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三重県 津市+久居市+河芸町+芸濃町+美里村+安濃町+香良洲町+一志町+白山町+美杉村=津市
(新設合併、06年1月1日)
三重県の県庁所在地・津市が周辺の9市町村と合併して1つの市になりました。
人口は津市が約16万5千人、久居市が約42000人、河芸町が約18000人、一志町が約15000人、白山町が約13000人、安濃町が約11000人、芸濃町
が約9000人、美杉村が約7000人、香良洲町が約5000人、美里村が約4000人です。
01年10月、最終的に合併することとなる10市町村と旧嬉野町・旧三雲町は「合併問題協議会設立準備会」を設置します。
02年2月には、津市・久居市・河芸町・芸濃町・美里村・安濃町・香良洲町・一志町・白山町の9市町村(10市町村から美杉村を除く枠組み)で任意協議会を
設置します。4月には美杉村と旧嬉野町が任意協議会に加わり、枠組みは11市町村になります。しかし旧嬉野町は02年5月に松阪市・旧三雲町・旧飯南町・
旧飯高町の4市町で構成する任意協議会にも加入。両にらみの態勢をとります。
一方、02年7月には、一志町・美杉村・旧嬉野町・旧三雲町の4町村の枠組みでも研究会が設置され、その後任意協議会に移行しますが、この枠組みは
02年11月に消滅します。
02年11月、旧嬉野町は最終的に松阪市など5市町の枠組みを選択(05年1月に5市町は合併し、松阪市に)し、津市など11市町村の合併協議からは
離脱します。同月に美杉村は、単独行政を維持するとして、いったん津市など11市町村の合併協議からの離脱を表明しますが、村民の合併推進の声を
受けて、同月下旬から12月にかけて津市などの枠組みへ復帰する方針を固め、改めて法定協議会への加入を要望しました。
しかし安濃町議会の反発もあって、とりあえず美杉村を除く9市町村の枠組みで法定協議会を立ち上げ、その後に美杉村加入について議論することになり
ました。
03年1月、美杉村を除く9市町村は法定協議会を設置します。
03年2月の協議会で美杉村の加入について審議され、特に異論は出ず、承認することで合意しました。03年4月に加入し、枠組みは10市町村になります。
まず合併の方式・新市の名称・新市役所の位置などが一括審議されました。
津市・白山町・芸濃町・香良洲町・美里村は「新設合併・津市・津市役所でよい」としましたが、久居市・河芸町・安濃町は新市の名称については結論を留保
しました(一志町は概ね了承だが結論を出さず、美杉村は未検討)。協議会会長(津市長)は、「新設合併・津市・津市役所」を案として各市町村で持ち帰り
調整を求めました。
調整の結果、河芸町・安濃町・一志町・美杉村も「新設合併・津市・津市役所」に合意しました。しかし、久居市が住民の意見を聞きたいとして新市の名称を再び
留保したため、久居市の結論が出るまで継続審議とすることになりました。久居市は新市名称に関する住民アンケートを実施し、「津市」が58.8%を占めた
ことから、久居市を含め全会一致で「合併の方式は新設合併、新市の名称は津市、新市役所の位置は津市役所」で承認されました。
議員の任期の扱いについては、「合併に際しての議会の議員の定数については、38人(法定上限)を基本として調整を行う」と提案されました。定数特例の
適用にはやや含みを残していますが、在任特例適用には否定的な提案になっています。これは議会出身委員の懇談会での議論を踏まえた案と説明されま
したが、河芸町議会の委員から、「懇談会では在任特例を支持した議会が多数だったはず」と反対意見が出されました。協議会会長は「懇談会は合併協議会の
協議に委ねることを決定した。この案は懇談会の座長が懇談会で示した案であり、協議会会長としても同感だったので、会長案として提案した」と説明しました。
美杉村からも在任特例を求める意見が出ましたが、協議会会長は在任特例は認められないという姿勢を崩しませんでした。在任特例では定数が166になって
しまうことを懸念したものと思われます。
各議会で意見集約したところ、香良洲町議会は「在任特例が基本だが、だめであれば特例不適用」。一志町議会は「在任期間の短縮は視野に入れるが、在任
特例支持」。河芸町・安濃町・芸濃町・美杉村も在任特例支持。白山町は定数特例支持。津市・美里村は会長案を了承。久居市は結論を保留という形になりま
した。民間委員は、「会長案を基本としつつ、旧市町村単位で選挙区を設け、定数は人口比等により按分するが、どの選挙区も最低2は確保する」という案を
示しました。
この議論を踏まえ、協議会会長は以下の調整案を提示し、各議会で議論が行われました。
・在任特例は適用しない。条例上の定数は38(法定上限)とする。
・合併時の選挙に限り定数特例を適用し、定数を42とする。旧市町村単位に選挙区を設け、各選挙区の定数は津22・久居6・河芸3・芸濃2・安濃2・一志2・
白山2・香良洲1・美里1・美杉1とする。
定数配分は、芸濃町が単純計算では1になるところを2としていますが、概ね人口比例によっています。
この案に対し、各議会が意見を述べました。芸濃町・白山町は会長案を支持しましたが、白山町は「まとまらなければ定数増も検討すべき」との姿勢でした。
美里村も会長案を前提に、「定数は最低2を確保したい」と主張しました。
一方、津市・久居市・香良洲町は「定数38で選挙区なし」を第1候補としました。ただし津市は「会長案も反対はしない」と述べ、香良洲町は「仮に選挙区を
設けるなら定数は最低2を確保したい」と述べました。河芸町も在任特例の是非は留保しましたが、在任特例を適用しないならば「定数38で選挙区なし」を
支持すると主張しました。
美杉村は「定数特例を適用した上で、選挙区は設けない」という案を示し、一志町は在任特例支持を譲らず、安濃町は合併の是非が議会で俎上に上ったこと
もあり、結論を留保しました。
議会出身委員で集まって調整した結果、「特例を適用せず、定数38で合併時に選挙を行う。選挙区は設置しない」ことでまとまり、協議会でも承認され
ました。
合併の期日については、当初目標は05年1月でしたが、協議の遅れもあり、05年3〜5月の間で調整する案が会長から示されました。これに対し、久居市
議会は06年1月までの1年延期を求めました。一方、白山町はできるだけ早い方が良いとして、3月に合併すべきと主張しました。この議論を踏まえ、協議会
会長は05年4月1日とする案を協議会に提案しました。
しかし久居市議会は、支所の機能や新市まちづくり計画の具体的内容が決まっておらず、市民の負担増にも説明の時間が必要として、延期の主張を繰り
返しました。芸濃町議会・一志町議会・美杉村議会も久居市議会の提案を支持。安濃町議会も9月まで延期するよう求め、河芸町議会も10月1日までの延期
を求めました。香良洲町議会は05年5月連休明け、白山町議会は05年3月14日を主張しましたが、いずれも4月1日案を否定はしない姿勢を示しました。
津市議会は05年4月1日を支持し、美里村は更なる調整を求めました。
正副会長(津市長・久居市長・芸濃町長・香良洲町長)が集まって協議しましたが、各議会の意見がバラバラで、まとまりそうもないため、住民説明会の結果を
踏まえて審議するとして、継続審議としました。
再度各市町村の意見を集約した結果、各首長の意見としては、久居市を除く9市町村は05年4月1日を支持しました。久居市長は、「住民説明会では05年
4月1日の意見が多く、自治会連合会からも05年4月1日を要望されている。しかし、市議会は1年延期を確認している」と説明しました。安濃町議会は6ヶ月
延期案を再度主張しました。美里村議会も6ヶ月延期を主張し、芸濃町議会・一志町議会・美杉村議会にも延長案支持論は根強く残っていました。
民間委員は05年4月1日を支持しました。
市町村長で集まって協議した結果、「05年4月1日」とすることで仮決定し、久居市に持ち帰ってもらい、返答を待つことになりました。この時点(04年8月2日)
で他の協議項目については協議が終了しており、合併協定調印式も8月31日に予定されていました。もし久居市が拒否回答を示した場合は、調印式は延期
することにしていました。
久居市議会はいったん05年4月1日案を継続審議しますが、津市側が調印式を予定通り実施する姿勢を示したこともあって、8月17日に久居市議会の特別
委員会は、05年4月1日案を反対多数で否定し、06年3月31日を希望することを決定してしまいます。これを受けて調印式は延期されました。
また一志町議会でも、合併特例区の採用と合併期日の延期(6ヶ月から1年)を求める意見が多数を占めました。
各市町村の9月議会で合併の期日について再検討することになり、結果が10月1日の協議会に報告されました。香良洲町・安濃町・芸濃町・美杉村は05年
10月〜06年3月の間を主張しました。河芸町・美里村は05年10月1日を希望しますが、協議会出席委員に一任と説明。久居市は06年3月31日案を堅持し、
津市・白山町は05年4月1日を基本とするが、状況を見て判断という姿勢でした。一志町は合併特例区の議論が先と主張しました。
議会出身委員が集まって協議した結果、「05年10月〜06年3月の間で決定する」ことで意見集約がなされました。議会出身委員以外でこの議論を踏まえ
協議した結果、合併期日を06年1月1日とする案を提案することに決定しました。
この提案にすべての議会が同意し、合併期日は06年1月1日に決定しました。
合併特例区の問題については、事務局側から「一志町に特有の事務があるわけではなく、合併特例区を設置する必要性は無い。地域自治は(合意済みの)
地域審議会と、支所への予算配分で実現できる」と説明しました。一志町は最後までこだわりましたが、他市町村は地域審議会で足りるという姿勢で、合併
特例区は設置されませんでした。
04年10月にすべての協議を終了し、11月8日に合併協定書に調印しました。
11月12日に芸濃町議会が合併議案を可決。16日には河芸町・白山町・美杉村議会でも可決されましたが、一志町議会は廃置分合・議員定数・農業委員
の任期の扱い・地域審議会設置の各議案を賛成5・反対7で否決します(財産処分の議案は賛成6・反対6で議長裁決により可決)。
しかし11月22日に一志町議会は一転して合併議案を可決。残る津市・久居市・安濃町・香良洲町・美里村の各議会も同日に合併議案を可決しました。
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三重県 多気町+勢和村=多気町 (新設合併、06年1月1日)
三重県中部・松阪市の南に接する2町村が合併して、1つの町になりました。
人口は、多気町が約11000人、勢和村が約5000人です。
01年11月、多気町と勢和村は、松阪市・旧嬉野町・旧三雲町・旧飯南町・旧飯高町・明和町・大台町・宮川村の10市町村で、「松阪地方市町村合併検討会」
を設置、5回の協議が行われました。しかし02年4月に松阪市は旧三雲・旧飯南・旧飯高の3町と任意協議会を設置。5月に旧嬉野町が加入し、5市町の枠組み
を構築します(05年1月に5市町は合併し、松阪市に)。
一方、松阪市などとの任意協議会に不参加を表明した多気町・明和町・大台町・勢和村・宮川村の5町村は02年6月に研究会を設置しますが、8月に今後の
方向性を話し合った結果、大台町と宮川村は、旧大宮町・旧紀勢町・旧大内山村(現在の大紀町)との枠組みを志向し、多気町・勢和村・明和町は多気・勢和・
明和・玉城・度会の5町村の枠組みを志向したため、解散しました。
02年10月、多気・勢和・明和・玉城・度会の5町村で研究会を設置し、12月には5町村で任意協議会を設置しました。
研究会では合併の方式を新設合併とする方向性を決めました。
任意協議会では、新市の名称については全国公募を行い、旧5町村の名称は地名として残す方針が決まりました。
新市役所については、総合支所方式を採用し合併特例債の活用できる間に新庁舎を建設する方向になりました。
議員の任期の扱いについては、多気町議会が「在任特例はなるべく使わない。定数は30(法定上限)以下で、初回は選挙区設置」、玉城町議会も「在任特例は
なるべく使わない、定数は26程度。当初は選挙区設置」、勢和村・度会村の両議会が「短期の在任特例、特例終了後の定数は30、当初は選挙設置」、明和町
議会が「1年の在任特例適用。特例終了後の定数は26程度。選挙区は設置しない」という意向で、見解が分かれていました。その後多気町議会は「1年以内の
9月を期限とした在任特例」までは容認する意向を示しました。
5町村の議会間で調整した結果、「1年以内の在任特例を適用」、「定数は30(法定上限)以内」、「選挙区は導入を前提に論議をすすめ、法定協議会で決定」
の3点で意見集約がなされました。
しかし、任意協議会の議論が大詰めとなり、法定協議会への移行が議論されていた03年12月、多気町議会特別委員会は全会一致で合併協議からの
離脱を議決します。理由は任意協議会でも示されませんでしたが、財政的に比較的余裕がある多気町にとって、無理に他町村に合わせる形での合併を進める
必要性は無いと判断されたものと思われます。これを受けて、任意協議会は解散します。
04年2月、勢和村は多気町との2町村での合併を決断。多気町もこれに応じ、04年7月、多気町・勢和村は2町村で法定協議会を設置します。
合併の方式は異論無く新設合併に決まりました。
新町役場の位置については、庁舎の規模・人口重心・交通の利便性・他の行政機関の位置等を勘案し、多気町役場とすることが提案され、異論無く承認
されました。なお勢和村役場は「勢和振興事務所」という名の支所になりました。
新町の名称については、「郡名でもある多気ではどうか」との意見もありましたが、事務局提案通り、小委員会を設置して一般公募を行うことに決めました。
小委員会では募集要項を「公募範囲は2町村の在住在勤者とし、2町村の名称も使えるものとするが、他の市町村に既に使われている名称でないものとする」
と決定し、公募を行いました。結果は以下の通り。
<公募結果上位>
1位 多気 229件 2位 たき 32件 3位 多和 21件 4位 勢和多気 19件 5位 多勢 18件 6位 多気和 15件
多気と勢和の2町村名に絡む名称ばかりとなりました。
小委員会は以下の5候補を選定し、協議会に報告しました。
「勢和多気(せいわたき)」、「多気」、「多気和(たきわ)」、「多和(たわ)」、「美多勢(みたせ)」
協議会では、公募で圧倒的な数だったこともあり、勢和村の委員も「多気でやむなし」という意向で、全会一致で「多気町」に決定しました。
議員の任期の扱いについては、民間委員の中でも在任特例の是非が分かれるなどしていましたが、2町村の議会が協議し、以下の案をまとめ、協議会に
報告しました。
・7ヶ月間の在任特例を適用する。在任期間中の報酬は多気町の額とする。
・特例終了後の定数は18(法定上限22)とする。選挙区は設けない。
在任期間7ヶ月は05年度決算を認定するための期間と説明され、定数18は、大紀町の例や、常任委員会を3つ置くこと、勢和村の議員減などを考慮した
結果と説明されました。
勢和村の民間委員は概ねこの提案を了承しましたが、多気町の民間委員からは「定数18の根拠が薄い。もっと減らせるのではないか」「在任特例を適用
すべきでない」との意見が出て、継続審議となりました。
その後長期間にわたり協議事項から外れていましたが、最後の協議項目として、議会が調整した内容の通り(7ヶ月の在任特例・在任期間中の報酬は多気
町の額・特例終了後の定数は18・選挙区は設けない)で提案されました。多気町の民間委員1名が定数の根拠をただしましたが、勢和村の委員など賛成
論が強く、結局全会一致で提案通り承認されました。
05年1月にすべての協議を終了し、2月に合併協定書に調印しました。
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滋賀県 東近江市+蒲生町+能登川町=東近江市 (編入合併、06年1月1日)
滋賀県南部の中央に位置する東近江市が、南に接する蒲生町と北西に接する能登川町を編入しました。
人口は、東近江市が約79000人、能登川町が約23000人、蒲生町が約15000人です。
蒲生町は当初、旧八日市市・旧永源寺町・日野町との4市町で合併をめざし、02年4月に法定協議会を設置しました。
01年12月から02年2月にかけて、近江八幡市と旧愛東町・旧湖東町は、4市町の枠組みへの参加の意思を表明。02年5月、4市町の法定協議会と並行して、
7市町での研究会を設置。検討を進めることになりました。
02年12月、7市町は法定協議会設置議案を各議会に上程します。しかし、八日市市では近江八幡市を含む枠組みに反対の声があがり、議案は継続審議に
なってしまいます。八日市市は住民説明会を実施しますが、7市町での合併には反対の声が多数となり、03年2月、八日市市は7市町の枠組みを断念します。
03年3月、4市町の法定協議会は解散。協議は一旦白紙に戻ることになります。
一方能登川町は、02年1月に安土町・旧五個荘町と法定協議会を設置。新市名称を「安土市」、新市役所位置を能登川町役場とすることまで協議が進み
ましたが、旧五個荘町が旧八日市市などとの合併を目指し、離脱を表明。03年1月に法定協議会を解散します。
03年5月、旧八日市市・旧永源寺町・旧五個荘町・旧愛東町・旧湖東町の5市町は任意協議会を設置します。その後6月には法定協議会に移行し、05年2月に
合併、東近江市となります。
蒲生町と日野町は、2町での合併を視野に入れつつも、竜王町に参加を呼びかけました。しかし03年9月に、竜王町が単独行政の意向を表明したため、2町で
の合併協議を進める方針を決定。03年10月に蒲生・日野2町で任意協議会を設置します。
任意協議会では、合併の方式を新設合併とすることが決まりました。
新市の名称については、小委員会は、「2町の名称および既に存在する市の名称を除外して、住民を対象に公募を実施する」案を提案しました。日野が東京に
日野市があるため使用できないことを考慮して、蒲生も外したのですが、「蒲生は郡名であり除外するのはおかしい」とする意見が根強くあり、結局2町の名称
は除外せずに公募することになりました。
新市役所の位置については、小委員会で議論され、庁舎の方式を分庁方式とすることを決めました。
議員の任期の扱いについては、両町議会が調整した結果として、「1年の在任特例を適用する。特例終了後の定数は20(法定上限は26)とする。選挙区は設置
しない」と提案されました。
協議がここまで進んだ04年2月、蒲生・日野2町の任意協議会は法定協議会に移行します。
議員の任期の扱いについては、提案内容につき協議が行われ、日野町の委員から在任期間を短縮すべきとの意見は出たものの、採決の結果賛成多数で
原案通り承認されました。
新市の名称については、公募が実施されました。結果は以下の通り。
<公募結果上位>
1位 蒲生 324件 2位 蒲生野 305件 3位 蒲生日野 68件 4位 近江日野 66件 5位 あかね 65件 6位 綿向 59件
公募結果を踏まえ、小委員会で以下の6候補が選定され、協議会に報告されました。
「蒲生」「蒲生野」「蒲生日野」「近江日野」「あかね」「わたむき」
協議会では、まずこの6候補から各委員が3点ずつ選び、3候補に絞る投票が行われました。
<第1回投票結果>
蒲生 19 蒲生野 17 あかね 14 (以下略)
続いてこの3候補から各委員が2点ずつ選び、2候補に絞る投票が行われました。
<第2回投票結果>
蒲生 22 あかね 19 (以下略)
最終的に、この2候補のいずれかを選ぶ投票が行われました。
<最終投票結果>
蒲生 24 あかね 2
以上により「蒲生市」に決定しました。
新市役所の位置については、小委員会で議論されましたが、本庁舎をどちらの町役場にするかについて、なかなか決着がつきませんでした。協議終盤の04年
5月になって、ようやく以下の内容で小委員会から報告され、協議会に提案されました。協議会では異論無く提案通り承認されました。
・条例上の事務所の位置は、日野町役場とする。蒲生町役場を西庁舎、日野町役場を東庁舎と呼称して活用する。
・西庁舎には、健康福祉(福祉事務所)、産業(農業委員会含む)、教育委員会の各部門を置く。東庁舎には、議会、出納、総務企画、財務、市民生活、建設の各
部門を置く。住民サービスの低下を招かないために、必要な窓口部門は両庁舎に設置するよう組織機構を充実する。
04年5月、新市建設計画など2項目を除き、概ね協議が終了しました。
しかし、日野町で合併に反対する動きが浮上します。もともと日野町では合併の是非を問う住民投票条例を求める動きがありましたが、町長や町議会は住民
投票の実施に消極的でした。04年4月にも住民投票条例案を否決しています。住民団体は住民投票の実施を求めて、町長の解職請求に踏み切ります。
町長は解職投票を避けるため辞職し、出直し町長選挙への出馬を表明します。04年7月に行われた出直し町長選挙は、合併推進派現職と慎重派新人の
一騎打ちとなり、慎重派の新人が当選し、合併の白紙化を表明しました。
04年7月、日野町は蒲生町に法定協議会の廃止を申し入れ、蒲生町も了承。04年9月に2町の法定協議会は解散します。
能登川町は、03年11月に旧八日市市・旧永源寺町・旧五個荘町・旧愛東町・旧湖東町の5市町の法定協議会に参加を申し入れますが認められず、04年6
月に5市町合併後の東近江市との合併に向けた協議を申し入れました。
一方、蒲生町も04年11月の住民アンケートで東近江市との合併に賛成が多数を占めたことから、同月に5市町合併後の東近江市との合併に向けた協議を
申し入れました。
04年12月、東近江市となる予定の5市町は、この2町と任意協議会を設置し、東近江市誕生後に法定協議会を設置することを前提に、協議を開始
しました。
既に2町とも編入合併となることは了承していたため、合併の方式(編入合併)・新市の名称(東近江市)・新市役所の位置(5市町合併後の東近江市
役所)については、異論無く承認されました。
議員の任期の扱いについては、「東近江市議会の定数を24から33に増員し、合併時に総定数9の増員選挙を行う。旧町単位に選挙区を設け、
定数は能登川5・蒲生4とする」と提案されました。東近江市議会は、合併時には在任特例を適用しますが、05年10月31日に在任期間が終了し、定数24
で選挙をすることが決まっています。この定数24は法定上限の30を大きく下回るものです。この考え方を踏まえ、2町編入時も定数特例を適用することなく、
法定上限(2町編入により34)を下回る定数33とし、増員選挙を実施するとしたのです。編入合併の定数特例を適用すれば、能登川7・蒲生4の増員選挙が
可能なのですが、能登川は定数2つ割を食う格好になっています。人口比例では、能登川5.52、蒲生3.48となるのですが、能登川5・蒲生4としたのは、
在任特例終了時の選挙で東近江市は旧市町単位の選挙区を設けており、この定数配分を小規模自治体に有利な配分としたことが影響しているものと思われ
ます。なお、その後の選挙では定数を24に戻すことが想定されています。
協議会では特に異論無く提案通り承認されました。
05年2月の任意協議会で概ね協議は終了し、5市町合併後の05年3月に東近江市・蒲生町・能登川町の3市町で法定協議会を設置しました。
法定協議会では任意協議会の結果が追認され、05年3月8日に合併協定書に調印。3月23日に各議会が合併議案を可決し、申請期限に間に合わせました。
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京都府 福知山市+夜久野町+三和町+大江町=福知山市 (編入合併、06年1月1日)
京都府北部の福知山市が、北東に接する大江町・北西に接する夜久野町・南東に接する三和町を編入しました。
人口は、福知山市が約68000人、大江町が約6000人、夜久野町が約5000人、三和町が約4000人です。
02年6月から、この4市町は合併に向けた調査研究を行ってきました。
そして03年4月、4市町は法定協議会を設置します。
まず合併の方式について問題になりました。小委員会で議論されたのですが、福知山市が編入合併を主張したのに対し、3町側は協議結果を積み上げてから
の決定を求めました。一方福知山市助役を中心とする事務局側は、他の項目の議論が進まないとして早期の決定を求めていました。
福知山市と3町の対立でなかなか議論は進みませんでした。新市の名称・新市役所の位置も、合併の方式がネックとなり議論に入れませんでした。
そこで、事務局側は「合併基本4項目(合併の期日を含む)の基本理念(案)」を示し、事態の打開を図ります。概略は以下の通り。
合併の方式・・・1市3町は、今後とも相互信頼関係を損なうことのないよう、互いに尊重しあい、新しいまちづくりに協力して取り組む必要がある。これまでのまち
づくりの歴史や成果を踏まえ、これらを新市の特性として位置づけ、あくまでも「対等の立場」を基本として議論を深め、協議を進めるべき。
新市の名称・・・1市3町の歴史と文化等を継承しながら新しい自治体としての一体性を表現する必要があるが、1市3町の現名称については何らかの形で
残していく配慮も必要。
新市役所の位置・・・厳しい財政状況から、新庁舎の建設は適当ではない。事務所の面積、交通の事情、他の官公署との関係、住民の利便性等を総合的に
考え、決定する必要がある。
また、基本4項目(特に新市役所の位置)に付帯する事項として、以下の基本的な考え方が述べられました。
支所の機能・・・今後、十分に検討する。設置してから5年を目途に機能を再検討する。
(本庁の)事務所スペース・・・福知山市役所を本庁とした場合、福知山市民会館を事務所棟として検討する必要がある。
事務組織・機構における強化すべき事項・・・3町と福知山市周辺部は、中山間地域であり、農業・林業振興に力点を置くことが重要。1市3町には多くの観光
資源があり、それらの活用も必要。農林・商工・観光の振興機能強化を図るため、「農林水産部」、「商工観光部」の
設置を検討する。
交通手段の確保・・・交通手段を持たない学生や高齢者への配慮は必須。地域住民全体へのサービスや利便性等も考慮し、交通手段の確保は十分な検討が
必要。
3町の持つ不安を極力取り除き、合併の方式の議論を決着させたいという考えが見えます。
小委員会はこの基本理念を了承しました。
03年11月になって再び、基本4項目の具体的内容の議論に戻りました。
福知山市は「編入合併・市の名称は福知山市・新市役所は福知山市役所」を主張。新市役所を福知山市役所とすることについては、3町の委員からも賛同する
意見が出ましたが、合併の方式については、3町からは編入に賛成する意見は出ず、市の名称についても、3町の一部委員から福知山市を容認する意見が出た
ものの、「新しい名称にすべき」という意見も根強く残っていました。
小委員会はまず「新市役所(本庁舎)の位置は福知山市役所とする」ことを決定します。
04年1月の小委員会で、先送りされてきた「合併の方式」「新市の名称」がいよいよ決着します。福知山市からは、これまでと同様「編入合併・名称は福知山市」
が主張されましたが、市長が基本理念の「対等の立場」に改めて触れ、1市3町で一緒になってまちづくりを進める意思を表明したこともあり、またスケジュール
