Ireland & Germany

2009年7月19日〜8月2日

1日目  7/19(日)

成田発9分時35分のルフトハンザ711便が、滑るようにフランクフルト空港に降り立ったのは午後2時10分
約12時間強のフライトだ。
村上春樹の「ノルウェーの森」を読んだり隣の大手旅行会社添乗員Aさんと話をしているうちに着いてしまった

「ノルウェーの森」はさすが450万部売れただけあってすばらしいと思った。
隠喩を用いた巧みな表現力。情景描写にしろ心理描写にしろその表現力はすごい。
世界中の愛読者を虜にするわけだ。
やたら感心していると、隣のKさんが「主題は何?」と聞いてきた。
そう言われると「何だろう?喪失感?」

Aさんは60人の客を連れてこれからノルウェーやスウェーデンを廻るという。でもまだ10人のホテルが決まってないという。さすが大手旅行会社・・・・・やることが大胆。でもそのツアー代金の安いこと。人が集まるわけだ。「ルフトハンザにも一人当たり3万円くらいで乗せてるのでないかな」とのこと。
なるほどね・・・。ツアーってそうやって仕組まれるわけか。
機内食の上手な取り方などを聞いてるうちにフランクフルトへ。

フランクフルトから、さらにルフトハンザ4982便でダブリン空港へ
ダブリンは土砂降りの雨だった。
日本から予約していたホテルの人がプラカードを持って待っていた。
海辺のそばのホテルだった。
ホテルに着く頃には、雨は止み、海には大きな虹が架かっていた。

    

食事も頼んでいたのだが、食べられる状態ではない。
何しろ朝、成田で簡単な朝食、フライト中に3食、そしてホテルでの夕食。

2日目  7/20(月)

今日は日本人ガイドのNさんの案内でニューグレンジとタラの丘へ

 

途中にあったコテージとニューグレンジからの眺め

 
世界遺産ニューグレンジとその入り口

ダブリンから北西約60Kmにある世界遺産ニューグレンジ
5000年以上前の巨大古墳です。
下の穴は墓への通路。狭い通路を20mくらい行ったところが墓の中心になっていて、墓室にはすり鉢状に削った石がある。
墓全体は石を組み合わせて作ってあるが、現在に至るまで一滴の雨水も侵入していないとのこと。
興味深いのは、墓に続く通路。1年で最も日の短い冬至の日、上の穴から陽光がまっすぐに中心の墓室に届くように設計されているそうだ。その日、ここに入室できるのはくじで当たった人のみ。
Nさんは毎年応募しているが、当たらないそうです。
それから巨大石に書かれている謎の渦巻き模様。天文学的にも文化的にも高い要素をもっている遺跡とか

 
タラの丘と羊の群れ

紀元前200年頃アイルランドに移入してきたケルト人によって作られた連合国家、王の中の中心がタラ王?

私は、数年前に読んだ「続・風と共に去りぬ」で、スカーレット・オハラの「タラに帰ろう」と言うせりふと、
アイルランドに渡って、タラでまた一からやり直していく彼女のたくましい姿を思い浮かべてしまったのだが・・・・

アイルランドの羊がとても可愛らしかった。
ひろーい草原で、頭と足が黒く羊がのんびりしている姿には、心が癒されます。

 
トリム城

12世紀から13世紀に建てられたノルマン様式の城で難航不落の城として知られていたそうです。
映画の撮影にも使われるそうです。


3日目  7/21(火)
ダブリンに戻って市内を見学した。

 

アイルランドの建物は左上のようなものが多いです。どこも花で飾られています。
一番綺麗な環境保護の町には3000万の報奨金があるとか。
(ダブリン市内の話でなかったかもしれませんが、そんな市があるようですよ。)
そのお金をまた文化・環境維持に使うそうです。
とてもいい環境保護対策だなと思いました。K市のようにただ木を植えっぱなしよりよっぽどすばらしい政策です。
右上はダブリン城
それからトリニティー・カレッジを訪問しました。旧図書館には古い蔵書が20万冊収められている。床から天井までびっしり・・・・ケルト芸術の最高峰と称される「ケルズの書」も見ることができた。

午後はNational Galleryへ
フェルメールの絵がゆっくり見られたのがよかったな。
途中雨に降られる。アイルランドは本当によく降る。でも一日続くことはない。降ったと思ったら止んで、止んだと思ったら降る。よくころころ変わる。


4日目  7/22(水)

