市」が提案され、異論なく承認されました。なお、旧3町村の名称は旧町村域の地名として残ることになりました。
議員の任期の扱いについては、伊勢市議会や小俣町議会は「特例不適用、選挙区設置せず」の方針を既に打ち出していました。
協議会では、小委員会で議論することが提案されましたが、小俣町議会は小委員会を設置する必要は無いとの姿勢でした。協議会会長の判断により、
各市町村でいったん持ち帰って議論した上で、小委員会設置の要否も含め判断することにしました。
次の協議会で、二見町議会は「特例適用の是非は半々で結論が出ていない」、御薗村議会は「半年程度の在任特例は必要」と述べました。民間委員は、
特例不適用が大勢でした。伊勢市長と小俣町長は特例不適用を主張し、二見町長・御薗村長は意見を差し控えました。協議会は継続審議とすることを決め
ました。
その後、二見町議会は「特例不適用」支持で方針を決定。民間委員も全員が特例不適用を支持しました。しかし御薗村議会は「報酬据え置きでも6ヶ月の
在任特例が必要」との立場を変えなかったため、議長が預かり、再度調整の上、提案することを決めました。
04年10月になって、事務局から「特例は適用しない。合併時に定数34(法定上限)で選挙を行う」と提案されました。この時点では御薗村議会は在任特例
支持の立場を変えていませんでした。
11月の実質的には最後の協議会でも、御薗村議会はこの主張を変えませんでしたが、協議会の決定には従う意向を示したため、賛成多数で提案通り
承認されました。
04年11月にすべての協議を終了し、12月に合併協定書に調印しました。

三重県 熊野市+紀和町=熊野市 (新設合併、05年11月1日)

三重県南部の熊野市と紀和町が合併して1つの市になりました。熊野市中心部と紀和町中心部を結ぶ国道311号は御浜町を経由しており、事実上は飛び地
合併のような格好になっています。
人口は熊野市が約20000人、紀和町が約1600人です。
この合併も枠組みが二転三転しました。
02年2月、紀和町・紀宝町・御浜町・鵜殿村の4町村は合併に向けた研究会を設置します。6月には熊野市が加入し、研究会は5市町村となります。
03年1月、熊野市・紀和町・紀宝町・御浜町の4市町は「南郡熊野4市町合併協議会準備会」を設置します。この時点で鵜殿村が離脱しています。
03年4月、4市町は法定協議会を設置します。
合併の方式は新設合併に決まりました。
しかし、新市役所の位置をめぐり、熊野市に置くべきとする意見と御浜町に置くべきとする意見に分かれ、首長・議会代表・民間委員に分かれて議論したものの、
いずれも平行線をたどり意見集約に至りませんでした。
03年8月、4市町は合併協議の打ち切りを決定します(正式解散は10月31日付)。
この時点で、紀宝町は鵜殿村との2町村合併に舵を切ります(04年4月に2町村で法定協議会を設置。06年1月10日に合併し、「紀宝町」に)。
04年2月、紀和町は御浜町と任意協議会を設置します。しかし、熊野市からの協議申し入れを受け、第2回協議会で休止となります。
04年4月、熊野市・紀和町・御浜町の3市町で任意協議会を設置します。任意協議会では法定協議会の規約などが審議されました。
04年6月、熊野市・紀和町・御浜町の3市町で法定協議会を設置します。
しかし、またしても新市役所の位置をめぐり、熊野市と御浜町が対立。04年8月に御浜町長は、「新市役所を熊野市に置く密約がある」として合併協議会から
の離脱を表明
します。御浜町議会は3市町の枠組みを支持する姿勢を示しましたが、法定協議会は休止に追い込まれてしまいます。
御浜町の混乱をよそに、熊野市と紀和町は04年10月に法定協議会を設置します。
合併の方式は異論なく新設合併に決まりました。
新市の名称については、3市町の法定協議会で全国公募が行われていました。結果は以下の通り。
<公募結果上位>
1位 熊野 467件    2位 くまの 15件    3位 御熊野    4位 熊野古道    5位 みくまの
協議会会長(紀和町長)から「熊野市」とすることが提案され、異論なく承認されました。「紀和町」は旧町域の地名として残ることになりました。
新市役所の位置については、まず事務局から「両庁舎を総合庁舎(仮称)として活用し、住民サービス水準をできる限り低下させないよう配慮する」ことが提案
されました。本庁舎については、協議会会長から熊野市役所とすることが提案されました。いずれも反対意見は無く、提案通りで承認されました。
議員の任期の扱いについては、紀和町議会は、「06年2月〜3月ぐらいまでの短期の在任特例適用、在任期間の報酬は合併前の水準を据え置く。特例終了
後の定数は18とし、初回選挙は選挙区を設置して熊野15・紀和3とする」という案を出し、熊野市議会は、「在任特例は使わない方が望ましいが、使うならば
最長でも06年3月まで。定数は18〜20で、初回選挙のみ選挙区を設置する」という見解でした。民間委員は、当初は在任特例適用に反対する意見が強かった
のですが、次第に在任特例やむなしの雰囲気になってきました。
最終的に事務局は以下の通り提案しました。
06年4月30日までの在任特例適用
特例終了後の定数は18(法定上限は26)
合併後最初の選挙に限り、旧市町単位で選挙区を設け、定数は熊野15・紀和3とする。(人口比例では熊野17・紀和1)
協議会では、熊野市議会の委員が「議会内には定数20の意見もある」と述べたほかは、概ね原案に賛成の意見が多く、原案通りで承認されました。
05年1月にすべての協議を終了し、2月に合併協定書に調印しました。
その後の調整で紀和庁舎には、総合支所機能と、本庁機能の林業振興課を置くことが決まっています。

兵庫県 中町+加美町+八千代町=多可町<たかちょう> (新設合併、05年11月1日)

兵庫県中部・多可郡の3町が合併して、1つの町になりました。
人口は中町が約11600人、加美町が約7300人、八千代町が約6300人です。
この地域の合併検討は、中町・加美町・八千代町に旧西脇市・旧黒田庄町を加えた5市町の枠組みで始まりました。
西脇青年会議所を中心とした住民団体は、5市町の枠組みでの法定協議会設置を求め、住民発議を行いますが、02年6月、3市町は可決したものの、加美町
と八千代町が反対して設置に至りませんでした。
02年11月になって、多可郡4町(中・加美・八千代・旧黒田庄)は旧西脇市に合併協議を申し入れます。02年12月、5市町の枠組みで研究会が設置されます。
しかし、旧西脇市長は市議会の意見を受けて、多可郡4町に対し加東郡3町(社・滝野・東条)も枠組みに加えるよう要請しました。多可郡4町はこれを拒否した
ため、旧西脇市は研究会に不参加を表明。5市町の枠組みは崩壊してしまいます。
多可郡4町は、4町での合併をいったん検討しますが、結局西脇市抜きでの合併は困難との結論になり、県に調停を依頼。県はこれまでの合意を白紙にし、
新たに1市4町の枠組みで再検討することを提案しました。
03年3月、多可郡4町は再度西脇市に合併協議を申し入れます。4月には旧黒田庄町があくまで1市4町をめざす意向を示し、多可郡内での合併の選択肢
を残す他の3町と微妙に足並みが乱れだします。
03年5月、旧西脇市は「新市の名称は西脇市・新市役所の位置は西脇市役所」を主張する市議会に配慮し、4町に対し編入合併を主張。4町は新設合併を主張
し対立しました。6月になって旧西脇市長は「新市の名称、市役所の位置は『西脇市』を軸に考え、条例や制度は西脇市の基準を適用」することを前提に、新設
合併とする方針を表明。しかし4町側は、「新市の名称、市役所の位置などは法定協議会で決めるべき」などとして、この市長案を拒否。さらに、「準備会、法定
協議会の委員数は県内の他の例にならい各町同数とする」ことも求めました(ただし、旧黒田庄町は委員数にはこだわらない姿勢を示しました)。これに対し
旧西脇市は、新市の名称・市役所の位置について法定協議会で決定することは認めたものの、委員数を人口比例配分とすることを主張。折り合いが付きま
せん。
03年7月、多可郡4町のうち、中町・加美町・八千代町の3町は1市4町の協議を断念。一方、旧黒田庄町は単独で西脇市に合併協議を申し入れます。
(西脇市と旧黒田庄町は2005年10月1日に合併し、西脇市に)。
中町・加美町・八千代町の3町は、03年9月に法定協議会を設置します。
合併の方式については、異論なく新設合併に決まりました。
議員の任期の扱いについては、小委員会で議論されました。「在任特例を適用して、特例終了後の定数は18〜22、選挙区は設置しない」「在任特例は適用
せず、各町に定数6の選挙区を設置し、総定数は18」などの意見も出されましたが、「選挙区を設置する必要性は薄い」とする意見もあり、結局「特例は適用
しない。定数18(法定上限は26)で合併時に選挙を行う。選挙区は設置しない」という内容で意見集約されました。協議会では八千代町や加美町の一部委員
から「初回選挙だけは選挙区を設置すべき」という意見が出されましたが、採決の結果、賛成多数で原案通り承認されました。
新町役場の位置についても、小委員会で議論されました。庁舎の方式については、新庁舎の建設をしないことを前提に議論。住民サービスや地域振興の
観点から、支所に裁量権を与える地域局方式(現地解決型)とすることにしました。本庁舎の位置については、住民の利便性・駐車場の広さなどを勘案し、
中町役場を選定しました。
協議会では地域局の権限強化を求める意見がありましたが、中町役場を本庁舎とすることには異議は無く、採決の結果、原案通りで承認されました。
また具体的な組織の議論の中で、八千代町の委員から一部分庁方式の併用を求める意見が出ましたが、分庁方式は採用しないことに決まりました。
新町の名称については、小委員会で議論された結果、住民を対象に公募を行うことを決めました。3町の名称も候補から除外していませんが、応募数の多少
は選定に影響させないことにしています。
<公募結果上位>
1位 多可 109件    2位 北はりま 57件    3位 北播磨 51件   4位 中加八(なかや) 23件    4位 北播(ほくばん) 23件
小委員会は以下の5候補を選定し、協議会に報告しました。
「北はりま」「北播磨」「多可」「はりま北」「やまなみ」
協議会で、この5候補から投票で決めることになりました。1回目の投票では各委員が2点ずつ選び、3候補に絞ります。
<第1回投票結果>
多可 23    北はりま 15    北播磨 7    やまなみ 3    はりま北 2
続いて上位3候補から各委員が1点選定し、2候補に絞る投票が行われました。
<第2回投票結果>
多可 21    北はりま 3     北播磨 1
最後に上位2点で投票が行われました。
<最終投票結果>
多可 23    北はりま 2
以上により、郡名由来の「多可町」に決定しました。
地域自治についても小委員会で議論されました。当初は、地域審議会の設置でまとまるかに見えましたが、八千代町が地域自治区の設置を求めました。
しかし、地域局(支所)と機能が重複するとして、行政組織として屋上屋になるのではないか、とする意見も出て、結局地域審議会や地域自治区は設置しない
代わりに、条例に基づく地域自治組織を設置することでいったん意見集約がなされました。
しかし、同一の大字名の調整を行う過程で、中町から「当該大字に限らず、すべてに区を冠する方がよいのではないか」との意見が出ました。「区」を冠する
には地域自治区を設置するしかないという議論になり、「区を冠するために地域自治区を設置するのはおかしい」という意見もありましたが、協議の結果、
「これまでの議論が生かされるのであれば、地域自治組織の形態にはこだわらない。地域自治区の設置を考慮しても良い」ということで取りまとめました。
協議会にはいったん、設置期間を5年とする合併特例法に基づく「地域自治区」の設置が提案されました。しかし、小委員会での議論が反映されていない
として継続審議となりました。そこで地方自治法も適用して設置期間の制限を外し、機能として住民の活動との連携を加えた修正案が提案され、承認され
ました。この結果、旧町域ごとに「中区」「加美区」「八千代区」を住所に冠することになりました。
05年1月までにすべての協議が終了し、2月に合併協定書に調印しました。
なお、八千代町では04年11月に合併の枠組みを問う住民投票が行われ、「多可郡3町での合併」が57%、「西脇市を含む合併」が39%、「合併しない」が
5%となり、3町での合併支持が過半数を占めました。

