矢玉四郎のちゃんとわかるとけい ポプラ社 絶賛発売中 世界ではじめての時計の取り扱い説明書ザビエルが日本に時計を持ってきたが、説明書はもってきたのか?徳川家康は時計の読み方を習ったのか?明治時代に時計が一般にひろまるのだが、そのときの「読み方の説明書」を発見した人はぜひお知らせください。そんなものは見たことがない。また、そのころの時計の教え方の文書を御存知の方、ぜひお知らせを。現在でも、時計のない国、地方はあるだろう。初めて時計を見る人に、どう説明するのか?そんな体験記などもあるかもしれない。
とにかく、この絵本が初めての取扱い説明書だといっておこう。世界を探せばないわけはないのだが、外国の時計の絵本も、わけのわからないものばかりだから、過去にあったとしても現在は滅亡していることはまちがいないだろう。
二眼時計(私が命名した)が意匠登録を認められたということは、他に類例がないということだ。スイスの腕時計には、短針と長針の軸を別々にしたものがある。これは、機械屋がメカの自慢をしたいために作ったマニアックなものだ。類例としてはこれしかない。
●お急ぎの方はこれだけ覚えてください。
長針をとりのぞいて、短針だけの時計を子供に見せて、時間を教える。

全ページに穴があいていて、ねこ時計、いぬ時計、ペンギン時計と、ページごとにかわいい時計が。針は手で動かせます。こんな仕掛けも、いままでなかった、たのしい絵本。©YADAMA SHIRO 2001二眼時計は意匠登録(出願番号第11-28856号)登録番号1121851この度、正式に登録されました。2年かかりました。
「心のきれはし」の時計論の実践編です。教育現場の先生方、ぜひ御検討を。
「時計がわからないまま高校生になった人がいる」という発言を文部科学省の現役官僚の寺脇研氏の本で読んだ。
私はこれを見て疑問に感じ、小学校の教科書を開いてみた。わかったことは、メーターとしての時計の文字盤の取り扱い説明書がないことに気がついた。あとは、「心のきれはし」の第6章「時計教育を考え直す」を参照してください。
時計の絵本は数々ありますが、西洋のものを見ても、ちゃんと説明したものは、皆無です。これは、世界の盲点です。なぜ、私がそれに気がつくのか?ここが重要です。日本にも、ノーベル賞級の科学者は多いのですが、日本では残念ながら認められません。外国へでて、外人のお墨付きをもらわないと、日本人は認めない。
この絵本は、世界へ発信したいとおもっています。この絵本をつかえば、物理学を専攻された志位共産党委員長の教育論に出てくるような「時計がわからないといって学校から泣いて帰る子供」はなくせます。
★「若い人は『9時15分前』という言い方をしないみたいね」と、中年の夫婦の話が耳に入った。これこそ、この、2、30年の教育の誤りを示す例だ。頭がデジタル思考になっている。おおざっぱに物事をとらえて大局を見ることができない人、そのくせ細部は正確に数字化するという、小賢しい愚か者を量産してきた。15分はクォーターという一語でひとつの量としてとらえることが大事なのだが、一分にこだわる神経質でデジタルな教育を文科省がおしすすめてきた。ただちに改善すべきだ。このことも、この本を出版した理由のひとつだ。「ゆとり教育」にはこのようなことも考えられていたはずなのだが・・・(平成14年9月追加)
●「ちゃんとわかるとけい」絵本を推薦します。
千葉大学工学部デザイン工学科
釜池光夫教授
「矢玉四郎のちゃんとわかるとけい」は、世界の誰も気づかなかった盲点を鋭く暴き出し、視覚と言語の両野で、デザイン、マンガ、絵本、作詞、童話と、子供の心に添いながら、鮮烈な創作活動をされてきた矢玉四郎ならではの絵本だ。
時計教育への疑問から、なぞだらけだった時計の文字盤を、西洋文明の源流メソポタミアまで逆上ってメーターとしての時計を論理的に解明したうえ編み出された、児童の右脳を活性化させる、視覚教育の優れた成果である。
「子供がなぜわからないのか?」がわかる、小学校の先生方に、ぜひ試していただきたい教授法の極意を表した絵本だ。
素朴な絵の奥に、矢玉四郎の無垢な子供心から発した、お母さんお父さんへの熱いメッセージが読みとれる。
素朴な疑問と、熱いメッセージに乾杯!
●寄せられた声
Sさん
「特に時計の学習方法は、子供の頃の私に教えてやりたいくらいです。判らなかったんです。時計の見方。
教材の時計の針を、ただくるくる回すだけで「これは何時」「はい、これは何時何分?」
そんな事云ったって、今まで正確な時間の概念が無かった子供にどうしろと云うのか?(というような)
教えられ方をした者にとって、目から鱗でした。」
●福島民報あぶくま抄
| 〔2000年12月1日(金)掲載分〕 |
| 新しい世紀を迎える花火とでも言ったらいいのだろうか、きょう十二月一日からBSデジタルテレビ放送がスタートする。ただし、県内のほとんどの家庭に普及しているか、となるとまだまだのようである。本紙のテレビ欄も普及率は別にして新しいチャンネルが増えた。 限られたスペース、試行錯誤の末に落ち着いた紙面をきょう購読者にお届けした。なにしろ広い県内のこと、すべての読者の満足を得られないことは重々承知している。一部地域では県内のテレビ局よりも県外の方が鮮明な画像で見ることができる―との声がある。どうしたらより多くの読者を引きつけることができるのか、答えはまだまだ見えない。 テレビ番組欄に限らずここ十年ほど、価値観は驚くほど多様化した。人間にたとえると、デジタルの対極にあるアナログ人間は二十世紀の遺物?として駆逐されるのだろうか。パソコンを中心とした社会では、技術革新についてゆけない人間が、セクハラならぬ“テクハラ”で職場を追われる厳しい現実もあると聞く。 児童書作家の矢玉四郎さんが著書「心のきれはし」(ポプラ社)でこんな趣旨ことを書いている。「旧式のアナログ時計の良さは時間の量、経過が一目でわかること。数字を表示するデジタル時計は頭の中で引き算をしなければならない。こんなばかばかしいことはない」。便利さのなかに何かを忘れてきたような気がしてならない。二十世紀も残すところ一カ月となった。 |