的にも結論を出さねばならない時期であったこともあって、3町側の態度も軟化しました。ここで合併の方式は編入合併、新市の名称は福知山市と決まり
ます。
この結果を踏まえ、協議会には、合併の方式は「編入合併」としつつも、『「北近畿の都」づくりに向け、協議については、お互いを尊重し合いながら対等の立場
で進める』と付言され、新市の名称についても「福知山市」としつつも、「一体的なまちづくりを推進するものとする」と付言されて提案されました。また新市役所
の位置についても、福知山市役所としつつ、3町役場を支所とすることを明記しています。
協議会では、「小委員会の合意の際に、事前にシナリオが作られていた」と指摘する意見や文言を修正してほしいという意見も出ましたが、概ね小委員会の
結論を容認する姿勢を示し、挙手多数で承認されました。
なお3町の名称は、福知山市の地名として残すことにしました(例:福知山市三和町千束515番地)。また老朽化した旧夜久野町役場は廃止され、夜久野支所
の機能は、教育文化会館と夜久野ふれあいプラザに分散して配置されています。
議員の任期の扱いについても、小委員会で議論されました。
仮に在任特例をとるとしますと、4市町の議員総数68(うち合併前の福知山市議会は26)が市議として在任することになり、定数特例を適用しますと、3町で
それぞれ定数2ずつの増員選挙を行う(総定数は32)ことになります。
福知山市側は議会も含め定数特例を要望する意見が大勢でしたが、3町側は議会を中心とする在任特例を望む意見と、民間委員の一部の定数特例を容認
する意見とが混在していました。
04年5月、福知山市長が病気で辞職し、市長選では助役だった候補が当選します。合併協議の内容への影響は少なかったものの、このために法定
協議会は約3ヶ月空転しました。
04年9月に協議が再開されましたが、議員の任期の扱いについては、やはり小委員会では結論が出ず、4市町の議会の調整に委ねることにしました。
ここで、また04年9月の協議会から05年1月の協議会まで協議会が空転します。原因としては、台風23号がこの地域に大きな被害をもたらしたこと
と、大江町の混乱があります。大江町では合併の是非を問う住民投票条例の直接請求に、町長・町議会が反対したことから、町長のリコールに向けた署名
運動が進んでいました。署名が集まり解職請求が正式になされると、大江町長は町民の信を問うとして辞職。05年1月に出直し町長選挙が行われました。
結果は辞職した前職が新人を破り、合併推進の方向が固まることになりました。
05年1月に再開された小委員会では、まだ4市町の議会間の調整が行われないままの開催だったこともあり、各市町の意見が交錯しました。三和町議会は
「定数特例は反対。在任特例を支持するが、いったん議会を自主解散して定数減で選挙を行った上で在任特例を適用することも検討の余地」との姿勢。
福知山市議会は、定数特例の主張を繰り返しました。大江町・夜久野町の両議会は結論を保留しました。民間委員は定数特例の意見が大勢でした。
しかし支所の機能などが決まらない中では、住民の合併後に対する不安を解消できないとの意見もあり、小委員会は継続審議としました。
その後05年2月1日に4市町の議会の議長・副議長による会議が持たれましたが、大江町や夜久野町からは「福知山市議会も解散して定数30(法定上限)で
選挙してはどうか」との意見が出るなどして、物別れに終わりました。2月17日の再度の会議では、3町が一致して「福知山市議会解散、定数30で合併時に
選挙」を主張し、福知山市議会がこの案を持ち帰りました。2月23日の会議では、福知山市議会がこの3町案を拒否、定数特例で行くべきとの意向を改めて
表明しました。2月25日にも会議は持たれましたが、3町側は結論を保留しました。
そして3月1日の小委員会を迎えました。3町議会は最終的に「合併時と任期満了時の2回定数特例を適用する」という内容で一致。3町の民間委員も、これを
支持しました。福知山市側も異論はなく、「定数特例2回適用」で小委員会としては意見集約しました。任期満了時も適用するとしたのは、協議項目の中に、
合併後に調整するものや、支所の機能など5年後の見直しが想定されるものがあることなどを理由としています。
協議会でも、夜久野町の民間委員1名から異論は出たものの、小委員会報告通り、「合併時と任期満了時の2回定数特例を適用」で承認されました。
05年3月6日の協議会で、この議員の任期の扱いと支所の機能(農林機能を強化するなど3町の意見を踏まえた修正が行われ決着)について協議がまと
まり、すべての協議が終了しました。
3月9日に合併協定書に調印。3月29日までにすべての市町議会で合併議案が可決され、特例法の期限に滑り込みました。
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京都府 園部町+八木町+日吉町+美山町=南丹市 (新設合併、06年1月1日)
京都府中部の、船井郡のうち南部3町と北桑田郡美山町の4町が合併して、新しい市になりました。
人口は、園部町が約17000人、八木町が約9000人、日吉町が約6000人、美山町が約5000人です。
02年12月、4町と旧丹波町・旧瑞穂町・旧和知町の7町は、任意協議会を設置します。
7町は、枠組みも含め議論を重ねましたが、03年10月、旧丹波・旧瑞穂・旧和知の3町は3町での合併を目指す意向を表明。03年12月、3町は7町の任意協議
会から離脱します。(3町は04年4月に法定協議会を設置し、05年10月に合併し京丹波町に)
04年1月、残る4町は「対等合併」・「合併特例法期限内の合併」・「一定期間を終えるまでは、ゆるやかな合併」・「独自性を尊重」という基本方針で合意。
04年4月に園部・八木・日吉・美山の4町で法定協議会が設置されました。
合併の方式については、異論無く新設合併に決まりました。
議員の任期の扱いについては、小委員会で議論されました。事務局から、「特例を適用せず、合併時に定数26(法定上限)で選挙を行う。選挙区については、
旧町ごとの選挙区を設け、定数は園部9・八木7・日吉5・美山5とする。将来の選挙区については合併後に協議する」と小委員会に提案されました。定数配分
は、3名ずつ均等配分し、残りの14を人口比例配分したものです。委員から「選挙区は最初の選挙に限ることを明確にすべき」との意見があり、選挙区につい
ては新市発足時の選挙に限ることに修正され、協議会に報告されました。
協議会には、「特例は適用せず、定数は26人とする。新市発足時に限り、旧町の区域に1選挙区を設け、各選挙区の定数は園部9・八木7・日吉5・
美山5とする」と提案され、異論無く承認されました。
新市の名称については、4町の住民と在勤通学者を対象に公募を実施しました。結果は以下の通り。
<公募結果上位>
1位 西京都 98件 2位 南丹 36件 3位 口丹波 18件 4位 京丹波 17件 5位 京南丹 16件 6位 園部 14件
小委員会は、以下の5候補を選定し、協議会に報告しました。
「西京都」「南丹」「京丹波」「京南丹」「京口丹」
協議会では、投票で決定することになりました。
<第1回投票>
南丹 21 西京都 17 京丹波 1 京南丹 1 京口丹 0
いずれの候補も2/3を占めなかったので、上位2点で決選投票が行われました。
<最終投票結果>
南丹 23 西京都 17
以上により「南丹市」に決定しました。
新市役所の位置についても、小委員会で議論されました。まず庁舎の方式から議論に入りました。分庁方式なども俎上に上りましたが、庁舎間が遠距離では
効率的でないという理由で、事務局は総合支所方式を提案しました。もともとの前提である「ゆるやかな合併」に沿った提案です。小委員会は、総合支所方式に
ついては異論はありませんでした。
本庁舎の位置については、園部町を主張する3町と、八木町を主張する八木町との間で一時対立があり、園部町の国際交流会館を活用することの是非も検討
されましたが、最終的に本庁舎は園部町役場を中心に設置し、園部支所の位置については園部町内で検討する(他の3支所は旧町役場)こととしました。
また支所の長として一時的に助役相当の特別職を置くことも議論されましたが、助役が5名(本庁1名・支所長兼任4名)となるのは反対論が強く、当分の間、
臨時の特別職としての参与を置き、支所長を兼務(事務取扱)させることで決着しました。
以上を踏まえ、協議会で議論されましたが、まず総合支所が何年継続するのか、ということが問題になりました。新聞報道で「3年後の見直し」が園部町長の
発言として掲載され、「3年で総合支所がなくなるのではないか」との不安が住民に広まったことが背景にあります。
協議会会長(園部町長)は、「市長・市議会の任期は4年であり、3年経てば再検討する必要は出てくる。10年先の事まで縛るのは、新たに選出される市長・
市議会を軽視することになる」と述べましたが、八木町の委員(町長や町議会含む)などからは「新市建設計画の区切りの10年間は維持してほしい」との意見
が出ました。小委員会が急遽開催され、議論されましたが、「概ね10年維持するというのなら、3年程度でローリング方式で見直すという文言も入れるべきだ」
との意見が出る一方、「見直しは他の項目でも考えられることであり、この項目だけに入れるのはおかしい」との意見も出ました。結局、ローリング方式で
見直すという協議会会長の発言を議事録に残しつつ、支所の設置について「概ね10年が望ましい」という文言を入れることになりました。
最終的に、「新市役所の位置は園部町役場とする。旧4町に支所を置く(概ね10年が望ましい)。現庁舎の7割程度の職員を残す(総合)支所方式とする。
支所には特別職の参与を置き、支所長の事務を取り扱う」という内容で協議会に提案され、承認されました。「概ね10年」については、10年経ったら支所その
ものを全て廃止するかのようにも見える文言ですが、あくまでも支所機能(の骨格)を見直す時期という位置づけのようです。
05年1月に全ての協議を終了しました。
美山町では合併の是非を問う住民投票条例の制定を求めて、住民から直接請求がありましたが、町議会は条例案を否決していました。これを受け、住民団体
は町議会の解散を請求しました。05年2月に町議会解散の是非を問う住民投票が行われましたが、解散に反対が61.4%となり、合併推進の民意が確認され
ました。
05年3月、合併協定書に調印しました。
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奈良県 榛原町+大宇陀町+菟田野町+室生村=宇陀市 (新設合併、06年1月1日)
奈良県北東部の宇陀郡6町村のうち、4町村が合併して新しい市になりました。
人口は、榛原町が約19000人、大宇陀町が約9000人、室生村が約6000人、菟田野町が約5000人です。
01年11月、4町村は曽爾村・御杖村との6町村で任意協議会を設置します。03年4月には6町村で法定協議会を設置します。
宇陀地域での合併か、吉野地域での合併か、方針が定まらなかった東吉野村は、03年5月の住民投票で吉野地域での合併をめざすことが決まり、この枠組
みには加わらないことになりました(結局吉野地域でも合併には至らず)。
6町村の法定協議会は、新市役所の位置を榛原町役場とすることを決めるなどしますが、03年11月に曽爾村と御杖村が合併協議からの離脱を表明
します。両村とも、住民説明会で2村での合併を望む声が多かったこと、6町村での合併を行っても財政の硬直化は避けられないこと、などを理由としています
(2村は04年1月に法定協議会を設置しますが、協議がまとまらないまま、05年1月に協議会を解散)。
04年1月、6町村の法定協議会は解散します。同月、曽爾・御杖の両村を除く4町村は合併に向け話し合いを進めることで合意。5回の合併研究会開催を
経て、04年5月には榛原・大宇陀・菟田野・室生の4町村で任意協議会を設置。04年9月に法定協議会に移行します。
合併の方式については、異論無く新設合併に決まりました。
新市役所の位置については、住民の利便性や地理的条件などを考慮し、当分の間榛原町役場とすることが提案され、こちらも異論なく承認されました。
なお、庁舎の方式については、総合支所方式を選択しています。
新市の名称については、4町村の住民・在勤在学者を対象に公募を行いました。全国の既存の市町村名は公募対象から除外しています。
小委員会は公募結果を踏まえ、以下の3点を協議会に報告しました。なお、公募1位は「宇陀」でした。
「宇陀」「東奈良」「大和宇陀」
協議会では委員から、この3点から決定するにあたり、小委員会での意見を参考にしたいとの発言があり、小委員会委員長が「小委員会では全会一致で
宇陀市であった」と報告。他の委員からも異論は無く、「宇陀市」で決定しました。
議員の任期の扱いについては、「07年4月30日まで在任特例適用、特例終了後の定数は26(法定上限)」と提案されました。議会議長間で調整し、たたき台
として提示したものですが、民間委員からは在任期間が長すぎるのではないか、など厳しい意見が出ました。
その後議会間で議論が行われ、特例不適用・定数特例を支持する意見もありましたが、最終的に「06年4月30日までの在任特例、特例終了後の定数は22
人以内」で意見集約され、協議会に報告されました。この内容には民間委員からも評価する意見が相次ぎました。
以上の経緯を踏まえ、事務局から「06年4月30日までの在任特例、特例終了後の定数は22」と修正提案されました。菟田野町の民間委員からは、特例
不適用も検討すべきという意見が出る一方、大宇陀町議会出身委員からは「議会内では在任期間を伸ばすべきとの意見もある」との発言もあり、紛糾しました
が、休憩の間に調整が行われ、修正提案通りで承認されました。
地域自治については、合併特例法に基づく地域自治区を設置することが提案されました。設置期間は2010年12月31日までの5年間とし、名称は旧町
村名を区に置き換える(榛原区・大宇陀区・菟田野区・室生区)こと、特別職の区長を置くこと、(地方自治法の)地域自治区を恒久的に置くかは合併後
に検討すること、も同時に提案されました。協議会では「合併特例区にしなかったのはなぜか」という質問が出ましたが、事務局から「合併特例区は、期間や
所掌事務の範囲が決まってしまう。地域として意見を出す機能は地域自治区でも十分果たせる」との説明があり、全会一致で提案通り承認されました。
04年12月にすべての協議が終了しました。しかし大宇陀町議会は、住民から直接請求のあった住民投票条例案を可決。05年2月に合併の是非を問う住民
投票が実施されました。結果は賛成が53.7%と過半数となり、合併推進が確認されました。
この結果を受けて、05年3月に合併協定書に調印しました。
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和歌山県 野上町+美里町=紀美野町<きみのちょう> (新設合併、06年1月1日)
和歌山県北部・海南市の東に位置する2町が合併して1つの町になりました。
人口は、野上町が約7900人、美里町が約3800人です。
01年2月、旧海南市・旧下津町を含む4市町で研究会を設置しましたが、4市町での特例法期限内での合併が困難な状況となり、02年にこの枠組みは崩壊
します(旧海南市・旧下津町は03年5月に2市町で法定協議会を設置。05年4月に合併し、海南市に)。
03年9月、2町の町長は合併協議推進を確認。03年12月に野上町・美里町の2町で法定協議会が設置されます。
合併の方式については、異論無く新設合併に決まりました。
新町役場の位置については、野上町役場を本庁舎とし、美里町役場を支所とすることが提案され、異論無く承認されました。旧美里町役場は神野支所と
なり総合支所的な位置づけとなっています。
議員の任期の扱いについては、「1年4ヶ月の在任特例適用、特例終了後の定数は16(法定上限は22)とし、選挙区は設けない」と提案されました。
協議会では民間委員からも原案に賛成する意見が出たものの、町民の意見を十分聞くべきとしていったん継続審議となりました。
住民説明会を経て、再度同内容で提案され、民間委員1名が反対したものの、挙手多数で原案通り承認されました。
新町の名称については、住民・在勤在学者を対象に公募を行いました。既存の市町村名は対象から除外しています。
公募結果を踏まえ、小委員会は以下の5候補を選定し、協議会に報告しました。
「あけぼの」「おいし高原」「紀美野(きみの)」「里野」「美良野(みらの)」
協議会では、投票で決することになりました。
<第1回投票結果>
紀美野 13 美良野 5 おいし高原 2 あけぼの 1 里野 0
最多の「紀美野」でも2/3には達しなかったため、上位2点で決選投票が行われました。
<決選投票結果>
紀美野 18 美良野 3
以上により、「紀美野町」に決定しました。
なお、公募1位は「生石(おいし)」で、「紀美野」の公募順位は30位でした。
04年10月にすべての協議を終了、12月に合併協定書に調印しました。
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和歌山県 吉備町+金屋町+清水町=有田川町<ありだがわちょう> (新設合併、06年1月1日)
和歌山県中部・有田川流域の3町が合併して1つの町になりました。
人口は、吉備町が約15000人、金屋町が約9000人、清水町が約5000人です。
当初は有田市・湯浅町・広川町との6市町での合併を検討していましたが、02年8月にこの枠組みが崩壊。「有田市・湯浅町・広川町」と「吉備町・金屋町・清水町」
の2つの枠組みに分裂して、合併に向けた検討が始まります(有田市・湯浅町・広川町の3市町は03年7月に法定協議会を設置しますが、ほどなくして休止状態
となり合併を断念)。
03年8月、吉備・金屋・清水の3町は任意協議会を設置します。
任意協議会では、合併の方式を新設合併とすることなどが決まりました。
04年1月、3町は法定協議会を設置します。
合併の方式については任意協議会の結論を追認し、新設合併に決まりました。
新町役場の位置については、小委員会で議論されましたが、協議が難航しました。吉備町と金屋町が自町に本庁舎を置くべきと主張し、譲らなかったのです。
吉備町は庁舎の広さ・新しさを理由に、現在の吉備町役場を本庁舎とすることを主張し、金屋町は地理的中心である金屋町に本庁舎を置くべきとし、現在の
金屋町役場の庁舎の狭さ・古さについては、新庁舎の建設も視野に入れるべきと主張しました。
一方、山間部でいずれにせよ本庁舎になりえない清水町は、総合支所方式を要望しましたが、2町は本庁方式を基本とすることを主張しました(金屋町は「当初
から本庁方式をとることを明確にしつつ、当初は総合支所的な形式をとらざるを得ない」、吉備町は「当初は総合支所方式でよいが、将来本庁方式に移行」と
ニュアンスに違いがありました)。
議論では収拾がつかないため、事務局は、まず庁舎の方式について、以下のように提案しました。
(1)合併時は、清水町については管理部門を除いて現状を維持する。吉備町または金屋町に本庁舎を置くが、以下の2案から選択する。
<案1>管理部門をいずれかの庁舎に置き、他方の庁舎については管理部門を除き現状を維持する。
<案2>管理部門をいずれかの庁舎に置き、他方の庁舎については建設部門・農林部門・産業部門を置き、他の機能については、現状を維持する。
なお、合併時の本庁舎の位置は、将来の本庁舎の位置への優位性はないものとする。
(2)将来の本庁の位置については、合併後、住民参加による審議会等を設置し、10年以内に、既存の庁舎を活用していくか、または新庁舎を建設していくか、
を含めて検討する。仮に庁舎の新築が必要である場合は、合併特例債が活用できる期間内に建築する。
小委員会は、とりあえず合併当初は総合支所方式を採用することで合意しました。
続いて上記の事務局案のうち、案1(分庁方式を併用しない)を採用することで合意。いよいよ吉備町・金屋町のいずれに庁舎を置くかの議論に入りました。
しかし、実際に本庁舎の位置を議論する段に入ると、一部分庁方式を併用せざるを得ないとの結論になりました。
そして地理的条件や庁舎の状況など13項目を検討の基準とし、協議した結果、小委員会として以下の内容で意見がまとまり、協議会に報告されました。
(1)新町の事務所(本庁舎)の位置は、吉備町役場とする。
(2)庁舎の方式については、合併当初は現在の庁舎を使って、本庁機能を分散させた一部分庁方式と総合支所方式の併用とする。
(3)吉備庁舎には議会、総務、企画、情報管理部門を置き、金屋庁舎には教育、福祉、産業部門を置く。清水庁舎は総合支所とする。
(4)各庁舎は、将来の本庁の位置への優位性を持たず、将来の本庁については、合併後住民参加による審議会等を設置し、合併時の方式の是非も含め
10年以内に、既存の庁舎を活用していくのか、また新庁舎を建設するのか検討していくものとする。
協議会では原案通り承認されましたが、清水町長から清水庁舎(総合支所)に「支所」という名称を付けてほしくないという意見が出て、その後の調整の結果、
清水庁舎は「清水行政局庁舎」と命名されました。
また、吉備庁舎と金屋庁舎に、それぞれ本庁機能が無い部門については、窓口部署を置くことも提案されました。金屋町の委員から、吉備・金屋については
完全な分庁方式とし、それぞれ両庁舎に出向けばよいとの意見が出ました。金屋庁舎に重みを付ける(3部門については吉備庁舎よりも上位に位置することを
明確にする)ことを狙った意見です。しかし挙手多数で原案通り承認されました。
議員の任期の扱いについても、小委員会で議論されました。在任特例・定数特例を適用しないことについては、議会側も異論は無く、すんなり決まりました。
定数については、議会側は、3町とも法定上限の26でまとまっていましたが、民間委員から「次回の選挙の定数は削減することを盛り込むべき」との意見が
出ました。金屋町や清水町には削減を明記することには慎重な意見もありましたが、次回の定数について具体的な数字は入れず、削減する方向のみ示すこと
で合意しました。
選挙区については、初回のみ旧町単位で選挙区を設けることで3町とも異論はありませんでした。各選挙区の定数については、人口比例では吉備13・金屋9・
清水4になりますが、吉備町はこの配分を支持したものの、金屋町は1町で半数の13をとるのは望ましくないとして10人の配分を求め、清水町も人口比例以上
の6人の配分を求めました(金屋町が人口割で8.56で9、清水町が人口割で4.52で4になったことも背景にあります)。その後、清水町は定数5に要求を引き
下げ(定数特例適用も視野)、金屋町も定数10にはこだわらず人口比例を容認する姿勢を示しました。しかし清水の定数5をひねり出す算段がつきません。
吉備町は「定数24とし、吉備12・金屋8・清水4もやむなし」との意見でしたが、金屋町は、「定数特例適用」と「定数8への削減」の双方に否定的でした。
最終的に、吉備町は選挙区なしを提案。金屋町は人口比例の「吉備13・金屋9・清水4」を主張し、清水町は「均等割を加味して総定数26で清水の定数5」を
主張しました。この時点で「定数24(吉備12・金屋8・清水4)」の案は外れました。また均等割では、仮に1ずつ均等配分して残りの23を人口比例配分とした
場合、吉備12・金屋9・清水5となるため、吉備町にとっては受け入れがたいところがありました。
再度3町で検討した結果、清水町も選挙区なしに転換。金屋町は最後まで選挙区に固執しましたが、採決の結果、多数決で選挙区なしに決まりました。
以上の経緯を経て、「特例は適用しない。定数は合併後最初の選挙では26(法定上限)とし、その後は削減する。選挙区は設置しない」ことで意見集約
し、協議会に報告しました。
協議がここまで進んだ04年11月、金屋町で合併の是非を問う住民投票が実施されます。金屋町は当初、「本庁舎が来ない限り合併しない」という意向を
持っていたこともあり、結果は僅差となりましたが、賛成が53.5%と過半数に達し、枠組みの維持が決まりました。
議員の任期の扱いについては、協議会では異論無く、小委員会報告通りで承認されました。
新町の名称については、3町の住民・在勤在学者を対象に公募を行いました。3町の名称は対象から除外しています。
<公募結果上位>
1位 有田川 680件 2位 ありだ川 78件 3位 有田 62件 4位 ありだ 46件 5位 有田中央 45件 6位 みかん 43件
小委員会は、以下の10点を候補として選定し、協議会に報告しました。
「ありだ川」「有田川」「有田中央」「ありだ」「紀央」「清流」「たちばな」「橘」「長峰」「みやび」
協議会では投票で決することになりました。1回目の投票で有効投票の2/3を得た場合は、その候補に決定することが事前に決まっていました。
<投票結果>
有田川 18 みやび 5 ありだ 2 (その他の7候補は0)
有効投票数の25票の2/3である17票を超えたため、「有田川町」に決定しました。
05年2月にすべての協議が終了し、合併協定書に調印しました。
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香川県 高瀬町+詫間町+豊中町+三野町+山本町+仁尾町+財田町=三豊市<みとよし>
(新設合併、06年1月1日)
香川県西部の三豊郡に属する7町が合併し、新しい市になりました。
人口は、高瀬町が約17000人、詫間町が約15000人、豊中町が約12000人、三野町が約10000人、山本町が約8000人、仁尾町が約7000人、財田町が
約5000人です。
7町での合併に至るまでは紆余曲折がありました。
当初は観音寺市と旧三豊郡9町(旧大野原町・旧豊浜町を含む)での合併も検討されましたが、02年6月に、高瀬・詫間・三野・仁尾の北部4町と、旧大野原・
旧豊浜・山本・豊中・財田の南部5町とに分裂。南部5町は観音寺市との合併をめざすことになります。02年6月に南部5町は観音寺市との6市町で研究会
を設置し、02年10月には法定協議会を設置します。
一方北部4町のうち仁尾町では、合併の枠組みを問う住民アンケートで「南部6市町への参加」が「北部4町」を上回ったこともあり、「南部6市町への参加」を主張
する町長側と「北部4町」を主張する町議会で対立が続きました。しかし03年2月に北部4町は研究会を設置し、枠組みを固めます。北部4町の研究会は三野町
が法定協議会設置の延期(事務局提案の8月を10月に変更)を要請するなどして紛糾しましたが、結局03年10月に高瀬・詫間・三野・仁尾の4町で法定
協議会を設置します。
02年6月に設置された観音寺市など6市町の法定協議会は、合併の方式(新設合併)・議員の任期の扱い(特例を適用しない。定数30。選挙区を設置しない)
などを承認しましたが、新市の名称で頓挫します。全国公募の結果は「観音寺」が61%(6697件)とダントツ1位となり、2位の三豊(4.7%)、3位のみとよ
(4.5%)を大きく引き離しました。「観音寺」が圧倒的多数となったのは、観音寺市民が「観音寺」で積極的に応募したためと言われています。
しかし、名称の選定を委ねられた小委員会で行われた投票の結果、三豊14票・観音寺6票となりました。