広島県 廿日市市+大野町+宮島町=廿日市市 (編入合併、05年11月3日)

広島市の西に接する廿日市市が、宮島町と本州側の宮島への玄関口にあたる大野町を編入しました。
人口は廿日市市が約88000人、大野町が約26000人、宮島町が約2000人です。
当初は、大野町・宮島町とも、大竹市を含む広域合併を模索していました。
01年3月、大野町・宮島町は、旧廿日市市・旧佐伯町・旧吉和村・大竹市・旧湯来町の7市町村で研究会を設置します。
ところが旧廿日市市・旧佐伯町・旧吉和村は3市町村での合併をめざし、02年4月に法定協議会を設置します(03年3月、廿日市市は佐伯町・吉和村を編入)。
大野町・宮島町は、廿日市市を含む将来の広域合併も視野に、大竹市との3市町で02年3月に研究会を設置します。
しかし、大竹市は山口県岩国市や和木町との合併も検討しており、将来的には廿日市市を含む合併を目指す大野町とは徐々に溝が深まってきます。
03年2月、3市町の研究会は解散し、大竹市は岩国市や和木町との合併に、大野町・宮島町は廿日市市との3市町での合併に舵を切ります。
03年3月、2町は廿日市市に合併協議を申し入れます。5月に準備会が設置されました。
03年8月、任意協議会設置を目前に、宮島町で町長選挙が行われ、広島市との合併検討を訴えた候補が、廿日市市との合併協議を進めていた現職を破り、
当選します。これで宮島町の廿日市市との合併の動きはしばらく止まることになります。
【廿日市市と大野町の協議】
03年9月、廿日市市と大野町は任意協議会を設置します。
任意協議会では、合併の方式を編入合併(ただし協議は対等の立場で行う)、新市の名称は廿日市市、新市役所の位置は廿日市市役所、議員の任期の扱い
については定数特例を適用する方向で協議を進めることが確認されました。
04年4月、廿日市市と大野町は法定協議会を設置します。
ところで大野町では、03年2月から大竹市との法定協議会設置を求める住民発議(大竹市との同一請求)の手続きが進められていました。03年12月に、
大竹市議会は法定協議会設置議案を可決しますが、大野町議会は同議案を否決。合併特例法に基づく住民投票を請求され、04年4月に大野町で住民投票が
行われました。結果は賛成36%、反対64%となり、大野町と大竹市との合併の可能性は無くなりました。
廿日市市と大野町の合併協議会は、合併の方式(編入合併)・新市の名称(廿日市市)・新市役所の位置(廿日市市役所)を異論なく承認しました。
議員の任期の扱いについては、「合併時のみ定数特例を適用し、旧大野町域で定数7の増員選挙を行う」ことが提案されました。この定数は、法の規定
により、廿日市市の条例定数(05年3月の選挙後の定数)24をもとに、人口比例で算出したものです。協議会では特に反対する意見は無く、承認されました。
なお、旧大野町議で廿日市市議にならなかった人については、「大野地域まちづくり推進委員」として、07年3月31日まで就任することになりました。
廿日市市と大野町の合併協議は、04年10月にすべての協議が終了し、11月に合併協定書に調印しました。
【廿日市市と宮島町の協議】
一方の宮島町は、03年11月に広島市と合併問題等調査研究会を設置したものの、広島市との合併をめざす町長と、廿日市市との合併をめざす町議会との
対立が深刻化。しかし、宮島町の財政は実質的に破綻に近い状況にあり、対立している場合ではありませんでした。広島県は04年4月に宮島町に対し、合併先
の早期決定と合併協議の着手について勧告します。町議会は合併先を選択する住民投票条例を可決しました。
04年8月、合併の枠組みを問う住民投票が実施されました。結果は以下の通り。
<住民投票結果>
廿日市市との合併 917      広島市との合併 711
この結果を受けて、宮島町は廿日市市との合併を進めることになります。
04年10月に準備会が設置され、04年11月に廿日市市と宮島町の法定協議会が設置されます。
合併の方式(編入合併)・新市の名称(廿日市市)・新市役所の位置(廿日市市役所)については、異論なく承認されました。
議員の任期の扱いについては、「合併時のみ定数特例を適用し、旧宮島町域で定数1の増員選挙を行う」「当分の間、公職選挙法第15条第6項の規定
による選挙区を旧宮島町域に設置する」と提案され、異論なく承認されました。
なお、旧宮島町議で廿日市市議にならなかった人については、「宮島町地域まちづくり推進委員」として、07年3月31日まで就任することになりました。
廿日市市と宮島町の合併協議は、05年1月にすべての協議が終了し、2月に合併協定書に調印しました。

福島県 白河市+表郷村+東村+大信村=白河市 (新設合併、05年11月7日)

