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北海道 伊達市+大滝村=伊達市 (編入合併、06年3月1日)
北海道・胆振支庁の西部にある伊達市が、市域の北東にある大滝村を編入しました。伊達市と大滝村の間には壮瞥町があり、「飛び地合併」となっています。
人口は、伊達市が約36000人、大滝村が約2000人です。
02年7月頃から伊達市・壮瞥町・大滝村・豊浦町・虻田町・洞爺村の6市町村は合併に向けた検討を行ってきました。02年11月からは6市町村の首長間の
協議も行われていましたが、なかなか枠組み確定には至りませんでした。
03年7月、伊達市・壮瞥町・大滝村の3市町村は任意協議会の設立に合意し、3市町村の枠組みで任意協議会を設置しました。任意協議会の設置に当たって
は、02年9月に壮瞥町が発表した「合併協議基本3原則」(対等合併、独自性・自主性の保障、広域的な合併構想)を最大限尊重すること、合併の方向性が
確認されるまでは「合併ありき」の議論をしないこと、当初参加しない他市町村にも門戸を開いておくこと、などが申し合わされました。
03年10月には伊達市・壮瞥町・大滝村の3市町村で法定協議会を設置します。
合併の方式は異論なく新設合併に決まりました。
新市役所の位置については、小委員会で審議された結果、異論なく伊達市役所とすることで意見集約され、協議会に報告されました。協議会でも異論なく
小委員会報告通りで承認されました。
庁舎の方式については、総合支所方式を基本としつつ、支所は一部分庁機能を併せ持つことで承認されました。
議員の任期の扱いについても、小委員会で議論が行われました。まず定数については、各市町村議会は法定上限の26を主張し、民間委員も一部に24への
削減を求める意見があったものの、大勢は26を支持。条例定数については26とし、一体性が図られた時点で定数削減を検討すべきという付帯意見を付ける
ことで意見集約されました。
在任特例の適用については、3市町村議会会が適用を主張。民間委員は適用に否定的な意見が多いという状況で、議会側と民間委員とで議論は平行線をたど
りました。最終的に民間委員側から「07年4月30日までの1年2ヶ月間在任特例を適用する(伊達市・壮瞥町の任期満了に合わせる、大滝村のみ旧村議の任期
より短縮)」という調整案が示され、3市町村議会も了承。民間委員も大半は了承し、「07年4月30日までの在任特例」で意見集約されました。
選挙区の設置については、「合併協議基本3原則」で選挙区の設置がうたわれていることから異論は出なかったものの、一定期間に限るべきとの意見が多数を
占めました。各選挙区の定数配分については、壮瞥町と大滝村の議会側から伊達16・壮瞥6・大滝4という配分が示されましたが、1票の格差が4.18倍に及ぶ
ため、伊達市議会側からは「違法性の無い配分にすべき(格差3倍以内)」との意見が出ました。事務局は「伊達16・壮瞥6・大滝4の配分は、公職選挙法15条
8項但書の規定(地域間の均衡を考慮)では違法とされると思われるが、公職選挙法施行令9条では違法とされない(ただし初回選挙に限られる)と思われる」と
説明しました。
小委員会の意見は、大滝村議会の主張する「伊達16・壮瞥6・大滝4で設置は1回限り」・「伊達18・壮瞥5・大滝3(格差は2.79倍)で複数回設置」・「伊達18
・壮瞥5・大滝3で設置は1回限り」の3つに集約されてきました。
最終的に、3市町村議会は「格差は3倍以内にすること」「複数回設置を協議会では決定しないこと」「在任期間の報酬は旧市町村の報酬を引き継ぐこと」では
意見が一致しましたが、伊達市と壮瞥町は2回目以降の選挙区設置については設置を視野に合併後の議会に委ねるとしたのに対し、大滝村は「選挙区設置は
1回限り」を強く主張しました。最終的に2回目の選挙の選挙区設置の是非と定数は合併後の議会に委ねることで決着し、以下の通り協議会に報告しました。
・07年4月30日までの在任特例適用。
・特例終了後の最初の選挙の定数は26(法定上限)とする。ただし、新市の一体化が醸成された時点においては、定数削減の方向で検討する。
・旧市町村単位に選挙区を設置し、定数は伊達18・壮瞥5・大滝3とする。ただし、2回目以降の選挙における選挙区の設置及び選挙区の定数については、
新市の一体化の状況や人口動向等を勘案の上、当該選挙の実施前までに定める。
・在任期間中の報酬は、旧市町村の報酬を引き継ぐ。
協議会では異論なく、小委員会報告通りで承認されました。
新市の名称についても、小委員会で議論されました。「合併協議基本3原則」に「旧名にはこだわらない」と規定されていること、将来の更なる広域合併にふさ
わしい名称とすべきことなどから、まず3市町村の名称を使用しない(3市町村の名称を含むものも使用しない)ことが決まりました。これを踏まえて住民を対象
に公募を実施しました。結果は以下の通り。
<公募結果上位>
1位 洞爺 165件 2位 有珠 151件 3位 北湘南 89件 4位 湘南 43件 5位 長流(おさる) 41件
「湘南」関係の名称が上位にありますが、これは伊達市が比較的温和な気候であることから「北の湘南」と呼ばれていることに由来します。
小委員会は公募結果を踏まえ、以下の7候補(表記の違いを入れると11点)を協議会に報告しました。
「洞爺・とうや」「西いぶり・西胆振」「有珠・うす」「北斗」「内浦」「北湘南」「長流川・おさるがわ」
協議会は、まず協議会委員が1人2点以内で7候補11点から選定した結果を発表しました。
1位 洞爺・とうや 22(洞爺14・とうや8) 2位 北湘南 7 3位 有珠・うす 6(有珠5・うす1) 3位 北斗 6
5位 西いぶり・西胆振 5(西いぶり4・西胆振1) 6位 内浦 2 7位 長流川・おさるがわ 1(おさるがわ1)
協議会ではいったん3候補に絞るつもりでしたが意見がまとまらず、継続審議とした上で7候補(11点)から新名称1点を一気に絞ることにしました。
地域自治についても小委員会で議論されました。伊達市議会は設置するとしても地域審議会で足りるとの姿勢でしたが、地域審議会ではなく地域自治組織
を設置すべきとする意見が大勢を占めました。法人格については、屋上屋を架すことになるとの意見や、必要性が見当たらないとする意見が出て、必要ない
として合併特例法に基づく地域自治区を設置する方針が固まりました。地域自治区の名称は「伊達区」「壮瞥区」「大滝区」としました。また各地域自治区に
地域自治区振興基金(仮称、旧市町村の持っていた特定目的基金の一部を充当)・自治区交付金(仮称)を置き、各地域自治区で企画・立案・予算要求等を
行い、市長がそれに対し予算措置を行う枠組みも提案され、承認されました。
特別職の区長の設置については、地域の自主性を尊重すべきとして設置を求める意見と、一体感の醸成の障害になることの懸念や地域と市長の距離ができる
ことへの懸念から設置を不要とする意見に分かれていました。最終的に伊達市議会は「3つの地域自治区とも区長を置くべきでない」とする意見を主張しました
が、他の委員は「伊達には置かないが、壮瞥・大滝には特別職の区長を置く」とする案を支持する意見が大勢となりました。
伊達市議会はこの状況を持ち帰り改めて検討した結果、「伊達・壮瞥・大滝とも特別職の区長を置く」ことで一致し、小委員会に報告しましたが、他の委員からは
「伊達には置く必要は無い」という意見が出て、最終的に「壮瞥・大滝の地域自治区には合併後4年間特別職の区長を置く」ことで一致しました。
協議会に以上の内容が報告されました。
協議会では、区長の設置期間を4年としたことに、壮瞥町の委員から異論が相次ぎました。4年経過後には、仮に地域自治区が残るとしても、壮瞥を代表する
人間がいなくなるとの不安が噴出したのです。協議会はいったん継続審議とし、首長間で調整を行うこととしました。
しかし首長間の協議で、壮瞥町と伊達市・大滝村との間の考え方の違いが表面化し、溝が埋まらなくなってしまいます。壮瞥町は地域自治区の設置関係
のみならず、これまでの協議結果についても法定協議会の審議が不十分であり、さらに時間をかけて審議すべきとの意向を示しましたが、伊達市・大滝村は
合併特例法の期限内に合併手続きを終えるべきであり、既に十分審議も尽くしたという姿勢でした。
04年12月、3市町村の首長は、伊達市・壮瞥町・大滝村の3市町村の法定協議会を廃止することで合意した旨、発表しました(正式解散は05年3月)。
04年12月、伊達市と大滝村は2市村での飛び地合併を進めることで合意します。「合併の方式は編入合併とするが、対等に協議すること」・「1市1村の
枠組みになることで変更が必要なものを除き、3市町村の法定協議会での結論を引き継ぐことを基本とする」ことも併せて合意しています。
04年12月、伊達市と大滝村は法定協議会を設置します。
合併の方式(編入合併)・新市の名称(伊達市)については、2首長の合意通り提案され、異論なく承認されました。
新市役所の位置については、3市町村の法定協議会の結論を引き継ぎ、伊達市役所とすることが提案され、異論なく承認されました。
庁舎の方式については、3市町村の法定協議会の結論を引き継ぎ、総合支所方式を基本としつつ、支所は一部分庁機能を併せ持つことが提案され、異論
なく承認されました。
議員の任期の扱いについては、「合併時に在任特例を適用(旧大滝村議の9人が在任)する」「任期満了(07年4月)時の選挙における定数は22(法
定上限は26、合併前の伊達市議の定数は22)とし、その選挙に限り旧市町村単位に選挙区を設け、定数は伊達18・大滝4とする」と提案されました。
選挙区設置を1回限りとしたため、1票の格差(3.71倍となる)は法的には問題とならず、大滝村の主張していた4名を割り当てています。
協議会では伊達市議会の委員から、議会の少数意見として「格差は3倍以内とすべき」との意見があったことが報告されましたが、全会一致で提案通り承認
されました。
地域自治については、旧大滝村の区域に、合併特例法に基づく地域自治区を10年間設置すること、地域自治区の名称(住所に冠する)は「大滝区」
とし、特別職の区長は設置しない(その代わり地域担当助役を置く)ことが提案されました。伊達市については、地方自治法に基づく地域自治区の設置を
検討し、合併特例法に基づく地域自治区は設置しないこととしました。「自治区振興基金(仮称で地域自治区振興基金としていたもの)」や「自治区の自主的活動
などに対する財政措置(仮称で自治区交付金としていたもの)」については、3市町村の協議結果通りとすることも併せて提案されています。
協議会では異論なく提案通りで承認されました。
05年1月にすべての協議を終了、2月に合併協定書に調印しました。
大滝支所(旧大滝村役場)には総合支所機能のほか、本庁機能の地域振興部としてまちおこし課(特産品・観光など地域振興)・みどり自然課(林務・自然保全)
が置かれています。
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北海道 門別町+日高町=日高町 (新設合併、06年3月1日)
日高支庁の海沿いに位置する門別町と、山あいに位置する日高町が「飛び地合併」して、1つの町になりました。
人口は、門別町が約13000人、日高町が約2000人です。
03年1月、門別町・日高町は、穂別町・平取町と任意協議会を設置します。2月には鵡川町が加入し、枠組みは5町となりました。
しかし03年10月、鵡川町はこの枠組みから離脱します。03年12月、鵡川町と穂別町は、厚真町・早来町・追分町と5町で任意協議会を設置します。
04年1月に平取町は、穂別町と日高町に3町での合併協議を持ちかけますが、04年2月に穂別町はこれを拒否し、門別町・日高町・平取町と設置していた
任意協議会から離脱を表明します(3月に正式に離脱)。
平取町は、日高町との2町合併を検討しますが、日高町は04年8月に実施した住民投票で「門別町・平取町との3町合併」が過半数となったことを受け、
3町合併を主張。門別町は日高町との2町合併も視野に入れており、3町の思惑はすれ違います。
結局04年9月に平取町も合併協議からの離脱を表明。残された門別・日高の2町は、2町での「飛び地合併」をめざすことになります。
04年11月、日高町議会はいったん賛成5・反対6で2町での法定協議会設置議案を否決しますが、再提出され、今度は賛成8・反対3で可決。門別町議会も
可決し、04年12月、2町は法定協議会を設置します。
合併の方式は新設合併に決まりました。
新町の名称については、公募は行わず、小委員会が候補を選定することになりました。小委員会は最終的に「日高」「日高門別」「門別」の3候補を協議会に
報告。協議会では、日高町の委員が「日高」を推す一方、門別町の委員は「門別」へのこだわりを説明しました。協議の結果、投票に持ち込まれました。
<投票結果>
日高 17 日高門別 9 門別 1
以上により過半数を占めた「日高町」に決定しました。
新町役場の位置は、本庁舎を門別町役場とし、日高町役場は総合支所としました。
議員の任期の扱いについては、「特例を適用せず、定数22(法定上限)で合併時に選挙を行う。初回と2回目の選挙は、旧町単位で選挙区を設け、
定数は門別16・日高6とする」と提案されました。協議会では、「定数22では住民の理解が得られない」とする意見もありましたが、最終的に日高町長が
「選挙区を設け、定数6を配分した門別町の配慮を受けるべき」と述べて、原案通り承認されました。
05年3月20日、日高町で門別町との合併の是非を問う住民投票が行われました。結果は、賛成69.9%・反対30.1%となり、賛成が多数を占めました。
3月22日に2町は合併協定書に調印。3月23日に2町議会が合併関連議案を可決し、申請期限に間に合いました。
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青森県 下田町+百石町=おいらせ町 (新設合併、06年3月1日)
青森県東部・三沢市の南に位置する2町が合併して、1つの町になりました。
人口は、下田町が約14000人、百石町が約10000人です。
当初は六戸町を含む3町の枠組みを検討していました。02年5月、六戸・下田・百石の3町は、「ASO(アクション・サンシャイン・おいらせ)三町合併研究協議会」
を設置し、合併について研究を始めます。合併研究協議会では、財政シュミレーションや将来ビジョンの策定などが行われています。03年8月に合併研究協議
会は03年内に法定協議会を設置する方針を固めますが、3町の議会が「行政が先走り過ぎ(合併研究協議会は行政側のみで構成)」と待ったをかけ、03年10月
に百石町、03年11月に下田町がそれぞれ住民アンケートで住民の意向を確認。いずれも合併賛成が過半数を占め、枠組みを問う設問でも3町の枠組み支持が
最多となりました。
04年2月に六戸町・下田町・百石町は法定協議会を設置します。
合併の方式については、小委員会で議論され、新設合併とし新自治体は市とすることで合意、協議会に提案されました。3町の枠組みでは人口は約3万4千
人であったため市となることが可能でした。協議会では異論なく承認されました。
新市の名称についても小委員会で議論され、まず3町の名称を使用せず新しい名称とすることを決定。3町が奥入瀬川流域にあること、奥入瀬渓流の知名度、
既に「アクション・サンシャイン・おいらせ(AS0)」が定着していることなどから、「おいらせ市」とし、3町全世帯に意向調査を行った上で、最終決定することで合意、
協議会に提案しました。協議会では「奥入瀬」という漢字表記でもいいのではないかという意見が出て、そのような意見が出たことを踏まえて意向調査を実施する
ことで承認されました。04年7月に意向調査が行われ、83.9%が「おいらせ市」を支持しました。「奥入瀬市」支持は9.1%にとどまり、その他の名称を挙げた
のは6.6%でした。これを受けて協議会に「おいらせ市」が提案され、異論なく承認されました。
新市役所の位置と庁舎の方式についても小委員会で議論され、地理的中心にある下田町役場を本庁舎とし、総合支所方式を採用することで合意、協議会
に提案されました。協議会では「行政の効率化の観点から、将来的には総合支所方式でなく本庁に集約すべきではないか」との意見も出ましたが、原案通りで
承認されました。
その後の調整で、分庁方式を併用することが決まり、以下の通りの配置を基本とすることが提案され、承認されました。
本庁舎(下田):三役・議会・総務課・まちづくり推進課・財政課・税務課・市民生活課・国保年金課
百石庁舎:生活福祉課・介護福祉課・健康推進課・農林水産課・商工観光課・農業委員会
六戸庁舎:都市整備建築課・下水道課・教育委員会
議員の任期の扱いについても小委員会で議論されました。3町議の任期はいずれも07年4月まで(下田は4月29日、六戸・百石は4月30日)あったため、
07年4月30日までの在任特例を適用(この時点の合併予定期日は06年3月31日)することについては意見集約がなされました。しかし、定数と選挙区設置の
是非については意見が分かれました。04年11月に開かれた小委員会でも、下田・百石の両町議会は「定数18(法定上限は26)で選挙区設置せず」、六戸町
議会は「定数24で、初回の選挙に限り旧町単位に選挙区を設け、各選挙区の定数は8ずつとする」を主張し、意見集約には至りませんでした。
六戸町議会の委員は「3町長で調整案を作ってもらい、それをもとに3町議会で検討」することを提案。3町長は「定数18、初回選挙に限り旧町単位に選挙区を
設け、各選挙区の定数は6ずつとする」という折衷案を策定し、3町議会に検討を求めました。しかし下田町議会は3町長の折衷案に反対する姿勢を示し、
調整がつかないまま12月に小委員会が開催され、この小委員会に六戸町議会議長は欠席しました。下田・百石の両町議会は六戸町議会議長の欠席に反発。
議論は尽くしたとして、小委員会は「定数18、選挙区設置せず」を賛成多数で承認しました。ただし協議会開催までに3町議会議長で話し合いをしてほしいとい
う要望は示しました。
一方04年12月に六戸町長も合併協議に異を唱えます。調整がつかず協議が先送りされていた「消防の広域事務組合」・「町立病院の扱い」について、特例法
の申請期限に固執し協議を急ぐようであれば離脱する意向を示唆したのです。消防に関しては六戸町は十和田地域、下田・百石両町は八戸地域に属しており
新市が八戸地域に属するのではないか、と六戸町は懸念していました。町立病院も六戸・百石の2町にあることから、百石病院に統合されるのでは、という不安
がありました。
また六戸町は合併特例債の利用にも批判的で、新市の財政計画の見直しを主張。それが受け入れられなければ、合併協議から離脱する意向を固めました。
こうした中、04年12月27日に法定協議会が開かれます。
議員の任期の扱いについては、小委員会の報告に沿い、「07年4月30日までの在任特例適用。特例終了後の定数は18、選挙区は設置しない」との
提案がなされました。六戸町議会議長は提案に反対し、退席。六戸町長も退席する中、採決が行われ、賛成多数で提案通り承認されました。
六戸町長は採決後いったん席に戻りますが、次に審議された農業委員会の任期の扱いについても、採決時に退席。新市建設計画の財政部分についても、
六戸町長・六戸町議会議長は合併特例債の利用に反対して退席、その中で採決され賛成多数で承認されました。
04年12月29日、六戸町議会は賛成12・反対3の賛成多数で法定協議会からの離脱案を可決。これを受けて、六戸町は合併協議からの離脱を
2町に申し入れます。
05年1月の協議会で六戸町の離脱が承認され、枠組みは2町になりました(正式な離脱は2月10日付)。
05年2月15日に2町としての実質的な協議が開始されます。既に消防の一部事務組合と、町立病院の扱い以外の項目については協議を終了していたため、
六戸町離脱により修正が必要な部分のほかは、3町の合併協議の結論を踏襲することにしました。
合併の方式については、六戸町離脱により市となることが不可能になったため、新設合併とし新自治体は町とすることが提案され、異論なく承認されました。
その後、主要項目について議事を非公開とし、意見交換が行われました。
新町の名称については、下田町議会の意見として「下田町」「おいらせ町」「奥入瀬町」が挙げられました。しかし協議会の多数意見は「おいらせ町」でした。
新町役場の位置については、下田町議会側から「本庁舎は下田町役場」との意見が出され、百石町議会議長も賛成しました。
議員の任期の扱いについては、下田町議会側から「07年4月30日までの在任特例適用。特例終了後の定数は16(法定上限は26)、選挙区は設置しない」
との意見が出されました。定数については近隣の同規模自治体とのバランスを見ての提案とのことです。
この意見交換を踏まえて、次回の協議会で継続審議されました。
新町の名称については、下田町議会側は「おいらせ町」、百石町議会側は「おいらせ町」または「奥入瀬町」を主張。民間委員にも「おいらせ町」・「奥入瀬町」の
両論がありました。全体としては「おいらせ町」が優勢でした。そこで協議会会長職務代理者である百石町長(会長の下田町長は病気のため欠席)が、3町の
合併協議の際の住民意向調査結果を踏まえ、「おいらせ町」を提案。全会一致で承認されました。
新町役場の位置については、下田町役場を本庁舎、百石町役場を分庁舎とし、総合的な行政窓口を設置することが異論なく承認されました。
議員の任期の扱いについては、百石町議会側も前回の意見交換で下田町議会側が示した案に賛同。「07年4月30日までの在任特例適用。特例終了後
の定数は16(法定上限は26)、選挙区は設置しない」ことで、異論なく承認されました。
05年3月14日にすべての協議を終了、3月25日に合併協定書に調印し、2町議会が合併関連議案を可決。特例法の申請期限に間に合わせました。
なお分庁方式による機能の配分は、以下の通りとなっています。
本庁舎(下田):三役・議会・総務課・企画課・財政課・税務課・町民課(総合窓口含む)・建設課・下水道課
分庁舎(百石):総合調整課(総合窓口含む)・環境保健課・介護福祉課・農林水産課・商工観光課・教育委員会・農業委員会
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山梨県 甲府市+中道町+上九一色村(北部)=甲府市 (編入合併、06年3月1日)
甲府市が市域の南にある中道町とその先にある上九一色村(北部)を編入しました。上九一色村は「分村合併」となっています。
人口は、甲府市が約19万4千人、中道町が約5500人、上九一色村(南部含む)が約1500人です。
中道町はもともと東八代郡の8町村(旧石和町・旧八代町・旧一宮町・旧御坂町・旧境川村・旧豊富村・芦川村・中道町)の枠組みでの合併を検討しており、01年
7月に8町村は合併研究会を設置しました。しかし01年12月に中道町で行われた合併に関する住民アンケートで「甲府市と中道町の合併」支持が「東八代郡8
町村での合併」支持を上回ったこともあり、02年3月に中道町は甲府市との合併を視野に入れることを表明。02年5月に、中道町と芦川村は8町村の枠組みから
離脱します(その後旧豊富村を除く5町村は旧春日居町を加えた6町村で04年10月12日に合併し笛吹市に。旧豊富村は紆余曲折を経て06年2月20日に旧田
富町・旧玉穂町と合併し中央市に)。
一方、上九一色村では南部地域(富士ヶ嶺・本栖・精進の3地区)については旧河口湖町などとの合併を視野に入れて検討を進めており、北部地域(梯・古関の
2地区)については、甲府市との合併をめざすことになりました。
02年5月、甲府市・中道町・芦川村・上九一色村(北部地域を念頭)は任意協議会を設置します。
02年10月、4市町村は法定協議会を設置します。
03年2月の第3回協議会までに、合併の方式は編入合併、新市の名称は甲府市、新市役所の位置は甲府市役所とすることが承認されました。
しかし03年4月の中道町長選で甲府市などとの合併見直しを掲げた候補が当選。協議は暗礁に乗り上げます。
03年5月、中道町長は他の3市村長に町民の意向を確認するまで協議を見合わせることを申し入れますが、中道町議会が甲府市などとの合併協議の継続を
求める決議を行うなどしたため、いったん4市町村は協議継続を確認します。
03年8月、中道町は甲府市などとの合併の是非を問う住民アンケートの結果を公表。「甲府市との合併協議は進めるべきではない」が45.2%を占め、「この
まま甲府市との合併協議を進める」の39.9%を上回りました(他に「よく分からない」13.9%など)。
この結果を受けて中道町長は町議会に対し、甲府市などとの法定協議会から離脱して東八代郡5町村+旧春日居町(後の笛吹市)との合併をめざす意向を
表明しますが、中道町議会は「この住民アンケートでは東八代郡など6町村との合併が支持されたことにはならない」として、合併協議の一時中断と、住民投票
などで枠組みについて民意を再確認することを求めます。
03年8月、4市町村の法定協議会は、中道町で民意の確認がなされるまでの間、協議を休止することを決定します。中道町の協議中断の申し入れに
対し、芦川村や上九一色村の委員からは反発する意見が出ましたが、既に首長会談で協議中断で合意していたこともあり、なんとか決定に持ち込みました。
03年11月、中道町で合併の枠組みを問う住民投票が行われます。結果は、「東八代地域(後に笛吹市となる6町村)との合併」が55.3%となり、
「甲府市などとの合併」の44.7%を上回りました。この結果を受け、中道町議会も甲府市などとの法定協議会からの離脱を了承。03年12月に開かれた
協議会で、中道町の離脱が承認されました(03年12月に中道町議会は法定協議会離脱案を可決)。
04年2月、中道町は東八代郡など6町村(後の笛吹市)に合併協議を申し入れますが、6町村側は自らの合併協議を先行させる意向で、中道町の中途加入
には難色を示しました。一方、中道町が抜けると飛び地となってしまう芦川村は、04年3月に協議会からの離脱を表明。上九一色村も、南部は富士河口湖
町(03年11月15日に旧河口湖町・旧勝山村・旧足和田村が合併)と、北部は甲府市・中道町・芦川村との合併をめざしていましたが、片方の枠組みが事実上
崩壊し、もともと南部地区も「富士河口湖」という町名に反対していた経緯もあって、全村の合併方針が流動化してきます。
04年4月、甲府市・中道町・芦川村・上九一色村の4市町村の法定協議会は解散を決定します(正式解散は6月末日付)。
04年6月、上九一色村は合併の枠組みを問う住民意向調査を実施します。結果は「全村で甲府市と合併」が過半数となり、わずかに「分村して甲府市・
富士河口湖町と合併」を上回ります。この結果を受けて、上九一色村は全村での甲府市との飛び地合併に舵を切ります。
一方、合併特例法期限内の合併を何としても実現させたい中道町長は、東八代地域との特例法期限内の合併が困難と知ると、一転して芦川村・豊富村
との3町村での合併(その後に笛吹市と合併)を検討し始めます。しかし芦川村や豊富村は乗り気ではなく、中道町議会も3町村合併には慎重な姿勢でした。
04年10月に笛吹市が成立し、中道町は芦川村とともに再度笛吹市に特例法期限内の合併に向け協議を求めますが、新市長就任後に検討するとの回答を
示されます。新市長就任後の04年11月にもさらに合併協議を申し入れますが、笛吹市は、旧合併特例法期限内(05年3月末までに合併申請)の合併は困難
との見解を示します。笛吹市は、合併の是非についてはまず地域審議会で旧町村の意見を聞いた上で判断したいとの意向でしたから、3月までの申請には到底
間に合わないという認識でした。中道町長はこれを受けて甲府市との合併を視野に入れる方針を示します。中道町議会は笛吹市との合併に固執し、笛吹市議
会に編入合併を想定して法定協議会設置を求めますが、笛吹市議会も特例法期限内の合併は困難と回答しました。
その後も町長と町議会の対立は続きますが、04年12月に行われた住民意向調査で、「特例法期限内に甲府市と合併」が59.4%となり「(特例法期限
にこだわず)笛吹市と合併」の40.6%を上回りました。これを受けて中道町の民意が確定。05年1月に中道町議会の特別委員会も甲府市との合併協議を了承
します(芦川村は特例法期限にこだわらず笛吹市と合併する道を選択。合併新法に基づき06年8月1日に笛吹市に編入)。
また甲府市と上九一色村全村との合併も、甲府市が上九一色村南部の意向が不明確であるとして慎重な姿勢を示し、暗礁に乗り上げていました。上九一色村
は民意を示す必要に迫られ、04年11月に甲府市との全村での合併の是非を問う住民投票を実施します。しかし結果は、賛成が46.6%にとどまり、
反対が53.4%と過半数を占めてしまいます。
05年1月、上九一色村議会は再び「北部は甲府市、南部は富士河口湖町(または鳴沢村)との合併」を推進する方針を決定します(その後鳴沢村は
合併協議を拒否、南部については富士河口湖町と法定協議会を設置=以下次項)。
05年1月、中道町と上九一色村は甲府市に合併協議を申し入れます。
05年2月、甲府市・中道町・上九一色村は再び法定協議会を設置します。
合併の方式(編入合併)・新市の名称(甲府市)・新市役所の位置(甲府市役所)については、異論なく承認されました。なお旧中道町役場は中道支所に
なりましたが、旧上九一色村役場は上九一色出張所となりました。
議員の任期の扱いについては、小委員会で議論されました。中道町は地方自治法に基づく増員選挙(定数4増)を求め、上九一色村は在任特例を希望しま