ここで観音寺市と5町が対立します。観音寺市は公募結果を尊重すべきとし、5町は小委員会の選定結果を尊重すべきとしたのです。多数決で押し切ろうとする
5町側に反発し、観音寺市は全会一致を主張。協議はまとまりませんでした。
市長・町長による協議でも、観音寺市長が「協議会で候補を5点程度に絞り、住民投票にかける」とする収拾案を提示しましたが、反対する町もあって、決着は
つきませんでした。
03年9月、まず豊中町長が合併協議からの離脱を表明。10月に山本・財田の2町も離脱の方針を決定しました。03年10月の協議会で3町の離脱が
正式に決まります(その後、観音寺市・旧大野原町・旧豊浜町の3市町は04年4月に法定協議会を設置し、05年10月11日に合併し観音寺市に)。離脱した
3町は、北部4町の法定協議会への参加をめざします。
03年10月に設置された北部4町の法定協議会は、まず合併の方式を新設合併に決定します。
そして、3町を受け入れるか否かが議論の俎上に上りました。高瀬・仁尾の両町議会は受け入れを決めましたが、三野町議会は「南部6市町の法定協議会を
離脱した理由が不明確」としていったん拒否する姿勢を示します。詫間町議会は協議会への加入には慎重な姿勢を示しますが、話し合いの場を持つことには
賛成しました。
また旧大野原町・旧豊浜町は、一時、観音寺市の呼びかけを保留し、近隣町との枠組みを模索していました。その中で山本町議会は03年12月、両町の呼び
かけに応え、三豊郡北部の枠組みを視野に入れつつも、2町との議会同士の意見交換会に参加することを決定します。これに対し、豊中町議会は両町の
呼びかけがあっても応じない姿勢を示し、旧大野原・旧豊浜・山本の3町議会から呼びかけを受けた財田町議会も、この呼びかけを拒否します。
これで豊中・財田の両町は北部4町への加入に狙いが定まりますが、詫間町や三野町は慎重な姿勢を変えず、なかなか合流には至りません。
山本町では、町長側は北部4町への加入をめざしますが、旧大野原・旧豊浜の両町との合併も視野に入れる町議会側は住民アンケートを要求。旧大野原・
旧豊浜の両町が観音寺市との合併を決めた中、04年4月に行われた住民アンケートでは、北部4町支持が「観音寺市・旧大野原・旧豊浜との4市町」支持を
上回り、山本町も北部4町への参加しか選択肢がなくなってしまいます(04年4月に山本・豊中・財田の3町で合併研究会を設置)。
北部4町の法定協議会は、3町参加の是非について足並みが揃わない中、協議を継続し、04年4月、議員の任期の扱いについて、「特例を適用しない。定数は
26(法定上限)とし、初回に限り選挙区を設置し、定数配分は高瀬9・詫間8・三野5・仁尾4とする」ことを決定します。
しかし、04年4月28日になって、高瀬町長が高瀬町議会の特別委員会に4町の協議会からの離脱を提案します。三野・詫間両町が7町での合併に
慎重なこと、三野町が合併の是非を住民投票で決めるとしつつも、実施時期が不明確であることなどを理由としています。高瀬町議会の特別委員会は4月30日
に町長提案を可決します。
04年5月に、高瀬町は北部4町の合併協議会からの離脱を表明。同月に山本・豊中・財田の3町は法定協議会を設置し、高瀬町もこれに合流する
意向を示します。これを受けて、北部4町の合併協議会は休止に追い込まれます(04年12月に正式に解散)。
山本・豊中・財田の3町の協議会は、合併の方式を新設合併とすること、新町(この時点では町制を予定)の名称は「三豊」をベースとして協議し定めることなど
で合意しました。
04年6月、仁尾町も北部4町の合併協議会から離脱し、3町の法定協議会に合流する意向を表明。同月に高瀬・仁尾両町が3町の法定協議会に加入。
枠組みは5町になります。これで市制施行が可能な人口になりました。5町の協議では、新市の名称は旧町名を使用せず、数点の候補から選定すること、
議員の定数特例や在任特例は使用しないことで合意しました。
新市の名称については、観音寺市との6市町の法定協議会で実施した公募結果のうち山本・豊中・財田の3町での結果と、北部4町の法定協議会で実施した
住民アンケートの結果のうち高瀬・仁尾両町での結果が、ともに1位が「三豊」であることを踏まえ、他に上位であった「みとよ」「西香川」の2点を加えた3点で
協議会に提案されました。そこで協議会会長(山本町長)が「三豊市」を提案し、異論無く承認されました。
議員の任期の扱いについては、既に山本・豊中・財田の3町での研究会の時点で、特例を適用しない方針は固まっていました。議会間で調整した結果、「最初
の選挙では選挙区を設け、定数を26(法定上限)か25にする」との案が協議会に示されました。協議会では定数削減の要望が相次ぎ、再調整の結果「2回目
以降の選挙は選挙区を設けず、定数を22か20にする」との案が議会側から示されました。
協議の結果、「特例は適用しない。初回の選挙は定数26とし、旧町単位に選挙区を設け、定数は高瀬9・豊中6・山本4・仁尾4・財田3とする。
2回目以降の選挙は定数22とし、選挙区は設けない」ことで承認されました。
新市役所については、まず庁舎の方式が本庁方式に決まりました。しかし合併当初は、合併前の町役場職員(保育士など除く)の4〜5割を支所に配置し、
段階的に本庁に集約することで合意しました。本庁舎の位置については、新庁舎の位置を豊中町大字本山甲22番地(合併協議会事務所)とし、新庁舎
建設までの仮庁舎を高瀬町役場とすることでまとまりました。新庁舎の位置については交通の利便性を中心に、仮庁舎については庁舎の耐震強度や
駐車場の状況などを踏まえて、それぞれ検討のうえ、決定されたものです。仮庁舎の設置期間については2年から10年まで意見が分かれましたが、4年
以内で決着。また新築すると費用がかかりすぎるとの指摘があり、新庁舎の整備方法については、改修を含め合併後に検討することにしました。
04年12月に5町はすべての協議を終了。住民説明会を経て05年2月に合併協定に調印する予定でした。
一方、高瀬町・仁尾町が5町の法定協議会で協議を進める中、残された形の詫間・三野両町は2町での合併を模索していました。
まず04年6月から7月にかけて詫間町で実施された合併の枠組みを問う住民アンケートで、「三野町との2町合併」が「単独」や「5町の法定協議会への合流」
を上回り、7月に詫間町議会は三野町との2町合併を推進する方針を決めます。一方、三野町では2町合併を支持する町長が、議会と対立する中、2町での
合併の是非を問う住民投票の実施を決断します。
この流れの中、7月に2町は合併に向けた研究会を設置。04年8月に三野町の住民投票が実施されます。賛否いずれかの意見が投票資格者数の1/3を
占めれば、尊重する義務があるというものでした。三野町内には2町合併に反対し5町の法定協議会への合流を求める意見も多くあり、5町合併派は、投票の
ボイコットを呼びかけ、対抗します。住民投票の結果は、賛成が83.1%を占めたものの、投票率は37.5%と低迷。賛成投票は有資格者数の27.9%と、
1/3には達しませんでした。ボイコット戦術が一定の支持を受けた格好です。
詫間町は04年9月の法定協議会設置を求め、三野町の姿勢をただしましたが、三野町内は「2町合併」・「5町の法定協議会への合流」の2つの住民発議に
向けた署名活動がそれぞれ始まり、三野町議会はいったん静観を決め込みます。
2町合併をめざす住民グループは、2町での法定協議会設置を求める住民発議を行い、5町枠への合流をめざす住民グループは、町長の解職請求と、6町
での法定協議会設置を求める住民発議を行います。
04年10月、まず三野町長の解職の是非を問う住民投票が実施されます。その結果、解職賛成が51.0%と僅差で過半数を占め、2町合併をめざしていた
三野町長は失職してしまいます。
04年12月、三野町長選挙が実施され、5町枠への合流をめざすグループが擁立した候補が当選。しかし、法定協議会を設置している5町のうち、山本・
豊中・財田の3町長は、6町での法定協議会設置案を議会に付議しない姿勢を示しました。
05年1月になって、5町の法定協議会とは別に6町の法定協議会を新たに設置する案が浮上。2町合併の可能性が薄まったと判断した詫間町は、7町での
合併に舵を切ります。高瀬・仁尾・三野の3町議会の特別委員会が、三野町含む6町の法定協議会設置案を可決する中、山本町議会の特別委員会は6町
の法定協議会設置案を否決。この時点で6町合併の可能性は無くなり、詫間町含む7町合併の成否に焦点が移ります。
05年1月28日、詫間・三野両町を含む7町の議会は、7町での新たな法定協議会を設置する議案を可決。5町の法定協議会を残しつつ、05年2月10日に
7町での法定協議会を設置します。
7町の法定協議会はまず、新市役所の位置・議員の任期の扱い・新市建設計画などの項目を除き、5町の法定協議会の結論を追認しました。合併の方式
(新設合併)・新市の名称(三豊市)などはこの時点で決定しました。
新市役所の位置については、2町が加わったことにより、高瀬町役場では本庁機能の収容がスペースの都合上困難であるとして、豊中町役場の新庁舎・旧
庁舎を合わせて仮庁舎とすることが提案されました。なお豊中町役場(特に旧庁舎)は老朽化しており、増改築での対応も過大な経費が必要であることから、
豊中町大字本山甲22番地(合併協議会事務所の位置、5町の法定協議会での新庁舎位置と同じ場所)に、財政状況を勘案しつつ、合併特例債を活用
し得る期間内の可能な限り早期に、新庁舎を新築することも同時に提案されました(5町の法定協議会時の「改築含め検討」案を撤回)。
協議会では特に異論は無く、提案通りで承認されました。
議員の任期の扱いについても、事前に議会間で調整が行われ、「特例は適用しない。定数は26とするが、合併時の選挙に限り定数を30(法定上限)
とし、旧町単位に選挙区を設ける。定数は、高瀬7・詫間6・豊中5・三野4・山本3・仁尾3・財田2とする」と提案されました。各選挙区の定数は人口
比例配分です。これに対し、山本町の委員から定数26で選挙区を設けない案が主張されましたが、他の6町が原案を支持したため、提案通りで承認され
ました。
05年2月25日の第2回協議会で7町の法定協議会もすべての協議が終了。05年3月13日に7町で合併協定書に調印し、3月14日に7町の議会が合併
議案を可決。7町での合併が確定しました(5町の法定協議会は05年6月30日に廃止)。
なおその後の調整で、新庁舎建設までの間は、本庁機能のうち、教育委員会を高瀬支所に、建設経済部の港湾課を詫間支所に置くことが決まりました。
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高知県 中土佐町+大野見村=中土佐町 (新設合併、06年1月1日)
高知県中西部・須崎市の南西に位置する2町村が合併し、1つの町になりました。
人口は、中土佐町が約6800人、大野見村が約1600人です。
中土佐町と大野見村は途中までそれぞれ別の枠組みで協議を進めてきました。それが急転直下、2町村の枠組みになったのです。
大野見村は、当初は檮原町・旧東津野村・旧葉山村との4町村の枠組みも検討していましたが、この枠組みからは離脱(旧東津野村と旧葉山村は05年2月
に合併し、津野町に)。02年4月、大野見村は窪川町・大正町・十和村との4町村で任意協議会を設置します。任意協議会は合併の方式を新設合併と
すること、新町役場の庁舎の方式は本庁方式を基本とするが、一定期間は総合支所方式とすることなどを決めましたが、大正町・十和村は、旧西土佐村との
3町村の枠組みも検討していたため、窪川町・大野見村の両町村は、2町村での任意協議会も必要と判断。02年10月に窪川町と大野見村の2町村の任意
協議会も設置されます。しかし大野見村議会には須崎市や檮原町・旧東津野村・旧葉山村の3町村との結びつきが強い北部地域の議員を中心に、窪川町を
中心とする合併に反対する意見もあり、大野見村議会は2町の任意協議会への参加は留保します。
02年12月、窪川町は、大正町や十和村の住民アンケートで、合併の枠組みについて「旧西土佐村との3町村」が「窪川町など4町村」を上回ったことを受け、
窪川・大野見・大正・十和の4町村の枠組みは困難になったとの意向を表明。大野見村との2町村での合併を目指す方針を明らかにしました。同月に4町村の
任意協議会は大正町の離脱表明もあって解散を決定します。しかし、旧西土佐村は02年12月に旧中村市などとの合併を目指す方針を決めたため、
結局、大正町・十和村は合併の選択肢を両方とも失う結果になりました(その後、旧西土佐村と旧中村市などの合併協議も曲折があり、最終的に2市村で05年
4月10日に合併し、四万十市に)。
窪川町と大野見町長は、2町での法定協議会設置を進めようとしますが、この期に及んでも、大野見村議会は、「窪川町との合併(可能であれば大正町や
十和村も加える)」・「須崎市・中土佐町との合併」・「単独自立」など議論が百出していました。03年3月に法定協議会設置議案を審議するため、大野見村議会
の臨時会が招集されますが、流会してしまいます(窪川町議会は法定協議会設置議案を可決)。そうこうするうちに法定協議会設置予定日を過ぎてしまい、
この設置議案は無効になってしまいます。
大野見村議会で混乱が続く中、大野見村では窪川町との法定協議会設置を求める住民発議が行われます。03年5月、両町村議会は法定協議会設置
議案を審議しますが、窪川町議会は可決したものの、大野見村議会は賛成4・反対5で否決してしまいます。実はこの時点で大野見町議会は賛成派と反対派が
5人ずつでした。反対派で3月の議会を流会させた議長が辞任したため、議長選になり、くじ引きで賛成派が議長になったため、議長を除く9人では反対派が
多数となり、否決されたのです。
否決を受け、大野見村長は合併特例法に基づく住民投票を請求。03年7月に行われた住民投票で、賛成が51.6%と僅差ながら多数を占め、2市町
の法定協議会が設置されることが決まりました。
03年8月、窪川町と大野見村は法定協議会を設置します。
合併の方式は新設合併に決まりました。
新町の名称については、全国公募を行いました。既存の町名と同一のもの(窪川・大野見は除く)は、対象から除外しています。
新町役場については、分庁方式を採用しつつ、分庁側(本庁舎で無い方)に総合支所としての機能を持たせる方向性が確認されました。
なおこの間に、大正町では窪川・大野見・大正・十和の4町村での法定協議会設置を求める住民発議が出されていました。大正町長は十和村との2町村での
合併を目指したのに対し、窪川町長・大野見村長・十和村長は4町村での合併に前向きでした。しかし、03年9月、大野見村議会は4町村での法定協議会設置
議案を否決(窪川・十和の両議会は可決。大正町議会も否決)したため、この住民発議は不発に終わります。この結果は、後に「窪川・大正・十和」の3町村の
枠組みが成立していくきっかけになりました(大正町で3町村の法定協議会設置を求める住民発議が行われ、大正町議会は否決したものの、合併特例法に
基づく住民投票を経て、04年1月に窪川・大正・十和の3町村で法定協議会を設置)。
一方の中土佐町は、02年7月に須崎市と任意協議会を設置します。須崎市は当初、土佐市・中土佐町との3市町での合併を検討していましたが、中土佐
町は土佐市を含む枠組みは拒否し、2市町で協議することになったのです。8月にも須崎市は3市町合併への理解を求めましたが、中土佐町は応じませんで
した。しかし旧葉山村を枠組みに加えることについては、須崎市も中土佐町も異論はありませんでした。旧葉山村議会には「旧東津野村・檮原町との合併」では
なく「須崎市・中土佐町との合併」を望む意見も強くあったのです。03年1月、旧葉山村で合併の枠組みを問う住民投票が実施され、「葉山村・東津野村・檮原町」
が1871票、「葉山村・須崎市・中土佐町」が904票、「合併しない」が170票となり、旧葉山村は旧東津野村・檮原町との合併を選択することを決断。これを受け
て、須崎市・中土佐町は旧葉山村を枠組みに加えることを断念し、03年3月、須崎市と中土佐町の2市町で法定協議会を設置します。
2市町の法定協議会は、合併の方式を新設合併に決めました。
議員の任期の扱いについては、事務局が「特例は適用しない。定数26(法定上限)で合併時に選挙を行う」という提案をしたのに対し、事務局が一方的に提案
したと委員から反発が相次ぎました。そこでこの案の扱いを「たたき台」に格下げし、協議会の議論に委ねることにしました。協議会では須崎市の委員から定数
削減を求める意見が出る一方、中土佐町の委員からは選挙区を設け中土佐町に厚く配分するなどの配慮を求める意見が出て、対立しました。両市町で持ち
帰り検討した結果、在任特例を適用する点では両市町とも一致しましたが、中土佐町が特例終了後の選挙について「定数26とし、初回の選挙のみ選挙区を
設け、中土佐に定数8を配分すべき」と主張したのに対し、須崎市議会は「選挙区は設けるべきではない」と述べ、協議は難航しました。
その後、須崎市側も譲歩し選挙区設置を認める方針に転換。しかし定数配分や在任期間(中土佐町はもともとの任期満了の05年7月を超えての在任は理解
が得られないと主張)などで折り合いがつかず、市長・町長の2人の調整に一任することを決めました。両首長が協議した結果、「05年10月末までの在任
特例適用(この時点では05年3月の合併を想定)。特例終了後の定数は22とし、初回選挙に限り選挙区を設け、定数は須崎16・中土佐6とする」ことでまと
まり、協議会に提案、承認されました。
新市の名称については、全国公募を実施しました。公募1位は「黒潮」でした。
その後協議会委員各人の選定により、「黒潮」「くろしお」「土佐黒潮」「土佐くろしお」の4候補に絞られました。協議では意見がまとまらず、投票を行うことになり
ました。
<投票結果>
黒潮 12 土佐黒潮 6 土佐くろしお 1 くろしお 0
この結果を踏まえ、「黒潮市」に決定しました。
新市役所の位置については、「本庁舎を須崎市役所とし、中土佐町役場を中土佐庁舎とする」ことが提案され、異論無く承認されました。中土佐庁舎には、
本庁機能の教育委員会と総合窓口機能、地域自治推進機能を置くことにしていました。
03年11月、中土佐町と大野見村で2町村の法定協議会設置を求める住民発議の本請求(同一請求)が行われます。それより前に、中土佐町でも
中土佐町・窪川町・大野見村の3町村での法定協議会設置を求める住民発議がありましたが、これは03年9月に窪川町が議会に付議しないことを決定し、
不発に終わっていました。両首長はこの枠組みに否定的でしたが、大野見村議会は賛成5・反対4で法定協議会設置案を可決。中土佐町議会は賛成3・
反対10で否決します。中土佐町の住民発議をしたグループは、合併特例法に基づく住民投票の実施に向け、動き出します。
04年2月、中土佐町で大野見村との法定協議会設置の是非を問う合併特例法に基づく住民投票が実施されます。結果は設置賛成が79.3%とな
り、中土佐町・大野見村の2町村での法定協議会の設置が決まります。
04年4月、中土佐町と大野見村の2町村の法定協議会が設置されます。
なお、この間も窪川町と大野見村の法定協議会は協議を継続していました。
議員の任期の扱いについては、小委員会で審議され、「2年を限度に在任特例を適用。特例終了後の定数は20。初回の選挙は旧町村単位に選挙区を設け
る」という案でまとまりました。初回の選挙の定数配分については、一時、窪川15・大野見5と大野見村に厚く配分する案も浮上しましたが、結局合併後の議会
で決定することにしました。以上の内容で協議会に報告され、承認されました。その後在任期間については、06年11月7日までの約8ヶ月(06年3月1日合併
を想定)とすることが決まっています。
新町役場の位置については、「当面の間、窪川町役場を窪川本庁舎、大野見村役場を大野見庁舎とし、大野見庁舎には本庁機能のうち教育委員会事務局
(社会教育関係は窪川本庁舎)と農業委員会(旧大野見村域関係)を置くとともに、総合窓口機能・地域振興機能などを有する総合支所とする」ことで小委員会
の意見がまとまり、協議会でも承認されました。
新町の名称については、小委員会で、「高南」「四万十」「上四万十」「高南四万十」「朝霧」の5候補が選定され、協議会に報告されました。協議会では投票で
決することになりました。
<投票結果>
四万十 18 高南 6 高南四万十 3 上四万十 0 朝霧 0 (白票 1)
以上により、「四万十町」に決定しました。ちなみに「四万十町」は公募3位で、公募1位は「高南町」でした。
04年8月に窪川町と大野見村の法定協議会はすべての協議を終了し、中土佐町と大野見村の協議の動向や、窪川町と大正町・十和村の協議の動向を待つ
ことになりました。
また須崎市と中土佐町の法定協議会は、中土佐町の住民投票の結果を受けて一時中断したものの、04年4月までにすべての協議を終了し、こちらも中土佐
町と大野見村の協議の結果を待つことになりました。
04年4月に設置された中土佐町と大野見村の法定協議会での協議の模様は、以下の通りです。
合併の方式は異論無く新設合併に決まりました。
議員の任期の扱いについては、事務局から「特例を適用しない。定数は12(法定上限は18)とするが、初回の選挙に限り定数を16とし、旧町村単位に
選挙区を設ける。定数は中土佐10・大野見6とする」と提案されました。単純に人口比例配分すると中土佐13・大野見3ですから、初回選挙の定数配分は、
大野見村にかなり配慮したものになっています。協議会では、「(2回目以降の)定数12は少なすぎる。14が妥当ではないか」という意見が両町村から出され、
(2回目以降の)定数を14に修正して承認されました。また大野見村の委員から、合併の期日が05年8月や9月になった場合、05年7月28日に中土佐町議
の任期が満了するので、1〜2ヶ月のために選挙をやることになり煩雑ではないか、との意見が出されましたが、中土佐町側は問題ないとの姿勢を示し、また
「在任特例を適用すると、初回選挙の定数配分が人口比から大きくかけ離れると法的に問題になる」との意見も出されたため、原案通り特例は適用しないこと
になりました。
新町役場の位置については、事務局から「事務所の位置(条例上の本庁舎)は、当分の間中土佐町役場とする。旧2町村の庁舎はそれぞれ中土佐庁舎
・大野見庁舎と呼称する」と提案され、分庁方式を採用することが明らかにされました。協議会では、中土佐町の委員が「床面積や耐震性などで庁舎としては
優れている大野見村役場を本庁舎としてもよいのではないか」と発言したり、大野見村の委員が「住民の利便性を考慮すれば中土佐町に本庁舎を置くのは当然。
むしろ当分の間と言う文言を外した方がよい」「中土佐庁舎ではなく本庁舎と明確に表現したほうがよい」と発言したり、傍から見ると譲り合いのような不思議な
議論が続きましたが、結局「当分の間」という文言を削除したほかは原案通りで承認されました。
なおその後の調整で、大野見庁舎には、本庁機能のうち農林課・農業委員会・教育委員会と、窓口機能を置くことになりました。
新町の名称については、事務局の当初案では、既存の市町村と同一名称を除外(中土佐・大野見も除外)して全国公募することになっていましたが、協議会
では「公募範囲が広すぎる」「中土佐・大野見は除外すべきでない」と言う意見が両町村から相次ぎました。大野見村の委員からも、「中土佐町」を支持する意見
が出たほどです。そこで公募対象は2町村の住民に限定し、中土佐・大野見の名称も除外しない(他の既存の市町村名は除外)ことにしました。
公募結果から委員が1人5点ずつ選定し、集計の結果2票以上を集めた上位8点が候補に選定されました。
<委員選定上位8点>
中土佐 17 なかとさ 7 海山(かいざん) 5 大土佐(おおとさ) 5 とさ黒潮 2 新中土佐 2 土佐八幡 2 大中海 2
この8点で協議に入りましたが、大野見村の委員から「中土佐町で良い」という意見が相次ぎ、真っ向から反対する意見はありませんでした。むしろ中土佐町
側が「大野見村の住民投票に悪影響があるのではないか」と心配する構図でした。投票にかけるまでも無く、すんなり「中土佐町」に決定しました。なお旧大野
見村域の字名に大野見を冠することで、大野見の地名は残ることになりました。
04年9月までに再協議が予定されていた合併の期日以外の項目については、すべての協議が終了しました。
04年9月、中土佐町議会は合併に関する住民投票条例案を可決。合併の是非と合併の枠組み(須崎市との合併・大野見村との合併)の2段階で住民の
意思を問うことになりました。中土佐町長は、自立は厳しいとした上で、仮に住民投票が不成立(投票率が50%未満)になった場合は、須崎市との合併を進める
意向を示していました。中土佐町議会は「須崎市との合併」・「大野見村との合併」の2つに意見が分かれていました。生活圏のつながりや将来の発展性の視点
では須崎市との合併に軍配が上がりますが、須崎市の財政事情が良くないことや「黒潮市」の周辺部になってしまうことなど、大野見村との合併の方が有利な
面もありました。04年11月に実施された住民投票の結果、まず合併の是非については、合併賛成が92.7%となりました。続いて合併の枠組みについて
は、「大野見村との合併」が70.5%、「須崎市との合併」が29.5%となり、大野見村との2町村での合併を選択することになりました。
これを受けて、須崎市と中土佐町は2市町での合併を断念。04年12月に2市町の法定協議会を解散します。
04年12月の中土佐町・大野見村の法定協議会で、合併の期日が議論になりました。事務局は06年3月1日を提案しましたが、中土佐町議会の選挙が05年
7月になっていることから、この選挙をやらないですむ05年7月上旬の合併を求める意見が中土佐町の委員から出されました。一方、大野見村長は、窪川町
との合併の選択肢も残っている中で、合併協定書の調印は不可能であるとして、早期の合併には否定的な姿勢を示しました。協議はまとまらず、大野見村の
選択を待つことになりました。
04年12月、大野見村議会は、執行部が提出していた合併の是非と枠組みに関する住民投票条例案を修正の上可決しました。当初案は住民投票の
結果を議会も尊重することにしていましたが、「05年1月28日(投票は16日)までに村長は合併の方向性を議会に示さなければならない。住民投票の結果選択
した枠組みであっても、相手が28日までに合併に同意することができなかった場合は、投票結果に関係なく、合併に同意する相手を優先する」と修正されました。
仮に窪川町との枠組みが支持されても、窪川町が05年1月28日までに大野見村との合併を決断できなければ、既に合併に同意している中土佐町との合併が
優先されることになります。窪川町は大正町・十和村とも合併協議を進めていましたが、大正町の合併の是非を問う住民投票は05年1月30日に予定されて
おり、仮に「大野見村・窪川町」の枠組みが支持されても、窪川町が大正町の結果を待たずに大野見村との合併に同意できるかは微妙なところでした。なお、
投票方法は合併の是非と合併の枠組み(中土佐町との合併・窪川町との合併)の2段階です。
住民投票条例可決後、村議会は中土佐町との合併推進も賛成5・反対4で決議します。