福島県南部の白河市が、周辺の3村と合併し、1つの市になりました。
人口は白河市が約48000人、表郷村が約7000人、東村が約6000人、大信村が約5000人です。
この地域では、当初、矢吹町・西郷村・泉崎村・中島村を含めた8市町村の枠組みでの合併が検討されていました。02年1月、8市町村での法定協議会設置を
求める住民発議が行われましたが、白河市・表郷村・大信村の3市村は可決したものの、矢吹町・西郷村・東村・泉崎村・中島村の5町村は否決し、住民発議
の手続きは終了してしまいます。
02年12月、白河市長は7町村に対し任意協議会の設置を提案しましたが、町村側に時期尚早の声が強く、設置には至りませんでした。
03年に入り、各市町村で合併への意識が高まりを見せ始めました。03年10月、白河市長は再度任意協議会の設置を7町村に打診します。
これを受けて、03年12月、白河市・表郷村・大信村の3市村で任意協議会が設置されました。
任意協議会では、新市将来構想の策定や住民意識調査・住民説明会の実施などの活動が行われましたが、庁舎の方式も議論されました。総合支所方式が
提案されましたが、1人の委員から分庁方式が良いという意見が出ました。これに対しては役場間の距離が遠すぎるとして、採用しない理由が説明されました。
また新庁舎を建設すべきでないとする意見も出され、これについては、新庁舎の建設は見合わせることで、市村長の意思は統一していると説明されました。
以上の経過を踏まえ、総合支所方式を採用することが決定しました。
04年6月、白河市・表郷村・大信村の3市村は法定協議会を設置します。
合併の方式については、異論なく新設合併に決まりました。
新市役所の位置については、小委員会で議論されましたが、総合支所方式を採用することを前提に、全会一致で本庁舎を白河市役所とすることで意見集約。
協議会に報告されました。協議会でも異論は無く、本庁舎を白河市役所とし、総合支所方式を採用することが承認されました。
新市の名称についても、小委員会で議論され、「公募せずに白河市に決定すべき」との意見もあったものの、公募すべきだとする意見が多数を占めたことが、
協議会に報告されました。これを踏まえ、協議会は住民を対象に公募を行う(3市村の名称は候補から除外しないが、他の既存の市町村名は除外)ことを決め
ました。
<新市名称公募結果上位(白河・表郷・大信の3市村)>
1位 白河 8953件    2位 新白河 494件     3位 しらかわ 317件    4位 みちのく 41件     5位 新しらかわ 39件
3市村で分けて集計しても、いずれの市村でも「白河」が半数以上を占めました。
議員の任期の扱いについても、小委員会で議論されました。白河市・表郷村・大信村の議会はいずれも在任特例適用を支持していました。小委員会でも在任
特例支持が多数を占め、適用の方向で検討を進めることになりました。在任期間については、「合併翌年度の決算・翌々年度の予算審議に携わるべき」、「統一
地方選挙に選挙時期を合わせるべき」、「合併期日が05年11月1日と仮定した場合1年6ヶ月となり、上限の2年より短い」という理由から、「07年4月30日
まで」とすることで小委員会では一致しました。また在任期間の報酬については、合併前の報酬(表郷村は減額特例前の報酬)を引き継ぐこととしました。
地域自治については、旧2村の区域に、合併特例法による地域自治区を約10年間(2016年3月31日まで)設置し、自治区の長として特別職を置くことが提案
されました。提案理由としては、地域審議会では権限が弱すぎる一方、合併特例区は、機能が法律に縛られる点、事務の効率化の支障になる点、設置期間が
限定される点などからふさわしくない、というものでした。この提案に対し、表郷村は原案に基本的には賛成し、区長の設置期間は4年とする意見を述べました。
一方、白河市の民間委員からは、一体性を重視する観点から、地域審議会で良いのではないか、との意見が出されました。
協議がここまで進んだ04年9月に、東村が法定協議会に加入しました。東村はもともと矢吹町や中島村との合併を検討していましたが、04年7月に実施した
合併の枠組みを問う住民アンケートで、合併の相手として白河市を選んだ回答が53%に上るなど、白河市などの枠組みへの加入が支持される結果となりま
した。これを受けて04年8月に東村は協議会への加入を申し入れていました。
新市の名称については、小委員会で以下の5候補が選定され、協議会に報告されました。
「白河」「新白河」「しらかわ」「南白河」「白河関」
協議会では「白河市」を推す意見が出て、反対意見も無く、「白河市」に決定しました。
地域自治については、表郷村・大信村・東村は、「地域自治区の設置期間は10年・区長の設置期間は4年」を主張。表郷村と大信村は「区長の選任にあたって
は地域協議会の意見を参考とする」とするよう求めました。白河市側は、区長の選任に地域協議会の意見を入れるのには消極的でした。
まず、旧3村の区域に合併特例法の地域自治区を2016年3月31日まで設置することについては、先の協議で「地域審議会で良いのでは」と主張していた
白河市の委員も地域自治区支持に回り、異論なく承認されました。また特別職の区長を置くことも承認されました。
住所に冠する地域自治区の名称は、それぞれ「表郷」「大信」「東」となりました(例:白河市大信増見字北田)。
区長の設置期間と選任方法については、設置期間を2010年3月31日までとし、選任にあたっては地域協議会の意見を参考にすることで提案され
ました。3村の意向に沿った提案でした。協議会でも原案通り承認されました。
議員の任期の扱いについては、引き続き小委員会で議論されました。3市村の小委員会で議論された結果の「07年4月30日までの在任特例」には東村も
異論がありませんでしたが、東村が加わりさらに議員数が増えること、地域自治区の設置が決まったことなどから、見直すべきだとする意見も出ました。
3村議会は在任特例を適用する方針で変わりませんでしたが、白河市議会は議論の土壇場になって、「在任特例を適用せず、合併時に選挙をすべき」と方針
転換。これ以上議論しても白河市と3村の溝は埋まらないと判断。小委員会は「在任特例適用が多数であるが、特例不適用を求める意見もあった」と両論併記
で協議会に報告しました。
協議会でも、3村側が在任特例適用を求め、白河市側が異を唱える構図は変わりませんでした。3村側は「東村が加入する前は白河市議会も在任特例を支持
していたはず」、「小委員会で全会一致で決めた在任特例を前提に東村の加入を認めたはず」と白河市の姿勢を批判。白河市側は「全会一致での決定はあく
まで3市村を前提としたもの」と反論しました。
ここで協議会会長(白河市長)から、「07年4月30日までの在任特例、特例終了後の定数は30(法定上限)で選挙区は設けない。在任期間の報酬は合併前の
報酬(表郷村は減額特例前の報酬)を引き継ぐ」という斡旋案が提示されました。在任特例については3村側の意見を、選挙区については白河市側の意見を
とったような折衷案でした。
この案に白河市は同意しましたが、表郷村・大信村・東村は特例終了後の最初の選挙に限り、選挙区設置を要望しました。定数配分は、定数30のうち4を均等
配分した後人口比例とする「白河20・表郷4・大信3・東3」を主張しました。
最終的に協議会会長と白河市議会が協議。白河市議会も3村に歩み寄り、「07年4月30日までの在任特例。在任期間の報酬は合併前の報酬(表郷村は
減額前の報酬)を適用する。特例終了後の初回の選挙は、定数30(法定上限)とし、旧市村単位に選挙区を設け、配分は白河20・表郷4・大信3・東3
とする」という修正斡旋案に同意しました。協議会でも異論なく承認されました。
04年12月にすべての協議を終了、05年2月に合併協定書に調印しました。
なお05年1月から2月にかけて、表郷村では住民アンケートと住民投票、大信村と東村では住民投票が行われました。結果は以下の通り。
<表郷村・住民アンケート> 賛成(どちらかといえば賛成含む) 51.6%    反対(どちらかといえば反対含む) 40.1%
<表郷村・住民投票> 賛成 46.7%   反対 53.3%
<大信村> 賛成 63.7%   反対 36.3%
<東村> 賛成 58.0%   反対 42.0%
表郷村は住民アンケートと住民投票で逆の判断が示されましたが、住民アンケートの回収率(76.7%)の方が住民投票の投票率(67.4%)より高いとして、
表郷村はそのまま合併の方針を変えませんでした。

福井県 大野市+和泉村=大野市 (編入合併、05年11月7日)

福井県東部の山間にある大野市が、さらに奥にあたる和泉村を編入しました。
人口は大野市が約37700人、和泉村が約700人です。
02年9月、大野市は勝山市・和泉村の2市村に合併協議を呼びかけますが、勝山市は直前の住民アンケートで1位となった枠組みである吉田郡の町村との
合併を選択し(後に断念)。大野市は、和泉村との2市村での合併に舵を切ります。
03年1月、大野市と和泉村は任意協議会を設置します。
まず問題となったのは合併の方式でした。両首長は「対等の精神で協議するが、方式は編入合併とする」で意見が一致していました。
和泉村の委員は、村議会議長をはじめ新設合併を主張する意見もありましたが、概ねは「編入やむなし」という姿勢でした。大野市側は「新設」に賛成する意見
はありませんでした。和泉村議会議長は、「この段階で合併の方式を決めなくてもよいはず」と最後まで抵抗しましたが、協議会会長(大野市長)が、村長と協議
した結果として「編入合併」を提案、承認されました。
新市の名称(大野市)・新市役所の位置(大野市役所)は、異論なく承認されました。
任意協議会では、この他に将来構想(「新しいまちづくり計画」)を策定するなどしました。
03年9月、両市村議会に法定協議会設置議案が提案されますが、9月5日、和泉村議会が設置議案を賛成3・反対4で否決します。
9月24日、再提案された法定協議会設置議案が村議会で審議され、今度は全会一致で可決されました。大野市議会も翌日に設置議案を可決します。
03年10月、大野市と和泉村は法定協議会を設置します。
合併の方式(編入合併)・新市役所の位置(大野市役所)については、任意協議会の結論通り、承認されました。
新市の名称については、和泉村の委員から公募をしてはどうかとの意見も出ましたが、大勢は「大野市」のままとすることを支持。「大野市」で決まりました。
議員の任期の扱いについては、小委員会で議論された結果、「大野市議の任期満了(07年2月20日)まで在任する在任特例を適用するが、人数は3人
とする。任期満了時の選挙は定数特例を適用しない」ことでまとまりました。和泉村議会の定数は8ですので、5人は合併時に辞職するという形になります。
定数特例を適用すると1名しか選出できず、在任特例を適用すると8名が残り大野市側が受け入れられない、という挟間の中での苦渋の選択でした(合併前の
大野市議の定数は22。任期満了後の定数は20)。
しかし、合併協定書に5名の辞職を強制する文言を入れる訳にも行かないので、協議項目の調整内容としては「合併時に在任特例を適用」だけになります。
協議会では異論なく承認されました。
支所の機能については、合併時は総合支所的な機能を持たせ、段階的に再編・見直しを行うことが提案されましたが、地域自治のあり方と議論がリンクして
しまい、継続審議となりました。
04年5月の協議会で、和泉村側が合併特例法の地域自治区を設置したいという要望がありました。これに対し、大野市側は地域審議会であれば理解
するが地域自治区は認めがたいと返答。両首長で調整を行うことになりました。
これから約7ヶ月、協議会は空転します。
この間、両首長の調整が続けられましたが、和泉村は「合併特例法の地域自治区を5年間設置し、特別職の区長も置く」ことを主張。一方の大野市は「地域
審議会の設置や支所機能の充実で対応する」として地域自治区の設置に難色を示し、対立は長引きました。最終的に両市村が歩み寄り、地域自治区を
設置しない代わりに、「地域審議会を設置」、「和泉地域の連絡調整等を担当する特別職を設置」、「和泉支所を総合支所とし、部長待遇の支所長を配置」
の3点を実施することで合意に至りました。
04年12月に再開された協議会で、この内容が協議項目として提案されました。ただし、総合支所と位置づけつつも「段階的に再編・見直し」するという文言
は残しており、また特別職の設置も「当分の間」としています。
協議会では異論なく承認されました。
05年2月1日としていた合併期日については、事務局から05年11月7日への延期が提案され、承認されました。
05年2月にすべての協議が終了、合併協定書に調印しました。

兵庫県 神崎町+大河内町=神河町<かみかわちょう> (新設合併、05年11月7日)

