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赤ちゃんを亡くした人が悲しむのは、 自然なことです。 |
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赤ちゃんを亡くした女性が悲しむのは、正常で自然な反応です。 問題なのは、悲しみが悪い感情であるとか、異常で不自然なものであると 考えて、日常生活から排除しようとすることです。 人が悲しむのは、悪いことではありません。 この悲しみという感情と上手に付き合って、 上手に「サヨナラ」が言えるようになりましょう。 ・あなたは幸福の大海の中にいる とても信じられないでしょうが、 あなたが幸福の大海の中にいるというのは本当です。 木はなぜ上に向かって伸び、花はなぜ美しく咲き誇り、 鳥はなぜ歌い、イルカはなぜジャンプするのでしょう。 それは、この世が美しく楽しいからです。すべての生き物は、 この世に生まれたよろこびを謳歌し、からだいっぱいで表現しています。 人間だけが、しかめっ面で悩み、苦しみ、涙しますが、本来人間は ほかの動植物と同じ生き物で、人生を楽しむことが目的で生まれた はずなのです。 漫然と悲しみに浸り、時間の過ぎるままに、悲しみを忘れては 「赤ちゃんを亡くした意味」がないのです。 この試練と向き合い、乗り越えれば、今後の人生のどんな悲しみ にも耐えられます。私たちの人生は、悩みや苦しみや迷いに満ちたもので、 いつどんな時に不幸が襲ってくるか分かりません。 その度に嘆き悲しみ、時間が過ぎるのを待っていたのでは、 人生の大半を不幸なままで過ごしてしまうでしょう。 悲しみ、苦しみ、不安など内向するストレスの解消法は 女性にとって永遠のテーマです。しかも子供を亡くした悲しみは 人生最大の試練と申せます。とても危機的な状況なのですから、 真剣に考えてほしいと思います。 女性にとって、子供を失うほどの不幸があるでしょうか。 苦しみ、つらさはじゅうぶんにお察しいたします。 でも、このまま嘆き悲しんでばかりでは、もっと不幸になって しまいます。心の傷を深めては、心が崩壊してしまいます。 心の傷を残したままでは、身体面など思わぬところに障害が現れます。 それを「罰」とか「祟り」とか申す人もいますが、 お祓いや祈祷では治りません。 悲しみを忘れることはできません。 忘れているように思っていても、心の片隅に押し込めているだけです。 あなた自身が、悲しみと素直に向き合って、立ち直り、 前を向いて歩み出すことが必要なのです。 でも、どうすれば立ち直れるのでしょう? 「悲しみから立ち直る方法」を学校で習いましたか? 身体の保健や、傷の手当てなら習いましたが、 心の悲しみの処方なんて、どこでも習ったことがありませんね。 私たちは、この悲しみという手強い感情に、まったく無防備であることを 思い知らされます。 さらに、学校で習うことは、物を得ることや獲得することです。 知識の得方や点数の取り方、お金のもうけ方なら習いますが、 「失うこと」や「亡くすこと」への対処法などまったく習いません。 その結果、とんでもない深い傷を負ったり、みずから傷つけることに なるのです。 ・いつ立ち直るか 台所でうっかり包丁で指を切ってしまったあなた、 「痛い、痛い」 と思いながら、流れ出る血をいつまでもジッと見ているでしょうか。 そんなことはありませんよね、すぐに包帯やカットバンで手当てをします。 心の傷も同じです。 いつまでも悲しいままにしないで、早く立ち直るよう努力しましょう。 悲しみから立ち直るのに、早すぎるということはありません。 ・「悲しみから立ち直る方法」 1、自分は悲しいと認めましょう。 間違えやすいのは「うつ」です。 その結果、カウンセリングや薬で治そうとします。 赤ちゃんを亡くして、気分が落ち込んでいることや、 元気が出ないことは、当然の悲しみとしての自然な感情ですから、 それを鬱と間違えないようにしましょう。 2、涙は最高の浄化作用です。 