いよいよ今日から現地の3泊4日のレイルツアーだ。(電車に乗って廻るツアー)
ダブリンのヒューストン駅に午前6時40分まで集合とのこと。
トランクをホテルに預けてリュックを背負ってタクシーで向かう。
黄色いジャケットの65歳くらいの添乗員(二人)から詳しい旅行日程をもらう。(勿論全て英語だ)
7時に電車に乗り込む。参加人数はざっと60人はいたと思う。

初日はダブリンからコークに廻って観光しキラーニーに向かう予定だ。(見づらい地図ですが)

一時間くらい乗ったところで旅行者が皆下車し、向かい側に泊まっていた電車に乗り込み始めた。
まだ、コークではないのになあと思ったが、友人のKさんも「降りるよ。」と言うし、不思議なことに皆が降りると降りなくちゃという心理状況に陥る。
「そうか、この電車はここで終点なので乗り換えるのか」と一瞬そんなことも考えた。
ところがほとんどの人は降りたにもかかわらず、座ったままの人も四五名いた。
急いでプラットホームにいた黄色いジャケットの添乗員(男)に
「私達も乗り換えるのか。」
と聞いたら、添乗員は、私の持っている日程表をめくって(それが4ページほどの紙にずらずら書いてある。)
「そうだ。そっちの電車に乗り換える。」(その間10秒くらい)
と言って指さしたので、急いで他の観光客と一緒に乗り換えた。
ところが乗り込んだ電車は反対向きの走るではないか・・・
不思議だなと思って、隣に座っていた一般の乗客に
「この電車はコークに行きますか?」
と聞いたら、「行かない。リムリックに向かってる。」
とのこと。びっくりした私は、その電車に乗っているもうひとりの添乗員(女)に事情を話した。
彼女は目をまん丸くして驚き、携帯電話で連絡を取り始めた。
それはそうです。よくわからない日本人女性二名がちがう観光に混ざってしまったのですから。
私は、その時、初めて二つの観光が同時に行われていることを知った。
(スケジュールの紙の色くらい別にしておけばいいのに・・・)

結果的には、リムリックに降り立った私達は、添乗員と鉄道員の誘導で高速バスに乗せられ、無事コークについて、一時間半遅れで、ツアーに参加することが出来たのですが・・・。
高速バスに乗り込むとき、私達の行動によっぱど懲りたのか、
「途中2箇所でストップするけど、絶対降りてはだめだよ。コークには○時○分に着くからね。」
と念をおされる始末。
コークでは、私達に間違えて教えた添乗員と観光バスが待っていた。
彼は私達以上に喜んでいたと思う。

 
ブラーニー城(1446年要塞として建てられる。)

  

   ここはコーヴ(Cobh)「入り江」を意味し、 Coveに由来するそうです。
ここは1912年処女航海で沈没したタイタニック号の最終寄港地だそうです。
この港からは250万の人が、新天地を求めて国を去ったそうです。
その時の航海の様子が博物館で見ることが出来ました。
そこで亡くなった人達の墓地も尋ねました。

 

この日の宿泊先キラーニーとホテル
寒くてセーターを現地調達しました。


5日目  7/23(木)

この日は、ケリー周遊。(ケリー半島を観光バスで廻る)
近くの現地ツアーバス発着所に10時に集合とのこと。
1台ケリー周遊と書いてある観光バスが待っていたので、それに乗るのかと思ったら違うという。
しばらくすると、違うバスが着てそれに乗り込む。昨日と同じメンバーもいれば、違う人もいる。
ニューヨークから着たおばあちゃんとも話したがとても元気だ。
彼女はケリー周遊が終わったら、ダブリンに帰るという。
本当に色々な人が集まっているんだなあと不思議に思った。(日本じゃあまり考えられない。)
天気があまりよくない。一日中小雨が降っていた。

 

 



6日目  7/24(金)

朝7時15分、キラーニーからリムリックに向かうためにバンが迎えにきた。
そこに乗っていたのは、運転手とその息子(7歳の男の子)とニュージーランドからの旅行者1名
私達2名を入れると、お客はたった3名。
ますますこのツアーはどういう仕組みになっているのだろうと不思議に思った。
彼女も今日のツアーが終わるとダブリンに戻り明日の朝一番でイギリスに行くそうだ。

でも約2時間の間、アイルランドの産業や人口など色々お話しできたので良かった。

私が男の子に簡単な質問をしたら通じなかった。
アイルランドの彼女が「通訳してあげるね。」
と言って質問したら彼はきちんと答えた。
ちょっとショックだった。
「わたしの発音悪いの?」
と聞いたら、彼女もお父さんも、「そんなことないよ。小さな子は微妙なアクセントで分からないことが多いんだ。クリアーだし、ぼく(お父さん)にはしっかり分かるよ。」と慰めてくれた。
その上、彼女は(Tour Director)
「数年前ニュージーランドに日本の中学校の英語の先生が来たけど、中にはほとんど話せない人もいたよ。」
など話してくれた。