したが、結局甲府市議会は中道町の意見に同調。定数4増案で意見集約されました。協議会に「地方自治法第91条第5項の規定に基づき、定数を法定
上限(人口20万人以上)の38まで4増し、合併時に旧町村単位に選挙区を設け、中道3・上九一色(北部)1の増員選挙を行う。ただし05年10月の
国勢調査の結果により人口が20万人未満となった場合は、(法定上限が34となり増員できなくなるため)合併時に定数特例を適用し、中道1・上九一色(北部)
1の増員選挙を行う。任期満了時の選挙は甲府市全域で1選挙区とする(定数特例を適用しない)」と提案され、承認されました。
地方自治法91条5項は、「合併などにより、著しく人口の増減があつた市町村においては、議員の任期中でも、議員の定数を増減することができる」旨を定めて
います。これにより定数を増やした場合は公職選挙法111条3項・113条2項により、増員選挙を行うことが決められています(公職選挙法15条6項・同法施行
令8条により選挙区を設けることもできます)。この条文を活用することで合併特例法の定数特例を適用した場合に比し中道町の定数増を図っています(05年
1月11日に合併した秋田市などが前例)。なお05年国勢調査人口は確定値ベースで200,096人(速報値では200,097人)とわずかに20万人を上回りま
したので、旧中道町の定数は3となっています。
05年2月にすべての協議が終了、合併協定書に調印しました。
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山梨県 富士河口湖町+上九一色村(南部)=富士河口湖町 (編入合併、06年3月1日)
山梨県南部の富士河口湖町が、西に隣接する上九一色村の南部(富士ヶ嶺・本栖・精進の3地区)を編入しました。
人口は、富士河口湖町が約23500人、上九一色村(北部含む)が約1500人です。
02年3月、後に富士河口湖町となる旧河口湖町・旧勝山村・旧足和田村と上九一色村の4町村は任意協議会を設置します。
02年6月、4町村は法定協議会を設置します。この時点で既に、「北部は甲府市などと合併、南部は4町村で合併」という「分村合併」の方針が固まっていま
した。
4町村の法定協議会は、合併の方式を新設合併とし、合併の期日は03年11月15日(ただし上九一色村南部については、分村合併のため甲府市・中道町・芦川
村・上九一色村北部の合併の期日に合わせて合併)とすることを決めました。
新町の名称は、旧河口湖町・旧勝山村の推す「富士河口湖町」と旧足和田村・上九一色村が推す「ふじやま町」の争いになりましたが、結局「富士河口湖町」に
決定。
新町役場の位置は旧河口湖町役場とし、旧勝山村・旧足和田村・上九一色村(南部)に出張所を置く(上九一色村については主たる出張所・補助的出張所
の2箇所を設置)ことが決まりました。
議員の任期の扱いについては、05年10月15日までの在任特例適用、特例終了後の定数は26(法定上限)としました。
4町村の法定協議会は03年5月までにすべての協議を終了、合併協定書に調印します(4町村の合併協議経過は富士河口湖町の項も参照)。
03年11月15日、上九一色村を除く3町村が合併し、富士河口湖町が誕生します。
しかしその後上九一色村は、前項に記した通り、北部と甲府市など4市町村の合併協議が行き詰まり、また上九一色村内部にも南部の富士河口湖町への編入
に慎重な意見があったことから、一時は甲府市との全村合併を検討するなど、迷走を続けます。
04年11月の住民投票やその後の鳴沢村の合併協議拒否を受け、05年1月、上九一色村は再び「北部は甲府市、南部は富士河口湖町との合併(分村
合併)」という方針を固めます。
05年1月、富士河口湖町と上九一色村は改めて法定協議会を設置します。
05年2月の第2回協議会で、合併の方式(編入合併)など多数の項目を承認。最後まで残った議員の任期の扱いと行政組織機構の扱いも、3月1日に開催
された第4回協議会で、以下のように決定しました。
<議員の任期の取り扱い>
地方自治法第91条第5項を適用し、合併時に上九一色村南部区域を選挙区とする増員選挙を行う。定数は2とする。任期満了時の選挙は、選挙区を
設けない。定数は諸般の事情により見直しをする。
富士河口湖町は05年2月4町村の法定協議会で決めていた在任特例(05年10月15日まで)終了後の定数(条例定数)26を条例改正により18に削減する方針
を決めていました(議会の議決は2町村の合併関連議案と同時期)。またここでも前項の甲府市・中道町・上九一色村(北部)の合併と同じく、地方自治法91条
5項を活用することにより、合併前の定数(削減後)18を法定上限(26)の範囲内で20まで増員した上で、編入した旧上九一色村南部区域に選挙区を設け、増員
分を配分しています。これで定数特例の場合は定数は1となってしまうところを、定数2としています。
<行政組織機構の取り扱い(抄)>
上九一色村南部区域の出張所は、地域の実情を考慮し、主たる出張所及び補助的出張所の2箇所とする。
上記は、富士河口湖町成立前の4町村の法定協議会の結論を踏襲したものです。上九一色村の富士ヶ嶺地区に主たる出張所(上九一色出張所)、本栖地区に
補助的出張所(精進出張所)が置かれることになりました(上九一色村役場は北部区域)。
3月3日に合併協定書に調印し、3月16日に両町村議会が合併議案を可決。25日に県に合併を申請しました。
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京都府 野田川町+加悦町+岩滝町=与謝野町 (新設合併、06年3月1日)
京都府北部・丹後半島の付け根にある3町が合併して、1つの町になりました。
人口は、野田川町が約11000人、加悦町が約8000人、岩滝町が約7000人です。
当初は宮津市・伊根町を含めた5市町での合併を検討していました。
02年10月、宮津市・伊根町・加悦町・岩滝町・野田川町の5市町は法定協議会を設置します。
合併の方式については、異論なく新設合併に決まりました。
議員の任期の扱いについては、小委員会で議論されました。小委員会では特例を適用すべきでないという意見が大勢でしたが、一部に在任特例を適用すべき
という意見もありました。小委員会で採決の結果、特例不適用が11名・在任特例適用が2名となり、まず「特例を適用せず、合併時に30人(法定上限)以内で
選挙」という方針が固まりました。定数については、合併後の人口が00年国勢調査でも5万人をわずかに上回るという状況のため、30人より削減すべきとする
意見もありましたが、大多数が30人を支持し、定数は30人とすることで意見集約されました。
上記を踏まえ、協議会に「特例は適用せず、合併時に定数30で選挙を行う」と提案され、採決の結果賛成44・反対2で承認されました。
選挙区の設置についても小委員会で議論され、伊根町の委員から「選挙区を設置すべき」という意見が出されましたが、大勢は選挙区設置は不要との見解で、
伊根町の委員も強くは主張せず、選挙区は設置しないことで合意しました。
新市の名称については、全国公募を実施すること、公募上位10点から協議会で選定することなどが決まり、公募が実施されました。なお5市町の名称も除外し
ていません。
<公募結果上位>
1位 天橋立(あまのはしだて) 508件 2位 天の橋立(あまのはしだて) 278件 3位 宮津 248件 4位 橋立(はしだて) 243件
5位 天橋立(あまのはしたて) 200件 6位 天の橋立(あまのはしたて) 181件 7位 橋立(はしたて) 135件 8位 与謝(よざ) 124件
9位 はしだて 89件 10位 北京都 61件
協議会で名称が選定される段取りでしたが、後述するように04年2月の協議会で合併協議が頓挫し、選定には至りませんでした。
新市役所の位置については、まずたたき台として「新庁舎建設(本庁方式を想定)」・「既存庁舎を活用(分庁方式を想定)」・「当面は既存庁舎を活用し、将来は
新庁舎建設を検討」の3つの選択肢が示されました。ここで問題となるのが、最も人口が多く庁舎の延床面積も広い宮津市役所が1962年竣工と老朽化している
ことでした。2番目に人口の多い野田川町の役場も本庁舎は同じく1962年竣工でした。加悦町役場は2002年竣工と最も新しく、岩滝町役場は1981年竣工で
した。
協議会では新庁舎建設の是非について財政の厳しさや庁舎の老朽化も絡んで両論が出ました。また「他の官公署の位置(宮津市に集中)にこだわるべきでは
ない」・「新庁舎建設の位置についても合併前に議論すべき」などの意見も出ました。議論の場は小委員会に移りました。
小委員会では、まず合併時については分庁方式を採用すべきとする意見が多数を占めました。新庁舎の建設是非については、建設に慎重な意見や「とりあえず
新市建設計画に盛り込んでおき、是非は合併後に検討」などの意見もありましたが、「合併後10年以内に建設すべき」とする意見が多数を占めました。
新庁舎の建設位置については、「具体的位置を示さず適地とすべき」とする意見と「明確に中心部とすべき」とする意見が分かれ、やや「中心部」が多いという状況
でした。新庁舎の規模については、新庁舎建設後に本庁方式とするのか、分庁方式を一部残すのかの思惑の違いもあって、規模は合併後に検討する方向と
なりました。合併後の当面の庁舎の位置については、宮津市役所を本庁舎とし、本庁機能を他の役場にも分散することで異論は出ませんでした。
上記の議論を踏まえ、小委員会にたたき台として以下の案が示されました。
「(本庁舎は)新庁舎建設までの間宮津市役所とし、本庁機能の一部を4町役場庁舎にも置き、5市町すべての庁舎に支所を置く。新庁舎は合併後10年以内に
新市の中心部に建設する」
しかし、このたたき台に小委員会で異論が噴出し、議論は逆戻りしてしまいます。
合併後の当面の庁舎の位置については、宮津市役所ではなく加悦町役場とすべきとする意見が出ました。これについては「加悦町役場では本庁機能を物理的
に収容不可能」との反論が出され、合併時に想定される本庁舎収容人数の試算なども出され、宮津市役所を合併時の本庁舎とすることは概ね合意が得られま
した。
新庁舎については、その規模について「新庁舎建設後も分庁方式とすべき」「新庁舎は総合庁舎とすべき(本庁方式をベースに一部分庁方式)」など両論が出た
ほか、建設位置の「中心部」については「地理的中心部」とすべきという意見、「距離的中心部」とすべきとする意見、「宮津与謝消防署(宮津市内の岩滝口駅近く)
から1〜2kmの範囲内」とすべきとする意見、「中心部」のみでよいとすべきとする意見など、様々な意見が出されました。
そこで新庁舎の扱いについて伊根町長から、「合併後10年以内に、新市の地理的な中心部に新たな場所を求めて建設する。この方針のもとに合併後に、分庁
方式・支所配置・住民サービスの状況について問題点を整理し、新庁舎建設に向けて検討委員会を設置する」という修正案が出されました。「新たな場所」という
表現で、宮津市役所の場所ではないことが明確になりました。この修正案には賛成意見が多く「合併後10年以内」を「合併後10年以内のできるだけ早い時期に」
と修正の上、再度提案がなされました。
しかし小委員会ではこの後も、「新庁舎の方式や位置を合併前に明確にすべき」という議論が出され、合併後に設置するという検討委員会が「庁舎の方式や位置を
議論する」ものなのか、「合併協議会で庁舎の方式やある程度の位置まで決めた上で、庁舎建設の準備を進める」ものなのか、不明確な状況が続きました。
背景には宮津市中心部の庁舎にある程度本庁機能を残したい宮津市側と、新庁舎に権限をできる限り集中させたい野田川町や岩滝町との対立がありました。
その後、「合併時の庁舎の方式を分庁方式から総合支所方式に修正する案」、「新庁舎の位置を宮津与謝消防署付近と明記し、方式も本庁集中方式と明確に
する案」など様々な案が出され、議論は紛糾しました。
このままでは収拾がつかないので、既に合意ができている部分を整理することにしました。
・新庁舎を建設する。
・建設時期は合併後10年以内のできるだけ早い時期とする。
・建設場所は新市の地理的な中心部に新たな場所を求める(地理的中心部は宮津与謝消防署付近をイメージ)。
・合併時(新庁舎建設まで)の本庁舎は宮津市役所とする。
さらに合併時の庁舎の方式についても、総合支所方式を提案していた委員が固執しない意向を示したため、分庁方式で合意ができました。
残る問題は、新庁舎の具体的な建設位置を明記するか、新庁舎建設後の庁舎の方式をどうするか、に絞られました。
市の周辺部となる伊根や加悦に支所を置くことは異論はなく、宮津市の人口集中地区に分庁機能を持たせるのか、本庁舎に集中させ、できる限り庁舎数を減らす
のかが実質的な争点でした。特に宮津市長は分庁機能にこだわりました。
首長間で調整が行われ、新たな修正案が示されました。しかし野田川町長はこの内容について全面的に同意しているわけではありませんでした。
「(本庁舎は)新庁舎建設までの間宮津市役所とし、本庁機能の一部を4町役場庁舎にも置き、5市町すべての庁舎に支所を置く。新庁舎は合併後10年以内の
できるだけ早い時期に新市の地理的な中心部に新たな場所を求めて建設する。新庁舎建設後の既存庁舎については、地域特性に配慮し、支所を含め有効適切
な利活用を図る」
なお、新庁舎の建設位置は明記しないものの、宮津与謝消防署から半径1km以内であることは共通認識と説明され、既存庁舎の利活用についても、分庁方式
は想定していないことが説明されました。
これに対し野田川町からは庁舎の位置や方式を明記すべきとして、首長調整案の後段について、「新庁舎は合併後10年以内のできるだけ早い時期に、宮津与謝
消防署付近に建設し、本庁方式とする。なお周辺部に最低限・最小の支所を設置することもできる」という対案を示しました。周辺部ということで、宮津市の中心部
には支所は置かないようなイメージになっています。
宮津市は最終的に首長調整案に同意。首長調整案と野田川町の案との2案が対立する構図になりました。
小委員会委員長はが調整にあたることになり、以下の調整案1〜3を順次策定しましたが、最終的に各市町の合意は得られませんでした。
(いずれも前段は首長調整案と共通)
<調整案1>新庁舎は合併後10年以内のできるだけ早い時期に、新市の地理的な中心部に新たな場所を求めて建設し、本庁方式とする。なお周辺部に最低限・
最小の支所を設置することもできる
<調整案2>新庁舎は本庁方式とし、合併後10年以内のできるだけ早い時期に、新市の地理的中心部(宮津与謝消防署から半径約1km以内)に新たな場所
を求めて建設する。周辺部に必要最小限の支所を設置する。
<調整案3>新庁舎(本庁)は、合併後10年以内のできるだけ早い時期に、新市の地理的中心部(宮津与謝消防署から半径約1km以内)に新たな場所を求めて
建設する。新庁舎建設後の既存庁舎については、地域特性に配慮し、支所を含め有効適切な利活用を図る。
新庁舎の建設位置をある程度明確にすることまでは概ね理解が得られた(ただし支所のあり方での合意が前提)のですが、支所のあり方について合意に至らな
かったのです。
小委員会委員長は、採決による決着を避けたいという思いから、小委員会では結論を出せないと判断。これまでの状況を協議会に報告することで了承を得ました。
04年2月の協議会で、小委員会のこれまでの状況が報告されました。
ここで野田川町長から、新市役所の位置で合意できない以上、5市町の合併協議は困難として協議会の解散を求める意向が表明されました。
これに対して他市町の委員からは協議の継続を求める意見が出ましたが、野田川町長は解散を求める姿勢を変えませんでした。
04年3月、野田川町長は正式に書面で法定協議会の解散を要請します。4月付の広報紙では協議会の解散を求める理由として「新市役所の位置について協議
が整わなかったこと」、「スケールメリットが得られないこと(福祉分野での与謝郡と宮津市とのサービス格差を埋めるには宮津市側を引き上げることになり、財政
支出が過大となる)」、「合併特例債がらみの事業が多く将来の財政が懸念されること」、「まちづくりの理念が違うこと(野田川町はハード事業より住民福祉の向上
を進めるが、それと異なる方針の自治体がある)」の4点を挙げました。
他市町にとってみると、まだ合併協議で結論が出ていない項目も多く、あまり納得のいくものではありませんでした。
04年5月に協議会はいったん再開され、府の市町村行政改革支援委員会から「1市4町の合併協議の継続」「支所は必要最小限にとどめるべきであるが、支所
の規模・機能については合併後の検討に委ねるべき」などの助言がありましたが、野田川町議会出身の委員から野田川町議会の過半数の議員の連名で、協議
会解散を求める要望書が読み上げられました。また宮津市長からは支所のあり方について「必要最低限」という文言を入れるところまでは譲歩可能であるとの
見解が示されました。
04年5月、正副会長(加悦町長・宮津市長)がまず野田川町長に協議への復帰を求め、さらに4市町の首長が揃って協議への復帰を求めましたが、野田川町
長は協議に戻らないという姿勢を変えませんでした。
04年6月の協議会で協議会会長から協議会を休止する意向が示されましたが、「野田川町の解散を求める理由がはっきりしない。町長が協議会で説明する
べき」、「(野田川町議会が協議会離脱を議決しておらず、)野田川町の意向がはっきりしていない」などの意見が出て、合意は得られませんでした。
その後、野田川町長に協議会での議論を説明しましたが、野田川町長は協議会に出席しない姿勢を変えず、町議会に離脱議案も提出しない意向を表明しま
した。
これを受けて、04年7月の協議会で、5市町の法定協議会の休止が決定しました。
04年9月に5市町の首長が集まり、新たな枠組みを模索すること、各首長が個別に協議することが確認されました。
この後、野田川町・加悦町・岩滝町は3町の枠組みに向けて動き出します。04年10月から3町長による会議がもたれ、11月に岩滝町で行われた住民アンケ
ート(1800人を無作為抽出)の枠組みを問う設問では3町の枠組み支持が57%となったほか、05年1月に加悦町で行われた住民アンケート(1800人を無
作為抽出)でも、合併を推進すべき(どちらかといえば推進すべきを含む)と答えた人の65%が3町の枠組みを支持(やむを得ないを含む)しました。
この間の04年12月に5市町は「宮津市・伊根町」「野田川町・加悦町・岩滝町」の2つの枠組みで協議を進めることで合意しています。
05年2月、野田川町・加悦町・岩滝町は法定協議会を設置します。合併特例法(旧法)の適用を受けるためには、2ヶ月で合併申請にこぎつける必要があり
ました。(宮津市と伊根町も法定協議会を設置しますが、05年3月の伊根町の住民投票で合併反対が多数を占め、法定協議会を休止。06年3月に解散。)
合併の方式については、異論なく新設合併に決まりました。
新町の名称については、3町の名称を候補から除外した全国公募が提案されました。しかし、野田川町の委員から「3町の名称も含めるべき」との意見が出て、
3町の名称も含めて全国公募することになりました。
<公募結果上位5点>
「加悦谷」「ちりめん」「野田川」「与謝」「与謝野」
この上位5点に「丹後ちりめん」「三郷」「よさの」を加えた8点が小委員会で選定され、協議会に報告されました。
協議会ではまず各委員が3点ずつ投票して上位3候補を選ぶことになりました。
<第1回投票結果>
与謝 12 与謝野 12 よさの 9 野田川 6 丹後ちりめん 6 三郷 4 ちりめん 2 加悦谷 0
以上より、「与謝」「与謝野」「よさの」の3点に絞られました。
さらにこの3点から1点を選ぶ投票が行われました。
<最終投票結果>
与謝野 14 与謝 5 よさの 4
以上により「与謝野町(よさのちょう)」に決定しました。
なお「与謝野」は、「郡名+野」ともとれますが、与謝野鉄幹の父の出身地であることから、観光につなげたいという意図もあるようです。
新町役場の位置については、「当面、既存施設を有効利用することを基本とする」という方針が提案されました。続いて小委員会に議論の場が移り、「岩滝町役場
を本庁舎とするが、加悦町役場に議会を置き、その他の本庁機能も分散させる。3庁舎に総合支所機能を置く」という「総合支所的な考え方のイメージ」が委員に
示されました。
もともと04年12月の時点で、岩滝町長は2町に対し、「岩滝町に本庁舎を置くべき」と主張していました。本庁を岩滝町に置くことが、実質的には、岩滝町が合併
協議に加わるための条件だと受け止められていました。「イメージ」はこの流れに沿ったものでした。
庁舎の方式についてはほどなく合意したものの、本庁の位置を岩滝町役場とするには根拠が必要でした。
岩滝町役場は、交通の利便性や宮津市への近さ、地域の中核施設(病院・養護学校など)への近さなどの面では優れているものの、加悦町役場に比し、築年数が
古く、延床面積や駐車場は狭いという欠点がありました。
しかし、延床面積や駐車場については本庁機能を分散するので問題にならないとしました。また築年数についても、バリアフリーの進んだ新しい加悦町役場には、
総務企画部門などではなく福祉部門や住民に密接した部門を置くべきだとし、耐震性についても1981年築で特段古い耐震基準に基づいているわけではないとして
問題なしとしました。
各議会もこれで了承し、結局当初提示した「イメージ」の通り、当面は「岩滝町役場を本庁舎とするが、加悦町役場に議会を置き、その他の本庁機能も分散させる。
3庁舎に総合支所機能を置く」ことで意見集約がなされました。
以上の経過を踏まえ、協議会に以下の通り提案されました。
・新町の事務所の位置(本庁舎)は岩滝町役場とし、加悦町役場・野田川町役場に支所を置く。
・2支所にも本庁機能の一部を置く。議会部門は加悦町役場に置く。
・本庁・支所に総合窓口を置く。
協議会では、加悦町議会の委員から、利便性など岩滝町役場を本庁に選定した理由は野田川町役場でもあてはまり、的を得たものではないという指摘がなされ
ました。また野田川町議会の委員からも、議会では「加悦町役場に本庁舎を置くべき」とする意見が多かったことが報告されました。上記のように岩滝町役場を
本庁舎とすることはいわば既定路線であって、根拠を積み上げて至った結論ではないので、攻められると弱いところもあります。
しかし加悦町も野田川町も、明確に反旗を翻すまでには至らず、結局原案通りで承認されました。
その後の調整で、各庁舎に以下の通り本庁機能が配分されました。
本庁舎(岩滝):三役・総務課・企画財政課・建設課・商工観光課
加悦庁舎:議会・福祉課・保健課・農林課・農業委員会・教育委員会
野田川庁舎:税務課・水道課・下水道課・住民環境課
議員の任期の扱いについては、「特例は適用せず、合併時に定数18(法定上限は26)で選挙を行う」ことが提案され、異論なく承認されました。
最後の最後で混乱したのは、水道料金でした。岩滝町が上水道で他の2町は簡易水道で、料金は岩滝町が基本料金の最低額が1200円と安く、他の2町は
高い(基準を合わせれば、野田川町が1500円、加悦町が1700円)という状況でした。
当初、3町とも合併時に基本料金を最低額1500円とする案が提案されましたが、岩滝町長が値上げ幅が高すぎると難色を示しました。これを受けて再調整
した結果、「岩滝町の上水道は基本料金最低額1350円、野田川・加悦の簡易水道は基本料金最低額1500円」という修正案が出されました。
これに対しては野田川町の委員から、「同一町内で水道料金が違う状態はよくない。いずれ岩滝町も値上げして統一すべきだ」との意見が出されました。
岩滝町長は、将来は統一する方向で考えるべきとしたものの、当座は1350円が限度という姿勢でした。
継続審議となりましたが、事態はますます悪化しました。野田川町議会・加悦町議会とも料金の統一を強く求めたのです。事務局は1350円に合わせることは、
財政的に困難と説明しました。
議論がこう着状態になってしまったため、財政計画を見直した上で1350円に統一するという収拾案が協議会会長(野田川町長)から出されました。しかし、
「今までの財政上の検討は何だったのか」ということになり、1500円に統一すべきだとする野田川・加悦両町議会の委員を勢いづかせる結果になってしまい
ました。
仕切り直しで修正案(上水道1350円、簡易水道1500円)でまとめようとしましたが、「異議あり」の声があり、結局採決に持ち込まれました。賛成多数で
ようやく修正案通りで決着しました。
05年3月21日の第7回協議会ですべての協議が終了。3月23日に合併協定書に調印し、3月29日までに各町議会で合併議案が可決され、何とか3月末の
申請期限に間に合いました。
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和歌山県 橋本市+高野口町=橋本市 (新設合併、06年3月1日)
和歌山県北東部の橋本市が、西に隣接する高野口町と合併し、1つの市になりました。
人口は、橋本市が約55000人、高野口町が約15000人です。
01年7月、高野口町・かつらぎ町・九度山町・高野町・旧花園村の5町村は合併問題研究会を設置します。
02年3月には橋本市を加えた6市町村の住民が、一斉に6市町村での法定協議会設置を求める住民発議を行います。これを受けて各市町村議会は法定協議会
設置議案を審議。02年5月に5町村議会が可決、遅れた橋本市議会も6月には可決し、法定協議会の設置が決まりました。
準備会を経て、02年10月に橋本市・かつらぎ町・高野口町・九度山町・高野町・旧花園村の6市町村で法定協議会が設置されます。
02年11月、かつらぎ町は合併の是非に関する住民アンケートを実施します。結果は以下の通り、合併に消極的な結果となりました。
<合併の是非>
合併を進める必要がある 13.6% どちらかというと必要がある 19.9% どちらかというと必要が無い 19.3% 必要が無い 23.6%
分からない・無回答 23.5%
<合併の枠組み(上位)>
橋本市など6市町村 37.1% 橋本市除く5町村 15.6% 高野口・九度山両町との3町 14.4% 高野口町との2町 8.8%
03年5月、橋本市でも合併の是非に関する住民アンケートが行われました。結果は以下の通り。
大いに賛成 8.4% どちらかというと賛成 15.7% 他の組み合わせなら賛成 4.1% どちらかというと反対 26.9% 絶対に反対 28.5%
わからない 14.5%
この枠組みでの合併に反対する意見が過半数の59.5%を占めた結果を受けて、03年6月、橋本市長は法定協議会からの離脱を表明します。
03年7月、橋本市など6市町村の法定協議会は解散します。
橋本市を除く5町村は法定協議会設置に向け動き出しますが、かつらぎ・九度山・高野・旧花園の4町村は法定協議会設置を議決したものの、高野口町は橋本市
との合併を目指す方針を決定し、5町村の枠組みへの不参加を表明します(その後、かつらぎ町・九度山町・高野町・旧花園村は法定協議会を設置しますが、
かつらぎ町・花園村はその後法定協議会から離脱し、2町村で法定協議会を設置。05年10月1日にかつらぎ町は花園村を編入します)。
03年7月、高野口町は橋本市に合併協議を申し入れ、8月に橋本市長も高野口町との2市町の合併協議を進める意向を表明します。
しかし03年12月、橋本市議会は高野口町との法定協議会設置議案を賛成8・反対9の反対多数で否決してしまいます。これに対し、橋本市長は辞職
して市民の信を問う意向を表明します。高野口町長も同様の考えを示しました。
橋本市議会の最大会派である新政クラブは、法定協議会設置に反対する立場から、辞職して再出馬する市長の対抗馬を擁立しようとします。ところが、候補に
擬せられていた人物が突然不出馬を表明、新政クラブからも離脱して法定協議会設置に賛成する意向を示しました。これで流れは変わり、市議会は法定協議
会設置に同意する空気が強まります。橋本市長・高野口町長はともに辞意を撤回。04年1月に2市町議会に法定協議会設置議案を提案し、今回はともに可決
(橋本市議会は賛成12・反対5)しました。
04年2月、橋本市と高野口町は法定協議会を設置します。
合併の方式(新設合併)・新市の名称(橋本市)については、異論なく承認されました。「高野口町」は旧町域の字名に冠することで地名として残ることになり
ました。
新市役所の位置については、橋本市役所とし、旧高野口町役場は合併後1年をめどに廃止する(廃止までの間は出張所とする)ことが提案されました。高野
口町の委員からは1年は短すぎるという意見が出たものの、もともと橋本市には支所や出張所が無いことから、高野口町だけを優遇できない事情がありました。
協議会は新市役所の位置を橋本市役所とすることについては承認し、高野口町役場の扱いは小委員会で議論することにしました。
小委員会で審議した結果、原案通りとしたものの、出張所廃止後の旧高野口町役場について新市建設計画策定において有効活用を検討すること、出張所廃止
後は証明書を発行する自動交付機を設置すること、の2点を要望することを付帯決議しました。自動交付機については既に橋本市北部の紀見地区にあり、均衡
を失さないという判断と思われます。
協議会では「自動交付機で対応できるのは一部に限られる。他の住民サービスについての対策が見えない」「1年はやはり短すぎる」など反対意見が出ました。
最終的に採決の結果、賛成多数で原案通り承認されました。