悲しみや、その他もろもろの感情を心にため込むのは 良くありません。トイレの中や車の中、家に帰ってから おおいに泣きましょう。 涙はストレスを洗い流す大きな効果があります。 「今泣いたカラスが、もう笑った」 と言われるように、気持ちが軽くなります。 美しい景色を見た時、「わー、きれい!」と声を上げたり、 可愛い動物を見た時、「わー、かわいい!」と声を上げますよね。 驚いた時や、怖い時は悲鳴を上げますし、楽しい時は歓声を上げます。 このように声を出すことは、自然な感情の表現方法ですが、 悲しみだけは声に出して表現する方法がありません。 そのため、ストレスとなって心の中に溜め込むことになりやすいのですが、 涙を流すことは、悲しみの唯一の表現で、たいせつなことです。 3、複雑な悲しみ 涙を流して悲しむ時は、とても分かりやすい悲しみ方ですが、 ほかにも次のような悲しみ方があります。 ・集中力がなくなる(仕事でミスが多くなる) ・無感動になる(何も感じない、感情が麻痺する) ・眠れない ・食習慣の変化 (食欲がなくなる、大食いになる) ・感情の起伏が激しくなる (怒ったり悲しんだり) ・喪失感 (心にポッカリ穴が開いたような気分) ・罪悪感 (自分を責める) 上記の現象は、自然な悲しみ方として現われることですが、 「悲しみ」と自覚するには個人差があります。 このうち何例か組み合わされて、複雑になったり、 日によって悲しみ方が変ったり、組み合わせが変わったりします。 一人として同じ組み合わせはなく、千差万別ですから、 ひと口に「悲しみ」と言っても、ただ一つの感情を差すのでは なくて、とても複雑であることがお分かりでしょう。 赤ちゃんとサヨナラするのではありません。 悲しみとサヨナラするのです。 赤ちゃんを忘れるのではありません。 悲しみを忘れるのです。 ですから、安心して悲しみとサヨナラする決意をしましょう。 5、パートナーのいる人は、最高 あなたの言うことを最後まで黙って静かに聞いてくれて、 その胸で泣かせてくれる人。 そんなパートナーのいる方は、最高に幸運な人です。 あなたは悲しみとサヨナラできたも同然で、少しずつではありますが 悲しみや苦しみが軽くなっていくことでしょう。 でも、そのような方はこのコーナーを読むこともないでしょうから、 このコーナーを読んでいるあなたは、たぶんパートナーがいないか、 パートナーに不満がある方でしょう。 6、悲しみを表現しましょう。 5で、悲しみの処方が出ました。 つまりあなたは、悲しみの原因や心の具合を、誰かに伝えたいのです。 苦しさを放出したい人もいれば、後悔していることを聞いてもらいたい人もいます。 赤ちゃんに謝罪したい思いや、赤ちゃんと遊びたい、抱っこしたい、話したいなど 自分の夢や希望を話したい場合もあります。 このように、悲しみの要因を言葉にして、第三者に伝えることは 悲しみの表現をすることで、そのことこそ悲しみから立ち直る方法なのです。 きれいな風景を見た時、「わー、きれい!」と言うのと同じように、 悲しい時に、「ああ、悲しいわ。なにが悲しいって・・・ 赤ちゃんがまた私のお腹に戻って来てほしいの。 そんなことを考えたら涙が出てくる・・・」 と、悲しいことの意味を誰かに伝えられたら、どんなに楽になるでしょう。 その悲しみは、その場で完結され、後にしこりを残すことはありません。 別の場所に行き、「あ、また悲しくなっちゃった。ほら、来年の今ごろって あの子を抱っこして、こんな風に公園を散歩しているのかなって思ったら、 あの子に申し訳なくって、涙が出てきたの。」 そのように表現できたあなたは、次にそのような考えが浮かんでも もう悲しみに涙を流すことはないでしょう。 悲しみはずっと小さくなっているはずです。 別の場所で食事をしている時、「ああ、まただわ。泣いてばかりね。 だって一週間前の私って、つわりでたいへんだったでしょ。 