05年1月16日、大野見村で住民投票が実施されます。その結果、まず合併の是非については、合併賛成が94.2%となりました。続いて合併の枠組みにつ
いては、「中土佐町との合併」が52.6%、「窪川町との合併」が47.4%となり、中土佐町との2町村での合併を選択することになりました。
この結果を受け、大野見村長も中土佐町との合併を選択することを決断し、中土佐・大野見の2町村の合併に枠組みが固まりました。
中土佐町と大野見村の合併協議会は、継続協議となっていた合併の期日を再協議しました。事務局から事務手続きや電算システムの都合から05年7月の
合併は困難であるとの意見が述べられました。これを受けて事務局案(06年3月1日)を支持する意見も出されましたが、「できるだけ早いほうがよい」という
意見や、「3月だと新年度の予算審議ができないので、少し前倒ししてはどうか」という意見なども出ました。そこで協議会会長(中土佐町長)が「06年1月1日」
案を出したところ、事務局も電算システムの整備上は可能であると説明。事務局は期日を「06年1月1日」と修正提案し、全会一致で承認されました。
05年1月にすべての協議が終了、2月に合併協定書に調印しました。
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佐賀県 唐津市+七山村=唐津市 (編入合併、06年1月1日)
佐賀県の唐津市が、市域の東に位置する七山村を編入しました。人口は、唐津市が約13万人、七山村が約2500人です。
現在の唐津市は、05年1月1日に旧唐津市と周辺の7町村が合併して誕生しました。
当初は、この8市町村の合併協議に七山村も加わっていました。経緯の詳細は05年1月1日の唐津市の項を参照いただくとして、概要のみ触れておきます。
この地域では、一番最初は、旧唐津市・05年1月合併の7町村・七山村・玄海町の10市町村での合併が検討されていました。94年2月に「合併懇話会」が設置
され、99年11月には任意協議会を設置。02年7月には法定協議会となります。
法定協議会では、合併の方式(新設合併)・新市の名称(唐津市)・新市役所の位置(唐津市役所)については、比較的すんなり決まりましたが、まず玄海町の
基金の扱いで頓挫します。原発を擁する玄海町が持っていた多額の基金の使途をめぐり協議が行き詰ったのです。玄海町は合併の是非を住民アンケートを実施
し、反対が多数を占めたことを受け、法定協議会を離脱。03年8月には9市町村の枠組みになりました。
議員の任期の扱いについても、浜玉町が異論を持っていたものの、最終的に「在任特例は適用しない。定数は34とするが初回の選挙は定数特例を適用し、定数
48とする。初回の選挙のみ旧市町村単位に選挙区を設け、唐津市24・他の町村は各3とする」ことでまとまりました。
04年1月に9市町村の法定協議会はすべての協議を終了。2月に合併協定書に調印します。
04年3月から4月にかけて、9市町村議会は合併議案を審議します。厳木町は町議会の特別委員会では否決したものの、住民投票で合併賛成が多数を占めた
ことから本会議では可決。しかし、七山村議会は合併議案を賛成3・反対7で否決。七山村は協議会からの離脱を表明しました。
これを受けて、七山村を除く8市町村は、04年5月に8市町村に枠組みを変更した上で協議を再開。議員の任期の扱いのうち初回選挙の定数を45(唐津市24
・他の町村は各3)、合併の期日を05年1月1日(当初は04年10月1日予定)に変更の上、04年7月に再度合併協定書に調印。05年1月1日に合併します。
一方、七山村では、合併に賛成する住民団体が合併議案を否決した村議会に対し、リコールを請求します。請求に添えられた署名は有効分だけでも有権者の
ほぼ半数に達しました。合併賛成派の3人の村議は村政の混乱の責任を取るとして辞職しました。
04年7月、七山村で議会解散の是非を問う住民投票が実施されました。結果は解散賛成が59.6%となり、過半数を超えたため、七山村議会は解散
しました。
04年8月に行われた出直し村議選で、合併賛成派が7人当選し、多数を占めました。しかし、七山村長は自立をめざす姿勢を崩しませんでした。
既に8市町村は合併協定書の調印を終えていたため、04年10月、七山村議会は合併後の唐津市との合併を推進する方針を決めます。
04年11月、七山村長は、合併推進派の住民が村長の解職請求を準備していることが報道されたのを受けて、一転して唐津市との合併を進める意向を
表明します。このため、村長の解職請求はいったん中止されます。村長は05年2月に唐津市の市長・市議会選が終わり、新体制ができた時点で協議を申し
込む意向でした。しかし、村議会で合併賛成派の議員が、新・唐津市発足前に各市町村へ合併の意向を伝えることを要望したのに対し、村長は「事前協議は無
意味で相手にも迷惑」と退け、合併推進が真意かどうか怪しいとの印象を持たれてしまいます。
合併推進派の住民は、村長の解職請求の準備を再開。04年12月に有権者の4割以上の署名を添えて村長解職を本請求します。同月に七山村議会も村長の
辞職勧告決議案を可決します。
05年1月、七山村で村長解職の是非を問う住民投票が実施されました。結果は解職賛成が51.0%となり、過半数を超えたため、七山村長は失職
しました。
05年2月の出直し村長選は、合併特例法期限にこだわらず慎重な協議を求める(失職した)前村長と、合併特例法期限内の合併を進めるべきとする前村議会
議長の一騎打ちとなり、合併特例法期限内の合併推進派の前村議会議長が当選しました。
05年2月22日、七山村は唐津市(05年1月1日に合併した新・唐津市)に合併協議を申し入れ、唐津市も受諾します。
05年3月3日、両市村議会は法定協議会設置議案を可決し、唐津市と七山村は法定協議会を設置します。
05年3月8日の第1回法定協議会で、合併の方式(編入合併)・議員の任期の扱い(合併時のみ定数特例を適用し、七山村域を選挙区として定数1
の増員選挙を実施)などを提案。その他の項目については、04年2月に9市町村で調印した合併協定書に基づき進めることを決めました。
05年3月18日の第2回協議会で、第1回協議会で提案された項目を提案通り承認。合併期日も06年1月1日と決め、すべての協議を終了しました。
3月22日に合併協定書に調印し、3月25日に両議会で合併議案を可決。3月28日に県に申請し、合併特例法の期限に間に合わせました。
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佐賀県 嬉野町+塩田町=嬉野市 (新設合併、06年1月1日)
佐賀県南西部・藤津郡のうち2町が合併して新しい市になりました。
人口は、嬉野町が約19000人、塩田町が約12000人です。
この地域でも、当初はもっと広域の合併を検討していました。一時期は武雄市・鹿島市・太良町・山内町・北方町・大町町・江北町・旧白石町・旧福富町・旧有明町
を含む12市町での枠組みも検討されました(旧白石町・旧福富町・旧有明町は05年1月1日に合併し、現在は白石町)。しかし、02年3月に12市町は、武雄市・
鹿島市・太良町・山内町・嬉野町・塩田町の6市町と北方町・大町町・江北町・旧白石町・旧福富町・旧有明町の6町の2つの枠組みに分裂します。
02年5月に、武雄市・鹿島市・太良町・山内町・嬉野町・塩田町の6市町は研究会を設置。7月には任意協議会を設置します。
03年1月、6市町の議会は法定協議会設置議案を審議しますが、武雄市・山内町・嬉野町・塩田町の4市町議会は可決したものの、鹿島市議会は賛成
10・反対12、太良町議会は賛成7・反対10でいずれも否決してしまいます。
この結果、武雄市と鹿島市をそれぞれ中心とする2つの枠組みに分裂することになりました。「武雄市+山内町」・「鹿島市+太良町」は既定路線でしたが、嬉野
・塩田の両町は武雄市・鹿島市の両方から枠組みへの参加を呼びかけられます。嬉野町は03年2月初めに武雄市との枠組みを選択することを決めましたが、
塩田町は揺れ動きます。塩田町長は鹿島市・太良町との枠組みを優先する意向でしたが、町議会は枠組みの選択に慎重でした。地理的には鹿島市との合併
が自然ですが、町内の大草野地区では過去に一部の地域が嬉野町に編入されたこともあり、町内には嬉野町を含む武雄市などとの枠組みの支持も強くあり
ました。塩田町議会は議論の末、03年2月末に武雄市・山内町・嬉野町との4市町での枠組みを支持することを決定。塩田町長も、住民説明会の結果を踏まえ、
03年3月末に4市町の枠組みで協議を進めることを決断。「武雄市+山内町+嬉野町+塩田町」の枠組みが固まりました。(鹿島市と太良町は2市町で
03年5月に法定協議会を設置。04年6月に合併協定書に調印しますが、太良町で実施された住民投票で合併反対が多数を占めたことから、太良町長が協議
会からの離脱を表明。太良町議会は合併推進の意向でねじれますが、結局05年3月に合併を断念します)。
03年4月、武雄市・山内町・嬉野町・塩田町の4市町は任意協議会を設置。03年6月には法定協議会を設置します。
合併の方式については、異論なく新設合併に決まりました。
新市役所の位置については、3町の町長は、武雄市役所を本庁舎とすることを前提に、合併当初は総合支所方式を採用することを主張しました。協議会会長
(武雄市長)は、本庁舎を武雄市役所とすることを決定しようとしましたが、この時点では庁舎の方式が議題に上がっておらず、一括して審議すべきという意見も
あったことから、小委員会に付託することになりました。
その後庁舎の方式については、本庁方式を基本としつつ、当面は支所に総合支所的な機能を持たせ、段階的に再編・見直しを行うことが提案されましたが、
協議会では「総合支所方式を採用することを明記すべき」などの意見が出され、その点を含めて本庁舎の位置とともに、小委員会で議論することになりました
(提案内容は小委員会付託の際に、「当面は総合支所方式を基本としつつ、中長期的に組織・機構の見直しを行い、簡素合理化に努める」と修正されました)。
小委員会では、まず武雄市役所を本庁舎とし、3町の役場を総合支所とすることを決定。新庁舎の建設については継続審議することとし、協議会に報告
しました。協議会では小委員会報告通り承認されました。
その後、総合支所の機能等を議論するにあたり、地域自治組織のあり方についても合わせて議論すべきと言うことになり、地域審議会・地域自治組織のあり方
(既に地域審議会を設置することは決定済)についてもこの小委員会に付託されました。
地域自治については、小学校区などを単位として「地域コミュニティ協議会」を設け、コミュニティ活動の運営・支援を図るとともに、その拠点としてコミュニティ
センターを設け、コミュニティセンターには行政窓口機能の一部を担わせるなどの方針が決まり、新市建設計画に盛り込まれました。
また総合支所の機能については、特別職を置くか否かを含め議論されましたが、地方自治法や合併特例法の改正との関係もあり、結論がなかなか出せない
状況になっていました。
議員の任期の扱いについては、塩田町議会が特例不適用か1年程度の在任特例、嬉野町議会が特例不適用で定数30(法定上限)などと協議会で意見を
述べましたが、こちらも小委員会に付託されることになりました。
小委員会では長期間にわたり議論が行われましたが、最終的に「特例不適用の場合は選挙区も設置しない」・「在任特例適用の場合は在任期間は1年2ヶ月
程度」・「定数特例適用の場合は、定数を32〜40(法定上限は30)とする」と取りまとめ、各市町議会の意見を確認しました。その結果、「特例不適用」と「在任
特例」に意見が分かれ、「特例不適用」を主張する委員からは「法定上限(30)を若干上回る程度の定数で定数特例を適用してはどうか」といった意見も出まし
たが、結局、「(合併前に比し)定数が減ることの激変緩和」・「合併前の議員が在任することによる新市建設計画の実効性の担保」・「三役・議会がともに不在に
なることは避けるべき」の3点を根拠に、合併後1年2ヶ月(この時点では05年3月1日合併を想定していたため、在任期間は06年4月末まで)の在任特例を
適用する方針を決定し、協議会に報告しました。また特例終了後の定数は30人(法定上限)以内とし、選挙区は設けない方針も合わせて報告しました。
その後、在任期間の報酬について小委員会で議論が行われ、議論の結果、「旧市町議会の報酬を引き継ぐ」とする意見と「合併前の報酬総額を超えない範囲
で均一の報酬額とする」とする意見に分かれ、決着がつかないため、両論を併記したうえで、合併後の報酬審議会等で決定する旨、協議会に報告しました。
また、特例終了後の定数については、小委員会で再度議論され、30(法定上限)とすることが報告されました。
協議会では、民間委員を中心に、在任特例を適用することに否定的な意見が相次ぎました。これに対し、小委員会に参加していた委員からは、「議論した上での
結論であり、了承してもらいたい」という趣旨の意見が出ました。しかし住民から在任特例に反対する意見が日増しに強くなり、継続審議が続きました。
新市の名称については、協議会では、公募することには概ね異論はありませんでしたが、公募範囲を4市町の住民公募とするか、全国公募とするかは意見が
分かれました。協議会は公募範囲を含め、小委員会に検討を付託することにしました。
小委員会では、公募範囲を全国とすること、4市町の名称も除外しないことなどが決定し、公募が実施されました。
公募結果を踏まえ、小委員会は以下の10候補を選定し、協議会に報告しました。
「武雄」「嬉野」「西佐賀」「西九州」「泉都(せんと)」「湯陶里(ゆとり)」「肥前」「葉隠(はがくれ)」「杵藤(きとう)」「なごみ」
協議会では、「武雄や嬉野では他の市町が納得しないのではないか」との意見が出る一方、「4市町名も含めて公募している。応募数の大小を全く無視する
のはおかしい(公募1位は武雄)」との意見も出ました。
協議ではまとまらず、投票にかけることにしました。1回目の投票は、各委員3点ずつ投票し、上位5点を選ぶというものでした。
<第1回投票結果(上位5点のみ発表)>
1位 西九州 25 2位 武雄 17 3位 肥前 15 4位 湯陶里 14 5位 嬉野 11
以上の5候補に絞られました。
この後の選定方法については、まず投票で2候補に絞込み、2点から最終的に選ぶことになりましたが、その2点を絞り込む方法について、1人1票とするか、
1人2票とするかで意見が分かれました。採決の結果、1人2票とすることが決まりました。
<第2回投票結果(票数は非公表)>
1位 武雄 2位 湯陶里
この2点から選ぶことになりますが、「過半数を占めた候補でよい」とする意見が出る一方、武雄市議会の委員から「(通常の採決と同様)3分の2が必要である。
3分の2に達しなければ協議が必要である。」とする意見が出ました。武雄市議会の委員としては、仮に過半数で「湯陶里市」に決まった場合、納得が得られない
という懸念があったものと思われます。この点については協議会会長(武雄市長)が「投票し過半数で決するということを3分の2以上で決定すれば、規約上は
問題ない」と説明し、投票に入りました。
<最終投票結果>
湯陶里 19 武雄 14
以上により、「湯陶里市(ゆとりし)」に決定しました。
協議がここまで進んだ04年4月、決定した新市名称「湯陶里市」に、武雄市民を中心に住民から反対意見が続出しました。武雄市議会も再考を申し入
れることを決めたほか、武雄市区長会も再考を要望しました。
04年5月の協議会で武雄市の委員が、新市名称の再協議を求めました。山内町議会・塩田町議会の委員からは再協議に理解を示す意見が出ましたが、
嬉野町長は「一時不再議」を理由に再協議すべきでないと主張し、嬉野町議会の委員も嬉野町長の意見に同調しました。協議会会長(武雄市長)は、「委員の
大多数が再協議すべきと判断すれば、再協議は可能」と述べました。嬉野町長は協議会会長の判断に納得しませんでしたが、今後の取り扱いについては、
首長・議会議長・幹事会で協議することになりました。
この後、新市の名称については、首長会議が度々開催されましたが、再協議の是非について結論に至ることができませんでした。7月には県から
今後の進め方について「試案」が示されました。試案の概要は以下の通りです。
(1)武雄市の武雄町以外の地域に「武雄」の地名を残す方策を考える。
注)新市内の町名の扱いについては、3町の旧町名は新市名称の後に付すことが決まっていました(例:○○市嬉野町)が、武雄市については、武雄市
武雄町を除き、武雄の文字は付さないことになっていました(例:武雄市武雄町→○○市武雄町、武雄市橘町→○○市橘町)
(2)(1)で決着しないときは、協議会の全会一致で再協議を開始し、歴史学者や有識者の意見を聴取した上で、住民意向調査を実施。その結果を受け再議決。
県の試案を、3町長は了承したものの、武雄市長は「新市名称は武雄市でなければ受け入れられない」として拒否しました。背景には、武雄市の住民の意見が
「湯陶里市を変えるべき」から「武雄市であるべき」に変わってきていたことがあります。一方、武雄市長から提案された「武雄市とすることの再協議」も3町が
拒否し、議論は平行線をたどり、04年9月2日の協議会を迎えます。
この間、04年8月まで4回の協議会が開催されました。
新市役所の位置に関する協議のうち、総合支所の機能については、小委員会で引き続き議論が行われ、合併特例区や地域自治区を導入しないこと、合併後
1年間に限り非常勤の特別職(合併調整官)を総合支所に置く方針が決まり、協議会に報告されました。協議会では合併調整官の職責や総合支所長(一般職)
との関係などにつき議論が行われましたが、小委員会報告通りで承認されました。
議員の任期の扱いについては、再度小委員会に差し戻されることになりました。小委員会での再協議でも、在任特例の適用や選挙区の設置について意見が
分かれ、最終的に以下の3案併記で協議会に報告されました。
(1)1年2ヶ月の在任特例適用、在任期間中の報酬は旧市町議会の報酬を引き継ぐ。(賛成5名)
(2)特例を適用せず、定数30(法定上限)で合併時に選挙を行う。選挙区は設置しない。(賛成5名)
(3)特例を適用せず、定数30(法定上限)で合併時に選挙を行う。初回選挙に限り旧市町単位で選挙区を設ける。(賛成2名)
協議会では、これをもとに再度協議が行われましたが、第3案をベースに端数処理のため定数特例を採用すべきだとする意見が塩田町議会の委員などから
出て、継続協議となりました。そこで協議会会長(武雄市長)は、まず在任特例の是非を検討した上で、在任特例不適用となった場合、選挙区の設置是非や
定数特例について検討するという姿勢を示しました。これには、「在任特例か特例不適用かで小委員会は報告しており、定数特例を適用するなら、定数特例案
の提出が必要なはず」との意見も出ましたが、最終的に協議会会長が押し切り、まず在任特例適用の是非につき、無記名投票で2/3の賛成が得られたもの
に決することを決めました。
<投票結果>
設置選挙(定数特例の可能性も含む) 26 在任特例 6
以上により、在任特例を適用しないことが決まりました。
04年9月2日の協議会で、塩田・山内両町長は白紙に戻して再協議することを提案。嬉野町長もこれには異論を挟みませんでしたが、武雄市長は「武雄市で
ないと合併できない」との姿勢を崩しませんでした。
続いて、議員の任期の扱いについて協議が行われました。まず選挙区を設けるか否かの議論が行われ、塩田町の委員は選挙区を設けることを求めましたが、
他市町は選挙区を設置しない意見が強く、投票が行われました。
<投票結果>
選挙区を設置しない 27 選挙区を設置する 9 無効 1
以上により、まず選挙区を設置しないことが決まりました。
続いて定数の議論に移り、塩田町の委員も「選挙区を設置しないのであれば、定数特例ではなく定数30でよい」と発言。異論無く定数30(法定上限)が決まり
ました。以上の経緯を経て、「特例を適用しない。合併時に定数30で選挙を行う。選挙区は設置しない。新市議会議員の報酬は武雄市の例による」で
承認されました。
ここで、武雄市議会の委員から「新市名称を武雄市とする」という提案がなされ、同時に、塩田町議会の委員から「新市名称は白紙に戻して再協議する」という
提案がなされました。それぞれにつき、議題とするか否かについて賛否を問う投票が行われました。
<武雄市の委員の提案についての投票結果>
議題とすることに反対 26 議題とすることに賛成 10 無効 1
<塩田町の委員の提案についての投票結果>
議題とすることに賛成 25 議題とすることに反対 7 無効 4
以上により、塩田町の委員の提案が2/3の賛成を集めたため、新市名称については白紙に戻して再協議することを議題とすることが承認されました。
しかし、この協議会閉会寸前に、協議会会長(武雄市長)は、武雄市の再協議の提案に同意が得られなかったとして、「このまま合併協議を続けることは困難
であると決断し、4市町の枠組みを白紙に戻す」意向を表明し、協議会を閉会しました。
9月6日、武雄市議会は、協議会からの離脱議案を賛成21・反対2で可決。武雄市の離脱は決定的となりました。
9月16日の協議会で、3町は武雄市の離脱を追認し、今後の枠組みの協議に入りました。
04年10月になって、飛び地となる山内町も3町の枠組みからの離脱を表明。嬉野町と塩田町は2町での合併協議を進めることを決断します。
04年11月、嬉野町議会と塩田町議会は枠組みを2町に変更する議案を、それぞれ賛成17・反対2、賛成9・反対4で可決。この議決をもって、正式に武雄市と
山内町が離脱し、嬉野町と塩田町の2町の枠組みになりました。(武雄市と山内町は北方町を加えた3市町で04年12月に法定協議会を設置し、06年
3月1日に合併。)
04年12月に2町での協議が再開されました。
まず、新自治体を市とするか、町とするかが協議されました。福祉事務所設置による費用増について説明を求める意見などは出たものの、「市」となることに
明確に反対する意見は出ず、全会一致で「市」となることが決まりました。
新市の名称については、在住在勤者と出身者を対象に公募を実施しました。2町の名称も除外していません。
公募結果を踏まえ、幹事会と民間委員で構成された「名称選考会」で候補の選定が行われ、以下の10候補が協議会に報告されました。
「嬉野温泉」「嬉野」「うれしの」「嬉塩(きしお)」「塩田」「唐泉(とうせん)」「西九州」「肥前」「藤津」「ふじつ」
藤津は2町の属する郡名です。
嬉野町の委員からは、全国的な知名度などを理由に「嬉野市」を強く主張する意見が出されました。一方、塩田町の委員はそれに理解を示しつつも「名称を
嬉野市とするのであれば、本庁舎は塩田町に置いてほしい」と主張しました。
そこで、とりあえず新市の名称は「嬉野市」に決定しました。なお、旧嬉野町域は「嬉野市嬉野町」に、旧塩田町域は「嬉野市塩田町」になります。
合併の方式については、異論無く新設合併で決まりました。
新市役所の位置については、嬉野町の委員から「市の名称とのバーターは別としても、庁舎の広さや新しさから塩田町役場が妥当」、「新市名称を嬉野市に
した以上、新市役所は塩田町が妥当」との意見が出て、塩田町の委員も「鹿島市や武雄市への距離も塩田町のほうが近い」とアピール。本庁舎の位置は
異論無く塩田町役場に決まりました。なお庁舎の方式については4市町の協議結果を踏襲し、「当面は総合支所方式を基本としつつ、中長期的に組織・
機構の見直しを行い、簡素合理化に努める」ことで合意しました(ただし、その後の調整で上下水道関係の本庁機能のみ旧嬉野町役場に設置することを決定)。
なお、4市町のときに設置するとされた合併調整官は設置せず、地域審議会も設置しないことにしました(地域自治については、地域コミュニティの強化で対応)。
議員の任期の扱いについては、「特例は適用せず、定数22(法定上限は26)で合併時に選挙を行う。選挙区は設置しない」と提案されました。定数は
近隣の鹿島市や武雄市の例を参考にしていますが、嬉野町の委員からは、「少なくとも提案は26で行い、削減するべきか否かは協議会の議論に委ねるべき
だったのではないか」との意見も出ました。塩田町議会はこの提案で了承しました。結局、提案された定数を引き上げるべきだと言う議論までには至らず、提案
通りで承認されました。
05年2月にすべての協議を終了、3月に合併協定書に調印しました。
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長崎県 島原市+有明町=島原市 (編入合併、06年1月1日)
長崎県・島原半島の東部にある島原市が北に隣接する有明町を編入しました。
人口は、島原市が約39000人、有明町が約12000人です。
もともとは島原半島全体での合併も検討されましたが、枠組みは分裂し、02年3月、島原市は深江町・布津町・有家町と任意協議会を設置します。一方、有明町
は旧国見町・旧瑞穂町(いずれも現在の雲仙市)と02年5月に任意協議会を設置しますが、6月には離脱します。
02年6月、有明町と南部の任意協議会を離脱した西有家町が島原市などの任意協議会に加入。枠組みは6市町になりました。
02年7月、島原市・有明町・深江町・布津町・有家町・西有家町の6市町は法定協議会を設置します。
02年9月、事務局は合併の方式について新設合併を提案します。しかし、深江・布津・有家・西有家の各町は新設合併を支持したものの、島原市議会や有明
町の委員が編入合併を主張し、議論は平行線をたどりました(島原市長は当初は新設合併を容認)。02年12月に新市の名称は島原市に決定したものの、
合併の方式をめぐる溝は埋まりません。また新市役所の位置については小委員会で議論されましたが、深江・布津・有家・西有家の4町が島原市南部への
移転を要求し、こちらも議論が紛糾。住民説明会を経て最終的に新設合併の是非を判断するとしていた島原市長も、編入合併支持に方針を転換し、島原市・
有明町と深江・布津・有家・西有家の4町の対立は、調整が困難な状況に陥りました。
03年3月、島原市・有明町・深江町・布津町・有家町・西有家町の6市町の法定協議会は解散します。
03年4月、島原市と有明町は2市町で法定協議会を設置します(他4町はその後紆余曲折を経て、加津佐・口之津・南有馬・北有馬の各町を加えた8町
で06年3月31日に合併し、南島原市に)。
合併の方式(編入合併)・新市の名称(島原市)・新市役所の位置(島原市役所)については、異論無く承認されました。なお「有明町」は旧有明町域の
住所に冠する地名として残ることになりました。
議員の任期の扱いについては、有明町議会は「合併時に在任特例適用、任期満了時に定数特例適用」を要望しました。この時点で合併の目標期日は04年
11月1日とされており、島原市議会(定数23)の任期満了は07年6月であることから、有明町議会の案では、約2年7ヶ月間旧有明町議16人が在任(総定数は
39)し、任期満了時の選挙も定数30(旧島原23・旧有明7)で行うことになります。両市町の民間委員もこの有明町議会の提案には好意的で、島原市議会も
同意する勢いでしたが、他の協議項目の協議が概ね済んでから再協議することになりました。
04年4月、市町村建設計画を含め、概ね他の協議項目の協議が済んだことから、再度協議に入りました。有明町議会は「合併時は在任特例、任期満了時は