議員の任期の扱いについては、高野口町議会は在任特例の適用を主張しました。一方、民間委員や橋本市議会出身委員などからは在任特例に反対する
意見が出ました。定数については、橋本市議会出身委員から20〜24(法定上限は30、合併前の橋本市議の定数は18)という数字が出されました。
協議会では簡単には決着がつかないので、小委員会で議論することにしました。
小委員会でも在任特例の適用是非については意見が対立しましたが、徐々に1年間の在任特例を認める方向に傾いてきました。まず「1年の在任特例、特例
終了後の定数は20〜24、在任期間の議員報酬は合併前の報酬を引き継ぐ」という案が橋本市側から示されると、高野口町側から「07年4月29日(高野口町議
の任期満了日)までの在任特例適用。特例終了後の定数は30(法定上限)、ただし在任特例期間中に改めて定数については検討する。報酬は統一する」という
提案がなされました。これについて小委員会で審議したところ、定数を在任期間中に検討するのは市民の理解を得られない、などの意見が出て、高野口町側は
「07年4月29日までの在任特例適用。特例終了後の定数は26。報酬は統一する」との修正案を提示。定数はさらに削減すべきとの意見は出たものの、いった
んこの案を両議会に持ち帰ることにしました。
次の小委員会で持ち帰った結果を表明しましたが、橋本市議会は「在任特例を適用するなら定数20〜24、報酬は合併前の報酬を引き継ぐべき」、高野口町
議会は「07年4月29日までの在任特例適用。定数は26。報酬は統一」と、互いの立場を主張したにとどまりました。そこで小委員会では再度在任特例の適用
是非まで遡って検討することになり、「07年4月29日までの在任特例適用。特例終了後の定数は22、報酬は橋本市議の報酬に統一」、「特例を適用せず、
合併時に選挙を行う。定数は22とするが初回の選挙に限り26に増員する。報酬は橋本市議の現報酬とする」の2案を持ち帰ることにしました。また選挙区に
ついては設けないことで一致しました。
さらに検討した結果を持ち寄り、高野口町議会は「07年4月29日までの在任特例適用。特例終了後の定数は24」、橋本市議会は「07年4月29日までの在任
特例適用。特例終了後の定数は22。報酬は橋本市議の報酬に統一」との意向を表明。橋本市議の任期満了が07年4月30日であることから、在任期間は1日
延長してそれに合わせることにし、定数は高野口議会案の24で互いに持ち帰ることにしました。
この内容でようやく両議会が合意。「07年4月30日までの在任特例適用。特例終了後の定数は24。選挙区は設けない。在任期間の報酬は橋本市議
の報酬に統一する」という内容で協議会に報告・提案されました。協議会では報酬を高い方の橋本市議の報酬に合わせることには異論が出たものの、原案
通り承認されました。
04年12月にすべての協議を終了、05年2月に合併協定書に調印しました。
その後、高野口町では合併に反対する住民グループが町長の解職を請求。05年8月に住民投票が行われましたが、解職反対が53.2%となり、リコールは
成立しませんでした。
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和歌山県 白浜町+日置川町=白浜町 (新設合併、06年3月1日)
和歌山県南部・空港のある白浜町と隣接する日置川町が合併して1つの町になりました。
人口は、白浜町が約19500人、日置川町が約4500人です。
01年5月、旧田辺市・白浜町・日置川町・上富田町・すさみ町・旧龍神村・旧中辺路町・旧大塔村・旧南部町・旧南部川村の10市町村は、合併に向けて研究会を
設置します。
02年4月には任意協議会を設置。将来構想などについて議論が行われました。しかし6月の最後の任意協議会で、旧南部川村・旧南部町が法定協議会への不参
加を表明しました。旧南部町は直前の住民アンケートで「南部川村との合併」が「田辺市などとの合併」を大きく上回っていました。旧南部川村も梅などの農業振興
路線が軌道に乗りつつあり、旧南部町との2町村での小規模合併を志向しました。(2町村は11月に法定協議会を設置し、04年10月に合併。みなべ町に。)
また白浜町は02年5月の町長選挙で単独行政を主張した候補が当選したこともあって、6月の任意協議会では法定協議会参加について結論を保留しました。
白浜町は、もともと町内に田辺市との合併への慎重論が強く、前町長も一時田辺市を除いた枠組みでの合併を模索するなどしていました。揺れ動く白浜町の
決断を待つために、当初4月に予定していた法定協議会設置を、ここまで延ばした経緯があります。
他の7市町村は法定協議会参加を表明しました。
02年7月、旧田辺市・日置川町・上富田町・すさみ町・旧龍神村・旧中辺路町・旧大塔村の7市町村は法定協議会を設置します。白浜町は9月に態度を
明確にすることになっていました。一方、これまで合併協議に加わっていなかった旧本宮町が、この枠組みに参加する意向を表明、7月末に参加を申し入れます。
02年10月、旧本宮町が加入し、枠組みは8市町村になりました。白浜町は、9月に町議会は「合併の是非を見極めるため、法定協議会に参加すべき」との
結論を出したものの、町長が法定協議会不参加の意向を表明し、結局法定協議会への参加を見送りました。
合併の方式については、異論なく新設合併に決定しました。
新市役所の位置については、小委員会で議論されました。まず当面は現在の庁舎を有効活用することを前提に、国や県の出先機関が集中する田辺市役所とすべき
とする意見と、内陸部と沿岸部の交通の要衝となる上富田町役場を推す意見に分かれました。
03年2月、日置川町とすさみ町が法定協議会から離脱する意向を表明しました。すさみ町では、法定協議会を設置した頃から広域合併への慎重論が台頭。
02年11月末に住民アンケートを実施したところ、「白浜・日置川との3町合併」が68%、「田辺市などとの広域合併」が22%という結果になりました。これを受けて
すさみ町議会は離脱を支持しました。日置川町もすさみ町の動きに追随しました(その後法定協議会から上富田町も離脱し、旧田辺市・旧龍神村・旧中辺路町・
旧大塔村・旧本宮町の5市町村は05年5月1日に合併し、田辺市に)。
03年3月、日置川・すさみの両町は白浜町に対し合併に向けた研究会(または勉強会)の設置を申し入れます(3月末に2町は正式に7市町村の法定協議会を
離脱)。白浜町は即座には回答せず、6月になって合併の是非を検討するための研究会を設置することに同意。03年6月、3町は合併問題研究会を立ち上げ
ます。白浜町は当初、9月までに合併するか否かの結論を出す姿勢でした。しかし白浜町長は町議会に任意協議会の設置を要請したものの、白浜町議会は
かつて町議会が旧田辺市などとの合併協議に前向きだったのに、町長がそれを無視したしこりがあって、3町での任意協議会設置に慎重な姿勢を崩しませんで
した。
03年12月に白浜町長は、議会の理解が得られないとして2町からの合併協議の要請を断りました。
04年3月、日置川町の住民から白浜町・日置川町の2町での法定協議会設置を求める請願が日置川・白浜両町議会に出されます。また白浜町の住民からも
日置川町との合併を求める請願が出され、さらに日置川町では2町の法定協議会設置を求める住民発議も行われます。
04年4月には、すさみ町の住民も負けじと3町の法定協議会設置を求める請願を白浜町議会に提出します。
04年4月、白浜町長は町議会に対し、日置川町との2町合併を進める意向を表明。住民発議による2町での法定協議会設置案を町議会に付議することにしまし
た。すさみ町を含む3町の合併は、03年の繰り返しとなりかねないとして見送る姿勢を示したのです。続いて白浜町議会の特別委員会も日置川町の住民から
出されていた2町での法定協議会設置を求める請願を採択し、2町合併の意向を明らかにしました。
04年4月、2町議会で法定協議会設置議案が可決されます。04年5月、白浜町と日置川町は法定協議会を設置しました。
合併の方式については、異論なく新設合併に決まりました。
新町の名称については、小委員会で議論されました。冒頭に日置川町の委員から「時間的な制約もあり公募は不要。白浜町でよい」との意見が出されました。
小委員会は、「小委員会では白浜町という案が出ている」という趣旨を住民に広報し、意見を求めることにしました。
寄せられた意見のうち、新町の名称を明記しているもの22件中、18件が「白浜町」、4件が「南紀白浜町」という状況でした。
小委員会では「白浜町」に反対する意見は無く、協議会に「白浜町」を選定した旨報告しました。協議会では異論なく報告通りで決定しました。
新町役場の位置についても、小委員会で議論されました。まず問題となるのは現在の2町の庁舎が、白浜町役場は1961年竣工、日置川町役場は1964年
竣工と、いずれも老朽化していることでした。小委員会では白浜町でも日置川町寄りとなる富田地区に新庁舎を建設してはどうかという意見が相次ぎましたが、
財政が厳しいので新庁舎建設は無理という意見もあり、議論は平行線をたどりました。
最終的に、いずれにしても当面は新庁舎建設は困難との認識では一致。提言として「新町において、新庁舎の建設位置を決定する場合においては、住民の利
便性、人口動態、交通アクセスの動向、災害への対応等を充分考慮に入れ、建設位置を選定して頂きたい」との内容を報告するにとどめました。もともとの事務
局案では、前段の部分が「将来、新庁舎の建設が必要となり、その位置を決定する場合においては」というように、もっと弱めた表現となっていたのですが、主と
して日置川町の委員から新庁舎の建設の必要性が主張され、やや強めつつ、かつ断定はしない表現で決着しています。
一方、庁舎の方式についても、事務局が本庁方式の方が機能的に望ましいとしたのに対し、委員から増改築の費用削減の面や2町の均衡を図る観点から分庁
方式を推す意見もあり、意見が分かれました。そこで庁舎の方式については、組織・機構の協議に譲り、小委員会の報告としては触れないこととしました。
本庁舎の位置については日置川町議会も、分庁方式を要求しつつも、白浜町役場とすることに賛成し、白浜町役場とすることで意見集約されました。
以上の内容が協議会に報告され、協議会では異論なく新町役場の位置を白浜町役場とすることで承認されました。
庁舎の方式については、当初は分庁方式という建前から地域振興課のほかに地籍調査課(全町を所管)を置く方針でしたが、最終的に地籍調査課も旧日置
川町域所管の室だけ置かれることになり、現在は事実上総合支所方式のような形態になっています。
議員の任期の扱いについても、小委員会で議論されました。まず現在の2町の議員数の合計が27(白浜15・日置川12)で法定上限が26であることから、
定数特例は非現実的として検討対象から外れました。定数については法定上限を下回る26人未満にすべきことでは意見が一致しました。また県内では法定
上限を大きく下回る定数で設定している例が多いことから(たとえば2町より人口が少し少ない串本町は定数18)、相当の削減は必要との認識はありました。
小委員会はとりあえず定数20を上限としつつ、在任特例の是非や選挙区設置の是非も考慮して定数を確定することにしました。
ここで選挙区を設置した場合、「在任特例を適用した場合はある程度人口比を考慮した配分とせざるを得ない」という説明が事務局からなされました。そこで
日置川町の委員からも「在任特例を適用せず、選挙区の定数配分で人口によらない配分を採ったほうが有利ではないか」との考えが出てきました。一方で
白浜町議会側からは1年程度の在任特例を適用すべきではないか、との意見も出されましたが、民間委員は在任特例には否定的でした。
最終的に、「特例は適用しない。定数は18とするが、最初の選挙に限り定数を20とし、旧町単位に選挙区を設ける。定数配分は白浜14・日置川6
とする」ことで意見集約され、協議会に報告されました。人口比例配分では白浜16・日置川4となるため、日置川に厚く配分していると言えますが、1票の格差は
1.75倍と2倍以内には収まっています。
協議会では「定数18としながら初回の定数を2増とするのはおかしい。白浜と日置川の1票の格差も問題である」とする反対意見が1人の委員から出ましたが、
採決の結果、賛成多数で小委員会報告通り承認されました。
04年12月にすべての協議を終了、05年3月に合併協定書に調印しました。
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岡山県 和気町+佐伯町=和気町 (新設合併、06年3月1日)
岡山県東部・備前市中心部の北に位置する2町が合併して、1つの町になりました。人口は、和気町が約12000人、佐伯町が約4000人です。
当初は、旧備前市・旧日生町・旧吉永町を加えた5市町での合併を目指していましたが、03年5月頃から、「旧備前市・旧日生町」と「和気町・佐伯町・旧吉永町」
の2ブロックに分かれて検討を始めます。
03年7月から8月にかけて、各町で合併の是非や枠組みを問う住民アンケートが行われました。和気・佐伯の両町は、「和気+佐伯+旧吉永」の枠組みを選択
しましたが、旧吉永町は備前市を含む枠組みを選択。03年9月に旧吉永町は3町の合併協議から離脱を表明し、和気・佐伯の両町は、2町での合併をめざす
ことになりました(旧備前市・旧日生町・旧吉永町は、05年3月22日に合併し「備前市」に)。
03年12月、2町は法定協議会を設置します。
合併の方式については、異論なく新設合併に決まりました。
新町の名称については、全国公募を実施しました。2町の名称も候補から除外していません。結果は以下の通り。
<公募結果上位>
1位 和気 188件 2位 佐和 62件 3位 東備 58件 4位 清麻呂 21件 5位 和気佐伯 15件 6位 新和気 13件
小委員会は以下の3点を候補に選定し、協議会に報告しました。
「和気」「佐和」「東備」
新町役場の位置については、小委員会で議論され、全会一致で「新庁舎を建設せず、本庁舎は和気町役場とする。佐伯町役場は総合支所機能を有する
ものとし、呼称を佐伯庁舎とする」との内容で意見集約されたことが協議会に報告されました。協議会では、佐伯町長から「新町の名称問題も含め、両町
の町長・議会議長で調整を行い、若干修正したい」との意見が出ました。そこで、いったんこの項目については継続協議としました。
議員の任期の扱いについても、小委員会で議論され、「特例は適用せず、合併時に定数16(法定上限は22)で選挙を行う。選挙区は設置しない」と意見
集約され、協議会に報告されました。協議会では佐伯町議会の委員から「在任特例を1年設けられないか」との意見が出されました。しかし佐伯町の他の委員
からは、「合併前の和気町議は05年4月で任期切れになるはず(この時点の合併の期日は05年3月頃を想定)だったことや、町長と町議会の選挙が分かれる
ことを考慮すれば、在任特例は適用すべきでない」とする意見も出ました。これについても、新町役場の位置と同様に、継続審議としました。
この時点で、新町の名称・新町役場の位置・議員の任期の扱いについて、両町長・両町議会議長による協議が2度行われました。その結果、小委員会の報告
内容をそのまま提案し、協議会の議論に委ねることに決まりました。
新町の名称については、協議会委員の投票で決することになりました。
<投票結果>
和気 15 佐和 5 東備 2
以上により、過半数を超える得票を得た「和気町」に決定しました。
新町役場の位置については、異論なく提案通りで承認されました。
議員の任期の扱いについては、佐伯町議会の委員から、「1年の在任特例、特例終了後の定数は法定上限の22、初回選挙のみ選挙区を設けて和気11・
佐伯11」という修正案が出されました。定数が増える分は、議員報酬で調整可能という意見でした。しかし、佐伯町にも前回の協議会同様、原案を支持する意見
もありました。採決の結果、賛成19・反対3となり、賛成が2/3を超えたため、原案通り承認されました。
しかしこの結果が佐伯町議会に不協和音をもたらします。調整を先送りする項目も多く、新町の将来像が具体的に見えて来ない中で、在任特例を否定された
ことに、反発が強まって来たのです。
04年9月、佐伯町議会の議員10名中6名から、「新町建設計画については、期限を設けず、十分な議論をしてほしい」との申し出があったことが、佐伯町議会
出身の委員から報告されました。これを受けて佐伯町の協議会委員が集まって協議しましたが、「スケジュール通り粛々と進めるべき」が多数意見となりました。
協定書調印後も新町建設計画の細部については審議することを協議会会長(和気町長)が表明した上で、採決に入りました。賛成18・反対4で、賛成が2/3を
占めたため、新町建設計画も承認されました。
合併期日を05年3月1日とすることも採決となり、賛成16・反対6で、賛成が2/3を超えたため、承認されました。
これですべての協議が終了しました。
04年9月に佐伯町で行われた合併の是非に関する住民アンケートの結果は以下の通りとなりました。
<住民アンケート結果>
「合併する」・「やむを得ず合併する」 1218(47.7%) 「合併しない」・「できれば合併しない」 1201(47.0%) 「わからない」 134(5.2%)
わずか17票差でしたが、賛成が反対を上回りました。町長はアンケート結果を尊重すると表明。04年9月末、2町は合併協定書に調印します。
しかし04年10月、佐伯町議会は合併関連議案を賛成3・反対6で否決してしまいます。
これを受けて、佐伯町長は町議会に合併協議会離脱案を提案します。
佐伯町では合併賛成派の住民による町長・町議会のリコールを求める署名活動が行われました。11月、住民団体は署名を町選管に提出し、審査の結果、
必要数(有権者の1/3)を超えていると判断されました。
04年12月、佐伯町議会は法定協議会からの離脱を賛成6・反対3で可決します。しかし和気町はあくまで協議継続を主張し、法定協議会は存続しま
した。
05年1月、佐伯町で町長と町議会のリコールの是非を問う住民投票が実施されます。結果は以下の通りで、いずれも賛成が多数を占め、町長は解職、
町議会は解散となりました。
<町長の解職> 賛成 1640 反対 724
<町議会の解散> 賛成 1735 反対 711
05年2月、佐伯町で出直し町長選挙・町議会議員選挙が行われます。その結果、町長選では合併推進を訴える元職が失職した前職を破り当選。
町議会議員選挙でも合併推進派が6人当選し、過半数を確保しました。
05年3月4日、佐伯町議会は法定協議会離脱の議決を撤回し、合併協議の再開を申し入れる議案を賛成5・反対4で可決しました。
3月9日に合併協議が再開されました。
合併の期日については、06年3月1日に延期することが提案されました。
議員の任期の扱いについては、合併の期日の延期と佐伯町のリコールに伴い、合併時の両町議の任期満了が09年2月〜4月となったことを受けて、改めて
小委員会で検討することとしました。
3月23日の協議会で、合併の期日の変更は原案通り承認されました。
議員の任期の扱いについては、小委員会で議論した結果、在任特例に反対する意見もあったものの、最終的には全会一致で「1年間の在任特例適用」で意見
集約されたことが報告されました。「07年2月28日までの在任特例適用。特例終了後の定数は16。選挙区は設置しない」と修正提案され、承認され
ました。
これで再開後の協議もすべて終了し、同じ3月23日に合併協定書に再調印。3月28日に両町議会が合併関連議案を可決(佐伯町議会は賛成5・反対4)し、
申請期限に間に合わせました。
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広島県 福山市+神辺町=福山市 (編入合併、06年3月1日)
広島県東部の福山市が市域の東に接する神辺町を編入しました。
人口は、福山市が約41万9千人、神辺町が約40000人です。
福山市長は00年12月、神辺町、旧沼隈町、旧内海町、旧新市町の4町長と懇談。旧内海町と旧新市町は合併に積極的な姿勢を示したので、02年1月、まず
この2町と法定協議会を設置。03年2月3日に、福山市は旧内海・新市の2町を編入しました。
続いて03年1月に旧沼隈町が、福山市に合併に関する事務協議の実施を申し入れ、その後住民アンケートを経て03年10月に福山市と旧沼隈町は法定協議会
を設置。05年2月1日に福山市は旧沼隈町も編入します。
03年5月、神辺町長はいったん単独行政の維持を表明します。しかし04年1月に神辺町の住民が福山市との法定協議会設置を求めて住民発議を行い
ます。これを受けて、04年2月に神辺町で福山市との合併の是非を問う住民アンケートが行われました。結果は合併賛成が過半数を占めました。
04年3月、福山市長から法定協議会設置議案を市議会に付議する旨の回答を得た神辺町長は、住民アンケートの結果を踏まえ、福山市との法定協議会を
設置する意向を表明。4月に福山市長に合併協議を申し入れます。
04年5月、両市町議会は法定協議会設置議案を可決。04年6月に福山市と神辺町は法定協議会を設置します。
しかし福山市長が病気で辞職する(その後死去)という事態が起きたこともあって、9月の市長選挙まで協議は棚上げになり、ようやく第1回協議会が開かれた
のは、04年11月になってからでした。
合併協議は第1回からつまずきます。福山市はこれまで平成の大合併で3町を編入してきましたが、いずれも小規模な町でした。ところが今度の神辺町は人口
約4万人という大きな町でした。福山市との差は10倍あるとは言え、そうやすやすとは話は進みません。
まず合併の方式が議論されましたが、神辺町の委員は「建設計画は福山市・神辺町全体を見据えて検討すべき。福山市長は神辺町民も含めた全市民で
選ぶべき。市議会も全市民による選挙を早期に実現すべき」などとして新設合併を強く主張。一方福山市の委員は「合併特例法期限に間に合わせるには、
編入合併が妥当」と主張しました。神辺町長も「新設合併が基本」という趣旨の発言を行い、両市町の溝は埋まらないまま第1回協議会は閉会してしまい
ます。
その後協議会が開催されないまま、05年1月17日に神辺町長・神辺町議会議長は福山市長に対し、3月までの合併議決(合併特例法期限内の合併)
は困難であるとして、合併協議の延期を申し入れ、4月以降も法定協議会を存続することを求めました。
しかし05年1月27日に神辺町長は一転して、1月17日の申し入れを撤回して協議再開を福山市に要請する方針を、町議会に表明します。
05年2月3日に神辺町長は福山市長に合併協議の再開を申し入れ、2月7日に神辺町議会の特別委員会も町長の意向に同意。同日に神辺町長は再度
福山市長に合併協議の再開を申し入れました。
神辺町長は方針転換について、町民の意向・国の三位一体の改革・県の市町村合併推進要綱などを踏まえ、合併は避けられないと判断し、優遇措置がある
合併特例法期限内の合併を目指すべきと判断したと説明しています。
05年2月8日、第2回協議会が開催されました。神辺町の委員からも突然の方針転換に戸惑いの声が上がりましたが、協議会会長(福山市長)は議事を進め、
合併の方式(編入合併)・合併の期日(05年3月31日までに県知事に申請)を提案。反対の声もあがりましたが、協議会会長は合併協議会全体の総意とし
て賛成したと受け止めると述べて決定します。
05年3月3日に開催された第3回協議会で、残りのすべての協議項目が提案されました。
まず「神辺町」は旧町域の字名に冠することで地名として残ることになりました。また神辺町役場は福山市の支所となることになりました。
議員の任期の扱いについては、旧沼隈町との合併協議と同様、合併時のみ定数特例を適用することに決まりました。増員選挙の定数は4で、福山市議の
任期満了(08年4月30日)まで在任することになります。なお福山市議とならなかった旧神辺町議については07年5月31日まで行政推進員(仮称、地
方自治法に174条に規定する専門委員)となることも決まりました。月額報酬は30万円とのことです。もともとの神辺町議の任期満了は06年5月15日だった
だけに、神辺町議にとっては有利な制度でした。なお旧沼隈町との合併協議でも、合併から1年2ヶ月間、同様の行政推進員を置いています(旧新市町・旧内海
町との合併協議では同旨の委員を「諮問委員」として設置)。
新市の名称や新市役所の位置については、編入合併ということで協議項目にも上がりませんでした。
3月3日の協議会ですべての協議を終了。3月22日に合併協定書に調印し、3月23日から24日にかけて両市町議会で合併関連議案を可決。年度末の申請
期限に間に合わせました。
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徳島県 池田町+三野町+山城町+井川町+東祖谷山村+西祖谷山村=三好市 (新設合併、06年3月1日)
徳島県西部の三好郡に属する8町村のうち、6町村が合併して新しい市になりました。
人口は、池田町が約16000人、三野町・山城町・井川町が約5000人、東祖谷山村・西祖谷山村が約2000人です。
02年2月、この6町村と次項で述べる三加茂町・三好町の8町村は合併に向けた研究会を設置します。
しかし三加茂町や三好町ではそれぞれの議会が行った住民アンケートで「三加茂・三好・三野・井川の4町(東部4町)の枠組み」が支持されました。02年10月
に三好町を除く7町村で研究会が実施したアンケートでも、三野・三加茂の両町では「東部4町」の枠組み支持が多く、井川町では「郡全体8町村」と「東部4町」が
拮抗。他の池田・山城・東祖谷山・西祖谷山では「郡全体8町村」支持が過半数と、結果が分かれました。また西祖谷山村では合併の必要性についても、「必要
ない」とする意見が過半数を占めました。
02年11月、各町村の首長が集まり議会の状況を情報交換したところ、池田・山城・東祖谷山の各町村は「郡全体8町村」、三加茂・三好の両町は「東部4町」、
三野・井川両町は議会の結論が出ず、西祖谷山村は議会の大半が合併に反対しているという状況でした。
02年12月の首長の協議で、三野・三加茂・三好・井川の4町は「東部4町」で合併を進める意向を示しましたが、他の4町村は8町村での合併を目指すべきとして
これを認めませんでした。
03年1月、西祖谷山村は研究会が実施した住民アンケートの結果等を踏まえて、合併しない方針を明らかにし、研究会の枠組みから離脱しました。
また「東部4町」・「西祖谷山村を除く7町村」で対立していた枠組みの議論については、三野・井川の両町が「7町村の枠組みだと市となれる」「広域行政を継続
すべき」として池田・山城・東祖谷山の3町村が主張する「7町村」に歩み寄り、三加茂町も「東部4町」の方針を再検討する意向を示しましたが、三好町は「東部
4町」にこだわり、7町村の枠組みを認めませんでした。
最終的に池田・山城・東祖谷山の3町村も、法定協議会で3町村の加入を協議の対象とすることを条件に、「東部4町」の枠組みでの法定協議会設置を容認しま
した。
03年3月、三加茂町・三野町・三好町・井川町の4町は法定協議会を設置します。
山城町議会・東祖谷山村議会は「7町村の合併を求める決議」を行いましたが、井川町の一部委員を除き、4町とも3町村の加入には消極的でした。03年5月の
協議会で採決が行われ、29人中20人の賛成で「枠組みを4町とする(3町村の加入には応じない)」との結論を出しました。背景には人口が最多の池田町を
加入させると、協議の主導権を握られてしまうという思いがあったようです。
しかし枠組み論議はこの後も継続します。三野町長が03年6月に議会に明かしたところによれば、1月の時点で首長間に「東部4町の法定協議会を立ち上げ、
すぐに3町村を参加させる」という合意があったようです。協議会で「3町加入拒否」の結論が出たのは、首長らにとっては意外な結果だったのかもしれません。
03年6月の協議会では、合併の方式については異論なく新設合併と決めましたが、枠組みの議論に収拾がつかず、実質的な議論にはなかなか入れません
でした。
03年7月、東部4町は池田・山城・東祖谷山・西祖谷山の4町村に対し、法定協議会への加入承認の交換条件として6項目の要望を示しました。「本庁舎の東部
4町内設置」「三野病院の改修・充実」「吉野川ハイウェイオアシスへの新IC設置・美濃田大橋架替の陳情」「池田消防署と西消防署の統合・合理化」などが挙が
っています。最も問題となったのは本庁舎の位置でした。03年8月、西祖谷山村は「本庁舎は池田町とすべき」として4町の要望を拒否。池田町は「庁舎の位置
は法定協議会で議論して決めるべき。法定協議会の決定には従うが、要望としては受け入れられない」としつつも法定協議会への加入を希望。東祖谷山村は
「庁舎の位置はできる限り東祖谷山村に近い位置にして欲しい」と要望するも6項目を受け入れ、山城町は無条件で6項目を受け入れました。
03年8月、東部4町の町長は対応を協議。池田町の加入については賛否両論あったものの、最終的に池田・山城・東祖谷山の3町村の法定協議会加入
を承認することでまとまりました。各町村議会で3町村の法定協議会加入案が審議されましたが、池田・山城・井川・東祖谷山の4町村議会は可決(池田・
山城・東祖谷山は全会一致、井川は賛成9・反対2)したものの、三好・三加茂・三野の3町議会は否決(三好は全会一致、三加茂は賛成1・反対14、三野
は賛成4・反対7)しました。
この結果を受けて03年9月、東部4町長が協議しましたが、7町村合併を支持していた井川町長は東部4町の枠組みについて判断を留保しました。同月には
