ぶたごやへかえる 便所の落書き (2003/1/14)
漫画家にもどって、てってー的にふざけようとおもったが、どうにもまじめになってまうのでいかんなー。反省するのはブタもできる。世の中がふざけすぎだもんなー。真面目に正論をのべるのは珍獣扱いされるらしいな。
●お盆が終わりましたが、お盆というものが、里帰りやお祭りなどで、若い人にも引き継がれ、ていることに、感心します。今年は特に東北の様子で、テレビ報道などでも、まだ遺体も見つからない死者たちが多くいることを意識し、日本のお盆というものを改めて見直したといえるだろう。同時に、震災以外で亡くなった人たちも多いことを忘れることはできません。
仏教では、生死(仏教ではセイシではなく、そのころの中国の国の読み方にしたがって、ショウジと読みます)、生死を越えるということを目指しています。生死を越えると死はこわくないし、忌み嫌うことでもありません。こういう情報をお寺もあまり伝えようとしていません。自分で調べてください。ほとけくらぶでも、力不足ですが、少しやっていますので、ご覧ください。(2011/8/15)
●なでしこジャパンでサッカー大盛り上がりだが、子供がサッカー出来ないという現状をなぜマスコミは伝えないのか?澤選手は下の事件を知らないだろう。国民栄誉賞どころじゃないだろう。(2011/7/25)
●下のサッカー少年の事件についてだが、「田中裁判長」で検索すると、このサイトは12ページ目に出る。多くの人が、この判決に異論を述べているので、安心するところはある。が、大部分が若い人の意見らしい。バイクで通りかかった老人にたいして、あまりにひどい書き込みが多いことに、愕然とする。ボールを蹴った少年やそのご両親に対しては同情的な意見ばかりなのは良い。だが、ボールをよけようとして事故になったバイクにのっていた老人に対して、ひどい書き込みばかりなので、腹立たしい。いわく、「老人はバイクに乗るな」など。30歳くらいの人が多いのだろうが、この老人は被害者だ。悪いのは死後訴訟をした遺族5人と、その弁護士である。少年をかばうあまりに、この亡くなった老人をくさすというのは情けない。まったく情けない。日本はひどいことになっているようだ。30歳が60歳になるのは、あっと言う間だ、30年後に身に沁みてわかるだろう。おれはとっくに死んでるが。いずれ自分が行く道だ。南無阿弥陀仏。(平成23年7月1日)
●またまたおかしな判決が!大阪地裁!
新聞報道によると、「小学五年生が小学校の校庭でサッカーボールをゲートに向けてけったところ、門扉をこえて道路へ転がり出た」こんなことは日常当たり前にあることである。「バイクで通りかかった人がよけようとして転倒して足を骨折した」運のわるいことだがこれもありがちな事故だ。「高齢のため翌年死亡した」この件に対して大阪地裁の田中敦裁判長は「ボールが道路に出て事故が起こる危険性を予想できた」として過失を認定したとある。冗談ではない、子供が校庭でサッカーをすることを禁止したも同然ではないか。この田中敦裁判長という人、まともではない。頭が法律漬けになっていて、人々の市井の生活というものがまったくわかっていない。「少年は未成年で法的な責任への認識はなく、両親に賠償責任がある」だと。この人は子育てをしたことがあるのだろうか、これでは子供を育てる人はいなくなる。
高裁ではまともな判決をおねがいしたい。狂った司法によって日本国の未来が危ぶまれる。TBSテレビ昼おび(恵さんの番組)のコメンテイターの八代弁護士も認識が甘い。「保険に入っておいたほうがいい」だと。マスコミはバイクの男性の遺族5人が五千万円を請求した経緯などくわしく報道してください。亡くなった男性がどう思うかもふくめて、国民的関心事として議論しなければいけない。薄汚い世の中になったものだ。童謡「まりと殿様」の少女を処刑するような話だ。子供を薄汚い大人たちがよってたかっていじめている。「子ども」などと書いている子供のちかくにいるはずの大人たちよ、この件について発言を!政府の文部科学大臣などにも発言を求める。なむあみだぶつ。(2011/6/28)
「そのまま飲める赤ちゃん用ミルク」のこと
●一年後くらいに、どこかのメーカーが発売することを望みたい。関係者の奮起を期待しておきましょう。(2011/6/20)
●そのまま飲める赤ちゃん用ミルク(乳児用液体ミルク)のことですが、その後まったくマスコミでも取りあげられません。母乳のかわりのミルクが、日本では粉しかないのは、どうみてもへんです。メーカーや専門家の意見をお聞きしたい。なぜ日本には粉しかないのか?液状ではまずい理由があるのなら世間に知らせるべきだし。マスコミはなぜ、この件をとりあげないのだろうか?新米の母親たちが、きのどくでならない。検索しても何も出ない。やっと出たのがこれだけ。
「一方、ネット上では「なぜ、日本に乳児用液体ミルクがないのか」という声が相次いでいる。