定数特例」を主張し、島原市議会は、有明町議会の主張する案と「合併時のみ在任特例」の両論と説明しました。しかし、在任特例を適用した場合の報酬など
議論すべき点があり、2市町議会は小委員会を設置して議論することを求めました。特に報酬については、島原市議会の報酬に合わせると、合併前の報酬総
額を超えることが民間委員から問題視されていました。なお、有明町議会の定数は14に減らされたため、在任期間の総定数は島原23・有明14の37に変わ
っています。
協議会は議員各2名の4名と、民間委員8名の12名からなる小委員会を設置して議論することを決めました。
6月に開催された小委員会では、島原市議会が「合併時のみ在任特例適用」を主張。有明町議会と意見が対立しました。在任期間中の報酬も、島原市議会が
合併前の報酬の据え置きを主張したのに対し、有明町議会は報酬の統一を求めました。その後、小委員会も開催が見送られました。
この間に04年11月1日の合併が困難となったことから、04年9月に協議会が開催され、合併期日の延期が決まります。
05年1月にようやく第2回小委員会が開催されます。ここで有明町議会が「合併時のみ在任特例適用」に譲歩する意向を表明。両市町の見解が一致し、
「合併時のみ在任特例適用」で小委員会として意見集約。協議会に報告されました。協議会でも異論無く報告通り承認されました。なお、在任期間の報酬に
ついては、合併時までに調整することになりました。
こちらも協議が遅れていた「事務機構及び組織」についても、有明町役場を「有明庁舎」と呼称し、総合支所的な位置づけにするとともに、本庁機能のうち農林
課・農業委員会を有明庁舎に置く方針が示され、承認されました(その後の調整で教育委員会も有明庁舎に置くことになりました)。
05年2月にすべての協議を終了し、05年3月に合併協定書に調印しました。
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長崎県 松浦市+福島町+鷹島町=松浦市 (新設合併、06年1月1日)
長崎県北東部の松浦市と、その北東に位置する島嶼部の2町が合併して1つの市になりました。
人口は、松浦市が約21400人、福島町が約3300人、鷹島町が約2800人です。
この地域も、もともとは広域合併をめざしていました。
01年3月、松浦市・福島町・鷹島町・平戸市・旧田平町・旧生月町・旧大島村の7市町村は任意協議会を設置します。
しかし、01年6月に松浦市と鷹島町が、この枠組みでは地理的・時間的制約により合併は困難であるとして、「松浦+福島+鷹島」と「平戸+生月+大島」との
2つのブロックに分けることを提案します。旧田平町は、01年4月に設置された江迎町・鹿町町・旧吉井町・旧世知原町・小佐々町との6町で構成する任意協議
会にも加入していることから、3つのいずれかの枠組みに入ることを選択させることにしました。
01年7月、松浦市・福島町・鷹島町の3市町は任意協議会を設置。01年10月、7市町村の任意協議会は解散します。
一方、01年12月、旧田平町は加入していた江迎町など6町の任意協議会から離脱。02年3月には江迎町など6町の任意協議会も解散してしまいます。
旧田平町・江迎町・鹿町町をめぐっては、「松浦市・福島町・鷹島町」、「平戸市・生月町・大島村」の2つの枠組みが争奪戦を繰り広げます。
02年2月、旧田平町は2つの枠組みを巻き込んだ広域合併をめざすとして、2つの枠組みのいずれか一方に参加することを拒否します。
02年4月、江迎町と鹿町町は平戸市などの枠組みへの不参加を表明。2町は両市を含まない他の枠組みでの合併も模索しますが、結局5月に松浦市などの
枠組みへの参加を表明します。02年6月、松浦市・福島町・鷹島町の任意協議会に江迎町・鹿町町が加入。5市町の枠組みになりました。
02年8月、松浦市・福島町・鷹島町・江迎町・鹿町町の5市町は法定協議会を設置します。
旧田平町では、02年6月に町議会が平戸市など3市町村の枠組みへの加入を支持する方針を決めますが、町長は松浦市などとの合併に前向きで、ねじれ
状態になります。そこで02年8月に合併の枠組みを問う住民アンケートが実施され、「松浦市・福島町・鷹島町・江迎町・鹿町町との6市町での合併」が71%、
「平戸市・生月町・大島村との4市町村での合併」が24%となり、旧田平町は松浦市などとの合併に舵を切ります。
02年10月、旧田平町は、松浦市など5市町の法定協議会に加入します。枠組みは6市町になりました。
合併の方式については、新設合併に決まりました。
新市役所の位置については、松浦市役所とすることが提案されました。旧田平町は組織・機構を含め小委員会を設置して議論すべきとしましたが、大勢は
地理的中心であることなどの理由で事務局案を支持し、小委員会を設置しないまま、松浦市役所に決まりました。
議員の任期の扱いについては、1年6ヶ月の在任特例を適用することが提案されました(この時点での合併目標期日は04年11月1日、在任期間は06年
4月末までを想定)。在任期間の報酬も最も高い松浦市議の報酬に合わせる方針でした。しかし在任期間や報酬のあり方などをめぐり反対意見もあり、小委
員会を設置して議論することにしました。小委員会は結局事務局案を追認し、協議会でも採決の結果、賛成多数(38人中賛成27人)で事務局提案通り、
1年6ヶ月の在任特例を適用し、在任期間の報酬は松浦市議の水準に合わせることを承認しました。
新市の名称については、全国公募を行いました。公募結果を踏まえ、小委員会は以下の5候補を協議会に報告しました。
「松浦」「まつうら」「北松浦」「西九州」「あけぼの」
松浦市は「松浦市」の名称に固執しましたが、他の5町は「西九州市」を支持し、なかなか決着はつきませんでした。そこで正副会長が協議し、いずれかを採用
すればしこりが残るとして、最も公募の多かった「北松浦市」を提案しました。
5候補の投票で決着をつければよいとする反対意見もありましたが、「北松浦市」の賛否を投票で採決した結果、44人中賛成が39人を占め、「北松浦市」と
することが決まりました。
しかし松浦市内では住民から、在任特例適用や「北松浦市」について、見直しを求める声があがっていました。松浦市の自治会連合会は、在任特例・新市名称
・旧町役場への振興局の設置(この時点では振興局の設置は提案段階で未決定)などに反対する請願を、有権者の半数を超える署名を付して市議会に提出
しました。請願はこれらの項目について改善がなければ6市町の枠組みは不要と主張しています。一方、別の市民団体(合併特例を適用せず即時選挙を
求める会)はこれに先立って、在任特例の見直しを求める請願を出していました。松浦市議会は、「6市町の枠組みからの離脱は避けるべき」との判断から、
自治会連合会の請願については採択しませんでしたが、「合併特例を適用せず即時選挙を求める会」から出されていた請願は採択。在任特例の見直しを
求める姿勢を明らかにしました。
03年10月の協議会で、松浦市議会出身委員は在任特例の再協議を求めましたが却下されました。これですべての協議が終了します。
しかし、松浦市議会の動向だけでなく、旧田平町でも合併協定書の調印式延期を求める請願が採択され、また江迎町でも合併の是非を問う住民投票を求める
署名が提出されるなど合併成立に暗雲が漂ってきていました。協議会は、同月に予定されていた合併協定書の調印式を11月下旬に延期することを決定します。
03年10月、田平町議会は合併の是非を問う住民投票条例案を可決し、11月16日に実施されることが決まります。松浦市でも市長が合併の是非を問う住民
投票を実施する意向を表明。こちらも11月に市議会の議決を得て、11月23日に実施されることが決まります。
旧田平町の住民投票は、合併反対が65.6%と過半数を占め、町長は合併協議からの離脱を表明。町議会も11月19日に法定協議会から離脱する
議案を可決します。旧田平町長が合併に慎重な姿勢だったことが結果に影響したと言われています。この事態を受けて、松浦市の住民投票は、6市町の枠組
みが無くなったことを理由に中止されます(旧田平町は04年3月に、平戸市・生月町・大島村が設置していた法定協議会へ加入。05年10月1日に合併し
平戸市になっています)。
残された5市町は合併に向けた模索を始めますが、松浦市民に新市の名称(北松浦市)や在任特例適用への反対論が強い状況は変わらず、松浦市は民意
の確認が必要として協議再開は遅れました。
04年1月、松浦市で住民アンケートが実施されます。その結果、合併の必要性は73.4%が認め、枠組みについては旧田平町除く5市町を52.5%が
支持したものの、「松浦市・福島町・鷹島町」の3市町の枠組みも約3割が支持。新市の名称については、「松浦市」を求める意見が約6割に上り、「北松浦市」
を容認する意見を上回りました。在任特例の適用を容認する意見も1割に満たず、約75%が特例不適用(法定定数で合併時に選挙)を求めています。
この結果を受けて、04年1月、松浦市は再開された法定協議会で、新市の名称を松浦市とすること、在任特例を適用せず法定定数で合併時に
選挙を行うことを要請し、再協議を求めました。これに対し4町は6市町での協議結果の遵守を求めて反発。議論は平行線に終わりました。
04年2月、江迎町と鹿町町は信頼関係が失われたなどとして法定協議会の解散を申し入れます。首長・議会議長による協議で、法定協議会を解散
する方針が決まり、法定協議会に報告されました。04年3月末で6市町の法定協議会は解散します。
04年3月、福島町議会や鷹島町長が松浦市・福島町・鷹島町の3市町の枠組みで合併協議を進める意向を表明。4月には3市町の首長・議会議長の非公式
協議で3市町の枠組みが固まります。松浦市側は、新市名称を松浦市とすること、在任特例を適用しないことを求め、2町側もこれを飲む形で非公式の調整
がまとまりました。
04年9月、松浦市・福島町・鷹島町は法定協議会を設置します。
合併の方式については、異論無く新設合併に決まりました。
新市の名称については、事務局から「松浦市」と提案され、2町側からもこれに反対する意見は出ず、全会一致で承認されました。もともと2町は、他の
3町(田平・江迎・鹿町)ほどは「松浦市」とすることへの反対が強くなかったようです。なお福島町・鷹島町は旧町域の地名として残ることになりました。
新市役所の位置については、松浦市役所とすることで異論無く承認されました。
議員の任期の扱いについては、まず在任特例・定数特例を適用しないことが提案されました。特例を適用しないこと自体にはあまり異論はありませんで
したが、「定数や選挙区の設置是非を決めてから一括して承認したほうがよいのではないか」という意見も出ました。しかし、まずは特例不適用のみでも
確認すべきだとする意見もあり、協議の結果、提案通り在任特例・定数特例を適用しないことを承認しました。
定数と選挙区設置については、松浦市の委員が定数削減を求めたのに対し、鷹島町や福島町の委員が初回選挙は選挙区設置・定数26(法定上限)を求め
ました。初回選挙の選挙区の設置については松浦市側も異論はありませんでした。しかし定数26を人口比例配分すると、松浦20・福島3・鷹島3となり、
松浦市議の定数が現員数(20)と変わらず効率化につながらないと言う問題もありました。そこで福島・鷹島の定数を3〜4とした上で、(旧)松浦の定数を
減らす方向で、各委員から配分案が種々披露されました。各配分案は、総定数を20前後とするものが大勢でした。しかし意見はまとまらず、選挙区設置
を前提に小委員会を設置して議論することになりました。
小委員会では、まず法定上限の26では住民の理解が得られないとして、定数を削減した上で選挙区間の1票の格差を2倍以内にする方向で定数配分の
議論が行われました。福島・鷹島の定数を各4にした場合、1票の格差を2倍以内にするには、松浦16・福島4・鷹島4の総定数24となり、法定上限から
2しか削減しないのでは住民の理解は得られないとの認識が大勢を占めました。松浦市議会も定数20〜21の線を主張していました。そこで福島・鷹島の
定数を3とし、(旧)松浦を14として総定数を20とする案が浮上。大方の賛同を得て、「定数は20とする。初回選挙に限り選挙区を設け、定数は松浦
14・福島3・鷹島3とする」で意見集約。協議会に報告されました。
協議会では福島町の委員から、「総定数20で松浦13・福島4・鷹島3でも格差は2倍以内となる」という提案がありました。また「いったん議会に持ち帰りたい」
との意見も出ました。そこでいったん継続審議にしました。
各議会は持ち帰り議論しましたが、鷹島町議会は「福島町が4であれば鷹島町も4にすべき」と主張し、福島町議会は「定数4は確保したい」と主張。松浦市
議会は小委員会報告通りとすることを支持しました。鷹島町と福島町の言い分を両方飲めば、格差が2倍を超えるか、定数が24になるかということになり、
松浦市側は飲めないという三すくみの状態です。
結局、鷹島町の委員から「小委員会の報告通りでよいのではないか」との意見が相次ぎ、後は福島町の主張をどうするか、という構図になりました。福島町
の委員1名は、「福島3・鷹島3の原案よりも、福島4・鷹島3の方が2町合わせての発言力は確保できる。その方が2町とも利益になるはず」と主張し、最後
まで食い下がりましたが、協議会会長(松浦市長)は議論が出尽くしたと判断。大方の賛同を得たとして小委員会報告通りで承認されたと宣言しました。
支所の機能については、2町が飛び地・離島であることを踏まえ、合併後当分の間は、支所長に相当の権限を付与した上で、総合支所的な機能を持たせる
ことにしました。なお福島町の委員などから支所の名称を「福島役場」などと「役場」としてほしいとの要望が出されました。「松浦市には合併前も支所があり、
機能は出張所のようになっているのに、福島町の支所と名称を同じにすべきでない」「住民は役場の名称に慣れ親しんでおり、合併後の過渡期は従来の名称
を用いるべき」などを理由に掲げています。長々と議論がされましたが、福島町の委員の中からも「支所でよい」という意見も出て、条例上の名称は支所とする
ことで合意しました。
05年1月にすべての協議を終了し、2月に合併協定書に調印しました。
一方、旧田平町では松浦市との2市町での法定協議会設置を求める住民発議が出されており、04年6月、松浦市長はこの法定協議会設置に支持を表明。
同月に松浦市議会も設置議案を可決しましたが、田平町議会は否決しました。04年9月、合併特例法に基づく住民投票の実施の請求が住民側からなされ、
04年10月に住民投票が行われましたが、設置反対が61.4%を占め、2市町での法定協議会設置は見送られました。
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宮崎県 宮崎市+佐土原町+田野町+高岡町=宮崎市 (編入合併、06年1月1日)
宮崎市が、市域の北に位置する佐土原町と、西に位置する田野町・高岡町の3町を編入しました。
人口は、宮崎市が約31万1千人、佐土原町が約33000人、高岡町と田野町が約12000人です。
宮崎県は「平成の大合併」の動きが遅く、06年1月1日の3箇所の合併が、「平成の大合併」の初の例になります。
この地域では、当初は4市町に清武町・国富町・綾町を加え、合併について議論が行われていましたが、結局、「宮崎市+佐土原町」・「宮崎市+清武町+田野
町」・「宮崎市+高岡町」の3組に分かれて協議が行われることになりました。
【宮崎市+佐土原町】
02年12月、佐土原町は新富町と任意協議会を設置することで合意します。その後、西都市・西米良村も加わり、03年1月、西都市・佐土原町・新富町・西米良
村の4市町村は任意協議会を設置します。一方、宮崎市と佐土原町も03年1月に合併研究会を設置。佐土原町は2つの枠組みで検討を進めることになります。
西都市など4市町村の任意協議会は03年7月まで7回開催され、事務事業の調整などが行われました。また新市役所についても、佐土原町内とする方向で
首長が合意していることも明らかになりました。一方、宮崎市と佐土原町の合併研究会は、03年6月までに6回開催され、こちらも事務事業の調整などが行われ
ました。合併研究会では合併の方式は協議しないこととしていましたが、編入合併を前提に議論が進められました。
佐土原町は6月から7月にかけて、合併説明会で合併の枠組みを問う住民アンケートを実施。結果は、「宮崎市との合併」が53.1%と過半数を占め、「新富町
との合併」の15.3%、「西都市など4市町村」の6.7%などを大きく上回りました。また4市町村での合併では、これまでの宮崎市などとの広域行政が維持
できない見通しとなったこともあり、佐土原町は宮崎市との合併に舵を切ります。ただし、法人格のある地域自治組織(この後に法制化される合併特例区に近い
が、この時点では佐土原町長は公選の首長を持つことを想定)を設置することを求めていく、という条件を付けました。背景には、周辺町を飲み込もうとする
宮崎市の姿勢への不信感がありました。
03年12月、宮崎市と佐土原町は、「法人格のある地域自治組織」を設置する方向で協議することを前提に、法定協議会の設置に合意します。
西都市など4市町村の任意協議会は、この合意を受けて03年12月に解散します。既に4市町村の枠組みは、西米良村が合併しない方針を打ち出すなど崩壊
状態でした。
04年1月、宮崎市と佐土原町は法定協議会を設置します。
合併の方式(編入合併)・新市の名称(宮崎市)・新市役所の位置(宮崎市役所)は異論無く決まりました。
議員の任期の扱いと地域自治については、既に設置されていた「宮崎市と高岡町の法定協議会」・「宮崎市・清武町・田野町の法定協議会」と連携して、それ
ぞれ小委員会で議論が進められました。
議員の任期の扱いについては、佐土原町議会は在任特例を希望していましたが、宮崎市の委員から、「地域自治組織が十分機能すれば、定数特例でよいの
ではないか」との意見も出ました。最終的に佐土原町議会は2市町の合併の場合を想定した上での案として、「合併時は在任特例適用。任期満了時の選挙は
定数を46に4人増員した上で、選挙区を設けずに実施する(定数特例を適用しない)。在任期間の報酬は宮崎市の判断に委ねる」という案を提示しました。
この案では合併前の宮崎市議42人に佐土原町議20人を加えた62人が07年4月30日まで在任することになります。なお、46人は定数の法定上限で、
仮に2市町以外が合併に加わっても、46人を増やすことはできません(定数特例を適用すれば、旧佐土原町域だけで4人選出できるので、他町が加われば、
総定数は46人を超えることになります)。合併時の在任特例適用については全会一致で承認しましたが、定数を増員することや報酬を宮崎市に合わせること
には異論が相次ぎました。しかし宮崎市議会が定数増に賛成したこともあり、任期満了時の選挙は「定数を46に増員して選挙区を設けずに選挙を行う」ことで
意見集約しました。報酬については、宮崎市議会から合併前の報酬を引き継ぐとする案が出されましたが、佐土原町の委員の一部から異論が出ました。佐土原
町議会でも、この宮崎市議会案には反対が噴出し、町議会の意見集約はなりませんでした。小委員会でも意見が対立したため、委員長と副委員長が事務局と
調整し、「在任特例期間中の佐土原町議会議員の報酬は、佐土原町における現行報酬額を基本としながら、佐土原町議会の議員が佐土原町における諸課題
や新市建設計画等の具体化に向けた活動のほか、中核市の議員として新市全域にかかる議案等についても審議することを十分考慮し、宮崎市特別職報酬等
審議会の意見を聞いて、合併までに定めるものとする」という案を提示。これも佐土原町議会などから異論が出て、「佐土原町における現行報酬額を基本とし
ながら」を「佐土原町における現行報酬額を基本としながらも」と修正した上で、両市町に持ち帰ることになりました。佐土原町議会もこれで収まり、小委員会
として意見集約がなされました。以上の結果を協議会に報告しました。
協議会では、佐土原町議会側から、「在任特例期間中の佐土原町議会の議員の報酬については、佐土原町における現行(合併前)報酬額を基本とし、合併
までに定めるものとする」とする修正案が提出されました。佐土原町の委員からも、小委員会や協議会で「在任期間中の報酬は現状維持を」との意見が出て
いたことを考慮したものと思われます。
協議会はこの修正を加えた上で、「合併時に在任特例適用、任期満了時の選挙では定数を46とする(選挙区は設けない)」との提案通り承認しました。
地域自治については、佐土原町に合併特例法に基づく合併特例区(法人格あり)を設置することで合意。具体的な内容について協議が行われました。焦点
となったのは、合併特例区の区長の扱い・市議会議員の合併特例区協議会委員への就任可否・報酬の有無などでした。
まず区長(特別職)は法律上市長が選任することになるのですが、選任にあたって合併特例区協議会の意見を求めることを規約に明記することにしました。
また佐土原町はもともと公選の区長を求めていたこともあり、法律上選挙ができないとしても、合併特例区協議会が市長に区長候補者を推薦するにあたり、
選挙に類似する方法で住民の意見を聞く「準公選」制の導入を打ち出しました。協議の結果、初代の区長は、(合併特例区協議会が未成立のため)佐土原町
が合併前に実施する住民投票で候補者を選出すること、2代目以降の区長も「準公選等により区域住民の意向を把握した上で、市長に区長候補者の推薦
を行う」ことを確認しました(この準公選関連については規約には載せず確認事項扱い)。市議会議員を合併特例区協議会委員に選任することについては、宮崎
市の委員から反対意見も出ましたが、佐土原町側の要望通り合併特例区に住所を置く市議会議員も選任できることにしました。報酬については佐土原町の委員
から日額報酬とすべきとする意見も出ましたが、無報酬(費用弁償のみ)を原則とすることにしました。
そのほか、合併特例区の名称(住所に冠する)は「佐土原町」とすること、合併特例区の区長は市の区域担当助役を兼務し、総合支所の事務を担当す
る(総合支所長の上位に位置)こと、合併特例区内の小学校区ごとに住民自治協議会を設置すること、合併特例区の設置期間は5年とするが、その後も
地方自治法に基づく地域自治区を設置すること、総合支所機能は新市建設計画期間内は維持することなどを決め、協議会に報告しました。
協議会では、いずれも異論なく、小委員会報告通り承認されました。
04年8月に2市町の協議はすべて終了します。
【宮崎市+清武町+田野町】
ここでは、上記の枠組みのほかに、「清武町+田野町」の枠組みでも協議が行われ、複雑な状況になっています。
03年2月、清武町と田野町は任意協議会を設置します。もともと清武町と田野町はともに2町での合併を目指していました。一方、宮崎市は清武町や田野町
との合併に前向きで、03年3月に何らかの形で合併協議に加わりたいと申し入れ、4月から宮崎市は2町の任意協議会にオブザーバーとして参加することに
なりました。その後町長選により就任した清武町の新町長は、宮崎市を含めた合併も前向きに検討する意向を表明。宮崎市との合併には慎重な姿勢だった
田野町長とずれが生じます。03年6月には田野町議会でも宮崎市との協議の場を早急に設けるよう求める決議が可決され、2町と宮崎市との合併協議推進
の動きが出てきます。2町(宮崎市はオブザーバー)の任意協議会は、03年8月までに7回開催され、協議を終了します。
03年10月、宮崎市は2町に法定協議会の設置を要望。同月、清武町は合併の枠組みを問う住民アンケートを実施しました。結果は、「宮崎市を含む複数の
自治体と合併」が28%、「田野町と合併」が21%、「宮崎市と合併」が13%、「合併しない」が7%となりました。この結果を受けて、清武町は宮崎市と田野町
双方に法定協議会設置を申し入れることにしました。一方、田野町では03年12月に町議会特別委員会で法定協議会設置の是非が議論され、「清武町・田野
町」の法定協議会のみ設置が5人、「宮崎市・清武町・田野町」の法定協議会設置は1人、「宮崎市・清武町・田野町」と「清武町・田野町」の2つの法定協議会
設置が4人、法定協議会を設置しないが2人となりました。「清武町・田野町」の枠組み支持が9人と、宮崎市を含む枠組みを支持する5人を上回ったため、田野
町議会としては、清武町との2町の法定協議会設置を求める姿勢を明らかにしました。また12月に田野町で行われた住民アンケートでも、清武町との2町合併
支持が52.5%となりました。田野町は結局、清武町との2町の枠組みで法定協議会を設置する方針を決めます。
04年1月、宮崎市と清武町の法定協議会と、清武町と田野町の法定協議会の2つの協議会が設置されます。
宮崎市と清武町の法定協議会では、まず合併の方式が問題になりました。事務局は編入合併を提案しましたが、清武町議会は新設合併を希望し、意見が
対立したのです。宮崎市側は、既に佐土原町や高岡町との協議会で編入合併で合意していたこともあり、編入合併の姿勢を崩しませんでした。そこで合併の
方式については、継続審議としました。
新市の名称(宮崎市)・新市役所の位置(宮崎市役所)については、異論無く承認されました。
04年2月、田野町で宮崎市・清武町との3市町での法定協議会設置を求める住民発議が行われます。署名は選管の縦覧前ながら町民の1/4近くが集まり
ました。この事態を受けて田野町議会の特別委員会は賛成10・反対4の賛成多数で3市町の法定協議会設置を町執行部に求めることを決議。町長も設置
議案の提出を決断しました(これを受けて住民発議は請求取り下げ)。04年3月、3市町の議会が可決し、宮崎市・清武町の法定協議会に田野町が加入
します。
合併の方式については、その後清武町議会も譲歩し、田野町も了承したため、編入合併に決まりました。
議員の任期の扱いと地域自治については、宮崎市と佐土原町の法定協議会同様、小委員会で議論されました。
議員の任期の扱いについては、当初は合併時の在任特例適用について概ね委員の理解が得られていたのですが、清武町議会の特別委員会で「3市町の
議会が解散し、合併と同時に選挙を行うべき」との見解が打ち出され、議論が紛糾します。持ち帰って検討した結果、田野町議会は「合併時に在任特例適用、
任期満了時は特例適用せず」、宮崎市議会も「合併時に在任特例適用」、民間委員も「合併時に在任特例適用」をそれぞれ主張。清武町議会には「解散して
合併時に選挙」を主張したものの、住民の意見を尊重するとして、方針を転換。全会一致で「合併時に在任特例適用」でまとまりました。既に「宮崎市+佐土
原町」・「宮崎市+高岡町」の2つの協議会の小委員会で在任特例適用の方針が決まっていたため、順当な選択でした。任期満了時の選挙については、田野
町議会から「宮崎市議会の定数を46とし、選挙区を設置しない」という意見が出ました。既に「宮崎市+佐土原町」・「宮崎市+高岡町」の2つの協議会の小委
員会で決まっていた内容を追認するものです。清武町議会はいったん持ち帰りましたが、これに賛成する意向を示し、全会一致で意見集約しました。
また在任期間中の報酬については、「清武町・田野町の現行(合併前)報酬を基本とし、宮崎市特別職報酬等審議会の意見を聞いて合併までに定める」こと
としました。
協議会では小委員会報告通り、異論無く承認されました。