兵庫県中部にある神崎郡の2町が合併して1つの町になりました。
人口は神崎町が約8000人、大河内町が約5000人です。
当初は、福崎・香寺・市川・夢前の各町を含む6町での合併も検討していましたが、香寺・夢前両町は02年12月に姫路市などと任意協議会を設置することで
合意してしまったため(実際の設置は03年2月)、この枠組みは崩壊。4町での合併も検討されましたが、結局断念してしまいます。
03年8月、神崎町は大河内町に合併協議を申し入れます。
その後、両町で議会での検討や住民説明会などが実施され、04年2月、2町は法定協議会を設置します。
合併の方式については、異論なく新設合併で決まりました。
議員の任期の扱いについては、両町議会から5人ずつの委員が出た調整委員会で議論した結果を踏まえ、「06年4月30日までの在任特例、特例終了
後の
定数は16(法定上限は22)」と提案されました。
協議会では「合併時の議員の空白が問題であれば、2ヶ月の在任特例でもいいのではないか」、「過疎の集落から議員を出すには、もっと定数を多くして、その
代わりに報酬を引き下げてもいいのではないか」などの意見も出ましたが、議会側が「06年度の予算を見届ける必要がある」と主張し、結局賛成多数で原案
通り承認されました。
新町の名称については、住民を対象に公募を実施しました。2町の名称は対象から除外しています。
公募結果を踏まえ、小委員会で以下の5候補が選定され、協議会に報告されました。
「美里」「神河」「秀峰」「埴岡」「わかば」
「埴岡」は、播磨国風土記に出てくる「埴岡の里」に由来しています。「秀峰」は2町が、名称に「峰」が付く山に囲まれていることから来ています。
協議会では投票で決することになりました。まず1人2点を選んで上位2候補に絞る投票が行われました。
<第1回投票結果>
神河 18     美里 14     埴岡 11     わかば 3     秀峰 2    (無効 2)
「神河」と「美里」で最終選考が行われました。
<最終投票結果>
神河 17     美里 7    (無効 1)
以上により、「神河町」に決定しました。
新町役場の位置については、小委員会で議論されました。早い段階で神崎町側が、「大河内町役場を本庁舎とし、神崎町内に分庁舎を新設する」という分庁
方式案を提示しました。これは神崎町役場が1960年の竣工で老朽化していることが背景にありました。しかし、本庁方式を基本とする大河内町と、分庁方式
を主張する神崎町との間で隔たりが大きく、なかなか調整が付きませんでした。
04年9月になってようやく、大河内町役場を本庁舎とし、神崎町に支所的な施設を建設することが決まりました。
その後、新市建設計画として、「本庁舎は大河内町役場とし、神崎町庁舎は老朽化が激しいため、総合窓口業務を有した福祉拠点施設として公立神崎
総合病院近隣に新設
する。」という方針が提案され、承認されました。「公立神崎総合病院近隣」は、もともと神崎町が分庁舎の新設を提案していた場所です。
協議会では、再度「新町の事務所の位置」という項目でも、同じ内容で承認しています。
支所の機能については、神崎町に建設する庁舎(建設前は神崎町役場)は神崎支庁舎と呼称し、保健・福祉の拠点機能(現業・サービスの統括機能)と総合
窓口機能を持つことが提案され、承認されました。「拠点機能」という文言の解釈で、分庁方式ともとれるし、本庁方式ともとれる玉虫色の解決でした。
05年2月27日にすべての協議を終了、3月に合併協定書に調印しました。
なお、上記の2町の協議が行われている最中の04年10月、市川町から2町に対し、合併協議の申し入れがなされました。
大河内町長は、市川町との合併協議に前向きな姿勢を示したものの、神崎町長は慎重な姿勢をとっていました。しかし県の仲介もあって、神崎町長も法定協議会
設置議案を町議会に提出。05年1月に神崎町・大河内町・市川町の3町での法定協議会が設置されました。3町の合併協議会は、2月19日までに5回の
協議会を開き、合併の方式を新設合併とすること、合併の目標期日を06年3月27日とすること、などを決めたほか、新町の名称の住民公募も実施しました。
この間、2町の合併協議と3町の合併協議が並行して進められる状態でした。
05年2月20日、大河内町と市川町で合併に関する住民投票が行われました。結果は以下の通り。
<大河内町> 「神崎町との2町合併」 55.6%     「神崎・市川両町との3町合併」 26.3%      「合併しない」 18.1%
<市川町>  「神崎・大河内両町と合併する」 53.1%    「合併しない」 46.9%
大河内町で2町合併支持が過半数となったことを受け、2月24日に3町の町長が、3町の法定協議会を解散することで合意しました(正式解散は3月)。

和歌山県 打田町+貴志川町+粉河町+那賀町+桃山町=紀の川市 (新設合併、05年11月7日)

和歌山県北部・那賀郡の6町のうち、06年4月に単独で市制施行する岩出町を除く5町が合併して、新しい市になりました。
人口は貴志川町が約21000人、粉河町が約16000人、打田町が約15000人、那賀町が約9000人、桃山町が約8000人です。
02年4月、5町は任意協議会を設置します。しかし03年1月に打田町が合併協議から離脱。4町は打田町に復帰を求めますが、打田町は応じず、結局、03年
6月に任意協議会は解散してしまいます。03年8月、粉河町と那賀町は2町で合併準備室を設置します。桃山町と打田町は2町での合併を模索する一方、貴志
川町は打田・桃山両町に3町での合併を呼びかけます。また粉河・那賀の両町も打田町に触手を伸ばします。
情勢が混沌とする中、03年11月に粉河町と那賀町は2町で法定協議会を設置します。打田町は町長が合併しない方針を示したため、残された貴志川町
と桃山町は2町での合併を検討し始めます。
ところが03年12月になって、打田町が町議会の意向を受け、5町での合併推進に方針を転換します。情勢は一気に5町合併に傾き、04年1月に5町の枠組みが
確定しました。04年2月、打田・貴志川・粉河・那賀・桃山の5町は法定協議会を設置します。同日に粉河・那賀の2町の法定協議会は解散します。
合併の方式は異論なく新設合併に決まりました。
新市の名称については、在住在勤者を対象に公募を行うことにしました。5町の名称も候補から除外していません。結果は以下の通り。
<公募結果上位>
1位 紀の川 322件    2位 紀の里 283件     3位 那賀 204件     4位 紀ノ川 165件     5位 紀北 122件    6位 きのかわ 81件
小委員会は以下の5候補を選定し、協議会に報告しました。
「紀の川」「紀の里」「那賀」「紀北」「きのかわ」
協議会では、1人1票で投票が行われました。
<投票結果>
紀の川 33    那賀 1    紀の里 0     紀北 0    きのかわ 0
以上により、2/3を超える支持を集めた「紀の川市」に決定しました。
新町役場の位置については、小委員会で議論されました。5町の庁舎を比較しますと、打田町役場が隣接施設である保健福祉センターや公民館を入れると
ダントツの延床面積を持ち、駐車場の台数も貴志川町と並んで最多です。地理的位置や交通網からしても、5町の中心にあると言えます。
小委員会では、庁舎の方式から議論され、まず本庁方式を基本とする考えが示されました。続いて本庁方式であっても、全ての機能を1箇所に集中するのか、
一部機能を分散するのか(一部分庁方式)が検討されました。隣接施設を含めた延床面積で、想定される人数が収容可能かの試算が事務局から示されま
した。それによると計算上は、最も広い打田町役場の場合、1箇所に集中させた場合の1人当たりの面積は、国の定める標準よりはやや狭いながらも現在の
粉河町役場程度となり、教育委員会・福祉事務所・公営企業(上下水道)・電算センターを分散させた場合は、1人あたりの面積は国の定める標準程度になる
という結果でした。
以上を踏まえ検討した結果、本庁舎の位置については、庁舎の面積や地理的中心にあることからも、打田町役場とすることで、各町とも異論なく決定しました。
庁舎の方式については、本庁方式を前提に分散型をとる方向で固まりましたが、具体的な配分が議論されました。事務局からは、当初想定の公営企業(上下
水道)は管理部門の人数が少なく、電算センターも人数が少ないので、分散させるとするならば、「教育委員会」・「保健福祉部門(民生・介護・福祉事務所)」・
「農林+商工」・「土木+都市計画」の4つが想定されるとの修正提案がなされました。那賀町の委員から、「事業部門(農林・商工・土木・都市計画)・民生は
本庁舎に置く事務局当初案の方が良いのではないか」との意見も出されましたが、事務局から「当初案でも物理的に収容は不可能ではないが、大幅な改造
工事が必要になる」との説明があり、事務局の修正提案通りで検討を進めることになりました。結局、分庁方式に限りなく近い形になったことになります。
新庁舎の建設については、那賀町の委員から「急いで建設するのは反対である。合併後8年以降に建設することでどうか」との意見が出されました。
他の委員も新町建設計画に入れる(合併後10年以内)ことには異論はなく、「新市建設計画に盛り込み、合併後10年以内に建設するものとするが、8〜10
年目をめどとする」ことで意見集約しました。
以上の経緯を踏まえ、「本庁舎の位置は打田町役場とする。既存庁舎を有効活用するため、本庁機能を各庁舎に分散する。新庁舎は合併後、財政状況を
勘案しつつ、10年以内に建設する」と協議会に提案され、異論なく承認されました。
なお、その後の調整で、実際の機能分散は以下の通りとなりました。
本庁舎:市長・助役・収入役・議会・市長公室・企画部・総務部・市民部・水道部・地域振興部(支所等の連絡調整)
粉河支所庁舎:農林商工部(農業委員会事務局含む)
那賀支所庁舎:保健福祉部
桃山支所庁舎:建設部
貴志川支所庁舎:教育委員会
議員の任期の扱いについても、小委員会で議論されました。各議会の意見は、明確な意見集約ができていなかった那賀町を除く4町は、在任特例を適用
しないことで一致しました。貴志川町・桃山町・粉河町の各議会は定数特例も使わないという意見でした。民間委員も在任特例には否定的な意見が大勢でした。
この状況を踏まえ、那賀町議会も在任・定数の特例は使わないことで意見がまとまり、打田町議会も定数特例を使わないことを確認。5町議会の意見が揃った
ため、まず「在任特例・定数特例は適用しない」ことが決まりました。
続いて定数と選挙区設置是非の議論に入りました。粉河町と桃山町の両議会は選挙区を設けないことを主張。打田町と桃山町の両議会は定数30(法定上限)
を主張しました。粉河町や貴志川町議会には初回は定数30とし、2回目以降引き下げるという意見もありました。民間委員からも、2回目は定数を引き下げる
ことが確約できるか、との意見が出されました。
各町で持ち帰り検討した結果、貴志川町議会・打田町議会は「定数24で選挙区なし」、桃山町議会・粉河町議会は「定数30で選挙区なし」、那賀町議会は
「定数25〜30で選挙区設置は是非の両論あるが、設置しない意見がやや多い」という状況でした。民間委員の意見も、定数は24から30まで分かれ、
選挙区についても「初回は必要」・「不要」の両論がありました。
議論はなかなか収拾がつきませんでしたが、最終的に定数については、「条例定数は抑えておき、初回のみ30(法定上限)とする」方向でまとまり、小委員会
委員長が「定数は26とするが、初回選挙に限り30とする」という内容で提案し、意見集約されました。また選挙区についても、最後まで意見が分かれましたが、
多数決で「設置しない」ことを決めました。
以上の経過を経て、「特例は適用しない。定数は26とするが、合併時の初回選挙のみ定数30とする。選挙区は設けない」と協議会に提案されました。
協議会では「定数を26から30に増やす意図が不明である。(桃山町が定数30を主張した根拠である)過疎地から議員を出すのが目的であるならば、選挙区
を設置するなどの手法を取るべきで、定数を増やしても実質的には効果はない」との意見が出されました。もともと小委員会の結論も、定量的・理論的に出さ
れたものではないので、真正面からの回答はありませんでしたが、意見を出した委員も提案に反対まではせず、結局原案通りで承認されました。
04年11月にすべての協議を終了、05年1月に合併協定書に調印しました。