7町村の首長も集まり、7町村合併は困難との認識で一致します。しかし井川町長は、「東部4町」「西部5町村(井川・池田・山城・東祖谷山・西祖谷山)」「自立」
の3択で住民アンケートを実施して、その結果で枠組みを判断する意向を示します。
03年10月に井川町で行われた住民アンケートの結果、「東部4町」が39.2%、「西部5町村」が33.5%、「自立」が25.3%となり、井川町は多数となった
「東部4町」を選択。東部4町の合併協議の継続が決まります。
新町役場の位置については、小委員会で議論されました。まず「合併時までには新庁舎は建設せず、合併後新庁舎を建設する場合は、新町において検討
する」ことで一致。続いて庁舎の方式について分庁方式としつつ、各庁舎に総合窓口を設けることで合意しました。本庁舎の位置については、最も新しく、かつ
延床面積も最大であること、交通の便もよく、他3町からの合計距離も短いこと、人口も集積していることなどから、三加茂町役場を選定しました。
小委員会は以上の内容を協議会に報告しました。協議会では、小委員会で本庁舎を決定する際に井川町長が欠席したこともあって、1回継続審議としました。
次の協議会でも、「分庁舎の具体的な機能配置も同時に発表すべき」などの意見も出ましたが、「三野・井川・三好の各町に分庁機能を置く」という表現を加えた
上で承認されました。三加茂町以外の3町すべてに、少なくとも本庁機能の一部は置くことを明確にしたのです。
その後の協議で分庁舎への機能配分は以下の通りに決まりました(課名等は仮称)。
本庁舎(三加茂):三役・議会・総務課・企画財政課・合併調整課・住民課・税務課・会計課・総合窓口
三野分庁舎:福祉課・保健課・環境課・総合窓口
三好分庁舎:建設課・水道課・国土調査課・総合窓口
井川分庁舎:商工観光課・産業課・農業委員会・教育委員会・総合窓口
新町の名称については、4町の名称は候補から除外し、県内在住者を対象に公募を行なうことになりました。
公募結果を踏まえ、小委員会は以下の5候補を選定し、協議会に報告しました。
「清流」「東みよし」「みかわ」「三井」「みのだ」
「みかわ」・「三井」は4町の名称からの合成地名、「みのだ」は天然記念物に指定されている「美濃田の渕」から来ているそうです。
協議会では投票で決することにしました。
<第1回投票結果>
東みよし 12 みかわ 7 みのだ 4 三井 3 清流 2
過半数に達する候補が無かったため、上位2点で決選投票が行われました。
<決選投票結果>
東みよし 16 みかわ 11
以上により「東みよし町」に決定しました。
議員の任期の扱いについては、議会出身の法定協議会委員が中心となって各議会の意見を調整していました。しかし最後まで、1年2ヶ月の在任特例を求め
る三野・三好両町と、在任特例を適用しないとする井川・三加茂両町の意見がかみ合いませんでした。各町議とも、もともとの任期は07年4月29〜30日まで
あり、任期の長短で意見が分かれたわけではありません。三野・三好は「現議員による協議決定事項の確認」を重視し、井川・三加茂は財政負担を重視したの
です。議論では決着がつかず、最終的に4町の議員全員で在任特例の是非について投票を行うことになりました。その結果、「在任特例」が30票、「特例不適
用(設置選挙)」が21票となり、在任特例を適用する方針が決まりました。在任期間についても「06年4月30日まで(この時点では05年3月1日合併を想定、
後に合併期日は05年4月1日に変更)」と「05年9月30日まで」の両論がありましたが、調整の結果、三野・三加茂・三好の3町が「06年4月30日まで」を推し、
井川町も異を唱えなかったことから、在任期間は「06年4月30日まで」とすることで合意しました。また井川町は、初回選挙について旧町単位の選挙区を設置
し定数配分を合併調印前に決定してほしいと要望。4町で調整した結果、初回の選挙に限り旧町単位に選挙区を設けるが、定数配分は在任特例期間中に決定
することでまとまりました。特例終了後の定数は26(法定上限)に決まりました。
以上の経緯を経て、協議会に「06年4月30日までの在任特例適用、特例終了後の定数は26、初回選挙に限り旧町単位に選挙区を設け、各選挙区の定数は
在任特例適用期間中に調整する」と提案されました。協議会では在任特例の適用に反対する意見や定数削減を求める意見なども出ましたが、結局提案通りで
承認されました。
最後に問題となったのは、財政格差でした。4町の中で井川町は最も実質債務が少なく(それでも特段に豊かな訳ではありません)。一方三好・三加茂の両
町は、債務が多い状況でした。井川町議会にはこの財政格差を埋める方策を求める意見があったのです。また三好・三加茂・三野町が公共下水道の整備とい
う大型公共事業を予定していたのに対し、井川町は下水道ではなく安価な合併浄化槽を活用する方針でした。
井川町の要望を受けて協議会に、「新町建設計画の普通建設事業費のうち新町一体で取り組む事業を除いた分について、人口と債務を基準に井川32%、三加
茂26%、三野21%、三好21%の比率で配分すること」、「新町建設計画の監視機能を強め、旧町単位で独自の施策も打てるようにするために合併特例区の
設置を検討すること」が提案されました。普通建設事業費の配分については4首長が署名することで決定し、残る協議項目は合併特例区の具体的内容の1点
のみとなりました。
しかし井川町では財政格差に対する住民の不安が高まりを見せていました。住民説明会でも、枠組み問題も含め合併への不満を述べる意見が多く出て、無視
できない状況になっていました。
04年9月、井川町議会は突然、全会一致で法定協議会からの離脱を求める決議を可決しました。井川町長も離脱の意向を表明し、4町合併は白紙に
戻りました。三加茂・三好両町は井川町を除く3町合併に前向きでしたが、三野町は慎重な姿勢を示しました。その後、三野町長は「3町ではスケールメリットが
小さい」として郡全体8町村の合併を再模索し始めます。
04年10月、三野町長は町議会に「市制を目指した特例法期限内の合併」を進めるとし、東部3町の枠組みから離れ、西部4町村の法定協議会(後述)への
加入を目指す意向を明らかにします。町議会もこれに同意(賛成6・反対5)し、三野町は西部4町村の法定協議会に加入を申し入れます。一方、三野町は
東部4町の法定協議会に活動休止を申し入れます。(以下東部地区の合併については次項に続く)
さて、03年5月の東部4町の協議会で加入が認められなかった西部3町村(池田・山城・東祖谷山)は03年7月、西祖谷山村を加えた4町村で、「市に昇格でき
る合併」を目指す方針を決めます。西部4町村では人口が3万人に満たないので、東部4町(またはその一部)を巻き込む必要があります。
その後03年8月に池田町・山城町・東祖谷山村の東部4町法定協議会への加入が三好・三加茂・三野の各町議会で否決されますが、西部4町村は引き続き
東部4町に広域合併を呼びかけ続けます。
しかし03年10月に、井川町が東部4町の枠組みでの協議継続を決定すると、池田町は西部4町村で合併を進める意向を表明します。
東祖谷山・西祖谷山の両村は西部4町村の枠組みに同意。山城町は慎重な姿勢を示しますが、任意協議会での議論なら応じるという姿勢を示し、04年1月、
池田町・山城町・東祖谷山村・西祖谷山村の4町村は合併準備会を設置します。慎重だった山城町長も04年2月には西部4町村の枠組みに同意。
04年3月、各町村議会は法定協議会設置議案を可決(池田・東祖谷山は全会一致、西祖谷山は賛成6・反対3、山城は賛成7・反対6)し、同月に池田町・山
城町・東祖谷山村・西祖谷山村は法定協議会を設置します。
合併の方式は、異論なく新設合併に決まりました。
新町の名称(この時点では市への昇格は不可能)については、4町村の住民・在勤在学者を対象に公募を行なうことが提案されました。4町村の名称も除外し
ていません。しかし04年4月の時点では、山城町は「合併することが確実になってから公募すべき」と早期の公募に慎重な姿勢を示し、合併に前向きな他町村
との間に溝がありました。結局公募期間は04年7月から8月にかけてに延期されました。応募結果は以下の通り。
<公募結果上位>
1位 池田 443件 2位 阿波池田 93件 3位 西三好 47件 4位 西みよし 32件 5位 池山 31件 6位 新池田 29件
協議会委員が応募結果から1人3点ずつ選定し、上位となった13点がまず選ばれました。
「池田(いけだちょう)」「阿波池田」「四国中央」「清流」「西三好」「あわ池田」「美山」「やまびこ」「阿波いけだ」「池田(いけだまち)」「新池田」「西阿」「西みよし」
新町役場の位置については、小委員会で議論され、「新庁舎を建設しない」「本庁舎は池田町役場」についてはすんなり合意できました。庁舎の方式について
は、山城町から総合支所方式を継続するのは行政コストの観点から問題があるとの指摘がありました。そこで方式は総合支所方式とした上で、将来の総合支所
方式のあり方については、合併後速やかに定員適正化計画を策定し、随時検討を進めることで一致しました。
協議会に上記の審議結果が報告されましたが、山城町から「原則は本庁方式としつつ、当面総合支所方式とするべき」「職員の定員減を付帯決議すべき」「10年
を目途にして本庁方式に移行すると付帯決議すべき」などの意見が出ました。
この意見を踏まえて、次の協議会で協議会会長(池田町長)から「庁舎の方式は本庁方式とするが、合併後当分の間は総合支所方式を適用し、10年後
を目途に本庁方式に移行する」「新町においては、地域の均衡ある発展に留意し、地理的条件や地域情報化の進展などを総合的に考慮した職員配置について
検討を進め、類似団体の職員数を目標に速やかに定員適正化計画の策定を行う」との修正提案が出されました。山城町の主張を取り入れつつ、地域の均衡や
地理的条件も考慮することで祖谷山地域にも配慮した内容になっています。協議会では修正案通りで承認されました。
ここまで協議が進んだ04年10月、前述のように東部4町の枠組みから離れた井川・三野の両町は、西部4町村の法定協議会に加入を申し入れました。
西部4町もそもそも市への昇格をめざしていたので、異論はなく、04年11月に井川・三野の両町が加入。枠組みは6町村になりました。これで新自治体の
人口は3万人台となったため、新自治体は市となることになりました。
新市役所の位置については、本庁舎を池田町役場とするなど、西部4町の合意を踏襲しました。
新市の名称については、6町村の住民・在勤在学者を対象に、再度公募を実施しました。なお「池田」は大阪府に同名の市があるため除外しています。
<再公募結果上位>
1位 阿波池田 867件 2位 三好 277件 3位 あわ池田 169件 4位 阿波いけだ 77件 5位 阿波三好 53件 6位 あわいけだ 51件
この公募結果に対し、協議会委員が1人3点以内を選定し、上位となった次の5点に絞られました。
「阿波池田」「三好」「あわ池田」「阿波三好」「四国池田」
中心地名の「池田」と郡名の「三好」を使った名称が並んでいます。
協議会では「阿波池田」を推す意見と「三好」を推す意見とに分かれ、平行線をたどったため、最終的に「阿波池田」と「三好」の2点で投票に持ち込まれました。
<投票結果>
三好 22 阿波池田 20
以上により「三好市」に決定しました。
なお旧町村名は、新市の町・字名として残すことになりました。三好市の次に「池田町」「三野町」「井川町」「山城町」が付くことになりますが、旧東祖谷山村は
「東祖谷」、旧西祖谷山村(にしいややまそん)は「西祖谷山村(にしいややまむら)」を付けることになりました。西祖谷山村の観光面を重視した結論です。
議員の任期の扱いについては、「新市の定数(条例定数)は26(法定上限)とするが、初回の選挙に限り定数特例を適用し、定数を38とした上で、
旧町村単位に選挙区を設ける。各選挙区の定数配分は、池田14・山城6・三野6・井川6・東祖谷山3・西祖谷山3とする」と提案されました。定数38
は00年国勢調査人口の37,305人をもとに約1000人に1人として算定した結果です。定数配分は人口比例よりはやや小規模町村に有利な配分となっていま
す。
協議会では民間委員から特例不適用を求める意見が相次ぎましたが、定数26で人口比例配分すると東祖谷山・西祖谷山が各1となることもあり、定数特例
については容認する方向になりました。最後に「池田13・山城5・三野5・井川5・東祖谷山2・西祖谷山2で定数32」という案も出ましたが、結局原案通りで承認
されました。
04年12月にすべての協議が終了、05年2月に合併協定書に調印しました。
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徳島県 三加茂町+三好町=東みよし町 (新設合併、06年3月1日)
徳島県西部・三好郡8町村のうち、前項の三好市にならなかった2町が合併して、1つの町になりました。
人口は、三加茂町が約10000人、三好町が約6000人です。
前項に記載したとおりの経過を経て、三加茂・三野・三好・井川の4町で構成されていた法定協議会は、04年9月に井川町が離脱を表明し、10月には三野町が
活動休止を申し入れました。
この事態を受けて、三好・三加茂両町は2町での合併に舵を切ります。住民説明会を経て04年11月に両町議会は「2町合併」の方針を最終確認します。
井川・三野両町を含む4町議会は規約変更案を可決。04年11月末日をもって井川・三野両町が正式に離脱し、枠組みは三加茂・三好の2町になりまし
た。
2町は東部4町の協議結果を踏まえつつ、再度すべての項目について確認を行いました。
合併の方式については、異論なく新設合併に決まりました。
合併の期日については05年4月1日を想定していましたが、2町の離脱により電算の作業がストップしたこともあり、再検討され、06年3月1日(西部6町村と
同日)に決まりました。
新町の名称については、三好町議会の委員が東部4町の時に決まった「東みよし町」を推したのに対し、三加茂町議会の委員は「名称を再公募すべき」と主張
しました。そのほか「東三好町」と漢字表記にすべきとする意見も出ました。両町長を除く16名で採決したところ、「東みよし町」が8名、「東三好町」が2名、「東
みよし町を踏まえつつ、再公募」が6名となり、「東みよし町」のままとすることが決まりました。
新町役場の位置については、東部4町での結論を踏襲し、「合併時までには新庁舎は建設せず、合併後新庁舎を建設する場合は、新町において検討する」
「本庁舎は三加茂町役場とする」「庁舎の方式は分庁方式とし、本庁舎・分庁舎に総合窓口を設置する」と提案され、異論なく承認されました。
分庁舎への機能配分は以下の通りに決まりました。
本庁舎(三加茂):三役・議会・総務課・企画課・住民課(総合窓口含む)・税務課・滞納整理課・福祉課・健康づくり課・会計課
分庁舎(三好):産業課・建設課・環境課・水道課・商工観光課・国土調査課・教育委員会・農業委員会・総合窓口課(教育委員会は近隣の中央公民館内)
議員の任期の扱いについては、見直しが行われ、「特例は適用しない。定数は16(法定上限は22)とし、合併時に選挙を行う」と提案されました。東部4町
の協議では在任特例適用と初回選挙での選挙区設置が決まっていましたが、いずれも無くなっています。ちなみに4町の協議では三好町議会は在任特例適用、
三加茂町議会は特例不適用と意見が分かれていましたが、今回は両議会とも特例不適用でまとまっています。協議会では異論なく提案通りで承認されました。
なお合併特例区については、井川町の離脱により協議の対象からも外されています。
05年2月にすべての協議が終了、合併協定書に調印しました。
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高知県 野市町+香我美町+夜須町+赤岡町+吉川村=香南市<こうなんし> (新設合併、06年3月1日)
高知県東部・南国市の南東に位置する、香美郡南部の5町村が合併して新しい市になりました。
人口は、野市町が約17500人、香我美町が約6500人、夜須町が約4000人、赤岡町が約3500人、吉川村が約2000人です。
当初は南国市や次項の土佐山田町・香北町・物部村を含む10市町村の枠組みも検討されましたが、02年8月には野市町・香我美町・夜須町・赤岡町・吉川村
・芸西村の6町村の枠組みで合併検討会を設置。具体的な検討に入ります。しかし野市町では、02年10月から11月に実施された住民アンケートで、合併反対
が38.5%と6町村の合併支持の32.1%を上回る(他に「どちらとも言えない」23.1%等)など、合併に慎重な姿勢も見え隠れしていました。野市町議会も合併
には慎重でしたが、結局任意協議会設置を容認。02年12月、6町村は任意協議会を設置します。既に安芸市など7市町村と任意協議会を設置していた芸西村
は、8市町村の枠組みから離脱し、6町村の枠組みを選択しました。
03年4月、野市町・香我美町・夜須町・赤岡町・吉川村・芸西村の6町村は法定協議会を設置します。
合併の方式は新設合併に決まりました。
合併後の自治体を「市」とするか「町」とするかについても議論がありました。香我美町・吉川村は「市」を希望しましたが、赤岡町が「町」を希望するなど、意見が
分かれていたのです。背景には「市」になると財政負担が増えるのではないかという懸念がありました。その後夜須町・芸西村も「市」を希望。最後まで方向性を
示さなかった野市町も最終的に「市」を選択し、赤岡町も「町」に固執しない意向を示したため、03年9月になってようやく「市」となることが決まりました。
新市役所の位置については小委員会で議論されました。合併時の本庁舎については野市町役場とすることで異論はありませんでしたが、その後の庁舎につ
いては、「野市町役場の増改築」「野市町(周辺)の新たな場所に建設」の2案が出され、協議会に報告されました。
協議会でも合併後の庁舎については意見が分かれました。野市町・香我美町・赤岡町・芸西村が増改築案を支持したのに対し、夜須町・吉川村は新たな場所
に建設する案を支持しました。
議論の末、夜須・吉川両村側の駐車場や交通アクセスに対する不安に配慮し、「土地利用に配慮」という文言を加え、「本庁機能の充実を図るため、合併後、
速やかに現在の野市町庁舎を土地利用に配慮した上で、増改築する」ことで承認されました。
議員の任期の扱いについても小委員会で議論されました。在任特例の適用については賛否両論が出て意見がまとまらず、「06年4月末まで在任特例を適用
(この時点では合併期日を05年3月1日と想定)し、特例終了後の定数を26(法定上限)とする」「特例を適用せず、合併時に定数26で選挙を行う」の2案併記で
協議会に報告されました。
協議会でも、夜須町・吉川村・芸西村の議会・民間委員と赤岡町議会は「在任特例適用」を主張し、野市町・香我美町の議会・民間委員と赤岡町の民間委員は
「特例不適用」を主張し、意見が真っ二つに分かれました。最終的に委員(会長と県から派遣された委員を除く)の投票で47人中34人が在任特例を支持した
ことから、在任特例を適用することが決まりました。
在任期間については、5町村が「05年10月末までの8ヶ月間」を主張したのに対し、吉川村が「06年2月末までの1年間」を主張。最終的に吉川村も他町村の
意見に従う意向を示し、「05年10月31日までの8ヶ月間の在任特例適用、特例終了後の定数は26、選挙区は設置しない」ことが決まりました。
新市の名称については、公募対象を住民に絞るべきとする意見もありましたが、全国公募とすることを決め、実施しました。
公募結果を踏まえ、小委員会は以下の10候補を選定し、協議会に報告しました。
「香南(こうなん)」「香南(かなん)」「香芸」「香南芸西」「土佐香南」「睦(むつ)」「六宝(ろっぽう)」「東高知」「香陽(こうよう)」「光陽」
各委員が2票ずつ投票した結果で「香南」が29票、「香芸」が22票と他候補を圧倒したため、この2点で決選投票を行うことになりました。
<決選投票結果>
香南 30 香芸 9
以上により、「香南市」に決定しました。
ほぼすべての協議が終了していた04年3月から4月にかけて、芸西村は合併の是非を問う住民アンケートを実施しました。結果は「反対」が54.2%、
「どちらかといえば反対」が21.8%と計76.0%が反対の意思を示しました(「賛成」は9.5%、「どちらかといえば賛成」は14.1%)。芸西村は財政が
比較的安定しており、村民には合併による住民サービス低下への不安も強くあったのです。
また04年4月に野市町で実施された(6町村での)合併の是非を問う住民アンケートでも、「反対」が37.7%、「どちらかといえば反対」が19.6%
と計57.3%が反対の意思を示しました(「賛成」は17.9%、「どちらかといえば賛成」は23.3%)。野市町では3月の協議会で決まった国保税の負担増に対
する反発が強まっていたほか、高知のベッドタウンとして人口増が続いている状況も単独行政派に弾みをつけました。
04年5月の協議会で、野市町と芸西村が合併協議からの離脱を表明。6町村の法定協議会は解散に追い込まれました(正式解散は6月末)。
解散決定直後から、芸西村を除く5町村での合併協議に期待する意見が、香我美・夜須・赤岡・吉川の4町村から出されていましたが、04年8月に野市町議会
は時期尚早としてこれを拒否。合併への動きはいったん足踏みします。
しかし05年になって、合併特例法(旧法)の申請期限が迫ってきたこともあって、合併機運が盛り上がります。05年1月に夜須・赤岡・吉川の3町村の首長が
野市・香我美の両町長に5町村での合併協議を申し入れます。野市町では香我美町との2町での法定協議会設置を求める住民発議の動きがありましたが、
野市町議会は5町村の枠組みを支持。05年2月に5町村が話し合い、法定協議会の設置で合意します。その際にネックとなっていた議員の任期の扱いに
ついて、野市・赤岡・吉川の3町村が特例不適用を主張したのに対し、香我美・夜須の両町も同調する意向を示しました。
05年2月、野市町・香我美町・夜須町・赤岡町・吉川村の5町村は法定協議会を設置します。
合併の方式については、異論なく新設合併に決まりました。
新自治体を市とするかについても再度財政負担を中心に議論が行われましたが、夜須町を除き市となることを支持しました(夜須町は議会の結論がまとまらず
結論を保留)。協議の結果、市となることを決めています。
新市の名称については、異論なく6町村の協議会で決定した「香南市」に決まりました。なお、旧町村の名称は新市内の町名として残すことになりました。
新市役所の位置についても、前回協議通り「合併時の本庁舎の位置は野市町役場」「本庁機能の充実を図るため、土地利用計画を作成・検討のうえ、現在の
野市町庁舎を増改築する」「他の役場庁舎は、支所とする。支所の機能は、住民の利便に十分配慮し、地域の特性に応じた部門を配置することとし、合併までに
調整する」と提案されました。増改築については、野市町役場の北庁舎を取り壊して新庁舎を建設し、南庁舎を改築することが想定されています。協議会では
防災機能や庁舎建設の財政負担について意見が出ましたが、結局提案通りで承認されました。
議員の任期の扱いについては、夜須町の委員から「在任特例適用」や「選挙区設置」を求める意見が相次ぎました。その後、5町村とも在任特例を適用しない
ことではまとまりましたが、定数と選挙区の設置については意見が分かれました。夜須町議会は「定数は24〜26。選挙区を設置」、赤岡町議会は「定数は26
(法定上限)で選挙区を設置」、香我美町議会・吉川村議会は「定数26で選挙区は設置しない」、野市町議会は「定数22で選挙区は設置しない」をそれぞれ
主張しました。なお事務局からは仮に定数26で人口比例で定数配分をすると、野市13・香我美5・夜須3・赤岡3・吉川2となることが説明されました。
一方民間委員からは「定数22で選挙区設置」など様々な意見が出され、必ずしも自町村の議会の意見とは一致していない状況でした。
とりあえず「在任特例は適用しない」ことを決め、定数と選挙区設置の是非については継続審議としました。
その後の協議会で、赤岡町議会は選挙区設置については大勢に従う意向を示し、夜須町議会は「定数26で選挙区設置」と意見をまとめました。結局、委員
(会長と県から派遣された委員を除く36人)による採決の結果「定数を26とする」が賛成28人、「選挙区を設置しない」が賛成26人でそれぞれ2/3以上の
賛成を集めたため、「在任特例は適用しない。定数は26(法定上限)とする。選挙区は設置しない」ことで承認されました。
05年3月にすべての協議を終了、合併協定書に調印しました。
なお野市町では、合併の是非を問う住民投票を求める直接請求が行われました。町長は住民投票に慎重でしたが、町議会は「投票率60%以上」という成立
要件を付した上で住民投票条例を可決。05年3月27日に住民投票が実施されました。しかし投票率は57.05%となり、住民投票は不成立に終わっています。
これを受けて5町村議会は合併関連議案を可決。3月30日に知事に申請し、合併特例法(旧法)の期限に間に合わせました。
なお、庁舎の方式は分庁方式を採用しており、本庁機能のうち以下の機能が支所庁舎に配置されています。
香我美庁舎:農林課・建設課・農業委員会
赤岡庁舎:健康対策課
夜須庁舎:教育委員会(学校教育課・こども課・生涯学習課・給食センター)
吉川庁舎:商工水産課
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高知県 土佐山田町+香北町+物部村=香美市<かみし> (新設合併、06年3月1日)
高知県東部に位置する香美郡8町村のうち、前項の5町村を除いた北部3町村が合併して新しい市になりました。
人口は、土佐山田町が約22000人、香北町が約5500人、物部村が約3000人です。
当初は南国市・芸西村や前項の野市町・香我美町・夜須町・赤岡町・吉川村を含む10町村の枠組みも検討されましたが、02年6月、土佐山田・香北・物部の3町
村はそれぞれ合併の是非や枠組みを問う住民アンケートの結果を公表。いずれも3町村の枠組み支持が多数を占めました。これを受けて、土佐山田・香北・物部
の3町村は10町村の枠組みから離脱。3町村での合併を目指す方針を固めました。
02年10月、土佐山田町・香北町・物部村の3町村は任意協議会を設置します。
03年1月、3町村は法定協議会を設置しました。
合併の方式については異論なく新設合併に決まりました。
新市役所(新町役場)の位置についても、小委員会で議論されました。庁舎の方式については総合支所方式・一部分庁方式・本庁方式などで意見が分かれ
ました。特に山間部の物部村には総合支所方式を求める意見が強くありました。また合併時の本庁舎については土佐山田町内とする意見が出されました。
議論の結果を踏まえ、小委員会委員長から「本庁舎は当分の間土佐山田町内とし、合併後概ね5年以内に新庁舎の建設も検討する」「本庁方式を基本としつつ
支所機能を充実させる(一部分庁方式・総合支所方式の要素も含める)」というたたき台が出されました。小委員会では、「当分の間土佐山田町内とすると、新庁
舎も土佐山田町内に置くことになる」として、「当分の間」は削除すべきとの意見が出されましたが、合併時の本庁舎を土佐山田町役場とすることについては異論
が出ませんでした。庁舎の方式については一部分庁方式を採用すべきという意見が多数を占める一方、総合支所方式を求める意見が根強くありましたが、支所
機能の充実により住民サービスは確保されるという認識でまとまりました。また小委員会としては建設時期を明記すべきでないとの意見が出されました。
以上の議論を経て、小委員会から以下の結論が協議会に報告されました。
「本庁舎は現在の土佐山田町役場とする。合併後、時期を見て新庁舎建設を検討する」
「(庁舎の方式は)本庁方式とし、住民サービスの確保の視点から支所機能を充実させる。一部、分庁方式の導入も検討する」
なお一部分庁方式のイメージとして香北町に保健福祉・観光部門、物部村に林業・文化部門を置く案が示されました。
協議会では、「庁舎建設時期を明記すべき」「庁舎建設は早いほうがよい」「新庁舎は(土佐山田町役場の位置には限定しないが)土佐山田町内と明記してほし
い」「土佐山田町役場の位置とするのは新庁舎建設までの間と明確にすべき」などの意見が出されました。
協議会は以下の通り修正の上、承認しました。
「本庁舎は、新庁舎建設までの間、土佐山田町役場とする。合併後概ね5年以内に、新庁舎を土佐山田町内に建設する」
「(庁舎の方式は)本庁方式とし、住民サービスの確保の視点から支所機能を充実させる。一部、分庁方式の導入も検討する」
分庁方式については、香北町に保健課と地籍調査課、物部村に林政課を置く方向となりました。
新市(町)の名称については、公募することを前提に小委員会で議論されました。公募範囲については、3町村に限定する意見もありましたが、全国公募とする
ことが決まりました。また3町村の名称を除外するか否かについても議論がありましたが、除外しないことに決めています。
議員の任期の扱いについては、各議会で議論されました。土佐山田町議会では「特例不適用」「約1年間の在任特例」「06年9月23日(任期満了)までの在任
特例」の3つの意見に分かれ、香北町議会では「定数特例か06年度予算審議までの在任特例」といった状況でした。
その後3議会で調整が行われ、「約1年間の在任特例適用」で意見集約。3月議会の運営も考慮し「06年4月30日までの在任特例適用、定数は26人(法定上