地域自治については、小委員会で議論されました。「宮崎市+佐土原町」と同様、合併特例法に基づく合併特例区を5年間設置すること、合併特例区
設置期間終了後も地方自治法に基づく地域自治区を設置するること、合併特例区の名称(住所に冠する)は「清武町」・「田野町」とすること、区長
の選任にあたっては合併特例区協議会の意見を求めること、合併特例区の区長は市の区域担当助役を兼務し、総合支所の事務を担当する(総合
支所長の上位に位置)こと、総合支所機能は新市建設計画期間内は維持すること、合併特例区の下位に位置する住民自治組織として、住民自治協議会
を設けること(清武町は全町で一組織、田野町は一定の区域に分割)などが決まりました。ただし、清武町は合併特例区協議会委員に合併特例区に住所を
置く市議会議員を選任できるようにしましたが、田野町についてはこのような規定は設けません(あえて明記せず、必要があれば区長が推薦)でした。また
佐土原町のような区長の準公選制度は2町とも設けませんでした。
こちらも、協議会では特に異論は出ず、小委員会報告通り承認されました。
04年9月に3市町の協議はすべて終了しました。
【(参考)清武町+田野町】
04年1月に設置された清武町・田野町の2町の法定協議会は、合併の方式を新設合併と決めました。
議員の任期の扱いについては、07年4月30日までの1年4ヶ月の在任特例を適用(合併期日は06年1月1日)、特例終了後の定数は法定上限の26としました。
在任期間が終了する07年4月30日は清武町議の任期満了日と同一です(田野町議の任期満了は06年1月30日)。在任期間の報酬は合併前の報酬を引き
継ぐこととしました。
新市役所の位置は清武町役場とし、田野町役場は総合支所とすることにしました。
新市の名称については全国公募を行い、小委員会が以下の6候補を選定し、協議会に報告しました。
「西宮崎」「清野(さやの)」「南宮崎」「美里」「わにつか」「みどり山」
協議会では「西宮崎」と「南宮崎」の2候補を推す意見があり、協議では決着がつかなかったことから、2候補で投票に持ち込まれました。
<投票結果>
西宮崎 14 南宮崎 7
以上により、「西宮崎市」に決定しました。
04年10月までに、2町の協議はすべて終了しました。
【宮崎市+高岡町】
高岡町では1997年にも宮崎市との法定協議会設置を求める住民発議が行われましたが、宮崎市議会は可決したものの、高岡町議会が否決し、設置が見送
られた経緯があります。
02年8月、高岡町の住民から出された宮崎市との2市町での法定協議会設置を求める住民発議を受け、両議会で法定協議会設置議案が審議されましたが、
宮崎市議会は可決したものの、高岡町議会は賛成7・反対8の僅差で否決しました。02年12月、高岡町で合併特例法に基づく法定協議会設置の是非
を問う住民投票が行われましたが、結果は法定協議会設置に反対が50.4%、賛成が49.6%となり、設置には至りませんでした。
03年3月、高岡町議会は、「宮崎市との2市町の任意協議会」と「国富町・綾町との3町の任意協議会」の2つの任意協議会設置を町執行部に求めることを
決議。議会は一転して合併協議推進の姿勢を打ち出します。
03年5月、高岡町議の一部が主導し、「宮崎市との2市町の法定協議会」「国富町・綾町との3町の法定協議会」の2つの協議会設置を求める住民発議
がなされました。宮崎市議会は法定協議会設置議案を今回も可決します。高岡町長は宮崎市との法定協議会設置に反対する姿勢を示しましたが、03年
8月に高岡町議会は賛成9・反対6で可決します。
高岡町長は宮崎市との合併ではなく、国富町との合併を進めるとして、03年7月に国富町と2町で任意協議会を設置します(3町の法定協議会設置を求める
住民発議は、国富町長が任意協議会を優先するとして議会に付議せず手続き終了)。宮崎市は2町の任意協議会にも参加を申し入れましたが、拒否されます。
綾町は合併特例法期限内の合併には慎重な姿勢でしたが、2町の任意協議会にオブザーバーとして加わりました。03年11月に2町の任意協議会は協議を
終了しました。しかし04年3月に国富町は、住民説明会で実施したアンケートで「自主自立(合併しない)」が47.6%と、「高岡・綾町との合併」の19.7%など
を抑えて最多となったこと、綾町が合併しない方針を示し、高岡町内の意見も割れていること、などを踏まえ、合併せず自立する方針を決定。これで2町の枠
組みはなくなりました。
03年11月、宮崎市と高岡町の法定協議会が設置されます。宮崎市としては平成の大合併で初めての法定協議会設置となります。
合併の方式については、編入合併とすることが提案されましたが、高岡町側から「佐土原・清武・田野の各町が加われば状況は変わってくる」として継続審議
を求める意見が出ました。そこで、当面は事務作業は編入合併を前提として進めることとした上で、継続審議としました。
新市の名称(宮崎市)・新市役所の位置(宮崎市役所)については、合併の方式を棚上げにしつつも、提案通り仮承認されました。
その後、高岡町議会も編入合併容認の方針を決定。正式に合併の方式(編入合併)・新市の名称・新市役所の位置が承認されました。
議員の任期の扱いと地域自治については、他2つの法定協議会同様、小委員会で議論されました。
議員の任期の扱いについては、高岡町側が「合併時は在任特例適用、任期満了時の選挙は特例不適用」という案を示しました。既に「宮崎市+佐土原町」の
小委員会では「合併時に在任特例適用」で合意していたのですが、こちらの小委員会では高岡町の民間委員からも合併時に定数特例を適用すべきとの意見
が出て、継続審議となりました。最終的に採決の結果、賛成5・反対3で合併時の在任特例適用が決まりました。特例終了後の定数については、既に「宮
崎市+佐土原町」の小委員会で決まっていた「宮崎市議会の定数を46とし、選挙区を設置しない」という内容を追認しました。問題となったのは在任期間の
報酬でした。町議側は、「市議と同額」を主張。宮崎市議会側が「宮崎市特別職報酬等審議会の意見を聴いて、合併までに定める」という案を出すと、町議側は
「佐土原町議などと異なり、高岡町議はもともとの任期満了(08年3月)より前に在任特例が切れるのを考慮すべき」として反発。最終的に「任期が短縮される
ことと、新市の議会議員としての職責は同一であることを考慮した上で、宮崎市特別職報酬等審議会の意見を聴いて、合併までに定める」という表現で決着
しました。
協議会では、小委員会の報告通り、異論なく承認されました。
地域自治については、小委員会で議論されました。その結果、他の2協議会と同じく、合併特例法に基づく合併特例区を5年間設置すること、合併特例
区設置期間終了後も地方自治法に基づく地域自治区を設置するること、合併特例区の名称(住所に冠する)は「高岡町」とすること、区長の選任に
あたっては合併特例区協議会の意見を求めること、合併特例区の区長は市の区域担当助役を兼務し、総合支所の事務を担当する(総合支所長
の上位に位置)こと、総合支所機能は新市建設計画期間内は維持すること、などを決めました。なお、高岡町も合併特例区協議会委員に市議会議員
を選任することは明記しませんでしたが、代わりに「区域内の各小・中学校関係及び各種団体等の代表者」を選任することが明記されました。また、合併特例
区の下位に位置する住民自治組織として、地区連絡協議会(他町の住民自治協議会に相当)を設置することも決まりました。佐土原町のような区長の準公選
制度はこちらも設けませんでした。
協議会では、「高岡町議会では合併特例区協議会の委員に報酬を支払うべきという結論になった」との意見があったものの(小委員会の報告は原則無報酬で
費用弁償のみ)、小委員会報告通りで承認されました。
04年9月までに2市町の法定協議会はすべての協議を終了しました。
04年9月8日、「宮崎市+佐土原町」「宮崎市+清武町+田野町」「宮崎市+高岡町」の3つの法定協議会は合同で会議を開催。議員の任期の扱いについて
は、仮に3つの協議会の結論が異なる場合は調整が必要でしたが、3協議会とも同じ結論であったため、「合併時に在任特例を適用する。任期満了時の選挙
では、特例は適用せず、条例定数を46に増員する(選挙区は設けない)」とすることが確定しました。
これですべての協議が終了。関係各町は、住民の意思の確認に入ります。
04年9月、高岡町議会は合併の是非を問う住民投票条例案を賛成8・反対7の僅差で可決します。しかし高岡町長は実施に難色を示しました。
04年10月、清武町議会も合併の是非を問う住民条例案を可決。こちらは町長も実施に前向きで、11月の実施が決まります。
04年11月、佐土原町は10月に実施した住民アンケートの結果を発表。「宮崎市と合併すべき」が72.2%と「自立すべき」の22.6%を大きく上回り
ました。これで佐土原町の合併推進が確定。04年12月に宮崎市と佐土原町は合併協定書に調印し、同月両議会も合併関連議案を可決します。
04年11月、高岡町長は10月から11月にかけて実施した住民説明会でのアンケート結果で、「自主自立」が51.6%、「宮崎市と合併」が28.1%、
「よくわからない」が12.5%であったことを理由に、町議会に合併関連議案を提案しない意向を表明しました。議会が可決した住民投票を実施せず、
有権者の15.5%にすぎないアンケート結果をもとに判断したことに、町議会側は反発します。
04年11月、田野町は同月に実施した住民アンケートの結果を発表。「宮崎市・清武町・田野町の3市町」の枠組み支持が58.0%、「清武町・田野
町の2町」支持が23.6%、「単独」が18.4%となり、宮崎市との合併が住民に支持されました。
04年11月、清武町で合併の枠組みを問う住民投票が実施されました。町長が結果を尊重する目安は投票率50%以上でしたが、投票率は45.6%に
とどまりました。結果も「合併しない」48.5%、「宮崎市・清武町・田野町の3市町」の枠組み支持が41.3%、「清武町・田野町の2町」支持が10.2
%と票が分散し、はっきりした民意はつかめませんでした。04年12月、清武町長は「自立」を選ぶことを決断。町議会も了承し、「宮崎市+清武町+
田野町」・「清武町+田野町」の2つの枠組みは崩壊しました。
04年12月、高岡町議会は、宮崎市への編入を定める廃置分合議案を議員提案で採決し、賛成8・反対7で可決します。財産処分議案など合併に
必要な議案は他にもあり、これだけでは合併はできないのですが、議会の姿勢をアピールしたようです。「自立」を主張する町長との溝はますます深くなります。
宮崎市議会はこの事態を受けて、両首長に合併協議の早急な取り組みを求めることを決議します。一方高岡町の合併賛成派の住民は、町長のリコールに
向け署名活動を開始します。
04年12月に田野町長は、宮崎市との2市町で法定協議会を設置し、協議終了後に合併の是非を問う住民投票を実施する方針を表明しました。04年12月、
宮崎市と田野町は2市町で法定協議会を設置します。
05年1月に2市町の法定協議会は2回開催され、「宮崎市+清武町+田野町」の協議会の結論を踏襲する形で、すべての協議を終了しました。
05年1月、高岡町で合併賛成派の住民による町長解職の本請求が行われました。署名数は町民の約4割に上りました。
05年2月、田野町で宮崎市との合併の是非を問う住民投票が行われました。結果は合併賛成が67.5%となり、田野町の合併推進も確定しました。
同月に宮崎市と田野町は合併協定書に調印し、両議会も合併関連議案を可決します。
05年3月20日、高岡町で町長解職の是非を問う住民投票が行われました。結果は解職(リコール)賛成が56.8%、反対が43.2%と僅差ながら
解職賛成が上回り、合併に反対していた町長は失職しました。出直し町長選までの間の職務代理者となった町助役は、投票結果を尊重して、合併手続き
を進めることを決断。3月24日に宮崎市と高岡町は合併協定書に調印し、3月28日に両議会は合併関連議案を可決しました(高岡町議会は既に可決済みの
廃置分合議案以外の財産処分議案・在任特例適用議案などを可決)。3月30日にこの2市町も県に合併を申請。特例法期限に間に合わせました。
なお、田野町ではその後、佐土原町と同様、区長として推薦する人を決める住民投票を実施することになり、町議と前町議の2人が立候補。前町議が勝利し
区長候補に推薦することが決まりました。一方、住民投票が当初から予定されていた佐土原町では、住民投票の告示日に町長しか立候補の届出がなく、
投票が行われないまま区長候補に決まりました。しかし、その後佐土原町長は宮崎市長選(任期満了に伴い06年1月に実施)に出馬する意向を表明。区長
候補を辞退したため、再度住民投票が行われることになり、前町課長と町議が立候補。前町課長が勝ち、区長候補に推薦されることが決まりました。
高岡町の区長は合併前の町長がなることが決まっています。また在任期間の議員(旧町議)の報酬は、30万4千円に統一することになりました。いずれも
町議時代よりは多少上がりますが、県内の市で最も低いえびの市議の報酬と同水準とのことです。在任期間に在籍する議員は、90名(合併前のの宮崎市議
41名・佐土原町議19名・高岡町議16名・田野町議14名)です。
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宮崎県 都城市+高城町+高崎町+山田町+山之口町=都城市 (新設合併、06年1月1日)
宮崎県の南西部にある都城市と、市域の北東に広がる4町が合併し、1つの市になりました。
人口は、都城市が約13万3千人、高城町が約12000人、高崎町が約11000人、山田町が約8000人、山之口町が約7000人です。
当初は三股町を含む6市町・都城市を除き三股町を含む5町の2つの枠組みで合併を検討する研究会が設置されていました。
03年1月、高城町・高崎町・山田町・山之口町・三股町の5町は任意協議会を設置します。当初は5町側は「都城市とは産業構造が違う」などの理由で、都城市
を除外した枠組みを企図していました。
03年5月の第4回任意協議会からは都城市がオブザーバー参加。03年7月の第7回任意協議会で、任意協議会としての協議は終了します。
03年8月、5町は都城市との6市町で法定協議会設置をめざす方針を固めます。広域合併という精神を重視し、方針を転換したのです。
03年11月、都城市は5町側の要望にこたえる形で、合併の方式を新設合併とする意向を表明。法定協議会設置の機運が高まります。
しかし03年12月、三股町長は法定協議会に参加しない意向を表明します。町議会が法定協議会設置に反対していたこと、9月に実施した町民アンケートで
合併賛成が39.7%、反対が34.4%と賛否が拮抗したことなどが理由と見られます。
03年12月、残る4町は都城市との法定協議会設置に合意します。都城市への要望として、「合併の方式は新設合併」「法人格を持った地域自治組織を設置」
「旧町役場を総合支所とする」「合併後の市議会議員選挙で選挙区を設ける」などをまとめ、都城市側も合意しました。
04年2月、都城市・高城町・高崎町・山田町・山之口町の5市町は法定協議会を設置します。
合併の方式については、異論無く新設合併に決まりました。
新市役所の位置についても、異論無く都城市役所に決まりました。
なお当面の間、総合支所方式を採用することが決まっています。
新市の名称については、小委員会で議論されました。公募すべきとする意見と、都城市とすることを念頭に公募は不要とする意見に分かれましたが、結局、
公募は実施せず、住民を対象にアンケート調査(協議会だよりに応募はがきを綴じこむなどの方法)を実施することで決着しました。
<アンケート結果>
1位 都城 500件 2位 南九州 25件 3位 都北 20件 4位 新都城 18件 5位 きりしま 9件 6位 都高山 8件
小委員会は、この結果も踏まえて協議会に「都城市」を候補とすることを報告。協議会でも反対意見は出ず、「都城市」に決定しました。
なお、旧4町の名称については、合併後の旧町域の地名として残すことが決まっています。
議員の任期の扱いについても、小委員会で議論されました。小委員会では在任特例の適用については反対する意見が多く、また選挙区の設置については、
当初合意通り選挙区を設置すべきと言う意見が強く出されました。
各市町議会の意見を確認したところ、態度を明らかにしなかった山田町を除き、在任特例にはいずれも否定的で、定数特例を適用して選挙区を設置する方向
で一致したため、具体的な定数の議論に入りました。都城市議会は、1票の格差は2倍以内とすべきとして、「都城28・4町14の総定数42」を主張。山之口町
は「都城28・高城5・高崎5・山田4・山之口4の総定数46」、「都城30・高城5・高崎5・山田4・山之口4の総定数48」の2案を示し、高城町は「都城26〜28で
総定数42〜48」、高崎町は「都城30・高城5・高崎5・山田4・山之口4の総定数48」、「都城28・高城6・高崎6・山田4・山之口4の総定数48」の2案を示しま
した。都城市の主張する案をベースに、4町の定数14を人口比例配分すると、高城4・高崎4・山田3・山之口3となり、都城と山之口の1票の格差は1.93倍に
なります。なお定数の法定上限は34でした。
その後、高崎町が都城市の案に理解を示し、民間委員から「法定上限(34)に近い定数を」「議場の改修が不要な定数にしてほしい」などの意見が上がり、
議場の改修が不要となる総定数42とすることで意見が一致しました。しかし定数配分については、「都城28・高城4・高崎4・山田3・山之口3(4町は人口比
例配分)」、「都城26・高城5・高崎5・山田3・山之口3(4町は人口比例配分)」、「都城26・高城4・高崎4・山田4・山之口4(4町は均等配分)」の3案が出され
ました。都城市は1票の格差が2倍を超えることとなる「都城26・4町16」には難色を示しました。
それぞれ持ち帰り再検討した結果、都城市は「都城28・4町14」を堅持し、高崎町も都城市に同調しました(仮に都城26とする場合は4町14で総定数40)。
山田町は「都城26・高城4・高崎4・山田4・山之口4」が理想だが不可能なら、都城市の推す「都城28・高城4・高崎4・山田3・山之口3」を容認する姿勢を
示しました。これに対し、山之口町は「都城26・高城4・高崎4・山田4・山之口4」、高城町は「都城26・高城5・高崎5・山田3・山之口3」の案をそれぞれ強く
主張しました。民間委員は4名が「都城28・高城4・高崎4・山田3・山之口3」を支持し、1名が「都城26・高城5・高崎5・山田3・山之口3」を支持しました。
議論の中で、「都城26・4町16」の案は都城市が呑めないことははっきりしてきました。そこで高崎・山田・山之口の3町は「都城26・高城4・高崎4・山田3・
山之口3」という折衷案を示しました。1票の格差はわずかに2倍を超えますが、容認してほしいと言う姿勢でした。都城市の支持する「都城28・高城4・高崎4
・山田3・山之口3」との対立となりました。
再度各議会で調整が行われ、都城市は「都城28・高城4・高崎4・山田3・山之口3」の主張を変えず、高崎町・山之口町も同調。山田町も「高城4・高崎4・山田
3・山之口3であれば、都城は28でも26でもよい」として、実質的に都城案を容認しました。しかし高城町は従来通り「都城26・高城5・高崎5・山田3・山之口
3」の主張を変えませんでした。法定上限の34を人口比例配分すれば都城の定数は26であり、それを上回る定数を都城が取る必要は無い、としたのです。
民間委員のみでの協議も行われ、前回出された折衷案も一時浮上しましたが、結論には至らず、継続審議になりました。
次の小委員会でも、都城市と高城町の間の溝は埋まりませんでした。ここで委員から「都城27・高城5・高崎4・山田3・山之口3」という案が出されました。
1票の格差はほぼ2倍以内(2.002倍)に収まっています。小委員会は全会一致をめざし、この案を持ち帰ることにしました。
しかし、この折衷案でも都城市・高城町の理解は得られず、最終的に「都城28・高城4・高崎4・山田3・山之口3」(都城案)と「都城26・高城5・高崎5・山田3
・山之口3」(高城案)の2案で採決が行われ、都城案に賛成が9人、高城案に賛成が2人となり、「都城28・高城4・高崎4・山田3・山之口3」とすることで意見
集約がなされました。
以上の経緯を経て、小委員会は、「在任特例は適用しない。定数は34(法定上限)とするが、初回の選挙に限り定数特例を適用し、総定数を42とし、
旧市町単位に選挙区を設ける。定数配分は都城28・高城4・高崎4・山田3・山之口3とする」という内容で協議会に報告しました。
協議会では反対意見は出ず、小委員会報告通りで承認されました。
地域自治についても、小委員会で議論されました。事務局から合併特例法に基づく地域自治区を旧4町の地域に6年間設置する旨の提案がありました。
地域自治区の名称は旧町名とし、特別職の区長を4年間または6年間設置することも盛り込まれていました。
4町は合併特例法に基づく地域自治区の設置に同意しましたが、都城市は「地域審議会でよい」との姿勢を示しました。理由としては「行財政改革につながら
ない」、「4町だけに設置するとなると、かつて都城市が(編入)合併した地域と不均衡」、「選挙区の設置で住民の声は議会に十分届く」、「総合支所の設置で
足りる」などがあげられました。これには4町側が反発し、議論は平行線をたどりました。
そこで都城市側が譲歩し、合併特例法に基づく地域自治区の設置には同意。具体的な内容の審議に入りました。地域自治区の設置期間については、当初
提案の6年に対し、4町側が10年を主張。都城市は4年を主張しました。また委員の中には提案通りの6年や、8年を主張する意見もありました。
各市町で持ち帰って検討した結果、都城市は「地域自治区の設置は6年・特別職の区長の設置は4年」を提案。一方高城町や山之口町は、「地域自治区の
設置・特別職の区長の設置とも10年」を主張し、高崎町は「地域自治区の設置・特別職の区長の設置とも6年」、山田町は「地域自治区の設置・特別職の区長
の設置とも6年とした上で、その後継続するかは6年経過後に検討」と主張しました。
さらに持ち帰り議論を重ねた結果、都城市も「地域自治区の設置・特別職の区長の設置とも6年」に譲歩。しかし、高城町や山之口町は「地域自治区の設置・
特別職の区長の設置とも10年」の主張を変えませんでした。最終的に「地域自治区の設置・特別職の区長の設置とも6年とし、6年目に継続するかどうか
検討を行う」と「地域自治区の設置・特別職の区長の設置とも10年」の2案が採決され、6年案支持が8人、10年案支持が4人となったため、6年案で意見集約
がなされました。
以上の経緯を経て、「合併特例法に基づく地域自治区を旧4町の地域に6年間設置する。ただし、 6年目に7年目以降の設置については検討する」、
「地域自治区の名称は旧町名とする」、「特別職の区長を6年間置く。ただし、 6年目に7年目以降の設置については検討する」などの案が協議会に報告
されました。協議会では区長の権限について質問は出たものの、反対意見は出ず、小委員会報告通りで承認されました。
05年1月に概ね協議が終了したことから、1月から2月にかけて5市町で住民説明会が実施されました。山之口町では住民説明会参加者に対し、他の3町では
郵送方式で、それぞれ合併の是非に関するアンケートが行われましたが、いずれも合併賛成が50%を超えました(高城65.4%、高崎61.4%、山田50.4%、
山之口81.5%)。
05年2月にすべての協議が終了、合併協定書に調印しました。
なお、三股町では都城市・高城町・高崎町・山田町・山之口町との6市町での法定協議会設置を求める住民発議が行われましたが、04年8月に三股町議会が
賛成2・反対15で否決。高城町議会も三股町議会の否決を理由に全会一致で否決(他の4市町議会は可決)したため、住民発議は不発に終わりました。
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宮崎県 南郷村+西郷村+北郷村=美郷町 (新設合併、06年1月1日)
宮崎県北部・東臼杵郡の山間にある3村が合併して1つの町になりました。
人口は、西郷村が約2700人、南郷村が約2500人、北郷村が約1900人です。
02年10月、3村と諸塚村・椎葉村の5村は任意協議会を設置します。5村は日向市などとの広域合併も検討しており、03年1月に日向市・門川町・東郷町の
3市町で設置された任意協議会に、5村もオブザーバーとして参加します。
03年3月、5村は3市町に合併協議の一体化を申し入れますが、3市町側は「3市町側は、3市町の枠組みを前提として協議している」「協議の進捗に隔たりが
ある」「3市町の委員から否定的な意見が出た」などを理由に、03年4月に5村の申し入れを拒否します。これで日向市を含む広域合併の可能性はなくなり、5村
での合併に向けた検討に移ります。
03年7月、5村は03年10月に法定協議会を設置する方針を固めます。しかし各村の足並みが揃わず、法定協議会設置時期は延期されます。03年12月、
椎葉村は住民や村議会の反対を理由に、法定協議会に参加しない意向を表明。残る4村で法定協議会を設置することになり、03年12月、西郷村・南郷村・
北郷村・諸塚村の4村で法定協議会を設置しました。
合併の方式については、異論なく新設合併に決定しました。
議員の任期の扱いについては、小委員会で議論されました。小委員会では、南郷村と西郷村が在任特例適用を主張したのに対し、諸塚村と北郷村が特例を
適用しないことを主張しました。また仮に特例を適用しない場合の定数については、定数16(法定上限は18)とし、旧村単位で選挙区を設け、いずれも定数4
とすることで4村の意見が一致していました。最終的に、在任特例や定数特例(定数20〜24)を採用すべきとの少数意見はあったものの、「特例は適用しない。
定数は16(法定上限は18)とし、初回の選挙に限り旧村単位に選挙区を設け、定数は各4とする」ことでまとまり、協議会に報告されました。
協議会では異論無く承認されました。
新町役場の位置についても、小委員会で議論されました。小委員会は、地理的条件や交通アクセスを理由に西郷村役場を本庁舎とし、総合支所方式を採用
することで一致し、協議会に報告しました。ただし付帯意見として旧村間のアクセスとなる国道388号・327号の改良推進を要望しています。なお、小委員会の
付託権限を超えるとして文章化はしませんでしたが、「将来本庁舎を建設する場合は、住民の意見を十分反映して候補地を決定する」、「庁舎や付帯施設につい
ては、2次合併も考慮し、必要最小限の改造・改築とすべき」なども意見として述べられました。
しかし協議会会長(西郷村長)が「もともと西郷村には庁舎を改築する計画があり、合併後もこの方針は生かすべき」という趣旨の発言をしたことが、波紋を
広げます。西郷村役場が老朽化していたことは事実で、建替えの必要性もあったのですが、合併後の新庁舎としての建設となると話は変わってきます。協議会
では慎重審議を求める意見が相次ぎました。
協議会会長は、新庁舎の建設については別途協議するとした上で、まず西郷村役場を本庁舎とし、総合支所方式を採用することについてのみ諮り、承認
されました。