鹿児島県 加世田市+坊津町+笠沙町+大浦町+金峰町=南さつま市 (新設合併、05年11月7日)

鹿児島県・薩摩半島の南西部にある5市町が合併して、1つの市になりました。
人口は加世田市が約23700人、金峰町が約8000人、坊津町が約4300人、笠沙町が約3500人、大浦町が約2800人です。
金峰町は、この枠組みに出たり入ったりしています。金峰町は01年1月、旧串木野市・旧市来町・旧東市来町・旧伊集院町・旧日吉町・旧吹上町・旧松元町・
旧郡山町との9市町で研究会を設置します。しかし、旧串木野市は旧川内市などとの枠組みに(後に離脱)、旧松元町・旧郡山町は鹿児島市などとの枠組み
にそれぞれ加わり、9市町の枠組みは02年8月に崩壊。02年10月に金峰町・旧市来町・旧東市来町・旧伊集院町・旧日吉町・旧吹上町の6町で任意協議会
を設置します。
その他の5市町では、まず坊津町が02年4月に枕崎市・知覧町・川辺町・頴娃町と5市町で任意協議会を設置します(頴娃町は指宿市などとの合併も検討)。
02年6月には加世田市・笠沙町・大浦町・金峰町が加わり、頴娃町を除いた8市町で研究会が設置されます。この時点で金峰町は加世田地区と日置地区の
2つの枠組みに参加したことになります。しかし、02年9月から、「加世田市・笠沙町・大浦町・金峰町」の4市町の枠組みが浮上します。
02年11月、加世田市・笠沙町・大浦町・金峰町の4市町は任意協議会を設置します。同月、金峰町では合併の枠組みを問う住民アンケートが実施されます。
結果は、「日置郡での合併(旧市来町など6町の枠組み)」が58.3%と、「加世田市などとの合併」の40.6%を上回ります。
これを受けて、02年12月、加世田市など4市町は合併を断念。4市町の任意協議会を解散します。
一方、枕崎市・知覧町・坊津町・川辺町・頴娃町の5市町の任意協議会も、02年10月に頴娃町で実施された住民アンケートで旧指宿市などとの合併が
過半数の支持を集めたことなどから、枠組みが崩壊。03年1月には解散してしまいます。
その中で金峰町は、03年1月、旧市来町・旧東市来町・旧伊集院町・旧日吉町・旧吹上町と6町で法定協議会を設置します。
残された格好の加世田市・坊津町・笠沙町・大浦町・枕崎市・知覧町・川辺町は合併の枠組みの組み替えを模索。
枕崎市長が枕崎市・知覧町の2市町での枠組みを表明したり、両市町で実施された住民アンケートで、ともに2市町(枕崎・知覧)の枠組みが支持されたこと
もあって、03年8月、加世田市・坊津町・笠沙町・大浦町・川辺町の5市町は法定協議会を設置します。(なお枕崎市議会や知覧町長は、加世田市
など5市町を含む7市町の枠組みを支持しており、その後も7市町での合併を模索しますが、結局断念)。
合併の方式については、異論なく新設合併に決まりました。
議員の任期の扱いについては、小委員会で議論されました。各議会の意見を確認した上で、まず在任特例を適用しないことを決めました。ただし、地域性を
踏まえ、初回選挙のみ旧市町単位の選挙区を置くことにしました。そこで定数の配分が議論になりました。法定上限の30を人口比例配分すると、加世田14・
川辺9・坊津3・笠沙2・大浦2となります。笠沙・大浦の2町から、新市議会の常任委員会(3つを想定)のうち2つにしか代表を出せないとして、定数3の配分を
求める意見が出ました。「定数特例を適用して32にする」、「均等割の要素を入れて、加世田12・川辺8・坊津4・笠沙3・大浦3にする」の両案が出ましたが、
結局定数特例を適用しないことに決め、「特例を適用しない。定数は30(法定上限)。初回選挙のみ旧市町単位の選挙区を設け、定数配分は加世田
12・川辺8・坊津4・笠沙3・大浦3
とする。」で意見集約、協議会に報告されました。協議会でも異論なく小委員会報告通り承認されました。
新市の名称については、全国公募が行われました。小委員会は5市町の名称は公募から除外することを提案しましたが、川辺町・笠沙町・坊津町の一部
委員から、「川辺は郡名であり除外する必要はない」との意見が出されました。一方で「川辺を入れるなら加世田を除外することの合理性がなくなる」との意見
もあり、議論は紛糾しました。一時は「小委員会では郡名としての川辺までは議論していない」という発言もあり、流動的になりましたが、再度小委員会委員で
確認した結果、「郡名と同一である川辺を含め5市町の名称は除外するという趣旨である」との報告があり、最終的に「川辺」も含め5市町の名称は除外する
ことで決まりました。公募結果は以下の通り(表記が同じものは、読みが異なるものもまとめて集計)。
<公募結果上位>
1位 南さつま 350件    2位 南薩 289件     3位 南薩摩 196件     4位 薩南 122件    5位 なんさつ 61件  
小委員会は公募結果を踏まえ、以下の5候補を選定し協議会に報告しました。
「薩南」「さつま南」「南薩」「南さつま」「南九州」
協議会では、「南薩摩も入れるべきだ」との意見が出ました。小委員会委員長は「薩摩の漢字が書きにくいこともあって選に漏れた」と説明しましたが、
候補に加えることに支持する意見も多く、結局「南薩摩」を入れた6候補になりました。
協議会は投票で決めることにしました。
<第1回投票結果>
南さつま 17    南薩摩 8     南薩 6     薩南 3     南九州 3     さつま南 2
2/3の票を得た候補が無かったため、上位2点で決選投票となりました。
<決選投票結果>
南さつま 22    南薩摩 17
以上により、「南さつま市」に決まりました。
なお旧市町名は、新市の大字名に冠する(大浦町は「大浦町」という大字を新設)ことで、残ることになりました(後に加入する金峰町も同じ扱い)。
新市役所の位置についても、小委員会で議論されました。まず庁舎の方式を総合支所方式に決めています。本庁舎の位置については、枕崎・知覧との7市町
合併を視野に入れれば中心は川辺だとする川辺町と、5市町では交通網の上で中心にあたる加世田市を推す他市町とが対立し、なかなか決着がつきません
でした。最終的に小委員会は、「庁舎の方式は、住民の交流が活発になり一体感が生まれるまでの間は総合支所方式とする。本庁舎は当面の間、加世田
役所とする。将来さらなる市町再編(7市町の合併を想定)を考慮したとき、住民の利便性・交通事情・地域の均衡に配慮すべきであり、新庁舎の建設場所は
川辺町南西部が適地である。新庁舎の建設場所・建設時期は合併後5年以内に検討し決定する」と意見集約し協議会に報告しました。新庁舎の建設に
ついて検討期間を5年にしたのは、最終決定は市議会が全市1区となってからにしたい(最初の4年は選挙区制)という意図があります。
協議会では、川辺町の委員から「適地であるというだけでは担保が無い。川辺町南西部に建設すると明確に書くべき」「合併後早期に検討すべき」などの意見
が出ました。一方笠沙町長は、「現時点では5市町の枠組みで考えればよいのではないか。財政的にも新庁舎建設は疑問。」として、新庁舎建設に関する
部分の削除を求めました。笠沙町(特に西部)から川辺町までは非常に遠く、川辺町への庁舎建設に反対するのは当然と考えられます。大浦町の委員から
も「枕崎・知覧が川辺町南西部に庁舎を置くことに納得するのか疑問」との意見が出ました。それでも川辺町は「そもそも7市町の先行合併として5市町という
のが川辺町のスタンス」と主張を譲りませんでした。坊津町長も「7市町を今議論するのはナンセンス」と川辺町の姿勢を批判しました。
すでに川辺町が合併の是非を問う住民投票を実施することは決まっていたため、これ以上泥沼の議論を続けては却ってマイナスになる、という判断もあり、
「継続審議にすべき」、「首長の話し合いに委ねたい」といった意見も出されました。結局継続審議とし、首長会議を開催することにしました。
首長会議では、川辺町から「住民投票の結果が出るまで待ってほしい」という要請があり、事務局は次回の協議会で、議論に入らず継続審議とすることを
提案しました。しかし協議会の委員は納得せず、そのまま協議に入りました。大浦町長から「原案を修正し、さらなる再編(7市町の合併)が実現した場合は
川辺町南西部に建設するとしてはどうか」との提案がありました。協議会会長(川辺町長)は、この提案を踏まえて小委員会で再審議することを求めましたが、
加世田市の委員から「住民投票の前に前向きな結論を出すべきだ」との意見もあり、協議会を休憩して再度首長会議が開かれ、「将来さらなる市町再編を
考慮したとき、住民の利便性・交通事情・地域の均衡に配慮すべきであり、新庁舎の建設場所は川辺町南西部が適地である。」という原案を、「将来2市5町
による更なる再編がなされた場合、新庁舎は住民の利便性・交通事情・地域の均衡を考慮し、川辺町南西部に建設する」と修正することで合意。急遽
小委員会が開催され、この結論を承認。その日のうちに協議会に修正提案され、承認されました。
ところがこの協議後の04年7月28日、8月の住民投票を前にして、川辺町議会の特別委員会が全会一致で法定協議会から離脱する決議案を可決して
しまいます。離脱の理由としては、「新市の名称で郡名の川辺が除外された」、「公共料金等で町民の負担増が見込まれる」、「新市役所の位置で7市町の
枠組みを視野に入れるかで意見が対立」などを挙げています。
04年8月川辺町で実施された住民投票では、5市町の合併に反対が82.8%に上り、川辺町長も法定協議会からの離脱を決断します。
協議会も川辺町の離脱を承認し、枠組みは4市町になりました(正式な離脱は9月)。
一方、川辺町の離脱とほぼ時を同じくして、金峰町が加入していた日置郡5町の法定協議会(03年10月、旧市来町が離脱済み)は、旧東市来町が、「電算
システム選定の進め方、金峰町の場外舟券売り場交付金問題、金峰町が加入している薩南衛生処理組合の財産処分の問題などで協議が不十分」として
合併に同意しない意向を表明し、休止に追い込まれてしまいます。休止の原因ともなった金峰町は、もはや日置郡内での合併は困難と判断。一度は縁が
切れた加世田地区との合併に舵を切ります。
04年10月、金峰町で加世田市など4市町の法定協議会への参加の是非を問う住民投票が行われました。結果は賛成が86.6%となり、11月に
金峰町は法定協議会への参加を申し入れます。
一方、4町となった法定協議会では、新市の名称・新市役所の位置・議員の任期の扱いについて小委員会で再検討が行われました。その結果、新市の名称
は「南さつま市」のままとすることが報告されました。新市役所の位置については、新庁舎建設の部分を全面削除する案が報告されました。
04年11月、金峰町が法定協議会に加入します。枠組みは5市町になりました。
新市の名称については、加世田市議会や笠沙町議会には「名称を変えてはどうか」との意見があるとの報告がありました。川辺町の離脱・金峰町の加入を
理由としていますが、金峰町は名称にはこだわらない姿勢を示していたため、むしろ両議会に「変更したい」という意思があったように思われます。
しかし大勢は「南さつま市」のままとすることを支持。両議会も抵抗することまではせず、小委員会報告通り「南さつま市」のままとすることが決まりました。
新市役所の位置については、小委員会報告通り、新庁舎建設の部分を全面削除することで異論なく承認されました。
議員の任期の扱いについては、在任特例を適用しないこと、初回選挙のみ選挙区を設けることでまず合意しました。法定上限は金峰町を加えても26に
減ったため、定数の再配分が必要となりました。前回と同様、人口比例配分では定数3にならない笠沙・大浦の両町の扱いが問題となり、金峰町には法定上限
26を人口比例配分した場合に相当する定数5を配分した上で、他は合意済みの定数と同じ定数にしました。その結果、定数の合計が27となり、定数特例を
適用することになりました。以上の経緯を踏まえ、「在任特例は適用しない。定数は26とするが、合併時の選挙のみ定数特例を適用して27とする。
合併時の選挙に限り、旧市町単位で選挙区を設け、定数は加世田12・金峰5・坊津4・笠沙3・大浦3とする」ことで意見集約。協議会に報告されま
した。協議会でも異論なく承認されました。
最後に問題となったのは、総合支所方式の形態でした。加世田市の本庁機能と総合支所機能を分離するかどうかで意見が対立したのです。事務局は
効率性などを重視して分離しない案を出しましたが、大浦町議会出身委員から、「分離しないと加世田市の下に4町の総合支所があるような形態になりかねない
ので、当面は分離すべきだ」との意見が出されました。しかし大勢は原案通りで進めることを支持し、大浦町議会出身委員も原案通りで了承しました。
05年1月にすべての協議を終了、2月に合併協定書に調印しました。