何も食べられなくって、無理に食べると吐いちゃうし、・・・ それに比べて今は、何でもおいしく食べられて、ああ、もうお腹に 赤ちゃんいないんだなーって思うと、悲しくて・・・」 このように食事の時の悲しみを表現できたあなたは、 食事の時の悲しみにサヨナラができたのです。 もう食事の時に、同じ悲しみを感じることはなく、感じてもずっと小さな悲しみに なっているでしょう。 7、悲しみにとらわれない 人は日常の生活を送っていると、うれしい、楽しい、腹が立つ、くやしい、 そして悲しいなど次々と感情が沸き起こります。 感情があることは人として自然なことで、感情のない人は不自然です。 悲しみもその感情の中の一つで、あなたの心を豊かにしている自然で大切な 感情です。 うれしいときは喜び、腹が立っては怒り、悲しい時は泣きましょう。 問題なのは、一つの感情をいつまでもずっと引きずっていることです。 悲しみも、悲しい時に悲しむのは何も問題はありませんが、 上手に悲しむことができずに、尾を引くようにズルズルと悲しみ続けると 問題になります。 8、悲しみのスケッチをしましょう 悲しみとサヨナラする方法が、悲しみを表現することであることは ご理解いただけたでしょうか。 でも、パートナーがいなかったり、いても話しを聞いてくれないパートナーで あったりした場合は、どうしたら良いでしょう。 悲しみの感情が沸くたびに、ひとりでブツブツひとり言を言うのも苦しいです。 そんな時は、メモ帳を持ち歩いて、感情をササッとメモしましょう。 それを悲しみのスケッチと呼びます。 もちろん文章で書けばOKですが、浮かんだイメージをそのまま絵として スケッチするのも良い方法ですね。要するに悲しみを表現できる方法があれば、 何でも良いのです。 9、悲しみの整理をしましょう 一週間もすれば、あなたの悲しみのメモ帳には、赤ちゃんへの思いがいっぱい 詰まっていることでしょう。それをまとめて整理してみませんか? 赤ちゃんへのお手紙を書いてみましょう。 まだまだ整理できない、そんな方もいるでしょう。無理にお手紙を書く必要は ありません。 でも、パートナーに聞いてもらうように、悲しみを表現することは、 手紙という形で表現することですから、あなたの心の癒しに役立つことです。 余裕ができたら、一度ためしてみましょう。 ・神を怒っても良い たいせつな子を流産や死産で亡くした方は、その早すぎる死や可哀想な運命を 与えた神様、仏様に対して、じゅうぶん怒る権利があります。 また、レイプされて妊娠した女性、望まぬ妊娠に困惑し、 中絶しか選択できなかった女性は、その理不尽な運命を神に怒ってもよろしいのです。 神聖なものに怒ってはバチがあたると思っている方もだいじょうぶです。 神様はあなたにバチを与えません。 この場合、怒るのが自然の感情と思います。 無理に受け入れようとしたり、忘れようとする方が不自然で、ストレスとなり 後で困ります。 自然の感情こそが、神様の導かれる道です。 神を怒る自然なあなたを、神様は愛しておいでます。 人を許し、自分を許しましょう。 許すことで、あなたの心はとても軽くなります。 荷物が十分の一になったような気分ですよ。 でも、そんなこと分かってはいるけど・・・・ と悩むのが人というものです。 人はなかなか人を許すことができないものです。そして、自分自身を許せない ものです。 でも、「許す」って、なんでしょう? じつは、多くの人が「許す」ことを誤解して苦しんでいる場合があるのです。 あなたは、許すことを「大目にみる、優しくみること」と思いこんでいませんか? または「罪を帳消しにして、罪を忘れること」のように思っているかもしれません。 もし、そのようにお考えなら、それは間違いです。 それでは、いつまでたっても許すことはできませんね。 赤ちゃんを中絶した事実を、大目に見たり、その罪を忘れるなんて、 ふつうならぜったいにできないことです。 そして、いつまでも自分を許すことができなくて、罪悪感で苦しんでいる方の なんと多いことでしょう。 そのような「許す」は、間違っています。 では、ほんとうの「許す」とは、どういうことでしょう。 