限)以内」とすることでまとまり、協議会に提案されました(この時点での合併期日は05年2月28日を想定)。
協議会では特例不適用を支持する意見も出され、継続審議となりました。
その後の協議会でも物部村議会出身の委員から「06年9月23日までの在任特例としつつ、特例終了後の定数は26人より減らしてはどうか」といった意見が
出されたり、「在任期間を短くすべき」「定数を削減すべき」などの意見も出され、なかなかまとまりませんでした。特に定数については、物部村は定数26を支持
する意見が多く、他の2町は定数24を主張する意見があるなど拮抗しました。
最終的に委員から「26と24の間をとって25ではどうか」との意見が出され、協議会会長(土佐山田町長)の裁定で定数を25とすることが提案され、承認され
ました。「06年4月30日までの在任特例適用」も同時に承認されました。
この時点で法改正に伴い、新自治体を「市」とすることができるようになったため、「市」とするか否かについても協議が行われることになりました。
事務局からは「市」とすることが提案されましたが、物部村の委員を中心に、財政負担などから「市」となることに慎重な意見も出ました。しかし3町村の首長は
いずれも「市」となることを推し、香北町の委員を中心に「市」をめざすべきという意見が多く出されたため、最終的に協議会会長が「大方の意見で決定したい」
として「市」とすることを提案し、承認されました。
新市の名称の応募結果は以下の通りでした。
<公募結果上位>
1位 こうほく 122件 2位 物部川 91件 3位 香美 63件 4位 土佐香部 52件 5位 土佐山田 49件 6位 物部 40件
小委員会は以下の5種類8点を選定し、協議会に報告しました。
「物部川・ものべ川・土佐物部川」「香美・北香美」「こうほく」「夢野」「桜香」
協議会では土佐山田町の委員から「公募上位の土佐山田も候補に入れてほしい」などの意見が出されました。土佐山田町内には小委員会の選定候補に土佐
山田が含まれていないことに強く反発する意見があったのです。
結局、この5種類8点に「土佐山田・香北(かほく)・物部」の1種類3点を加えた、6種類11点で協議を行うことになりました。
協議会では、「土佐山田」「こうほく」「香美」「物部川」を推す意見が多かったものの、まとまらないため、いったん各町村ごとに分かれて案を出すことにしました。
各町村ごとの協議がまとまった時点で、各町村の議会議長・助役・民間委員の代表1名の計9名が集まって協議を行いました。
長時間の協議の結果、「香美市」とすることでまとまり、協議会に提案されました。協議会では異論なく承認されました。
04年2月までにほぼすべての協議が終了しました。
しかし香北・物部の両町村内には「土佐山田町主導の合併協議になっている」との不満が高まっていました。04年3月の協議会では、香北町・物部村の両議会
議長から合併協議の継続に疑問を挟む意見が出されました。土佐山田町長の長期入院もあって、住民説明会の実施も遅れていました。
04年4月の協議会で3月の協議会の発言を議事録から削除するなどの措置がとられ、いったん協議は正常に復しました。住民説明会も実施されました。
04年7月の協議会で、合併期日を05年4月1日に延期することが承認されました。
04年8月、土佐山田町で合併の是非を問う住民投票が行われ、香北町と物部村の合併の是非を問う住民アンケートの結果が公表されました。結果は
以下の通り。
<土佐山田町>投票率が41.2%と成立要件の50%を下回ったため不成立
<香北町>反対39.4% どちらかといえば反対 16.0% 賛成 21.1% どちらかといえば賛成 17.3%
<物部村>反対43.2% どちらかといえば反対 14.6% 賛成 18.5% どちらかといえば賛成 18.2%
香北町・物部村ではいずれも反対票が過半数を占めました。合併により周辺部になってしまうという不安が強く出たものと思われます。
この結果を受けて、8月に開かれた協議会で、香北町・物部村が協議会からの離脱を表明。土佐山田町・香北町・物部村の法定協議会は04年8月末
での解散を決定します。
しかし合併特例法の申請期限が迫った05年2月、香北町の住民が3町での法定協議会設置を求める住民発議を行います。
これを受けて、05年3月4日、各町議会は法定協議会設置議案を審議、いずれも可決し、同日付で、再び3町の法定協議会が設置されます。申請期限
まで残り1ヶ月を切っています。
合併の方式(新設合併)・新市の名称(香美市)については、旧法定協議会の合意通りで、異論なく決まりました。
新市役所の位置については、旧法定協議会の合意通り、「本庁舎は、新庁舎建設までの間、土佐山田町役場とする。合併後概ね5年以内に、新庁舎を
土佐山田町内に建設する。本庁方式とし支所機能を充実させ、一部分庁方式の導入も検討」と提案されました。協議会では、新庁舎建設後の庁舎の方式に
ついては、建設の時点になってから、(完全な)本庁方式に移行するのか、一部分庁方式を残すのかを判断すればよいのではないか、との意見も出ましたが、
原案に反対するまでは至らず、原案通りで承認されました。
その後の調整で、合併時の体制としては、本庁機能の地籍調査課を香北支所に、林政課を物部支所に置くことが決まっています。
議員の任期の扱いについては、「06年9月23日までの在任特例、特例終了後の定数は25(法定上限は26)」と提案されました。旧法定協議会では、
「06年4月30日までの在任特例」となっていましたが、合併期日が変更されたことを受け、土佐山田町議の任期満了に合わせた期日に修正の上提案された
ものです。在任期間も約1年2ヶ月から約7ヶ月に短縮され、また05年4月〜5月にかけ香北町と物部村では実施される選挙で定数が削減(香北16→10、
物部10→8)されることから、財政負担への配慮は旧法定協議会よりなされていると見ることもできます。
香北町の民間委員も原案に賛成し、反対意見は出なかったことから、原案通りで承認されました。
3月14日の第2回協議会ですべての協議を終了。3月23日に合併協定書に調印し、3月29日に各町議会が合併議案を可決し、申請期限に間に合わせました。
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佐賀県 武雄市+山内町+北方町=武雄市 (新設合併、06年3月1日)
佐賀県西部の武雄市と、西に隣接する山内町・東に隣接する北方町が合併して、1つの市になりました。
人口は、武雄市が約34000人、山内町が約9500人、北方町が約8500人です。
この地域でも、当初はもっと広域の合併を検討していました。一時期は鹿島市・太良町・大町町・江北町・旧嬉野町・旧塩田町・旧白石町・旧福富町・旧有明町
を含む12市町での枠組みも検討されました(旧白石町・旧福富町・旧有明町は05年1月1日に合併し、現在は白石町。旧嬉野町・旧塩田町は06年1月1日
に合併し、現在は嬉野市)。しかし、02年3月に12市町は、武雄市・鹿島市・太良町・山内町・旧嬉野町・旧塩田町の6市町と北方町・大町町・江北町・旧白石
町・旧福富町・旧有明町の6町の2つの枠組みに分裂します。
02年5月に、武雄市と山内町は、鹿島市・太良町・旧嬉野町・旧塩田町を含めた6市町で研究会を設置。7月には任意協議会を設置します。
03年1月、6市町の議会は法定協議会設置議案を審議しますが、武雄市・山内町・旧嬉野町・旧塩田町の4市町議会は可決したものの、鹿島市議会は
賛成10・反対12、太良町議会は賛成7・反対10でいずれも否決してしまいます。
この結果、武雄市と鹿島市をそれぞれ中心とする2つの枠組みに分裂することになりました。「武雄市+山内町」・「鹿島市+太良町」は既定路線でしたが、旧嬉
野・旧塩田の両町は武雄市・鹿島市の両方から枠組みへの参加を呼びかけられます。旧嬉野町は早々に武雄市との枠組みを選択しましたが、町内に「鹿島市
+太良町」「武雄市+山内町+旧嬉野町」の2つに意見が分かれていた旧塩田町はなかなか議論がまとまらず、ようやく3月になって「武雄市・山内町・旧嬉野
町との4市町の枠組み」を選択。「武雄市+山内町+旧嬉野町+旧塩田町」の枠組みが固まりました。(鹿島市と太良町は2市町で03年5月に法定協議
会を設置。04年6月に合併協定書に調印しますが、太良町で実施された住民投票で合併反対が多数を占めたことから、太良町長が協議会からの離脱を表明。
太良町議会は合併推進の意向でねじれますが、結局05年3月に合併を断念します)。
03年4月、武雄市・山内町・旧嬉野町・旧塩田町の4市町は任意協議会を設置。03年6月には法定協議会を設置します。
合併の方式については、異論なく新設合併に決まりました。
新市役所の位置については、3町の町長は、武雄市役所を本庁舎とすることを前提に、合併当初は総合支所方式を採用することを主張しました。協議会会長
(武雄市長)は、本庁舎を武雄市役所とすることを決定しようとしましたが、この時点では庁舎の方式が議題に上がっておらず、一括して審議すべきという意見も
あったことから、小委員会に付託することになりました。
その後庁舎の方式については、本庁方式を基本としつつ、当面は支所に総合支所的な機能を持たせ、段階的に再編・見直しを行うことが提案されましたが、
協議会では「総合支所方式を採用することを明記すべき」などの意見が出されたため、「当面は総合支所方式を基本としつつ、中長期的に組織・機構の見直しを
行い、簡素合理化に努める」と修正の上、本庁舎の位置とともに小委員会に付託することになりました
小委員会では、まず武雄市役所を本庁舎とし、3町の役場を総合支所とすることを決定。新庁舎の建設については継続審議することとし、協議会に報告
しました。協議会では小委員会報告通り承認されました。
その後、総合支所の機能等を議論するにあたり、地域自治組織のあり方についても合わせて議論すべきと言うことになり、地域審議会・地域自治組織のあり方
(既に地域審議会を設置することは決定済)についてもこの小委員会に付託されました。
地域自治については、小学校区などを単位として「地域コミュニティ協議会」を設け、コミュニティ活動の運営・支援を図るとともに、その拠点としてコミュニティ
センターを設け、コミュニティセンターには行政窓口機能の一部を担わせるなどの方針が決まり、新市建設計画に盛り込まれました。
また総合支所の機能については、特別職を置くか否かを含め議論されましたが、地方自治法や合併特例法の改正との関係もあり、結論がなかなか出せない
状況になっていました。
議員の任期の扱いについては、旧塩田町議会が特例不適用か1年程度の在任特例、旧嬉野町議会が特例不適用で定数30(法定上限)などと協議会で意見
を述べましたが、こちらも小委員会に付託されることになりました。
小委員会では長期間にわたり議論が行われましたが、最終的に「特例不適用の場合は選挙区も設置しない」・「在任特例適用の場合は在任期間は1年2ヶ月
程度」・「定数特例適用の場合は、定数を32〜40(法定上限は30)とする」と取りまとめ、各市町議会の意見を確認しました。その結果、「特例不適用」と「在任
特例」に意見が分かれ、「特例不適用」を主張する委員からは「法定上限(30)を若干上回る程度の定数で定数特例を適用してはどうか」といった意見も出まし
たが、結局、「(合併前に比し)定数が減ることの激変緩和」・「合併前の議員が在任することによる新市建設計画の実効性の担保」・「三役・議会がともに不在に
なることは避けるべき」の3点を根拠に、合併後1年2ヶ月(この時点では05年3月1日合併を想定していたため、在任期間は06年4月末まで)の在任特例を
適用する方針を決定し、協議会に報告しました。また特例終了後の定数は30人(法定上限)以内とし、選挙区は設けない方針も合わせて報告しました。
その後、在任期間の報酬について小委員会で議論が行われ、議論の結果、「旧市町議会の報酬を引き継ぐ」とする意見と「合併前の報酬総額を超えない範囲
で均一の報酬額とする」とする意見に分かれ、決着がつかないため、両論を併記したうえで、合併後の報酬審議会等で決定する旨、協議会に報告しました。
また、特例終了後の定数については、小委員会で再度議論され、30(法定上限)とすることが報告されました。
協議会では、民間委員を中心に、在任特例を適用することに否定的な意見が相次ぎました。これに対し、小委員会に参加していた委員からは、「議論した上での
結論であり、了承してもらいたい」という趣旨の意見が出ました。しかし住民から在任特例に反対する意見が日増しに強くなり、継続審議が続きました。
新市の名称については、協議会では、公募することには概ね異論はありませんでしたが、公募範囲を4市町の住民公募とするか、全国公募とするかは意見が
分かれました。協議会は公募範囲を含め、小委員会に検討を付託することにしました。
小委員会では、公募範囲を全国とすること、4市町の名称も除外しないことなどが決定し、公募が実施されました。
公募結果を踏まえ、小委員会は以下の10候補を選定し、協議会に報告しました。
「武雄」「嬉野」「西佐賀」「西九州」「泉都(せんと)」「湯陶里(ゆとり)」「肥前」「葉隠(はがくれ)」「杵藤(きとう)」「なごみ」
協議会では、「武雄や嬉野では他の市町が納得しないのではないか」との意見が出る一方、「4市町名も含めて公募している。応募数の大小を全く無視するのは
おかしい(公募1位は武雄)」との意見も出ました。
協議ではまとまらず、投票にかけることにしました。1回目の投票は、各委員3点ずつ投票し、上位5点を選ぶというものでした。
<第1回投票結果(上位5点のみ発表)>
1位 西九州 25 2位 武雄 17 3位 肥前 15 4位 湯陶里 14 5位 嬉野 11
以上の5候補に絞られました。
この後の選定方法については、まず投票で2候補に絞込み、2点から最終的に選ぶことになりましたが、その2点を絞り込む方法について、1人1票とするか、
1人2票とするかで意見が分かれました。採決の結果、1人2票とすることが決まりました。
<第2回投票結果(票数は非公表)>
1位 武雄 2位 湯陶里
この2点から選ぶことになりますが、「過半数を占めた候補でよい」とする意見が出る一方、武雄市議会の委員から「(通常の採決と同様)3分の2が必要である。
3分の2に達しなければ協議が必要である。」とする意見が出ました。武雄市議会の委員としては、仮に過半数で「湯陶里市」に決まった場合、納得が得られない
という懸念があったものと思われます。この点については協議会会長(武雄市長)が「投票し過半数で決するということを3分の2以上で決定すれば、規約上は
問題ない」と説明し、投票に入りました。
<最終投票結果>
湯陶里 19 武雄 14
以上により、「湯陶里市(ゆとりし)」に決定しました。
協議がここまで進んだ04年4月、決定した新市名称「湯陶里市」に、武雄市民を中心に住民から反対意見が続出しました。武雄市議会も再考を申し入
れることを決めたほか、武雄市区長会も再考を要望しました。
04年5月の協議会で武雄市の委員が、新市名称の再協議を求めました。山内町議会・旧塩田町議会の委員からは再協議に理解を示す意見が出ましたが、
旧嬉野町長は「一時不再議」を理由に再協議すべきでないと主張し、旧嬉野町議会の委員も旧嬉野町長の意見に同調しました。協議会会長(武雄市長)は、
「委員の大多数が再協議すべきと判断すれば、再協議は可能」と述べました。嬉野町長は協議会会長の判断に納得しませんでしたが、今後の取り扱いについ
ては、首長・議会議長・幹事会で協議することになりました。
この後、新市の名称については、首長会議が度々開催されましたが、再協議の是非について結論に至ることができませんでした。7月には県から
今後の進め方について「試案」が示されました。試案の概要は以下の通りです。
(1)武雄市の武雄町以外の地域に「武雄」の地名を残す方策を考える。
注)新市内の町名の扱いについては、3町の旧町名は新市名称の後に付すことが決まっていました(例:○○市嬉野町)が、武雄市については、武雄市
武雄町を除き、武雄の文字は付さないことになっていました(例:武雄市武雄町→○○市武雄町、武雄市橘町→○○市橘町)
(2)(1)で決着しないときは、協議会の全会一致で再協議を開始し、歴史学者や有識者の意見を聴取した上で、住民意向調査を実施。その結果を受け再議決。
県の試案を、3町長は了承したものの、武雄市長は「新市名称は武雄市でなければ受け入れられない」として拒否しました。背景には、武雄市の住民の意見が
「湯陶里市を変えるべき」から「武雄市であるべき」に変わってきていたことがあります。一方、武雄市長から提案された「武雄市とすることの再協議」も3町が
拒否し、議論は平行線をたどり、04年9月2日の協議会を迎えます。
この間、04年8月まで4回の協議会が開催されました。
新市役所の位置に関する協議のうち、総合支所の機能については、小委員会で引き続き議論が行われ、合併特例区や地域自治区を導入しないこと、合併後
1年間に限り非常勤の特別職(合併調整官)を総合支所に置く方針が決まり、協議会に報告されました。協議会では合併調整官の職責や総合支所長(一般職)
との関係などにつき議論が行われましたが、小委員会報告通りで承認されました。
議員の任期の扱いについては、再度小委員会に差し戻されることになりました。小委員会での再協議でも、在任特例の適用や選挙区の設置について意見が
分かれ、最終的に以下の3案併記で協議会に報告されました。
(1)1年2ヶ月の在任特例適用、在任期間中の報酬は旧市町議会の報酬を引き継ぐ。(賛成5名)
(2)特例を適用せず、定数30(法定上限)で合併時に選挙を行う。選挙区は設置しない。(賛成5名)
(3)特例を適用せず、定数30(法定上限)で合併時に選挙を行う。初回選挙に限り旧市町単位で選挙区を設ける。(賛成2名)
協議会では、これをもとに再度協議が行われましたが、第3案をベースに端数処理のため定数特例を採用すべきだとする意見が旧塩田町議会の委員などから
出て、継続協議となりました。そこで協議会会長(武雄市長)は、まず在任特例の是非を検討した上で、在任特例不適用となった場合、選挙区の設置是非や
定数特例について検討するという姿勢を示しました。これには、「在任特例か特例不適用かで小委員会は報告しており、定数特例を適用するなら、定数特例案
の提出が必要なはず」との意見も出ましたが、最終的に協議会会長が押し切り、まず在任特例適用の是非につき、無記名投票で2/3の賛成が得られたもの
に決することを決めました。
<投票結果>
設置選挙(定数特例の可能性も含む) 26 在任特例 6
以上により、在任特例を適用しないことが決まりました。
04年9月2日の協議会で、旧塩田・山内両町長は新市の名称について白紙に戻して再協議することを提案。旧嬉野町長もこれには異論を挟みませんでしたが、
武雄市長は「武雄市でないと合併できない」との姿勢を崩しませんでした。
続いて、議員の任期の扱いについて協議が行われました。まず選挙区を設けるか否かの議論が行われ、旧塩田町の委員は選挙区を設けることを求めました
が、他市町は選挙区を設置しない意見が強く、投票が行われました。
<投票結果>
選挙区を設置しない 27 選挙区を設置する 9 無効 1
以上により、まず選挙区を設置しないことが決まりました。
続いて定数の議論に移り、旧塩田町の委員も「選挙区を設置しないのであれば、定数特例ではなく定数30でよい」と発言。異論無く定数30(法定上限)が決まり
ました。以上の経緯を経て、「特例を適用しない。合併時に定数30で選挙を行う。選挙区は設置しない。新市議会議員の報酬は武雄市の例による」で
承認されました。
ここで、武雄市議会の委員から「新市名称を武雄市とする」という提案がなされ、同時に、塩田町議会の委員から「新市名称は白紙に戻して再協議する」という
提案がなされました。それぞれにつき、議題とするか否かについて賛否を問う投票が行われました。
<武雄市の委員の提案についての投票結果>
議題とすることに反対 26 議題とすることに賛成 10 無効 1
<塩田町の委員の提案についての投票結果>
議題とすることに賛成 25 議題とすることに反対 7 無効 4
以上により、塩田町の委員の提案が2/3の賛成を集めたため、新市名称については白紙に戻して再協議することを議題とすることが承認されました。
しかし、この協議会閉会寸前に、協議会会長(武雄市長)は、武雄市の再協議の提案に同意が得られなかったとして、「このまま合併協議を続けることは困難
であると決断し、4市町の枠組みを白紙に戻す」意向を表明し、協議会を閉会しました。
9月6日、武雄市議会は、協議会からの離脱議案を賛成21・反対2で可決。武雄市の離脱は決定的となりました。
9月16日の協議会で、3町は武雄市の離脱を追認し、今後の枠組みの協議に入りました。
04年10月になって、飛び地となる山内町も3町の枠組みからの離脱を表明します(旧嬉野町と旧塩田町は2町での合併協議を進めることを決め、
04年11月に規約変更し武雄市・山内町の離脱を承認。05年3月に合併協定書に調印し、06年1月1日に合併しました)。
一方の北方町は02年4月に、大町町・江北町・旧白石町・旧福富町・旧有明町との6町で任意協議会を設置。02年7月には6町で法定協議会が設置されま
した。
6町の法定協議会は、新市の名称を「明杵市」「杵島市」「肥前杵島市」の3候補から「杵島市」に決めるなど、04年10月の合併に向けて協議を進めてきました
が、03年9月の協議会で旧白石町が協議会から離脱する意向を表明しました。合併の時期・新市役所の位置・議員定数(在任特例は適用しないことで確認
済み)などで他町と考え方に隔たりがあることを理由としています。人口が最多である白石町の離脱表明を受け、同月、6町の法定協議会は解散することを
決定。同月末で法定協議会は廃止されました(その後、旧白石町・旧福富町・旧有明町の3町は03年11月に法定協議会を設置。04年3月に合併協定書に調印
し、05年1月1日に合併)。
北方町では03年8月に武雄市との法定協議会設置を求める住民発議が起こされましたが、武雄市長は市議会に付議しなかったため、手続きは終了してしまっ
ていました。しかし北方町長は03年12月の町議会で、武雄市など4市町が合併した後の新自治体との合併を検討する意向を表明しています。北方町議会は
合併の枠組みを問う住民投票条例を可決しました。
04年1月、大町町は北方町・江北町に3町合併の協議を申し入れます。江北町でも住民アンケートで3町合併が支持されるなど、3町合併に向けた機運が高ま
っていました。
04年2月、北方町で行われた合併の枠組みを問う住民投票は、投票率が49.98%と成立要件の50%にわずかに達せず、不成立となりました。これを受けて
北方町長は3町合併に舵を切ります。
04年4月、北方町・大町町・江北町は、3町で任意協議会を設置します。
任意協議会では、合併の方式を新設合併とすること、新市役所の位置を「合併から当分の間は大町町役場」とすることなどを決めましたが、04年7月になって
北方町議会の特別委員会が任意協議会からの離脱を全会一致で決定。これを受けて北方町長も離脱の意向を表明しました。3町の任意協議会は7月末
をもって解散します。
04年11月、武雄市・山内町・北方町の3市町の首長・助役は、法定協議会の設置で合意します。
04年12月、武雄市・山内町・北方町は法定協議会を設置します。
合併の方式(新設合併)・新市の名称(武雄市)・新市役所の位置(武雄市役所)については、異論なく承認されました。
なお「山内町」「北方町」は武雄市の町名として残ることが決まっています。
また支所の機能については、合併時点では総合支所的な機能を持っています。
議員の任期の扱いについては、「特例を適用しない。定数30(法定上限)で合併時に選挙を行う。選挙区は設けない」と提案されました。北方町議会の
委員からは「特例不適用と定数30は同意するが、選挙区を設置してほしい」という意見が出され、他の北方町の委員からも同様の意見が出されました。一方
武雄市・山内町の委員からは原案に賛成する意見が出されました。
協議会はいったん継続審議としましたが、次回の協議会でも北方町議会議長から前回と同様の意見が出されました。しかし協議を重ねた末、北方町議会議長
も大勢を踏まえて原案に同意。原案通りで承認されました。
05年2月にすべての協議を終了。05年3月、3市町議会で合併関連議案を可決した後、合併協定書に調印しました。
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佐賀県 三田川町+東脊振村=吉野ヶ里町 (新設合併、06年3月1日)
佐賀県東部・神崎郡の東部2町村が合併して1つの町になりました。人口は、三田川町が約9500人、東脊振村が約6500人です。
01年7月、三田川町・東脊振村と神埼町・千代田町・脊振村・旧三瀬村の6町村は合併に向け助役・課長級の研究会を設置します。
02年6月に6町村は任意協議会を設置。さらに02年11月には三田川町・東脊振村・神埼町・千代田町・脊振村・旧三瀬村の6町村で法定協議会を
設置します。
合併の方式は新設合併に決定しました。
新市の名称については、全国公募の結果を踏まえ、小委員会が「神埼」「弥生」「吉野ヶ里」の3候補に絞り、協議会に報告しました。協議会では投票にかけられ
ましたが、いずれの候補も決定するために必要な得票数に達しなかったため、継続審議となりました。
新市役所の位置については、小委員会が神埼町役場を本庁舎とする案を策定しました。
03年9月、三田川町長は、新市の名称に神埼市・新市役所の位置に神埼町役場がそれぞれ有力になったことを受けて、町議会で「数の論理で進み、主張が
通らない」と協議会を批判。9月末の協議会で三田川町長は離脱を表明し、10月に三田川町議会も離脱議案を可決します。
03年11月、東脊振村議会も残る5町村の協議には加わらない方針を決定。12月の協議会で東脊振村は協議会解散を主張しますが、他の4町村は5町
村での協議継続を主張し、折り合いませんでした。
03年12月から04年1月にかけて、千代田町・旧三瀬村も協議会からの離脱を表明しました(04年1月に千代田町・東脊振村の両議会は離脱議案を可決)。
04年3月には旧三瀬村議会も離脱議案を可決し、6町村の法定協議会は解散に追い込まれます(3月31日付)。
その後6町村での合併協議再開に向けた動きもありましたが、04年5月に6町村の枠組みを最終的に断念します(その後旧三瀬村は佐賀市など4市町と法定
協議会を設置。05年1月に合併協定書に調印し、05年10月1日に合併して佐賀市に。神埼町・千代田町・脊振村の3町村は04年12月に法定協議会を設置。
06年3月20日に合併し、神埼市に)。
04年7月、三田川・上峰両町と東脊振村の首長・議会議長は、合併特例法期限内の合併をめざすことで合意します。上峰町はもともと三田川町との合併を志向
しており、東脊振村も04年2月の住民アンケートで三田川町との2町村合併支持が56.5%、上峰町を加えた3町村合併支持が30.6%となっていました。
8月、三田川町・上峰町・東脊振村は3町村で任意協議会を設置します。9月に任意協議会の協議は終了し、法定協議会設置の段階へ進むことになりまし
たが、東脊振村議会が3町村での合併に難色を示していたことから、次第に三田川町と東脊振村の2町村での枠組みも現実味を帯びてきます。
10月に3町村の首長は、3町村での法定協議会設置議案を議会に提出することを確認しました。しかし、10月に上峰町議会は可決したものの、11月に東脊振
村議会は3町村での法定協議会設置議案を否決し、全会一致で三田川町との2町村合併を推進することを決議しました。
04年11月、東脊振村は三田川町に2町村での合併協議を申し入れ、12月には三田川町も、3町村での合併の時期が見えないとして、2町村での合併を先行
した上で、早い時期に上峰町と対等合併する方針を決定。上峰町にその旨伝えました。
04年12月、三田川町と東脊振村は2町村で法定協議会を設置します。
合併の方式については、異論なく新設合併に決まりました。
新町役場の位置については、3町村の任意協議会でも三田川町役場を本庁舎とすることに決めていたこともあり、本庁機能はすんなり三田川町役場に置く
ことに決まりました。庁舎の方式については、本庁方式でもあまり変わらないのではないか、との意見もありましたが、話し合いの結果、分庁方式に決まりました。
新町の名称については、まず2町村の名称ではなく、新しい名称を付けることを決めました。名称の選定については、アンケート方式と協議会委員の提案方式
の2つが事務局から提示されました。協議会ではアンケートをする時間的余裕は無いとして、両町村で持ち寄って決める委員提案方式を採用しました。
しかし結局民意を反映した方が良いということになり、両町村はそれぞれアンケートを実施しました。結果は以下の通り。
<三田川町アンケート上位>
1位 吉野ヶ里 267件 2位 三東(みさき・みとう・さんとう) 25件 3位 弥生 11件 4位 よしのがり 10件 5位 やよい 3件
<東脊振村アンケート上位>
1位 吉野ヶ里 92件 2位 三東(みさき・さんとう・みとう) 30件 3位 田手川 5件 4位 よしのがり 4件 4位 弥生 4件
両町村ともダントツ1位となった「吉野ヶ里」を選定したため、「吉野ヶ里町(よしのがりちょう)」に決定しました。
議員の任期の扱いについては、事務局から「特例を適用せず定数16で合併時に選挙」、「在任特例を1年間適用し、特例終了後の定数は16とする」の2案が