鹿児島県 国分市+隼人町+溝辺町+横川町+牧園町+霧島町+福山町=霧島市 (新設合併、05年11月7日)

鹿児島県東部の国分市・隼人町とその周辺に位置する5町とが合併して、1つの市になりました。
人口は国分市が約55800人、隼人町が約37000人、牧園町が約9100人、溝辺町が約8700人、福山町が約7100人、霧島町が約5800人、横川町が約54
00人です。
まず02年8月に、7市町に旧栗野町・旧吉松町を加えた9市町が「姶良中央地域合併研究会」を設置し、合併の検討を開始します。しかし、溝辺町は他の枠組み
での合併も検討しており、12月に姶良町・加治木町・蒲生町との4町で「姶良西部4町合併問題研究会」を設置しますが、03年1月に4町の研究会からは離脱
します。
02年12月、9市町の研究会は、7市町と旧栗野・旧吉松の2町に枠組みが分裂し解散します(旧栗野・旧吉松の2町は05年3月22日に合併し湧水町に)。
03年1月、7市町は準備会を設置。03年4月、法定協議会を設置します。
合併の方式については、異論なく新設合併で決まりました。
新市役所の位置については、小委員会で議論が行われ、「本庁舎の位置については、当面は国分市役所に置き、合併後検討する」、「庁舎の方式は、当面は
総合支所方式とし、将来的には本庁方式へ移行していくことを合併後検討する」、「新庁舎建設については、当面は既存の庁舎を活用しながら、合併後検討する」
と意見集約され、協議会に報告されました。国分市役所を選定した理由は、住民の利便性と庁舎の規模を勘案した結果です。また庁舎の方式については、将来も
総合支所方式を一部継続すべきとの意見はありましたが、行政コスト削減を優先し、本庁方式への移行を前提とした表現になっています。
協議会では、「本庁方式への移行」に異論が唱えられました。面積が広いことを考慮し、将来的にも1〜2箇所の総合支所を存置すべきとする意見が出たのです。
この扱いについて協議会委員に確認したところ、5名が「将来的には本庁方式へ移行していく」を削除することに賛成、22名が原案通りに賛成、20名が文言の
一部修正に賛成しました。そこでこの将来の庁舎方式の部分のみ、小委員会で再検討することになりました。
小委員会では、「将来的には本庁方式に移行していくことも視野に入れて検討」「将来的には住民サービスが低下しない行政コストの削減の実現を図る必要が
あり、方式については検討」の2案で審議され、後者に修正することで意見集約され、協議会に報告されました。協議会では修正案通り承認されました。
新市の名称については、7市町の名称も除外せず、全国公募を実施しました。結果は以下の通り。
<公募結果上位(応募数ベース=無効を含む)>
1位 霧島 951件   2位 南九州 315件   3位 国分 177件   4位 きりしま 145件   5位 天降(あもり) 58件   6位 姶良中央 43件
小委員会は以下の3候補を選定し、協議会に報告しました。
「霧島」「南九州」「きりしま」
隼人町では、03年9月に町議会が「合併の是非を議論すべき法定協議会が、合併ありきで事務的協議を続けている」として、協議会からの離脱を求める
決議を
可決、9月の協議会で議会出身委員は退席し、その後の協議会も欠席しました。町長は離脱決議は民意を反映していないとして、合併協議継続を主張し、
住民投票の実施を表明しました。11月に議会で住民投票条例が可決され、「投票率50%以上で、賛否のいずれかが有権者の1/3以上」という厳しい成立要件
がつけられました。04年2月、隼人町で合併協議会離脱の是非を問う住民投票が行われ、離脱しないが63.5%、離脱するが36.5%となり合併協議継続が
多数を占めました。投票率も54.6%とかろうじて成立要件をクリアしました。04年2月の協議会から、隼人町議会出身委員も出席することになりました。
新市の名称については、隼人町議会出身の委員から、「議会で霧島市には異論があるため、持ち帰りたい」との意見が出されましたが認められず選定作業に
入りました。まず「南九州」が脱落し、「霧島」「きりしま」の2点に絞られましたが、応募数などを考慮して「霧島市」に決定しました。
なお、旧市町名は新市の「町・字名」として残されることになりました(例:霧島市国分、霧島市溝辺町)。
議員の任期の扱いについても、小委員会で議論され、定数特例・在任特例などで意見が分かれていましたが、隼人町の住民投票などの結果を待って、
結論が先送りされていました。隼人町の議会出身委員復帰後に協議が再開され、定数特例を採用する場合と在任特例を採用する場合の選択肢について協議
が行われました。定数特例を採用する場合は、初回の選挙に限り旧市町単位に選挙区を設け、法定上限定数34の人口比例配分に、各市町2ずつの
均等配分を上乗せした定数48
とすることでまとまりました(国分16、隼人12、牧園5、溝辺・霧島・福山各4、横川3)。在任特例を適用する場合は、
最も任期満了が早い国分市議会の任期満了(06年5月)までの1年4ヶ月の在任期間とすることでまとまりました。小委員会では2案で無記名投票が行われ、
8対6で定数特例が多数を占めたため、定数特例案で意見集約し、協議会に報告されました。また特例終了後の定数は法定上限の34とすることも決めました。
協議会では一票の格差を問題にする意見や、特例不適用を望む意見が出たものの、原案通りで承認されました。また、将来の定数削減を付帯意見としては
どうかという意見も出されましたが、結局、付帯意見も付けないことになりました。
合併の期日についても、05年2月14日とすることが決まりました。
04年6月にすべての協議が終了しますが、一部の議会から合併の期日を拙速に決めすぎだとの不満の声が上がっていました。合併の期日まで期間が無いこと
から、電算統合に関する予算の審議を先行して行った経緯があり、議会が軽視されているという意識がもともと膨らんでいたことも背景にありました。
04年6月、溝辺町議会はまず電算システムの統合負担金の予算を減額修正する議案を可決、続いて合併協議から離脱する決議を賛成14・反対1で
可決
しました。溝辺町長は合併協議の継続を主張していました。一方、牧園・横川の両町議会も電算システムの統合負担金の予算を減額修正し、合併は一転
して流動的な情勢になりました。
電算システム統合予算を否決した3町を除く枠組みも模索される中、04年8月にまず牧園町議会が電算システム統合予算の増額を可決。続いて横川町議会
も可決しました。7市町の協議会は休止され、溝辺町を除く6市町の枠組みでの協議を進める方針が決まりました。
6市町の法定協議会設置議案は隼人町議会が僅差となったものの、各議会で可決され、04年9月、溝辺町を除く6市町の法定協議会が設置されました。
6市町の法定協議会は、合併の方式(新設合併)・新市の名称(霧島市)・新市役所の位置(当面は国分市役所で総合支所方式)については、7市町の法定
協議会の結論を追認しました。
議員の任期の扱いについては、事務局から溝辺町の配分定数4を除いた形で「定数特例を適用し、初回の選挙に限り旧市町単位に選挙区を設け、定数44
(国分16、隼人12、牧園5、霧島・福山各4、横川3)とし、特例終了後の定数は法定上限の34とする」と提案されましたが、横川町長から、定数特例適用時
の定数について定数34を再度6市町で人口比例配分し、均等割の2ずつを加えた定数46(国分17、隼人12、牧園5、霧島・福山・横川各4)が妥当という
意見が出て、これに賛同する意見が相次ぎ、横川町長の提示した修正案通りで承認されました。
合併の期日については、05年7月19日とした事務局提案に対し、議会側から反対の声が相次ぎました。小委員会を設置し審議することになりましたが、
小委員会でも、06年3月を主張する委員と05年7月19日に近い早期を主張する委員が対立しました。早期を主張する委員は、06年3月合併ならば定数
特例の適用を見直す必要があると主張しました。その後、05年9月26日・10月11日・12月26日の3案が示され、議会側は12月を主張しましたが、
最終的に11月7日とすることで合意。協議会に報告され、承認されました。
また、総合支所方式について、住民から短期間で総合支所方式がなくなる不安があるとの意見を受け、総合支所の設置期間を「当面」から「おおむね10年」
に修正することが承認されました。
04年11月19日、6市町の法定協議会もすべての協議が終了しました。
協議を離脱した溝辺町は、04年9月に町議会が隼人町に対し2町合併の可能性を打診しますが、隼人町は応じませんでした。04年11月21日、溝辺町は
住民
投票を実施しました。「1市6町での合併」・「隼人町などとの小規模合併」・「合併しない」の三択ですが、「投票率が70%に達しない場合は開票しない」
「投票率が70%を超えても選択肢のいずれかに有権者の1/2以上の賛同がなければ成立しない」という厳しい要件が付けられていました。結果は、「1市6町
での
合併」が78.4%を占め、「隼人町などとの小規模合併」の17.1%、「合併しない」の4.5%を大きく上回りました。投票率も83.2%で、2つの成立要件も
満たしました。これを受けて、溝辺町は合併協議に復帰することになりました。
04年11月25日、6市町の法定協議会は休止され、7市町の法定協議会が再開されました。
7市町の協議会では、6市町での協議結果を踏まえ、合併の期日を05年11月7日に変更したほか、総合支所の設置期間を「おおむね10年」と明記する修正
を行いました。
04年12月、すべての協議が終了し、合併協定書に調印しました。