乳児用粉ミルクは、食品衛生法と健康増進法で製造や栄養などが規定されている。だが、乳児用液体ミルクにはこれらの法的な規定がなく、製造はできない。このため日本乳業協会は平成21年春、厚生労働省の審議会に「乳児用液状調製乳」として製造販売できるよう基準作りを要望した。」
筆者不明 だが産経新聞文化部生活班らしい。勝手にコピーした。(2011/5/24)
●下の「そのまま飲める赤ちゃん用ミルク」のことだが、これほど頭をガツンとやられたことは、近頃珍しい。
私自身の経験は30年前になる。母乳が出なかったので、粉ミルクを買うことになった。悲惨な貧乏生活をしていたのでかなりの負担になる。武蔵野市から現物をいただいたり、安いミルクを探したことを思い出した。母乳の代わりは「粉ミルク」和光堂、森永、明治があった。とにかく「コナミルク」缶に入った粉だった。液状のものは、頭から無かった。
離乳食を食べるようになって早々とミルクは必要なくなる。新米の母親が心配で右往左往しても、喉元過ぎれば熱さを忘れるから、あとは関心もなくなる。進歩も改善もないのだ。
冷やかに、次々と生まれる子供の母親に対して先輩面するだけになるのだろう。子供関係の業界は、毎年同じことをしていれば、次々と新米の親と子が現れるので、商売になるのだ。親は我が子が成人するまで、文句はいえない。成人したら関心もなくなる。だからこの世界は安泰です。(2011/4/13)
●4月8日のFNNスーパーニュースでの報道。フィンランドの日本人から赤ちゃんのミルクが送られてきた。豆乳のような紙容器にはいった「そのまま飲める乳児用のミルク」だった。粉ミルクをお湯でといて作る作業はめんどうくさいものだ。外出するときは特に気を使う。30年前に、それまでは布おむつを使っていたが、紙おむつが普及して革命的に楽になったことを思い出した。さいきん布おむつが見直されてきたのもよいことだが、ミルクのほうは、全く進化しなかったようだ。
どうして日本には、そのまま飲める液状の乳児用ミルクがないのか?
メーカーは考えもしないのか?多分商品化を考えた人はいただろう。政府、役所に認可されないということなのだろうか?
東日本大震災は日本を変えた。フィンランドからいただいたミルク(写真見れます)を日本の被災地の赤ちゃんは飲んだ。実績はできたのだから、直ちに日本でも製造発売すると良い。緊急時にお母さんが、保育者が、とても助かる。今はチャンスだ。メーカーの人は、やってみる価値がある。関連情報(ニュース見れます)http://suomi.exblog.jp/ http://macomotion.blog36.fc2.com/ (2011/4/8)
★「そのまま飲める乳児用ミルク」で検索してみたら、いろいろ出ました。
●二年前のブランコ事件
子供の遊び場の問題が深刻です。外で思いっきり遊ばせることが大事。私の子供のころの大人は「子供は風の子」といって、外においだしたものです。小学生ともなると、一日外に出たっきりかえってこない。
今の子供は不自由です。心のなかまで囚人のように監視されています。これじゃまともには育たない。
せめて、ブランコくらい、おもいっきりのせてやろうではないですか。
国分寺市にはプレイパークがあって、秘密基地をつくって冒険遊びをしています。でもそれはごく一部です。なかなか、そういう思想は理解されません。
下の記事をいま読むと、自分でも「おいおい偉そうなこと言うじゃねーか」と言う感じ。児童書の世界で干されたこともあり、生活できず、いまはおとなしくしているのですが、若気のいったりきたり。しかし、ちーとも世の中よくなってないのに、消してしまうのもなんだしなあ・・・その辺をご理解ください。どの辺?そのうち全部消します。(2008/3/16)
諸行無常、諸法無我。涅槃寂静。一切行苦。南無阿弥陀仏。
●ブログ「ココログ」の「ぶたの一声」
2006年3月 4日 (土)
ブランコが消えたけど復活した
天気がいいので、公園にいくと、なんとブランコがあった。
子供が楽しそうにのっているし、土曜とあって赤ちゃん連れの親子もいて、小さな公園がにぎわっていた。シールに「3歳から12歳用」とかいてあったが、そのシールが早くも端っこがめくれていた。地面からやたら高いのはしかたがないのか。
座面は一体成型のプラスチックだった。メーカーも製造物責任を問われて御苦労も多いでしょうが、今後とも研究を重ねて良い製品を提供されることをお願いします。
現場の公務員の方も、見識と勇気をもって仕事にあたられることだ。地域の変な団体などから訳のわからないイチャモンがつくこともある。公務員や、会社の現場ではたらくひとびとが、恐れてびびって、過剰防衛をする。こんな社会をまともにするのは困難だが、ひとりひとりが強くなるしかない。若者は己を鍛えて、腐った大人に対抗しなさい。
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2005年11月12日 (土)
ブランコが消えた12
進展なし。どこかの公園(調布か?)の写真では、おむつカバーのような形のものを板のかわりに使ったブランコが写っていた。親がつきそいで赤ちゃんを乗せるものだろう。ひとりで乗りたい幼児や、児童にいじわるをしている。そんなものに少し大きな子がのれるわけがない。