提案されました(法定上限は22)。各議会の意見は、三田川町議会は在任特例を1年適用した上で定数15、東脊振村議会は特例不適用で定数16でした。
東脊振村は奇数だと議長裁決が多くなることに懸念を表明しましたが、三田川町議会はもともと15人だったので、奇数でも問題ないという姿勢でした。
民間委員からは、在任特例に賛成する意見は無く、定数については「14でもいいのではないか」との意見が出ました。
協議はまとまらず、いったん継続審議となりました。
次の協議会でも、両議会の意見は変わらなかったため、民間委員を中心に議論が進められました。在任特例を適用しないことでは一致していたものの、三田川
町の民間委員は定数15、東脊振村の民間委員は定数16を主張し、共に譲りません。
休憩し調整した上で、協議会会長(東脊振村長)が「特例を適用せず、定数15で合併時に選挙を行う」ことを提案。反対意見はなく承認されました。
05年2月の第3回協議会ですべての協議が終了、3月17日に2町村議会が合併議案を可決するのを待って、3月25日に合併協定書に調印しました。
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佐賀県 有田町+西有田町=有田町 (新設合併、06年3月1日)
佐賀県西部・西松浦郡の2町が合併して1つの町になりました。人口は、有田町が約12500人、西有田町が約9500人です。
02年7月、伊万里市と有田町・西有田町の3市町は任意協議会を設置します。当初は山内町を巻き込もうとする動きもありましたが、山内町から拒否
され、02年9月に3市町の枠組みが固まります。
任意協議会は、合併の方式を新設合併と決め、新市役所の位置を伊万里市役所とすることで合意しました。新市の名称については全国公募を行ないました。
伊万里市は長崎県福島町の住民から2市町の法定協議会設置(越県合併)を求める住民発議を出されていましたが、伊万里市長は市議会への付議を行わず、
あくまで3市町合併を進める意向を示しました。
しかし、03年6月から7月にかけて行われた住民アンケートで「反対」がわずかに「賛成」を上回った西有田町は、法定協議会設置直前の03年9月になって、
法定協議会移行の条件として「新病院を西有田町内に建設すること」などの5項目を提示。伊万里市と有田町は「5項目は法定協議会で協議すべき」と回答しま
したが、西有田町は任意協議会での5項目審議を強硬に主張しました。
03年11月に任意協議会が開かれ、国の法整備を前提に、旧市町単位に地域自治組織を設置することでは合意に至ったものの、新病院の建設については
合意できませんでした。
04年3月、西有田町は任意協議会に退会届を提出。伊万里市と有田町は2市町での飛び地合併を検討することになります。04年6月に2市町は合併の
方式を新設合併とすることなどを決めますが、有田町議会には伊万里市との2市町合併に慎重な意見が台頭していました。
04年6月、有田町議会は伊万里市との任意協議会から離脱する議案を可決します。
04年7月、有田町は合併の枠組みを問う住民アンケートを実施しました。結果は8月に発表され、西有田町との2町合併支持が56.4%となり過半数を占め
ました。この結果を受けて、有田町は伊万里市との任意協議会から離脱(任意協議会は8月末で解散)し、西有田町との2町合併に舵を切ります。
西有田町では伊万里市・有田町との3市町での法定協議会設置を求める住民発議が出されていましたが、これも有田町が町議会に付議しないことを決め、
手続きは終了してしまいます。
04年9月、有田町と西有田町は任意協議会を設置します。
合併の方式は新設合併に決定しました。
新町の名称については、有田町(ありたちょう)に決定しました。合併前の有田町は「ありたまち」、西有田町は「にしありたちょう」と、「町」の読み方が2町では
異なっていました。西有田町の委員から、「町名は有田で良いが、読みは『ちょう』の方が大きいイメージがあり、響きが良い」という意見が出て、有田町側も同意
したのです。
新町役場の位置については、「本庁舎を西有田町役場とし、分庁方式を採用する」と提案されました。分庁方式とすることはすぐ合意しましたが、本庁舎を
西有田町役場とすることには、有田町から反対意見が出ました。西有田町側は、「西有田町役場の方が駐車場が広い」と主張しましたが、なかなか折り合いは
つきませんでした。
最後の任意協議会で、「新町の中央周辺を基本とした庁舎建設を新町建設計画に組み入れ、合併後速やかに建設審議会を発足させ具体的検討に入る」という
但し書きを加える修正案が提案されましたが、西有田町側が修正案に反対し、原案を主張してまとまりませんでした、
04年11月、法定協議会に移行します。
合併の方式(新設合併)・新町の名称(有田町)は、任意協議会の決定通りで承認されました。
新町役場の位置については、「本庁舎は西有田町役場とする。但し新町の中央周辺を基本とした庁舎建設を新町建設計画に組み入れ、合併後速やかに建設
審議会を発足させ具体的な検討に入るものとする。庁舎の方式は当分の間分庁方式とする。」と任意協議会の修正案通りで提案されました。
西有田町議会は、将来的には庁舎建設の必要性は認めるも、財政面を考慮すると、早期に庁舎建設の検討に入ることが、住民の理解が得られるか疑問で
あるとの意見が多数でした。
協議会を休憩して調整した結果、「速やかに」を削除し、「新町の中央周辺を基本とした庁舎建設を新町建設計画に組み入れ、合併後建設審議会を発足させ、
具体的な検討に入る」と修正して承認されました。
これに関し、06年1月に両町は、「建設審議会は、合併後2年以内に設置し、審議期間は、おおむね3年間とする」「新庁舎の位置の検討に当っては、協議会の
協定確認内容を踏まえ、十分な議論を行う」「新庁舎の事務所の位置を定める条例の附則に、『この条例は、施行後5年を経過した場合において、見直しを行う
ものとする。』旨の規定をおいた条例案を提案する」という覚書を締結しました。
なお分庁方式の課の配置については、以下の通りとなっています。
本庁舎(西有田町役場):三役・総務・財政・企画・農林・建設・会計・総合窓口・農業委員会
東庁舎(有田町役場):住民(総合窓口の機能を兼ねる)・税務・商工観光・環境・下水道
福祉保健センター(旧有田町内):健康福祉
生涯学習センター(旧有田町内):学校教育・生涯学習
水道事業所(旧有田町内):水道事業所
議会の位置については、議会の判断を尊重するとして両町議会の調整に委ねることになりました。しかし両町議会とも自町を主張して決着せず、協議会に一任
する形になり、事務局提案通り「議会事務局は本庁舎に置く。本庁舎と東庁舎で交互に開催(最初は本庁舎)する」ことで決まりました。
議員の任期の扱いについては、小委員会で議論されました。まず両町議会一致の意見として、「在任特例・定数特例は適用しない」方針が報告され、小委員会
でも了承されました。選挙区の設置については、有田町議会は選挙区無しを主張。西有田町議会は「小委員会に任せる」という姿勢でした。小委員会では、
最初の選挙のみ選挙区を設置してはどうか、という意見も出ましたが、選挙区無しを支持する意見が強い状況でした。
定数については、有田町議会は20〜22人、西有田町議会は26人(法定上限)以下で小委員会に任せる、という意見でした。小委員会では26人は多すぎる
との意見があり、先行事例との比較で18〜22人を基本に検討することにしました。
さらに検討を進めた結果、西有田町議会は「初回選挙のみ選挙区を設置」、「定数は20以下」がそれぞれ多数だったとの報告がありました。有田町議会は
当初の意見と同じでした。しかし小委員会では選挙区無しを支持する意見が大勢であったため、西有田町議会が持ち帰って検討することになりました。
西有田町議会は、検討結果として「定数20で選挙区を設置し、有田・西有田とも定数10とする」という案を主張。しかし小委員会では選挙区無し支持が
大勢である状況は変わりませんでした。これ以上協議を続けても決着しないとして、小委員会は多数意見に沿って、「特例は適用しない」「条例定数は18と
するが、初回の選挙のみ定数を22とする」「選挙区は設置しない」という案で協議会に報告しました。協議会では意見が出ず、報告通り承認されました。
地域審議会については、事務局から設置することが提案されましたが、有田町側は「設けるべきでない」という意見が大勢でした。西有田町側は設置を要望
し、両町が折り合う形で、「2町に5年間設置する」ことで承認されました。
05年1月にほぼすべての協議を終了。3月に合併協定書に調印しました。
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熊本県 菊水町+三加和町=和水町<なごみまち> (新設合併、06年3月1日)
熊本県北西部・玉名市の北にある2町が合併して1つの町になりました。
人口は、菊水町が約6500人、三加和町が約5500人です。
この地域では、当初はもっと広域の合併をめざしていました。
02年3月、旧玉名市・菊水町・三加和町・南関町・玉東町・旧岱明町・旧横島町・旧天水町の8市町は任意協議会を設置します。長洲町はオブザーバーとして
参加しました。
02年5月には、長洲町が正式に加入。枠組みは9市町となりました。任意協議会は新市将来構想の策定などにあたりましたが、法定協議会設置直前の02年
11月に、玉東・旧横島・旧天水の3町が、3町での合併を視野に合併協議から離脱します。
残った形の旧玉名市・菊水町・三加和町・旧岱明町・南関町・長洲町の6市町は、03年1月に法定協議会を設置します。
いったん離脱した旧横島・旧天水の2町は、離脱翌月の02年12月には3町での合併を断念し、旧玉名市などの枠組みへの復帰を申し入れます。玉東町も、
合併の枠組みを問う住民アンケートで、「玉名市など9市町」が67%を占め、「植木町との2町」の33%を上回ったことを受けて、03年1月に旧玉名市などの
枠組みへの復帰を決断。03年2月に、玉東・旧横島・旧天水の3町が法定協議会に加入し、枠組みは9市町に戻ります。
合併の方式については、異論なく新設合併に決まりました。
新市役所の位置については、小委員会で議論されました。本庁の位置を旧玉名市内とすることには異論はなかったようですが、現在の玉名市役所は1959
年竣工で老朽化している上、執務スペースや駐車場も手狭であるため、合併時の本庁舎は旧玉名市役所とするが、いずれ旧玉名市内に新庁舎を建設する
必要性があるという認識で一致しました。
小委員会は以下の通り取りまとめ、協議会に提案しました。
・新市役所は当分の間、現在の玉名市役所とする。現在の8町役場は支所とする。支所の機能は合併までに調整する。
・新庁舎の位置の選定及び建設については、交通の事情・他の官公署との関係など、市民の利便性並びに新市の財政状況等を考慮しながら、合併後5年
以内を目安に位置を決定し建設するものとする。
協議会では、「支所の機能の決定時期を明確にした方が良いのではないか」、「合併後5年以内を目安に、選定を終えるのか、建設を終えるのかが不明確」
などの意見が出ました。
これを踏まえ、新庁舎の部分については以下のように修正され、再提案されました。
・新庁舎の位置の選定及び建設については、交通の事情・他の官公署との関係など市民の利便性並びに新市の財政状況等を考慮しながら、早期に新庁舎
の候補地を選定し、合併後5年を目標に、新市の事務所の位置を決定し建設するものとする。
協議会では、「新庁舎の位置を旧玉名市内と明記してはどうか」との意見も出されましたが、特に明記しなくても当然旧玉名市内になる、ということで、提案通り
で承認されました。
支所の機能については、その後の協議で、新庁舎建設までは総合支所方式を採用し、新庁舎建設後に総合支所から支所に移行していく方針が提案され、
承認されています。
新市の名称についても、小委員会で議論されました。まず公募することが決まり、続いて全国公募とするか、住民等に公募範囲を限定するかが議論され、
全国公募に決めました。
なお公募前の時点で、8町の地域については各々の旧町名を、旧町域の地名として残す(○○市横島町横島など)ことが決まっています(玉名市は残さず)。
公募結果は以下の通り。
<公募結果上位>
1位 玉名 834件 2位 たまな 150件 3位 有明 114件 4位 新玉名 89件 5位 玉杵名 61件 6位 たまきな 56件
小委員会は以下の5候補を選定し、協議会に報告しました。
「玉名」「たまな」「有明」「城北」「玉杵名」
協議会での選定方法については、協議がまとまらない場合は、3候補以下に絞り込んだ上で投票にかけ、最多得票の名称を新市の名称とすることが決まって
いました。(同数の場合は公募数の多い方で決定)。
協議会への提案前の段階で、市長・町長による会議で、「玉名」「有明」「玉杵名」を推すことが決まっていました。
協議会では、旧玉名市・旧横島町・旧岱明町の委員は「玉名」を推したものの、南関・三加和・玉東の3町の委員は「玉杵名」を推しました。旧天水町の委員は「有
明」を推しました。菊水町も「玉名」には反対する姿勢でした。
「玉名」と「玉杵名」で対立するばかりで、議論はまとまりませんでした。市長・町長の会議で議論した結果、03年9月の協議会で、名称については11月まで
議論を棚上げすることが報告されました。
ここまで協議が進んだ03年9月、旧玉名市議会で波乱が起きます。旧玉名市議会は、合併に伴う電算システム整備関係の議案を賛成少数で否決し、9市
町の合併をしないことを求める決議を可決したのです。背景には新市の名称が玉名市に決まらないことへの不満がありました。旧玉名市執行部は、9市町合併
の推進について議会に理解を求め、03年10月の臨時市議会で、電算関係の議案と9市町での合併を推進する決議が可決され、とりあえずこの場は収まり
ます。
03年11月の協議会で、新市の名称が再び議論されました。「玉名」と「玉杵名」の対立は変わらず、この2点で投票にかけることになりました。
<投票結果>
玉名 21 玉杵名 16
以上により、「玉名市」に決定しました。
議員の任期の扱いについても、小委員会で議論されました。
まず、条例に定める定数については、法定上限の34人とし、その後削減を検討することで一致しました。
在任特例の適用の是非等については、各市町議会で意見集約を行うことになりましたが、在任特例や特例不適用で意見が割れたため、以下の4つの選択
肢に整理した上で、各市町議会に検討してもらうことになりました。
第1案 : 特例を適用せず、定数34で合併時に選挙を行う。初回選挙のみ選挙区を設置。
第2案 : 特例を適用せず、定数34で合併時に選挙を行う。選挙区は設置しない。
第3案 : 定数特例を適用し、条例定数34に対し9人(市町の数)増員した定数43で、選挙区を設置した上で合併時に選挙を行う。2回目以降の選挙に
ついては定数34とし、選挙区は設置しない。
第4案 : 1年3ヶ月の在任特例を適用。特例終了後の定数は34とし、選挙区は設置しない。
各市町議会での調整結果は、旧玉名市・玉東町・長洲町・旧岱明町・旧横島町・旧天水町の各議会は、最終的に第4案を選択(玉東町議会は、当初特例不
適用を主張していたが方針転換)。三加和町議会は、第4案支持の意見もあるものの、第1案が多数と報告。菊水町議会も第2案と第4案に分かれているもの
の、第2案で意見集約。南関町議会は第3案を選択、といった状況でした。
小委員会は第4案を選択し、協議会に報告しました。この時点では合併期日は05年1月17日を予定していたため、「06年4月30日までの在任特例適用。
特例終了後の定数は34。選挙区は設置しない」と提案されました。
協議会では、「住民感情としては特例不適用ではないか」との意見が出され、南関町では住民から特例適用に反対する意見書が出されていることも報告
されました。継続審議となりましたが、他の地域でも、在任特例に反対する住民の声は強まってきていました。そこでいったん小委員会に差し戻し、再検討
することになりました。
各市町議会で再度検討が行われましたが、旧玉名市・旧岱明町・旧横島町・旧天水町の4議会は在任特例支持で変わりありませんでした(他は結論を留保)。
小委員会は、04年3月に開催後、04年6月までの約3ヶ月空転します。この間に、合併期日を05年10月3日に延期することが決まりました。
合併期日の延期を踏まえて、再度各市町議会で議論した結果、旧玉名市・旧岱明町の両議会は06年3月31日までの在任特例で変わりなかったものの、
旧横島・旧天水・玉東・南関の各町議会は特例不適用に転換。菊水・三加和の両町議会はもともと特例不適用の立場(三加和町は選挙区設置を要望)だった
ため、特例不適用が多数派となりました(長洲町議会は在任特例が多数とするも、最終判断は留保)。
小委員会は多数意見で意見集約を行い、「特例は適用せず、合併時に定数34で選挙を行なう。選挙区は設置しない」と協議会に提案されました。
協議会では「初回選挙は選挙区を設置すべきではないか」という意見が出されましたが、小委員会では三加和町以外は選挙区設置の主張がなかったことが
説明され、ようやくまとまった小委員会の結論を覆すのは困難との雰囲気もあって、提案通りで承認されました。
合併協定項目のうち、地域自治と新市建設計画以外のすべての項目で協議を終えていた04年9月、合併協議会で菊水町長が法定協議会の解散を
提案します。菊水町長は、現状のままでは各地域の合併後の事業計画が過大であり、財政が悪化すると主張。財政についての考え方が、菊水町と他
市町とでは異なるとして、解散を主張しました。背景には地方交付税の減額幅が当初見込みよりも小さかったことを受けて、旧玉名市・長洲町・玉東町などが
事業費を大幅に膨張させたことがあります。
しかし他市町は解散に反対しており、この協議会では結論が出ませんでした。
各市町の首長と議会議長による合同会議が2回開催され、合併後の財政計画について議論が戦わされました。新市建設計画期間(10年)内の普通建設事業
費の総額(各市町に共通する事業分を除く)を、過去3年間の決算値の平均の6割に抑制することについては合意が得られました。しかし旧市町単位の配分
については、「過去3年の決算値により配分」「標準財政規模により配分」「過去3年の決算値比例と標準財政規模比例の2つを併用」の3案が示されましたが、
南関町が「過去3年の決算値」、玉東・菊水・三加和・長洲の各町が「標準財政規模」、旧岱明・旧横島・旧天水の各町が「併用」を主張。旧玉名市は3案とも否
定し、当初(8月時点)の配分案を主張しました。多くの市町は自らに有利な方法を主張したため、歩み寄りは見られませんでした。
最終的に、「解散するには全市町議会で議決が必要なので、1団体でも解散に同意しなければ、現時点で解散することはできない。しかし、このまま9市町の
枠組みで継続するのは到底無理。9市町の協議会はいったん休止し、新たな枠組みを模索することとしたい」と提案され、反対はあったものの、合同
会議としては了承されました。
この結果が04年10月の協議会で報告され、「協議会は休止し、新たな枠組みを検討する」ことが提案されました。協議会では、休止に反対する意見や、
休止期間に期限を付けるべきとする意見も出ましたが、最終的に提案通り承認されました(その後9市町の協議会は開催されることなく、05年3月に解散。
旧玉名市・旧岱明町・旧横島町・旧天水町は04年11月に法定協議会を設置し、05年10月3日に合併して玉名市に)。
その後、菊水・三加和の両町は南関町を含めた3町での合併を模索しますが、南関町は応じず、結局2町での合併を検討することになりました。
04年12月、菊水町と三加和町は法定協議会を設置します。
合併の方式については、異論なく新設合併に決まりました。
新町の名称については、全国公募を実施しました。なお2町の名称は対象から除外しています。公募結果は以下の通り。
<公募結果上位>
1位 夢民の里町 117件 2位 菊和町 73件 3位 菊加和町 31件 4位 水和町 19件 5位 菊三町 17件 5位 玉北町 17件
5位 夢民の里 17件
小委員会は以下の5候補を選定し、協議会に報告しました。
「菊和(きくわ)町」「和水(なごみ)町」「緑水(りょくすい)町」「夢民の里(むーみんのさと)町」「彩野(あやの)町」
協議会では「和水町」を推す意見が相次ぎました。投票で決めてはどうかとの意見もありましたが、他の候補を推す意見が出なかったため、「和水町」に決定
しました。「和水町」の応募数は8件で、順位は14位でした。
新町役場の位置については、地理的な利便性・他の官公署との関係・庁舎の新しさと広さなどの観点から優位である菊水町役場(庁舎は94年竣工)とし、
新庁舎の建設は当面は行わないこと、三加和町役場は総合支所とすることが提案され、異論なく承認されました。
しかしその後三加和町内で、将来庁舎が無くなるのではないかという不安が住民の中に高まってきました。それを受けて、本庁機能の一部(教育委員会)を三加
和町の庁舎に置く(一部分庁方式を併用)ことが提案されました。協議会では突然の提案と受け止める委員がおり、その場では合意が得られない雰囲気となり
ました。提案したこの協議会が合併協定書調印前の最後の協議会(2月17日)であったため、事務局は調印前の決着をあきらめ、いったんこの提案を取り下げ
て、合併協定書調印後に組織の細部を検討する中で議論することにしました。
その後の議論の結果、結局もとの総合支所方式に戻り、一部分庁方式は採用されませんでした。
議員の任期の扱いについては、小委員会(両町の議会議員で構成)で議論されました。定数については菊水が14を主張し、三加和は議員数確保の観点から
16を主張しました。また旧町単位の選挙区を設けてはどうかとの意見もありました。しかし結局、「特例は適用しない。定数16(法定上限は22)で合併時に
選挙を行う。選挙区も設置しない」ことでまとまり、協議会に報告されました。協議会では「定数は14でもいいのではないか」との意見も出ましたが、「今後はさら
に定数を削減すべきことで小委員会でも一致している」との説明があり、小委員会報告通りで承認されました。
05年2月にすべての協議を終了、3月に合併協定書に調印しました。
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福井県 大飯町+名田庄村=おおい町 (新設合併、06年3月3日)
福井県西部・小浜市の南と西に位置する2町村が合併して1つの町になりました。大飯町は大飯郡・名田庄村は遠敷郡でしたが、新町は大飯郡に属しています。
人口は、大飯町が約7000人、名田庄村が約3000人です。
名田庄村は小浜市から、小浜市・旧上中町・名田庄村の3市町村での合併を呼びかけられていましたが、名田庄村長はこれを拒否し、大飯町・高浜町を含む
5市町村での合併を主張しました。02年12月、小浜市・名田庄村の両議会は特例法期限内の合併と02年度内の法定協議会設置を推進する決議を可決しま
したが、具体的な枠組みは示しませんでした。
一方、高浜町長は03年1月に大飯町・名田庄村との3町村の枠組みを提唱。03年7月には小浜市議会の特別委員会が「小浜市・旧上中町・名田庄村」の3市町
村の枠組みを改めて示すなど、枠組みの議論は混沌としていました。
03年8月、旧上中町は小浜市・旧三方町・名田庄村の3市町村に合併協議を呼び掛け、首長間で協議が始まります。一方、03年9月、旧上中・旧三方両町の
議会は2町での合併推進を決議。03年11月に、4市町村長の協議は旧三方町の反対で合意に至らず、この枠組みは崩壊します(旧上中・旧三方の両町は04
年2月に2町で法定協議会を設置。05年3月31日に合併し若狭町に)。
これを受けて名田庄村は、合併の枠組みについて「小浜市との2市村」「大飯町との2町村」「大飯町・高浜町との3町村」の3案を検討。一方大飯町はこの時点
では「高浜町との2町」「名田庄村との2町村」「高浜町・名田庄村との3町村」の3つの枠組みを検討していました。03年1月に大飯町が実施した住民アンケート
では「高浜町との2町合併」が43.2%を占めるなど、町民には高浜町との合併を求める意見が強かったのです。
04年1月、小浜市長は名田庄村に2市村での合併協議を申し入れました。しかし小浜市議会は依然旧上中町を含む合併を主張するなど足並みが揃いません
でした。また小浜市長も、04年4月、旧上中町で出された小浜市との法定協議会設置を求める住民発議に対し、法定協議会設置議案を市議会に付議するなど、
旧上中町との合併に未練を残していました。
04年6月、名田庄村長は、小浜市が編入合併を想定していること、小浜市議会が旧上中町との法定協議会設置議案を可決する見通しであることなどを理由に、
小浜市との合併を断念する意向を表明します。
同月、名田庄村長は「(高浜町を含む)大飯郡との合併は不確定な要素が多い」として、大飯町との2町村での合併を進める意向を表明。7月には大飯町長も、
名田庄町との2町村合併を進める意向を示します。04年7月、名田庄村は大飯町に正式に合併協議を申し入れます。
04年8月から9月にかけて、2町村がそれぞれ行った住民アンケートでも、名田庄村では81%が大飯町との合併を支持。大飯町でも「やむを得ない」「町・議会
の判断に委ねる」といった消極的賛成を含め、名田庄村との合併支持が84%を占めました。
04年10月、大飯町と名田庄村は2町村で法定協議会を設置します。
合併の方式については、異論なく新設合併に決まりました。
新町役場の位置については、小委員会で議論されました。まず小委員会委員全員の一致で、本庁舎を大飯町役場とすることが決まりました。庁舎の方式に
ついては協議の結果、総合支所方式とすることが決まり、協議会に報告されました。協議会では異論なく小委員会報告通りで承認されました。
議員の任期の扱いについても、小委員会で議論されました。まず、合併後の地域住民の意見の反映や合併時に町長が不在になることを考慮し、在任特例を
適用することを決めました。続いて在任期間については、予算執行状況の確認や07年度予算の審議、冬季は大飯と名田庄を結ぶ県道が通行止めとなり選挙
運動に支障があることなどを考慮し、07年4月29日までとしました。この期日は旧大飯町議の任期満了と同日(旧名田庄村議の任期満了は07年2月14日)
です。また定数は法定上限より2名の削減としました。
以上の議論を踏まえ、「07年4月29日までの在任特例適用、特例終了後の定数は16(法定上限は18)、選挙区は設けない」と協議会に報告されました。
協議会でも異論はなく、小委員会報告通りで承認されました。
新町の名称については、2町村の住民を対象に公募を実施しました。2町村の名称も対象から除外していません。公募結果は以下の通りです。
<公募結果上位>
1位 大飯 278件 2位 大名(だいみょう) 135件 3位 西若狭 87件 4位 若狭大名(わかさだいみょう) 26件
5位 南若狭 22件 6位 おおい 20件 6位 大名(おおな) 20件
小委員会は以下の6点を選定し、協議会に報告しました。
「大飯」「おおい」「大荘(おおしょう)」「大名(だいみょう)」「名田庄」「西若狭」
「大荘」は名田庄は「名田の荘(園)」から来ていることから、大飯の「大」と組み合わせたものです。
協議会では協議会会長(大飯町長)が、小委員会で再度検討し3点ぐらいに絞り込むことを提案しました。また名田庄村の委員からは「大飯」・「名田庄」は候補
から外すよう求める意見が出ました。その後名田庄村長も会長の意見に賛同し、小委員会で再検討することが決まります。
小委員会は「大飯」「大荘(おおしょう)」「西若狭」の3点に絞り、協議会に報告しました。名田庄村の委員からは再び「大飯が入っているのはなぜか」との意見が
出されましたが、この3点から選ぶことには合意が得られました。しかし「大飯」を推す意見はあったものの、決定するまでには至らず、再び継続審議となりまし
た。このように新町の名称の協議がもつれ、一時は合併さえ危ぶまれる事態になりました。
次の協議会で「6候補からもう1度選んではどうか」「3候補の中から選ぶべき」「大飯を推す」「大荘を推す」など様々な意見が出ましたが、到底集約には至り
そうにもありませんでした。そこでこの3候補で決を採るのは断念し、両首長・議会議長・議会副議長と小委員会委員で再度検討委員会を設置し、1点に絞り
込むことにしました。選定に当たっては小委員会が当初選定した6候補をベースに、まとまらなければその他の公募作品も含めることにしました。1点に絞り
込んだ結果については、協議会委員は賛成するという条件も付きました。
検討委員会で長時間の議論を行った末に、両町村が妥協できる結論として「おおい町」を選定。名田庄村側はいったん持ち帰りましたが、住民懇談会の結果
も踏まえて最終的に「おおい町」に合意し、協議会に報告されました。前回協議会の約束通り、全会一致で検討委員会報告通りで承認されました。
05年3月19日にすべての協議が終了、23日に合併協定書に調印し、25日に両長村議会が合併関連議案を可決。特例法の申請期限に間に合わせました。
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北海道 北見市+留辺蘂町+端野町+常呂町=北見市 (新設合併、06年3月5日)
北海道・網走支庁の中部にある北見市と周辺の3町が合併して1つの市になりました。この合併により北見市はオホーツク海に面することになりました。
人口は、北見市が約11万1千人、留辺蘂町が約8500人、端野町が約5500人、常呂町が約5000人です。