ほんとうの「許す」とは、「怒らないこと」です。 いかがでしょう? 中絶した事実は忘れないし、その罪も背負うけれど、 いつまでも自分に腹を立てたり、怒ったりはしない。 そのように、あなたは考えられませんか? もし、そのように考えられるなら、あなたはあなたを許したことになります。 ・間違った立ち直り方法 これまで、どうしても悲しみから立ち直れなかった原因は何でしょう。 その原因を探ることにより、同じ間違いを繰り返さないことができます。 また、今後の人生を、より豊かに過ごすことができるでしょう。 小さな時、公園で泣いていた小さなあなたは、お母さんから 「ほら、お菓子をあげるから泣かないのよ。」 と言われて、お菓子をもらいました。 あなたは、悲しいときは物を食べればいいんだ、と思いました。 そして、今、悲しみから立ち直ろうと、あなたは食べまくりますが、 なかなか悲しみからは抜け出せません。 どうして、悲しいのかしら、こんなに食べているのに・・・ 小さな時、クマのぬいぐるみを無くして泣いていた小さなあなたに、 お父さんが 「代わりのおもちゃを買ってやるから、泣くな。」 と言われました。 あなたは、代わりの物があれば悲しくなくなるのね、と思いました。 でも、今、赤ちゃんの代わりはどこにもありません。 あなたは途方にくれるばかりです。 悲しみには、物を食べても、代わりの物も役に立たないのです。 このように、世の中では泣いている小さな子を慰めるのに、 間違った方法を教えることが多くございます。 これは、お父さんやお母さん、そしておじいさんやおばあさん、 また学校の先生など、あなたを育ててくれた誰もが 「悲しみから立ち直る方法」を知らないからです。 誰も教わっていないのです。 小さな子が泣き出すと、誰もどうしようもないのです。 ですから、「もう、あっちへ行って一人で泣きなさい。」 となるのです。 そう言われて育った誰もが、悲しい時は一人で悲しむものと思いこみます。 それもまた間違った教育の一つです。 他にも間違った立ち直り法はたくさんありますから、列挙しましょう。 「泣くな」とか「気を落とすな」と言われることがあります。 特に男性がよく使います。 でも、そう言われて元気が出る人はほとんどいません。 周囲の人に気を使うようになり、悲しみは押し込められるだけで なんの解決にもならず、ストレスとなってたまる一方です。 たまったストレスは、いつか爆発したり、また病気などの違った形で 表面化します。 「忙しくしていれば」 と、テレビのドラマで見たことがあるような気がして、 懸命に仕事に励み、必死に忘れようとしました。 忙しくしていれば、赤ちゃんのことを忘れられる・・・と信じて。 確かに、それで悲しむ時間は少なくなりましたが、 やはり心の傷は癒えることなく、いつまでも悲しみが残ります。 忘れようとしても、根本的な解決にはならないのです。 以上のことが、世間でよく言われる「悲しみ脱出法」ですが、 残念ながら、どの方法でもあなたは立ち直ることはできないでしょう。 人は学んだことしかアクセスできません。あなたはこれまでの体験で 学んだ「悲しみ脱出法」をかたくなに実行するのですが、 いつまでも悲しみから立ち直れない、いつまでも苦しい・・・ そんな人がとても多いのです。 お友達に相談して、 「あなたの気持ち、とてもよく分かるわ。」 と言われたとしましょう。それであなたの気は楽になりますか? おそらく、複雑になるだけでしょう。 なぜなら、どんな善意の友人でも、誰もあなたの悲しみを 理解できないからです。同じように、赤ちゃんを亡くした経験のある友人でも 事情は複雑で、あなたとまったく同じ体験ではないはずです。 あなたと同じ育ち方をして、あなたと同じ体験をして、あなたと同じ悲しみを 持っている人は、この世にあなた一人だけなのです。 それに、あなたの周囲の善意の友人の中には、悲しみから上手に立ち直った という人は、おそらく一人もいないでしょう。その結果、あなたに立ち直る 方法を教えることができないばかりか、あなたに立ち直ったふりを させようとする傾向があります。 