彼らも言ってたけど
「積極的にコミュニケーションを取ること、常に英語で考えることが英語マスターの最良の方法だよ。
あなたたち日本人同士も英語で話すと、どんどんマスターするよ。」
などアドバイスをいただいたが、悲しいことに、のど元過ぎれば熱さを忘れてしまうのよね。
とにかくこの2時間は、とても楽しい時間でした。

その彼女も、このツアー中
「添乗員(例の65歳くらいの男の人)の英語理解できた?」
と聞いてきたので、首を振ったら
「訛りが強いよね。」
と言って時々訳してくれた。
人の英語言えた身分じゃないけど、ニュージーランドもaの発音が特殊だ。
彼女の英語はとても分かりやすかったが・・・。
このツアー中、添乗員が三名変わったが、聞きやすい人もいたし、そうでない人もいました。
Japanese Englishでいいや。開き直ることも大切だ。


この日のツアーは、リムリックから観光バスに乗って、ボンラティ城(15世紀)と民芸村、モハーの断崖などを見学し、キラーニーへ向かう。
ダブリンから列車に乗って来た観光客で大型バスは満員になった。
添乗員は例の気のいいおじいちゃん。私達のことをよく覚えていた。

ボンラッティ城と民家
1425年に建てられた城だそうです。6階建ての塔です。
中にはその当時のフランドル製の壁掛けやオーク材の棚、嫁入りダンスなどがあったが、凝った彫刻は素晴らしかった。
15世紀のものなので色鮮やかではないが、何年もかけて作ったであろう家具の彫刻や、壁掛けの文様などには当時の栄華が忍ばれる。(中はやや暗くて写真がうまく撮れませんでした。)


 

 ボンラッティ民芸村
100年前のアイルランドの住宅や住宅環境を再現したもの。


 

モハーの断崖
海面から200mの高さの断崖絶壁

昨年はホームスティーで来ていたスペインの女の子(?)
その前の年は○○の国の人で・・・・と、後日、話してくれたのは日本人ガイドのNさん。
これは決して自殺ではなく、若い子はふざけて絶壁の縁まで行って写真を撮ったりするので誤って落ちるようだ。と言うわけで、1年くらい前に乗り越えられない柵が出来た。
とにかくすごい絶壁が、8Kmに渡って大西洋に突き出ているそうです。
とにかくすばらしい断崖だった。


  

   バレン高原
モハーの断崖の後は、バレン高原を通って本日の宿泊地ゴールウェーに向かう。
バレンとはゲール語で「石の多い場所」を意味するそうです。
果てしなく、石灰岩の丘陵が広がっている。
約2億6000万年前に起こった地殻変動で海底から押し上げられた石灰岩だそうです。
大西洋とかすかに見えるのはアラン諸島

 



7日目  7/25(土)
色々あったレイルツアーも今日で最終日。
アイルランドの北西コネマラ国立公園をまわる日だ。

ゴールウェー駅のwaiting room 9:45分集合と前日念を押されたので、9:30には駅に着いてチケット売り場で待っていた。
ダブリンからの列車も着いたのに、9:50分になっても、黄色のジャケットの添乗員は現れない。
どうしたんだろうと思っていると、前日一緒に観光したアジア人が英語で「こっちだよ。」と手招きして案内してくれた。waiting roomはプラットホームの中にあった。日本だと切符売り場にwaiting roomはあるのに・・・
と、またもや日本との違いを痛感した。

コネマラ国立公園


森(ほとんどが苔)と渓谷、所々に湖がある。

  

湖畔にたたずむカイルモア修道院と教会

 

8日目  7/26(日)

 いよいよアイルランドも最後の日となりました。
グレンダーロッホ(7つの教会の町)
ウィックロウ山脈の懐にたたずむ初期キリスト教会(6世紀から9世紀)の跡がある。
最後は日本人ガイドのNさん(アイルランド女性と結婚して、アイルランドに住んで7年とか)とっても親切でいい人でした。私達が行きたいところをいろいろ案内してくれ、とても楽しい一日でした。

 
アイリッシュ海で泳いでいる人(老人)がいました。ちなみに私達はセーターを着ていました。
右は泥炭(湿地帯)です。今は国立公園になっているので泥炭を取ることは出来ないそうですが、一昔前は上のようにして乾かして、炭として使ったようです。

 

 
グレンダーロッホ




私達の趣味がガーデニングということなので
アイルランドの庭園の中の庭園パワーズ・コートに案内していただきました。