当初、常呂町は佐呂間町・湧別町・上湧別町などと合併に向けた検討を行っていたほか、留辺蘂町や端野町は訓子府町・置戸町との合併も検討していました。
その後端野町・常呂町は津別町とともに北見市との合併に舵を切ります。
03年10月、北見市・端野町・常呂町・津別町の4市町は任意協議会を設置します。
任意協議会においては、合併の方式・新市の名称・新市役所の位置・議員の任期の扱いなどについても方向性が議論されました。
合併の方式については新設合併とすること、新市の名称については、北見市の名称も含め4市町の名称を残すこと(市名は北見市とし、北見市端野町や北見市
常呂町という形とすることを想定)、新市役所の庁舎の方式は総合支所方式とすること、議員の任期の扱いについては在任特例を使わないことなどの方向性が
示されています。
端野町が北見市との合併に舵を切った後も訓子府町・置戸町との合併を検討していた留辺蘂町も、04年に入って3町の枠組みから離脱。04年4月に北見市
など4市町の任意協議会に合流し、枠組みは5市町に変わります(訓子府町と置戸町は04年9月に2町で法定協議会を設置しますが、その後合併を断念)。
04年7月、北見市・留辺蘂町・端野町・常呂町・津別町の5市町は法定協議会を設置します。
合併の方式については、任意協議会での議論通り、新設合併とすることが提案され、異論なく承認されました。
新市の名称については、小委員会で議論されました。小委員会には町・字名も同時に提案されましたが、提案された案は、北見市は「○○市(字名)」、他の4町
は「○○市(旧町名)町(字名)」(例:○○市留辺蘂町(字名))としており、市の名称は北見市とすることを想定した形になっていました。小委員会では「住民アン
ケートで意見を聞くべき」「オホーツクなどの新しい名称を付けるべき」などの意見が出る一方、「任意協議会の議論を踏まえ、北見をベースに考えるべき」という
意見も出て、なかなか議論がまとまりませんでした。
そこで議論を進めるにあたり、任意協議会では新市の名称は北見市と想定していたことを改めて確認しましたが、「任意協議会の結論はあいまいであり、北見市
と断定はしていない」「地域自治組織を設ければ、○○市北見区のように、新市名が北見でなくても北見の名は残る」などの意見が出て、紛糾しました。
結局、各市町がそれぞれ分かれて協議を行い、それぞれの見解をまとめることになりました。
その結果、常呂町は「概ね北見市で了解するが、平仮名に変えるなどの検討をすべき」、北見市と端野町は「北見市(○○町)でよい」としましたが、留辺蘂・津別
の2町は取り纏めを避けました。
その後、津別町・留辺蘂町も「北見市」を了解。常呂町の平仮名(きたみ)案を北見市が拒否したことから、新市の名称は「北見市」とすること、旧町の名称は
町・字名として残すこと(北見市留辺蘂町・北見市端野町・北見市常呂町・北見市津別町)で小委員会として合意。協議会に報告されました。
協議会では、小委員会報告の通り異論なく承認されました。
新市役所の位置・地域自治についても、小委員会で議論されました。小委員会には事務局から、旧市町ごとに、条例による独自の制度としての「地域自
治区」を設置する案が示されました。特別職(副市長)の地域自治区長を置き、旧市役所・町役場を総合支所(本庁が置かれる場合は本庁に包含)として
地域自治区の事務所とし、協議機関としての「まちづくり協議会」(地域協議会に相当)も置くことにしています。またそれぞれの地域自治区に、旧市町の特定
目的基金や合併特例債を原資とした基金も置くことにしました。
この案を作る際の事前調整で、合併特例法の地域自治区を望む自治体と、地方自治法の地域自治区を望む自治体とが対立したため、双方の折衷案が作られた
のです。合併特例法の地域自治区では設置期間が限られ、地方自治法の地域自治区では、(助役相当職を置くこと自体は不可能ではないものの)地域自治区
長としての特別職を置くことはできないことから、独自の条例で設置することを選択したとのことです。
小委員会では、端野町の委員から、条例に基づく地域自治区だと将来一部地域(北見市中心部に近い旧端野町)のみ廃止される懸念があるとして、「地方自治
法の地域自治区+助役相当職の設置」とすべきという意見が出される一方、逆に北見市議会の委員からは、原案では地域自治区の見直しについて、区域の見
直しなどは可能だが、地域自治区そのものは「存続を前提とする」とされている点について、存廃を含めた見直しができるように修正を求める意見が出されました。
協議の結果、原案通り条例で設置し、見直しも存続を前提とすることでまとまりました。総合支所とまちづくり協議会を設置することも原案通り決定しています。
また地域自治区長を特別職(副市長)とすることについても、北見市議会の委員から反対意見が出されましたが、同じ北見市の委員でも原案に賛成する意見も
あり、4町の委員はもとより特別職の設置に賛成だったため、原案通り地域自治区長は特別職(副市長)とすることが決まりました。
総合支所の機能を本庁にも置く(組織的には本庁に包含)という点についても、北見市議会の委員から「本庁には総合支所の機能は不要」との意見が出ました
が、「総合支所を置くことは既に決定済みである」「本庁に包含することで効率化は図れる」といった意見が相次ぎ、原案通り総合支所の機能を本庁にも置くこと
が決まりました。
地域自治区に基金を置くことについても、北見市議会の委員から反対意見が出ましたが、他の北見市の委員と4町の委員からは反対意見は出ず、原案通り
基金を置くことが決まりました。
以上の議論を踏まえ、ほぼ当初提案通りで協議会に報告されました。
なお、新市役所(本庁舎)の位置については、異論なく北見市役所に決まり、協議会に報告されました。
協議会では異論なく、小委員会報告通りで承認されました。
議員の任期の扱いについても、小委員会で議論されました。小委員会はまず任意協議会での議論の確認を行いました。任意協議会では在任特例を適用し
ない方針が示されたほか、「法定上限34の範囲内で定数を設定し、選挙区を設けない」「定数は法定上限の範囲とするが、選挙区を設ける。人口割を基本と
するが均等割の併用も検討」「定数特例を適用し、選挙区を設ける。定数配分は町側に配慮」といった3つの意見が出されていました。
小委員会は、まず在任特例を適用しないことを決めました。続いて定数と選挙区に関して各市町議会で意見を取りまとめることになりました。結果は、北見市
議会は「定数34で選挙区なし」、端野町議会は「定数特例を適用し、定数38で選挙区設置」、津別町議会は「定数特例を適用し、定数40以下で選挙区設置」、
常呂町議会は「定数34で選挙区設置」、留辺蘂町議会は「定数特例適用の是非は拮抗。選挙区は設置支持が過半数」という状況で、5つの議会がばらばら
といった感じでした。選挙区設置については4町側が強硬に主張し、北見市側は防戦に回らざるを得ない状況でした。
次回の小委員会でも各議会の主張は変わらず、選挙区設置については北見市と4町が対立しました。仮に選挙区を設置した場合の定数配分については、
留辺蘂町・津別町は4町の間の1票の格差を最小にすべきとして、留辺蘂5・津別4・端野3・常呂3として4町に定数15を配分し、北見市に定数24を配分する
総定数39を主張しました。常呂町は定数34のうち各市町2議席(計10議席)を均等配分し、残りを人口比例配分する北見21・留辺蘂4・津別3・端野3・常呂
3を選択。端野町は定数38のうち各市町2議席(計10議席)を均等配分し、残りを人口比例配分する北見25・留辺蘂4・津別3・端野3・常呂3を主張しました。
常呂町や端野町の主張する方式では、留辺蘂町と常呂町の間でも1票の格差が1.35倍になります。
その後常呂町も3町側に揃え、定数特例の適用を容認しました。しかし北見市議会は「地域自治区を設置するのだから選挙区は不要」との立場を崩さず、
北見市と4町の対立の構図が明確になってきました。北見市は前述のように地域自治区や特別職の設置に疑問を持つ意見が多く、議会の選挙区までバラ
バラにすることへの反発が強かったのです。一方4町側は選挙区がないと実質的に編入合併になってしまわないか、という疑念を常に持っていました。
最終的に北見市は「選挙区設置は認めるが、定数は法定上限の34、人口比例配分とすべき」と譲歩。この場合の定数配分は、北見28・留辺蘂2・津別2・
端野1・常呂1になります。それに対し、端野・津別の両町は総定数39で北見24・留辺蘂5・津別4・端野3・常呂3。留辺蘂・常呂の両町は総定数40で、
北見25・留辺蘂5・津別4・端野3・常呂3を主張し、3案に分かれました。北見市と4町の溝はまだ埋まりませんでした。
これを受けて北見市は、定数34を前提としつつも、定数配分で4町の定数の小数点以下をすべて切り上げる案として、北見25・留辺蘂3・津別2・端野2・
常呂2という再譲歩案を出しました。これに対し端野町は以前に出していた総定数38で北見25・留辺蘂4・津別3・端野3・常呂3を持ち出しました。留辺蘂町
の委員からは、法定34にこだわるのであれば、北見21・留辺蘂4・津別3・端野3・常呂3でどうか、との意見も出ました。
長時間の休憩を挟みながら議論が行われましたが、最終的に集約に至らず、以下の4つの案で投票で決することにしました。
定数34案(北見案):北見25・留辺蘂3・津別2・端野2・常呂2
定数38案(端野案):北見25・留辺蘂4・津別3・端野3・常呂3
定数39案(津別案):北見24・留辺蘂5・津別4・端野3・常呂3
定数40案(留辺蘂・常呂案):北見25・留辺蘂5・津別4・端野3・常呂3
<投票結果>
定数40案 15 定数38案 3 定数34案 2 定数39案 0
以上により、出席委員数の2/3を上回った「定数特例を適用し総定数40。配分は北見25・留辺蘂5・津別4・端野3・常呂3」に決まりました。
協議会では、まず在任特例を適用しないことを、先行して異論なく承認。
続いて小委員会の結論を待って、「条例上の定数は34とするが、初回の選挙に限り定数特例を適用し、定数を40とし、旧市町単位に選挙区を設ける。
各選挙区の定数は北見25・留辺蘂5・津別4・端野3・常呂3とする」と提案され、異論なく承認されました。
04年12月にすべての協議を終了し、各市町は住民説明会に入りました。
05年1月、北見市は住民アンケート(郵送・電話)、4町は1月30日に住民投票を行い、合併の是非を問いました。結果は以下の通り。
<北見市(郵送方式)>賛成 54.8% 反対 22.9% どちらとも言えない 22.2%
<北見市(電話方式)>賛成 39.0% 反対 10.9% どちらとも言えない 50.1%
<留辺蘂町>賛成 59.6% 反対 40.4%
<津別町>賛成 36.8% 反対 63.2%
<端野町>賛成 65.1% 反対 34.9%
<常呂町>賛成 55.0% 反対 45.0%
津別町のみ反対が過半数を占めました。この結果を受けて、05年2月に津別町長は法定協議会からの離脱を表明。津別町議会も離脱議案を可決しま
した。津別町を除く1市3町は、4市町での特例法期限内の合併を目指す方針を決定します(2月10日付で津別町が正式離脱し、4市町の協議会に)。
協議内容の変更は必要最小限にとどめました。議員の任期の扱いについては、再度小委員会が開催され、津別の定数4を削るのみとし、「在任特例は適用
しない。条例上の定数は34とするが、初回の選挙に限り定数特例を適用し、定数を36とし、旧市町単位に選挙区を設ける。各選挙区の定数は北見
25・留辺蘂5・端野3・常呂3とする」とすることで合意。協議会に報告されました。
05年2月22日の協議会で、上記の内容を含め、すべての変更内容が承認され、協議を終了しました。2月27日に合併協定書に調印しました。
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岩手県 久慈市+山形村=久慈市 (新設合併、06年3月6日)
岩手県・北東部の久慈市と西に隣接する山形村が合併し、1つの市になりました。人口は、久慈市が約36000人、山形村が約3000人です。
03年7月、久慈市・旧種市町・山形村・普代村・野田村・旧大野村の6市町村は合併に向けた研究会を設置します。
しかし、8月から9月にかけて行われた旧種市町・旧大野村の合併に関するアンケートでは、ともに2町村(種市・大野)の枠組みが6市町村の枠組みを上回り
ました。また野田村で行われた住民アンケートでも、普代村との2村での合併支持が多数を占めました。
11月に久慈市は5町村に任意協議会の設置を呼びかけますが、結局、「種市+大野」・「久慈+山形」・「野田+普代」の3つの枠組みに分裂することになり
ました。
04年1月、久慈市と山形村は任意協議会を設置します。同月に野田村と普代村も任意協議会を設置しました。
一方旧大野村では、村議会に久慈市を中心とする枠組みを望む意見が多く、村長の旧種市町との合併の方針に異を唱えます。しかし、04年5月に旧大野村
で実施された住民投票で、「種市町との合併」が58.8%となり、「久慈市との合併」の41.2%を上回り、旧大野村も04年6月に旧種市町と任意協議会を設置
します(旧種市町と旧大野村は04年7月に法定協議会を設置。06年1月1日に合併し、洋野町に)。
04年5月、野田村で行われた普代村との合併の是非を問う住民投票の結果、合併反対が多数を占めます。これを受けて野田村長は久慈市・山形村との任意
協議会に参加する意向を表明します。6月に野田村と普代村の任意協議会は解散。同月、野田村は久慈市・山形村の任意協議会に参加し、枠組みは
3市村になります。
任意協議会は、合併の方式を新設合併とすること、新市役所の位置は久慈市役所とし2村役場に総合支所を置くことなどを決めました。
04年7月、3市村議会で法定協議会設置議案が可決されました。しかし野田村議会では、議員14名のうち6名が退席。残る7名(議長除く)で採決し、賛成4・
反対3という僅差での可決でした。
04年7月、久慈市・山形村・野田村は法定協議会を設置します。
合併の方式については、任意協議会の合意通り、新設合併に決まりました。
新市役所の位置についても、任意協議会の合意通り、本庁舎を久慈市役所とし、2村役場を総合支所とすることで承認されました。
新市の名称については、「3市村の名称を含めた公募」と「久慈市でよい」の2つの意見が出されました。協議の結果、「久慈市」「くじ市」「その他」の3案を
示して住民の意向を確認することにしました。
議員の任期の扱いについては、在任特例適用を支持する意見も出ましたが、まずは3市村議会の意向を確認することになりました。議会間で調整が行われ、
久慈市議会は在任特例に反対する一方、両村議会は07年4月までの在任特例を主張し、対立していましたが、久慈市議会が譲歩し在任特例を適用すること
で合意しました。しかし在任期間については合意に至りませんでした。また報酬については久慈市議会と野田村議会が現行報酬の引継ぎを主張したのに対し、
山形村議会が報酬の統一を要求し、これも対立していました。
地域自治については、合併特例法に基づく地域自治区の設置を求める意見もありましたが、条例に基づき総合支所に「地域まちづくり審議会(仮称)」を設置
することが承認されました。
また野田村長が野田村の公設民営診療施設に関して「医師の確保ができなくなった場合は国保診療所化すべき」と主張していた問題については、「現行の
医師確保対策に留意の上、存続」という表現でまとめました。
しかし、04年9月に野田村議会は、住民団体が提出した「久慈市との合併に反対し普代村との合併を求める」趣旨の請願を賛成8・反対5で採択
してしまいます。野田村長は村議会に法定協議会の継続に同意を求める議案を提出し、議会に下駄を預けようとしますが、審議される予定だった臨時村議会
は、久慈市との合併推進を求める住民団体が審議延期を求めて村議会議長に詰め寄るなどして混乱、村長も議案を取り下げ、流会します。
04年10月、野田村長は村議会の指摘を受けたとして、議案の内容を法定協議会からの離脱に同意を求める議案に変更して提出することを表明。
同月の臨時村議会で、離脱議案は賛成9・反対4で可決され、野田村長は法定協議会からの離脱を表明しました。
これを受けて、04年10月、久慈市と山形村は2市村で新たに法定協議会を設置します(3市村の法定協議会は解散)。
合併の方式(新設合併)・新市役所の位置(本庁舎を久慈市役所・山形村役場は総合支所)・地域自治(条例に基づき総合支所に「地域まちづくり
審議会(仮称)」を設置)については、3市村の協議結果を引き継ぐ形で承認されました。
新市の名称については、「久慈市」「くじ市」「その他」の3案による住民意向調査(野田村分も含む)の結果、以下の通りとなりました。
<住民意向調査結果>
久慈 298 くじ 46 その他 35(北リアス5、九戸4、こはく3など)
協議会では「久慈市」を推す意見が出て、異論はなかったことから、「久慈市」に決定しました。なお旧山形村域については大字名に「山形町」を冠すること
で旧村名を残しています。
診療所の扱いについては、山形村からも国保診療所の充実を求める声が強く、「医師確保対策・医療サービスの充実等に留意のうえ存続する」と修正の上、
承認されました。
議員の任期の扱いについては、両市村議会で調整した結果、「07年4月29日までの在任特例を適用する」ことで一致しました。07年4月29日は両市村
議会の任期満了日で、合併の約1年2ヶ月後になります。しかし在任期間の報酬については、久慈市議会が「現行報酬を引き継ぐ」としたのに対し、山形村
議会が「現行報酬の合算額内で同額」と主張し、合意できなかったため、協議会の判断に委ねられることになりました。
協議会でも「久慈市議になることで議会の活動に費やす日数は増えるのだから、現行報酬の引継ぎはおかしい」などの意見が出て、決着はつきませんでした。
そこでまず「07年4月29日までの在任特例を適用すること。特例終了後の定数は26(法定上限)とすること」について承認し、在任期間の報酬につい
ては会長・副会長(両首長)が調整案を策定することにしました。調整案の策定は難航しましたが、最終的に現在の久慈市議については報酬据え置き、現在の
山形村議については現行報酬の30%増し(ただし増額後でも久慈市議の報酬の8割弱)とする調整案が提出され、承認されました。
05年1月にすべての協議を終了、2月に合併協定書に調印しました。
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長野県 上田市+丸子町+真田町+武石村=上田市 (新設合併、06年3月6日)
長野県中部の上田市が、周辺の3町村と合併し、1つの市になりました。
人口は、上田市が約12万6千人、丸子町が約25000人、真田町が約11000人、武石村が約4000人です。
この合併も枠組みが二転三転しました。
まず02年4月、武石村は旧長門町・旧和田村との3町村で合併問題研究会を設置します。
一方02年8月に、上田市・丸子町・真田町の3市町は合併に向けた話し合いを開始。丸子町は武石村などにも参加を呼びかけます。02年9月、武石村はとりあ
えず「上田・真田・丸子・武石」と「旧長門・旧和田・武石」の2つの任意協議会に参加し、法定協議会に移行する前に枠組みを判断する方針を固めます。
上田市・丸子町・真田町・武石村の4市町村は02年9月に任意協議会設立準備会を設置。3回の準備会を経て、02年12月、4市町村は任意協議会を設置し
ます。一方、同月には旧長門町・旧和田村・武石村の任意協議会も設置されています。
4市町村の任意協議会で、合併の方式を新設合併とすること、新市役所の位置は上田市役所とすること、の2点は異論なく決まりました。
新市の名称については、小委員会で選定方法が協議され、全国公募を行うこと、4市町村の名称は除外しないことなどが決まりました。結果は以下の通り。
<公募結果上位>
1位 上田 1840件 2位 真田 238件 3位 うえだ 64件 4位 上小 39件 5位 さなだ 28件 6位 信州上田 25件
小委員会では「上田」を推す意見が多かったものの、小委員会としては1点に絞らず、「上田」「真田」「うえだ」の3点を候補として協議会に報告しました。
協議会では1点に絞ってはどうか、という意見も出ましたが、任意協議会としては3点を残した形とすることで合意しました。
また地域自治・支所機能については、分権型合併をめざすとして、「各町村役場と(上田市の)支所は総合支所(仮称:地域自治センター)とする」「市町村単
位に合併特例法に基づく地域審議会を設置する」「(上田市の)旧支所単位に地方自治法に基づく附属機関としての地域審議会を設置する」と提案されました。
「(旧)上田市の支所機能を強化する必要は無いのではないか」との意見も出ましたが、提案通りで承認されました。
03年7月に、武石村で6月に実施した住民アンケート調査の結果が発表されました。合併の枠組みを問う設問では、「上田・丸子・真田・武石」が45.0%、
「長門・和田・武石」が43.5%などとなり、僅差ながら上田市など4市町村の枠組みが最多となりました。
これを受けて03年7月、武石村と旧長門町・旧和田村の3町村の任意協議会は解散されます。
その後、03年9月から11月にかけて、上田市・丸子町・真田町でも合併に関する住民アンケートが行われました。結果は以下の通り。
<上田市>(4市町村合併に)賛成・どちらかといえば賛成 66.0% 反対・どちらかといえば反対 18.0% どちらとも言えない 16.0%
<丸子町>上田市・真田町・武石村との合併 39.2% 旧長門町・旧和田村・武石村との合併 33.3% 合併しない 17.1% わからない 10.4%
<真田町>(4市町村合併は)必要・どちらかといえば必要 39.7% 不要・どちらかといえば不要 44.3%
丸子町では僅差ながら上田市などとの合併を求める意見が多かったのですが、真田町では「不要・どちらかといえば不要」が「必要・どちらかといえば
必要」を上回る結果となりました。
この結果を受けて、4市町村の任意協議会はいったん中断します。
この頃「丸子町・武石村・旧長門町・旧和田村」の枠組みでの合併を求める住民運動が高まりを見せてきました。03年12月から04年1月にかけて、4町
村の住民が法定協議会設置を求める住民発議を同時に実施(同一請求)。この枠組みには丸子・旧長門両町長は反対の姿勢を示し、武石村長も消極姿
勢。旧和田村長だけが賛成の姿勢でした。04年2月に丸子町議会は賛成4・反対14で否決。武石村議会は賛成8・反対5で可決、3月には旧長門町・旧和田村
の両議会も可決しました。
一方、「長門・和田・武石」の枠組みでの合併協議再開を望んでいた旧長門町と旧和田村は、合併研究会の設置を決め、武石村に参加を要請しましたが拒否さ
れ、04年3月、2町村で合併研究会を設置しました。04年9月には2町村で法定協議会を設置しています。
04年3月、真田町で合併に関する住民意向調査が再度実施されました。その結果、「合併は賛成」が46.1%、「合併は反対」が44.8%、「議会の
決定にゆだねる」が9.2%となり、僅差ながら賛成が反対を上回り、「議会の決定にゆだねる」を含めれば過半数となりました。
これを受けて04年4月の任意協議会で法定協議会への移行が確認されました。
04年5月、4市町村の法定協議会設置議案を、上田市議会は賛成24・反対4、丸子町議会は賛成10・反対8、真田町議会は賛成12・反対3でそれぞれ可決。
残った武石村議会も04年6月に賛成10・反対3で可決しました。
04年6月17日、上田市・丸子町・真田町・武石村の4市町村は法定協議会を設置します。
一方住民発議のあった「丸子・長門・和田・武石」の枠組みのうち、唯一法定協議会設置議案が否決された丸子町では、合併特例法に基づく住民投票が請求され
ました。04年6月20日、丸子町で実施された住民投票の結果賛成が66%・反対が34%となり、合併特例法の規定に基づき、04年7月に「丸子町・長門町・
和田村・武石村」の4町村からなる法定協議会が設置されました。
一方、「上田市・丸子町・真田町・武石村」の枠組みも、04年6月17日に法定協議会を設置(武石村議会は、こちらの法定協議会設置議案も賛成10・反対3で
可決)しています。
これで、丸子町と武石村は「上田市など4市町村」と「旧長門・旧和田との4町村」の2つの法定協議会に重複加盟することになりました(旧長門・旧和田
の両町村も「丸子・武石との4町村」と「旧長門・旧和田の2町村」とに重複加盟)。
【上田市・丸子町・真田町・武石村合併協議会】
合併の方式(新設合併)・新市役所の位置(上田市役所)については、任意協議会の結論通り、異論なく承認されました。
議員の任期の扱いについては、小委員会で議論されました。まず在任特例については、半年程度の適用を求める意見はあったものの、80名の議員が
在任するのは住民の意見が得られないこと、旧市町村ごとの民意などの反映は地域自治で足りること、などの理由により適用しないことが決まりました。
条例上の定数については法定上限の34としつつ、合併後の議会において定数削減を検討することにしました。
初回選挙の定数については、上田市や丸子町は定数特例不適用が大勢でしたが、真田町や武石村には定数特例を求める意見があり、意見が分かれました。
また選挙区の設置の是非や定数配分に均等割の要素を加えるかなどの点についても意見が分かれました。選挙区設置の是非については、上田市や丸子町
も設置に含みを持たせていました。また人口比例配分では定数1となってしまう武石村についても、複数議員を選出できるようにすべきとする意見も出されてい
ました。
さらに議論を続けた結果、定数特例については適用しないことで意見集約され、合併時の選挙の定数は法定上限の34に固まりました。最後まで残ったのが
選挙区設置の問題でした。上田市と丸子町は選挙区を設置すべきでないとしましたが、真田町と武石村は定数に関して均等割を1名行うことを前提に選挙区を
設置する案(上田23・丸子6・真田3・武石2)を主張していました。しかしその後真田町は選挙区は設置しない方針に転換。武石村だけが選挙区を設置し複数
の定数配分を希望するという構図になりました。武石村は、旧長門町や旧和田村などと一部事務組合(組合議会議員は関係自治体の議員から選出)を設置し
ているため、事情の分かった旧武石村の議員を複数選出したいという意見を強く主張し、譲りませんでした。
結局、「上田市+丸子町+真田町」と「武石村」の2つの選挙区を設け、それぞれの定数を32と2とすることで合意し、協議会に報告しました。
以上の経緯を踏まえ、協議会に「特例は適用せず、定数34(法定上限)で合併時に選挙を行う。初回選挙に限り、『上田市・丸子町・真田町を一つの区
域とする選挙区(定数32)』と『武石村を区域とする選挙区(定数2)』を設ける」と提案され、異論なく承認されました。
地域自治・支所機能についても、小委員会で議論されました。小委員会での議論の結果、地方自治法や合併特例法の地域自治区は適用せず、設置期
間を定めない独自の地域自治組織を設けることで合意し、協議会に提案されました。主な具体的内容は以下の通り。
「旧3町村役場と上田市の市役所・3支所に、地域自治センターを条例により設置する」
「旧3町村の地域自治センターに総合支所を置く(旧上田市の地域自治センターの総合支所機能は現行行政制度の中で必要な整備を図る)」
「地域自治センターにセンター長を置く。センター長は、総合支所長を兼ね、部長級の一般職とする。また、一定の予算要求権・予算執行権を持つ」
「地域自治センターごとに、地方自治法の附属機関として地域協議会を条例により設置する(上田市の地域協議会の設置単位については引き続き
検討)」
協議会では提案通り、異論なく承認されました。
なおその後の調整で、(旧)上田市の地域協議会は6つ設置されることになりました(地域自治センターは本庁含め4つ)。
新市の名称については、法定協議会設置直後に、「すぐに決めるべきだ」との意見もありましたが、「枠組みが定まらない町村もあり、無理に決めるべきでは
ない」という意見が大勢を占め、一時保留となっていました。協議の最終盤になって、改めて議題に上り、真田町の一部委員から「真田市が良い」とする意見は
出たものの、最終的に全会一致で「上田市」に決定しました。
なおその後の調整で、旧真田町域と旧武石村域については、一部地域を除き、大字名の前にそれぞれ「真田町」「武石」を冠することとなり、旧町村名が残ること
になりました。
04年12月にすべての協議を終了しました。
またこの間に真田町で町長解職を求める請求があり、04年12月、解職の是非を問う住民投票が行われましたが、反対が過半数を占め、解職には至りません
でした。
【依田窪四町村法定協議会】
「丸子・武石・旧長門・旧和田」の法定協議会(依田窪四町村法定協議会)は、合併の方式を新設合併、新市役所の位置は丸子町役場と決めました。
議員の任期の扱いについては、在任特例を適用せず、定数22(法定上限は26)で合併時に選挙を行うことで承認されました。
新市の名称については、全国公募を行いました。その結果を踏まえ、小委員会が以下の5候補を選定し、協議会に報告しました。
「美ヶ原」「丸子」「依田川」「よだくぼ」「依田窪」
協議会では、委員が5候補に順位を付けて投票(ポイント制。1位が5点、以下4点、3点とし、5位が1点)し、以下の結果となりました。
依田窪 110点 美ヶ原 109点 丸子 86点 よだくぼ 85点 依田川 75点
これで「依田窪」「美ヶ原」「丸子」の3点に絞られました。
この3点について、委員全員で投票(1人1票)が行われました。