その後の調整で、現本庁舎(西郷村役場)の扱いについては、「庁舎の収容能力・耐震能力等を勘案するとともに、必要に応じて周辺施設の利活用を検討しな
がら、調整を行っていく」こととされました。
新町の名称については、全国公募を行いました。旧町名を除外するなどの制限はありません。
小委員会は公募結果を踏まえ、以下の5候補を協議会に報告しました。
「あけぼの」「入郷(いりごう)」「新郷(しんごう)」「美郷(みさと)」「美山」「杜郷(もりさと)」
「入郷」はこの地域が古くから「入郷地域」と呼ばれていたことに由来します。
協議会は小委員会に、協議会での選定方法の検討を依頼しました。それを受けて小委員会は「1人2点ずつ選定する投票で上位3点を選定。そして3点から
1人1点ずつ選定する投票を行い、過半数で決定。いずれも過半数に達しない場合は決選投票」という案を策定し、協議会に報告しました。
協議会では小委員会報告の方法に異論は出ず、投票が行われました。
<第1回投票>
入郷 13 美郷 13 あけぼの 10 美山 9 新郷 4 杜郷 3 (無効 5)
<第2回投票>
美郷 11 入郷 9 あけぼの 6 (無効 5)
<決選投票>
美郷 16 入郷 10 (無効 5)
以上により、「美郷町」に決定しました。
地域自治についても、小委員会で議論が行われました。その結果、「旧村ごとに、合併特例法に基づく地域自治区を4年間設置する。4年目に設置期間の
延長の是非を検討し、設置が必要と判断された場合は、地方自治法に基づく地域自治区を設置する」、「地域自治区の名称(住所に冠する)は南郷区・西
郷区・北郷区・諸塚区とする」、「新町に助役を4人置き、旧村単位の担当助役とし、旧役場(本庁・総合支所)に常駐させる」などと意見集約され、協議
会に報告されました。協議会では、地方自治法に基づく地域自治区の設置につき質問が出たほか、地域自治区の名称について、行政区(自治会の括り)と混同
しないかとの疑問が呈されたりしましたが、小委員会報告通りで承認されました。
04年10月、協議はいったん概ね終了します。
04年11月、諸塚村長は合併協議から離脱する意向を表明します。10月までに実施した住民説明会で自立を望む声が多数に上ったことを理由としてい
ます。村内には住民サービスの低下、過疎化の進行への不安が渦巻いていました。村議会も全会一致で離脱議案を可決します。
残る3村は、法定協議会の枠組みを3村に変更し、合併協議を再開します。
合併の方式・新町の名称・新町役場の位置・地域自治などについては、既に4村の協議で決定していた通りで承認されました。
議員の任期の扱いについては、諸塚村分の定数4を削除する形で、「特例は適用しない。定数は12(法定上限は18)とし、初回の選挙に限り旧村単位
に選挙区を設け、定数は各4とする」と提案されました。これに対しては、「旧村当たり4人では住民サービス上支障がある」、「法定上限18に対し定数12は
あまりに少なすぎる」といった異論が出されましたが、「住民には1村4人で説明している。この段階で増やすのは住民への説明上問題がある」などと原案を支持
する意見も強く、結局原案通りで承認されました。
05年1月にすべての協議が終了したはずでしたが、05年2月に、最後の協議として突然、「字の区域及び名称」が出てきます。地域自治区が廃止となった後も、
字名として「南郷」「西郷」「北郷」を残すことが提案されたのです。提案は唐突に過ぎるという反対意見もありましたが、賛成する意見が大勢で、提案通り承認
されました。
05年2月に合併協定書に調印しました。
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鹿児島県 鹿屋市+輝北町+串良町+吾平町=鹿屋市 (新設合併、06年1月1日)
鹿児島県の大隅半島にある鹿屋市と周辺の3町が合併して1つの市になりました。
人口は、鹿屋市が約82000人、串良町が約13000人、吾平町が約7000人、輝北町が約4000人です。
鹿屋市は、もともと鹿屋市・垂水市・肝属郡9町(串良・吾平・東串良・旧高山・旧内之浦・旧大根占・旧根占・旧田代・旧佐多)の11市町の枠組みや、輝北町を
加えた12市町の枠組みを中心に検討していました。一方、輝北町は12市町の枠組みとともに、曽於郡内の枠組みも検討。串良・吾平の両町は、東串良・旧高
山・旧内之浦との東部5町の枠組みも検討していました。
02年12月までに、東串良・旧高山・旧根占・旧田代・旧佐多の5町は鹿屋市などとの合併協議に参加しない意向を固めます(03年1月に旧大根占・旧根占・
旧田代・旧佐多の4町は任意協議会を設置。その後、旧大根占・旧田代と旧根占・旧佐多の2つの枠組みに分裂。前者は05年3月22日に合併し錦江町、後者
は05年3月31日に合併し南大隅町となりました)。
串良・吾平の両町は、東部5町の枠組みか、鹿屋市などとの枠組みかの選択を迫られることになりました。両町は住民アンケートを実施し、串良町は東部各町
との合併を選択。吾平町は鹿屋市などとの枠組みを選択します。
輝北町も02年12月のアンケート結果をもとに、鹿屋市などとの枠組みを選択します。
03年2月、鹿屋市・垂水市・輝北町・吾平町は4市町で任意協議会を設置します。しかし、輝北町内には曽於郡内での合併を求める意見もあり、旧大隅町・旧末
吉町との法定協議会設置を求める住民発議が出されたりしました。輝北町は枠組みを確定するために住民投票の実施を決断。03年5月にいったん合併協議
から離脱した上で、6月に住民投票が行われました。結果は、「鹿屋市・垂水市・吾平町との合併」が59.9%、「旧大隅町・旧末吉町・旧財部町との合併」が
40.1%となり、住民は鹿屋市などとの枠組みを最終的に選択しました。
03年7月、鹿屋市・垂水市・吾平町の3市町は法定協議会を設置します。住民投票の結果を受けて、7月中に輝北町も加入、枠組みは4市町になります。
合併の方式は新設合併に決まりました。
新市の名称については、公募が行われ、小委員会が以下の5候補を選定し、協議会に報告しました。
「大隅」「大隅中央」「かのや」「東鹿児島」「南九州」
協議会では投票で決することになりました。
<第1回投票>
大隅 16 かのや 10 南九州 9 大隅中央 0 東鹿児島 0
1位となった大隅も2/3の得票を得られなかったため、上位2候補で決選投票が行われました。
<決選投票>
大隅 27 かのや 8
以上により、「大隅市」に決定しました。
議員の任期の扱いについては、小委員会で議論され、03年12月、約1年4ヶ月間、在任特例を適用することで意見集約されました。その後の串良町の加入で
在任期間の議員の定数は96人となることになりました。
一方、串良町は03年4月に東串良・旧高山・旧内之浦との4町で法定協議会を設置します。しかし新市役所の位置について、串良町が最も新しく延床面積
も広い東串良町役場を推したのに対し、他の3町は地理的中心であることや他の官公署との関係から高山町役場を推し、対立しました。小委員会は高山町役場で
意見集約しましたが、協議会でも串良町は東串良町役場を主張し、対立が長引きました。また議員の任期の扱いをめぐっても、串良町議会が特例不適用を主張
したのに対し、他3町の議会は在任特例適用を希望しました。
03年9月、串良町の住民団体が町議会に法定協議会からの離脱を求める陳情を提出。串良町議会は賛成10・反対7(本会議)でこの陳情を採択し、串良町は
4町の法定協議会からの離脱を表明します(その後、東串良町も合併協議から離脱。04年3月に旧高山・旧内之浦の2町で法定協議会を設置し、05年
7月1日に合併。肝付町に)。串良町は鹿屋市などが設置していた法定協議会に加入するか否かを判断するため、住民投票を実施することにしました。町議会
では「鹿屋市・垂水市・吾平町・輝北町との合併」か「単独」かを問う原案に対し、「東串良・高山・内之浦との合併」を選択肢に追加する修正動議が出されました
が、原案通り可決されます。11月に実施された住民投票の結果、76.4%が「鹿屋市などとの合併」を支持。03年12月、串良町は鹿屋市など4市町の
法定協議会に加入を申し入れます。4市町議会は串良町の加入について審議し、鹿屋市・垂水市・吾平町の3市町議会は加入を可決しますが、03年12月、
輝北町議会はいったん加入を否決。しかし輝北町議会は04年1月に再審議の上可決し、串良町の加入が決まります。
04年1月、串良町の加入により、枠組みは鹿屋市・垂水市・吾平町・輝北町・串良町の5市町になります。
04年3月、鹿屋市長は5市町の首長会で以下の6項目を提案します。
1)新市の名称は鹿屋市とすること
2)合併の枠組みは垂水市を除く4市町とすること。垂水市は段階的に合併する。
3)合併期日(この時点では05年1月)を見直すこと
4)新市役所の位置は鹿屋市役所とすること
5)議員の任期の扱いを見直すこと
6)事務事業の調整についても、鹿屋市の立場と主体性に配慮すること
鹿屋市では、「大隅市」に決定した新市の名称への不満や、財政状況の悪い垂水市との合併に不安を感じる意見が強くなっていました。合併の枠組みを見
直す陳情と新市の名称を鹿屋市に変更する陳情が鹿屋市議会に出され、市議会も可決する方向になる(その後可決)など、5市町の合併には暗雲が垂れ込
めていました。鹿屋市長は「垂水市は財政再建を行った上で合併に加わるべき」との姿勢を示し、「垂水市の切捨て・鹿屋市中心の合併」の方針を明らかにした
のです。
垂水市長は抵抗しましたが、鹿屋市の姿勢は強硬で揺るぎないものでした。垂水市議会は合併協議からの離脱を決議し、垂水市長も離脱の意向を表明
しました。
04年5月、垂水市の離脱を受け、垂水市を除く4市町の枠組み(鹿屋・輝北・吾平・串良)で合併協議を進める方針が確定しました(04年7月に5市町の
法定協議会は解散)。
その後4市町は合併協議の基本的な項目(合併の方式及び枠組み・合併の期日・新市の名称・新市役所の位置・議員の任期の扱い)について調整を図り、04
年6月に合併協議会設立準備会を開催し、合意。04年7月に鹿屋市・輝北町・吾平町・串良町の4市町で新たな法定協議会を設置しました。
合併の方式については、異論無く新設合併で承認されました。合併の期日については、06年1月1日を目標とすることを決めています。
新市の名称については、事前合意通り「鹿屋市」と提案されました。吾平町議会の委員から「鹿屋市議会の押し付けではないか、今後はこのようなことが無い
ようにしてほしい」との意見が出されましたが、協議会会長(鹿屋市長)から「吾平町も事前に合意しており、押し付けではない」と説明があり、提案通り、「鹿屋
市」で承認されました。
議員の任期の扱いについても事前合意通り、「06年4月30日までの4ヶ月間の在任特例適用。特例終了後の定数は34人(法定上限)とし、初回
選挙に限り旧市町単位に選挙区を設置する。選挙区ごとの定数は合併後の議会で定める。在任期間の議員報酬は合併前の報酬を引き継ぐ」と
提案され、反対意見はなく、承認されました。
新市役所の位置についても事前合意通り、「鹿屋市役所とし、庁舎の方式は総合支所方式とする」と提案されました。これに対しても、吾平町や串良町の
委員から「総合支所の設置を一定年限保障すべき」との意見が出されました。これに対しては、「総合支所の設置期間として(行政改革の立場から)当分の間
と入れるべきとの意見もあったが、一定期間後に廃止されることが明らかになってしまうという観点から、あえて年限を入れなかった」との説明がなされ、今後も
慎重に検討することを条件に、提案通り承認されました。
その後、総合支所の存続期間については、地域自治とともに検討され、改めて提案されました。提案内容は以下の通りです。
<地域自治区の設置>
・旧3町の地域に、合併後4年間、合併特例法に基づく地域自治区を設置する。
・地域自治区の名称(住所に冠する)は「輝北町・吾平町・串良町」とする。
・地域自治区の設置期間は、特別職の区長を置く。
<総合支所の設置>
・行財政改革を考慮しつつ、合併後、最低でも概ね10年間は、総合支所を維持させるものとする。
事前の調整では、地域自治区の設置期間について、総合支所と合わせ10年間とすべきとする意見もありましたが、行財政改革に速やかに取り組むべき
こと、予算編成時の調整や事務事業などの一元化・統一は合併後3年で終了すること、新市の総合計画を合併の2年後をめどに策定することから、4年に
決めています。
協議会ではいずれも異論無く、提案通りで承認されました。
04年11月にすべての協議を終了し、合併協定書に調印しました。
なお、合併後に定めるとしていた初回選挙の選挙区ごとの定数は、鹿屋24・串良5・吾平3・輝北2となりました。
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鹿児島県 指宿市+山川町+開聞町=指宿市 (新設合併、06年1月1日)
鹿児島県・薩摩半島南東部の1市2町が合併して、1つの市になりました。
人口は、指宿市が約30000人、山川町が約10000人、開聞町が約7000人です。
02年4月、3市町と頴娃町・旧喜入町の5市町は任意協議会を設置します。一方、頴娃町は同じ4月、枕崎市・知覧町・川辺町・旧坊津町とも任意協議会を設置し
両にらみの体勢をとります。旧喜入町も鹿児島市などとの合併も検討していました。
02年8月、旧喜入町は、住民アンケートで「鹿児島市などとの合併」が「指宿市などとの合併」などを上回ったことを受けて、指宿市など5市町の合併協議からの
離脱を表明します(03年1月、旧喜入町は鹿児島市・旧吉田町・旧桜島町・旧松元町・旧郡山町と6市町で法定協議会を設置。04年11月に5町は鹿児島市に
編入されます)。
02年10月、頴娃町は合併の枠組みを問う住民アンケートを実施。「指宿市・山川町・開聞町との合併」が57.2%、「枕崎市・知覧町・川辺町・旧坊津町との
合併」が35.6%、「単独」が7.0%となり、指宿市などとの合併推進を選択します。03年1月、頴娃町は枕崎市などとの合併協議から離脱を表明。枕崎市など
5市町の任意協議会は解散します。
03年1月、指宿市・山川町・開聞町・頴娃町の4市町は法定協議会を設置します。
合併の方式については、異論無く新設合併で承認されました。
新市の名称については、小学生以上の住民を対象に公募を実施しました。なお、4市町の名称も対象から除外していません。結果は以下の通り。
<公募結果上位>
1位 いぶすき 228件 2位 指宿 170件 3位 揖宿 75件 4位 なのはな 33件 5位 新指宿 31件 6位 薩南 29件
小委員会は10件以上の応募のあった上位12候補から以下の5候補を選定し、順位を付けて協議会に報告しました。
1位 揖宿 2位 指宿 3位 いぶすき 4位 菜の花 5位 薩摩富士
「いぶすき」には二つの表記法があり、郡名は「揖宿」で市名は「指宿」になっています。「薩摩富士」は開聞岳の異称です。
協議会では、「指宿」「揖宿」「いぶすき」などの意見があがり一本化はできなかったので、投票で決することにしました。
<第1回投票結果>
指宿 14 揖宿 13 いぶすき 1 菜の花 0 薩摩富士 0
いずれも過半数には達しなかったので、「指宿」と「揖宿」で決選投票を行うことになりました。
<決選投票結果>
指宿 15 揖宿 13
以上により、「指宿市」に決定しました。
なお旧町の名称は、旧町域の地名として残すことも決まっています(例:指宿市開聞十町)。
新市役所の位置についても、小委員会で議論されました。まず新庁舎の建設是非について協議した結果、「合併時においては建設しない。ただし、合併後10
年以内を目処に建設の是非についての検討を行う」とすることで、意見集約が図られました。また合併時の庁舎の方式についても総合支所方式とすることで
まとまりました。しかし、本庁舎の位置をめぐって意見調整がなかなかつきませんでした。最終的に、人口重心・交通の事情・他の官公署との関係・庁舎面積
などから指宿市役所とする意見と、新市のスタートの印象付け・地理的中心などから開聞町役場とする意見とに真っ二つに分かれたため、両論併記で協議会
に報告することを決めました。以上の経緯を経て、協議会に以下の通り報告しました。
・合併時において新庁舎は建設しない。ただし、合併後10年以内を目処に建設の是非についての検討を行う。その場合、新庁舎の建設地は住民の利便性を
考慮し、地理的な中心部を念頭に検討する。
・合併時の庁舎の方式は総合支所方式とし、現在の指宿市役所を「指宿庁舎」、山川町役場を「山川庁舎」、頴娃町役場を「頴娃庁舎」、開聞町役場を「開聞
庁舎」と呼称する。
・新市役所の本庁舎の位置は、指宿庁舎または開聞庁舎とする。
協議会でも、合併時の本庁舎の位置については、指宿と開聞の2案で分かれ、新庁舎の位置についても、新庁舎の建設の必要性や「地理的中心」をめぐる
解釈などで意見が分かれました。
その後も、堂々巡りの議論で、なかなか先に進みません。開聞町などからは「新庁舎建設を明確にすべき」「建設の是非を検討するとなると、非となった場合、
指宿庁舎をそのまま使うことになりかねない」「新庁舎の建設位置は開聞町と明記すべき」とする意見が出る一方、指宿市からは「合併時の本庁舎は指宿庁舎。
新庁舎も建設の是非を検討するという原案でよい」とする意見が出ました。しかし議論の中で、合併時の庁舎は指宿庁舎とせざるを得ないという点と、各庁舎
が老朽化していることは事実であり、新庁舎の建設が必要であるという点とについては、徐々に共通認識ができてきました。
そこで、首長会で調整した案として、以下の提案がなされました。
・本庁舎の位置については、当分の間は、指宿庁舎とする。
・合併時の庁舎の方式は総合支所方式とし、現在の指宿市役所を「指宿庁舎」、山川町役場を「山川庁舎」、頴娃町役場を「頴娃庁舎」、開聞町役場を「開聞
庁舎」と呼称する。
・4市町の庁舎はいずれも築後30年以上経っており、建て替え等の時期にきていることや、新市発足後は新市の均衡ある発展や地域住民全体の利便性を
図ることが重要であることから、合併特例債の有効期間も踏まえ、合併後10年以内を目処に地理的中心部に新庁舎を建設する。なお、具体的な建設
場所は、旧市町同数の委員で構成する検討委員会を設置し、地理的中心部のうち適地を建設地に決定する。
この提案に賛成する意見もありましたが、「地理的中心を明確にしたい」という意見が出る一方、指宿市議会からは「地理的中心」「新庁舎を建設する(と断言)」
の2点について反対する意見が述べられました。
しかし議論は出尽くしていたため、首長会の調整案に対し賛否を投票で問うことになりました。
<投票結果>
賛成 19 反対 8
以上により、首長会調整案通りで承認されました。
議員の任期の扱いについては、小委員会で議論されました。小委員会はまず各議会の意向を確認しました。
各議会の意見は、山川町議会は「定数特例・在任特例・特例不適用で選挙区設置などの意見あり」、頴娃町議会は「定数30(法定上限)で初回のみ旧市町
単位で選挙区設置」、開聞町議会は「特例不適用。選挙区も設置しない」、指宿市議会は「定数35程度の定数特例、特例不適用、在任特例の順。選挙区は
不要とする意見が多数」といったところでした。その後議論が行われましたが、特例不適用・定数特例・在任特例の3案が出てまとまらなかったため、とりあえ
ず、3つの制度のうちどれを選択するかを協議会の議論に委ね、その後小委員会で細部を詰めることにしました。
協議会では、開聞町議会が「特例を適用せず、定数30(法定上限)で選挙」、頴娃町議会が「特例を適用せず、定数30で選挙を行うが、初回に限り選挙区
を設置」、指宿市議会は「選挙区設置に反対」と従来の主張を繰り返しました。山川町議会の委員は「定数30を人口比例配分すると、指宿15・頴娃7・山川5・
開聞3となる。議員が激減する頴娃・山川に2ずつ、開聞に3を足すと、総定数37で指宿15・頴娃9・山川7・開聞6となり、1票の格差は1.68倍に収まる」と
いう案を提起しました。
協議しても結論は出ないので、3つの制度のうちどれにするかを、投票で決することにしました。
<投票結果>
原則(特例不適用) 21 定数特例 3 在任特例 3
以上により、まず特例を適用しないことが決まりました。これをもとに小委員会で再度検討することになりました。
まず定数については、法定上限の30とすることですんなり決まりましたが、選挙区の設置については意見が分かれました。採決の結果、選挙区設置を支持
する意見が過半数(委員長除く7名中5名)であったため、選挙区を設置することに決めました。選挙区の単位は旧市町単位とし、初回の選挙に限り設置する
こととしました。続いて定数配分の議論に移りました。「指宿12・頴娃7・山川6・開聞5(25を人口比例配分し、頴娃に1・山川に2・開聞に2を配分)」とする案と
「指宿14・頴娃7・山川5・開聞4(人口比例配分に対し、指宿から開聞に1名振る)」とする案が出され、採決が行われました。まず「指宿12」案を支持する委員
が4名いました。続いて「指宿14」案を支持する委員に挙手を求めたところ、委員長を含む4名が挙手しました。これに対し、「委員長が表決に加わるのはおか
しい」との異論が出され、議事が紛糾、流会してしまいます。
そこで小委員会としては、規約を変更し、委員長に表決権があることを明確にすることにし、協議会に規約変更の議論を求めました。しかし協議会でも規約変更
に疑義が出されるなど、延々と議論が続いてしまいます。また、仮に委員長に表決権を持たせても、結局同数となりこう着状態になるだけとの見方もあります。
結局、小委員会は規約変更の提案を取り下げ、残る定数配分と報酬の問題は協議会で議論してほしいと要請しました。協議会はこれを認めました。
事務局から、小委員会の協議結果を踏まえ、「合併特例法の特例は適用しない。定数を30人とし、初回の選挙に限り、旧市町の区域ごとに選挙区を設けること
とする(定数配分・議員報酬は未定)」と提案されました。
まず議員定数の30については、異論無く承認されました。
選挙区の設置については、指宿市議会の選挙区は不要との姿勢は変わらず、他に指宿市の民間委員からも選挙区不要論が出ましたが、選挙区設置に賛成
の意見が多く出ました。意見が分かれたため、投票で決することになりました。
<投票結果>
選挙区設置に 賛成 18 反対 9
以上により、選挙区を設置することが承認されました。
選挙区は旧市町単位に設置し、設置期間を初回選挙時に限ることについては、異論は出ず、提案通り承認されました。
定数配分については、小委員会での議論が繰り返され、指宿市の委員は人口比例配分か「指宿14・頴娃7・山川5・開聞4」を主張し、他町の委員は「指宿12・
頴娃7・山川6・開聞5」を主張して折り合いませんでした。ちなみに、「均等割+残りを人口比例配分」という他の地域でよくある方式で算定すると、均等割1で
「指宿14」案と同じになり、均等割3で「指宿12」案と同じになります。均等割2ですと、指宿13・頴娃7・山川6・開聞4になります。
最終的に指宿市側は議会を含め「指宿14」案にまとまり、もともと小委員会で議論されていた「指宿14」案と「指宿12」案の2案に絞られ、投票にかけられまし
た。
<投票結果>
「指宿12」案 17 「指宿14」案 10
以上により、定数配分は指宿12・頴娃7・山川6・開聞5となりました。
議員の報酬については、指宿市の水準に合わせるという意見が多く述べられましたが、4市町の平均値に合わせるべきという意見もあったので、投票にかけられ
ました。
<投票結果>
指宿市に合わせる 15 平均値に合わせる 12
意外なほどの僅差でしたが、議員報酬は指宿市の水準に合わせることになりました。
以上の結果、「特例は適用しない。定数は30とし、初回の選挙に限り、旧市町の区域ごとに選挙区を設け、定数は指宿12・頴娃7・山川6・開聞5とする。議員
報酬は指宿市の例による」ことが承認されました。
04年8月、合併の期日を06年1月1日に変更することも承認され、8月16日の第21回合併協議会ですべての協議が終了しました。
しかしその直前の8月11日に指宿市議会の特別委員会が「合併協議離脱やむなし」という趣旨の決議をしました。理由として、「新庁舎を合併後10年以内に
新市の地理的中心地に建設すること」「初回の選挙で選挙区を設置すること」の2点に対する不満をあげています。
その後、頴娃町議会も特別委員会で合併協議からの離脱を決議し、混乱が続く中、04年9〜10月に各市町で合併の是非を問う住民投票(指宿・頴娃)と住民
アンケート(山川・開聞)が行われました。結果は以下の通り。
<指宿市> 賛成 69.7% 反対 30.3% <頴娃町> 賛成 35.8% 反対 64.2%
<山川町> 賛成 82.3% 反対 17.7% <開聞町> 賛成 83.5% 反対 16.5%
以上の結果を受け、04年10月、頴娃町は合併協議から離脱することを決定します。
残る3市町は頴娃町を除く枠組みで合併協議を進めることを決定。事前に「合併の方式・合併の期日・新市の名称・新市役所の位置・議員の任期の扱い」など
の重要事項について調整したうえで、合併協議に臨むこととし、04年11月に開催された合併協議会設立準備会で以下の通り合意に至りました。
合併の方式・合併の期日・新市の名称については、既に4市町の協議会で承認された内容通り提案することとしました。
新市役所の位置については、次のように修正提案することで合意しました。
・本庁舎の位置については、当分の間は、指宿庁舎とする。
・合併時の庁舎の方式は総合支所方式とし、現在の指宿市役所を「指宿庁舎」、山川町役場を「山川庁舎」、開聞町役場を「開聞庁舎」と呼称する。
・合併時において新庁舎は建設しないものとする。ただし、新市において建設の是非についての検討を行う。
「新庁舎の建設」「地理的中心地」の両方がばっさり削られ、指宿市議会の意向通りとなっています。
議員の任期の扱いについても、次のように、指宿市議会の主張に沿う線で、修正提案することで合意しました。
・特例は適用しない。定数26(法定上限)で合併時に選挙を行う。選挙区は設置しない。議員報酬は指宿市の例による。
04年11月に頴娃町を除外する規約変更を行い、12月に協議会が再開されました。
協議会では、なぜ新庁舎の建設の問題や初回選挙の選挙区の問題が修正されたのか、という疑問が出されました。事務局は構成市町が減ったことにより、
面積が小さくなり、また合併特例債も少なくなったのを受けたものである、と苦しい説明をしました。さらに突っ込まれたため、住民説明会での意見を踏まえた
と回答しましたが、より正確に言えば、「指宿市の住民説明会(や議会の意向)を受けた」ということのように思われます。
05年1月にすべての項目が一括審議され、上記の修正については特段異論はなく、承認されました。
05年2月に合併協定書に調印しました。
ちなみに03年8月から04年1月にかけて、この協議会を揺るがせた問題に、「山川・根占航路の扱い」がありました。
この間のフェリーは以前鹿児島交通を傘下に持ついわさきコーポレーションが運航してきたのですが、02年9月に廃止されました。指宿市・山川町・旧根占町
は地域交通に必要として、この航路の第3セクターでの復活を狙っていました。
03年8月にこの復活が実現しそうになると、合併後に累が及ぶ「負の遺産」になるとして、開聞町・頴娃町は慎重な姿勢を示し、対立となったのです。その後復活
