ぶたごやへかえる   便所の落書き (2003/1/14)

漫画家にもどって、てってー的にふざけようとおもったが、どうにもまじめになってまうのでいかんなー。反省するのはブタもできる。世の中がふざけすぎだもんなー。真面目に正論をのべるのは珍獣扱いされるらしいな。








●二年前のブランコ事件
 子供の遊び場の問題が深刻です。外で思いっきり遊ばせることが大事。私の子供のころの大人は「子供は風の子」といって、外においだしたものです。小学生ともなると、一日外に出たっきりかえってこない。
 今の子供は不自由です。心のなかまで囚人のように監視されています。これじゃまともには育たない。
 せめて、ブランコくらい、おもいっきりのせてやろうではないですか。
 国分寺市にはプレイパークがあって、秘密基地をつくって冒険遊びをしています。でもそれはごく一部です。なかなか、そういう思想は理解されません。
 下の記事をいま読むと、自分でも「おいおい偉そうなこと言うじゃねーか」と言う感じ。児童書の世界で干されたこともあり、生活できず、いまはおとなしくしているのですが、若気のいったりきたり。しかし、ちーとも世の中よくなってないのに、消してしまうのもなんだしなあ・・・その辺をご理解ください。どの辺?そのうち全部消します。(2008/3/16)

  諸行無常、諸法無我。涅槃寂静。一切行苦。南無阿弥陀仏。

●ブログ「ココログ」の「ぶたの一声」
2006年3月 4日 (土)

ブランコが消えたけど復活した

天気がいいので、公園にいくと、なんとブランコがあった。
子供が楽しそうにのっているし、土曜とあって赤ちゃん連れの親子もいて、小さな公園がにぎわっていた。シールに「3歳から12歳用」とかいてあったが、そのシールが早くも端っこがめくれていた。地面からやたら高いのはしかたがないのか。

座面は一体成型のプラスチックだった。メーカーも製造物責任を問われて御苦労も多いでしょうが、今後とも研究を重ねて良い製品を提供されることをお願いします。

現場の公務員の方も、見識と勇気をもって仕事にあたられることだ。地域の変な団体などから訳のわからないイチャモンがつくこともある。公務員や、会社の現場ではたらくひとびとが、恐れてびびって、過剰防衛をする。こんな社会をまともにするのは困難だが、ひとりひとりが強くなるしかない。若者は己を鍛えて、腐った大人に対抗しなさい。

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2005年11月12日 (土)

ブランコが消えた12

進展なし。どこかの公園(調布か?)の写真では、おむつカバーのような形のものを板のかわりに使ったブランコが写っていた。親がつきそいで赤ちゃんを乗せるものだろう。ひとりで乗りたい幼児や、児童にいじわるをしている。そんなものに少し大きな子がのれるわけがない。

ブランコの位置がやたら高くなっているのもおかしい。高ければ幼児は怖い。

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2005年9月13日 (火)

ブランコが消えた11

箱ブランコの行政の対応についての指摘

http://www.sportsnet-japan.com/Safety/Topics/Jikenbo/20020910-105349.html

ブランコが消えてしまうわけ

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-11-15/13_01.html

ブランコの歴史は古い。公園遊具の王様だ。子供が歩いて行けるところにあることに意義がある。

2005年7月29日 (金)

ブランコが消えた7

ブランコをじゃま物あつかいして、子供からその楽しみを奪う動きがあるとすれば、国家、民族存亡の大問題だ。

私は普通のブランコだけでなく、悪者扱いされて絶滅しかかっている箱ブランコも復活させるべきだと思う。http://homepage3.nifty.com/harebuta/benjo.htm

学問のすずめ「遊具の問題。箱ブランコをどうするか?」参考に。

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2005年7月25日 (月)

ブランコが消えた4

あらためて考えると最近できた窪東公園(元学校のグランドだから広い広い)にも遊具はあるが、昔ながらのブランコがない。

近年整備された内藤公園や近くの公園にもブランコがない。国分寺市はブランコをなくす方針なのか?もしそうなら、これは国家的な大問題。ブランコとは何かという命題から出発しなければならない。保育研究において遊具の研究はまったくなされていないといってよい。

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ブランコが消えた!2

7月22日公園に確認にいくと、更地のまま。砂場にいた母親に聞くと、「二つのブランコがぶつかるので、危ないから撤去したらしい」という返事。

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2005年7月21日 (木)

ブランコが消えた!

6月のある日、東京都国分寺市の都営住宅に隣接の小さな公園に寄ってみると、なんかへん!二つあったブランコが消えていた。腐ったために取り替えるのかと思ったが、説明看板もなにもない。

そこへ若いお父さんが1,2歳の女の子をつれてやってきたが。「このあたりで、ブランコにのせようとしても、遠くまでいかないと、ないんですよ」という。「そのうち新しいのができるのでは?」と答えておいた。

ブランコにのれない子供の一日は長い。「ぶらんこぶーちゃん」(チャイルド)を出版したばかりなのに、よりによって、おれんちから一番近いブランコが消えるとは!ほかのは500メートル以上離れている。

現在都へ問い合わせ中。

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●便所論 「男子便所の小便器の追放には反対する」

「小学校で男子はうんこができない」ことを拙書「心のきれはし」にも書いてあるが、これを是正しようという動きがあることは結構。
だが、先日の毎日新聞の報道では、ある学校で男子トイレの小便器を無くして、全て個室の洋便器にしたらしい。これで、「うんこしたかどうかわからないから、いじめられなくてめでたし」だと。
教育者が教育を放棄して、設備に頼って、「くさいものにふた」をしてどうする?


●平成15年2月10日東京新宿の紀伊国屋ホールで日本文藝家協会主催の「だれが本を殺すのか?」シンポジウム「書籍流通の理想をめざして」があった。
いずれ報道されるとおもうが、会場は満員だった。万引き、図書館、ブックオフ、再版、ハリポタと問題山積み。滅多に聞けないそれぞれの本音が炸裂した。しかし、本の内容制作に関しては、ほんの一言作家から発言があっただけ。
だれが本を殺すのか?

★60年近く生きていると、いろんなことがわかってくる。若いときには見えなかったものが見える。修行次第でかなりの境地にたっすることもできるのだが、明日にでも死が訪れるということも実感する。

★どういう生き方をするかは自分できめなければならない。
よく議論の場で「それなら山の中で一人で生活しろ」と、社会性を問われることがある。
この「社会」というものが曲者だ。昔の日本人は、「世間様(せけんさま)」と「お天道様(おてんとさま)」を心の規範としていた。

★世間様にそむくと、物質的生活がなりたたなくなる。
お天道様にそむくと、精神的生活が荒れる。
世間様より、お天道様のほうが圧倒的に強い。
 
★現在の日本は、世間様はでたらめで、くずが大声でどなり、いばり、大きな顔をしていて、金をもうけている。金をもうけたやつが、名誉も尊敬も受ける。

★お天道様はいらっしゃるのか?



うそ作文 教育の実践例
★うそ新聞の作り方
 小学生に紙をわたして、「うそ新聞を作ろう」というと、たいがいの子供は書き始めます。
この能力にはおどろく。なかには、なにを書いたらいいのか、戸惑う子供もいる。
そんなときの指導法。
 基本的に、大人がふざけてみせる。心の垣根をとっぱらってやることが必要。
「なにを書いてもいいんだ」と、子供がなっとくすれば、自然にいろんなことを書く。