「泣くのをやめないと、もっとお仕置きするわよ。」 と、幼い頃に言われた経験はありませんか? 人は子供の泣く行為や悲しむことをやめさせようとします。 そして私たちは、泣くことは悪いことと思いこんで育ってきました。 「泣き虫、泣き虫ー!」 と、いじめられたり、いじめたりした経験はありませんか? 人は幼いときから悲しみを表現することを異常に禁じられて育ちました。 そして、禁じられたり、いじめられた悲しみは、心の奥に押しやって 立ち直ったふりをすることを憶えるのです。 親切で良いお友達も、その立ち直ったふりをする方法を教えてくれるだけです。 ・死は誰も話したがらない これまでに身近に死を体験したことは、何回ありますか? 今の日本は、身近な死を体験することがとても少なくなりました。 幼い頃、おじいちゃんを亡くした時、 「おじいちゃんは、どうしたの?」 と聞くあなたに、 「眠っているのよ。」 と説明されても、それは違うと思うでしょう。 別の人に聞くと、 「おじいちゃんは、神様に召されたの。」 と説明されると、悪いのは神様だと思うでしょう。 人は、なかなか「おじいちゃんはね、死んだの。」とは言わないものです。 その結果、私たちは死を正確に知ることがなく、ますます死を語ることが なくなりました。そして、いきなり自分の子の死と出会っては、 まったくの無防備状態のところへ、急に襲いかかる不幸です。 あなたの心は、重傷を負って当然なのです。 アフリカのある種族では、性を隠された陰湿なものと考えず、 若い男女は大らかに性を楽しみます。 結果として妊娠した女性は種族全体から祝福を受け、迷わず出産します。 自宅で出産した後の子供の教育は、人生経験の豊富な種族の長老や あるいは女性の父母や祖父母が共同で受け持ちます。 子供たちは、彼らの豊かな知識と愛情と経済力のもとに健やかに育ちます。 親も自由に子育てに加わることができます。 アフリカの一部の種族に限らず、ネイティブアメリカンやアジア諸国にも このような風習はございました。 日本でさえ鎌倉時代以前は母系家族として、女性の両親や祖父母が 子供の教育を受け持つ風習でした。母系家族の方が 女性にとっては出産や育児が自然で、負担のかからない方法でした。 西欧諸国はアフリカのそのような種族に対して、 自由な性や母系家族制度、社会全体での育児は野蛮な風習と決め付け 「性は恥ずかしいこと。 子供は社会のものではなく、親の所有物である。」 と教育して生活の改善を進めてきました。 それは果たして正しいことでしょうか? やむなく中絶の道を選択なさったあなたは、 間違った選択をしたと悩んでおいでますが、 女性一人で子供を産んで育てて、どれだけの愛情を注いでも 限界はございます。この社会と女性の立場を冷静に考えた時、 あなたの選択を、誰も責めることはできないと思うのです。 「中絶が悪いのではなく、社会が悪い。」 という考えも、少しは心の中にお持ちいただいてもよろしいかと思うのですよ。 男性中心社会と合理主義は、たいせつなものを忘れ、 弱い立場の女性と子供に多大な負担をかける欠陥社会であることも 理解しておいてください。 でも、今更あれが悪い、誰が悪いと申しましても後へは戻れません。 女性の立場として、この社会で生き抜くためには、 失敗をしないよう、じゅうふん警戒しながら生きてまいりましょう。 ・あなたも私も平等です。 春名寺の尼だって、罪深き人間です。 みんな罪を重ねて生きてきました。 幸せな時もあれば、不幸に苦しむ時もあります。 そして毎日祈っています。 赤ちゃんのこと、あなたのこと、世界中の人々のことを。 罪を背負っても良いのです。同時に神聖な祈りを捧げても良いのです。 人はどんな人であっても、上もなく下もなく、許されて生きる存在です。 不幸があっても幸せがあっても、 平等に御仏のお慈悲に守られているのです。 |
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