愛知県 豊根村+富山村=豊根村 (編入合併、05年11月27日)

愛知県の北東の端に位置する富山村を、豊根村が編入しました。人口は、豊根村が約1300人、富山村は約200人という少なさで、合併しても1500人ぐらい
にしかなりません。富山村は離島を除いて人口が最小の村でした。
元々この地域は、広域合併を企図していました。
02年11月、旧新城市・旧鳳来町・旧作手村・旧設楽町・旧津具村・東栄町・豊根村・富山村の8市町村は任意協議会を設置しました。
6回にわたり協議会が開催されましたが、03年6月の第6回協議会で、旧新城市・旧鳳来町・旧作手村の3市町村と、旧設楽町・旧津具村・東栄町・豊根村・
富山村の5町村で分かれて合併協議を進めることで合意。8市町村の任意協議会は解散します(旧新城市・旧鳳来町・旧作手村の3市町村は、05年10月1日
に合併し、新城市に)。
03年7月、旧設楽町・旧津具村・東栄町・豊根村・富山村の5町村は任意協議会を設置します。
合併の方式については、新設合併とすることが決まりましたが、新町役場の位置で議論が紛糾しました。
もともと、この5市町村には東部の東栄町・西部の旧設楽町と2つの核があり、人口ではやや旧設楽町が上回るものの、絶対的な差は無い状態でした。
任意協議会ではまず総合支所方式を採用することは合意できましたが、本庁舎(統括事務所)の位置については、東栄町と旧設楽町で意見が分かれました。
3村による検討や、議会正副議長による調整も不調に終わり、各町村の意向を確認したところ、以下の様な結果となりました。
東栄町:国道151号と473号の交点である中設楽地区(東栄町役場付近)が妥当
豊根村・富山村:国道151号線沿いで近いところ。中設楽でも合意可能。
旧設楽町:官公署との関係や住民サービスの観点から、田口地区(旧設楽町役場付近)が妥当
旧津具村:津具村が望ましいが、田口でも合意可能。
これでは決着が付かないので、旧津具村から、以下の2案が提案されました。
<案1>当初の事務所(本庁舎)の位置は設楽町田口とし、新庁舎は財政状況を勘案し、合併後10年以内に地理的中心地に建設する。
<案2>当初の事務所(本庁舎)の位置は設楽町と東栄町の2年輪番制とし、新庁舎は財政状況を勘案し、合併後10年以内に地理的中心地に建設する。
しかし、いずれの案も他町村の理解を得ることができず、新町役場の位置については合意できる意見が無いとして、03年12月、5町村の任意協議会は
解散
してしまいます(旧設楽町と旧津具村は、05年10月1日に合併し、設楽町に)。
04年5月、東栄町・豊根村・富山村は、3町村で任意協議会を設置します。
合併の方式については、異論なく新設合併に決まりました。
新町の名称については、住民を対象に公募すること、3町村の名称は使用しないこと、の2点が決まり、その他は法定協議会で議論することになりました。
議員の任期の扱いについては、特例を適用せず、法定上限の18人以内で合併時に選挙を行うことが提案されました。具体的な定数や選挙区の設置等に
ついては今後の議論に委ねることにしています。協議会では豊根村や富山村の委員から在任特例適用の要望が強く出て、東栄町の委員も理解を示したため、
在任特例を適用することが決まりました。
問題となったのは、またもや新町役場の位置でした。この3町村のうち、特に富山村はアクセスが悪く、近い方の豊根村でも車で50分、東栄町となると車で1時間
10分かかるという位置にあります。
事務局は、「分庁方式を採用し、町長と町議会、総務企画関係とそれ以外を、それぞれ2つの庁舎に割り振る」という案を示しました。人口の多い東栄町と、地理的
中心の豊根村(および豊根村の方が近い富山村)との両方の顔を立てたような案です。
富山村は、豊根村が通勤圏内の限界であるとして、豊根村役場に本庁舎を置くことを希望していました。一方、東栄町は人口規模からして東栄町に本庁舎を置く
のが妥当であり、電車を使えば富山村から東栄町への通勤も可能であるし、また分庁舎(豊根村役場)の機能も充実していると指摘しました。豊根村は、庁舎の
位置については特にこだわらない姿勢を示しました。
富山村と東栄町の対立は平行線をたどりました。法定協議会を立ち上げるリミットが近づく中、富山村は法定協議会に決定を先送りすることを提案しましたが、
東栄町と豊根村は、これには応じませんでした。04年8月20日の第9回任意協議会で、結局富山村は豊根村役場としたいという従来の線を譲らず、首長と
議会議長が協議した結果、協議の継続は困難であるとして、任意協議会を解散することが決まりました。
04年11月、豊根村と富山村は法定協議会を設置します。
第2回協議会で、合併の方式(編入合併)・新村の名称(豊根村)・新村役場の位置(豊根村役場)を決定します。
05年3月16日に合併協定書に調印し、3月18日に両村議会で合併関連議案を議決。何とか期限内に間に合いました。

福島県 二本松市+安達町+岩代町+東和町=二本松市 (新設合併、05年12月1日)