話は9月にいったん立ち消えとなったこともあり、首長間の調整で「山川・根占航路は必要不可欠な社会資本であるとの認識のもと、新市の重要課題として、
新市建設計画に盛り込み、新市において重点的に検討を行う。ただし、合併前の航路再開に関する事業実施については、合併への影響が大きいことから、法定
協議会で協議し、承認を受けて実施する」とまとめ、協議会でも紛糾しながらもこの件はいったん首長間の調整通りで収まりました。
しかし、10月25日に開聞町議会・頴娃町議会は連名で「山川・根占航路に関する発言等に対する謝罪と真相究明について」という文書を協議会会長宛に提出
しました。山川町長の一連の発言(「8月は単独でも実施するから協議の必要は無いとしたのに、9月では合併後の課題としたこと」、「両町の委員への不穏当な
発言」)に対する批判でした。10月30日の協議会では、この件を取り上げない方針でしたが、「不穏当な発言」をめぐり感情的な対立に発展。「協議の必要は
無い」という趣旨の発言にも批判が集まり、「謝罪せよ」「謝罪しない」の堂々巡りとなり、とうとう「議論が続けられない」として開聞・頴娃側の委員11名が退席
する事態となりました。そこで会長・副会長・開聞町議会議長・頴娃町議会議長の6者協議に委ねることにし、流会となりました。
しかし6者協議は実現せず、11名の委員から、新たに会長・座長の責任追及や合併協議会だよりへのこの事案の経緯の掲載などを求める要請書が出され
たり、頴娃町議会の議会だよりで山川町長の暴言(本人は否定)が掲載されるなど、混乱が続きました。
12月18日に協議会が再開されましたが、山川町長はこの場でも頴娃町議会だよりの撤回を求めるなど、謝罪のそぶりは見せませんでした。長時間にわたり
論争が行われましたが、結局、頴娃町・開聞町の一部委員が辞任を表明する事態となってしまいました。
辞任した委員は最終的に11人に上りましたが、12月20日、山川町長が協議会会長(指宿市長)に「協議会の混乱を収拾したい。すべての面でお詫びしたい」
と伝え、12月22日の山川町議会で「混乱を招いたことに対し重く受け止め、これを収拾させる方向で努力したい」と表明。04年1月に指宿市長・山川町長・
辞任委員の会談が持たれ、山川町長が全面的に謝罪し、頴娃町議会だよりに関する発言も撤回しました。
04年1月15日に開催された協議会の場でも、山川町長が謝罪を行い、11人の委員は辞任届を撤回し、協議がようやく再開されました。
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鹿児島県 志布志町+有明町+松山町=志布志市 (新設合併、06年1月1日)
鹿児島県の最東端に位置する3町が合併し、新しい市になりました。
人口は、志布志町が約19000人、有明町が約12000人、松山町が約5000人です。
02年7月、志布志町・有明町・大崎町の3町で、3町の法定協議会設置を求める住民発議(同一請求)がなされました。その後02年9月から12月にかけて、
3町議会は法定協議会設置議案を可決。03年1月、志布志町・有明町・大崎町の3町は法定協議会を設置します。
03年3月に松山町が3町の法定協議会への加入を申し入れます。3町はこれを受け入れ、3町の法定協議会をいったん休止し、03年4月、志布志町・
有明町・大崎町・松山町の4町で新たな法定協議会を設置します(3町の法定協議会は休止のまま、04年3月に正式に解散)。
合併の方式は新設合併に決まりました。
新市の名称については、全国公募を実施しました。この公募では4町の名称は除外しています。
新市役所の位置については、小委員会で議論が行われ、地理的中心に当たる有明町役場を本庁舎とすることで意見集約され、協議会に報告されました。
協議会でも小委員会報告通り、有明町役場を本庁舎とすることが承認され、他3町の役場は総合的な機能を持つ支所とすることとしました。
協議がここまで進んだ04年1月、大崎町議会は合併協議からの離脱を求める陳情を採択します。大崎町長はこれを受けて4町の合併協議からの
離脱を表明します。大崎町を除く3町は枠組みを変更して協議を続ける方針でしたが、大崎町議会が法定協議会離脱案を継続審査としたため、4町の法定
協議会を休止し、3町で新たな法定協議会を設置する方針を決めます。
その後大崎町では、04年5月に志布志町・有明町・松山町との合併の是非を問う住民投票が行われますが、合併反対が50.1%と賛成の49.9%
を僅差(19票差)で上回り、大崎町の合併協議離脱が確定します(4町の法定協議会は04年6月に解散)。
04年4月、志布志町・有明町・松山町は3町で新たな法定協議会を設置します。
合併の方式については、異論無く新設合併に決まりました。
新市役所の位置については、小委員会で議論されましたが、4町の法定協議会での結論を尊重することで一致し、「本庁舎は有明町役場とし、総合支所方式を
採用する。新庁舎の建設是非は合併後に検討するが、新市建設計画に盛り込むことで合併特例債の活用の道を残す」という方針で合意しました。
協議会では特に異論はなく、小委員会報告通り、有明町役場を本庁舎とし、総合支所方式を採用することに決定しました。
また新庁舎の建設是非について合併後に検討する旨は、新市建設計画(新市まちづくり計画)に盛り込まれました。
なお、その後の調整で、本庁舎の増設を最小限とするため、合併当初の緊急避難的な措置として、教育委員会を志布志支所、農業委員会を松山支所に置く
ことにしました。
新市の名称については、全国公募を行うことにしました。3町の名称も候補から除外していません。また4町の法定協議会での応募作品も、本人の同意を得た
上で、応募結果に加えることにしました。
<公募結果上位>
1位 南九州 212件 2位 志布志 94件 3位 南曽於 89件 4位 曽於 37件 5位 びろう 33件 5位 南大隅 33件
小委員会は以下の10候補を選定し、協議会に報告しました。
「海陽(かいよう)」「救仁(くに)」「しぶし」「志布志」「志布志湾」「新志布志」「新南九州」「南九(なんきゅう)」「東大隅」「南九州」
「救仁」は、この地域が昔「救仁郷」と呼ばれていたことに由来します。
協議会では、「志布志」・「志布志湾」などが推されましたが、投票で3点に絞ることになりました。委員が10点から2点ずつ選ぶ方式です。
<第1回投票結果>
南九州 17 志布志 16 志布志湾 10 東大隅 5 しぶし 4 新南九州 1 海陽 0 救仁 0 新志布志 0 南九 0
以上により、「南九州」「志布志」「志布志湾」の3候補に絞られました。
この3候補についても、それぞれ推す委員がおり、協議では決着がつかないため、投票に持ち込まれました。
<第2回投票結果>
志布志 16 南九州 10 志布志湾 4
以上により、過半数を占めた「志布志市」に決定しました。
議員の任期の扱いについても、小委員会で議論されました。まず各議会の意見を確認したところ、志布志町は「06年4月末までの4ヶ月の在任特例、特例
終了後の定数は24〜26(法定上限は26)、選挙区設置は賛否両論」と報告。有明町は「定数特例を適用し、選挙区を設置」を主張。松山町も「在任特例適用
は反対。選挙区を設置」と主張しました。
議論の結果、「定数特例を適用し、選挙区を設置。定数配分は各町に2ずつ均等配分した上で、人口比例配分」・「4ヶ月の在任特例を適用し、特例終了後の
選挙で選挙区を設置」の2つの方向に絞られました。それを踏まえ、以下の4案が策定されました。
案1)条例定数は24か26とする。定数特例を適用し、初回の選挙に限り定数を30とし旧町単位に選挙区を設ける。定数配分は志布志15・有明10・松山5。
案2)条例定数は24か26とする。定数特例を適用し、初回の選挙に限り定数を32とし旧町単位に選挙区を設ける。定数配分は志布志16・有明11・松山5。
案3)4ヶ月の在任特例適用。特例終了後の定数は24か26とし、初回の選挙に限り、旧町単位に選挙区を設ける。定数配分は志布志13・有明8・松山3
または志布志14・有明9・松山3。在任特例期間中の議員報酬は志布志町の例に統一。
案4)6ヶ月の在任特例適用。特例終了後の定数は24か26とし、初回の選挙に限り、旧町単位に選挙区を設ける。定数配分は志布志13・有明8・松山3
または志布志14・有明9・松山3。在任特例期間中の議員報酬は志布志町の例に統一。
小委員会は案1と案3を念頭に、各町議会での調整を依頼しました。
その後志布志町議会が在任特例の主張を撤回し、案2支持に方針を転換したことから、定数特例を適用することまでは合意できました。焦点は定数特例の
定数・定数配分の方法・条例定数(特例終了後の定数)に絞られました。しかし、松山町議会が3人の均等割を求めたこともあり、再び4案が作られました。
案A)条例定数は26とする。定数特例を適用し、初回の選挙に限り定数を30とし旧町単位に選挙区を設ける。定数配分は志布志15・有明10・松山5(各町に
2ずつ均等割し、残りを人口比例配分)。
案B)条例定数は26とする。定数特例を適用し、初回の選挙に限り定数を32とし旧町単位に選挙区を設ける。定数配分は志布志16・有明11・松山5(各町に
2ずつ均等割し、残りを人口比例配分)。
案C)条例定数は24とする。定数特例を適用し、初回の選挙に限り定数を32とし旧町単位に選挙区を設ける。定数配分は志布志16・有明11・松山5(各町に
2ずつ均等割し、残りを人口比例配分)。
案D)条例定数は24とする。定数特例を適用し、初回の選挙に限り定数を32とし旧町単位に選挙区を設ける。定数配分は志布志15・有明11・松山6(各町に
3ずつ均等割し、残りを人口比例配分)。
有明町議会と松山町議会は案Dでまとまりましたが、志布志町議会は案Dでは1票の格差が大きすぎるとして案Dには反対します。「採決で案Dに決定すべき」
とする意見と「案Cと案Dの両論併記で協議会に報告すべき」という意見が交錯し、全会一致の結論が得られなかったため、「多数意見の案Dを小委員会の結論
とするが、志布志町議会や一部民間委員に案Cと案Dの両案を協議会で議論すべきという反対意見があったことも付記する」ことでまとめ、協議会に報告され
ました。
協議会は、「協議会委員の意見を踏まえた上で、小委員会で再協議してほしい」として、小委員会に差し戻すことを決めました。協議会委員の意見としては、
「まずは議会で合併の議決が得られるような結論にすべき」「在任特例の方がよかったのではないか」「総定数を増やして3町の議会の主張する定数を満たせ
ばよいのではないか」といったものがありました。
そこで3町の議会間で調整が行われましたが、一本化するには至りませんでした。開催された小委員会でも、議論が膠着したため、議会出身委員と民間委員で
分かれて議論が行われましたが、議会出身委員側は結論をまとめることができず、結局、前回の小委員会の結論を再度協議会に報告し、協議会の調整に
委ねることにしました。
事務局は、小委員会での多数意見をもとに、「条例定数は24とする。定数特例を適用し、初回の選挙に限り定数を32とし旧町単位に選挙区を設ける。定数
配分は志布志15・有明11・松山6(各町に3ずつ均等割し、残りを人口比例配分)とする」と提案しました。志布志町議会は、この提案に反対する姿勢を変え
ません。しかし委員からは決着を求める意見が相次ぎました。延々と議論した結果、民間委員が別室で協議し、その内容を尊重して協議を進めることにしま
した。
民間委員が協議した結果、「条例定数は24とする。定数特例を適用し、初回の選挙に限り定数を33とし旧町単位に選挙区を設ける。定数配分は
志布志16・有明11・松山6とする」という内容でまとまり、協議会に調整案として再提案されました。志布志町の定数を1増やしつつ、定数33で均等割3
とし残りを人口比例配分したときの定数配分にも一致するというものでした。協議会では異論無く再提案通りで承認されました。
05年1月にすべての協議を終了し、2月に合併協定書に調印しました。
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沖縄県 東風平町+具志頭村=八重瀬町 (新設合併、06年1月1日)
沖縄本島南部・島尻郡の西部にある2町村が合併して1つの町になりました。
人口は、東風平町が約17000人、具志頭村が約8000人です。
03年1月、2町村と南風原町・大里村は任意協議会を設置します。しかし南風原町は03年2月に那覇市・渡嘉敷村・座間味村・粟国村・渡名喜村・南大
東村・北大東村との8市町村でも任意協議会を設置します。南風原町は、「那覇市を中心とする枠組み」・「南部4町村での枠組み」・「単独自立」の3つの選択肢
から選ぶという姿勢をとったのです。03年9月に南風原町は合併の是非と枠組みを問う住民アンケートを実施しました。結果は以下の通りでした。
<合併の是非> 合併は必要 52.0% 合併は必要ない 21.8% わからない 24.2% (無回答 2.0%)
<合併の枠組み> 南部4町村(南風原・東風平・具志頭・大里) 50.2% 那覇市など8市町村 47.3% (無回答 2.5%)
以上の結果を受けて、南風原町は南部4町村での合併協議推進を決断します。
03年11月、東風平町・南風原町・具志頭村・大里村の4町村は法定協議会を設置します。
合併の方式については、異論無く新設合併に決まりました。
新市役所の位置については、「当分の間、南風原町役場を本庁舎とし、他3町村の役場は分庁方式で有効活用していく」と提案されました。「当分の間」は10年
程度を想定しています。協議会では「いきなり分庁方式だと不便になる。総合支所方式の方がいい」という意見も出ましたが、事務局から「分庁方式でも総合窓口
は置くので住民サービスの面では問題ない」と説明されました。しかし分庁方式のイメージが委員の間で一致せず、最終的に、「当分の間、南風原町役場を本庁
舎とし、他3町村の役場は支所方式で有効活用していく」という文言に修正の上、承認されました。
具体的な組織機構のあり方については、小委員会で議論されることになりました。
議員の任期の扱いについては、各議会と調整を図りつつ検討を進めることにしました。
新市の名称については、全国公募を実施しました。全国の既存の市町村名は4市町村の名称も含め、選定段階ですべて除外することにしています。
小委員会は公募結果を踏まえ、以下の6候補を協議会に報告しました。
「島尻」「沖南」「翔南」「琉南」「かりゆし」「琉星」
ここまで協議が進んだ04年8月、南風原町長は町議会特別委員会で合併協議からの離脱を示唆しました。理由としては、「新市建設計画における主要
事業の考え方の乖離と町民の反発」と「事務事業の調整における町職員からの不満(合併に対する姿勢や、人事・財政に対する考え方の差異など)を挙げてい
ます。
新市建設計画をめぐっては、東風平町が推進する謝花昇記念会館の建設計画(資料館と市民ホールの併設)に対し、他3町が反発していました。特に南風原
町民からは「駆け込み事業」との批判が出ていました。資料館と市民ホールの分離建設の案(反対が少ない資料館を分離)も浮上しますが、東風平町が拒否
し、新市建設計画の策定は難航していました。
また 04年4月に職員組合が実施したアンケートで、町職員の87%が「(他町村は)税収が少ない中、大型事業を行おうとしている」「将来を考えない事業展開
だ」などとして4町村の合併に反対していました。事務事業の調整の過程でも、南風原町職員は「財政の裏づけの無いまま、住民サービスの向上や4町村の
これまでのすべて事業の継続を想定している」と感じていたようです。
同月に開催された法定協議会でも、南風原町長からこの考えが示されました。東風平町長は「市民ホール併設でないと資料館も一過性の箱物に終わってしま
う」として、分離建設案を拒否した理由を述べましたが、南風原町の姿勢は変わりませんでした。東風平町長も持論を撤回することはありませんでした。
04年9月に南風原町は正式に離脱を申し入れ、4町村の法定協議会は解散してしまいます。
具志頭村が実施した住民説明会でのアンケートでは、東風平町・大里村との3町村合併支持が多数を占めますが、大里村は南風原町との2町村合併を検討して
いました。結局、04年11月、東風平町と具志頭村は2町村で法定協議会を設置します。
合併の方式は、異論無く新設合併に決まりました。
新町役場の位置については、「当分の間、具志頭村役場を本庁舎とし、東風平町役場は支所機能を有する分庁とする」と提案されました。新庁舎建設
までの一時的な措置という位置づけです。法定協議会設置前に両町村の協議で合意していた事項だったため、特に異論は出ず、提案通りで承認されました。
議員の任期の扱いについては、「06年9月27日まで約9ヶ月の在任特例適用、特例終了後の定数は20(法定上限は26)とする」と提案されました。
06年9月27日は合併前の2町村議会の任期満了日にあたります。定数20は両町村議会の協議で出てきた数字でした。
協議会では「任期満了まで在任するというのは、住民の理解を得られないのではないか」などの意見もありましたが、結局原案通りで承認されました。
新町の名称については、全国公募を行いました。公募結果は以下の通り。
<公募結果上位>
1位 沖南(おきなん) 21件 2位 八重瀬 19件 3位 島尻 18件 4位 かりゆし 13件 5位 東風頭(こちかみ) 10件
5位 南央 10件
小委員会は以下の6候補を協議会に報告しました。
「あづみの」「向陽」「東風頭」「南央」「美邦(みくに)」「八重瀬」
「八重瀬」は両町村にまたがる八重瀬岳に由来します。
協議会では3回にわたり投票が行われました。まず6候補すべてに各委員が順位をつけ、1位1点・2位2点・・・とカウントし、点数が少ないもの上位3点に
絞り込みます。これにより、「向陽」「美邦」「八重瀬」の3つとなりました(票数は非公開、2回目の投票も同じ)。
続いて2回目の投票でも3候補すべてに各委員が順位をつけ、1回目と同じ方式で、点数が少ないもの上位2点に絞り込みます。その結果、「向陽」「八重瀬」
に絞られました。最後にこの2候補で3回目の投票が行われました。
<最終投票結果>
八重瀬 16 向陽 7
以上により、「八重瀬町」に決定しました。
05年2月にすべての協議を終了、3月に合併協定書に調印しました。
なお分庁方式の詳細については、その後の調整で以下の通りとなりました。
本庁舎(具志頭):三役・議会・総務課・企画財政課・住民課・税務課・社会福祉課・児童家庭課・国保年金課
分庁舎(東風平):経済課・田園都市課・建設課・農業土木課・教育委員会(一部除く)・農業委員会・住民窓口
その他出先機関:環境保健課・区画整理課・教育委員会の一部
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沖縄県 大里村+佐敷町+玉城村+知念村=南城市 (新設合併、06年1月1日)
沖縄県那覇市の南に広がる半島部の東に位置する4町村が合併し、新しい市となりました。
人口は、大里村が約12000人、佐敷町と玉城村が約11000人、知念村が約6000人です。
03年2月、佐敷町・玉城村・知念村は与那原町と4町村で任意協議会を設置します。
03年6月、4町村は「4町村での合併の是非」「枠組みに加えたい自治体」について住民アンケートを実施しました。佐敷・知念・与那原の3町村では、合併賛成が
反対を上回りましたが、玉城村では合併反対が賛成を上回りました。また3町村も「分からない」という回答が合併賛成を上回るなど、4町村の合併に十分な支持
が得られているわけではありませんでした。「枠組みに加えたい自治体」には、4町村いずれも大里村がトップとなり、内陸部を巻き込んだ広域合併への期待が
強く出る結果となりました。
しかし大里村など西部地区は、03年11月に南風原・東風平・具志頭・大里の4町村で法定協議会を設置してしまい、東部4町村は枠組み拡大の機を逸します。
03年12月、佐敷町・玉城村・知念村・与那原町の4町村で法定協議会を設置します。
合併の方式は新設合併に決まりました。
議員の任期の扱いについては、当初1年6ヶ月の在任特例適用という案が示されましたが、在任期間が長すぎるなどとして継続審議が続きました。しかし多数決
で当初案通り、約1年6ヶ月(06年9月27日まで)の在任特例適用が決まりました。特例終了後の定数は24(法定上限は26)となりました。
新市の名称については全国公募が行われました。公募結果は以下の通り。
<公募結果上位>
1位 琉球 2位 島尻 3位 東陽 4位 ニライカナイ 5位 知念 6位 東海 7位 東島尻 8位 東方
以上の結果を踏まえ、小委員会は以下の4候補を選定しました。
「東方(あがりかた)」「東海(あがりみ)」「朝陽(ちょうよう)」「琉球」
協議会では、最終的に「東方」と「琉球」の2候補に絞り、投票にかけました。
<投票結果>
東方 23 琉球 10
以上により、「東方市」に決まりました。
新市役所の位置については、まず事務局から以下の通り提案されました。
1)新庁舎は合併後、庁舎建設検討委員会等を設置し、住民の意向を十分に踏まえた上で、早急に位置の選定・建設計画を策定し、合併特例(債活用)期間
内に建設する。
2)当分の間、本庁舎は玉城村役場とする。
3)分庁方式を採用する。
しかし与那原町の一部の反対もあって合意に至らず、04年9月、小委員会を設置して再検討することになりました。
小委員会では、分庁方式の採用については異論はありませんでした。当分の間の本庁舎については与那原町が原案に反対しましたが、最終的に投票に
かけられ、玉城村役場とする原案通りで意見集約されました(この2点については04年11月の協議会で原案通り可決)。
新庁舎の建設については、原案を支持する意見と、合併前の位置決定を求める意見が交錯して結論に至りませんでした。
与那原町は、せめて新庁舎は与那原町に置いてほしいという意向でした。与那原町は市街地臨海部に「東浜」という埋立地を持っており、そこに新庁舎が来る
ことを望んでいました。しかし与那原町も市域の北に偏しており、4町村からの利便性という面では劣る部分もあります。
04年11月、佐敷町・玉城村から「新庁舎は4町村の地理的中心地である佐敷町とし、(位置を)合併前に決定する」との修正案が協議会に出されました。合併後
新庁舎の位置をめぐって旧町村間の対立が拡大しかねないという懸念からの修正提案と思われます。与那原町は原案を支持し修正案に反対しましたが、他町
村はこれを受け入れず、04年12月の協議会に以下の内容で再提案します。
1)新庁舎は4町村住民の利便性を考慮して4町村の地理的中心地域に建設する。なお、建設にあたっては庁舎建設検討委員会等を設置し、合併特例
(債活用)期間内に行うものとする。
この議案の採決がなされる際、与那原町長は「与那原町委員の総意として合併協議会へ解散を求め、採決には加わらない」と述べ、与那原町委員
は退席しました。与那原町抜きで採決が行われ、修正案通り可決されました。
与那原町長は解散を求めた理由について、「佐敷町長・玉城村長という首長が、自ら協議会に提案した原案に反対し、修正案を提案するのはおかしい」とし、
信頼関係が崩れたとしています。
この事態を受けて、04年12月、佐敷町・玉城村・知念村・与那原町の4町村の法定協議会は解散します。
一方の大里村は、前項に記載の通り、南風原町・東風平町・具志頭村との4町村で法定協議会を設置していましたが、04年9月に解散してしまいます。
大里村は04年11月に南風原町に2町村での合併協議を申し入れますが、南風原町は合併特例法期限内の合併には慎重で、別の枠組みを検討せざるを得な
くなります。そこに佐敷町・玉城村・知念村・与那原町の法定協議会解散という事態が起こります。大里村は方針を転換し、佐敷町・玉城村・知念村との合併に
向けて動き出します。佐敷町・玉城村・知念村は、もともと大里村との合併を望んでいたこともあり、大里村を喜んで迎え入れます。
05年1月、大里村・佐敷町・玉城村・知念村の4町村は任意協議会を設置します。
合併の方式を新設合併とすることは、任意協議会で異論無く承認されました。
新市役所の位置については、以下のように提案されました。04年12月に与那原町など4町村の旧法定協議会に再提案されたのと同内容です。
1)新庁舎は4町村住民の利便性を考慮して4町村の地理的中心地域に建設する。なお、建設にあたっては庁舎建設検討委員会等を設置し、合併特例
(債活用)期間内に行うものとする。
2)当分の間、本庁舎は玉城村役場とする。
3)4町村の庁舎は分庁舎とする。ただし窓口業務については継続する。
庁舎の新しさでは大里村役場が優位なのですが、付随する多目的ホールを含めた延床面積では玉城村役場が優位となります。協議会では異論無く承認され
ました。
議員の任期の扱いについては、「06年9月27日までの在任特例適用。特例終了後の定数は22(法定上限は26)」と提案されました。在任期間は合併
前の4町村議の任期満了と合わせています。与那原町など4町村の旧法定協議会の結論に比し、在任期間の満了日は同じですが、特例終了後の定数は
人口がやや減ったことも考慮し2減としています。協議会では、在任特例適用について疑問視する意見も出ましたが、提案通りで承認されました。
なお在任期間の議員報酬は、合併前の報酬をもとに調整することになりました。
新市の名称については任意協議会でも審議され、知念村の委員から、大里村は琉球時代の「東方4間切り」にあたるので与那原町との4町村の法定協議会で
決まった「東方市」でよいのではないか、という意見が出されました。しかし改めて公募すべきとする意見も多く、全国公募を実施することに決まりました。
なお旧4町村の名称は、旧町村域の地名として残ることになりました。
ここまで協議が進んだ05年2月28日、4町村は法定協議会を設置しました。
法定協議会では任意協議会の決定をすべて追認しました。
新市の名称の公募結果は、以下の通りとなりました。
<公募結果上位>
1位 琉球 53件 2位 東城(あがりぐすく) 30件 2位 城(ぐすく) 30件 4位 東方(あがりかた) 27件 5位 南城(なんじょう) 24件
6位 東陽 23件 7位 ニライカナイ 21件
小委員会は以下の4候補を選定し、協議会に報告しました。
「東方(あがりかた)」「島添(しまぞえ)」「東城(とうじょう)」「南城」
この地域には古城(ぐすく)が多く、城を用いた名称が目立ちます。
協議会では投票で決することになりました。
<第1回投票結果>
南城 16 東方 11 東城 4 島添 1
さらに上位2点で投票が行われました。
<最終投票結果>
南城 18 東方 14
以上により「南城市」に決定しました。
05年3月22日の第2回法定協議会ですべての協議を終了。3月23日に合併協定書に調印し、3月28日に4町村議会が合併関連議案を可決して、期限内に
すべり込みました。
各分庁舎への機能配分については、その後の調整で以下の通りとなりました。
玉城庁舎(本庁舎):三役・議会・総務企画部(一部は旧佐敷の文化センターに配置)
佐敷庁舎:教育委員会(教育部)・上下水道部
知念庁舎:産業建設部・農業委員会
大里庁舎:市民福祉部
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