ブランコの位置がやたら高くなっているのもおかしい。高ければ幼児は怖い。
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2005年9月13日 (火)
ブランコの歴史は古い。公園遊具の王様だ。子供が歩いて行けるところにあることに意義がある。
2005年7月29日 (金)
ブランコが消えた7
ブランコをじゃま物あつかいして、子供からその楽しみを奪う動きがあるとすれば、国家、民族存亡の大問題だ。
私は普通のブランコだけでなく、悪者扱いされて絶滅しかかっている箱ブランコも復活させるべきだと思う。http://homepage3.nifty.com/harebuta/benjo.htm
学問のすずめ「遊具の問題。箱ブランコをどうするか?」参考に。
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2005年7月25日 (月)
ブランコが消えた4
あらためて考えると最近できた窪東公園(元学校のグランドだから広い広い)にも遊具はあるが、昔ながらのブランコがない。
近年整備された内藤公園や近くの公園にもブランコがない。国分寺市はブランコをなくす方針なのか?もしそうなら、これは国家的な大問題。ブランコとは何かという命題から出発しなければならない。保育研究において遊具の研究はまったくなされていないといってよい。
ブランコが消えた!2
7月22日公園に確認にいくと、更地のまま。砂場にいた母親に聞くと、「二つのブランコがぶつかるので、危ないから撤去したらしい」という返事。
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2005年7月21日 (木)
ブランコが消えた!
6月のある日、東京都国分寺市の都営住宅に隣接の小さな公園に寄ってみると、なんかへん!二つあったブランコが消えていた。腐ったために取り替えるのかと思ったが、説明看板もなにもない。
そこへ若いお父さんが1,2歳の女の子をつれてやってきたが。「このあたりで、ブランコにのせようとしても、遠くまでいかないと、ないんですよ」という。「そのうち新しいのができるのでは?」と答えておいた。
ブランコにのれない子供の一日は長い。「ぶらんこぶーちゃん」(チャイルド)を出版したばかりなのに、よりによって、おれんちから一番近いブランコが消えるとは!ほかのは500メートル以上離れている。
現在都へ問い合わせ中。
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●便所論 「男子便所の小便器の追放には反対する」
「小学校で男子はうんこができない」ことを拙書「心のきれはし」にも書いてあるが、これを是正しようという動きがあることは結構。
だが、先日の毎日新聞の報道では、ある学校で男子トイレの小便器を無くして、全て個室の洋便器にしたらしい。これで、「うんこしたかどうかわからないから、いじめられなくてめでたし」だと。
教育者が教育を放棄して、設備に頼って、「くさいものにふた」をしてどうする?
●平成15年2月10日東京新宿の紀伊国屋ホールで日本文藝家協会主催の「だれが本を殺すのか?」シンポジウム「書籍流通の理想をめざして」があった。
いずれ報道されるとおもうが、会場は満員だった。万引き、図書館、ブックオフ、再版、ハリポタと問題山積み。滅多に聞けないそれぞれの本音が炸裂した。しかし、本の内容制作に関しては、ほんの一言作家から発言があっただけ。
だれが本を殺すのか?
★60年近く生きていると、いろんなことがわかってくる。若いときには見えなかったものが見える。修行次第でかなりの境地にたっすることもできるのだが、明日にでも死が訪れるということも実感する。
★どういう生き方をするかは自分できめなければならない。
よく議論の場で「それなら山の中で一人で生活しろ」と、社会性を問われることがある。
この「社会」というものが曲者だ。昔の日本人は、「世間様(せけんさま)」と「お天道様(おてんとさま)」を心の規範としていた。
★世間様にそむくと、物質的生活がなりたたなくなる。
お天道様にそむくと、精神的生活が荒れる。
世間様より、お天道様のほうが圧倒的に強い。
★現在の日本は、世間様はでたらめで、くずが大声でどなり、いばり、大きな顔をしていて、金をもうけている。金をもうけたやつが、名誉も尊敬も受ける。
★お天道様はいらっしゃるのか?
★うそ作文 教育の実践例
★うそ新聞の作り方
小学生に紙をわたして、「うそ新聞を作ろう」というと、たいがいの子供は書き始めます。
この能力にはおどろく。なかには、なにを書いたらいいのか、戸惑う子供もいる。
そんなときの指導法。
基本的に、大人がふざけてみせる。心の垣根をとっぱらってやることが必要。
「なにを書いてもいいんだ」と、子供がなっとくすれば、自然にいろんなことを書く。

じ ざ