福島県北部・福島市の南に位置する4市町が合併して1つの市になりました。
人口は二本松市が約35000人、安達町が約12000人、岩代町が約9000人、東和町が約8000人です。
03年1月、4市町は任意協議会を設置しました。
任意協議会では、合併の方式(新設合併)・新市の名称(二本松市)・新市役所の位置(二本松市役所)が提案されました。新市の名称については、公募すべき
だとか、住民の意見を聞くべきだとの意見も出ましたが、任意協議会としては提案通りで承認しました。
03年6月に法定協議会設置議案が各市町議会に提案される運びになっていました。しかし、提案直前に当時の二本松市長が、斎場工事に絡む収賄容疑で逮捕
され辞職する意向を示したため、市長職務代理者(助役)は新市長誕生まで法定協議会設置議案の提案を見送ることを決めました。
8月に実施された二本松市長選で当選した新市長も、市民の意見を聞くとして、法定協議会設置議案の提案を延期。03年12月になって、ようやく4市町議会に
法定協議会設置議案が提案され、04年1月、法定協議会が設置されました。
任意協議会の結論を踏まえ、改めて合併の方式(新設合併)・新市の名称(二本松市)・新市役所の位置(二本松市役所)が提案されました。
合併の方式・新市役所の位置については異論はありませんでしたが、新市の名称については公募を主張する意見が再び出されました。協議の結果、公募を
せずに提案通りとする意見が大勢を占め、提案通りで承認されました。
なお支所については、総合支所的な機能を持たせています。
議員の任期の扱いについては、小委員会で議論されました。
定数については、法定上限の30とすることで、概ね異論はありませんでした。
民間委員は在任特例適用には慎重でしたが、3町の議会は在任特例適用を主張し、その後二本松市議会も在任特例適用が多数意見となりました。
在任期間は6ヶ月〜1年間とする意見と、統一地方選の07年4月末までという意見の両論があり、在任期間の報酬は合併前の報酬を引き継ぐとする意見が多数
でした。選挙区の設置については、安達町議会が設置しないという意見を述べたものの、大勢は選挙区設置の方向でした。
協議が進むにつれ、民間委員も6ヶ月程度の在任特例ならば容認する意向を示してきました。
以上の議論を踏まえ小委員会は、「在任特例を適用する。在任期間は6ヶ月・6ヶ月〜1年・1年5ヶ月の3案」、「在任期間の報酬は合併前の報酬を据え置く」、
「特例終了後の定数は30(法定上限)」、「最初の選挙に限り選挙区を設置する」という方向性を取りまとめました。
各議会で調整した結果、在任期間については、東和町議会は半年を主張しましたが、二本松市議会と安達・岩代両町議会は1年や1年5ヶ月の意見が多い状況
となりました。議会の多数意見である1年5ヶ月と、民間委員の主張する6ヶ月程度が厳しく対立しました。
各議会で再調整した結果、安達町議会も6ヶ月を主張する議員が増え、二本松市議会も1年5ヶ月に固執しない意向を示したため、大勢が「6ヶ月程度」に傾いて
きました。議会出身委員が別室で協議した結果、1年5ヶ月案を取り下げ、「6ヶ月〜1年」に意見集約がなされました。少なくとも06年度の6月議会終了までは
在任すべきという姿勢でした。民間委員は最後まで「6ヶ月以内」を主張したため、折り合いが付かず、「6ヶ月以内」と「6ヶ月以上1年以内」の両論併記で協議会
に報告することになりました。
選挙区ごとの定数配分については、事務局から人口比例配分の「二本松17・安達5・岩代4・東和4」が提示されましたが、安達町と岩代町の両議会の委員は
均等割との併用を主張しました。しかし、二本松市議会が人口比例配分でまとまっており、また公職選挙法施行令9条の「人口に比例しない定数」については、
在任特例を適用した場合は使うべきでないという見解が県選管から示されたこともあって、人口比例配分とすることで決着しました。
以上の結果が、協議会に報告されました。
協議会では、民間委員や県から派遣されている委員から在任特例適用に反対する意見が出ました。とりあえず、「定数を30(法定上限)とする」、「初回選挙
に限り選挙区を設置し、定数は人口比例配分(二本松17・安達5・岩代4・東和4)とする」、「在任特例を適用する場合は、在任期間の報酬は合併前の
報酬を据え置く」ことについては合意。在任特例の是非と在任期間に議論の焦点が絞られました。
在任特例適用に反対する意見はあったものの、小委員会の議論は尊重しようという意見が大勢を占めたため、在任特例適用を前提に、「6ヶ月以内」と「6ヶ月
以上1年以内」の2案で議論を進めることにしました。
協議では決着が付かず、記名投票で決することになりました。
<投票結果>
6ヶ月以内 15     6ヶ月以上1年以内 14
僅差で6ヶ月以内の方向性が出されましたが、具体的な期間は継続審議となりました。しかしこのままでは承認に必要な4/5の賛成を得ることは困難な情勢
でした。
次の協議会で、2時間にわたり休憩扱い(非公開)で議論が行われました。その結果、在任期間を「06年6月30日まで(7ヶ月)」とすることで大勢がまとまり
ました。議案として提案され、賛成多数(賛成30・反対3)で承認されました。
05年1月にすべての協議が終了。2月に合併協定書に調印しました。

千葉県 大原町+岬町+夷隅町=いすみ市 (新設合併、05年12月5日)

房総半島の東部・夷隅(いすみ)郡にある5町のうち、3町が合併して新しい市になりました。
人口は大原町が約20000人、岬町が約15000人、夷隅町が約8000人です。
この地域の合併も、もともとはもっと広域の枠組みを目指していました。
02年3月、3町と勝浦市・大多喜町・御宿町の6市町は任意協議会を設置します。9月には住民発議により法定協議会設置の請求が行われました。
各市町議会に法定協議会設置議案が提案されましたが、御宿町議会は否決しました。御宿町長は合併特例法に基づく法定協議会設置の是非を問う住民投票
の実施を請求。12月に住民投票が実施され、賛成が66%を占めたため、法定協議会設置が決まりました。
02年12月には6市町で法定協議会を設置しました。
新市の名称は「いすみ」「勝浦」「外房」「東上総」「南房総」「若潮」の6つの候補から「外房市」に決定。新市役所の位置も当分の間は大原町役場とすることを
決めました。しかし、勝浦市はこの決定に反発し、勝浦市議会は合併協議会からの離脱を求めました。それを受けて03年9月、勝浦市は合併協議からの離脱
を表明。5町も合意し、03年10月に法定協議会は解散してしまいます。勝浦市は御宿町との2市町での合併を模索しますが、結局郡部の5町の枠組みで
合併する方向が定まりました。
04年3月、勝浦町を除く5町(大原・岬・夷隅・大多喜・御宿)は合併に向けて任意協議会を設置します。
任意協議会は合併の方式を新設合併に決定。新市の名称を「いすみ市」とすること(ただし既存の名称を含まない公募の実施を望む意見もあり)、新市役所
の庁舎の方式を総合支所方式とすること、議員の任期の扱いは在任特例を適用すること、などで合意しました。
本庁舎の位置については、大原町役場・御宿町役場・旧大多喜女子高校など意見が分かれました。協議の結果、「合併後、暫定的に大原町役場とし、必要に
応じて分庁を検討する(御宿町役場とすべきとする意見もあり)」、「新庁舎建設は合併後に検討する」ことで合意しました。
しかし、04年7月に提出された法定協議会設置議案を、大多喜町議会が賛成3・反対12の大差で否決してしまいます。新庁舎の位置が町内の旧
大多喜女子高校になる見通しが薄いこと、財政が健全であり単独でもやっていけること、合併は福祉や観光面での発展にマイナスであることなどが反対の
理由とされています。これを受けて大多喜町は合併を断念。5町の枠組みは崩壊します(任意協議会は7月に解散)。
05年2月17日、合併特例法(旧法)の申請期限が近づく中、5町の首長・議会議長による会議が開催され、合併の是非を話し合いました。席上で大多喜町と
御宿町は合併協議への不参加を表明。大原・岬・夷隅の3町が合併協議を進めることで合意しました。
2月21日、3町は任意協議会を設置し、合併の方式を新設合併とすること、新市の名称を「いすみ市」とすること、新市役所の位置を「当分の間、大原町
役場とし、ほか2町の庁舎は夷隅庁舎・岬庁舎として活用」することなどで合意しました。
05年3月1日、3町は法定協議会を設置します。
法定協議会では、合併の方式(新設合併)・新市の名称(いすみ市)については、任意協議会の決定通り異論なく承認されました。
合併の期日については、岬町が05年8月の合併を求めました。これは岬町議会の任期満了が8月であることが影響しています。これに対し他町は、電算シス
テムの準備に万全を期すべきとして、06年2月〜3月頃を主張しました。協議の結果、岬町側も妥協し、5町の任意協議会での合併予定期日であった05年
12月1日まで譲歩。他町も最終的には岬町の意向を受け入れ、12月の最初の月曜日である05年12月5日とすることで決着しました。
新市役所の位置については、「当分の間大原町役場とする。夷隅・岬町役場は、夷隅庁舎・岬庁舎として活用する」、「庁舎の方式は総合支所方式とする」
ことで承認されました。新庁舎の建設位置については、「合併後に決めるべき」との意見でいったんまとまりました。
議員の任期の扱いについては、岬町議会の委員は「在任特例を適用するなら選挙区なし、適用しないなら選挙区設置」を主張。夷隅町議会の委員は1年以内
の在任特例を主張し、民間委員からも1年程度の在任特例を支持する意見が出ました。その後合併期日が05年12月となったことから、岬町議会も1年程度の
在任特例を主張(特例不適用だと岬町議の任期が約3ヶ月になってしまうため)することとなりました。
在任期間は1年程度とすることで意見がまとまり、協議会会長(夷隅町長)が「06年11月30日までの在任特例適用」を提案、承認されました。
また特例終了後の初回選挙の定数は26(法定上限)とすること、初回選挙における選挙区の設置有無は在任特例期間中に決定すること、も提案
通り承認されました。
しかし、3月15日に開かれた岬町議会全員協議会で、合併に反対する意見が多数を占めました。要望として、将来の新庁舎の位置を岬町内にしてほしい
という意見が出たのです。法定協議会は対応を協議した結果、「その後、市の財政力、住民の意向等を慎重に検討し、適切な位置に庁舎を建設するものとし、
その際、岬地域への建設を考慮する」という文言を新市役所の位置の協議結果に付記することが協議会会長から提案され、大原・岬両町は合意。夷隅町も、
新市建設計画に岬町や大多喜町へのアクセス道路の改良などを盛り込むことを条件に合意しました。
3月18日にすべての協議を終了、3月22日に合併協定書に調印し、3月28日までにすべての議会で合併議案を可決。なんとか期限に間に合わせました。

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