<最終投票結果>
依田窪 15 丸子 14 美ヶ原 3
以上により「依田窪市」に決定しました。
05年1月に、依田窪四町村法定協議会はすべての協議を終了しました。
【2つの枠組みの選択】
05年2月6日、丸子町で合併の枠組みを問う住民投票が行われました。その結果、「上田市など4市町村で合併」が42.5%、「依田窪4町村で合併」が
39.3%、「合併しない」が18.3%となり、僅差ながら上田市などとの枠組みが支持されました。これにより依田窪4町村の合併の可能性が事実上消滅
します。
同日行われた真田町の合併の是非を問う住民投票も、賛成が59.6%、反対が40.4%となり、賛成が過半数を占めました。
武石村の住民投票は、上田市などとの合併の賛否のみを問うものとし、「依田窪4町村」を選択肢から外しました。結果は上田市などとの合併に賛成が56.7%・
反対が43.3%となり、こちらも上田市との合併が支持されました。
旧長門・旧和田の両町村の実施する住民アンケートも、「依田窪4町村」は選択肢から外れ、2町村合併の賛否のみを問うものとなりました。いずれも2町村合併に
賛成が過半数を占め、05年3月1日、2町村議会は、2町村での合併議案を可決しました(旧長門町と旧和田村は05年10月1日に合併し長和町に)。
以上の結果を踏まえ、05年2月18日に上田市・丸子町・真田町・武石村の4市町村は合併協定書に調印。3月9日までに各市町村議会は合併関連議案を可決
しました。
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福岡県 金田町+赤池町+方城町=福智町<ふくちまち> (新設合併、06年3月6日)
福岡県・筑豊地方、直方市の南東にある3町が合併して1つの町になりました。
人口は、赤池町が約10000人、金田町が約8500人、方城町が約8000人です。
この地域では田川市と田川郡の10市町村の枠組みでの合併も検討されていましたが、03年7月に3町での合併に方針を定め、8月に任意協議会を設置
します。
任意協議会では、合併の方式を新設合併とする方針を決めたほか、新町将来構想の策定などにあたりました。
04年4月に3町は法定協議会を設置します。
合併の方式は異論なく新設合併で決定しました。
新町の名称については、全国公募を実施しました。3町の名称と、3町に属する大字の名称は、候補から除外しています。
<公募結果上位>
1位 福智 62件 2位 下田川 35件 3位 あかほ 29件 4位 池田城 23件 5位 北田川 12件 6位 平成 11件
応募総数656種類の中から上位10点など60点を幹事会で選定。さらに協議会委員の投票により、10点に絞り込みました。
さらに10点が投票にかけられました。投票結果は以下の通り。
<第1回投票結果>
福智 11 あかほ 6 下田川 5 三里 2 三郷 2 豊前福智 1 鷹取 1 ふくち 1 平成 0 赤金方(あかほ) 0
これで上位3点の「福智」「あかほ」「下田川」に絞られました。
さらに3点が投票にかけられました。
<最終投票結果>
福智 14 あかほ 9 下田川 6
「福智」に入れた14人のうち9人が、「ちょう」ではなく「まち」と読むことを支持したため、「福智町(ふくちまち)」に決定しました。
「福智」は、新町域の北東境にある「福智山」やその山腹にある「福智神社」などに由来しています。
新町役場の位置については、まず本庁方式を採用しつつ、一部の本庁機能を分散する「分散方式」を採用することが提案されました。
しかし、3町役場のどこに本庁舎を置くかは難題でした。
3町の役場は、最も古い金田町役場でも96年竣工で、他の2町の役場は98年竣工と、いずれも新しい庁舎を持っています。延床面積は、金田・方城・赤池の
順で、敷地面積では方城・金田・赤池の順。駐車場の台数では、赤池・金田・方城の順になります。また3町の役場の位置関係で見ますと、赤池−金田と
金田−方城は各々3.1kmなのに対し、赤池−方城は4.2kmあります。他の官公署も、金田町に最も多く集まっています。人口の集積度合いで見ますと、
赤池・金田・方城の順になります。執務スペースで考えますと、方城町役場は1階フロアが広くて使いやすく、金田町役場は狭いということになります。
いずれも一長一短あって、ずば抜けて優れた庁舎が見当たらない状況で、3町議会とも自町の役場が本庁舎にふさわしいと考えていました。
このままでは決着が付かないので、民間委員の協議に委ねることにしました。
その結果、「庁舎の新築・改築に費用をかけず、現行の庁舎を活用」「本庁・支所の機能を十分に整備し、3箇所いずれも住民の要望に応えうる組織にする
こと」の2点を前提に、交通弱者への配慮として平成筑豊鉄道の駅に近いこと、官公署が多いこと、3町の住民の流れが良いこと、から住民の利便性に優れる
金田町役場を本庁舎とすべき、と報告されました。
赤池町議会や方城町議会も、民間委員の裁定には反対せず、「本庁舎を金田町役場とし、赤池・方城の各支所に本庁機能の一部を分散する」ことが決定され
ました。
その後の調整で、赤池支所に教育委員会を、方城支所に企画課の一部(電算関係)を置くことが決まっています。
議員の任期の扱いについては、赤池町議会は「07年4月までの在任特例適用、特例適用後の定数は18〜20(法定上限は26)、選挙区は設けない」が多数
意見だったと報告。方城町議会も在任特例適用支持が大勢で、最長2年、少なくとも07年4月30日までは在任すべきという意見でした。金田町議会も07年4月
までの在任特例適用を支持。定数については18が多数と報告しました。在任特例を07年4月までとしたのは、3町議会の任期満了がもともと07年4月であった
ことによります。
一方の民間委員は、特例不適用を主張する委員もいましたが、最終的には短期間の在任特例を容認することでまとまりました。
以上の経過を踏まえ、協議会は、07年4月30日までの在任特例の適用を決定します。
定数については方城町が特例終了後の最初の選挙は定数26とし、以後減らしていくことを提案。選挙区についても設置を希望しました。一方、赤池・金田の両
町議会は、定数18〜20で選挙区無し、でまとまっていました。
これについても民間委員の協議に委ねられることになり、「特例終了後の定数は18、選挙区は設置しない」と報告されました。しかし方城町議会は、選挙区なし
はやむを得ない(県は在任特例と選挙区設置の併用は望ましくないと発言していた)としても、定数については持ち帰らせて欲しいとしていったん保留しました。
次回の協議会でも方城町議会だけは定数18には同意しなかったため、3町の議会出身委員で調整が行われることになりました。その結果、特例終了後の
定数を20(法定上限は26)とし、選挙区は設けないことで合意。協議会でも承認されました。
04年10月にすべての協議が終了し、11月に合併協定書に調印します。
ここまでスムーズに来たのですが、11月の金田町長選で合併に慎重な姿勢を示す候補が、現職を破り当選してしまいます。しかし金田町議会は依然
として合併推進派が多数でした。合併推進派の現金田町長は、任期満了直前の11月末に臨時議会を召集し、合併議案を提案。町議会は可決しま
した。他2町の議会も合併議案を可決しました。
金田町の合併に反対する住民グループは、(合併議案の可決に伴う)合併申請は無効であるとして住民訴訟を起こしますが、05年3月に福岡地裁は請求を
却下し、新金田町長も合併やむなしの姿勢に転換。これを待って05年3月、福岡県議会が合併議案を可決し、決着しました。
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鹿児島県 出水市+高尾野町+野田町=出水市 (新設合併、06年3月13日)
鹿児島県北西部の出水市とその西にある2町が合併して、1つの市になりました。
人口は、出水市が約39000人、高尾野町が約14000人、野田町が約5000人です。
02年11月、3市町と阿久根市・長島町・東町の6市町は合併協議会設立準備会を設置します。これに先立つ10月、6市町での法定協議会設置を求める住民
発議が行われていました。02年12月、6市町議会は法定協議会設置議案を審議しますが、出水市と高尾野町の両議会で否決(他4市町議会は可決)され、
法定協議会設置は頓挫してしまいます。その後も出水市議会や高尾野町には、出水市・高尾野町・野田町の3市町の枠組みを求める意見が強くあり、6市町
合併を目指す阿久根市などとは一線を画します。
03年9月になって、今度は行政側が6市町の法定協議会設置議案を議会に提案。しかしまたしても、出水市と高尾野町の両議会が否決し、この時点で6市町
合併は困難な状況になりました。
この結果を受けて、出水市と高尾野町は野田町に3市町での合併協議を申し入れます。野田町で行われた合併に関する住民アンケートで、3市町の枠組みを
60.5%が支持したことから、野田町は3市町での合併に方針を転換。野田町議会も賛成7・反対6の僅差ながら3市町での法定協議会設置議案を可決しま
した(出水市議会は賛成18・反対3、高尾野町議会は賛成12・反対5)。
03年11月、出水市・高尾野町・野田町は法定協議会を設置します。
合併の方式については、異論なく新設合併に決まりました。
新市役所の位置については、「新庁舎が建設されるまでは出水市役所とする。新庁舎は出水市内でより高尾野町に近いところとする」と提案されました。
この文言は6市町で合併を検討したときの合意事項そのままとなっています。出水市役所は1957年築であり、遠からず建替をする必要がありました。2町の
役場にしても、新しい方の野田町役場でも1965年築と老朽化していました。新庁舎の建設は避けて通れない課題だったのです。新庁舎建設位置については、
高尾野町や野田町側は出水ゴルフクラブ付近を念頭に置いていたようですが、協議会では、具体的な位置は先送りし、提案通りで承認されました。
続いて「新庁舎の具体的な建設場所は合併後に検討」・「新庁舎は合併特例債の期限(合併後10年)をめどに完成させる」・「庁舎の方式は、新庁舎が建設
されるまでは総合支所方式とし、新庁舎建設後は本庁方式とする」の3点が提案されました。
協議会では明確な反対意見は出ませんでしたが、高尾野町の議会出身委員から継続審議の要望が出て、いったん継続審議となりました。次の協議会で、
異論なく承認されました。
新市の名称については、全国公募が行なわれました。3市町の名称は除外していません。結果は以下の通り。
<公募結果上位>
1位 出水 1056件 2位 いずみ 291件 3位 北薩 62件 4位 新出水 49件 5位 鶴見 44件 6位 出水野 41件
3市町とも「出水」が1位となりました。
小委員会は公募上位の10点と委員が選定した8点の計18点をまず選定し、さらに絞り込んで以下の5候補を協議会に報告しました。
「出水」「北薩」「いずみ」「新出水」「泉」
なお「出水」は小委員会委員全員が選定しました。
協議会では、小委員会の委員から「小委員会委員全員が選定した出水市でどうか」との提案があり、異論はなく、「出水市」に決定しました。
なお旧2町の区域については町名・字名にそれぞれ「高尾野町」「野田町」を冠することが決まっています。
議員の任期の扱いについては、小委員会で議論されました。まず各市町議会間で意見を調整することになりました。調整は難航し、なかなか小委員会に
提案されませんでした。この間、小委員会委員の中からは在任特例に厳しい意見がたびたび出されていました。
04年10月の小委員会で、各議会の議員への意向調査結果が明らかになりました。概要は以下の通り。
出水市:特例不適用14(定数は30が大勢。選挙区設置せず8・選挙区設置5)、定数特例0、在任特例7(6ヶ月が大勢)。
高尾野町:特例不適用7(定数は30が大勢。選挙区設置せず4・選挙区設置1)、定数特例0、在任特例9(1年1ヶ月5、6ヶ月3など)
野田町:特例不適用0、定数特例5(定数40が大勢)、在任特例9(6ヶ月4、12ヶ月2など)
これを受けて出水市議会側が譲歩する形で「6ヶ月の在任特例適用」を提案。2町側は、自らの任期満了(07年4月29日)までの在任特例を希望する意見は
あるとしつつも、出水市議会の任期満了(06年10月31日)以降まで在任特例を適用することは困難であることに理解を示し、出水市議会側の提案を了承
しました。以上を踏まえ、議会側は小委員会に「約6ヶ月の在任特例適用」を提案しました。
これに対し小委員会の議会以外の委員からは、財政上の理由から在任特例への反対意見が続出しました。「在任特例を適用した上で、次回選挙の定数を
削減する」という折衷案も出されましたが、「取引は行うべきではない」との反対意見も出て、溝は埋まりませんでした。
そこでとりあえず「特例不適用・定数30(法定上限)・選挙区設置せず」とする案と「6ヶ月の在任特例適用。特例終了後の定数は28。在任期間中の報酬は
合併前の報酬を引き継ぐ」とする案の2案で検討することになりました。
その後も議論が続きましたが平行線をたどりました。最終的に出水市議会出身委員が自議会で多数だった特例不適用に方針を転換。高尾野町議会出身
委員も「議会の意向調査では在任特例が多数だったが、個人の意見としては特例不適用」と発言。野田町議会出身委員は最後まで在任特例適用にこだわり
ましたが、起立採決の結果、小委員会委員11人中8人の賛成により、特例不適用とすることが決まりました。定数を30(法定上限)とし、選挙区は設置し
ないことも併せて決定し、協議会に報告しました。
協議会では異論なく、小委員会報告通りで承認されました。
04年11月にすべての協議を終了し、05年2月に合併協定書に調印しました。
なお高尾野町では05年1月に住民団体が町議会に合併の賛否を問う住民投票条例の制定を求める陳情書を提出。これを町議会が採択したことから、町長は
住民投票条例を議会に提出し、町議会は05年1月末にこれを可決しました。合併協定書調印後の05年2月20日、高尾野町で実施された住民投票の結果、
合併賛成は78.2%に達し、合併賛成の民意が確定しました。3市町議会はこれを受けて、合併関連議案を可決しました。
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山梨県 北杜市+小淵沢町=北杜市 (編入合併、06年3月15日)
山梨県北西部の北杜市が、囲まれる形で残っていた小淵沢町を編入しました。人口は、北杜市が約43000人、小淵沢町が約6000人です。
この地域での合併検討は、00年5月、04年11月に北杜市となる旧7町村・小淵沢町・韮崎市・旧双葉町の10市町村で「21世紀の峡北を考える市町村会議」を
設置したことに始まります。旧双葉町は早い段階で旧竜王町・敷島町などとの合併(甲斐市)に方針転換。韮崎市も合併に慎重な態度だったため、小淵沢町と旧7
町村の8町村で、01年5月に研究会を設置します。01年12月になって、小淵沢町は8町村合併に慎重な姿勢を示します。02年3月、小淵沢町が8町村の枠組み
から離脱し、旧7町村の枠組みで任意協議会を設置することが決まります。
02年4月に、旧7町村は任意協議会を設置。小淵沢町はこの間も、白州町との2町合併を検討するなど、広域合併ではなく、小規模の合併を模索していましたが、
旧7町村の枠組みは崩れず、02年8月、旧7町村の任意協議会は法定協議会に移行します。
その後は北杜市の項に記載された通りの経過をたどり、旧7町村は04年11月1日に合併し、北杜市となります。
一方小淵沢町では、まず02年8月から9月にかけて、合併に関する住民アンケートが実施されます。その結果、「7町村の枠組みに加わらない」が37.0%、
「7町村の枠組みに加わり8町村の合併をめざす」が34.6%と僅差ながら、合併に消極的な意見が積極的な意見を上回りました(他に「どちらとも決められない」
が9.9%、「わからない」が13.2%など)。02年9月、小淵沢町議会は7町村の合併協議会に加わらない決議書を賛成10・反対5で可決し、小淵沢町は当面
合併しない方針を固めます。しかし実際には住民アンケート実施前から町長は8町村合併に反対の意向を示しており、住民アンケートは住民の意向を確認した
に過ぎなかったとの見方もあります。
その後小淵沢町では合併への動きが止まってしまいますが、04年7月、町執行部は町議会に「北杜氏との合併の是非を問う住民投票条例案」を提案し
ます。この条例案は、「有効投票総数の過半数の賛成」ではなく「投票資格者数の過半数の賛成」が無ければ、町は投票結果を尊重しなくても良いと
するもので、町執行部の合併に消極的な姿勢を追認させようとする思惑が見えていました。町議会では賛成・反対同数となりましたが、議長裁決で町執行部提出
の条例案が可決されました(後に永住外国人を投票資格者に含めていないことが指摘されたため、含める旨の修正案を可決)。
04年8月にこの条例に基づく住民投票が実施されました。結果は「北杜市との合併に賛成」が有効投票総数の58.6%、「反対が」有効投票総数の41.4
%となりました。しかし賛成票は投票資格者数の45.8%にとどまったため、町長に結果を尊重する義務は発生しませんでした。
しかし賛成票が多かった結果を受けて、町長は町議会と調整を始めます。町議会内も賛成と反対が拮抗し、なかなか意見集約に至りませんでした。
04年12月、小淵沢町議会に「北杜市との合併協議会を早期に設置することに関する決議書」が提出され、賛成7・反対6で可決されました。一方、自立を主張
してきた小淵沢町長は05年1月の町長選挙に出馬しない意向を示し、一気に事態は合併へと動き出します。
05年1月の町長選は合併賛成派だった前議員が無投票で当選。町議会議員補欠選挙にも賛成派が当選し、町長・町議会とも合併賛成で足並みが揃いま
す。05年1月に開かれた町議会の議員全員協議会でも、北杜市に法定協議会設置を申し入れることが賛成9・反対5の賛成多数で決まります。
これを受けて小淵沢町長は北杜市に合併協議を申し入れ、05年2月、北杜市と小淵沢町は法定協議会を設置します。
合併の方式については、協議期間が残り少ないこともあって、小淵沢町側も編入合併を支持。異論なく編入合併で決まりました。
新市の名称については、異論なく「北杜市」で決まりました。なお、旧小淵沢町域の町名・字名には「小淵沢町」を冠することになりました。
新市役所の位置についても、「合併時は北杜市役所とし、小淵沢町に総合支所を置く。将来の新庁舎の位置は、北杜市建設計画期間内(合併特例債適用
期限内)に交通の事情、他の官公署との関係など市民の利便性を考慮し、市民の意見を踏まえ検討する」と提案され、異論なく承認されました。
議員の任期の扱いについては、定数特例を適用することが提案され、合併時に旧小淵沢町域を選挙区とする定数5の増員選挙を行う(合併前の北杜市
の定数は37)ことが決まりました。また任期満了時にも定数特例が適用できるかについては、既に北杜市が成立した時点で新設合併における定数特例を適用
していたことから、国の見解も定まっていませんでした。そこで仮に適用できるとしても適用すべきか否かという議論が行われ、両議会とも任期満了時(08年
10月)の選挙では法定上限内(法定上限は26と想定)の定数とすることで一致。任期満了時の選挙では定数特例を使わないことが決まりました。
05年3月22日にすべての協議を終了。3月25日に合併協定書の調印と合併関連議案の議会議決を済ませ、期限内に間に合わせました。
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群馬県 安中市+松井田町=安中市 (新設合併、06年3月18日)
群馬県西部の安中市と碓氷峠の玄関口にあたる松井田町が合併して1つの市になりました。
人口は、安中市が約47000人、松井田町が約17000人です。
当初は高崎市が、藤岡市・安中市・松井田町・旧群馬町・旧箕郷町・旧新町・旧倉渕村・榛名町・吉井町・玉村町の10市町村との広域合併に前向きでしたが、
安中市と松井田町は次第に高崎市から距離を置き始めます。03年6月に高崎市は10市町村に合併協議を呼びかけますが、2市町は応じず、03年8月には
安中市と松井田町の2市町で「任意合併協議会設立準備会」を設置。2市町での合併の検討を開始します。
04年1月、安中市と松井田町は任意協議会を設置します。
まず高崎市との合併協議の是非について、再び任意協議会の場で議論が行われました。03年11月の高崎市からの再度の任意協議会参加の呼びかけに
対し、既に2市町は「今のところ参加の意向は無い」と回答していましたが、特に安中市を中心に高崎市との合併を求める意見もあり、高崎市との合併協議に
ついて任意協議会の議題とすることが、高崎市への回答の前提として決まっていました。安中市と松井田町との同一歩調を確保するのが狙いと思われます。
任意協議会で議論されましたが、結局「安中市は安中市」「松井田町は松井田町」で各々適宜判断することに落ち着きました。
その後04年4月に、安中市の住民から高崎市との法定協議会設置を求める住民発議が行われましたが、7月に高崎市が法定協議会設置議案を議会に付議
しない旨を回答し、住民発議の手続きは終了しています。
合併の方式については、新設合併の方向で検討・協議することが決まりました。
新市の名称については、「公募方式を採用し、法定協議会移行後に決定する」ことが提案され、異論なく承認されました。
新市役所の位置については、安中市役所とすることが提案され、異論なく承認されました。
議員の任期の扱いについては、小委員会で検討されました。議会の検討状況や民間委員の意見などを踏まえた議論が行われましたが、特例不適用と在任
特例の2案で溝が埋まらず、結論を法定協議会に持ち越しました。
04年10月、安中市と松井田町は法定協議会を設置します。
合併の方式については、新設合併とすることが提案され、異論なく承認されました。
新市役所の位置については、任意協議会の合意通り、安中市役所とすることが提案され、異論なく承認されました。また合併後当面は松井田町役場に
総合支所的な機能を持たせることになりました。なお、その後の調整で教育委員会は松井田庁舎に置かれることになりました。
議員の任期の扱いについては、まず定数特例を適用しないことを決めました。続いて両議会間で調整を進めた結果、「07年4月30日までの在任特例適用、
特例終了後の定数は28(法定上限は30)とし、その次の選挙の定数は24とする」と提案されました。松井田町議会議員の任期満了は07年4月29日、
安中市議会議員の任期満了は07年12月10日でした。
協議会では特に反対意見は無く、原案通りで承認されました。
新市の名称については、住民を対象に公募することになりました。2市町の名称も候補から除外していません。公募結果は以下の通り。
<公募結果上位>
1位 碓氷 366件 2位 安中 215件 3位 うすい 111件 4位 碓氷安中 30件 5位 あんなか 22件 6位 遠足(とおあし) 16件
小委員会は公募上位2点のほかに3点を選定し、以下の5点を協議会に報告しました。結果として公募上位5点と同一となっています。
「碓氷」「安中」「うすい」「碓氷安中」「あんなか」
今後の選定方法について、小委員会では「住民投票を行うべきだ」「応募総数の多少にかかわらず、結果は大切にすべきだ(よって住民投票は必要ない)」との
両論の意見が出ていました。
協議会では安中市議会の委員から「安中市」にすべきとの意見が出たほか、「碓氷市」を推す意見もありました。事務局からは小委員会での意見を踏まえ、
「投票でも2/3の賛成を得た候補が無ければ住民に判断を委ねる」という案が出されましたが、「公募数が少なすぎる。住民投票を行った上で、協議会で最多
となった候補に決めるべきだ」「安中市を含めた公募でも碓氷市が1位になった。また民意を取り直すのはいかがなものか」など小委員会と同じ意見対立が繰り
返されました。安中市は「安中」、松井田町は「碓氷」を支持していたため、どちらも引くに引けない状況でした。
休憩を挟んで、ようやく松井田町側が住民意向調査の実施に合意し、町議会議長が表明しました。「1世帯1票」で住民の意向を確認し、1位となった候補を新市
の名称とすることも申し合わせました。住民意向調査の結果は以下の通り。
<住民意向調査結果>
1位 安中 7707件 2位 碓氷 3759件 3位 碓氷安中 1362件 4位 うすい 819件 5位 あんなか 478件
以上により、「安中市」に決定しました。
なおその後の調整で、旧松井田町域の町名・字名については「松井田町」を冠することが決まっています。
05年2月にすべての協議を終了し、合併協定書に調印しました。
しかし、その後松井田町で合併反対の運動が盛り上がります。05年9月の松井田町長選で合併に反対する新人が、合併を推進してきた現職を破って
当選を果たしました。05年10月に松井田町で実施された住民意向調査では、「安中市との合併に反対」が73.7%を占め、「合併に賛成」の20.2%
を大きく上回りました(他に「わからない」6.2%)。松井田町長は当初、この住民意向調査の結果を踏まえつつ、町民に合併の理解を得る意向でしたが、合併
反対派の後押しを受け、合併の白紙撤回を求める姿勢に転換しました。11月に県や総務省に合併の白紙撤回を要望・請願しましたが、既に05年7月に官報
告示まで終了しており、相手にされませんでした。
結局05年12月に松井田町長は合併の白紙撤回を断念。2市町は予定通り合併しました。
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茨城県 笠間市+友部町+岩間町=笠間市 (新設合併、06年3月19日)
茨城県中部・水戸市の西にある1市2町が合併して1つの市になりました。
人口は、笠間市が約30000人、友部町が約36000人、岩間町が約17000人です。
02年10月に笠間市・友部町・岩間町は任意協議会を設置しますが、合併の時期をめぐって、03年10月の合併をめざす友部・岩間両町と、もっと協議期間が
必要とする笠間市が対立。同月内に笠間市が離脱を表明し、任意協議会は解散に追い込まれます。
03年7月に友部町で行われた合併に関する住民アンケートで、枠組みとして「友部町・岩間町の2町」が42%と最多となり、2町合併の機運が高まります。
03年8月、友部・岩間の2町は任意協議会を設置し、03年9月、法定協議会に移行します。
しかし、合併の方式について、友部町の委員が「対等合併・編入方式」を主張したのに対し、岩間町の委員は「新設合併」を主張し、対立は解けませんでした。
04年2月の第5回協議会で、協議会を2ヶ月程度凍結することが決まりました。その間に両町の民間委員・議会選出委員同士が非公式で話し合いましたが、
妥協点は見出せず、04年5月に岩間町議会は法定協議会廃止議案を可決。04年6月末には正式に解散となりました。
04年8月、茨城県知事の呼びかけで、笠間市・友部町・岩間町の3市町の首長・議会議長と関係する県議会議員が集まって懇談が行われ、一転して
今度は3市町による合併推進で合意します。しかし笠間市議会は3市町の合併には慎重でした。
04年9月に笠間市は合併に関する住民アンケートを実施。その結果「合併に賛成」は約70%を占めました。笠間市長は民意をテコに、市議会を合併に向けて
動かそうとします。
04年11月に笠間市長は二度にわたり法定協議会設置議案を市議会に提案しようとしますが、いずれも議会の賛同が得られる見込みが無いことから直前に
取り下げます。04年12月、笠間市長は法定協議会設置議案を市議会に提案しますが、結局賛成6・反対8で否決されました。
しかし土壇場となった05年2月14日、3市町の首長・議会正副議長は、合併協議会設置の事前協議を実施します。
05年2月21日、笠間市長は他2町とともに法定協議会設置議案を再提出。今度は笠間市議会では賛成7・反対7の同数となり、議長裁決で可決され
ました。他2町議会も可決し、同日付で笠間市・友部町・岩間町は法定協議会を設置します。
合併の方式(新設合併)・新市の名称(笠間市)・新市役所の位置(友部町役場とし、笠間市役所と岩間町役場は総合的な機能を持つ支所とする)に
ついては、既に事前協議で合意していたこともあり、異論なく承認されました。地理的にも結節点となり、かつ人口の最も多い友部町役場を市役所としつつ、
笠間市には「名」を取らせた格好になっています。
なお、その後の調整で、本庁機能のうち教育委員会は笠間支所に、農業委員会は岩間支所に置くことにしました。
議員の任期の扱いについては、友部町議会議長から「2年の在任特例適用、特例終了後の定数は30(法定上限)」という案が出され、他の2市町の議会
議長や民間委員からも反対意見が出なかったため、そのまま承認されました。友部町議会がこの案を出した背景には、各議会の任期満了予定日が、笠間市は
08年1月14日、友部町は07年12月31日、岩間町は07年11月22日であり、いずれも合併期日の時点では長期間任期を残した状態になることがありました。
05年3月12日にすべての協議を終了、3月22日に合併協定書に調印し、3月23日に各議会が合併関連議案を可決。申請期限に間に合わせました。
合併後、在任特例適用に市民の不満が募り、住民団体は市議会解散の直接請求を行いました。06年11月、解散の是非を問う住民投票の直前に市議会は
自主解散。出直し市議選の定数も28と、法定協議会で決めた30を2議席下回っています。
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